KV

Sultryバラ

Img20221220225653 ●先週、母が100歳を迎え、合わせて土曜日にドイツ人Pも遊びに来るというので、週末に実家に出掛ける。認知症が進んで、直前のことはほぼすぐ忘れて同じ会話を繰り返すものの、とりあえず立ち居はしっかりしているのは有り難い(もちろん、兄が同居してくれて面倒見てくれているのがまず有り難い)。

土曜日はPとあれこれ話しながら飲み食い。日曜日はちょっと買い物に出るという兄と溝の口まで歩き、その後横浜をうろついてから帰宅。

●その横浜のヨドバシで、数回前に書いた、海洋堂の四天王ガシャポンのリベンジ。やったぜ!別のが出たぜ!

一応、現行の名付けに従うと、今回出たのは「増長天」。なお、前回引いた「持国天」に加え、見落としていたがキンキラキン・バージョンの「多聞天」も、すでに我が家にあった。あとは、無いのは「広目天」だけ。しかし、4分の1を引き当てるクジ運の自信はない。

なお、このシリーズの(現行名称)「広目天」は右足に体重をかけ、左手に槍(鉾?)を持った姿で、「持国天」との差異に乏しい。「広目天」なら、巻物を持って目を細めていてほしかったなー(東大寺戒壇院スタイル)。

Img20221219105527●サルトリイバラはこのへんの野山にいくらでも生えているツル草だが、秋に実る赤い実は食べられる、という話は割と最近まで知らなくて、今年はぜひ試してみようと思っていた。

そんなわけで、先月の半ばころ、赤く色づいた実を試しにつまみ食いしてみたのだが、甘くも酸っぱくもなく、ただ単に渋いだけだった(口が曲がりそうに渋いとかではなく、「ありゃ、渋いなこれ」レベルというのが、逆に何だか間が抜けた感じ)。

熟し方が足りないのかもしれないと、その後間を開けて2度ほど試したが(つい数日前も)、結局同じように渋いだけだった。

改めて考えてみれば、検索してみても「食べることができる」「生食できる」とは書いてあっても、きちんと味の説明をしているところはなかった。ちゃんと食べたうえで解説してるのかヲイ。

なお、サルトリイバラは(比較的まばらではあるものの)結構鋭いトゲと、立派な巻き付きヒゲがあり、「猿・捕り・茨」の名はそこから来ている。Sultry(情熱的に抱きつく)バラ、というわけではない(誰も思わないだろうけど)。かつて、「その昔、土佐の猟師はマダガスカルレーザーオオトカゲを捕らえるのに“天狗縛り”なるツル草を用いていた」という話を捏造したことがあるが、その時にイメージしたのがサルトリイバラだった。

●KV戦車に関する小ネタ。いまさらのように誘導輪のサイズについて。

web上にあるwalkaround写真を切り貼りしているので、ここに画像を貼るわけにはいかないのだが、いくつかの博物館車両の誘導輪サイズを比較してみた。

といっても、厳密な計算とが計測とかをしているわけではなく、ほぼ真横から撮った写真を、転輪サイズを揃える形で倍率調整し、その状態で、今度は誘導輪サイズを比較してみる、というもの。

比較対象としたのは、

  • 旧アバディーンに展示の1941年型(prime portal
  • キーロフスクの1940年型、緑色塗装の「061」号車(net-maquettes
  • キーロフスクの1940年型、白色塗装の「レニングラーデッツ」号(net-maquettes
  • ペテルブルクの何かのイベントに出てきた1940年型(DishModels

旧アバディーンの車輛に関しては、以前に仙波さんに教えていただいたが、実測値で直径が680mmであることが判明している。一方、キーロフスクの「レニングラーデッツ号」は、(グムカの高田さんがtwitterでも言及しているが)実際にメジャーを当てている写真もDishModelsに上がっており、それを見ると径は680mmより小さいように見える(誘導輪の中心が目盛のどのあたりかが判りづらいが、半径は320~330mmくらいに見える。ただし、それでもタミヤの新KV-1のパーツの約620mm径(35倍)よりは大きい)。

比較検討の結果。とりあえず、ほぼ直径部分で切り貼りしてみたが、明らかな径の差は認められなかった。

もっとも、「ほぼ真横からの写真」といっても誘導輪は端のほうにあるので若干の角度が付いているうえ、カメラと車輛との距離もそれぞれ違っているはずだから、到底正確な比較はできていない。あくまで「そう見える」程度のものでしかないことはお断りしておく。

●ポーランドのIBG modelsというメーカーは、私好みのアイテムをポコポコ出してくるので、まったくもって気を抜けない存在である。1:35ではTKSや7TP、ミニスケールでもWAWやFTFレーベルで「うぉう、こんなん出しやがった」的なものを製品化してくる。しかしその一方で、技術力が付いていっていない――というよりも、神経の行き届き方が足りていない的なポカがほぼ必ずどこかにあるキットを出してくるので、その意味でも気を抜けない。

そんなIBGが新製品としてII号戦車の初期型(a1/a2/a3型、b型)を出してくるというので、アイテム的には是非ほしいところなのだが、期待と不安半々。発売としてはa1/a2/a3型のほうが早く、同社のサイトによれば「12月発売」になっているので、もしかしたらもう早いところには入荷し始めているかもしれない。

何だかIBGが「やらかしそう」な懸念点を含めて、キットの予想を少々。

  • 一応、a型キットは予告の製品名では「a1/a2/a3」と、3形式の併記になっているが、Armoramaに出た見本写真やメーカー発表のCGを見る限りでは恐らくa3型。
  • a1/a2/a3型は、もともとは後の型よりも履帯幅が狭い、I号戦車と同じものを使っている(Kgs.67 280/90)。ただし、Armoramaの見本写真やCGでは上部転輪がb型以降のものになっているので、履帯も後のII号戦車標準幅(Kgs.67 300/90)のものになっている可能性が高い。実際の車輛でも交換されている例がある(例えばトラクツのp23)。誘導輪基部も(CGによれば)強化改修仕様とのコンパチ、車体前部には追加装備のノテク・ライトも付くようなので、要するに「改修済みの実戦仕様」という感じのようだ。もっとも、「せっかくのa型なのだから、製作当初の姿で作りたい」と思う人にとっては、結構厄介だろうと思う。
  • a型は、エンジンルーム後端が短く車体長も後の型に比べ寸詰まりなのだが、それだけではなく、実は車体前端も後の型より下がっていて、前部上面の傾斜がきつい。しかしこれは同じIBGのミニスケール、WAW1:72のa型、b型でもきちんと違いを表現しているので、まさか35でポカをする可能性は低そう。
  • しかし今後発売されるはずのb型の起動輪が、後のc型以降よりディスク部の盛り上がりが大きい点はきちんと再現されるかなあ……。WAW72では再現していたようには見えなかったので少々不安。

私自身は以前から「b型が欲しいなあ」と思っていたのだが、WAWのa型をいじって以来、寸詰まりでちょっと愛嬌があるうえ、業務用空調の室外機のようなエンジンルームの円形ルーバーがいかにも試作車然としているが気に入ってしまって、どちらを買おうか迷い中(さすがに両方は作らないと思う)。

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KV maniacsメモ(緩衝ゴム内蔵転輪)その2 附:標準型全鋼製転輪

●KV重戦車に使用された緩衝ゴム内蔵転輪の話の続き。緩衝ゴム内蔵転輪のバリエーションを、おおよそ使用時期の早い順に見てみる。

特記のない限りは、基本的なディテールは前回の「構造の概観」の項に記したものに準拠しているものとする。

なお、前回も述べたように、KVの緩衝ゴム内蔵転輪はリム部およびゴム抑え部が別体であり、形状の変遷も「リム部のバリエーション」×「ゴム抑え部のバリエーション」ということになるのだが、当然ながら模型的には全体で一括りなので、以下の変遷も「全体形ベース」で話を進めることにする。「パターンいくつ」という分類は、あくまでここだけの便宜上のもの。

また、各タイプ(車体および転輪)の生産時期については、基本、サイトТяжелые танки КВ-1の記述を参考にしている(google翻訳さん任せなので、意味を取り違えているところもあるかもしれない)。

▼(前史)SMK用転輪

KVの直接の祖先であるSMK多砲塔重戦車は、基本、ほぼそのままKV試作車に受け継がれた足回りを持っている。足回り全般に関する大きな違いは、

  • 片側の転輪数が8つ(KVは6つ)。
  • 履帯はKV標準型とよく似ているが、やや幅が狭い(セータ☆氏によれば660mm幅。KVは700mm幅)。この履帯はKVの試作車・初期生産型の一部でも引き続き使用。
  • 履帯ピッチは同一だが、起動輪はやや小径で、歯数もKVの16枚に対し15枚で1枚少ない。起動輪中央の皿形カバーも周囲が平らになっているなどやや形状が違う。トランぺッターのSMKのキットは、KVの起動輪パーツ(の含まれる枝)がそのまま入っていて、歯数が少ないSMK用はパーツ化されていないような……(少なくともsuper-hobbyの商品紹介ページではそのように見える)。誰かキットをお持ちの方、教えてください。(追記:丞さん情報。足回り丸ごと、KVキットからの流用だそうです。しかも初期型転輪・上部転輪もKV-2初期型のキットでパーツ化されているのに、なぜか標準型のパーツが入っているそうで……。どうしちゃったのトラペ)
  • 誘導輪は、本体はKVと同じもの? ただしハブキャップ形状は違う。

