ジープ

「JEEP JEEP JEEP」

20210321_191927 ●数日前、ネット経由で、大塚康生先生の訃報を聞いた(3月15日逝去)。

もちろん、大塚康生と言えば、宮崎駿と並んで(というか組んで)日本のアニメの現在の隆盛の礎を作った人であるのだけれど、我々モデラーからすると、「ミリタリーヴィークルマニアの草分け」であるとともに、伝説のメーカーMAXの製品監修初め、模型開発においても特筆すべき足跡を残した人。

私自身は、親しくお話をするといった機会はなく、モデラーの集まり等で何度かはお会いして、ご挨拶程度はしたことがある、くらい。ただ、そういう場で、「ものすごく楽しそう」という雰囲気が伝わってくるのが、非常に印象的だった。

旧MAXの製品に関しては、実際に新製品としてそれが出ていた時代には、「何か、かなりこだわっている、すごいキットだそうだ」という話は伝わっていたものの、例にもれず(当時は)ドイツ軍車輛一辺倒だった私はスルーしてしまった。その後、トミー版やイタレリ版で1,2種手に入れ、さらに中古品で、確かダッジの6輪はオリジナルのMAX版を(何かのはずみで)入手してストックしているが、どれも完成させたことがないので、あまり大きなことは言えないけれど。

ご冥福をお祈りいたします。

●個人的には、「大塚先生といえばコレ」とまず思い出すもの、および実際に役に立たせていただいているものが、上に表紙写真を出した一冊。ホビージャパン別冊で1983年に発行された(今奥付を見て確認した)、「JEEP JEEP JEEP ―ウィリスMB、フォードGPW写真集」、大塚康生 編。「1」と書いてあるからには、うまく行けば続編も出してやろうという予定もあったのだろうと思う(もしも出たらどんな内容になっていたのか、というのも気になる)。

実際に大塚先生がどれだけ編集に関わっていたかはよく知らないが、マニアックな視点でウィリスMB/フォードGPWについてまとめていて、「写真集」と表題にはあるものの、その開発や使われ方、仕組みなどもくまなく勉強できる。要所に、ジープの性格をよく表した大塚先生のイラストが挟まれているのも素敵。マンガ(アニメ)調のイラストだけでなく、「ジープが町にやってきた―終戦時14歳の画帖から」(平凡社ライブラリー)に載っていたような、昔のスケッチの転載もある。「軍用車輛少年」だった大塚先生の面目躍如。

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連合軍車輛(特にアメリカ軍車輛)にあまり興味がなかったはずの私が、なぜこの本はたまたま入手したのか、今では思い出せないのだが、「よくぞ確保した!」と過去の自分を褒めておきたい。なにしろ「日本語で読めるジープの内容の濃い一冊本」なんて、これ以降も(たぶん)出ておらず、古本市場にも滅多に出回らない(出てもえらく高い)。

●最近のあれこれ。

10日ほど前、鎌倉の県立大船高校の近くにある「長窪の切通」に行ってきた。「古道」とか「切通」とか「変なトンネル」とかにはついつい野次馬根性で惹かれてしまう私だが、割と最近まで存在を知らなかったもの。

鎌倉の切通と言えば、古都鎌倉とその周辺の出入り口にあたる「鎌倉七口」が有名だが、もともと細かく尾根と谷戸が入り組んだ鎌倉近辺には他にも小隧道や切通が数多い。大船高校のあるあたり(高野)は古都鎌倉を囲む山の外側で、外側でも歴史のある山ノ内からもさらに外れた地区だが、おそらく、古い生活道路だったと思われる切通が2カ所も残っている。どちらも、尾根を横切るために開削したというよりは、現在大船高校がある高台への上り下りが容易なように、細い尾根筋の道を均す目的で掘ったらしいもの。

この2カ所の切通はGoogleMapsにも記載されていて、東側のひとつ、熊野神社の裏手の尾根を大船高校の裏に上る切通には「高野の切通し」、西側の高野公園の横手を上る切通には「長窪の切通し」と表示されている。

