SU(T-34系)

つれづれSU-100(6)

●II号戦車のレビューなどもあって、すっかり「もうお蔵入り?」感が漂っているが、ここで唐突に。

ドラゴンのSU-100(初版)の割と行き当たりばったりな製作記の続き。

遡ってみたら前回は6月だったので、ほぼ夏と秋がぽっかり開いてしまったことになる。

●さて、まずは先月頭にあった東京AFVの会の折、ハラT青木伸也氏に、「この砲身、戦後型ですよ」とツッコミを入れられた件について。

もともと、実車写真でも主に注意を払っていたのは戦闘室形状で、砲身にバリエーションがあるなんてことには、まるっきり気付いていなかった。現存実車のうち、戦中型の戦闘室形状を持つものについても、砲身はドラゴンのキットや別売砲身と同形状のものばかりだったためでもある。ちなみに、ズベズダのSU-100(もちろん新版)の砲身は、web上で説明書の図解やキット写真を見る限り、一応、初期型形状になっているようだ(ややどっちつかずな印象もあるが)。

最近話題に上ることも多いCanfora Publishingの新しい資料とかだと、この辺もきちんと抑えていそう(セータ☆さんによれば、ズベズダのキットはこの資料を参考にしているそうだし)。新しい資料、ちゃんと追ってないからなあ……。

そんなわけで、改めて戦中の(と思しき)写真を、手持ちの資料やweb上で漁ってみる。砲身のディテールまでしっかり判る写真はなかなか見つけづらいのだが、それでも、なんとか「戦中と確認できる写真で、砲身の形がしっかり判るものを見ると、キットや手元の別売砲身とは形状が違う」ということは確認できた。

上記のように、戦闘室が初期型であっても砲身は戦後で標準のタイプであることが多く、初期型の砲身は現存していないのかとも思ったのだが、facebookで仙波堂さんから「現存車輛でも初期型砲身のものがある」と教えて頂いた。改めて写真を漁ると、戦闘室後面が組み継ぎではないタイプ(したがって資料集め段階でスルーしていた車輛)で初期型砲身を載せている例がいくつかあることが判明した。

どうもそれを考えると、戦中・戦後でくっきり分かれているというよりも、戦後ちょっと経って切り替わった可能性もありそうなので、以後は「戦中型・戦後型」ではなく、「初期型・標準型(もしくは後期型)」と呼ぶことにする。

AFVの会の折の青木氏の説明では、「戦中のヤツはもっと根元でグッと太くなっている」みたいな簡単な説明だったが、一応、その後の写真から読み取ったことも含めて違いをまとめると、

・標準型の砲身は、根元に向けて緩やかなテーパーで太くなったあと、防盾近く(20cm強くらい?)できつめのテーパーで太くなる。初期型の砲身は、もっと防盾ギリギリまで緩やかなテーパーで太くなり、防盾に接続する直前で急に太くなる。この点、ぱっと見の印象ではSU-85の85mm砲身(特に後期のD-5S-85A)に似ている。ただし、85mm砲のように段差は付いておらず、あくまで急なテーパーで太くなる。簡単にまとめると、「標準型は防盾より数十センチ前から急なテーパー、初期型は防盾の直前でさらに急なテーパー」。

・砲口付近の「たが」状の段差は、標準型に比べ、初期型は前後に短い。

・砲身全体のテーパーも、初期型は標準型よりも、ややふっくらしているような気がするが、これは文字通り「そんな気がするだけ」かも。

●もともと不良在庫化しかけていたドラゴンのSU-100(初版)を今更作り始めたのは、以前にも書いたように、はい人28号さんからアフターパーツの転輪と砲身を頂いたためなので、これでその砲身を使わないとなると、「何しとんねん」みたいな話になってしまう。とはいえ(一応あれこれ検討はしてみたものの)、アルミ製の挽き物砲身を一部削り直すなどというのは、専用の工具もない私にはハードルが高すぎる。結局、せっかく付けた金属砲身をもぎ取って、新たに砲身を自作することにした。

当初はキットの100mm砲身の根元を加工しようかと思ったが、ちょっと根本が細い感じがしたので、砲身の前半はキット、後半にはwaveの6mm径のプラパイプを継ぎ足してからテーパー状に削り直した。

旋盤など持っていないので、ナイフで粗削りしてからペーパーで挟んで手でグリグリというプリミティブ工法。途中でキットの砲身前半とプラパイプの砲身前半の継ぎ目が折れて継ぎ直したりもしたので、よ~く見ると、中心軸がちょっと怪しい気もする。ぱっと見で判るほどではないけれど。

途中で、どうも前半部も細身な気もしたので、プラペーパーをらせん状に一巻きして、改めて削り直したり。さらに削る過程で薄くなったプラペーパーが一部剥がれてあばた状になったところを瞬着で埋めたり、凹凸を均すためにサーフェサーを塗っては削り、塗っては削りしたり。

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左が削り途中。右がひとまずの工作終了状態。頂き物のABERの100mm砲身と並べて撮影。新造の砲身はプラペーパーを巻いているので材質の下地は基本白なのだが、サーフェサーを重ね塗りしては削りを繰り返しているうち、砲口部を除いておおよそグレーになった。

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標準型(後期型)のABERの砲身と、初期型の新造砲身とのディテール比較。新造砲身の根元部は、ドラゴンのキットに不要パーツで入っていたSU-85Mの砲身根元の段差部を移植してから削った。砲口部の段差はプラペーパーを一巻きしてから削っている。ABERの砲身も、狭すぎる砲口を、ぜっかくゴリゴリ削って広げたのになあ。もったいないなあ。

ABERの砲身も、新造砲身も、砲口内部のライフリングは無し。KV-2初期型用に作った152mm砲身にはライフリングも工作したが、100mm程度では面倒くさくて工作する気になれない(言い訳)。

●そして、東京AFVの会の折に青木氏に指摘された箇所の第二弾。

「ラジエーター・グリル、方向逆じゃないですか」

これは考証がどうのという以前の問題で、単純に老眼とうっかりの合わせ技。工作直後にクローズアップで写真も撮って(下左写真)、当ブログの製作記事にも載せているのに気付かなかった。

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前述のように左が当初の工作で、上面左の内側ラジエーター・グリルの向きが逆。マンリーコさん直伝の「エナメルシンナー剥がし」で何とか外せたので、向きを変えて付け直した(右写真)。

