T-34

不要不急料理

●発作的に茶葉蛋が食べたくなり、卵を買ってきて茹でる。

作り方はいつも通り、普通に茹で卵を作ってから、スプーンの背で細かくひびを入れてから、改めて煮汁でことこと。このためだけに買ってある烏龍茶のティーバッグ、香辛料はお手軽に五香紛をたっぷり。あとは料理酒に塩に醤油を適当、砂糖少々。温めたり冷ましたりを繰り返して味と香りを染み込ませる。

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今回は割とうまくできた、気がする。もともと茶葉蛋は、もう何年も前に横浜中華街で売っているのを買い食いしたのが初めてなのだが、その後、そのお店が無くなってしまったのか売っているのを見掛けないので、オリジナルの味に近づいているのか遠ざかっているのかがよくわからない。

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●先日、いちど干したもので汁物を作り、味はいいものの独特な匂いにちょっとショックを受けたニリンソウだが、三度目の正直で、今度こそ「一度茹でてから干す」を試してみることにした。……こんなことをしているうちに、いつかトリカブトに当たるか知れん。

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肝心のニリンソウは、今がまさに花盛り。それなりに「一食分、これくらいかな」と思って採ってきたのだが、茹でてから干したら、そのまま干した以上に縮んで、これっぽっちになってしまった。そのまま干したときのような強い匂いがしないので、これは期待できるか?

●MiniArtのT-34-85 m1943(製品番号35290、キット名称“T-34/85 w/D-5T. PLANT 112. SPRING 1944. INTERIOR KIT”)のパーツ構成が発表になったというのをセータ☆さんのgizmologで知って早速見に行く。

とりあえず現時点でのMiniArt公式サイト(日本語版)内の同キットのページはこちら。「コンテンツボックス」のタブでパーツを見ることができる。チェックポイントに関してはセータ☆さんのところでも言及されているが、個人的に気になったのは以下。

▼防盾は砲塔の枝に(後のバリエーション展開に対応して)ZiS-S-53用のものが2種。砲尾部を含めたD-5Tの枝にD-5T用防盾が一種。横幅が広がった、D-5T用としては後期の防盾(今回のキットに対応)で、初期型用の横幅の狭い防盾はセットされていない。MiniArtのことなので、初期型の発売も可能性は非常に高いと思われるものの、とりあえず、今回のキットのパーツ構成の中に初期型発売が確実と言えるものは(少なくとも私の知識の範囲内だと)見当たらない感じ。

▼起動輪はリム部が薄くハブ周りにボルト列がない後期型だが、ローラー軸のナットを受ける台座状の出っ張りがリム部に繋がっているものと、繋がらずに円形に独立しているものの2種の表側パーツが入っている。後者の起動輪のインジェクションパーツ化は初めてじゃないかなあ。それはそれとして、D-5T装備型でも、1944年春生産型はこれら後期標準型の起動輪でいいんだろうか?

▼履帯パーツは内側の面しか写っておらず、一般的なワッフルか、リブの多いタイプが新規型起こしされているか、これだけでははっきり判らない。ただし、同社からすでに出ている連結履帯とは枝の配置が異なっているので、このキットのために改めてパーツ化されたものである可能性は高そう。楽しみ。

▼やっぱりMiniArtのT-34系ってエンジンデッキ側部のグリルの縦幅がちょっと狭い気がする。

▼予備燃料タンクのステイは3種含まれている。D-5T搭載型の場合、プレートタイプの支持架を使うことになると思うが、キットに含まれているプレートタイプの支持架は上側と下側が完全に非対称。う~ん。こういうのもあったのかなあ。

▼転輪はゴムリムに刻み目と穴の両方があるタイプ。私は製作中の1943年型初期型に穴のみタイプを用意してあって、「う~ん、刻み目もアリのやつのほうがよかったのかなあ」とちょっと心が揺らぎ中。いや、まあ、いまさら交換しないと思うけれど。

20200503_210148 ▼エンジンデッキ中央の点検ハッチに関し、セータ☆さんが「112工場製の場合、ハッチ自体が(バルジの中で)前寄りになっている」と書いていて、それについて私自身は気付いていなかったのでワタワタ。単純に、183工場製ではバルジの後ろに板が差し渡されているのがないぶん、バルジが後方にちょっと長いだけ、みたいなイメージでいた。改めて作りかけのT-34-85を見てみたら、もともとアカデミーのキットでも前寄りになっていた(後方の形状は183工場風になってしまっていたわけだが)。一安心。

●タミヤの新製品のKV-1は、誤解を招きやすい「1941年初期生産型」ではなく、「1941年型 初期生産車」に変更されたそうだ。善哉善哉。まあ、それでも判りにくいっちゃ判りにくいんだけれども、他に「これだ!」という呼び方もないので仕方がない。

また、同キットはカラー塗装図の隅にペーパークラフトがオマケについているそうだ。ドイツ軍が前線兵士に、敵戦車識別用に配っていたペーパークラフトを模したもの。ただし付属のものは約2cmだそうで、35倍すると70cm。当時の識別用ペーパークラフトとしては大き過ぎるかなあ。もっともその半分の大きさにすると、今度はペーパークラフトとして作るのが大変そうだ。

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ごみ取り権助(T-34-85 m1943)(5)

●T-34-85 1943年型(アカデミー+グムカ、1:35)製作記。

脱線して、廃品利用で使うあてのない砲塔改造など始めてしまったが、ここで本筋のT-34-85 1943年型の製作が止まってしまってはしょうがないので、前回少し触れた起動輪に関して。

●通常、T-34-85の場合は後期型標準の起動輪が使われているのだが、第112工場製車輛の場合は、T-34-85の1943年型に至るまで、より初期の形質の起動輪が使われていたらしい……というのは、以前に書いた通り。

ただし第112工場製車輛で通常使われているタイプは、少なくともインジェクションでは出ていないようなので、ドラゴンのキットに入っている、より一般的な形質の初期型起動輪から改造することになる。ドラゴンの初期型起動輪は複数のキットに不要部品として含まれているため、改造のベースとしては気軽に流用できる。

なお、先に書いたように、このタイプの起動輪は、第27工場で増加装甲が施された、ピロシキ砲塔搭載型用にも片側分だけ作ったことがある。今回は、そちら用の残りもついでに片付けることにする。ちなみに我が家にはドラゴンのOT-34(112工場製)のキット(#6614)もあって、そちらもキットの指定通りの仕様で作るなら、この起動輪が必要になる。

この際まとめてそちら用も作るか!――などとも思ったのだが、それなりに手間でもあるし、ズベズダから112工場製のピロシキ砲塔搭載型の後期型がアナウンスされており、この形式のまともな起動輪パーツが出てくる可能性が高いことも考えてやめにした(面倒くさかった、というのが第一理由だが)。

●改造作業の第一歩としては、キットの起動輪パーツから外周部分を削り落とすところから始める。

下写真は、左側がドラゴンの初期型起動輪パーツ。右写真は、そのパーツをそのまま組んだものと、下拵えとして外周を削り落したもの。

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今回必要とするタイプへの改修としては、削り落とした後に改めてプラバンからドーナツ状に切り出したリム部をはめ込んで整形するのだが、T-34-85に使用する方は、先述のように、さらにローラー軸部の改造も必要になる。

上左写真で確認できるように、キットの起動輪のローラー軸部は、表側が円錐形のピンエンド、表側がナットの表現になっているが、おそらくナット砲塔搭載型の生産途中から、何らかの理由でこの表裏が逆転している。

単にキットのパーツも表裏を入れ替えて済むなら楽なのだが、実際には、

  • ハブ周りのボルトに関しては、初期も後期も一貫して表がナット、裏がボルト。キットもそのようになっている。
  • ナットに関しては、キットはすべて通常形状になっているが、実際にはキャッスルナットが使われている。

という二つの理由から、地道に軸部のディテールを作り替えることにした。というわけで、下写真は1枚目が外周を削り取った状態、2枚目が新たなリムを取り付けた状態(切り出したプラバンをはめただけで外周は未加工)だが、それぞれ、左側がピロシキ砲塔搭載型用、右側が-85の1943年型用に円錐形のピンエンド部分を削り落としたもの。外周との関係からペンナイフでスッパリ削るというわけにはいかないので、まずは外周と同じ高さまでナイフで削ったのち、自作の小さなノミでちくちくと削り込んだ。これが結構面倒。

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リム部は、1.2mmプラバンに0.3mmを重ねたもの。なお、キットの起動輪は裏側パーツにローラー本体がベタ付けでモールドされているが、これはリムを作り替える際に邪魔になるため、一度すべて削り落とし、リムを取り付けた後で、適度な太さのランナーの輪切りで再生した。

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また、前回書いたように、このドラゴンの初期型起動輪は内外の間隔が割と狭めで、AFVクラブのセンターガイドがやや厚い履帯がうまくはまらない。T-34-85に関しては、今後、どこの履帯を使うか未定だが、念のために中央に0.3mm板でスペーサーを入れた(そもそもドラゴンの他のタイプの起動輪と比べても、初期型起動輪は間隔が狭い)。

●外周をヤスって整形したのち、ホイール部との溶接表現を入れる。T-34-85用のものには、ドラゴンのOT-34に入っていた後期型(戦中仕様)の起動輪からキャッスルナットを移植した。ちなみにこの後期型(戦中仕様)起動輪パーツは、なぜかローラー軸部の表側も裏側もキャッスルナット表現になっている。どういうこっちゃ、ドラゴン……。

