軍事遺構

レモン牛乳

●すっかり当ブログの更新をご無沙汰してしまった。

●「ハクメイとミコチ」で読んで以来、それまでいまひとつピンと来ていなかったカヌレが気になってしまって……という話は以前にも書いたが、最近、CALDI(カルディコーヒーファーム)で売っている冷凍カヌレを時々買ってきて食べる。

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本来はレンジで解凍して食べるものらしいが、買ってしばらく持って歩いているうちにほぼ解凍されてしまうので、そのまま自然解凍で食べている。基本、カヌレは外がカリッ、中がもちもちというのが身上だが、この冷凍カヌレは(冷凍ものを解凍しているのだから当然かもしれないが)外がもちっ、中がとろっという感じ。それはそれで悪くはない。皮の部分がちょっとほろ苦いのが美味しいのは共通。

●ここ数年、チビの夏休み中のイベントの一つとして、娘出資で日帰りのバスツアーに出掛けている。今年は栃木の大谷資料館(大谷石採掘場跡)ほか。ずいぶんシブい選択だなあ、と思うが、いろいろなミュージシャンのPV撮影にも利用されているというのが娘的にはポイントであったらしい。

近隣の、「戦時中に地下工場として掘られた洞窟を貯蔵庫として利用している酒蔵」も見学。「実際に稼働する前に終戦になった戦車工場跡」とのことだが、坑道の広さからみて九四式軽装甲車でも出入りは難しそうなので、おそらく部品工場の予定だったのではと思う。

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最後の1枚は大谷石採掘場の坑内にあった説明板。こちらはコンサートも開けるほど広大なので、戦闘機の機体製造も当然無理なくできたろうと思う。

●上記ツアー行き帰りのサービスエリアにて。

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「カレー+いちご」の組み合わせは、それほど突飛な感じはしない。たぶん、カレーの味的にもそれほどハズレではない気がする。いや、知らんけど。しかし「レモン牛乳カレー」は想像の範囲を超えている。うーん。世の中、チャレンジ精神は大事だとは思うが、そもそもこれは挑戦する価値があるものなのか?(作るほうも食べるほうも)

●身近な虫いくつか。

▼ちょっと前から、逗子・鎌倉の数カ所で出会った、あまり見覚えのないハナバチ。

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最初は見慣れたトラマルハナバチだと思ったのだが(サイズ的にもほぼ同じ、やや小さめくらい)、飛び方が忙しないうえ、途中でホバリングを挟むなど、マルハナバチとは挙動が違う。よく見るとお腹もほぼツルツルで色模様も違う(トラマルはモフモフの黄縞)。

改めて調べると、どうやらコシブトハナバチの仲間(スジボソコシブトハナバチ?)であるらしい。ルリモンハナバチがいる以上、それが寄生する先であるコシブトハナバチも近くにいるんだろうとは思っていたが、確認できたのは今年が初めて。ちなみにこのハチは、枝などに止まる際に、脚ではなく顎で噛みついて懸垂するような感じになるとか読んだ/見た覚えが。ぜひ見てみたいものだが、花に来ているときには忙しなく飛び回るばかりで、止まっているシーンは見られなかった。残念。

もっとも、今年はルリモンハナバチのほうをまだ一度も見ていない。毎年必ずルリモンハナバチが来る近所のキバナコスモスの群生だが、今年は夏の前半までに刈り込まれてしまって、ほんのわずかしか花が咲いていない。今年は出会えないかもしれない。そちらもまた残念。

▼とんでもなく巧妙に枯れ葉っぽい蛾。

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葉脈の具合といい、深く切れ込んだ背中側のラインといい、「この手の虫がいる」ことを知っている私も、最初は「葉っぱがくっついているのかな?」としか思わなかった。

この手の蛾と言えばアケビコノハが有名で、この写真の蛾も「アケビコノハかな?」と思ったのだが、アケビコノハは鼻先が「象がぱおーんとした状態」みたいな形状で、背中のラインもここまで凹凸がきつくない。また、アケビコノハはもっと大型で、出現する季節も違うようだ。どうやらこれはアカエグリバという種類であるらしい。

