FCM 2C

FCM 2Cのディテール・メモ(後編)

●たいぶ間が開いてしまったが、フランスの超重戦車、FCM 2Cのディテール・メモの後編。

10両作られた実車の個別ディテールチェック、今回は6→96号車から。なお、前記事同様、「写真がある/ない」と書いているのは、あくまで私が知っている範囲なのはご了承のほどを。

ディテール検証のために見た写真は、基本、「char-francois.net」と「world war photos」のものがメイン。「char-francois.net」は閉じてしまったのでリンクの張りようがないが、「world war photo」(ほぼドイツ軍が接収して後の写真)については、各車記事末尾にリンクを張るようにした。そのうちリンク切れしてしまうことも考えられるが、できれば多くの写真を参照してほしいので。前編掲載の91-95号車に関しても、今後リンクを追加するかも。

本編に入る前に、各車両(全10両)が1940年のドイツ軍による侵攻時に、どのような末路を迎えたかの一覧を挙げておく。

10両作られた実車はすべて同一部隊(開戦時は第51戦車大隊/51e BCC)に配属されたが、独仏の地上戦開始時点で、2両は実質的に廃車状態、残りは動員されてマジノ線後方で待機に入ったが、待機地点に到達前に1両が故障して脱落、その後撤退が決定し鉄道駅に行く途中でさらに1両が故障脱落。

最終的に、6両が専用貨車に載せられて(というか吊り下げられて)後方への輸送が行われたが、ドイツ空軍の攻撃で鉄道網が寸断されて立ち往生、最終的に爆破処分された。

  • 1→91号車「プロヴァンス」:撤退のため鉄道輸送中、積載状態のまま爆破処分。
  • 2→92号車「ピカルディ」撤退で移動中路上で故障しスタック。その後爆破処分。
  • 3→93号車「アルザス」:撤退のため鉄道輸送中、積載状態のまま爆破処分。
  • 4→94号車「ブルターニュ」予備車両として部品取りに使われほぼ廃車状態。
  • 5→95号車「トゥーレーヌ」集結・待機地点への移動中路上で故障しスタック。その後爆破処分。
  • 6→96号車「アンジュー」予備車両として部品取りに使われほぼ廃車状態。
  • 7→97号車「ロレーヌ(旧ノルマンディ)」:撤退のため鉄道輸送中、積載状態のまま爆破処分。
  • 8→98号車「ベリー」:撤退のため鉄道輸送中、積載状態のまま爆破処分。
  • 9→99号車「シャンパーニュ」:撤退のため鉄道輸送中、積載状態のまま爆破処分(爆破失敗)。
  • 10→90号車「ポワトゥー」:撤退のため鉄道輸送中、積載状態のまま爆破処分。

以下、個別の特徴など。

●6号車→96号車 アンジュー(ANJOU)

▼初期

他の2Cと異なり、一桁番号が書かれた時期の写真は(私の手元には)1枚もない。少なくとも写っている範囲には何のマーキングもない、おそらくグリーンの単色塗装の写真が3枚ある(それがなぜ6/96号車と判断できるかといえば、char-francois.netで6/96号車として掲載されていたため。他力本願)。車体前面がしっかり写った写真はないため、そこに固有名「ANJOU」が書かれていたかどうかも判らない。

うち2枚の(演習もしくはテスト中の)写真では、エンジンルーム上に第一次大戦中のイギリスのマークI戦車のような山型の金網付きフレーム?が取り付けられている。これは他の2Cには見られない装備。

残る1枚では、これまた、エンジンルームの前後に鳥居のようなフレームが付いている。用途不明。

以上3枚の写真では、全て、車体横ハッチの上に何やら四角いプレートが付けられている。何か文字が書かれているようにも思えるが、白飛びしていてはっきりわからない。スカートはフルで装着。誘導輪基部先端にカバー?はない。

▼最終状態

wikipediaによれば、第二次世界大戦の勃発直前から進められたオーバーホールにおいて、94号車と96号車は最も調子がよかったために逆に再び予備役に回され、その後、僚車の部品取りに使われたのだという。

もう一両の予備車輛、94号車「ブルターニュ」は、前編に書いたように最終状態の写真が手元には1枚もないが、96号車「アンジュー」は、デポか兵舎のような建物の隣に放置された状態の写真が何枚か残されている。逆に、この96号車は、二桁番号記入後で稼働中の写真がない。

放棄状態の写真では、おそらくグリーン系の単色塗装に、車体左右前端の所定の位置に「96」の車輛番号。どの写真でもメイン砲塔は取り外されていて見当たらない。単に砲塔だけ外されているのではなく、車体側の砲塔リング部分も失われている。

エンジンルーム上のマフラー等も確認できず、エンジンルーム上面版ごと取り外されている可能性がありそう。エンジンルーム前端には何か曲線のフレーム状のものが確認できるが、実際にそこにそのような部品(装備)が取り付けられているのか、あるは曲がった鉄骨のようなものがたまたま載せられているだけなのか、判断できない。

車体前面の写真を見ると、操縦手用バイザーは付けられておらず(ヒンジも見当たらない)、どうやらバイザーは、94号車・96号車が予備役に回されることが決定して以降に追加されたのではないかと推論できそう。また、標準では戦闘室前面左右にあるコの字金具は、この96号車では左側にしかない(94号車では右側にしかなかったのと逆)。スカートは装着していない。誘導輪基部先端のカバー?無し。

車体前面に車輛名の記入無し。車体前面に、進駐してきたドイツ軍が試し撃ちしたものらしい弾痕が数カ所確認できる。車体右側スポンソン後端には、ドイツ軍によって上段:Beutegut(戦利品)、下段:F****114(途中判読できず、部隊名か)と白字で書き込みがある。

サイト「world war photo」には、96号車の写真は1枚だけある。頭の番号は、同サイトが掲載しているFCM 2Cの写真50枚中の何枚目かを示すもの。

  • 37/50:右後方からの撮影。

●7号車→97号車 ノルマンディ(NORMANDIE)→ロレーヌ(LORRAINE)

▼初期

一桁番号時代のものと言い切れる写真は、少なくとも私の知っている範囲ではない。渡渉中などで車体番号が確認できない写真はあるので、もしかしたらその中に紛れている可能性はあるかも。

▼後期(1)

車輛番号が「97」となっても、名称はしばらく「NORMANDIE」のままだった(車番の2桁化は1936年、名称変更は1939年)。

比較的多数の写真が残っている状態は、キットのデカールにも取り上げられている、「単色塗装、砲塔左面に大きくノルマンディ地方の盾形紋章、砲塔リング左にNORMANDIEの車輛銘板、戦闘室前面(操縦手バイザー下)に小国旗付き車輛名 」の塗装とマーキング(キットの指定塗装C)。車体前面の楕円のメーカー・プレートは塗り潰されていないらしく明色に写っている写真が確認できる。 「97」の車輛番号はあっても砲塔の盾章が描かれていない写真もあるが、どちらがより初期の状態なのかは不明。

