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KV-2「ドレッドノート」(3)

20220213_220809 ●相変わらずのKV三昧。

1940年型・第371砲塔搭載型のフェンダーをL字材溶接タイプに変更した一方で、ついでにもう一つ作りかけのKV-2初期型のフェンダーをいじる。こちらは幅詰め工作が未成(キットの縁を切り取っただけ)だったので、改めてリベット付きの縁を工作する。

なお、「どうせリベット付きのフェンダーを作るなら、1940年型のほうの(工作済みの)フェンダーをこっちに使って、改めて作る方を溶接タイプにすれば手間がひとつ減るのでは」というのは、前回記事の工作前にも思ったのだが、1940年型のほうのフェンダーはすでに車体に接着済みだったこと、さらに右フェンダーはダメージ工作をしてあったことなどから断念した。

●というわけで、改めてリベット付きの縁を作る。

幅詰めは、もともとのL字材部分のモールドを切り離して、断面をちょっとヤスってやると、だいたい求める幅になる(適当)。ここまではすでに作業してあったので、フェンダー支持架のベース部分を、一番外側のボルト頭のモールド(本当はナット)ギリギリあたりまで削って、L字材の水平部分を取り付けるスペースを稼ぐ。

リベット付きのL字材水平部分は、タミヤの2mm厚プラペーパーの細切りに、ちょっと先端を鈍らせた針でつついて表現した。以前に作ったときは、もっと薄いプラペーパー/もっと細い針の組み合わせだったが、今回は若干改良。リベットも以前よりやや目立つ感じに出来た。

縁を工作したら、フェンダー支持架のボルト頭のモールド(しつこいようだが本当はナット)も、一番内側だけは残して、後は少しずつ内側にずらすように移植する。

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左写真はこの段階まで工作したもの。L字材の縦に立ち上がった部分はまだ付けていない。

なお、リベット止めタイプのフェンダーの場合、前部フェンダー内側にも本来はリベットがあるのではないだろうか……ということで追加した(右写真の左側)。なお、位置等は(リベットタイプが復活した)1941年型の、アバディーンに展示されていた車輛のwalkaroundを参照したが、初期型のKV(KV-2およびKV-1の1940年型前期型まで)でも本当にこの部分にリベットがあったかどうかは、当時の写真ではきちんと確認できていない。

また、最前部フェンダー支持架部分は、パーツの取付穴が後々ちょっと目立つので(というのが1940年型で作業して分かった。KV-2量産型を作ったときにはそもそも気にもしていなかった模様)、この段階で埋めておいた。

●フェンダーのパーツに合わせて、その上に載る工具箱も幅広なので、こちらも幅詰め工作が必要になる。

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トラペのKVでは、工具箱は初期型(H1)・後期型(D20)の2種がパーツ化されている。左写真、箱横に被るナナメのベロがなく、正面に取っ手もないのが初期型(左)、あるのが後期型(右)。

キットによっては両方のパーツが入っていて(例えばKV-2後期型)「どっちを使ってもいいヨー」みたいな扱いになっていたりするのだが、前にも書いたように、この工具箱は生産時期によってどちらが使われたか、はっきり決まっている(KV-2後期型なら後期型の工具箱)。また搭載位置も、初期型は右1・左2であるのに対し、後期型は右2・左1が標準。トラペのKV-2後期型の説明書ではどちらも右1・左2で付けるよう間違えて指示されているので注意。

1940年型のほうはすでに工作済みだったので、今回はKV-2初期型用の初期タイプの工具箱3つのみ工作。奥側の上面が水平になった部分でエッチングソーを使って切断。フェンダーに合うよう、こちらも幅詰めを行う。右写真がbefore(左)/After(右)。

KV-2ディテールチェック記事にも書いたが、KV-2初期型の主砲身は、主量産型と形状に差がある。

顕著な違いは砲口部分の“たが”状の段差がないということだが、キットには主量産型と同じ砲身パーツしか入っていないうえ、「そもそもトラペのKV-2砲身は短い」という難点も抱えている。

(なお、アフターパーツの金属挽き物砲身で出ているのは、当然、主量産型用のものが主なのだが、実はこの初期型砲身もMagic Modelsというメーカーから出ている、というのを後から知った)

幸いなことにKV-2の砲身はテーパーが掛かっておらず、waveのプラパイプの6.5mm径のものが、ほぼピッタリなことが判ったので、これを使うことにする。ただし、waveの肉厚パイプでも内側の穴の径は4.7mm。152mm砲(正確には152.4mmらしい)のスケール寸法は約4.34mmなので、ちょっと狭めてやる必要がある。

そもそも口径がデカくて目立つので、できればライフリングも入れてやりたい。細い伸ばしランナーでも並べて貼るか? いや、さすがに作業として現実的ではないか? などとあれこれ考えているうち、ふと思いつきで、「エッチングソーでプラバンに平行の筋をケガいてみたらどうだろう」と考える。

というわけで、早速0.3mmプラバンを相手に試してみたのが下写真左。

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本来ならば、エッチングソーがブレないようにきちんと当て木でもして作業すべきだが、一応、片側に定規(金尺)を当てただけで適当に作業する。ある程度何度かケガくと、今度はケガいた溝自体がガイドになって、(1cm足らずの短い距離であることも手伝って)比較的ブレずに作業できることが判った。

そうしてケガいたプラバンを丸めて、実際にプラパイプの砲身に接着してみたのが右写真。

もうちょっと深くケガくべきだったかなあ。というわけで、ライフリングの形状や条数はまったくいい加減だが(そもそも本来は畝と溝がそれぞれ同じくらいの幅なのではないだろうか)、一応、実車と同じ向きにらせん状にヒネリは加えてある。市販の金属挽き物砲身だと、単純にまっすぐギザが刻んであったりする。

なお、主量産型の砲身は、二層になった外側のスリーブが3分割されていて途中に分割線が(写真によっては)うっすらと見えるのだが、この初期型砲身の場合はどうなっているのか、よくわからない。前記のMagic Modelsの砲身パーツは商品名が「152 mm M-10T howitzer monoblock barrel. KV-2 (early)」となっていて、どうやら分割無しのワンピース構造であるという解釈らしい。とりあえずはそれに倣って、分割線無しの解釈で作業を進める予定。

ちなみに、waveのプラパイプは5本セット。1本からKV-2の砲身が4本とれるので、あと19輌、KV-2(初期型)砲身が作れる。……それ以外に使い道が思いつかないプラパイプ。どうしてくれよう。

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KV-1 1940年型装甲強化砲塔 (4)

●KV-1 1940年型・後期仕様(第371製・装甲強化「角砲塔」搭載型)製作記の続き。それにしても、毎回、仕様の呼び方が定まっていないのは我ながら如何なものか。

●砲塔の工作は前回までで一通り終わったので、車体の工作に入る。

実際のところ、車体はトランペッター・ベースで、ラジエーターグリルのメッシュ・カバー部を除いて一通り工作終了していたのだが、砲塔を新調したのに合わせて、その後の知見・考証を加味して若干の修正や追加工作を行うことにする。

一番のポイントはフェンダー。もともとトランぺッターのKVシリーズのフェンダーは、初期型(~1940年型)では幅が広すぎる(なぜか後期型では正しい)という欠点を抱えていて、これについては以前に幅詰め工作終了済みだった。

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上写真は何年か前に工作した際のものだが、もともとのパーツの外側縁部分を切り落とし、その内側に新たに縁を作り直している。この際に、外縁のL字材を止める小リベットを、プラペーパーの裏から針でつつくという方法で再現している。

……が、これに関して新たな疑問が発生。

発端はタミヤの新KV-1の発売なのだが、タミヤのキットのフェンダーには、内側・外側の小リベット列が存在していなかった。改めて写真をひっくり返して検証してみたところ、どうも時期によっては、フェンダー内側(裏側)・外側のL字材はリベットではなく、溶接で止められているタイプがあるらしいことが判明。

Kvfender

とりあえず、KVのフェンダーを断面図にすると上のような感じになる。単純な平板の本体に、外側には上、車体側には下に補強のL字材が付けられている。ここがリベット止めの場合は、赤の矢印で示した部分にリベット列があり、溶接止めの場合には接合部に沿って破線状に溶接跡がある。ちなみに真ん中下のもう一本のL字材はフェンダーステイのボルトで固定されていて、フェンダー本体は単純にこれの上に載っているだけなので、フェンダー表側には何も影響を及ぼさない。

以上のことについては、セータ☆さんの検証記事が詳しい(リンクは(1)に張ったが、記事は(5)まである)。

→ GIZMOLOGIC CAFE KV重戦車のフェンダーについて(1)

なにしろ現存車輛ではオリジナル状態で残っていることが少なく、戦時中の写真ではなかなかはっきりと確認できる例が少ないのが悩ましいが、どうも、レニングラード・キーロフ工場における1941年初夏のエクラナミあたりから溶接タイプが使われ始め、チェリャビンスク疎開後は再びリベットタイプに戻ったという変遷のようで、この「371工場製砲塔搭載型」は、まさに溶接タイプどまんなか、ということになる(もちろん、絶対にそうなっている!と言い切れるほどの材料があるわけではないが)。

そんなわけで、せっかく縁の再生も終わっていたフェンダーだが、改めて溶接タイプに作り替えることにする。

●ここで選択肢。すでにリベット付きで幅詰め工作をしてあるトラペのフェンダーを作り直すか、それとももともと溶接タイプの表現になっているタミヤのフェンダーに交換してしまうか。

ただし、両社のフェンダーに関しては、先日、「ハラT」青木伸也氏に、

「ヘイ! タミヤとトラペとで、フェンダーの支持架の間隔が違うZE! ちぇけら!」(大意)