実際には、このキャッスルナットはやや大きすぎで、正確を期すのであればMasterclubあたりを張り込みたかったところ。

なお、先述のように、表がキャッスルナットの場合は裏は円錐形でなければおかしい。やはりドラゴンのキットの不要部品で余っているSTZ用起動輪から移植することも考えたが、どのみち履帯と車体に隠れてほとんど見えなくなるので手を抜いた。モールドを削り取るのが面倒なんですよ……。あるいは、結構余っている初期型起動輪パーツの表側を流用する手もあったかも(と、今更思った)。

ちなみにドラゴンのSTZ用起動輪は、これまたなぜかローラー軸部の表側も裏側も円錐形のピンエンド表現になっている。いやホントどういうこっちゃ、ドラゴン……。

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というわけで、一応完成した2輌分の起動輪。ピロシキ砲塔用(左写真)でリム部の幅がわずかに違い、溶接痕もかなり強弱の差があるのは試行錯誤の跡と思っていただければ。どのみち車体に取り付けたら両方同時に見えることはないので、(面倒なので)そのままとする。

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ごみ取り権助(T-34-85 m1943)(脱線編の続き)

●本家「ごみ取り権助(T-34-85 m1943)」は、起動輪の工作で足踏み中。

もしもこの先、AFVクラブの履帯を買ってきた場合でも対応できるように、予め起動輪の真ん中にスペーサーを噛ませておこうか、などと考えていたりするため(AFVクラブの履帯はセンターガイドがちょっと厚い)。

それにしても新型コロナ蔓延が収まるまでは、おちおち買い物にも行けませんな。

20200305_222007 ●その一方で、ひとつ前の記事で触れた、廃品利用のT-34-85 1944年型砲塔の改造作業は(車体製作のあてもないのに)進行中。

基本、アカデミーのキットのエッジを削るだけで、112工場製車体に使われた、比較的一般的な1944年型砲塔の初期型になるのだが、どうせ余り物の砲塔ならダメ元でどんどん削ってもOK、ということで、鋳型の分割ラインが縦横に入った、いわゆる「Cross-Jointed」砲塔を目指してみる。

セータ☆さんのT-34無線指揮車仕様の記事中の説明によれば、この「Cross-Jointed」砲塔は、解放後に復興されたハリコフの第75工場で生産され、ゴーリキー(現ニジニ・ノブゴロド)の第112工場に送られて使われたのだとか。

そう言われてみれば、単に鋳造ラインの違いだけでなく、砲塔の基本形自体も112工場製-85のその他の砲塔(同工場のメインの砲塔供給工場製と思われるもの)とは少々違っている。その辺は後述。

というわけで、砲塔の現状はこんな感じ。

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▼112工場製-85のより一般的なタイプでは(後期のComposite砲塔も含め)砲塔前部がかなり「下ぶくれ」になっている。これは単純にエラが張っているということではなく、実際に砲耳部左右の下面が膨らんでいる。キットもそうなっているので、ここはかなり大胆に削り込んだ。削りすぎて穴が開きそうになったので、慌てて裏打ちしたり。

▼砲塔裾部も全周にわたって丸みを増すように削り直した(そもそもキットは前半部分もかなり「ハードエッジ」だが)。だが、実際こうして写真に撮って見てみると、もっと丸みがあってもよかったような。

▼砲塔の頸部は、実車ではやや裾広がりになっているようだが、キットは抜きの関係か、やや下すぼまりな感じ。若干上の方を削ったが、根本的な修正は行っていない。

▼縦横に走る鋳型の分割ラインは伸ばしランナーでの工作。どうしても溶接ラインとあまり変わらなくなってしまう。単にラインを張り付けるだけでなく、部分的には溝を彫ったりもしているのだが、あまりパッとせず。実際のこのタイプの砲塔の場合、かなり大胆に型ズレが起きたりしているので、いっそ、レザーソーで上下に切り離してしまって、わずかにずらして接着するといった荒業を試してもよかったかも。と、上の段階まで工作してから思った。もう今更やらないよー。

なお、この鋳造ライン(特に横一文字のライン)は、最初に入れたものがどうも位置的に高すぎたようで、結局、一度全部削り落として改めて入れ直した(部分的に二重にラインが入っているように見えるのは、最初に付けた伸ばしランナーのプラ色が残っているため)。

▼ピストルポート部分が角型に盛り上がっているのは、このタイプの砲塔のみの特徴。キットのランナーのタグ部分を貼り付けて整形。前記の鋳造ラインの変更に伴って、この突起も作り直している。最初にキットのピストルポート位置をガイドに突起を付け、それを手掛かりに鋳造ラインも入れたのだが、キットのピストルポート位置が(少なくともこのタイプの砲塔用としては)やや高かった模様。

▼右側面にだけ視察スリットがある。T-34-85の場合、1943年型では両側にあるが、1944年型以降は片側だけ。112工場製(の一般的な砲塔)では最終的に両方ともなくなってしまったらしい。あんまり注意して見てなかった……。

▼後ろ側の写真でバッスル下に見える部分は鋳造の湯口跡(工作途中)。

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▼キットの防盾は、そのまま付けると砲塔前面のカーブとほぼぴったり沿う形になるのだが、実際には、中心部分はやや増厚されていて盛り上がる形になるようだ。取り付け部分に0.5mmプラバンを貼って防盾位置をやや前進させ、そのぶん、防盾左右を円弧上に面取りした。

▼防盾左右の照準口と同軸機銃口は、キットのパーツは単純に穴が開いているだけだったので、一度大きく穴を開け、適当な太さのランナーを差し込んで接着したのち、改めて開口し段付きを再現。スリーブ部分のネジ/ボルト類は未工作。これも砲塔のタイプにより位置や数にバリエーションがあるらしい。

▼キットの主砲パーツは、口径が2mmしかなく(口径70mm!)、いくらソ連の戦車砲が肉薄だといっても明らかに細すぎる。かといって、使うあてのない砲塔に金属砲身を張りこむ気にもならず、そのまま使うかなと思っていたところ、ドラゴンの43年型キットに85砲身が不要パーツで入っているのを発見した。根元で長さを調節して流用。

……それにしてもこの砲塔、どうするかな。

ちなみに、MiniartからはT-34-85の1943年型後期型が発売目前で、同社の「一つ発売したら骨までしゃぶりつくす勢いでバリエーション展開する」という姿勢から考えると、この砲塔搭載型のキット発売もそこそこ可能性がありそう。すでに112工場製車体はあるわけだし。

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おかわり自由

●もしかしたら、以前にも一度書いたことがあるかもしれないが、昔、地下鉄の新宿三丁目駅前にイエローサブマリンのスケールモデルの店があった頃、そのすぐ近所に、えらく人懐こいインド人のお兄ちゃんが、小さなスナックを昼の数時間だけ借りて開いているカレーショップがあった。

「このカレーはネー、ボクがインドで食べていたのと一緒。でもゴハンは日本のお米のほうが美味しいネ」

というそのカレーは素朴ながら美味く(そして安く)、メニューは確か固定3種類と日替わり1種類の4種類だけ。

何と言っても際立っていたのは、普通盛も大盛も同じ値段、しかもご飯が先になくなればご飯、カレーがなくなればカレーと、無限お代わりができたことだった。「それで100円とか高く取っても100万円儲かるわけじゃないし、それよりお腹いっぱい食べてほしいカラ」だそうな。しばらくしてそのお店はなくなってしまったが、あの大盤振る舞いで赤字になって畳んじゃったんじゃなければいいなあ……。

そういえば、これまたずいぶん昔の話だが、ソウル駅近くで韓国人の若いカメラマン氏に連れて行ってもらった、おばちゃんが一人でやっているらしかったソルロンタン(真っ白い牛スープ)屋も、「無限お代わり制」だった。あのソルロンタンも美味かった……。

●なんてことをいきなり思い出した理由。

「ごみ取り権助(T-34-85 m1943)」製作記番外編。

現在制作中のT-34-85 m1943はアカデミーの車体にグムカの砲塔の組み合わせで、当然ながら、アカデミーのキットの砲塔はまるまる余っている。そんな砲塔を手に取って眺めているうち、ついその気になって削り始めてしまった。

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ベースは、キットに2つ付いているうちの初期タイプのほう。大げさかつ不自然な「恐竜肌」だけでなく、バッスル部の「ハードエッジ」も削り落とし、頸部や前半部も削って形状修正するなどして、とりあえず1944年型の初期型が目標。実物写真と見比べると、若干、頸が短いような気もするんだよなー。どうするかなあ。などと思いながらゴリゴリゴリ。

ちなみにこのタイプの砲塔は、現時点ではインジェクションキットではどこからも出ていない(はず)。レジンキットではどこからか出ていたかも。もっとも、そのうちMiniartからは出そうな気もする。

いずれにしても「廃品利用」といえば聞こえはいいが、当然ながらすでに車体は1943年型に使ってしまっているわけで、この砲塔を載せるべき車体がない。もう一個、アカデミーのキットを買うのか?

いかん! これではT-34の無限お代わりに突入してしまう!

ちなみに1943年型の方はちょっとした山場、起動輪を工作中。それについてはまたいずれ。

●直近の模型の買い物。先週の初め、BOOKOFFでMiniartのT-70用履帯が税込950円で売られていたので購入。

タミヤのSU-76Mは、ちょっとだけ手を入れて放置してある。バレンタイン同様、金型代の節約のためか穴のない履帯は不満ながら、それほどガッツリとディテールアップする気にもなれず、「そのままでいいか」とも思っていたのだが、思ったより安く履帯が手に入るとなると、ついつい転んでしまった。

さて、この履帯……。帰宅して開封してみたら、なんと、元の持ち主が入れっぱなしにして忘れていたらしい、パッションのSU-76M用のエッチングセット(タグは外れていたがパーツ自体は手付かず)が出てきた。なんとお得!