●ほか、夏~秋の停滞期にちっくりちっくり工作していた個所など。

ますは車体後部の補助燃料タンクの支持架(ステイ)。

ドラゴンのキットには、IS(JS)重戦車用と似た(もしかしたら同じ?)基本板状のステイのパーツが付属している。初期にはもっと別の形状なのだが、キットのタイプも大戦末期から使われているので、私はこのタイプを使うことにした。

本来ならば、ステイの本体部分(メインの板部分)はキットのパーツよりもずっと薄く、そのあたりに気を遣うなら薄いプラバンや金属板、あるいはアフターパーツのエッチングなどに交換すべきなのだが、金属板で根元にベロを作って車体に埋め込むとかの手間を掛けない限り、強度的にかなり不安が出て来てしまうため、キットパーツに若干手を加えて使用することにした。

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キットパーツに「若干手を入れた」のが左写真。タンク固定ベルトの留め具は、やや薄削りをしたうえで、根元側は穴、先端側はフォーク状に加工。また、タンクの受けとなる円弧部分は、先端はベルト先端のロッドが干渉しないよう、留め具側が少し切り欠かれているので、そのように加工した。

右写真は車体に取り付けた状態。ちなみにこのステイは、車体右と左とで全く同一のパーツを使っているので、ベルト留め具は、車体右側ではステイの後面、左側では前面にある。

しかし。

これに関しても青木氏からツッコミが。大戦末期からこのタイプが使われているようだというのは青木氏も異論がないものの、「ステイがこのタイプになった時には、すでに戦闘室後面の組み方が変わっているのではないか」とのこと。

というわけで、手元にある写真を再確認してみたのが、どうも今ひとつ決め手がない。CONFORAの「SU-100」とかなら、そのあたり解答があるのかなあ。

今のところ分かっているのは、

  • 前部フェンダーが丸型の時期から、すでに新型燃料タンクステイは使われている。
  • 新型燃料タンクが使われている場合、すでに後面の発煙缶の搭載もデフォかも。
  • 少なくとも手元にある終戦前後の写真では、戦闘室後面の組み継ぎと新型ステイの組合せを確認できるものはない。
  • ただし、現存車輛では戦闘室後面が組み継ぎでも、ステイは新型である場合がほとんど(全て?)。ステイをわざわざ新型に付け替える必然性なんてあるかなあ。

ま、とりあえず今のところは「組み継ぎ+新型ステイもあったんじゃないかなあ」説の明確な否定材料もないので、そのままとしているが、この先、あまりに気になったら旧型ステイに付け替えるかも。

もともとSU用の旧型ステイは、細かい板状パーツを折ったり曲げたり溶接したりして組み上げたちょっとややこしい形で、SU-122やSU-85は基本これのみ(SU-85Mも?)、SU-100も生産初期にはこのタイプが使われている。現在では出来の良い3Dプリント・パーツ等もあるようだが、インジェクションでもminiartのSU系列にセットされたものがあり、これも必要十分な出来(下写真)。

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同社のT-34系列用転輪セット各種には、このステイが不要パーツとして1輌分以上入っている。初期型・後期型ハブキャップの枝に入っているので、どの形式の転輪セットにも全て入っているのではないかと思うが、しっかり確認はしていない。

ともあれ、我が家にも1セットあるので、いざとなったらこれに交換予定。実は「ズベズダのSU-85を作るときに使おう」と思っていたのだが、「その時はその時でまた考えよう」でもいいし。

●そして予備燃料タンク本体。

SU用の燃料タンクは、基本、筒のフタ部分(円筒の底面)が凹レンズ状に窪んでいて、ズベズダのパーツはこれを表現しているが、ドラゴンでは戦車型と共通パーツのためにフラットになっている。

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そんなわけで、ドラゴンのパーツのフタ部分をノミだのヤスリだので窪ませた。上写真は右端がズベズダ(ベルトのモールドは削り済み)、他がフタ部分を加工したドラゴン。ドラゴンのタンクは派手にへこみ表現が加えられているが、実車写真を見ると、ここまでベコベコなのはほとんど見ないような。しかも4本のタンクのへこみ表現が全て同一なのも難点。写真のパーツは、へこみ表現を若干削り直し、少しでも変化が出るようにした。左端のへこみ無しタンクもドラゴンのものだと思うが、何のキットのものだか不明。

筒のフタ部分が窪んでいるため、SUでは、前後の燃料タンクがほとんど密着状態で搭載されていることがある(フタ部分がフラットだと、持ち手が干渉してしまうはず)。なお、戦車型でも時々、この「フタ窪みタイプのタンク」が使われていることがある。

なお、初期のSUでは、固定ベルトが掛かる内側部分でタンクが「たが」状に出っ張っている、という考証を以前していたのだが、これに関してはちょっとあやふやになってきた。

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つれづれSU-100(5)

●ドラゴンのSU-100制作記の続き。しばらくブログ更新をさぼってしまったので、生存報告を兼ねて。

とはいっても、目立った進捗があるわけではなく、割と小ネタの寄せ集め。

●現状の全体像は、以下のような感じ。

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戦闘室周りの工作はほぼ終了、ただし金属線に作り替えた各部の手すりは未接着。エンジンルーム左右の予備燃料タンクステイも未工作。

キットに含まれる後期型燃料タンクステイも、大戦末期からすでに使われ始めているらしいので、仕様的にはそのままで構わないはず。キットのパーツはちょっと厚みがありすぎるのだが、薄いプラバンで作り替えると、今度は強度的に頼りなくなる(しかも突出しているので壊れやすい)ので、キットパーツをそのまま使用する方向に傾き中。

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ほか、細かい進捗としては、フェンダーの破線状の溶接痕と、グローサーの取り付け金具を工作。フェンダー外側は金属線、車体側はキットのモールドを削り取り、キット付属のパーツを使用。キットパーツのほうが少しだけ太いが、塗ってしまえばあまり目立たない(はず)。

車体前面は、記事第一回にも書いたように、実車では前端の三角材と上部正面装甲板との間に明瞭な段差があるのだが、キットでは無視されているので、これを再現。キットの三角材をわずかに削って小さくし、下側にずらして接着することで段差を付けた。段差部にはプラペーパーで小口の荒れも表現したが、最終的には予備履帯でほとんど隠れてしまう。

初期型の特徴である丸フェンダーの内側ディテールは未工作。

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車体前側の各ハッチには、開閉補助用の棒バネがついている。キットでもモールドで表現されているが、前端部はハッチ側・車体側で分裂してしまっているので、この部分だけ削って作り替えた。蝶番の軸も兼ねた後方部も一緒に作り替えたほうがよりよい……とは思うが、ドリルの刃が届かないので分割工作が必要になり、面倒くさいのでパス。

