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KV-2「ドレッドノート」(2)

20220107_160532 ●タミヤのKV-2発売に向けてチェックポイントのまとめ記事を書いていたら、俄然KV-2がいじりたくなってしまい、トランペッターのKV-2初期型(キット番号00311、「Russian KV "Big" Turret」を引っ張り出してきた。

特に一直線に完成を目指すわけでもなく、つまみ食い的にいじり始めたのはもう10年以上前。過去の製作記事2本は以下。

今後、KV-2の主量産型を(それなりにこだわって)作る場合、タミヤをベースにするか、トランペッターをベースにするかは若干迷うところだが、少なくとも初期型を作るなら(砲塔だけでなく車体もだいぶ違うので)、現時点ではこのキット一択となる(実際にはイースタンからも出ているが、どうやらあまりお勧めできる出来ではない)。

●今回の(現時点での)微々たる進捗、その1。

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車体前端の装甲板接合補助のアングル材は、7角砲塔(MT-1砲塔)の初期型では、埋め込みボルトが17本。キットは主量産型のMT-2砲塔になって以降の11本のモールド表現なので、一度削り取って、ドリルのお尻を使って(接着剤で溶かして)ボルト溶接跡をスタンプ。「17個」という数は、まず両端の位置を決めたら、後は最後まで2分割で位置を決めていけるのでちょっと楽。ついでに、牽引具基部にも同様の埋め込みボルト跡を付ける。

微々たる進捗、その2。

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砲塔上のツノ形ペリスコープカバーのてっぺんに穴を開ける。MT-2砲塔のKV-2でも40年型後期型でも同じ工作をしたが、今回は、裾部の3方向に開いているさらに小さい穴も開けた(ペリスコープ開口部の真下の1カ所が見える)。……塗装したら埋まってしまいそう。てっぺんの穴が0.6mmドリル、裾部は0.3mmドリル(最初0.2mmで開けたら小さすぎてほとんどわからなかった)。

微々たる進捗、その3。

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ラジエーターグリルのメッシュカバーをAberのエッチングに替えるのに備えて、プラパーツ取付用の穴を埋めた。写真は伸ばしランナーを挿した段階だが、このあと削り取った。

また、前記2記事で触れていないので、それ以降のいつかの時点で作業したのだと思うが、エンジンパネル前端の忘れられたボルトの追加(左写真・黄色矢印)、エンジンパネル後端の不要な吊り下げリングの取付穴埋め(同・黄緑矢印)はすでにやってあった(ともにトラペのKVではお約束の作業)。

ちなみにキットのH枝には、説明書のパーツ図にも載っていない不要部品扱いで尖頭ボルト頭が8個ほど入っているのだが(右写真)、残念ながらキットのエンジンデッキのボルトのモールドよりやや大きいので、そのままでは使いづらい。

なお、同じくお約束作業であるフェンダーの幅詰め(初期型KVのみ)は作業途中で、切り詰めただけでフチは未再生で箱に入っていた。

●若干の考証。

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砲塔前面右側の「小・大」の2連の穴は、この初期型KV-2の写真としては最も有名かつクリアな「沼落ち」車輌でもこの状態なので、なんとなく「こういうもの」でスルーしていたのだが、実際には右写真にある砲塔後面のピストルポートおよび照準穴と同じもので、装甲栓で塞がっているのが正規状態であるらしい。

同じ車輌のより初期の時点の撮影と思われる写真では、やや不鮮明だが装甲栓が垂れ下がっている様子が写っている。サイト「Тяжелые танки КВ-1(重戦車KV-1)」のこのページ、「1b. Шета」の一連の写真を参照のこと。

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KV maniacsメモ ― KV-2のおさらい(2)

●タミヤのKV-2発売前の、KV-2の仕様とディテールのおさらい。

第2回目は具体的に場所(ポイント)ベースで、いわば「ゆびさしかくにん」的イメージで。

ココログの仕様上、写真をクリックするとページ自体が切り替わってしまうので、写真を見る際には右クリックで「(リンクを)新しいウィンドウで開く」にすると、写真を参照しつつ本文を読めると思います。

砲塔

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1.駐退機カバー側面に、ボルトアクセス用の溝がある(左2カ所、右1カ所)のが、MT-2砲塔後期型(1941年5~6月生産車)の大きな特徴。ただし写真のコントラストによっては判別しづらいことがある。MT-2砲塔前期型(1940年11~12月生産車)では溝がなく、おそらく駐退機カバーそのものがやや狭い。

2.砲口部分に「たが」状に段があるのはMT-2砲塔に搭載された主砲の特徴で、MT-1砲塔時代にはこの段差はない。リング部分には4方向にネジ穴(MT-1砲塔時代にも、リング状段差はないがネジ穴はある)。

3.砲身は全体にスリーブがかぶせられていて、途中2カ所に継ぎ目がある。細い継ぎ目なので、通常の写真では判別できないことが多い。写真の作例では(トラペのキットの砲身長を修正したので)元の筋彫りを埋めたあと、継ぎ目を彫り直していない。

4.砲耳カバー位置決め用に溶接されたリブは、MT-2試作砲塔(U-7に搭載)には見られない。

5.埋め込みボルトの溶接跡(前後面左右、前面は1列あたり8カ所、後面は7カ所)があるのはMT-2砲塔後期型(1941年5~6月生産車)の特徴で、MT-2砲塔前期型(1940年11~12月生産車)にはない。

6.前面装甲はMT-2砲塔前期型、後期型ともに小口が側面に出る。後面装甲は、前期型では小口が側面に出ず、溶接線がエッジにある。

7.上面3方向の固定ペリスコープのカバーに取付用ベロがあるのはMT-2砲塔後期型(1941年5~6月生産車)。MT-2砲塔前期型(1940年11~12月生産車)ではベロ無しらしい。

8.前回記事をUPした日の晩、nifty F模型時代の仲間たちとオンライン飲み会をしていたら、“ハラT”青木伸也氏に、「タミヤの新KVのツノ形ペリスコープは下の方にタガ状に段があるけど、段の有無と時期の関係はどうよ?」と聞かれた(共通枝の部分に入っているので、KV-2でも同一パーツを使うことになるはず)。いやオレ、タミヤのツノ形ペリスコープに段があること自体に気付いてなかったよ……。ヌルし。

改めて調べてみると――といっても、ここがはっきり写っていて仕様が判別できる当時の写真が少ないのだが、とりあえず、MT-2砲塔後期型(1941年5~6月生産車)でも、段付きツノ形ペリスコープの使用例は見つかった。KV-1でも、1941年春頃に生産されたと思しき車輛で、明らかに段付きを使っている例がある(「グランドパワー」97/10、p29下)。また、MT-2砲塔前期型(1940年11~12月生産車)でも、「これは段付きじゃないかなあ」という例もあり。

一方で、沼にスタックしている有名なMT-1砲塔搭載車のツノ形は段無し。MT-2砲塔後期型でも、「これは段無しっぽいな」という写真もあり。というわけで、現時点での私の見解は、「少なくともMT-2砲塔型では段付き・段無し混在じゃない?」という玉虫色のもの。なお、ツノ形ペリスコープカバーの頂部には小穴がある。

9.砲塔後面には、MT-1はアクセスパネルとピストルポートだけだったが、MT-2になってからは機銃マウントが付く。MT-2砲塔前期型(1940年11~12月生産車)の時期、KV-1のほうの砲塔後面の機銃マウントは外部防盾無しの半球形のものだったが、KV-2では最初から外部防盾付きのもの(ただしKV-1でも車体機銃は当初から外部防盾付き)。MT-2試作砲塔(U-7に搭載)は搭載位置が丸く窪んでいるだけで、機銃マウント自体は未装備。

車体前部

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10.車体前端の装甲板接合用のアングル材の埋め込みボルトは、MT-1砲塔搭載型(試作車および生産第1シリーズ)では17カ所。MT-2砲塔搭載型(生産第2、第3シリーズ)では11カ所(上下列とも)。

11.戦闘室前面、シャーシ前面とも、KV-2は一貫して増加装甲無しのベア(裸)状態。KV-1でもここに増加装甲が付くのは1940年型エクラナミ以降。

12.MT-1砲塔搭載型(試作車および生産第1シリーズ)は車体機銃がなくピストルポートの装甲栓。MT-2砲塔搭載型(生産第2、第3シリーズ)では機銃マウント付き。MT-1砲塔搭載型の装甲栓はその後の機銃マウントよりもやや内側。

13.前照灯、ホーンの配線引込部は、MT-1砲塔搭載型ではMT-2砲塔搭載型よりやや内側。ただし、その「内側」度合いにバリエーションがある感じ。なお、ホーンやアンテナベースの位置は、試作車では生産車と異なっているものがある。

14.操縦手用の固定ペリスコープカバーは、砲塔のものと違って後期まで一貫してベロ無しの直付け。

20211229_235546 15.作例の鋳造?の牽引ワイヤーのヘッド部はMT-2砲塔搭載後期型(第3シリーズ)より。MT-2砲塔搭載前期型(第2シリーズ)以前はワイヤー自体を丸めたヘッド部で、トラペのKVのキットにはそのパーツも入っている(右写真)。

16.後期の一部車輌には、車体ハッチ前方に跳弾リブが追加されている。

17.後期の一部車輌では、戦闘室側面に、砲塔リングガード保護を兼ねた増加装甲が溶接されている。KV-1の1940年型後期型にも見られるものだが(生産時期はKV-2より数カ月遅い)、KV-1の場合、増加装甲下部にはアーチ状の切れ込みがあるもの(軽量化のため?)、ないものの2種が確認できる。今回改めて写真をひっかき回したところ、KV-2ではアーチ形の切れ込みがあるものは確認できたが、切れ込みのないタイプは、はっきりと確認できる写真が見当たらなかった。また、そもそも下部を切り詰めて、上端部だけになったタイプもあるようだ。

18.後期の一部車輌では、砲塔リング前方に、楔形のリングガードのリブが増設されている。「Тяжелые танки КВ-1(重戦車KV-1)」の記述によれば、これら増加装甲類は、一度前線部隊に配属された車輛が、修理のためにレニングラードに戻された際に追加で装着されたものであるらしい。1940年末生産のMT-2砲塔搭載前期型(第2シリーズ)でも同様の改修を受けた車輌があったかどうかは未確認。

19.後期の一部車輌では、フェンダー上に角型増加燃料タンクが搭載される。これについても上記増加装甲、跳弾リブと同様。16以降の改修が必ず4点セットになっているかどうかは確認しきれていないが、その可能性は高そうな気がする。

車体後部

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20.エンジンデッキの取付ボルトは、少なくとも初期は尖頭ボルトが基本ではないかと思う。後には(っていつから?)平頭ボルトが使われ始めている可能性あり。ただし、KV-1でも1940年型の後期(装甲強化砲塔搭載の1941年後半生産型)で尖頭ボルトの例がある。同じくKV-1で、1941年6月生産とされる車輌のデッキで、尖頭ボルトと平頭ボルトが混用されている例もある。

21.ラジエーターグリルのメッシュカバーは、MT-1砲塔(7角砲塔)搭載型(第1シリーズ)では前端まで凸だが、MT-2砲塔搭載型(生産第2、第3シリーズ)では、KV-1同様に前端が平らにつぶれている。

22.エンジンデッキ前端両側のボルトは左右3つずつ。タミヤはOKだがトラペのキットは2つしかないので真ん中1つを追加する必要がある。

23.エンジン点検ハッチのふくらみ中央には、KV-1の場合は生産時期によって(?)通風孔のポッチが付いている場合があるが、KV-2は、全型を通じて、当時の写真でポッチが付いているものは確認できない。現存車輛であるモスクワ中央軍事博物館の展示車輛は通風孔のポッチがあるが、同車輛の細部部品はかなりの部分が寄せ集めなので、ハッチも他から持ってきたものである可能性が高いと思う。

24.車体上部後端の曲面装甲は、MT-1(7角砲塔)搭載型(第1シリーズ)ではエンジンデッキに合わせて上部が面取りされている。MT-2砲塔搭載型(生産第2、第3シリーズ)では未処理のためエンジンデッキよりやや盛り上がっている。

20211229_235531 25.フェンダー上の工具箱は、MT-1砲塔(7角砲塔)搭載型(第1シリーズ)とMT-2砲塔搭載型の前期(第2シリーズ)では左右にベロがなく、蓋中央に取っ手がない初期タイプで、左フェンダーに2つ、右フェンダーに1つ。1941年に生産されたMT-2砲塔搭載型の後期(第3シリーズ)では、蓋の左右にベロがあり、蓋中央に取っ手がある後期タイプで、左フェンダーに1つ、右フェンダーに2つ搭載。トランぺッターのKV-2のキットには初期タイプのパーツ(右写真)も入っている。ただし、幅を広く間違えているフェンダーに合わせて作ってあるので、フェンダーを修正、あるいはタミヤに流用の場合にはそのままでは使えない。

26.フェンダー内外のフチのL字材は、少なくともKV-1では小リベット止めの場合と溶接の場合とがあるようで、タミヤのキットは(少なくともKV-1では)リベット表現がないので溶接タイプということになる。KV-1では、1940年型エクラナミと、その後の1940年型の装甲強化砲塔搭載型で溶接タイプが見られる。KV-2の場合、小リベット止めであると確認できる写真はあるが、溶接止めであると確認できる写真は今のところ見付からない。このフェンダーの構造と仕様、戦車の生産時期との関係についてはセータ☆さんの記事に詳しい。

27.車体後部オーバーハング下には整流板と尾灯。作例では尾灯にカバーを付けているが、全車標準でこれが付いているかどうかはちょっとあやふや。整流板も尾灯も見当たらない車輛の写真もあるが、これは撃破時に脱落したものか(後端中央部に弾痕もあるようなので)。KV-1でも、開戦前に製造されたと思われる車輌で尾灯も整流板もない写真があったりするので(「グランドパワー」97/10、p29下)、ちょっと気になるが。

