マンホール

ノームかグノームか

 ●フランスの航空機エンジンのGnomeは、正確には語頭の「G」も発音して「グノーム」と読むのが正しいらしい。大学の時にフランス語を習っていたのに知らんかったよ……。

「日本人にとってなじみが薄い読み方をする」というだけで、実際には英語に比べてずっと綴りと読みは規則的なフランス語だが、「gn」という綴りは、通常は「ニュ」という発音を表す。地方名の「ブルターニュ(Bretagne)」や「シャンパーニュ(Champagne )」、ファッション・ブランドの「アニェス・ベ(agnès b. )」(日本では普通「アニエス・ベー」と表記)、三銃士の主人公の「ダルタニャン(D'Artagnan )」 などがその例だにゃん。実際、フランス語の子音の綴りの発音解説サイトなどを見ても、「gnはニュと読む」としか触れられていないのが普通。

というわけで、Gnomeについても、フランス語の正確な発音だとおそらく「ニョーム」で、それだとカナ表記としてもなんだか据わりが悪いので慣用で(英語読みとしても通用する)「ノーム」、なのだと思っていた。

もっとも、では語頭だと必ず「グヌ」になるのかというとそうでもなく、このGnome(地精)とか、Gnostique(グノーシス派の)とかは外来語(ギリシャ語由来)だからGも発音する、くらいの感じらしい(そもそも語頭にGnが来る単語は珍しく、手元の中辞典では、この2単語の関連語・派生語も含めて10数語しか出ていなかった)。

まあ、Gnomeの場合イギリスでもライセンス生産されていたりして、その場合は当然英語読みするだろうし、そもそもファンタジー世界のキャラ名として「ノーム」もそれなりに通っているので、「ノーム」と読んだままでも構わないと思うけれども。

●ちなみにフランスのエンジンのGnomeは、第一次大戦機ファンには「グノーム(ノーム)」、第二次大戦機ファンなら「グノーム・ローン(ノーム・ローン)」の名前で馴染みがあるのではと思う。

もともと「グノーム」と「ル・ローン」は別会社だったのが1915年に合併。グノーム・ローン(正式な社名はSociété des Moteurs Gnome et Rhône/ソシエテ・デ・モトゥール・グノーム・エ・ローン。間の&(et)を略してGnome-Rhôneと表記されることもあるが、これはブランド名かも)となる。

合併してからもしばらくは「グノーム」「ル・ローン」両系統のエンジンを作っていたが、興味深いのは、この両系列のエンジンは連合国側、枢軸国側両方の陣営で使われていたこと。例えばフォッカー・アインデッカーは一貫してグノーム系列のエンジンを使用しているし、フォッカーDr.IやフォッカーD.VIIIはル・ローンを搭載している。両方ともドイツのエンジン・メーカー、オーベルウーゼルでコピー生産されたものだが、単純にパクっているわけではなく、(少なくとも初期モデルに関しては)きちんと戦前にライセンス権を購入しているらしい。

……というわけで、ドイツのオーベルウーゼルに関しては、「フランスのロータリーエンジンを作っていた会社」みたいなイメージでいたのだが、今回ちょっと調べ直してもうちょっと面白い(入り組んだ)経緯が判った。

そもそもは1890年代、ドイツのオーベルウーゼルが小型ながらパワフルな単気筒エンジンを開発してGnomと名付け商品化、ヒット作となる。おそらく、「小さいがしっかり仕事する」というようなイメージから、Gnom(地精・小人)の名を付けたのではないかと思う。これをフランスの会社がライセンス権を購入して生産(綴りはフランス語でGnomeとなる)、さらにはその技術をもとに多気筒のロータリーエンジンを開発し、これが前記のGnomeシリーズとなった、のだそうだ。

●グノーム・ローンは、戦間期から戦後の一時期までは、バイクや自動車も手掛けていて、エレールからは下のような大戦中のオートバイの1:35キットも出ていた(というか、今でも出ているかも)。箱には車種形式など書かれていないが、実際には「AX2」という800ccのオートバイ(+サイドカー)で、1938年に登場。軍用としては1940年までに約2700台がサイドカー付きで生産されたらしい(キットの説明書とか「Kfz. der Wehrmacht」とかより)。

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例によってつまみ食いしてちょっといじってあるが、車輛本体のパーツ構成は2枚目写真のような感じ。これに(箱絵にあるように)フィギュア3体が付く。

Scalematesによれば、発売は1970年代後半で、タミヤのBMW R75サイドカーから数年後の発売ということになるが、出来としては同程度だろうか。1:35インジェクションのバイクのキットの常として、ワイヤースポークは太目で実感を損ねているため、なんとかしたいところ(まあ、頑張っているとは思うけれど)。SWASH DESIGNのタイヤ&スポーク・セットに交換するのが最もスマートな解決法だとは思うが、同製品は現在メーカー在庫切れ。