戦闘室前面の小国旗付き車輛名が書かれていない写真もあるが、これに関しては、char-francois.netで97号車として出ていたものの写真に車番を特定できるものは写っておらず、本当に97号車なのか(またそうであったとしても番号が二桁になってからのものかどうか)不明。

車輛のディテール自体はキットで再現されているのと基本は同じ標準仕様だが、操縦手用バイザーは(ヒンジも)付けられていない。スカートは装着している写真、していない写真、両方がある。

ちなみにノルマンディの紋章は「赤地に二頭のヒョウ、またはライオン」。一応、文字で表現されるときは「deux léopards d’or(2頭の金のヒョウ)」と書かれることが多いようだが、絵としてはタテガミ付きでライオンっぽく描かれることもある。これはどちらが正解ということではなく、フランスにおける紋章学上では「ヒョウとライオンは同じもの」扱い(より正確には、描かれた生物学的特徴での区別はなく、姿勢によって lion か léopard か呼び分ける。でもって、Normandieの旗の場合は léopard)なのだそうだ。へー。

D5012_nr_741_f_19410102_panzerkampfwagen

▼後期(2)

時期としては前記の単色時代より後なのか前なのか、実ははっきりしないのだが、車体の仕様としては標準のまま、車体横前端の「97」の番号は同様ながら、車体全体に2色?の迷彩を施した写真も残っている。写真それ自体がやや不鮮明なのではっきりしたことは言えないが、主砲塔部分を見ると、暗色地に明色の大まかな斑点迷彩の様子。

砲塔リング部分に車輛名の銘板が付いているのは判るが、車輛名それ自体は読み取れず、「NORMANDIE」と書かれているのかどうかはっきりしない。

なお、この迷彩の写真はchar-francois.netでは「7-97 normandie 04」として掲載されていたものだが、これとは別に、もう一枚、標準的な車体ディテールで2色迷彩を施された写真、「7-97 normandie 10」も載せられていた。こちらの写真の2色迷彩は帯状で、先の写真とはパターンが異なるが、この写真自体、渡渉中で車体は隠れていて、車輛番号は確認できない(砲塔リング部の銘板も、存在は確認できるが文字は読めない)ため、実際には97号車の写真ではない可能性もある(もちろん、時期によって塗り替えられていた可能性もある)。下記「後期(3)」時期の迷彩とは微妙に違う感じ。

いずれにせよ、どちらの写真でも砲塔の盾形紋章は確認できない。

▼後期(3)

その後、97号車は中隊指揮戦車として独自の改修を受け、この1両のみの独特な仕様となった。おそらく同時期に、車輛名も「LORRAINE」に変更された。改修ポイントは、おおよそ以下の通り。

  • 砲塔上面に増加装甲。若干の隙間を設けたスペースド・アーマー形式のように見える。
  • 主砲塔前の工具箱を除去し、ここにも上面に装甲?を追加。さらに車体前端上面にも増加装甲をボルト止め。砲塔前の戦闘室上面は薄手のスペースドアーマーかも。シャーシ前端上面は厚手の装甲をベタ止めに見える。
  • エンジンルーム上部をさらに一段かさ上げ。かさ上げされた部分は、左右、および前部がオーバーハング(前部は主砲塔をやや巻く感じ)。かさ上げ部分の上面は、中央(やや右寄り)に縦一本にルーバー。その左右は装甲。
  • エンジンルームのかさ上げの結果、もともとエンジンルーム上面に置かれていたマフラーは撤去。排気管は車体左右に這わせて、車体後端まで伸ばされている。特段、マフラー等は設けられていない模様。
  • 左右スポンソン上部に並んでいるグリルには防弾板が取り付けられる。
  • 操縦手用バイザーは装備。前照灯は無し。
  • ほか、無線機を増設?

塗装は、上記「後期(2)」よりももっと大ぶりなパターンの2色迷彩(ただし、後期(2)の迷彩に近いパターンに見える不鮮明な写真もある)。砲塔左面に、「NORMANDIE」時代よりももっとずっと小ぶりな盾章。しかし、本来ロレーヌ地方の旗/盾章は、黄色時に斜めに赤帯、帯の中に3つの鷲章のはずなのだが、写真に写っている盾章は別のデザインに見える。謎。シャーシ前端中央に「LORRAINE」の車輛名。

wikipediaの解説には、「1939年11月15日から12月15日の間」に、97号車は「実験的に追加装甲を施された」とあり、これが上記の改修を指すらしい。

▼最終状態

僚車と共に鉄道輸送状態のまま爆破処分となる。この時には、上記「後期(3)」時期に実施された改修のうち、エンジンルーム上部のかさ上げ部分は撤去されているようだが、その他の、各部の増加装甲、車体後端まで延長された排気管はそのまま。これら、97号車のみの特徴は下の写真でも確認できる(wikimedia commons, File:Char2C 97.jpg

Char2c_97

損傷が激しく、側面装甲は左右とも大穴が開いている。車体左右前端の車輛番号「97」以外のマーキングや塗装の詳細はよくわからない。左面の写真も存在するのだが、砲塔左面の盾章はボンヤリあるような、ないような……。砲塔リング部の車輛銘板も脱落しているように見える。

車輛の前面(特に戦闘室前面、主砲塔前面)は、進駐してきたドイツ軍が標的にしたようで、多数かつ大小の弾痕に覆われている。標的にされた後の写真では操縦手バイザーがヒンジごとないが(車体機銃もないが)、char-francois.netに掲載されていた、鹵獲直後で標的にされる前の写真では両方とも存在が確認できる。ただし、その写真でも前照灯は(支持架ごと)付いていない。

以下はサイト「world war photo」掲載写真へのリンク。

  • 09/50:左前方から。前面の弾痕が痛々しい。側面前端の車番は極かすかに見える。
  • 39/50:撮影条件(立体交差の鉄橋下)が似ているので、上の09と同じ時に撮ったものか。排気管の取り回し変更、側面グリルを塞いだ改造が判る。
  • 41/50:上の39と一連の写真。側面グリルの防弾板はやや隙間を設けているらしい。左側排気管は途中で途切れているが、本来は車体後端まである(おそらく爆破時に欠落)。
  • 47/50:やはり同じ時の撮影か。ドイツ軍に滅多撃ちされた前面。標準では工具箱がある前部天井の仕様違いが判る。

●8号車→98号車 ベリー(BERRY)

▼初期

一桁番号時代(1936年夏以前、第551連隊所属時代)の写真は何枚か存在。下写真はwikimedia commons、File:Issy-les-Moulineaux 31-3-28 manoeuvres de chars- Agence Rol 03.jpg。この写真から読み取れる状態は、

  • 基本、車体の細部ディテールは標準仕様と思われる。
  • ただし、エンジンルーム後部のロッドアンテナが、途中で太さが変わる二段構成になっているのはこの車輛独特?
  • 塗装は単色、スポンソン前端に車輛番号「8」。それだけでなく、シャーシ前面にも番号が記入されているようで、これは他車輛では確認できないマーキングの仕様。