28.シャーシ後面装甲の下端は、タミヤの新KV-1では車体床面から一段出っ張っているが、これはおそらく、工場がチェリャビンスクに移転して以降の特徴で、KV-2では全車、床面に合わせて面取りしてある。ただし、タミヤの同パーツ(B16)は、フェンダーや誘導輪基部と一緒のB枝なので、もしかしたらKV-2発売にあたって初期仕様に丸々交換されているかも。されていたらいいなあ(希望)。

足回り

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29.転輪は緩衝ゴム内蔵型。試作車~MT-1砲塔(7角砲塔)搭載型(第1シリーズ)は、SMKでも用いられた、ゴム抑え板の穴が8穴のもの。MT-2砲塔搭載型(生産第2、第3シリーズ)では6穴のKV用標準型が使われている。リムに小リブ付きだったり、穴がなかったりするバリエーションは、おそらくKV-2生産終了後に登場したものなので、修理時に紛れ込んだとかのレアケースがあるかどうか、程度。

30.上部転輪は、写真ではなかなかタイプの判別がしづらいが、少なくとも、MT-2砲塔搭載型の前期(生産第2シリーズ)までは小リブ付きのものが、MT-2砲塔搭載型の後期(第3シリーズ)ではリブ無しのものが使われているようで、それぞれの組み合わせの例は写真で確認できる。

31.起動輪は一貫して、ハブ部の皿形カバーのボルト数が16個の初期型。

32.サスペンションアーム基部、トーションバーとの接続ボルトは6つの初期型。

33.履帯はKV初期標準、700mm幅の1ピースタイプ。試作車~MT-1砲塔(7角砲塔)搭載型(第1シリーズ)の一部では、SMK由来の650mm幅も用いられているようだ。

(文中でリンクを張っている当時の実車写真はサイト「Тяжелые танки КВ-1(重戦車KV-1)」のもの)

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KV maniacsメモ ― KV-2のおさらい(1)

640px2_1 ●11月30日付でも書いたが、タミヤから近々KV-2が発売される。

個人的には「砲塔に『安倍晋三』と書かれていなかったら買おうかな……どうしようかな……」くらいのスタンスだが(しつこい)、一応、KV-2についてのおさらいを少々。

基本、個人的な理解の虫干しのようなものなので、誤解とか、最新の考証に追い付いていない部分とかもあるかもしれない。その辺はご了承を(というか、指摘していただけると有り難い)。

ついでに、もう10年以上前にほぼ工作終了して、そのまま放り出してあるトランぺッターのKV-2の製作記はこちら。記事中でも仕様の考証にちょろっと言及しているが、古いので、今回書くものとは若干の齟齬が出ているはず。その辺も併せてご了承を。

(冒頭写真はwikimedia commons、“File:Кв-2 1.jpg”、Gandvik

実車のタイプと生産

フィンランドとの冬戦争(1939/40年冬)のさなか、フィンランド軍防衛線突破用として、制式採用されたばかりのKVに、152mm榴弾砲M-10を搭載したタイプが計画され、1、2カ月というごく短期間のうちに試作車が作られ、40年2月半ば、フィンランド戦線に実戦評価試験のために送られた。

当初「大砲塔KV」と呼ばれたこの車輛は、十分開発要求を満たすものとして採用と生産が決定。40年7月から量産が開始された。

生産初期のものは、全て平面の装甲板で構成された(平面形が)7角形の砲塔(MT-1砲塔)を搭載していたが、中途から装甲板構成が簡略化され、両側面が緩くカーブした1枚板になり、背もやや低められた新砲塔(MT-2砲塔)に変更された(砲塔名称はTankograd “KV-2”より)。

その昔、「グランドパワー」1997/10号の解説では旧型の砲塔を載せているのは試作型1輌、増加試作型(先行量産型)3輌、Tankograd「KV-2」(2004年)では4~6輌と書かれていたが、その後の研究では、旧型砲塔の初期型はもっと多いとされている。実際に、撃破されてドイツ軍側に撮影された初期型を見ても、壊れ具合/背景などはかなりのバリエーションがあり、それなりの数が生産されたらしいことがわかる(昔はそもそも初期型の写真があまり出回っていなかったので、4輌と言われればそうなのかなー、くらいの印象だった)。

サイト「Тяжелые танки КВ-1(重戦車KV-1)」によれば、KV-1の総生産数は204輌、その内訳は次のようであるという(数字のもともとの出所は、マキシム・コロミェツ氏の資料とのこと。“Тяжелый танк КВ-2 - ≪Неуязвимый≫ колосс Сталина”(2011)かな?)。

  • 1940年2月(3輌)~3月(1輌):計4輌。7角砲塔搭載の試作車輛(U-1~U-4)。
  • 1940年7月(10輌)~8月(10輌):計20輌。7角砲塔搭載の初期型(シリアル番号 A-3603~A-3622)。
  • 1940年11月(25輌)~12月(55輌):計80輌。新型砲塔搭載型(シリアル番号  A-3718、A-3720~A-3727、A-3731~A-3739、B-9601~B-9604、B-9607~9610、 B-9629~B-9631、B-9633~B-968)。
  • 1941年5月(60輌)~6月(40輌):計100輌。新型砲塔搭載型、追加生産分(シリアル番号 B-4662~B-4761)

この辺がまたちょっとよく判らないところで、Wydawnictwo Militariaによれば試作車輛は「U-0」から始まっている。Tankogradによると、40年春に作られた試作車輛は、U-0、U-1、U-3、U-4の4輌となっている(U-2はKV-1)。これらとは別に、新砲塔搭載のプロトタイプの「U-7」というのがあるが、これは、テストベッドとしてキーロフ工場に残されていたKV-1試作車の改装らしい。実際、写真を見ても車体はだいぶ古い特徴を残している。この際にU-7から降ろされた試作型KV-1の(後部が丸い)砲塔は、通常の1940年型車体に載せて使われたらしい(確か新しい車体に古い砲塔を載せた写真があったはず)。

まあ、模型を作るうえでは正確に何輌だったとかシリアルが何番だったかというのは、普通、それほど重要ではなく、生産の流れについては

  • KV-2は全部で200輌程度生産された。
  • 7角砲塔の初期型は、従来言われていたような数輌のみでなく、どうやら20輌くらい生産されたらしい。
  • 新砲塔搭載の主量産型は、40年末と41年晩春の2期に分けて生産されている。
  • 生産工場であるキーロフ工場(キーロフスキー工場)がチェリャビンスクに疎開する1941年秋以前に生産が終了しているので、KV-2は全車、レニングラード・キーロフ工場(LKZ)製。

くらいのことが判っていればよい(と思う)。

生産時期別の仕様の特徴

試作車~初期生産型(仮に第1シリーズと呼称)

7角形砲塔(MT-1砲塔)を搭載。試作車が作られた時期は、KV-1もまだ試作段階。初期生産型の40年7月~8月は、KV-1はL-11搭載のいわゆる「1939年型」の生産の前半くらいなので、車体の特徴もそれに準じている。

転輪は緩衝ゴム内蔵型の中でも初期のもので、内蔵ゴムが覗く小穴が8つのタイプ(標準型は6穴)。ゴム抑え板のリブがないものを使っている例が多い気がする。ゴムリムありの上部転輪は小リブ付きが標準? 履帯は、試作車では(あるいは生産車の一部も)SMK時代からの650mm幅のものが混じっているようだ。

車体前端の装甲板接合用のアングル材は、埋め込みボルト数が後のタイプよりもやけに数が多くて17本。

エンジンデッキの固定は尖頭ボルト。後端の丸めた装甲の頂部は、KV-1 1939年型同様に面取りされている。ラジエーターグリル前端は平たくつぶれておらず、前から後ろまでカマボコ型。KV-1の場合は1939年型でも先端がつぶれている(さらに初期は内側に開口部のあるダクトが付いている)ようなので、この形状のグリルはKV-2初期型のみの特徴か。

主砲は後の新砲塔(MT-2)搭載型と違って、砲口部に一段盛り上がったリングがない。ただし、スリーブ固定用?の、前端部の4方向のネジ穴?は、この時期から存在しているようだ。MT-2砲塔型と同じ位置に砲身スリーブの分割線があるかどうかは、鮮明な写真が手元になくてよく判らない。

なお、最初の試作車(U-0)は、車体ハッチの形状が違う、車体後端ディテールが違う、車体前端アングル材の埋め込みボルトが出っ張っていて明瞭など、だいぶ細部に差がある。以降の試作車も、U-1は砲塔ビジョンスリットとピストルポートの位置が開け直されていたり、U-3は当初、工具箱がフェンダーと一体化した「飛行機の翼」フェンダーを付けていたり(後に通常仕様に改修されたらしい)、砲塔手すり位置が1輌ごとに微妙に違ったりと、それぞれ少しずつ異なっている。

主量産型(第2シリーズ)

形状が大きく手直しされ、面構成も簡略化、やや小型・軽量となった新型砲塔(MT-2)を搭載して生産されたシリーズ。生産時期は1940年末(11~12月)で、KV-1ではL-11搭載の1939年型の生産最終フェイズにあたり、すでに車体の仕様は1940年型とほぼ同様で、車体前面に機銃が装備されるようになっている。KV-2の車体もこれに準じる。

車体前端の装甲板接合用のアングル材の埋め込みボルトは11本に減少。エンジンデッキ上のラジエーターグリルは、この型より、KV-1同様に最前部が平らにつぶれた形状になる。後端の丸い装甲の頂部の面取りも、最初からなくなっているのではと思う。

転輪は標準型の緩衝ゴム内蔵転輪に変更。履帯も標準の700mmワンピースタイプのみが使われている。上部転輪ははっきりディテールが判る写真が少ないが、「Тяжелые танки КВ-1(重戦車KV-1)」のKV-1のディテール変遷の解説を見ると、この時期まではまだリブ付きだったような感じ。ただし、下記の初期仕様のMT-2砲塔を載せていても、「これ、リブ無し上部転輪じゃないかなあ……」みたいな写真もあって、ちょっとあやふや。

U-7に搭載されたMT-2の試作砲塔では、砲塔前面に、砲耳バルジの位置決め用の両側のリブがなかったが、量産型ではすべて付いている模様。また試作砲塔では砲塔後面の機銃マウントがなかったが(一応、当初から付けられる予定だったらしく、その位置に丸い窪みはある)、量産型砲塔では全車機銃マウントがある、と思う。

搭載された主砲には若干のディテール変化があり、砲口部に「たが」状に段が付く。また、砲身は実際には外側に保護スリーブ?がかぶせられていて、途中2カ所にその分割線がある。

一部不確かな点もあるが、翌年晩春の第3シリーズと比べると、以下のような違いがある。一部は不確かで、また、この第2シリーズの生産途中で変更されたものもあるかも。

MT-2砲塔の装甲板接合方法の違い。おそらく前後面とも、補強用の埋め込みボルトが使われていない(少なくとも表に見えていない)。また、前面装甲板は後期型同様、砲塔側部に小口が見えているが、砲塔後面はエッジに溶接ラインがあり、小口は見えていない。

主砲の駐退機カバーが、後のタイプと比べやや「痩せて」いるらしく、その外側にあるボルトのための逃げ溝がない。これに関しては、写真のコントラストによって、有無がよく判らない場合も多いが、向かって右側(車輌からすれば左側)の最上部のボルトが、駐退機カバーのラインより内側に食い込んでいるか、外側に出ているかも見分けの助けになる(実際にはこれも結構見え方が微妙だが)。

砲塔ペリスコープカバーの違い。カバー接合用のベロがなく、裾部分でダイレクトに砲塔上面に溶接されている。なお、車体前部、ドライバー用ペリスコープカバーは、後の型になっても一貫してベロがない。

エンジンデッキの固定ボルトは尖頭タイプ?

フェンダー上の工具箱は、MT-1砲塔搭載型同様、左に2つ、右に1つ。初期型の、両側にベロがかぶさらないタイプが標準。牽引用ワイヤーロープの両端も、MT-1搭載型と同じく編み込み型。

割と有名な、ドイツ軍作成の対戦車教材フィルムに登場するKV-2がこの主生産型初期ロットのもので、砲塔ディテールが確認できる。また、有名なIII/IV号戦車のキューポラを増設したKV-2も初期ロットのもので、後期ロットのキットをベースにしてしまったトラペの製品は、正確を期すなら若干の改造を要する。

主量産型(第3シリーズ)

新型砲塔(MT-2)を搭載し、前ロットから数カ月の間を開けて改めて生産されたもの。1941年5~6月は、KV-1で言うと、主砲がF-32に変わった、いわゆる「1940年型」の初期にあたり、増加装甲付きの「1940年型エクラナミ」がそろそろ生産されるかな?まだかな?くらいの時期。したがって、エクラナミの生産途中から導入された、緩衝ゴム内蔵転輪の中期以降のバリエーション、穴無しリムや小リブ付きリムはKV-2では確認できず、すべて標準タイプの転輪が使われている。上部転輪はおそらくリブ無しが標準。

エンジンデッキ上のボルトは、なにぶんにもエンジンデッキをクローズアップで鮮明に写した写真が少ないが、はっきり確認できる例では尖頭ボルト。ただし同時期のKV-1から類推するに、尖頭ボルトもあり、平頭ボルトもあり、という感じではないかと思う(エクラナミ以前と思われるKV-1で平頭ボルトの仕様が確認でき(例えば「グランドパワー」97/10のp29上)、一方でエクラナミでも尖頭ボルトを使っているように見える写真(同p35)、エクラナミ以後の生産車で尖頭ボルトを使っている例(同p42上)もある)。

フェンダー上の工具箱は、両サイドのベロ付き、左に1つ、右に2つが標準。牽引用ワイヤー両端は鋳造(?)のもの。ちなみに初期の編み込みタイプはフェンダーステイの三角穴を通し、鋳造タイプは穴を通らないのでステイの上を這わせて搭載する。

MT-2砲塔には若干の手直しが入り、砲塔前面、後面に接合補助用の埋め込みボルトが確認できるようになる。砲塔後面も、前面同様に装甲板の小口が側面に出る形に変更。またペリスコープカバーは(車体前方のものも含め)ベロ付きに変更。

主砲は駐退機カバーの両側に、ボルトアクセスのための逃げ溝(右1カ所、左2カ所)が設けられる。見た目ではわかりにくいが、おそらく駐退機カバーがやや膨らみが増したのだと思う。

さて、ここから先がちょっと謎含みな感じなのだが、おそらく最末期に生産された一部車輌のみの特徴として、砲塔リングガード、車体ハッチの跳弾リブ、戦闘室側面の増加装甲、フェンダー上の角型増加燃料タンクなどが追加された例が確認できる。たとえば角型燃料タンクと車体ハッチの跳弾リブはこの写真などが判りやすい。戦闘室側面増加装甲はこれ(角型燃料タンクと車体ハッチの跳弾リブもあり)やこれ。楔形のターレットリングガード(と側面の増加装甲のセット)は、ちょっと不鮮明だがこれ(すべて「Тяжелые танки КВ-1(重戦車KV-1)」より)。

これが不思議なのは、いずれも、KV-1ではエクラナミの後期やその後の1940年型後期型で導入された(つまりKV-2の生産終了後に導入された)と思われる特徴であること。「もしかしたらKV-1の40年型後期型の車体にKV-2の砲塔を載せたハイブリッド?」などと考えたこともあったのだが、その場合、戦闘室前面/シャーシ前面の増加装甲がないことが矛盾する(KV-1の1940年型の後期型ではそれが標準で装着されている)。あるいは、KV-2の残存車輛に、KV-1のちょっと新しいタイプに準じたアップデートを(デポあたりで)施した車輛なのかもしれない。

……と、つらつら書いてきたが、どうにも文章ばかりでは判りにくいので、改めて模型写真と対応させてディテール説明を書こうかと思う(最初からそうしろよ的な)。

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RとLの区別もつかないくせに!