Charsergeimironovitchkirov

転輪に関しては、おおよそ以下のような特徴。

ゴム抑え板は8本リブ・8穴。

  • ハブキャップは、中央のボルト頭(前回「構造の概観」の①)がないように見える(TAKOMのキットのパーツでも表現されていない)。
  • ハブキャップ周囲のリング(前回「構造の概観」の④)に関しては、これまたTAKOMのキットのパーツでは別体表現/刻み目表現がないが、こちらは実車写真(上着色写真の元になった両側面からの写真)では不鮮明ながら周囲の刻み目があるように見える。
  • リム部に関しては、1種類ではなく、「軽め穴がない」「軽め穴が大きい」「軽め穴が小さい」の3種が混ざっている。上写真の元になった、試作完成時?の記録写真によれば、
    左側面: (前方)←無・小・大・小・大・小・大・小
    右側面: 大・小・大・大・大・大・大・無→(前方)
    となっているようだ(写真が不鮮明なので順番はやや不確か)。両側とも第一転輪が穴無しタイプなのは、負荷が掛かる場所には丈夫なものをという判断があったのかも。
  • 冬戦争時、擱座した状態の写真を見ると、左側面第7転輪のみ、ゴム抑え板がリブ無しタイプに替わっているようにも見える。とはいえ、単純に雪が付いていないためにそのように見えている可能性もある。なお、冬戦争時も転輪の穴の「無大小」の配列が上の通りだったかは不明。ただし、少なくとも左側面に関しては、第一転輪は穴無しのままだったように見える。

脱線話。この戦車の名称の元であり、生産工場(キーロフ工場)の名称の元にもなっているのが、1934年に暗殺された共産党幹部セルゲイ・ミロノヴィチ・キーロフで、従来は、その存在を煙たく思っていたスターリンが密かに手を回して暗殺させた――そのうえで、その存在を英雄的に祭り上げ、その暗殺に関与したとの疑惑をでっちあげて政敵大量粛清のネタとして利用した、というのがほぼ定説となっていた。

しかし最近の研究によれば、その死を政敵粛清の理由として大いに利用したのは確かでも、出発点のキーロフ暗殺そのものにはスターリンは関わっておらず、純粋に共産党幹部を狙ったテロだった、という説が浮上しているらしい。詳しくはこちら(北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター、「スラブ研究センターニュース」104号 (2006/2)、「キーロフ殺害の鍵は北大図書館の本棚にあり」マシュー・レノー)。

初期型転輪・パターン1

ゴム抑え板の穴が8カ所の初期型転輪。トランぺッターのKV-2初期型でパーツ化されているタイプ。主に試作車に使用。リム部の軽め穴は、上記SMK用の「大きい穴」「小さい穴」の中間くらいに見える。

  • ゴム抑え板は穴が8カ所、放射状のリブが8本。ゴム抑え板の穴は、後の標準型(6穴タイプ)に比べて、やや小さめのようにも見える。
  • ハブキャップ中央のボルトは、KV-1の最初の試作車U-0では、SMK同様に無いようにも見える。その他の使用例では、はっきりと中央のボルトが確認できるものもある。

(実車使用例)

  1. 試作車U-0(「Тяжелые танки КВ-1」より)
  2. KV-2/U-7:新砲塔搭載の試作車RKKA in World War II
  3. 1939年型(砲塔前後が丸い極初期/増加試作型・1940年前半生産):ハブキャップ中央のボルトあり。(「Тяжелые танки КВ-1」より)

初期型転輪・パターン2

同じくゴム抑え板の穴は8カ所だが、放射状のリブはない。試作車~極初期の生産型に使用。使用例から考えると、リブ付きの後にこのリブ無しタイプが生産されたように思われる。以下写真はwikimedia commonsより、File:Tank Fortepan 93766.jpg(FOTO:FORTEPAN / Mihályi Balázs)。

Tank_fortepan_93766m

  • ゴム抑え板は穴が8カ所、放射状のリブは無し。ゴム抑え板の穴は、上記パターン1同様、後の標準型(6穴タイプ)に比べてやや小さめのようにも見える。
  • フェンダーが「ウィング」タイプの工具箱になっている試作車U-7号車は、このリブ無しタイプを使用しているが、上記U-0号車同様、ハブキャップ中央のボルト頭が無いように見える。なお、その他の使用例では通常、ボルト頭は確認できる。
  • KV-2生産第一ロット(7角砲塔搭載型)では、サイト「Тяжелые танки КВ-1」の当該タイプのページで確認できる限りでは、すべてこの「リブ無しタイプ」の初期型が使われていた。
  • この時期までは、上部転輪はホイールのリム立ち上がり部分に小リブがあるものが使われている(らしい)。

(実車使用例)

  1. 上写真:上の写真には砲塔が写っていないが、一連の別写真から、L-11搭載の1939年型であることが確認できる。
  2. 試作車U-7:ハブキャップ中央のボルトは無いように見える。(「Тяжелые танки КВ-1」より)
  3. 1939年型:1940年夏頃生産の仕様。ハブキャップ中央のボルトはある。(「Тяжелые танки КВ-1」より)
  4. KV-2 生産第1ロット(「Тяжелые танки КВ-1」より)

標準型転輪・パターン1

ゴム抑え板がリブ12本、穴6カ所に変わったもので、「Тяжелые танки КВ-1」のL-11搭載型(いわゆる1939年型)のページによれば、1940年9月頃の生産車から用いられるようになったらしい。以後、F-32搭載の1940年型の中途(1941年7月頃?)までの生産車に広く用いられている。写真は前回載せたものの書き込み無し版。wikimedia commons、File:KV-1 1942 Parola.jpgVT1978)より切り出し。

Kvwheel03

  • リム部はおそらく初期型転輪とまったく同一。
  • ゴム抑え板の放射状リブは12本で、丸穴はリブで仕切られた部分の1つおきに開いている。初期型ゴム抑え板に比べ、丸穴はやや大きく浅い(ゴムが表面近くまで出ている)感じがする。
  • 初期――KV-1は1940年型の初期(1941年1~2月頃の生産)まで、KV-2は生産第2ロット(1940年末)までは上部転輪がリブ付き。以降はリブ無しが一般的。ただしリブ無しはなくなったわけではなく、後にチェリャビンスクでの生産分では復活したりしているのでややこしい。

(実車使用例)

  1. 1939年型:1940年秋頃生産の仕様。車体銃がなく(別写真で確認できる)砲塔の手すりがペリスコープより後ろにある。(「Тяжелые танки КВ-1」より)
  2. 1940年型:1941年前半に生産された、1940年型の初期タイプ。砲塔は溶接線がエッジにある初期型。(「Тяжелые танки КВ-1」より)
  3. 1940年型エクラナミ(「Тяжелые танки КВ-1」より)
  4. KV-2 生産第3ロット(「World War Photos」より)

標準型転輪・パターン2

ゴム抑え板は上記の標準型パターン1と同一だが、リム部に軽め穴がまったくない。それほど生産数は多くないものと思われるが、1941年夏(7月頃?)の生産車、1940年型エクラナミや、同時期に生産された増加装甲無しの1940年型(75mmおよび90mm装甲の溶接砲塔型)に使われている例が散見される。上記の標準型パターン1、下記の標準型パターン3と混ぜ履きになっている例もあり。

実物は現存していない……と思っていたのだが、ソミュールにある元RONA(ロシア自由軍)所属車は、下のパターン3を主に装着しているものの、左側第3転輪(?)の内側は穴無しリムになっているように見える(はっきり写っている写真が手元に無い)。

(実車使用例)

  1. 1940年型エクラナミ(「Тяжелые танки КВ-1」より)
  2. 1940年型エクラナミ(「Тяжелые танки КВ-1」より)
  3. 1940年型エクラナミ:穴無し転輪と穴あり転輪を混用している例。 (「Тяжелые танки КВ-1」より)
  4. 1940年型:穴あり転輪と混用している例。別写真で右側面も第4転輪のみ穴ありなのが確認できる。(「Тяжелые танки КВ-1」より)

標準型転輪・パターン3

リム部の穴と穴の間に強化リブが設けられたタイプ。上記穴無しのパターン2とほぼ同時期か、その直後に登場。1940年型エクラナミや、同時期に生産された増加装甲無しの1940年型から、キーロフ工場がチェリャビンスクに疎開して以降、主砲がZIS-5に換装された1941年型の初期に至るまで標準的に使用されている。

写真はキーロフスクの短バッスルタイプの溶接砲塔搭載の1940年型。wikimedia commons、File:KV-1.JPGOne half 3544、パブリックドメイン)より切り出し。