Issylesmoulineaux_31328_manoeuvres_de_ch

他の同時期の写真で見る状態もおおよそ同じだが、角度的にシャーシ前面まで写っているのは(私が知る限りでは)上の1枚だけで、前面の「8」が常に書かれていたか、また車輛名も同時に書かれていたかは定かではない。

操縦手バイザーが付いていたかどうか確認できる写真無し。スカートは装着している写真が多いが、装着していない写真もある。

また、車庫あるいは工場内と思われる場所で写された、ほぼ同時期と思われる写真が1枚あり、その写真では主砲塔が外されて車体の前に置かれており、その砲塔の右前部にも車輛番号「8」が書かれている。ちなみに、砲塔に車輛番号が書かれている事例は、この8号車→98号車以外には見当たらない。

▼後期

車番が「98」に変わり(1936年以降)、かつ「生きている」写真は、私の手元には1枚のみ。

だいぶ不鮮明な写真で、しかもスポンソン部にはべったり汚れの雨だれ模様がついているので、塗装は「う~ん、単色、かなあ?」くらいにしか判らない。スポンソン前端部に「98」の車番。砲塔リング部には(文字は写真が不鮮明で読み取れないものの)車輛銘板。左側、やや後方から撮った写真なので、車両の前面に番号または車輛名が書かれていたかどうかは判らない。砲塔に地方の盾形紋章が書かれているかどうかも(反射していて)よく判らず。

その1枚の写真に関する限りでは、スカート付き。誘導輪基部先端のカバー?は写真が黒く潰れていて確認できず。

無線機が換装されたのか、ロッドアンテナは見当たらず、エンジンルーム左側に沿って3本の柱。おそらく上端にアンテナ線を張り渡しているのではと思う。

▼最終状態

僚車と共に鉄道輸送状態のまま爆破処分。スポンソン前部の左右とも大穴が開いているのは「97」号車同様だが、変形はさらに激しく、鉄道輸送状態で爆破処分された6両中、おそらく最も大きく破損している。

車輛の仕様はおおよそ標準だが、エンジンルーム後部にロッドアンテナの基部は見えない。上記でアンテナ形態が変更されてから戻されていなかった可能性がありそう。左側誘導輪基部前端には箱型カバーあり。右はないが、爆破時に脱落したか?

スカートは左右とも後半は装着、前半がないが、前半部は車体の変形も激しいので、爆破時に脱落したものと考えられる。

塗装は単色ではないかと思うが確証なし。スポンソン前端、誘導輪基部の標準位置に「98」の車輛番号。前面の写真は手元にないので、車体前面の車輛名や、初期にあった車番の記入等は確認できず。当然、操縦手バイザーフラップの有無も確認できず。

非常に興味深いのが、主砲塔にも大小2種の「8」の数字が書き込まれているらしいこと。かなりかすれて見づらいものの、右面は前部に小さく、後部には上下幅いっぱいに大きく書かれている。左面は2種の数字が隣り合って、両方とも装甲の継ぎ目よりも前に書かれている(小数字が前、大数字が後ろ)。左面の数字は写真によっては見えづらく、char-francois.net掲載の写真では確認できなかったが、world war photoのこの写真では何とか確認できる。

前述のように“かすれ”が激しいが、もともとはっきり書かれていたものが炎上で消えかけたのか、あるいは炎上の結果塗り潰されていた数字が再び浮き上がってきたのか、その辺はよく判らない。主砲塔左側面にも大きな白い菱形のような、何かしらマーキングの痕跡のようなものも見えるが、実際にマーキングなのか、単に塗料が焼け焦げた結果なのか、これもよく判らない。

以下、「world war photo」掲載写真へのリンク。

  • 07/50:左前から。激しい損傷具合が判る。誘導輪基部先端のカバー?がある。
  • 18/50:上記解説文中にリンクを張ったもの。左からのクローズアップ。
  • 42/50:右から。戦闘室床面も失われていて、車体が折れそうな損傷。
  • 43/50:右前から。実際既に車体前部と後部では角度が違っているのが判る。こちら側には誘導輪基部のカバー?がない。

●9号車→99号車 シャンパーニュ(CHAMPAGNE)

▼初期

1920年代半ば、9号車のみ、155mm榴弾砲装備の“突撃戦車”仕様、2Cbisに改造された。

主砲は、日本語版wikipediaによればシュナイダー115C 1917年式を元にしたもの、とのことなのだが、2Cbisの搭載砲は非常に肉厚で太短く、シュナイダー115Cとは似ても似つかない形状で「ホンマかいな」という感じ。なお、英語版、仏語版wikipediaにはシュナイダー115Cを元にしたという記述はないようだ。

砲塔は上半分が鏡餅のような独特の鋳造のもの。キューポラは主砲塔と独立して、砲塔の後ろに置かれているらしい。車体側はあまり大きな差異はないようだが、車体銃は除かれているようだ。

写真は、私の手元には斜め右前方、右側方からの不鮮明な2枚があるだけだが、それで確認できる範囲では、塗装はおそらく単色。目立つマーキングは特にないが、車体前端の楕円のメーカー銘板が三色旗に塗り分けられているようだ。

2Cbis仕様への改装はあくまで試験的なもので、後に標準仕様に戻されている。ただ、一桁番号が記入された標準仕様の9号車の写真は、少なくとも私は見たことがない。

▼後期

車番が「99」に変わり(1936年以降)、かつ貨車に積載された放棄/鹵獲状態でない写真は、char-francois.netには2枚。片方は、スポンソン部に雨垂れ状の汚れが激しいので確言は出来ないが、単色塗装に見える。もう片方は最終状態の放棄時と同じ2色迷彩。

前者は車輛から見て左前方から写したもので、側部先端に「99」の車番、砲塔下リング部横に暗色地に白文字の車輛銘板。車体前面は写っていないので、マーキングの有無は不明。砲塔に紋章等は確認できない。

後者は路上?に停車した状態で、右やや前から写されたもの。前述のように、ちょっと前衛芸術っぽい入り組んだ塗分けの2色迷彩で、パターンも鹵獲時と同一。側部先端に「99」の車番。左面や車輛前部は写っていないのでマーキングの有無は不明。周りに人の姿もないので、実際にはフランス軍の下にある時のものか、ドイツに鹵獲された後なのか、いまひとつよく判らないが、後述の、スポンソン部のドイツ軍によって書かれた文字が見当たらないので、一応、フランス軍時代の写真と判断した。

ともに操縦手用バイザーの有無も確認できないが、少なくとも後者は、40年6月の放棄時と極めて近い状態なので、バイザーは付いていたはず。この2枚の写真とも、前面装甲中央の前照灯は支持架ごと未装着、かつスカートも装着していない。誘導輪基部先端のカバー?も無し。

▼最終状態

僚車同様、鉄道輸送状態のまま爆破処分されるはずが、爆破に失敗してほぼ無傷でドイツ軍に鹵獲される。そのため、残されている写真も多い。下写真はwikimedia commons、File:Char2C 99 01 res.jpgPhrontis

