化石

シンャホルストル

Amazon24111101 ●amazonで見かけた素敵な商品。

この見かけで「金属飛行甲板」!「エッチングパーツ」!

シンャホルストル」が「シャルンホルスト」(ドイツ戦艦)の綴り間違いなのは容易に想像できるにしても、だ。

え? 「日本海軍」? 戦艦なのに「飛行甲板」?。っていうかこの形のどこから飛行機が飛び立つのか。そして「オールシーズン」対応なのも謎ながら素敵。……ほとんど何一つ合ってない。

これ、実際に注文したら何が届のかも気になる(ただそれを知りたいためだけに約8000円費やす気にはなれないが)。

そもそも、「シンャ」ってどう発音したらいいんだ。

ヘイ、りぴーと・あふたー・みー。……「シンャホルストル」。いや、そこの君。それは違うぞ。「シニャ」ではない、「シン」だ!

ほか、同じくFlyHawkモデル製のパーツで、1:700「英海軍巡洋戦艦インシブンルビ1942」用のエッチングとして、写真は1:35戦車用のエッチングになっているものも2種(ティーガーII用とパンター用)出品されている。こちらは(AFVモデラー相手には)すぐ正体が判ってしまうし、「エッチング」という部分では合っているので、インパクトとしては今一つ。

●10月1日付で郵便料金が値上げになっているのを失念し、N女史宛の請求書(定型の封書)をうっかり旧料金の切手で出してしまった。当然、料金不足で差し戻されて来るものと思って、不足分の切手も用意して待ち構えていたのだが、N女史から、

「料金不足のまま届いていました。いいのか…」

との連絡あり。いや、本当にいいのか日本郵便!

実は値上げ後2か月間は旧料金でも届く特例措置が!?(ない)

●前回の記事、「FCM 2Cのディテール・メモ(後編)」を改めて眺めていて、

「なんつー判りにくい記事だ!」

と、自分でほとほと呆れた。

もちろん、個々の説明に対応した写真を掲示できていないというもの一因なのだが、だらだらと文章で説明しているのが、とにかくくどい。考えてみれば、車輛別・時期別に表組にすればもっとスッキリしたはず。

……いやもう、何か息切れしているので、表組は気が向いたらにしますけれど(気が向くかどうかは不明)。

Img20241114184818 ●東京AFVの会の会場で、私が自分の作品(ロールスロイス装甲車)を入れて持って行った箱を見た人に、「『化石』って書いてあるけど、何?」と尋ねられた。

実際、その通り中に(昔採った)化石が入れてあったためで、今回、ロールスロイス装甲車を持っていくにあたって、たまたま、ちょうど作品が入る細長い箱だったので中身を出して輸送用に徴発したのだった。……この、毎度適当な箱に、乱暴に作品を突っ込んで持って来る件については、その度にケン太さんに「もうちょっと考えて梱包しろ」と叱られている。

まあ、それはそれ。せっかく箱から出して、久しぶりに昔の採集物を見たので、写真を撮って紹介してみる。

●箱に入っていた化石は、高校時代に北海道で採った白亜紀のアンモナイトが数点と、栃木の葛生で採ったペルム紀(二畳紀)の腕足類もしくは二枚貝が1点。

以前にも書いたことがある気がするが、私は中学・高校時代の部活で「地学部地質班」というのに属していた。地質班といっても、地質調査なんてものは基本したことがなく、あっちこっち化石を掘りにいくのがメインの活動だった。年に一度(だったかな?)、巡検と称して顧問の先生とともに泊りがけで遠出するだけでなく、生徒だけであれこれ計画して出掛けることも多く、北海道は確か高校2年の夏に、同級生1人と、あとは大学生のOB4人くらいと一緒にテントを持って出かけたもの。葛生はいつだったっけなあ。

▼というわけで化石の紹介。まずは北海道留萌郡、小平蘂(オビラシベ)川上流産の中生代白亜紀のアンモナイトあれこれ。

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中くらいの大きさのアンモナイト。。下敷きにしているカッティングマットの枠線は5cm刻み。巻きの出口側、生きていた時には軟体部が収まっていた部分(住房という)は殻の中に隔壁などなくて脆いため、押しつぶされて殻も割れて変形している。巻きの中心に近いほうは気室といって隔壁で仕切られており、丈夫なので形状が保たれている。

殻の表面には目立つ肋(筋)はない。クリーニング(余分な石の除去)し切れていないが、中央のへそ穴はとりあえずある。……と、そこから先の種類調べはさっぱり。

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上よりはだいぶ小さい標本。切断面(左)と、その裏側の外面(右)。形状自体は割とふっくらめ、殻の表面に肋が見えないなど特徴が共通しているので、もしかしたら同じ種類かも。

高校の地学室(準備室)にはある年から岩石切断・研磨機が導入されたので、それを使って輪切りにしてある。上の標本同様、住房部分は変形あり。住房の中は砂(泥?)が詰まっているが、気室部分は染み出した石灰質が結晶化している。

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比較的小型の標本。一般に「異常巻き」と呼ばれる、通常の平らかつ密な渦巻に巻いた形状から外れた巻きを示しているもの。別に奇形の個体とかいうわけではなく、そういう種類で、なかにはもっと珍妙な形状のものもある。

この数字の「6」のように、巻きの最後の部分だけほどけたようになっているのは、流石に形状が特徴的なので、属名までは行きつけた。スカフィテス(Scaphites sp.)。写真を見比べると、なかでもスカフィテス・スブデリカトゥルス(Scaphites subdelicatulus)というのが近そうな気がする。

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小さな標本3つ。左写真の2つは名前判らず。特に左写真の下のものは、「いかにもアンモナイト!」という形状なのだが、実際にはこういう形状のものはアンモナイトのなかのいくつもの科にまたがって存在していて、素人の私にはまったく絞り切れない。うーん。ゴードリセラスの仲間かなあ。それともデスモセラス? プゾシア?

