マンホール

安曇野

●14、15日の週末、長野・安曇野に出掛ける。

数か月前に兄が引っ越していて、休みが取れたので遊びに来い、と誘われたため。ドイツ人Pと誘い合わせ、土曜朝の特急あずさで、兄と待ち合わせの穂高駅へ。

ちなみに乗ったあずさは、大昔のヒット曲通りに新宿8時ちょうど発だが、2号ではなく5号(ダイヤ改編で、だいぶ昔に下りは奇数になった)。

しかも、JRの「えきねっと」で逗子~穂高で予約を取ったら、そもそも新宿乗車ではなく横浜線経由で八王子乗車になっていた。気付くのが遅かったら新宿に行ってしまうところだった。P(新宿乗車)とは別々に予約を取っており、乗った号車も離れていたので現地集合。

●14日は駅で落ち合った後、兄の車で、町の東側に連なる低山の麓まで。光城山の登山口に車を止め、光城山長峰山とトレッキング。

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どちらも1000mに満たない低山で、そもそも登り始めで標高600mくらいあるから、「山登り」というよりは「山歩き」だが、このところだいぶ鈍っているので、光城山山頂までの登りでへろへろになった。前日に海外出張から帰ってきたばかりのPはケロリとしていた。くそお。

光城山に登ってしまえば、あとは高低差がそれほどない尾根歩き。途中、あられ(氷粒ではなく雪霰)が吹き付けるように降ったりもしたが、長峰山の頂上に着く頃にはいい天気で、正面に北アルプスの常念山脈がいい感じに見えた。

長峰山山頂でおにぎりなど食べて下山。出発点に置きっぱなしの車まで、山すそをだらだら歩く。

●その後、車に乗って北上。信濃大町駅を過ぎて西へ折れ、ずんずんと山奥へ。いきなり周囲は雪景色。

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山が迫って険しくなり、ダム湖を越えたさらに先に、目的地の兄お勧めの「葛温泉」。日が暮れ行くなか、3人で屋内の温泉と露天風呂をハシゴして温まる。

その後、人里に引き返して兄宅へ。安曇野の地酒「大雪渓」各種で酒盛り。

●翌15日は、午前中、兄宅から徒歩で、大町の南にある「仁科神明宮」に行く。

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1枚目は、神明宮に行く途中で立ち寄った「鬼の釜古墳」。最初、「ただの小さい土盛じゃん……」と思ったのだが、横手に回ったらやけに立派な石室が開口していた。

2枚目は仁科神明宮の手水舎。ひしゃくにつららが出来ていた。

3枚目は仁科神明宮の神門。手前の拝殿を越えて、中門~本殿は「神明造の建築物としては日本最古(江戸初期)」とかで国宝指定。

4枚目。兄宅からそれほど遠くない、田んぼ脇に建つ妙に立派な扁額付きの小屋。……ゴミ置き場だそうだ。

昼前に兄宅に戻り、車で穂高駅方面へ。「碌山美術館」を見て、駅前で蕎麦を食って、それから「大王わさび農場」を見学。

●碌山美術館は、当地出身で若くして亡くなった彫刻家、荻原碌山(荻原守衛)および関連の作品を集めた美術館。そもそも「隣の中学校の敷地を分けて貰った」という一角に、いくつかの小さな展示棟に分かれて作品が収められている。本館とも言うべき、碌山の主要作品を収めた碌山館は、レンガ造りの小ぢんまりした教会風の建物で素敵。

それにしても、車に乗って走っていると、沿線に、やたらに「〇〇〇兵衛 記念館」的な施設の案内板を目にする。地域の〇〇の整備・振興に力を尽くしたとか、この地出身の有名人とか、この地で活動した〇〇家とか、そんな人々らしい。兄に聞いても、おおよそは「誰だろうねえ?」的リアクション。

●「大王わさび農場」というのも何だかスゴイ名前だが(しかも運営母体は「株式会社大王」)、これは、その昔(桓武天皇の時代)、この地に勢力を張っていた「八面大王」という鬼に由来するものだそうな。「八面大王」は、かの坂上田村麻呂に成敗され、身体はバラバラに切り刻まれたが、そのうち、胴体を埋めて祀ったとされる神社が、農場敷地内にある。

伝説上は「鬼」だが、そもそもはこの地を荒らしまわった盗賊(集団)であるとか、(特に戦後に広まったものとして)この地の支配を固めようと侵攻してきた大和朝廷に対し最後まで抵抗した地元の英雄であるとかいった両極端の説がある。ちなみに、「大王わさび農場」内の案内板の解説は、さすがに名前を冠しているだけあって後者寄り。

そもそも史実としては坂上田村麻呂が安曇野の平定にやってきた記録はなく、仁科氏の一党である田村守宮なる武将が討伐軍の指揮官であったのが、「田村」繋がりで、いつのまにか有名人の坂上田村麻呂にすげ変わってしまったとか何とか。

●長野の郷土料理として有名な「おやき」。これまでは、両面きつね色に焼き色が付いた、白くて平べったい形状のものというイメージだったのだが、穂高駅前、穂高神社の脇鳥居の横にある、(兄お勧めの)ばあちゃんがやっている饅頭屋のおやきは、それとはだいぶかけ離れた感じのものだった。

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そもそも大きい。成人男性の握りこぶしに近いくらいあるし、形状も平べったくないので、ぱっと見のボリューム感がすでにスゴイ。

生地はまるでスコーンのような感じ。具は、少なくとも私たちが行った時は(14、15の両日行った)「野沢菜」と「なす」の2種。写真は野沢菜で、中身はぎっしり。なすは味噌で甘辛く煮たヤツで、こちらも具はぎっしり。食べていて脇からあふれた。「なす」が、個人的にはメチャ美味かった。次の機会にもまた食べたい。

1つ220円。ただし、前日売れ残りの冷めて固くなったヤツは150円。「持って帰るなら、レンジで暖めればこれでもいいよ」とのこと。お土産に何個か買って帰ればよかった。店の名前は「池田屋餅店」。おやき以外にも「おからまんじゅう」「大福」など売っている。「おからまんじゅう」も食べたが、こちらもなかなか。

●2日目の散策中に見た、安曇野一帯のマンホール蓋あれこれ。

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1枚目は大町市のマンホール蓋。山並みとライチョウ。カラー版もあり、マンホールカードもあるのだが今回は貰いそびれた(というか、帰ってから存在を知った)。

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左は、大町市と安曇野市に挟まれた北安曇郡池田町の下水道マンホール蓋。図案の「てるてる坊主」は、童謡の「てるてる坊主」作詞者が同町出身であるから、らしい。これもカラー版があるようだ。右も同じく池田町だが、「農集排」という見慣れない文字入りで、これは通常の下水道事業ではなく、「農業集落排水」の略。市街地でなく農村での下水処理を担っている事業。中心は北アルプスの山並みに、左下は松で右は桜?と思ったら白樺らしい。周りはコスモスかと思ったら、とあるサイトによればカモミールだとか。

