アルビオン燃料補給車

アルビオン燃料補給車のその後

●作りかけで放り出してあるタミヤのバレンタイン、バレンタイン・デーに合わせて今度こそ工作完了させよう――と数日前から思っていたのに、まだ掘り出しさえしていない。

とりあえず以前からの製作記はこちら。「次回には工作終了!といきたい」と書いた製作記の最終更新は、2020年5月。

●直近いじっているエアフィックスのアルビオン燃料補給車は、その後もちまちま工作を進めて、なんとか形になった。実は「工作完了!」というにはまだちょっと足りないのだが、現状写真を以下に。

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現状説明、前回までの工作以降でいじったところ、未工作のところなど。

・屋根の上の燃料補給ブームには、前回紹介したダイソーの「アルミ自在ワイヤ―」でホースを取りつけ、ブーム自体もポンプ室上部に接着。ブームとポンプ室の連絡部分のホースもアルミ線に替えた。右のブームだけは、後々燃料補給シーンにできるように、やや側方に振った形に固定。実際に機体に接続するかもしれないので、こちらだけは燃料ホースが未工作。

・後部のポンプ室ドアは、シーリングのため?縁にリブがあるので追加工作。開状態で接着した。ポンプ室内部、ブームの根本の下部には、ブーム操作用の棒ハンドルがそれぞれあるのだが、未工作。

・塗装の便を考えて、車体後部の給油ユニットひとかたまりと、キャビンの屋根、キャビンドア、ポンプ室内の機器、タイヤは未接着。エンジンボンネットと左側板は現時点では未接着だが、(せっかくエンジンがあってちょっともったいないが)最終的には接着してしまう予定。

・前照灯はコードの工作を終えてから取りつけ予定。ちなみに前照灯は丸ごとクリアパーツなので、全体塗装前に後半を銀か何かで塗っておく必要あり。

●まだa型も店頭で見てはいないが、Armoramaに、IBGのII号戦車b型発売のアナウンスが出ていた。そリゃまあ、出るよね。

実はIBGのII号戦車初期型発売の報を聞いた当初は、「買うならb型が出てからかな」などと考えていたのだが、手元のWAW 1:72のII号戦車を見比べているうち、寸詰まりのa型のほうが魅力的に思えてきてしまって迷い中。昔だったら「両方買っておかなきゃ!」だったのだが、さすがにもうそこまでの気力も財力も……。

●web上の資料としては、昔からかなり重宝していたロシアのサイト、「Beutepanzer」が消失してしまった。

サイト名通り、大戦中にドイツが鹵獲使用した各国AFV(なかでも特にソ連製車輛)の写真を丹念に集めていたサイトで、写真それ自体は寄せ集めで質が高いとは言えないものの、「鹵獲車輛で近付いて撮っているからこそ確認できた仕様」なんてものもそこそこあって助かっていたのだった。誠に残念。消失の原因がウクライナ戦争がらみなのかどうかは不明。

●資料サイトに関してもう一件。フィンランドの戦時中の写真アーカイブ、「SA-kuva」が不通。

おそらくこのアーカイブはフィンランド国防軍直営のはずで、フィンランド国防軍サイト表紙下部のメニューには現在も「SA-kuva - Finnish Wartime Photo Archive」は出ているのだが、少なくとも昨年末からはずっと不通のまま。メンテナンスにしては長すぎる気がするし、それならそれで、メニューをクリックしたら「メンテ中ですよ」のお知らせページに飛ぶとかの措置はあっていい気がする。

フィンランド国防軍サイトのお知らせあたりを丹念にめくってみると何か書いてあったりするのかもしれないが……。

●youtubeで配信されている「ゆる言語ラジオ」の水野さんって、「ディック・トレイシー」のヤマダ警部と激似だよね!

と、以前から思っていて、「これだけ似ていたら、そう思っているのは私だけではあるまい」と考えて、「ゆる言語学ラジオ ヤマダ警部」で検索してみたら全くヒットしなかった。古すぎた?

●ちなみに「ディック・トレイシー」(もちろんアニメの方)に登場するヤマダ警部は、オリジナルでは「ジョー・ジツ」という、何系だかよく判らない名前。日本語版でヤマダ警部になったのは、要するに「スター・トレック」のスールーが日本語版では「ミスター・カトー」になったのと似たような話だが、ジョー・ジツ/ヤマダ警部は、チビなのにジュージュツ?を使って巨漢の悪人をびったんびったん振り回し、ベタな「engrish」を話し、退場時には「サヨナ~ラ~」と言うなど、明確に日系人という位置付けになっている。