Kvwheel05

リム部の強化リブは穴と同数の12個。

  • リム部のリブは穴と穴のちょうど中間ではなく、通常、正面から見て、時計回り方向にずれる。直線的に描き表すと、|〇 |〇 |〇 (↑外周) のような感じ。これは裏面も同様で、つまり、リブ位置は表と裏とでは食い違っている。タミヤの新KVのパーツでは、裏面は鏡写し(つまり表裏でリブが同一位置)になっている。ただし、下記のように前記と逆配列(つまりタミヤの裏面と同じ)になっている例もある(その場合裏面はどうなっているのか?)。リブと穴の間隔がちょっと違う(ように見える)例もあるので、下請け工場による若干の差異があった可能性がある。
  • リム部のリブは緩衝ゴム取付位置外周まで届いており、内側に向けて、緩やかにカーブしながら低くなっている。
  • リブの部分を残してリム部外周が変形し、縁部が円ではなく緩やかな12角形のようになってしまっているものもある。もっとも、現存博物館車両では時々見るものの、戦時中に変形するほど使い込まれる例はそれほど多くなかったのでは、という気がする(当時の写真でも若干は確認できるが)。
  • 組み合わせる上部転輪はリブ無しゴムリム付きが主だが、チェリャビンスクで生産が開始されたZIS-5搭載型(1941年型)では全鋼製上部転輪が使われ始める。

(実車使用例)

  1. 1940年型エクラナミ:穴無し(パターン2)と混用、というだけでなく、よく見ると第5、第6転輪のリム部の穴とリブの位置関係が通常と逆になっているという極レアもの。このタイプの存在についてはセータ☆さんに教えていただいた。(「world war photos」より)
  2. 1940年型エクラナミ:同じく穴とリブの位置関係の変則例。破損した第一転輪内側リムのリブが、通常よりやや「穴と穴の真ん中」に寄っているように見える。(「Тяжелые танки КВ-1」より)
  3. 1940年型/371工場砲塔搭載型:この仕様の場合、転輪は基本このタイプのみ。(「Тяжелые танки КВ-1」より)

▼標準型転輪・パターン4

パターン3同様にリブ付きリムだが、リブの数が少ない上に形状が違うタイプ。セータ☆氏が以前に記事にまとめていて、それで存在を知った。セータ☆氏は、このタイプの転輪を「ハーフリブ・タイプ」と呼んでいる。同記事を読んでもらえれば「今のところ判っていることは全部判る!」くらいなのだが、以下に簡単にポイントをまとめる。使用例は少なく、主に、チェリャビンスクで生産が本格的に始まった頃(1941年8~9月頃?)に生産された、主砲がF-32・短バッスルの溶接砲塔搭載型に使われている。生産時期はそれよりやや下るが、タミヤが新KV-1で箱絵/デカールに選択した116戦車旅団所属「スターリンの為に」も、少なくとも左側第1転輪にこのタイプを使用している(セータ☆氏の記事に写真あり)。

  • リブの数が通常(パターン3)の半分で、穴の間の一つ置きにしかない。
  • リブの位置が片方に寄っておらず、穴と穴のちょうど中間にある。
  • タイプ3ではリブがゴム抑え板周囲まで届いているのに対し、こちらは短く中ほどまでしかないうえ、傾きも直線的。いわば三角定規を立てたような感じ。何しろ限られた戦時中の写真でしか見たことがないので、裏表のリブの位置関係は不明。パターン3のリブ位置が表裏で食い違っていることを考えると、このタイプでも互い違いの配列になっている可能性もあるかも。
  • 緩衝ゴム内蔵転輪の他のすべてのタイプと違い、リム外周部縁の「巻き込み」がない(ように見える)。そのため、接地面(履帯に当たる面)はより平らで、縁は薄く見える。下図は、この形式の転輪とパターン3の転輪の、リム外周とリブの形状の比較。あくまで「こんな感じ」の比較ポンチ絵で、寸法比率等はいい加減。
  • チェリャビンスクでのKVの生産では、当初はリブ付きの上部転輪が復活使用されていて、この転輪との組み合わせでもそれが主。

Kvwheel06

(実車使用例)

  1. 1940年型チェリャビンスク工場製(「Тяжелые танки КВ-1」より)
  2. 1940年型チェリャビンスク工場製:写っているなかでは第一転輪だけがこのタイプで、第2~4転輪はパターン1、第5転輪はパターン3と3種混用。見比べて、このタイプは縁の回り込みがないらしいことも見て取れる。(「Тяжелые танки КВ-1」より)

オマケ。

標準型・全鋼製転輪

KVの生産がチェリャビンスクに移って以降、当初はそのまま緩衝ゴム内蔵転輪が使用されていたが、1941年型(ZIS-5搭載型)が登場してしばらく後、さらに製造の簡略化が進んだ全鋼製転輪が登場する。転輪それ自体の緩衝機能はなくなってしまうわけだが、それほど高速走行しないはずの重戦車なら許容範囲、ということだろうか。以後、IS重戦車まで(形状は異なるものの)全鋼製転輪が使用される。

Kvwheel02

写真は前々回も使用したもの。wikimedia commons、File:KV-1 front-right 2017 Bovington.jpg(Morio)より切り出し加工。

  • それまでの緩衝ゴム内蔵転輪では、複列のそれぞれの片側も表裏対称だったが、新しい全鋼製転輪は深く窪んだ「片面モールド」状態のものを背中合わせに結合した形状。
  • 表面に放射状に並ぶ強化リブは、ハブ側からリム部まで(徐々に背が低くなって)到達するメインのものは6本。逆にリム側から内側に向け中途まで伸びるサブのリブは、メインのリブの間に2本ずつで12本。
  • 車軸を囲むハブ部分は、単純な円柱状のものと、ごく緩やかな6角柱状のものと2種類がある(セータ☆さんに言われて初めて気付いた……)。6角柱状のものの場合、頂点は前記の1対のサブリブの間に来る。必然的に、メインリブは各辺の真ん中から出ることになる。博物館車両のクローズアップ写真ではなんとか確認できるが、戦時中の写真でははっきり鑑別できるものは少なく、どちらが多数派なのかは不明。上写真のものは六角柱タイプ。改めて確認して、「ありゃ、これもそうだった!」的な。なお、Tankograd - Soviet Special No.2003 "KV-1 Soviet Heavy Tank of WWII - Late Version" の図面では、この部分を8角柱と解釈している。うーん。さすがにそれはないんじゃないかなあ……。
  • 転輪本体の断面形状(片側)は、金だらい状に「底」が平らではなく、中心に向かって浅く窪んだすり鉢状になっている。旧タミヤやトランぺッターの後期型KVのキットでは平らになっている。前々回記事で書いた疑問を、セータ☆さんがスパっと解決してくれた。ありがとうございます。 (追記)その後、現存の転輪を横(軸方向に直交する向き)から写した写真を見つけることができた。LEGION-AFVのwalkaroundアーカイブの、ロプシャの展示車両の写真のなかにあった(KV-1_Ropsha_185.JPG、およびKV-1_Ropsha_595.JPG)。これをみると、窪んでいると言っても極々浅く皿状であることと、転輪の内外は別々に作って中央で結合しているらしいことがわかる(後者に関しては、単純に“パーティングライン”である可能性もある)。
  • 緩衝ゴム内蔵転輪と違い、ハブキャップ周りの別体の刻み目付きリングはなく、ハブキャップは転輪本体中心の(前述の)円筒にやや埋まった格好。
  • 内外の転輪の結合部には、ごく小さな補強リブがある。トランぺッターのパーツでは10本。セータ☆さんに教えて貰ったDT35のアフターパーツでは12本?(ロプシャの上記2枚の写真からはちょっと判断しづらい感じ?)

このタイプの転輪は1942年型まで使用され、KV-1s以降は、さらに数種の全鋼製転輪が使われることになる(1s系の製作にはまだまったく手を付けていないので、何か書けるほど知識の整理もついていない)。

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KV maniacsメモ(緩衝ゴム内蔵転輪)その1

●調べものついでの備忘録。

基本、「今、私がわかっていること」を羅列しているだけなので、あっと驚く新事実の類はない(はず)。むしろ「他にもこんなタイプが確認できる」とか、「触れておいたほうがいいことに触れていない」とか、事実誤認とか、その手の問題があったらビシビシ指摘して頂けると有り難いです。

KV重戦車は、その直接の祖先であるSMK多砲塔戦車時代から、チェリャビンスクに工場が移転して直後のZIS-5搭載型(いわゆる1941年型)の初期(サイト「Тяжелые танки КВ-1」の解説によれば、1941年11月初旬)まで、一貫して緩衝ゴムを内蔵した鋼製リム転輪を使用している。

一般に(第二次大戦直前あたりからの)戦車の転輪は外周にゴムリムを付けて緩衝用とするが、KVのこの転輪は外周(リム)部は鋼製とし、これとハブ部との間に緩衝ゴムを挟み込んでいる。この形式の場合、履帯と転輪の接触音はやかましくなりそうだが、ゴムの損耗は抑えることができる。

