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KV-1 1941年型 初期生産車 タミヤ 1:35(その2)

●タミヤの新作、「KV-1 1941年型 初期生産車」のチェックの続き。

履帯その他足回り関連

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履帯は全履板が同一でセンターガイドがある初期標準の構成。1940年型後期の一部ではセンターガイドがない履板が混ぜ履きで使用され、1941年型の中盤からは2分割履板が混ぜ履きされるようになる。

パーツの裏面には押し出しピン跡があるが、さほど凹凸はないので、スポンジやすりで少し削る程度でなんとなかるのではないかと思う(まだ試していない)。

左写真はマスタークラブ(旧版のレジン製)との比較。ディテールは(タミヤのほうがやや硬めかな?とは思うものの)大差なし。ピッチは、この写真ではタミヤ側が上部転輪に合わせて垂れた状態になっているパーツのため、画像の右端と左端とで違いが生じているように見えるが、実際にはほとんど差はない。ただし、キットの履帯は右用・左用で共通なので、連結ピンの内側・外側は区別されていない。

カステンの可動履帯がポンコツなせいで、手軽に(安価に)使える別売履帯がないのはKV製作上の悩みの一つだが、今回のタミヤのパーツは、上側の履帯のたるみが、タミヤの上部転輪間隔に合わせてあるのが他社への流用時のネックになりそう。もっとも、トランぺッターに流用するのであれば、(上部転輪基部が別部品なので)最初から履帯のたるみに合わせて上部転輪を配置するという手もある。

今回改めて写真は撮っていないが、ブロンコ、トランぺッター、カステンの履帯の比較はこちら

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左はタミヤの転輪サスダンパー。右は比較用のトランぺッター。タミヤのダンパーは下部側面がストレートになっているのに対し、トラペのものは基部のボルトに対応して段差がある(下部が幅広になっている感じ?)。

現存車輛の細部写真をあれこれ見比べてみると、タミヤのようにストンとなっているタイプもあるようだが、トラペのような形状のもののほうが一般的。

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サスペンションアーム(写真左)は、基部のキャップのボルトが6つの初期型標準の形質。41年型からは3つに減らされたタイプが使われるようになる。キットの仕様(41年型の最初期)の場合にどちらだったかは微妙なところ。40年型後期の一部では、溝は6つのまま、ボルトは3つに間引きされているものもあるようだ。

起動輪用のスクレーパー(写真右)は起動輪側の脚が別部品の2パーツ。写真は本体側。先端側外側に補強用のリブがあって、キットのパーツもやや片側(下側)に寄っているが、実車はもっと下に寄っている感じ。直しても直さなくても、ほとんど目立たない部分ではあるけれど。なお、青木氏の書き込みで知ったが、二股に分かれた脚部の間は完全に素通しではなく、補強板が入っている。

フェンダー

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トランぺッターの初期型KVは、おそらく、「フロントバヤ・イルストルツィヤ」の図面に引きずられて、フェンダー幅が広いミスがあったが、今回のタミヤのキットの幅は適正。ただし、フェンダー外側のL字材は、旧キットやトランぺッターでは小リベットのモールドがあったのに対して、今回の新キットはのっぺりしている(……というのを、邦人さんに言われて初めて気付いた。観察眼不足)。

2枚目写真は私の作りかけのトランぺッターで、幅詰め工作の結果無くなってしまったL字材部分を再生、ベロはプラペーパーで、小リベットはその裏側から針でつついて再現したもの。ただし、この工作は「幅詰め前のキットのモールドに在ったから再生しておこう」というもので、実車においてこの部分に必ず小リベットがあるのかどうかは未検証。

そもそも現存実車の場合、フェンダーは破損しやすい薄い鉄板のためレストアされていることが多く、あまり参考にはならない。一方で戦時中の写真ではリベットの有無が確認できるほどの鮮明なクローズアップにはなかなかお目にかかれない。

ただ、フェンダーもオリジナルである可能性が高そうな、アバディーンにあった鋳造砲塔の1941年型では小リベットがある。しかし一方で、「グランドパワー」1997/10号、p40ではリベットはないように見え(それほどクローズアップではないので、単に「見えていない」可能性もある)、また同号p39の写真ではフェンダー裏が写っているが、それにもリベットは確認できない。

とりあえずこれについては、個人的には、それほど目立つ場所でもなく、「あるともないとも言い切れないので、現状、このままでいいかな」というスタンス。ヌルい。

フェンダーステイに関してはすべて穴開きタイプ。片面に押し出しピン跡があるので、工具箱に隠れる場所以外は綺麗に消しておきたい。なお、この仕様では全穴あきでいいのだが、1941年型の中盤以降は時期により、位置により穴あきでないステイも使われるようになるので、改造する人は注意。

砲塔

なにしろ「KVの溶接砲塔は非対称(左側面前方がより強く絞られている)」というのを、このキットの発売発表後にようやく知ったくらいなのでまったく偉そうなことは言えないのだが、とにかく、それが再現されているというのは目玉の一つだろうと思う。

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砲塔の形式それ自体については、以前にまとめた記事を参照してほしい。同記事中では、「標準型溶接砲塔(タイプ3)」とした形式にあたる。

タミヤとしても気合の入っている部分のようで、単純な左右分割ではなく、ほぼ実物同様の面構成のパーツを貼り合わせるようになっているが、合わせは非常に良い。接合部の埋め込みボルト表現、バッスル下に側面・後面の装甲厚が出ている表現なども芸が細かい。また、全面に圧延キズの再現モールドが割と派手目に入っている(旧シリーズのKV-2を彷彿とさせる)。それ自体はいいのだが、同じく圧延鋼板で組み立てている車体は表面がスベスベなのとのギャップが気になる。

ちなみに現存の博物館車両の装甲板表面はかなりの「あばた面」になっているものが多いが、これは水没していたり地面に埋まっていたりして表面がサビサビになっていたせいなので、模型であまり表面をボコボコにするのは実感を損ねる(と、個人的には思う)。

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ハメ合わせのために一部切り欠きがある状態ではあるものの、砲塔リング部のギアと、砲塔側のカバーが再現されているのはタミヤとしては珍しい処理という気がする。

砲尾は全く再現されていないので、このままで「外れてひっくり返った砲塔」のジオラマ等にはできないが、エンジンデッキ上の点検ハッチがすべて開閉選択式であることもあわせて、独ソ戦の緒戦期によく見られる「撃破・放棄されたKV」を再現したい人への配慮ではないかと思う。

展開と改造

車体上面の砲塔リングガードの取付穴、戦闘室前面の増加装甲の取付穴は非貫通。先述のように転輪パーツはより初期のタイプへの展開を見越した枝配置。というわけで、いつになるかは判らないが、より初期の形式のKV発売を想定しているのは確かだと思う。

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特に、砲塔側面、車体側面の上部転輪の間に非貫通穴が用意されており、いわゆる“エクラナミ”(旧シリーズでの名称、KV-1B)はほぼ確実。旧キットはベース車体が1941年型の中盤以降のため、ヌエ的な仕様になってしまっていたが、今回のキットの車体をベースにするなら、より正確な仕様となる。

なお、エクラナミの場合は今回のキットでセットされた「リブ付きの後期型・緩衝ゴム内蔵転輪」でも標準型転輪でも、どちらでも構わない。

車体前面の増加装甲無しも想定されていることを考えると、KV-2(標準型)の発売もありそう。大砲塔のKV-2初期型は車体ディテールがかなり違うので考えづらい。

▼一方、「タミヤの最初のKV」であった鋳造砲塔型のKV-1は1941年型の中盤以降の仕様で、今回のキットとは単に砲塔・転輪の違いだけでなく、車体自体にボルトの間引き、ハッチ形状の変更などの改修が入っているため、そのものズバリの仕様のリニューアル発売は考えづらい。

ただし、より初期の生産車(おそらく1941年内)で、今回のキットと基本同一の仕様の車体に鋳造砲塔を載せたものはあるので、(どこまでディテールのバランスをとるかという問題はあるが)旧キットの砲塔を持ってきて載せ替えるお手軽改造はありかな、と思う。

目玉の「新しい、非対称砲塔」を使わないことになっちゃうけど。

▼フライング気味に、手元に余っていたトランぺッターの増加装甲パーツを使ってエクラナミを作ってしまおうか、などとちょっと考えて、パーツを合わせてみた。

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砲塔の増加装甲に関しては、上下幅はピッタリ合う。砲塔後端の傾きはごくわずかにずれがある。これも含めて、ぴったりフィットさせるには若干の調整が必要。また、写真の右側面に比べ、(非対称が再現されているため)湾曲具合が深くなっている左側面は、微調整の必要性がより高そう。

「ほぼ合っている」だけに、むしろ微調整が面倒くさそうで、「うーん。これならおとなしくタミヤのエクラナミの発売を待っていた方がいいかな」に傾き中。なお、当然ながら主砲の交換、上部転輪の交換も必要になる。

▼KV-2に改造する場合は、車体の増加装甲、砲塔リングガード等はすべて取り付けず、砲塔の交換、転輪・上部転輪の交換が必要になる。そもそも形状の把握に難があるタミヤの旧キットの砲塔を載せるのは、「新しい酒を古い革袋に入れる」ようなものでバランスが悪く、個人的にはお勧めしない。

トランぺッターの砲塔、転輪・上部転輪をコンバートしてくるのはよいが、個人的には「そこまでするなら素直にトランぺッターに手を入れて作った方がいいじゃね?」という感じはする。

▼最初にちょっと書いたように、キット指定の塗装例にある第116旅団の「スターリンのために」は、左フェンダー雑具箱の前のワクに筒形増加燃料タンクが載っている。右フェンダー上がどうなっているかは判らないが、このタイプの燃料タンクの標準搭載位置は右フェンダーの3ワクと左フェンダーの2ワク。

燃料タンクそのものは標準化されたものなので、T-34あたりから流用可能(ただし持ち手のついた両面は緩く窪んだタイプが一般的なようだ)。フェンダー上に固定用ベルトの留め具があるだけで、タンク本体をホールドする受け具のようなものはなく、フェンダーに直置きされているらしい。

こんくるーじょん

なんとなく海外サイトのキットレビュー風に。新キットだけにシャープさは十分、組み立て易さには(タミヤらしく)十分配慮された良いキットであるのは確かだが、ディーテール的には手放しで褒めづらい部分がいくつかある。

自分で手に入れてチェックしてみるまでは、「トランぺッターのキットも十分いいんだけれど、これからのKVキットのスタンダードはタミヤになるんだろうな」と思っていたのだが、「残念ながら」という気持ちではあるが、実際には、トランぺッターに負けているとは言わないまでも、置き換え切れていない感じ(トランぺッターの価値はまだまだ高い)。トランぺッターもあれやこれや弱点のあるキットなので、このへんでビシッと決定版的キットを出してほしかった……。

身も蓋も無い言い方をすると、もしもガッツリと手を入れてKVを作ることを考えるのであれば、このキットをベースにしつつ、転輪その他パーツをごそっと入れ替えるためにトラペのキットを1輌手に入れてもいいかな、という感じ。トラペのKVシリーズは後になって発売された一群を除いては、2000円そこそこで買えるので、ディテールアップ用のアフターパーツと考えてもそう高くはない。

「Recommended」よりは高め、「Highly recommended」のマイナス、といった感じかな?

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KV-1 1941年型 初期生産車 タミヤ 1:35(その1)

20200617_121446 ●なお新型コロナ感染症の第2波が心配されるところではあるが、用事があって一か月ぶりくらいに多摩川を越えたので、秋葉原に寄り道。期待の新作、タミヤの「KV-1 1941年型 初期生産車」を購入。ついでにパッションのルノーR35用エッチングも買いたいと思ったのだが、秋葉原駅周辺の店ではどこも品切れだった。

というわけで、とりあえず、ある程度主要部品を合わせてみたりした時点での簡単なキットレビューを。

FBのAFV模型のニュースグループでも、このキットを買った(あるいはもう作った)という書き込みは多く、タミヤの新作キットであるからにはそれなりに話題に上るのは当然にしても、「えっ、KVってこんなに人気だったんだ!?」と 思ってしまうほど。いずれにしても、「ピタピタと部品の合わせが決まる」とか、「旧作と比べてモールドもディテールも格段に向上」とかは多くの人が書いていることだと思うのでここではもうちょっと重箱の隅というか、個人的な「気になり部分」や、仕様としては重なっていないものの、特に直接のライバルとなるトランぺッターのキットとの部分比較などを試みることにする。

ニュルンベルク・トイフェアにおける発表時にあれこれ書いたこととは一部重なるが、ご容赦を。

仕様について

発表時のキット名称は「KV-1 1941年初期生産型」だったが、発売にあたって、「KV-1 1941年型 初期生産車」に改められた。

KV戦車のタイプ分け(年式)は、基本、後の研究者による便宜的なものなので、資料によって(使う人によって)若干の違いがある。しかし一応は、以下のような分け方が最も一般的だろうと思う。

  • 1939年型:主砲がL-11
  • 1940年型:主砲がF-32
  • 1941年型:主砲がZIS-5
  • 1942年型:主砲がZIS-5、かつ車体が装甲強化型(エンジンデッキが後部まで水平で、後端装甲が平板)

キットの「1941年型」もこの分類に準拠している。

KVはもともとレニングラードにあったキーロフ工場で生産が行われていたが、ドイツの侵攻により、工場がチェリャビンスクに疎開。1941年10月からは、このチェリャビンスクの工場でZIS-5搭載型の生産が始まる。キットは、ちょうどこの、生産が始まったばかりの頃のZIS-5搭載車を再現している。

(もう少し細かく言うと、キーロフ工場が疎開するよりも前にチェリャビンスク・トラクター工場でKVの生産準備と限定的な生産は始まっており、これに疎開してきたキーロフ工場が合わさって、10月初旬に「チェリャビンスク・キーロフ工場」と改称される。……ややこし。)

したがって、KV戦車に関しては、ドイツ軍側からの「相手を舐めてかかって侵攻してみたら、味方の対戦車砲弾をことごとく跳ね返して進んでくる怪物に遭遇して驚愕」というイメージが濃厚だが、少なくとも独ソ開戦(1941年6月)時点のジオラマなどに登場させるのは不適ということになる。

この点で、発表時の「KV-1 1941年初期生産型」という名称は、同年初めに生産されたように読めてしまって紛らわしく、訂正されたのはよかったと思う。もちろん、「1941年型 初期生産車」だって十分に紛らわしい、と言われればその通りなのだが、これはタイプ分けとして上記の方式が浸透している以上仕方がない(もちろん、「1941年10月生産車」とかいった言い方も可能ではあるが)。

さて、KVの1940年型(F-32搭載型)は、レニングラード工場では1941年夏(6-8月)にごっつい増加装甲型(いわゆる“エクラナミ”、タミヤの旧キットバリエーションのKV-1B)が生産され、その後、装甲強化型砲塔が登場したり、車体ハッチがより簡易なものに変更されたりしているのだが、疎開先のチェリャビンスクでは、移転に伴うごたごたか、サプライチェーンの問題か、それらの改修は反映されていない、より古い形質のKVが生産されている。

10月になってZIS-5搭載型が生産され始めた当初もその状態は変わらず、ものすごく大雑把に言うと、「搭載砲は最新型なのに、車体の形質はむしろやや旧型」という仕様のものが生産されることになる。キットが再現しているのは、まさにこの仕様で、具体的には、