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安曇野市のうち、旧・豊科町のカラーマンホールと、通常版の親子蓋。同地に飛来するコハクチョウをデザインしたもの。

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安曇野市のうち、旧・明科町のマンホール蓋と、旧・穂高町のカラーマンホール蓋。明科町のものは「アヤメとニジマス」。穂高町のものは、北アルプスの山とシャクナゲ。

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途中兄に頼んで立ち寄ってもらった「長野県犀川安曇野流域下水道事務所(アクアピア安曇野)」と、穂高駅前の安曇野市観光案内センターで貰ったマンホールカード。左はこの地に多い双体道祖神の図柄。右は、安曇野を流れる犀川由来のサイの下水道マスコットキャラクター「サイサイ」が、やはり犀川に飛来する白鳥をモチーフにした“おまる”に乗って飛び回っている姿だそうだ。いや、それってどうなんだ……と言いたくなる感じだが、まあ、いわゆるゆるキャラってそんなもんだよね。

両者とも、上掲の市町村管轄の下水道とは別の、県管轄の市町村をまたぐ「流域下水道」のもの。さすがに安曇野市に合併された旧町村は、マンホール蓋は違っても現在は安曇野市の下水道として統一されているのかもしれないが、市町村の下水道、県流域下水道、農業集落排水と、結構あれこれ入り組んでいそうだ。

Img20241215162754 ●帰りの「あずさ」(穂高駅16時発)は、穂高駅着時点で5~10分の遅れ。到着した列車を見ると、どういう状況でそうなったのか、先頭部下(連結部)に、付け髭のように草藪のかたまりを纏っていた。「連結部整備(おそらくその付け髭の除去)」のためにさらに穂高駅でしばらく停車。結局八王子着は20~30分遅れた。

帰りの列車では、偶然、Pとは同じ号車で席も2列ズレた程度。座席変更ができれば隣に移ろうかと思ったが、穂高駅にはみどりの窓口などなく、車内で回ってきた車掌に聞いたら、ごく大雑把に要約すると「おとなしく予約した席に座っててくださいよ」的なことを言われたので諦め、穂高駅前で買ったビールを1本飲んで、息子に最近進められて図書館で借りた「文字渦」(円城塔)を数ページ読んだり、位置ゲー「ニッポン城めぐり」をポチポチしたり、うとうとしたり。

さらには京浜東北線、横須賀線も遅れていて、だいぶ遅くなって帰宅した。

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あるときー。

●11月15~17日、大阪出張。

通常、「仕事で大阪に行く」という場合、新大阪から御堂筋線で上下する範囲を外れることはあまりないのだが、今回はこんなあたり。

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一枚目は巨大ガントリークレーンが並ぶコンテナヤードと、その向こう側に見える港大橋。2枚目は泊まったホテル近くのNTTの巨大九輪塔……のような通信アンテナ。3枚目は大阪府咲洲庁舎。

港大橋は、ぜひ近くから見上げるような形で全貌を見たいと思ったのだが、そちらの海側はだいたいがヤードとか倉庫とかで近付けず。どうやら橋のたもとあたりまで行けばいいロケーションのポイントもあったようなのだが、歩くには遠くて諦めた。

咲洲庁舎に関しては、実は同行者に「あのデカいビル何?」と訊ねて「庁舎ですよ」と言われるまで知らず、帰宅後に調べて初めて大阪府庁舎の移転問題とか入居しているホテルの賃料未払い問題とかを知った。

ちなみに泊まったホテル(および仕事の対象である研修会場)は「フクラシア大阪ベイ」というところで、「何だ、その『膨らし粉』みたいな名前」と思ったのだが、運営会社のサイトを見たら、「私達のミッション」と題して、

「私達は空間の膨らし粉として、」

と書いてあった。マジで膨らし粉だったよ……。

●最終日、仕事が終わった後に、咲洲庁舎の近く、アジア太平洋トレードセンター(ATC)内にある「おおさかATCグリーンエコプラザ」でマンホールカードを貰う(しかも2種貰えた)。

前日に、「そういえば、この辺で貰えるマンホールカードってないんかな」とふと思い出して検索してみたら、まさにピンポイントですぐ近くだった。こういう機会でもなければ行かない場所なので、思い出してよかった。

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1枚目左はマンホールカード第1弾、大阪市下水道科学館近くのカラーマンホール。1枚目右は、マンホールカード第5弾、市内の下水道管理費業務の委託先として設立されたクリアウォーターOSAKA(株)近くに設置された特別色のカラーマンホール。2枚目写真はカラーマンホールの元になっている通常版の蓋。

ところで前回書き忘れたが、先々週、ベトナムで働いているMの年末帰郷飲み会の折に、田町で途中下車して港区のマンホールカードも一種、貰ってきた。……せーらーむーん!!(貰いに行く前にリストでパッと見た時には、絵柄がこちゃこちゃしていて判らなかった) ああ、麻布十番だもんね。

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これでマンガ・アニメ・特撮系マンホール蓋のカードは6種。集まったカードの総数は上の大阪市のものを含め36.5種(0.5種換算はつくば市の英語版)。

●泊まっていたホテルの近くにあった保存車輛。

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阪堺電気軌道(南海鉄道)の戦前型旧型車両。「鉄っちゃん」ではないものの、乗り物や機械の古物は好き。それにしても、赤茶と緑の配色がなんだかクリスマスっぽい。

昨年同じ用事で大阪に行った時同様、仕事帰りに京都ではるとまん氏と待ち合せて1杯。今回はハホ氏も一緒。ハホ氏と直接会うのは10年ぶり以上? ずいぶん昔に貸して、なかなか返してもらうタイミングが合わなかったハインケル自伝「嵐の生涯」を受け取る。ほどよく内容を忘れているので、近々楽しく読み直すつもり。

はるとまん氏から、司馬遼太郎「翔ぶが如く」の生原稿を見せてもらう。……原稿用紙のマス目、まったく無視なのな。他、あれこれ駄弁る。

用事のあるハホ氏に合わせて早めに切り上げ、ヨドバシで新発売のタミヤ「I号戦車B型」を買う。「わざわざ京都まで来て買うのかよー」など言われつつ。だって近所に模型屋が(もう)ないし。買おうと思ったら、改めて都会まで出ないといけないし。

●私の大阪(あるいはちょっと広げて関西)に対するスタンスというのは、基本、野次馬というか、お上りさんというか、まあ、そんな感じ。今回の大阪行きでの、その他「ご当地ネタ」。

ホテルの朝食バイキングにタコ焼きがあったのは「流石、大阪」と思いかけたのだが、別にアツアツでもトロトロでもなく、冷凍食品以下のもので、なんとなく、「ほら、大阪やからタコ焼き出しとったら文句ないやろ」的雰囲気も若干。