いつまで観られるかか判らないが、youtubeに上がっていた、ジョー・ジツ/ヤマダ警部が出てくる回はこちら

風貌はチビ・丸顔・メガネ・出っ歯・釣り目と、いかにも日本人ステロタイプな描き方だが、それが嫌味にならないのは、そうしたステロタイプなキャラを安易に敵役に据えるのではなく、ディック・トレイシーの腹心の部下として胸のすく活躍をさせているため。アニメの「ディック・トレイシー」は、他にもヒスパニック・ステロタイプな部下、「ゴー・ゴー・ゴメス」を登場させているので、1960-61年という比較的早い時期の制作ながら、(ステロタイプなキャラ付け自体は旧時代的ではあるものの)マイノリティへの配慮を心掛けていたらしいことがわかる。

なおゴー・ゴー・ゴメス警部は、同じくアニメの「ルーニー・トゥーンズ」のキャラ、“メキシコ最速のネズミ”「スピーディ・ゴンザレス」のパロディ(というかリスペクト?)だそうな。

このスピーディ・ゴンザレス(と、ゴー・ゴー・ゴメス警部)も、かなり強烈なヒスパニック・ステロタイプなキャラ付けで、そのため、2000年前後には一時、スピーディ・ゴンザレスはカートゥーン・ネットワークにおいて放映自粛の憂き目にあっている。が、実際には、「この時代(1950年代)にあって、明確にメキシコ系でありつつ縦横無尽に活躍するヒーロー」としてヒスパニック系の人々の間での人気は高いそうで、ヒスパニックの人権団体が中心となって復活の運動が起こされ、放映再開となった経緯がある。

●先週あたりのニュース。

位置情報技術の会社、ジオテクノロジーズ(株)と、東京大学のCSIS(空間情報科学研究センター)は徒歩人流データの共同研究を開始するそうで、そのサンプルとして、1都3県(首都圏)の市区ごとに調べた「よく歩く街ランキング」を発表した。

それによれば、平1都3県・計184市区のうち、日、週末ともに、一番よく歩いている町は我が町逗子市だそうだ。へー。

思うに、都会に出るための鉄道駅はあるが、市内の公共交通網はそれほど便利ではなく、道が狭いので近場の移動なら自動車より徒歩、という人が多いのでは。

ちなみに同ランキングにおける逗子市の1日あたり平均歩行距離は、平日が1.888km、週末が1.867km。「トリマ」という、ジオテクノロジーズ製“ポイ活アプリ”のユーザーデータを元に算出したものだそうな。私は1日平均もっと歩いているが、少なくともこの調査の時点では私の移動データは含まれていない。

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厄除け

Img20230125173113 ●逗子、田越川河口から、江の島越しの富士山夕景。1月25日。

●先月100歳の誕生日を迎えたばかりの母だが、正月早々、大腿骨転子部(付け根の部分)骨折。早朝、呻き声がして兄が気付き、廊下で倒れているのを発見した由。救急搬送され数日後に金属を埋め込む手術。

転んで折ったにしては打ち身や擦り傷などもなく、骨粗鬆症で折れて転んだ可能性もありそう、というのが救急隊員の話だそうだが、そのへんは、本人も(認知症で)覚えていなさそうなので真相は不明。

昨年亡くなった叔母二人も転んで脚を折って、そのまま寝たきりに――という経緯で、母もそうなることはまず避けられないと、半ば覚悟。そもそもさらに高齢の母が手術そのものに耐えられるかどうか、という懸念もあったのだが、手術後数日して病院にその後の経過を聞きにいったところ、(医師も驚いたことに)すでに起き上がって、補助具等で体を支えて歩いているとのこと(コロナ禍下のため本人との面会は不可)。100歳の根性恐るべし。

むしろ何でも自分でやりたがる人なので、再び転んで折ったりしないかが心配。

兄と相談し、短期間、老健でリハビリに励んでもらい、その間、自宅の必要部分のバリアフリー化の工事を行うことに。

Img20230121150708 ●母と同居している兄は、新年早々の母の大怪我に加え、飼い猫に出来物が出てこれも手術、さらには次男が同棲している彼女ともどもコロナ罹患とあれこれ心配事続き。「あんまりいろいろ続くから、今度来るときに、どこか鎌倉の適当な寺社でお札を買ってきてくれ」というので、大町の八雲神社でお札を買って持っていく。

いつも散歩の折に前を通る、そう大きくもない神社なのだが、実は鎌倉で厄除けと言えばココ、みたいな位置付けだというのを、ネットで調べて改めて知った。何年か前に放映されたテレビドラマ「ツバキ文具店」の文具店は(ドラマ内の設定では)この神社の隣にある。