  • 1941年の前半に生産された、1940年型標準型と同型の溶接砲塔にZIS-5搭載。側方ペリスコープ下に跳弾リブがあるなど、標準的な1940年型砲塔に比べ若干のアップデート。
  • ベース車体はほぼ標準的な1940年型と変わらないが、これに砲塔リングガードや車体前面の増加装甲を装着。
  • 転輪は1941年夏(エクラナミの途中あたり)から年内いっぱいくらいの生産車で主に使われている、リム部に小リブのある後期型・緩衝ゴム内蔵転輪。履帯は全リンクがセンターガイド付きの初期標準の仕様。

……などなど(詳しくは後述)。既存(トランぺッターとかズベズダとか)のキットのスキマを狙ったような感じになっている。ただし、キットの箱絵/デカールに採用されている第116戦車旅団の「スターリンのために」の実車と比べると、(部分的に仕様の異なる転輪を履いている、フェンダー上に筒形増加燃料タンクがあるなど)わずかに仕様の差がある。

なお、チェリャビンスク・キーロフ工場のZIS-5搭載型は、ZIS-5が搭載されるようになって間もなく鋳造砲塔が登場、さらには緩衝ゴムを内蔵しない全鋼製転輪やエンジンデッキパネルのボルトの間引きなど、また新たな簡略化改修が重ねられていくことになる。

パーツ構成

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  • A・Pパーツ(2枚):転輪等、フェンダー上の工具箱など。A枝とP枝は連結状態で、A側が起動輪、誘導輪、転輪の緩衝ゴム抑え板、P側が転輪本体と鋼製上部転輪。P側の差し替えで、初期の標準型緩衝ゴム内蔵転輪に対応することを想定しているものと思われる。(上写真左)
  • Bパーツ:フェンダー、車体後面板、前端のアングル材など。
  • Cパーツ:箱組の車体基本パーツ。
  • Dパーツ(2枚):部分連結式の履帯、サスペンションアームなど。
  • E・Qパーツ:砲塔関連パーツ。E枝が砲塔本体で、Q枝が主砲のZIS-5の砲身や防盾周り、砲塔リングガードなど。これも転輪枝同様、Q枝部分の差し替えで1940年型への含みを持たせているものと思われる。(上写真右がQパーツ。一部パーツ切り離し済)
  • Fパーツ:透明部品(前照灯レンズとフィギュア用ゴーグル)。
  • ほか、ポリキャップ、ワイヤー用糸、デカール。

とにかく、このキットに関しては「砲塔の非対称が再現された」というのが大きなポイントという気がするが、それも含めて、以下、細かいあれこれ。気になった部分について、ブロックごとにつらつらと。

車体基本パーツ

旧キットは車体がフェンダーを境に上下分割されていたが、新版は実車同様の構成。トランぺッターでは見落とされていた「上部転輪位置の不均等」も表現されている。ただし、絶対的な位置そのものに関しては、後ろ2つの上部転輪もトランぺッターのキットと若干のズレがあり、タミヤのキットのほうが、全体的に前方に寄っている。差異は微妙なものなので、どちらがより正確なのか、現時点では判断は保留したい。ただ、左側面最後部の上部転輪基部と、最後部転輪用ダンパーの位置関係からすると、タミヤのほうが実物に近そうな感じはする(もちろんそれだけで断言はできないが)。

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エンジンルーム上面パネルは、横方向のボルト数が11本の1940年型車体の標準。ボルトは平頭。パネル最前部、砲塔リング左右の3本のボルトは、トランぺッターの1940年型キットでは中央の1本(右写真黄色矢印)が忘れられていたが、このキットでは抜かりなく再現。

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エンジンパネルの吊り下げリングは、トランぺッターでは別部品で再現されていたが(左写真ライトグレーのパーツ)、組み立て易さ重視で極小パーツを嫌うタミヤでは一体成型。数は前方パネルで4か所、後方パネルで2か所、点検ハッチに1カ所(ちなみにトランぺッターは後方パネルにも4か所付けているが、これはモスクワ中央軍事博物館の展示車輛に引きずられた誤り)。

当然、タミヤのモールドに穴は開いていないので、0.5mmのドリルで開口した。トラペのパーツとは大きさが違うが、トラペが別パーツ化のために大きくしたという感じではなく、タミヤのモールドがやや小さい感じ。また、タミヤのキットではすべてお行儀よく穴が左右を向くことになるが、実車は自由回転するのか、あるいはアイボルトになっていて締め方の問題なのか、向きはてんでんばらばらなのが普通。モールドをいったん切り落として向きを変えるか、それともそもそもトラペのパーツに交換してしまうか悩み中。

中央の点検ハッチは、このリングが中央1か所の初期型形質。これがレニングラード工場の1940年型でも後期の型や、1941年型の標準的仕様では左右2カ所になる。点検ハッチのリングには、砲塔の手すりに引っ掛けてハッチを開位置で固定するためのフックが付いているのだが、キットではさっぱり省略されている(ちなみに旧キットでは上面に一体成型だった)。これは本来付いていて然るべき部品なので、パーツを含めておいて欲しかった。

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ラジエーターグリル、および後端オーバーハング下のメッシュはプラパーツ。ラジエーターグリル部が別パーツなのはトランぺッターと一緒で(ただしトラペと違ってメッシュ下のルーバーは再現されていない)、これは後々、アフターパーツのエッチングなどと交換する場合には都合がよい。一体モールドだった旧キットは、このメッシュが前端まで同じ断面形のカマボコ型だったと思うが、そのような形状なのはたぶんKV-2の初期型だけで、通常はこのように先端が潰れている。別売のエッチングパーツでも、これは再現されていないものが結構多い。

なお、エッチングで組む場合にこの断面変化は曲げが面倒になる部分で(アベールでもなかなか難しかった)、たぶんこれから出るであろうタミヤ用エッチングパーツ(パッションとか)では一工夫欲しいところ。

右写真で一緒に写っている車体前端のアングル材は、初期型車体標準の、埋め込みボルトが11本のタイプ。1940年型でも、第371工場で生産されたという装甲強化型砲塔を載せたタイプ(1941年の初秋生産)では8本に減っているが、チェリャビンスク工場では、ZIS-5搭載型になってもまだ11本タイプが使われていたらしい。同工場での生産車ではその後1本おきに間引く感じで6本になり、さらにその後は埋め込みボルト自体が廃止されてしまったようだ。というわけで、前後のタイプに改造しようという人はご注意を。

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湾曲した車体後面板の下端は、シャーシの床板との間に段差ができる仕様。

レニングラードで作られた1940年型では、この部分は床板とツライチになるように面取りされている(トランぺッターのキットでは初期型車体でもそのようになっていないので注意)。一方で、このキットの仕様に最も近いと思われる、モスクワ中央軍事博物館の屋外展示車輛では段差付きになっているので、キットの仕様で組むのであれば、段差付きのままでよいようだ。もしかしたら、チェリャビンスク工場での生産車は最初から(手間を省くために)段差付きであったのかもしれない。

シャーシ前面増加装甲は、向かって右下角に切り欠きがないタイプ。もともとこの切り欠きは、車体側に埋め込みボルトの溶接痕があって、そのままでは増加装甲が干渉して浮き上がってしまうのを、最初は溶接痕のほうを丁寧に削って平らにしていたものを、後にはお手軽に増加装甲側に切り欠きを作って対処するようになった――というものではないかと思う。

エクラナミあたりだと切り欠きはないのが普通で、1940年型でも短バッスル砲塔(バッスル下が丸でも角でも)だと切り欠き付きが普通になっている感じ。問題はキットの仕様だが、これも実際には切り欠き付きの可能性が高いのではと思う。なお、キットでは車体側の埋め込みボルト痕は再現されていない。

転輪と上部転輪

転輪は先述のように、リム部に小リブのある緩衝ゴム内蔵転輪のなかでも後期のタイプ。実際には、キットの塗装例にある、第116戦車旅団の「スターリンのために」号は、少なくとも左側第一転輪はちょっと珍しい、リブが小さくまばらなタイプを使っている(詳しくはセータ☆さんの記事「KV-1 ハーフリブ・タイプ転輪」を参照のこと)が、キットにはこのタイプの転輪は付属していない。

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写真1枚目は、右から、今回のタミヤの転輪。中が同タイプのトランぺッターの転輪。左は今から30年くらい前だったか、タミヤのKV-2を当時出来る範囲の技術力でとことん手を入れて作ろう!と思った時にタミヤの転輪では我慢できず、原型を作って知人にレジンで複製してもらった自作の緩衝ゴム内蔵転輪(標準型)。ちなみにそのKV工作は、転輪を作っただけで力尽きた。

写真2枚目は、より詳細に比較するため、タミヤとトランぺッターの転輪を並べて、おおよそ正面から撮ったもの。全体の径はタミヤとトランぺッターで変わらず、内側のゴム抑え板の径も変わらない。全体のモールドもタミヤのものはシャープでよく見えるが――

 (1).ゴム抑え板の中心部分、転輪ハブ部分がトラペに比べてやや大きい。実車のパーツと比べると、トラペのもののほうがバランスが良いように感じる。ただし、ゴム抑え板パーツ単体で見ると目立つ径の違いが、実際に(この写真のように)転輪に付けてしまうとそれほどは目立たない。

 (2).しかし、それよりも気になるのは、ハブキャップ周りのリング部分に本来ある8カ所の刻み目が、トラペでは再現されている(私の30年前の自作パーツでも再現している)一方で、タミヤのパーツではさっぱり無視されていること。うーん。これはちょっと……。

 (3).また、このゴム抑え板は転輪の表側と裏側、さらには向かい合わせになった内側と、4面ですべて同じはずだが、タミヤの転輪パーツでは、3枚目の写真にみるように、外側転輪の内側はモールドがないつんつるてん、内側転輪の内側(変な言い方)ではそれさえもなく窪んだ形状になっている。実際、組み上げてしまえば見えにくい部分ではあるが、全く見えないというわけでもなく、この処理はちょっと残念。

 (4).「どうせ見えないからいい」と言ってしまえばそれきりだが、タミヤの転輪では、転輪の表と裏でリム部の小リブの位置が鏡写しになっている。実際には(トラペの転輪でそうなっているように)穴とリブの位置関係は正面から見たときに表側も裏側も一緒のはず。穴の位置は表裏で固定のため、リブ位置は表裏で穴を挟んで反対側にズレることになる。4枚目の写真が転輪裏側の両社比較で、タミヤの転輪のリブ配置がトランぺッターの逆(そしてタミヤの転輪の表側とも逆)になっていることがわかる。

 (5).さらに一点。タミヤのキットは転輪の内側・外側、さらにゴム抑え板の3パーツそれぞれに位置決めダボがあり、転輪の内外は穴の位置がきっちり揃い、ゴム抑え板はリム部のリブに対し、ゴム抑え板のリブがやや時計回りにズレた位置ですべて揃うようになっている。しかし、実際の転輪は緩衝ゴムを挟んでそれぞれのパーツは独立しているため、位置は個々の転輪でてんでんばらばらのはず。キットのようにすべて揃っていては逆に不自然。

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上部転輪はチェリャビンスクで導入されたものと思われる全鋼製のもの。初期型への展開に備えてか、リブ付き転輪リム部と同一枝。

起動輪と誘導輪

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起動輪はきちんと16枚歯。旧キットでは歯数が余計で、トランぺッターではロットによって(?)スプロケット固定ボルトの位置ズレがあるなど、意外に恵まれていなかったパーツなので、素直にそのまま使えるパーツが出たのは嬉しい。

トラペのパーツに比べると若干メリハリに乏しく、ちょっとノッペリして見えるかもしれないが、実車も段差はそれほどなく、むしろこちらの方がイメージに近い。中央皿形カバーは初期型標準の16本ボルトタイプ。

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一方でいささか問題ありに思えるのが誘導輪。形状的にはほとんど変わらないのだが、径が明らかに違う。青木氏の書き込みで知ったがタミヤの旧キットの誘導輪と比べでも小径とのことなので(そもそも小径だということ自体、氏の書き込みで知ったのだが)、トラペと旧キットの誘導輪径はほぼ同じ、新キットだけ小さい、ということであるらしい。直径はトラペが約19.5mm、タミヤは17.8mm程度で、1.5mm以上の差がある。

写真からの読み取りとか、実車の計測の過程とかで「やや大きい/小さい」くらいの差が出るのは普通にあるだろうが、サイズが1割も違うとなると、明らかに元になった寸法データ自体が異なっている。

手元の資料中に、実車の正確な誘導輪径は見つけられなかったが、「フロントバヤ・イルストルツィヤ」に掲載されている1:35の図面のサイズはトランぺッターのものに等しく、また、何輌かの現存車輛のおおよそ真側面の写真から、転輪と誘導輪の大きさの比を計って比べた結果でもトランぺッターのほうが正確そう。ええ、どういうこと……?

「実は全く相似形で大小2種の誘導輪があった」とかいう大どんでん返しの結末だったりすると、「2種類の誘導輪が簡単に手に入るようになってラッキー♪」だが、さすがにそんなことはなさそうな気がする。

長くなったので続きは改めて。

6/27追記:グムカ(高田さん)のツイッターによれば、KV-1Sには、KV標準型のものと相似形で小径の誘導輪が使われているそうだ。ただし、1Sであってもすべて小径であるわけではないらしい。問題は、その小径の誘導輪がいつから使われ始めているかで、より綿密な検証が必要になりそう。しかしそこでネックになるのは、大小あったとして、それが同じ形をしている(相似形である)ことで、「いやいや、明らかに違うものだと判るように、外形的特徴も変えといてくれよキーロフスキー!」と、声を大にして言いたい。

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衣笠高角砲台再訪

●我が街・逗子と、その周辺の軍事遺構、特に高角砲台に関しては割と積極的に訪ね歩いているのだが、衣笠高角砲台は基本、何の手入れもされていない状態で、昨夏チャレンジしたときには笹薮に阻まれて結局山頂の砲台までたどり着けなかったのだった。その時の探訪記はこちら

そもそも草深い夏に行くのがいけないのであって、冬になったら再挑戦しようと思っていたところ、hn-nhさんが計画に乗ってくれ、さらに比較的ご近所のみやまえさんも加わってくれたので、勇気百倍で出掛けることにしたのだった。

衣笠高角砲台についての基本的な事項は、毎度お世話になっている以下の2サイトを参照のこと(おんぶにだっこ)。

また、現地を訪れるにあたっては、以下の探訪記あたりを参考にした。

●そんなわけで6日木曜日、平日昼前にJR衣笠駅で集合する。hn-nhさんとはここ数回の年末の東京AFVの会で顔を合わせていて、みやまえさんとはネット上でそれなりに長くお付き合いがあるが、直接お会いするのはたぶん初めて。駅前のモスバーガーで軽く昼食をとって出発(というと、さっさと出掛けたように聞こえるが、実はここですでに模型談議その他でそこそこ時間を費やした)。

前回一人で行ったときには「しょうぶ園」までバスに乗ったのだが、今回は、先人の探訪記で「ふもとの兵舎跡」と紹介されていた遺構も見たかったので、最初から歩きで目的地に向かう。

こちらのサイトでは衣笠中学校の南西と書いてあったので、学校にほぼ隣接しているのかと思ったが、実際にはもっと(直線距離で300m程度?)西。畑の中にコンクリートの、何かの基礎のようなものが露出している。

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かなり細長い、中央横一直線の入った長方形(仮にA枠とする)。その向こう、写真向かって右には、深めのバスタブ状のものが複数(B枠)。逆に最初の長方形の左の向こう側には背の低い長方形(C枠)。