……と思ったが、私はすでにパッションのエッチングは買って、一部はキットに組み込み始めているし、この先、タミヤのSU-76Mをもう一輌作る日が来るとも思えないので、別にそれほどお得でもないのだった。中古屋にでも売るか……。

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●兄の発案で、母を箱根湯本の温泉に連れて行くご相伴に与る。計画したのは新型コロナウイルス騒動が深刻化する以前のことで、この期に及んで出掛けるのは如何なものかとも思わなくもないが、母は家から兄・甥と車で往復するのみ、どこに何を観に行くでもなく、宿から一歩も出ない態勢だし、むしろ街にいるよりも、人が減った観光地のほうが逆にマシかもしれないというわけで、そのまま決行。往復、電車で行った私のほうが危なかったかも(平日昼間なので電車も空いていたけれど)。

行き帰り、小田原(小田原市)と辻堂(藤沢市)でマンホールカードを貰った。写真は小田原のもの。配布場所の「小田原宿なりわい交流館」の隣には丸ポストが立っている。

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なお、このあと数日して、マンホールカードがお手本としているダムカードは配布中止になったそうだ(ダム勤務者が新型コロナウイルスに罹患してダム機能に支障が出るのを防ぐためか)。

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ごみ取り権助(T-34-85 m1943)(4.5)

●T-34-85 1943年型の今後の製作を進めていく上での若干の考証。

アカデミーのキットにおける、112工場製仕様として若干詰め切れていない部分、および、1943年型を作るうえで「バックデート」すべき点については、キットレビューおよび製作記の初回以降でも触れた(それらについては、これまでも書いたように、グムカのブログ記事「アカデミーの車体を、より1943年型らしくする」に負うところも大きい)。

ただ、よくよく当時の写真を見ると、それだけで済まなそうな部分もいくつか目についてくる。

車体工作上で面倒なのは(すでに作業を終えた)ラジエーター上カバーの形状改修だが、工作として厄介、あるいは考証上厄介なネタが主に2つ残っている。今回は作業の進捗報告は無しで、その辺について少々。

起動輪

厄介ネタのその1が起動輪。アカデミーのキットには駆動用ローラーピン頭部分が戦後型のフラットな、後期標準型起動輪が付いている。一方で、転輪を若干初期の仕様に変えようと思って仕入れたMiniartの転輪セットには、表側がキャッスルナットになった戦中標準の姿の後期型起動輪が付いていて、基本、普通の(つまりZIS-S-53装備の)T-34-85の戦中仕様を作ろうと思えば、そちらに交換するだけで済む。

しかし、112工場製車輛の場合、どうやら-85の1943年型は(あるいはZIS-S-53装備の1944年型の極初期も?)ハブの周りにボルト列があり、リム部が別体になったより初期の形質の起動輪を使っているようだ。

実際のところ、起動輪は履帯の陰になって仕様をちゃんと確認できないケースも多いのだが、少なくとも、確かに形状が確認できる写真では(私が見た限りでは)そうなっている。

キットでいえば、例えばドラゴンの1940年型~1941年型キットに入っている起動輪パーツのバリエーションになるが、同工場製車輛の場合は、リム部が2重のリングではなく、ムクの鋼製になっているものが使われているのが普通のようだ。

このタイプの起動輪は、私が知る限りではパーツ化されていない(レジンとか3Dプリントのアフターパーツでは出ているのかもしれない)。

F1015538 右は、以前に112工場製の1941年戦時簡易型(同工場製最初期の、ガソリンエンジン搭載型と言われている仕様)用に、ドラゴンのパーツから改造したもの。ただし、この写真ではローラーピン頭が円錐形だが、標準の後期型起動輪同様、途中から(-76の1943年型あたりから?)キャッスルナットが表になっているため、今回はさらに面倒な改修作業が必要になる。やれやれ……(実を言えば、写真の1941年戦時簡易型用も、まだ片側分しか作っていない)。

ちなみに、-85の1943年型でも使われていることからわかるように、それ以前の112工場生産型では基本すべてこのタイプのはずなのだが、1:35ではドラゴンの「112工場製」と銘打たれている複数のキット、1:48ではタミヤの-76、ホビーボスの「112工場製1942年生産型」のいずれも、この特徴は再現されていない。ドラゴンのキットのいくつかでは、リム部がムクでないごく普通の初期型起動輪パーツが入っているが、後期型起動輪しか入っていないものもある(AFVクラブの1:35の「T-34/76 1942 Factory 112」は3種の起動輪が入っているが、これも一般的な初期型と後期型、およびスターリングラード工場製に使われているタイプの3種のようだ)。

予備燃料タンク支持架

アカデミーのキットの燃料タンク支持架は、(成形上の都合で内側が埋まっているものの)帯金をM字に曲げ、ロッドを差し渡した、183工場仕様と同形状のものになっている。

Marcia_nel_fango しかし、一本の取付けベルトを支持架側で止める183工場タイプの支持架に対して、112工場製車輛の場合は燃料タンクの外側(車体後方から右側タンクを見た場合、おおよそ2時くらいの位置)で止める(つまりベルトは2分割されている)ようになっていて、当然、支持架も別の形状であろうことが推察される。右写真はwikimedia commonsより(パブリック・ドメイン)。

いくつかの写真から、112工場製車輛では、基本、台形の板状の支持架が使われていたらしいことが判る。ディテールが判る鮮明な写真がなかなかなくて苦労するのだが、比較的有名な写真で(しかも-85の1943年型で)しっかり写っている写真もある。

また、これも比較的有名な、ドイツ軍が鹵獲してマーキングを書き込んでいる鍛造砲塔型の-76 1943年型で、やはり台形の燃料タンク支持架のを付けている車輛もある(例えばこのページの写真3枚目)。しかしよく見ると、台形の支持架側面にベルトを止めるベロがあり、支持架側で一本ベルトを締め付ける仕様になっているらしいことが判る。どうやら一般的な112工場仕様の支持架とは違うようだ。これはキーロフスキー工場製だろうか?


●そんなこんなで、112工場製仕様の(特に予備燃料タンク支持架の)ディテールがよりよく判る鮮明な写真はないものだろうか

と思いつつネット上の写真を漁っていると、20年ほど前にエストニアの沼地からサルベージされ、T-34マニアの間でそこそこ話題になった(鹵獲ドイツ軍マーク入りの)-76 1943年型が、まさに112工場製車輛で、前述のタイプの燃料タンク支持架をしっかり付けているのに行き当たった。たとえば以下の2サイトあたりを参照のこと。

すごい! まさに知りたい部分が現存してるんじゃん!

とりあえずネットで漁った写真には沼地から引き揚げている時の写真しかなく、しかし、引き揚げられたのが20年前なら、綺麗にレストアされた(望ましいのはレストアよりも単純に“掃除”されている状態だが)walkaround写真もあるのではないだろうか?――というわけで、facebookで最近加入した「The T-34 Interest Group」で、「誰かそういう写真を知らない?」と質問を上げてみた。

いくつか「いいね!」を貰った後で(「いや、欲しいのは情報なんだ! 『いいね!』じゃないんだ!」と思い始めたところで)、思わずビンゴ!と叫びたくなる、この車輛のレストア中の写真が多数上がっている(エストニア語の)掲示板(スレタイトル:tanki T-34/76 restaureerimine」を紹介してもらえた。なお、ページを開くとべろんと広告が下りてきたりするが、下端の「▲」をクリックすると畳める)。

ありがたやありがたや……。

望んだ燃料タンク支持架部分のみのクローズアップ写真はなかったが、比較的単純な形状だけにここに出ている写真だけでもおおよそのことは判るし、レストア中でバラバラにした写真からは普段は見えない部分も判り、思いがけない収穫も多々あった。とりあえず、これらの写真の“見どころ”を列記してみる。

▼予備燃料タンク支持架は、基本形状は台形の板の台座に、タンクのホールド部分に帯材の付いた比較的単純な形状(ただし右側面最前部の支持架は、上辺にも帯材のようなものが追加されているようにも見える。

台形の左右(というか上下)辺は同じ傾きではなく、若干下側の傾斜の方がキツイような気がするが、よく見ると上辺が揃っていないような気も。単純に切り出しが適当なだけかもしれない。

台座の帯金側の両端に小さな穴が開いていて、ベルトの取付けに関係のある部分だと思われるが、ベルトそれ自体は失われているため詳細は判らない。ここをどうするかが課題だなあ……。戦時中の写真で、これが判るものってないかしらん。

ホールド部分の帯金は、台座がその中心ラインに来るように付けられているのか、どちらかにズレているのかは、クローズアップがないので今一つよく判らない。

また、車体に対しては、台座部分にベロなどはなく、単純に板材を立てた状態で溶接してあるようだ。この写真で、根元に光が差している部分が見えるので、台座は両側と真ん中の3カ所で破線状に溶接してあるようだ。

▼起動輪は、基本初期の形質でリム部がムクになっているタイプ(例えばこの写真)。上で考察したように、駆動用のローラー軸部は、起動輪の表側でキャッスルナットになっている。