●27日、仙台日帰り出張(東北大学)。久々に東北新幹線。

写真は仙台駅近くの「柳町大日堂」という小仏堂。狛犬ではなく「狛未(ひつじ)と狛申(さる)」。

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●イタレリからフルインテリアでT-34-85が出るそうだ。楽しみなような不安なような。

MasterClubからI号戦車の初期型用履帯(生産第二シリーズあたりまで用いられた、ガイドホーンに穴が開いているタイプ)が出る由。たぶん製品として出るのは初。これはぜひ入手したい。

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広報ずし

20180731_123153 ●逗子近辺の軍事遺構に関しては当「かばぶ」でもたびたび取り上げているが、逗子市発行の「広報ずし」の最新号(2018年8月号)は、特集テーマが「わたしたちは忘れない 逗子の戦争のあと」で、披露山の小坪高角砲台、逗子マリーナ背面の西小坪海面砲台の2つの砲台と、池子弾薬庫、以前逗子市立図書館の「季刊マーメイド」でも取り上げられた沼間の動員女生徒寄宿舎などについてまとめている。

例えば披露山の小坪高角砲台の過去、および現在のディテールに関してはhn-nhさんの「ミカンセーキ」に書かれた記事、

披露山公園、あるいは小坪防空高角砲台(前編)
披露山公園、あるいは小坪防空高角砲台(後編)

や、あるいはそれを受けて私が書いた当「かばぶ」の記事、

改めて披露山(前編)
改めて披露山(中編)
改めて披露山(後編)
小坪高角砲台(改めて披露山)補遺

のほうがよほど詳しいが(手前味噌)、流石は市の広報誌と言えるのは披露山公園開園時の逗子市広報の引用があること。曰く、

「披露山は、戦争の置き土産である高射砲の砲座をそっくりそのまま利用した、ちょいと変わった風趣のある公園となります。巨大なぺトン(コンクリート)をこわして新しい施設をつくるとなると、莫大な費用がかかるばかりでなく、かえつて平凡なものとなつてしまうかも知れないからです。」

もちろん、そのような理由であることは当然想定できるにしても、開園当時の記録として確認できたのは貴重。

「広報ずし」は紙版が市内全戸に配布されているが、市のサイトにはweb版も上がっていて自由に読むことができる。興味がおありの方はぜひどうぞ。

広報ずし 2018年8月号

●週末の台風からこっちは幾分マシにはなったが、それでも連日とにかく暑い。

「夏は昆虫の天下」のように思いがちだが、昆虫も流石に真昼間の直射日光下はつらいようで、特にハナバチあたりはちょっと涼しい日・時間帯でないとなかなか出会えない。ただセミの声ばかり響き渡っている感じ。ちなみに今夏は、去年までよりもさらにクマゼミ密度が上がったような気がする(先週から、時折ツクツクボウシの声も聴かれるようになった)。

虫の活動がどうの以前に、こちらも日中ふらふら出歩いては熱中症で倒れかねないので「虫捕り」ならぬ「虫撮り」も低調。というわけで、「これは」という虫の写真もあまりないが、そんななかから1,2枚。

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左はゴマダラチョウ。外来種のアカボシゴマダラは逗子でもすっかりありふれた種になってしまったが、在来種のこれはごくたまにしか見ない。単純に美しさで言えばアカボシゴマダラの方が上だが、やはり滅多に見られないコイツに出会うとちょっと嬉しい。

右は、逗子近辺の山道を歩くといくらでも出会えるキマダラヒカゲ。もっとも目の前をふらふら飛んでいる姿は頻繁に目にするが、意外に警戒心が強くて止まっているところにはなかなか近付けないので、写真に撮る機会が少ない。厳密にはサトキマダラヒカゲ、ヤマキマダラヒカゲの2種があるのだが、識別ポイントが微妙過ぎる(興味のある方は「キマダラヒカゲ 見分け」で検索のこと)。これはサトキマダラヒカゲの方だと思うが、あまり自信はない。

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東京湾要塞第一区地帯標(2)