それぞれが個別で何かの建物の基礎だったと考えるには小さいので、これ全体を覆うような建物の、水回り(例えば炊事場とか風呂とかトイレとか)だろうか。バスタブ状のB枠は、一部が地面から浮き上がったり、またその結果としてやや傾いだりしているが、下辺の処理を見るに、移動可能のものを単にそこに置いたというのではなく、もともとその場所にあったものが、下の土が流れて下辺が露出してしまったふうに感じられる。最後の写真はA枠の一部を接写したもの。綺麗に丸くなった川砂利が使われていて、それなりに古いものであろうことは推察できる。

●ここで(いまさらの)ロケーションのおさらい。

まずは現状。オープンストリートマップ(OSM)より切り出し加工。

Kinugasa202002

①:衣笠駅 ②:上述のふもとの遺構(と思しきもの) ③:現在ある道から、半ば藪に埋もれた旧砲台道への分岐 ④:砲台推定位置

地図内のオレンジの枠線は、下の米軍撮影空中写真(国土地理院の地理空間情報ライブラリー、「地図・空中写真閲覧サービス」より。写真整理番号USA-M46-A-7-2-129、1946年2月15日撮影)で切り出した部分(おおよそ)を示す。

Usam46a7212903

●ここで改めて、上のふもとの「兵舎らしき遺構」を確認してみる。米軍の空撮の当該部分を拡大してみる(上写真の上側の黄枠)。

Usam46a7212904

これを見ると、1946年2月時点で、すでに目立つ建物等は残っていなかったように見える。写真写りの問題なのかもしれないが、上で、元からそこにあったように見えると書いたB枠相当のものも確認できない。こうなると、兵舎だったのかどうか(そもそも砲台に付随した施設だったのかどうか)も若干怪しくなってくる。とりあえず「古そうなもの」なのは確かだが、実際は何だったのか。地元で話が伝わっていたりしないだろうか(畑に人がいれば聞けたのだが)。

●「兵舎らしき遺構」の先辺りから、足元は砂利道になる。OSMでは破線の細い山道が2本描かれているが、外側(西側)のほうを歩く(東側への分岐は気が付かなかった)。道幅からも、上の空撮からも、こちらがもともとの砲台道だったように思える。

夏には藪に埋もれてすぐには判らなかった山頂への分岐(上の地図の③、下の空撮写真切り出しのAポイント)だが、藪が薄くなり、踏み分け道も判りやすくなっていた。「これは山頂の砲台まで、割とすんなり行けるのでは」と期待も高まる(というのが大きな間違いだったのが後に判明する)。

夏に登った時からあった気がする古い倒木や、昨秋の台風で新たに倒れたと思しき倒木なども時に乗り越えたりくぐったりしつつ、中腹をぐるりと時計回りに巻いて進む。そういえば今回は、途中の山道の写真は全然撮らなかったな……。

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改めて、砲台周辺のみの切り出し拡大(最初に掲示した空撮写真のおおよそ下黄枠部)。砲台の北東側(おおよそBポイント)には、前回も入り口写真をUPした洞窟がある。その近くには外方向への分岐があり、何らかの付随施設があったらしい(Cポイント)。夏に行ったときには気付けなかったが、今回はその分岐が(誰かが草を刈って踏み分けたような跡があり)判り、その先の藪の中には、コンクリートの基礎が確認できた。

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いや、まあ、この写真だとただの藪にしか見えないけれど……。

「本道」に引き返し、そのまま割とまともに踏み分け道っぽいルートを道なりに進むと、前回も確認できた足元のコンクリートの基礎群、およびその先には高さ約2mの直方体の建物に行き当たる(Dポイント)。空撮写真を見ると、小さな建物群が固まっていたようにも見える。聴音所、もしくは計算所等の施設だったのではと考えられる。

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「このへんは前回結構写真を撮ったから」みたいな意識でいて、あまり真面目に撮影していない。いかんね。

1枚目は、一群の「主役」的な直方体の建物を計測するh隊員とm隊員。この建物はレンガ積みの上からコンクリートをかぶせた構造で、2枚目は建物の入り口内側のコンクリートが剥がれてレンガが見えている箇所。3枚目はやはり入り口脇の外側頂部付近で、レンガが段ごとに長手と小口が見えているイギリス積みであることが判る。この建物は頂部も一部は崩れているものの、この部分を見るとレンガ+コンクリートの本来の高さもここまでで、この上はもっと簡素な造りの屋根が乗せられていたのではと思われる。

●少し引き返し、改めて山頂広場方面への道の痕跡をたどる。前回はほんの少々進んだところで笹薮に阻まれ、それ以上進むのは断念した。それに比べると、今回は季節柄、まだ進みやすい……と思ったのも束の間。

おそらく、上空撮写真のEポイント近くまで進んだあたりで、濃い笹薮に突っ込んでにっちもさっちも行かなくなってしまった。なお、空撮ではEポイントに何らかの小施設が確認できるが、今回は(とにかく藪を漕ぐのに必死で)その基礎等痕跡は発見できなかった。

せっかくのリベンジなのに、前回からさほど進歩もなく諦めるのは悔しい……というのに加えて、今回は、酷い目に遭うにしても2人も道連れがいることもあって(失礼)、なんとか強行突破できないか、やや戻ったポイントから山頂に向けての斜面を突っ切ってみることにする。

冬だから藪が薄くなっている、と言っても、笹薮の笹はそのまま濃密に茂っていて、それをかき分けて進む。笹の細かい枯れ葉のかけらとか、枯れ枝のかけらとかが頭上からパラパラ降ってきて、襟から背中に潜り込んだりして散々な思いをする。後からみやまえさんに「あの段階から進もうとするとは思わなかった」と言われたが、いや、絶対に一人なら進んでません。なお、この時の様子は(藪漕ぎが大変すぎて)まったく写真に残していない。

「とにかくこの先にあることだけは確かなんだから」という思いだけで進んで、登り切ったあたりで砲座の遺構にたどり着いた。

●すり鉢型の砲座は、基本、小坪高角砲台(披露山)や武山高角砲台(砲台山)と同形で、配備された砲も同じ四十口径八九式十二糎七高角砲 。国立公文書館アジア歴史資料センター所蔵の「砲術科兵器目録 横須賀海軍警備隊」(終戦直後にまとめられた各陣地の配備品ほかのリスト)によれば、終戦時には同砲2基4門。上空撮写真でいえば、ET顔の陣地の左右両目の部分が砲座で、下側の2連の◎はやや小さいので、測距儀とか聴音器、探照灯とかだろうか。

たどり着いた砲座自体、ほぼ藪の中に埋もれていて見通しも悪く、基本、部分写真しか撮れなかった。

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上の3枚はすり鉢状の砲座の内壁。1枚目、弾薬仮置場とされる壁龕の向こうには小さな通路が見える。最初はこれが砲座への入り口階段かと思ったのだが、披露山や砲台山の入り口階段より明らかに狭く、階段それ自体もない。後から、入り口階段はさらに向こうに別に存在していたことが判明したので、これは、披露山や砲台山の砲座にはなかった(塹壕状の)小通路の口らしい。披露山と砲台山にも違いがあるので、同じように見えてどこも何かしら独特の部分があるようだ。

2枚目写真はその小通路口からさらに向こう側を撮ったもの。3枚目写真はさらに進んで、待避所(?)入口から振り返って小通路口、壁龕を撮ったもの。

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壁龕2か所。内部のコンクリート肌は風雨にさらされることもなく、非常にきれいなままに残されている(ただし1枚目の壁龕は入口近辺が若干崩れている)。

待避所は、すり鉢状の円周から一段窪んで入り口の壁面があり、その奥に部屋があるという二段構えだったようだ。円周から一段窪んだ両側は径方向に壁面を切っているので、入り口との壁面は鋭角で接している(判りにくい説明)。以下、待避所のディテール。

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上部はコンクリートが崩れた跡があり、もとはコンクリートの天井があったものが崩落したらしい。高さから考えると、現在は落ち葉等々で埋まっているが、砲座よりも一段低く作られている可能性もありそう。現在は露天になってしまっているが、壁面は壁龕同様に滑らかな状態が保たれている。

待避所のさらに向こうに、本来の砲座への入り口だった階段跡が発見できた。現在は両側の壁が残っているだけで、階段自体は崩れてなくなってしまっているが、側壁に階段の跡が認められた。

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ちなみに、この入り口階段はほぼ北を向いていて、その向こうは、少し先から北東方向に急斜面になっていた。したがって(藪の中でだいぶ方向が怪しくなっていたが)、我々がたどり着いたこの砲座は山頂陣地の東側のもの(上空撮のFポイント)だったと思われる。

砲座の中央には、もともと四十口径八九式十二糎七高角砲が据え付けられていた穴が残っている。これは披露山や砲台山ではすでに埋められてしまっている部分。

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コンクリートが2段(?)の円筒状に窪んでいて、これは、公園に改装される前の披露山の砲座でも同様だったことが判っている。

本来はこの周辺に指揮所と思しき建物跡やもう一つの砲座もあるはずなのだが、とにかく藪が深く、「もうここに着いただけで十分」という気分になっていたため、この砲座の探索だけで引き返すことにした。なお、帰途の藪漕ぎでも途中で方向がよくわからなくなり、道を外れて登り始めた場所ではなく、最初に「ここは藪が深くてこれ以上進めないよ」と言っていた場所に到着した。いい加減だなあ。

なお、山頂広場をかすめてそのまま西に行った場所には、兵舎らしき大きな建物があったらしいことが空撮でわかる(Gポイント)。

●帰途、行きにはスルーした壕(Bポイント)を覗く。

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入口近辺は素掘りの荒々しい岩肌だが、数m先からはコンクリートが巻かれた壁面に変わる。1枚目が入り口近くから奥を覗いたもの。2枚目はやや進んだ位置から。突き当りから通路は左右に分かれ、壕全体はT字型をしている。古い自動車シートやカブの残骸などが落ちていて、かつてはゴミ捨て場か物置かになっていたようだ。3枚目はT字に分かれた左側で、右側も似たような構造。両側に小部屋のような壁龕が並んでいる。本来の用途は弾薬庫だろうか。「東京湾要塞」では「発電機が置かれていたのではないか」と推察している。

コンクリートのアーチ状の壁面には、型枠跡もはっきり残っている。……そしてこの季節にもしぶとく活動しているオオゲジがいた。

●倒木だらけの踏み分け道程度で、「人間の通る道に戻ってきた」としみじみと語るみやまえさん。「人間の通る道」のハードルがものすごく低くなってる……。

その後、「もっとちゃんとした人間の通る道」まで戻り、前回同様、衣笠城址を経由して、バスに乗って横須賀中央まで。

いつも一人で山歩きする時には昼食をとってからのんびり出掛けることが多いので、山から下りてきたころには夕方になってしまうのだが、この日はまだ時間がたっぷり。三笠公園でコンビニコーヒーを飲んだり、(このところ個人的に第二次マンホールブームなので)ふと思い出して横須賀市役所に行ってマンホールカードを貰ったり。

夕方までぶらぶらし、その後、3人で軽くビールで乾杯し解散。実り多かった……。hn-nhさん、みやまえさん、どうもありがとうございます。

なお、今回の探索行ではhn-nhさんがレーザーポインターで遺構の大きさ等をいくつか計測していたので、もうちょっと中身のあるレポートが、いずれhn-nhさんの「ミカンセーキ」に載るかもしれない。


●娘に、「私がお金を出すから、代わりに『メイドインアビス』の映画を観に行ってほしい」と言われ、私自身、「メイドインアビス」というマンガ/アニメは好きなので断る理由もなく、金曜日、川崎の実家に行くついでにいそいそと観に行く。

そもそもなぜ「娘の代わりに」なのかというと、上映週ごとに変わる入場特典のプレゼントがあり(しかもその中にも種類があって何が当たるかはランダム)、娘はすでに2回もこの映画を観に行ったのだという。さらに、本編上映前に映されるオマケ短編も週替わりなのだそうだ。何そのAKB商法。最近の映画、あざと過ぎる……。

とはいえ映画そのものは面白く(というか切なく悲しく)、しかももう4週目の平日ということもあってガラガラで、ゆっくりと楽しむことができた。内容自体は「to be continued」(そもそも原作もまだ終わっていない)、放映時期は決まっていないものの、テレビ第二シリーズに続くのだそうな。

ちなみに貰ってきた入場特典は5種類?の絵柄の付箋紙なのだが、まさに娘が欲しいと思っていたものがピンポイントで入っていたとかで狂喜していた。その絵柄というのが、ボンドルド(いわば敵役)の手下。欲しがるものがマニアックすぎる。

●ひとつ前の投稿への青木伸也氏のコメントで「タミヤの新KVについてmissing-lynxでは『砲塔がちゃんと左右非対称になっとるんかいね』という話題が出てる」という話を聞いて仰天。知らなかったよ……。

というわけで、青木氏同様、慌てて手元の資料をひっくり返して見たのだが、

  • フロントバヤの「イストリヤ・タンカ・KB」上下(2002年?)
  • Wydawnictwo Militariaの「KW vol.1」no.163(2002年)
  • タンコグラードの「KV-1」上下(2005年)

と、すべて溶接砲塔は非対称に描かれていた。下の写真は、フロントバヤとタンコグラードの、それぞれ1940年型エクラナミの平面図ページ。

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エクラナミを選んだのは、増加装甲で左右に広がっているために、車体側面との距離がぱっと見で分かりやすかったため。

いずれにしても、少なくとも20年近く前から、「知っている人は知っていること」だったわけで、乗り遅れ感が甚だしい。KVマニアを堂々と名乗る資格なし!

さて、これに関してはhn-nhさんが新橋のタミヤ・プラモデル・ファクトリーで見本を確認してきたというのを(上の衣笠砲台探索行の際に)聞き、写真も見せてもらったが、しっかり非対称に、左が右より前方に絞った形状になっているようだ。この詳細に関してはhn-nhさんの「ミカンセーキ」の記事を参照のこと。

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新製品ショック

●数日前から(1月29日~?)ニュルンベルクのトイフェア(Spielwarenmesse Nürnberg)が開かれていることもあって、あれこれ新製品のニュース・ラッシュ。

青天の霹靂だったのは、前記事へのはい人28号さんのコメントにあるように、miniartからT-34-85の1943年型発売が発表されたこと。うがあああああ!

タミヤからは事前に噂が流れていたルノーR35だけでなく、なんとKV-1の完全リニューアル版が登場。

フェア会場での発表に関しては、IPMSドイッチュラントにある程度の写真レポート()とリストがアップされている。

飛行機などでもちょっと気になる製品があったりもするのだが、とりあえず、上記3点について、現時点で分かっていること、気になるポイントなど。

●miniart 1:35「T-34/85 w/D-5T PLANT 112. SPRING 1944」

同社がいずれT-34の戦車型も出してくるであろうことは規定路線と認識していたが、まさかこんな変化球アイテムから出してくるとは思わなかった。大ショック。いや、いいんだ、いいんだ。高田さん渾身の43年型砲塔がminiartに負けるもんかー(←もう何が何だか)。

とりあえず、これも含めたニュルンベルクでの発表アイテムに関するminiartの公式ページ

同社のことなので、今後、かなり細かく生産時期などを刻んで製品展開してくることは間違いないだろうが、とにかく今回発表のものは、砲塔キューポラが後方に移動した、D-5T搭載の1943年型の中では後期に生産されたタイプで、この点では、現在私が製作しているアカデミー/グムカのものとは少し仕様が異なる。それも含めていくつかのポイント。

・miniartのことなので、車体が112工場製の仕様をきちんと再現しているかどうかは、あまり心配しなくてもいいように思う。いや、うん、大丈夫だよね?