緩衝ゴム内蔵転輪はT-34の一部やT-50軽戦車にも使われたほか、敵国ドイツもこれを模倣し、ティーガーIIほかに同様の構造の転輪を導入している。

構造の概観

複列式で外側・内側は同形。ついでにそれぞれ表裏も同形。鋼製のリムを、緩衝ゴムとゴム抑え板で両側からサンドイッチする形になっている。つまり、リム部は1組2枚、ゴム抑え板は片側表裏2枚×2で4枚。リム部とゴム抑え板の間にあるドーナツ状の緩衝ゴムも表裏2枚×2で計4枚。ハブキャップ、ハブキャップ周りのリング(ゴム抑え板をハブキャップに固定するもの?)各1、などという構成になっている。

Tankograd - Soviet Special No.2003 "KV-1 Soviet Heavy Tank of WWII - Late Version" に緩衝ゴム内蔵転輪の簡単な断面図や、ゴム抑え板・リム部それぞれ単体のイラストも出ているので、可能な方はチェックするよろし(p.54)。

生産時期によって形状にはいくつかのバリエーションがあるが、標準型を例に基本ディテールを見てみることにする。写真はフィンランド、パロラ戦車博物館所蔵のKV-1、1942年型。wikimedia commons、File:KV-1 1942 Parola.jpgVT1978)より切り出し加工した。この車両は戦時中にフィンランド軍が鹵獲使用した2両のKV-1のうちのひとつで、損耗部品を撃破車輛から調達しているため、1942年型であるにもかかわらず初期型の緩衝ゴム内蔵転輪を混ぜ履きしている。

Kvwheel04

:ハブキャップの中央には尖頭ボルト(あるいは丸頭ボルト)が1つ。単純にハブキャップ表面にあるのではなく、周囲は軽く一段、丸く窪んでいる。SMK用~極初期にはないようなので、グリースアップ用に追加されたもの?

:ハブキャップ端2か所に小さい平頭ボルト。ハブキャップの固定用? Ⅾ字型の座金?を介していて、土台のハブキャップもU字型に窪み、取付面を平らにしている。ボルト頭自体は①の中央のボルトよりやや小さい。D字型の座金は③で述べる段差と一体化しているように見えるケース(パロラの1940年型エクラナミ)も、まったく独立しているケース(キーロフスクの1940年型後期型)もある。もしかしたら時期的な差もあるかも。上写真のものは……うーん、よくわかんないやー。

:ハブキャップ周囲にわずかな段差。内側の低い段には、miniarmの別売転輪で表現されているように、どうやら一か所に切れ目がある(Cリング状態)。切れ目はおおよそ、②のボルト位置と直交する近辺にあることが多いようだが(90度よりはちょっとずれているのが普通?)、明らかにまるっきりずれているものもある。実は適当? 現存博物館車両でちょっと状態の悪いものだと、この低い段の部分が剥がれて浮き上がっているものが確認できるので、ハブキャップにもともとモールドされているわけではないらしい。

上写真の転輪ではその切れ目がはっきり確認できないが、角度のせいで見えないのか、そもそも切れ目がないのか、ちょっとよくわからない。上写真以外、もっときちんとクローズアップでも、この切れ目がないように見えるものもあって、(1).基本、切れ目は必ずあって、ないように見えるものはたまたそう見えるだけ、(2).実は切れ目があるものと無いもの、バリエーションがある、(3).そもそも切れ目があるように見えるもの自体、破損によるもので、正規の状態ではない――のどれに当たるのか、私自身どうもよくわかっていない。

:ハブキャップ周囲のリング。周囲8カ所に刻み目がある。ハブ部へのゴム抑え板の固定用か何か? ハブキャップ外側がスクリューになっていて、そこにこのリングを取り付けるらしい。リング部が二重に見える内側はハブキャップ外周(たぶん)。タミヤの新KVのパーツでは再現されておらず、単純にリング状に盛り上がっているだけで別体表現も刻み目もない。

:ゴム抑え板。内外、表裏合計4枚同形。タミヤの新KVでは、内側2か所では再現されていない。

:ゴム抑え板には初期型で8カ所、標準型で6カ所の丸穴。穴の中はおそらく緩衝用ゴムが露出している。写真の車両は展示場所にずっと置きっぱなしなので丸穴の中も車体色になっているが、余所の展示車両では伸縮のためかゴム部分は塗装が剥げてゴム色になっているものが散見される。標準型は12本の放射状リブ。初期型では8本のリブがあったりなかったり。

:リム部とゴム抑え板の間には僅かにサンドイッチされた緩衝用ゴムが覗いている。リム部はゴム外周に当たる部分でゴムを受けるようにわずかに盛り上がっている。ゴムが(というよりリム部が)ずれないようにするためか。このため、この「サンドイッチの断面」部分では、ゴム抑え板・緩衝ゴム・リムの立ち上がり部分、の三段重ね構造が見える。緩衝ゴムにパーティングラインが入って四段状態に見えることも。

:一部のタイプを除いて、リム部には12個の軽め穴。リム部は緩衝ゴムを介してハブから独立しているため、ゴム抑え板の穴やリブと、リム部の穴の位置関係は一定しない(はず)。またこの写真では内外のリム部の穴がたまたまほぼ同じ位置にあるが、これも適当にずれているのが普通と思われる。トランぺッターのキットでは内外のリム穴位置が揃うように、またタミヤの新キットでは内外のリム位置に加えてゴム抑え板の位置も一定になるようにパーツにダボが作られているが、むしろかえって不自然ではないかと思う。

:一部のタイプを除いて、リム外周の縁部は僅かに内側に向けて巻いた形状になっており、そのため外周部内側は窪んだ状態になる。既存のインジェクションキットのパーツでこの形状を再現しているものはない。リム外周の接地面(履帯に当たる面)中央には、摩耗が進んでいない場合には製造時のパーティングラインが残っている。

転輪の寸法

転輪の寸法に関しては、ポーランド、PELTAのKV本によれば、緩衝ゴム内蔵転輪の直径は590mm(後期の全鋼製転輪は600mm)だそうだ。青木伸也氏のtwitterに書いてあった(まさにその本を私自身も持っているのだが、今パッと出てこない)。えっ、緩衝ゴム内蔵転輪と全鋼製転輪で直径違うの!?

これに関しては実測データも複数あり、まさに上で触れたフィンランド、パロラ戦車博物館所蔵のKV-1、1942年型の転輪にメジャーを当てて測ってきた値が「困ったときのかさぴー頼み」かさぱのす氏のレポートにある。一応主要なところだけ引用すると、「直径:約570mm、厚み:約300mm、内外転輪各々の厚み:約110mm」(ちなみに後期の全鋼製転輪は直径:約590mm、厚み:約300mm )だそうだ。「約」が付くのは事後変形等々で、「ひとつひとつ、また測るところによっても、わずかながらにいちいち寸法が違う!」 ためである由。

もうひとつ実測データとしては、キーロフスクに現存する371工場製強化砲塔搭載の1940年型後期型の転輪にメジャーを当てた写真が「www.dishmodels.ru」に上がっており、そちらではおおよそ直径590mm、リム部の幅は95mmを指している。うーん。

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えのすい

●10日土曜日。息子一家と新江ノ島水族館に行く。

チビ(4歳)的にはイルカのショーだったようだが、個人的には、「えのすい」といえばやはりクラゲ。

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●ダイオウグソクムシの水槽を見に行ったら、相変わらず「生きてるんだか死んでるんだか」状態で底でじっとしていたが、水槽の展示名称が「オオグソクムシの一種」になっていた。

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その理由も掲示されていたが、どうやら、過去飼育していた個体(死体)を台湾の専門家が調べたところ、ダイオウグソクムシとは違う新種が混じっていたとのこと。ただし、その新種(エノスイグソクムシという和名が付いた由)はダイオウグソクムシとよく似ていて外見では区別しづらく、現在飼育・展示中のものを生きたままDNA検査等は難しいため、展示名を「~の一種」にしたのだそうだ。えのすいのサイトにある、より詳し解説はこちら

●ゴマフアザラシ(だったかな?)の水槽で、ギリギリ隅っこの鋭角になった部分に一頭が頭を下にしたままきっちりはまり込んでピクリとも動かない。いわば犬神家の助清状態(全体が水没しているが)。

それを見た息子が「あれは死んでるんじゃないか。(いかに海生とはいえ)息をしないといけない哺乳類が、水中で逆さになってピクリともしないのはおかしい」と心配する。しばらく見ていても全く動かないので、とうとう息子嫁が近くの職員に聞きにいったのだが、結果、「アレは何故かあそこに挟まってるのが好き」だというのが判明。

更にしばらく見ていたら、もそもそ動いて海面に浮かんで息継ぎをして(?)、それから再度、先刻よりもさらにぎゅっと角に体を詰め込んで逆立ちをした。

子どもが押し入れの隅っこなどにお気に入りの居場所を見つけるようなものか?