右写真は今回箱から取り出したものではなく、それ以前から隣の棚に裸で置いてあったもの。「化石」のタグで遡ってみたら、10年近く前の記事で一度紹介していた。一緒の産地のものだし、名前が判るものももう一つくらい上げておきたかったので再登場。へそ穴がきゅっと閉まっていて、全体的には平べったい形。表面に繊細な肋がびっしり入っている。これは判り易い特徴で、ネオフィロセラス(Neophylloceras sp.)と判る。ネオフィロセラス・スブラモスム(Neophylloceras subramosum)かな?

Img20241114184927 今回、写真を紹介するにあたって、「ちょっとでも名前とか調べて書きたい」と思ったので、虎の巻として逗子市立図書館から借りてきたのが右の書。

いや、確かに同定の仕方とか、そこそこしっかり書かれてるんだけど! しかも北海道産アンモナイトに軸足を置いて書かれていて、私が採集した小平蘂川含めた産地ごとの特徴なども書かれていて有り難いんだけど!

もとから知っていたネオフィロセラスと、以前にどこかで写真を見て「あ、これ、オレが持ってるヤツだ」と思ったことがあって、ある程度アタリが付いていたスカフィテス以外は、結局やはり属名までも突き止めることはできなかった。これはあれかなあ。III号戦車とIV号戦車の見分けとか、ルノーR35とオチキスH35の見分けとか、「素人目には『同じじゃないの?』でも、見慣れている人なら割と簡単に区別できる」系のものなのかなあ。

「年代も大いに手掛かりになる」と言われても、そもそも採集したのが河原の転石からなので、「地域的に、白亜紀後期」以上のことは判らないし、そもそも小平蘂川のどれくらい上流で採ったかも、今や曖昧だし。

しかし、この本自体は結構眺めていて楽しかった。あー。北海道に化石採りにとか行きたいなあ。でももう、岩石用ハンマーもどこにしまったかわからないや。

▼残るは、ひとつだけ味噌っかすで古生代ペルム紀の、栃木県佐野市葛生産の化石。

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葛生はセメントの原料としての石灰石鉱山がある。たぶん、今では「何か事故でも起きたら責任問題」ってことで、入れてくれないんじゃないかなあ。ン十年昔の私が高校生の頃は随分大らかで、入り口で「部活動で化石を採りに来ました~」というと、簡単な注意(危ないとこに近付くなよ~程度)で入れてくれたものだった。これは、そんな鉱山の中で採集した(というより拾った)もの。

何しろガンガン発破をかけて石灰岩を掘り進めている場所なので、周りじゅう、大小の石灰岩がごろごろしている。そんな場所を歩き回り、岩の断面を見て「お、これ、フズリナの密度が高いぞ」なんてのをハンマーで欠いて採集していくわけだが、そんななかで、ほぼこのままの状態で(ただし泥だらけで)転がっているコレを見つけた。

実のところ、最初は本当に化石であるなどとは思わず、単に「形状がそれっぽい」だけの石ころだと思ったのだが、拾い上げて、冗談で周囲の仲間に

「お~い、スゲーの見つけた! デカい腕足貝だぞ!」

と叫んで自慢したのだった。

当然、その後には「嘘だよ~ん」と続けるつもりでいたのだが、泥をぬぐってみると、かすかに表面の模様が確認できる。むしろ最初に「見つけた」と言った私が驚くはめになった、というオチ。

1枚目は全体形で、横幅が約8cm。2枚目は裾部のクローズアップで、かすかに放射肋(頂部からの縦方向の筋)が確認できる。3枚目は側方から。頂部下にも、見える範囲には穴などないの。最初は「腕足類の化石」と思っていたのだが、腕足類(正確には腕足動物門)であれば殻の頂部から肉茎が出る穴があるはずなので、実は二枚貝の化石なのかも。

いずれにしても、こういう石灰層ではフズリナなどの微小な化石がメインで、大きな化石が採れることは少なく、なかなかレアな標本だと思う(なので、きちんと同定などして貰えるなら、どこぞの博物館とかに寄贈してもいいのだが、なかなかそういうきっかけもない)。

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池子弾薬庫跡

●連続お散歩ネタ。

26日土曜日。そういえば先週末から、「池子の森自然公園」が土・日・休日のみ公開になったんだったと、ふいに思い出し、午後、チビを連れて散歩に行く。

●「池子の森自然公園」は、有名な(といっても、現在、世間一般にどれだけ知名度があるのかよくわからないが)「池子弾薬庫跡地」の米軍接収地の一部が、新たに公園として整備されたもの。