ちなみに、キットの箱の中には、これに使おうと思って調達したのであろう1:48第一次大戦機用のワイヤースポークのエッチングパーツが入っていた。大きさ的にはちょうどいいくらいの感じだが、もちろん型押しはされておらず平板で、しかも硬そうな洋白だかステンレスだかのエッチングなので扱いづらそう。

20200909_142237黒いセイバー。( → )

(いやまあ、なんとなく。そう読めちゃったので)

●セブンイレブンのコーヒーから、通常のホットコーヒー(ブレンド)の一段上の「高級キリマンジェロブレンド」がいつの間にか姿を消してしまい、地味にショック。

と言いつつも、実際に+αのお金を払って飲んだことはあまりなく、実は「コーヒーを10杯飲んだら1杯ただ」のクーポンを使うとキリマンジェロブレンドもそのままただだったので、そんな時だけありがたく飲んでいただけなのだが(セブンイレブンには「そんなヤツに飲ませるために商品化したんじゃねえ!」と言われそう)。

(10/17追記:しばらく間をおいて、「グアテマラブレンド」が登場した。どうやらある程度の期間限定で「高級」系を交替させて回していくらしい)

●久々に(資料整理のため)神保町の事務所に行ったので(17日)、夕方、事務所を出てから、「(hn-nhさんのブログで知った)消えゆく御茶ノ水駅の古レール柱屋根の見納めに行くか……」などと思いつつ文坂(駿河台下からお茶の水駅方面への明大通りの坂道)を歩いていたら、坂を登り切ったあたりで事務所から「スマホの充電アダプターとケーブル忘れてるぞ~」と電話。一度事務所に戻ったら再び坂を上る気力をなくし、結局、御茶ノ水駅は見ず。まあ、もう屋根の撤去は終わっちゃってたかもしれないし……(すっぱいぶどう的な)。

なお、その際に、今年初めに設置された鉄腕アトムのデザインマンホール蓋を発見。あ、これって、こんなところにあったんだ~。

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アトムは明大の図書館棟の前あたり。ウランちゃんはもっと坂の下、三省堂前への斜めの脇道への分岐近く。実はアトムよりさらに駅寄りにお茶の水博士のマンホール蓋もあったはず(帰宅後検索して知った)。

この千代田区の「アトム」はじめ、今年初めに都内各所で設置されたデザインマンホールに関しては、マンホールカードの特別版が3月に発行・配布開始されるはずだったのだが、コロナ禍の影響で配布が延期に。開始時期については「改めてお知らせいたします」のままとなっている。

(10月1日追記。また事務所に行ったついでに、改めてお茶の水博士を撮影してきた。場所は明大12号館の前。仕事が長引いたのですっかり日が暮れてから行ったのだが、意外に明るく撮れた)

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20200918_162930 ●ひと夏に一度は食べたい浪花家(鎌倉浪花家)の宇治金時。

涼しくなる前に、なんとか今年も食べた。写真の角度のせいもあるが、去年よりも若干、盛りが低くなったような……(もっとも、以前の盛りが多過ぎた気もする)。

●前回投稿した日の前後、件のヒメグルミの樹を見に行ったら、すっかり果肉は腐った実がまだいくつも落ちていたので3度目の収穫。しかし「果肉がほとんど残っていなくて処理が簡単でラッキー♪」と思ったのは早計で、洗って干した後で割ってみたら、中の仁はほとんどが痛んでいて、無事なものは1割もなかった。実が落ちて早々に収穫しないとだめなようだ。

代わりに、と言っては何だが、カヤの実やぎんなんがちらほら落ち始め。逗子と鎌倉の2カ所でカヤの実を少しだけ収穫。重曹溶液に漬けてアク抜き中。

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駆け足の夏

●なんだかんだで1か月近くもブログの更新が滞ってしまった。

「締切がある仕事は頻繁に遅れるくせに締切のないブログは割とマメに更新する」のがスタイルだが(あかんヤツ)、これだけ間を開けてしまったのは久々かも。

ずっと書かずにいるうち、(更新のためにログインする前の)ココログのトップ画面がこれまでと別のデザインに変わっていてびっくり。

●8月15日の終戦記念日が近くなると、わらわらと戦争ネタが取り上げられるのは日本の夏の風物詩のようなものだが、ちょうどその時期、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの「戦争は女の顔をしていない」(岩波現代教養文庫)を読む。

