マンホール

ダイコクだましい

●14~16日。某IT系ハッカソンの合宿にオブザーバー参加し、府中で2泊。

根が文系の私には理解できない話も多くて往生するが、ChatGPTの活用に関する講義は面白かった。

基本、単純に何かを訊ねて答えを貰おうという使い方ではNGで、あれやこれや材料を放り込んで対話することで、新たな着眼点を得るのがよい――というような話。そのうち自分でも何か試して(遊んで)みようかな、という気になる。

Img20230716201750 ●普段なかなか行かない方面に行ったついでに、近辺のマンホールカードを入手。

一番左は、上記スケジュールの初日、集合前に市役所に行って手に入れた国分寺市のもの。右2枚は合宿終了後に府中市内2個所を回って貰ってきた、マンガ「ちはやふる」タイアップのカラーマンホール蓋のもの。

実はこれ以外にも、初日に小金井市のマンホールカード2種を貰おうと武蔵小金井で途中下車したのだが、(事前にしっかり確認しなかったこちらが悪いが)2種とも品切れ。また、国分寺市のマンホールカードはもう一種あり、そちらは在庫が確認できていたのだが、合宿の集合時間が迫っていたため、配布場所まで足を延ばせなかった。

また、最終日は午後早めの終了だったので、府中市の配布場所2か所に加え、立川市のカードも貰いに行こうかな、などということも考えていたのだが、あまりの猛暑に歩き回る気力が失せた。カードになっている「ちはやふる」マンホール蓋の実物も、それぞれ配布場所近くに設置されていたはずなのだが、「見に行こう」ということ自体思い浮かばなかった。

●府中市の(「ちはやふる」タイアップではない)通常版マンホール蓋には何種類かあり、何枚か写真を撮ってきた。

Img20230716150942 Img20230715215511 Img20230716151208

最初の2枚は市の木であるケヤキ。基本デザインは共通だが、細部は異なっていて、ケヤキ自体、「別の植物?」と思ってしまったくらい描き方に差がある。最後の1枚は府中本町駅近くで見た、市の花である梅のカラーマンホール蓋。他に、市の鳥であるヒバリの図案のものなどもあるらしい。

Img20230716150343 ●上掲マンホールカード一番右の配布場所は府中市観光情報センターというところなのだが(ちなみにもう一方は片町文化センター)、同情報センターは、大國魂(おおくにたま)神社というデカイ神社の入り口脇にある。

「神社の隣」ということ自体は下調べで知っていたのだが、なんだかボンヤリと「村の鎮守」レベルのものを想像していて、行ってみて初めて、神社の大きさにたまげた。

後から調べてみると、村の鎮守なんて話ではなく「武蔵の国の総社」であり、「府中」の名の元である、律令時代の国府跡もこの神社の境内にある由。ちなみに祭神である「大國魂大神」とは、大国主命(オオクニヌシノミコト)の別称、ということになっているらしい。

武蔵の国といえば、武蔵と相模の境界が、鎌倉市/横浜市金沢区をまたぐ朝夷奈切通を抜けた先の鼻欠地蔵(鼻缼地蔵)だったと思い出す。地域の中心(国府)から端までずいぶん遠いなあ、と思ったのだが、考えてみれば現在の都道府県レベルの行政区域なので、全然不思議でも何でもない。

●先月上旬の大雨で、逗子マリーナに面する飯島・親不知の崖面が2か所ほど崩落。しばらく前に通りかかったら、補修のため、崖面の草が切り払われていた。左写真は崩落からさほど経っていない時のもの(6月16日)、右が最近(7月21日)。

Img20230616185212 Img20230721184120

この刈り取られた左下あたりが、ちょうど西小坪海面砲台の南砲台の洞口があったと思われる場所で、土砂止めの板張りがなければ、洞口の痕跡くらいは、もしかしたら見えていたかも。

近くの逗子マリーナの上層階とか屋上とかからなら確認できるかもしれないが、さすがに知り合いもいないので上る術がない。

Img20230720103523 ●前回記事で書いた転倒事件のその後。

府中での合宿中は腫れや痣もひどく、その辺の冷たい金属扉などに押し付けて冷やしたり、なんてことも。

あちこち押してみても強い痛みが走ったり、ということもないので、骨折やヒビはないだろうと思っていたのだが、その後腫れや痣が収まってきても、じーんとした痛みが引かない。結局先週になってようやく整形外科に行って、レントゲンを撮ってみたら「やっぱり折れてます」ということになって、添え木(というか添え石膏?)をあてて包帯でぐるぐる巻きに。

来月上旬まではこの状態で、キーボードは打ちづらいし、それ以上にマウスが操作しづらいし。さすがにこれではナイフも持てないので模型製作はしばらくお休み。

| | コメント (5)

逗子市のマンホールカード

●全国の自治体が「下水道広報プラットフォーム」と共同で発行する「マンホールカード」の第16弾42種のうちの1つとして、逗子市のものが発行された。

第16弾の配布は今日、1月15日からで、逗子市のものも市役所(通常は2階の下水道課窓口、土日祝日は裏手の警備員室)で配布が始まっている。というわけで、早速1枚貰って来た。

20220115_151120 20220115_151214

駅前に(1枚だけの)カラーマンホール蓋が設置されたのは一昨年の夏。その時から、マンホールカード発行の申請を検討とされていたので、近々出るんだろうなあと思っていたのだが、つい最近、「そういえばどうなったかな」と検索してみて発行を知った。まあ、あわてて貰わなくてもしばらくは無くならないと思うけれど。

●同じく路上蓋関連。

先日日曜日のことなのだが、逗子市久木の路上で、海軍の水道弁(仕切弁とか止水弁とか)の蓋を見つけた。

二連・二重の山形と錨は海軍を示す。左右に矢印があって、その下に「■」マークがあるが、これはすり減って読めないだけで、本来は「開・閉」の文字だったのではないかと想像。

20220109_210255

場所は久木小学校の裏手、妙光寺の門前ちょっと脇。街区で言うと久木2丁目1と6丁目1の間になる。普段から散歩のときなどに頻繁に通る場所なのに(もう20年以上通っているはずなのに)今まで全く気付かなかった。

こうした海軍に関わる水道施設の遺物は、軍用水道上に作られた「水道路(すいどうみち)」沿いには多数残っているが、ここは水道路(このあたりでは県道311号線)からは外れている。浄水場に到達する前の水道から枝分かれしているとは考えづらいので(上水道の構造自体に詳しくないので勝手な想像だが)、これは逗子市(当時は逗子町、あるいは1943年以降であれば横須賀市)の水道から、久木の奥にあった横須賀海軍工廠工員宿舎、あるいはさらにその奥の池子弾薬庫方面へと引かれた旧・海軍専用経路なのではないかと思う。

20200627_144050

2枚目写真は「水道路」上、JR逗子駅から東逗子方面へ、京急の踏切を越えたあたりにある同様の栓蓋。かなりすり減っているが、かろうじて山形と錨の海軍マークが見える。久木の蓋とは、全体形はほぼ同じだが絵柄は別物。