●KVの履帯および転輪の変遷/ディテールのチェック作業のこぼれ話。

生産工場がチェリャビンスクに疎開して以降、ZIS-5搭載型(いわゆる1941年型)の後期からは、KVは緩衝ゴムを内蔵していない全鋼製の転輪が使用されるようになる。タミヤの旧KV-1の最初のキット(キット名称「KV-1C」)にも付けられていた転輪なので、見た目に関しては割とお馴染と感じる人も多いはず。以下写真はボービントン所蔵の鋳造砲塔搭載1941年型のもの。wikimedia commons、File:KV-1 front-right 2017 Bovington.jpg(Morio)より切り出し加工。

Kvwheel02 

この転輪、初期の緩衝ゴム内蔵転輪や、後のJS用転輪とは違って複列のホイールディスクは裏表非対称で、表側は深く窪んで強化リブがあり、これが背中合わせにされた形状となっている(鋳造の場合は、プラモデルのように同形のパーツをくっつけているのではなく内外一体で作られているのかもしれないが)。

タミヤの旧キットのパーツでも、トランぺッターのパーツでも、このホイールの裏面は真っ平ら、つまり断面でみると (ホイール全体で言えば ][ )という形状になっているのだが、実物の写真を見ているうち、「これ、底は平らじゃなくて、中央に向けてちょっと窪んでるんじゃない?」という疑問がわいてきた。これは、同じく平らだと思っていた後期型の全鋼製上部転輪が、実は中心に向けて窪んでいた(タミヤの新KV-1のキットではそうなっている) のが判ってびっくりした、というのも少し手伝っている。

6方向に延びているメインのリブは外側に向けて背が低くなっていて、それもあって「なんとなくそう見えるだけ」という可能性もあるので、上写真をもとに、リブの根本に線を引いてみた。

Kvwheel01

ホイールディスクの底面が真っ平ら(同一平面)だった場合には、正反対の位置にあるリブの根元のラインは一直線になるはず。しかし、写真のように2組のリブ(黄色およびオレンジ)で引いてみた線はどれも若干の角度のズレがある。

これは、やっぱり窪んでたんだ!!――と断定しかけたのだが、改めて考えてみると、このリブは(前述のように)中央で高く、外側で低いので、根元部分の厚みも中央に向けて増しているかもしれない。その場合は、向かい合わせのリブの根元のラインは一直線にならなくても不思議はないことになる(そもそも入隅がビシッと角になっているわけではなく、やや曖昧なところに適当に線を引いているので、線の引き方自体が正確かという問題もある)。

転輪を真横方向(転輪軸に対して直交方向)から撮った写真があるとかでなければ、実物を見てみないことにはよく判らない話なので、現時点では答は出しようがなく、モヤモヤ状態。こんな時(だけ)の神頼み的に、かさぱのす氏に「どう?パロラでじ~っくり写真撮ってない?」と問い合わせてみたが、「知らんわそんなもん(大意)」というお返事であった。

そういえば、どこかの資料にこのタイプの転輪の断面図とか出てないかしらね。

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KV-2「ドレッドノート」(3)

20220213_220809 ●相変わらずのKV三昧。

1940年型・第371砲塔搭載型のフェンダーをL字材溶接タイプに変更した一方で、ついでにもう一つ作りかけのKV-2初期型のフェンダーをいじる。こちらは幅詰め工作が未成(キットの縁を切り取っただけ)だったので、改めてリベット付きの縁を工作する。

なお、「どうせリベット付きのフェンダーを作るなら、1940年型のほうの(工作済みの)フェンダーをこっちに使って、改めて作る方を溶接タイプにすれば手間がひとつ減るのでは」というのは、前回記事の工作前にも思ったのだが、1940年型のほうのフェンダーはすでに車体に接着済みだったこと、さらに右フェンダーはダメージ工作をしてあったことなどから断念した。

●というわけで、改めてリベット付きの縁を作る。

幅詰めは、もともとのL字材部分のモールドを切り離して、断面をちょっとヤスってやると、だいたい求める幅になる(適当)。ここまではすでに作業してあったので、フェンダー支持架のベース部分を、一番外側のボルト頭のモールド(本当はナット)ギリギリあたりまで削って、L字材の水平部分を取り付けるスペースを稼ぐ。

リベット付きのL字材水平部分は、タミヤの2mm厚プラペーパーの細切りに、ちょっと先端を鈍らせた針でつついて表現した。以前に作ったときは、もっと薄いプラペーパー/もっと細い針の組み合わせだったが、今回は若干改良。リベットも以前よりやや目立つ感じに出来た。

縁を工作したら、フェンダー支持架のボルト頭のモールド(しつこいようだが本当はナット)も、一番内側だけは残して、後は少しずつ内側にずらすように移植する。

20220206_120658 20220206_195945

左写真はこの段階まで工作したもの。L字材の縦に立ち上がった部分はまだ付けていない。

なお、リベット止めタイプのフェンダーの場合、前部フェンダー内側にも本来はリベットがあるのではないだろうか……ということで追加した(右写真の左側)。なお、位置等は(リベットタイプが復活した)1941年型の、アバディーンに展示されていた車輛のwalkaroundを参照したが、初期型のKV(KV-2およびKV-1の1940年型前期型まで)でも本当にこの部分にリベットがあったかどうかは、当時の写真ではきちんと確認できていない。

また、最前部フェンダー支持架部分は、パーツの取付穴が後々ちょっと目立つので(というのが1940年型で作業して分かった。KV-2量産型を作ったときにはそもそも気にもしていなかった模様)、この段階で埋めておいた。

●フェンダーのパーツに合わせて、その上に載る工具箱も幅広なので、こちらも幅詰め工作が必要になる。

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トラペのKVでは、工具箱は初期型(H1)・後期型(D20)の2種がパーツ化されている。左写真、箱横に被るナナメのベロがなく、正面に取っ手もないのが初期型(左)、あるのが後期型(右)。

キットによっては両方のパーツが入っていて(例えばKV-2後期型)「どっちを使ってもいいヨー」みたいな扱いになっていたりするのだが、前にも書いたように、この工具箱は生産時期によってどちらが使われたか、はっきり決まっている(KV-2後期型なら後期型の工具箱)。また搭載位置も、初期型は右1・左2であるのに対し、後期型は右2・左1が標準。トラペのKV-2後期型の説明書ではどちらも右1・左2で付けるよう間違えて指示されているので注意。

1940年型のほうはすでに工作済みだったので、今回はKV-2初期型用の初期タイプの工具箱3つのみ工作。奥側の上面が水平になった部分でエッチングソーを使って切断。フェンダーに合うよう、こちらも幅詰めを行う。右写真がbefore(左)/After(右)。

KV-2ディテールチェック記事にも書いたが、KV-2初期型の主砲身は、主量産型と形状に差がある。

顕著な違いは砲口部分の“たが”状の段差がないということだが、キットには主量産型と同じ砲身パーツしか入っていないうえ、「そもそもトラペのKV-2砲身は短い」という難点も抱えている。

(なお、アフターパーツの金属挽き物砲身で出ているのは、当然、主量産型用のものが主なのだが、実はこの初期型砲身もMagic Modelsというメーカーから出ている、というのを後から知った)

幸いなことにKV-2の砲身はテーパーが掛かっておらず、waveのプラパイプの6.5mm径のものが、ほぼピッタリなことが判ったので、これを使うことにする。ただし、waveの肉厚パイプでも内側の穴の径は4.7mm。152mm砲(正確には152.4mmらしい)のスケール寸法は約4.34mmなので、ちょっと狭めてやる必要がある。

そもそも口径がデカくて目立つので、できればライフリングも入れてやりたい。細い伸ばしランナーでも並べて貼るか? いや、さすがに作業として現実的ではないか? などとあれこれ考えているうち、ふと思いつきで、「エッチングソーでプラバンに平行の筋をケガいてみたらどうだろう」と考える。

というわけで、早速0.3mmプラバンを相手に試してみたのが下写真左。

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本来ならば、エッチングソーがブレないようにきちんと当て木でもして作業すべきだが、一応、片側に定規(金尺)を当てただけで適当に作業する。ある程度何度かケガくと、今度はケガいた溝自体がガイドになって、(1cm足らずの短い距離であることも手伝って)比較的ブレずに作業できることが判った。

そうしてケガいたプラバンを丸めて、実際にプラパイプの砲身に接着してみたのが右写真。

もうちょっと深くケガくべきだったかなあ。というわけで、ライフリングの形状や条数はまったくいい加減だが(そもそも本来は畝と溝がそれぞれ同じくらいの幅なのではないだろうか)、一応、実車と同じ向きにらせん状にヒネリは加えてある。市販の金属挽き物砲身だと、単純にまっすぐギザが刻んであったりする。

なお、主量産型の砲身は、二層になった外側のスリーブが3分割されていて途中に分割線が(写真によっては)うっすらと見えるのだが、この初期型砲身の場合はどうなっているのか、よくわからない。前記のMagic Modelsの砲身パーツは商品名が「152 mm M-10T howitzer monoblock barrel. KV-2 (early)」となっていて、どうやら分割無しのワンピース構造であるという解釈らしい。とりあえずはそれに倣って、分割線無しの解釈で作業を進める予定。

ちなみに、waveのプラパイプは5本セット。1本からKV-2の砲身が4本とれるので、あと19輌、KV-2(初期型)砲身が作れる。……それ以外に使い道が思いつかないプラパイプ。どうしてくれよう。

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KV-1 1940年型装甲強化砲塔 (4)