●毎年夏~秋の季節労働。

いつも最後あたりは間に合うの間に合わないの早くしろのなんのかんのとしっちゃかめっちゃかになるのだが、今年はなんとかまともに終われそうだと思ったら、最後の最後になって発注元から「こちらで手に負えなくなったので、追加でお願いしたい」と6見開き分のテキスト執筆の仕事が丸投げされてきた(しかも、本来の私の担当の仕事よりも「こっちを先にお願いします」と言われた)。おいおいおいおいおいおいおい。

というわけで、結局またしっちゃかめっちゃかになったのだが、なんとか13日土曜日までに全部終了。

やっとこれで模型も作れる……というところなのだが、いざ終わってしまうと、その後は今に至るまで絶賛気抜け中。当「かばぶ」の更新も滞り中。いかんね。

●もちろん、以後2週間、まったく茫然自失状態だったというわけではなく(かなりの時間を“のたーっ”としていたのは否定しない)、仕事を片付けた当日の土曜日には、ちび2号(3歳児)がお泊りに来て、翌日には金沢自然動物公園に「動物園デビュー」に連れて行ったりする。もっとも、始めて見る動物たちよりも、アイスクリームの方に関心を持っていかれた気がする。

ほか、いつものように近所の山道を歩き回ったり(季節労働中より頻度が上がっただけ)、合間に新しい仕事関連のオンラインシンポジウムに出席したり、やはりオンラインのの打ち合わせをしたり。

●16日火曜日、たまたま仕事で鎌倉に来るというhn-nhさんと「久しぶりに対面で模型話でも」ということになって、午後、鎌倉駅前で待ち合わせる。

その前に自宅で昼食をとっている時に、やたらに消防車がけたたましく走っていくのが聞こえたのだが、1時過ぎに鎌倉方面に歩いて行くと、名越坂の上から見ても、行く先かなたにもうもうと煙。横須賀線の名越踏切も開かない。そうこうするうち、hn-nhさんからも、「鎌倉駅前でも焦げ臭い」などとメッセージが入る。

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現場に近付くと県道は封鎖され、ものものしい雰囲気。その後のニュース等によれば、アパートから出火、近隣計6軒が焼けた由。翌日前をバスで通ったが、前回記事で書いた韓国料理屋さんのすぐ隣から、ぽっかり黒焦げの空間が出来ていた。ニュースで掲載された消火活動中の写真ではまだきちんと残っている建物も焼け落ちてしまっていたので、鎮火までにずいぶんてこずったらしいこともわかる。火事怖い。

●それはそれとして、久しぶりにお会いしたhn-nhさんとは、鎌倉浪速家でたい焼きを食べて、その後若宮大路の喫茶店で模型話。hn-nhさんから、最近の完成品、ARMA HOBBYのPZL P-11cを見せて頂く。hn-nhさんらしく端正な出来。しかも、昔々に「プロフィーリ・ディ・アエレイ・ミリターリ」で見て以来、気に入っているKOP(国境飛行隊?)の七面鳥マーキング。胴体の両側でマーキングが異なっているらしいというのは初めて知った……(もっとも、部隊マークだとするといろいろ記入のバリエーションがあった可能性もある)。目の前にあると、自分の目で見ることばかり考えて、写真を撮り忘れた(どうせ綺麗に撮った写真はhn-nhさん自身がネットにアップするだろうなあ、というのも頭の片隅にあったかも)。

私は話のタネに、CHINO MODELのTKS履帯と、INPACTのアブロ複葉機(もちろん手付かずのキットのまま)を持って行った。

今年も東京AFVの会は流れてしまったし、生で模型話も、これまた久しぶりかつ貴重な機会。ちなみにその前の週にはオンラインで「Fも飲み会」をして、全国に先駆けて再開させた関西AFVの会の様子を、世話人の青木氏から写真付きで聞いた。三密を避ける意味もあって、会場はそこそこの広さの部屋を上下階で2部屋借りて開催したそうだ。贅沢! 来年は東京AFVの会は開催されるだろうか。またまた変異株も出て来て、でかい第6波とか第7波とか来そうな気もする。

●毎日のように出かけている山歩き風景など。

名越切通途中のまんだら堂やぐら群は、前回記事の公開初日に比べると、だいぶ秋っぽさが増して現状このような感じ(27日土曜日)。ただ、イチョウの脇にあるモミジはまだ梢がやや赤くなってきた程度で、しっかり紅葉するのは公開最終日近くになってから?

第一平場・第二平場間のみかん(種類不明)もだいぶ黄色くなった(23日火曜日)。

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名越からは市中心部を挟んで反対側、長柄桜山古墳群の尾根も2度ほど歩いた。初回(15日)は六代御前墓から上がって、二号墳~一号墳と縦走して葉桜団地へ。二度目は蘆花記念公園から上がって二号墳を経由し、一号墳への尾根道の途中から、始めて通る枝道を長柄交差点に下りる。

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上写真1枚目は、田越川沿いの県道から蘆花記念公園に入る脇にある「蘆花獨歩ゆかりの地」石碑。徳富蘆花(作家、代表作「不如帰」)、国木田独歩(作家、代表作「武蔵野」)、田村ゆかり(声優、代表作「魔法少女リリカルなのは」)の記念碑(たぶん)。

2、3枚目は二号墳~一号墳の尾根道にぽつんと立っている古い石碑で、「Pokémon GO」のポケストップにも指定されているものだが、その登録名が「残念仏」。もちろん「残念な仏」なわけはないだろうし、残・念仏(念仏を残す)とか、何かそれなりの仏教的な意味があるのかと気になっていたのだが、「残念仏」で検索すると「大阪なおみが全仏オープンを棄権して残念」くらいしかヒットしない。今回改めて碑の表面をよくよく見ると、どうやら一文字目は「残」ではなくて、梵字で阿弥陀仏を示す“キリーク”のようだ。

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二号墳からは江の島越しに富士山が見える。昔は二号墳の海側斜面に小さな展望テラスがあったような気がするが、今は撤去されていてない。国の史跡に指定される際に、古墳の表面に余計なものをくっつけたらダメとかなんとかあったのかも。昨春は実り始める前に綺麗さっぱり草刈りされてしまってガッカリだった二号墳斜面のクサイチゴはまた伸び始めていた。来春は食べられるといいなあ。

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上写真左は一号墳。こちらは周囲が綺麗に伐採され、周りも囲って整備中。なんとか前方後円墳に見える。右写真は長柄交差点に下りる枝道で見掛けた……おそらく間違いなくシイタケだと思うのだが、やはりキノコは間違えたときのリスクが大きすぎるので手は出さない。でもなかなか立派な傘の大きさだった。

●11月25日夕、鎌倉を歩いていて、妙本寺の山門前からふと空を見上げたら、西の空にギラギラした光が、ふっと右下斜めに(北方向に)流れて消えた(17:45頃)。流星というのは見ると何だかちょっと得した気になるが、特に明るい「火球」レベルのものはさらに滅多に見ないので嬉しい。火球というのは流星の中でも特に明るいものを指し、「絶対等級が-4等級より明るいもの」という定義があるそうな。今回のものが正しくそれに当たるかどうかは不明。

非常に近く見えたので、神奈川県の中部あたり上空かな?と思ったのだが、「流星・火星・隕石の掲示板」で、まったく同時刻に、名古屋から「東の空に見えた」という書き込みがあったので、思ったより遠かったらしい。

●秋の初めの木の実系の収穫が終わると、ぐっと「野山の拾い食い」ネタが減ってしまうが、そんな中で今が旬の希少なネタがヤマノイモのむかご。以前は採ってきて、そのまま軽く炒って塩を振って「まあ、それほど美味いもんじゃないな」的位置づけだったのだが、今季一回目の収穫では一度茹でてからニンニク+オリーブオイルで炒めたら結構美味かった。

そんなわけで、「ちゃんと手を掛ければそれなりに美味い」という(あたりまえの)ことに気付いたので、2度めはこれまた一度茹でてから、オイルサーディン/ぶなしめじと合わせてアヒージョに仕立てた。

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写真では一番上に入れたぶなしめじばかり写っているが、その下には結構ぎっしりむかごが入っている。色味のあるものが入っていないので一面茶色であまり美味しそうに見えないかもしれないが、実際にはなかなか美味しかった。昼間からビール飲んじゃったよ……。

20211030_175950 ●「RとLの区別もつかないくせに!」というのは、日本人の英語(というかヨーロッパ系の言語の多く)下手を表す定番表現(昔懐かしいフラッシュの「ペリーのお願い」にも同様のセリフがある)。

が、ここで言いたいのはRとLの発音ではなく、セブン-イレブンのコーヒーの件。

セブンイレブンのコーヒー(セブンカフェ)のサイズはR(レギュラー)とL(ラージ)の二段階。しかし(以前にも一度書いた気がするが)「レギュラー」と頼んでラージサイズが出てくる頻度が(私自身の感覚として)妙に高い。

右写真は「レギュラー」と頼んでカップを貰ってサーバーにセットしたら、コーヒーの量が妙に少なくて「あれ?」と思った時の写真。実際にはコーヒーが少ないのではなくてカップが大きかった(カップでRかLかを自動判別する方の機械だったら気付かなかったかも。いや、カップのフタを付けるときに気付いたかな?)。当然、レジでナナコカードからはLの料金で引かれていて、差額を返金してもらった。

一つの店で一人のアルバイト君とかが間違うなら「慣れてないから?」で済むが、複数の店でしばしばある。場合によっては「レギュラーですね……」と復唱しておいてLが出てきたりする。こうなるともう、構造的な問題としか思えない。

どうやら聞くところによると、セブンイレブンのレジ自体、表記は「R」「L」しか書かれていないらしい。つまり、「レギュラー」と言われたときに、それが「R」なのか「L」なのかは店員さん各自が覚えていなければならない、ということになる(そこで、「お客さんの『レギュラー』の発音だと頭の文字はRじゃなくてLでしたよ」とか言われると怖いが)。

そもそもコンビニの中でも売れ線の商品なんだから、バイト君でも間違えないように指導を徹底するとか、あるいはそれ以前に頭文字を使うのなら間違いようがない「S」と「L」にするとか(ファミマは「S」「M」「L」)、もうちょっと考えてよ!とセブンイレブンの中の人を問い詰めたい。

……というような文句を言っていたら、かみさんに「大きいの、小さいので頼めばいいんだよ」と切り捨てられた。え? オレが悪い流れ?