●何日か前のテレビニュースで、確か、コロナ禍でごみ収集の人員にも不足が出始めているという内容だったと思うのだが、東京の下町の路地でごみ収集している映像が流れていて、そのごみ収集車がなんとターレだった。確かに軽トラでも入りにくいような路地でごみ収集するにはターレはうってつけ。何区だったかなあ。

| | コメント (6)

逗子銀座の越境蓋

●逗子駅前の逗子銀座商店街の歩道上のマンホールには、同商店街専用のカラーシールを貼り込んだ専用蓋(3種類)が主に使われているのだが、ここ最近、他自治体の蓋が複数枚、紛れ込んでいるようだ(気づいたのは昨日、25日夜)。

改めて今日(26日土曜日)、日中に商店街を歩いて写真を撮ってきた。

20201226_135628 20201226_140116

1枚目は県内、二宮町。松原と海、その向こうの富士山のデザイン蓋。防錆塗料も黒々としていて新品蓋のようだ。古本屋のととら堂への入口あたりの歩道。下端に「にのみや うすい」の文字。ちなみに二宮町の汚水用蓋は、単に文字替えではなくて絵柄も違うらしい。なんだかちょっと贅沢。

20201226_135753 20201226_140217

いきなり遠距離のうえに、合併によって現存しない町のマンホール蓋。富山県福岡町(現・高岡市)。町のシンボルマーク(なぜか町章とは別にシンボルマークがある)と町の花サクラとコイ。福岡町は養鯉業が盛んで、シンボルマークも跳ねるコイの図案化である由。下端に「福岡町 下水道」の文字。「魚屋修二」前(まさかコイが描いてあるから?)。

20201226_135848 20201226_140009

3枚目はクレヨンしんちゃんの住む埼玉県春日部市のもの。市の花フジを一面に配し、下端に「かすかべし おすい」の文字。「ハマまで5分」のちょっと脇。

20201226_140449 20201226_140538 20201226_140725

4,5枚目。最初に挙げた二宮の隣、大磯町のものが2枚あった。「珠屋」の前と、その向かいのキングプラザ前。クロマツとサザンカとカモメと海。左上に墨書体で大きく「大磯」。こんなふうに自治体名を入れているのはやや珍しい? 下端に小さく「おすい」の文字。

実は大磯の文字がデザインと一体化しているために、最初は文字に気付かず、最初は「松、海、カモメってどこだぁ?」と、それだけを手掛かりに検索してしまった。

●基本、下水道というのは自治体(市町村)が管理していて、その自治体が定めたマンホール蓋を使っているため、例えば隣接していて下水道の管路が市町村境をまたいでいるとかいう場合以外、原則として他の自治体の蓋が使われることはない。

が、例外的に、何か工事の都合や、蓋交換に際しての仮置きなどといった理由で、(おそらく請負業者が他に担当している自治体の手持ちの蓋などを流用したために)まるで無関係の自治体の蓋が置かれることが稀にある。こういうケースを、マンホール蓋のマニア(マンホーラー)の呼称で「越境蓋」と言う由。たとえば東京都下水道局広報誌のこちらの記事などを参照のこと。

テンポラリーで置かれるものなので、しばらくするとその自治体の正規の蓋に置き換えられてしまうことが多いようだ。実際、「日本マンホール蓋学会」サイトの逗子市のページを見ると、過去にも、商店街(タイルの模様から見て逗子銀座商店街)の工事の際に、越境蓋がそれなりの数、使われていたことがあるようだ(それらの蓋は今回の蓋とは全然別の自治体のもので、現在はすでに見ることが出来ない)。

上で紹介の蓋も、さて、いつまで見られるやら。

●オマケ。越境蓋は短期で正規のものに置き換えられてしまう、と書いたばかりだが、なかなか消えないものもある。

下は、逗子市桜山の、県道24号にある越境蓋。

20180422_161859

デザイン自体は珍しくもなんともないJIS柄だが、中心のマークが逗子市章ではない。これはいったいどこのマーク?と不思議に思っていたのだが、川崎の実家近辺で同じデザインを見て、川崎市章に「下水」の文字を組み合わせたマークと判明。何たる偶然。

それはさておき、この蓋を確認したのはマンホール蓋に興味を持ち始めた一昨年あたりのことで、その当時から割と使い込まれた姿で、今に至るもそのまま使われている。絵柄が全国共通のものなので放置されているのかも。

●オマケ2。小坪漁港のちょっと手前当たりの路上で、変なマークのハンドホール(人が入れる大型のマンホールではなく、手を入れるくらいの小型のもの)蓋を発見したのは今年の初め(左写真)。

なんとかネットで市町村章をつきとめ、茨城県土浦市のものだと判明した。

20200306_161421 20200522_140729

しかし、ちょっと前に、右のような蓋に交換されてしまった。これはこれで他で見たことがないのだが、越境蓋なのか、それとも何かしら汎用な蓋なのかよく判らない。

| | コメント (0)

くろぬま閉店

●鎌倉・御成通りの(駄菓子屋向け雑貨店、とでも言えばいいのだろうか? 元はたぶん紙屋)「くろぬま」が先月半ばで閉店してしまった。

約10年前の大風でお店の南面が倒壊し、そこをベニヤ等々で応急修理して「これ、そのままでいいの?」状態で営業を続けていたが(下左写真に写っている左側)、張り紙によれば、おじいちゃん店主がお亡くなりになったらしい。ご冥福をお祈りしたい。

20201214_164023 20170305_114856

個人的には、「くろぬま」は時折気が向いたときに「点取占い」を仕入れる店で、昔、神保町の事務所で缶詰作業をしていた時期には台紙ごと買って事務所の壁にぶら下げていたことも。そういえば最近はあまり買ってなかったなあ。

●facebookでT.Wongさんに教えていただいた話。

CAMs(Combat Armour Models/戰甲模型)のヴィッカース6t戦車のフィンランド仕様は、これまでに、評価試験用に1輌輸入した標準型(キット番号A008)と、メインの輸入分である後期型車体のボフォース37mm砲搭載仕様(キット番号A009)が出ているが、来年2月目途で、後期型車体の継続戦争における45mm砲搭載改修型(いわゆるT-26E)を発売する由(キット番号A010)。A009同様、エンジンルーム内を含めてインテリア付き。

個人的にはインテリアまで作り込む趣味はあまりないので、インテリア無しの廉価版が欲しいなあ、などと思わなくもないが、いずれにしてもフィンランド型は1輌欲しいかも。あまり活躍できなかったとはいえ、虎の子の新鋭戦車として参戦した冬戦争仕様(ボフォース搭載仕様)が欲しい。そちらはもう出ているはずなのだが、模型店では未見。