また、この写真を見ると、裏側は円錐形の軸頭になっており、要するに、-76の1941年戦時簡易型あたりとこの時期とでは、起動輪それ自体のパーツに変更があったわけではなく、何らかの理由で裏表が逆転しただけ、ということが判る。これはおそらく、183工場製等で先に使われた後期型起動輪においても同様だと思われる(ドラゴンの(戦中型仕様の)後期型起動輪だと、両側ともキャッスルナットになっていたりするが)。

▼履帯ピン打ち戻し板は、アカデミーのキットに入っているような起動輪前方のザブトン型ではなく、より初期の形質である、起動輪付け根部分上方の扇型(この写真ほか)。この車輛はキューポラ付きの43年型で、前面装甲板の組み継ぎもすでに廃止されており、-85の1943年型の直前に生産されていた仕様と考えられる。組立中の-85の1943年型も扇型打ち戻し板にしておいたほうが無難か。

なお。Wydawnictwo Militariaの#275「T-34/85」では、-85でも初期(1944年初頭)には前面装甲板が組み継ぎのものが生産されたとする図面を載せているが、これはちょっとアヤシイ気がする。

Tr50l12 ▼履帯は、引き上げ時の写真では泥のために詳細が判らないが、レストア時の写真で、後期500mmワッフルタイプのうち、センターガイドのついている履板のリブが両側目一杯まであるバリエーションであることが確認できる(レストア時に他から持ってきて交換されていなければ)。

右画像は、一番上がこのタイプ。中がより一般的な500mmワッフル。ガイドが付いていない方のリンク(下)は通常タイプで変わらず。矢印は正規の取付け方向における履帯の回転方向。

-85の1943年型でも、パターンがしっかり確認できる写真ではこのタイプを履いており、贅沢を言えばこのタイプを履かせて作りたい気がする。……が、このタイプの別売履帯なんて出てたかなあ。

▼サスアームはあらまあびっくり。183工場ではおそらく1942年型の中途くらいから使われ始めた角形断面ではなく、より初期の形質である丸形断面のサスアームだった(ただし、STZの1942年生産型同様、根元の外れ止めはすでに導入されている)。主にこの写真より。

また、第1転輪用アームは、ドラゴンがパーツ化している初期型アームとは違い、車体側軸部頭が第2転輪以降用と同形。つまり、ドラゴンがパーツ化している初期型の丸形アームと、後期型の角形アームの中間的な形質ということになる。私がSTZ 1942年生産仕様を作ったときには、第1転輪用アームはキットのまま使ってしまったが、STZでも1942年生産型あたりはこの形状になっている可能性がありそう。

なお、第2~第5転輪用サスアームは左右の互換性はないが、第1転輪用は上下にダンパー受けがあり、左右同形になっているらしいことがで確認できる。

ちなみにドラゴンの「OT-34/76 Mod.1943 (No.112 Factory)」では、丸形断面の初期型アームも入っているが不要部品扱いで(外れ止めのベロも無し)、角形断面のアームを使うよう指示されている。

しかしこの時期、まだ丸形断面のアームを使っているとなると、-85の1943年型も丸形サスアームの可能性があるかもしれない。

▼第一転輪サスアーム用のダンパーがダブルになっているが、2つのダンパーの間に隙間はなく、台座はピッタリくっついている(この写真)。アカデミーのキットをそのまま作ると、若干の隙間が開く。まあ、転輪を付けたら見えないからいいけれども。

▼転輪は、引き上げ時の写真ではよく判らないが、リム部のゴムは「穴・刻み目あり」多数に、「穴のみ」タイプが混じっているのがこの写真で判る。面白いことに、一つの転輪の内外で違うタイプのリムが使われているものも(この写真)。

誘導輪は小穴の縁に盛り上がりがあるタイプ(この写真)。というわけで、私の-85 1943年型は、Miniart製ではなく、やはりアカデミーのキットの誘導輪を(ハブキャップを加工して)使うように再び路線変更するとに。

▼現時点で私のT-34-85には付けていないが、どうやら-85の1943年型でも、この車輛同様、車体機銃防盾直下の跳弾リブは付いていそうな感じ……(鮮明な写真がなく、有無が判りづらいが)。

ちなみにこの写真では、その跳弾リブのほか、私が112工場製車輛の特徴の一つと考えている誘導輪位置調整装置のボルト頭の「でべそ」もしっかり確認できる。また、-76の43年型ですでに角形ノーズ(前端のコーナー材)が存在することも判る。

操縦手ハッチの写真で、ペリスコープカバーが付く部分の外側左右に、正体不明の円筒形の小突起が確認できる(しかも左側は1/3ほど削れている)。よくよく資料写真を見直すと、112工場製1941年戦時簡易型の現存車輛でも同様の突起が確認できるものがあった。謎。

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ごみ取り権助(T-34-85 m1943)(4)

●T-34-85 1943年型製作記。車体のベースはアカデミーのT-34-85(第112工場製)キット、砲塔はグムカのレジン製初期型、ほか、ミニアートの転輪などなど。

Miniartの1943年型発売の報に驚きつつも、向こうの第一弾はキューポラが移動した後期型だし、初期型が発売されるまでに完成させたいなあとか、いやいや、燃料タンク支持架の形状がよくわからないから、Miniartが発売されてからこっそり参考にしようかとか、なんだかグダグダな製作姿勢。

●グムカの組立説明書では、各部の手すりには0.6~0.8mm径の真鍮線、逆U字の砲塔の吊り下げ金具は0.5~0.6mm径の真鍮線が指定されている。

手元に0.8mm径はあったが、これだと手すり用にやや太い感じ。エンジンルーム上カバーのキットの手すりパーツ用のダボ穴にもキツかったので、改めて0.7mm径を買ってきて工作した。

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車体側面の手すりは、グムカのブログ記事を参考に、やや位置を低めて取付け。グムカの記事同様、左右とも前方に2つ、左面は後端にも1つ取り付けたが、前方は3連(砲塔裾部ガードの後ろにもう一つ)になっているものもあるようだ。

車体前面左右の小さな手すりは、第38独立(火炎放射)戦車連隊“ドミトリー・ドンスコイ”の集合写真を見ても、付いている車体と付いていない車体がある。個人的に、ここに予備履帯を挿しているのがちょっと小粋な感じがして(?)再現したかったので取り付けることにした。エンジンデッキ後部のメッシュをまたぐカーブした手すりも、付いている車体と付いていない車体があるようだが、まあ、もののついでで。

いずれにせよ、これらの手すりは112工場製車輛の特徴でもあり、ということは工場で取り付けられているのではないかと思われるのだが(少なくとも同工場製のピロシキ砲塔の1941年簡易型の後期型ではこのへんの手すりはビッシリ付いている)、それにしてはこの個体差の大きさは何なのだろう? 工員が勝手に自己裁量で付けたり付けなかったりしている? そんなことあるかなあ。

とにかく付け終わってから眺めると、0.7mm径でもちょっと太かったかも、と思わなくもない。砲塔の吊り下げ金具は手元にあった0.5mm径の燐青銅線。この部分は、レジンパーツ側にもともと溶接痕がモールドされているので、金属線の金具との間に不自然な隙間ができていないか、サーフェサー後にきちんと確認する必要がある(備忘メモ)。

手すりも取り付けたので、車体上下を接着。車体前端のコーナー材や前後のフェンダーも取り付けた。

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そもそも溶接痕というのは、国により/時期により/メーカーにより/車輛により/部材の厚みや形状により、その見た目は結構違いがあるのだが、私が模型製作する上では、毎度伸ばしランナーの溶かし潰しの一つ覚えということもあって、なかなか表情の差が付けられないのが現在の課題。

今回、車体前端のコーナー材の溶接痕は細い伸ばしランナー2本で、ソ連戦車によくある「うね」表現を付けてみたが、「いまいち」レベルの仕上がり。

前部フェンダーは削ったり曲げたりして若干のダメージ表現を付加。とはいえ、側部フェンダーにヨレ表現を入れづらいので、あまり派手なダメージは入れていない。また、前部フェンダーの車体への取付けベロ部分は、キットのパーツのままでは厚みがありすぎ、段差が大きく実感に欠けるので、削り取ってプラバンで作り直した。車体への取付けリベットも、キットのパーツでは4つだったが、少なくとも1943年型の場合は3つが通常のようだったので、そのように修正。

右前部フェンダー後端近くには、ワイヤーロープ固定用のコの字金具を追加。グローサー取付部同様、Miniartの足回り枝に入っているパーツを使用。同社転輪セットを買うと10個付いてくるので、(グローサーとワイヤー取付用だけなら)1輌分賄える。ここに金具があるからには、車体後部にもこれに対応する金具があるはずだが、燃料タンクステイとの位置調整も関わってくるので、現時点では付けていない。

こういう小金具は金属線で作るのが常道で、確かにMiniartのパーツはど真ん中にゲートがあったり折れ易かったり面倒ではあるのだが、脚が寝ていて(模型工作上)貫通状態で取り付けられないものに関しては、位置決めと接着がしやすいプラパーツのメリットは捨てがたい。

なお実車の場合、この金具があってもワイヤーロープは前面フックに繋いでしまっているほうが一般的のようだ。

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車体機銃の防盾はキットのパーツを使用したが、ドラゴンほどではないものの照準穴が大きい感じだったので、一度埋めて、戦中型仕様の小さな穴に開け直した。銃身は真鍮パイプに交換。


●朗報!