Char2c_99_01_res

この時の塗装とマーキング、車輛細部の仕様は、

・ちょっと前衛芸術っぽい入り組んだ塗分けの2色迷彩。比較的明るめに見えるので、MENGキットの「93号車」の塗装指示にある、グリーン/ベージュ系の迷彩か。上方から写した写真を見ると、この2色の塗り分けはエンジンルーム上のマフラーでも確認できるので、このマフラーが、焼けた赤錆状態にはなっていないことがわかる(塗装からあまり時間が経っていないせいもあるかもしれないが、そもそもこのマフラーはあまり高熱にはならないのかもしれない)。

・側部前方に「99」の車番。近くからはっきり写した写真を見ると、右下方向に向かって細くシャドウを入れて数字を目立たせている。

・砲塔下リング部、左側面に車輛銘板。極めて見づらいが、白縁に暗色の地色、それに地色より少しだけ明るめの文字で「CHAMPAGNE」と書かれているらしい。あるいは白地に車輛名が書かれていたものを、暗色で塗り潰した(そしてうっすら車輛名が見える)という可能性もあるかもしれない。白縁部分がガタガタなので、他の車輛のように銘板が付けられているのではなく、車両本体に直接書き込んでいることも考えられる(銘板が浮き上がって歪んでいるという可能性もあるか?)。

・砲塔に地方紋章等の記入は無し。

・車体正面は貨車との接続等できっちり写った写真は無く、全体像が確認できない。ただし、操縦手用バイザーが付いていること、少なくとも操縦手バイザー下には車輛名の記入がないことは確認できる。

・主砲塔、副砲塔のキューポラのドーム状天井には同心円状の塗り分けがある。フランス国籍マークのコケイドに塗られている可能性がありそうだが、白部分が1/3幅には見えないのもちょっと気になる。なお、副砲塔のキューポラは装着したままだが、主砲塔のキューポラは橋下などの通過時に引っかかるのを防ぐために取り外してエンジンルーム上に置かれている。

・誘導輪位置調整装置部の延長(カバー?)もなく、キットが表現している状態ほぼそのままの仕様。スカートは左右ともフルで装着。

・エンジンルーム左後方のアンテナ基部がキットパーツに比べて背が低く写っている写真があるが、これは蛇腹部が破損したものか?(背が高い、キットと同仕様らしい状態で写っている写真もある)。

・ドイツ軍により、両側面に「Erbeutet Pz.Rgt.10」(第10戦車連隊により捕獲、の意味か)とデカデカと書かれている(右側面のみ、10の後にスワスチカ)。迷彩よりも暗色だが、写真によってはコントラストが弱く見えづらいので、黒文字ではないのではと思う。

「world war photos」上の写真。かなり多数ある。

  • 03/50:左前から。比較的鮮明な写真で、ドイツ軍による書き込みもくっきり。
  • 05/50:左前、やや高い位置から。2Cの写真としては割と有名なもの。車体の迷彩が明瞭。
  • 06/50:左斜め後ろから。この写真ではドイツ軍の書き込みのコントラストが弱く見える。
  • 08/50:左斜め前から。
  • 10/50:左斜め後ろから。
  • 12/50:左から。主砲塔のキューポラがマフラー間に置かれているのが判る。
  • 13/50:前方、やや左から。
  • 17/50:左やや前方から。鹵獲後だが側面の書き込みが見えない。書き込まれる前の撮影か。
  • 20/50:左前方から。
  • 23/50:左やや上から。キューポラの同心円状塗り分けが判る。
  • 24/50:左前上から。全体ではないものの上面が判る貴重な写真。マフラーの迷彩も判る。
  • 25/50:左後ろから。
  • 27/50:珍しく右前から。
  • 33/50:左前上から、No.24よりさらに広範囲。キューポラの塗り分け、マフラーの迷彩が明瞭。
  • 36/50:左前から。やや遠景かつやや不鮮明。
  • 38/50:左前から車体のみ。あまり質の高い写真ではないが、車番のシャドウがはっきり判る。

●10号車→90号車 ポワトゥー(POITOU)

90番台になったらいきなり初号車みたいになってしまったが、本来は最終号車。

▼初期

車番「10」時代の写真は、char-francois.netにもworld war photosにもない。

▼後期

車番が「90」に変わり(1936年以降)、かつフランス軍の下にあって「生きている」写真は大別して2種。

ひとつは帯状?に2色迷彩が施され、車体前端のメーカー銘板?の下に車輛名「POITOU」、その下に小さく三色旗が書かれたもの。この状態の写真は数枚あるが、車両を左側から写したものはなく、砲塔のマーキング、その下の銘板の有無については確認できず。ただし、下記のドクロマークは「ぶっちがい骨(crossbones)」の端がほとんど防盾横の照準窓に接するくらいなのだが、この迷彩時で、わずかに左面が見えている写真では、それが見えない。ドクロマークは未記入と考えてよさそう。

おおよそ、キットが表現している仕様に近いが、誘導輪基部先端には箱型カバーが付いている。スカートは未装着。操縦手用バイザーはすでに付いている。前面装甲板中央の前照灯は支持架のみでライト自体は無し。

もうひとつは全面緑色単色で砲塔左面に大きく、海賊旗風のドクロが描かれたもの(つまりキットの指定塗装B)なのだが、これは写真が明らかに人工着色で、マーキングはともかく、車体の塗装はちょっとアテにならない。この塗装で車体前端に車輛名が書かれていたかは、車輛の前に立つ戦車兵に隠れて確認できない。砲塔下リング部の車輛銘板は、暗色に白文字らしいが、少なくとも手元の着色写真では銘板の地色もグリーンに塗られている。

こちらも誘導輪基部先端には箱型カバーが付いており、スカートは未装着。操縦手用バイザーの有無は確認できず。前面装甲板中央の前照灯は支持架のみでライト自体は無し。

上の迷彩の時期と、このドクロ付きの時期のどちらが先かもよく判らない。ただし、下記のように放棄後にドクロマークがわかる写真もあるので、「ドクロ付き」が時期的に後か。

▼最終状態

僚車とともに、鉄道輸送状態で爆破処分。炎上したと思われる痕跡は認められるものの、「99」以外の爆破処分車輛に比べ表面上の破損は軽度で、左右とも側面装甲に大穴は開いていない。塗装及びディテールは――

・前述のように爆破処理の際に炎上したようで、車輛全面が塗装とは考えづらいまだら模様になっており、単色塗装だったのか、迷彩塗装だったのかも判別しづらい。側面前端には僚車同様、白で「90」の車番。

・砲塔下左側面の銘板は、上記「後期」の着色写真と違い、明色の字に暗色の文字。

・不思議なのは、ほとんどの写真で砲塔はマーキング無しに見えるにもかかわらず、かなり剥げかけではあるものの、明瞭に上記「後期」で書かれていた砲塔左面の大きなドクロマークが残っている写真があること(この写真はchar-francois.netにあったものなので、下リンクには入っていない)。爆破放棄直後は、ボロボロの剥げかけながら残っていたものが、その後しばらくですっかり剥がれてしまったのか? あるいは塗り潰されていたマーキングが逆に浮かび上がってきたのか?

