TK豆戦車のバリエーション

(以下の解説は、2000年秋に個人HP、旧「河馬之巣」に掲載したものに若干の加筆訂正を行った)

第二次世界大戦の口開けとなった1939年のドイツのポーランド侵攻に際し、これを迎え撃ったポーランド陸軍の、数量的には主力AFVと言えるのがTK豆戦車シリーズである。

開戦時、TKシリーズは主に11個の装甲(偵察)大隊(豆戦車1個中隊13両、その他装甲車8両)、15個の独立偵察中隊(豆戦車各13両)、2個機械化旅団(豆戦車各26両)などに配属され、基本的には機銃1丁、軽装甲の偵察用車両だが、ごく少数の20mm砲装備型は、ドイツ戦車に対する数少ない対抗力として活躍した。

TKシリーズは、戦間期のイギリスのベストセラーAFV、カーデンロイド豆戦車から進化発展した。カーデンロイド豆戦車は、本国イギリスでは、より大型のキャリアや軽戦車系列に発展、ほかにも、フランスのルノーUEやイタリアのカルロ・ヴェローチェ(CV)など、各国で装甲牽引車や豆戦車の独自発展型を生み出している。ポーランドはの1929年、10輌もしくは11輌のカーデンロイドMk.VIを購入、さらにライセンス生産権も取得。これをもとに、TKシリーズを開発した。

カーデンロイド豆戦車およびその派生型は、手軽で安価に揃えられる装甲兵器として戦間期に多くの国で使われたものの、能力不足は否めず、大戦前にその多くが一線を退き、訓練用途に回された。その中で、なお多くが一線部隊に配備され実戦に投入された数少ない例が、ポーランドのTKとイタリアのCVだと言える。

より大型化しエンジンや装甲、武装も強化されたCVに対して、TKは原型となったカーデンロイド豆戦車の「小型・軽装甲(はっきり言えば貧弱さ)」を色濃く残し、武装も一部の改修型を除けば強力とは言えなかったが、それでも、侵攻してくるドイツ軍に対する貴重な(というよりもなけなしの)装甲戦力として使用された。

以下は、このTKシリーズのバリエーションを簡単な図を添えて解説したもので、図面は吉原幹也氏が描き起こしたTKS、TKFの図面を利用し、氏の了承を得て一部を改変してバリエーション図とした。図面としては必ずしも正確ではなく、特に試作車両のディテールに関しては想像交じりであることを最初にお断りしておきたい。

Ttk2

Stk2TK豆戦車シリーズの最初のプロトタイプ。イギリスから輸入されたカーデンロイドMk.VIをもとに、ポーランドにおける足回りの改修型を経て、自国開発されたもの。構成の異なる2種のプロトタイプが作られ、比較検討された。

TK-1は、オリジナルのカーデンロイドとは逆に起動輪は後側にあり、車体前部右側にラジエーターを装着しているため、前面(機銃マウント直下)にラジエーターグリルを持つ。シリアルはNr.6006。 TK-2は、全体的なスタイルはTK-1と似ているが、トランスミッションがシャーシ前部にあり、起動輪は前側と、オリジナルのカーデンロイドと同じで、TK-1とは逆の構成を持つ。ただし、起動輪位置は後の生産型と比べ低い。シリアルはNr.6007。ここに示した図もTK-2だが、写真資料が少ないため、サスペンション等は多分に想像交じり。

足回りの差を除けばTK-1、TK-2のスタイルはよく似ており、オープントップ式の戦闘室前面右側に、ポーランド陸軍の標準的な重機関銃であったオチキス8mm(正確には7.92mm)機銃を装備していた。TK-1、TK-2ともに、後に戦闘室上部・天井を継ぎ足して密閉式となる。この戦闘室形状は生産型のTK-3に受け継がれた。

TK-2(Nr.6007)は、さらに足回りも改装強化され、起動輪位置が持ち上げられた(あるいは転輪~誘導輪の位置が下げられた?)。これが生産型TK-3の原型となった。また、TK-1は比較審査終了後、モドリンにあった装甲部隊訓練センターで高い石積みの上に載せられてモニュメントになった(おそらく戦時中に撤去された)。

Ttk3

Stk3 TKシリーズの最初の量産型。国営技術工廠(PZInz.)ウルスス工場(19世紀末創業のエンジン/輸送機器メーカーで、世界恐慌の際に国営化)において、1931年に量産が始まり、約300両が生産された。プロトタイプ同様、戦闘室前面右側にオチキス機銃を操作する車長が、左側に操縦手が乗る2人乗り。