みたいなコメントを貰っていて、これまたいささか悩ましい。

とりあえずタミヤとトラペのフェンダーを並べて比較してみる。

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上からタミヤ、トラペ(初期型)、トラペ(後期型)。前述のように、トラペ初期型だけやや幅が広く、タミヤとトラペ後期型はほぼピッタリ同幅。

ぱっと見には「まあ、似たような感じ」ではあるものの、詳細にみると、確かに青木氏の言うように、フェンダーステイの位置に若干のズレがある。便宜的に、車体最前部のクランク形のステイを0番、車体横の三角ステイを1~5番とし、ステイに区切られた区画をI~Vとして説明すると、

  • フェンダーの全長はタミヤが約1mm長い。
  • 車体横のステイ1番~5番間の距離は、タミヤ・トラペでおおよそ同じ。
  • 1番、5番で位置合わせをすると、タミヤは3番ステイでやや前方、4番ステイでやや後方にずれている。
  • 三角ステイで区切られた区画(II~V)は、トランペッターはほぼ全部同じ長さで34mm。タミヤは、II:34mm、III:33mm、IV:36mm、V:33.5mmと、若干不均等(ここで示した寸法はおおよそ0.5mm刻みのアバウトなもので、0.2~0.3mm程度の出入りあり)。

結局のところ、どっちが正しいの?というのが気になるわけだが、これについては差異が微妙過ぎて写真等では判別できず、誰かが(レストアの結果フェンダーステイの位置などが変わっていない)現存車輛で測ってくれない限り、答えは出そうにない。ちなみに、青木氏のコメントへの返事で「実車写真を見ると、4区画目のボックス前方は三角ステイとの間隔がちょっと空いているので、不均等のほうが正しいかも」と書いたのは、結局「たまたま見た写真でそんな感じがしただけ」だった模様。いい加減なもんだなあ。

ステイ間の絶対値ではなく、車体ディテールとの位置関係でチェックできないかとも思ったのだが、よく比べてみると、タミヤとトランぺッターでは車体上面ディテールにも若干の前後のズレがあって、どちらも、自社の車体と合わせた時には特に不自然はないようだ。個人的には、何も考えずにキットを設計したら等間隔にしてしまいそうで、タミヤのキットでわざわざ区画ごとにわずかに差があるのは実車の採寸でそうだったからではないか――というような気もするのだが、これまた単に想像に過ぎない。

結局のところ、どちらが正しいかの判断は(今のところ)付かず、であるならば「使い易い方を使う」以外の基準も持ちようがないので、元のトラペのパーツを再改修して使うことにした(タミヤのフェンダーを流用する場合、車体側にモールドされたステイのベロの移植が面倒になるので。

騒いだ割に、実のある答は何もなし。

●結局、もともと工作してあったトラペのフェンダーの外縁は一度削り落とし、リベット無し状態のL字材表現を再工作。フェンダー面に接する部分は0.2mmプラペーパー、縁の立ち上がり部分は0.3mmプラバンを使用した。

また、車体に接する側のリベット列のモールドもすべて削り落とした。

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とりあえず上記の工作が終わった状態が上写真。ちなみにKVのフェンダーは、三角ステイのベロが両側に付いている場所(先の説明写真でいえば2番ステイと4番ステイ)を境にして3分割されており、作例では右フェンダーの前1/3は破損・脱落した状態として工作している。

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KV-1 1940年型装甲強化砲塔 (3)

●KV-1 1940年型の後期仕様である装甲強化・角形砲塔の作り直しの続き。

やり残しのメインである砲塔前面・砲周りの工作も終え、ディテールの残りも付加して、ほぼ工作を完了した。

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●砲塔前面には、ブロック状の増加装甲を付けた。

このバッスル下が角形になった、第371工場製とされる装甲強化砲塔が搭載されたタイプは、(便宜的な径式名称では1940年型だが)1941年の8月から10月にかけてレニングラード・キーロフ工場で生産されたものだが(サイト「重戦車KV-1(Тяжелые танки КВ-1)」による)、ブロック状の増加装甲はそのまた一部にみられる。

この「ブロック付き」は、以前に書いた「KV maniacsメモ(砲塔編その1)」では、やはり上記サイトを出典として「特に1941年の8月から9月初めの生産分に見られるもの」と書いたのだが、今改めて(Google翻訳を通して)読み返しても、どこに書いてあったのかわからなくなってしまった。……あれえ?

В августе - сентябре 1941 года броневая планка наваривалась также перед люком в отделении управления, однако на машинах более позднего выпуска от нее отказались.

1941年8月から9月にかけて、装甲板も制御室のハッチの前に溶接されましたが、後の生産車両では廃止されました。(google翻訳による)

という一文は見つけたが、これは車体ハッチ前の防弾リブのことを言っているような気がする。

もっとも、この仕様の車輌で使われている、ボルト12本タイプの起動輪ハブカバーは、やはり1941年晩夏~初秋の生産車の特徴であるらしいので、生産時期はさほど外れてはいないと思う。

このブロック装甲が、砲塔生産工場である第371工場で最初から付けられていたのか、最終組立工場であるレニングラード・キーロフ工場で追加されたのか、あるいは生産後にどこかでまとめて改修されたのかはよく判らないが、いずれにしても、同一仕様が複数確認できるので、ある程度まとまった数が作られたのは間違いない。

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ブロック装甲は、トラペ・ベースで一度作った砲塔から移植しようと思ったのだが、がっちり接着されていて剥がれなかったので、もう一度作り直した(TFマンリーコさんより伝授された「エナメルシンナー剥がし」は便利で、今回も部品の移植に多用したが、やはり万能ではない。場合によっては部品自体がもろくなって割れるので、注意が必要)。厚みは目分量で1mmプラバンの2枚重ねの2mm。実車寸法だと70mm装甲ということになるが、本当に70mmだったかどうかは不明。

砲塔前面の砲耳カバー左右の面積には差があるので、このブロック装甲も左右で形状が異なる。写真を見ての印象通りに作るのは意外に難しい。また、タミヤの砲塔前面パーツは、どういうわけか、砲耳カバー位置決め用に溶接されたリブが左右で厚みが違う。タミヤが取材対象にしたのではと思われるモスクワ中央軍事博物館の現存車輛では、たとえば右側はこんな感じで、左側はこんな感じ。う~ん。同じような、違うような。もしかしたら、片方をちょっと高くしておくことで、砲装着時に横からずらして引っ掛け、位置決めをしやすくした――なんてことも、ありそうな気がする。

まあ、これ自体はパッと見て違和感もないのでよいが、ブロック装甲を取り付けようとすると、左側リブの溶接で形成された斜面(右写真の黄色矢印部分)がエッジに接するまであるために、そのままではブロック装甲の上部と砲塔のエッジとの間にスキマが出来てしまう。そこで、ブロック装甲接着前に、この斜面部分は僅かに削り込んだ。

●防盾上部カバーを工作。

タミヤがキット化している1941年型(ZIS-5搭載)は、1940年型(F-32搭載)に比べて防盾が厚くなっているため、防盾上部カバーも大型化しており、タミヤのパーツをそのまま流用はできない。例によってトランぺッター(右写真)からもぎ取って来て使おうとも思ったが、実車写真を見ると、どうも微妙にディテールに差がある。

最初はタミヤのパーツを切り刻んで小型化して使おうと思ってあれこれいじり回していたのだが、いまひとつ綺麗にフィットせず、結局0.3mmプラバンで新調した。

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トランぺッターのキットでは、全体的に、このカバーは後方・左右の折り返しを直接砲塔前面・砲耳カバーにリベットもしくはボルトで止めている表現になっている。しかし実際には、後方・左右ともに、取付用のベースを一度砲塔・砲耳カバーに溶接して、そこに折り返しを止めている。特に後方(砲塔前面側)は、トランペッターでは砲塔前面にペッタリ付く感じになっているが、実際には、エッジ部分に斜めに付いている(カバーが大型化した1941年型では、前面装甲板の小口部分にかぶさるようになる)。

このディテールについては当時の記録写真でもある程度確認できるものの、いまひとつ細部を詰め切れずにモヤモヤしていたのだが(こんな薄い鉄板製の部分は現存車輛では保存されていないとも思っていたのだが)、なんと、パロラのエクラナミで、おそらくオリジナルの状態のまま残っていた。たとえばDISHMODELSのアーカイブのコレとかコレで確認できる。素晴らしきかな。

そんなわけで、カバー後方は取付部が斜めになった状態を再現(左写真①)。このベロ部分のみは、タミヤのカバー部の後縁を切り取って流用した。左右は取付用のベースの上に、カバー本体のベロは小さなものが3つ(左写真②)。また、カバー本体の前縁は、改めて帯金を溶接して延長したようになっている(左写真③)。これはいかにも補修や小改造の痕跡のように見えるが、パロラのエクラナミだけでなく、当時の記録写真でも確認できるので(例えば「グランドパワー」1997/10、p33上写真)、これが標準の仕様であるらしい。

薄い0.3mmプラバンで新調した結果、防盾と干渉せずに済み、無理なく砲の仰俯も行えることになった。

今後発売されることがほぼ確実なタミヤのエクラナミではどうなっているかな……。

●砲塔後面の機銃マウントの追加工作。

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トランぺッターの砲塔から、接着済みの防盾をもぎ取って来て移植した(タミヤのパーツは砲塔枝以外のところにあるため)。これまたベースにがっちり接着してあって、「エナメルシンナー剥がし」をしようとしたらベースごと取れてしまった。一瞬、「それじゃあベースごとトラペにするか」とも思ったのだが、ベース形状はタミヤの方が良い感じだったので、さらに無理矢理防盾を分離。その際、真っ二つに割れそうになったのだが、なんとか補修した。

防盾下には、エンジンルーム上面誤射防止用(?)のガードが付く。これはトラペの砲塔で追加してあった金属片を移植。この砲塔では、ガードは金属板を曲げた形状だが、エクラナミあたりではもっとがっちりした突起が付いていたりする。