それはそれとして、前側のハッチにはこのように開閉補助バネがあるのに後ろのハッチにはなく、一方で後ろのハッチにはロック機構があるのに前側のハッチには(少なくとも見える表側には)ない、というのがちょっと不思議。

キューポラの両開きハッチは、実車では自由に回転する。私は別に可動にこだわるほうではないが、お行儀よく方向を定めて接着してしまうのも何だし、かといって載せておくだけでは落としてなくしてしまいそうなので、簡単な差し込み部を作った。

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これまた記事第一回に書いたように、ABERの100mm砲身は砲口部が明らかに狭すぎる。どのみち内部のライフリングも再現されていないので、ヤスリを突っ込んでゴリゴリと削った。

砲身は外部防盾に接着(防盾に開いた照準口はやや小さく開け直した)。後々の塗装の便を考えて、基部との接続は、金属線を埋めて着脱式とした。

●足回りの工作も少々。

転輪は以前に書いたように、頂き物のminiarm製品(#35178、SU-100,SU-85,T-34 Pressed roadwheels set (Sormovo Factry))を使用する。キットの転輪と比較すると、以下のような感じ。

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基本はほぼ同じタイプの転輪(ディッシュタイプでゴムリムは穴・刻み目無しのソリッド)だが、ゴムリム部の細い凸筋ディテールが僅かに違う。時期の差なのか、同時期生産でバリエーションがあったのかは不明(そもそも現存博物館車両のクローズアップとかでないと、ゴムリムのこんな細部までは判らない)。

ドラゴンのキットの転輪はご丁寧に凸筋がトレッド部分にもモールドされているが、パーティングラインやゲート痕を綺麗に消そうと思ったら、このモールドも一緒に削り取らざるを得ない。まあ、実車でも、こんな筋があったとしても使用後ほどなく摩耗してしまうと思うけれど。

転輪本体のディテールに関しては、miniarmのパーツは外周内側に溶接痕がモールドされていること、転輪ディッシュ部内側の、内外の隙間とその間のボルトシャフトも再現されていることなどはアドバンテージ(ただし後者は組んでしまえばほぼ見えない)。転輪全体の幅はドラゴンのもののほうが僅かに厚い(どちらが正確なのかは不明)。

miniarmのパーツは(これも以前書いたように)ハブキャップが初期型・後期型の2種が入っているが、どちらも戦後タイプの特徴である、中心のグリースアップ用ボルド頭(?)がモールドされているので、戦中型で作るのであれば、それを削り取る必要がある。

また、miniarmのパーツは基本、モールドはシャープで美しいのだが、ゴムリムの外周およそ半分くらいまで湯口があり、さらにその脇がややヒケたように窪んでいたりするので、その削り/埋めにやや手間取った。

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起動輪は、ドラゴンのキットのパーツ(写真2枚とも左側)はローラーピン部の頭が平たくなった戦後仕様となっているので、miniartの転輪セットに入っていた戦中型(右側)に取り換えることにする。戦中型(の後期仕様)は、表側がキャッスルナット、裏側が(初期仕様で表側となっていた)円錐形のピン頭となっている。

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ドラゴンの起動輪とminiartの起動輪は、仕様の差以外にぱっと見の大きな違いはない感じだが、実際には厚みは結構違っていて、miniartのもののほうが薄い(ただし内外の間隔はminiartのほうが広い)。直径はminiart製のほうが僅かに大きく、車体に取り付けると、第5転輪との間隔はだいぶキツキツ。

なお、転輪と起動輪、それぞれキットのパーツではないので、車体に取り付ける際、縦方向(車体前後方向)の中心線がきちんとは揃わず、若干の調整が必要となった。

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つれづれSU-100(4)

●さらに行き当たりばったり度が増している、ドラゴンのSU-100製作記。4回目。

前回書いたように、キューポラと操縦手ハッチの改修もとりあえず終えて(操縦手ハッチはペリスコープ周りの工作を残しているが)、「もう山場は越えたぜ!」みたいな気分でいたのだが、戦闘室周りの溶接痕を入れながら、現存実車の写真を改めて見ていて、これまで見落としていたディテールの差異に気が付いた。……いまさら!!

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写真はキットのままの戦闘室上面だが、戦闘室前部ハッチの右側のヒンジは、その横の長方形のバルジと干渉するような形で、左側に比べ半分くらいの幅になっている(黄色矢印)。

また、戦闘室後部ハッチの前方ヒンジは、後面に掛かる後方ヒンジや前部ハッチのヒンジ同様、噛み合わせが2・2の4つになっている(赤矢印)。

実際にこのような仕様の車輛もあるのだが、それは、もうちょっと後の生産型のようで、少なくとも、戦闘室後面が組み継ぎの戦中型(初期型)の場合は、

  • 前部ハッチ右側と長方形バルジとの間隔がもう少し開いていて、ヒンジ幅も削られていない。
  • 後部ハッチ前方ヒンジは、噛み合わせが3・3の6つ。

すでにキューポラもベンチレーターカバーも付けてしまった後で、上面ディテールを修正するのはかなり面倒臭く、一時は見なかった振りをしようかとも思ったのだが、結局(ため息をつきつつ)改修に着手。

前部ハッチ右側ヒンジと長方形バルジとの間隔が広い点に関しては、(1).長方形バルジ自体の幅が狭い、(2).前部ハッチの幅が狭い(あるいは左に寄っている)、(3).その複合――などの理由が考えられるのだが、砲基部カバーのボルトなどとの位置関係から、とりあえず(1)の可能性が高いと判断、バルジのモールドを削り取って作り替えることにした。

キューポラとヒンジに挟まれた長方形のバルジ部分を削り取るのは、案の定面倒くさかった……。

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このあと、(当然ながら)後方ハッチの前側ヒンジも削り取っている。

そして、バルジと後部ハッチ前側ヒンジを作り替えた状態が以下。

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長方形バルジ上にある、内部機器と関連しているらしい“ミステリーサークル”は、初回に書いたように、戦闘室後面が組み継ぎの初期型でもドラゴンのキットが表現している「後端に横並び」タイプも見られるのだが、作り直したついでに「前端・後端に縦並び」タイプに変更した。

●さらに、作り直した後部ハッチ前方ヒンジ上に、ロック爪とダンパーを作る。

キットのような後期標準の噛み合わせ4つヒンジの場合は、右ヒンジにロック爪、左ヒンジにダンパーなのだが、噛み合わせ6つヒンジではロック爪・ダンパーの両方が右ヒンジに付いている。おそらく、6つ→4つに変更した際、小型のヒンジに両方は乗らなくなったので、ダンパーを左に振り分けたのではないかと思う。