ちなみに「そのタイミングだから読んだ」というわけではなく、ずいぶん前に市立図書館に予約を入れていたのが、ようやく順番が回ってきたため。もちろん、「べっ、別に、世間が回顧ムードだから読んだわけじゃないんだからねっ!」と言いたいわけではなく、むしろ「読む時期としてはいいかも」と思ったりもした(実際には“大祖国戦争”の終戦は5月なので、8月15日はあくまで読者たるこっちの感傷でしかないが)。

もともとは数か月前にマンガ版を読んだのをきっかけに、「これは原作のほうも読まねば」と思ったのだが、実際に読んでみると、マンガ版は話を壊すことなく、なかなかうまくイメージを補完しながら描けている気がする。とはいっても、マンガ版では書き尽くせていないところも、また、これはちょっと印象が違うかも、というところも若干はある感じ。マンガ版を読んだ時の感想はこちら

マンガ版を読んでイメージしていたのとちょっと違ったのは、1人のエピソード(1人に対するインタビュー)が基本、だいたい同じくらいのボリュームで載っているのかと思ったらそうではなくて、数ページにわたるものもあれば、ほんの数行しかないものもある、ということ。ただし、その後で改めてマンガ版を読んだら、マンガ版の方でも(他人のエピソードにくっつけて)断片的エピソードも取り上げられていた。

この本を読むうえで、ミリオタ的知識が必要とは言わないが、それがイメージを補ってくれる部分は確かにある。何人かのエピソードに「(古い)1トン半トラック」という言い回しが出てくるが、「ああ! たぶんインタビューに答えているばあちゃん(たち)は、ポルトルカ(GAZ-AAの愛称)って言ってるんだな」というのが判るし、その大きさ、ガタピシ具合もイメージできる。

レニングラードの話で、「市電の三番でキーロフ工場まで行くことができて、そこはもう前線」(p157)という一文が出てきて、中身が疎開した後のキーロフスキー工場が交戦の場になっていたことも判る。女性戦車兵が、中戦車では割といた一方で、重戦車(IS)に乗っていたのは希少だったという話も興味深い。弾が重いから? 「自動小銃は七十一個の薬莢でとても重い」(p175)とあるのは、弾数からPPSh-41(のドラム弾倉)であるのが判る。自動小銃ではなくて短機関銃と表現する方が一般的な気がするが、これは元の語が「アヴトマット」だったのだろうか?

訳として「これはちょっとどうなの?」という部分もいくつかあった。「戦車のハッチから引きずり出すのはとても大変。ことに砲台から引きずり出すのは」(p144)は、「砲塔」と訳すべきだろうし、「私たちのところにあったのは? 三十四型の戦車で、たちまち燃えてしまうんです」(p443-444)は普通に「T-34」と書いて欲しかった。「友軍のY-2型飛行機が降りてきました」(p341)とあるのは、元のキリル文字をそのまま残してしまったための判りづらさで、これはおそらくU-2(複葉の練習機、ポリカルポフPo-2の初期の名称)のことだろう。

●ディテールの感想から入ってしまったが、話の中身は話が詳細なぶん(そしてイメージが固定化されないぶん?)マンガ版よりさらにツラい。実際の戦いの凄惨さだけでなく、戦争が終わってからも、個人にとっての戦争(の傷跡)が終わらないのがまたツラい。

語る元女性兵士たちに対しても、この著作自体に対しても、「祖国を守り抜いた(英雄的な)戦いの勝利の暗部をほじくり出すな」的批判がずっと付きまとっていることが、前書き等々からも判る。あるいは、語って欲しい元女性兵士自身からそう言われることもあるし、いちどは語った人が、それを理由に「表に出さないで欲しい」と言い出すこともある。

もちろん、「戦勝国」だからこそその圧力も強いのかもしれないが、戦争の悲惨さ、汚さを振り返ることが「立派に戦った人たちを貶めることになる」との非難に繋がるのは日本も同じことで、むしろ近年(実際に戦争を知る世代が減るにつれて)ますますそうした声が強まっているように思えるのが、どうにも薄ら寒い。

なお、著者のスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチは、その姓からベラルーシ人だろうなとは思っていたが(実際には後から調べたら、父がベラルーシ人で母はウクライナ人だそうだ)、 今のベラルーシでは体制に嫌われて著作は発禁状態だそうだ。

その昔、渡辺ミッチーが外務大臣だった時代(ソ連崩壊直後の頃)に国会で「ベルラーシ、ベルラーシ」と言っていて、それを後藤田正晴が苦笑いして聞いているのがテレビに映ったことがある。……というのを思い出した(関係ない)。

●ついに逗子市にもカラーマンホールが登場。お隣の葉山町同様に1枚だけの特注品。逗子駅前ロータリー、マクドナルド前のちょっと駅寄りに設置された(8月17日に設置された由)。