先日の広島行きの時と同じく、近くのコンビニでカールを買って食べる。が、今まで私の中のスタンダードだった「チーズ味」ではなく、先日M.Nさんに薦められて食べた「うす味」。帰りにも一袋買ってきた。

「今度大阪行ったら、買って試してみよう」と思っていたのが伊藤ハムの「ポールウインナー」なのだが、少なくともコンビニ(ファミマとセブン)では見かけなかった。……という話を、はるとまん氏とハホ氏にしたら、2人とも「何それ、そんなん知らん」という反応だった。え!? ポールウインナーって、関西人には深く深く馴染みがある(そして関東では全然知られていない)食べ物なんじゃないの?(その後ハホ氏からは、前記事へのコメントで「あれがポールウインナーだったのか」的な書き込みあり)

現地で、生で「かんさい、でんき、ほ~あんきょうかいっ」のCMを観られないかなあと、ちょっと期待していたのだが、夜寝る前に漫然とTVをつけていた時間内には一回も放映されなかった。ちなみに、「関西電気保安協会を、そのまま読むのではなくつい歌ってしまうのが関西人とそれ以外との大きな違い」というのは広く言われていることだが、先日の東京AFVの会の折、「そもそも本物と似ても似つかない勝手なメロディーで歌う非関西人」という第三の道の存在が、ケン太さんによって示された。これが文化の刺激的伝播(概念だけ伝わって内容は行った先で再発明される)ってヤツか?

もともとI号戦車は帰りに本町のホビーランドに寄って買おうと思っていたのだが(帰路の乗換駅でもあったので)、マンホールカードを貰うなどの寄り道のため時間がなくなった。

現地で会った関西在住の先生との雑談で、「チーズケーキと言えば■■が有名だが、いつも長蛇の列で買いづらい。それよりも、箕面に本店があるDELICIUSがマジお勧め。新大阪にも店舗があるからお土産にもいい」と薦められた。調べたら大阪駅にも店舗があることが判ったのだが、これまた立ち寄る時間がなかった。次回に期待。

昨年はるとまん氏と飲んだ時は、多少遅かったこともあって、蓬莱(551)の豚まんが、私が行列に並ぼうとした途端に売り切れてしまった。今回は若干早めだったこともあって、しっかり買えた。夜の新幹線・東京方面行の車内の赤い紙袋は定番の風景だ。

●タミヤI号戦車のちょっとしたチェック記事も書こうと思うが、それはまた改めて。

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ドブ板

●10月5日土曜日。

雨天だが、ポケモンgoのコミュニティデーだったのもあって散歩の足を伸ばすことにして横須賀へ。

行ったことがある方ならよくご存じだと思うが、JR横須賀線の「横須賀」駅は、もともと軍港のアクセスのために開設されたもので、ほとんど周りに何もない街外れにある。一方、街の真ん中にあるのが京急の「横須賀中央」駅で、利用客数も桁違いにそちらのほうが多い。ついでに言えば、米海軍のヨコスカベースのゲートも、横須賀中央の方が近い。

もっともJR横須賀駅は改札の真横が海沿いのヴェルニー公園の西端なので、散策のスタート地点としてはなかなかよい。

●ヴェルニー公園に出ると、左手には海上自衛隊の水上艦艇あれこれ、対岸には米軍基地に間借り状態の海自の潜水艦などが「常設展示」状態で見られる。

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1枚目は、現在「軽空母」に向けての第二次改修待ち?の護衛艦「いずも」。ミッドウェーで沈んだ旧海軍の正規空母のうち、「赤城」と「蒼龍」が同じく横須賀が母港だったそう。「いずも」の全長は「赤城」よりやや小さく、「蒼龍」よりは大きい。大戦中、空母が横須賀に入港・停泊していた時は、こんな感じに見えていたのだろうかと思う。

それにしても、「日本が空母を持つ」なんて、一昔前ならそれだけで政権がひっくり返るくらいのネタだと思うのだが、なんとなくなし崩しでそこまで来れてしまったというのも、またそれがほとんど世間的に何も注目されていないというのもスゴイ。

その「いずも」の向こう側に、最新鋭の「もがみ」型護衛艦がいるのに気付いた。スマホのソフト的望遠でだいぶ拡大したので、ちょっとピンボケ。ステルス性を強く意識した、旧来の艦艇とは違うのっぺりした傾斜面構成、ロケットのように直立しているアンテナなどが、いかにも「新世代」な感じ。しかしその一方で、昔々の装甲艦のようでもある。

横須賀には同級は「もがみ」「くまの」がいるとのことだが、艦首にうっすら「1」が見えている感じなので1番艦の「もがみ」かな。

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ヴェルニー公園のちょうど真向かいにある潜水艦基地に停泊する2隻の海自の“黒なめくじ”さん。尾部がX舵ではないので、新鋭の「たいげい」型や「そうりゅう」型ではなく、古参の「おやしお」型らしい。

最後の写真は、艦橋からマストから、大々的に足場に包み込まれた面妖な姿になっている艦。写真を拡大して、艦尾にある文字で、米海軍のミサイル巡洋艦(イージス艦)、アーレイ・バーク級の「ラファエル・ペラルタ(Rafael Peralta)と判明。それにしても、何の作業をしてるんですかね? 塗り直し?

Img20241005184705 ●突発的に横須賀を行き先にしたのは、先日は配布施設が定休日(水曜日)だったために貰えなかった、「横須賀のもう一枚のマンホールカード」を貰おうと思い立ったため。

配布場所はドブ板通りの観光案内所?の「ドブ板ステーション」で、マンホールカードになっているマンホール蓋のデザインも、ドブ板通り発祥の「スカジャン」。

ちなみにこの商店街は、wikipediaによれば「ドブ板通り商店街」は俗称で、正式には「本町商店会」であるらしい。とはいっても、商店会のHPもタイトルは「ドブ板通り」になっているし、もう「ドブ板通り商店街」でいいんじゃないかな……。

なお、ドブ板通りというからには、もともとドブがあって、今は暗渠になってるんだろうなと思っていたのだが、実際には戦前にはドブ(とそれを覆う鉄板)があったのは確かなものの、その後ドブ自体なくなっているらしい。

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Hiroshima, mon amour

●表題はマルグリット・デュラス脚本による映画の題名。邦題は「ヒロシマわが愛」だったり「二十四時間の情事」だったり。

原爆で家族を失った日本人男性と、反戦映画のロケで広島を訪れた、元コラボ(対独協力者)のフランス人女性という、それぞれ戦争で心に傷を負った2人の出会いを描いた映画。……というようなことがwikipediaに書いてある。