不思議なのは、呼び名にどうも混同が見られるらしいことで、鎌倉市役所サイトの「かまくら景観百選」に取り上げられている「31 高野の切通」は、記されている住所(高野4-4地先)からみて、GoogleMapsの「長窪の切通し」のほう(GoogleMapsの「高野の切通し」は住所が「大船」になる)。どちらかが間違えているのか、それとももともと適当なのかはよくわからないが、とにかく、今回見に行ったのは西側のほうの切通。

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今回は北鎌倉側から歩いた。1枚目写真は北鎌倉駅裏の道を大船方面に進んで、どん詰まりにある素掘りの隧道。この隧道も「かまくら景観百選」に「34 素掘りのトンネル」として取り上げられている。2~3枚目が今回目当ての切通。こうして写真に撮ると勾配がよく判らないが、2枚目写真は坂になっている切通の上側から下りを撮ったもの。2枚目は半ば,3枚目は出口近くから振り返って上り坂を撮ったもの。

最後の一枚は、切通を通って下の谷戸に抜け、振り返って出口を撮ったもの。左は「高野公園」の入り口で、右の住宅脇が切通。こんな感じなので、大船側から行こうと思ったら簡単には見つけられなかったかもしれない。

切通の多い鎌倉だが、この狭い道を、これだけ切り立った、垂直に近い両岸で掘り下げているのはちょっと珍しい気がする(朝夷奈切通の、峠を越えた横浜側に短距離だが似たような切り立った部分があるが)。まるでBTM-3を使って掘ったような!(判りにくい例え)

これだけ綺麗に切り立った崖面が残っているということは、この切通自体、それほど古いものではないのだと思うが、主要な街道などではないのでネット上で調べてもしっかり来歴などは出てこない。

20200224_165852 ちなみに東側の、熊野神社裏手の切通は、以前に2度ほど通ったことがある(その近くになかなか素敵なトンネルがあるので)。切通自体は、今回行ったものよりも、もうちょっと「開放感」のあるもの。写真は昨年2月撮影。

●春先のフキノトウの季節はとうに過ぎて、そろそろ他の春の山菜が出始める頃。

どうも天候の具合とか、草刈りのタイミングとかの問題で、ノビルは年によって出来・不出来の波が非常に大きいが、今年は、例年アテにしている場所がほぼ全滅状態。ひよひよと細っこい物しか生えていない。

一方で、アケビは毎年わさわさと生え放題で、今年も花が咲き始めるとともに芽も伸びてきたので、先週中ごろに初収穫。それから立て続けに3回ほど収穫した。

例によって、さっと茹でて「アケビ特盛たまごご飯」にして食べる。アケビの芽だけ辛子マヨネーズなどで食べるのもいいが、やはり生卵との相性が一番いい気がする。そうこうしているうち、「全然ダメ」と思っていたノビルも、ちょっとまともに生えている場所を見つけたので少々収穫。こちらは根の部分は出汁で漬けて、葉の部分はチヂミ(パジョン?)にして食べた。ノビルのチヂミだから「ノビチヂミ」?

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アーバンパーク

●平成から令和になって、なんだかんだボンヤリしているうちに、もう半月近く経ってしまった。

考えてみれば、平成という元号も馴染んだのか馴染まなかったのかよく判らないうちに過ぎ去ってしまった感じ(もちろん、あくまで個人的に)。

なお、元号というのはある種の文化・伝統として残っているのはいいが、使用を強制されるのは御免被りたい。しばらく前に市役所で、何かの申請書類で年の欄に西暦で書き込んだら、「こういう正式な申請書類には元号を使って書くのが常識でしょう!」と窓口のおばちゃんに頭ごなしに言われて非常にむっとした。その時は特段言い返しもせずに書き直したのだが、今でも何だかモヤモヤする。

そのタイミングのテレビがやたら能天気な祝賀ムード一辺倒だったのも何だかモヤモヤする。

●抱えている仕事が一息ついたこともあって、薄らボンヤリとGWを過ごす。休みの最初に息子一家が泊りで遊びに来て、5月に入って3日は川崎の実家に行き、兄とドイツ人Pと大いに飲む。令和最初の飲み会。