●ほか、手すりを付けたり(トラペのパーツを使用)、側方ペリスコープ下の跳弾リブに溶接跡を入れたり。

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KV-1 1940年型装甲強化砲塔 (2)

20220126_002131 ●「KV-1 1940年型の装甲強化砲塔搭載仕様」の、砲塔工作のやり直し。

前回砲塔基本形を作ったが、ある程度ディテール付加工作が進んだので進捗報告を書いておきたい。

●前回以降進んだのは、おおよそ以下の点。

  • 砲塔後面に埋め込みボルト跡を追加。
  • 尾部機銃マウントの基部を取り付け。
  • 各部に溶接線を追加。
  • ピストルポートの装甲栓を取り付け。
  • 主砲基部を工作。
  • 側方ペリスコープ下を削り込み。
  • 砲塔上面ペリスコープカバー、ツノ形ペリスコープを取り付け。

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●砲塔後面の埋め込みボルト跡は、KV-2初期型の車体前端アングル材工作と同様に、「接着剤を垂らしてドリルのお尻でグリグリ」方式で再現。プラバンが白なので、ちょっと仕上がりが確認しづらく、最終的に塗装してみないとどんな具合かわからない。適当過ぎる……。

機銃マウント基部はタミヤのパーツを使用。なお、この基部パーツは、今回の改造用に入手したタミヤの砲塔パーツ枝(E&Qパーツ)に入っているのだが、防盾パーツは入っていない(車体機銃マウントのものと同形のため足回り枝に入っている)。今後、トラペのパーツを移植予定。

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ちなみに上面ペリスコープカバーも足回り枝に入ってるので不足しているため、以前に作ったトラペ改造の砲塔から(エナメルシンナーで接着部分を弱めたうえで)もぎ取って来て移植した。後部ペリスコープは、(前回書いたように)周囲の縁の角がちょうど天井板の後縁に接するくらいの位置関係。そのため、カバーの「ひさし」部分は砲塔後縁から若干飛び出すくらいの感じになるのが、バッスル短縮タイプの溶接砲塔数種の特徴となっている。

●上の写真にも写っているが、砲塔前後面と側面装甲板の間の溶接ラインは二重線になっているのが、KVの溶接型砲塔の特徴(ただし作例は2二重線の間隔がやや大げさだったかも)。再現はいつも通り伸ばしランナーの接着剤溶かし。

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ピストルポートの装甲栓とツノ形ペリスコープは、これまたタミヤのパーツは砲塔枝に入ってない。ツノ形ペリスコープはやはりトラペからもぎ取って移植。ピストルポートの装甲栓はPaasion Modelsのタミヤ新KV-1用エッチングセットに入っている真鍮挽き物を使った。この挽き物は頭がペッタンコでタミヤのキットのプラパーツより再現度が低く、存在意義が問われる謎パーツだが、ヤスリで若干緩やかに丸めて使用した。

上面のペリスコープカバーは、タミヤのものとわずかにアウトラインが違うようで、特にこの側方のものはちょうどいい位置に付けようとすると、上面の取付指示用にうっすら窪んでいる輪郭がはみ出して見えてしまう。そのため、取付前に埋める余計な手間が必要だった。

側方ペリスコープ下の削り込みは、装甲増厚に対応したもの。

●砲耳カバー部はタミヤのパーツを使用したが、トラペの1940年型(76.2mmF-32砲装備)防盾に比べてほんの心持ち間隔が狭かったので、内側で一度切り離してプラバンを挟んでやや幅を増し、一方で防盾側も少しヤスって調整した。ちなみにタミヤの旧KV-1Bの同型の防盾は、逆にこの砲耳カバー部の間隔よりも幅が狭い。

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内側の砲基部は、トラペの防盾がうまく付くように切り詰め、一応、上下動できるようにしてあるが、今後、防盾上のカバーの工作次第では接着固定が必要になるかも。

●前回は写真を載せなかったバッスル下の工作はこのような感じ。バッスル下の入隅に付く波状の補強材にも溶接跡を足した(どうせほとんど見えないので工作が荒っぽい)。角形に修正した部分には(面倒くさいので)特に底板などは付けていない。

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トラペの車体の砲塔穴にガタツキなくはまるよう、砲塔リング部にもプラバンを足したりして辻褄合わせ工作をしている。

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KV-1 1940年型装甲強化砲塔

20220110_150316 ●すっかりKVづいて、KV-2初期型以前に、ほぼ半完状態まで持っていってあった1940年型後期型(装甲強化砲塔搭載)も再びいじり始めてしまった。

キットとしては、トランペッターのキット番号00357、「40年型エクラナミ(Russia KV-1's Ehkranami)」なのだが、ボルト止めの増加装甲は付けず、砲塔はバッスル下が直線的に処理された装甲強化型砲塔に改造(以前のKV-1砲塔メモでは「短縮型・装甲強化溶接砲塔(90mm、バッスル下角型)(タイプ5)」としたもの)。車体もそれに合わせて細部をいじり、エクラナミよりも後、41年秋頃の生産車としている。おおよそ、レニングラードにおける疎開前の最終生産仕様、くらいの感じ。

当「かばぶ」にこれの製作記事は載っていないから、作り始めたのは「かばぶ」を始める前、つまり今から10年以上前のことであるらしい。もっともその時にここまで進んでいたわけではなく、以降も記事にはしないまでもちまちまいじっていて、Googleフォトをひっくり返して見たら、フェンダーの工作は2018年にやっていた。

あとはラジエーターグリルのメッシュカバーと履帯くらい、というところまで進んでいたのだが、そんなところでタミヤの新KV-1が発売されて、「実は溶接砲塔は非対称でした~」なんてことが発覚(以前にも書いたように、知っている人はとうに知っていることだったわけだが)。

それでもこれはこれで、もうそのまま作っちゃおう、それなりに砲塔も手を入れたし、などと思っていたのだが――もうしばらく前の話になるが、YSのパーツばら売りコーナーでタミヤの新KVの砲塔パーツ枝を見つけて、ついふらふらとゲットしてしまったのだった。

●というわけで、「さっさと作らないからこういうことになるんだよ馬鹿だねえ」の典型例というか、あるいは「ぐずぐずしていたおかげでより正確な砲塔に変更できた」と考えるべきか。とにかく、買い置きのタミヤ砲塔パーツを取り出し、改めて「短縮型・装甲強化溶接砲塔」を作ることにした。

このタイプの砲塔は、いまのところ、1:35のインジェクション・キットでは存在しないはず。おおよそデザイン的には同一ながら、より後期(1942年型)で、さらに装甲が増している(105mm?)の溶接砲塔に関しては、トランペッターとイースタン・エクスプレスから出ている(トランペッターは「Russia KV-1 model 1942 Simplified Turret Tank(キット番号00358)」、イースタン・エクスプレスは「KV-1 mod. 1941 late Version(キット番号35119)」)。ただし、この後期型砲塔は各装甲板が組み接ぎになっているうえ、装甲板それ自体が(増厚の結果)かなりごついので、改造ベースとしては標準型砲塔からの方が楽(と、個人的には思っている)。

まず、以前に作ったトランペッター・ベースの砲塔はこちら。

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これもそれなりに頑張って改造したのだが、トランペッターのパーツがベースなので基本形状の左右非対称は再現されていない。今回はタミヤの新KV-1のパーツを使い、同様の改修を行うことになる。せっかく作り直すので、製作の基本方針として、左右非対称だけでなく、その他のディテールについても少々「前回以上」を心がけることにする。

タミヤの砲塔パーツは基本、装甲板ごとに開いた構成になっている。とりあえずは、側面装甲後下方をプラバンで延長する。

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これと併せて、バッスルの短縮を行う。現存のこのタイプの砲塔の写真から、上面後方ペリスコープのカバーの縁角ギリギリくらいまで切り詰める。タミヤのパーツは部品取付位置がうっすら窪んでモールドされているので、これが切り詰める際のガイドになる(この取付位置指示モールド自体は、仮に取付位置を移動させたり、付けなかったりする場合に余計な手間を生むので、個人的にはあまり好ましくないと思っているが)。切り詰める寸法はおおよそ3mm。側面や底面も同じだけ切り詰める。

もともとのKVの溶接砲塔は装甲厚が75mm、この強化型砲塔では90mmになっているとされている。厚み差は1:35だと約0.43mmある。前回トラペの砲塔を改造した時にはバッスル下の角型への改修とバッスル長の切り詰めだけを行ったが、今回は装甲の増厚分も表現する&後下方の継ぎ足し部分の境目処理を省略するという2つの理由から、表面に0.3mmプラバンを貼り増した。

これによってタミヤの砲塔パーツの特徴である圧延鋼板表面の荒れ表現は消えてしまうが、これについては個人的に「まあ、あったらあったでいいけど、なくても別にいいや」的スタンスなので気にしない(砲塔にだけあるのって変な気がするし、そもそも新品のKVの表面はもっと「つるん」としているっぽいし)。貼り増し後、ピストルポート穴と視察スリットは、元のモールドに合わせて開け直した。

なお、(タミヤがパーツ化している)標準型の砲塔では砲塔上面にも埋め込みボルト跡があるが、この装甲強化型砲塔では、上面の埋め込みボルトは廃止されているらしい。当初は上面はプラバンで作り直し、モールドは元パーツから移植する方向で考えていたのだが(こういう時に圧延荒れ表現が邪魔になる)、割とすんなりと埋め込みボルト跡が消せたので、キットの天井パーツをそのまま使うことにした。

その際に、このタイプの砲塔の現存車輛の写真では、割と側面装甲との間の段差が目立つ感じがしたので、天井板裏側の縁に0.3mmプラバン片でゲタを履かせた。前回のトラペ改造砲塔では、上面板は周囲と一体だったので、「もうちょっと段差あったほうがよかったなあ」などと思いつつそのままにした部分。