●今年3月初め、東京で「マンホールカード特別版」12種の発行が予定されていたのだが、新型コロナ感染症拡大予防の観点から配布が延期されていた。

20201210_180758 それが、ついこの間たまたま確認したら、11月19日から配布が始まっていた。3月に取りやめたものを、その時期をはるかに上回る規模でコロナ第三波が猖獗を極めている今になって再開するっていうのはどうなの?と思わなくもないが、それはそれとして、たまたまついでがあって千代田区版と世田谷区版の配布場所近くに行ったので、その2つを貰ってきた。千代田区の絵柄は、先日実物を見に行った、お茶の水の明大通りのアトム

配布場所は世田谷区が東急世田谷線三軒茶屋駅改札脇の「三軒茶屋観光案内所」、千代田区は千代田区役所向かいの「千代田区観光案内所」(神保町の事務所の近く)。 全12種配布場所リストはこちら。さすがにわざわざリスクを冒して遠出して貰いに行くタイミングではないと思うし、たまたま近くに行く「要」で「急」な用事なんてあるかなあ。

●コロナ禍のため、名越切通の途中にある「まんだら堂やぐら群」はしばらく公開が取りやめになっていたのだが、久しぶりに、10月24日(土)~12月14日(月)(土、日、月、祝日のみ)に公開されており、最終日近くに行ってきた。

名越切通は旧都鎌倉を取り巻く山を越える旧道の「鎌倉七口」の一つで、七口の中で最も南の端にあり、江戸時代の東海道の脇往還である西浦賀道(戸塚-浦賀)の一部でもある。まんだら堂やぐら群は、その切通道の脇にある、中世(鎌倉~室町期)の横穴墳墓群。

20201212_141116 20201212_141329 20201212_141400 20201212_141420 20201212_141234

管理のおじさん曰く、今年は例年に比べ(珍しく)モミジが綺麗、である由。確かにまんだら堂以外でも今年はモミジが色鮮やかなのが目につく。どうも、秋にことさら激しい台風が来なかったために、いつもなら大風や塩害にやられて満足に紅葉できないモミジが、今年は無事に残っていたということであるらしい。

下は、最初の2枚は名越切通から大切岸の尾根道を通って鎌倉側、「鎌倉市こども自然ふれあいの森」の斜面のモミジ。最後の縦長の1枚は鎌倉・二階堂の杉本寺から金沢街道を隔てた滑川。

20201212_150742 20201212_15082020201212_155718

もちろん、逗子鎌倉の山々は美しく紅葉する樹種自体、それほど割合が高くないので、綺麗なのは「そこだけ切り取って写真を撮っているから」。「鎌倉の紅葉」なんて、テレビで大層に取り上げられているのを見ることがあるが、「色とりどりの紅葉の山」を期待して来たらガッカリするのは必定。

●ちなみに上写真の行程(名越切通~大切岸~ハイランド~二階堂)で、ハイランドから二階堂方面に行くのに、久しぶりに衣張山に登ったのだが、昨年秋の台風で倒木だらけのひどい有様だった衣張山南斜面は、おおよそ普通に歩ける程度には復旧していた。ただし、一部は(1年以上経って)まだこんな感じ。

20201212_154208

●ずいぶん昔、真冬に(父母の郷里の)奄美大島に行ったときに、道端でアサガオが咲いていて、「さすが南国」と思ったのだが、ふと気づくと、逗子でも、この季節に当たり前のようにアサガオが咲いていた。

20201212_140106 20201212_135925

このアサガオ、逗子鎌倉近辺では割とよく見る野生種で、外来種のアメリカアサガオか何かなのかな?と漠然と思っていたのだが、アメリカアサガオは萼(がく)が細長く尖り、反っているのだそう。というわけで、これは在来種のノアサガオのようだ。日本在来種とはいっても比較的南方系のものなので、この近辺に大昔から生えていたのかどうかはよくわからない。

●小野不由美「十二国記」シリーズ、「白銀の墟 玄の月」刊行時の読者キャンペーンで、「未刊行の短編一編をいち早く読める」プレゼントがようやく届く。パスワード付きのwebページで1編読めるサービスなのだが、ほんの掌編かと思いきや、70ページ近くの、それなりの長さのものだった。題名は「幽冥の岸」。良し。

来年刊行予定の短編集に収録予定であるらしい。楽しみだけど、さて、予定通りに出るかなあ。

| | コメント (7)

ノームかグノームか

 ●フランスの航空機エンジンのGnomeは、正確には語頭の「G」も発音して「グノーム」と読むのが正しいらしい。大学の時にフランス語を習っていたのに知らんかったよ……。

「日本人にとってなじみが薄い読み方をする」というだけで、実際には英語に比べてずっと綴りと読みは規則的なフランス語だが、「gn」という綴りは、通常は「ニュ」という発音を表す。地方名の「ブルターニュ(Bretagne)」や「シャンパーニュ(Champagne )」、ファッション・ブランドの「アニェス・ベ(agnès b. )」(日本では普通「アニエス・ベー」と表記)、三銃士の主人公の「ダルタニャン(D'Artagnan )」 などがその例だにゃん。実際、フランス語の子音の綴りの発音解説サイトなどを見ても、「gnはニュと読む」としか触れられていないのが普通。

というわけで、Gnomeについても、フランス語の正確な発音だとおそらく「ニョーム」で、それだとカナ表記としてもなんだか据わりが悪いので慣用で(英語読みとしても通用する)「ノーム」、なのだと思っていた。

もっとも、では語頭だと必ず「グヌ」になるのかというとそうでもなく、このGnome(地精)とか、Gnostique(グノーシス派の)とかは外来語(ギリシャ語由来)だからGも発音する、くらいの感じらしい(そもそも語頭にGnが来る単語は珍しく、手元の中辞典では、この2単語の関連語・派生語も含めて10数語しか出ていなかった)。

まあ、Gnomeの場合イギリスでもライセンス生産されていたりして、その場合は当然英語読みするだろうし、そもそもファンタジー世界のキャラ名として「ノーム」もそれなりに通っているので、「ノーム」と読んだままでも構わないと思うけれども。

●ちなみにフランスのエンジンのGnomeは、第一次大戦機ファンには「グノーム(ノーム)」、第二次大戦機ファンなら「グノーム・ローン(ノーム・ローン)」の名前で馴染みがあるのではと思う。

もともと「グノーム」と「ル・ローン」は別会社だったのが1915年に合併。グノーム・ローン(正式な社名はSociété des Moteurs Gnome et Rhône/ソシエテ・デ・モトゥール・グノーム・エ・ローン。間の&(et)を略してGnome-Rhôneと表記されることもあるが、これはブランド名かも)となる。

合併してからもしばらくは「グノーム」「ル・ローン」両系統のエンジンを作っていたが、興味深いのは、この両系列のエンジンは連合国側、枢軸国側両方の陣営で使われていたこと。例えばフォッカー・アインデッカーは一貫してグノーム系列のエンジンを使用しているし、フォッカーDr.IやフォッカーD.VIIIはル・ローンを搭載している。両方ともドイツのエンジン・メーカー、オーベルウーゼルでコピー生産されたものだが、単純にパクっているわけではなく、(少なくとも初期モデルに関しては)きちんと戦前にライセンス権を購入しているらしい。