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こうして写真で拡大すると工作の粗さが目立つが、そのへんは「メガネをしていても老眼をカバーしきれない」&「工作力自体がそんなもん」の相乗によるもの。

ダンパーに対応するコの字ストッパーは、プラバンかプラペーパーで作ろうかとも思ったが、それではちょっと触っただけで壊れそうなので、面倒ではあったがエッチングパーツの枠の余白から切り出して作成した。見えているより脚は長く作ってあって、プラパーツ側に差し込み穴を作って固定してあるので丈夫。

なお、このストッパーのダンパーに当たる面はやや後傾していて、そのため、全開時のハッチは垂直ではなく、やや前に傾いた形になる。

何はともあれ、この手の極小パーツは、作る面倒もさることながら、「作っている最中に飛ばして作り直す羽目になる」というのがコワイ(そして悲しい)。実際この部分の工作では、ヒンジの噛み合わせ部をひとつ、ロック爪の根元の軸受け部をひとつ、行方不明にした。

●戦闘室上面ディテールの作り直し前に進めていた溶接跡追加工作。

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いつもながら、主に伸ばしランナーの接着剤溶かし方式。一部、戦闘室後面・上面間や、戦闘室後部の「三角コーナー」肩部などは伸ばしランナーは足さず、「キットのパーツを彫り込んで接着剤でちょっと溶かしてぐりぐり」式で処理した。

T-34系列、KV系列の工作をする際には、いつも「ソ連戦車っぽい溶接痕にしたいなあ」と思いながら作業しているのだが、なかなか思ったようにはできない。

車体とフェンダー間の溶接痕は未工作。

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つれづれSU-100(3)

●行き当たりばったりなドラゴンSU-100(初版)製作記、3回目。

今回はドライバーズハッチのディテール修正と、キューポラ改造の続き。

●まずはドライバイーズハッチから。

SUとT-34(戦車型)のドライバーズハッチの違い、さらにSUの中でのSU-85用とSU-100用の違いについては、(前回も書いたが)セータ☆さんの記事、gizmolog「SU-85&SU-100・操縦手ハッチの鋳造刻印文字」に詳しいので参照のこと。

修正工作としてはポイントは3つで、

  1. ドラゴンSU-100初版のドライバーズハッチのパーツは、最初のT-34-85キットと共通で、ペリスコープカバーの嵌る窪みがない、ロックハンドルの軸(がハッチ表面に貫通している部分)の位置が高く表現もイマイチ、などの問題があるので、これらを修正する。
  2. T-34系列のドライバーズハッチは仕様や生産時期によって(おそらく下請け工場の差で)仕上げに差が大きく、SU用やスターリングラード・トラクター工場製車輛のハッチは鋳造肌がかなり粗いイメージなので、その表現を付加する。
  3. 戦車型との違いを含め、SU-100用の特徴を盛り込む。

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1枚目はキットのパーツ。良くも悪くも「綺麗な」パーツ。

ロック機構の軸部分は、実物では貫通させた軸を溶接で固定しているので、もっと「ぐちゃぐちゃ」している。また、周囲が一段窪んでいるので、キットパーツの半球形のモールドを削り、やや下に大きめの穴を開け、ランナーを挿し込んで僅かな窪みを再現。中央に輪切り伸ばしランナーで軸部を付ける。

ペリスコープカバー部が当たる部分は、一段低く削り込む。

SU用ハッチは中央に巨大な湯口の削り跡があるので、プラペーパーを貼って再現。

SU-100用は中央下に「P.」の刻印があるので、これもプラペーパーで再現。

2枚目はおおよそ形状修正を済ませたものと、ズベズダのSU-85用のパーツとの比較。ズベズダのキットはSU-85用、SU-100用ともそれぞれきちんとディテールの特徴を盛り込んでいる、鋳造肌や切削跡などはまったく再現されていない。「C.」と「P.」の位置が違うのは実車同様。

ハッチ表面は接着剤を塗って荒らし、最後にサーフェサーをベタ塗りして様子を見たのが3枚目。ペリスコープ自体や、ペリスコープカバー操作ロッドの穴などは未工作。

●キューポラ工作。

基本形状の修正(ハッチの偏心)は前回までに済ませているので、視察スリットの工作と鋳造肌の再現を行う。

キットは、キューポラ本体のパーツ表面に、スリットの「リップ」のパーツを貼りつけるようになっているのだが、スリット自体開口していないし、形状もやや実感に欠ける。以前、SU-85Mを作った時にはキットパーツに直接ホットナイフを当ててスリットを開けたのだが、その場合、形状はキットパーツとどっこいどっこいだし、正確に望む位置にホットナイフを当てられる気もしなかったので(SU-85Mの時はどうやったんだろう?)、今回はもうちょっと面倒臭い方法を採ることにする。

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まずは、スリット位置にドリル、ペンナイフ、ヤスリをあーだこーだして大きめに穴を開ける(写真1枚目)。

次に、その開口部の上下に0.3mmプラバンを貼って、リップ部の“もと”を作るとともに均一な幅のスリットを作る(写真2枚目)。

スリットの両側にもプラバンを貼ってから、いい具合に突出するように削り、さらに溶接跡を追加。並行して、流し込み系の接着剤でキューポラ表面を荒らして鋳造肌を作る(写真3枚目、4枚目)。キューポラと車体との接続部も、キットのパーツはいかにも「別部品」感が高かったので、削ったり荒らしたりして溶接跡の感じを加えた。

ハッチは、実車では基部ごと回転するので、生きている状態の写真を見ると、割と方向はまちまち。ペリスコープの位置を考えると前後開き方向が基準のようだが、左右開きにしている例も結構ある。わざわざ回転可能に工作するのも面倒だが、方向固定で接着するのももったいない気がして、現時点ではただ載せているだけ。

●さあ、これで面倒臭い工事はほとんど終わったぞ~。

……と思ったら、結構大きな落とし穴を発見して茫然。

そちらの工作もすでにある程度進めたが、それに関しては次回。

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つれづれSU-100(2)

●つまみ食い的なドラゴンSU-100(初版)製作記の続き。

ちまちま手を加えるところはあちこちあるにしても、今回の製作における改修のなかでも特に重視しているところといえば3点で、

  1. 戦闘室後面装甲の継ぎ方を初期型標準の組み継ぎにする。
  2. キューポラを戦中型標準の偏心タイプにする。
  3. 砲基部カバー右側面のボルト溝を再現する。