なお、川崎の実家の近所には「身代り不動尊」という、厄除けではかなり有名で遠方からも参拝者が絶えない寺があるのだが、子供の頃から身近すぎるうえ、ものすごく儲かって建物がみるみる大きく・キンキラキンになっていく姿を見ているため、逆に「御利益なさそう」というのが兄弟の共通見解(あくまで個人的感想です)。

Img20230120153345 ●以前にも書いたように、鎌倉市は丸ポスト(郵便差出箱1号(丸型))の現存数では、日本の市町村でも1,2を争う場所なのだが、それでも何やかやの理由で、いつの間にか姿を消してしまうものもある。

先日、北鎌倉駅近くを通ったら、小坂郵便局前にあった丸ポストが、角ポストに代替わりしていた。残念至極。サイト「ポストマップ」への画像投稿によれば、昨年末(11月)時点ではまだ丸ポストだったようなので、つい最近変わったらしい。

丸ポストが消える理由としては(古くて、不便だから、という以外で)設置場所が現在の基準を満たしていないとか、そのポスト設置の理由となっていた商店等がなくなってしまったとかが多いように思うが、比較的積極的に丸ポストを残そうという姿勢の鎌倉市域で、郵便局前の丸ポストが撤去されてしまうとは思わなかった。

もっとも、丸ポスト自体が作られてからすでに70~50年経っており(生産は1949年~70年)、外見はどうあれ中がボロボロになっていて交換せざるを得なかった可能性もあるし、また、同じ鎌倉市といっても、鎌倉局と大船局とで丸ポストの扱いに差がある可能性もある。もっとも、同じ大船局でも、常楽寺交差点脇の「あっち向いてホイ」ポストは、上写真と同じ日に見たが健在だった。

●エアフィックス48、アルビオン燃料補給車の中間報告の続き。

そもそも当初は「あとは塗るだけ状態」までさっさか作ってしまう予定で、そのため前回は、製作途中での記事はせいぜい一度かな、というつもりで題名を「中間報告」としたのに、ちょっとよくない癖が出て、部分的に後戻りしてしまった。

前回も写真を乗せた、トラック車台そのものの燃料タンク周り。実車とちょっと取り付け方が違っているのが気になって、結局、一度付けたパーツを(エナメルシンナー剥がしで)もぎ取って、部分的に作り替えた。

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左が前回も載せた、未改修で燃料タンクを付けた状態。右が改修後。燃料タンク取付ステイは、正しくは燃料タンクのほぼ左右端(というか前後端?)にあるようで、さらにステイにはベルトで固定されている。ステイそのものはタンク上側のステップに隠れて見えないが、ステップもステイにリベットで固定されていて、ステイ位置に帯金とリベットがある。

というわけで、改修はやや面倒になるが、

  • 後ろ側のステイ位置を移動(ステイ自体も作り直し)。
  • それに対応し、ステップ上の帯金とリベットのモールドを削り落とし、後ろ側に移動して作り直し。
  • 燃料タンクに固定用ベルトを追加。
  • 燃料注入口下に、何やらエンブレムのようなものが付いているので追加。

なお、その後実車写真を見直していたら、実車では、キャビンの背板は二重構造になっていて、後ろ側の板はシャーシ下にまで伸びている、というのが判ったのだが、流石に今更キャビンをもぎ取って作り直すのは避けたい。

●燃料ホース用ブームの追加工作。ブームは折れ曲がったりしないよう、上側に補強用の張り線があるので、取付部に0.2mmドリルで穴開けし、0.8号の色テグスを張った。併せて、ブーム先端の「らっぱ口」部分も、変なホース受け口モールドを切り落とし、口を彫り込む。

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張り線工作は、プラが柔らかいのでテグスをピンと張ろうとするとブーム自体がしなってしまう。なるべく「しなり」が目立たないよう工作したつもりだが、考えてみれば、先日、TKSの履帯連結用に0.2mm真鍮線を買ってきてあったので、それを使えばよかったのだった。

燃料ホースそれ自体は、これから工作予定。

Img20230127201148 そのホースの材料だが、横浜ヨドバシの模型売り場の工作材料のコーナーであれこれ物色。タミヤの「曲げ自由」のロッドは、ホースに使うには太すぎるものしか無し。プラストラクトやエバーグリーンはプラ質が柔らかいので曲げやすいが、それでもこのホースを作るには熱して曲げる等が必要と思われるので少々面倒。曲げやすそうなアルミ線は、1mm径のものが50cm長3本で1200円台。結構高い。

別に普通の針金でもよくないか? それなら百均にでもあるんじゃないか?と、隣のダイソーを見に行ったら、なんと1mm径のアルミ巻き線が20m弱で100円だった。どのみちグネグネ曲げて使うので、直線である必要はなく、これで充分。