……というわけで、ドイツのオーベルウーゼルに関しては、「フランスのロータリーエンジンを作っていた会社」みたいなイメージでいたのだが、今回ちょっと調べ直してもうちょっと面白い(入り組んだ)経緯が判った。

そもそもは1890年代、ドイツのオーベルウーゼルが小型ながらパワフルな単気筒エンジンを開発してGnomと名付け商品化、ヒット作となる。おそらく、「小さいがしっかり仕事する」というようなイメージから、Gnom(地精・小人)の名を付けたのではないかと思う。これをフランスの会社がライセンス権を購入して生産(綴りはフランス語でGnomeとなる)、さらにはその技術をもとに多気筒のロータリーエンジンを開発し、これが前記のGnomeシリーズとなった、のだそうだ。

●グノーム・ローンは、戦間期から戦後の一時期までは、バイクや自動車も手掛けていて、エレールからは下のような大戦中のオートバイの1:35キットも出ていた(というか、今でも出ているかも)。箱には車種形式など書かれていないが、実際には「AX2」という800ccのオートバイ(+サイドカー)で、1938年に登場。軍用としては1940年までに約2700台がサイドカー付きで生産されたらしい(キットの説明書とか「Kfz. der Wehrmacht」とかより)。

20200919_00385920200924_10231120200924_102505

例によってつまみ食いしてちょっといじってあるが、車輛本体のパーツ構成は2枚目写真のような感じ。これに(箱絵にあるように)フィギュア3体が付く。

Scalematesによれば、発売は1970年代後半で、タミヤのBMW R75サイドカーから数年後の発売ということになるが、出来としては同程度だろうか。1:35インジェクションのバイクのキットの常として、ワイヤースポークは太目で実感を損ねているため、なんとかしたいところ(まあ、頑張っているとは思うけれど)。SWASH DESIGNのタイヤ&スポーク・セットに交換するのが最もスマートな解決法だとは思うが、同製品は現在メーカー在庫切れ。

ちなみに、キットの箱の中には、これに使おうと思って調達したのであろう1:48第一次大戦機用のワイヤースポークのエッチングパーツが入っていた。大きさ的にはちょうどいいくらいの感じだが、もちろん型押しはされておらず平板で、しかも硬そうな洋白だかステンレスだかのエッチングなので扱いづらそう。

20200909_142237黒いセイバー。( → )

(いやまあ、なんとなく。そう読めちゃったので)

●セブンイレブンのコーヒーから、通常のホットコーヒー(ブレンド)の一段上の「高級キリマンジェロブレンド」がいつの間にか姿を消してしまい、地味にショック。

と言いつつも、実際に+αのお金を払って飲んだことはあまりなく、実は「コーヒーを10杯飲んだら1杯ただ」のクーポンを使うとキリマンジェロブレンドもそのままただだったので、そんな時だけありがたく飲んでいただけなのだが(セブンイレブンには「そんなヤツに飲ませるために商品化したんじゃねえ!」と言われそう)。

(10/17追記:しばらく間をおいて、「グアテマラブレンド」が登場した。どうやらある程度の期間限定で「高級」系を交替させて回していくらしい)

●久々に(資料整理のため)神保町の事務所に行ったので(17日)、夕方、事務所を出てから、「(hn-nhさんのブログで知った)消えゆく御茶ノ水駅の古レール柱屋根の見納めに行くか……」などと思いつつ文坂(駿河台下からお茶の水駅方面への明大通りの坂道)を歩いていたら、坂を登り切ったあたりで事務所から「スマホの充電アダプターとケーブル忘れてるぞ~」と電話。一度事務所に戻ったら再び坂を上る気力をなくし、結局、御茶ノ水駅は見ず。まあ、もう屋根の撤去は終わっちゃってたかもしれないし……(すっぱいぶどう的な)。

なお、その際に、今年初めに設置された鉄腕アトムのデザインマンホール蓋を発見。あ、これって、こんなところにあったんだ~。

20200917_162304 20200917_162417

アトムは明大の図書館棟の前あたり。ウランちゃんはもっと坂の下、三省堂前への斜めの脇道への分岐近く。実はアトムよりさらに駅寄りにお茶の水博士のマンホール蓋もあったはず(帰宅後検索して知った)。

この千代田区の「アトム」はじめ、今年初めに都内各所で設置されたデザインマンホールに関しては、マンホールカードの特別版が3月に発行・配布開始されるはずだったのだが、コロナ禍の影響で配布が延期に。開始時期については「改めてお知らせいたします」のままとなっている。

(10月1日追記。また事務所に行ったついでに、改めてお茶の水博士を撮影してきた。場所は明大12号館の前。仕事が長引いたのですっかり日が暮れてから行ったのだが、意外に明るく撮れた)

20201001_181311

20200918_162930 ●ひと夏に一度は食べたい浪花家(鎌倉浪花家)の宇治金時。

涼しくなる前に、なんとか今年も食べた。写真の角度のせいもあるが、去年よりも若干、盛りが低くなったような……(もっとも、以前の盛りが多過ぎた気もする)。

●前回投稿した日の前後、件のヒメグルミの樹を見に行ったら、すっかり果肉は腐った実がまだいくつも落ちていたので3度目の収穫。しかし「果肉がほとんど残っていなくて処理が簡単でラッキー♪」と思ったのは早計で、洗って干した後で割ってみたら、中の仁はほとんどが痛んでいて、無事なものは1割もなかった。実が落ちて早々に収穫しないとだめなようだ。

代わりに、と言っては何だが、カヤの実やぎんなんがちらほら落ち始め。逗子と鎌倉の2カ所でカヤの実を少しだけ収穫。重曹溶液に漬けてアク抜き中。

20200919_120553

| | コメント (4)

駆け足の夏

●なんだかんだで1か月近くもブログの更新が滞ってしまった。

「締切がある仕事は頻繁に遅れるくせに締切のないブログは割とマメに更新する」のがスタイルだが(あかんヤツ)、これだけ間を開けてしまったのは久々かも。

ずっと書かずにいるうち、(更新のためにログインする前の)ココログのトップ画面がこれまでと別のデザインに変わっていてびっくり。

●8月15日の終戦記念日が近くなると、わらわらと戦争ネタが取り上げられるのは日本の夏の風物詩のようなものだが、ちょうどその時期、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの「戦争は女の顔をしていない」(岩波現代教養文庫)を読む。

ちなみに「そのタイミングだから読んだ」というわけではなく、ずいぶん前に市立図書館に予約を入れていたのが、ようやく順番が回ってきたため。もちろん、「べっ、別に、世間が回顧ムードだから読んだわけじゃないんだからねっ!」と言いたいわけではなく、むしろ「読む時期としてはいいかも」と思ったりもした(実際には“大祖国戦争”の終戦は5月なので、8月15日はあくまで読者たるこっちの感傷でしかないが)。

もともとは数か月前にマンガ版を読んだのをきっかけに、「これは原作のほうも読まねば」と思ったのだが、実際に読んでみると、マンガ版は話を壊すことなく、なかなかうまくイメージを補完しながら描けている気がする。とはいっても、マンガ版では書き尽くせていないところも、また、これはちょっと印象が違うかも、というところも若干はある感じ。マンガ版を読んだ時の感想はこちら