ひとつ前の記事にご本人からコメントを頂いているけれども、「ACHTUNG PANZER」著者でもある尾藤満氏のサイト、「Panzer memorandum(パンツァー・メモ)」が再開された。

旧サイトが閉鎖された際には、「なんで記事を丸ごと保存しておかなかったんだぁあああ!」と「足摺りをして泣けども甲斐無し」(伊勢物語)状態だったので、これは嬉しい。現在未掲載のIII号戦車初期型も記事にならないかな……。

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新製品ショック

●数日前から(1月29日~?)ニュルンベルクのトイフェア(Spielwarenmesse Nürnberg)が開かれていることもあって、あれこれ新製品のニュース・ラッシュ。

青天の霹靂だったのは、前記事へのはい人28号さんのコメントにあるように、miniartからT-34-85の1943年型発売が発表されたこと。うがあああああ!

タミヤからは事前に噂が流れていたルノーR35だけでなく、なんとKV-1の完全リニューアル版が登場。

フェア会場での発表に関しては、IPMSドイッチュラントにある程度の写真レポート()とリストがアップされている。

飛行機などでもちょっと気になる製品があったりもするのだが、とりあえず、上記3点について、現時点で分かっていること、気になるポイントなど。

●miniart 1:35「T-34/85 w/D-5T PLANT 112. SPRING 1944」

同社がいずれT-34の戦車型も出してくるであろうことは規定路線と認識していたが、まさかこんな変化球アイテムから出してくるとは思わなかった。大ショック。いや、いいんだ、いいんだ。高田さん渾身の43年型砲塔がminiartに負けるもんかー(←もう何が何だか)。

とりあえず、これも含めたニュルンベルクでの発表アイテムに関するminiartの公式ページ

同社のことなので、今後、かなり細かく生産時期などを刻んで製品展開してくることは間違いないだろうが、とにかく今回発表のものは、砲塔キューポラが後方に移動した、D-5T搭載の1943年型の中では後期に生産されたタイプで、この点では、現在私が製作しているアカデミー/グムカのものとは少し仕様が異なる。それも含めていくつかのポイント。

・miniartのことなので、車体が112工場製の仕様をきちんと再現しているかどうかは、あまり心配しなくてもいいように思う。いや、うん、大丈夫だよね?

・とりあえず今回はエンジンを含めたフル・インテリア再現キット。高そう……。SUの例を考えても、例えば、1943年型の初期型はインテリア再現無しで出してくるといったことも考えられる。

・車体が112かどうかは大丈夫そう、と書いたが、起動輪は箱絵やCGを見る限り、どうやら後期標準のタイプが入っている様子。同工場の-85は少なくとも1943年型くらいまではハブ周囲にボルトがあり、リム部に厚みがあるより初期型の形質のものが使い続けられていたのではないか、というのが現時点での私の考察。

・左側面の筒型燃料タンクは当初は前側だけあるのが普通だが、1943年型でも後期の生産型では後ろ側に移動しているらしく、キットもその仕様。例えば撃破された1943年型後期型(砲塔番号2312)の脇をティーガーが走り抜ける有名な写真(例えばCONCORDの“SOVIET TANKS IN COMBAT 1941-1945”のp56)の車体も、筒形燃料タンクは後ろ側にある。

・筒型燃料タンクの支持架は、箱絵でも取付ベルトの結合部がベルトの途中にあるタイプになっており、支持架自体も112工場仕様になっているのではと思う。

……とりあえず、ものすご~く気になるキットではあるけれども、一生のうちに1943年型を2輌も3輌も作らないだろうし、ものすごく高そうだし、パスかな~。

タミヤ 1:35「KV-1 MODEL 1941 EARLY PRODUCTION(ソビエト重戦車 KV-1 1941年初期生産型)」

後述のルノーR-35は昨年末から噂が流れていたけれど、こちらは「まあ、そのうちあるかもな~」くらいの感じだったので驚き。とりあえず、タミヤの会場発表に関する公式ページはこちら

現時点で、会場発表の見本やパーツから読み取れるポイントは以下のような感じ。

・箱絵もそうだが、仕様に関しては、割と有名な「林の中で待機している第116戦車旅団のKV」に写っている「スターリンのために」と大書された車輛の仕様を、おおよそ忠実にトレースしている(「おおよそ」である点に関しては後述)。

800pxkliment_voroshilov_kv1_model_1 ・形式は主砲がZIS-5に変わった、いわゆる1941年型。この点ではタミヤが一番最初に出した鋳造砲塔のKVと同じ。ただし各部はもっと古い形質で、1941年型としてはかなり初期の仕様となっている。モスクワの中央軍事博物館に野外展示されている車輛(右写真、Alan Wilson from Stilton, Peterborough, Cambs, UK - Kliment Voroshilov KV-1 model 1942 - Central Armed Forces Museum, Moscow, CC 表示-継承 2.0, リンクによる)とも仕様が近く、そちらも参考にしている可能性があるかもしれない。

・関連して。日本語のキット名称が「1941年初期生産型」となっているのはいささか疑問。そもそもZIS-5が搭載され始めたのは1941年秋(10月?)からのことらしい。ZIS-5搭載型を「1941年型」と呼ぶのはある程度コンセンサスがあるところで、その英語名称のように、「1941年型の初期生産型」と呼ぶのはOKだが、「1941年の初めころに作られた」と思わせる名称はどうかと思う。

・車体に関して。エンジンルーム上面のボルトなどが間引きされていない1940年型仕様のまま。操縦手用ハッチも、初期の皿型のものとなっている(キットもそうだが、上記の「第116戦車師団のKV」の写真でもそうなっている)。すでに1940年型の後期からフラットタイプの車体ハッチが導入されているので、(砲塔の仕様とも併せて考えて)キットの仕様の車体は1941年型として新規に生産されたものではなく、古い1940年型を41年型にアップデートした改修車輛である可能性もあるかもしれない。ただし、この時期はちょうど工場の疎開とも合わさって生産体制が混乱していた時期でもあるので、チェリャビンスクにおいて、とりあえずストックにあった旧型部品で生産を開始したものと考えることもできそう。もちろん、モデラーとしてまず気にすべきは「そういう仕様が実在したかどうか」であり、その点はほぼ同一仕様の写真があるので問題ない。

・余談。タミヤの旧シリーズはボルトが間引きされた1941年型でも後半からの仕様で、最初に発売された1941年型(キット名称「KV-1C」)には合うものの、その後発売されたKV-2やKV-1エクラナミ(キット名称「KV-1B」)にはふさわしくなかった。というわけで、新キットをベースに、キット名称KV-1Bの増加装甲付き砲塔・ゴム縁付き上部転輪を持ってくると、より正確な1940年型エクラナミを作ることも可能。また、この仕様で出してきたということは、今後KV-2などへの展開もあり得るかもしれない。

・砲塔に関して。KVの砲塔は似たような形状のものがたくさんあって分かりづらいが、バッスル下の丸部分の前縁にリベットが2つあるので、バッスルが短縮されていない1940年型前半の標準タイプの砲塔であると判断できる。タミヤのツイッターにUPされたこの見本写真でも、後部ペリスコープと砲塔後縁に、ある程度の間隔があることが確認できる(もちろん、見本がきちんとテストショットで組まれているとすれば、だが)。砲塔のタイプに関しては、以前の当かばぶの記事を参照のこと(KV maniacsメモ(砲塔編その1))。同記事内では、この砲塔は「標準型溶接砲塔(タイプ3)」と分類しているものにあたる。ただし、側方ペリスコープ下に跳弾リブが溶接されているなど、1941年型仕様への若干の改修も加えられている。

・履帯は部分連結式のインジェクション・パーツ。ピッチはそれなりに普通に見えるので、起動輪の歯数も直っているだろうと思う。履帯は1941年型の中途から2分割タイプの混ぜ履きが標準だが、キットは(上記実車写真の通り)全部1ピースタイプの初期仕様。各社キットを作るうえでの必要性の高さから言えば2分割タイプ混ぜ履きだったほうがより有り難いが、初期仕様でも十分に有り難い。起動輪の中央皿形カバーはボルト数の多い初期型。

・転輪は緩衝ゴム内蔵型で、その中でも終わりごろに生産されたリム部に小リブのあるタイプ。トライスターの「Russian KV-1's Ekranami」にセットされているものと同一仕様。ただし、実際にはデカールに選ばれている第116戦車旅団?の「スターリンのために」は、少なくとも左側第一転輪には、ちょっと変わったタイプの別バリエーションの転輪を混ぜ履きしている。これについては、セータ☆氏の考証記事「KV-1 ハーフリブ・タイプ転輪」を参照のこと。キットには、さすがに1種類の(標準的な)転輪しか入っていないんじゃないかなあ……。上部転輪は1941年型になって導入された全鋼製のもの。サスペンションアームの軸キャップは6本ボルトタイプか、3本ボルトタイプかは現時点では判別不能。

・その他。実際には、第116戦車旅団?の「スターリンのために」は、車体左フェンダー後部、工具箱の前方マスに筒形燃料タンクを搭載しているが、キットには入っていない模様。

・エッチングパーツはセットされていない模様。ラジエーター上のメッシュグリルは、ごく一部(KV-2の初期型とか)を除いて、最前部が平らになった、単純なくせにエッチングでは厄介(作りにくい)形状なので、これは仕方ないかも。願わくば、タミヤの48キットのような情けない表現にはなっていないように……。ただ、エッチングメッシュが付いていないとなると、後部オーバーハング下も筒抜けになっている可能性大で、やはりどこからか(できれば安くで)この2か所のメッシュパーツが出てほしい。