翌4日、久しぶりにガッツリ歩きたいと思い、初めて葉山の風早橋から、いわゆる「三浦アルプス」を通って三浦半島横断をしようと思ったのだが、出発した時はいい天気だったのに、仙元山を過ぎ、その先のピークを1,2越えたあたりで突然の雷雨。しばらく木の下で雨宿りして(さすがにピークでは雷が怖いのでちょっと下った尾根で。しかし結構濡れた)、小降りになったところで、早々に脇道にそれて下山(結局また葉山側に)。降りた頃にはやんでいたが、逗子駅前まで戻ったあたりでまた激しく降られた。

20190505_2300165日の晩、自室にオオゲジが出る。我が家では、ムカデ(トビズムカデ)は毎年必ず数回は侵入するが、オオゲジはちょっと久しぶりで、何しろ存在感が大きいのでぎょっとした。ムカデと違って積極的に咬むこともしないが、好んで同居したいども(決して)思えないので窓から退去していただいた。写真は外に追い出した後、サッシのガラス戸と網戸の間にいるオオゲジ。その数日後だったと思うが、自宅近くの夜道で、トビズムカデの、これまた久しぶりに十センチ超えクラスの大物を見かけた。家に入ってこないことを切に願う。

6日には久しぶりに千葉の野田のかみさんの実家に行き、義母に会う。なお、その際に久々に乗ったが、「東武野田線」が、いつの間にか「東武アーバンパークライン」という、オシャレハズカシイ(というより若干痛々しい)名前に変わっていた。先ほど調べたら、この名前が付いたのはもう5年も前だった。ずいぶん長いこと、野田に行ってなかったんだなあ……。なお正確には、野田線の名前がなくなったわけではなく、「アーバンパークライン」は野田線の愛称という位置付けだそうだ。とはいえ、乗換駅での案内などは全て「アーバンパークライン」になっている。

東武本線(東武伊勢崎線)の浅草/押上から東武動物公園までの区間も「東武スカイツリーライン」になっているようだが(2012年からだそうなので、もっと古い)、そちらは実際にスカイツリーの根元を走っているので(個人的に)許容範囲。しかし「アーバンパークライン」のほうは、どこがどうして「アーバン」で「パーク」なのか謎。少なくとも「船橋がアーバンで大宮がパーク」とかではない気がする(大宮には埼玉県営の大宮公園というそれなりに大きな公園があるそうだが)。

●母の介護保険の更新に伴う担当者の訪問があったので、12日-13日と泊りがけで実家。ちょうど兄がシフト明けだったので、12日の晩は兄が料理を作ってくれて2人でビールを飲む(このスケジュールなら担当者の訪問も兄に任せても良かったのだが、一応、更新の申請なども私がやったのでそのついでで)。

朝、散歩に出たら、向丘南原近くの道路沿いの中古車屋?の駐車場に、大戦型のジープが置いてあるのに気付いた。柵越しなので、限られた方向から一部しか撮れなかったのだが、それでも何かの足しになるかもしれないので、写真を上げておきたい。なお、何年も前に、池袋・東武百貨店のタミヤ・モデラーズギャラリーで撮ったフォードGPWの写真はこちら

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後面パネルのロゴは確認できないので、ウィリスMBなのか、フォードGPWなのか、はたまたオチキスM201なのかよくわからない……と思ったのだが(どこかに埋まっている資料「JEEP JEEP JEEP」を見れば少しは判るが)、3者の識別に関して、検索したらそのものズバリのページが見つかった。フロントグリル直後に見える最前部クロスメンバー上面が平たいこと、ボンネットの蝶番の噛み合わせが11のように見えることから、(キメラでないとしたら)フォードGPWのようだ。それぞれ該当部分の拡大も添えておく。

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破損か変形を補修したらしい斜め支柱付きのフロントウィンドウ下部、何か装備を追加した跡らしいバンパー前面の複数の小穴、フェンダー上に追加されたバックミラー、フロントウィンドウを倒した際の固定フックの欠如など、ちょこちょこと改造の跡もある。

●令和最初のキットの買い物は、たぶん、先日横浜のVOLKSで予約したズベズダのT-28になるんだろうなあ……と思っていたのだが、それが入荷する前に、(今日帰りに寄った横浜VOLKSで)IBG(THE WORLD AT WAR)1:72 II号戦車b型を買ってしまった。キットレビューについてはまた改めて。