マンガ版を読んでイメージしていたのとちょっと違ったのは、1人のエピソード(1人に対するインタビュー)が基本、だいたい同じくらいのボリュームで載っているのかと思ったらそうではなくて、数ページにわたるものもあれば、ほんの数行しかないものもある、ということ。ただし、その後で改めてマンガ版を読んだら、マンガ版の方でも(他人のエピソードにくっつけて)断片的エピソードも取り上げられていた。

この本を読むうえで、ミリオタ的知識が必要とは言わないが、それがイメージを補ってくれる部分は確かにある。何人かのエピソードに「(古い)1トン半トラック」という言い回しが出てくるが、「ああ! たぶんインタビューに答えているばあちゃん(たち)は、ポルトルカ(GAZ-AAの愛称)って言ってるんだな」というのが判るし、その大きさ、ガタピシ具合もイメージできる。

レニングラードの話で、「市電の三番でキーロフ工場まで行くことができて、そこはもう前線」(p157)という一文が出てきて、中身が疎開した後のキーロフスキー工場が交戦の場になっていたことも判る。女性戦車兵が、中戦車では割といた一方で、重戦車(IS)に乗っていたのは希少だったという話も興味深い。弾が重いから? 「自動小銃は七十一個の薬莢でとても重い」(p175)とあるのは、弾数からPPSh-41(のドラム弾倉)であるのが判る。自動小銃ではなくて短機関銃と表現する方が一般的な気がするが、これは元の語が「アヴトマット」だったのだろうか?

訳として「これはちょっとどうなの?」という部分もいくつかあった。「戦車のハッチから引きずり出すのはとても大変。ことに砲台から引きずり出すのは」(p144)は、「砲塔」と訳すべきだろうし、「私たちのところにあったのは? 三十四型の戦車で、たちまち燃えてしまうんです」(p443-444)は普通に「T-34」と書いて欲しかった。「友軍のY-2型飛行機が降りてきました」(p341)とあるのは、元のキリル文字をそのまま残してしまったための判りづらさで、これはおそらくU-2(複葉の練習機、ポリカルポフPo-2の初期の名称)のことだろう。

●ディテールの感想から入ってしまったが、話の中身は話が詳細なぶん(そしてイメージが固定化されないぶん?)マンガ版よりさらにツラい。実際の戦いの凄惨さだけでなく、戦争が終わってからも、個人にとっての戦争(の傷跡)が終わらないのがまたツラい。

語る元女性兵士たちに対しても、この著作自体に対しても、「祖国を守り抜いた(英雄的な)戦いの勝利の暗部をほじくり出すな」的批判がずっと付きまとっていることが、前書き等々からも判る。あるいは、語って欲しい元女性兵士自身からそう言われることもあるし、いちどは語った人が、それを理由に「表に出さないで欲しい」と言い出すこともある。

もちろん、「戦勝国」だからこそその圧力も強いのかもしれないが、戦争の悲惨さ、汚さを振り返ることが「立派に戦った人たちを貶めることになる」との非難に繋がるのは日本も同じことで、むしろ近年(実際に戦争を知る世代が減るにつれて)ますますそうした声が強まっているように思えるのが、どうにも薄ら寒い。

なお、著者のスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチは、その姓からベラルーシ人だろうなとは思っていたが(実際には後から調べたら、父がベラルーシ人で母はウクライナ人だそうだ)、 今のベラルーシでは体制に嫌われて著作は発禁状態だそうだ。

その昔、渡辺ミッチーが外務大臣だった時代(ソ連崩壊直後の頃)に国会で「ベルラーシ、ベルラーシ」と言っていて、それを後藤田正晴が苦笑いして聞いているのがテレビに映ったことがある。……というのを思い出した(関係ない)。

●ついに逗子市にもカラーマンホールが登場。お隣の葉山町同様に1枚だけの特注品。逗子駅前ロータリー、マクドナルド前のちょっと駅寄りに設置された(8月17日に設置された由)。

20200823_17232520200820_063640

葉山のカラーマンホールは、スタンダードの図柄そのままをカラー化したものだが、逗子市のものは標準品(右)とは別図柄で、逗子海岸の田越川河口側に立っている「太陽の季節」碑越しの海と富士山。石原慎太郎という人は好きではないので「結局逗子ってシンタローなのかよぅ」と思わなくはないが、まあ、その辺はこれ以上ぐじぐじ言わない。

これを機会にマンホールカードの申請も行うそうな。

なお、3月に発行予定だったがコロナ禍で延期されてしまった、東京都の特別版マンホールカードは、どうやらまだ発行時期未定らしい。

●ヒメグルミ(と若干のオニグルミ)のその後。

数日放置して果肉部分をもう少し腐らせた後で足で踏んでとりあえず剥ける分だけ剥き、さらに残った果肉をまた放置して腐らせたり洗ったりを何度か繰り返して、核果を取り出した。写真2枚目、左のハート形がヒメグルミで右の普通のクルミっぽいのがオニグルミ。ずいぶん形が違うが、生物種としては同じJuglans mandshurica の変種なのだそうだ(一般に流通しているシナノグルミ/カシグルミは別種でJuglans regia )。

20200822_170619 20200822_170701 20200831_191220 20200831_192829

思ったより歩留まりが悪く、核果を割ってみると中身が腐っているものも(体感)1割くらいあったが、1/4ほどは川崎の実家に持っていき、残りのほとんどは溶かした砂糖をからめた(4枚目)。

●8月の後半だったと思うが、セブンイレブンの店内にいたら、BGMで「あれ、聞き覚えがあるけど何だったっけな」という曲が掛かって、ちょっと考えて、トラベリング・ウィルベリーズの「Handle with care」だと思い至った。選曲シブい!

店内で掛かっているのはインストゥルメンタルだが、原曲はこちら。

ちなみに私自身は自分ではそこそこヘビーなビートルズ・マニアだと思っていたのだが、ジョージ・ハリソンが中心になって数枚のアルバム(公式には2枚)を出した覆面バンド、トラベリング・ウィルベリーズのことを知ったのは比較的最近。ヌルし。

もっとも覆面バンドとは言っても、上のようにまるっきり顔出しでPVなど作っているので、正体を隠す気は皆無。ボブ・ディランがシレッとバックボーカルを務めていたりして妙に贅沢(リードボーカルを取っている曲もある)。

ちなみにセブンイレブンの店内BGMの曲目は同社のサイトで公開されているが、それを見ると、トラベリング・ウィルベリーズの「ハンドル・ウィズ・ケア」は、9月16日~24日の曲目リストにも名前が出ている。同期間に(トラベリング・ウィルベリーズのメンバーだった)ロイ・オービソンの「プリティ・ウーマン」も取り上げられている。担当者がロイ・オービソンのファンなのか?

| | コメント (7)