池子弾薬庫は、かつて海軍が、横須賀海軍基地に間近い、現在の逗子市~横浜市の山地に作った倉庫・弾薬庫地区で、戦後米軍に接収され、現在もほとんどは米軍管理下にある。

かつては大きな反対運動の波があって、逗子市の選挙の大きな争点にもなった。その理由は、弾薬庫として利用されなくなってからも返還は進まず、その代わりに米軍の住宅地としての転用が決定したからだが、結局、国に押し切られる形となり、ぶっちゃけた話、「もう建てちゃったもんはしょうがねーなー」的な諦観から、現在は表立った反対運動などはない(が、もちろん地道な返還要求などはある)。

まあ、とりあえず、沖縄の多くの米軍施設のように第一線の基地機能があるわけではなく、軍用車両だの軍用機だのが我が物顔に往来するということがないというのも大きいし、そもそも戦前に海軍が接収したもので、直接的に、土地を取り上げられて悔しい思いをした人たちがほとんど亡くなっているということもあろう。

また正直な話、仮に戦後すぐにこれらの土地が戻って来ていたとしたら、今頃は、盛大に西武あたりに掘り返されて新興住宅地に変わり果てた後だと思う(もちろん、だからといって国が勝手にアメリカに進呈しちゃっていいものかどうか、というのは別の話だ)。

ちなみに「池子弾薬庫跡地」、現在の正確な名称でいうと「池子住宅地区及び海軍補助施設」は、その大部分が逗子市池子(かつての池子村)にあるための名称で、北東側は前述のように一部横浜市に入り、西側は逗子市久木に入る。

F1013934 ●さて、「池子の森自然公園」は、その米軍管理下の土地のうち、住宅地としては利用されていない一部を、逗子市が国や米軍と交渉し、公園として整備し公開するもの。「返還」ではなく、「共同使用」という形なのでゲートの内側なのだが、先週末以降、特別に申請だの身分証のチェックだのもなく、一応公園として指定された範囲内であれば気軽に入ることができる。

池子側のメインエントランスに近い一部は「スポーツエリア」で、陸上競技用グラウンドだの、野球場だのテニスコートだのがある。これは以前から申請すれば使える施設だったはず。

F1013935 その奥のトンネルをくぐった先が今回公開されたキモの「緑地エリア」で、だだっ広い、かつての里山の平地が芝生に変わったような地域になっている。山の部分は戦後の開発等が一切入っていない遷移林で、「森林保全エリア」として基本立ち入り禁止。中央の池(おそらくかつての農業用溜池)も外来魚がいない貴重な「水環境保全エリア」として立ち入り禁止になっている。この「緑地エリア」は、基本全域が逗子市久木に属し、かつての「柏原村」にあたる。

久木側にも、公開日には自由に出入りできる小さなエントランスがある。今回は行きも帰りもこちらを通った。

●中はこんな感じ。基本、遊具などは何もなく、途中、東屋や、あちこちにベンチとテーブルなどは置いてあるものの、要するに「だだっ広さを楽しむ」感じ。左写真、まあ、よく顔が判らない大きさならいいでしょうってことで、中央に写っているのがチビ。来月から小学生。

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その「ベンチやテーブル」があるのは、ほとんどが谷戸の左右の行き止まりの枝道の部分。昔の航空写真などではその場所に建物があり、おそらくそこが地上の弾薬庫または倉庫だったようだ。なお、そんな場所の一つに、塗装はボロボロだが迷彩された物置があった。それほど古いものではないので米軍が建てたものだと思うが、ここは軍用地なのだと実感させる。

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山裾部分のあちこちに横穴。やぐらもあるのかもしれないが、ほとんどは軍が掘った壕とか地下倉庫ではないかと思う。左写真など、入口も大きく、奥も深そうな印象だった。

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もともと弾薬庫跡であった名残をもういくつか。「何だかアヤシイものがあっても不用意に触ったらアカンでー」という看板と、緑地エリアの奥で見つけた線路跡。レールははがされておらず、地面からうっすらと覗いていた。弾薬の輸送用に各谷戸に線路が張り巡らされていたらしく、おそらく、現在の池子側メインゲートで、軍用引き込み線(現在の総合車両製作所・横浜事業所回送線)に接続していたのではないかと考えられる。概略はこちらのサイトで。以前に撮った横浜事業所回送線の写真はこちら

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池子側と久木側を結ぶトンネルの銘板。1992年とあるが、もともとこの場所には1941年開通のトンネルがあったはずで、拡幅して掘り直したものか? 「New Hisagi Tunnel」という名称は、その旧トンネルに対してのNewなのか、それとも久木と山の根を結ぶ久木隧道に対してのNewなのか、どちらだろう。久木隧道に関してはこちら(先述の回送線についても書いてある)。右は、トンネルの池子側、池子遺跡資料館脇の消火栓。とってもアメリカンな感じ。

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池子側、グラウンドの整備工事の際に出たらしい、シロウリガイ(第三紀中新世、約440万年前)の化石岩塊。露頭は埋め戻されているが、調査の際に掘り出された、化石の詰まった巨大な岩塊がグラウンド奥に展示されている。右はトンネルを迂回して山越えする散策路途中のニリンソウ。葉の形がトリカブトに似ているので、(私のような)にわかが不用意に手を出さない方がいい山菜。とはいえ、こうして花が咲いていれば明らかに違う。

