安曇野
●14、15日の週末、長野・安曇野に出掛ける。
数か月前に兄が引っ越していて、休みが取れたので遊びに来い、と誘われたため。ドイツ人Pと誘い合わせ、土曜朝の特急あずさで、兄と待ち合わせの穂高駅へ。
ちなみに乗ったあずさは、大昔のヒット曲通りに新宿8時ちょうど発だが、2号ではなく5号(ダイヤ改編で、だいぶ昔に下りは奇数になった)。
しかも、JRの「えきねっと」で逗子~穂高で予約を取ったら、そもそも新宿乗車ではなく横浜線経由で八王子乗車になっていた。気付くのが遅かったら新宿に行ってしまうところだった。P(新宿乗車)とは別々に予約を取っており、乗った号車も離れていたので現地集合。
●14日は駅で落ち合った後、兄の車で、町の東側に連なる低山の麓まで。光城山の登山口に車を止め、光城山~長峰山とトレッキング。
どちらも1000mに満たない低山で、そもそも登り始めで標高600mくらいあるから、「山登り」というよりは「山歩き」だが、このところだいぶ鈍っているので、光城山山頂までの登りでへろへろになった。前日に海外出張から帰ってきたばかりのPはケロリとしていた。くそお。
光城山に登ってしまえば、あとは高低差がそれほどない尾根歩き。途中、あられ(氷粒ではなく雪霰)が吹き付けるように降ったりもしたが、長峰山の頂上に着く頃にはいい天気で、正面に北アルプスの常念山脈がいい感じに見えた。
長峰山山頂でおにぎりなど食べて下山。出発点に置きっぱなしの車まで、山すそをだらだら歩く。
●その後、車に乗って北上。信濃大町駅を過ぎて西へ折れ、ずんずんと山奥へ。いきなり周囲は雪景色。
山が迫って険しくなり、ダム湖を越えたさらに先に、目的地の兄お勧めの「葛温泉」。日が暮れ行くなか、3人で屋内の温泉と露天風呂をハシゴして温まる。
その後、人里に引き返して兄宅へ。安曇野の地酒「大雪渓」各種で酒盛り。
●翌15日は、午前中、兄宅から徒歩で、大町の南にある「仁科神明宮」に行く。
1枚目は、神明宮に行く途中で立ち寄った「鬼の釜古墳」。最初、「ただの小さい土盛じゃん……」と思ったのだが、横手に回ったらやけに立派な石室が開口していた。
2枚目は仁科神明宮の手水舎。ひしゃくにつららが出来ていた。
3枚目は仁科神明宮の神門。手前の拝殿を越えて、中門~本殿は「神明造の建築物としては日本最古(江戸初期)」とかで国宝指定。
4枚目。兄宅からそれほど遠くない、田んぼ脇に建つ妙に立派な扁額付きの小屋。……ゴミ置き場だそうだ。
昼前に兄宅に戻り、車で穂高駅方面へ。「碌山美術館」を見て、駅前で蕎麦を食って、それから「大王わさび農場」を見学。
●碌山美術館は、当地出身で若くして亡くなった彫刻家、荻原碌山(荻原守衛)および関連の作品を集めた美術館。そもそも「隣の中学校の敷地を分けて貰った」という一角に、いくつかの小さな展示棟に分かれて作品が収められている。本館とも言うべき、碌山の主要作品を収めた碌山館は、レンガ造りの小ぢんまりした教会風の建物で素敵。
それにしても、車に乗って走っていると、沿線に、やたらに「〇〇〇兵衛 記念館」的な施設の案内板を目にする。地域の〇〇の整備・振興に力を尽くしたとか、この地出身の有名人とか、この地で活動した〇〇家とか、そんな人々らしい。兄に聞いても、おおよそは「誰だろうねえ?」的リアクション。
●「大王わさび農場」というのも何だかスゴイ名前だが(しかも運営母体は「株式会社大王」)、これは、その昔(桓武天皇の時代)、この地に勢力を張っていた「八面大王」という鬼に由来するものだそうな。「八面大王」は、かの坂上田村麻呂に成敗され、身体はバラバラに切り刻まれたが、そのうち、胴体を埋めて祀ったとされる神社が、農場敷地内にある。
伝説上は「鬼」だが、そもそもはこの地を荒らしまわった盗賊(集団)であるとか、(特に戦後に広まったものとして)この地の支配を固めようと侵攻してきた大和朝廷に対し最後まで抵抗した地元の英雄であるとかいった両極端の説がある。ちなみに、「大王わさび農場」内の案内板の解説は、さすがに名前を冠しているだけあって後者寄り。
そもそも史実としては坂上田村麻呂が安曇野の平定にやってきた記録はなく、仁科氏の一党である田村守宮なる武将が討伐軍の指揮官であったのが、「田村」繋がりで、いつのまにか有名人の坂上田村麻呂にすげ変わってしまったとか何とか。