やっぱり百均は、使えそうなものがないか、たまに覗いて確認しておかないといかんなー。

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アルビオン燃料補給車・中間報告

●年末からいじっている、エアフィックス 1:48、アルビオンAM463燃料補給車の製作記の続き。

とはいえ、しっかりディテールアップするほどの資料も(そしても元々そのつもりも)ないことなので、比較的淡々と作業を進めているだけ。

●その前に一つ。

当ブログの古い記事をつらつら見ていたら、なんと!昨年末の記事以前に、このキットを入手した当初に、一回すでにレビュー記事を書いていた。すっかり忘れていた。ボケとるなこりゃ。しかも書いている内容自体、年末に書いた記事とおおよそ変化なし。特に手元に資料等ないアイテムなので当然と言えば当然だが、なんとも進歩のないことで。

●現状。塗装の便も考えて、あちこち未接着ではあるものの、ほぼ車輛の全体形が見えてきた。

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御覧のようにディテールもなかなかしっかりしていて、小粋な姿に組み上がるキットなのだが、先日も書いたように、パーツの位置決めが曖昧な個所が多いこと、「なんだそりゃ」な組立手順が随所にあることなどが問題点と言えそう。説明書はすごく丁寧なのになあ……。

以前に書いたことも含めて、組立手順上の注意を以下に纏めておく。

▼燃料タンク(C12・C13)は手順14でシャーシフレームのステイに接着するよう指示されているが、ダボなどもないので取付位置が曖昧。実際には、手順41でタンク脇のステップ(B01)を取り付けないと、タンクの正確な位置は判断できない。なお、キットではステイに対してタンクは左右不均等に付くことになるのだが、実車ではステイの間隔がもっと広く、ステイは左右対称に、タンクの両端にあるのが正しいようだ。

▼手順15、16でエンジン周りの小部品を付けるよう指示されているが、これは手順6のエンジンのシャーシフレームへの取付以前に済ませたほうが楽。ただし、パーツB19のファンベルトだけは、逆に、手順44のラジエーター(D10)の取付直前のほうがいいと思う(ラジエーターとエンジンを結ぶパーツなのに、角度を決めるダボなどがないので、いざラジエーターを付けるとき、がっちり固着した状態でズレがあると厄介)。

▼手順23で付けるよう指示されているシフトレバー(D02)は、実際にはキャビン床に空いた穴を通して、シャーシに付いているトランスミッションに取り付けるようになっているので、キャビン床をシャーシに取り付けた後でないと取り付けられない。そして組立説明書の手順通りに工作を進めると、キャビン取付時にはキャビンの屋根まで含めて箱組が済んでいるので、シフトレバーは取り付けようがない。どないせいちゅうねん。また、トランスミッションはすでに手順4でシャーシフレームに取付済みだが、実際にはきちんとキャビン床との位置調整をしながら取り付けないと、シフトレバーの取付部と床の穴の位置が一致しない。

▼手順42で取り付けるよう指示されているキャビン乗降用ステップ(B14)は、手順31のキャビン取付前に付けたほうが楽。いやまあ、キャビン取付後でも付けられるけどね……。

▼ポンプ部品(D12・D18)は手順33でポンプ室の床(B08)に、ホースの根本(D13)は手順36で天井(B09)に付けるよう指示されているが、この手順で組むと、最終的に手順37でポンプ室を組む時に、ホースとポンプをきちんと接着できない。まあ、どうせ接合部は裏に隠れて見えないからいいよ、とも考えられるが、それではどうもキモチワルイと思う人は、手順34でポンプ室の背板(A10)を接着せず、手順35で側板(B10)を床に付ける際にガイドとして添えるだけにして、最終的に、ポンプとホースを接合してから背板を付けるようにするといいと思う。私は塗装の便を考えて、そもそもポンプ+ホースと、ポンプ室をそれぞれ別に組んでしまった。この状態でもあとからポンプ室にポンプを挿し込むことは可能。

▼手順40。タンクとポンプ室の接合はしっかりしたダボなどなく、ポンプの上下がだいぶ左右回転方向にブレる。ポンプのキャップ(A12)がちゃんと真上を向くよう、シャーシフレームに仮置きして確認が必要。

▼同じく手順40。タンク前端左右のラダーだが、タンク上部の「受け」形状がちょっと変で、ラダーの一番上の横棒がと干渉して隙間ができる。「受け」部分を、横棒がうまくはまるよう削って調整が必要。

▼手順48。キャビン横のスペアタイヤの取付位置が曖昧。私は塗装説明図(の側面図)を頼りに位置決めをしたが、後から実車写真を見たら、もっと下にずらしたほうがよかったようだ(右側面が写った写真は手元に1枚しかないので、もしかしたら個体差があるのかもしれないが)。