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謹賀新年/2016

●明けましておめでとうございます。

本年も基本的に当ブログは、内容的にも更新ペース的にも適当な感じではないかと思いますが、ゆるゆるお付き合い頂ければと思います。よろしくお願い申し上げます。

F1014088 F1014091 ●年越しの晩は、父が死んで以来、川崎の実家で母と過ごす。正月料理は定番の鶏飯(けいはん)。奄美の郷土料理だが、これが正月料理なのは単純に我が家の流儀で、奄美では普通に一年中、ちょっとしたおもてなしとか、酒席の締めとかで食べられているもの。それにしても、特にオリンピック誘致依頼、「おもてなし」って単語に妙ないかがわしさが漂うような気がするのは私だけですかね。

蛍光灯の下で撮ったので、あまり美味しそうに写っていないが、実際には(黒かったり茶色かったりばかりの奄美の料理の中では珍しく)いろどりもよく、味も老若男女にお勧め。

我が家でこれが正月料理に格上げされたのは、あれこれ細々といろいろな料理を作るおせちよりも、一発で済むという理由のほか、こちらの人(というのは要するに「内地」の人とか関東の人とか)にもだいたい間違いなく喜んでもらえるため。実家で地鶏を貰ってきたので、我が家でも明日は鶏飯の予定。

F1014087 ●実家からの帰り。横浜駅で横須賀線ホームに上がると、反対側上り線に止まっている列車が「鹿島神宮」行きだった。

これは初詣に行けと誘っているのか? 正月のみの特別運転か?

と思ったら、普段から1日1編成だけあるらしい。知らんかったよ……。もちろん、初詣的には名所の鶴岡八幡宮にも、三が日にはあえて近寄らないようにしているくらいなので、わざわざ鹿島神宮に行ったりはしない。

F1014102 ●例によって実家から化石。荷物が多かったので一つだけ持ってきた。

千葉県銚子市、外川の採石場跡から。白亜紀の三角貝。ネット上で外川産の標本について調べてみて出てきたTrigonia pocilliformis という種名ではないかと思うが、今でもその名前が通用するのかどうかよくわからない。

昔はこの程度の標本は普通に採れたが、今ではもうほとんど採集できなくなっているらしい。

●暮れにネット上で見たのだが、鎌倉小町通りの脇に、「鎌倉浪花家」というたい焼き屋がオープンしたらしい。名前の通り、麻布十番の浪花家ののれん分け的な店で、麻布十番で修業した人が開いたとか。

しかしそれ以前に、数年前からある長谷にあるたい焼き屋の「なみへい」も、浪花家で修業した兄弟弟子の店だそうだ。

麻布十番で働いていた時代にしばしば浪花家のたい焼きを食べていて、「ちょっとそれ以外のベタ甘なたい焼きなんて食えないぜ!」みたいに通ぶって(それでいて普通に今川焼とかは食う)、たい焼き屋を見かけても買うことがなく、その「なみへい」の前も素通りするばかりだった。今度、両店で買って食ってみようと思う。

ちなみに麻布十番の浪花家は、もともとは素朴ないい店で、蝶ネクタイの親父さんがカランカランとたい焼き型を回して焼いていて、お店の中でお茶をすすって、文庫本を読みながら焼き上がりを待って、熱々を食べたりしていた。夏は同じ餡を使ったかき氷もやっていて、ばあちゃんが持ってきてくれる宇治金時が美味だった。

地下鉄が通って便利になると店が格段に繁盛し始めたのはいいけれど、そうすると妙に忙しなくなって、一度、どれくらい待つか聞いただけで「予約なしですぐに買えるわけがないでしょう」みたいなことを権高に言われてから、ほとんど行かなくなってしまった(もちろん浪花家の名誉のために言っておくと、いきなり忙しくなってテンパっていたのかもしれないし、たまたま虫の居所が悪かったのかもしれない)。

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中国陸軍のM3スカウトカー

●当ブログにも時折書くが、ここ数年、春先には近所でノビルを摘んできて軽く塩漬けにしたり、刻んでお好み焼き粉でネギ焼(スジ肉の入ったいわゆるネギ焼ではなく、韓国のパジョンとかチヂミとかに近い感じ)を作ったりする。

そういえば「ノビルのチヂミというのはダジャレっぽいな」と、以前青木氏に言われたんだった。今後「ノビチヂミ」と呼ぶことにしよう。

F1014028閑話休題。基本、ノビルは春先が旬とされているのだが、実際には秋の終わりに生え始めて春の終わりに枯れるというサイクルなので、今でも一応収穫可能。しかも、どうも春先に私がノビルを採ろうとするとその直前に目当ての野原が草刈りされて丸坊主になっていたりする。そこで、今季はまだ年も変わらないうちに、すでに2度ほど収穫した。

25日、神保町の事務所の仕事納め宴会だったので、前日少し採って来て、これは初めての試みだが、先日実家でもらってきた出汁醤油に一晩漬けてみた。宴会に持って行ったら意外に好評で、小さなタッパー一杯に持って行ったものが綺麗になくなった。

●仕事納めの宴会は、夜になってわらわら人が増えてきて座る椅子も足りない有様。これからますます盛り上がりそうな感じのところ、9時前くらいに引き上げて(それでもだいぶ食い過ぎた感じがする)、川崎の実家に行って一泊。

●田園都市線あざみ野駅ホームにパン屋があって、「さーたーあんだぎー」が売られていてちょっと食べたいような気もしたのだが、5個入りは持て余しそうだったので結局買わず。