サヨナラ、ポスト

●用事があって横浜に連日通っているのだが、23日火曜日はその仕事も梅雨空も“中日”だったので、葉山方面に歩きに行く。

行程は、県道311号をずっと歩いて、桜山隧道を通って葉山町へ。長柄から葉山町役場前、大道入り口を経て御用邸前まで。そこから今度は海沿いに引き返して、鐙摺を通って逗子海岸。海岸経由で帰宅。

●ちょっと前に書いたように、現在、私のスマホでは「Pokémon GO」が起動できなくなっていて、外歩きのモチベーションが下がり気味(かといって、健康上歩かないわけにもいかないので歩きに出たわけだが)。

なお、私のスマホはポケモン的には使えないままだが、代わりに神保町の事務所のGさんが、FREETELの予備機を貸してくれた。私のスマホはau系で、FREETELにSIMを移して使うことはできないが(その辺の仕組みは面倒なので略す)、それでも、Wi-Fi経由であればポケモン専用機として使える。

しかしこれがなかなか微妙で、まず

  • 自宅でなら問題なく使える。
  • 神保町の事務所でも、事務所のWi-Fiに問題なく接続できた。
  • 横浜のヨドバシカメラの館内ではなんとか使えた。
  • が、その他、街の中のFree Wi-Fiの場合は「認証できませんでした。もう一度やり直してください」と出てきて、うまく接続できない。火曜日の散歩の際にも、Wi-Fiが使える葉山町立図書館に寄って試してみたがダメだった。

というわけで、現在、借りたFREETELは、ほぼ自宅内ポケモン専用機となっている。

ちなみに、「8月で32bit機のサポートを打ち切る」としたNIANTICの発表に関しては、その後、「終了予定を延期」ということになった模様。しかし、仮に8月で終了ということだとしても、本来は少なくとも7月末まではサポートすべきはずだが、6月初旬に発生した不具合にも関わらず、一向に解決の気配がない。NIANTICの「Pokémon GO」サポートページにおいても、「確認されている不具合」は、6月9日に


Android 5 または 6 の一部の端末では、アプリを起動できない場合がある

不具合内容:Android 5または6の端末をお持ちのトレーナーの中には、ポケモンGOアプリの読み込み画面を完了しても起動ができない場合がある。

ステータス:調査中


と書かれたきりで変化なし。いやまあ、古い低性能スマホの面倒まで、いちいちいつまでも見てられんよ、というのは判るんだけれども、それならそれで「これ以降はサポートをやめる」と言った期限まではしっかりやるか、できないならすっぱり「やめました」と言ってほしい。

●葉山町内には、現役の丸ポストが以前に調べた時点では9基あり、今回の散歩の経路上には、そのうちの6基がある。せっかくなのでついでに現状の写真も撮っておこう……と思ったら、その最後の1基、森戸神社近くのもの(堀内1047)が根石(台座の石)を残してなくなっていた。

20200623_182850 20200623_182908 20180605_155302

3枚目は2年前に撮った、「在りし日の姿」。もともとはポストの後ろの空き地は店があったらしく、その店が閉まった後は表に張られた板がポストの形にくり抜かれ、そこから半分現れる「埋まりポスト」状態で何年か存在していたらしい。2年前に見に行った時にはすでに建物がなかったが、結局はポストも撤去されてしまったらしい。なお、Googleのストリートビューを見ると、少なくとも昨年6月にはまだ存在していたことがわかる。

中の収集袋を立ったまま交換すれば済む角型ポストに比べ、丸ポストは体をかがめて手で郵便物を掻き出さねばならず、郵便局員には余計な不便を強いることになる。さらには手紙/はがきの利用自体が減っており、一方でポストの設置基準は昔よりも厳しくなっているようで、古いポストの消滅圧力はいよいよ増している。減っていくのは致し方ないのだが、それでも、できればできるだけ長く現役でいてほしいと思う。

なお、2年前に葉山の丸ポスト9基をまとめて訪ねた記録は以下。

今回確認した残り5基、

  • 堀内671:風早橋バス停近く
  • 堀内1825:向原交差点
  • 一色1818:セブンイレブン葉山一色店
  • 一色2095:町屋倶楽部前
  • 一色1657:近代美術館近く

は、収集時間に変更があった程度で、ちゃんと現存していた。残るうち、長柄769-1(御霊神社前)と、 一色692-2(葉山大道、HACドラッグ向かい)の2基については、比較的最近視認しているのでまず大丈夫。一色1222(一色小から大道を隔てて反対側の住宅地の中)だけは2年前に見たきり。

●なお、以上のような行程で歩いたのは、葉山のポストの現状確認が第一目的ではなく、葉山町のマンホールカードの題材になっているカラーマンホールが御用邸前の一か所だけにあり、それを見たいと思ったため。

20200623_172144 20200623_172159 20200623_172213 20200623_172331

目的のマンホール蓋はより大きい蓋の中にはまった、いわゆる「親子蓋」形式になっており、さらに隣には同じく親子蓋になった(カラーではない)通常版のマンホール蓋がある。

葉山のマンホールカードについてはこちら

●マンホール蓋を見た後、一色の近代美術館脇から海岸に出たら、砂浜への出口のところで突然目の前からにょろにょろとヘビが逃げ出してビックリ(もちろん、のんびり日向ぼっこでもしていたらしいヘビのほうも、突然人が来てビックリだろうが)。

20200623_174202 20200623_174225 20200623_174225_2

3枚目写真は2枚目の拡大切り出し。柄模様から、「えっ、これって、もしかしたらマムシ?」とも思ったのだが、帰宅してよく調べてみると、コンクリート壁をほとんど垂直に登ることができる能力と、エラの張っていない頭部の形から見て、アオダイショウの幼蛇であるらしい(それなりに大きく、たぶん1mくらいはあったと思うが)。アオダイショウの幼蛇はマムシに似た模様を持つのだそうだ。

●葉山のポストが一基なくなったことをfacebookに書いたら、地元の知人から「逗子の4基は大丈夫?」と聞かれて、ちょっと心配になったので、土曜日に改めて見回りに行ってみた。結論から言うと、とりあえず全部無事。

●逗子の4基のポストを見回ったついでに、最も東の1基のさらに奥の谷戸に足を伸ばしてみる。

以前、facebookの逗子のニュースグループで、「地元民にしかわからない(俗称としての)地名、ランドマーク名」が話題になった。例えば「サリーちゃんち」(名越の山の上にある洋館)や「うんどこ」(第一運動公園)などがその例だが、そうしたなかに「はっしゃば」というのがあった。

それが今回訪れた一角で、具体的な住所は沼間4丁目12、13、15、16あたり。狭い谷戸に沿って、ハシゴ形の道路で区分けされた細長い住宅地で、南側は「ハイツ東逗子」という集合住宅、北側は戸建て住宅が並んでいる。「はっしゃば」とは、なんだか「ハッテンバ」の仲間と誤解されそうな名前だが当然無関係で、海軍の機関銃工場に付随した試射場(「横須賀海軍工廠造兵部 沼間機銃発射場」)だったことによる。