同じく、カーデンロイドMk.VIをベースに作られた、チェコスロバキアのvz.33(P-1)豆戦車とは戦闘室形状も非常によく似ているが、vz.33のほうがやや新しく、装甲も厚く、武装は7.92mm機銃2丁となっている。

軍の登録車両ナンバーは1154-1353、1362-1461(後述のTKFを含む)。

1939年のドイツによる侵攻当時も現役で、TKSとともにポーランド陸軍AFVの(数量的には)主力として実戦に参加した。ポーランド戦終結直前、国境を越えてハンガリーに逃れた9両のTK-3が同軍に接収されている。

性能緒元

  • 乗員:2名
  • 武装:オチキス7.92mm/wz.25×1 弾薬1800発
  • 最大装甲厚:8mm
  • エンジン:フォードA、4気筒40hp
  • 重量:2.43t
  • 最大速度:45km/h

Ttkw

Stkw固定式戦闘室しか持たないTKの戦闘力を向上させるための試みとして、これに回転砲塔を積む形式の車両が、1933年、少なくとも1輌がTK-3(おそらく登録番号No.1164)から改修され製作された。形式名称のWはwieża(砲塔)を示す。

大雑把に言えば、TK-3の戦闘室の上半分を撤去して新たな天井を作り、ここに、右側にほぼ円錐台形の新設計の砲塔を搭載。左側には操縦手用の固定式キューポラを設置した。操縦手用キューポラの上面には、初期の写真ではグンドラフ式ペリスコープが取り付けられているのが確認できるが、後には取り外されてしまったらしい。

初期にはブローニングwz.30機銃をTKSとほぼ同形のボールマウントを介して装備した写真が確認できる。後に、砲塔は大きく前方に張り出した新型のものに交換される(同型の砲塔は、後にPZInż.130水陸両用試作戦車にも使われた) 。武装はオチキスwz.25が想定されていたものと考えられるが、現存する写真では機銃装備状態のものは確認できない。図は新砲塔になって以降のもので、仮に機銃を描き加えてある。なお、砲塔は左側の操縦席バルジと干渉するため、360度の回転はできない。

これだけ小さな車両に回転砲塔を積んだこと自体は面白いが、背高でアンバランスな感じは否めず、また、実際にも数々の不具合があったようで、試作の域を出なかった。ポーランドの模型メーカー、RPMでは「TKW-II」と称し、このTKWに20mm機関砲を積んだタイプのキットを出していたことがあるが、これはおそらくメーカーの捏造。

Ttkd

StkdTKをベースに、試製25年式47mm砲を搭載した試作自走砲で、1932年春、TK-3からの改修で4両が製作された。

オープントップ式の戦闘室は新たに設計されたもので、戦闘室前面ほぼ中央に、牽引式の47mm砲の車輪と脚部を取り外したて搭載。左右それぞれ、前面と側面にフラップ式のバイザーを持つ。ただし、戦闘室装甲は鋼鈑ではなく、軟鉄製だったらしい。

履帯は多くの写真ではTK-3よりも幅広の、おそらく後のTKSと同じものが使われている。ただしTK-3用と思われる幅の狭い履帯を履いた写真もあり、製作当初はTK-3と同じ足回りであったものが、その後改修されたのではないかと思われる。搭載砲自体試製の域を出なかったので、この車両も試作のみに終わった。

基本的には試験および訓練に使われたが、唯一、1938年のチェコ分割に伴う、Zaolzie地方へのポーランドの進駐作戦の際に、ポーランド陸軍の精鋭部隊、第10機械化騎兵旅団指揮下に後述のTKS-D 2両とともに1個小隊が編成されて投入されている。その後の消息は不明。

ワルシャワ防衛戦に参加したという説もあるが、PIBWL Military Siteを運営しているポーランドのモデラー/研究者、Michal Derela氏によれば、少なくとも正規の編成表にはその名前は上がっていない。

なお、ポーランドの模型メーカーRPMから、以前、このTKDのキットが発売され、当時これを輸入したバウマンの広告には、20数両が生産されて実戦参加したと書かれていたが、その根拠は不明。さらにRPMでは、TKDとはまた別に「PC」というキット名称で、TKDから砲を撤去した砲牽引車タイプのキットも発売したが、このような車両の存在はどの資料でも確認できず、おそらくメーカーの捏造と思われる。

