プチロフM1902野砲

消失

●大砲2題(ファインモールドの四一式山砲と、PMのプチロフ76.2mm野砲)の続き、ということで、まずは四一式山砲のほうを、それなりの分量、書き進めていたのだが、

「おっとしまった、ちゃんと途中でも保存しておかないと、何が起こるかワカランからなあ」

などと思って下書き保存ボタンを押したところで、エラーが出て、そこまで書いた記事が綺麗サッパリ消失してしまった。

脱力感甚だしい。

とりあえず今夜は同じものを1から書き直す気力は失せてしまったので、四一式山砲に関しては次回以降にして、プチロフのほうを書くことにする。

ちなみに、こんな場合には

「消えた原稿はまさに名文であり、しかも四一式山砲を作る上で必須かつ重大な情報が溢れていたのに」

などと言いたいところだが、実のところは割とどうでもいい話なので、期待せずに待つように。

F1017443 ●というわけで、プチロフ76.2mm野砲M1902の現状は、このような感じ。

作り始めたのは半年も前だが、夏から秋にかけ、ホコリをかぶったまま放置されていたうえ、作業を再開しても、1つ部品を付けたら一回休み、みたいな具合なので(それだけ工作を凝っているというわけではなく、単にダレているだけ)、一向に進まない。

一応、目標はだいぶダルダルな昔風キットを、現在レベル(例えばファインモールドの四一式山砲レベル)、は無理としても、そこそこもっともらしいディテールを付加することに据える。

車輪に関しては、バリ、というよりも、内外でなぜかリムの厚みが違っているのを整形したり、ハブ部分をプラバンを貼ってディテールをやり直したり、リム内側にボルトを貼ったり。

ハブ内側はキットにもエッチングパーツが入っているが、ナットの位置も数も違うので使えない。ハブのボルト位置は、どうも現存の展示品でもいくつか種類があるようなのだが、標準は14本で、しかも同一円周上でなく、1つ置きに内外になっている……おかげでどうもいい加減に工作したように見えてしまう。

リム内側のボルト頭ドラゴンの旧III号H型用増加装甲のボルトを削いで貼ったが、ちょっと大き過ぎたようだ。リム外側は鉄板が巻かれているので、プラペーパーでそれふうに。

砲架部分では、仰俯、左右動のハンドルに若干の追加。ちなみに古風な単脚の砲架なので、左右動は車軸部分をスライドさせる機構(sIG33などもそう)。仰俯も第二次大戦型で一般的な歯車式でなく(もちろんハンドルからの伝達に歯車は介しているだろうが)、揺架の後方下部にバーがあって、それで押し上げたり下げたりする方式。

キットは砲架のその部分に穴があって、バーが直接見えているふうになっているが、実際は何かカバーが付いているようなので、適当に追加。

F1017442 前回も述べた、キットで削り込むよう指定されている砲架の窪みは、右写真のように削り込んだ。これも前に書いたことだが、窪みは後ろに行くほど幅広。また、窪みの縁はエッジが立っていない。

いや、こんなにだらだら工作していて、完成する日は来るんだろうか?

●日付はすでに「今日」になってしまったが、日曜日はどんじさん夫婦が鎌倉散歩に来るので、案内役を務める予定。

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もふもふ

●サボり癖がついてしまい、長らく更新をほったらかしにしてしまった。その間、まったく書かなかったわけではなく、断片的に書いてUPせずに保存していたりもする。その辺も織り込んで、とりあえず近況。

●11月上旬、神保町通いの季節労働が、なんとか終了。

例年であれば7月頃が本格スタートで、夏が山場なのだが、今年は発注元の都合もあり、ずるずると本格開始が9月までずれ込み、しかも終わりは動かないという、最初からデスマ決定の状況での仕事になってしまった。

更新が滞ったのも、11月上旬にかけては身辺シッチャカメッチャカだったため、その後は魂が抜けた状態になってしまったため。

なんだかもう、これから年末まで何もせずに呆けていたい気分だが、それでは日干しになってしまう。いや、現在既に日干しになりかけ。やればやるほどビンボーになる仕事って、いったい何なんだ……。

●仕事中はとにかく体を動かすことが少ないので、相変わらず暇を見ては散歩に出掛けて生き物の写真を撮る。

最近のメインターゲットは、名越の峠の平場にまとまって咲いたアザミに来るトラマルハナバチ。

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しばらく前から「マルハナバチ国勢調査」にも参加しているので、マルハナバチ類には注意しているつもりなのだが、実際には、トラマルハナバチを夏の初めに見たきり長らくご無沙汰で、夏の初めにしか活動しないハチなのかと思いかねないところだった。

実際には初夏から秋まで長く活動しているハチだそうで……となると、夏の間、こいつらはいったいどこに蜜/花粉集めに行っていたのだろう?