・とりあえず今回はエンジンを含めたフル・インテリア再現キット。高そう……。SUの例を考えても、例えば、1943年型の初期型はインテリア再現無しで出してくるといったことも考えられる。

・車体が112かどうかは大丈夫そう、と書いたが、起動輪は箱絵やCGを見る限り、どうやら後期標準のタイプが入っている様子。同工場の-85は少なくとも1943年型くらいまではハブ周囲にボルトがあり、リム部に厚みがあるより初期型の形質のものが使い続けられていたのではないか、というのが現時点での私の考察。

・左側面の筒型燃料タンクは当初は前側だけあるのが普通だが、1943年型でも後期の生産型では後ろ側に移動しているらしく、キットもその仕様。例えば撃破された1943年型後期型(砲塔番号2312)の脇をティーガーが走り抜ける有名な写真(例えばCONCORDの“SOVIET TANKS IN COMBAT 1941-1945”のp56)の車体も、筒形燃料タンクは後ろ側にある。

・筒型燃料タンクの支持架は、箱絵でも取付ベルトの結合部がベルトの途中にあるタイプになっており、支持架自体も112工場仕様になっているのではと思う。

……とりあえず、ものすご~く気になるキットではあるけれども、一生のうちに1943年型を2輌も3輌も作らないだろうし、ものすごく高そうだし、パスかな~。

タミヤ 1:35「KV-1 MODEL 1941 EARLY PRODUCTION(ソビエト重戦車 KV-1 1941年初期生産型)」

後述のルノーR-35は昨年末から噂が流れていたけれど、こちらは「まあ、そのうちあるかもな~」くらいの感じだったので驚き。とりあえず、タミヤの会場発表に関する公式ページはこちら

現時点で、会場発表の見本やパーツから読み取れるポイントは以下のような感じ。

・箱絵もそうだが、仕様に関しては、割と有名な「林の中で待機している第116戦車旅団のKV」に写っている「スターリンのために」と大書された車輛の仕様を、おおよそ忠実にトレースしている(「おおよそ」である点に関しては後述)。

800pxkliment_voroshilov_kv1_model_1 ・形式は主砲がZIS-5に変わった、いわゆる1941年型。この点ではタミヤが一番最初に出した鋳造砲塔のKVと同じ。ただし各部はもっと古い形質で、1941年型としてはかなり初期の仕様となっている。モスクワの中央軍事博物館に野外展示されている車輛(右写真、Alan Wilson from Stilton, Peterborough, Cambs, UK - Kliment Voroshilov KV-1 model 1942 - Central Armed Forces Museum, Moscow, CC 表示-継承 2.0, リンクによる)とも仕様が近く、そちらも参考にしている可能性があるかもしれない。

・関連して。日本語のキット名称が「1941年初期生産型」となっているのはいささか疑問。そもそもZIS-5が搭載され始めたのは1941年秋(10月?)からのことらしい。ZIS-5搭載型を「1941年型」と呼ぶのはある程度コンセンサスがあるところで、その英語名称のように、「1941年型の初期生産型」と呼ぶのはOKだが、「1941年の初めころに作られた」と思わせる名称はどうかと思う。

・車体に関して。エンジンルーム上面のボルトなどが間引きされていない1940年型仕様のまま。操縦手用ハッチも、初期の皿型のものとなっている(キットもそうだが、上記の「第116戦車師団のKV」の写真でもそうなっている)。すでに1940年型の後期からフラットタイプの車体ハッチが導入されているので、(砲塔の仕様とも併せて考えて)キットの仕様の車体は1941年型として新規に生産されたものではなく、古い1940年型を41年型にアップデートした改修車輛である可能性もあるかもしれない。ただし、この時期はちょうど工場の疎開とも合わさって生産体制が混乱していた時期でもあるので、チェリャビンスクにおいて、とりあえずストックにあった旧型部品で生産を開始したものと考えることもできそう。もちろん、モデラーとしてまず気にすべきは「そういう仕様が実在したかどうか」であり、その点はほぼ同一仕様の写真があるので問題ない。

・余談。タミヤの旧シリーズはボルトが間引きされた1941年型でも後半からの仕様で、最初に発売された1941年型(キット名称「KV-1C」)には合うものの、その後発売されたKV-2やKV-1エクラナミ(キット名称「KV-1B」)にはふさわしくなかった。というわけで、新キットをベースに、キット名称KV-1Bの増加装甲付き砲塔・ゴム縁付き上部転輪を持ってくると、より正確な1940年型エクラナミを作ることも可能。また、この仕様で出してきたということは、今後KV-2などへの展開もあり得るかもしれない。

・砲塔に関して。KVの砲塔は似たような形状のものがたくさんあって分かりづらいが、バッスル下の丸部分の前縁にリベットが2つあるので、バッスルが短縮されていない1940年型前半の標準タイプの砲塔であると判断できる。タミヤのツイッターにUPされたこの見本写真でも、後部ペリスコープと砲塔後縁に、ある程度の間隔があることが確認できる(もちろん、見本がきちんとテストショットで組まれているとすれば、だが)。砲塔のタイプに関しては、以前の当かばぶの記事を参照のこと(KV maniacsメモ(砲塔編その1))。同記事内では、この砲塔は「標準型溶接砲塔(タイプ3)」と分類しているものにあたる。ただし、側方ペリスコープ下に跳弾リブが溶接されているなど、1941年型仕様への若干の改修も加えられている。

・履帯は部分連結式のインジェクション・パーツ。ピッチはそれなりに普通に見えるので、起動輪の歯数も直っているだろうと思う。履帯は1941年型の中途から2分割タイプの混ぜ履きが標準だが、キットは(上記実車写真の通り)全部1ピースタイプの初期仕様。各社キットを作るうえでの必要性の高さから言えば2分割タイプ混ぜ履きだったほうがより有り難いが、初期仕様でも十分に有り難い。起動輪の中央皿形カバーはボルト数の多い初期型。

・転輪は緩衝ゴム内蔵型で、その中でも終わりごろに生産されたリム部に小リブのあるタイプ。トライスターの「Russian KV-1's Ekranami」にセットされているものと同一仕様。ただし、実際にはデカールに選ばれている第116戦車旅団?の「スターリンのために」は、少なくとも左側第一転輪には、ちょっと変わったタイプの別バリエーションの転輪を混ぜ履きしている。これについては、セータ☆氏の考証記事「KV-1 ハーフリブ・タイプ転輪」を参照のこと。キットには、さすがに1種類の(標準的な)転輪しか入っていないんじゃないかなあ……。上部転輪は1941年型になって導入された全鋼製のもの。サスペンションアームの軸キャップは6本ボルトタイプか、3本ボルトタイプかは現時点では判別不能。

・その他。実際には、第116戦車旅団?の「スターリンのために」は、車体左フェンダー後部、工具箱の前方マスに筒形燃料タンクを搭載しているが、キットには入っていない模様。

・エッチングパーツはセットされていない模様。ラジエーター上のメッシュグリルは、ごく一部(KV-2の初期型とか)を除いて、最前部が平らになった、単純なくせにエッチングでは厄介(作りにくい)形状なので、これは仕方ないかも。願わくば、タミヤの48キットのような情けない表現にはなっていないように……。ただ、エッチングメッシュが付いていないとなると、後部オーバーハング下も筒抜けになっている可能性大で、やはりどこからか(できれば安くで)この2か所のメッシュパーツが出てほしい。

タミヤ 1:35「FRENCH LIGHT TANK R35(フランス軽戦車 R35)」

ルノーの名前がないのは、商標権がどーしたこーしたなんですかね?(まさか日産に配慮したとか?) とにかく、昨年から噂になっていた(特に私にとっては)待望の新製品。

・形式。1500輌余り生産されたルノーR35には細かいサブタイプの別はないが(足回りが変更された「R40」の制式名称は「Char léger Modèle 1935 R modifié 1939(軽戦車-1935年式-R-1939年改)」なので、これがサブタイプと言えなくはないが)、生産時期によって若干の細部仕様の差がある。キットはおおよそ「中期型」と言える仕様。

・クローズアップ写真がないので断言はできないが、車体は、後期生産型の特徴である操縦席左右のスリット上部のヒサシ状の凸部無し、エンジンデッキのグリル周囲の跳弾リブ無し。一方で、初期の300輌弱のみの特徴である車体前部のアップリケアーマー?もなさそう。

・車体右側の工具箱は若干背の高いタイプ。これについては「生産中盤以降ちらほら見られるような感じ?」というくらいのイメージしかなく、生産時期との具体的な関連性は現時点では不明。

・砲塔前面・左右の視察装置は中期以降の標準であるスリット式のみで、初期標準の双眼鏡式(シュレティアン式)の視察装置は入っていないらしい。仕様としては、初期に生産された(登録番号の若い)車体でもスリット式の場合があるようで、たぶん開戦までに交換された車体が結構あるようだが、塗装の選択肢を広げるという点では双眼鏡式も入っていてほしかったと思う。ちなみに先行のホビーボスのキットは双眼鏡式視察装置だけ(追記。ホビーボスはスリット式視察装置/主砲長砲身の仕様をR39として別に出している)。エレールはコンパチだった。(いや、実は入ってるよ!という場合はゴメンナサイ)

・砲塔天井後端には対空機銃架基部付き。これは付いている車体と付いていない車体あり。時期との関連はあまりよくわからず。実車写真をよく見ると、装着位置が微妙にズレていたりするので、生産後に一部車輛に追加されたものではないかと思う。こういう形状のものについては、ないものを追加するよりあるものを削るほうが楽なので、これは付いているのがより良い、と思う。

・足回りは、履帯に関してはKV同様に部分連結式インジェクション。比較的最近のタミヤ製品に入っていた「接着可能な軟質樹脂履帯」は経年劣化がかなり心配な素材だったこともあり、塗装等の観点でも部分連結式は嬉しい。誘導輪は軽め穴がパッチでふさがれた中期以降の仕様。ホビーボスは穴がふさがれていない初期仕様とコンパチだったので、ちょっと寂しいかも。リム部両側を別部品にして窪みを表現するのは先行のホビーボスのキットと同様。

・エッチングパーツは含まれていない模様。排気管カバーや、車体前端のルノーのエンブレムがどれだけシャープに再現されているかはちょっと気になるところ。また、車体前端はホビーボスと同じ処理で、本来一体である鋳造のノーズ部品の真ん中に、横一直線でパーツの継ぎ目が来るのは「う~ん」という感じ。もっともタミヤのことなので隙間なくピッタリくっついて、あとからナイフでさっと一撫で、で済んでしまうのだろうけれど。

・その他あれこれ。基本、主砲パーツはSA18のみの模様。一部車輛の装備ではあるが尾橇なども入っておらず(そもそもこの辺は主に後期生産車中心なので仕様との整合性もあるが)、内容としては選択肢が狭めでシンプル。また、ホビーボスはインテリア付きで各ハッチがすべて別部品だったのに比べ、タミヤは内部無し、ハッチは乗降用を除いて一体化されて組み易さ優先。私はそもそもインテリアを作る趣味はあまりなくて、その分安くしてほしい派なので、これは歓迎(インテリアはアフターパーツで出てくれればいいと思う)。ただし、操縦手用乗降ハッチの下側まで一体化しているのは(私はどうせ閉めてしまうので構わないが)ジオラマ派の一部の人からは不満が出るかもしれない。

2/1追記。すでに一部にテストショットが出回っているらしく、youtube上に、早組みレビュー動画が上がっていた。フェア会場での写真ではわかりにくかったところもある程度チェックできてよい。

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KV maniacsメモ(ガイドホーン無し1ピース履板)

●KV-1重戦車の砲塔形式メモも書きかけだが、その続きの前に小ネタをひとつ。

先日の記事(トランペッター 1:35 KV-1 1942年型鋳造砲塔(その3))で、「レニングラード包囲突破」ジオラマ博物館に展示されている現存車両(2輌あるうち、バッスル下が角型になった砲塔を搭載しているほう)について、

この車輛の履帯は「1ピースだがセンターガイドが全くないタイプ」を混ぜ履きしている点でも非常に興味深い。

と書いたのだが、今回はこのタイプの履板の追加調査報告。

なお、当該車輛のwalkround写真集のサムネイルはこちら。また、履板の特徴が判る写真の例は、こちらが裏側で、こちらが表側。(Dishmodels.ru)

●また、サンクト・ペテルブルクでの何かの式典に引っ張り出されてきたらしい、この車輛もセンターガイド無しの1ピースタイプを(上記車輛ほど多数ではないが)使用している。

ただしこの車輛の場合、JS用の650mm幅履板(2分割タイプ含む)も混ぜて履いており、履帯の幅が不揃いになっている(写真)。

●実のところ、上の現存車両のwalkaroundを見るまで、こんなタイプの履板があるとは知らなかった(そもそも上のwalkaround写真も結構前から見ているのに、気付いたのは割と最近だった)。

問題は、この履板が実際に戦時中のKVも使っているタイプなのかどうかだが、これに関しては、前回も紹介したサイト「Тяжелые танки КВ-1」から、比較的すぐに、このタイプを履いていると思われる実例を探し出すことができた。

実例1、および同一車輛の別写真

バッスル下が丸タイプの短砲塔を搭載。実は1枚目の写真は「グランドパワー」1997/10、p32上にも出ているもので、さんざん見慣れた写真のはずなのに、ガイドホーンが1枚置きになっていることをまるっきり見落としていた。

この写真からではガイドのない履板が本当に1ピースかどうかまでは確認できないが(以下の例も同様)、

  • 1941年型で用いられ始める2ピースタイプは僅かながらセンターガイド部分の突起があること。
  • 基本、1枚おきにガイド無し履板を使っているが、起動輪に掛かっている外側から見える部分では2分割履板は確認できないこと。

の2点から、ガイドホーン無し1ピースでまず間違いなさそう。

実例2。やはりバッスル下が丸タイプの短砲塔搭載車。履板の中央にまったく突起が確認できない。こちらもほぼきっちり1枚ごとに繋いでいる。

実例3、および(たぶん)同一車輛の別写真。これもバッスル下が丸タイプの短砲塔搭載車で、1枚おきに使用。

実例4。若干見づらいが、裏返った履帯の中にガイドホーン無しのものが混じっているのがかろうじてわかる。バッスル下が直線の371工場製砲塔搭載車。

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●KVの履帯について改めて整理。

800tank_fortepan_93766
(wikimedia commons、1939年型と思われるKVの足回り。履帯は標準タイプ)

▼極初期(650mm幅?)。

基本、KVはSMK多砲塔重戦車の縮小・簡略型として作られており、足回りの部品もほぼそのまま引き継いでいるが、量産にあたって若干の改設計が行われている。

SMKの履帯は後のKVの履帯とよく似ているが若干幅が狭く、これは、履帯外側の連結ピン・エンドが履板フランジ端とほぼ同じラインであることで判別できる。この履帯はKVの試作車両にも(全部ではないが)使われている。KV-1s以降、JSにも使われた650mm履帯と同じものなのかどうかは(私には)よくわからない。

このU-0の写真では、この幅の狭い履帯が使われているようだ。また、「翼」タイプの燃料タンクを付けた試作車U-7の写真では、標準の700mm幅の履板に交じって幅の狭い初期タイプの履板が使われていて、履帯の端のラインが不揃いになっているのが確認できる。

SMKと同じ、8穴タイプのゴム抑え板を持つ転輪(上写真参照)が生産初期のKVに見られることを考えると、この幅の狭い履板も、極初期の車輛に若干は使われている可能性がある。