・車体前面~砲塔前面に、ドイツ軍が標的にした弾痕複数。とはいえ、「97」号車のように大小の弾痕がびっしりという感じではなく、同一口径の砲(3.7cm?)の弾痕が7カ所ほど。一発は砲身先端に当たっており、砲口右側が破損欠落している(接収時に砲口が破損しているのはこの「90」号車のみ)。

・上記「後期」同様、おおよそキットの仕様だが、誘導輪基部先端には箱型カバー付き。スカートは無し。

「world war photos」上の写真。

  • 26/50:前方より。ドイツ軍に標的にされた弾痕は、他車輛同様白塗料で囲われている。
  • 28/50:右後方より。車輛番号は確認しづらいが、車体の破損状態は軽微な一方、砲口が破損しているように見えるので、おそらく90号車。
  • 30/50:右前方から。
  • 34/50:右前方から。やや遠くからの撮影、かつ不鮮明。
  • 40/50:左前方から。車番は見づらいが弾痕で90号車と判別できる。
  • 46/50:戦闘室/砲塔前面クローズアップ。砲口部合わせ7カ所の弾痕が確認できる。
  • 48/50:同上。

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FCM 2Cのディテール・メモ(前編)

●前回キットレビューの続き。FCM 2Cを作るにあたっての、ディテールに関するメモ。

実車についてはwikipediaにそこそこ詳しい記事が出ているが、とりあえず簡単におさらいしておくと、

  • 第一次世界大戦中に開発が始まるが、政治的・技術的問題がいろいろあって完成は大戦後。
  • ポルシェ・ティーガーに20年以上先立つガス・エレクトリック方式の駆動系(第一次大戦中に実用化されたサン・シャモン突撃戦車も同方式)。
  • 適切な発動機の選定に手間取るが、賠償で得たドイツ・マイバッハ製エンジン(飛行船用)を得てようやく実用化。
  • 10両だけ生産されるも、実用性は低く、主にプロパガンダに利用される。
  • 第二次世界大戦勃発にあたっては、部隊配備はされるものの実戦参加は無理と判断され、ドイツ軍に鹵獲されるのを防ぐため後方への移動(撤退)が決定される。が、鉄道輸送中に立ち往生し爆破処理(それ以前に鉄道駅までもたどり着けず処分された車両もあり)。
  • 開発・生産は、もともと造船所であるFCM社(Forges et Chantiers de la Méditerranée:地中海鉄工・造船所)。同社は日清戦争で使われた三景艦のうち「松島」「厳島」も作っている(「松島」は日清戦争時の連合艦隊旗艦)。

といった感じ。

一応、試作車1両、量産車9両ということになっているが、ほぼ全車並行して製作されていたので、いわば全部試作車のようなもの。戦間期を通して個別に細かな改修も行われたりしたようで、個体差(時期差)もそこそこある。

生産された10両は1~10の車輛番号が振られたが、これは後に(wikipediaによれば1936年夏)、90番台の新番号に変更された。この際、一桁目をそのまま継承したため、旧10号車が、新番号では最も若い番号の90号車になってしまっている。また、各車両にはフランスの地方(旧地域圏または州)に由来する固有名が付けられている。

  • 1号車→91号車 プロヴァンス(PROVENCE)
  • 2号車→92号車 ピカルディ(PICARDIE)
  • 3号車→93号車 アルザス(ALSACE)
  • 4号車→94号車 ブルターニュ(BRETAGNE)
  • 5号車→95号車 トゥーレーヌ(TOURAINE)
  • 6号車→96号車 アンジュー(ANJOU)
  • 7号車→97号車 ノルマンディ(NORMANDIE)→ロレーヌ(LORRAINE)※1939年に改称
  • 8号車→98号車 ベリー(BERRY)
  • 9号車→99号車 シャンパーニュ(CHAMPAGNE)
  • 10号車→90号車 ポワトゥー(POITOU)

以下、個別の特徴など。

なお、残された写真は、1940年に爆破放棄された時のものを除くと「*年*月撮影」といった詳細が判るものは少なく、相対的に「これのほうが古いかな?こっちが新しそう」くらいしか判らない場合が多い。一応、上記のように「番号が一桁か、二桁か」で、1936年以前・以後は分けられるが、以下の「初期」とか「後期」とかいった記述も、「だいたいそんなもの」程度でしかないことはご了承いただきたい。

本当は、手元にある写真を全部ここに貼り付けられれば説明が楽なんだけどなあ。

●1号車→91号車 プロヴァンス(PROVENCE)

▼極初期?

車体中央のエンジンルーム左右に、排気管取り出しの突出部がない写真がある。おそらく、これが初期形態。2Cは最終的にマイバッハのエンジンに落ち着くまでに何度かのエンジン換装を経ているので、マイバッハ以前のエンジン搭載時の形態か。この状態の写真では、エンジンルーム上左右に柵状のアンテナ?を装着。中央に大型のリールを搭載(通信ケーブルか?)。標準型では塞がれてハッチが設けられた、エンジンルーム上面後部も通風孔のまま?

なお、この仕様の場合、排気管はどこに出ているのかよく判らない。エンジンルーム最前部に、小ぶりな筒状のパーツが縦に2つ並んでいるのが確認できるので、これがマフラーかもしれない。

なお、当初は車体銃が搭載されていなかったようで、前面銃架部分は丸いパッチで塞がれている。操縦手用バイザーフラップ、前照灯無し。前方のやや遠くから撮られた1枚を見ると、シャーシ前面の製造メーカー銘板と思われる楕円のプレートが付いていないようにも見える。

▼初期

エンジンルーム左右に突出部を設けて排気管を出し、エンジンルーム上にマフラーを置いた標準形態に改修。誘導輪位置調整装置部分に車輛番号「1」を白で記入。車輛番号「91」に変更後も、エンジンルーム上に柵状のアンテナ(?)が確認できる写真があるので、車輛番号「1」時代は一貫して柵状アンテナ装備か。

▼後期

車輛番号「91」に変更。それからあまり間もない時期と思われる写真では、柵状アンテナ(?)装備、砲塔リング左側に「PROVENCE」の銘板。車体銃は当初はまだ装備していない模様。前面装甲板左右のコの字金具に、何か長方体のものが差し込まれている様子の写真あり。またこの時期、ごく大雑把に水平方向に塗り分けた迷彩が施されているようにも見える。

車輛番号変更以来?、誘導輪位置調整装置部分先端に箱型カバーを装着。これは最期の爆破処分時の写真でも確認できる。

▼最終状態

1940年6月半ば、ムーズ駅近くの鉄路上で積載状態のまま爆破処分。エンジンルーム上の柵状のアンテナは、少なくともそのしばらく前から装備していない。この時には、スポンソン部および車体前面の車体機銃は装備。操縦手用装甲バイザ―フラップも完備。車体前面中央の前照灯はフタ付き。