いずれにせよ、写真のトラマルハナバチはじめ、マルハナバチは丸っこくむくむくしたハチで、ミツバチより一回り二回り大きい。気性はおとなしく、「マルハナバチ国勢調査」には、掴んだりしなければ刺されることはなく、特にエサ集めに夢中な時は触っても逃げない、とある。

そんなわけで、せっかくなのでエサ集め中に背中を触らせてもらう。見た目通りもふもふ。しばらく撫でていたい感じだが、なにぶん、忙しく飛び回っているので、すぐ次の花に行ってしまう。

とにかく、アザミはかなりお気に入りのようで、今月初めには周りじゅうでわんわん羽音がするほど、おそらく10匹以上来ていたのではと思う。ただしその後、アザミの花も盛りを過ぎ、気温も下がってきたので、今ではだいぶ活動が低調。21日に行ったら1匹もおらず、もう会えないかと思った頃にようやく2匹飛んできた。

●余談。

マルハナバチを英語で言えばバンブルビー(bumblebee)。バンブルビーといえば、マニアックなビートルズ者にとって特別な響きで、というのも、「L.S.Bumblebee」という「ビートルズの未発表曲」が長く海賊版によく取り上げられていたからである。

しかし、これは以前取り上げた「Have you heard the word」同様、ビートルズとは関係のない歌で、ピーター・クック、ダトリー・ムーアが吹き込んだコメディ曲。

曲もサイケ調、声もジョン・レノンに似ている「Have you heard the word」に対して、「L.S.Bumblebee」はまるっきりビートルズには聞こえないように思うのだが如何。

それにしても、今ならたちまち出自が特定されてネット上で拡散、数日で「ビートルズじゃない」と皆にバレてしまうところ、何年も「未発表曲?」で通用してしまうところが70年代。

ところで、アタマの「L.S.」って何? 今は無き模型メーカー?

●余談2(言ってみればブログ全部が余談だけれど)。

マルハナバチをドイツ語で言えばフンメル(hummel)。戦車者にとってフンメルといえば超有名車輌で、WW2ドイツの、III号戦車とIV号戦車のパーツを流用したハイブリッド車台に150mm榴弾砲を載せた自走砲。

考えてみれば戦車モデラーをやって長いが、今まで一度もフンメルを組んだことも、組んでみようと思ったこともない。嫌いではないのだけれど、そもそも大戦初期の車輌を除き、ドイツ戦車は他国に供与したものが趣味の中心なので、どうやらドイツ軍でしか使っていないらしいフンメルはなかなかひっかからない。

F1017278●トラマルさんが訪れるアザミが咲く藪の隅っこで見つけた、もうひとつのもふもふ。

ヨモギの葉裏に並んでいる虫こぶで、帰宅後調べてみると、「ヨモギハシロケタマフシ」というものであるらしい。毎度、虫こぶっていうのはマンマな名前だなあ。

ヨモギシロケフシタマバエなる寄生バエの産卵によって生成されるものである由。「ヨモギハシロケタマバエ」にはならないところがミソ(なのか?)。

F1017158●右写真、鎌倉・小町通りにて。……みくる? みくるんるん?

●21日、午後遅く散歩に出て、名越切通を越え、大町に降りる。

空を見上げると、まるっきり雲ひとつない快晴で……と思ったら北東の空にちんまりした千切れ雲がひとつあったけれど、とにかくそんな具合だったので、はたと「今日は夕焼けの富士が綺麗に見えるかもしれない」と思い至る。

ハイランドの隅の公園とか、あちこちの尾根筋の展望台とか、逗子マリーナとか、逗子・鎌倉近辺は富士山が見える場所は多いのだけれど、とはいっても、もやっていたり、雲がかかっていたりで、綺麗に見える日はそれほど多くない。

大町から近く、富士山が見えそうな見晴らしのいい場所となると、祇園山ハイキングコースの南端の展望台が、大町の八雲神社裏から登ってすぐ。

しかしよく考えると、夕暮れの富士山を眺めたら帰りは暗くなっているはずで、真っ暗ななか、細い山道を降りてくるのは危なすぎる。そもそも祇園山ハイキングコースの降り口は3つあるが、八雲神社以外の2つは、北端は鎌倉陥落の際に北条一族数百人が自害したと伝えられる「北条高時腹切りやぐら」、まん中も室町時代、佐竹・上杉の戦いで佐竹常元主従13名が自刃したという「佐竹やぐら」のある妙本寺の墓地に降りる。心霊スポット好きにはうってつけのハイキングコースといえる。