▼標準タイプ(700mm幅)。後世の35戦車モデラーのために設定されたような履帯幅の標準型履帯(履板)。

起動輪と噛み合う穴から外側のフランジ部分は、上記極初期タイプや後の1s~JS用では正方形に近いが、この標準タイプではやや横長。ただし、履板同士の噛み合わせは極初期型ともJS用とも同寸法なので混用可能。博物館車輛ではJS用履板がしばしば入り混じっている(モスクワ中央軍事博物館のKVでは、まるごとJS用戦後タイプの履帯に置き換わっている)。

極初期タイプの項で述べたように、履帯外側の連結ピン・エンドよりもフランジ端のほうが外側に張り出している。

▼ガイドホーン無し1ピース履板(700mm幅)。今回の記事前半で取り上げたもの。写真資料から判断すると、後の2ピースタイプ同様、標準タイプの履板と1つ置きに混ぜ履きするのが基本であるらしい。

上に書いた当時の実例写真から判断すると、1941年8月前後の生産車の一部に用いられたものであるらしい。

▼2ピース履板(700mm幅)。ZIS-5搭載型(いわゆる1941年型)の生産半ばから標準的に用いられるようになった履板。標準タイプの履板と1つ置きに混ぜ履きするのが基本。後の1s~JS用履帯(650mm幅)はセンターガイドのホーンがまったくないのに対して、KV用の2ピース履帯はピースの分割部にわずかに突起がある。

パロラの1942年型の2ピース履板の裏側(legion-afv)。

▼一応書き足しておくと、KV-1s用には、当初、フランジを斜めに削ぎ落したような軽量型履帯が作られ、その後、再びフランジが角型になったものが作られた。後者は標準履帯と似ているが、幅は650mmに詰められている。後者は引き続き、後継であるJS戦車にも用いられた。

両タイプとも2分割タイプの履板と混ぜ履きされるのが標準だが、(特に後者の場合)1ピースタイプのみ使用している例もある。また、このタイプの2分割履板は、センターガイドにあたる部分の突起は全くない。

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KV maniacsメモ(砲塔編その1)

●最近KVづいているので、その勢いで、若干の情報整理など。

以前、“ハラT”青木伸也氏主宰の「T-34 maniacs」の姉妹サイトとして「KV maniacs」を運営していたのだが、プロバイダ変更だのHPサービス停止だののあおりで、結局閉鎖してしまった。

消滅を惜しんで下さる声も時折聞くものの、(データそのものはローカルに残っているのだが)今見ると明らかな誤りも多かったり、我ながら「何を根拠にこんなこと書いてるんだ?」的な記述もあったりで、流石にそのまま復活するのはためらわれる。

改めて体系的に書き直せるかというと、新資料のフォローなどきちんとしていないので、ちょっと及び腰にならざるを得ないのだが、とりあえず書けるだけ、気が向いたときに部分ごとの変遷についてメモを作っていきたいと思う。理由は、

  • 書いておかないと自分で忘れる。
  • 今回は「そう判断した証拠」をなるべく書き添えておきたい。
  • 製作中のいくつかのKVに関連して、製作上の注意点として。

など。内容は「あくまで現時点での私の理解では」ということなので、盲信はしないように。「いや、そこは違うんじゃないか」などのツッコミ歓迎。っていうか間違ってたら教えてください。お願いします。

そんなわけで最初は砲塔編(無印KV-1のみ)。

主な情報ソースは、

  • サイト「Тяжелые танки КВ-1
  • サイト「4BO GREEN
  • Jochen Vollert, "Tankograd KV-1 Soviet Heavy Tank of WWII - Early Variants"
  • Jochen Vollert, "Tankograd KV-1 Soviet Heavy Tank of WWII - Late Variants"
  • М. КОЛОМИЕЦ, "ИСТОРИЯ ТАНКА КВ (1)", Frontline Illustration
  • М. КОЛОМИЕЦ, "ИСТОРИЯ ТАНКА КВ (2)", Frontline Illustration
  • M. Kolomiets, "KW vol.3", Wydawnictwo Militaria No.320

中でも「Тяжелые танки КВ-1」の受け売り度高し。特に各仕様の生産期間に関しては、基本、同サイトからの引き写しなので、ロシア語がスラスラ読める人は、むしろここを読まずにそちらを読むことを推奨。ちなみに私はGoogleさんに助けられてつまみ食い程度。

なお、とりあえずブログ記事として書いているものの、そのうちウェブページに移動するかも(漠然とした意味でのウェブページではなく、ココログのブログサービスのメニューで、日付依存で無く別途作成できるページ)。

■試作車・増加試作車用砲塔(便宜的にタイプ1とする)

  • 砲塔前面左右はエッジが立っておらずなだらかに丸い。
  • 砲塔後面平面形はほぼ半円。
  • 砲塔前部2/3と後面の継ぎ目(前部側)に5本の接合リベット縦列。

1939年中に製作された試作車、および1940年4月~7月に製作された増加試作車が搭載。コロミェツ氏によれば試作車(U-0)1輌に加えて増加試作車14輌。

当初、試作車U-0が76.2mmと45mmの連装だったことを除き、基本は76.2mmL-11単装で完成しているはずだが、後に多くがF-32装備に改造されている。ただし、L-11装備のままでドイツ軍に鹵獲されている車輛も確認できる。

35インジェクションではトランペッターがパーツ化しているが(「Russian KV-1 Mod 1939」(No.01561))、若干形状に問題があるような話も聞く(私自身は持っていないので未チェック)。

■初期型溶接砲塔(タイプ2)

Kv1_m39
(写真:wikimedia commons)

  • 側面が中ほどで緩く曲がっているほかは、基本箱組みの角ばった溶接砲塔。
  • バッスル下は砲塔リングに沿って円形。
  • バッスル下円形の装甲の前端に縦2個ずつのリベット。
  • 前後左右の装甲板はおそらく小口を斜めに削いで継いであり、溶接ラインはエッジにある。
  • 四周の装甲厚はおそらく75mm。

Uナンバーを持つ増加試作車の最後の数輌、およびL-11搭載の生産型(いわゆる1939年型。もっとも、1939年型と言っても生産時期は1940年、しかも8月~12月)、そしてF-32搭載型(1940年型、1941年1月生産開始)の初期まで搭載。砲塔後面の機銃架は、1939年型の中途までは内部防盾の半球形外観のもの。中途から外部防盾を持つ標準型に。

主砲L-11の駐退機カバー形状は、少なくとも初期・後期の2種(他にも細かいバリエーションがあるかも)。

砲塔上面4カ所の固定式ペリスコープカバーは、基本、フランジなしの直接溶接タイプ。ただし最後期の一部はフランジ付きの可能性あり。

次の標準型溶接砲塔と非常によく似ているが、溶接ラインの位置が最も大きな識別点となる。

トランペッターの「Russia KV1 (Model 1941) "KV Small Turret" Tank"」(No.00356)にはL-11の砲身・防盾一式も入っているが、砲塔自体は下の標準型溶接砲塔で、一般的な1939年型に仕上げるには改造が必要になる。

■標準型溶接砲塔(タイプ3)

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(写真:wikimedia commons、モスクワ中央軍事博物館。ZIS-5搭載の1941年型)

  • 装甲厚75mm。
  • 基本形状は一つ前のタイプと同じだが、装甲板の組み方に大きな変更が加えられ、溶接ラインが前後とも側面に。さらに埋め込みボルトで補強しており、前面左右に6本ずつ、後面左右に5本ずつの埋め込みボルト溶接痕がある。前後の装甲板は接合部で段状に削っているので、表に出ているのがそのまま装甲板本来の厚みではない。
  • バッスル下は砲塔リングに沿って円形。
  • バッスル下円形の装甲の前端に縦2個のリベット(左右)。

F-32砲搭載の1940年型で主に使用。40年型でも生産当初のものは溶接ラインがエッジにある一つ前のタイプを使っており、このタイプは1941年6月頃の戦場写真から見かけるようになるので、5、6月頃に導入されたものか。

砲塔上面の固定式ペリスコープカバーは、コロミェツ氏によれば41年3月からフランジ付きに切り替わっているとのことなので(Wydawnictwo Militaria)、このタイプでは基本フランジ付きのはず(例外はありそう)。

後に装甲が強化された90mmタイプの砲塔が生産されるようになるが、なぜかZIS-5搭載型(いわゆる1941年型)生産当初には、各部に若干のアップデートを施したこのタイプの砲塔がしばしば見られる。生き残った1940年型を改修した再生車輛か? あるいはチェリャビンスクで余剰パーツを使って生産したものか?

ちなみに上掲のモスクワ中央軍事博物館展示車両もZIS-5装備型。ただしこの展示車両はかなりキメラ的仕様になっていて、どこまでがオリジナルの状態なのかよくわからない。同じ車両の砲塔を斜め後ろから見た状態の写真がこちら(Dishmodels)。後方ペリスコープが天井後縁より奥まっていること、側方ペリスコープ下に削り込みがないことなどが確認できる。側面前方と後面の吊り下げフックはオリジナルではない(たぶん)。

35では、トランペッターの「Russia KV1 (Model 1941) "KV Small Turret" Tank"」(No.00356)、ズベズダの「Soviet Heavy Tank KV-1」(No. 3539)などの初期型KVキットが再現しているタイプ。ちなみにズベズダのキットは箱絵は1941年型、中身は1940年型というお茶目な構成らしい(買っていない)。

■■エクラナミ(タイプ3´)

800pxkv1e_m1941_parola_2
(写真:wikimedia commons,、パロラ戦車博物館)

  • 溶接砲塔に30mm(側面)の増加装甲をスペースド・アーマー形式でボルト止め(資料によっては35mm)。
  • 後面には増加装甲は付けられておらず、埋め込みボルト痕が確認できるため、ベースが標準型の溶接砲塔であることが判る(初期型砲塔ベースのものは絶対存在しない、とは言い切れないが)。

1941年6月~8月に生産。この間はエクラナミだけ作っているのかと思ったら、増加装甲無しタイプも並行生産されていたらしい。増加装甲の装着法には若干のバリエーションがあり、砲塔本体と増加装甲の間の上面フタのあるもの/ないものがあるようだ。増加装甲の前半と後半には若干の段差があるのが普通らしい。上掲パロラの所蔵車はその段差、および視察口・ピストルポートの切り欠き部分の増加装甲と本体装甲の隙間を丁寧に埋めてあるが、これは鹵獲後の改修ではないかと思われる。

35インジェクションではトランペッターの「Russia KV-1's Ehkranami」(No.00357)、タミヤの「KV-1B」がこのタイプの砲塔。当然ながら増加装甲を装着しなければ上の標準型となる。

■短縮型・装甲強化溶接砲塔(90mm、バッスル下丸型)(タイプ4)

800px1_______
(写真:wikimedia commons,、レニングラード包囲突破ジオラマ博物館)

  • 外形は標準型溶接砲塔によく似ているが、基本装甲が90mmに増厚されたタイプ(*1)。
  • バッスル下は円弧状。
  • バッスル下円形の装甲の前端にリベットはない(*2)。
  • 装甲増厚に対応し、側方ペリスコープ直下に削り込み。
  • おそらく装甲増厚による重量増のバランスを取るため、バッスルを標準型より短縮。このため後方ペリスコープは砲塔後端にある。

多くの資料で、これまで標準型溶接砲塔と区別されてこなかったタイプ(私自身も以前は混同しており、「KV maniacs」でも区別していなかった)。この砲塔はレニングラードのイジョラ工場(イジョルスキー工場)で生産され、レニングラード・キーロフ工場(LKZ)においてF-32装備型(1940年型)の1941年8月~9月生産車に搭載された、とのこと。

Kv1_model_1941_in_the_breakthrough_ 写真で標準型と明確に区別するのが難しい場合も多いが、前掲のポイントでも書いたように、ペリスコープ直下の削り込み、バッスル下円弧装甲前端のリベットの有無、上面後端のペリスコープと後縁の位置関係などが判別点になる。

右写真は上と同一車輛の真横からの写真(wikimedia commonsより)で、砲塔後部ペリスコープが後縁ギリギリにあることがわかる(標準型ではかなり奥まっている)。同一車輛のwalkaroundはこちら(Dishmodels)

なお、側方ペリスコープの削り込みの下に跳弾用にロッドを溶接してある場合が多いが、これは初期には付けらておらず、一方で、標準型砲塔のZIS-5搭載改修型などでは(削り込みはないが)跳弾リブは追加されている場合があり(上掲、モスクワ中央軍事博物館車輛参照)、識別点にはならない。

ZIS-5が搭載されたものもあるが、当初からその仕様で完成したのか、後の改修によるものかはよく分からない。ちなみにZIS-5が搭載された現存砲塔はこれ(Dishmodels)。ペリスコープ位置など細部ディテールがよくわかる。

現時点で、35インジェクションでこれを再現しているものはない、と思う。

*1 ただし、上に写真を乗せた現存の「061号車」では、側方ペリスコープ下は申し訳程度にしか削り込んでおらず、一方で当時の写真ではもっと明瞭に削り込んでいるものも確認できる。「061号車」のような仕様でも90mmに増厚されているのか、若干の疑問は残る。(5/14追記)

*2 ソミュールに現存する実車では、側方ペリスコープ下に明瞭な削り込みがあり、このタイプの砲塔であると思われるのだが、バッスル下円弧状装甲の前端はただの溶接ではなく、埋め込みボルトで補強されている。(5/14追記)

■短縮型・装甲強化溶接砲塔(90mm、バッスル下角型)(タイプ5)

  • バッスル下が直線的に処理された砲塔で、英語では「simplified turret」と表現されることが多い。
  • おそらく装甲増厚による重量増のバランスを取るため、バッスルを標準型より短縮。このため後方ペリスコープは砲塔後端にある。
  • 装甲増厚で見にくくなるのを防ぐため、側方ペリスコープ直下に削り込み。

これまで「90mmに装甲が強化された溶接砲塔」といえばこれ(だけ)、と思われてきたタイプ。バッスル下の処理に特徴があるため、側方からの写真があれば識別はたやすい。標準型砲塔ほかと同様、砲塔前面は左右6カ所ずつ、後面は5カ所ずつの埋め込みボルト溶接痕あり。

このタイプの砲塔は、スターリン記念名称第371工場で製作され、レニングラード・キーロフ工場(LKZ)におけるF-32装備型(1940年型)の1941年8月から、疎開によりLKZでの戦車生産が終了する10月までの生産車で使われた。

現存車両写真は、たとえばこれこれ(Dishmodels)。

砲塔上面左右・後方の固定式ペリスコープカバーは、コロミェツ氏によれば41年3月にフチ無しからフチ有りに切り替わっているそうなのだが(Wydawnictwo Militaria)、このタイプの砲塔でもフチなしを装着している例がある。

また、一部車輛では砲塔前面左右にブロック状の増加装甲を溶接したものがある(以前から私がちっくりちっくり作っている仕様)。

51404s
(写真:フィンランド軍写真アーカイブ、SA-kuva)

これは「Тяжелые танки КВ-1」によれば、特に1941年の8月から9月初めの生産分に見られるものであるらしい。

またこのタイプの砲塔でZIS-5が搭載されたものもあるが、当初からその仕様で完成したのか、後の改修によるものかはよく分からない(たとえばこれ、Dishmodels)。

以前から比較的広く知られた仕様の砲塔だが、現時点で、35インジェクションでこれを再現しているものは出ていないはず(トランペッターの「Russia KV1 (Model 1942) Simplified Turret Tank」(No.00358)は、さらに装甲が強化された1942年型用砲塔なのでこれとは違う)。