このうち1の装甲板の継ぎ方の改修については、前回書いた通り(溶接跡の再現はこれからだが)。

その後キューポラの偏心の工作をして、さらに(一番面倒臭そうだったので後回しにしていた)砲基部カバーの改造もなんとか済ましたので、今回はその報告。

●戦中型のSU-85M/100のキューポラは、おそらく前方からの攻撃に重点的に対抗するために前方が厚く、後方が薄くなっているようで、キューポラ本体に対してハッチが後方にズレている。

ドラゴン初版ではこれが再現されていないので(プレミアム版やズベズダでは偏心キューポラが付属している)、キットのパーツを改造する。

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具体的には、キットのキューポラ本体パーツの開口部の前方内側半分にプラ材を貼り増し、後方は逆に削り込んで、開口部自体が後ろにズレるように調整する。ただし、キューポラ本体パーツの上端には若干内向きにrが付いていて、そのまま削ると後部が低くなってしまうため、上端も若干ヤスった後に0.3mm板を貼り増した。前側の厚くなった“縁側”部分はナナメに削ぎ落ちた形状に。

ハッチおよびハッチ枠部は、ほぼ発売当初(20年以上前)に製作したSU-85Mの際には、キットよりわずかに小径に作り直したが(T-34maniacs内の製作記事参照)、今回はキットのパーツをそのまま使うことにした。それにしても、今読み返すと「結構頑張ってるなあ、当時のオレ」と思うと同時に、考証的に迷走している部分もあってちょっと恥ずかしい。

キューポラ表面のテクスチャーやビジョンスリットに関してはこれから。

●砲基部カバーの改修。

プロトタイプを除いて?SU-100の砲基部カバーは右側面に深いボルト逃げの縦溝がある。ドラゴン初版キットではこのパーツはSU-85M、SU-100の両キット共用で、基本はSU-85M用に近い形状をしており、縦溝が再現されていない(正確にはSU-85M用でも本来は薄く溝があるのだが)。

脱線話だが、この縦溝は、大昔のゴムキャタピラ時代のタミヤ「SU-100ジューコフ」の箱絵にも描かれていて、当時それを見て、「何かコレ格好いいなー」と思ったものだった。もちろんキットのパーツでは無視されているが、当時の私は自分で何とか改造してそれを再現する、などとは1ミリも思わなかった(将来そんなことに精魂込める大人になるとも思わなかった)。

閑話休題。

実車は、SU-85用に比べてカバー部本体が右側に増幅されていて、その分、ボルト位置が内側に“食い込んで”しまったものと思われる。どんなふうにこの溝を作るか、あれこれ方策を考えたのだが、結局は愚直に、プラバンで「溝付き板」を作ってキットのパーツ側面に貼り増すことにした。

実際の作業は、おおよそ以下の左写真のような流れ。

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0.5mmプラバンの2枚重ねで溝板を作る。2枚重ねにしたのは、表側のプラバンは最初からボルト位置にわずかに隙間を作っておいて、丸ヤスリで溝を作る際のガイドにしたため。キットパーツに張り付け、段差部分はプラバンの小片をレンガ積みするように張り付けて行って埋めた(さらに多少の段差や隙間は瞬着で埋めた)。

「モデラーとしてそれはどうなの?」という感じだが、我が家にはパテの備蓄がない。普段、ちょっとした隙間や窪みはプラ片や瞬着で埋めてしまうことが多く、一方で「パテ使い」のスキルもまったく進歩しないため、パテを買ってもだいたい、ほんのちょっぴり使っただけで残りを引き出しの奥でダメにしてしまう。というわけで、こんなふうにかなり大胆に「盛り・埋め」をする際にも「あ、そういえばパテねーや」という事態になる。まあ、プラ片を使うメリットとして、ベース部分と切削感に大きな差が生じない、というのはあるけれど。

ちなみにme20さんは、キットの平滑部に多少の歪みがある場合も積極的にパテで直していて(ポリパテ?)、何度見ても「スゲー!」と思う。

何はともあれ、そんな埋め/削り作業の後、表面をミカンセーキさんに倣った「瞬着なすりつけ」で鋳造肌表現とし、さらに(プラ色がまだらで判りにくかったので)修正箇所のみビン入りサーフェサーをベタ塗りして表面状態の確認を行った。その状態で、キットの元パーツと比較したのが右写真。溝のある側面と、丸みを帯びた面との境界は、実車では、作例のように割合はっきりエッジが出ているもののほか、かなりなだらかに変化しているものもある。生産時期の差などが関係しているのかどうかは未確認。

ついでに、上面にはキットでは省略されている砲架のカルダン枠の軸受も追加した。

なお、ドラゴンのSU-100プレミアム版のパーツでは、先述のようにこの溝が再現され、カルダン枠の軸パッチも追加されているのだが、少なくとも溝部はちょっと表現がおとなし過ぎる感じがする。

先のキューポラと合わせて戦闘室周りの現状はこんな感じ(もちろん両方とも仮組み)。

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●このところドラゴンのT-34系を作る際に、個人的に「お約束工作」にしている、ラジエーターグリルのスライス→透かし工作もついでに済ませた。

実車は枠板はもっと薄いし、仕切りのロッドはもっと細く、むしろあちこち変形しているのが普通というくらいにヤワ感あふれるパーツなのだが、少なくとも、一部のエッチングパーツセットに含まれる平板なグリルよりはマシかな、と個人的には思っている。お金掛からないし。

もちろん、最近では実車通りの見た目に枠を組んで金属線を通すパーツとか、3Dプリント製の繊細なパーツもあるのだが、その辺は懐と工作力に余裕のある方はどうぞ、ということで。

Img20230318123907 Img20230318124022

側面グリルは、上辺のヒンジに関して最近の資料では工場別/年代別の位置の変遷などに触れているものもあるのだが、少なくとも私が現存車輛で確認した限りでは(戦時中の写真ではそもそも燃料タンクに隠れてきちんと確認できる例が少ない)個体差が大きく、「これがSU-100の標準」という位置は判断できなかった。

ただし、固定ボルト?とその座金に関しては、どうもSUの場合は真ん中辺にあるのが普通のようだったので、キットのモールドは削り取って、新たに真ん中あたりに付け足した。右写真でデッキの上に乗っているのが元パーツ。