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葉山のカラーマンホールは、スタンダードの図柄そのままをカラー化したものだが、逗子市のものは標準品(右)とは別図柄で、逗子海岸の田越川河口側に立っている「太陽の季節」碑越しの海と富士山。石原慎太郎という人は好きではないので「結局逗子ってシンタローなのかよぅ」と思わなくはないが、まあ、その辺はこれ以上ぐじぐじ言わない。

これを機会にマンホールカードの申請も行うそうな。

なお、3月に発行予定だったがコロナ禍で延期されてしまった、東京都の特別版マンホールカードは、どうやらまだ発行時期未定らしい。

●ヒメグルミ(と若干のオニグルミ)のその後。

数日放置して果肉部分をもう少し腐らせた後で足で踏んでとりあえず剥ける分だけ剥き、さらに残った果肉をまた放置して腐らせたり洗ったりを何度か繰り返して、核果を取り出した。写真2枚目、左のハート形がヒメグルミで右の普通のクルミっぽいのがオニグルミ。ずいぶん形が違うが、生物種としては同じJuglans mandshurica の変種なのだそうだ(一般に流通しているシナノグルミ/カシグルミは別種でJuglans regia )。

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思ったより歩留まりが悪く、核果を割ってみると中身が腐っているものも(体感)1割くらいあったが、1/4ほどは川崎の実家に持っていき、残りのほとんどは溶かした砂糖をからめた(4枚目)。

●8月の後半だったと思うが、セブンイレブンの店内にいたら、BGMで「あれ、聞き覚えがあるけど何だったっけな」という曲が掛かって、ちょっと考えて、トラベリング・ウィルベリーズの「Handle with care」だと思い至った。選曲シブい!

店内で掛かっているのはインストゥルメンタルだが、原曲はこちら。

ちなみに私自身は自分ではそこそこヘビーなビートルズ・マニアだと思っていたのだが、ジョージ・ハリソンが中心になって数枚のアルバム(公式には2枚)を出した覆面バンド、トラベリング・ウィルベリーズのことを知ったのは比較的最近。ヌルし。

もっとも覆面バンドとは言っても、上のようにまるっきり顔出しでPVなど作っているので、正体を隠す気は皆無。ボブ・ディランがシレッとバックボーカルを務めていたりして妙に贅沢(リードボーカルを取っている曲もある)。

ちなみにセブンイレブンの店内BGMの曲目は同社のサイトで公開されているが、それを見ると、トラベリング・ウィルベリーズの「ハンドル・ウィズ・ケア」は、9月16日~24日の曲目リストにも名前が出ている。同期間に(トラベリング・ウィルベリーズのメンバーだった)ロイ・オービソンの「プリティ・ウーマン」も取り上げられている。担当者がロイ・オービソンのファンなのか?

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サヨナラ、ポスト

●用事があって横浜に連日通っているのだが、23日火曜日はその仕事も梅雨空も“中日”だったので、葉山方面に歩きに行く。

行程は、県道311号をずっと歩いて、桜山隧道を通って葉山町へ。長柄から葉山町役場前、大道入り口を経て御用邸前まで。そこから今度は海沿いに引き返して、鐙摺を通って逗子海岸。海岸経由で帰宅。

●ちょっと前に書いたように、現在、私のスマホでは「Pokémon GO」が起動できなくなっていて、外歩きのモチベーションが下がり気味(かといって、健康上歩かないわけにもいかないので歩きに出たわけだが)。

なお、私のスマホはポケモン的には使えないままだが、代わりに神保町の事務所のGさんが、FREETELの予備機を貸してくれた。私のスマホはau系で、FREETELにSIMを移して使うことはできないが(その辺の仕組みは面倒なので略す)、それでも、Wi-Fi経由であればポケモン専用機として使える。

しかしこれがなかなか微妙で、まず

  • 自宅でなら問題なく使える。
  • 神保町の事務所でも、事務所のWi-Fiに問題なく接続できた。
  • 横浜のヨドバシカメラの館内ではなんとか使えた。
  • が、その他、街の中のFree Wi-Fiの場合は「認証できませんでした。もう一度やり直してください」と出てきて、うまく接続できない。火曜日の散歩の際にも、Wi-Fiが使える葉山町立図書館に寄って試してみたがダメだった。

というわけで、現在、借りたFREETELは、ほぼ自宅内ポケモン専用機となっている。

ちなみに、「8月で32bit機のサポートを打ち切る」としたNIANTICの発表に関しては、その後、「終了予定を延期」ということになった模様。しかし、仮に8月で終了ということだとしても、本来は少なくとも7月末まではサポートすべきはずだが、6月初旬に発生した不具合にも関わらず、一向に解決の気配がない。NIANTICの「Pokémon GO」サポートページにおいても、「確認されている不具合」は、6月9日に