いつも通り、サイト「東京湾要塞」を虎の巻とした。

20200627_154109 20200627_153924 20200627_154058 20200627_154312 20200627_154521 20200627_155007 20200627_155047

最初の1枚は、地区の見取り図。

続く3枚は、谷戸の下手(南側)から、谷戸東側の道を徐々に北に進んでいく途中写真。こちら側はやや道が曲がっているので、途中まで行かないと北端は見通せない。3枚目が北端近くで、突き当りの向こうには、現在はヨコヨコ(横浜横須賀道路)が通っている。

4枚目は北端から折り返し、西側の道路を南に向いて撮ったもの。こちらは東よりも道路が真っすぐで、南端近くまで見通せる。

5枚目は南端にある街区公園。「柚沢」もしくは「柚子沢」が本来の小字名であるらしいが、読みは「ゆずさわ」ではなく「ゆずっさわ」であるらしいことが、公園名に振られたルビで判る。

6枚目も南端近くで見たマンホール蓋。旧海軍水道の水道路(すいどうみち)からはちょっと離れているにもかかわらず、なぜか横須賀市水道局の蓋。元軍用地なので、軍用水道の支線のようなものでもあったのだろうか? いや、浄水施設も介さないで、そんなことってあるのか?

このように、現在では遺構の類は何も残っていないが、当時は、南側に試射を行うための銃座や観測所、弾薬庫などがあり、北端が銃弾を受け止める土手になっていたらしい。現在では、地区の細長さに「なるほど、言われてみればそんな感じだなあ」と思う程度。

Numama01 Numama02

最後に、終戦直後とほぼ現在の空中写真比較。例によって国土地理院の「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。左は終戦間もない1946年2月22日米軍撮影の「USA-M53-A-7-28」、右は2019年6月16日撮影の「CKT20194-C14-60」から切り出した。

| | コメント (4)

おかわり自由

●もしかしたら、以前にも一度書いたことがあるかもしれないが、昔、地下鉄の新宿三丁目駅前にイエローサブマリンのスケールモデルの店があった頃、そのすぐ近所に、えらく人懐こいインド人のお兄ちゃんが、小さなスナックを昼の数時間だけ借りて開いているカレーショップがあった。

「このカレーはネー、ボクがインドで食べていたのと一緒。でもゴハンは日本のお米のほうが美味しいネ」

というそのカレーは素朴ながら美味く(そして安く)、メニューは確か固定3種類と日替わり1種類の4種類だけ。

何と言っても際立っていたのは、普通盛も大盛も同じ値段、しかもご飯が先になくなればご飯、カレーがなくなればカレーと、無限お代わりができたことだった。「それで100円とか高く取っても100万円儲かるわけじゃないし、それよりお腹いっぱい食べてほしいカラ」だそうな。しばらくしてそのお店はなくなってしまったが、あの大盤振る舞いで赤字になって畳んじゃったんじゃなければいいなあ……。

そういえば、これまたずいぶん昔の話だが、ソウル駅近くで韓国人の若いカメラマン氏に連れて行ってもらった、おばちゃんが一人でやっているらしかったソルロンタン(真っ白い牛スープ)屋も、「無限お代わり制」だった。あのソルロンタンも美味かった……。

●なんてことをいきなり思い出した理由。

「ごみ取り権助(T-34-85 m1943)」製作記番外編。

現在制作中のT-34-85 m1943はアカデミーの車体にグムカの砲塔の組み合わせで、当然ながら、アカデミーのキットの砲塔はまるまる余っている。そんな砲塔を手に取って眺めているうち、ついその気になって削り始めてしまった。

20200302_221429 20200302_221419 20200302_221310

ベースは、キットに2つ付いているうちの初期タイプのほう。大げさかつ不自然な「恐竜肌」だけでなく、バッスル部の「ハードエッジ」も削り落とし、頸部や前半部も削って形状修正するなどして、とりあえず1944年型の初期型が目標。実物写真と見比べると、若干、頸が短いような気もするんだよなー。どうするかなあ。などと思いながらゴリゴリゴリ。

ちなみにこのタイプの砲塔は、現時点ではインジェクションキットではどこからも出ていない(はず)。レジンキットではどこからか出ていたかも。もっとも、そのうちMiniartからは出そうな気もする。

いずれにしても「廃品利用」といえば聞こえはいいが、当然ながらすでに車体は1943年型に使ってしまっているわけで、この砲塔を載せるべき車体がない。もう一個、アカデミーのキットを買うのか?

いかん! これではT-34の無限お代わりに突入してしまう!

ちなみに1943年型の方はちょっとした山場、起動輪を工作中。それについてはまたいずれ。

●直近の模型の買い物。先週の初め、BOOKOFFでMiniartのT-70用履帯が税込950円で売られていたので購入。

タミヤのSU-76Mは、ちょっとだけ手を入れて放置してある。バレンタイン同様、金型代の節約のためか穴のない履帯は不満ながら、それほどガッツリとディテールアップする気にもなれず、「そのままでいいか」とも思っていたのだが、思ったより安く履帯が手に入るとなると、ついつい転んでしまった。

さて、この履帯……。帰宅して開封してみたら、なんと、元の持ち主が入れっぱなしにして忘れていたらしい、パッションのSU-76M用のエッチングセット(タグは外れていたがパーツ自体は手付かず)が出てきた。なんとお得!

……と思ったが、私はすでにパッションのエッチングは買って、一部はキットに組み込み始めているし、この先、タミヤのSU-76Mをもう一輌作る日が来るとも思えないので、別にそれほどお得でもないのだった。中古屋にでも売るか……。

20200224_211647

●兄の発案で、母を箱根湯本の温泉に連れて行くご相伴に与る。計画したのは新型コロナウイルス騒動が深刻化する以前のことで、この期に及んで出掛けるのは如何なものかとも思わなくもないが、母は家から兄・甥と車で往復するのみ、どこに何を観に行くでもなく、宿から一歩も出ない態勢だし、むしろ街にいるよりも、人が減った観光地のほうが逆にマシかもしれないというわけで、そのまま決行。往復、電車で行った私のほうが危なかったかも(平日昼間なので電車も空いていたけれど)。

行き帰り、小田原(小田原市)と辻堂(藤沢市)でマンホールカードを貰った。写真は小田原のもの。配布場所の「小田原宿なりわい交流館」の隣には丸ポストが立っている。

20200225_141105 20200225_140756

なお、このあと数日して、マンホールカードがお手本としているダムカードは配布中止になったそうだ(ダム勤務者が新型コロナウイルスに罹患してダム機能に支障が出るのを防ぐためか)。

| | コメント (8)

イシハラi-box溝の口本店の閉店

●いきなり題名と関係ない話だが、新進メーカーであるRYEFIELD MODELS(RFM)から、T-34-85の174工場生産型(T-34/85 Model 1944 No.174 Factory)、およびKV-1の装甲強化溶接砲塔搭載の1942年型(KV-1 Model 1942 Simplified Turret)が発売になるそうだ。