●KV-1 1940年型・後期仕様(第371製・装甲強化「角砲塔」搭載型)製作記の続き。それにしても、毎回、仕様の呼び方が定まっていないのは我ながら如何なものか。

●砲塔の工作は前回までで一通り終わったので、車体の工作に入る。

実際のところ、車体はトランペッター・ベースで、ラジエーターグリルのメッシュ・カバー部を除いて一通り工作終了していたのだが、砲塔を新調したのに合わせて、その後の知見・考証を加味して若干の修正や追加工作を行うことにする。

一番のポイントはフェンダー。もともとトランぺッターのKVシリーズのフェンダーは、初期型(~1940年型)では幅が広すぎる(なぜか後期型では正しい)という欠点を抱えていて、これについては以前に幅詰め工作終了済みだった。

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上写真は何年か前に工作した際のものだが、もともとのパーツの外側縁部分を切り落とし、その内側に新たに縁を作り直している。この際に、外縁のL字材を止める小リベットを、プラペーパーの裏から針でつつくという方法で再現している。

……が、これに関して新たな疑問が発生。

発端はタミヤの新KV-1の発売なのだが、タミヤのキットのフェンダーには、内側・外側の小リベット列が存在していなかった。改めて写真をひっくり返して検証してみたところ、どうも時期によっては、フェンダー内側(裏側)・外側のL字材はリベットではなく、溶接で止められているタイプがあるらしいことが判明。

Kvfender

とりあえず、KVのフェンダーを断面図にすると上のような感じになる。単純な平板の本体に、外側には上、車体側には下に補強のL字材が付けられている。ここがリベット止めの場合は、赤の矢印で示した部分にリベット列があり、溶接止めの場合には接合部に沿って破線状に溶接跡がある。ちなみに真ん中下のもう一本のL字材はフェンダーステイのボルトで固定されていて、フェンダー本体は単純にこれの上に載っているだけなので、フェンダー表側には何も影響を及ぼさない。

以上のことについては、セータ☆さんの検証記事が詳しい(リンクは(1)に張ったが、記事は(5)まである)。

→ GIZMOLOGIC CAFE KV重戦車のフェンダーについて(1)

なにしろ現存車輛ではオリジナル状態で残っていることが少なく、戦時中の写真ではなかなかはっきりと確認できる例が少ないのが悩ましいが、どうも、レニングラード・キーロフ工場における1941年初夏のエクラナミあたりから溶接タイプが使われ始め、チェリャビンスク疎開後は再びリベットタイプに戻ったという変遷のようで、この「371工場製砲塔搭載型」は、まさに溶接タイプどまんなか、ということになる(もちろん、絶対にそうなっている!と言い切れるほどの材料があるわけではないが)。

そんなわけで、せっかく縁の再生も終わっていたフェンダーだが、改めて溶接タイプに作り替えることにする。

●ここで選択肢。すでにリベット付きで幅詰め工作をしてあるトラペのフェンダーを作り直すか、それとももともと溶接タイプの表現になっているタミヤのフェンダーに交換してしまうか。

ただし、両社のフェンダーに関しては、先日、「ハラT」青木伸也氏に、

「ヘイ! タミヤとトラペとで、フェンダーの支持架の間隔が違うZE! ちぇけら!」(大意)

みたいなコメントを貰っていて、これまたいささか悩ましい。

とりあえずタミヤとトラペのフェンダーを並べて比較してみる。

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上からタミヤ、トラペ(初期型)、トラペ(後期型)。前述のように、トラペ初期型だけやや幅が広く、タミヤとトラペ後期型はほぼピッタリ同幅。

ぱっと見には「まあ、似たような感じ」ではあるものの、詳細にみると、確かに青木氏の言うように、フェンダーステイの位置に若干のズレがある。便宜的に、車体最前部のクランク形のステイを0番、車体横の三角ステイを1~5番とし、ステイに区切られた区画をI~Vとして説明すると、

  • フェンダーの全長はタミヤが約1mm長い。
  • 車体横のステイ1番~5番間の距離は、タミヤ・トラペでおおよそ同じ。
  • 1番、5番で位置合わせをすると、タミヤは3番ステイでやや前方、4番ステイでやや後方にずれている。
  • 三角ステイで区切られた区画(II~V)は、トランペッターはほぼ全部同じ長さで34mm。タミヤは、II:34mm、III:33mm、IV:36mm、V:33.5mmと、若干不均等(ここで示した寸法はおおよそ0.5mm刻みのアバウトなもので、0.2~0.3mm程度の出入りあり)。

結局のところ、どっちが正しいの?というのが気になるわけだが、これについては差異が微妙過ぎて写真等では判別できず、誰かが(レストアの結果フェンダーステイの位置などが変わっていない)現存車輛で測ってくれない限り、答えは出そうにない。ちなみに、青木氏のコメントへの返事で「実車写真を見ると、4区画目のボックス前方は三角ステイとの間隔がちょっと空いているので、不均等のほうが正しいかも」と書いたのは、結局「たまたま見た写真でそんな感じがしただけ」だった模様。いい加減なもんだなあ。

ステイ間の絶対値ではなく、車体ディテールとの位置関係でチェックできないかとも思ったのだが、よく比べてみると、タミヤとトランぺッターでは車体上面ディテールにも若干の前後のズレがあって、どちらも、自社の車体と合わせた時には特に不自然はないようだ。個人的には、何も考えずにキットを設計したら等間隔にしてしまいそうで、タミヤのキットでわざわざ区画ごとにわずかに差があるのは実車の採寸でそうだったからではないか――というような気もするのだが、これまた単に想像に過ぎない。

結局のところ、どちらが正しいかの判断は(今のところ)付かず、であるならば「使い易い方を使う」以外の基準も持ちようがないので、元のトラペのパーツを再改修して使うことにした(タミヤのフェンダーを流用する場合、車体側にモールドされたステイのベロの移植が面倒になるので。

騒いだ割に、実のある答は何もなし。

●結局、もともと工作してあったトラペのフェンダーの外縁は一度削り落とし、リベット無し状態のL字材表現を再工作。フェンダー面に接する部分は0.2mmプラペーパー、縁の立ち上がり部分は0.3mmプラバンを使用した。

また、車体に接する側のリベット列のモールドもすべて削り落とした。

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とりあえず上記の工作が終わった状態が上写真。ちなみにKVのフェンダーは、三角ステイのベロが両側に付いている場所(先の説明写真でいえば2番ステイと4番ステイ)を境にして3分割されており、作例では右フェンダーの前1/3は破損・脱落した状態として工作している。

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KV-1 1940年型装甲強化砲塔 (3)

●KV-1 1940年型の後期仕様である装甲強化・角形砲塔の作り直しの続き。

やり残しのメインである砲塔前面・砲周りの工作も終え、ディテールの残りも付加して、ほぼ工作を完了した。

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●砲塔前面には、ブロック状の増加装甲を付けた。

このバッスル下が角形になった、第371工場製とされる装甲強化砲塔が搭載されたタイプは、(便宜的な径式名称では1940年型だが)1941年の8月から10月にかけてレニングラード・キーロフ工場で生産されたものだが(サイト「重戦車KV-1(Тяжелые танки КВ-1)」による)、ブロック状の増加装甲はそのまた一部にみられる。

この「ブロック付き」は、以前に書いた「KV maniacsメモ(砲塔編その1)」では、やはり上記サイトを出典として「特に1941年の8月から9月初めの生産分に見られるもの」と書いたのだが、今改めて(Google翻訳を通して)読み返しても、どこに書いてあったのかわからなくなってしまった。……あれえ?

В августе - сентябре 1941 года броневая планка наваривалась также перед люком в отделении управления, однако на машинах более позднего выпуска от нее отказались.

1941年8月から9月にかけて、装甲板も制御室のハッチの前に溶接されましたが、後の生産車両では廃止されました。(google翻訳による)

という一文は見つけたが、これは車体ハッチ前の防弾リブのことを言っているような気がする。

もっとも、この仕様の車輌で使われている、ボルト12本タイプの起動輪ハブカバーは、やはり1941年晩夏~初秋の生産車の特徴であるらしいので、生産時期はさほど外れてはいないと思う。

このブロック装甲が、砲塔生産工場である第371工場で最初から付けられていたのか、最終組立工場であるレニングラード・キーロフ工場で追加されたのか、あるいは生産後にどこかでまとめて改修されたのかはよく判らないが、いずれにしても、同一仕様が複数確認できるので、ある程度まとまった数が作られたのは間違いない。

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ブロック装甲は、トラペ・ベースで一度作った砲塔から移植しようと思ったのだが、がっちり接着されていて剥がれなかったので、もう一度作り直した(TFマンリーコさんより伝授された「エナメルシンナー剥がし」は便利で、今回も部品の移植に多用したが、やはり万能ではない。場合によっては部品自体がもろくなって割れるので、注意が必要)。厚みは目分量で1mmプラバンの2枚重ねの2mm。実車寸法だと70mm装甲ということになるが、本当に70mmだったかどうかは不明。