それはそれとして、「さーたーあんだぎー」という名称は「さーたー+あんだ+あぎー」で、さーたー(砂糖)、あぎー(揚げ)はいいとして、「あんだ」って何だっけ? and? 「ガールズ&パンツァー」みたいな? などとオバカなことをつらつら考える(単に思い出せなかっただけ)。

帰宅して改めて調べたら、「あんだ=油」だった。砂糖油揚げ。

●実家からまた少し化石を持ち帰ってきた。例によって「理科ハウス」に寄贈予定。

F1013994 ▼レプトダス(おそらくLeptodus nobolis)。右端のシダのような、肋骨のような模様の部分。

古生代二畳紀。宮城県気仙沼市産。最初、魚の歯だと思われてレプトダスという魚系の名前を付けられたが(どこがどう魚系なのかは私もよくわからない)、後に腕足類と判明し、「リットニア」と再命名されるも、「先に付けた名前が有効」の原則で、現在は科名がリットニア、属名はレプトダスになっているとかなんとか。肋骨のような模様は、腕足貝の貝殻の内側の構造に由来しているらしい。

F1014032 ▼エントモノチス(Entomonotis sp.)。中生代三畳紀の示準化石。東京都あきるの市五日市産。

最も有名な露頭はだいぶ以前から天然記念物指定されていたはずで、その周辺のどこかで採ったのか、それとももっと昔に誰かが採った標本を貰い受けたのか記憶が不確か。

同一種が固まって採れることが多いので、密集して海藻などに固着して生活していたのでは、などと言われているらしいが、なお生態不明の部分が多いとか。

F1013997 ▼イノセラムス(Inoceramus)。中生代白亜紀の示準化石となる二枚貝。北海道留萌郡、小平蘂(オビラシベ)川上流産。

ネット上で調べてみると、近年、研究が進んだ結果、以前は十把一絡げに「イノセラムス」だったのが、だいぶ細かく種の分類が進んだそうな。

もちろん、私はその辺の判別はできないので、ここは大雑把にイノセラムスの仲間(Inoceramidae)としておく。

F1014004 ▼トウキョウホタテ(Mizuhopecten tokyoensis)。新生代第四紀更新世。千葉県市原市瀬又産。

古東京湾にいたホタテガイ。もっとも、瀬又で採ったこの化石は確かに「古東京湾産」なのだが、それ以外にも結構広く生息していたらしい。昔の記憶だと、学名(属名)は単純に「Pecten」だったのだが、いつの間にか変わっていた。ところが変わった属名が「Mizuhopecten」か「Patinopecten」か、あちこちバラバラで、現在どちらが正しいのかよくわからない(一応、wikipediaの現生ホタテガイで記述されている属名に倣った)。

そもそも私の中学高校時代には、時代の名称も更新世ではなく洪積世だったし。ホタテガイの仲間は殻に表裏があり、写真右肩の一枚は裏の貝殻で、全体が若干平らなうえに肋の形状が違う。

●週末模型親父さんのところの「軽戦車コンペ」(K-CON)で、me20さんが豆戦車タイプ(AMX設計のケースメート型)ルノーUEを作っている。俗に「中国型」と言われるのは、中国からの注文で少量生産されたからだが、実際に輸出はされたものの日本の妨害で中国軍の手には渡らず、結局、仏領インドシナのフランス軍に接収されて使われた……というのが今までの私の認識だった(実際に、仏領インドシナ軍で使用中とされる写真もある)。

しかし、実際にこの車両が中国に届いて使用されていた、という証拠写真が出てきた。

me20さんのブログへのセータ☆氏の書き込みで、「抗戦陸軍武備図誌」という台湾で出版された本に掲載されていたとのこと。その本に掲載されているものより不鮮明だが、ネット上にもいくつか写真が上がっていた(このページ、真ん中あたりの細かい写真)。驚愕。

ちなみに、これとまったく同じ写真だが、もっと不鮮明で小さいものがどこかに「中国軍のUE」として上がっていて、すでに私のPCの中の、ネットから落とした資料写真フォルダの中に入っていたのだが、あまりに不鮮明だったので「マユツバもの」として流していた。

……私もどこからかケースメート型の改造キット(あるいはミラージュのインジェクション)を仕入れてくるべき?

●そして25日、仕事納めの宴会に行く前に立ち寄った秋葉原で、私もその「抗戦陸軍武備図誌」を立ち読みしてきた(買いたいところだが高い)。もっともその本自体は厚みも4センチほどあるハードカバーの大冊で、およそ立ち読み向きではない(しかも帰宅後に調べたら、それだけ立派な本なのに「同人誌」なのだそうだ)。

書名の「陸軍武備」には装備全般あれこれ入るので、こちらが主に見たいAFVやソフトスキン、火砲などのページばかりというわけではないが、見たことがない写真、見たことがあってもそれよりずっと鮮明な写真が数多く収録されている。

ただし、どうも例えば現在私が作っているビッカース水陸両用戦車に関しては、中央軍が直接購入した後期型の写真だけで、広東軍が輸入した初期型写真は載っていなかった。また、惜しくも前照灯のコード引き込み部ディテールがわかる写真はなかった。

●問題のルノーUEだが、直接本を見て改めて判ったのは、

  • 国籍マークの青天白日は、青地が丸ではなく四角い変則のもの。しかも車体前部、荷台左右、荷台後面と記入位置も多い。
  • 荷台後面は青天白日が2つ記入されている場合と、左に青天白日、右に番号の場合とがあるようだ。
  • 塗装はどうやらルノー社で施されたフランス式迷彩。

などなど。

●ほか、その本で得た新知見。戦前に中国陸軍が輸入配備したM3A1スカウトカーは、同時期に配備していたSd.Kfz.221、222、223と異なり、国籍マークが記入されている写真が見当たらない……と今まで考えていたのだが、なんと、

運転席横の窓の装甲フラップを倒した陰に青天白日が記入されている!