爆破処分による損傷は特に車体右前方で大きいが、放棄から間もないと思われる写真では、変形はしているものの装甲板はそのまま。ただし、しばらく後の写真では右前部のパネル2枚分が失われ、大きな穴が開いている。

極初期から最期に至るまで、私が確認できた写真では一貫してスカートを装着。最期のみ、爆破変形した右前半のスカートが脱落している。

●2号車→92号車 ピカルディ(PICARDIE)

▼初期

エンジンルーム上にマフラーを置いた標準形態。誘導輪位置調整装置先端も、キットと同様の状態に見える。

誘導輪位置調整装置部分に車輛番号「2」を記入。記入された車輛番号「2」が白字の写真と、濃色(黒?赤?)の写真とがある。車輛番号が未記入に見える写真もあるが、写真写りの問題で、暗色の番号が見えないだけの可能性もあるかもしれない。

この時期に砲塔リング左の銘板は認められない。

1号車のような柵状アンテナ装備状態の写真はないが、一方で、ロッドアンテナの基部も見当たらないような……。

▼後期

車輛番号「92」が記入され、かつ「活きている」状態の写真は、私の手元には1枚のみ。車体前半しか写っていないので情報量は多くないが、おそらく塗装は単色。スカートが装着されている。

▼最終状態

路上に放置。wikipediaの解説によれば、撤退のため鉄道駅に移動中、ピエンヌ(Piennes:地名)で電気系統の故障のため脱落、その後爆破処理された由。残された写真では、外部に大きな損傷は認められない。スカートは未装着、車体後部に尾橇が付けられている。車体前端の牽引具にはピン(ボルト?)が差し込まれている。エンジンルーム後部に、ロッドアンテナの基部は無いように見受けられる。

上時期同様に、誘導輪位置調整装置部分に白数字の「92」、砲塔リング左の銘板は付けられていない様子。

車体色は汚れているのか焦げているのか、かなりまだら模様になっていて、単色なのか迷彩なのか、ちょっと判別しづらい感じ。斜め前から撮った写真を見ると、シャーシ前面の製造メーカー銘板は、車体色で塗り潰されているように見える。

●3号車→93号車 アルザス(ALSACE)

Char2cpainting8 ▼初期

初期(1936年夏以前、第551連隊所属時代)のものと思われる写真には、

  1. おそらく単色塗装で、誘導輪位置調整装置部分に白数字の「3」(くっきり)。砲塔リング部左に白塗り黒文字?の「ALSACE」の銘板、エンジンルーム上は標準配置。掲示の写真はこの状態(wikimedia commons、File:Char2Cpainting8.JPG)。色は人工着色なのでアテにならない。
  2. 誘導輪位置調整装置部分に白数字の「3」(かすれて消えかけ)、少なくとも砲塔部を見ると、第一次大戦中のような複雑な迷彩塗装。エンジンルーム上はなぜか左側から取り回した排気管が繋がる後部マフラーのみ(写真の修整じゃないだろうなあ)。エンジンルーム横に柵状アンテナ。また、左側面に、おそらく車体上部に上るときに使うのだと思われるハシゴがぶら下げられている。
  3. おそらく単色塗装で、誘導輪位置調整装置部分に車輛番号確認できず。砲塔リング部左に白塗り黒文字?の「ALSACE」の銘板、エンジンルーム上は標準配置。

――の3種の状態が確認できる。いずれの写真でもスカートは完備。どれが古くてどれが新しいのかよく判らないが、エンジンルーム上のレイアウトが異なる2番目がより初期の状態と考えるのが妥当か?

▼後期

1936年夏以降のある時点で、コントラストと塗り分けラインが明瞭な2色迷彩が施される。誘導輪位置調整装置部分に白数字の「93」、砲塔リング部左に「ALSACE」の銘板。砲塔左面には大きく地域圏の盾形紋章。パレードか、何かのイベント時の「お化粧」だったらしく、ロッドアンテナ先端から前後砲塔に向けて綱を張り(前方は主砲、後方はよくわからないが、副砲塔の機銃か)、大量のフランス国旗の小旗を飾っている。キットの指定塗装/デカール3種のうちの1種に選ばれているのがこの状態(ただしデカールに小旗の飾りは付いていない)。スカートは装着していない。

もう一枚、1936年以降の冬に撮られたと思しき正面からの写真がある。塗装は暗色の単色塗装に見えるが、周りが雪なので暗く潰れている可能性もある。シャーシ正面に白字で「ALSACE」の車輛名。前照灯、操縦手用バイザーフラップ付き。シャーシ前面のメーカー銘板は、付いていないか、あるいは車体色で塗り潰されているか。角度的に、砲塔リング部の銘板や誘導輪位置調整装置部分の車輛番号、砲塔側面の紋章の有無は確認できない。スカートの有無も確認できない(内側は角度的には見えていても良いのだが、陰になっていて判別不能)。

▼最終状態

1940年6月半ば、ムーズ駅近くの鉄路上で積載状態のまま爆破処分。

91号車同様、爆破による損傷は特に車体右前方で大きいが、これまた、一部破損はあるものの装甲板が揃っていて履帯の脱落もない写真と、装甲板が外れ履帯も切れて垂れ下がっている写真と、2種の状態の写真がある。爆破処分された車両に対し、改めてドイツ軍が爆破なり攻撃なりしたのか?

スカートは未装着。また、この時の93号車は、誘導輪位置調整装置先端に半月状のパーツが見える。標準形態と違うというより、誘導輪を再前方に振ったために、通常は見えていない部分は見えている、ということかもしれない。

塗装は基本、薄汚れているのか、爆破時に炎上して焼け焦げているのか、むらのある単色塗装にも見えるのだが、写りのよい写真の中に、砲塔のアルザス地方の盾形紋章と、上と同じ迷彩模様がうっすら見えるものがある。砲塔リング部左の銘板も、薄汚れて(あるいは字が消えかけて)見づらいが付いている。

誘導輪位置調整装置部分の車輛番号「93」は、右側は焦げたか汚れたかで、左上部に向けてやや消えかけ。左側ははっきり綺麗に見える。それに対し、砲塔の盾形紋章はほとんど消えかけている感じで、もちろん焦げたり汚れたりしているのかもしれないが、もともとプロパガンダ用に描かれたものを、実戦使用としては目立ちすぎるので消そうとした(そして消え残った)可能性もあるかもしれない。

不思議なのは迷彩塗装で、パターンがはっきりわかる部分で比較して、上の「後期」の項に書いた迷彩塗装と同一なのは判るが、それにしてはコントラストが近くて判りづらい。単なる写真の質の問題なのか、あるいは上記の塗装から数年経って、もともと“儀式用”に落ちやすい塗料で臨時に施されたために剥がれたり褪せたりしたのか。いろいろ可能性は考えられるものの、真相は不明。