●タミヤからKV-2が発売されるそうだ。

まあ、出るだろうなあ、とは思っていたけれど。

たぶん車体はそのまま、転輪はもともと枝の差し替え部分に分離してあったリム部が標準型に、上部転輪がゴムリム付きに変更。めがーぬさんは、タミヤのサイトの写真を見ると誘導輪も大きくなっている気が……と言っていたが、どうかなあ。

昔々のKV-2は、車体が完全にチェリャビンスクで生産された新型になっていたし、たぶん実車取材無しで写真から判断したために砲塔上面に後ろ下がりの変な傾斜が付いていたりと、あれこれ問題のあるキットだったが、その辺はおおよそすべて払拭されることになる。ただ、トラペのKV-2(これはこれでいくつか問題はあるが)を完全に上回る出来!となるかどうかはちょっと。

なお、旧キットは砲塔の圧延傷表現に隠れて「田中角……」と書かれているのが有名だが、まさか新キットには「安倍晋三」とか書かれていないだろうなあ(そんなだったら絶対買わない)。

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梅雨明け

●コロナ禍の影響もあり、仕事自体は全般的には低調なのだが、それでも重なるときは重なるもの。久しぶりに真面目に(集中的に)仕事しなければいけなかったりして、すっかり更新がご無沙汰に。

そんなこんなで、ある程度まとまりのある話を書くようなネタもなく、近況報告的にあれこれつらつらと。

●兄が濃厚接触者として1週間自宅隔離になった、と連絡を貰う。一応、30日の検査では陰性で、今のところ症状も出ていないので大丈夫だろうとのこと。とはいえ、老母と同居で食事の面倒なども見ているので、そちらのほうが問題。とりあえずデリバリーなどでしのぐ由。

●KV小ネタ。

タミヤの新KVの転輪については以前にも書いたが、トランぺッターの転輪と比較して、ディテール的に至らない点がいくつかあり、そのあたりの改良を試みてみる。

(1).リム部の小リブの位置が裏側で間違えていることについては、どのみち組んでしまえば見えないので(車輛の前後から床下を覗き込めば、全く見えないということはないのだが)、そのままスルーする。

(2).ハブ部・ゴム抑え板のディテール不足に関しては、ハブ両脇の2カ所の小ボルト?部分に関してはタミヤのほうがいい感じはするが、ハブ周囲のリングが別体である表現、およびそのリングのグリップ用?刻みが省略されている問題のほうがより大きいので、これらに関しては、トランぺッターのパーツの流用を検討。

(3).内外の転輪の向かい合わせになった面で、ゴム抑え板の表現が全く無視されている問題。内側転輪の表側に関しては、組立後も覗き込めばちらりと見えないこともないにもかかわらず、キットのパーツはその部分が窪んだ状態になっている。これに関しては、上記(2)とセットで考え、(2)で余ることになるタミヤのゴム抑え板パーツのハブ部をくり抜き、軸が通るようにして内側転輪に取り付ける。

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1枚目写真。タミヤの転輪の外側の表裏(左側)、内側の表裏(右側)。内側転輪の裏にはしっかりゴム抑え板のモールドがあるので、表裏ひっくり返して使用できればちょっと楽だが、裏側は前述のようにリム部の小リブの位置を間違えているので、その手は使えない。外側転輪の表には別パーツのゴム抑え板を載せてある。

2枚目写真。ゴム抑え板パーツの元の状態(左)と、軸が通るようにくり抜いた状態(右)。

3枚目写真。軸部をくり抜いたゴム抑え板を内側転輪の表に載せてみたところ。軸部の位置合わせ用の凸は余計なので(本来、内外のリムの穴位置は揃っていないので)削り取ってある。

ここまでやってみての小まとめ。とりあえず、覗き込んで見える部分にはゴム抑え板が装着できたが、この部分の土台の立ち上がりが外側転輪表より若干高く、ゴム抑え板部分に厚みが出てしまう(軸部分は貫通しているので、転輪の間隙には影響しない)。内側転輪に流用するゴム抑え板の中心をくり抜くのは、それほど難易度の高い工作ではないものの、ちょうどよい太さのドリルやヤスリがあるわけでもないので結構面倒くさい。暫定結論。……これをあと11個分やるんだったら(しかも苦労してトラペ以上のものが出来るわけでもないのなら)、素直に転輪それ自体、トラペから持ってきた方がいいんじゃね?

ちなみにそうせずに、こんな面倒な工作を試してみたのは、手元にトラペのリブ付き転輪の余剰がなかったため(リブ付きでないほうはある)。

●はい人28号さんからコメントで情報を頂いたのだが、Passion Modelsから、タミヤKV用のエッチングパーツの発売予告が出た。8月下旬予定とのこと。

内容はラジエーターグリル、車体後端オーバーハング部のメッシュは当然として、フェンダーステイ、ハッチ裏のロック用リングなど。さらにプレス済みのオーバーハング下の整風板、挽き物のピストルポート装甲栓、DT機銃と、思ったよりも贅沢な内容。個人的にはラジエーターグリルと後部のメッシュだけの簡易セットでよかったんだがなあ、という気もするけれど、予価1800円だそうなので、そこそこリーズナブルかな。

ラジエーターグリルはちゃんと前方が平らの形状になっているようだ。いやまあ、なっていなきゃ困るんだけれど、これまで意外に再現していないセットが多いので、一安心。

別途、ツールボックス(の蓋と取っ手)のセットも同時に発売になるらしい。

●1日土曜日。晴れたので、午後、鎌倉方面に散歩に出る。

小坪から稲村ケ崎方面の景色を眺めていると、極楽寺坂よりもさらに稲村ケ崎側に、山腹を斜めに上がる道が見えて、「あの道はどこに通じているのだろう」と以前から少し気になっていたところを目標に歩く(といっても、今の世の中はGoogleMapsを開くと「どこに通じているのだろう」は判ってしまうわけで、実際に歩きに行く段階では、すでに「まあ、歩いたことがない道だし、行ってみるか」程度になっているわけだが)。

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写真は、その坂の上から、鎌倉の海(由比ガ浜、材木座海岸)を隔てて逗子側を撮ったもの。すでに夕方だったので、薄暗い写真で失礼。

黄色矢印が二子山高角砲台跡(二子山上ノ山)、赤井矢印が小坪高角砲台跡(披露山)、黄緑矢印は西小坪海面砲台跡(飯島)。こうしてみると披露山に比べ二子山の方がだいぶ高いことも判る。その高いほうの二子山に12.7cm単装が、低い披露山に12.7cm連装が配備されていたのはどういう理由なのだろうか。

例えば、軍港横須賀(あるいは東京湾)に向け、内側は単装で外側は連装とか、そんな基準があったのではないか、などとぼんやり考えてみて、帰宅してからGoogleのマイマップに三浦半島の高角砲台を配備された砲の種類別に色分けしてプロットしてみたのが、結局は位置それ自体には何の法則性も見い出せなかった。

小坪海面砲台は、こうしてみると鎌倉湾の防衛用という感じだが……いくらなんでも鎌倉の海に上陸作戦なんてしないだろう。いや、それでも入り江に小型艦船など入り込まれると困るので、とりあえず防備はしておかなきゃいけない的なものなのか?

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割と久しぶりに極楽寺のあたりを歩いたが、江ノ電の極楽寺駅が大改装されていた。元の駅舎正面は残っているが、裏手が大々的にリニューアルされて新しい大きな駅舎になり、さらに元からの入り口の左手に大きな新しい、「入り口広場」と言ってもいいような入り口が出来ている。元の姿がほぼそのまま(左写真)なのは喜ばしいが、その横が新しく変わり過ぎていて、旧入り口がいかにも「保存された展示物」的に見えてしまうのはちょっと寂しいかも。

●自然科学のなかでも古生物学、および身近な昆虫等々の観察が好きなことがあって、生物関連の本や記事は割とよく読む方だが、「単系統群」と「クラウングループ」の違いがどうもよく判らない。

●「メイドインアビス」9巻発売、娘がさっそく購入していたので、こちらもさっそく借りて読む。

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KV-1 1941年型 初期生産車 タミヤ 1:35(その2)

●タミヤの新作、「KV-1 1941年型 初期生産車」のチェックの続き。

履帯その他足回り関連

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履帯は全履板が同一でセンターガイドがある初期標準の構成。1940年型後期の一部ではセンターガイドがない履板が混ぜ履きで使用され、1941年型の中盤からは2分割履板が混ぜ履きされるようになる。

パーツの裏面には押し出しピン跡があるが、さほど凹凸はないので、スポンジやすりで少し削る程度でなんとなかるのではないかと思う(まだ試していない)。

左写真はマスタークラブ(旧版のレジン製)との比較。ディテールは(タミヤのほうがやや硬めかな?とは思うものの)大差なし。ピッチは、この写真ではタミヤ側が上部転輪に合わせて垂れた状態になっているパーツのため、画像の右端と左端とで違いが生じているように見えるが、実際にはほとんど差はない。ただし、キットの履帯は右用・左用で共通なので、連結ピンの内側・外側は区別されていない。

カステンの可動履帯がポンコツなせいで、手軽に(安価に)使える別売履帯がないのはKV製作上の悩みの一つだが、今回のタミヤのパーツは、上側の履帯のたるみが、タミヤの上部転輪間隔に合わせてあるのが他社への流用時のネックになりそう。もっとも、トランぺッターに流用するのであれば、(上部転輪基部が別部品なので)最初から履帯のたるみに合わせて上部転輪を配置するという手もある。

今回改めて写真は撮っていないが、ブロンコ、トランぺッター、カステンの履帯の比較はこちら

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左はタミヤの転輪サスダンパー。右は比較用のトランぺッター。タミヤのダンパーは下部側面がストレートになっているのに対し、トラペのものは基部のボルトに対応して段差がある(下部が幅広になっている感じ?)。

現存車輛の細部写真をあれこれ見比べてみると、タミヤのようにストンとなっているタイプもあるようだが、トラペのような形状のもののほうが一般的。

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サスペンションアーム(写真左)は、基部のキャップのボルトが6つの初期型標準の形質。41年型からは3つに減らされたタイプが使われるようになる。キットの仕様(41年型の最初期)の場合にどちらだったかは微妙なところ。40年型後期の一部では、溝は6つのまま、ボルトは3つに間引きされているものもあるようだ。

起動輪用のスクレーパー(写真右)は起動輪側の脚が別部品の2パーツ。写真は本体側。先端側外側に補強用のリブがあって、キットのパーツもやや片側(下側)に寄っているが、実車はもっと下に寄っている感じ。直しても直さなくても、ほとんど目立たない部分ではあるけれど。なお、青木氏の書き込みで知ったが、二股に分かれた脚部の間は完全に素通しではなく、補強板が入っている。

フェンダー

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トランぺッターの初期型KVは、おそらく、「フロントバヤ・イルストルツィヤ」の図面に引きずられて、フェンダー幅が広いミスがあったが、今回のタミヤのキットの幅は適正。ただし、フェンダー外側のL字材は、旧キットやトランぺッターでは小リベットのモールドがあったのに対して、今回の新キットはのっぺりしている(……というのを、邦人さんに言われて初めて気付いた。観察眼不足)。

2枚目写真は私の作りかけのトランぺッターで、幅詰め工作の結果無くなってしまったL字材部分を再生、ベロはプラペーパーで、小リベットはその裏側から針でつついて再現したもの。ただし、この工作は「幅詰め前のキットのモールドに在ったから再生しておこう」というもので、実車においてこの部分に必ず小リベットがあるのかどうかは未検証。

そもそも現存実車の場合、フェンダーは破損しやすい薄い鉄板のためレストアされていることが多く、あまり参考にはならない。一方で戦時中の写真ではリベットの有無が確認できるほどの鮮明なクローズアップにはなかなかお目にかかれない。

ただ、フェンダーもオリジナルである可能性が高そうな、アバディーンにあった鋳造砲塔の1941年型では小リベットがある。しかし一方で、「グランドパワー」1997/10号、p40ではリベットはないように見え(それほどクローズアップではないので、単に「見えていない」可能性もある)、また同号p39の写真ではフェンダー裏が写っているが、それにもリベットは確認できない。

とりあえずこれについては、個人的には、それほど目立つ場所でもなく、「あるともないとも言い切れないので、現状、このままでいいかな」というスタンス。ヌルい。

フェンダーステイに関してはすべて穴開きタイプ。片面に押し出しピン跡があるので、工具箱に隠れる場所以外は綺麗に消しておきたい。なお、この仕様では全穴あきでいいのだが、1941年型の中盤以降は時期により、位置により穴あきでないステイも使われるようになるので、改造する人は注意。

砲塔

なにしろ「KVの溶接砲塔は非対称(左側面前方がより強く絞られている)」というのを、このキットの発売発表後にようやく知ったくらいなのでまったく偉そうなことは言えないのだが、とにかく、それが再現されているというのは目玉の一つだろうと思う。

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砲塔の形式それ自体については、以前にまとめた記事を参照してほしい。同記事中では、「標準型溶接砲塔(タイプ3)」とした形式にあたる。

タミヤとしても気合の入っている部分のようで、単純な左右分割ではなく、ほぼ実物同様の面構成のパーツを貼り合わせるようになっているが、合わせは非常に良い。接合部の埋め込みボルト表現、バッスル下に側面・後面の装甲厚が出ている表現なども芸が細かい。また、全面に圧延キズの再現モールドが割と派手目に入っている(旧シリーズのKV-2を彷彿とさせる)。それ自体はいいのだが、同じく圧延鋼板で組み立てている車体は表面がスベスベなのとのギャップが気になる。

ちなみに現存の博物館車両の装甲板表面はかなりの「あばた面」になっているものが多いが、これは水没していたり地面に埋まっていたりして表面がサビサビになっていたせいなので、模型であまり表面をボコボコにするのは実感を損ねる(と、個人的には思う)。

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ハメ合わせのために一部切り欠きがある状態ではあるものの、砲塔リング部のギアと、砲塔側のカバーが再現されているのはタミヤとしては珍しい処理という気がする。

砲尾は全く再現されていないので、このままで「外れてひっくり返った砲塔」のジオラマ等にはできないが、エンジンデッキ上の点検ハッチがすべて開閉選択式であることもあわせて、独ソ戦の緒戦期によく見られる「撃破・放棄されたKV」を再現したい人への配慮ではないかと思う。

展開と改造

車体上面の砲塔リングガードの取付穴、戦闘室前面の増加装甲の取付穴は非貫通。先述のように転輪パーツはより初期のタイプへの展開を見越した枝配置。というわけで、いつになるかは判らないが、より初期の形式のKV発売を想定しているのは確かだと思う。

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特に、砲塔側面、車体側面の上部転輪の間に非貫通穴が用意されており、いわゆる“エクラナミ”(旧シリーズでの名称、KV-1B)はほぼ確実。旧キットはベース車体が1941年型の中盤以降のため、ヌエ的な仕様になってしまっていたが、今回のキットの車体をベースにするなら、より正確な仕様となる。

なお、エクラナミの場合は今回のキットでセットされた「リブ付きの後期型・緩衝ゴム内蔵転輪」でも標準型転輪でも、どちらでも構わない。

車体前面の増加装甲無しも想定されていることを考えると、KV-2(標準型)の発売もありそう。大砲塔のKV-2初期型は車体ディテールがかなり違うので考えづらい。

▼一方、「タミヤの最初のKV」であった鋳造砲塔型のKV-1は1941年型の中盤以降の仕様で、今回のキットとは単に砲塔・転輪の違いだけでなく、車体自体にボルトの間引き、ハッチ形状の変更などの改修が入っているため、そのものズバリの仕様のリニューアル発売は考えづらい。

ただし、より初期の生産車(おそらく1941年内)で、今回のキットと基本同一の仕様の車体に鋳造砲塔を載せたものはあるので、(どこまでディテールのバランスをとるかという問題はあるが)旧キットの砲塔を持ってきて載せ替えるお手軽改造はありかな、と思う。