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砲塔後面はバッスルの切り詰めに合わせてやや幅が足りなくなるのでプラバンで新造(トラペの時はなんとか誤魔化して、切り離した元の後面を使ったが)。砲塔前面はタミヤのパーツのまま。装甲増厚のことを考えると、ここも0.3mm板でゲタを履かせるなりした方がよかったのではとも思うが、実車写真で見る限り、(階段状に組んでいる)前面装甲横の小口部分は厚みが増しているように見えなかったので、そのままとした。

右写真はタミヤの素組み砲塔との比較。ペリスコープと後縁との位置関係で、バッスルが短くなっているのが確認できると思う。

そんなこんなで、砲塔基本形は完成。

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このあと、各部ディテールを工作するとともに、砲やペリスコープなどを取り付けていく予定。

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KV-2「ドレッドノート」(2)

20220107_160532 ●タミヤのKV-2発売に向けてチェックポイントのまとめ記事を書いていたら、俄然KV-2がいじりたくなってしまい、トランペッターのKV-2初期型(キット番号00311、「Russian KV "Big" Turret」を引っ張り出してきた。

特に一直線に完成を目指すわけでもなく、つまみ食い的にいじり始めたのはもう10年以上前。過去の製作記事2本は以下。

今後、KV-2の主量産型を(それなりにこだわって)作る場合、タミヤをベースにするか、トランペッターをベースにするかは若干迷うところだが、少なくとも初期型を作るなら(砲塔だけでなく車体もだいぶ違うので)、現時点ではこのキット一択となる(実際にはイースタンからも出ているが、どうやらあまりお勧めできる出来ではない)。

●今回の(現時点での)微々たる進捗、その1。

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車体前端の装甲板接合補助のアングル材は、7角砲塔(MT-1砲塔)の初期型では、埋め込みボルトが17本。キットは主量産型のMT-2砲塔になって以降の11本のモールド表現なので、一度削り取って、ドリルのお尻を使って(接着剤で溶かして)ボルト溶接跡をスタンプ。「17個」という数は、まず両端の位置を決めたら、後は最後まで2分割で位置を決めていけるのでちょっと楽。ついでに、牽引具基部にも同様の埋め込みボルト跡を付ける。

微々たる進捗、その2。

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砲塔上のツノ形ペリスコープカバーのてっぺんに穴を開ける。MT-2砲塔のKV-2でも40年型後期型でも同じ工作をしたが、今回は、裾部の3方向に開いているさらに小さい穴も開けた(ペリスコープ開口部の真下の1カ所が見える)。……塗装したら埋まってしまいそう。てっぺんの穴が0.6mmドリル、裾部は0.3mmドリル(最初0.2mmで開けたら小さすぎてほとんどわからなかった)。

微々たる進捗、その3。

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ラジエーターグリルのメッシュカバーをAberのエッチングに替えるのに備えて、プラパーツ取付用の穴を埋めた。写真は伸ばしランナーを挿した段階だが、このあと削り取った。

また、前記2記事で触れていないので、それ以降のいつかの時点で作業したのだと思うが、エンジンパネル前端の忘れられたボルトの追加(左写真・黄色矢印)、エンジンパネル後端の不要な吊り下げリングの取付穴埋め(同・黄緑矢印)はすでにやってあった(ともにトラペのKVではお約束の作業)。

ちなみにキットのH枝には、説明書のパーツ図にも載っていない不要部品扱いで尖頭ボルト頭が8個ほど入っているのだが(右写真)、残念ながらキットのエンジンデッキのボルトのモールドよりやや大きいので、そのままでは使いづらい。

なお、同じくお約束作業であるフェンダーの幅詰め(初期型KVのみ)は作業途中で、切り詰めただけでフチは未再生で箱に入っていた。

●若干の考証。

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砲塔前面右側の「小・大」の2連の穴は、この初期型KV-2の写真としては最も有名かつクリアな「沼落ち」車輌でもこの状態なので、なんとなく「こういうもの」でスルーしていたのだが、実際には右写真にある砲塔後面のピストルポートおよび照準穴と同じもので、装甲栓で塞がっているのが正規状態であるらしい。

同じ車輌のより初期の時点の撮影と思われる写真では、やや不鮮明だが装甲栓が垂れ下がっている様子が写っている。サイト「Тяжелые танки КВ-1(重戦車KV-1)」のこのページ、「1b. Шета」の一連の写真を参照のこと。

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KV maniacsメモ ― KV-2のおさらい(2)

●タミヤのKV-2発売前の、KV-2の仕様とディテールのおさらい。

第2回目は具体的に場所(ポイント)ベースで、いわば「ゆびさしかくにん」的イメージで。

ココログの仕様上、写真をクリックするとページ自体が切り替わってしまうので、写真を見る際には右クリックで「(リンクを)新しいウィンドウで開く」にすると、写真を参照しつつ本文を読めると思います。

砲塔

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1.駐退機カバー側面に、ボルトアクセス用の溝がある(左2カ所、右1カ所)のが、MT-2砲塔後期型(1941年5~6月生産車)の大きな特徴。ただし写真のコントラストによっては判別しづらいことがある。MT-2砲塔前期型(1940年11~12月生産車)では溝がなく、おそらく駐退機カバーそのものがやや狭い。

2.砲口部分に「たが」状に段があるのはMT-2砲塔に搭載された主砲の特徴で、MT-1砲塔時代にはこの段差はない。リング部分には4方向にネジ穴(MT-1砲塔時代にも、リング状段差はないがネジ穴はある)。

3.砲身は全体にスリーブがかぶせられていて、途中2カ所に継ぎ目がある。細い継ぎ目なので、通常の写真では判別できないことが多い。写真の作例では(トラペのキットの砲身長を修正したので)元の筋彫りを埋めたあと、継ぎ目を彫り直していない。

4.砲耳カバー位置決め用に溶接されたリブは、MT-2試作砲塔(U-7に搭載)には見られない。

5.埋め込みボルトの溶接跡(前後面左右、前面は1列あたり8カ所、後面は7カ所)があるのはMT-2砲塔後期型(1941年5~6月生産車)の特徴で、MT-2砲塔前期型(1940年11~12月生産車)にはない。

6.前面装甲はMT-2砲塔前期型、後期型ともに小口が側面に出る。後面装甲は、前期型では小口が側面に出ず、溶接線がエッジにある。

7.上面3方向の固定ペリスコープのカバーに取付用ベロがあるのはMT-2砲塔後期型(1941年5~6月生産車)。MT-2砲塔前期型(1940年11~12月生産車)ではベロ無しらしい。

8.前回記事をUPした日の晩、nifty F模型時代の仲間たちとオンライン飲み会をしていたら、“ハラT”青木伸也氏に、「タミヤの新KVのツノ形ペリスコープは下の方にタガ状に段があるけど、段の有無と時期の関係はどうよ?」と聞かれた(共通枝の部分に入っているので、KV-2でも同一パーツを使うことになるはず)。いやオレ、タミヤのツノ形ペリスコープに段があること自体に気付いてなかったよ……。ヌルし。

改めて調べてみると――といっても、ここがはっきり写っていて仕様が判別できる当時の写真が少ないのだが、とりあえず、MT-2砲塔後期型(1941年5~6月生産車)でも、段付きツノ形ペリスコープの使用例は見つかった。KV-1でも、1941年春頃に生産されたと思しき車輛で、明らかに段付きを使っている例がある(「グランドパワー」97/10、p29下)。また、MT-2砲塔前期型(1940年11~12月生産車)でも、「これは段付きじゃないかなあ」という例もあり。

一方で、沼にスタックしている有名なMT-1砲塔搭載車のツノ形は段無し。MT-2砲塔後期型でも、「これは段無しっぽいな」という写真もあり。というわけで、現時点での私の見解は、「少なくともMT-2砲塔型では段付き・段無し混在じゃない?」という玉虫色のもの。なお、ツノ形ペリスコープカバーの頂部には小穴がある。

9.砲塔後面には、MT-1はアクセスパネルとピストルポートだけだったが、MT-2になってからは機銃マウントが付く。MT-2砲塔前期型(1940年11~12月生産車)の時期、KV-1のほうの砲塔後面の機銃マウントは外部防盾無しの半球形のものだったが、KV-2では最初から外部防盾付きのもの(ただしKV-1でも車体機銃は当初から外部防盾付き)。MT-2試作砲塔(U-7に搭載)は搭載位置が丸く窪んでいるだけで、機銃マウント自体は未装備。

車体前部

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10.車体前端の装甲板接合用のアングル材の埋め込みボルトは、MT-1砲塔搭載型(試作車および生産第1シリーズ)では17カ所。MT-2砲塔搭載型(生産第2、第3シリーズ)では11カ所(上下列とも)。

11.戦闘室前面、シャーシ前面とも、KV-2は一貫して増加装甲無しのベア(裸)状態。KV-1でもここに増加装甲が付くのは1940年型エクラナミ以降。

12.MT-1砲塔搭載型(試作車および生産第1シリーズ)は車体機銃がなくピストルポートの装甲栓。MT-2砲塔搭載型(生産第2、第3シリーズ)では機銃マウント付き。MT-1砲塔搭載型の装甲栓はその後の機銃マウントよりもやや内側。

13.前照灯、ホーンの配線引込部は、MT-1砲塔搭載型ではMT-2砲塔搭載型よりやや内側。ただし、その「内側」度合いにバリエーションがある感じ。なお、ホーンやアンテナベースの位置は、試作車では生産車と異なっているものがある。

14.操縦手用の固定ペリスコープカバーは、砲塔のものと違って後期まで一貫してベロ無しの直付け。

20211229_235546 15.作例の鋳造?の牽引ワイヤーのヘッド部はMT-2砲塔搭載後期型(第3シリーズ)より。MT-2砲塔搭載前期型(第2シリーズ)以前はワイヤー自体を丸めたヘッド部で、トラペのKVのキットにはそのパーツも入っている(右写真)。