■短縮型溶接砲塔(ChTZ型、バッスル下丸型)(タイプ6)

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(写真:wikimedia commons,、41年10月にムツェンスクで撃破された車輛)

  • 標準型溶接砲塔とよく似ており、おそらく装甲厚も75mm。そのため側方ペリスコープ下の削り込みはない。
  • ただしバッスルは装甲強化型と同様に短縮されており、後方ペリスコープは砲塔後端にある。
  • バッスル下円形の装甲板前端のリベットは無い。

実は「砲塔バッスル下が丸いタイプでも、『simplified turret』同様にバッスルが短く、おそらく装甲も増厚されているタイプがあるようだ」というところまでは、私も独自に実車写真観察でたどり着いたのだが、その後の識別点の抽出で混乱して収拾がつかなくなったのは、たぶんこのタイプの砲塔が元凶だったのではないかと思う。

レニングラード・キーロフ工場の疎開完了に先立ち、チェリャビンスクで先行してKVの生産に入っていたチェリャビンスク・トラクター工場(ChTZ)における、F-32搭載型(いわゆる1940年型)の1941年8、9月生産型に、この砲塔が用いられたらしい。

後方ペリスコープが後端をはみ出すくらいの位置にあること、しかし側方ペリスコープの削り込みはないことを確認しやすいのは、例えばこの写真。サイト「Тяжелые танки КВ-1」におけるこのタイプの解説ページより。

「タイプ4が、タイプ3とタイプ5の中間的形質を持っていて、ややこしいったらない!」と思っていたら、今度はタイプ3とタイプ4のそのまた中間的形質のものが出てきたことになる。しかし、タイプ4の注釈で書いたように、それでもなおスッパリ割り切れない仕様のものもあり、実はさらにタイプが細分化される可能性はある。

現時点で、35インジェクションでこれを再現しているものはないはずだが、標準型から簡単に改造できそう。

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以下、ZIS-5搭載型の砲塔に関してはまたそのうち。

■標準型鋳造砲塔

■装甲強化型溶接砲塔(組み継ぎ)

■装甲強化型鋳造砲塔

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トランペッター 1:35 KV-1 1942年型鋳造砲塔(その3)

●トランペッター 1:35、KV-1 1942年型鋳造砲塔(キット名称「Russia KV-1 model 1942 Lightweight Cast Turret」)のレビューなんだか考証なんだか製作記なんだか、いずれにしても中途半端な徒然話。細部パーツ編の続き。

20180430_180335戦闘室前面増加装甲

戦闘室前面の増加装甲は、パーツ共用化により初期型で一般的な背の低いものしか入っていないため、プラバンで背の高いタイプを新造した。

一応、おおよその時系列的に言うと、この部分の増加装甲は1940年型エクラナミで導入され、その後1940年型後期から1941年型初期にかけては背の低いもの(通常、上端がごくわずかに戦闘室前面の上にはみ出る程度)が使われている。

おそらく、エクラナミの生産末期からは、この背の低い増加装甲に加えて、車体ハッチ前方部分にハッチガード用のリブが追加されるようになり、以降、これが標準に。

なお、車体に火炎放射器を装着したタイプで、増加装甲が無くハッチガードだけあるものが確認できるが(例えばサイト「Beutepanzer」にある、この車輛)、これは火炎放射器の装着に増加装甲が邪魔だったためではと思われる。

1941年型の中盤、おそらくは鋳造砲塔の導入あたりから、ハッチガードの役割も兼ねてということか、背の高いタイプの増加装甲が用いられるようになる。高さはおよそ、砲塔リングガード上端と等しいが、リングガードと違い砲塔下端との干渉を考慮する必要はないため、リングガードよりもだいぶ高いものも見られる。hn-nhさんの記事によれば、“KV Tanks on the Battlefield”ほかに、「背の低い増加装甲付きはUZTM製、背の高い増加装甲付きは第200工場製」の記述がある由。それぞれの工場での生産時期が判らないが、並行生産されていた時期もあるのだろうか?

タミヤのキットで表現されている両肩を切り落としたタイプは、レンドリースの見返りに技術参考品としてイギリスに渡り、現在ボーヴィントンの博物館に展示されている車輛で見られるもの。ただしこのタイプの増加装甲はソ連軍での使用例はあまり見られない。……というより、今回改めて手持ちの写真をざっと見た限りでは存在が確認できなかった。

背の高い増加装甲の場合、車体から引き出される前照灯・ホーン用のコード用の切り欠きもあるが、このコードの引き出し場所は41年型の中盤くらいから(?)やや車体内側寄りに移動しているようだ。キットの車体上部には、この2通りの位置に対応した非貫通のダボ穴があって選択できるようになっているが、なぜかキットでは外側の穴を使用するよう指定されている(初期型用の背の低い増加装甲のモールドに合わせたものか?)。41年型のキットではどうなってますかね?>hn-nhさん

ただし、キットの内側取付指定穴は、実際よりちょっと内側過ぎるようだ(5/5追記)。

20180427_111637車体下部前面増加装甲

これもエクラナミの途中から装着されるようになった増加装甲。戦闘室前面同様に溶接でベタ付けされているもの。

右写真はパーツを裏側から撮ったもので、左下端が一部薄くなっている。これは、この部分に切り欠きがある仕様に対応、選択式にしたものと思われるが、説明書では特にこの切り欠き部分には触れられておらず、そのまま接着するよう指示がある。また、実際、パロラの1942年型の現存実車でもこの部分に切り欠きは存在しない。

あくまでざっと写真を見ての印象だが、

  • 最初にこの増加装甲がエクラナミで導入された当初は切り欠きがなく(パロラのエクラナミにもない)、
  • しかしほどなく(エクラナミの生産途中で)切り欠きが設けられるようになり、以後、切り欠き有りが標準に。
  • その後1942年型登場前あたりでまた切り欠き無しが復活。

という流れのような気がする。いやまあ、単に「いろいろあった」なのかもしれないけれど。ちなみにボーヴィントンの鋳造砲塔付き1941年型は切り欠きがあり、アバディーンの同形式では切り欠きがない。トランペッターのエクラナミ(『Russia KV-1's Ehkranami』、アイテム番号NO.00357)の同じ個所のパーツには切り欠きは設けられていない。

この切り欠きに関しては、以前にセータ☆さんがどこかで触れていたような気が……。違ったかな。

とりあえず、この切り欠きそれ自体の存在理由については、どうも、この部分に装甲板接合用の埋め込みボルトがあるのが理由のようだ(たとえばモスクワ中央軍事博物館のこの車輛)。溶接してしまっている埋め込みボルトに後からアクセスする必要があるとは思えないので(また、前面装甲板に増加装甲を付けた後で車櫃を組み立てるとも思えないので)、これは、溶接痕の盛り上がりのせいで装甲板が浮いてしまうのを避けるためではないかと思われる。

左にあって右にないのは、トーションバーサスの関係で、左右で埋め込みボルトの位置が違うためらしい。最初期と後期とで切り欠きがないのは、最初は溶接痕を丁寧に削り落としていたのではと想像。1942年型の場合は「この部分の埋め込みボルトが省略されて溶接痕の盛り上がりが最初からなかった」か、あるいは「構わず無理やりくっつけた」か……。キットのパーツのように裏をちょっと削って干渉しないようにした、なんてことはないと思う。

ちなみにキットの車体は各型共通だが、この場所に埋め込みボルトの溶接痕は再現されていない。

また、牽引具基部の切り欠きは、パーツでは左右が牽引具基部に合わせて丸く切られているが、実車ではもっと適当に角を立てて(つまり6角形に)切り抜かれているものが多く見られる。どうも初期は「角」が普通で、41年型中盤以降、「丸」になっているような気がするが、しっかり調べ尽しているわけではなく、要調査続行。

車体前端の上下接合のL字部材

上の写真に写っているが、1942年型のキットには、埋め込みボルト痕のモールドがないものが入っている。1942年型の仕様としてはこれで正しいが、この埋め込みボルトの数の変遷はちょっとややこしい。

 ▼試作車(Uシリーズ)や極初期の生産車ではこの部分のボルトは異様に多く、17カ所もある。KV-2初期型砲塔でも17カ所タイプが見られるが、全部がそうであるかは未確認。コロミェツ氏によれば初期型砲塔は1940年の7、8月の生産車に搭載されているそうなので、下記の説明に従えば全車が17カ所タイプということになる。一方「4BO」の記事によれば、初期型砲塔搭載車の最後の数輌は11カ所の可能性があるようだ。

 ▼比較的早い時期に11カ所に減少。コロミェツ氏は40年9月~41年7月の生産車がこの仕様としている(Wydawnictwo Militaria No.320 “KW vol.III”)。この40年9月というのは、KV-1の形式で言うといわゆる1939年型(L-11搭載型)の生産途中ということになるようだ。

 ▼41年7月から、さらにボルト数が減って8カ所のものが使われ始める。時期で言うと、ちょうどエクラナミの生産途中、緩衝ゴム内蔵転輪に、小リブ付きリムが使われ始めたのと前後して、という感じ? ちなみにトランペッターのエクラナミのキットは、ボルト痕のモールドが11カ所のタイプが入っている。ちょっとモヤモヤするのだが、このボルトの打ち込み位置にはバリエーションがあるようで、左右端は部材の端に寄っているのが普通だが(たとえばこんな感じ、Dishmodelsより)、中に寄っていて左右に余裕のあるものも確認できる(例えばこの車輛)。

 ▼ここから先がさらにモヤモヤするところで、モスクワ中央軍事博物館のKV-1は、ボルト痕が6カ所に減っており、しかも上面にはないようだ。たとえばこの写真この写真。断言はできないが、フロントバヤ・イルストルツィヤ(フロントライン・イラストレイション)」の「KV史 第2巻(1941~1944)」の8ページの写真(写真番号7)も同じタイプに見える。

 ▼最終的に埋め込みボルトが省略される。ボーヴィントンアバディーンの鋳造砲塔型ではすでにボルト痕は確認できない。“KV Tanks on the Battlefield”p88掲載写真によると(というより、サイト4BO掲載の訂正情報によると)、「welded-only nose plate」は41年12月に導入されたものだそうだ。これは、41年型(ZIS-5搭載型)生産開始(41年10月)からちょっと後、ということになる。

20180504_200620 ●車体底面

個人的には「どうせ見えないからいいや」という感じなのだが、底面のディテールにも生産時期により差がある。これに関しては、サイト「4BO」に簡単な解説ページがある。

これによれば、キットの車体底面は、トーションバーの固定ボルトが6本から4本に減り、パネル間の結合ボルトが省略された41年1月以降の生産型に準拠したもの、ということになりそう。なお、上記4BOのページに添えられた図によれば車体前面(左方向)の埋め込みボルト位置にも差があり、これが増加装甲の切り欠きに関係している可能性もあるような気がする。

●キット(の仕様)と直接関係のない話あれこれ。その1。

トランスミッション点検ハッチに関して、第2回で「ミッション点検ハッチに関しては、装甲強化型砲塔でも(また、ZIS-5搭載型でも)まだ皿型のものが使われているのが確認できる」と書いたのだが、「レニングラード包囲突破」ジオラマ博物館展示の車輛は、1940年型後期型(F-32搭載・装甲強化短砲塔)だが、すでにツライチ・フラットタイプが使われている。例えばこの写真。サムネイルのページはこちら

ちなみにこの車輛は前方乗降ハッチもフチなしツライチ・フラットタイプ。ついでにエンジンハッチもフラットタイプ。

また、この車輛の履帯は「1ピースだがセンターガイドが全くないタイプ」を混ぜ履きしている点でも非常に興味深い。こちらが裏側。そしてこちらが表側

20180429_104734 ●その2。

ちょっとその気になって、第2回で触れた「1941年の8、9月にのみ作られたとされる皿型カバーのボルトが12本のタイプの起動輪」を作ってみた(写真中央)。

初期型のパーツを改造したもの。製作中の装甲強化短砲塔搭載型に使ってみるつもり。

●その3。

トランペッターの初期型用KVのフェンダーパーツの幅詰め工作をしてみた。以前KV-2用に同じ工作をした時には、フェンダーステイのベロ部分は特にいじらなかった(そのため、フェンダー外縁のL字材との関係が少しおかしかった)。

今回はもうちょっと凝って、フェンダーステイのベロも外縁L字材のベロより内側で終わるように削り、6本の取付ボルトも一度削り取って間隔を狭めて付け直した(内側は動かないので付け直したのは外側5本。場所により横着して4本)。

20180503_133804 20180503_201709

外側L字材の再生は、フェンダー側のベロがプラペーパー。裏から針でつついて極小リベットを表現。外側の立ち上がりは0.3mmプラバン。

なお、KVのフェンダーは裏側を縦方向に、中心付近に補強用のL字材が付けられている。トランペッターのキットはこの縦通材も再現されているが、幅詰め工作の結果、これが中心よりも外側寄りになってしまう。……が、どのみちほとんど見えないので放置した。

20180430_171141 ●その4。(5/5追記)

トランペッターの初期型KVのエンジンパネルは、前端左右(砲塔リングに掛かる円弧の左右)のボルトが2本ずつだが、ここは3本が標準(41年型では2本になる)。

製作中のKV-2と1940年型のパネルに、左右1本ずつボルト頭を追加した。

●追記。

上で紹介したサイト「4BO」を改めて読み直していたら、トランペッターのキットから各年式・各仕様を作る際の細かい「レシピ」が詳細にまとめられていた。

これまで3回書いてきた記事のほとんどがそのページに既出! うはははははは。

ちなみに1942年型・強化型鋳造砲塔(1942年2月~7月生産分)の記事はこちら。もっと後の、牽引具基部が円形になった仕様も別途ページが立てられている。砲塔ハッチは真ん中に「へそ」がない、というのは(さんざん写真を見ているはずなのに)言われて初めて気が付いた……。

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トランペッター 1:35 KV-1 1942年型鋳造砲塔(その2)

●トランペッター 1:35、KV-1 1942年型鋳造砲塔(キット名称「Russia KV-1 model 1942 Lightweight Cast Turret」)の話の続き。今回は細かいパーツのあれやこれや。

とはいえ、1942年型鋳造砲塔のキモと言えるパーツの話は前回書いてしまったので、以降はもうちょっとボンヤリと、「トラペのKVにまつわる話」になる。

20180426_223607

フェンダー

以前にも書いたが、トラペのKVは、初期型(~1940年型)用と後期型(1941年型~)用とで、フェンダー幅が違う。写真は、初期型フェンダー上に後期型フェンダーを乗せてみたもので、およそ1.5mm、幅が異なっている。

これはマキシム・コロミェツ氏の著書、フロントバヤ・イルストルツィヤ(フロントライン・イラストレイション)のKV本(“ИСТОРИЯ ТАНКА КВ”)の図面でもそうなっており、キットが同書の図面を参考にキット化した可能性がある。ただしその他の場所で若干の寸法の差異があるので、この図面をそのままキット化したわけではなさそう。

もちろん問題は「実車ではどうなのか」という話。

フェンダーは現存車両では新造されていることも多いパーツなので悩ましいが、たぶんオリジナルと思われるノヴォクズネツクにある1941年型(主砲はZIS-5だが、フェンダーは支持架が6本ボルトの初期タイプ)にメジャーを当てている写真(たとえばこれこれ。DishModels.ruより)ではおおよそ650mm幅。これは後期型キットのほうのフェンダー幅に相当する。当時の実車写真でも、フェンダーからの履帯のはみだし具合は初期型と後期型で異なっているようには見えず、これは初期型用フェンダー・パーツの幅が誤っている可能性が高そう。

しかし前述のように、フェンダー支持架の取付ボルトが初期型は6本、後期型は4本なので、後期型のパーツをそのまま流用はできない。ちなみに私は、すでに組立済みのKV-2(標準型砲塔)では外側から幅を詰め、切り落としたエッジのディテールを新造した。

なお、後期型のフェンダーパーツなのだが、よく見ると前後に金型差し替えの継ぎ目がある。

20180427_111501 20180427_111516

現在のところ、この部分が差し替えになったバリエーションキットは発売されていないと思う(ない……ないよね?)。ちょうどフェンダーが丸まっている部分を差し替えるようになっていることを考えると、これはもしかしたら、フィンランド軍仕様の1942年型鋳造砲塔を発売しようという計画があったのではないか!?……などと妄想。

ところがどっこい。フィンランドが鹵獲使用した「クリム」の1942年型鋳造砲塔は、砲塔上面が組み継ぎになっていない仕様なのだ。そんなわけで発売が中止になったのかもしれないなあ、などと妄想を重ねてみる。

ちなみに私自身、このタイプを買ったのは「フィンランド軍仕様に改造してもいいかも」なんてボンヤリ考えていたからだが、この仕様の差に気付いて「やっぱりやめよう……」にだいぶ傾き中。いや、砲塔上面の改造はそんなに「ものすごい手間」ではないと思うけれど、やはり「1輌しかないもの」の再現って大変だし(しかも実物が残っているのでかなり細かく判ってしまうし)。

ちなみにフェンダー支持架は、初期のKVは全部が穴あき、1941年型あたりでは砲塔横の2カ所のみ穴無し(乗員の乗降時の変形を防ぐためでは?と想像)だが、42年型ではなぜか前方の支持架が穴あきに戻り、逆にエンジンルーム横が穴無しになったものが多い。エンジンデッキにタンクデサントを乗せるためか?