●26日土曜日昼過ぎ。いきなりその気になり、2週続けて「桜山大山」へ。

目標は、前回行きそびれた東京湾要塞第一区地帯標の残り2本。いやまあ、そんな山奥の石柱をわざわざ見に行ってどうするんだ、って話なんですけどもね……。

前回とまったく同じ道を2度歩くのも何だし、今回は沼間の奥の住宅地までバスに乗って、そこからショートカットで峠道に上がろう……と思ったのだが、逗子駅前まで出てみたら、バスが来るまでに15分。一方でたまたま横須賀線の久里浜行きが停車していたので、東逗子まで電車に乗ってしまい、結局、前回同様に沼間小学校裏からハイキングコースに上がる(前回はそこまでも自宅から歩いて行ったのだが)。

つい1週間前に歩いたばかりの道なので、さくさく歩いて馬頭観音-乳頭山まで。もっとも空はどんよりとしていて、下手すると降り出しそうな不安な天気。

前回の「東京湾要塞第一区地帯標 第一四号」から田浦梅林方面に下りず、「畠山」方面にさらに尾根道を辿る。

●そこからは基本一本道で、特に迷うこともなく「第一三号」を発見。

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山道側に面した「東京湾要塞第一区地帯標」と「第一三号」の間の角だけ、若干ギザギザに削れている。やはり人が通行する側は何かぶつかる(というより、ぶつけられる)ためと思われる。

一四号同様に、標石のすぐ横に行先案内表示。「D*」の続き番号の案内板は、二子山山系自然保護協議会作成のマップによれば、大和ハウス工業が設置したものである由。もともとこの一帯は大和ハウスの所有地らしい。

ちなみにこの案内板、元は「D* 大和ハウス工業」と設置者名入りで建てられていたのが、軒並みプレートが剥がされる被害が出て、社名無しに変更されたらしい。宣伝臭さを嫌った人の犯行と思われるが、整理番号付きのプレートを剥がすと、位置確認の機能が大きく損なわれる――ということに思い至らない時点で、はっきり言ってバカの所業であることが判る。

ちなみに、第一四号脇の標識では「畠山 1.2km」だったのが、この第一三号脇では「畠山 0.9km」になっている。300mほど畠山寄りということになる。

●そして畠山方面にさらに進んで「第一二号」。こちらは山道からちょっと引っ込んで、ヤマザクラ(?)の脇にひっそりと建っている。うっかりしていると見落としそうだ。

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こちらは「第一二号」と「海軍省」の角の頂部がわずかに欠けている。

毎度参考にさせて頂いているサイト「東京湾要塞」のこのページを見ると、各所にある地帯標の設置年月日や字体にはだいぶバリエーションがあるが(そもそも東京湾要塞という時点で全部海軍かと思えば陸軍省設置のものもあったりして)、この第一二号~第一四号の3基は設置日も同じ「昭和十六年七月三十日」であり、ワンセットで建てられたものであるらしいのが判る。

20180526_170047 ●前回、田浦梅林方面に降りたのに比べて、多少行程がプラスされて……くらいに思っていたのだが、乳頭山-畠山間のコースは意外にアップダウンが激しく時間がかかり、山にいる間に暗くなり始めてしまうのではないかとちょっと焦った。

畠山山頂着はちょうど17:00。畠山山頂にはぽつんと石仏が置いてあるだけで、周りも木が茂って特に眺望もない。石仏は三面で、容貌は桜山大山の馬頭観音とはだいぶ違うが、こちらも馬頭観音であるらしい。

帰ってから調べたら、源頼朝挙兵の折、(当初は平家方だった)畠山重忠が、小坪坂の戦いに続く三浦勢との戦いで、衣笠城攻めのための陣を置いたのがここなのだそうだ。ああ、畠山って、その畠山だったのか!

20180526_174043 ●畠山から山を下り、横横(横須賀横浜道路)の下をくぐってようやく人里へ。それからまたちょっと上って、伝・三浦按針夫妻墓のある塚山公園へ。

京急の「安針塚」駅名の由来にもなったのがこの石塔だが、実際には、この2基の宝篋印塔は、明治になって近くの寺院で「再発見」されたもので、本当に三浦按針夫妻の供養塔であるかは定かでないそうだ。