●長野の郷土料理として有名な「おやき」。これまでは、両面きつね色に焼き色が付いた、白くて平べったい形状のものというイメージだったのだが、穂高駅前、穂高神社の脇鳥居の横にある、(兄お勧めの)ばあちゃんがやっている饅頭屋のおやきは、それとはだいぶかけ離れた感じのものだった。
そもそも大きい。成人男性の握りこぶしに近いくらいあるし、形状も平べったくないので、ぱっと見のボリューム感がすでにスゴイ。
生地はまるでスコーンのような感じ。具は、少なくとも私たちが行った時は(14、15の両日行った)「野沢菜」と「なす」の2種。写真は野沢菜で、中身はぎっしり。なすは味噌で甘辛く煮たヤツで、こちらも具はぎっしり。食べていて脇からあふれた。「なす」が、個人的にはメチャ美味かった。次の機会にもまた食べたい。
1つ220円。ただし、前日売れ残りの冷めて固くなったヤツは150円。「持って帰るなら、レンジで暖めればこれでもいいよ」とのこと。お土産に何個か買って帰ればよかった。店の名前は「池田屋餅店」。おやき以外にも「おからまんじゅう」「大福」など売っている。「おからまんじゅう」も食べたが、こちらもなかなか。
●2日目の散策中に見た、安曇野一帯のマンホール蓋あれこれ。
1枚目は大町市のマンホール蓋。山並みとライチョウ。カラー版もあり、マンホールカードもあるのだが今回は貰いそびれた(というか、帰ってから存在を知った)。
左は、大町市と安曇野市に挟まれた北安曇郡池田町の下水道マンホール蓋。図案の「てるてる坊主」は、童謡の「てるてる坊主」作詞者が同町出身であるから、らしい。これもカラー版があるようだ。右も同じく池田町だが、「農集排」という見慣れない文字入りで、これは通常の下水道事業ではなく、「農業集落排水」の略。市街地でなく農村での下水処理を担っている事業。中心は北アルプスの山並みに、左下は松で右は桜?と思ったら白樺らしい。周りはコスモスかと思ったら、とあるサイトによればカモミールだとか。
安曇野市のうち、旧・豊科町のカラーマンホールと、通常版の親子蓋。同地に飛来するコハクチョウをデザインしたもの。
安曇野市のうち、旧・明科町のマンホール蓋と、旧・穂高町のカラーマンホール蓋。明科町のものは「アヤメとニジマス」。穂高町のものは、北アルプスの山とシャクナゲ。
途中兄に頼んで立ち寄ってもらった「長野県犀川安曇野流域下水道事務所(アクアピア安曇野)」と、穂高駅前の安曇野市観光案内センターで貰ったマンホールカード。左はこの地に多い双体道祖神の図柄。右は、安曇野を流れる犀川由来のサイの下水道マスコットキャラクター「サイサイ」が、やはり犀川に飛来する白鳥をモチーフにした“おまる”に乗って飛び回っている姿だそうだ。いや、それってどうなんだ……と言いたくなる感じだが、まあ、いわゆるゆるキャラってそんなもんだよね。
両者とも、上掲の市町村管轄の下水道とは別の、県管轄の市町村をまたぐ「流域下水道」のもの。さすがに安曇野市に合併された旧町村は、マンホール蓋は違っても現在は安曇野市の下水道として統一されているのかもしれないが、市町村の下水道、県流域下水道、農業集落排水と、結構あれこれ入り組んでいそうだ。
●帰りの「あずさ」(穂高駅16時発)は、穂高駅着時点で5~10分の遅れ。到着した列車を見ると、どういう状況でそうなったのか、先頭部下(連結部)に、付け髭のように草藪のかたまりを纏っていた。「連結部整備(おそらくその付け髭の除去)」のためにさらに穂高駅でしばらく停車。結局八王子着は20~30分遅れた。
帰りの列車では、偶然、Pとは同じ号車で席も2列ズレた程度。座席変更ができれば隣に移ろうかと思ったが、穂高駅にはみどりの窓口などなく、車内で回ってきた車掌に聞いたら、ごく大雑把に要約すると「おとなしく予約した席に座っててくださいよ」的なことを言われたので諦め、穂高駅前で買ったビールを1本飲んで、息子に最近進められて図書館で借りた「文字渦」(円城塔)を数ページ読んだり、位置ゲー「ニッポン城めぐり」をポチポチしたり、うとうとしたり。
さらには京浜東北線、横須賀線も遅れていて、だいぶ遅くなって帰宅した。
最近のコメント