ということが分かった。フラップののぞき窓から一部が見えていて、それ自体はこれまでの不鮮明な写真にも写っていたのだが、青天白日だとは判らなかった。ちょっと作りたい感沸いてきました。

●me20さんがもしも中国軍仕様で作るならと、藍天鳥工作室製、青天白日デカールを少し切り分けて送り、お礼にとブロンコの蝶ネジを一枝頂いた。

もっとも当初は単純にAFV向けの小さな「青天白日」だとしか思っていなかったので、普通の丸地のものを送ってしまった。四角くトリミングして使えそうな、青地が大きい現用青天白日を追加でお送りしようか検討中。

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ウミユリ

●金曜日(4日)から泊りがけで実家。荷造りだの障子張りだのする。

ついでに床下の物置に潜り、中学・高校時代に採集した化石をまた漁る。先日持ってきたいくつかの標本同様、「理科ハウス」に寄贈予定。

今回持ってきたのは、

F1011418F1011416▼ウミユリ。古生代二畳紀。大垣市、美濃赤坂金生山産。石灰岩の表面が風化し、細かなウミユリの茎(支持体)部分がびっしりと浮き出ている。

金生山では茎の太さが3~4センチもあるような巨大なウミユリの化石も算出し、実際にそんな太い茎化石の一部も採集した覚えがあるが、これはせいぜい径5mmくらいまでの細かいものが固まりになっている。

F1011424▼フズリナ(パラフズリナか?)。古生代二畳紀。たぶん栃木県佐野市葛生(当時は栃木県葛生町)産。風化して、フズリナだけが残ったもの。前回持ち帰ってきた標本と同じ時、同じ場所で採集したのだと思う。

石の入った箱の中にパラパラと落ちていた。実際にはもっとたくさん採って、瓶詰めにしておいたように思うのだが、そこからこぼれ落ちたものか?

F1011423F1011420▼アンモナイト。中生代白亜紀。これも前回持ち帰ってきた標本と同じ、北海道留萌郡、小平蘂(オビラシベ)川上流産。かなり大きなアンモナイトの、ごく一部分(それでも握りこぶしより大きい)で、表面の貝殻は失われ、縫合線が見えている。

専門家が見れば縫合線からある程度種類を絞り込めるのかもしれないが、私は「ああ、アンモナイトだなあ」くらいしかわからない。

ほかにもたくさん床下から出してきたのだが、ウミユリ石灰岩が大きくて重かったので、今回はこれだけ。

F1011412●毎年恒例、兄弟分のドイツ人Pの実家で作ったシュトレンを今年ももらってきた。発作で倒れて以来、ママは思うように体が動かないらしく、今年もママの監督総指揮のもと、パパが作ったものであるらしい。

それでも(さっそく一切れ味見してしまったが)甘すぎず、しみじみと美味しい。

「ああ、これを何切れも贅沢に食べてみたい!」と思うが、そこをぐっと我慢して、クリスマスまでちびちびと食べる予定。それにしてもこう並べると、シュトレンも化石に見えてしまう。

F1011440F1011432●我が家のある逗子市の外れから鎌倉市に入ってすぐ、名越坂の途中に小さな古い工場というか作業場があったのが、しばらく前に取り壊されて更地になっている。

建物の向こう側にあって見えなかった崖面に横穴があるのが判明したが、入り口からすぐにいくつか部屋か通路が分かれていて、やぐらなのか、防空壕なのか、あるいは物置用に掘った穴なのか、あるいは元あったやぐらを掘り進めて防空壕なり物置なりにしたのか、よくわからない。

F1018198F1018199それはそれとして、この作業場?の建物の前には、「海軍用地」と書かれた花崗岩製の標石があったのだが、更地にした際に同時に撤去されてしまったらしい。1本は建物入り口近くに立っていて、もう1本は元はどこに立っていたのか、建物前に転がされていた。右写真はかつての姿で、今年3月に撮ったもの。

名越坂は鎌倉・逗子を横断する、海軍が敷設した水道路の一部で、道沿いに「ダブル山形+海」と彫られたコンクリート製の海軍標石が点々と残っている。しかしこの場所にあった「海軍用地」の標石は材質も書式(?)も違っていて、他では見ないタイプだった。何か特別な設備か何かでも置かれていたのかもしれない。

F1011434いずれにせよ、もしもそのまま捨てられてしまったのだとしたら惜しい。

なお、建物があったときには(おそらく完全に埋まっていて)判らなかったのだが、道のすぐ脇に、別の標石があった。頭だけしか見えないので確認は出来なかったが、材質、大きさからみて、「ダブル山形+海」の標準タイプの海軍標石の可能性があるのでは、と思う。