目玉の「新しい、非対称砲塔」を使わないことになっちゃうけど。

▼フライング気味に、手元に余っていたトランぺッターの増加装甲パーツを使ってエクラナミを作ってしまおうか、などとちょっと考えて、パーツを合わせてみた。

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砲塔の増加装甲に関しては、上下幅はピッタリ合う。砲塔後端の傾きはごくわずかにずれがある。これも含めて、ぴったりフィットさせるには若干の調整が必要。また、写真の右側面に比べ、(非対称が再現されているため)湾曲具合が深くなっている左側面は、微調整の必要性がより高そう。

「ほぼ合っている」だけに、むしろ微調整が面倒くさそうで、「うーん。これならおとなしくタミヤのエクラナミの発売を待っていた方がいいかな」に傾き中。なお、当然ながら主砲の交換、上部転輪の交換も必要になる。

▼KV-2に改造する場合は、車体の増加装甲、砲塔リングガード等はすべて取り付けず、砲塔の交換、転輪・上部転輪の交換が必要になる。そもそも形状の把握に難があるタミヤの旧キットの砲塔を載せるのは、「新しい酒を古い革袋に入れる」ようなものでバランスが悪く、個人的にはお勧めしない。

トランぺッターの砲塔、転輪・上部転輪をコンバートしてくるのはよいが、個人的には「そこまでするなら素直にトランぺッターに手を入れて作った方がいいじゃね?」という感じはする。

▼最初にちょっと書いたように、キット指定の塗装例にある第116旅団の「スターリンのために」は、左フェンダー雑具箱の前のワクに筒形増加燃料タンクが載っている。右フェンダー上がどうなっているかは判らないが、このタイプの燃料タンクの標準搭載位置は右フェンダーの3ワクと左フェンダーの2ワク。

燃料タンクそのものは標準化されたものなので、T-34あたりから流用可能(ただし持ち手のついた両面は緩く窪んだタイプが一般的なようだ)。フェンダー上に固定用ベルトの留め具があるだけで、タンク本体をホールドする受け具のようなものはなく、フェンダーに直置きされているらしい。

こんくるーじょん

なんとなく海外サイトのキットレビュー風に。新キットだけにシャープさは十分、組み立て易さには(タミヤらしく)十分配慮された良いキットであるのは確かだが、ディーテール的には手放しで褒めづらい部分がいくつかある。

自分で手に入れてチェックしてみるまでは、「トランぺッターのキットも十分いいんだけれど、これからのKVキットのスタンダードはタミヤになるんだろうな」と思っていたのだが、「残念ながら」という気持ちではあるが、実際には、トランぺッターに負けているとは言わないまでも、置き換え切れていない感じ(トランぺッターの価値はまだまだ高い)。トランぺッターもあれやこれや弱点のあるキットなので、このへんでビシッと決定版的キットを出してほしかった……。

身も蓋も無い言い方をすると、もしもガッツリと手を入れてKVを作ることを考えるのであれば、このキットをベースにしつつ、転輪その他パーツをごそっと入れ替えるためにトラペのキットを1輌手に入れてもいいかな、という感じ。トラペのKVシリーズは後になって発売された一群を除いては、2000円そこそこで買えるので、ディテールアップ用のアフターパーツと考えてもそう高くはない。

「Recommended」よりは高め、「Highly recommended」のマイナス、といった感じかな?

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KV-1 1941年型 初期生産車 タミヤ 1:35(その1)

20200617_121446 ●なお新型コロナ感染症の第2波が心配されるところではあるが、用事があって一か月ぶりくらいに多摩川を越えたので、秋葉原に寄り道。期待の新作、タミヤの「KV-1 1941年型 初期生産車」を購入。ついでにパッションのルノーR35用エッチングも買いたいと思ったのだが、秋葉原駅周辺の店ではどこも品切れだった。

というわけで、とりあえず、ある程度主要部品を合わせてみたりした時点での簡単なキットレビューを。

FBのAFV模型のニュースグループでも、このキットを買った(あるいはもう作った)という書き込みは多く、タミヤの新作キットであるからにはそれなりに話題に上るのは当然にしても、「えっ、KVってこんなに人気だったんだ!?」と 思ってしまうほど。いずれにしても、「ピタピタと部品の合わせが決まる」とか、「旧作と比べてモールドもディテールも格段に向上」とかは多くの人が書いていることだと思うのでここではもうちょっと重箱の隅というか、個人的な「気になり部分」や、仕様としては重なっていないものの、特に直接のライバルとなるトランぺッターのキットとの部分比較などを試みることにする。

ニュルンベルク・トイフェアにおける発表時にあれこれ書いたこととは一部重なるが、ご容赦を。

仕様について

発表時のキット名称は「KV-1 1941年初期生産型」だったが、発売にあたって、「KV-1 1941年型 初期生産車」に改められた。

KV戦車のタイプ分け(年式)は、基本、後の研究者による便宜的なものなので、資料によって(使う人によって)若干の違いがある。しかし一応は、以下のような分け方が最も一般的だろうと思う。

  • 1939年型:主砲がL-11
  • 1940年型:主砲がF-32
  • 1941年型:主砲がZIS-5
  • 1942年型:主砲がZIS-5、かつ車体が装甲強化型(エンジンデッキが後部まで水平で、後端装甲が平板)

キットの「1941年型」もこの分類に準拠している。

KVはもともとレニングラードにあったキーロフ工場で生産が行われていたが、ドイツの侵攻により、工場がチェリャビンスクに疎開。1941年10月からは、このチェリャビンスクの工場でZIS-5搭載型の生産が始まる。キットは、ちょうどこの、生産が始まったばかりの頃のZIS-5搭載車を再現している。

(もう少し細かく言うと、キーロフ工場が疎開するよりも前にチェリャビンスク・トラクター工場でKVの生産準備と限定的な生産は始まっており、これに疎開してきたキーロフ工場が合わさって、10月初旬に「チェリャビンスク・キーロフ工場」と改称される。……ややこし。)

したがって、KV戦車に関しては、ドイツ軍側からの「相手を舐めてかかって侵攻してみたら、味方の対戦車砲弾をことごとく跳ね返して進んでくる怪物に遭遇して驚愕」というイメージが濃厚だが、少なくとも独ソ開戦(1941年6月)時点のジオラマなどに登場させるのは不適ということになる。

この点で、発表時の「KV-1 1941年初期生産型」という名称は、同年初めに生産されたように読めてしまって紛らわしく、訂正されたのはよかったと思う。もちろん、「1941年型 初期生産車」だって十分に紛らわしい、と言われればその通りなのだが、これはタイプ分けとして上記の方式が浸透している以上仕方がない(もちろん、「1941年10月生産車」とかいった言い方も可能ではあるが)。

さて、KVの1940年型(F-32搭載型)は、レニングラード工場では1941年夏(6-8月)にごっつい増加装甲型(いわゆる“エクラナミ”、タミヤの旧キットバリエーションのKV-1B)が生産され、その後、装甲強化型砲塔が登場したり、車体ハッチがより簡易なものに変更されたりしているのだが、疎開先のチェリャビンスクでは、移転に伴うごたごたか、サプライチェーンの問題か、それらの改修は反映されていない、より古い形質のKVが生産されている。

10月になってZIS-5搭載型が生産され始めた当初もその状態は変わらず、ものすごく大雑把に言うと、「搭載砲は最新型なのに、車体の形質はむしろやや旧型」という仕様のものが生産されることになる。キットが再現しているのは、まさにこの仕様で、具体的には、

  • 1941年の前半に生産された、1940年型標準型と同型の溶接砲塔にZIS-5搭載。側方ペリスコープ下に跳弾リブがあるなど、標準的な1940年型砲塔に比べ若干のアップデート。
  • ベース車体はほぼ標準的な1940年型と変わらないが、これに砲塔リングガードや車体前面の増加装甲を装着。
  • 転輪は1941年夏(エクラナミの途中あたり)から年内いっぱいくらいの生産車で主に使われている、リム部に小リブのある後期型・緩衝ゴム内蔵転輪。履帯は全リンクがセンターガイド付きの初期標準の仕様。

……などなど(詳しくは後述)。既存(トランぺッターとかズベズダとか)のキットのスキマを狙ったような感じになっている。ただし、キットの箱絵/デカールに採用されている第116戦車旅団の「スターリンのために」の実車と比べると、(部分的に仕様の異なる転輪を履いている、フェンダー上に筒形増加燃料タンクがあるなど)わずかに仕様の差がある。

なお、チェリャビンスク・キーロフ工場のZIS-5搭載型は、ZIS-5が搭載されるようになって間もなく鋳造砲塔が登場、さらには緩衝ゴムを内蔵しない全鋼製転輪やエンジンデッキパネルのボルトの間引きなど、また新たな簡略化改修が重ねられていくことになる。

パーツ構成

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  • A・Pパーツ(2枚):転輪等、フェンダー上の工具箱など。A枝とP枝は連結状態で、A側が起動輪、誘導輪、転輪の緩衝ゴム抑え板、P側が転輪本体と鋼製上部転輪。P側の差し替えで、初期の標準型緩衝ゴム内蔵転輪に対応することを想定しているものと思われる。(上写真左)
  • Bパーツ:フェンダー、車体後面板、前端のアングル材など。
  • Cパーツ:箱組の車体基本パーツ。
  • Dパーツ(2枚):部分連結式の履帯、サスペンションアームなど。
  • E・Qパーツ:砲塔関連パーツ。E枝が砲塔本体で、Q枝が主砲のZIS-5の砲身や防盾周り、砲塔リングガードなど。これも転輪枝同様、Q枝部分の差し替えで1940年型への含みを持たせているものと思われる。(上写真右がQパーツ。一部パーツ切り離し済)
  • Fパーツ:透明部品(前照灯レンズとフィギュア用ゴーグル)。
  • ほか、ポリキャップ、ワイヤー用糸、デカール。

とにかく、このキットに関しては「砲塔の非対称が再現された」というのが大きなポイントという気がするが、それも含めて、以下、細かいあれこれ。気になった部分について、ブロックごとにつらつらと。

車体基本パーツ

旧キットは車体がフェンダーを境に上下分割されていたが、新版は実車同様の構成。トランぺッターでは見落とされていた「上部転輪位置の不均等」も表現されている。ただし、絶対的な位置そのものに関しては、後ろ2つの上部転輪もトランぺッターのキットと若干のズレがあり、タミヤのキットのほうが、全体的に前方に寄っている。差異は微妙なものなので、どちらがより正確なのか、現時点では判断は保留したい。ただ、左側面最後部の上部転輪基部と、最後部転輪用ダンパーの位置関係からすると、タミヤのほうが実物に近そうな感じはする(もちろんそれだけで断言はできないが)。

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エンジンルーム上面パネルは、横方向のボルト数が11本の1940年型車体の標準。ボルトは平頭。パネル最前部、砲塔リング左右の3本のボルトは、トランぺッターの1940年型キットでは中央の1本(右写真黄色矢印)が忘れられていたが、このキットでは抜かりなく再現。

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エンジンパネルの吊り下げリングは、トランぺッターでは別部品で再現されていたが(左写真ライトグレーのパーツ)、組み立て易さ重視で極小パーツを嫌うタミヤでは一体成型。数は前方パネルで4か所、後方パネルで2か所、点検ハッチに1カ所(ちなみにトランぺッターは後方パネルにも4か所付けているが、これはモスクワ中央軍事博物館の展示車輛に引きずられた誤り)。

当然、タミヤのモールドに穴は開いていないので、0.5mmのドリルで開口した。トラペのパーツとは大きさが違うが、トラペが別パーツ化のために大きくしたという感じではなく、タミヤのモールドがやや小さい感じ。また、タミヤのキットではすべてお行儀よく穴が左右を向くことになるが、実車は自由回転するのか、あるいはアイボルトになっていて締め方の問題なのか、向きはてんでんばらばらなのが普通。モールドをいったん切り落として向きを変えるか、それともそもそもトラペのパーツに交換してしまうか悩み中。

中央の点検ハッチは、このリングが中央1か所の初期型形質。これがレニングラード工場の1940年型でも後期の型や、1941年型の標準的仕様では左右2カ所になる。点検ハッチのリングには、砲塔の手すりに引っ掛けてハッチを開位置で固定するためのフックが付いているのだが、キットではさっぱり省略されている(ちなみに旧キットでは上面に一体成型だった)。これは本来付いていて然るべき部品なので、パーツを含めておいて欲しかった。

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ラジエーターグリル、および後端オーバーハング下のメッシュはプラパーツ。ラジエーターグリル部が別パーツなのはトランぺッターと一緒で(ただしトラペと違ってメッシュ下のルーバーは再現されていない)、これは後々、アフターパーツのエッチングなどと交換する場合には都合がよい。一体モールドだった旧キットは、このメッシュが前端まで同じ断面形のカマボコ型だったと思うが、そのような形状なのはたぶんKV-2の初期型だけで、通常はこのように先端が潰れている。別売のエッチングパーツでも、これは再現されていないものが結構多い。

なお、エッチングで組む場合にこの断面変化は曲げが面倒になる部分で(アベールでもなかなか難しかった)、たぶんこれから出るであろうタミヤ用エッチングパーツ(パッションとか)では一工夫欲しいところ。

右写真で一緒に写っている車体前端のアングル材は、初期型車体標準の、埋め込みボルトが11本のタイプ。1940年型でも、第371工場で生産されたという装甲強化型砲塔を載せたタイプ(1941年の初秋生産)では8本に減っているが、チェリャビンスク工場では、ZIS-5搭載型になってもまだ11本タイプが使われていたらしい。同工場での生産車ではその後1本おきに間引く感じで6本になり、さらにその後は埋め込みボルト自体が廃止されてしまったようだ。というわけで、前後のタイプに改造しようという人はご注意を。

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湾曲した車体後面板の下端は、シャーシの床板との間に段差ができる仕様。