16.後期の一部車輌には、車体ハッチ前方に跳弾リブが追加されている。

17.後期の一部車輌では、戦闘室側面に、砲塔リングガード保護を兼ねた増加装甲が溶接されている。KV-1の1940年型後期型にも見られるものだが(生産時期はKV-2より数カ月遅い)、KV-1の場合、増加装甲下部にはアーチ状の切れ込みがあるもの(軽量化のため?)、ないものの2種が確認できる。今回改めて写真をひっかき回したところ、KV-2ではアーチ形の切れ込みがあるものは確認できたが、切れ込みのないタイプは、はっきりと確認できる写真が見当たらなかった。また、そもそも下部を切り詰めて、上端部だけになったタイプもあるようだ。

18.後期の一部車輌では、砲塔リング前方に、楔形のリングガードのリブが増設されている。「Тяжелые танки КВ-1(重戦車KV-1)」の記述によれば、これら増加装甲類は、一度前線部隊に配属された車輛が、修理のためにレニングラードに戻された際に追加で装着されたものであるらしい。1940年末生産のMT-2砲塔搭載前期型(第2シリーズ)でも同様の改修を受けた車輌があったかどうかは未確認。

19.後期の一部車輌では、フェンダー上に角型増加燃料タンクが搭載される。これについても上記増加装甲、跳弾リブと同様。16以降の改修が必ず4点セットになっているかどうかは確認しきれていないが、その可能性は高そうな気がする。

車体後部

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20.エンジンデッキの取付ボルトは、少なくとも初期は尖頭ボルトが基本ではないかと思う。後には(っていつから?)平頭ボルトが使われ始めている可能性あり。ただし、KV-1でも1940年型の後期(装甲強化砲塔搭載の1941年後半生産型)で尖頭ボルトの例がある。同じくKV-1で、1941年6月生産とされる車輌のデッキで、尖頭ボルトと平頭ボルトが混用されている例もある。

21.ラジエーターグリルのメッシュカバーは、MT-1砲塔(7角砲塔)搭載型(第1シリーズ)では前端まで凸だが、MT-2砲塔搭載型(生産第2、第3シリーズ)では、KV-1同様に前端が平らにつぶれている。

22.エンジンデッキ前端両側のボルトは左右3つずつ。タミヤはOKだがトラペのキットは2つしかないので真ん中1つを追加する必要がある。

23.エンジン点検ハッチのふくらみ中央には、KV-1の場合は生産時期によって(?)通風孔のポッチが付いている場合があるが、KV-2は、全型を通じて、当時の写真でポッチが付いているものは確認できない。現存車輛であるモスクワ中央軍事博物館の展示車輛は通風孔のポッチがあるが、同車輛の細部部品はかなりの部分が寄せ集めなので、ハッチも他から持ってきたものである可能性が高いと思う。

24.車体上部後端の曲面装甲は、MT-1(7角砲塔)搭載型(第1シリーズ)ではエンジンデッキに合わせて上部が面取りされている。MT-2砲塔搭載型(生産第2、第3シリーズ)では未処理のためエンジンデッキよりやや盛り上がっている。

20211229_235531 25.フェンダー上の工具箱は、MT-1砲塔(7角砲塔)搭載型(第1シリーズ)とMT-2砲塔搭載型の前期(第2シリーズ)では左右にベロがなく、蓋中央に取っ手がない初期タイプで、左フェンダーに2つ、右フェンダーに1つ。1941年に生産されたMT-2砲塔搭載型の後期(第3シリーズ)では、蓋の左右にベロがあり、蓋中央に取っ手がある後期タイプで、左フェンダーに1つ、右フェンダーに2つ搭載。トランぺッターのKV-2のキットには初期タイプのパーツ(右写真)も入っている。ただし、幅を広く間違えているフェンダーに合わせて作ってあるので、フェンダーを修正、あるいはタミヤに流用の場合にはそのままでは使えない。

26.フェンダー内外のフチのL字材は、少なくともKV-1では小リベット止めの場合と溶接の場合とがあるようで、タミヤのキットは(少なくともKV-1では)リベット表現がないので溶接タイプということになる。KV-1では、1940年型エクラナミと、その後の1940年型の装甲強化砲塔搭載型で溶接タイプが見られる。KV-2の場合、小リベット止めであると確認できる写真はあるが、溶接止めであると確認できる写真は今のところ見付からない。このフェンダーの構造と仕様、戦車の生産時期との関係についてはセータ☆さんの記事に詳しい。

27.車体後部オーバーハング下には整流板と尾灯。作例では尾灯にカバーを付けているが、全車標準でこれが付いているかどうかはちょっとあやふや。整流板も尾灯も見当たらない車輛の写真もあるが、これは撃破時に脱落したものか(後端中央部に弾痕もあるようなので)。KV-1でも、開戦前に製造されたと思われる車輌で尾灯も整流板もない写真があったりするので(「グランドパワー」97/10、p29下)、ちょっと気になるが。

28.シャーシ後面装甲の下端は、タミヤの新KV-1では車体床面から一段出っ張っているが、これはおそらく、工場がチェリャビンスクに移転して以降の特徴で、KV-2では全車、床面に合わせて面取りしてある。ただし、タミヤの同パーツ(B16)は、フェンダーや誘導輪基部と一緒のB枝なので、もしかしたらKV-2発売にあたって初期仕様に丸々交換されているかも。されていたらいいなあ(希望)。

足回り

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29.転輪は緩衝ゴム内蔵型。試作車~MT-1砲塔(7角砲塔)搭載型(第1シリーズ)は、SMKでも用いられた、ゴム抑え板の穴が8穴のもの。MT-2砲塔搭載型(生産第2、第3シリーズ)では6穴のKV用標準型が使われている。リムに小リブ付きだったり、穴がなかったりするバリエーションは、おそらくKV-2生産終了後に登場したものなので、修理時に紛れ込んだとかのレアケースがあるかどうか、程度。

30.上部転輪は、写真ではなかなかタイプの判別がしづらいが、少なくとも、MT-2砲塔搭載型の前期(生産第2シリーズ)までは小リブ付きのものが、MT-2砲塔搭載型の後期(第3シリーズ)ではリブ無しのものが使われているようで、それぞれの組み合わせの例は写真で確認できる。

31.起動輪は一貫して、ハブ部の皿形カバーのボルト数が16個の初期型。

32.サスペンションアーム基部、トーションバーとの接続ボルトは6つの初期型。

33.履帯はKV初期標準、700mm幅の1ピースタイプ。試作車~MT-1砲塔(7角砲塔)搭載型(第1シリーズ)の一部では、SMK由来の650mm幅も用いられているようだ。

(文中でリンクを張っている当時の実車写真はサイト「Тяжелые танки КВ-1(重戦車KV-1)」のもの)

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KV maniacsメモ ― KV-2のおさらい(1)

640px2_1 ●11月30日付でも書いたが、タミヤから近々KV-2が発売される。

個人的には「砲塔に『安倍晋三』と書かれていなかったら買おうかな……どうしようかな……」くらいのスタンスだが(しつこい)、一応、KV-2についてのおさらいを少々。

基本、個人的な理解の虫干しのようなものなので、誤解とか、最新の考証に追い付いていない部分とかもあるかもしれない。その辺はご了承を(というか、指摘していただけると有り難い)。

ついでに、もう10年以上前にほぼ工作終了して、そのまま放り出してあるトランぺッターのKV-2の製作記はこちら。記事中でも仕様の考証にちょろっと言及しているが、古いので、今回書くものとは若干の齟齬が出ているはず。その辺も併せてご了承を。

(冒頭写真はwikimedia commons、“File:Кв-2 1.jpg”、Gandvik

実車のタイプと生産

フィンランドとの冬戦争(1939/40年冬)のさなか、フィンランド軍防衛線突破用として、制式採用されたばかりのKVに、152mm榴弾砲M-10を搭載したタイプが計画され、1、2カ月というごく短期間のうちに試作車が作られ、40年2月半ば、フィンランド戦線に実戦評価試験のために送られた。

当初「大砲塔KV」と呼ばれたこの車輛は、十分開発要求を満たすものとして採用と生産が決定。40年7月から量産が開始された。

生産初期のものは、全て平面の装甲板で構成された(平面形が)7角形の砲塔(MT-1砲塔)を搭載していたが、中途から装甲板構成が簡略化され、両側面が緩くカーブした1枚板になり、背もやや低められた新砲塔(MT-2砲塔)に変更された(砲塔名称はTankograd “KV-2”より)。

その昔、「グランドパワー」1997/10号の解説では旧型の砲塔を載せているのは試作型1輌、増加試作型(先行量産型)3輌、Tankograd「KV-2」(2004年)では4~6輌と書かれていたが、その後の研究では、旧型砲塔の初期型はもっと多いとされている。実際に、撃破されてドイツ軍側に撮影された初期型を見ても、壊れ具合/背景などはかなりのバリエーションがあり、それなりの数が生産されたらしいことがわかる(昔はそもそも初期型の写真があまり出回っていなかったので、4輌と言われればそうなのかなー、くらいの印象だった)。

サイト「Тяжелые танки КВ-1(重戦車KV-1)」によれば、KV-1の総生産数は204輌、その内訳は次のようであるという(数字のもともとの出所は、マキシム・コロミェツ氏の資料とのこと。“Тяжелый танк КВ-2 - ≪Неуязвимый≫ колосс Сталина”(2011)かな?)。

  • 1940年2月(3輌)~3月(1輌):計4輌。7角砲塔搭載の試作車輛(U-1~U-4)。
  • 1940年7月(10輌)~8月(10輌):計20輌。7角砲塔搭載の初期型(シリアル番号 A-3603~A-3622)。
  • 1940年11月(25輌)~12月(55輌):計80輌。新型砲塔搭載型(シリアル番号  A-3718、A-3720~A-3727、A-3731~A-3739、B-9601~B-9604、B-9607~9610、 B-9629~B-9631、B-9633~B-968)。
  • 1941年5月(60輌)~6月(40輌):計100輌。新型砲塔搭載型、追加生産分(シリアル番号 B-4662~B-4761)