現時点で手を入れた部分、あるいはちょっと気になったけれども手を入れなかった部分は以下。

▼フェンダー裏側の薄削り。これは先日書いた通り。後輪フェンダーも前後縁は少し削った。

▼ポンプ室内部の若干の改修。これも前回書いた通りだが、天井にあるブーム操作用のハンドルがまるっと省略されているので、今後追加の必要がある。

▼ポンプ室の箱組は、側板(B10)と床(B08)・天井(B09)の継ぎ目にやや隙間と段差が生じるので、伸ばしランナーやら瞬着やらで埋めてゴリゴリ削った。

▼タンク横のラダー(D04)は実車写真を見るともっと細くて華奢なのだが、プラパーツとしてはそこそこ頑張って細いので、ちょっとヤスっただけでそのまま使った。

▼タンク横下のステップのうち、左側のB01は前方の凹部分はプラが厚かったので、0.5mmプラバンで作り直した。また全長がわずかに寸足らずだったのも、この凹部分の作り替え時に調節した。

▼エンジンボンネット側板の手すりをプラペーパーで作り替えた。

▼バンパー(D19)の横棒部分が変形していたのでエバーグリーンのプラ棒で作り替え。ついでにステイ部分を薄削りした。

▼エンジンはそれなりに再現されているが、上にラジエーターと繋ぐパイプがあるんじゃないかなあ。いやいや、もちろん下にもね。ただし、最終的にはボンネットを閉めてしまう予定なので追加工作などはしない。

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今のところはこんな感じ。燃料ホースはアルミ線とかで作り替えかなあ……。

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謹賀新年2023

●明けましておめでとうございます。

本年も――おそらくこれまで同様に当「かばぶ」はぐだぐだな内容だと思いますが、なにとぞよろしくお願い申し上げます。

●例年通り、大晦日に川崎の実家に行って、母・兄と年越し。

1日にはドイツ人Pと、Pの長女Jが遊びに来て、午後中まったり飲み食いしながらお喋り。Pらの帰宅後、甥(兄の次男)Gが彼女連れで来る。田舎の叔父宅に電話したり、なんだかんだと、それなりに正月らしかったかも。

2日は兄と墓参りに行き、そのまま、津田山の墓地から東急田園都市線の宮崎台駅まで延々と歩く。横浜に寄って帰宅。

Img20230103133901 ●3日、ふと思い立って(特に用事もなく)稲村ケ崎まで往復歩く。

初詣客で混んでいるであろう鎌倉中心部には立ち寄らず。個人的には、「初詣」というものに格段の重要性を感じていないが、たまたま前を通るし、ということで、小坪の天王社(須賀神社)でお賽銭。

この小坪天王社は、“おらが村”である小坪村の総鎮守である天照大神社の境外末社。天照大神社は披露山の端っこにあり、小坪漁港側からだと、かなり長い急階段を上がる必要がある。要するに「市役所に行くのが面倒なので出張所で」という感じ。名前の通り、本社の祭神は天照大神だが、天王社のほうは牛頭天王/スサノオノミコト。

もっとも、小坪村の夏祭り(天王祭)はこの小坪天王社のお祭りだし、さらには、小坪天王社(のスサノオノミコト)と葉山の森山神社(のクシナダヒメ)は夫婦神ということで、32年ごとに天王社の神輿が森山神社に行く「三十三年祭」というのがある(祭りがある年も1年と数えるので32年周期でも三十三年祭)。次は2028年である由。なお、小坪天王社は御覧のように祠に毛の生えた程度の小さな神社だが、葉山の森山神社は結構大きい。

●その他、(特に正月とは関係のない)正月風景。

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前々回に書いた西小坪海面砲台現状に関する補足。逗子マリーナ6号棟正面の擁壁上の柵越しに、わずかに崖裾部が見えた。どうやら、擁壁上の段(かつての親不知の崖路跡?)の向こうの崖裾部は、格子状のコンクリート擁壁で覆われているようだ。崖の左右一杯までこの処理が行われているとすると、かつての洞窟砲台の洞口も完全に覆われて、何も痕跡は確認できなくなっているかもしれない。

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小坪の飯島(逗子マリーナの端)から、目的地の稲村ケ崎越しの富士山。この日はほぼ一日中、富士山は雲被り。

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由比ガ浜の波打ち際の細かい貝殻の集積。そしていつもとは逆視点。由比ガ浜の割と端っこ(稲瀬川あたり)から材木座・逗子方面を振り返って1枚。

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稲村ケ崎突端の銃眼と、その拡大。この斜め下には「伏龍」出撃基地とされる洞口があるが、大潮の時くらいしか近付けないようだ(私自身はそんなタイミングで訪れたことがなく、洞口は見たことがない)。