F1017336結局、山の上はやめて、海岸に出ることに。材木座海岸から小坪の逗子マリーナまで、夕焼けに浮かぶ富士を眺めながら歩く。ちなみに材木座海岸からだと、極楽寺~稲村ガ崎あたりの鎌倉の山が手前にかぶってしまうので、あまり見栄えはよくない。

右は確か飯島の公園あたりからのもの。手前左は江ノ島、右が稲村ガ崎。富士の左に盛り上がっているのは箱根で、小さく尖っているのはたぶん箱根の北の端の金時山。

F1017217●ところで先に話に出てきた妙本寺の墓地、佐竹やぐらのちょっと横には、こんな墓碑が立ったお墓がある。ウルトラ者は参るべし。

●この歳になるまで、「ウナ電」(至急報の電報)の「ウナ」は、何かウナギに関係しているのではと漠然と思っていた。まあ、一般に「速い」というイメージを表すのにウナギを持ってくることはないとは思うけれど。

しかし、まるで意味なく割り振られたカナかというとそうではなく、もともと英語の略号で「至急(urgent)」の最初の2文字、URのモールス信号に対応するカナ文字だそうだ。

世の中、いろいろ未知の知識体系があるもんだなあと思う、が、それが何かの役に立つのかどうかはまた別の話だ。……そもそも至急電報なんて今さら打たなそうだ。

●続・どうでもいい知識。総務省のキャッチフレーズは、

「実はここにも総務省」

だそうだ。本当にどうでもいいぞ!

しかもせっかくキャッチフレーズを策定しておきながら、なんだかサイトの隅っこのほうにこっそり書いてあるところがまたなんとも。

こうこっそり書かれると、このキャッチフレーズの意味は

ほら、あなたの後ろにも総務省 とか
いつもニコニコあなたの隣に這いよる総務省 とか
気をつけよう暗い夜道と総務省 とか

何かソッチ系なのかと思ってしまいそうだ。

F1017406●久々にちっくりちっくり模型いじり中。以前の「大砲2題」の続き。同じ75mm砲だけれど、スケール違いかと思うほど大きさが違う。

半年前から大して進んでいないように見えるが実際に進んでいない。わはははは。

UMのプチロフ野砲M1902(奥)はずいぶん大らかな出来で、細部もだるい感じなので、少ない資料を手掛かりに少しずつディテールアップしているが、さすがに手前の四一式山砲ほどの解像度にはどうしても至らない。

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大砲2題

●久しぶりの更新なので、これまた久しぶりに、多少なりともモデラーらしい話を、というわけで、最近いじったり買ったりした大砲キット2種に関して。

あ。アカデミーのプラハのヘッツァーの話もしようと思っていたんだった。まあ、それに関してはまた追い追い。ヲイヲイ。

●発売されたのは少々前になるが、一つ目は、ウクライナのUM(UM Military Technics)製、76.2mm M1902野砲。実物は帝政ロシア時代、サンクト・ペテルブルクのプチロフ工廠で開発されたもので、日露戦争でも使われたほか、数次の改良を経て、第二次大戦でも使用されている。

また、第一次大戦、ロシア革命戦争などを通じて大量に周辺国に流出しており、戦間期から第二次大戦にかけ、フィンランド、ポーランド、ルーマニアなどで使用されたほか、ドイツ軍でも鹵獲使用されている。

UMはこれを4バージョン出していて、一応キット名称に忠実に書くと、

"Russian Trekhdyujmovka" Model 1902 (#623)
 防盾無しの最初期型。防盾の代わりに、輸送時用に砲兵が座る椅子が砲身左右にある。

3" Field Gun Model 1902 (#624)
 1906年以降の、防盾付き仕様。

76.2mm Gun Model 1902/1930 (#625)
 戦間期の改修型で、砲身を30口径から40口径に延長。

3" Field (ex Russian) Gun Model 1902(late) (#627)
 周辺国仕様(ポーランド仕様、フィンランド仕様、ドイツ仕様)

F1033383当然私が買ったのは4番目。もっとも、中身のプラパーツ(1枚)は共通で、エッチングパーツとデカールでそれぞれちょっとした差異を出している。エッチングパーツは防盾その他(1作目は椅子)。ちなみに4番目だけ製品番号が1個飛んでいるのはなぜだか不明。もう一種類、何か出す気だったのかなあ……。

もっとも、本国ソ連での戦間期の改良型M02/30は、本来砲架がまったくリニューアルされているのだが、キットの砲架は共通。新砲架に30口径の旧砲身を積んだタイプはあるようなのだが、キットのようにその逆の仕様があったかどうかは不明。