レニングラードで作られた1940年型では、この部分は床板とツライチになるように面取りされている(トランぺッターのキットでは初期型車体でもそのようになっていないので注意)。一方で、このキットの仕様に最も近いと思われる、モスクワ中央軍事博物館の屋外展示車輛では段差付きになっているので、キットの仕様で組むのであれば、段差付きのままでよいようだ。もしかしたら、チェリャビンスク工場での生産車は最初から(手間を省くために)段差付きであったのかもしれない。

シャーシ前面増加装甲は、向かって右下角に切り欠きがないタイプ。もともとこの切り欠きは、車体側に埋め込みボルトの溶接痕があって、そのままでは増加装甲が干渉して浮き上がってしまうのを、最初は溶接痕のほうを丁寧に削って平らにしていたものを、後にはお手軽に増加装甲側に切り欠きを作って対処するようになった――というものではないかと思う。

エクラナミあたりだと切り欠きはないのが普通で、1940年型でも短バッスル砲塔(バッスル下が丸でも角でも)だと切り欠き付きが普通になっている感じ。問題はキットの仕様だが、これも実際には切り欠き付きの可能性が高いのではと思う。なお、キットでは車体側の埋め込みボルト痕は再現されていない。

転輪と上部転輪

転輪は先述のように、リム部に小リブのある緩衝ゴム内蔵転輪のなかでも後期のタイプ。実際には、キットの塗装例にある、第116戦車旅団の「スターリンのために」号は、少なくとも左側第一転輪はちょっと珍しい、リブが小さくまばらなタイプを使っている(詳しくはセータ☆さんの記事「KV-1 ハーフリブ・タイプ転輪」を参照のこと)が、キットにはこのタイプの転輪は付属していない。

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写真1枚目は、右から、今回のタミヤの転輪。中が同タイプのトランぺッターの転輪。左は今から30年くらい前だったか、タミヤのKV-2を当時出来る範囲の技術力でとことん手を入れて作ろう!と思った時にタミヤの転輪では我慢できず、原型を作って知人にレジンで複製してもらった自作の緩衝ゴム内蔵転輪(標準型)。ちなみにそのKV工作は、転輪を作っただけで力尽きた。

写真2枚目は、より詳細に比較するため、タミヤとトランぺッターの転輪を並べて、おおよそ正面から撮ったもの。全体の径はタミヤとトランぺッターで変わらず、内側のゴム抑え板の径も変わらない。全体のモールドもタミヤのものはシャープでよく見えるが――

 (1).ゴム抑え板の中心部分、転輪ハブ部分がトラペに比べてやや大きい。実車のパーツと比べると、トラペのもののほうがバランスが良いように感じる。ただし、ゴム抑え板パーツ単体で見ると目立つ径の違いが、実際に(この写真のように)転輪に付けてしまうとそれほどは目立たない。

 (2).しかし、それよりも気になるのは、ハブキャップ周りのリング部分に本来ある8カ所の刻み目が、トラペでは再現されている(私の30年前の自作パーツでも再現している)一方で、タミヤのパーツではさっぱり無視されていること。うーん。これはちょっと……。

 (3).また、このゴム抑え板は転輪の表側と裏側、さらには向かい合わせになった内側と、4面ですべて同じはずだが、タミヤの転輪パーツでは、3枚目の写真にみるように、外側転輪の内側はモールドがないつんつるてん、内側転輪の内側(変な言い方)ではそれさえもなく窪んだ形状になっている。実際、組み上げてしまえば見えにくい部分ではあるが、全く見えないというわけでもなく、この処理はちょっと残念。

 (4).「どうせ見えないからいい」と言ってしまえばそれきりだが、タミヤの転輪では、転輪の表と裏でリム部の小リブの位置が鏡写しになっている。実際には(トラペの転輪でそうなっているように)穴とリブの位置関係は正面から見たときに表側も裏側も一緒のはず。穴の位置は表裏で固定のため、リブ位置は表裏で穴を挟んで反対側にズレることになる。4枚目の写真が転輪裏側の両社比較で、タミヤの転輪のリブ配置がトランぺッターの逆(そしてタミヤの転輪の表側とも逆)になっていることがわかる。

 (5).さらに一点。タミヤのキットは転輪の内側・外側、さらにゴム抑え板の3パーツそれぞれに位置決めダボがあり、転輪の内外は穴の位置がきっちり揃い、ゴム抑え板はリム部のリブに対し、ゴム抑え板のリブがやや時計回りにズレた位置ですべて揃うようになっている。しかし、実際の転輪は緩衝ゴムを挟んでそれぞれのパーツは独立しているため、位置は個々の転輪でてんでんばらばらのはず。キットのようにすべて揃っていては逆に不自然。

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上部転輪はチェリャビンスクで導入されたものと思われる全鋼製のもの。初期型への展開に備えてか、リブ付き転輪リム部と同一枝。

起動輪と誘導輪

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起動輪はきちんと16枚歯。旧キットでは歯数が余計で、トランぺッターではロットによって(?)スプロケット固定ボルトの位置ズレがあるなど、意外に恵まれていなかったパーツなので、素直にそのまま使えるパーツが出たのは嬉しい。

トラペのパーツに比べると若干メリハリに乏しく、ちょっとノッペリして見えるかもしれないが、実車も段差はそれほどなく、むしろこちらの方がイメージに近い。中央皿形カバーは初期型標準の16本ボルトタイプ。

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一方でいささか問題ありに思えるのが誘導輪。形状的にはほとんど変わらないのだが、径が明らかに違う。青木氏の書き込みで知ったがタミヤの旧キットの誘導輪と比べでも小径とのことなので(そもそも小径だということ自体、氏の書き込みで知ったのだが)、トラペと旧キットの誘導輪径はほぼ同じ、新キットだけ小さい、ということであるらしい。直径はトラペが約19.5mm、タミヤは17.8mm程度で、1.5mm以上の差がある。

写真からの読み取りとか、実車の計測の過程とかで「やや大きい/小さい」くらいの差が出るのは普通にあるだろうが、サイズが1割も違うとなると、明らかに元になった寸法データ自体が異なっている。

手元の資料中に、実車の正確な誘導輪径は見つけられなかったが、「フロントバヤ・イルストルツィヤ」に掲載されている1:35の図面のサイズはトランぺッターのものに等しく、また、何輌かの現存車輛のおおよそ真側面の写真から、転輪と誘導輪の大きさの比を計って比べた結果でもトランぺッターのほうが正確そう。ええ、どういうこと……?

「実は全く相似形で大小2種の誘導輪があった」とかいう大どんでん返しの結末だったりすると、「2種類の誘導輪が簡単に手に入るようになってラッキー♪」だが、さすがにそんなことはなさそうな気がする。

長くなったので続きは改めて。

6/27追記:グムカ(高田さん)のツイッターによれば、KV-1Sには、KV標準型のものと相似形で小径の誘導輪が使われているそうだ。ただし、1Sであってもすべて小径であるわけではないらしい。問題は、その小径の誘導輪がいつから使われ始めているかで、より綿密な検証が必要になりそう。しかしそこでネックになるのは、大小あったとして、それが同じ形をしている(相似形である)ことで、「いやいや、明らかに違うものだと判るように、外形的特徴も変えといてくれよキーロフスキー!」と、声を大にして言いたい。

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衣笠高角砲台再訪

●我が街・逗子と、その周辺の軍事遺構、特に高角砲台に関しては割と積極的に訪ね歩いているのだが、衣笠高角砲台は基本、何の手入れもされていない状態で、昨夏チャレンジしたときには笹薮に阻まれて結局山頂の砲台までたどり着けなかったのだった。その時の探訪記はこちら

そもそも草深い夏に行くのがいけないのであって、冬になったら再挑戦しようと思っていたところ、hn-nhさんが計画に乗ってくれ、さらに比較的ご近所のみやまえさんも加わってくれたので、勇気百倍で出掛けることにしたのだった。

衣笠高角砲台についての基本的な事項は、毎度お世話になっている以下の2サイトを参照のこと(おんぶにだっこ)。

また、現地を訪れるにあたっては、以下の探訪記あたりを参考にした。

●そんなわけで6日木曜日、平日昼前にJR衣笠駅で集合する。hn-nhさんとはここ数回の年末の東京AFVの会で顔を合わせていて、みやまえさんとはネット上でそれなりに長くお付き合いがあるが、直接お会いするのはたぶん初めて。駅前のモスバーガーで軽く昼食をとって出発(というと、さっさと出掛けたように聞こえるが、実はここですでに模型談議その他でそこそこ時間を費やした)。

前回一人で行ったときには「しょうぶ園」までバスに乗ったのだが、今回は、先人の探訪記で「ふもとの兵舎跡」と紹介されていた遺構も見たかったので、最初から歩きで目的地に向かう。

こちらのサイトでは衣笠中学校の南西と書いてあったので、学校にほぼ隣接しているのかと思ったが、実際にはもっと(直線距離で300m程度?)西。畑の中にコンクリートの、何かの基礎のようなものが露出している。

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かなり細長い、中央横一直線の入った長方形(仮にA枠とする)。その向こう、写真向かって右には、深めのバスタブ状のものが複数(B枠)。逆に最初の長方形の左の向こう側には背の低い長方形(C枠)。

それぞれが個別で何かの建物の基礎だったと考えるには小さいので、これ全体を覆うような建物の、水回り(例えば炊事場とか風呂とかトイレとか)だろうか。バスタブ状のB枠は、一部が地面から浮き上がったり、またその結果としてやや傾いだりしているが、下辺の処理を見るに、移動可能のものを単にそこに置いたというのではなく、もともとその場所にあったものが、下の土が流れて下辺が露出してしまったふうに感じられる。最後の写真はA枠の一部を接写したもの。綺麗に丸くなった川砂利が使われていて、それなりに古いものであろうことは推察できる。

●ここで(いまさらの)ロケーションのおさらい。

まずは現状。オープンストリートマップ(OSM)より切り出し加工。

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①:衣笠駅 ②:上述のふもとの遺構(と思しきもの) ③:現在ある道から、半ば藪に埋もれた旧砲台道への分岐 ④:砲台推定位置

地図内のオレンジの枠線は、下の米軍撮影空中写真(国土地理院の地理空間情報ライブラリー、「地図・空中写真閲覧サービス」より。写真整理番号USA-M46-A-7-2-129、1946年2月15日撮影)で切り出した部分(おおよそ)を示す。

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●ここで改めて、上のふもとの「兵舎らしき遺構」を確認してみる。米軍の空撮の当該部分を拡大してみる(上写真の上側の黄枠)。

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これを見ると、1946年2月時点で、すでに目立つ建物等は残っていなかったように見える。写真写りの問題なのかもしれないが、上で、元からそこにあったように見えると書いたB枠相当のものも確認できない。こうなると、兵舎だったのかどうか(そもそも砲台に付随した施設だったのかどうか)も若干怪しくなってくる。とりあえず「古そうなもの」なのは確かだが、実際は何だったのか。地元で話が伝わっていたりしないだろうか(畑に人がいれば聞けたのだが)。

●「兵舎らしき遺構」の先辺りから、足元は砂利道になる。OSMでは破線の細い山道が2本描かれているが、外側(西側)のほうを歩く(東側への分岐は気が付かなかった)。道幅からも、上の空撮からも、こちらがもともとの砲台道だったように思える。

夏には藪に埋もれてすぐには判らなかった山頂への分岐(上の地図の③、下の空撮写真切り出しのAポイント)だが、藪が薄くなり、踏み分け道も判りやすくなっていた。「これは山頂の砲台まで、割とすんなり行けるのでは」と期待も高まる(というのが大きな間違いだったのが後に判明する)。

夏に登った時からあった気がする古い倒木や、昨秋の台風で新たに倒れたと思しき倒木なども時に乗り越えたりくぐったりしつつ、中腹をぐるりと時計回りに巻いて進む。そういえば今回は、途中の山道の写真は全然撮らなかったな……。

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改めて、砲台周辺のみの切り出し拡大(最初に掲示した空撮写真のおおよそ下黄枠部)。砲台の北東側(おおよそBポイント)には、前回も入り口写真をUPした洞窟がある。その近くには外方向への分岐があり、何らかの付随施設があったらしい(Cポイント)。夏に行ったときには気付けなかったが、今回はその分岐が(誰かが草を刈って踏み分けたような跡があり)判り、その先の藪の中には、コンクリートの基礎が確認できた。

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いや、まあ、この写真だとただの藪にしか見えないけれど……。

「本道」に引き返し、そのまま割とまともに踏み分け道っぽいルートを道なりに進むと、前回も確認できた足元のコンクリートの基礎群、およびその先には高さ約2mの直方体の建物に行き当たる(Dポイント)。空撮写真を見ると、小さな建物群が固まっていたようにも見える。聴音所、もしくは計算所等の施設だったのではと考えられる。

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「このへんは前回結構写真を撮ったから」みたいな意識でいて、あまり真面目に撮影していない。いかんね。

1枚目は、一群の「主役」的な直方体の建物を計測するh隊員とm隊員。この建物はレンガ積みの上からコンクリートをかぶせた構造で、2枚目は建物の入り口内側のコンクリートが剥がれてレンガが見えている箇所。3枚目はやはり入り口脇の外側頂部付近で、レンガが段ごとに長手と小口が見えているイギリス積みであることが判る。この建物は頂部も一部は崩れているものの、この部分を見るとレンガ+コンクリートの本来の高さもここまでで、この上はもっと簡素な造りの屋根が乗せられていたのではと思われる。

●少し引き返し、改めて山頂広場方面への道の痕跡をたどる。前回はほんの少々進んだところで笹薮に阻まれ、それ以上進むのは断念した。それに比べると、今回は季節柄、まだ進みやすい……と思ったのも束の間。

おそらく、上空撮写真のEポイント近くまで進んだあたりで、濃い笹薮に突っ込んでにっちもさっちも行かなくなってしまった。なお、空撮ではEポイントに何らかの小施設が確認できるが、今回は(とにかく藪を漕ぐのに必死で)その基礎等痕跡は発見できなかった。

せっかくのリベンジなのに、前回からさほど進歩もなく諦めるのは悔しい……というのに加えて、今回は、酷い目に遭うにしても2人も道連れがいることもあって(失礼)、なんとか強行突破できないか、やや戻ったポイントから山頂に向けての斜面を突っ切ってみることにする。