ちなみに三浦按針は長崎の平戸で亡くなり、実際には平戸にあったという外国人墓地に葬られたそうだ。

20180526_181517 塚山公園からさらに歩いて、日が暮れかけるなか、ようやく安針塚駅に到着した。

駅のちょっと手前の山裾に大きな壕が口を開けていたが、戦時中のものだろうか?中央下の扉が人が利用する普通サイズのものなので、壕口がかなり巨大であるのが判る。

空腹でへろへろになっていたため、駅に隣接の京急ストアでおにぎり一つ、シシャモのから揚げを買って駅で食べた。糖尿病のため間食は慎むよう言われているのだが、帰ったらすぐに夕食だし、ちょっと早めに食べ始めたと思えばいいか、などと自分に言い訳しつつ(こういうところからグダグダになるのだ)。

●TAKOMから、35でSMK多砲塔重戦車が発売になるそうだ。KVの前代にあたる戦車で、KVマニアとしては興味津々。しかし高そうだな……。

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東京湾要塞第一区地帯標

●19日土曜日。久しぶりにがっつり歩くか!という気になり、以前からちょっと気になっていた、沼間から尾根道を辿って桜山大山の馬頭観音を目指すハイキングコースを歩く。

一応、相模湾側と東京湾側を結ぶ「三浦アルプス」のルートの一つのようだが、ネット上で見る分には、葉山の仙元山から森戸川の南側の尾根を辿るルートの方が「三浦アルプス」の本筋のような感じ。

いずれにしても標高はせいぜい200mくらいなので、それで「アルプス」を名乗るのは、中央区の銀座と逗子銀座商店街以上の乖離を感じるが、まあ、自治体名に採用するほど恥ずかしくはないですな。

●道筋は、東逗子駅近くの沼間小学校裏から尾根に上がり、あとはそのまま尾根筋を南東方面に辿り、桜山大山を目指す。

逗子市(の元になった田越村)は、小坪、久木、逗子、山野根、池子、桜山、沼間の7カ村が合併して生まれたものだが、うち、桜山は現在の逗子市街地の南側と、そこからは逗子市沼間・葉山町長柄を隔てた飛び地の「桜山大山」の2カ所に分かれている。

「桜山大山」は、市街地のほうの桜山と同じくらいの面積があるが、森戸川の源流一帯の山地(丘陵地)で、住居表示も未実施。水面から飛び跳ねた魚の形に例えられることがある逗子市の、シッポの部分。

20180519_154621 なぜこれほどデカい飛び地があるかというと、この山地はもともと(現葉山町の)長柄村のものだったが、土地にかけられた年貢のために長柄村が持て余し、酒二升を付けて桜山村に引き取ってもらったのだそうだ。以来、桜山村の持ち分として、柴・萱苅場、家畜の飼料として利用されてきたらしい。もちろんそうして利用されていた時代は禿山だったのだろうが、今は近辺の他の山同様、大半が雑木林に覆われている。

もっとも、三浦半島の東西を結ぶルートとして昔はそれなりに利用されてきたからなのか、結構枝道が多く、(要所に案内板なども立っているが)うっかりすると迷いそうだ。それでもなんとか、沼間から上って小一時間で第一目標地点である馬頭観音に到着。今でこそ山道にぽつんと立っているが、これも元々は人馬の行き来が多かった証なのだと思う。この馬頭観音は、一応、GoogleMapsにも記載されている。

……それにしても、馬頭観音というより、なんだか「頭にロバのぬいぐるみを乗せた人」みたいな。

●山道の脇に赤い実が時々見えて、色と形から「ヘビイチゴだな」と思っていたのだが、よく見ると、(基本、地面を這っているヘビイチゴと違って)ちょっと高く立ち上がっている。実の様子も、表面がイボ状のヘビイチゴと違い、キイチゴの仲間であるツブツブ状。調べてみると、やはりキイチゴの一種のクサイチゴと判明した(山道でも検索できるのはスマホの有り難いところ)。

改めて探すと大々的になっている場所があったので、たっぷり味見。

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近所でよく食べているカジイチゴより平均してさらに大粒。カジイチゴ、モミジイチゴのようにオレンジ色ではなく綺麗な赤色。カジイチゴ、モミジイチゴは味的にほぼ一緒で濃い甘酸っぱさがあるが、こちらはあまり酸味がなく、甘さも少々控えめに感じた(それでもそれなりに美味しかった)。

カジイチゴ、モミジイチゴ、ナワシロイチゴ、フユイチゴ、それからこのクサイチゴ。逗子の野山のキイチゴはこれでだいたい制覇できただろうか?