しかし、(銃眼があるからには、何らかの陣地だったのは確かだとしても)波の荒い岬の突端から、重い潜水装備に刺突機雷を担いだ兵が、海底を歩いてある程度以上の範囲に展開できたとは思えない。そもそも米軍が、海岸線に急斜面が迫る七里ガ浜や、山に囲まれてその後の展開に支障が出そうな旧都鎌倉に上陸作戦を敢行するとも思えないから、対上陸用舟艇の特攻兵器である伏龍をここに配置した可能性は低いのではと思う(訓練基地だった、というならまた別だが)。

小さなモーターボートに爆薬を摘んだ「震洋」の基地だったという説もあるそうだが、写真で見る洞口は、小さな舟艇でも出入りできたのかどうか怪しい(洞内に複数の舟艇を収容できたのかどうかも怪しい)。

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夕方、再び飯島あたりまで戻ってきて、振り返って1枚。手前から和賀江島(鎌倉時代の船着き場跡)、稲村ケ崎、江の島の向こうの富士山。多少雲は残っていても、シルエットならOK。

●AIRFIX 1:48、アルビオン燃料補給車の製作の続き。

荷台の燃料タンクの後ろにはポンプ室?があって、後面の扉は開閉選択式。中には一応、それらしく機器のパーツが入っているが、若干手を加えた。

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奥の壁にあるメーター付きの筒形パーツは、もともとキットにモールドがあったが、立体感に乏しいので削り落として作り変えた。横の壁にも何やら「付属の品」を追加。

とはいえ、もともとキットに含まれていたメインの内部機器パーツ自体の形状が結構怪しく、本当はもうちょっと、向かって左側にスペースも開いていて、先述の「奥の壁のパーツ」が見えていないとおかしい。が、そこをとやかく言いだすとこのメインの機器パーツ自体、1から作り直さないといけなくなって激しく面倒なので、適当なところでお茶を濁した。機器の後ろにもう少しパイプ類もあるのだが、どこからどこに繋がっているのかが判らないので、こちらも工作は諦めた。ヌルし。

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彫師

Img20221229015336 ●アルビオン燃料補給車の前部フェンダー、左右ともそれなりに「窪んでいる」状態まで彫り込んだ。やれやれ。もっとも、プラが柔らかいので思ったよりは早く片付いた。

シャーシフレームにそれなりにパーツも付けてみて、ここまで組んでの感想いくつか。

▼パーツの位置決め、方向決めがやや曖昧。もちろん、一頃の東欧キットのように「部品をどこに、どう付けたらいいかわからん!」ということは基本ないが、例えば4カ所のリーフスプリングが、シャーシフレームに対してしっかり真っ直ぐになっているかどうかは「部品任せ」では決まらない。ここが歪んでいると、後々4輪がきちんと接地しないことになりかねないので、ピッタリ決まるような何らかの工夫が欲しかった。

▼バリ等はないが、入り組んだ部分のパーティングライン、微妙な型ズレの直しが面倒(ほぼ見えなさそうなところはそもそも本気で直していないが)。

▼近接部位のパーツがあっちの枝、こっちの枝にバラバラに配置されていて、いちいち探すのが面倒。別にタミヤとかでなくても、普通のメーカーなら例えばエンジン周りならひとまとまりで同じ枝になっていそうなものだが、このキットの場合A枝、B枝、C枝、D枝に分散している。なんで!?

▼謎の部品取り付け手順。「絶対、これはこの段階じゃないだろ!」という指示がある。例えばエンジン側面に取り付けるパーツB12が、エンジン本体をシャーシフレームに付けた後に取り付けるよう指示されているが、あらかじめ付けておいたほうが楽。その上に付く排気管D15もエンジン取付前のほうが付けやすいと思う。

▼一方で組立説明図は多色刷りで丁寧。1ステップ前で取り付けたパーツは色を変えて図示し、取付後の姿がはっきりわかるようにしている。それでも見難い部分に関しては、別途向きを変えた別図など添えていて間違えにくいようにしている。

●そういえば、今季はフユイチゴを食べていなかった!といきなり思い出し、日曜日、例年つまみ食いしている某所に出掛ける。

昨年同様、途中で「山歩きのおやつ」として「小倉&マーガリン」のコッペパンを仕入れ、現地でこれでもかとフユイチゴをトッピングして食べる。美味し。

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鎌倉市図書館に「鎌倉・太平洋戦争の痕跡」(鎌倉市中央図書館近代史資料収集室/CPCの会、2004年)という冊子があり、図書館サイトでPDFで閲覧もできるようになっている(興味のある方は図書館サイトで書誌名で検索のこと)。