20180324_102613転輪

トランペッターのKV系列は、1S系を除くと、右写真の4種をパーツ化している。一番右の全鋼製転輪が今回のキットにセットされているもの。

一番左はSMK、試作車~極初期の生産型に用いられた緩衝ゴム内蔵転輪の初期型。次が標準型。次は40年型エクラナミの中途あたりから41年型初期に用いられた緩衝ゴム内蔵転輪の後期型。他にも、緩衝ゴム内蔵転輪にはリム部の穴無しタイプや、リム部の小リブがもっと小さく一つ置きになったものなどがある。

1941年型~42年型標準の全鋼製転輪パーツは、緩衝ゴム内蔵転輪や誘導輪の繊細さに比べるとどうも大味で、リム部のフチやリブ(特にハブ部に接続している6本)がどうも厚ぼったい。hn-nhさんは一つ一つコリコリ削って薄くする工作を決行した模様。むはー。

タミヤの41年型のパーツはどうだったかしらん、どこかにストックがあったはずだし、全部交換しちゃろうか、などとも思ったが、タミヤのパーツのディテールのほうがマシだったかどうかは未確認。ただし、転輪内側の軸周りにある小リブはタミヤのパーツにはない(どうせ組んでしまえばほぼ見えないが)。

20180427_230837誘導輪

これは各タイプ共通。外側と内側とで、穴の形状が違うのはトラペのキットで初めて知った。

非常に細かい話だが、ハブキャップの取付ボルトに対応した、ボルト穴周辺の丸く平らな部分が大きくハブキャップからはみ出して見えるタイプと、ほとんど見えないタイプとがあるようだ(わかりにくい説明)。キットは後者で、こちらのほうが標準。

20180323_135125起動輪

トラペKVお約束工作その2。

以前にも書いたが、トラペKVシリーズの起動輪パーツは、表側のスプロケットの取付ボルト部のみが別金型のハメコミで、その取り付け設定がいい加減なため、生産ロットによって(一番肝心な)表側ボルト列の位置がまちまち。

本来は、取付ボルトはスプロケットの歯と同位置にある。今回、私が入手したこのキットに関しては、2つある起動輪表側パーツのうち片方はほぼボルト位置が正しく、修正不要だったのはラッキー(場合によっては両方植え替えることになる)。もう片方はボルトをいったん削り、位置をずらして再接着した。

hn-nhさん曰く、このボルトは実物に比べやや大きめとのことで、hn-nhさんはMasterClubのボルトに植え替えていた。おお、ブルジョアな。個人的にはボルトの大きさにはあまり違和感がない(パロラの実車写真でもこれくらいに見える)のと、ほとんどズレていなかったもう片側に合わせ、ボルト頭はキットのまま使った。なお、フリウル付属の金属製起動輪のボルトはキットよりややおとなしめ。実車写真とよく見比べると、むしろ、キットは歯の外周部との段差が実物よりちょっと強調気味かな?というのが目につくが、面倒なので放置。いずれ、両側ともにボルトの植え替えが必要な場合には、ついでに少し削ってもいいかも。

20180426_223917 ちなみに、キットの起動輪は中央の皿型カバーが別部品で、取付小ボルトの数(および取り付け部の窪み)が多い(16本)の初期型と、ボルトが少ない(8本)の後期型の別を再現している。

トランペッターのキットではパーツ化されていないものの、この中間に、ボルトが3本ごとに1本分間引きされたような形の、過渡期の12本タイプが存在する。コロミェツ氏によれば、12本タイプは1941年の8、9月にのみ作られたものだそうだ(Wydawnictwo Militaria No.320 “KW vol.III”)。

ちなみにこの皿型カバーのボルト位置は、16本タイプおよび12本タイプでは外周のスプロケット取付ボルトのおよそ中央に来ることが多く(ただし例外もあるので、きっちりそこでなければいけない、というものでもないようだ)、8本タイプではズレているのが普通のようだ。やや謎。

サスペンション

サスペンションアーム基部のハブキャップは、初期は6本ボルトだったが、後期は3本ボルトになる。――というのはかなりざっくりした説明で、実際には、6本ボルト用に6カ所の窪みがあるものの、ボルトは3つだけで残り3カ所は穴が塞がれた過渡的な形質のものがあったり、ボルト用の窪みの形状が違ったり(U字形か丸形か)と、いろいろ細かい別があるようだ。

今回いじっている「Russia KV-1 model 1942 Lightweight Cast Turret」では(たぶん1941年型キット以降そうなっているのではと思うが)、ハブキャップ部分が別パーツになったサスアームがセットされていて、6本ボルトタイプと3本ボルトタイプの2種のハブキャップのパーツのうち、後者を使うよう指示されている。ちなみに、このボルト位置はサスアームとは無関係のようで、実車でも割とバラバラ。

20180426_224135 20180426_224151

写真上左が取り付けたサスアームで、上右は不要部品として残った初期型サスアームキャップ。しかし不思議なことに、トランペッターの初期型KVでは、もともとキャップ部分も一体に成形されたサスアームの部品が入っている(写真下)。上右のキャップは、一体何に使うんだろう?

20180426_223617

車体ハッチ

車体前方の操縦手・無線手(機銃手)乗降用ハッチは、このキットでは平板でフチ付きのものがセットされている(下写真左)。このハッチに関しては、初期は周囲が緩くカーブした皿型のもの、その後まったくの平板なものに変わり、さらにキットパーツのフチ付きのものになる、というおおよその変遷過程だったのではと思う(割と適当な理解)。前回書いたように初期はハッチ周囲が上面板と別体だが、これは皿型ハッチに対応したもの。

20180427_111546 20180427_111557_2

トランスミッション点検ハッチも、初期は前方ハッチ同様の皿型ハッチで、周囲が別体であるかどうかも同じ。その後、周囲とほぼツライチの平板ハッチになる。これはアバディーンの1941年型で確認でき、タミヤの最初のキットでもこの仕様が表現されている。前方の乗降用ハッチで平板のものが使われだしたのは1940年型の末期(装甲強化型の短砲塔が使われだしたあたり。旧型砲塔でも戦闘室上部の増加装甲が付いているものは平板ハッチが多いようだ)なのだが、ミッション点検ハッチに関しては、装甲強化型砲塔でも(また、ZIS-5搭載型でも)まだ皿型のものが使われているのが確認できる。とりあえず、「前方が平板だから後方も平板」といった因果関係はないらしい。

キットに付属のトランスミッション点検ハッチはパロラの1942年型で確認できるもので(例えばこの写真)、初期の皿型ハッチのように車体面に対し盛り上がっているものの、初期の皿型ハッチの周囲がなだらかにカーブしているのに対し、このタイプはもっと直線的に、面取りされたような処理。車体側周囲の別体もない。また、初期の皿型ハッチよりもやや小径のようだ(キットもそのように表現されている)。一応、「1942年型(つまり後端が角型の車体)になって装甲板構成が変わったのに合わせてハッチも新型になった」ということではと思っているのだが、確証なし。

hn-nhさんの記事によれば、トラペは1941年型にもこのタイプのパーツがセットされているらしい(今、昔の『KV maniacs』の記事を見返したら、そちらにもそう書いてあった。自分では買っていないので、どこかで中身を覗いたか、誰かに教わって書いたらしい)。「フロントバヤ」の図面では、1941年型でもこのタイプのハッチで描かれていたりするので、例によってそれを鵜呑みにした可能性もありそう。

エンジン点検ハッチ

エンジン点検ハッチはふくらみ付きのものがセットされている(下左)。開状態固定用のワイヤーフックが付くアイボルトは左右2カ所。これに対し、初期型KVのキットではアイボルトが中央1カ所のものがセットされている(下右)。ふくらみ中央の突起は一応オプション・パーツが入っているが(A18)、取付指定無し。

20180427_111445 20180426_223717

エンジン点検ハッチに関しては、1940年型の終わりごろから、ふくらみのないフラットなものも使われている。コロミェツ氏によれば、フラットタイプが使われ始めたのは1940年8月の生産車からである由(Wydawnictwo Militaria No.320 “KW vol.III”)。アイボルトが左右2カ所になったのもおおよそこの時からではないかと思う。

しかしキットのような「ふくらみ付きでアイボルト2カ所」タイプもその後も使われていて、アバディーンの41年型はこのタイプ。「フロントバヤ」KV本2冊目の、1942年型生産ラインの写真(p11)でも、複数の車輛でふくらみ有りタイプが使われているのが確認できる(同じ写真はたとえばここ)。アイボルトが増えているので、単純に「古いパーツの使い回し」ということではないようだ。

一方、パロラの1942年型鋳造砲塔ではフラットタイプが使われており、ふくらみがない分素通しになってしまうのを防ぐためか、くさび形に防弾リブが溶接されている。溶接砲塔の1942年型で有名な「容赦なし(ベスポシャドヌイ)号」も確か同一の仕様で、トランペッターも、1942年型の溶接砲塔タイプのキット(KV-I model 1942 Simplified Turret Tank)ではこの「リブ付き平板ハッチ」のパーツをセットしていたはず。

なお、平板ハッチの初期(少なくとも1940年型)には防弾リブは付けられていないのが普通。41年型でどうだったかは未確認(なので、確認したほうがいいですよ>hn-nhさん)。

何はともあれ、hn-nhさんがブログ記事中で提示している疑問にはほとんどまともに答えられていない内容で申し訳ないッス。

(この後、もういっぺん続けます)

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トランペッター 1:35 KV-1 1942年型鋳造砲塔(その1)

●トランペッター初期のKVシリーズが最近再版された。

価格も発売当初からそれほど上がっておらず、無印のKV(という言い方も何か変だが、要するに大幅に改設計された1Sに至る前のKV)のキットとしては現時点で最もスタンダードと言える出来のキットなので、KVファンとしては喜ばしい。

と言っても、別に未購入のバリエーションを軒並み買い込んだりはしないけれど(履帯問題など、いくつかネックも存在するので)。

20180323_204921 ●ただ、「そういえばトランペッターの、後期型KVは1つも買っていなかったな……」と思い、再版ものなのか、それとも単なる売れ残り品だったのか、しばらく前に1942年型・鋳造砲塔型を購入。さらに先日、フリウルの2分割リンク混ぜ履きタイプの金属履帯を入手したのをきっかけにちょっといじり始めた。

折よくというか何というか、hn-nhさんもトラペのKV(1941年型鋳造砲塔)をいじり始めたということで、その記事をブログにUP。なんとなく身近の「KV濃度」が上がっている感じ(そちらの記事も一緒にどうぞ。リンク先は記事の1本目)。

そんなわけで、せっかくなのでキットレビューというか、若干の考証というか、中途半端なつまみ食い的チェック記事を。

●キット名称について。

今回いじっているキットは、キット名称でいうと、

Russia KV-1 model 1942 Lightweight Cast Turret(アイテム番号NO.00360)

ただし、このキット名称には若干の疑問がある。車体に関しては、エンジンデッキが後部まで水平になり、後端が直線的に処理されるようになった装甲強化型で、この点は一般に言うところの「1942年型」で問題はない。しかし砲塔は、下部3分の1ほどが末広がりになり、後面の機銃架周囲にリング状の防弾リブが設けられた後期型の鋳造砲塔で、私の認識としては、キット名称にあるような「軽量鋳造砲塔」ではなく、むしろ「装甲強化型鋳造砲塔」ではないかと思う。

逆にhn-nhさんが製作しているほう、

Russia KV-1 model 1942 Heavy Cast Turret Tank(アイテム番号NO.00359)

は、車体は装甲強化前の後端が曲面タイプ、砲塔も鋳造タイプが導入され始めた当初のもので、要するに、レンドリースの見返りに送られてアバディーンに置かれていたもの(要するにタミヤが最初にキット化したもの)と同一のタイプ。一般的な認識としては1941年型にあたり、砲塔もむしろこちらが「軽量型鋳造砲塔」ではないかと思う。

もっとも、それぞれキットの中身的には、車体と砲塔の組み合わせが順当なのは幸い。これが逆だったら2つ買って砲塔を交換する羽目になるところだった。

●キットの肝の部分。

キットのバリエーション上の特徴は、「1942年型(後端が角型の装甲強化車体)」であることと、「後期型の鋳造砲塔」であること(前述のように、トランペッターは「鋳造砲塔が載っていれば車体は変わっていなくても1942年型」という、ちょっと独特な形式分類をしている――単純にキット名称を付けるときに間違えた、というのでなければ)。

ほか、それらに付随して(あるいは前後して)細かい細部の変遷があるが、とりあえずバリエーションとしての大きな特徴は上記2点に集約できる。

▼車体

前述のように、鋳造砲塔だがより生産時期が前のタイプは「Russia KV-1 model 1942 Heavy Cast Turret Tank(アイテム番号NO.00359)」として、生産時期が同じだが装甲強化型の溶接砲塔を搭載したタイプは「Russia KV-I model 1942 Simplified Turret Tank (アイテム番号00358)」として発売されている。

トランペッターのKVシリーズは、とりあえずバスタブ型に成形された車体底面+側面内壁に、モールドが付加された側面板を重ねて貼るという、「バスタブ成型」と「箱組」の中間のような独特の車体パーツの構成。

バスタブ型の車体基本パーツはシリーズ共通。車体前部上面パーツ・シャーシ後面パーツもシリーズ共通で、側面パーツとエンジンルーム上面パーツ(後端の斜めの面と一体)を別にし、1942年型の車体を再現している。

20180427_110337 20180427_110400

なお、フェンダー支持架は、初期は車体側にリベット(ボルト)接合なのだが、1941年型になってしばらくして(たぶん)、単純な溶接に変更されている。キットの側面パーツは41年型まで共通でリベット止めされた支持架のベロがモールドされていて、hn-nhさんの記事によれば、41年型の場合は削り落とすよう説明書で指示されている模様。42年型の場合は最初からベロのモールドがない(当たり前だが)。