Android 5 または 6 の一部の端末では、アプリを起動できない場合がある

不具合内容:Android 5または6の端末をお持ちのトレーナーの中には、ポケモンGOアプリの読み込み画面を完了しても起動ができない場合がある。

ステータス:調査中


と書かれたきりで変化なし。いやまあ、古い低性能スマホの面倒まで、いちいちいつまでも見てられんよ、というのは判るんだけれども、それならそれで「これ以降はサポートをやめる」と言った期限まではしっかりやるか、できないならすっぱり「やめました」と言ってほしい。

●葉山町内には、現役の丸ポストが以前に調べた時点では9基あり、今回の散歩の経路上には、そのうちの6基がある。せっかくなのでついでに現状の写真も撮っておこう……と思ったら、その最後の1基、森戸神社近くのもの(堀内1047)が根石(台座の石)を残してなくなっていた。

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3枚目は2年前に撮った、「在りし日の姿」。もともとはポストの後ろの空き地は店があったらしく、その店が閉まった後は表に張られた板がポストの形にくり抜かれ、そこから半分現れる「埋まりポスト」状態で何年か存在していたらしい。2年前に見に行った時にはすでに建物がなかったが、結局はポストも撤去されてしまったらしい。なお、Googleのストリートビューを見ると、少なくとも昨年6月にはまだ存在していたことがわかる。

中の収集袋を立ったまま交換すれば済む角型ポストに比べ、丸ポストは体をかがめて手で郵便物を掻き出さねばならず、郵便局員には余計な不便を強いることになる。さらには手紙/はがきの利用自体が減っており、一方でポストの設置基準は昔よりも厳しくなっているようで、古いポストの消滅圧力はいよいよ増している。減っていくのは致し方ないのだが、それでも、できればできるだけ長く現役でいてほしいと思う。

なお、2年前に葉山の丸ポスト9基をまとめて訪ねた記録は以下。

今回確認した残り5基、

  • 堀内671:風早橋バス停近く
  • 堀内1825:向原交差点
  • 一色1818:セブンイレブン葉山一色店
  • 一色2095:町屋倶楽部前
  • 一色1657:近代美術館近く

は、収集時間に変更があった程度で、ちゃんと現存していた。残るうち、長柄769-1(御霊神社前)と、 一色692-2(葉山大道、HACドラッグ向かい)の2基については、比較的最近視認しているのでまず大丈夫。一色1222(一色小から大道を隔てて反対側の住宅地の中)だけは2年前に見たきり。

●なお、以上のような行程で歩いたのは、葉山のポストの現状確認が第一目的ではなく、葉山町のマンホールカードの題材になっているカラーマンホールが御用邸前の一か所だけにあり、それを見たいと思ったため。

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目的のマンホール蓋はより大きい蓋の中にはまった、いわゆる「親子蓋」形式になっており、さらに隣には同じく親子蓋になった(カラーではない)通常版のマンホール蓋がある。

葉山のマンホールカードについてはこちら

●マンホール蓋を見た後、一色の近代美術館脇から海岸に出たら、砂浜への出口のところで突然目の前からにょろにょろとヘビが逃げ出してビックリ(もちろん、のんびり日向ぼっこでもしていたらしいヘビのほうも、突然人が来てビックリだろうが)。

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3枚目写真は2枚目の拡大切り出し。柄模様から、「えっ、これって、もしかしたらマムシ?」とも思ったのだが、帰宅してよく調べてみると、コンクリート壁をほとんど垂直に登ることができる能力と、エラの張っていない頭部の形から見て、アオダイショウの幼蛇であるらしい(それなりに大きく、たぶん1mくらいはあったと思うが)。アオダイショウの幼蛇はマムシに似た模様を持つのだそうだ。

●葉山のポストが一基なくなったことをfacebookに書いたら、地元の知人から「逗子の4基は大丈夫?」と聞かれて、ちょっと心配になったので、土曜日に改めて見回りに行ってみた。結論から言うと、とりあえず全部無事。

●逗子の4基のポストを見回ったついでに、最も東の1基のさらに奥の谷戸に足を伸ばしてみる。

以前、facebookの逗子のニュースグループで、「地元民にしかわからない(俗称としての)地名、ランドマーク名」が話題になった。例えば「サリーちゃんち」(名越の山の上にある洋館)や「うんどこ」(第一運動公園)などがその例だが、そうしたなかに「はっしゃば」というのがあった。