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フォードGPW

●一昨年の、池袋東武での「タミヤ・モデラーズギャラリー」で展示されていた、フォードGPW、1942年型。写真を多少撮ったのにそのまま放置してあったので、唐突ではあるけれど、腐らせておくよりはと載せることにした。

実際に模型を作っていると、資料を前に「ここの細部写真が欲しいんだよ! なんで誰もこんな大事なところを撮ろうと考えなかったんだよ!」と歯噛みする(←変なヤツ)ことも多いのだけれど、実際に自分が実車を前にすると、どこを撮ったらいいかオタオタしてしまい、結局、割と中途半端な写真ばかりある気がする。

●フォードGPWは、大戦中、ウィリスMBと同一仕様で生産されたいわゆる“ジープ”。専門家ではないので、この実車のオリジナル度はよくわからないし、1942年型と言われれば「ほほう」と言うしかないのだが、その年式が正しければ、1942年はフォードでGPWの生産が始まった年なので、GPWとしては初期型ということになる(もっとも「1942年型」と呼ばれる仕様が何年間か続けて作られていたということもありえるわけだが)。

なお、パーツはGPWとMBの間で互換性があるため、現場では使い込まれるほどに、修理によってどんどん両社製の特徴が入り混じって行ったはずである。

●と、ウルサイ前置きはそれくらいにして写真。

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まずは若干引いた写真と、左側面の工具など。

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フロントグリル、バンパー裏など。グリルの直後、ラジエータとの間の最前部クロスメンバーの断面が角ばっている(つまり、グリルとラジエータの間に見えている上面が平たい)のはフォードGPWの特徴で、ウィリスMBだとこれが丸い。バンパーのフレームへの取り付け部前面に小穴がある(左写真の、バンパーの文字[4-]と[X]の間、[H]と[Q]の間)のもGPWの特徴であるらしい。グリル中央下の小ボルトのためのふくらみは、タミヤのキットの箱絵にはあるがパーツにはない。しかし実車でも写真によってはないように見えるものもあり、年式・メーカーによりあったりなかったりするものなのかどうか、個人的に今後のリサーチ対象(HJ別冊の「JEEP JEEP JEEP」がパッと出て来ない)。

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フロントライトの穴が単純な丸ではなく、微妙にオムスビ形なのは比較的有名。タミヤの「SASジープ」は、初版「ウィリス・ジープ」の単純なバリエーションではなく、基本形も細かく修正されており、このオムスビ形もSASジープで初めて再現され、大塚先生が「JEEP JEEP JEEP」で大いに褒めていたような記憶が。右写真ではライトコードもチラ見えしている。ライトの直上でグリルプレートがくぼんでいるのは、ライトをひっくり返してエンジンルームを照らす際のためだろうか?

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左のブラックアウトライト、ボンネット留め具、フロントウィンドウなど。BOライトのコードはフェンダー上で下に引き込まれる。ボンネット後部から出て可倒式フロントウィンドウ支柱に這わせたコードはワイパー用なのが、4枚目写真で判る。適度に省略され作りやすい一方でスタイルが良いタミヤのウィリスMBのキット(2代目)は傑作だと思うが、いくら細かい部品とはいえ、結構目立つボンネット前側の碇型留め具がないのは省略しすぎな気がする。この留め具のうち、上側の寝ているヤツは、ウィンドウを倒した時の固定用(タミヤの箱絵に、その状態がきっちり描かれている)。というわけで、ウィンドウを倒した状態で作る際には、これを引っ掛けた状態にするとポイントが高い(誰的に?)。

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前輪周り。フェンダー下、右側のバルジ(1、2枚目)、左側のエアスクープ(3枚目)、左前輪のステア機構やショックアブソーバなど。ハブ中央形状は前輪と後輪とでちょっと違う。

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荷台と後輪。仕様としてはラジオ・ジープ(無線車)になっていて、荷台右側にはアンテナ・ポストが増設してある。

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リア。ジェリカンラックとナンバープレートに隠れて見えないが、1942年式フォードGPWということなら、この陰にお馴染みの書体で「Ford」のロゴがプレスされているはず(Script Ford)。

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