このなかに西小坪海面砲台のことも出ていて、それによれば、砲の据えられた二つの洞窟は、現在の逗子マリーナ6号棟正面の崖の、ちょうど6号棟の左右端の前あたりにあったらしい。

Img20221220151344 崖に向かって右側の擁壁には、現在上側で通行止めになっている階段があるが、これは上記資料によれば、洞窟の爆発事故で亡くなった子供たちの慰霊の地蔵へのアクセス用に設けられたものだという。

以前の記事に書いたように、この地蔵は現在では小坪海岸トンネル入り口上になるが、もともとは南砲台の洞窟前に置かれていたものだという。その当時の写真も、逗子市役所の写真アーカイブ「逗子フォト」にある(「小坪の洞窟砲台」で検索すると出てくる)。

というわけで、南砲台の洞窟は、この階段を上がってすぐの場所にあったはず。藪が多少は薄くなる(はずの)冬なら、もしかしたら洞口の痕跡くらいは見えるかもしれない――などと考えていたのを、先週通りかかった時に思い出し、ちょっと上まで登ってみた。

階段そのものが草藪と化していて、上るだけでも面倒だったが……結果。冬だろうと藪が濃くて、その向こう側はまったく見通せなかった。

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1枚目は通行止めの鉄棒越しに、ほぼ真っ直ぐ崖方向を向いて撮ったもの。2枚目は飯島方向(崖に向かって左方向)。3枚目は振り返って草ぼーぼーの階段を撮ったもの。

洞口はコンクリートが巻かれていたので、洞窟自体は埋められていても、藪さえなければ痕跡くらいは見えそうなものだが、残念。

●仕事先の神保町の事務所のC社長夫妻がコロナ罹患。ほぼ同時にその事務所での仕事仲間のE君も発症し(家に受験生がいるとのことで)隔離施設入り。一気に身近に迫ってきた感。

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アルビオン燃料補給車 AIRFIX 1:48

Img20221225203015 ●久しぶりにこつこつ模型の手作業中。

ネタは老舗エアフィックスの「アルビオン燃料補給車(ALBION 3-POINT FUELLER)」。

イギリス空軍(RAF)の地上支援車輛で、RAF以外で作りようがない(もしも他国で使っていたとしても知らない)アイテム、しかも48となると、私の通常のアイテム選択範囲からは外れるのだが、そのクラシカルな風貌とタンク上に背負った給油ブームなどの面白さに惹かれて、ついつい飛びついてしまったもの。発売されて割とすぐに買ったような覚えがあるが、SCALEMATEによれば、発売は2015年。そんなに前だったかなあ。

いやいやいや。模型を作るなら、作りかけのアレとかアレとかアレを進めろよ!次から次にお手付き増やすなよ!という自分ツッコミも毎度のことだが、まあ、勘弁しておくれ(誰に謝ってるんだか)。

とにかくこのキット、買ってそのまま仕舞い込んであったのだが、今回わざわざこれを取り出してきた理由は、来年の東京AFVの会のお題が「1930年以降の英語圏のミリタリー物」であるため。

「う~ん、そんなもん、ウチにあったかなあ」としばし悩んだ末、この程度しか思い至らなかった。実際にはイギリス製/アメリカ製AFVのキット・ストック(および作りかけ)はそこそこあるが、み~んな所属がソ連赤軍だったり中国軍だったり自由ポーランド軍だったり。まともに英軍所属の作りかけで「塗りかけのロールスロイス装甲車があった!」と思ったのだが、1930年より前なのでアウト。あっ、SASジープとかデザート・シボレーとかもあったわ(今思い出した)。

もっとも、どうせそのうち他のキットに浮気するので、来年の東京AFVの会までに完成するとは思えないけれど(←今から後ろ向き)。

●とにかくせっかくいじり始めたので簡単に実車とキットの紹介を。

キット名称では「ALBION 3-POINT FUELLER」としか書いていないが(アルビオン3点燃料補給車、とでも訳せばよいか?)、一応、車輛の形式名というのがあって、ALBION AM463という。この形式名は燃料補給車固有のものではなく、1930年代に登場した汎用のトラック車体のもので、他にも通常のトラックとかトレーラーとかバンとか救急車とかクレーン車とか、あれこれあるらしい。

燃料補給車は「3-POINT FUELLER」の名の通り、燃料ホース付きの可動式ブームが3本タンクの上にあって、どうやら同時に3機を相手に給油ができるらしい。

説明書の解説によれば、開戦時には400輌以上が英空軍にあり、大戦初期の燃料補給車の主力として使われたらしい。

とはいっても、地味な裏方車輛のことなので、ネット上で漁ってもそれ以上に詳しい情報も、写真もそれほど出てこない。まあ、そのぶん、ほぼほぼキットを信用して作るしかないかな、という相手ではある。