この辺がまたちょっとよく判らないところで、Wydawnictwo Militariaによれば試作車輛は「U-0」から始まっている。Tankogradによると、40年春に作られた試作車輛は、U-0、U-1、U-3、U-4の4輌となっている(U-2はKV-1)。これらとは別に、新砲塔搭載のプロトタイプの「U-7」というのがあるが、これは、テストベッドとしてキーロフ工場に残されていたKV-1試作車の改装らしい。実際、写真を見ても車体はだいぶ古い特徴を残している。この際にU-7から降ろされた試作型KV-1の(後部が丸い)砲塔は、通常の1940年型車体に載せて使われたらしい(確か新しい車体に古い砲塔を載せた写真があったはず)。

まあ、模型を作るうえでは正確に何輌だったとかシリアルが何番だったかというのは、普通、それほど重要ではなく、生産の流れについては

  • KV-2は全部で200輌程度生産された。
  • 7角砲塔の初期型は、従来言われていたような数輌のみでなく、どうやら20輌くらい生産されたらしい。
  • 新砲塔搭載の主量産型は、40年末と41年晩春の2期に分けて生産されている。
  • 生産工場であるキーロフ工場(キーロフスキー工場)がチェリャビンスクに疎開する1941年秋以前に生産が終了しているので、KV-2は全車、レニングラード・キーロフ工場(LKZ)製。

くらいのことが判っていればよい(と思う)。

生産時期別の仕様の特徴

試作車~初期生産型(仮に第1シリーズと呼称)

7角形砲塔(MT-1砲塔)を搭載。試作車が作られた時期は、KV-1もまだ試作段階。初期生産型の40年7月~8月は、KV-1はL-11搭載のいわゆる「1939年型」の生産の前半くらいなので、車体の特徴もそれに準じている。

転輪は緩衝ゴム内蔵型の中でも初期のもので、内蔵ゴムが覗く小穴が8つのタイプ(標準型は6穴)。ゴム抑え板のリブがないものを使っている例が多い気がする。ゴムリムありの上部転輪は小リブ付きが標準? 履帯は、試作車では(あるいは生産車の一部も)SMK時代からの650mm幅のものが混じっているようだ。

車体前端の装甲板接合用のアングル材は、埋め込みボルト数が後のタイプよりもやけに数が多くて17本。

エンジンデッキの固定は尖頭ボルト。後端の丸めた装甲の頂部は、KV-1 1939年型同様に面取りされている。ラジエーターグリル前端は平たくつぶれておらず、前から後ろまでカマボコ型。KV-1の場合は1939年型でも先端がつぶれている(さらに初期は内側に開口部のあるダクトが付いている)ようなので、この形状のグリルはKV-2初期型のみの特徴か。

主砲は後の新砲塔(MT-2)搭載型と違って、砲口部に一段盛り上がったリングがない。ただし、スリーブ固定用?の、前端部の4方向のネジ穴?は、この時期から存在しているようだ。MT-2砲塔型と同じ位置に砲身スリーブの分割線があるかどうかは、鮮明な写真が手元になくてよく判らない。

なお、最初の試作車(U-0)は、車体ハッチの形状が違う、車体後端ディテールが違う、車体前端アングル材の埋め込みボルトが出っ張っていて明瞭など、だいぶ細部に差がある。以降の試作車も、U-1は砲塔ビジョンスリットとピストルポートの位置が開け直されていたり、U-3は当初、工具箱がフェンダーと一体化した「飛行機の翼」フェンダーを付けていたり(後に通常仕様に改修されたらしい)、砲塔手すり位置が1輌ごとに微妙に違ったりと、それぞれ少しずつ異なっている。

主量産型(第2シリーズ)

形状が大きく手直しされ、面構成も簡略化、やや小型・軽量となった新型砲塔(MT-2)を搭載して生産されたシリーズ。生産時期は1940年末(11~12月)で、KV-1ではL-11搭載の1939年型の生産最終フェイズにあたり、すでに車体の仕様は1940年型とほぼ同様で、車体前面に機銃が装備されるようになっている。KV-2の車体もこれに準じる。

車体前端の装甲板接合用のアングル材の埋め込みボルトは11本に減少。エンジンデッキ上のラジエーターグリルは、この型より、KV-1同様に最前部が平らにつぶれた形状になる。後端の丸い装甲の頂部の面取りも、最初からなくなっているのではと思う。

転輪は標準型の緩衝ゴム内蔵転輪に変更。履帯も標準の700mmワンピースタイプのみが使われている。上部転輪ははっきりディテールが判る写真が少ないが、「Тяжелые танки КВ-1(重戦車KV-1)」のKV-1のディテール変遷の解説を見ると、この時期まではまだリブ付きだったような感じ。ただし、下記の初期仕様のMT-2砲塔を載せていても、「これ、リブ無し上部転輪じゃないかなあ……」みたいな写真もあって、ちょっとあやふや。

U-7に搭載されたMT-2の試作砲塔では、砲塔前面に、砲耳バルジの位置決め用の両側のリブがなかったが、量産型ではすべて付いている模様。また試作砲塔では砲塔後面の機銃マウントがなかったが(一応、当初から付けられる予定だったらしく、その位置に丸い窪みはある)、量産型砲塔では全車機銃マウントがある、と思う。

搭載された主砲には若干のディテール変化があり、砲口部に「たが」状に段が付く。また、砲身は実際には外側に保護スリーブ?がかぶせられていて、途中2カ所にその分割線がある。

一部不確かな点もあるが、翌年晩春の第3シリーズと比べると、以下のような違いがある。一部は不確かで、また、この第2シリーズの生産途中で変更されたものもあるかも。

MT-2砲塔の装甲板接合方法の違い。おそらく前後面とも、補強用の埋め込みボルトが使われていない(少なくとも表に見えていない)。また、前面装甲板は後期型同様、砲塔側部に小口が見えているが、砲塔後面はエッジに溶接ラインがあり、小口は見えていない。

主砲の駐退機カバーが、後のタイプと比べやや「痩せて」いるらしく、その外側にあるボルトのための逃げ溝がない。これに関しては、写真のコントラストによって、有無がよく判らない場合も多いが、向かって右側(車輌からすれば左側)の最上部のボルトが、駐退機カバーのラインより内側に食い込んでいるか、外側に出ているかも見分けの助けになる(実際にはこれも結構見え方が微妙だが)。

砲塔ペリスコープカバーの違い。カバー接合用のベロがなく、裾部分でダイレクトに砲塔上面に溶接されている。なお、車体前部、ドライバー用ペリスコープカバーは、後の型になっても一貫してベロがない。

エンジンデッキの固定ボルトは尖頭タイプ?

フェンダー上の工具箱は、MT-1砲塔搭載型同様、左に2つ、右に1つ。初期型の、両側にベロがかぶさらないタイプが標準。牽引用ワイヤーロープの両端も、MT-1搭載型と同じく編み込み型。

割と有名な、ドイツ軍作成の対戦車教材フィルムに登場するKV-2がこの主生産型初期ロットのもので、砲塔ディテールが確認できる。また、有名なIII/IV号戦車のキューポラを増設したKV-2も初期ロットのもので、後期ロットのキットをベースにしてしまったトラペの製品は、正確を期すなら若干の改造を要する。

主量産型(第3シリーズ)

新型砲塔(MT-2)を搭載し、前ロットから数カ月の間を開けて改めて生産されたもの。1941年5~6月は、KV-1で言うと、主砲がF-32に変わった、いわゆる「1940年型」の初期にあたり、増加装甲付きの「1940年型エクラナミ」がそろそろ生産されるかな?まだかな?くらいの時期。したがって、エクラナミの生産途中から導入された、緩衝ゴム内蔵転輪の中期以降のバリエーション、穴無しリムや小リブ付きリムはKV-2では確認できず、すべて標準タイプの転輪が使われている。上部転輪はおそらくリブ無しが標準。

エンジンデッキ上のボルトは、なにぶんにもエンジンデッキをクローズアップで鮮明に写した写真が少ないが、はっきり確認できる例では尖頭ボルト。ただし同時期のKV-1から類推するに、尖頭ボルトもあり、平頭ボルトもあり、という感じではないかと思う(エクラナミ以前と思われるKV-1で平頭ボルトの仕様が確認でき(例えば「グランドパワー」97/10のp29上)、一方でエクラナミでも尖頭ボルトを使っているように見える写真(同p35)、エクラナミ以後の生産車で尖頭ボルトを使っている例(同p42上)もある)。

フェンダー上の工具箱は、両サイドのベロ付き、左に1つ、右に2つが標準。牽引用ワイヤー両端は鋳造(?)のもの。ちなみに初期の編み込みタイプはフェンダーステイの三角穴を通し、鋳造タイプは穴を通らないのでステイの上を這わせて搭載する。

MT-2砲塔には若干の手直しが入り、砲塔前面、後面に接合補助用の埋め込みボルトが確認できるようになる。砲塔後面も、前面同様に装甲板の小口が側面に出る形に変更。またペリスコープカバーは(車体前方のものも含め)ベロ付きに変更。

主砲は駐退機カバーの両側に、ボルトアクセスのための逃げ溝(右1カ所、左2カ所)が設けられる。見た目ではわかりにくいが、おそらく駐退機カバーがやや膨らみが増したのだと思う。

さて、ここから先がちょっと謎含みな感じなのだが、おそらく最末期に生産された一部車輌のみの特徴として、砲塔リングガード、車体ハッチの跳弾リブ、戦闘室側面の増加装甲、フェンダー上の角型増加燃料タンクなどが追加された例が確認できる。たとえば角型燃料タンクと車体ハッチの跳弾リブはこの写真などが判りやすい。戦闘室側面増加装甲はこれ(角型燃料タンクと車体ハッチの跳弾リブもあり)やこれ。楔形のターレットリングガード(と側面の増加装甲のセット)は、ちょっと不鮮明だがこれ(すべて「Тяжелые танки КВ-1(重戦車KV-1)」より)。

これが不思議なのは、いずれも、KV-1ではエクラナミの後期やその後の1940年型後期型で導入された(つまりKV-2の生産終了後に導入された)と思われる特徴であること。「もしかしたらKV-1の40年型後期型の車体にKV-2の砲塔を載せたハイブリッド?」などと考えたこともあったのだが、その場合、戦闘室前面/シャーシ前面の増加装甲がないことが矛盾する(KV-1の1940年型の後期型ではそれが標準で装着されている)。あるいは、KV-2の残存車輛に、KV-1のちょっと新しいタイプに準じたアップデートを(デポあたりで)施した車輛なのかもしれない。

……と、つらつら書いてきたが、どうにも文章ばかりでは判りにくいので、改めて模型写真と対応させてディテール説明を書こうかと思う(最初からそうしろよ的な)。

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RとLの区別もつかないくせに!