●前述のように結構分岐が多く、下写真のように、自主的に誰かが作成したと思しき案内板から、もっと立派な(自治体とか、「二子山山系自然保護協議会」とか、民間企業とか製の)注意書きや指示板なども出ている。

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2枚目は山道脇で見かけた野生ラン。ネットで調べたら「サイハイラン」という種類らしい。3枚目の「この分岐、要注意」はコースの要所何カ所かに立っているもので、親切なことに、裏側に地図を収めた箱まで付いているのだが、確か「FK3」の標識では地図ケースだけが残って地図がなかった。誰だ、勝手に持って行った奴ぁ。

●乳頭山山頂を経て、ちょっと下ったところで、第二目標である「東京湾要塞第一区地帯標」を発見。

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1枚目が山道に面した2面、2枚目がその裏側。

以前触れたことがある、北鎌倉駅前と材木座にある地帯標のお仲間だが、あちらが「第二区」だったのに対して、より東京湾に近いこちらは第一区。しかし、山中にポツンと立っているというロケーションに関しては、これまた先日紹介した「横須賀軍港境域標」に近い。それにしても、「要塞*区」だの「軍港境域」だの、似たような区域指定をあれやこれやご苦労なこった。

なお、今回到達した東京湾要塞第一区地帯標は、写真にあるように「第一四号」だが、ここからまた別のルートをたどると、「第一三号」「第一二号」も割と近くにあるらしい。下調べがいい加減なままに行ったので見落とした。今後の課題としたい。

結局この日は、東京湾要塞第一区地帯標第一四号から山を下り、田浦梅林に抜けた。

20180519_174332 ●合言葉は「いかのおすし」だ!

田浦梅林から人里に降りて、京急の線路下で見かけたポスター。

いやまあ、この手の語呂合わせ標語はよくあるのだが、「それにしたって、もうちょっとなんとかならなかったのか感」横溢。

どうでもいいが、私はイカゲソの握りが好き。

●21日月曜日。午前中に一仕事した後、散歩に出る。

今年の3月一杯で、市の財政難のあおりで休館になってしまった郷土資料館を経由して(資料館自体は閉まっているが敷地内は通れる)、久しぶりに長柄桜山古墳(1号、2号)を歩く。

ぱっと見には、単純に逗子を囲む山々の尾根の1ピークに過ぎず、これを「前方後円墳ではないか」と考えた人はスゴイと思う。

ついでに桜山でミズを収穫してきて再び白だしで漬ける。

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横須賀軍港境域標

Open Street Mapを見ていたら、鎌倉・十二所の山の中に、「横須賀軍港境域標」と書かれたランドマークアイコンがあるのに気付いた。

仕事が煮詰まったので息抜きに(ということにして)、数日前、散歩以上ハイキング未満的な感じで訪ねてみた。

Open Street Map(OSM)は、一言で言えば「地図の世界のwikipedia」のような存在で、誰もが編集に関わることができるオープンソースの地図作成プロジェクト。それはそれで素敵なのだが、その地区の編集に関わったマッパーの技量や姿勢に、地図の出来も左右されることになる。実際、近隣のよく見知った地域を見る限り、存在しない道が書かれていたり、接続していない道が繋がって書かれたりしていて、今一つ信用できない部分もある。

とはいえ、そのへんは「ダメモト」で割り切ることにして、とりあえずOSMを頼りに行ってみることにする。OSMで見る限りでは、池子弾薬庫跡地の北辺を巡るハイキングコース「やまなみルート」から分岐して十二所方面に降りる脇道があり、その山裾に近いあたりに、目的の「境域標」があるようだ。

鎌倉逗子ハイランドから「やまなみルート」に上がり、六浦方向に尾根道を歩く。しばらくすると、おそらく旧海軍時代のものと思われる鉄筋コンクリート製の塀に行き当たるが、兵が始まってすぐのところに、木の幹に矢印の記入があり、OSMの表示通り脇道があるのを発見した。