●12月1日より、「週末模型親父」さんのところでSUMICON2015に続いて、「軽戦車コンペVol.1(K-CON)」がスタートした。

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SUMICON2015参加作、I号戦車A型改は未完成で放置してある状態だが、懲りもせずにエントリー。これの製作記も当ブログにアップしていく予定。

ちなみにやはり「組立終了・未塗装」でSUMICON2015を終了したme20さんは、そのまましっかり、FIAT3000の塗装工程を終了。実に美しく、しかもその塗装がディテールをくっきり浮き立たせていて、こんなのを見てしまうと、「ああ、ウチのタウロのFIAT3000はもう死蔵しておくしかない……」とさえ思えてしまう。

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松住町架道橋

前回「リベットだらけ」として紹介した、昌平橋交差点上の総武線の鉄橋、正式名称「松住町架道橋」だが、28日午後、秋葉原に行ったついでに、またあれこれ写真を撮ってしまった。

実を言うと前回1枚だけ写真を載せたのは、数枚撮ったなかでろくなものがなかったからなのだが、「せっかく格好いい鉄橋なのに」と、ちょっと頭の隅に引っかかっていて、改めて橋を見たときに変なスイッチが入ってしまったのだ。

それにしても、模型だ虫だポストだ古レールだと、なんでこう脈絡がないかね、このブログ。

●仕事先の神保町から秋葉原まで歩いていくときには、神田川を昌平橋を渡るパターンと万世橋を渡るパターンがある。実は私はふだん、万世橋ルートを通ることが多いのだが、松住町架道橋を見るには当然、昌平橋ルートになる。

南側から近付いていく時の眺めは、手前に中央線快速のガードがあり、両側のビルや街路樹にも邪魔されるので、あまりよくはない。

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前回、昌平橋の別名に「一口橋(いもあらいはし)」というのがある、と書いたが、昌平橋南側、総武線線路に沿って御茶ノ水駅聖橋口に上がっていくだらだら坂である淡路坂の別名が「一口坂(いもあらいざか)」である由。

南側からの眺めがあまりよくなかったうえに、昌平橋を渡って見上げると前回のように部分写真しか撮れないので、急にちょっと高いところから見下ろしたくなり、せっかく昌平橋たもとまで歩いてきておきながら、いきなり思いついて淡路坂=一口坂を上り、聖橋から見下ろしてみた。

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お目当ての松住町架道橋もいいが、ここからの眺めは、神田川に丸の内線、中央線快速、総武線の、なんだか猥雑なまでの交差に独特の魅力がある。松住町架道橋から連続して、神田川を渡る鉄橋(神田川橋梁)がまた大股開きの面白い橋脚を持っているのがわかる。

湯島聖堂側から降りていき、西側から眺めると、比較的綺麗に鉄橋の全景を見ることができる。トラスの入った2重アーチ、両側のコンクリートの脚との繋ぎ方など、なかなか美しい。

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ちなみにwikipediaのアタマに出ている写真は、ちょうどこれと正反対、東側(電気街側)から撮ったもののようだ。

近付いて見上げた部分写真をいくつか。

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次は北西側駐車場から撮った全景と、秋葉原駅側たもと部分。

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●オマケ。秋葉原のランドマークとしては、松住町架道橋よりもむしろこちらのほうが馴染みがありそう。「御成街道架線橋」、要するに中央通りをまたぐガーダー橋。

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●回り道のついでに撮った、ちょっと久しぶりに見た気がするニコライ堂の写真も上げておく。御茶ノ水の予備校に通っていた頃はずいぶん目立つ建物だったのに、いつのまにか回りを高いビルが囲んで、ずいぶん「埋もれた」感じになってしまった。

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もひとつついでに、聖橋をはさんで反対側の湯島聖堂にも初めて入った。前述のように予備校は御茶ノ水だったにもかかわらず数年前まで聖橋を渡ったこともなく、神田明神にも1年半ほど前に初めて行った。台湾から贈られたという、重さ1t半で世界最大だとかいう孔先生を見る。

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白状すると、今日の今日まで(いや、日付上はもう昨日だが)、湯島聖堂と湯島天神を混同していた。神田明神に初めて行った時の「かばぶ」の記事でも、「向かいにある湯島天神」なんて書いてある。

●秋葉原で、海洋堂の新しいガシャポン、「古生代―生命大爆発―」というのを見掛けて、ついふらふらと吸い寄せられてしまう。

中身は5種類で、

  • 三葉虫(トリアルツルス)
  • 海サソリ(プテリゴトゥス)
  • 古代魚類・肉鰭綱(ユーステノプテロン)
  • 甲冑魚(ボスリオレピス)
  • オパビニア

なにしろ5種類しかないのでダブりの可能性は結構高い、のは仕方ないとしても、4回引いて、魚×2、オパビニア×2って何なのよ! ||| orz

もう一回引いて魚×3になったら立ち直れそうにない気がしたので、今回はそこで諦める。……三葉虫ほしいなー。

●話は前後するが、ここ数日(8月26、27日)の近所のキバナコスモスの来客たち。ほとんどハナバチの宴会場と化していて、久しぶりな感じのキムネクマバチなども来ていたが、不思議なことに、マルハナバチには人気がないらしく、さっぱり見掛けない。