●毎年夏~秋の季節労働。

いつも最後あたりは間に合うの間に合わないの早くしろのなんのかんのとしっちゃかめっちゃかになるのだが、今年はなんとかまともに終われそうだと思ったら、最後の最後になって発注元から「こちらで手に負えなくなったので、追加でお願いしたい」と6見開き分のテキスト執筆の仕事が丸投げされてきた(しかも、本来の私の担当の仕事よりも「こっちを先にお願いします」と言われた)。おいおいおいおいおいおいおい。

というわけで、結局またしっちゃかめっちゃかになったのだが、なんとか13日土曜日までに全部終了。

やっとこれで模型も作れる……というところなのだが、いざ終わってしまうと、その後は今に至るまで絶賛気抜け中。当「かばぶ」の更新も滞り中。いかんね。

●もちろん、以後2週間、まったく茫然自失状態だったというわけではなく(かなりの時間を“のたーっ”としていたのは否定しない)、仕事を片付けた当日の土曜日には、ちび2号(3歳児)がお泊りに来て、翌日には金沢自然動物公園に「動物園デビュー」に連れて行ったりする。もっとも、始めて見る動物たちよりも、アイスクリームの方に関心を持っていかれた気がする。

ほか、いつものように近所の山道を歩き回ったり(季節労働中より頻度が上がっただけ)、合間に新しい仕事関連のオンラインシンポジウムに出席したり、やはりオンラインのの打ち合わせをしたり。

●16日火曜日、たまたま仕事で鎌倉に来るというhn-nhさんと「久しぶりに対面で模型話でも」ということになって、午後、鎌倉駅前で待ち合わせる。

その前に自宅で昼食をとっている時に、やたらに消防車がけたたましく走っていくのが聞こえたのだが、1時過ぎに鎌倉方面に歩いて行くと、名越坂の上から見ても、行く先かなたにもうもうと煙。横須賀線の名越踏切も開かない。そうこうするうち、hn-nhさんからも、「鎌倉駅前でも焦げ臭い」などとメッセージが入る。

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現場に近付くと県道は封鎖され、ものものしい雰囲気。その後のニュース等によれば、アパートから出火、近隣計6軒が焼けた由。翌日前をバスで通ったが、前回記事で書いた韓国料理屋さんのすぐ隣から、ぽっかり黒焦げの空間が出来ていた。ニュースで掲載された消火活動中の写真ではまだきちんと残っている建物も焼け落ちてしまっていたので、鎮火までにずいぶんてこずったらしいこともわかる。火事怖い。

●それはそれとして、久しぶりにお会いしたhn-nhさんとは、鎌倉浪速家でたい焼きを食べて、その後若宮大路の喫茶店で模型話。hn-nhさんから、最近の完成品、ARMA HOBBYのPZL P-11cを見せて頂く。hn-nhさんらしく端正な出来。しかも、昔々に「プロフィーリ・ディ・アエレイ・ミリターリ」で見て以来、気に入っているKOP(国境飛行隊?)の七面鳥マーキング。胴体の両側でマーキングが異なっているらしいというのは初めて知った……(もっとも、部隊マークだとするといろいろ記入のバリエーションがあった可能性もある)。目の前にあると、自分の目で見ることばかり考えて、写真を撮り忘れた(どうせ綺麗に撮った写真はhn-nhさん自身がネットにアップするだろうなあ、というのも頭の片隅にあったかも)。

私は話のタネに、CHINO MODELのTKS履帯と、INPACTのアブロ複葉機(もちろん手付かずのキットのまま)を持って行った。

今年も東京AFVの会は流れてしまったし、生で模型話も、これまた久しぶりかつ貴重な機会。ちなみにその前の週にはオンラインで「Fも飲み会」をして、全国に先駆けて再開させた関西AFVの会の様子を、世話人の青木氏から写真付きで聞いた。三密を避ける意味もあって、会場はそこそこの広さの部屋を上下階で2部屋借りて開催したそうだ。贅沢! 来年は東京AFVの会は開催されるだろうか。またまた変異株も出て来て、でかい第6波とか第7波とか来そうな気もする。

●毎日のように出かけている山歩き風景など。

名越切通途中のまんだら堂やぐら群は、前回記事の公開初日に比べると、だいぶ秋っぽさが増して現状このような感じ(27日土曜日)。ただ、イチョウの脇にあるモミジはまだ梢がやや赤くなってきた程度で、しっかり紅葉するのは公開最終日近くになってから?

第一平場・第二平場間のみかん(種類不明)もだいぶ黄色くなった(23日火曜日)。

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名越からは市中心部を挟んで反対側、長柄桜山古墳群の尾根も2度ほど歩いた。初回(15日)は六代御前墓から上がって、二号墳~一号墳と縦走して葉桜団地へ。二度目は蘆花記念公園から上がって二号墳を経由し、一号墳への尾根道の途中から、始めて通る枝道を長柄交差点に下りる。

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上写真1枚目は、田越川沿いの県道から蘆花記念公園に入る脇にある「蘆花獨歩ゆかりの地」石碑。徳富蘆花(作家、代表作「不如帰」)、国木田独歩(作家、代表作「武蔵野」)、田村ゆかり(声優、代表作「魔法少女リリカルなのは」)の記念碑(たぶん)。

2、3枚目は二号墳~一号墳の尾根道にぽつんと立っている古い石碑で、「Pokémon GO」のポケストップにも指定されているものだが、その登録名が「残念仏」。もちろん「残念な仏」なわけはないだろうし、残・念仏(念仏を残す)とか、何かそれなりの仏教的な意味があるのかと気になっていたのだが、「残念仏」で検索すると「大阪なおみが全仏オープンを棄権して残念」くらいしかヒットしない。今回改めて碑の表面をよくよく見ると、どうやら一文字目は「残」ではなくて、梵字で阿弥陀仏を示す“キリーク”のようだ。

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二号墳からは江の島越しに富士山が見える。昔は二号墳の海側斜面に小さな展望テラスがあったような気がするが、今は撤去されていてない。国の史跡に指定される際に、古墳の表面に余計なものをくっつけたらダメとかなんとかあったのかも。昨春は実り始める前に綺麗さっぱり草刈りされてしまってガッカリだった二号墳斜面のクサイチゴはまた伸び始めていた。来春は食べられるといいなあ。

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上写真左は一号墳。こちらは周囲が綺麗に伐採され、周りも囲って整備中。なんとか前方後円墳に見える。右写真は長柄交差点に下りる枝道で見掛けた……おそらく間違いなくシイタケだと思うのだが、やはりキノコは間違えたときのリスクが大きすぎるので手は出さない。でもなかなか立派な傘の大きさだった。

●11月25日夕、鎌倉を歩いていて、妙本寺の山門前からふと空を見上げたら、西の空にギラギラした光が、ふっと右下斜めに(北方向に)流れて消えた(17:45頃)。流星というのは見ると何だかちょっと得した気になるが、特に明るい「火球」レベルのものはさらに滅多に見ないので嬉しい。火球というのは流星の中でも特に明るいものを指し、「絶対等級が-4等級より明るいもの」という定義があるそうな。今回のものが正しくそれに当たるかどうかは不明。

非常に近く見えたので、神奈川県の中部あたり上空かな?と思ったのだが、「流星・火星・隕石の掲示板」で、まったく同時刻に、名古屋から「東の空に見えた」という書き込みがあったので、思ったより遠かったらしい。

●秋の初めの木の実系の収穫が終わると、ぐっと「野山の拾い食い」ネタが減ってしまうが、そんな中で今が旬の希少なネタがヤマノイモのむかご。以前は採ってきて、そのまま軽く炒って塩を振って「まあ、それほど美味いもんじゃないな」的位置づけだったのだが、今季一回目の収穫では一度茹でてからニンニク+オリーブオイルで炒めたら結構美味かった。

そんなわけで、「ちゃんと手を掛ければそれなりに美味い」という(あたりまえの)ことに気付いたので、2度めはこれまた一度茹でてから、オイルサーディン/ぶなしめじと合わせてアヒージョに仕立てた。

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写真では一番上に入れたぶなしめじばかり写っているが、その下には結構ぎっしりむかごが入っている。色味のあるものが入っていないので一面茶色であまり美味しそうに見えないかもしれないが、実際にはなかなか美味しかった。昼間からビール飲んじゃったよ……。

20211030_175950 ●「RとLの区別もつかないくせに!」というのは、日本人の英語(というかヨーロッパ系の言語の多く)下手を表す定番表現(昔懐かしいフラッシュの「ペリーのお願い」にも同様のセリフがある)。