タミヤ 1:35「FRENCH LIGHT TANK R35(フランス軽戦車 R35)」

ルノーの名前がないのは、商標権がどーしたこーしたなんですかね?(まさか日産に配慮したとか?) とにかく、昨年から噂になっていた(特に私にとっては)待望の新製品。

・形式。1500輌余り生産されたルノーR35には細かいサブタイプの別はないが(足回りが変更された「R40」の制式名称は「Char léger Modèle 1935 R modifié 1939(軽戦車-1935年式-R-1939年改)」なので、これがサブタイプと言えなくはないが)、生産時期によって若干の細部仕様の差がある。キットはおおよそ「中期型」と言える仕様。

・クローズアップ写真がないので断言はできないが、車体は、後期生産型の特徴である操縦席左右のスリット上部のヒサシ状の凸部無し、エンジンデッキのグリル周囲の跳弾リブ無し。一方で、初期の300輌弱のみの特徴である車体前部のアップリケアーマー?もなさそう。

・車体右側の工具箱は若干背の高いタイプ。これについては「生産中盤以降ちらほら見られるような感じ?」というくらいのイメージしかなく、生産時期との具体的な関連性は現時点では不明。

・砲塔前面・左右の視察装置は中期以降の標準であるスリット式のみで、初期標準の双眼鏡式(シュレティアン式)の視察装置は入っていないらしい。仕様としては、初期に生産された(登録番号の若い)車体でもスリット式の場合があるようで、たぶん開戦までに交換された車体が結構あるようだが、塗装の選択肢を広げるという点では双眼鏡式も入っていてほしかったと思う。ちなみに先行のホビーボスのキットは双眼鏡式視察装置だけ(追記。ホビーボスはスリット式視察装置/主砲長砲身の仕様をR39として別に出している)。エレールはコンパチだった。(いや、実は入ってるよ!という場合はゴメンナサイ)

・砲塔天井後端には対空機銃架基部付き。これは付いている車体と付いていない車体あり。時期との関連はあまりよくわからず。実車写真をよく見ると、装着位置が微妙にズレていたりするので、生産後に一部車輛に追加されたものではないかと思う。こういう形状のものについては、ないものを追加するよりあるものを削るほうが楽なので、これは付いているのがより良い、と思う。

・足回りは、履帯に関してはKV同様に部分連結式インジェクション。比較的最近のタミヤ製品に入っていた「接着可能な軟質樹脂履帯」は経年劣化がかなり心配な素材だったこともあり、塗装等の観点でも部分連結式は嬉しい。誘導輪は軽め穴がパッチでふさがれた中期以降の仕様。ホビーボスは穴がふさがれていない初期仕様とコンパチだったので、ちょっと寂しいかも。リム部両側を別部品にして窪みを表現するのは先行のホビーボスのキットと同様。

・エッチングパーツは含まれていない模様。排気管カバーや、車体前端のルノーのエンブレムがどれだけシャープに再現されているかはちょっと気になるところ。また、車体前端はホビーボスと同じ処理で、本来一体である鋳造のノーズ部品の真ん中に、横一直線でパーツの継ぎ目が来るのは「う~ん」という感じ。もっともタミヤのことなので隙間なくピッタリくっついて、あとからナイフでさっと一撫で、で済んでしまうのだろうけれど。

・その他あれこれ。基本、主砲パーツはSA18のみの模様。一部車輛の装備ではあるが尾橇なども入っておらず(そもそもこの辺は主に後期生産車中心なので仕様との整合性もあるが)、内容としては選択肢が狭めでシンプル。また、ホビーボスはインテリア付きで各ハッチがすべて別部品だったのに比べ、タミヤは内部無し、ハッチは乗降用を除いて一体化されて組み易さ優先。私はそもそもインテリアを作る趣味はあまりなくて、その分安くしてほしい派なので、これは歓迎(インテリアはアフターパーツで出てくれればいいと思う)。ただし、操縦手用乗降ハッチの下側まで一体化しているのは(私はどうせ閉めてしまうので構わないが)ジオラマ派の一部の人からは不満が出るかもしれない。

2/1追記。すでに一部にテストショットが出回っているらしく、youtube上に、早組みレビュー動画が上がっていた。フェア会場での写真ではわかりにくかったところもある程度チェックできてよい。

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ごみ取り権助(T-34-85 m1943)(3)

●アカデミーのT-34-85(第112工場製)キットをベースにした、T-34-85 1943年型製作記。

●載せる予定のグムカのコンバージョンキット、「T-34-85 mod.1943 turret early type」を少々いじる。

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箱の中身はごろんとレジンの一発抜きの砲塔本体と、付属のレジン小パーツ(キューポラ本体、ベンチレーター、ペリスコープ、防盾、防盾カバー、アンテナポスト、砲塔吊り下げフック用治具)と、アルミの挽き物砲身。

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アカデミーのキットが指定のベースキットだが、砲塔リングは砲塔側でやや小さく、ガタツキが生じてしまうので、車体側に0.5mmプラバンの細切りを巻いて調整した。また、砲塔はレジンのムクで重量があり、不注意で取り落としたりすると角や細部パーツが割れたり跳んだり、大惨事になりかねないので、車体に噛み合うベロを工作した。このベロに関しても、砲塔の重みでショックが加わると、瞬着だけではすぐに剥がれかねないので、KV戦車の装甲板に倣って、ドリルで穴を開け伸ばしランナーのピンを挿して補強した。

そして実際に車体に載せてみたのが下写真。

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なんだか、車体に比べてやたらにでかく見えるのだが、これは履帯やフェンダーが付いていなくて車体がボリューム不足であることと、色の問題によるものではないかと思う。グムカの完成見本写真で見ると特に違和感はないし、アカデミーのキットの45年型の砲塔と比べても、長さや高さは基本同じ、幅に関してはむしろアカデミーの砲塔のほうが大きかった。

なお、側面に走る鋳造のパーティングラインとは別に、このパーツ自体の分割線は鋳造ラインのやや下にあり、それほど目立つものではないが丁寧に消す必要がある。

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砲塔上の小パーツに関しては、キューポラに対して砲塔上面の穴がかなり大きく、ガタつくだけでなく周囲にわずかに隙間も覗いたので、瞬着を流し込んだ。流用が指定されているアカデミーの両開きハッチのパーツも、ハメ合わせの際に若干削る必要があったので、キューポラパーツ側が少し収縮している可能性もある。ただし、ハッチを載せてみて違和感を覚えるような大きさの差はない(もともと、両開きハッチが載る初期型の小径キューポラは、ハッチを含めた上面がやや周りにはみ出すスタイルのはずなので)。

ベンチレーターに関しては、周囲の溶接痕にわずかの欠けもあり、こちらも若干の埋め作業が必要だった。

ただし、一部の(古いキットの場合には特に)レジンキットでは悩まされる気泡は皆無で成型状態は美しく、部品の合わせも(上には細かく書いたが)レジンキットとしてはむしろ良好な部類だと思う。

●上の「砲塔を載せてみた」写真にも写っているように、転輪はアカデミーのキットのものよりも初期の形質、ゴムリムに穴が開いている仕様のminiart製のものに交換予定。

miniartからは、T-34系列用の転輪や履帯が各種別売されているが、今回購入したのは#35239、「T-34 WHEELS SET. 1942-43 SERIES」。転輪、誘導輪、起動輪のセット……というだけでなく、何やらいろいろと不要小パーツが入っている。

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写真2枚目:主役の転輪。アカデミーのパーツと違い、表側はきちんとナット表現。この写真には写っていないが、ホイールディッシュ内周部分の裏は、転輪の内外がベタ付けではなく隙間が空いていて、結合ボルトが見える表現になっているのも新しい。組んでしまえば見えなくなる部分だとしても。

写真3枚目:起動輪は泥抜き穴周囲に盛り上がりのある後期型。センターガイドを引っかけるローラー軸の外側は、戦中仕様のキャッスルナットになっている。ただし、アカデミーのT-34-85を単純に戦中仕様にするのであればこれに交換するだけでいいのだが、1943年型の場合、さらに初期の仕様の起動輪が使われているような……。

写真4枚目:起動輪の枝に入っていた排気管カバー。取付ボルトの周囲が一段窪んだタイプ。今回の-85製作には使わないが、いつかどこかで使うかも。パーツのバリエーションが増えるという点ではちょっとお得。

写真5枚目:基本は転輪ハブキャップのために入っている小パーツ枝。サスペンション・スプリングとか、グローサーとか、増加燃料タンクステイとか。ハブキャップも2種入っているが、片方は戦後型(たぶん)なので、それに関しては「ボルト取りとかに使えるかな?」程度。

写真6枚目:増加燃料タンクのステイはSU用のもの。今回の製作には関係ないが、ドラゴンのSU-100/SU-85Mに入っているのは終戦ギリギリくらいから使われ始めたタイプだし、ズベズダのSUは燃料タンクと一体モールドだったはずなので、これは嬉しい。以前ドラゴンのSU-85Mを作ったときに、やたら面倒くさい思いをして自作したのが懐かしい……。ちなみに下がその時の部品展開図と、塗装前の自作部品周りの様子(「T-34 maniacs」より)。この時のSU-85Mは、完成させて「第11回モデラーズクラブ合同作品展」に出展した写真が出てきた。何年前だ……。