●前回、SU-100用操縦手ハッチの「P.」マークについてちょっと触れたが、これに関してセータ☆さんが、新たに記事をUPしている。最近の資料での記述なども交えて、SU系のハッチについて解説したもの。これについては私が安直につまむより、とにかくSU者(なんだそりゃ)は同記事を直に読むことをお勧めする。

gizmolog「SU-85&SU-100・操縦手ハッチの鋳造刻印文字

●ドラゴンSU-100の謎。

ドラゴンの1:35のSU-100には、ここで取り上げている初版(通常版、#6075)と、改修パーツが入った「プレミアム版」(#6359)のほかに、さらにその後になって発売された(六日戦争シリーズ)「エジプト陸軍SU-100」(#3572)というのがある。

「エジプト陸軍版」は「プレミアム版」のそのまた若干のパーツ追加版という感じのキットで、エッチングパーツやアルミ挽き物砲身、改修された砲基部カバーなどはプレミアム版のまま、戦後仕様特有の大型工具箱や履帯交換具なども入っているらしい。

superhobbyでパーツや説明書を確認してみると、この「エジプト陸軍版」、両開きハッチの戦中型キューポラも不要パーツで入っているだけでなく、なんと、プレミアム版にはなかった、戦中型の組み継ぎ仕様の戦闘室後面板と側面板も不要部品扱いで入っているらしい。そもそもそんなパーツを使うバリエーションキットは、現時点でドラゴンからは発売されていないはずで、そのパーツの存在自体が謎。

というわけで、ドラゴンのキットで戦中型SU-100を作るなら、「エジプト軍仕様」が実は最適! ――と言いたいところではあるが、ドラゴンの場合、割とこっそりパーツの入れ替えがあったりするし、不要パーツ扱いなので(プレミアム版と同様に)そのパーツ枝の該当部分が除かれてしまう可能性もあるかも。そもそも、superhobbyの当該ページに上がっている説明書のパーツ展開図と実際のパーツ写真との間にも、わずかに齟齬がある感じなので、実際に購入して箱を開けたら、目当てのパーツが「えー!入ってないじゃーん!」となる可能性も無きにしも非ず。どなたか買って確かめてみません?

(3月24日追記)

kunihitoさんが実際に上記「エジプト陸軍版」を購入してみたところ、組み継ぎ式の戦闘室装甲板、初期型キューポラ、溝付き砲基部カバーは全部入っていたそうだ。

なお、上で「そもそもそんなパーツを使うバリエーションキットは、現時点でドラゴンからは発売されていないはずで、そのパーツの存在自体が謎」と書いたのだが、その後さらに調べてみると、「SU-85M」のプレミアム版というのがSU-100プレミアム版とは別に出ていて、そちらは実際には初期型SU-100とのコンパチキットになっており、組み継ぎ式の戦闘室装甲板パーツを使う指定になっていることが判明。

というわけで、今後ドラゴンのキットを(新たに購入して)使って戦時中タイプのSU-100を作るのであれば、「SU-85Mプレミアム版」か「エジプト陸軍SU-100」のいずれかが適、ということになる(もちろんエジプト陸軍版のほうは「パーツが入っている」というだけで、説明書は戦時中仕様で組むようには書かれていないので、自分でパーツ構成を判断できる人に限る)。

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つれづれSU-100

●つれづれなるままに、さもほどなや。

「がっつり模型を作りたい」というよりは、「漫然と模型をいじりたい」という気分で、何ということなしに、ドラゴンのSU-100の“下ごしらえ”工作をする。

きっかけは単純で、昨年末の東京AFVの会で頂いた、MINIARMのT-34用転輪(#35178、SU-100,SU-85,T-34 Pressed roadwheels set (Sormovo Factry)と、ABERのSU-100用砲身(#35L-39、Russian 100mm D-10S tank Barrel for SU-100 (for Dragon model))が机の上でそのままになっていたのを眺めでいるうち、これらを、半ば戸棚の肥やしになりかけていたドラゴンのSU-100とともに、まとめて成仏させてやろうと思ったため。

ちなみに上のアフターパーツ2品はkakudouさんに頂いたもの(……ですよね? M.Nさんからのものも混じってます?)。どうもありがとうございます。

そのkakudouさんもT-34シリーズを積極的に次々と完成させていて、SU-100も比較的最近、ズベズダのものを完成披露している。さすがにあの作品レベルまで迫れる気はしないので、こちらはヌルめに製作予定。

ちなみに冒頭に(そして以前にも)「さもほどなや」と書いたが、SU=СУ、Самоходная Установкаをカナ表記すると、「サマホードナヤ・ウスタノーフカ」がより近いらしい。直訳すれば自走式装置、とか何とか。ざっくり意訳して自走砲。

●素材の説明。

ドラゴンのSU-100は、初版が1995年発売。(今となってはあれこれ古さも目立つが)スケールモデルとしてそれまでと一線を画した新世代のT-34キットとして発売された同社T-34-85のバリエーションとして、ほぼ共通の車体のSU-85Mと共に出されたものなのだが、

Img20230310133314 (1).発売当初、セットするパーツの選択を間違えてSU-100のキットにSU-85M用の防盾しか入っておらず(うろ覚え)、後から模型店経由でSU-100用防盾パーツを大量に配布した(私も初版を買って、後から防盾を手に入れた。右写真)。

(2).その後、2000年代になってプレミアム版を発売。履帯をマジックトラックにし、エッチングをセットしただけでなく、キューポラもきちんとSU用形状に、砲基部カバーもSU-100用に改修した新規パーツをセット。戦闘室側面を別パーツ化し、戦闘室後面との接合状態を、後期型(というか標準型?)としてより正確なものに。戦後型標準の戦闘室後面もセット。車体底面を、それなりにSU専用車体に見せる改修パーツなども有り。

(3).そこまではよかったが、その後発売されたSU-85Mのオレンジ箱(廉価版)では、上記プレミアム版で戦闘室側面を別パーツ化したにも関わらず、その側面板の新規パーツが入っていない。車体上部自体は、側面パーツを貼り増すのが前提の改修パーツが入っているので、そのまま作ると、戦闘室側面が一段窪んだ情けない姿に。

――という、なかなかに「お騒がせ歴史」付きキットとなっている。

発売当初は、(雰囲気はどうあれ、寸法バランス的にもディテール的にもあっちこっち問題があるタミヤを除いて)初のかっちりした35スケールのSUキットとして大いに価値があったこのキットだが、さすがに発売から30年近く経つともなると、そこそこ気になる点も多い。

(1).左後ろのハッチが戦闘室後面まで回り込んだ、とりあえずは戦中型と言える仕様を再現しているが、起動輪は(先に発売されたT-34-85同様に)戦後型だったり、「戦中型に成り切れていない」点がちらほらある。ほか、先に発売された戦車型に引きずられたディテールも若干あり。