Img20241003202703 実はデュラス(の「破壊しに、と彼女は言う(Détruire, dit-elle)」という小説)は私の大学時代の卒論ネタだったこともあり、デュラスの代表作はだいたい読んでいて(もちろんほとんど邦訳)、当然、「イロシマ・モナムール」の脚本も読んだはずなのだが、さっぱり覚えていない。だめぢゃん。

調べてみたら逗子市立図書館に在庫があったので、早速借りてきた。パラパラとめくって、ほんの文章の断片を目にしただけで、「頭が凝る」ような、いかにもデュラスな面倒臭さが久々に蘇ってきた。わざわざそんな人の作品を卒論テーマに選ぶあたりが、長引いた厨二病の残滓というか何というか。

●そんな「ヒロシマ本」を改めて読もうと思ったきっかけは、9月末の週末3日間、仕事で広島に行ってきたため(単に地名で思い出しただけで特に脈絡はない)。

広島県内に足を踏み入れるのは2009年以来? その時も福山~尾道までで、広島市内は今回が初めてかも。高校の時の修学旅行が「山陰山陽」だったのだが、その時に広島に寄った記憶がない(秋吉台と萩・津和野に行ったこと、松江で一泊したことは覚えている)。

そんな(たぶん)初めての広島市は、とにかく市街地が広くて、一応私も“首都圏住まい”ではあるのだが、その都会ぶりに「お上りさん気分」になってしまった。縦横に路面電車が走っていて、それがすっかり住民の足として溶け込んでいるようなのもポイントが高い。

●その路面電車(広電=広島電鉄)は、いかにも新世代の低床式車輛と、昔懐かしい「チンチン電車」感たっぷりの旧式車輛が入り交じって走っているのがなかなか楽しい。

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写真1枚目、2枚目は広電最新(たぶん)の国産超低床車輛5200形。前形である5100形の小改良型? 5車体連接車で台車は両端と中央の3つ。つまり2・4番目の車体は両側から吊り下げている感じ。1枚目はアウディ・ラッピングの5203(原爆ドーム近くの相生橋で)、2枚目は広島駅前高級マンション「ザ・広島フロント」ラッピングの5208(宇品線終点の広島港駅)。私は特に鉄な人ではないので、広電のサイトとかwikiとか見ながら書いてます。

写真3枚目はカエルっぽいダブルの前照灯がお茶目な1900形(原爆ドーム前駅)。元京都市電の車輛を譲り受けたもので、全車に京都にちなんだ固有名が付けられており(FCM 2Cみたい!)、写真の1915は「鞍馬」。広電デビューは1970年代末だが、元をたどると1950年代製らしい。

写真4枚目はさらにベテランの570形。現存は写真の582号車のみ(十日市町駅)。広電デビューは1971年だが、神戸市電の車輛を譲り受けたもので、戦後、外装含めてかなりの改装を経ているものの遡ると大元の車輛完成は1924年だそうな。100年選手!

●「出張先」のイベント会場兼1晩目の宿泊は、平和記念公園のすぐ南側だった。

平和記念公園は「旧太田川」と「本安川」に挟まれた三角州の上流側突端にあり、原爆ドームは本安川の対岸に建っているのだが、(よくテレビなどに映るのでお馴染みの光景ではあるものの)平和記念公園のメインエントランスである南側から慰霊碑等を経て、真っ直ぐ正面に原爆ドームが見える配置になっている。

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狭義の「ドーム」部分は、単に外装が失われて骨組みだけになっているとだけ思っていたのだが、近くからよく見ると、爆圧を受け、爆心地から反対方向に(2枚目の写真で見ると左方向に)ややひしゃげているというのに初めて気付いた。

建物それ自体はほとんど外壁のみで、内側に鉄骨を組んで支えている。内部の瓦礫はあえて残してあるが、流石に約80年が過ぎると「焼け落ちた/崩れ落ちた」感は薄れ、むしろ「展示品」感が濃い。

●せっかく遠出をしたので、市内で貰えるマンホールカードを5枚集めた。初めての西日本のカード。

実際には、広島市のマンホールカードは6種類(も!)あるのだが、残りの1種は曜日限定かつ要予約で施設見学をしないと貰えないので断念。

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色味的には地味だが、「もみじに鯉」の図柄のものが、なかなかシックで素敵、と思った。

●最終日は午後早めに終了。同行者に「宮島とか行ったらどうですか?」と薦められたが、時間的にも半端だし、「またそのうち……」ということに。もうこの歳になると、「またそのうち」もなさそうな気もするけれど。

広島城は最終日に堀の外側から天守を見た。帰ってから調べてみると、天守は戦後再建の鉄筋コンクリート造であるものの、老朽化のために建て替えの計画があり、来年末には閉館・立ち入りできなくなるとのこと。そう聞くと、入れるうちに入っておけばよかったなあ、と思ったり。

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すでに東日本では姿を消してしまった“おやつはカール”が、そのへんのコンビニでも普通に売られていて、嬉しくなって2度も買ってしまった(類似品がないわけでもないので、箱買いするほどではない)。江ノ電の「カールラッピング」も今となっては懐かしい。


●オマケ。

30日、用事があって自由が丘に行ったついでに、大岡山駅前のパン屋「ヒンメル」でプレッツェルを買い食い。「僕ってなんてイケメンなんだろう!」とか言い出しそうな店名。

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小ぶりだが1つ300円なので、ややお高め感あり。写真でもわかるように塩の粒は控えめで、しかしその分、細いところも太いところも、おおよそ同じくらいの塩気。中のもっちり感もなかなか良くて美味しかった。さすが勇者の店は違うぜ!

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フレンチの鉄人

●フランス軍AFVの製作/考証の際に非常に頼りにしていたサイト、「chars-francois.net」が、いつの間にか閉鎖されていた。

このサイトが有り難かったのは、とにかく個別の車種についてかき集められるだけかき集めた写真を、登録番号順にアーカイブしてあったこと。特に、個人的には、ここの写真を頼りにルノーR35の仕様変遷などを辿っていたので、無くなったのは非常に残念。

主に「chars-francois.net」を頼りにしたR35考証の一部は以下の記事を参照のこと。

ルノーR35考証メモ
ルノーR35考証メモ(2)

なお、上記記事(2)で触れているように、R35の登録番号順の仕様メモはエクセルシートにまとめていたのだが、先年のハードディスク・クラッシュで吹っ飛んでしまった。内容にも一部不足を感じていたので、これを機会に、改めて暇を見て「chars-francois.net」の写真を元にまとめ直そう、なんて思っていたのだった。――「いつまでもあると思うな親と金とネットコンテンツ」ってヤツですなあ。

他にも、例えばB1bisとかD2などについては、登録番号と車両の固有名、所属部隊などもリスト化したうえで写真を集めてあったのが有り難かった。

現時点で、サイトの一部についてはウェブ・アーカイブでまだ見られるが、写真は一部しか開かないし、それもいつまでもつかどうか。

もっとも、上記のように、フランス軍AFVの写真を「かき集められるだけかき集め」ている一方で、それらの写真の全部がパブリック・ドメインではないだろうし、使用許諾は大丈夫なのかしらん?とも思っていて、もしかして、サイトが無くなってしまったのはそのへんの絡みもあったのかも、と邪推してみたり。そうは言っても、う~ん、つくづく惜しい。

そのうち場所を変えて復活してくれないものか。甦れ、アイアンシェフ!