それが今回訪れた一角で、具体的な住所は沼間4丁目12、13、15、16あたり。狭い谷戸に沿って、ハシゴ形の道路で区分けされた細長い住宅地で、南側は「ハイツ東逗子」という集合住宅、北側は戸建て住宅が並んでいる。「はっしゃば」とは、なんだか「ハッテンバ」の仲間と誤解されそうな名前だが当然無関係で、海軍の機関銃工場に付随した試射場(「横須賀海軍工廠造兵部 沼間機銃発射場」)だったことによる。

いつも通り、サイト「東京湾要塞」を虎の巻とした。

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最初の1枚は、地区の見取り図。

続く3枚は、谷戸の下手(南側)から、谷戸東側の道を徐々に北に進んでいく途中写真。こちら側はやや道が曲がっているので、途中まで行かないと北端は見通せない。3枚目が北端近くで、突き当りの向こうには、現在はヨコヨコ(横浜横須賀道路)が通っている。

4枚目は北端から折り返し、西側の道路を南に向いて撮ったもの。こちらは東よりも道路が真っすぐで、南端近くまで見通せる。

5枚目は南端にある街区公園。「柚沢」もしくは「柚子沢」が本来の小字名であるらしいが、読みは「ゆずさわ」ではなく「ゆずっさわ」であるらしいことが、公園名に振られたルビで判る。

6枚目も南端近くで見たマンホール蓋。旧海軍水道の水道路(すいどうみち)からはちょっと離れているにもかかわらず、なぜか横須賀市水道局の蓋。元軍用地なので、軍用水道の支線のようなものでもあったのだろうか? いや、浄水施設も介さないで、そんなことってあるのか?

このように、現在では遺構の類は何も残っていないが、当時は、南側に試射を行うための銃座や観測所、弾薬庫などがあり、北端が銃弾を受け止める土手になっていたらしい。現在では、地区の細長さに「なるほど、言われてみればそんな感じだなあ」と思う程度。

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最後に、終戦直後とほぼ現在の空中写真比較。例によって国土地理院の「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。左は終戦間もない1946年2月22日米軍撮影の「USA-M53-A-7-28」、右は2019年6月16日撮影の「CKT20194-C14-60」から切り出した。

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おかわり自由

●もしかしたら、以前にも一度書いたことがあるかもしれないが、昔、地下鉄の新宿三丁目駅前にイエローサブマリンのスケールモデルの店があった頃、そのすぐ近所に、えらく人懐こいインド人のお兄ちゃんが、小さなスナックを昼の数時間だけ借りて開いているカレーショップがあった。

「このカレーはネー、ボクがインドで食べていたのと一緒。でもゴハンは日本のお米のほうが美味しいネ」

というそのカレーは素朴ながら美味く(そして安く)、メニューは確か固定3種類と日替わり1種類の4種類だけ。

何と言っても際立っていたのは、普通盛も大盛も同じ値段、しかもご飯が先になくなればご飯、カレーがなくなればカレーと、無限お代わりができたことだった。「それで100円とか高く取っても100万円儲かるわけじゃないし、それよりお腹いっぱい食べてほしいカラ」だそうな。しばらくしてそのお店はなくなってしまったが、あの大盤振る舞いで赤字になって畳んじゃったんじゃなければいいなあ……。

そういえば、これまたずいぶん昔の話だが、ソウル駅近くで韓国人の若いカメラマン氏に連れて行ってもらった、おばちゃんが一人でやっているらしかったソルロンタン(真っ白い牛スープ)屋も、「無限お代わり制」だった。あのソルロンタンも美味かった……。

●なんてことをいきなり思い出した理由。

「ごみ取り権助(T-34-85 m1943)」製作記番外編。

現在制作中のT-34-85 m1943はアカデミーの車体にグムカの砲塔の組み合わせで、当然ながら、アカデミーのキットの砲塔はまるまる余っている。そんな砲塔を手に取って眺めているうち、ついその気になって削り始めてしまった。

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ベースは、キットに2つ付いているうちの初期タイプのほう。大げさかつ不自然な「恐竜肌」だけでなく、バッスル部の「ハードエッジ」も削り落とし、頸部や前半部も削って形状修正するなどして、とりあえず1944年型の初期型が目標。実物写真と見比べると、若干、頸が短いような気もするんだよなー。どうするかなあ。などと思いながらゴリゴリゴリ。

ちなみにこのタイプの砲塔は、現時点ではインジェクションキットではどこからも出ていない(はず)。レジンキットではどこからか出ていたかも。もっとも、そのうちMiniartからは出そうな気もする。

いずれにしても「廃品利用」といえば聞こえはいいが、当然ながらすでに車体は1943年型に使ってしまっているわけで、この砲塔を載せるべき車体がない。もう一個、アカデミーのキットを買うのか?

いかん! これではT-34の無限お代わりに突入してしまう!