Ttkf

Stkf TK-3の性能向上型として、TK-3のエンジン(フォード40hp)を、より強力なポルスキ・フィアット122BC(45hp)に換装したタイプが作られ、TKFと名づけられた。名称のTKFは、FIATエンジン付きのTKを意味するらしい。生産数は18両か、それを数両上回る程度と思われる。登録車両ナンバーは、TK-3のそれに含まれる。

より全般的な性能向上型のTKSの生産が開始され、そちらに注力するため、TKFは少数の生産(もしくは改装)で終わった。生産されたTKFは実戦部隊に引き渡され、通常のTK-3やTKSとともに用いられた。

図は、ユーゴスラビア、ベオグラードの軍事博物館(カレメグダン城)に現存する車両を参考にしたもの(ドイツが旧ユーゴ地域で警備用車両として用いたか、あるいはクロアチアのウスタシ軍に供与した車両ではと思われる)。外形上はTK-3とほとんど同じだが、起動輪、誘導輪基部などがTKSと同じ仕様で、履帯幅も広くなっている。ただし、これがTKFの特徴なのか、あるいは単純に後期生産型のTK-3を示すものなのか(あるいは修理改修の結果こうした仕様が生まれたのか)は確証がない。

Ttksp

StkspTK-3の改良型として計画され、1933年にプロトタイプがTK-3(No.1160)を改造して製作された。TK-3と比べ、戦闘室形状が改められただけではなく、装甲が僅かに厚くなり、エンジンはTK-3のフォード40hpから、ポルスキ・フィアット122AC、42hpに強化された。

基本的には上部がすぼまった単純な箱型の戦闘室だったTK-3に対し、新設計のTKSの戦闘室は、左右非対称の複雑な面構成を持つものとなった。また、重量の増加に伴い、履帯はTK-3よりも僅かに幅の広いものが作られている。このため速度性能はTK-3よりわずかに落ちたが、不整地走行能力は向上している。これらの特徴は、後の量産型にそのまま引き継がれた。

プロトタイプの武装はスリーブ付きのブローニング7.92mm/wz.30で、TK-3と異なり、ボールマウントを介して取り付けられている。

1933年中に行われたテストの結果は良好と判断され、翌年から量産が開始された。

Ttks

Stks1934年に生産が開始されたTKSの量産型。

軍の登録車両ナンバーはNo.1492-1594、1597-1682、1702-1764、1799-1814。このほかに、シャーシナンバー8890-8910(途中抜けがある可能性あり)が、登録番号無し。生産数は390両、280両、250両と、資料によってずいぶんまちまちだが、上記番号を足すと、280両説が最も近い。なお、この数字には、下記20mm砲装備型を含む。

試作型との違いは、武装がTK-3までと同様オチキス7.92mm/wz.25を装備していることだが、その他にもヒンジ形状など、細部ディテールに僅かの差がある。エンジンはポルスキ・フィアット122AC(42hp)、もしくは同BC(45hp)を搭載する。

車長側(つまり武装側)天井には、後に7TP軽戦車(単砲塔型)に使われたものと同様の回転式ペリスコープ(グンドラフ式ペリスコープ)が装着されている。これは後にイギリスでMk.4ペリスコープとしてライセンス生産されてイギリス戦車の標準的な装備品となり、さらにはそれがソ連でも作られて、T-34やISスターリンでも使われた、ポーランド発の隠れた「ヒット作」となっている。

1939年戦役の後、ドイツ軍では鹵獲したTKSを警備車両や、機銃を外して牽引車として数十両が使用されたらしい。また、実際に使用したものか、あるいはドイツ軍車両を使ったプロパガンダ写真かはよくわからないが、クロアチア兵が搭乗して並んだTKSの写真もある。

さらに、ポーランド戦終結直前、国境を越えてハンガリーに逃れた7両のTKSが同軍に接収されている。

性能緒元

  • 乗員:2名
  • 武装:オチキス7.92mm/wz.25×1 弾薬2000発
  • 最大装甲厚:10mm
  • エンジン:ポルスキ・フィアット122AC、4気筒42hp、もしくはBC、45hp
  • 重量:2.65t
  • 最大速度:40km/h

Ttks20s

Stks20p30年代も後半になると機銃1丁のみのTKシリーズでは威力不足は明らかで、諸外国の機械化・装甲化の波にも対抗するため、TKシリーズの対戦車能力向上が図られることになった。