●4号車→94号車 ブルターニュ(BRETAGNE)

▼初期

1936年夏以前、第551連隊所属時代の車番「4」時代の写真では、その車番が白数字のものと、黒(?)数字のものとがある。エンジンルーム上部、誘導輪位置調整装置部分前端は標準(キットと同じ)状態。スカート完備。

▼後期

車輛番号が「94」に変更になって以降、演習中なのか、池か濠を渡ったり、歩兵が随伴して走行中だったりという(おそらく一連の)写真が何枚か残されている。車輛のディテール的にはおおよそ初期と変わりがないが、誘導輪位置調整装置前端に箱型カバーが追加されており、初期の写真では確認できなかったロッドアンテナが付けられている。また、尾橇を装着している。スカートは変わらず完備。

塗装は暗色の、おそらく単色塗装。誘導輪位置調整装置部分に白数字で「94」。砲塔に大きくブルターニュ地方の盾形紋章。砲塔リング部左に、白地に暗色文字で「BRETAGNE」の銘板。

正面から写した、おそらくこの時期のものと思われる写真を見ると、戦闘室前面左右のコの字金具は右側のみで、長方形の物体が差し込まれている(もしかしたらジャッキ?)。車輛名「BRETAGNE」の記入位置は、93号車「ALSACE」と異なり、戦闘室前面の操縦手バイザー下に小さなフランス国旗マーク付きで書かれている。また、シャーシ前面の製造メーカー銘板は車体とは明らかに異なる明色。真鍮色の可能性もあるかも。

▼最終状態

(少なくとも私の手元には)1940年戦役時の94号車の最期を示すような写真は1枚もない。wikipediaの解説によれば、94号車と96号車は、1939年10月以降予備車に回され、僚車の稼働状態維持のための部品取りに使われて、部隊配備から外されていたらしい。

●5号車→95号車 トゥーレーヌ(TOURAINE)

▼初期

一桁番号時代の写真は確認できない。

▼後期

番号の隣り合った94号車「ブルターニュ」に近い仕様と塗装。おそらく暗色の単色塗装で、誘導輪位置調整装置部分に白数字で「95」。一部の写真では、左側面の「95」の5の字が消えかけている。砲塔に大きくトゥーレーヌ地方の盾形紋章(描かれていない写真もある)。砲塔リング部左に「TOURAINE」の銘板(文字は暗色、銘板の地色は明色だが、金属光沢のようにも見える)。誘導輪位置調整装置前端に箱型カバー付き。エンジンルーム後方に、ロッドアンテナを装備。ただしスカートは未装着。94号車と違い、この時期に撮られた写真では尾橇は装備していない。

この95号車「トゥーレーヌ」だけの独自装備が、砲塔前上部、主砲防盾の左右に追加された、ライト装着用と思われるY字のステイ(戦闘室前面中央の前照灯用ステイと似た形状のもの)。ただし、ライトそのものは付けられていない。なお、そのステイは正面を向いておらず、砲塔の取付面に沿う形で左右に斜めに振られている。シャーシ前面のメーカー銘板は明色。

右後方車体ハッチ上に、雨どいのようなものが付けられている写真がある(左側面ハッチ上には確認できない)。これも「トゥーレーヌ」のみに見られるもの。

▼最終状態

1940年のドイツ軍侵攻開始時点で、95号車は故障しており部隊の集結・待機場所にも行けず、メリ=マンヴィル(Mairy-Mainville:地名)の路上でスタック、修理中。結局最後まで動けず、同地で爆破放棄された。

その後の写真を見ると、おそらくエンジンルーム上面パネルは取り外されていて、車外にエンジンその他が散乱している。

戦車本体は尾橇付き、スカートを装着。主砲塔に簡易クレーンが装着されており、これで、砲塔横の四角い穴がクレーン基部を取り付けるために使われているのが確認できる。「独自装備」の砲塔のライト(?)ステイはこの時も付いている。右後方車体ハッチ上の雨どいのようなものも、この時点でも付いているのが確認できる。放棄後の左側面写真は無く、左ハッチにも付いていたかは不明。

砲塔左側面には、ごくうっすらと地方の盾形紋章が見えており、薄く塗り潰されたものが見えているか、あるいは消し残ったものかと思われる。

●長くなったので今回はここまで。

 

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Char 2C MENG 1:35(の突発的レビュー)

Img20240803231341 ●突然思い立って、MENG社、1:35のシャール2C(FCM 2C)を組んでみたので、そのレビュー。

私の好きなフランス軍AFV、しかもこんな珍車両をインジェクションキット化した、というだけで「いつかは買わねばならん」と思っていて、結局、しばらく前にとうとう購入したのだが、買っただけである程度満足してしまって積んであったもの。

とにかくこの戦車に関しては、「でかい・珍しい・ポンコツ」と、ほとんど外連味しかないうえに、キットはモールドもシャープで、組立に変なトラップもない。そのため、ネット上でこのキットのレビューや製作記を漁っても、おおよそは「こんなキットが出たんだぜ! てぇてぇ!」みたいな感じのものばかりだった。私が見た範囲内では、唯一、track-linkの掲示板での議論で、サスペンション部分の表現が簡略化されてレリーフ調になっていることが指摘されていた程度。

実際、私も最初は特に何も考えずにパタパタ組んでしまったのだが、組んでいるうち、若干気になるところも出てきたので、そのへんをちょっとだけ突っ込んでみたい。前述のように、他にはあまりこのキットについて「ディテールがどうのこうの」なんて言っている記事は少ないようなので、そのへんが気になる人には手掛かりにして頂きたい。

……もっとも、このキットも発売されてかれこれ10年経つし、こういうアイテムを前のめり姿勢で作ろうという人は、もうとっくに作ってしまっていそう。

●「模型としての出来(モールドやはめ合わせ)」は前述のようにしっかりしているので、ストレートに作るのであれば、組立自体はあまり大きな問題はなく進む。おおよそ形になった状態が下の写真。

Img20240803231553 Img20240803231732

宮崎アニメ感たっぷりというか何というか。

Img20240703012329 ただ、「説明書通りにパタパタと組んでいく」だけにしても、ムカデ並みに多い転輪にはさすがに閉口する。片側37個(加えてほぼ同形の上部転輪4個)って、なんだそりゃ……。

さらに、これは私が入手したキットだけの問題かもしれないが、エンジンルーム上部(スライド型で一体成型されたワク状の大きなパーツ)の片側側面に若干の反りが出ていた。これに関しては、車体上部に強制接着することで反りを修正した。

また、一部僅かに隙間などできる部分、組立づらい部分もあったが、それらについては後述する。

●で、気になった点をいくつか。もっとも、私自身、この車輛について詳しいまとまった資料など持っているわけでもなく、ネット上で拾い集めた写真等で気づいた点をポツポツ書いているだけなので、あくまで参考程度にどうぞ。