砲塔前面の砲耳カバー左右の面積には差があるので、このブロック装甲も左右で形状が異なる。写真を見ての印象通りに作るのは意外に難しい。また、タミヤの砲塔前面パーツは、どういうわけか、砲耳カバー位置決め用に溶接されたリブが左右で厚みが違う。タミヤが取材対象にしたのではと思われるモスクワ中央軍事博物館の現存車輛では、たとえば右側はこんな感じで、左側はこんな感じ。う~ん。同じような、違うような。もしかしたら、片方をちょっと高くしておくことで、砲装着時に横からずらして引っ掛け、位置決めをしやすくした――なんてことも、ありそうな気がする。

まあ、これ自体はパッと見て違和感もないのでよいが、ブロック装甲を取り付けようとすると、左側リブの溶接で形成された斜面(右写真の黄色矢印部分)がエッジに接するまであるために、そのままではブロック装甲の上部と砲塔のエッジとの間にスキマが出来てしまう。そこで、ブロック装甲接着前に、この斜面部分は僅かに削り込んだ。

●防盾上部カバーを工作。

タミヤがキット化している1941年型(ZIS-5搭載)は、1940年型(F-32搭載)に比べて防盾が厚くなっているため、防盾上部カバーも大型化しており、タミヤのパーツをそのまま流用はできない。例によってトランぺッター(右写真)からもぎ取って来て使おうとも思ったが、実車写真を見ると、どうも微妙にディテールに差がある。

最初はタミヤのパーツを切り刻んで小型化して使おうと思ってあれこれいじり回していたのだが、いまひとつ綺麗にフィットせず、結局0.3mmプラバンで新調した。

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トランぺッターのキットでは、全体的に、このカバーは後方・左右の折り返しを直接砲塔前面・砲耳カバーにリベットもしくはボルトで止めている表現になっている。しかし実際には、後方・左右ともに、取付用のベースを一度砲塔・砲耳カバーに溶接して、そこに折り返しを止めている。特に後方(砲塔前面側)は、トランペッターでは砲塔前面にペッタリ付く感じになっているが、実際には、エッジ部分に斜めに付いている(カバーが大型化した1941年型では、前面装甲板の小口部分にかぶさるようになる)。

このディテールについては当時の記録写真でもある程度確認できるものの、いまひとつ細部を詰め切れずにモヤモヤしていたのだが(こんな薄い鉄板製の部分は現存車輛では保存されていないとも思っていたのだが)、なんと、パロラのエクラナミで、おそらくオリジナルの状態のまま残っていた。たとえばDISHMODELSのアーカイブのコレとかコレで確認できる。素晴らしきかな。

そんなわけで、カバー後方は取付部が斜めになった状態を再現(左写真①)。このベロ部分のみは、タミヤのカバー部の後縁を切り取って流用した。左右は取付用のベースの上に、カバー本体のベロは小さなものが3つ(左写真②)。また、カバー本体の前縁は、改めて帯金を溶接して延長したようになっている(左写真③)。これはいかにも補修や小改造の痕跡のように見えるが、パロラのエクラナミだけでなく、当時の記録写真でも確認できるので(例えば「グランドパワー」1997/10、p33上写真)、これが標準の仕様であるらしい。

薄い0.3mmプラバンで新調した結果、防盾と干渉せずに済み、無理なく砲の仰俯も行えることになった。

今後発売されることがほぼ確実なタミヤのエクラナミではどうなっているかな……。

●砲塔後面の機銃マウントの追加工作。

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トランぺッターの砲塔から、接着済みの防盾をもぎ取って来て移植した(タミヤのパーツは砲塔枝以外のところにあるため)。これまたベースにがっちり接着してあって、「エナメルシンナー剥がし」をしようとしたらベースごと取れてしまった。一瞬、「それじゃあベースごとトラペにするか」とも思ったのだが、ベース形状はタミヤの方が良い感じだったので、さらに無理矢理防盾を分離。その際、真っ二つに割れそうになったのだが、なんとか補修した。

防盾下には、エンジンルーム上面誤射防止用(?)のガードが付く。これはトラペの砲塔で追加してあった金属片を移植。この砲塔では、ガードは金属板を曲げた形状だが、エクラナミあたりではもっとがっちりした突起が付いていたりする。

●ほか、手すりを付けたり(トラペのパーツを使用)、側方ペリスコープ下の跳弾リブに溶接跡を入れたり。

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KV-1 1940年型装甲強化砲塔 (2)

20220126_002131 ●「KV-1 1940年型の装甲強化砲塔搭載仕様」の、砲塔工作のやり直し。

前回砲塔基本形を作ったが、ある程度ディテール付加工作が進んだので進捗報告を書いておきたい。

●前回以降進んだのは、おおよそ以下の点。

  • 砲塔後面に埋め込みボルト跡を追加。
  • 尾部機銃マウントの基部を取り付け。
  • 各部に溶接線を追加。
  • ピストルポートの装甲栓を取り付け。
  • 主砲基部を工作。
  • 側方ペリスコープ下を削り込み。
  • 砲塔上面ペリスコープカバー、ツノ形ペリスコープを取り付け。

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●砲塔後面の埋め込みボルト跡は、KV-2初期型の車体前端アングル材工作と同様に、「接着剤を垂らしてドリルのお尻でグリグリ」方式で再現。プラバンが白なので、ちょっと仕上がりが確認しづらく、最終的に塗装してみないとどんな具合かわからない。適当過ぎる……。

機銃マウント基部はタミヤのパーツを使用。なお、この基部パーツは、今回の改造用に入手したタミヤの砲塔パーツ枝(E&Qパーツ)に入っているのだが、防盾パーツは入っていない(車体機銃マウントのものと同形のため足回り枝に入っている)。今後、トラペのパーツを移植予定。

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ちなみに上面ペリスコープカバーも足回り枝に入ってるので不足しているため、以前に作ったトラペ改造の砲塔から(エナメルシンナーで接着部分を弱めたうえで)もぎ取って来て移植した。後部ペリスコープは、(前回書いたように)周囲の縁の角がちょうど天井板の後縁に接するくらいの位置関係。そのため、カバーの「ひさし」部分は砲塔後縁から若干飛び出すくらいの感じになるのが、バッスル短縮タイプの溶接砲塔数種の特徴となっている。

●上の写真にも写っているが、砲塔前後面と側面装甲板の間の溶接ラインは二重線になっているのが、KVの溶接型砲塔の特徴(ただし作例は2二重線の間隔がやや大げさだったかも)。再現はいつも通り伸ばしランナーの接着剤溶かし。

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ピストルポートの装甲栓とツノ形ペリスコープは、これまたタミヤのパーツは砲塔枝に入ってない。ツノ形ペリスコープはやはりトラペからもぎ取って移植。ピストルポートの装甲栓はPaasion Modelsのタミヤ新KV-1用エッチングセットに入っている真鍮挽き物を使った。この挽き物は頭がペッタンコでタミヤのキットのプラパーツより再現度が低く、存在意義が問われる謎パーツだが、ヤスリで若干緩やかに丸めて使用した。

上面のペリスコープカバーは、タミヤのものとわずかにアウトラインが違うようで、特にこの側方のものはちょうどいい位置に付けようとすると、上面の取付指示用にうっすら窪んでいる輪郭がはみ出して見えてしまう。そのため、取付前に埋める余計な手間が必要だった。

側方ペリスコープ下の削り込みは、装甲増厚に対応したもの。

●砲耳カバー部はタミヤのパーツを使用したが、トラペの1940年型(76.2mmF-32砲装備)防盾に比べてほんの心持ち間隔が狭かったので、内側で一度切り離してプラバンを挟んでやや幅を増し、一方で防盾側も少しヤスって調整した。ちなみにタミヤの旧KV-1Bの同型の防盾は、逆にこの砲耳カバー部の間隔よりも幅が狭い。

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内側の砲基部は、トラペの防盾がうまく付くように切り詰め、一応、上下動できるようにしてあるが、今後、防盾上のカバーの工作次第では接着固定が必要になるかも。

●前回は写真を載せなかったバッスル下の工作はこのような感じ。バッスル下の入隅に付く波状の補強材にも溶接跡を足した(どうせほとんど見えないので工作が荒っぽい)。角形に修正した部分には(面倒くさいので)特に底板などは付けていない。

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トラペの車体の砲塔穴にガタツキなくはまるよう、砲塔リング部にもプラバンを足したりして辻褄合わせ工作をしている。

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KV-1 1940年型装甲強化砲塔

20220110_150316 ●すっかりKVづいて、KV-2初期型以前に、ほぼ半完状態まで持っていってあった1940年型後期型(装甲強化砲塔搭載)も再びいじり始めてしまった。

キットとしては、トランペッターのキット番号00357、「40年型エクラナミ(Russia KV-1's Ehkranami)」なのだが、ボルト止めの増加装甲は付けず、砲塔はバッスル下が直線的に処理された装甲強化型砲塔に改造(以前のKV-1砲塔メモでは「短縮型・装甲強化溶接砲塔(90mm、バッスル下角型)(タイプ5)」としたもの)。車体もそれに合わせて細部をいじり、エクラナミよりも後、41年秋頃の生産車としている。おおよそ、レニングラードにおける疎開前の最終生産仕様、くらいの感じ。