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それはそれとして、T-35-85 1943年型の増加燃料タンクステイをどうするか、というのも課題として残っている。形状、よくわからないんだよなー(アカデミーのキットは183工場製仕様と同じステイが入っている)。

miniartの誘導輪は穴の周りに盛り上がりがないタイプ。アカデミーのキットは盛り上がりのあるタイプ。下写真左は、左側がアカデミー、右側がminiart。最初は「誘導輪はアカデミーのを使おうかな」と思っていたのだが、写真のように、ハブキャップ中心の半球の立ち上がりが急で、中央にボルト頭があるのは戦後型にみられる形質らしい(中央のボルト頭に関しては、戦時中の写真でも例があるようだ)。アカデミーのパーツはハブキャップのフランジが誘導輪側と一体なので、ハブキャップだけ交換するわけにいかない。というわけで、誘導輪もminiartのパーツを使うことになりそう(いつ頃から穴に盛り上がりのあるタイプが使われるようになったかは、まだ詰め切れていない)。

サスアームの転輪軸に関しては、アカデミーのものは根元に太い段差があり、miniartの転輪が奥まで入らない。軸の根元を削るか、あるいはminiartの転輪の穴を削るかするのも考えたが、結局、アカデミーの転輪軸を切り飛ばして、miniartのセットに入っている転輪軸に交換した。割と大きめ/長めの接着凸が付いているので、強度的にはそれほど不安はない。

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ごみ取り権助(T-34-85 m1943)(2)

●アカデミーのT-34-85(第112工場製)キットをベースにした、T-34-85 1943年型製作記の続き。

とはいっても、まだ1943年型仕様の工作までたどり着かず、前回記事で触れた「3つの工作の方向性」でいうと、主に「単純にディテール不足の部分を補足・改修する」の部分にかかずらっている段階。

●全般的にこのキットでは鋳造部分のテクスチャー表現が大げさな一方で画一的で、一言で言ってしまうと「キモチワルイ」感じなのだが、操縦手ハッチは特にそれがひどい。なんだか「南米アマゾン産の珍しい両生類の皮膚標本」みたいな。上部の2つのペリスコープカバーについても同様。これはさすがにあんまりなので、テクスチャーを削っては接着剤で荒らすという工程を数度繰り返し、右のように直した。

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ロックハンドル軸の溶接部(下側左右の「◎」)は、軸の周りが丸く窪んでいるもの、逆に出っ張っているもの、そもそも窪みも出っ張りも目立たないものなどバリエーションがあるが、今回は窪んだふうに工作した。工作それ自体は、とりあえず丸く貫通孔を開けてしまい、ちょうどはまる太さにしたランナーを一段下げて接着したうえで、中心軸の盛り上がりを付けた(いちいち書くほどのものなのか、という方法)。

そもそもT-34の操縦手ハッチは、鋳造肌の荒れ具合、真ん中の湯口が目立つかどうかなども含め、かなり差異が大きい。生産工場によって(おそらく納入する下請け工場の別によって)、さらに生産時期によってある程度傾向が分かれているように思うが、今のところ「スターリングラード・トラクター工場製車輛のこのタイプのハッチはだいぶ仕上げが汚いようだ」「クラスナエ・ソルモヴォは割とおとなしめ?」くらいの、割といい加減な知見(というか単なる印象)しか持っていない。

なお、アカデミーのパーツには一応ペリスコープもモールドされているが、揃って正面を向いていて、若干左右に角度をつけて開いた状態は再現されていない。(が、カバーを開状態にしても、どうせほとんど見えなくなるので直さなかった)。

ドライバーズハッチに関しては、昔、「ハラT」青木伸也氏から自作のドラゴン用パーツを複数貰っていて(下写真左)、お手軽にそれに交換することも考えたのだが、蝶番のかみ合わせ部分が微妙に合わず断念した。ちなみに青木氏のこのパーツは、もともとドラゴンの最初のT-34-85キットのハッチ・パーツにペリスコープもペリスコープカバー用の窪みもなかったため、その代替用に作ったもの。こちらはロックハンドル軸の周囲が盛り上がっているタイプとなっている。

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ペリスコープカバーは開状態で接着(ハッチを全て閉めて組み立てた場合、ここが開いていないと生きている車輛に見えない気がするので)。ペリスコープの外側左右にカバーの作動ロッドも追加したが、もともとアカデミーのパーツのペリスコープは左右に広すぎるようで、作動ロッドが若干上すぼまりになってしまった(どのみちほとんど見えないので修正せず)。

●脱線話。

そもそも、T-34の操縦手ハッチのペリスコープ用装甲カバーって、いったい何のために付いているのだろう?

ハッチを閉めて操縦中は、基本、このカバーは開状態になっていないといけないはず。逆にカバーを閉めた状態で運転するには操縦手ハッチそれ自体を開けているわけなので、装甲カバーで守る意味がない。そもそも開閉式のカバーなど付けず、固定式の雨避けカバー程度のものが付いていればよかったのではないだろうか(というか、1941年型まではそんな感じだったのに)。

ドイツ戦車の操縦手用の装甲バイザーは、直視用の開口部(の防弾ガラス)前面をふさぐもので、閉めた場合に使うペリスコープが本来は別にあったから(後期にはペリスコープが廃止されてしまっているが)、開閉機構があるのは判らなくはない。

……などとつらつら考えていたのだが、もしかしたら、このカバーは「開けるか、閉めるか」ではなくて、外の様子(例えば日差しの強さや角度)に合わせて、「どれくらい開くか」を選ぶために開閉機構付きになっているのかもしれない(要するに自動車用サンバイザー的なイメージ)。

●その他、車体前後面のあれこれ。

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車体機銃のバルジは、ちょっとヤスって鋳造肌を落ち着かせた(ここはもともと操縦手ハッチほどひどくなかった)。前面のリング部分は別部品。そのまま付けるとバルジ本体とツライチな感じになってしまうので、のりしろになるフランジ部分を少し削って、わずかに出っ張るようにした。

前面・後面の牽引フックは頂部にドリルで小穴を開けたが……判らないねコリャ。この先、塗装したら埋まってしまうかも。

フックの外れ止めのツメは、それなりにマトモなパーツがキットにちゃんと入っている。銅線でコの字金具を追加した。この金具については、スターリングラード・トラクター工場製の車輛を作るときに、「ツメを閉状態にするためのバネ材?それにしては位置が変?」とあれこれ悩んだが、セータ☆さんから「バネは別にあるので、これはワイヤーを掛けるときにツメを開くためのハンドルでは」と教わった。

ちなみにツメの受け金具の形状はキットが表現しているようなコの字型のものと、取付けベロが外に開いているものとがあり、工場や時期で差があるようだ(例えばフィンランドが鹵獲使用した183工場の-85の初期型は外開き。後の標準的な183工場製はコの字)。とりあえず、122工場製ではコの字が一般的のようなのでキットのまま使用。おそらく戦後型だと思われるが、コの字を寝かせたような形状のものもある(言葉で書いても何のことやら)。

●エンジンルーム後部の通風孔とそのカバー。

通風孔の可動シャッターはキットにパーツが入っている。かなり分厚いが、どのみち、メッシュ越しではほとんど見えないので、上側の縁を若干薄削りするに留めた。

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カバー部は、メッシュも含めて一体のプラパーツと、メッシュ部分が抜けていて付属のエッチングパーツを貼るものとの選択式。当然後者で作る。キットのエッチングパーツはステンレス製? 硬くてバネがあり、ゲート部分も切り離しにくく、ちょっと扱いづらい。ディテール的にも目の細かさはよいが線自体が太過ぎる(が、そのまま使った)。

メッシュの枠は前後の長辺はメッシュと一体、縦線が別部品。内側の4本に3つの小リベットが付いているのはどの仕様でも標準だが、外枠にリベットが付いているかどうかはかなりのばらつきがあり、「初期だからリベット付きで後期だからリベット無し」とは一概に言えないようだ。キットのエッチングは外枠左右端のパーツにも小リベット付きになっていたが、112工場製車輛の写真を漁っていて見つけたリベット付き仕様と本数が違っていたりしたので、結局プラバンでリベット無し仕様にしてしまった。

なお、このリベットは(少なくとも後期のT-34では)メッシュを枠に固定するためのもので、枠+メッシュ全体はカバーに溶接されているのが標準のようだ。溶接は破線状が一般的なようだだが、ベタ付けもある。工場・時期による差異もあるかもしれないが、そこまで突き詰めて調査・考証しておらず、たまたま見た112工場製車輛(1945年型?)が破線状だったので破線状にしたまで。1943年型がどうだったかは、そもそも現存車輛もなく鮮明なクローズアップ写真もないのでよくわから~ん!