F1033376プラパーツはご覧のようになかなか大らかな出来で、一時代前のタミヤの37mm対戦車砲や75mm対戦車砲などに比べても少々落ちる。だが、砲自体が、例えば第二次大戦中の対空機関砲などに比べると、それほど精緻な機構が詰まった感じではないので比較的救われている。少なくとも、(ほぼ同時代・同クラスの砲のキットの)TOM/RPMのCanon de 75 modèle 1897に比べればだいぶマシ。砲本体はともかく、華奢さが問われる防盾がエッチングなのもアドバンテージと言えそう。

F1033380右のエッチングは周辺国仕様キット(#627)のものだが、防盾を中心とするメインのエッチングは標準仕様(#624)と同一で、ちょっと見えにくいが、その裏側に#627専用の、防盾裏側に付く収納箱の小エッチングが入っている。

以下、気になる点をいくつか。

実物の砲では、排莢時に熱い薬莢が脚に当たってあちこち跳ねないようにするためなのか、単脚の中央に溝が掘ってある(M02/30の新型砲架は元から大穴が開いているので関係ない)。

F1034034これが、キットでは浅く平らに窪んでいるだけなのだが、実際には半円断面にもっと深く窪んでいる。平面形も、キットでは単純な細長い楕円形だが、実際には後ろに行くほど深く広くなっているはず。説明書に削り込むよう指示があるので、本来、窪みがもっと深いことはメーカーも把握しているにもかかわらず、パーツがそういう形状になっていないのはどうにも謎。あるいは金型を作ってしまってから気付いたのだろうか。

また、砲手・装填手用の椅子は、組立説明図では砲架の左右に対称に付けるようになっているが、実際は、塗装図にあるように、左右で取り付け位置が前後にずれている。ただし、塗装図に描かれた位置は、左右ともリベット1つもしくは2つぶん後ろにずれている可能性がある。なお、支持架に対するサドルの取り付け方も左右で異なり、サドルの下の縦の主軸の位置が、右シートではサドルの前側、左シートでは後ろ側にある。

また、砲架の左側面には標桿とクリーニングロッドが付くが(右にも?)、キットでは省略されている。

F1034039●もうひとつ。ファインモールドの四一式山砲(山砲兵仕様)について。

こちらはまだパーツを洗っただけで、まるで組んでいないが、UMのM02野砲をいじった目でこういう確かなメーカーの新キットを見ると、もうそれだけでじんわり感動してしまう。

もっとも、元が小さく華奢な砲なので当然なのだが、箱の大きさと比べ中はがらんとしたもの。ランナーは4枚だがうち2枚はフィギュアと装備品。砲は、同時発売の連隊砲仕様と共通の砲の基本パーツの小さめのランナーと、さらに小さな山砲兵仕様用ランナー(防盾ほか)。

なお、防盾は薄めに仕上がっているとはいえ、やはりプラパーツでは厚い。そのうちエッチングパーツでも出るかなあ……。

ところで私にしては珍しいネタを仕入れているのは、実はこの山砲、中国軍でも多用されているため。

「抗戰時期陸軍武器装備 野戰砲兵篇」によれば、中国ではこの砲は非常に好まれ、そのため国内数箇所の工場でコピー生産も行われた。

漢陽兵工廠(現・湖北省武漢市):民国10年(1921年)に開発もしくは生産開始され、「漢十年式75山砲」と呼ばれる。

太原兵工廠(現・山西省太原市):民国13年(1924年)に開発もしくは生産開始され、「晉造一三式」と呼ばれる。

瀋陽兵工廠(現・遼寧省瀋陽市):民国14年(1925年)に開発もしくは生産開始され、「遼一四式」と呼ばれる。

これは生産拠点を複数設けて大量生産を行ったというよりも、当時の状況で言えば、太原兵工廠は閻錫山、瀋陽兵工廠は奉天軍閥の影響下にあり、要するに、中央と有力軍閥がそれぞれ勝手に生産したということらしい。というわけで、(呼び分けるのも面倒臭いので)四一式山砲は中央軍で使われただけでなく、晋綏軍(山西省、綏遠省を地盤とした閻錫山率いる軍)、東北軍では野戦砲兵の主力として使われた。

実戦では、1933年の熱河戦はじめ、日中本格開戦後の太原会戦(日本側呼称は太原作戦)などでも大量に使用された。この間、中央軍では、装備の統一も意図して、ボフォース75mmM1930山砲を標準装備と定めて導入を進めていたが、まだ一部の部隊では四一式山砲を使用していたらしい。

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