当「かばぶ」にこれの製作記事は載っていないから、作り始めたのは「かばぶ」を始める前、つまり今から10年以上前のことであるらしい。もっともその時にここまで進んでいたわけではなく、以降も記事にはしないまでもちまちまいじっていて、Googleフォトをひっくり返して見たら、フェンダーの工作は2018年にやっていた。

あとはラジエーターグリルのメッシュカバーと履帯くらい、というところまで進んでいたのだが、そんなところでタミヤの新KV-1が発売されて、「実は溶接砲塔は非対称でした~」なんてことが発覚(以前にも書いたように、知っている人はとうに知っていることだったわけだが)。

それでもこれはこれで、もうそのまま作っちゃおう、それなりに砲塔も手を入れたし、などと思っていたのだが――もうしばらく前の話になるが、YSのパーツばら売りコーナーでタミヤの新KVの砲塔パーツ枝を見つけて、ついふらふらとゲットしてしまったのだった。

●というわけで、「さっさと作らないからこういうことになるんだよ馬鹿だねえ」の典型例というか、あるいは「ぐずぐずしていたおかげでより正確な砲塔に変更できた」と考えるべきか。とにかく、買い置きのタミヤ砲塔パーツを取り出し、改めて「短縮型・装甲強化溶接砲塔」を作ることにした。

このタイプの砲塔は、いまのところ、1:35のインジェクション・キットでは存在しないはず。おおよそデザイン的には同一ながら、より後期(1942年型)で、さらに装甲が増している(105mm?)の溶接砲塔に関しては、トランペッターとイースタン・エクスプレスから出ている(トランペッターは「Russia KV-1 model 1942 Simplified Turret Tank(キット番号00358)」、イースタン・エクスプレスは「KV-1 mod. 1941 late Version(キット番号35119)」)。ただし、この後期型砲塔は各装甲板が組み接ぎになっているうえ、装甲板それ自体が(増厚の結果)かなりごついので、改造ベースとしては標準型砲塔からの方が楽(と、個人的には思っている)。

まず、以前に作ったトランペッター・ベースの砲塔はこちら。

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これもそれなりに頑張って改造したのだが、トランペッターのパーツがベースなので基本形状の左右非対称は再現されていない。今回はタミヤの新KV-1のパーツを使い、同様の改修を行うことになる。せっかく作り直すので、製作の基本方針として、左右非対称だけでなく、その他のディテールについても少々「前回以上」を心がけることにする。

タミヤの砲塔パーツは基本、装甲板ごとに開いた構成になっている。とりあえずは、側面装甲後下方をプラバンで延長する。

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これと併せて、バッスルの短縮を行う。現存のこのタイプの砲塔の写真から、上面後方ペリスコープのカバーの縁角ギリギリくらいまで切り詰める。タミヤのパーツは部品取付位置がうっすら窪んでモールドされているので、これが切り詰める際のガイドになる(この取付位置指示モールド自体は、仮に取付位置を移動させたり、付けなかったりする場合に余計な手間を生むので、個人的にはあまり好ましくないと思っているが)。切り詰める寸法はおおよそ3mm。側面や底面も同じだけ切り詰める。

もともとのKVの溶接砲塔は装甲厚が75mm、この強化型砲塔では90mmになっているとされている。厚み差は1:35だと約0.43mmある。前回トラペの砲塔を改造した時にはバッスル下の角型への改修とバッスル長の切り詰めだけを行ったが、今回は装甲の増厚分も表現する&後下方の継ぎ足し部分の境目処理を省略するという2つの理由から、表面に0.3mmプラバンを貼り増した。

これによってタミヤの砲塔パーツの特徴である圧延鋼板表面の荒れ表現は消えてしまうが、これについては個人的に「まあ、あったらあったでいいけど、なくても別にいいや」的スタンスなので気にしない(砲塔にだけあるのって変な気がするし、そもそも新品のKVの表面はもっと「つるん」としているっぽいし)。貼り増し後、ピストルポート穴と視察スリットは、元のモールドに合わせて開け直した。

なお、(タミヤがパーツ化している)標準型の砲塔では砲塔上面にも埋め込みボルト跡があるが、この装甲強化型砲塔では、上面の埋め込みボルトは廃止されているらしい。当初は上面はプラバンで作り直し、モールドは元パーツから移植する方向で考えていたのだが(こういう時に圧延荒れ表現が邪魔になる)、割とすんなりと埋め込みボルト跡が消せたので、キットの天井パーツをそのまま使うことにした。

その際に、このタイプの砲塔の現存車輛の写真では、割と側面装甲との間の段差が目立つ感じがしたので、天井板裏側の縁に0.3mmプラバン片でゲタを履かせた。前回のトラペ改造砲塔では、上面板は周囲と一体だったので、「もうちょっと段差あったほうがよかったなあ」などと思いつつそのままにした部分。

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砲塔後面はバッスルの切り詰めに合わせてやや幅が足りなくなるのでプラバンで新造(トラペの時はなんとか誤魔化して、切り離した元の後面を使ったが)。砲塔前面はタミヤのパーツのまま。装甲増厚のことを考えると、ここも0.3mm板でゲタを履かせるなりした方がよかったのではとも思うが、実車写真で見る限り、(階段状に組んでいる)前面装甲横の小口部分は厚みが増しているように見えなかったので、そのままとした。

右写真はタミヤの素組み砲塔との比較。ペリスコープと後縁との位置関係で、バッスルが短くなっているのが確認できると思う。

そんなこんなで、砲塔基本形は完成。

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このあと、各部ディテールを工作するとともに、砲やペリスコープなどを取り付けていく予定。

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KV-2「ドレッドノート」(2)

20220107_160532 ●タミヤのKV-2発売に向けてチェックポイントのまとめ記事を書いていたら、俄然KV-2がいじりたくなってしまい、トランペッターのKV-2初期型(キット番号00311、「Russian KV "Big" Turret」を引っ張り出してきた。

特に一直線に完成を目指すわけでもなく、つまみ食い的にいじり始めたのはもう10年以上前。過去の製作記事2本は以下。

今後、KV-2の主量産型を(それなりにこだわって)作る場合、タミヤをベースにするか、トランペッターをベースにするかは若干迷うところだが、少なくとも初期型を作るなら(砲塔だけでなく車体もだいぶ違うので)、現時点ではこのキット一択となる(実際にはイースタンからも出ているが、どうやらあまりお勧めできる出来ではない)。

●今回の(現時点での)微々たる進捗、その1。

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車体前端の装甲板接合補助のアングル材は、7角砲塔(MT-1砲塔)の初期型では、埋め込みボルトが17本。キットは主量産型のMT-2砲塔になって以降の11本のモールド表現なので、一度削り取って、ドリルのお尻を使って(接着剤で溶かして)ボルト溶接跡をスタンプ。「17個」という数は、まず両端の位置を決めたら、後は最後まで2分割で位置を決めていけるのでちょっと楽。ついでに、牽引具基部にも同様の埋め込みボルト跡を付ける。

微々たる進捗、その2。

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砲塔上のツノ形ペリスコープカバーのてっぺんに穴を開ける。MT-2砲塔のKV-2でも40年型後期型でも同じ工作をしたが、今回は、裾部の3方向に開いているさらに小さい穴も開けた(ペリスコープ開口部の真下の1カ所が見える)。……塗装したら埋まってしまいそう。てっぺんの穴が0.6mmドリル、裾部は0.3mmドリル(最初0.2mmで開けたら小さすぎてほとんどわからなかった)。

微々たる進捗、その3。

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ラジエーターグリルのメッシュカバーをAberのエッチングに替えるのに備えて、プラパーツ取付用の穴を埋めた。写真は伸ばしランナーを挿した段階だが、このあと削り取った。

また、前記2記事で触れていないので、それ以降のいつかの時点で作業したのだと思うが、エンジンパネル前端の忘れられたボルトの追加(左写真・黄色矢印)、エンジンパネル後端の不要な吊り下げリングの取付穴埋め(同・黄緑矢印)はすでにやってあった(ともにトラペのKVではお約束の作業)。

ちなみにキットのH枝には、説明書のパーツ図にも載っていない不要部品扱いで尖頭ボルト頭が8個ほど入っているのだが(右写真)、残念ながらキットのエンジンデッキのボルトのモールドよりやや大きいので、そのままでは使いづらい。

なお、同じくお約束作業であるフェンダーの幅詰め(初期型KVのみ)は作業途中で、切り詰めただけでフチは未再生で箱に入っていた。

●若干の考証。

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砲塔前面右側の「小・大」の2連の穴は、この初期型KV-2の写真としては最も有名かつクリアな「沼落ち」車輌でもこの状態なので、なんとなく「こういうもの」でスルーしていたのだが、実際には右写真にある砲塔後面のピストルポートおよび照準穴と同じもので、装甲栓で塞がっているのが正規状態であるらしい。

同じ車輌のより初期の時点の撮影と思われる写真では、やや不鮮明だが装甲栓が垂れ下がっている様子が写っている。サイト「Тяжелые танки КВ-1(重戦車KV-1)」のこのページ、「1b. Шета」の一連の写真を参照のこと。

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