が、ここで言いたいのはRとLの発音ではなく、セブン-イレブンのコーヒーの件。

セブンイレブンのコーヒー(セブンカフェ)のサイズはR(レギュラー)とL(ラージ)の二段階。しかし(以前にも一度書いた気がするが)「レギュラー」と頼んでラージサイズが出てくる頻度が(私自身の感覚として)妙に高い。

右写真は「レギュラー」と頼んでカップを貰ってサーバーにセットしたら、コーヒーの量が妙に少なくて「あれ?」と思った時の写真。実際にはコーヒーが少ないのではなくてカップが大きかった(カップでRかLかを自動判別する方の機械だったら気付かなかったかも。いや、カップのフタを付けるときに気付いたかな?)。当然、レジでナナコカードからはLの料金で引かれていて、差額を返金してもらった。

一つの店で一人のアルバイト君とかが間違うなら「慣れてないから?」で済むが、複数の店でしばしばある。場合によっては「レギュラーですね……」と復唱しておいてLが出てきたりする。こうなるともう、構造的な問題としか思えない。

どうやら聞くところによると、セブンイレブンのレジ自体、表記は「R」「L」しか書かれていないらしい。つまり、「レギュラー」と言われたときに、それが「R」なのか「L」なのかは店員さん各自が覚えていなければならない、ということになる(そこで、「お客さんの『レギュラー』の発音だと頭の文字はRじゃなくてLでしたよ」とか言われると怖いが)。

そもそもコンビニの中でも売れ線の商品なんだから、バイト君でも間違えないように指導を徹底するとか、あるいはそれ以前に頭文字を使うのなら間違いようがない「S」と「L」にするとか(ファミマは「S」「M」「L」)、もうちょっと考えてよ!とセブンイレブンの中の人を問い詰めたい。

……というような文句を言っていたら、かみさんに「大きいの、小さいので頼めばいいんだよ」と切り捨てられた。え? オレが悪い流れ?

●タミヤからKV-2が発売されるそうだ。

まあ、出るだろうなあ、とは思っていたけれど。

たぶん車体はそのまま、転輪はもともと枝の差し替え部分に分離してあったリム部が標準型に、上部転輪がゴムリム付きに変更。めがーぬさんは、タミヤのサイトの写真を見ると誘導輪も大きくなっている気が……と言っていたが、どうかなあ。

昔々のKV-2は、車体が完全にチェリャビンスクで生産された新型になっていたし、たぶん実車取材無しで写真から判断したために砲塔上面に後ろ下がりの変な傾斜が付いていたりと、あれこれ問題のあるキットだったが、その辺はおおよそすべて払拭されることになる。ただ、トラペのKV-2(これはこれでいくつか問題はあるが)を完全に上回る出来!となるかどうかはちょっと。

なお、旧キットは砲塔の圧延傷表現に隠れて「田中角……」と書かれているのが有名だが、まさか新キットには「安倍晋三」とか書かれていないだろうなあ(そんなだったら絶対買わない)。

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梅雨明け

●コロナ禍の影響もあり、仕事自体は全般的には低調なのだが、それでも重なるときは重なるもの。久しぶりに真面目に(集中的に)仕事しなければいけなかったりして、すっかり更新がご無沙汰に。

そんなこんなで、ある程度まとまりのある話を書くようなネタもなく、近況報告的にあれこれつらつらと。

●兄が濃厚接触者として1週間自宅隔離になった、と連絡を貰う。一応、30日の検査では陰性で、今のところ症状も出ていないので大丈夫だろうとのこと。とはいえ、老母と同居で食事の面倒なども見ているので、そちらのほうが問題。とりあえずデリバリーなどでしのぐ由。

●KV小ネタ。

タミヤの新KVの転輪については以前にも書いたが、トランぺッターの転輪と比較して、ディテール的に至らない点がいくつかあり、そのあたりの改良を試みてみる。

(1).リム部の小リブの位置が裏側で間違えていることについては、どのみち組んでしまえば見えないので(車輛の前後から床下を覗き込めば、全く見えないということはないのだが)、そのままスルーする。

(2).ハブ部・ゴム抑え板のディテール不足に関しては、ハブ両脇の2カ所の小ボルト?部分に関してはタミヤのほうがいい感じはするが、ハブ周囲のリングが別体である表現、およびそのリングのグリップ用?刻みが省略されている問題のほうがより大きいので、これらに関しては、トランぺッターのパーツの流用を検討。

(3).内外の転輪の向かい合わせになった面で、ゴム抑え板の表現が全く無視されている問題。内側転輪の表側に関しては、組立後も覗き込めばちらりと見えないこともないにもかかわらず、キットのパーツはその部分が窪んだ状態になっている。これに関しては、上記(2)とセットで考え、(2)で余ることになるタミヤのゴム抑え板パーツのハブ部をくり抜き、軸が通るようにして内側転輪に取り付ける。

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1枚目写真。タミヤの転輪の外側の表裏(左側)、内側の表裏(右側)。内側転輪の裏にはしっかりゴム抑え板のモールドがあるので、表裏ひっくり返して使用できればちょっと楽だが、裏側は前述のようにリム部の小リブの位置を間違えているので、その手は使えない。外側転輪の表には別パーツのゴム抑え板を載せてある。

2枚目写真。ゴム抑え板パーツの元の状態(左)と、軸が通るようにくり抜いた状態(右)。

3枚目写真。軸部をくり抜いたゴム抑え板を内側転輪の表に載せてみたところ。軸部の位置合わせ用の凸は余計なので(本来、内外のリムの穴位置は揃っていないので)削り取ってある。

ここまでやってみての小まとめ。とりあえず、覗き込んで見える部分にはゴム抑え板が装着できたが、この部分の土台の立ち上がりが外側転輪表より若干高く、ゴム抑え板部分に厚みが出てしまう(軸部分は貫通しているので、転輪の間隙には影響しない)。内側転輪に流用するゴム抑え板の中心をくり抜くのは、それほど難易度の高い工作ではないものの、ちょうどよい太さのドリルやヤスリがあるわけでもないので結構面倒くさい。暫定結論。……これをあと11個分やるんだったら(しかも苦労してトラペ以上のものが出来るわけでもないのなら)、素直に転輪それ自体、トラペから持ってきた方がいいんじゃね?

ちなみにそうせずに、こんな面倒な工作を試してみたのは、手元にトラペのリブ付き転輪の余剰がなかったため(リブ付きでないほうはある)。

●はい人28号さんからコメントで情報を頂いたのだが、Passion Modelsから、タミヤKV用のエッチングパーツの発売予告が出た。8月下旬予定とのこと。

内容はラジエーターグリル、車体後端オーバーハング部のメッシュは当然として、フェンダーステイ、ハッチ裏のロック用リングなど。さらにプレス済みのオーバーハング下の整風板、挽き物のピストルポート装甲栓、DT機銃と、思ったよりも贅沢な内容。個人的にはラジエーターグリルと後部のメッシュだけの簡易セットでよかったんだがなあ、という気もするけれど、予価1800円だそうなので、そこそこリーズナブルかな。

ラジエーターグリルはちゃんと前方が平らの形状になっているようだ。いやまあ、なっていなきゃ困るんだけれど、これまで意外に再現していないセットが多いので、一安心。

別途、ツールボックス(の蓋と取っ手)のセットも同時に発売になるらしい。

●1日土曜日。晴れたので、午後、鎌倉方面に散歩に出る。

小坪から稲村ケ崎方面の景色を眺めていると、極楽寺坂よりもさらに稲村ケ崎側に、山腹を斜めに上がる道が見えて、「あの道はどこに通じているのだろう」と以前から少し気になっていたところを目標に歩く(といっても、今の世の中はGoogleMapsを開くと「どこに通じているのだろう」は判ってしまうわけで、実際に歩きに行く段階では、すでに「まあ、歩いたことがない道だし、行ってみるか」程度になっているわけだが)。

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写真は、その坂の上から、鎌倉の海(由比ガ浜、材木座海岸)を隔てて逗子側を撮ったもの。すでに夕方だったので、薄暗い写真で失礼。

黄色矢印が二子山高角砲台跡(二子山上ノ山)、赤井矢印が小坪高角砲台跡(披露山)、黄緑矢印は西小坪海面砲台跡(飯島)。こうしてみると披露山に比べ二子山の方がだいぶ高いことも判る。その高いほうの二子山に12.7cm単装が、低い披露山に12.7cm連装が配備されていたのはどういう理由なのだろうか。

例えば、軍港横須賀(あるいは東京湾)に向け、内側は単装で外側は連装とか、そんな基準があったのではないか、などとぼんやり考えてみて、帰宅してからGoogleのマイマップに三浦半島の高角砲台を配備された砲の種類別に色分けしてプロットしてみたのが、結局は位置それ自体には何の法則性も見い出せなかった。

小坪海面砲台は、こうしてみると鎌倉湾の防衛用という感じだが……いくらなんでも鎌倉の海に上陸作戦なんてしないだろう。いや、それでも入り江に小型艦船など入り込まれると困るので、とりあえず防備はしておかなきゃいけない的なものなのか?

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割と久しぶりに極楽寺のあたりを歩いたが、江ノ電の極楽寺駅が大改装されていた。元の駅舎正面は残っているが、裏手が大々的にリニューアルされて新しい大きな駅舎になり、さらに元からの入り口の左手に大きな新しい、「入り口広場」と言ってもいいような入り口が出来ている。元の姿がほぼそのまま(左写真)なのは喜ばしいが、その横が新しく変わり過ぎていて、旧入り口がいかにも「保存された展示物」的に見えてしまうのはちょっと寂しいかも。

●自然科学のなかでも古生物学、および身近な昆虫等々の観察が好きなことがあって、生物関連の本や記事は割とよく読む方だが、「単系統群」と「クラウングループ」の違いがどうもよく判らない。

●「メイドインアビス」9巻発売、娘がさっそく購入していたので、こちらもさっそく借りて読む。

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