1936年、開発はスタートし、TKSのオチキス機銃に代わり、ゾロトゥルン20mmをカルダン砲架を介し、半球形防盾付きで搭載した試作車両が作られてテストされた。

ゾロトゥルン20mmは、スイスのゾロトゥルン社が開発した対戦車ライフルで、ゾロトゥルン社は戦間期にドイツのラインメタルに買収されており、条約をかいくぐって兵器開発を行う役を担っていた。ゾロトゥルン20mmは後のラインメタル20mm機関砲FlaK30の元にもなっている。

ゾロトゥルン20mm搭載の試作型は、後の生産型に比べ半球形の防盾が小さく、砲身も短め。TOM~RPMが発売した20mm搭載型TKSのキットは防盾が小さく、その点ではむしろこの試作型に近い。

Ttks20f

Stks20 ゾロトゥルン20mm対戦車ライフルを搭載したプロトタイプの試験の結果、さらに長砲身で連射が可能な、強力な国産20mmFK model A/wz.38機関砲が搭載されることになり、数両のTKSおよびTK-3が改装された。

TKS/20mm装備型はプロトタイプ同様、基本的な戦闘室形状はそのままで、ただし、プロトタイプよりさらに大型化した防盾を備える。また、オチキス機銃に比べて大型の砲尾を持つためと思われるが、機銃装備の通常のTKSとは戦闘室上面のレイアウト(ハッチの大きさと配置)が多少変化している。

テストの結果は良好と判断され、20mmFKの生産とTK-3/TKSの改装計画が急がれた。計画では、1940年1月までに150両のTK-3/TKSが、この20mm装備型に改修されるはずであったが、1939年9月の開戦時には、50両分の20mm砲搭載用のTKS車体が用意されているのみで、さらに実際に20mmFKが搭載されたのは24両(あるいは20両、18両など諸説あり)に過ぎなかった。

1939年戦役において、少数の20mm搭載型TKSは、ポーランド豆戦車部隊の虎の子の対戦車車両として活躍。ポーランド戦車史の大家、故ヤヌシュ・マグヌスキ氏によれば、1939年戦役当時、19歳のロマン・オルリック見習士官は、この20mm搭載型TKSに搭乗し、13両のドイツ戦車を撃破/行動不能にする殊勲をあげたとされる。

性能緒元

  • 武装:20mm/wz.38(FK mod.A)×1 弾薬250発
  • 重量:2.8t

Ttk320

Stk320TKSとともに、旧型のTK-3への20mm機関砲FKの搭載が計画された。

戦闘室の基本形には手を付けずに20mm砲が搭載できたTKSとは違い、TK-3に20mmFKを搭載するにはかなりの改修が必要で、装備型はオリジナルのTK-3の戦闘室前面右側に、TKSに似た張り出しを新設し、ここに20mmFKの砲架を取り付けている。その結果、車体前部上面のトランスミッション点検ハッチは、左側のみに減じている。

くエンジン性能も低いTK-3に余計な手間を掛けて数少ない20mm砲を搭載するよりも、改修はTKSに絞ったほうがよいと判断されたものと思われ、TK-3/20mm搭載型は、おそらく、最初の試験車両のみに終わっている。

Ttks37

Stks37 TKSの車体/戦闘室をほとんどいじらず、砲架部分を改修して、ルノーFT17や、ポーランド製のwz.28、wz.34装甲車に搭載されたのと同系のピュトー37mm砲と思われる砲を装着したタイプが、少なくとも1両製作されている。

ポーランドの模型資料誌、Militariaのvol.1 no.5(7TP軽戦車特集)で、7TPプロトタイプとともに写っている写真がある。おそらく、武装強化の試験として通常のTKSから改装・テストされたものと思われるが、その他の資料でこれに触れているものはなく、詳細は不明。なにぶん、不鮮明な写真1枚しかないので、ここに上げた図も、防盾部分は「なんとなくこんなような形」という以上のものではない。

ポーランドの模型メーカー、RPMから「TK-SD」というキット名称で1:35インジェクションキットが出たが、よく似た名称の「TKS-D」という別車両があることを考えると、この名称はにわかには信じ難い。

Ttksb

Stksb TKSの改良型。後述のC2P牽引車向けの新型トランスミッションと、大型の接地式誘導輪など改修された足回りを持つ(誘導輪形状など、細部ディテールはわずかにC2Pと異なる)。

おそらく1937年に1両が既存のTKSを改修して試作された。軍の登録車両ナンバーは1510。

プリミティブな操向装置しか持たない既存のTKSに比べ走行性能は向上したものの、すでに軽装甲・機銃1丁で2人乗りの豆戦車では時代遅れなのは明らかになってきており、改良計画は放棄され、TKSの生産それ自体も終了した。