同社ウェブサイトのNEWS欄にもまだ掲載されていないが、同社のfacebookページで発表されたもの。

同社はすでにT-34の中東版魔改造車輛をリリースしているので、元の戦車版のキットもいずれ出すんだろうなあと思っていたが、こちらも(miniart同様)174工場製というちょっと変化球で来た。174工場のT-34-85はすでにAFVクラブからも出ているが、あちらは砲塔の鋳造ラインが前方で斜めに上がっている、かつてザロガ先生が「angle-jointed」と名付けていたタイプ。RFMがアナウンスしているのは、それよりも初期のタイプで、一見、183工場製と紛らわしいもの(とはいえ、両サイドの「ぺったんこ」部分はないし、前部上面の傾き具合も違う)。

仕様の穴を埋めるという点では貴重だが、「形態の独特の魅力」みたいなものには乏しいので、商売的にどうなのかちょっと心配なところ。

KV-1については、掲示されたCG画像は斜め前からの1枚だけだが、かろうじて見えるエンジンデッキは後ろまで水平、砲塔バッスル下には組継ぎの凹みが見えるので、一般的な解釈での「1942年型」(つまり最も装甲が強化された車体に、これまた装甲がもう一段強化されたバッスル下が直線の溶接砲塔)でよいようだ。つまり、イースタン・エクスプレスやトランぺッターでもキット化された、標準型KV-1では最後の頃の仕様ということになる。「ベスポシャドヌイ」号のデカールは付くかな?

個人的には、とうとうインジェクションで後期標準のKV用2分割タイプの履帯が出ることになりそうだ、というのが嬉しい。手元にあるトランぺッターの1942年型用にはフリウルを買っちゃったけど。

●川崎市高津区、溝の口の中央の通り(通りの名前自体は知らない)にある大きい文具店、「イシハラi-box溝の口本店」が閉店になると、がらんどうさんのfacebookの書き込みで知ったのは確か先月末あたり。

同店2階は沿線では貴重な、それなりの規模の模型店だった(特にたまプラーザのB's HOBBYがなくなってからはますます)。閉店のための叩き売りセールが行われているというので、(もう結構前の話になってしまうが)今月初めの8日土曜日、実家に行ったついでに寄ってきた。

もうセールが始まって結構経っていたため、1階の文具売り場も2階の模型売り場も棚はスカスカ状態で、めぼしい商品もあまり残っていなかったが、「これが最後なら何か買っておきたい」と思って、下の2キットを買ってきた(フィギュアなんて作らないのに!)。

20200223_004907 20200223_004924

もともとは、まだ再開発前の武蔵溝ノ口駅前に店があり(当時は「石原商店」という名前だった)、その頃も2階が模型店で(さらにその前は書店だったように思う)、私が高校の頃だったか、大学の頃だったかは第一の行きつけの模型屋だった。

当時の専務(本当に専務だったかは知らないけれど、とにかく皆からの呼び名が「センム」だった)が売り場の責任者で、入り浸ってはだべって、時々、箱も傷んで売れ残った(当然売れ残るには理由のあるドマイナーかつ出来も余りよろしくない)輸入プラモあたりを「お店の守り神を回収してあげよう!」などと言いつつ買い叩いたりしていた覚えがある。確か未だに完成していない、ZTSの1:144のPZL 37 ウォシュもそんなふうにして買った一つだった気が。初めて完成させたバキュームフォームキット、レアプレーンのリパブリックP-43ランサーも石原で買ったような、違ったような。うーん。バキューム扱ってたかなあ……。

ちなみにそれよりさらに昔、中学生頃は、東急の溝の口駅の裏手にあったドブ板商店街の中の栗原模型店という、客が2、3人入ったらもう身動きも取れないというくらいの猫の額の模型店が行きつけだった。

何と言うか、釣りの「合わせ」ではないけれども、その辺の店でワイワイとプラモというエサをつつきまわしているうち、いつしかマニアの釣り針がガッツリ食い込んで抜けなくなっていたという次第。

イシハラi-box本店は、同店のブログによれば2月20日に閉店になった由。長らくお世話になりました(結婚して実家を出てからはめっきり行かなくなってしまったので、正確にはi-boxになってからはあまり行っていないのだけれど)。なお、今までの「本店」は畳むけれども、駅前のショッピングモール「NOCTY」内の店は存続するそうだ(ただし、こちらには模型売り場はないと思う)。

●facebookで地元のマンホールの蓋がちょっと話題になったのをきっかけに、個人的に「第二次マンホール・ブーム」襲来中(ちなみに第一次は2年ほど前)。

そんなわけで、改めて地元逗子市内のマンホール蓋について調べたりしているうち、「マンホールカード」なるものの存在を知った。なかなかマニアックなコレクターズ・アイテムとして、時にはメディアにも登場していたらしいのだが、寡聞にして知らなかった。

マンホールの用途にはいろいろあるが、やはり第一は下水道。マンホールカードは下水道に関する広報啓蒙活動を行う組織「下水道広報プラットフォーム(GKP)」が、その活動の一環として、全国各地の下水道の主体となる自治体ほかと共同で発行しているもの。現時点で第11弾まで、計600種類以上が発行されている。GKPによる全種検索およびリストはこちら

それ以前から発行されている「ダムカード」に倣って始められたものらしく、トレーディングカードの体裁で、表面は各自治体等の作ったご当地図柄のマンホール蓋(多くはスペシャル版であるカラーマンホール蓋)の写真、裏にはデザインの由来の説明が書かれる共通フォーマット。写真に撮られたマンホール蓋の緯度経度情報や、デザインに使われているものの種別アイコンなどが添えられているのもマニア心をくすぐる趣向。さらにコレクターズ・アイテムとしてミソなのは、一種類のマンホールカードは、それを作った地域の基本1カ所でしか配布されておらず、しかも一人一枚現地での手渡しのみ(郵送等不可)。こりゃ集めるの大変だわ。

というわけで、本気で日本全国を旅して精力的に収集するというのは(私にとっては)無理な話なのだが、調べてみると、最新の第11弾でお隣・葉山町で発行されたというのが判明。先日、散歩ついでに足を延ばして(平日の)配布場所である葉山町役場まで行って1枚貰ってきた。写真1枚目は、その時記念に町役場の前で、役場をバックに撮ったもの。

20200203_162825 20180605_160223

ちなみに葉山のマンホール蓋の通常版は右のようにカラーではなく、カードになっているカラーのスペシャル版は、御用邸向かいの歩道(カードに記された緯度経度)に1つだけ存在しているらしい。この時はさらにそこまで歩く余裕はなかったので、そのうち機会を改めて見に行くつもり。それはそれとして、「はやま・おすい」って、黒田如水のバリエーションみたいな感じだな……。

その後、先日の「衣笠砲台探訪」の後にhn-nhさん、みやまえさんに付き合ってもらって横須賀市役所で1枚貰ったり、なんだかんだで数枚集まった。あとは近場で貰いに行けそうなところというと、藤沢市くらいかなあ……。ちなみに枠部の色は地方ごとに統一されており、関東地方は水色。

20200223_005120

| | コメント (21)