ちなみに上写真で側面後端エッジ付近がちょっと色が変わっているのは、若干のヒケがあったのを修正した痕。

車体前部は小部品の取り付け穴が非貫通で、タイプに合わせて説明図の指定に従って開ける形式。ただし、一部にパーツ共用の弊害も。

車体ハッチは、初期はハッチ周囲がドーナツ状に別体、後期(40年型の後期、装甲強化型短砲塔が載る頃から?)は車体に直にハッチ穴が開けられるようになる。キットはハッチ穴周囲のパーツを別にして形状差に対応しているが、当然ながら、後期型ではリング状に継ぎ目が出てしまうので、砲塔リング保護リブなどを取り付ける前に継ぎ目を埋める必要がある。1940年型末期以降の共通必要工作。

この際、面倒なので前面・側面との間の溶接ラインも一緒に削り落としてしまい、後から伸ばしランナーで再生した。ハッチの内部機構に対応したものと思われる2個の尖頭ボルトも一度削って、作業後に付け直した。

20180326_134204 20180329_121349

車体機銃に対応した跳弾リブとアンテナポスト保護リングは、どちらも中央部に雨抜き穴が設けられているので、その部分はそのように再現した。

ちなみに、車体後面下部の湾曲したパーツ(A12)はシリーズ全てで共通だが、実際には、キットのパーツのように下端で車体底面との間に段差ができるのは(多少の前後はあるかもしれないが)1941年型以降。それ以前の生産車では底面に合わせて面取りされている。つまり、こちらは前部上面とは逆に後期型基準になっていることにある(トランペッターが意識していたかどうかは怪しいが)。

もっともその一方で、後面下部パーツにモールドされた牽引シャックル基部は、埋め込みボルト表現のある初期型形質。1941年型の中盤以降(たぶん)、ここは単純な溶接になって埋め込みボルトは省略されているようなので、リング状のモールドは削り落とす必要がある。

▼砲塔

1942年型向けに生産された後期型の鋳造砲塔をキット化。

20180427_110457 20180427_110545 20180427_110620

タミヤが最初に出したタイプの鋳造砲塔と似ているが、前述のように、側面下3分の1ほどが裾広がりになっていること、後面機銃架周囲がリング状に盛り上がっていることが大きな差異。また、このタイプの砲塔の場合、上面板は普通に乗っているものと、組み継ぎになっているものとがある(後者の方がより後期の生産型か)。キットは御覧のように組み継ぎのタイプを再現している。

もしかしてこのタイプの砲塔は、「下3分の1が末広がりになっている」のではなく、逆に「上部が絞られている」のではないか……その分やや小型化されて、キット名称通りに「軽量タイプ」になっているのではないか……などと思ったりもしたのだが、現存実車の写真を見比べると、42年型(パロラ)では裾部が車体左右のリングガードをはみ出しているのに対し、41年型(アバディーン)ではリングガードの幅内に収まっている。やはりこちらの方が「装甲強化型」という捉え方でいいようだ。

なお、このタイプの砲塔の場合、バッスル下左右端に、「コバンザメの吸盤?」くらいに長大で顕著な湯口痕があり、そのため、バッスル下エッジのラインはかなり波打っている(標準型鋳造砲塔の場合もほぼ同じ個所に湯口があるが、もっと小さくおとなしい)。これはこのタイプの砲塔の大きな特徴でもあるので、ぜひ追加工作したい。

20180325_175411 ●お約束工作。

トランペッターのKVは3カ所の上部転輪が均等幅になっており、それはパーツが新しくなった42年型でもそのまま引き継いでいる。

実際には(ドイツのIII号戦車ほど顕著ではないものの)第1~第2上部転輪間は第2~第3間よりやや広い。きっちり計測したわけではないが、実車写真を見ても第2・第3上部転輪は(下部転輪と比べて)おおよそ正しい位置に見えるので、修正する場合は第1転輪をやや前にずらすだけでよさそう。

以前に書いたが、かさぱのす氏がパロラにある実車2輌にメジャーを当てて測ったところ、第1上部転輪~第2上部転輪間は1,835mmと1,840mm、第2上部転輪~第3上部転輪間は1,735mmと1,730mmだったそうだ。つまり、間隔差は100~110mmで、1:35換算で約3mm、第1上部転輪基部を前方にずらせばよいことになる。

長くなったので続きは次回。

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Bronco、KV戦車用履帯セットレビュー

F1017455 ●東京AFVの会の折に、ケン太さんより頂いた、Bronco Models製、1:35、“Russian 650mm OMSH Track Link Set for KV-1/KV-2 (Workable)”のレビュー。

KV戦車はそれなりに有名車輌でもあり、別売履帯は、古いモデルカステンの非可動式以来、だいぶあちこちの会社から出ているのだが、どうも「入手しやすく、使いやすい」ものがそれほどなく、ちょっと隔靴掻痒な状況にある。

ブロンコのこのセットは、値段はカステン可動式よりも安いし、形状がバッチリであれば大歓迎な製品なのだが、

Russian 650mm OMSH Track Link Set for KV-1/KV-2

という製品名からして、大いに怪しい(なお、「OMSH」とあるのは工場名かと思うが、はっきり判らない)

●KV系列の履帯のおさらい。基本、「私の理解では」という範囲での記述なので、間違っていたら御勘弁を。

T-34ほど煩雑ではないが、KV系列にも何種類かの履帯が使われている。細部をあれこれ言い出すとバリエーションが増えそうだが、基本は以下の通り。

標準型KV(KV-1、KV-2)に使われたものは700mm幅で、初期にはすべて1ピースタイプのリンクだったが、1941年型の後期、おそらく鋳造砲塔が使われ始めたのと前後して、2ピースタイプのリンクを混ぜ履きするようになる。

KV-1s、SU-152では、当初、左右フランジを斜めに削ぎ落としたような軽量型履帯が使われる。これも、1ピース型と2ピース型の混ぜ履きが標準。

軽量型履帯は「ちょっとやりすぎ」と考えられたのか、何か不具合があったのか、1s系の後期には、再びフランジが四角くなった履帯に戻る。標準型KVのものと非常によく似ているのだが、実際には左右幅が詰められていて、650mm幅となっている(上記軽量型も650mm幅か?)。これも、1ピース型と2ピース型の混ぜ履きが標準。後継であるJS戦車が初期に最も普通に履いている履帯も、まったく同じものと思われる。

なお、700mm幅履帯と650mm幅履帯は非常によく似ているが、以下のような点で見分けられる。

  • KV系列の履帯は内側から連結ピンを挿し、外側でCリングで留める?ような形になっている。ピンヘッドよりも、ピンエンド側がより突出しているが、700mm履帯ではピンエンドが履板フランジのラインよりも凹んでいるのに対し、650mm履帯ではほぼ同一線上になる。
  • 2ピース型の履板は、700mm履帯では分割部裏側に盛り上がり(センターガイド)がある。650mm履帯の2ピース履板にはこれがなく、まったく平面になっている。

ちなみに、KVの源流である多砲塔重戦車SMKや、KVの試作型は、標準型よりもやや幅の狭い履帯を使っているように見えるものがある。詳細未確認。

各タイプは、噛み合せ部の寸法はまったく同じで、混ぜて繋ぐことが可能であるらしい。

比較的有名な、KV-1s改造のKV-T戦車回収車の後姿の写真があるが、どうやらこの車輌は、700mm履板、軽量型履板、650mm履板を混ぜて履いている(左側履帯の中央の1枚だけ、幅が広い)。

●そんなわけで、ブロンコの履帯は、標準型のKV-1/KV-2用と銘打って650mm幅履帯を出している時点で、「えっ、何それ?」ということになる。

もっとも、上記のように650mm履帯と700mm履帯は、パッと見の形状はよく似ているので、知らん振りをして標準型KVにこれを使っても、気付くのはよほどのマニアだけ、とは言えるかもしれない。

そもそもこの履帯セットは、同社SU-152用に使われているもののうち、1ピース履板だけを倍にして発売したもの。どうせなら、2ピース履板もそのままにして出してくれたら、1s系用にもJS用にも使いやすかったはず。もっとも、そのタイプに関してはモデルカステンのJS用タイプB(SK-14)があるので、それほど必要性は高くない。

ちなみにトランペッターのSU-152の履帯は、聞くところによるとこれまた悩ましいもので、幅は700mm履帯なのに形状(2ピース履板の裏)は650mm履帯になっているそうな。

F1017453 F1017451●実際のブロンコの履帯セット詳細。ためしに、ピンのランナー一枝分を連結してみた。

表裏のモールドはこんな感じ。表(接地面)には鋳造を示す梨地が入っているが、表現は割と画一的というか、硬め。裏側もフランジ端がカクッと斜めに綺麗に削がれていて、これまたちょっと硬質な感じがする。

ただし、インジェクションの履帯にはよくある、押し出しピン跡がどこにも付いていないのは非常に好ましい。

連結ピンは、(当然そうなっていないと困るが)内側用のピン頭(平頭)と、外側用のピン先(留めリングの段付き)の2種付き。ただし、履板のピン穴開口部がやや大きく、ピン先のほうは、段の部分が履板にほぼ埋まってしまう。

F1017449●すぐ取り出すことができた他社の履帯との比較。

まずは、左から、マスタークラブのレジン版、ブロンコ、モデルカステンSK-7。

モデルカステンのSK-7は、間違えて歯数が1つ多いタミヤのKVに無批判に合わせているために、明らかにピッチが細かい。そのため、そのままではタミヤのKVにしか使えない(ただし、トラペその他の新しいKVキットに使用するために、わざわざ間違った歯数で作られた修正用起動輪が同梱されている)。

ブロンコとマスタークラブはほぼ同じだが、厳密には、わずかにブロンコのほうがピッチが広い。ただし、実際に模型に使用する分には誤差の範囲内で、少なくともトランペッターのKVの起動輪には問題なく巻けた。

ピッチの差は、マスタークラブ8リンクに対しカステン9リンク。ブロンコ6リンクに対しカステン7リンク、といったところ。

F1017437F1017445r 幅の比較。左はブロンコとマスタークラブ。こうして繋げてみると、幅の違いは歴然としている(逆に言えば、こうして繋いでみないとよく判らないのも確か)。

標準型KV履帯の幅は、後世の1:35戦車模型に合わせたかのような寸法であり、マスタークラブの履帯もきっかり2cm幅。噛み合せは、本来ならまったく同じのはずだが、この2社のパーツ間では、「ぐいぐいやればなんとかはまる」レベル。

右はモデルカステンとブロンコで、ピッチがおかしいカステンは、幅はほぼ標準型に近く、19mm強。こうしてみると、いかにも鋳造部品っぽい有機的なディテールはカステンのほうが「らしい」感じで、寸法間違いが惜しい。そろそろ潔く、トランペッター他の「新しいKVキット向け」に標準型履帯を(できれば初期の1ピースのみと、後期の2ピース混ぜ履きの2種で)出し直してくれないものだろうか。

F1017435 F1017440ついでに、各社接地面比較(左写真)。左から、トランペッターの標準型KVシリーズに入っている部分連結式履帯、ブロンコ、カステン、マスタークラブ。撮影時に適当に並べたので、左右と、真ん中2本とで向きが違う。

ちなみにトランペッターの部分連結式は、ご覧のようにディテールはマスタークラブに劣るが、それなりのレベルには仕上がっているし、幅はきっちり2cm。ただし、裏側にやたらに押し出しピン跡がある(右写真)こと、本来は2分割リンク混ぜ履きであるはずの後期型KVにもこの履帯パーツしか入っていないこと、位置がずれている上部転輪にあわせた弛みが付いていることなどが弱点。

●話がブロンコ履帯からずれた。

というわけでキット名称通りの使い方は出来ず、いささか特殊な仕様のブロンコKV履帯だが、1sでも、なぜか1ピース履帯だけを使っている例がある。

1sとしては割と有名な、砲塔に大きく白で2ケタ番号を書き入れた1部隊の連続写真があるが(たとえばこれ)、この部隊の車輌は、1ピースタイプの履板だけを繋げた履帯を使っている。この仕様を作る場合には、ブロンコの履帯は都合がいいことになる(というより、これしか使い道がない?)。

っていうか、どこか、安くて使いやすい700mm幅・2分割混ぜ履きタイプ出してよ……(現時点で比較的入手しやすいのが、高いフリウルかマスタークラブ・メタル版くらいしかない)。

●まったく関係ない話題。

少し前から、ネット上で、タミヤがソミュアS35を発売するという噂が飛び交っているらしい。しかも製品番号が35344であるとか、妙に具体的。

実際のところ、ルノーR35か、ソミュアS35かは、タミヤが出してもいいんじゃないかと常々思っていて、しかしそう思っている間にR35はホビーボスから出てしまった。残るフランスもののメジャーどころといえばS35だけだったわけで、出るとしたら非常に嬉しい。

●たまたま覗いたmixiで、いしぐりん氏から教えてもらった話題。

エアフィックスの2015年の新製品予定というのがなかなかトンガッテいて、どうやら72の新金型でデファイアントや九七艦攻が出る模様。飛行機がらみのセレクトだが、アルビオンAM463とかいう燃料補給車(リンク先のページでは643になっているが、正しくは463であるらしい)、ベッドフォードMWD軽トラックが48で。これは飛行機と絡めなくてもちょっと欲しい感じ。

●さらに関係のない話。

38(t)系列の操縦席は、ドイツ戦車とは逆に右側にある。なるほど、ドイツとチェコとでは道路が右側通行か左側通行かで違うんだな、と、ボンヤリ思っていたのだが、考えてみればヨーロッパ大陸は、各国とも右側通行のはず。あれれ?

と思って調べ直してみると、どうもチェコも戦前までは左側通行だったらしい。

もっと詳しく調べたらいつ左側通行から右側通行になったのか正確な時期がわかるかもしれないが、もしかしたら、ナチスドイツのチェコ併合で切り替わったのか?

というわけで、38(t)の車体ハッチは、操縦手席の上にあるわけではなく、無線手席の上にある。ついうっかり、「操縦手ハッチ」と言ってしまったりするが、アレは「車体ハッチ」ではあっても、「操縦手ハッチ」というには無理がある。トランスミッションの後ろを回って席に着くことを考えると、砲塔ハッチを使っても「こっちの方がちょっと遠いかな?」くらいではなかろうか。いずれにせよ、いざという時、操縦手は逃げ出しづらくてかわいそうだ。

ちなみに、ドイツ占領下で設計された駆逐戦車38(t)ヘッツァーでは、ペリスコープ位置で判るように、操縦手席は左に移動している。

そういえば、38(t)に「改造キット」を被せて「なんちゃってヘッツァー」を作ったという設定のガルパンはどうなっているのだろうと改めて思ったが、ちゃんと操縦手席は左に移動していた。まあ、そうでないと砲が載らない。

しかし実際の話、本来砲尾の右側から装填するPaK39を右に寄せて搭載してしまったため、ヘッツァーはひどく装填作業のしづらい車輌であったと聞く。それならば、操縦席は右側のままで、砲は左に寄せて搭載したほうがよかったんじゃないだろうか。

ところで、ヴィッカース6t戦車は、操縦席が右側にある。イギリスは左側通行だからこの位置は当然だと言えるのだが、同じヴィッカース社の水陸両用戦車は、操縦席が車体左寄りにある。なんつーいい加減な。

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