ポーランドの模型メーカー、ミラージュ・ホビーより、通常型TKSとのコンパチで1:35キットが発売されている。

Tc2p

Sc2p TKの足回りを使った小型装軌式牽引車。 片側にブレーキをかけるだけという簡単な操向機構を持つ従来のTKシリーズの走行装置は牽引車向きではなく、そのため、新型のトランスミッションを開発・搭載、これと同時に、誘導輪を大型化し接地する形に改めた。この走行装置は、後に上記のTKS-Bに引き継がれた。

車体前面がより低く、フェンダー形状が異なり、ウィンドシールドも持たないプロトタイプ(C2T?)が製作され、試験と改良の後、1937年から約200両が量産された。

ポーランド陸軍の主力対空砲である、ボフォース40mm高射機関砲、あるいはそれ用の弾薬トレーラーの牽引に主に用いられ、操縦手のほか、3名の砲兵が搭乗できた。

あまり出来はよくないが、S modelから1:35レジン・キットがある、またミニスケールでは、資料リーフレット付きの1:72シリーズ、FTFから唯一のインジェクション・キットが発売されている。

性能緒元

  • 乗員:1+3名
  • エンジン:ポルスキ・フィアット122BC、6気筒46hp
  • 重量:2.75t
  • 最大速度:45km/h

Ttksd

Stksd TKSから僅かに改良された足回りを持つ、C2P牽引車と共通のシャーシに、ボフォース37mm対戦車砲を搭載した、小型ながらスマートな外観を持った豆対戦車自走砲。

1937年春、2両の試作車両が作られたが、1両はTKS-B試作車両から、もう一両はTKSからの改修であったらしい。

資料によれば、搭載されたボフォース37mm砲は、取り外して車輪付き砲架に載せ、牽引することも可能で、言わば後のドイツの「ホイッシュレッケ」等と同様のコンセプトを持つ車両であったらしいが、残された写真からは、そう簡単に砲の上げ下ろしが出来るようには見えない。

写真によっては、側面装甲版が前部と同じ高さで後部まで続いているものもあるが、その写真には修正されているらしき形跡があり、異なる装甲版形状のものが1両ずつ作られたのか、写真の修正で描き改められたのか、はっきりしない。ちなみに、図面はかなりいい加減。

TKSの代替として試作された4TP軽戦車の派生車両として、PZInz.160という軽対戦車自走砲のプランが出てきたために採用されなかったか、あるいはこのTKS-Dが出来たためにPZInz.160のプランが中止されたか、その両方の説があるらしいが、いずれにせよ、どちらも量産はされていない。

こちらもTKD同様、チェコ進駐作戦以来の消息は不明で、1939年戦役時、正規の編成表にその名は上がっていないが、資料によっては、ワルシャワ防衛戦に使われた可能性があるという。

搭載されたボフォース37mm対戦車砲は、ライバルのドイツ・ラインメタル37mmPak36と比べても遜色の無いスウェーデン製の傑作火砲で、ポーランドでもwz.36(36年式)として生産され、軍の主力対戦車砲として配備されていた。これを装備したポーランド対戦車砲部隊により、1939年戦役時、ワルシャワ前面でドイツ第4機甲師団が大出血を強いられたことでも有名で、このTKS-Dも量産されていればそれなりの活躍の場はあったかもしれない。

●参考資料

  • ヤヌシュ・マグヌスキ、「ポーランド機甲部隊史」第3、4回(「月刊モデルグラフィックス」88年7、8月号)、大日本絵画
  • スティーブ・ザロガ、「ポーランド軍戦車部隊1930-39」(戦車マガジン1990年11月号)
  • J. Magnuski, "KARALUCHY PRZECIW PANZEROM" PELTA
  • "CZOŁG ROZPOSNAWCZY TK-S"(MILITARIA i FAKTY 31)
  • Militaria vol.1 no.3, no.4, no.5
  • A. Jonica, R. Szubanski, J. Tarczynski, "POJAZDY WOJSKA POLSKIEGO 1939" WKL
  • J. Tarczynski, "Pojazny w Wojsku Polskim (Polish Army Vehicles) 1918-1939" biblioteka Marsa
  • W.Muller, "CAPTURED TANKS IN GERMAN SERVICE -- SMALL TANKS AND ARMOERD TRACTORS 1939-1945" Shiffer
  • M. Derela. "PIBWL Military Site"
  • M. Tyraki , "Model Tank Gallery"(リンク切れ)

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