●ちなみに、以前「開かなくなっちゃった! どうした!?」と騒いでいた、フィンランド軍“直営”の写真アーカイブは、めでたく復活した。よかったよかった。御用のある方は以下へ。

Finnish Wartime Photograph Archive

●先々週末(19~21日)、昨年に引き続いて、府中で某IT系ハッカソンの合宿。ただし、19日(金曜日)は別件の仕事の締め切り&打ち上げがあって、20日朝から参加する。

21日は午後も早めに終了。ちょうどやっていたポケモンgoのコミュニティ・デーのイベントをこなしつつ、国分寺跡を経由して西国分寺まで歩く。猛烈に暑かったが、昨年の合宿時よりはマシだったかな……。さらに今年も若干の寄り道をして、付近のマンホールカード4種を貰った(国分寺市1種、国立市1種、立川市2種)。

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今回貰った国分寺市、国立市、立川市の3市とも、もう1種ずつマンホールカードがあるが、国分寺市のものは昨年入手済み。国立市、立川市のもう1種は、配布時間(施設窓口の開いている時間)に間に合わなかったので今回はパス。

●わが町逗子の丸ポストは、つい最近まで4基あったのだが、そのうち2基が新しい角ポストに替わってしまっていることが判明した。

なくなった2基を含めての4基を西側から順に並べると(写真も同順)、

  1. 桜山1丁目2-21:逗子~東逗子間、水道路沿い。寿し魚友横。
  2. 池子2丁目20-4:東逗子団地管理組合事務所前。
  3. 沼間3丁目2-1:東逗子駅先、県道24号線沿い。元長谷川たばこ店前。沼間講中庚申塔群横。
  4. 沼間4丁目5-24:横横道路逗子インター近く、県道から北にちょっと入った住宅地。

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このうち、2番と4番が最近なくなったもの。2番の東逗子団地管理組合事務所前のポストは、アリが沸いたとかで使用禁止の張り紙がされてしばらく後に新ポストに置き換わってしまったとか。

考えてみれば残りの2基も最近確認していないので、現時点で無事かどうか多少の不安あり。できるだけ長く生き残って欲しいなあ。

 

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ミニスケール2題

●暑くてダレているせいもあって模型作りも低調。ただ、手すさび的に漫然といじっているものはあって、そんな2つを軽く紹介。どちらもミニスケール(1:72)、かつ組立途中。

Img20240702214831 ▼一つ目は、THE WORLD AT WAR 1:72の「巡航戦車Mk.I(A9)CS」。

購入時に書いたレビュー記事はこちら(2020年12月6日

防盾の部分だけ色が違うのは、ディテールアップをしようとかではなくて、いじっているうちにぽとっと落として、そのまま行方不明になってしまったための作り直し。

なお、私は(そこそこ熟練のモデラーではあると思っているが)結構、部品破損や紛失のアクシデントが多いボンコツなので、そのたびに泣く泣く部品を新造する羽目になる。一応、自分自身への戒めもあって、「代わりに自作するパーツは、少なくとも無くした/ダメにした部品とおおよそ同等か、それ以上のものにすること」というハードルを課している(本当にそれを完遂できるかどうかは微妙だが)。

なお、この防盾はまだ工作途中で、これからディテール工作予定。

レビューにも書いたが、このキットの最大の問題点は、指定塗装/デカールが(箱絵も)1940年フランス戦時の大陸派遣軍のものなのに、パーツは、アフリカ戦の大型サンドシールドが入っていること。レビュー記事からの再掲だが、パーツはこんな感じ(左右で形状が違う)。

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さすがにこのためだけに2ポンド砲型を買ってキットを一つ潰すのは嫌だし、キットのパーツを削り込んで、なんとか通常型フェンダーらしく見えるようにした。

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履帯は、エッシーのバレンタインを探し出して換装するなどという贅沢はせず、キットのまま。もっとも、側面から見た時の雰囲気はエッシーの履帯よりキットの方がよいので、換装する効果はちょっと微妙な気もする(ガイドホーンがカマボコなのは、やはりちょっと気になるが)。

Img20240702215005 ▼2つ目は、First to Fight 1:72の「PRAGA RV 6輪トラック」。

購入時のレビュー記事はこちら(2016年12月27日)

もともとチェコスロバキア軍用に作られた軍用トラックで、大戦中はスロバキア、ポーランド、ルーマニア、ドイツでも使われ、小国者的にはちょっと美味しいはずのアイテムなのだが、残念なことに資料写真に乏しい。しかも何しろ元がただのトラックだから、何軍に使われていても塗装やマーキング等で変わり映えがしない。

というわけで、いじり始めてはみたものの、完成に向けての意欲はいまひとつ。

ちなみに、後輪が2軸かつダブルタイヤなので、かなりの重車輛に感じるが、積載量は2tだそうだ。

一応、ちょっとだけ手を加えたのは、幌を張った仕様のキットと共用パーツのため、幌骨の下半分がモールドされていた荷台側板から、その幌骨を削り取ったこと。元パーツは下のような感じ(レビュー記事からの再掲)。

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削り取った跡を、もうちょっと綺麗にする必要はあるかも。

また、この車輛は前後輪ともにポジティブキャンバーが付いている(前後方向から見て、車輪が逆ハの字になっている)。後輪まで、しかもダブルタイヤなのにキャンバー角が付いているのはちょっと珍しいかも。キットはそのままだと前後とも垂直になってしまうので、角度を付けて接着した。当然、角度を付けても後輪内側が接地するよう、接地面は多少ヤスって平らにした。

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ただ、こうして写真で見ると、ちょっと後輪の角度が足りなかったかな?