冬だから藪が薄くなっている、と言っても、笹薮の笹はそのまま濃密に茂っていて、それをかき分けて進む。笹の細かい枯れ葉のかけらとか、枯れ枝のかけらとかが頭上からパラパラ降ってきて、襟から背中に潜り込んだりして散々な思いをする。後からみやまえさんに「あの段階から進もうとするとは思わなかった」と言われたが、いや、絶対に一人なら進んでません。なお、この時の様子は(藪漕ぎが大変すぎて)まったく写真に残していない。

「とにかくこの先にあることだけは確かなんだから」という思いだけで進んで、登り切ったあたりで砲座の遺構にたどり着いた。

●すり鉢型の砲座は、基本、小坪高角砲台(披露山)や武山高角砲台(砲台山)と同形で、配備された砲も同じ四十口径八九式十二糎七高角砲 。国立公文書館アジア歴史資料センター所蔵の「砲術科兵器目録 横須賀海軍警備隊」(終戦直後にまとめられた各陣地の配備品ほかのリスト)によれば、終戦時には同砲2基4門。上空撮写真でいえば、ET顔の陣地の左右両目の部分が砲座で、下側の2連の◎はやや小さいので、測距儀とか聴音器、探照灯とかだろうか。

たどり着いた砲座自体、ほぼ藪の中に埋もれていて見通しも悪く、基本、部分写真しか撮れなかった。

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上の3枚はすり鉢状の砲座の内壁。1枚目、弾薬仮置場とされる壁龕の向こうには小さな通路が見える。最初はこれが砲座への入り口階段かと思ったのだが、披露山や砲台山の入り口階段より明らかに狭く、階段それ自体もない。後から、入り口階段はさらに向こうに別に存在していたことが判明したので、これは、披露山や砲台山の砲座にはなかった(塹壕状の)小通路の口らしい。披露山と砲台山にも違いがあるので、同じように見えてどこも何かしら独特の部分があるようだ。

2枚目写真はその小通路口からさらに向こう側を撮ったもの。3枚目写真はさらに進んで、待避所(?)入口から振り返って小通路口、壁龕を撮ったもの。

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壁龕2か所。内部のコンクリート肌は風雨にさらされることもなく、非常にきれいなままに残されている(ただし1枚目の壁龕は入口近辺が若干崩れている)。

待避所は、すり鉢状の円周から一段窪んで入り口の壁面があり、その奥に部屋があるという二段構えだったようだ。円周から一段窪んだ両側は径方向に壁面を切っているので、入り口との壁面は鋭角で接している(判りにくい説明)。以下、待避所のディテール。

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上部はコンクリートが崩れた跡があり、もとはコンクリートの天井があったものが崩落したらしい。高さから考えると、現在は落ち葉等々で埋まっているが、砲座よりも一段低く作られている可能性もありそう。現在は露天になってしまっているが、壁面は壁龕同様に滑らかな状態が保たれている。

待避所のさらに向こうに、本来の砲座への入り口だった階段跡が発見できた。現在は両側の壁が残っているだけで、階段自体は崩れてなくなってしまっているが、側壁に階段の跡が認められた。

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ちなみに、この入り口階段はほぼ北を向いていて、その向こうは、少し先から北東方向に急斜面になっていた。したがって(藪の中でだいぶ方向が怪しくなっていたが)、我々がたどり着いたこの砲座は山頂陣地の東側のもの(上空撮のFポイント)だったと思われる。

砲座の中央には、もともと四十口径八九式十二糎七高角砲が据え付けられていた穴が残っている。これは披露山や砲台山ではすでに埋められてしまっている部分。

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コンクリートが2段(?)の円筒状に窪んでいて、これは、公園に改装される前の披露山の砲座でも同様だったことが判っている。

本来はこの周辺に指揮所と思しき建物跡やもう一つの砲座もあるはずなのだが、とにかく藪が深く、「もうここに着いただけで十分」という気分になっていたため、この砲座の探索だけで引き返すことにした。なお、帰途の藪漕ぎでも途中で方向がよくわからなくなり、道を外れて登り始めた場所ではなく、最初に「ここは藪が深くてこれ以上進めないよ」と言っていた場所に到着した。いい加減だなあ。

なお、山頂広場をかすめてそのまま西に行った場所には、兵舎らしき大きな建物があったらしいことが空撮でわかる(Gポイント)。

●帰途、行きにはスルーした壕(Bポイント)を覗く。

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入口近辺は素掘りの荒々しい岩肌だが、数m先からはコンクリートが巻かれた壁面に変わる。1枚目が入り口近くから奥を覗いたもの。2枚目はやや進んだ位置から。突き当りから通路は左右に分かれ、壕全体はT字型をしている。古い自動車シートやカブの残骸などが落ちていて、かつてはゴミ捨て場か物置かになっていたようだ。3枚目はT字に分かれた左側で、右側も似たような構造。両側に小部屋のような壁龕が並んでいる。本来の用途は弾薬庫だろうか。「東京湾要塞」では「発電機が置かれていたのではないか」と推察している。

コンクリートのアーチ状の壁面には、型枠跡もはっきり残っている。……そしてこの季節にもしぶとく活動しているオオゲジがいた。

●倒木だらけの踏み分け道程度で、「人間の通る道に戻ってきた」としみじみと語るみやまえさん。「人間の通る道」のハードルがものすごく低くなってる……。

その後、「もっとちゃんとした人間の通る道」まで戻り、前回同様、衣笠城址を経由して、バスに乗って横須賀中央まで。

いつも一人で山歩きする時には昼食をとってからのんびり出掛けることが多いので、山から下りてきたころには夕方になってしまうのだが、この日はまだ時間がたっぷり。三笠公園でコンビニコーヒーを飲んだり、(このところ個人的に第二次マンホールブームなので)ふと思い出して横須賀市役所に行ってマンホールカードを貰ったり。

夕方までぶらぶらし、その後、3人で軽くビールで乾杯し解散。実り多かった……。hn-nhさん、みやまえさん、どうもありがとうございます。

なお、今回の探索行ではhn-nhさんがレーザーポインターで遺構の大きさ等をいくつか計測していたので、もうちょっと中身のあるレポートが、いずれhn-nhさんの「ミカンセーキ」に載るかもしれない。


●娘に、「私がお金を出すから、代わりに『メイドインアビス』の映画を観に行ってほしい」と言われ、私自身、「メイドインアビス」というマンガ/アニメは好きなので断る理由もなく、金曜日、川崎の実家に行くついでにいそいそと観に行く。

そもそもなぜ「娘の代わりに」なのかというと、上映週ごとに変わる入場特典のプレゼントがあり(しかもその中にも種類があって何が当たるかはランダム)、娘はすでに2回もこの映画を観に行ったのだという。さらに、本編上映前に映されるオマケ短編も週替わりなのだそうだ。何そのAKB商法。最近の映画、あざと過ぎる……。

とはいえ映画そのものは面白く(というか切なく悲しく)、しかももう4週目の平日ということもあってガラガラで、ゆっくりと楽しむことができた。内容自体は「to be continued」(そもそも原作もまだ終わっていない)、放映時期は決まっていないものの、テレビ第二シリーズに続くのだそうな。

ちなみに貰ってきた入場特典は5種類?の絵柄の付箋紙なのだが、まさに娘が欲しいと思っていたものがピンポイントで入っていたとかで狂喜していた。その絵柄というのが、ボンドルド(いわば敵役)の手下。欲しがるものがマニアックすぎる。

●ひとつ前の投稿への青木伸也氏のコメントで「タミヤの新KVについてmissing-lynxでは『砲塔がちゃんと左右非対称になっとるんかいね』という話題が出てる」という話を聞いて仰天。知らなかったよ……。

というわけで、青木氏同様、慌てて手元の資料をひっくり返して見たのだが、

  • フロントバヤの「イストリヤ・タンカ・KB」上下(2002年?)
  • Wydawnictwo Militariaの「KW vol.1」no.163(2002年)
  • タンコグラードの「KV-1」上下(2005年)

と、すべて溶接砲塔は非対称に描かれていた。下の写真は、フロントバヤとタンコグラードの、それぞれ1940年型エクラナミの平面図ページ。

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エクラナミを選んだのは、増加装甲で左右に広がっているために、車体側面との距離がぱっと見で分かりやすかったため。

いずれにしても、少なくとも20年近く前から、「知っている人は知っていること」だったわけで、乗り遅れ感が甚だしい。KVマニアを堂々と名乗る資格なし!

さて、これに関してはhn-nhさんが新橋のタミヤ・プラモデル・ファクトリーで見本を確認してきたというのを(上の衣笠砲台探索行の際に)聞き、写真も見せてもらったが、しっかり非対称に、左が右より前方に絞った形状になっているようだ。この詳細に関してはhn-nhさんの「ミカンセーキ」の記事を参照のこと。

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新製品ショック

●数日前から(1月29日~?)ニュルンベルクのトイフェア(Spielwarenmesse Nürnberg)が開かれていることもあって、あれこれ新製品のニュース・ラッシュ。

青天の霹靂だったのは、前記事へのはい人28号さんのコメントにあるように、miniartからT-34-85の1943年型発売が発表されたこと。うがあああああ!

タミヤからは事前に噂が流れていたルノーR35だけでなく、なんとKV-1の完全リニューアル版が登場。

フェア会場での発表に関しては、IPMSドイッチュラントにある程度の写真レポート()とリストがアップされている。

飛行機などでもちょっと気になる製品があったりもするのだが、とりあえず、上記3点について、現時点で分かっていること、気になるポイントなど。

●miniart 1:35「T-34/85 w/D-5T PLANT 112. SPRING 1944」

同社がいずれT-34の戦車型も出してくるであろうことは規定路線と認識していたが、まさかこんな変化球アイテムから出してくるとは思わなかった。大ショック。いや、いいんだ、いいんだ。高田さん渾身の43年型砲塔がminiartに負けるもんかー(←もう何が何だか)。

とりあえず、これも含めたニュルンベルクでの発表アイテムに関するminiartの公式ページ

同社のことなので、今後、かなり細かく生産時期などを刻んで製品展開してくることは間違いないだろうが、とにかく今回発表のものは、砲塔キューポラが後方に移動した、D-5T搭載の1943年型の中では後期に生産されたタイプで、この点では、現在私が製作しているアカデミー/グムカのものとは少し仕様が異なる。それも含めていくつかのポイント。

・miniartのことなので、車体が112工場製の仕様をきちんと再現しているかどうかは、あまり心配しなくてもいいように思う。いや、うん、大丈夫だよね?

・とりあえず今回はエンジンを含めたフル・インテリア再現キット。高そう……。SUの例を考えても、例えば、1943年型の初期型はインテリア再現無しで出してくるといったことも考えられる。

・車体が112かどうかは大丈夫そう、と書いたが、起動輪は箱絵やCGを見る限り、どうやら後期標準のタイプが入っている様子。同工場の-85は少なくとも1943年型くらいまではハブ周囲にボルトがあり、リム部に厚みがあるより初期型の形質のものが使い続けられていたのではないか、というのが現時点での私の考察。

・左側面の筒型燃料タンクは当初は前側だけあるのが普通だが、1943年型でも後期の生産型では後ろ側に移動しているらしく、キットもその仕様。例えば撃破された1943年型後期型(砲塔番号2312)の脇をティーガーが走り抜ける有名な写真(例えばCONCORDの“SOVIET TANKS IN COMBAT 1941-1945”のp56)の車体も、筒形燃料タンクは後ろ側にある。

・筒型燃料タンクの支持架は、箱絵でも取付ベルトの結合部がベルトの途中にあるタイプになっており、支持架自体も112工場仕様になっているのではと思う。

……とりあえず、ものすご~く気になるキットではあるけれども、一生のうちに1943年型を2輌も3輌も作らないだろうし、ものすごく高そうだし、パスかな~。

タミヤ 1:35「KV-1 MODEL 1941 EARLY PRODUCTION(ソビエト重戦車 KV-1 1941年初期生産型)」

後述のルノーR-35は昨年末から噂が流れていたけれど、こちらは「まあ、そのうちあるかもな~」くらいの感じだったので驚き。とりあえず、タミヤの会場発表に関する公式ページはこちら

現時点で、会場発表の見本やパーツから読み取れるポイントは以下のような感じ。

・箱絵もそうだが、仕様に関しては、割と有名な「林の中で待機している第116戦車旅団のKV」に写っている「スターリンのために」と大書された車輛の仕様を、おおよそ忠実にトレースしている(「おおよそ」である点に関しては後述)。

800pxkliment_voroshilov_kv1_model_1 ・形式は主砲がZIS-5に変わった、いわゆる1941年型。この点ではタミヤが一番最初に出した鋳造砲塔のKVと同じ。ただし各部はもっと古い形質で、1941年型としてはかなり初期の仕様となっている。モスクワの中央軍事博物館に野外展示されている車輛(右写真、Alan Wilson from Stilton, Peterborough, Cambs, UK - Kliment Voroshilov KV-1 model 1942 - Central Armed Forces Museum, Moscow, CC 表示-継承 2.0, リンクによる)とも仕様が近く、そちらも参考にしている可能性があるかもしれない。

・関連して。日本語のキット名称が「1941年初期生産型」となっているのはいささか疑問。そもそもZIS-5が搭載され始めたのは1941年秋(10月?)からのことらしい。ZIS-5搭載型を「1941年型」と呼ぶのはある程度コンセンサスがあるところで、その英語名称のように、「1941年型の初期生産型」と呼ぶのはOKだが、「1941年の初めころに作られた」と思わせる名称はどうかと思う。