▼ナミルリモンハナバチ

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▼ハキリバチ

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▼キムネクマバチ

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▼種名不明の小さなハナバチ

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▼オマケ。近くのオシロイバナの葉に止まっていたオオフタオビドロバチ。

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セミの初鳴き

F1011563●6月28日。午後、散歩に出たら、ニイニイゼミの鳴き声がした。

名越切通から大切岸上の尾根道にかけて数ヵ所で聞いたので、さらにもう少し前に出始めていたのかもしれない。

大切岸上のニワトコの樹で姿も確認したのだが、携帯電話のソフト的ズームでは右写真が精一杯。ちょうど真ん中あたりに写っているのだが、これでは「なんとなくセミっぽい?」程度。先日、某編集部で貰ったコンデジを持っていけばよかった。

環境省「いきものログ」の自分の投稿を検索したら、昨年は7月8日に初鳴きを聞いていた。

●同日。先週も怪しいキノコの写真を1枚UPしたが、さすが梅雨時、さらにあちこちににょきにょき。すべて大切岸上の尾根道で。

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2枚目、3枚目はドクツルタケではないかと思う。5枚目の黒白まだらはオニイグチか、オニイグチモドキ?(顕微鏡で胞子を見ないと確実には識別できないそうな) 4枚目写真も傘裏がスポンジ状なのでイグチの仲間か。

ちなみにドクツルタケは名前の通り毒(しかも猛毒)、オニイグチ、オニイグチモドキはこの外見で食えるそうだ(もちろん、試す気にはなれない)。

F1011558●春に見つけて以来気になっているニホンミツバチの巣だが、人間に駆除もされず、スズメバチに襲われて壊滅することもなく、元気に蜜集めの日々のようだ。

ちょっと前に見に行った時に、すぐ近くを巨大なスズメバチが飛んで行ったので危ないなあ、と思ったのだが、今のところ無事。あるいは、襲われているがハチボールで撃退しているのかもしれない。

最初に見かけたときにはかなり怖々と遠くから写真を撮ったのだが、その後、だいぶ近付いても警戒行動も取られない感じなので、最近はカメラ(携帯)を20~30cmくらいまで近付けて撮っている(にもかかわらず、大した出来の写真ではない)。

●話は前後するが、週末に実家に行ってきた。帰る前に、床下の倉庫にもぐって、はるか昔に採集した化石を少しレスキューして来た。

いくつか手元に置いておきたいものもあるが、若干は、先日行った理科ハウスに寄贈してしまうつもり。

まだ他にもいろいろあるはずで、ぼちぼち持ってこようと思う。ただし、大きな岩(ウミユリ石灰岩の塊とか)は重いのでどうするか悩むところ。また、亡父が勝手に庭石にしてしまったものもあったはず。なんだかもう。

F1011497 F1011495▼松葉石(Monodiexodina matsubaishi)。二畳紀の、かなり特異な形のフズリナの一種。殻自体は溶けてなくなって印象化石になっている。おそらく気仙沼市の上八瀬近辺で採ったもの。

なぜか栃木県の葛生で採ったような気になっていたのだが、ウェブで調べたらほぼ北上山地特有の化石らしいので、行った覚えのある場所から類推。採集地に関しては標本にメモなど添えていなかったのでだいぶ曖昧で、標本の価値を損なっている。また、種名についても「モノディクソディナ」という名前には馴染みがなく、「パラフズリナ・マツバイシ」と覚えていたのだが、昔はそう呼ばれていたのか、それとも私の記憶違いなのかよく判らない。

F1011501 F1011500▼こちらはたぶん栃木県佐野市葛生(当時は栃木県葛生町)産、二畳紀の、おそらくパラフズリナ(Parafusulina sp.)。フズリナ石灰岩だが表面が風化し、若干フズリナ本体が盛り上がっている。葛生では、もっと風化が進行してフズリナが米のポン菓子のようにパラパラ採れる場所もあった。

そんなパラパラと単体のフズリナの標本も、またもっと表面が風化して米粒状のフズリナが浮かび上がった標本もあったはずだが、とりあえず今回は見当たらず。

F1011494 F1011490▼北海道留萌郡、小平蘂(オビラシベ)川上流産のアンモナイトあれこれ。採ってきた岩塊を砕いていて出てきた小さな標本。

左は巻きがきつく平べったいのが特徴のフィロセラス(Phylloceras)の仲間。ネオフィロセラス(Neophylloceras sp.)か。右写真で中下に写っているのと同じもの。右写真の左端は、比較的大きめの異常巻きアンモナイトの一部。

確か高校2年の時、すでに大学に通っていた先輩たちと一緒に、テントをかついで、列車を乗り継いで行った時のもの。夜行の急行「八甲田」、廃止される前の青函連絡船に乗って、初めて行った北海道だった気がする。

●30日。「読書レーダー」のSO-122さんの書き込みで発売を知って、「げんしけん」18巻を買いに行く。

そのまま病院に寄ったので待合室で読んでいたのだが、ほどなく看護師さんに呼ばれて、診断書作成のための身長・体重、脈拍、体温、血圧の測定やら採血やら。どうも待合室の私を呼ぶときに見たらしく、採血中に、看護師の女の子に、

「『げんしけん』ですか~。私も好きなんですよ~。新刊出たんですよね~。マダラメハーレム崩壊ですね~」

などなど言われる。まだ読み始めたばかりなんだからバラさないでよ(笑)。

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