あとは、キャビン横ドアの後縁にケガキ線を入れた(キャビンとドアが一体化していたので)。

●先週水曜日(26日)、仕事で横須賀へ。ついでに、先日「のの字坂」記事へのコメントでみやまえさんに紹介してもらった、旧東京湾要塞砲台(米ヶ浜砲台)跡地の「平和中央公園」に行ってみる。横須賀中央駅からはすぐ近く……なのだが、結構な高台にあって、いきなり長い階段を上る羽目になってへろへろ(なので、話の発端の電柱の銘板までは見に行かなかった)。

砲台跡地と言っても、元が明治時代の、港湾防御用のものなので、大戦中の高射砲陣地のような円形のベトン(コンクリート)製砲座などは残っていない。弾薬庫?の壕は残っているが、砲そのものがどのように配置されていたかなどは、現状の風景からは想像しづらい。

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ちなみに、この砲台には、日露戦争の際に旅順攻略に持って行った二十八糎榴弾砲(wikipedia記事)と、それより小径・長砲身の二十四糎加農砲(wikipediaに記事無し)が配備されていたらしい。

高台の公園なので見晴らしは良い。東京湾要塞の遺構としては、より大規模かつ濃密に残っている猿島が、ちょっと見下ろす感じに見える。

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みやまえさんお勧めの「横須賀市自然・人文博物館」は臨時休館で入れなかった。残念。

●昨年末に横須賀市のマンホールカードが増えて、新しいカードはドブ板通りの「ドブ板ステーション」で配布されているとのことだったので、行ってみたら水曜定休だった。がっくし。

貰えないとなると悔しくなったので、仕事帰りに足を伸ばして、三浦市のマンホールカードと、横須賀市の3種目のカードを貰いに行く。

三浦市のカードは、三浦市役所(三崎口駅からバス)または三浦市観光インフォメーションセンター(三浦海岸)で同じものが配布されているようで、行きやすい後者のほうへ。

三浦海岸へは(少なくとも覚えている限りでは)初めて行ったが、砂浜がものすごく広いうえにベージュで美しい(写真1枚目)。これに比べると、逗子の砂浜なんて猫の額だし、砂の色は灰色であまり綺麗ではないし、ゴミも多い。すごく負けた気分。東京湾のくせに!東京湾のくせに!

横須賀市の3種目のカード(発行順から言えば2種目?)は、「浦賀奉行所開設300周年記念」の絵柄で、浦賀駅からちょっと歩いた先の「浦賀コミュニティセンター分館(郷土資料館)」が配布場所。写真2枚目はその途中で見た歯医者さんの看板。いや、いくら浦賀でも、この名前はちょっとどうなんだろう……。

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仕事の時間はわずかで、外出時間の大半を「三浦半島をうろうろ」で過ごした感じ。ともあれ、カードは2種増えた。今度改めて、ドブ板通りのものも貰いに行こう……。

●今度の週末は東京都知事選挙投票日。

今回の都知事選、私の知り合いも出馬しているのだが、知り合いといっても、もうかれこれ30年くらい会っていないし、向こうもたぶん覚えていないと思う。そもそも私は東京都民ではないので(都民だった時期はある)、応援も支持もへったくれもないが、とりあえずは「まあ、頑張ってね」くらいは思う。

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業平橋

●毎年夏~秋は季節労働で忙しく、しかも今年は地域の自治会役員の仕事も仰せつかってしまったために(だいぶさぼっているが、逆にそのために節目節目にやることが溜まる)、当「かばぶ」更新もすっかりご無沙汰。

この夏~初秋は、このところ例年行っていたヒメクルミ拾いにも行っていないし、(こちらはまだ間に合うだろうが)銀杏拾いにも、カヤの実拾いにもまだ行っていない。

●模型製作に関しては、しばらくサボっていたSU-100制作を復活させて、現在は後部の増加燃料タンクをいじっているところ。ある程度進んだ時点で報告予定。

Img20231003120044 ●3日火曜日、仕事で墨田区に行く。

京急からの直通で都営線の「本所吾妻橋駅」で降り、約束の時間よりもだいぶ早く着いてしまったので、しばらく周りをうろうろ。首都圏在住者なので割と日常的に、遠目にスカイツリーを見る機会は多いが、直接そこを目的地に行ったことはなく、今回、これまでで最も接近した。

行き会う外国人観光客が皆スカイツリーを仰ぎ見て記念写真を撮っているのに倣って、私も撮る。お上りさん感たっぷり。

スカイツリーの断面形は根元付近で三角形、それが上に行くにしたがって丸みを帯び、上部では円形断面になる、というのがデザイン上の特徴となっている。それがまた日本刀の反りにも通じる美しさの演出、みたいな話なのだが、たまたま根元の三角の一辺もしくは角に真っ直ぐ向き合っていない場合にはシルエットが歪んで見えて、なんだか不安を感じさせるため、個人的には「そんなに褒めるようなとこ?」と思わなくもない。

Img20231003115052 ●同じく、その近所で通りかかった「業平橋(なりひらばし)」。

橋の名前には以前から馴染みがあり、同じく在原業平に関連した名前で、隅田川花火大会の際にも名前がよく出る言問橋(ことといばし)同様、なんとなく、隅田川に架かる大きな橋なのだろう的なイメージを抱いていた。出会ってみると、位置的にも大きさ的にも「え? こんな場所? こんな橋?」という感じ。

実際には隅田川の東側にある運河・大横川に架かる短い橋で、しかも橋の下の大横川は(少なくともこの前後では)埋め立てられて公園になっているため、すでに「川に架かる橋」ですらない。

そもそもなぜ「業平橋」という名前に聞き覚えがあったのか、改めて思い返してみると、どうやらスカイツリーの最寄駅である東武線の「とうきょうスカイツリー駅」の旧称が「業平橋駅」だったためのようだ。ちなみにこの「とうきょうスカイツリー駅」は、明治35年の開業時は「吾妻橋駅」、その後「浅草駅」、「業平橋駅」、「とうきょうスカイツリー駅」と、ずいぶん駅名変遷が激しい(それだけ歴史も長いが)。

「え? 浅草駅って別にあるよね?」と思ったが、「浅草駅→業平橋」の改称は、延伸により「浅草雷門駅(現:浅草駅)」が開業したためとか。

ちなみにスカイツリーのすぐ足元を流れている川(運河)は北十間川で、前出の大横川は、この北十間川から枝分かれしたもの。

●今頃になって、「隅田川と墨田区って字が違うじゃん!?」と気付いた(気づかされた)。迂闊でありここが戦場なら即死(久しぶりの定型句)。

●仕事後、「ポケモンgo」のルート探索も兼ねて、ぶらぶらと両国~浅草橋まで歩く。

左写真はその途中で見かけたデザインマンホール蓋(親子蓋)、右は両国駅前で新たにゲットしたマンホールカード。

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左のマンホール蓋については、「墨田区なのになんで神奈川沖?」と思わなくもないが、これは「すみだ北斎美術館」脇に設置されたもの。北斎は生涯のほとんどを本所界隈で過ごしたらしい。同じく北斎「富嶽三十六景」のうち「凱風快晴」のデザインマンホール蓋も両国駅前にあるとかで、昨日はその真上も歩いたはずなのだが気付かなかった。

●両国駅近くのスーパーで、比較的小さめの冬瓜が一個198円で売られていて、一瞬「安い!欲しい!」と思ったのだが、小さめとはいえ冬瓜丸ごと一個を逗子まで抱えて帰ることを思うと気持ちが萎えて買わなかった。