●キット内容は、透明パーツを含めてプラパーツの枝が5枚。48の小柄なキットの割に、結構ギッシリ感がある。

近年のエアフィックスは、35AFVではアカデミーのOEMが多いが、このキットはエアフィックス・オリジナル(たぶん)で、飛行機キットと同様の「MADE IN INDIA」。プラも飛行機キットなどと共通の淡いライトブルーの柔らかめのもの。

最近のタミヤとかエデュアルドとか、その辺の「ヒケもなければパーティングラインもひと撫ですればOK、パーツのエッジも手が切れそう」的なシャープさはないが、48キットとしては十分な部品割と再現度だと思う(ほとんど資料がないので、実車と比べての正確さなどはよく判らないが)。

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  • 写真1枚目:Aパーツ。車輪、キャビン、燃料ホースなど。ちなみに枝のほぼ中央、燃料ホースが1本、先端部分が折れている(欠損部分は箱の中に転がっていた)。
  • 写真2枚目:Bパーツ。燃料タンク、燃料補給ブームなど。
  • 写真3枚目:Cパーツ。シャーシフレーム、ボンネットなど。
  • 写真4枚目:Dパーツ。ラジエーターグリル、燃料ポンプなど。
  • 写真5枚目:Eパーツ(透明パーツ)。

デカールは1種、塗装例は1940年の英空軍としか書いていないが、バトル・オブ・ブリテン時の英本土基地のものではないかと思う。……ダンケルクで置き去りにされたヤツとかじゃないよね?

燃料補給用ブームは、左右のものはまっすぐ前に畳んだ状態と、45度、90度に展開した状態の選択式。キャビン左ドア、荷台後部のポンプ室?扉も開閉選択式。内部もそれなりに出来ているので、48のスピットやハリケーンなどと合わせて燃料補給中のジオラマも可能。もっともこのキットにフィギュアはまったく入っていないので、別途、同じエアフィックスの「WWII RAF Ground Crew」(04702)とか、ICMの「RAF Pilots and Ground Personnel (1939-1945)」(48081)(レベルで出ているのもたぶん中身はICM)あたりが必要になる。

●細かい点のあれやこれや。

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タイヤのトレッドパターンは、35スケールでもままあるが、本来は溝の部分を段差でなんとなくそれらしく表現しているもの。一発抜きのプラパーツなら仕方ないかな……。そのうちHaulerあたりから、レジンのタイヤとか出そうな気もする(同社からはこのキット用のエッチングパーツは既に出ている)。

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この車輛は何箇所かの平板パネル部分に、強度確保のためにうっすらとピラミッド型の凸プレスがしてあって、キットもそれを再現している。実車写真を見ると、もっとエッジがクッキリ立っている感じなので、カリカリにチューンナップしたい方はプラペーパーを裏からケガいてパネルを新造するなり何なり……。個人的には「わ、面白い車輛!」レベルで手を出しただけなので、これで充分。

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荷台後面のポンプ室(?)の観音開きの扉も凸表現入り。閉状態用の一体パーツと開状態用の分離パーツが入っているが、開状態のほうでは取っ手(ロック?)が捻ってあるのが芸コマ。

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燃料補給ブームは、キットのパーツでは、ラッパ型の先端からアダプターのようなものが飛び出していて、そこへ直角にホースが接続するようになっている。これがちょっと不思議で、ネット上で拾った何枚かの実車写真では(キットの箱絵でも)、ラッパ型の先端から直接ホースが出ている。パーツ割の都合(接続部の設計の都合)でエアフィックスが勝手にこんなふうに変えてしまったのか、それとも生産時期によってはこんな形状のものもあったのか……。しかしそもそも先端がラッパ型なのは、ホースがエッジに当たって切れたりしないように配慮したものという気がする。私自身は、前述のようにホース部品が一本折れていたりもするので、ホース自体も(何か柔らかめのプラか金属のロッドで)作り変え、「ラッパ口」から直接出る形に変えたいと思っている。

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このキット、強度確保のためなのか、前部フェンダー裏は本来窪んでいるものが逆に分厚く盛り上がっている。もちろん、作ってしまえばほとんど目立たなくなる部分なのだが、なんとなくそのままにするのは個人的にキモチワルイので、自作のノミだのヤスリだのでコリコリと削る(鎌倉彫の職人か何かになったような気分)。

左写真が工作前の状態、右写真が削り工作中のもの。現在はまだ片側しか削っていない。ある程度削って「ああ、窪んでるな」という感じになったら縁を尖らせて終了の予定。

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