Img202408032317322 Img202408032316532

上記写真の丸番号に対応する形で挙げていくことにする。なお、内容は

  • 組立上で気になったところ
  • ディテール上で気になったところ

の2種があるので、それぞれ下記説明では文頭番号を色分けで示した。

Img20240805144133 主砲塔・副砲塔の両側面には、四角い窪みがある。実車写真を見るに、簡易クレーンの装着部らしいのだが、側面の乗降ハッチ上部の小窓とも形状が似ているので、もしかしたらピストルポートか視察口と兼用かも。いずれにしても、キットは砲塔の大きさに合わせて(?)、主砲塔のもののほうが大きいのだが、実車では主砲塔・副砲塔とも同じ大きさのようだ。というわけで、主砲塔側の窪みはプラ片で三方から狭めた。

なお、番号では示さなかったが、主砲塔・副砲塔とも、スライド型を使ってリベットを潰さないように一体成型されており、そのため、周囲それぞれ4カ所に型の分割線がある。ごく薄いが、丁寧に消しておきたい。

 縦スリットが細かく並べられた「ストロボスコープ式」キューポラは、そのスリットをモールドするために、筒部が上下分割されていて、スリット上辺に沿って接合線が目立つ。実車はたぶんそんな溝はないと思うので、若干やっつけ仕事ながら埋めてヤスった。そもそもこのスリット自体、実車はもっと細くて目立たないかも。左:before、右:after。

Img20240803231914 Img20240806215603

 エンジンルーム上面は別パーツだが、四周のワクのパーツより僅かに短く、そのままだと隙間ができる。前端に薄いプラバンを挟んで隙間が出ないようにした(⑥下に載せた写真の黄色い部分)。

 エンジンルーム側面と上面を繋ぐ細パイプ類は細いので破損注意(私は2本折った)。面倒臭がりで無い方は、金属線などで作り替えるのもいいと思う。また、説明書では一緒に図示されているが、側面外側のカバー(Q、R、T、U)は、細パイプ類の後に取り付けるべき。私は先にカバーを付けてしまい、あとから細パイプ類を付けるのにちょっと苦労した。

 マフラーの側面は、キットのままだとちょっと太めの縁取りがあるが、実車では普通にドラム缶とか飲料のスチール缶風。一度組んだ後にくりぬいて作り直した。

 マフラーからは、キットでは何やらフタ状のもの(C5)が飛び出た構成になっているが、実車写真を見ると、どうやら普通に排気口らしいし、形状もちょっと違うので作り直した。下写真は④~⑥について、左:before、右:after。

Img20240729175510 Img20240804033819

ちなみに排気管は、マフラーに接続する前に分岐があって、その上に弁付きの開口部がある。箱絵ではここから排気煙が出ていて、となると、「一体マフラーは何のために付いてるの?」状態。実車写真でも半開きになっていたりするので、「閉じて塞いでいるのが常態」というわけでもなさそう。よく判らん構造。上写真では弁のパーツはまだ着けていない。

Img20240803231958  エンジンルーム最後部に、補助エンジンのものと思われる小排気管+マフラーがある(wikipediaの記述によれば、主機関を動かしていない時の電源用、およびエンジン始動用であるらしい)。スライド型を多用しているこのキットだが、ここに関しては排気口も開いていないし、マフラーとの接続部に隙間も空いたりするので、排気口は一度削って穴を埋め、金属パイプで作り直した。

それにしても、このエンジンルーム、ほとんで見た目が化学プラントのよう。そもそも、こんなふうにパイプがごっそりむき出しになっていていいのか。流れ弾とか破片が当たって切れたら、それで動かなくなっちゃうとかないだろうなあ。どこぞのモビルスーツだってここまでパイプだらけじゃないぞ。

 最後尾の上部転輪は、架台の位置決めがやや曖昧で、うっかりするとこの上部転輪のみ、外側に傾いてしまう可能性があるので注意。

 車体後部上側の斜めになった部分のパネルは別部品だが、車体上部パーツ(特に側面)との接合に、若干の難あり。

Parts01 Img20240717033445

実車の装甲板(上面と側面)は、おそらく上図の左のような接合になっていると思うのだが、キットはAのように、わざわざ上面・側面装甲板の接合ラインはスジボリで表現したうえで、実際のパーツは斜めそぎ落としで継ぎ合わせるよう処理されている。が、車体上部パーツの接合部が右写真のようにゆるく波打っているので、そのまま接着するとところどころ隙間が開いてしまう。ここは、Bのような処理にしてほしかったところ。

実際の工作においては、車体上部パーツの側面部分を、接合ラインのモールド部分まで削り取り、一方で上面パネルの淵にはプラバンを貼り増して小口を作った。隙間をパテ埋めなどするよりも綺麗に仕上がる(と、思う)。

 実車は誘導輪を前後させることで履帯張度を調整しているものと思われ、おそらくそれに関連すると思われるディテールのパーツ(C34、C38)を前端に接着するようになっている。ただし、実車写真を見ると、車両によって(あるいは時期によって?)ここに半月状の出っ張りがあったり、箱型のカバーのようなものが装着されていたりする。前者は、もしかしたら誘導輪位置を動かした結果による形態変化かもしれないが、後者は違いそう。特定の車輛を作る際には注意が必要。

 誘導輪位置調整装置が収まっているこの部分は、どうも実車とキットでやや縦横比が違っているような気がする。

 スポンソンの下縁にはスカート取付金具が並んでいる。キットでは冒頭に上げた側面写真のように左右8カ所ずつモールドされているのだが、実際には番号を付けた写真で示した赤部にもあり(計10カ所)、また最前部の黄緑は位置がおかしく、実際はもう少し前方にある。取付金具の形状自体も、キットは縦長、実車は横長なので、エバーグリーンのL字材を利用して作り替えた。

Img20240803232025 Img20240817205857

私はスカートを付けない仕様で作ろうと思ったのでこのような工作にしたが、スカートを付ける場合には(そしてこの金具の位置と数を修正するなら)、スカート側の凹部を埋めて、プラペーパーか何かで追加するのが楽かも。

 これは乗降ハッチなのか? とも思ったのだが、どうやら単純に工具箱らしい。実車は前方から見た時に、もっと傾斜がきつい(中央が高く、左右が低い)ようだが、接着してから気付いたので修正していない(エナメルシンナーを使っても、蓋パーツが割れそうな気がしたので)。

 操縦手用のバイザーフラップは、どうも戦間期は基本的に付いておらず、単純に四角く開口しているだけだったらしい。戦間期の写真では、フラップのヒンジさえ見当たらない。フラップが取り付けられたのは、1940年戦役が始まる直前辺りらしい。また、キットのパーツは比較的単純な板状のパーツだが、実際はスリットが設けられており、また側・下方の三方のエッジは面取りされている。

Img20240803235624 Img20240806124612

 前面左右の何やら手すりのような、ラックのようなパーツは実際は薄板製。私は取り付け後に、上側だけ削り込んだ。

●10輌生産された各車の特徴などについて、改めて書くかも。

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