・車体に関して。エンジンルーム上面のボルトなどが間引きされていない1940年型仕様のまま。操縦手用ハッチも、初期の皿型のものとなっている(キットもそうだが、上記の「第116戦車師団のKV」の写真でもそうなっている)。すでに1940年型の後期からフラットタイプの車体ハッチが導入されているので、(砲塔の仕様とも併せて考えて)キットの仕様の車体は1941年型として新規に生産されたものではなく、古い1940年型を41年型にアップデートした改修車輛である可能性もあるかもしれない。ただし、この時期はちょうど工場の疎開とも合わさって生産体制が混乱していた時期でもあるので、チェリャビンスクにおいて、とりあえずストックにあった旧型部品で生産を開始したものと考えることもできそう。もちろん、モデラーとしてまず気にすべきは「そういう仕様が実在したかどうか」であり、その点はほぼ同一仕様の写真があるので問題ない。

・余談。タミヤの旧シリーズはボルトが間引きされた1941年型でも後半からの仕様で、最初に発売された1941年型(キット名称「KV-1C」)には合うものの、その後発売されたKV-2やKV-1エクラナミ(キット名称「KV-1B」)にはふさわしくなかった。というわけで、新キットをベースに、キット名称KV-1Bの増加装甲付き砲塔・ゴム縁付き上部転輪を持ってくると、より正確な1940年型エクラナミを作ることも可能。また、この仕様で出してきたということは、今後KV-2などへの展開もあり得るかもしれない。

・砲塔に関して。KVの砲塔は似たような形状のものがたくさんあって分かりづらいが、バッスル下の丸部分の前縁にリベットが2つあるので、バッスルが短縮されていない1940年型前半の標準タイプの砲塔であると判断できる。タミヤのツイッターにUPされたこの見本写真でも、後部ペリスコープと砲塔後縁に、ある程度の間隔があることが確認できる(もちろん、見本がきちんとテストショットで組まれているとすれば、だが)。砲塔のタイプに関しては、以前の当かばぶの記事を参照のこと(KV maniacsメモ(砲塔編その1))。同記事内では、この砲塔は「標準型溶接砲塔(タイプ3)」と分類しているものにあたる。ただし、側方ペリスコープ下に跳弾リブが溶接されているなど、1941年型仕様への若干の改修も加えられている。

・履帯は部分連結式のインジェクション・パーツ。ピッチはそれなりに普通に見えるので、起動輪の歯数も直っているだろうと思う。履帯は1941年型の中途から2分割タイプの混ぜ履きが標準だが、キットは(上記実車写真の通り)全部1ピースタイプの初期仕様。各社キットを作るうえでの必要性の高さから言えば2分割タイプ混ぜ履きだったほうがより有り難いが、初期仕様でも十分に有り難い。起動輪の中央皿形カバーはボルト数の多い初期型。

・転輪は緩衝ゴム内蔵型で、その中でも終わりごろに生産されたリム部に小リブのあるタイプ。トライスターの「Russian KV-1's Ekranami」にセットされているものと同一仕様。ただし、実際にはデカールに選ばれている第116戦車旅団?の「スターリンのために」は、少なくとも左側第一転輪には、ちょっと変わったタイプの別バリエーションの転輪を混ぜ履きしている。これについては、セータ☆氏の考証記事「KV-1 ハーフリブ・タイプ転輪」を参照のこと。キットには、さすがに1種類の(標準的な)転輪しか入っていないんじゃないかなあ……。上部転輪は1941年型になって導入された全鋼製のもの。サスペンションアームの軸キャップは6本ボルトタイプか、3本ボルトタイプかは現時点では判別不能。

・その他。実際には、第116戦車旅団?の「スターリンのために」は、車体左フェンダー後部、工具箱の前方マスに筒形燃料タンクを搭載しているが、キットには入っていない模様。

・エッチングパーツはセットされていない模様。ラジエーター上のメッシュグリルは、ごく一部(KV-2の初期型とか)を除いて、最前部が平らになった、単純なくせにエッチングでは厄介(作りにくい)形状なので、これは仕方ないかも。願わくば、タミヤの48キットのような情けない表現にはなっていないように……。ただ、エッチングメッシュが付いていないとなると、後部オーバーハング下も筒抜けになっている可能性大で、やはりどこからか(できれば安くで)この2か所のメッシュパーツが出てほしい。

タミヤ 1:35「FRENCH LIGHT TANK R35(フランス軽戦車 R35)」

ルノーの名前がないのは、商標権がどーしたこーしたなんですかね?(まさか日産に配慮したとか?) とにかく、昨年から噂になっていた(特に私にとっては)待望の新製品。

・形式。1500輌余り生産されたルノーR35には細かいサブタイプの別はないが(足回りが変更された「R40」の制式名称は「Char léger Modèle 1935 R modifié 1939(軽戦車-1935年式-R-1939年改)」なので、これがサブタイプと言えなくはないが)、生産時期によって若干の細部仕様の差がある。キットはおおよそ「中期型」と言える仕様。

・クローズアップ写真がないので断言はできないが、車体は、後期生産型の特徴である操縦席左右のスリット上部のヒサシ状の凸部無し、エンジンデッキのグリル周囲の跳弾リブ無し。一方で、初期の300輌弱のみの特徴である車体前部のアップリケアーマー?もなさそう。

・車体右側の工具箱は若干背の高いタイプ。これについては「生産中盤以降ちらほら見られるような感じ?」というくらいのイメージしかなく、生産時期との具体的な関連性は現時点では不明。

・砲塔前面・左右の視察装置は中期以降の標準であるスリット式のみで、初期標準の双眼鏡式(シュレティアン式)の視察装置は入っていないらしい。仕様としては、初期に生産された(登録番号の若い)車体でもスリット式の場合があるようで、たぶん開戦までに交換された車体が結構あるようだが、塗装の選択肢を広げるという点では双眼鏡式も入っていてほしかったと思う。ちなみに先行のホビーボスのキットは双眼鏡式視察装置だけ(追記。ホビーボスはスリット式視察装置/主砲長砲身の仕様をR39として別に出している)。エレールはコンパチだった。(いや、実は入ってるよ!という場合はゴメンナサイ)

・砲塔天井後端には対空機銃架基部付き。これは付いている車体と付いていない車体あり。時期との関連はあまりよくわからず。実車写真をよく見ると、装着位置が微妙にズレていたりするので、生産後に一部車輛に追加されたものではないかと思う。こういう形状のものについては、ないものを追加するよりあるものを削るほうが楽なので、これは付いているのがより良い、と思う。

・足回りは、履帯に関してはKV同様に部分連結式インジェクション。比較的最近のタミヤ製品に入っていた「接着可能な軟質樹脂履帯」は経年劣化がかなり心配な素材だったこともあり、塗装等の観点でも部分連結式は嬉しい。誘導輪は軽め穴がパッチでふさがれた中期以降の仕様。ホビーボスは穴がふさがれていない初期仕様とコンパチだったので、ちょっと寂しいかも。リム部両側を別部品にして窪みを表現するのは先行のホビーボスのキットと同様。

・エッチングパーツは含まれていない模様。排気管カバーや、車体前端のルノーのエンブレムがどれだけシャープに再現されているかはちょっと気になるところ。また、車体前端はホビーボスと同じ処理で、本来一体である鋳造のノーズ部品の真ん中に、横一直線でパーツの継ぎ目が来るのは「う~ん」という感じ。もっともタミヤのことなので隙間なくピッタリくっついて、あとからナイフでさっと一撫で、で済んでしまうのだろうけれど。

・その他あれこれ。基本、主砲パーツはSA18のみの模様。一部車輛の装備ではあるが尾橇なども入っておらず(そもそもこの辺は主に後期生産車中心なので仕様との整合性もあるが)、内容としては選択肢が狭めでシンプル。また、ホビーボスはインテリア付きで各ハッチがすべて別部品だったのに比べ、タミヤは内部無し、ハッチは乗降用を除いて一体化されて組み易さ優先。私はそもそもインテリアを作る趣味はあまりなくて、その分安くしてほしい派なので、これは歓迎(インテリアはアフターパーツで出てくれればいいと思う)。ただし、操縦手用乗降ハッチの下側まで一体化しているのは(私はどうせ閉めてしまうので構わないが)ジオラマ派の一部の人からは不満が出るかもしれない。

2/1追記。すでに一部にテストショットが出回っているらしく、youtube上に、早組みレビュー動画が上がっていた。フェア会場での写真ではわかりにくかったところもある程度チェックできてよい。

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KV maniacsメモ(ガイドホーン無し1ピース履板)

●KV-1重戦車の砲塔形式メモも書きかけだが、その続きの前に小ネタをひとつ。

先日の記事(トランペッター 1:35 KV-1 1942年型鋳造砲塔(その3))で、「レニングラード包囲突破」ジオラマ博物館に展示されている現存車両(2輌あるうち、バッスル下が角型になった砲塔を搭載しているほう)について、

この車輛の履帯は「1ピースだがセンターガイドが全くないタイプ」を混ぜ履きしている点でも非常に興味深い。

と書いたのだが、今回はこのタイプの履板の追加調査報告。

なお、当該車輛のwalkround写真集のサムネイルはこちら。また、履板の特徴が判る写真の例は、こちらが裏側で、こちらが表側。(Dishmodels.ru)

●また、サンクト・ペテルブルクでの何かの式典に引っ張り出されてきたらしい、この車輛もセンターガイド無しの1ピースタイプを(上記車輛ほど多数ではないが)使用している。

ただしこの車輛の場合、JS用の650mm幅履板(2分割タイプ含む)も混ぜて履いており、履帯の幅が不揃いになっている(写真)。

●実のところ、上の現存車両のwalkaroundを見るまで、こんなタイプの履板があるとは知らなかった(そもそも上のwalkaround写真も結構前から見ているのに、気付いたのは割と最近だった)。

問題は、この履板が実際に戦時中のKVも使っているタイプなのかどうかだが、これに関しては、前回も紹介したサイト「Тяжелые танки КВ-1」から、比較的すぐに、このタイプを履いていると思われる実例を探し出すことができた。

実例1、および同一車輛の別写真

バッスル下が丸タイプの短砲塔を搭載。実は1枚目の写真は「グランドパワー」1997/10、p32上にも出ているもので、さんざん見慣れた写真のはずなのに、ガイドホーンが1枚置きになっていることをまるっきり見落としていた。

この写真からではガイドのない履板が本当に1ピースかどうかまでは確認できないが(以下の例も同様)、

  • 1941年型で用いられ始める2ピースタイプは僅かながらセンターガイド部分の突起があること。
  • 基本、1枚おきにガイド無し履板を使っているが、起動輪に掛かっている外側から見える部分では2分割履板は確認できないこと。

の2点から、ガイドホーン無し1ピースでまず間違いなさそう。

実例2。やはりバッスル下が丸タイプの短砲塔搭載車。履板の中央にまったく突起が確認できない。こちらもほぼきっちり1枚ごとに繋いでいる。

実例3、および(たぶん)同一車輛の別写真。これもバッスル下が丸タイプの短砲塔搭載車で、1枚おきに使用。

実例4。若干見づらいが、裏返った履帯の中にガイドホーン無しのものが混じっているのがかろうじてわかる。バッスル下が直線の371工場製砲塔搭載車。

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●KVの履帯について改めて整理。

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(wikimedia commons、1939年型と思われるKVの足回り。履帯は標準タイプ)

▼極初期(650mm幅?)。

基本、KVはSMK多砲塔重戦車の縮小・簡略型として作られており、足回りの部品もほぼそのまま引き継いでいるが、量産にあたって若干の改設計が行われている。

SMKの履帯は後のKVの履帯とよく似ているが若干幅が狭く、これは、履帯外側の連結ピン・エンドが履板フランジ端とほぼ同じラインであることで判別できる。この履帯はKVの試作車両にも(全部ではないが)使われている。KV-1s以降、JSにも使われた650mm履帯と同じものなのかどうかは(私には)よくわからない。

このU-0の写真では、この幅の狭い履帯が使われているようだ。また、「翼」タイプの燃料タンクを付けた試作車U-7の写真では、標準の700mm幅の履板に交じって幅の狭い初期タイプの履板が使われていて、履帯の端のラインが不揃いになっているのが確認できる。

SMKと同じ、8穴タイプのゴム抑え板を持つ転輪(上写真参照)が生産初期のKVに見られることを考えると、この幅の狭い履板も、極初期の車輛に若干は使われている可能性がある。

▼標準タイプ(700mm幅)。後世の35戦車モデラーのために設定されたような履帯幅の標準型履帯(履板)。

起動輪と噛み合う穴から外側のフランジ部分は、上記極初期タイプや後の1s~JS用では正方形に近いが、この標準タイプではやや横長。ただし、履板同士の噛み合わせは極初期型ともJS用とも同寸法なので混用可能。博物館車輛ではJS用履板がしばしば入り混じっている(モスクワ中央軍事博物館のKVでは、まるごとJS用戦後タイプの履帯に置き換わっている)。

極初期タイプの項で述べたように、履帯外側の連結ピン・エンドよりもフランジ端のほうが外側に張り出している。

▼ガイドホーン無し1ピース履板(700mm幅)。今回の記事前半で取り上げたもの。写真資料から判断すると、後の2ピースタイプ同様、標準タイプの履板と1つ置きに混ぜ履きするのが基本であるらしい。

上に書いた当時の実例写真から判断すると、1941年8月前後の生産車の一部に用いられたものであるらしい。

▼2ピース履板(700mm幅)。ZIS-5搭載型(いわゆる1941年型)の生産半ばから標準的に用いられるようになった履板。標準タイプの履板と1つ置きに混ぜ履きするのが基本。後の1s~JS用履帯(650mm幅)はセンターガイドのホーンがまったくないのに対して、KV用の2ピース履帯はピースの分割部にわずかに突起がある。

パロラの1942年型の2ピース履板の裏側(legion-afv)。

▼一応書き足しておくと、KV-1s用には、当初、フランジを斜めに削ぎ落したような軽量型履帯が作られ、その後、再びフランジが角型になったものが作られた。後者は標準履帯と似ているが、幅は650mmに詰められている。後者は引き続き、後継であるJS戦車にも用いられた。

両タイプとも2分割タイプの履板と混ぜ履きされるのが標準だが、(特に後者の場合)1ピースタイプのみ使用している例もある。また、このタイプの2分割履板は、センターガイドにあたる部分の突起は全くない。

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