ちなみに1943年型の方はちょっとした山場、起動輪を工作中。それについてはまたいずれ。

●直近の模型の買い物。先週の初め、BOOKOFFでMiniartのT-70用履帯が税込950円で売られていたので購入。

タミヤのSU-76Mは、ちょっとだけ手を入れて放置してある。バレンタイン同様、金型代の節約のためか穴のない履帯は不満ながら、それほどガッツリとディテールアップする気にもなれず、「そのままでいいか」とも思っていたのだが、思ったより安く履帯が手に入るとなると、ついつい転んでしまった。

さて、この履帯……。帰宅して開封してみたら、なんと、元の持ち主が入れっぱなしにして忘れていたらしい、パッションのSU-76M用のエッチングセット(タグは外れていたがパーツ自体は手付かず)が出てきた。なんとお得!

……と思ったが、私はすでにパッションのエッチングは買って、一部はキットに組み込み始めているし、この先、タミヤのSU-76Mをもう一輌作る日が来るとも思えないので、別にそれほどお得でもないのだった。中古屋にでも売るか……。

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●兄の発案で、母を箱根湯本の温泉に連れて行くご相伴に与る。計画したのは新型コロナウイルス騒動が深刻化する以前のことで、この期に及んで出掛けるのは如何なものかとも思わなくもないが、母は家から兄・甥と車で往復するのみ、どこに何を観に行くでもなく、宿から一歩も出ない態勢だし、むしろ街にいるよりも、人が減った観光地のほうが逆にマシかもしれないというわけで、そのまま決行。往復、電車で行った私のほうが危なかったかも(平日昼間なので電車も空いていたけれど)。

行き帰り、小田原(小田原市)と辻堂(藤沢市)でマンホールカードを貰った。写真は小田原のもの。配布場所の「小田原宿なりわい交流館」の隣には丸ポストが立っている。

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なお、このあと数日して、マンホールカードがお手本としているダムカードは配布中止になったそうだ(ダム勤務者が新型コロナウイルスに罹患してダム機能に支障が出るのを防ぐためか)。

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イシハラi-box溝の口本店の閉店

●いきなり題名と関係ない話だが、新進メーカーであるRYEFIELD MODELS(RFM)から、T-34-85の174工場生産型(T-34/85 Model 1944 No.174 Factory)、およびKV-1の装甲強化溶接砲塔搭載の1942年型(KV-1 Model 1942 Simplified Turret)が発売になるそうだ。

同社ウェブサイトのNEWS欄にもまだ掲載されていないが、同社のfacebookページで発表されたもの。

同社はすでにT-34の中東版魔改造車輛をリリースしているので、元の戦車版のキットもいずれ出すんだろうなあと思っていたが、こちらも(miniart同様)174工場製というちょっと変化球で来た。174工場のT-34-85はすでにAFVクラブからも出ているが、あちらは砲塔の鋳造ラインが前方で斜めに上がっている、かつてザロガ先生が「angle-jointed」と名付けていたタイプ。RFMがアナウンスしているのは、それよりも初期のタイプで、一見、183工場製と紛らわしいもの(とはいえ、両サイドの「ぺったんこ」部分はないし、前部上面の傾き具合も違う)。

仕様の穴を埋めるという点では貴重だが、「形態の独特の魅力」みたいなものには乏しいので、商売的にどうなのかちょっと心配なところ。

KV-1については、掲示されたCG画像は斜め前からの1枚だけだが、かろうじて見えるエンジンデッキは後ろまで水平、砲塔バッスル下には組継ぎの凹みが見えるので、一般的な解釈での「1942年型」(つまり最も装甲が強化された車体に、これまた装甲がもう一段強化されたバッスル下が直線の溶接砲塔)でよいようだ。つまり、イースタン・エクスプレスやトランぺッターでもキット化された、標準型KV-1では最後の頃の仕様ということになる。「ベスポシャドヌイ」号のデカールは付くかな?

個人的には、とうとうインジェクションで後期標準のKV用2分割タイプの履帯が出ることになりそうだ、というのが嬉しい。手元にあるトランぺッターの1942年型用にはフリウルを買っちゃったけど。

●川崎市高津区、溝の口の中央の通り(通りの名前自体は知らない)にある大きい文具店、「イシハラi-box溝の口本店」が閉店になると、がらんどうさんのfacebookの書き込みで知ったのは確か先月末あたり。

同店2階は沿線では貴重な、それなりの規模の模型店だった(特にたまプラーザのB's HOBBYがなくなってからはますます)。閉店のための叩き売りセールが行われているというので、(もう結構前の話になってしまうが)今月初めの8日土曜日、実家に行ったついでに寄ってきた。