(2).砲基部カバーは本来、SU-85MとSU-100ではやや大きさが違い、大きめのSU-100では右側面にボルトアクセスの逃げのために明瞭な縦溝がある(極初期車輛か試作型には溝無しもあるようだ)。キットはSU-85M用の形状のものしか入っていない。上述のように、プレミアム版ではSU-100用に改修された新規パーツが入っている。

(3).SU-122/85/100はT-34のバリエーションだとはいえ、車台は戦車用とSU用では別物。キットは、下部前面装甲板はSU用に新たに起こしているものの、車体下部自体は戦車型をそのまま流用している。ただし、上述のように後に発売されたプレミアム版では、エッチングパーツ等を用いてSU車体に近付ける工夫をしている。

などなど。

これらは(繰り返し言うが)プレミアム版では若干改善されているし、もっと言えば、ズベズダの新キット(確か新旧2種あるが、その新しい方)ではほとんど解消されているので、そもそも、これからカッチリした戦中型SU-100を作るなら(ウクライナ侵攻が続いている今、そもそもズベズダのキットは手に入りづらいとか、姿勢としてロシア製キットは避けたいとかいった理由は抜きにすれば)素直にズベズダ製を作るべき。いやもう、本当に早く侵攻は諦めてくれませんかね。

もっとも今回の主眼は「カリッカリに戦中型SU-100を突き詰めて作る」のではなく「せっかく頂いたパーツの活用を兼ねて、在庫のドラゴンSU-100をやっつける」方にあるので、とりあえず、適当に「やる気になった部分だけ手を入れる」を基本方針に工作していくことにする。

●頂き物の2パーツについても若干。

MINIARM製の転輪は、さすがにT-34やKVの各種パーツを積極的に出しているメーカーだけにかっちりした出来。裏になるパーツのほうはボルト頭が気泡で潰れている部分が少しだけあったが、表は基準を厳しくしているらしく問題なく美しい。もっとも、このタイプ(ディスク型でゴムリムに穴・刻み目無し)はキットの転輪も基本同一タイプで、キットのパーツも決して悪い出来ではないので、取り換える必然性はそれほどは高くない。今回は「せっかく頂いたものだし、他に使うあてもなさそうだし」ということで、贅沢な気もするが使ってしまう。

MINIARM製パーツの最大のアドバンテージは、リム部に溶接跡が再現されていること。キットの転輪とは、ゴムリム部の筋のパターンにわずかに違いがあるが、これはどちらが正しいとかがあるのか、あるいは工場や時期の差なのかは、私にはよく判らない。またMINIARM製は内外の転輪の接合部分がより正確で、若干の隙間と、その間のボルトのロッドも再現されているが、これはどのみち組んでしまうと見えない。製品名に「ソルモヴォ工場」とあるけれど、ゴムリムの模様が、基本112工場への納入のみの仕様とかだったら怖いなー。

ABER製の100mm砲身は、外形はキットのパーツとそう大きな差はないが、張り合わせ式のキットパーツに比べれば、歪みの心配も継ぎ目消しの苦労もないのはメリット。しかし、砲口は100mmにしては明らかに狭すぎ、口径80mm程度しかないため、そのままではちょっと使いづらい。幸い?内側にはライフリングの再現もないので、ゴリゴリ内側から削って、100mmに近付け中。

●というわけで、下ごしらえ工作の現状。

Img20230310020453 Img20230310020524

キットの戦闘室後部の装甲板の組み方は、後面装甲板左右をを側面装甲板が挟む、(おそらく)大戦末期から導入された仕様になっているが(ただしその場合、側面装甲が若干後方に張り出す。ドラゴンプレミアム版ではこれを再現)、これを生産当初の組み継ぎ形状に修正、ドイツ戦車のようなかっちりした組み継ぎではなく、かなりいい加減な組み方で、逆にうまく再現するのに苦労する。とりあえず装甲板の組み上げだけ行って、このあと溶接跡をちまちま入れていく予定。

ちなみに、戦闘室後面に後部ハッチが回り込んでいる初期型形質であっても、組み継ぎになっておらず側面装甲に挟まれた形状に改まったものも確かにある。私が極初期型?と誤解して、後面装甲を傾けて作ってしまったポーランド軍所属のSU-85Mも、実際にはこの過渡期の仕様だったようだ。整理すると、

  • 後面装甲/側面装甲の継ぎ方が変更されてからも、しばらくは後部ハッチの後面への回り込みがあって、期間を置いて(戦後になって?)廃止される。
  • 後面装甲/側面装甲の継ぎ方の変更は、SU-85Mの生産終了以前(戦時中?)に導入されている。……たぶん。

閑話休題。

キューポラ下の張り出しや、戦闘室後ろの三角コーナーの装甲は、キットパーツは綺麗に土台の装甲に繋がる形状となっているが、実車の場合は明瞭に段があって溶接跡も大胆なので、それがある程度再現できるよう、エッジ部分を若干削ってある。

ドラゴンのT-34系定番工作の、グローサー取付用のU字金具のモールドの削り取りは、戦闘室裾部分は場所的にナイフの刃を装甲板に沿って当てられず、ちょっと往生した。

Img20230310020656 Img20230310020635

前面装甲下部左右、そして右上にもうひとつある調整ボルト?は、キットのモールドはやや窪んだ形状、かつ周りのスジ彫が広かったので、一旦削り落として穴開けし、2016年(!)に、これまた東京AFVの会で1-colour君に頂いたTMD製のレジンパーツを、若干装甲板表面から出る形で取り付けた。174工場製用リアパネルヒンジは使うあてが今のところまったくないが、同梱ののこ調整ボルトは、T-34-85/D-5T型に続いて活用2例目。ありがとうございます。

キューポラと前方ハッチの間にあるバルジ表面には、後方に横並びにミステリーサークル?が2つある。これは初期の車体だと前方中央に1つ、後方中央に1つの縦並びだったりする(ズベズダのキットではそうなっている)。おそらく、内部装備の配置の変化に関係しているものなのだと思う。しかし、現存車輛を見ると、戦闘室後面が組み継ぎの初期型でも、キットのように「後端に横並び」の例も確認できるため、とりあえずそのままとしている。

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エンジンルーム後端カバーは、後々、メッシュ部分にどこかのエッチングパーツを使うことを想定してくり抜き工作をした(プレミアム版ではエッチングパーツと、元から開口しているカバーパーツが入っているはず)。