●両国から浅草橋まで歩く途中、「柳橋」脇を通り掛かる。

「柳橋から 小舟を急がせ …… 舟から上がって土手八丁 吉原へご案な~い」

という小唄だか端唄だかは知っていたが、こんなとこにあったのね。神田川が隅田川に合流する、最も出口際にある橋だった。両国から浅草橋方面に行く場合には、両国橋で隅田川を渡ってすぐ右手にある。

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元禄年間に最初の橋が架かり、その後明治になって出来た鋼鉄橋は関東大震災で損壊。現在の橋は昭和4年(1929年)に架けられたものである由。橋の構造等々詳しくはないが、「下路式・鋼製ソリッドリブタイドアーチ構造」という形式だそうで、一面に打たれたリベットが素敵。特に側面(3枚目写真)にびっしり打たれたリベットが、真っ直ぐではなく微妙に曲線を描いているのがちょっとオシャレな気がする。

上記の歌詞に従うと、ここで小舟を仕立てて墨田川本流に出て、数キロ川を遡上。浅草寺を過ぎ、山谷堀の出口で舟を降りて、日本堤を1キロ弱?(八丁)歩いて吉原まで遊びに行く、ということになる。

Img20230924194027 ●プレッツェル(ブレーツェル)がすっかり癖になってしまって、鎌倉に行くたびにUnionで買っている。Bergfeldのパンタイプのものも、諸物価高騰の折、9月以降190円から220円に値上がりしてしまったが、やはり時々買っている。

ちょっと前に、逗子の業務スーパーでトルコ産のプレッツェル(種名は英語表記なのでPretzel)が売られていた(写真右)。若干安いうえに量も多くて「ラッキー!」と思ったのだが、食味が軽くて、塩気も「絶対、これを大量に食べ続けたら健康に悪いよな」という凶悪さに欠ける(しばしば食べているドイツ製Brezel(写真左)に、やや「プリッツ感」を足したとでも言えばよいか)。不味くはないが「オレが求めているプレッツェルでは無し!」という感じ。

……にわかの癖に、何を一丁前にプレッツェルを語ってるんだか。

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ダイコクだましい

●14~16日。某IT系ハッカソンの合宿にオブザーバー参加し、府中で2泊。

根が文系の私には理解できない話も多くて往生するが、ChatGPTの活用に関する講義は面白かった。

基本、単純に何かを訊ねて答えを貰おうという使い方ではNGで、あれやこれや材料を放り込んで対話することで、新たな着眼点を得るのがよい――というような話。そのうち自分でも何か試して(遊んで)みようかな、という気になる。

Img20230716201750 ●普段なかなか行かない方面に行ったついでに、近辺のマンホールカードを入手。

一番左は、上記スケジュールの初日、集合前に市役所に行って手に入れた国分寺市のもの。右2枚は合宿終了後に府中市内2個所を回って貰ってきた、マンガ「ちはやふる」タイアップのカラーマンホール蓋のもの。

実はこれ以外にも、初日に小金井市のマンホールカード2種を貰おうと武蔵小金井で途中下車したのだが、(事前にしっかり確認しなかったこちらが悪いが)2種とも品切れ。また、国分寺市のマンホールカードはもう一種あり、そちらは在庫が確認できていたのだが、合宿の集合時間が迫っていたため、配布場所まで足を延ばせなかった。

また、最終日は午後早めの終了だったので、府中市の配布場所2か所に加え、立川市のカードも貰いに行こうかな、などということも考えていたのだが、あまりの猛暑に歩き回る気力が失せた。カードになっている「ちはやふる」マンホール蓋の実物も、それぞれ配布場所近くに設置されていたはずなのだが、「見に行こう」ということ自体思い浮かばなかった。

●府中市の(「ちはやふる」タイアップではない)通常版マンホール蓋には何種類かあり、何枚か写真を撮ってきた。

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最初の2枚は市の木であるケヤキ。基本デザインは共通だが、細部は異なっていて、ケヤキ自体、「別の植物?」と思ってしまったくらい描き方に差がある。最後の1枚は府中本町駅近くで見た、市の花である梅のカラーマンホール蓋。他に、市の鳥であるヒバリの図案のものなどもあるらしい。

Img20230716150343 ●上掲マンホールカード一番右の配布場所は府中市観光情報センターというところなのだが(ちなみにもう一方は片町文化センター)、同情報センターは、大國魂(おおくにたま)神社というデカイ神社の入り口脇にある。

「神社の隣」ということ自体は下調べで知っていたのだが、なんだかボンヤリと「村の鎮守」レベルのものを想像していて、行ってみて初めて、神社の大きさにたまげた。

後から調べてみると、村の鎮守なんて話ではなく「武蔵の国の総社」であり、「府中」の名の元である、律令時代の国府跡もこの神社の境内にある由。ちなみに祭神である「大國魂大神」とは、大国主命(オオクニヌシノミコト)の別称、ということになっているらしい。

武蔵の国といえば、武蔵と相模の境界が、鎌倉市/横浜市金沢区をまたぐ朝夷奈切通を抜けた先の鼻欠地蔵(鼻缼地蔵)だったと思い出す。地域の中心(国府)から端までずいぶん遠いなあ、と思ったのだが、考えてみれば現在の都道府県レベルの行政区域なので、全然不思議でも何でもない。

●先月上旬の大雨で、逗子マリーナに面する飯島・親不知の崖面が2か所ほど崩落。しばらく前に通りかかったら、補修のため、崖面の草が切り払われていた。左写真は崩落からさほど経っていない時のもの(6月16日)、右が最近(7月21日)。

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この刈り取られた左下あたりが、ちょうど西小坪海面砲台の南砲台の洞口があったと思われる場所で、土砂止めの板張りがなければ、洞口の痕跡くらいは、もしかしたら見えていたかも。

近くの逗子マリーナの上層階とか屋上とかからなら確認できるかもしれないが、さすがに知り合いもいないので上る術がない。

Img20230720103523 ●前回記事で書いた転倒事件のその後。

府中での合宿中は腫れや痣もひどく、その辺の冷たい金属扉などに押し付けて冷やしたり、なんてことも。

あちこち押してみても強い痛みが走ったり、ということもないので、骨折やヒビはないだろうと思っていたのだが、その後腫れや痣が収まってきても、じーんとした痛みが引かない。結局先週になってようやく整形外科に行って、レントゲンを撮ってみたら「やっぱり折れてます」ということになって、添え木(というか添え石膏?)をあてて包帯でぐるぐる巻きに。

来月上旬まではこの状態で、キーボードは打ちづらいし、それ以上にマウスが操作しづらいし。さすがにこれではナイフも持てないので模型製作はしばらくお休み。

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逗子市のマンホールカード

●全国の自治体が「下水道広報プラットフォーム」と共同で発行する「マンホールカード」の第16弾42種のうちの1つとして、逗子市のものが発行された。

第16弾の配布は今日、1月15日からで、逗子市のものも市役所(通常は2階の下水道課窓口、土日祝日は裏手の警備員室)で配布が始まっている。というわけで、早速1枚貰って来た。