なお、カバーは全体をプレスして通風孔部分を後から切り抜くのではなく、左右+前後の4パーツを枠状につないで作るものらしい(仮に中央の穴を機械で打ち抜くとすれば前者のほうが量産性に優れるが、資材を無駄なく使うには後者のほうがよいはず)。そのため、通風孔部分の左右辺に合わせ、前後方向に薄く溶接線が入っているのが標準のようだ(122工場製でも183工場製でも)。なお、左右の立体型になっている部分はrが緩やかなものと、エッジが立っているものがあり、エッジが立っているものでは(一部のエッチングのアフターパーツにあるように)後半のカーブ部分は、切り欠きを入れて溶接で形にしているものもありそう。

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ごみ取り権助(T-34-85 m1943)

●日露戦争時、戦艦「三笠」の砲術長だった安保清種は、横文字に馴染みがない水兵たちに、敵ロシアのバルチック艦隊所属艦を覚えさせるため、無理やり日本語にこじつけた名前を考案。装甲艦「ドミトリー・ドンスコイ(もとは14世紀のモスクワ大公)」の“こじつけ日本名”が、「ごみ取り権助」だったとか。他に「呆れ三太」(戦艦「アレクサンドル三世」)などがある。

下って第二次世界大戦中。第38独立(火炎放射)戦車連隊は、T-34-85の1943年型を最初に受領・装備したとされる部隊で、同部隊の有名な写真では、冬季の白塗装で並ぶT-34-85やOT-34の砲塔に、「ドミトリー・ドンスコイ」の名が(たぶん赤で)書き込まれている。グムカのT-34-85砲塔のパッケージ写真も同部隊のもの。

“タタール”相手に戦ったドミトリー・ドンスコイと、ナチスドイツと戦う赤軍を重ねてのネーミングだと思うのだけれど、共産主義の労農赤軍として、王様の名前をスローガンとして書くのはどうなんだろう……。後々目ぇ付けられたりしないんだろうか(革命の先駆者とか志士の名前を書くのはよくあるけれど)。

●という、明後日方向の前置き(とタイトル)はともかく。アカデミー1:35「T-34-85 第112工場製」の、1943年型へのコンバートを含めた製作記。

前々回ちらりと書いたように、進行中の模型が複数溜まっているにもかかわらず、キット内容をあれこれチェックしたり、資料をひっくり返したりしているうちになんとなく手を付け始めてしまった。

私はこのキットに関しては、グムカのレジン製コンバージョンキットを使って1943年型として組む予定で、現段階の下ごしらえとしては、

  • 112工場製車輛として特徴の再現が不足しているところを補足・改修する。
  • 大戦末期の仕様となっているのを、1943年型に遡らせる。
  • 単純にディテール不足の部分を補足・改修する。

の、3つの方向で行うことになる。前回書いたように、おおよそのところは、グムカのブログ「アカデミーの車体を、より1943年型らしくする」が大いに助けになる。

●とりあえず、キットを標準的な112工場製車輛にする上でのポイント、エンジンルーム左右カバー部の工作。車体の改修工作の中では面倒くさい部分で、ここで足踏みしているとそのまま不良在庫化しそうなので。

レビューで書いたように、キットは第183工場の1942年型途中から(?)の形態的特徴となっており(ウラル重機械製作工場なども同様)、これを112工場仕様に直す必要がある。

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グリルの後ろ側にカバーが回り込んでいる状態を再現するにあたっては、

1案:キットのスジ彫りを埋め、カバー部が延長されている状態に彫り直す。

2案:キットのエンジンルーム上面前半部分を全部削り飛ばしてしまい、ドラゴンの初期型キット(例えば余っているSTZ車体上部)から、カバー前端部を-85形状に修正して移植。

3案:グリル後ろに差し渡された板状パーツ部分を切り飛ばし、左右カバーからの回り込み部分を新造。

のうち、どれにしようかあれこれ迷っていたのだが、結局、第3案で行くことにした。エンジンルーム中央バルジ後面も、183工場仕様では板状パーツが張り付いた状態になっているが、ここは上面の溝を伸ばしランナーで埋めてからなだらかに削り直した。

左右カバーの形状を修正するにあたって内側グリルは作業の邪魔になるのと、そもそも彫りが浅くて出来もいまいちなので、思い切ってグリルも削り取ってしまい、後からドラゴンのグリルパーツをはめ込むことにする。アカデミーのグリルのモールドとドラゴンのグリルパーツでは、幅はほぼ同じなのだが、前後長はアカデミーがだいぶ短い。実車写真を見ると(そもそも-85では砲塔バッスルに隠れてグリル前方を確認できる写真が少ないが)、グリル前端は点検ハッチより前方にあるのが正しいようなので、ドラゴンのパーツに合わせて前方に穴を広げた。

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グリルは両端のものも含めてドラゴンのパーツを使用。スターリングラード工場製の1942年生産仕様、112工場の初期型に続いて、今回もグリルをスライス&削り込みして透かしに抜いた。実物はもっと枠は薄いしロッドもはるかに細く、ヤワな出来で変形しているのが普通、くらいの場所なのだが、そのへんは目をつぶることにする。

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抜き工作をするとエンジンルームががらんどうなのが(場合によると)見えてしまうので、目隠し程度に中央バルジの側面とエンジンルーム上面板とを作る。以前の工作では側面グリルの内部には燃料注入口とかサススプリング調整口とかを申し訳程度に付けたが、結局ほとんど見えなかったので今回は省略した。

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工作終了状態が上写真。両側カバーのグリル後方への回り込み部分と、中央バルジとが接する部分は、ドラゴンの初期型T-34を見習って縦に平行になっているが、実際には、バルジが台形断面なので、ここも「ハの字」になっている。が、どのみち後部カバーを付けると見えなくなるので直さない。

また、中央両側グリルの前方は、カバー本体と独立しているふうにスジ彫りがある。実際、183工場製の車輛では1942年型以降?、ここは別体なのだが、112工場製の-85で、ここが別体になっていない例もあったりして悩ましい。そもそも、この部分は砲塔バッスルに隠れて見えないことが多いので、どういう形態が標準なのかが確認しづらい。もっとも、これを修正するとなると、筋彫り埋めるだけでなく現状では段差があるカバー部前面部も作り直しになってしまうので、作品でもバッスルに隠れて見えなくなることを期待して修正せずにおくことにする。

(2/17追記。などと言いつつ、結局その後、筋彫りは埋めて、前側の段差も削った)

●車体側面は、グムカのブログに従って位置をずらして取り付けるため、手すり用のダボなどを埋める。

ついでに、側部フェンダーの溶接跡、フェンダー自体の継ぎ目、右フェンダー上のグローサー収納部のベルト用金具などを工作。

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フェンダー溶接跡は、前回スターリングラード工場製車輛を作ったときには全面ベタ付けにしたのだが、今回は破線状に。これも、「割といい加減に破線状」と「ほぼきっちり等間隔に破線状」とがあるような感じなのだが、工場・生産時期との因果関係まできっちり詰められていない。今回は前者のような感じにした。

フェンダーの分割線は、標準と思われる“ほぼ三等分”の位置に入れた。ただし博物館展示車輛のwalkaroundをみると、もっと細かく分割されている例もあり、しかも継ぎ目の処理(溶接して継いだあと、車体側を薄板でカバーする)を見ても生産時のままようにも見え、実際にはなお検討の余地あり。とはいえ、今回は「もう作業しちゃったしこれでいいかー」状態。

グローサー収納部金具は、キットのモールドを削り取って、フェンダー側は0.35mmの真鍮線。車体側はminiartの転輪セット(#35239)に入っていたオマケパーツを使った。穴に通すことができない形状なので、普通の接着剤が使えるほうが有り難かったため。

●車体前面。こちらも波切板や予備履帯用のダボ穴を処理。また(これまたレビュー時に書いた通り)、誘導輪位置調整装置のアタマは、モールドの凸部を削り取り、穴を開けてTigermodel 'TANKMAKER'製レジンパーツを取り付けた。1-color君ありがとう!

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●シャーシ後面。ファイナルギアハウジングはわざとらしい鋳造肌モールド入りだったが、実物は鍛造なのだろうか?――少なくとも112工場製の-85では割合すべすべな感じなので、表面モールドは削り落とし、シャーシ後面板への溶接跡も追加。また、ギアハウジングの内側側面と最下部に、グリスポイントと油抜きの穴を開けた。

内側側面のグリスポイントは、少なくとも-76ではボルト頭と思しき出っ張りがあるのだが、-85の現存車輛では穴状態になっているものが多く、そのように表現した。ただし、実際には何かフタのようなものが付いていたのが失われて穴開き状態になっている可能性もなきにしもあらず?

また、後面板中央には、第112工場製車輛の特徴である牽引ラグを追加した。この牽引ラグ、現存の博物館車両では、明らかに第112工場製車輛と思われるものでも付いていない(そして溶接跡などもない)場合がある。戦後のある時期以降、112工場でも廃止されてしまったのかも。

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●エンジンルーム後面パネル。発煙ドラムに向けた配線は、グムカのブログに従って削り取った。中央4か所には、厳寒期に使用するエンジン始動用ストーブ取付け用の金具。以前、ドラゴンのSU-85Mを作った時と同様、0.6mmの真鍮パイプで追加した。

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このエンジン始動用ストーブ取付具がいつから標準装備されるようになったか、正確なところは知らないが、第183工場製車輛の場合は、ナット砲塔にキューポラが付いた1943年型あたりからは付いている模様。122工場製の場合、“ドミトリー・ドンスコイ”の-85 1943年型で、所定位置にストーブを背負っている写真があるので、少なくとも(私が作ろうとしている)-85の1943年型初期型ではすでについていたことはわかる。

上写真で左下に転がっているのが始動用ストーブ本体で、これはminiartのSU-122初期型キットに入っているもの。実物は、煙突の付いた単純な箱で、中で火をおこし、T-34のエンジンルーム下に突っ込んで使用するものだそうだ。「T-34の股火鉢」って表現したの、誰でしたっけ……(秀逸)。

排気管はスライド型まで使って一発抜きしているものの、開口部が浅く縁も厚い。モーターツールのビットを手でグリグリして穴を広げ深くした。排気管カバーは標準的な形状のものだが、もっとなだらかに盛り上がっているほうがよかったかも。カバーの取付ボルトは側部の3対のうち最上段のものだけ左右に間隔が広く、「え?そうだったっけ?」と実車写真を見直したら、実際に違っていた。ただし、キットのように「広・狭・狭」ではなく、「広・狭・広」のように見えるものがある。……もしかしたら、単純に「そもそもきっちり揃えずに適当に穴を開けてボルト止めしている」だけなのかも。標準化された部品じゃないのかコレ?

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