ついでに、カバー後端/リアパネル間の蝶番に似た見た目の固定具のモールドを一旦削り落とした。これはキットの固定具の位置が183工場製戦車車体に準拠していて、SU(というかUZRM製車体?)ではもっと内側にあるのが普通であるようなので。

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もともと車体裏側はまともに塗装もしなかったりするので、きちんと再現するつもりはないのだが、一応(おざなりに)SU車体への改修を実施。戦車型(というか183工場製車体?)では底面は前後2分割だが、SUでは4分割なのでスジ彫りを追加。UZTM(ウラル重機械製作工場)ではSU生産に専念するまでは戦車も一部生産していたので、同工場製戦車は同様の装甲板構成になっているかも。

戦車型では右舷前端に小判型の脱出用ハッチ?があるが、SUでは第二パネルに移動、90度回転して縦長形状になっている。新たに彫り直したりしていないが、とりあえず前方の脱出ハッチのモールドは消した。

後方、ギアハウジング直下のドレン穴の開口はドラゴンのT-34系キットの定番工作(と言うほどでは……)。

なお、シャーシ後面装甲が若干底面に回り込んでいるのは初期型T-34でエッジが丸く底面に回り込んでいた名残なのだと思う。丸み付きの初期型後面装甲を持つタイプを生産していない112工場では、底面がギリギリ後端エッジまである形態をしている、らしい。

SUを含め、多くの仕様では下面後端がキットのように後面装甲と一体化しているが、この場合、後面装甲に続く部分は底面より一段窪んでいるのが普通。ただし、ここでドラゴンは設計をちょっと間違えてしまったらしく、ここが底面とツライチになってしまう。「間違えてしまったらしく」というのは、真ん中につく小さい丸パッチの、後面パーツ側の土台部分は底面とツライチになるよう出っ張っていて、これはドラゴンも再現しているため。しかし前述のようにベース部分が底面装甲とツライチなので、半月状の出っ張りは、逆に底面と不連続になってしまっている(戦車型キットを含めての問題)。

もちろん、普通にしていれば見えない部分なので、私は半月状の出っ張りを安直に削り落とすだけの対処をした。なお、ドラゴンのキットではこの半月状の出っ張り(=円形パッチの取付位置)はちょうど中央にあるが、実際には多くの仕様ではやや右舷寄りになっている。また、この円形パッチ自体、多くの仕様では受け部分が一段窪んでいて、パッチは底面に対し出っ張らないことが多いようだ。

●(一応、SU-100として)今後手を入れたい点。

・砲基部カバー形状は、ボルト逃げ溝付きに替えたいところ。これがないと、やはりSU-100らしくないので。

・戦闘室前面装甲は、SU-100ではSU-85の45mmから75mmへと大幅に増厚されていて(85Mも同様)、そのため車体前端の三角材と戦闘室前面装甲との間に明瞭な段差が生じている。ズベズダでは表現されているが(少なくとも新キットの方では)、ドラゴンでは表現されていないので何とかしたい。

・キューポラは(以前にSU-85Mを作った時にもそれなりに頑張ったが)、偏心した戦中型に改修予定。SU-85Mの時はハッチ部も新造したが、キットのパーツをそのまま使えないか検討中。

・操縦手ハッチは戦車型もSU-85もSU-100もそっくり同じような見た目をしているが、細部に差があり、例えばSU-85用は表側中央に「C.」と刻印されている。おそらくこれは「СУ(エス・ウー、SU)」用であることを示しているというのは、確かセータ☆さんから聞いた話。実際、戦車型とSUとでは前面装甲板の角度が違うから、ハッチへのペリスコープ取付穴の角度も異なっているはずで、パーツに識別記号を入れておくのは理にかなっている。そして今回のお題のSU-100の場合は、SU-85ともまた違って、たいていの場合は中央に「P.」と刻印されている。SU-85よりも装甲自体が厚くなっているので、ハッチも別物になっていて当然だが、「P(エル、ローマ字のRに相当)」が何の略なのかは不明。重箱の隅の話に前置きが長くなったが、これは再現しておきたい(ズベズダのキットでは最初からモールド有り)。

・起動輪はMiniartの大戦型パーツに素直に交換。履帯もMiniartにしようか考え中。

・予備燃料タンクのステイはMiniartの初期型パーツに交換するか、それともキットの後期型(標準型)にするか迷い中。IS用のステイに似た後期型(標準型)は、大戦末期にはすでに登場していたはず。ただしドラゴンのパーツはちょっと厚みが気になる。Miniartのパーツは、ズベズダのSU-85に使いたい気もする(ズベズダのステイはタンクと一体で表現も今ひとつなので)。

●今回の製作にあたっての参考資料等。

主にネット上の現存車輛walkaround写真。特に「LEGION-AFV」「Dishmodels」などから、戦闘室後面装甲が組み継ぎになっている仕様のものを中心に。

Wydawnictwo MilitariaのSUの号も見たりしているが、本文は読めないし写真もあまり多くはないので情報量はそれほどでもない。

ドラゴンのSU-100を作るのであれば、そのものずばり、青木伸也氏の「ハラショーT-34」で、2000年代中盤に(2000年代というのは2000~2009年の意味で使っているが、どうも21世紀中ごろの意味にもなってしまいそうで、いつもちょっと躊躇う。いや、そう取る人はいないだろうけどさ)ドラゴンのSU-100の製作記を数回に渡って掲載している。

これを読めば、(たとえその後分かったこととかがいくつかあるとしても)製作上の注意点のベース部分は、あれこれ考えるまでもなく「おまかせ」にできそうだが、模型雑誌類の保管が悪く模型の山の向こうに埋もれてしまっているうえ、SU-100掲載号のうちどれだけ手元にあるかも不明。何かのたびに「T-34の(あるいはKVの)ここって、どう思う?」とか青木氏に聞いているくせに、いざという時に氏の労作を見ないとか、失礼この上ない気がする。青木センセ、まったくもって済まん。

それはそれとして、大日本絵画は、「ハラショーT-34」の単行本化とかしてくれないものですかね。いや、同社が許可してくれれば同人誌化でも。

●ちなみに前回記事以降、2月末の土曜日には予定通り、兄と兄の友人と一緒に、追浜から鷹取山、二子山とハシゴ・ハイキング。この週は1週間合計で100km以上歩いた。流石に歩きすぎてその後数日は足がガクガクした。

その後、老健に入所していた母がまた倒れて緊急入院になったり、仕事が進まなかったりであれこれ心配事多し。あ。申告も終わらせないと。

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