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駅前に(1枚だけの)カラーマンホール蓋が設置されたのは一昨年の夏。その時から、マンホールカード発行の申請を検討とされていたので、近々出るんだろうなあと思っていたのだが、つい最近、「そういえばどうなったかな」と検索してみて発行を知った。まあ、あわてて貰わなくてもしばらくは無くならないと思うけれど。

●同じく路上蓋関連。

先日日曜日のことなのだが、逗子市久木の路上で、海軍の水道弁(仕切弁とか止水弁とか)の蓋を見つけた。

二連・二重の山形と錨は海軍を示す。左右に矢印があって、その下に「■」マークがあるが、これはすり減って読めないだけで、本来は「開・閉」の文字だったのではないかと想像。

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場所は久木小学校の裏手、妙光寺の門前ちょっと脇。街区で言うと久木2丁目1と6丁目1の間になる。普段から散歩のときなどに頻繁に通る場所なのに(もう20年以上通っているはずなのに)今まで全く気付かなかった。

こうした海軍に関わる水道施設の遺物は、軍用水道上に作られた「水道路(すいどうみち)」沿いには多数残っているが、ここは水道路(このあたりでは県道311号線)からは外れている。浄水場に到達する前の水道から枝分かれしているとは考えづらいので(上水道の構造自体に詳しくないので勝手な想像だが)、これは逗子市(当時は逗子町、あるいは1943年以降であれば横須賀市)の水道から、久木の奥にあった横須賀海軍工廠工員宿舎、あるいはさらにその奥の池子弾薬庫方面へと引かれた旧・海軍専用経路なのではないかと思う。

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2枚目写真は「水道路」上、JR逗子駅から東逗子方面へ、京急の踏切を越えたあたりにある同様の栓蓋。かなりすり減っているが、かろうじて山形と錨の海軍マークが見える。久木の蓋とは、全体形はほぼ同じだが絵柄は別物。

●何日か前のテレビニュースで、確か、コロナ禍でごみ収集の人員にも不足が出始めているという内容だったと思うのだが、東京の下町の路地でごみ収集している映像が流れていて、そのごみ収集車がなんとターレだった。確かに軽トラでも入りにくいような路地でごみ収集するにはターレはうってつけ。何区だったかなあ。

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逗子銀座の越境蓋

●逗子駅前の逗子銀座商店街の歩道上のマンホールには、同商店街専用のカラーシールを貼り込んだ専用蓋(3種類)が主に使われているのだが、ここ最近、他自治体の蓋が複数枚、紛れ込んでいるようだ(気づいたのは昨日、25日夜)。

改めて今日(26日土曜日)、日中に商店街を歩いて写真を撮ってきた。

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1枚目は県内、二宮町。松原と海、その向こうの富士山のデザイン蓋。防錆塗料も黒々としていて新品蓋のようだ。古本屋のととら堂への入口あたりの歩道。下端に「にのみや うすい」の文字。ちなみに二宮町の汚水用蓋は、単に文字替えではなくて絵柄も違うらしい。なんだかちょっと贅沢。

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いきなり遠距離のうえに、合併によって現存しない町のマンホール蓋。富山県福岡町(現・高岡市)。町のシンボルマーク(なぜか町章とは別にシンボルマークがある)と町の花サクラとコイ。福岡町は養鯉業が盛んで、シンボルマークも跳ねるコイの図案化である由。下端に「福岡町 下水道」の文字。「魚屋修二」前(まさかコイが描いてあるから?)。

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3枚目はクレヨンしんちゃんの住む埼玉県春日部市のもの。市の花フジを一面に配し、下端に「かすかべし おすい」の文字。「ハマまで5分」のちょっと脇。

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4,5枚目。最初に挙げた二宮の隣、大磯町のものが2枚あった。「珠屋」の前と、その向かいのキングプラザ前。クロマツとサザンカとカモメと海。左上に墨書体で大きく「大磯」。こんなふうに自治体名を入れているのはやや珍しい? 下端に小さく「おすい」の文字。

実は大磯の文字がデザインと一体化しているために、最初は文字に気付かず、最初は「松、海、カモメってどこだぁ?」と、それだけを手掛かりに検索してしまった。

●基本、下水道というのは自治体(市町村)が管理していて、その自治体が定めたマンホール蓋を使っているため、例えば隣接していて下水道の管路が市町村境をまたいでいるとかいう場合以外、原則として他の自治体の蓋が使われることはない。

が、例外的に、何か工事の都合や、蓋交換に際しての仮置きなどといった理由で、(おそらく請負業者が他に担当している自治体の手持ちの蓋などを流用したために)まるで無関係の自治体の蓋が置かれることが稀にある。こういうケースを、マンホール蓋のマニア(マンホーラー)の呼称で「越境蓋」と言う由。たとえば東京都下水道局広報誌のこちらの記事などを参照のこと。

テンポラリーで置かれるものなので、しばらくするとその自治体の正規の蓋に置き換えられてしまうことが多いようだ。実際、「日本マンホール蓋学会」サイトの逗子市のページを見ると、過去にも、商店街(タイルの模様から見て逗子銀座商店街)の工事の際に、越境蓋がそれなりの数、使われていたことがあるようだ(それらの蓋は今回の蓋とは全然別の自治体のもので、現在はすでに見ることが出来ない)。

上で紹介の蓋も、さて、いつまで見られるやら。

●オマケ。越境蓋は短期で正規のものに置き換えられてしまう、と書いたばかりだが、なかなか消えないものもある。

下は、逗子市桜山の、県道24号にある越境蓋。

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デザイン自体は珍しくもなんともないJIS柄だが、中心のマークが逗子市章ではない。これはいったいどこのマーク?と不思議に思っていたのだが、川崎の実家近辺で同じデザインを見て、川崎市章に「下水」の文字を組み合わせたマークと判明。何たる偶然。

それはさておき、この蓋を確認したのはマンホール蓋に興味を持ち始めた一昨年あたりのことで、その当時から割と使い込まれた姿で、今に至るもそのまま使われている。絵柄が全国共通のものなので放置されているのかも。

●オマケ2。小坪漁港のちょっと手前当たりの路上で、変なマークのハンドホール(人が入れる大型のマンホールではなく、手を入れるくらいの小型のもの)蓋を発見したのは今年の初め(左写真)。

なんとかネットで市町村章をつきとめ、茨城県土浦市のものだと判明した。

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しかし、ちょっと前に、右のような蓋に交換されてしまった。これはこれで他で見たことがないのだが、越境蓋なのか、それとも何かしら汎用な蓋なのかよく判らない。

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