もうセールが始まって結構経っていたため、1階の文具売り場も2階の模型売り場も棚はスカスカ状態で、めぼしい商品もあまり残っていなかったが、「これが最後なら何か買っておきたい」と思って、下の2キットを買ってきた(フィギュアなんて作らないのに!)。

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もともとは、まだ再開発前の武蔵溝ノ口駅前に店があり(当時は「石原商店」という名前だった)、その頃も2階が模型店で(さらにその前は書店だったように思う)、私が高校の頃だったか、大学の頃だったかは第一の行きつけの模型屋だった。

当時の専務(本当に専務だったかは知らないけれど、とにかく皆からの呼び名が「センム」だった)が売り場の責任者で、入り浸ってはだべって、時々、箱も傷んで売れ残った(当然売れ残るには理由のあるドマイナーかつ出来も余りよろしくない)輸入プラモあたりを「お店の守り神を回収してあげよう!」などと言いつつ買い叩いたりしていた覚えがある。確か未だに完成していない、ZTSの1:144のPZL 37 ウォシュもそんなふうにして買った一つだった気が。初めて完成させたバキュームフォームキット、レアプレーンのリパブリックP-43ランサーも石原で買ったような、違ったような。うーん。バキューム扱ってたかなあ……。

ちなみにそれよりさらに昔、中学生頃は、東急の溝の口駅の裏手にあったドブ板商店街の中の栗原模型店という、客が2、3人入ったらもう身動きも取れないというくらいの猫の額の模型店が行きつけだった。

何と言うか、釣りの「合わせ」ではないけれども、その辺の店でワイワイとプラモというエサをつつきまわしているうち、いつしかマニアの釣り針がガッツリ食い込んで抜けなくなっていたという次第。

イシハラi-box本店は、同店のブログによれば2月20日に閉店になった由。長らくお世話になりました(結婚して実家を出てからはめっきり行かなくなってしまったので、正確にはi-boxになってからはあまり行っていないのだけれど)。なお、今までの「本店」は畳むけれども、駅前のショッピングモール「NOCTY」内の店は存続するそうだ(ただし、こちらには模型売り場はないと思う)。

●facebookで地元のマンホールの蓋がちょっと話題になったのをきっかけに、個人的に「第二次マンホール・ブーム」襲来中(ちなみに第一次は2年ほど前)。

そんなわけで、改めて地元逗子市内のマンホール蓋について調べたりしているうち、「マンホールカード」なるものの存在を知った。なかなかマニアックなコレクターズ・アイテムとして、時にはメディアにも登場していたらしいのだが、寡聞にして知らなかった。

マンホールの用途にはいろいろあるが、やはり第一は下水道。マンホールカードは下水道に関する広報啓蒙活動を行う組織「下水道広報プラットフォーム(GKP)」が、その活動の一環として、全国各地の下水道の主体となる自治体ほかと共同で発行しているもの。現時点で第11弾まで、計600種類以上が発行されている。GKPによる全種検索およびリストはこちら

それ以前から発行されている「ダムカード」に倣って始められたものらしく、トレーディングカードの体裁で、表面は各自治体等の作ったご当地図柄のマンホール蓋(多くはスペシャル版であるカラーマンホール蓋)の写真、裏にはデザインの由来の説明が書かれる共通フォーマット。写真に撮られたマンホール蓋の緯度経度情報や、デザインに使われているものの種別アイコンなどが添えられているのもマニア心をくすぐる趣向。さらにコレクターズ・アイテムとしてミソなのは、一種類のマンホールカードは、それを作った地域の基本1カ所でしか配布されておらず、しかも一人一枚現地での手渡しのみ(郵送等不可)。こりゃ集めるの大変だわ。

というわけで、本気で日本全国を旅して精力的に収集するというのは(私にとっては)無理な話なのだが、調べてみると、最新の第11弾でお隣・葉山町で発行されたというのが判明。先日、散歩ついでに足を延ばして(平日の)配布場所である葉山町役場まで行って1枚貰ってきた。写真1枚目は、その時記念に町役場の前で、役場をバックに撮ったもの。

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ちなみに葉山のマンホール蓋の通常版は右のようにカラーではなく、カードになっているカラーのスペシャル版は、御用邸向かいの歩道(カードに記された緯度経度)に1つだけ存在しているらしい。この時はさらにそこまで歩く余裕はなかったので、そのうち機会を改めて見に行くつもり。それはそれとして、「はやま・おすい」って、黒田如水のバリエーションみたいな感じだな……。

その後、先日の「衣笠砲台探訪」の後にhn-nhさん、みやまえさんに付き合ってもらって横須賀市役所で1枚貰ったり、なんだかんだで数枚集まった。あとは近場で貰いに行けそうなところというと、藤沢市くらいかなあ……。ちなみに枠部の色は地方ごとに統一されており、関東地方は水色。

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