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もっとも、Open Street Mapによれば下界に降りるまで一本道のはずが、途中で2方向に矢印が分かれていた。比較的真っ直ぐそうに見えた左の矢印に従って歩いたら、ほとんど道らしい道はなくなり、崖のような急斜面上に出てしまった。分岐まで戻って今度は右へ。

しばらく歩くと、唐突に山道脇に目的の「横須賀軍港境域標」が立っているのに行き当たった。

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1枚目:石標の表側(山道に面している方)。「横須賀軍港境域標」「明治三十三年二月十三日」と書かれている。
2枚目:裏側、こちらは根元近くに「海軍省」と、おそらく石標の管理番号(続き番号)の「第四十九號」の文字。
3枚目:持っていた200mlのトマトジュースパックとの比較。ちなみにこのトマトジュースは無事石標発見の祝杯としてこのあと現地で頂きました(昔は、「うげっ、なんつーマズイ飲み物なんだ」と思っていたのに、最近はなぜか時々飲みたくなる)。なお、石標の高さはちょうど私の肩くらい(150cm程度?)。
4枚目:石標からちょっと離れた地点に、やはり人工物の低い石柱あり。関連性があるものなのかは不明。
5枚目:山道との位置関係。ふもと側から振り返る格好で撮影。
6枚目:ちょっと降りたところに、4枚目と同様の低い石柱がもう一つあった。

書かれている文言と年号は違うが、ぱっと見の印象と、示しているもの自体は、以前ここで紹介したことがある「東京湾要塞地帯標」に近い。

ただし、東京湾要塞地帯標は花崗岩(御影石)製であるのに対し、こちらは鉄筋コンクリート。また、東京湾要塞地帯標は、北鎌倉駅前のものは昭和十六年とあるので(材木座のものも恐らく同じ)、年代にも大きく開きがある。

以前から、軍用水道や標石に関していろいろ参考にさせていただいているサイト「東京湾要塞」に、この横須賀軍港境域標に関するページもあり、それによれば、同様の「横須賀軍港境域標」は、少なくとも6基が現存しているようだ。今回訪れた石標からさほど遠くない、十二所果樹園の中にももう一本(第五十一號)あるらしいが、保存状態は今回の第四十九號のほうがずっとよいようだ。

なお、上記ページに寄れば、この石標が建てられたのが彫られている通りに明治33年であれば、年号が記入された鉄筋コンクリート柱としては確認できる限り日本最古であるらしい。しかしその一方で、石標内の鉄筋は昭和に入ってからのドイツ製と判明したという調査結果もあるとのことで、どうにも謎。仮にこの標石自体は昭和のものだとすると、明治に立てた木標かなにかを、文言をそのまま写して鉄筋コンクリートで建て替えたとかだろうか?

もっとも、役割的には重複しそうな「東京湾要塞地帯標」なども順次新設されているわけで、古い標石をわざわざ文言を同じで建て替えたりするかなあ……。

●今季3回目、4回目のフキノトウを収穫して食べる。どちらも茹でてオリーブオイル和えにしたが、3回目は、さらにそのオリーブオイル和えを食パンに載せ、スライスチーズを被せて「チーズ・フキノトウ・トースト」にして食べた。苦みが気持ちよくなかなか美味。

もっとも、贅沢を言えば、もう一味、何か欲しかった感じも。

ベーコンでも載せればよかったかなあ。それともトマトソースをかけてフキノトウ・ピザトーストに?

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小坪高角砲台(改めて披露山)補遺

●歯医者に行ったついでに、ちょっと足を延ばして(このクソ暑いなか)またまた披露山公園に登ってきた(サルも暑そうだった)。

体調管理上、ちょっとずつでも歩いたほうがいいということに加えて、先日の横須賀「砲台山」の知見をもとに、改めて見直したい気もしたため。

20170808_154241 ●夏の間は見えないことも多い富士山だが、今日は江の島の向こうによく見えた。

写真は山頂広場展望台の足元から撮ったもの。先日の記事のこの写真とほぼ同じ場所・アングルで、ただし今回は手すりにくっついて撮っている。

すぐ足元が披露山庭園住宅、その向こうが逗子マリーナ。右手中景の岬が稲村ケ崎で、その向こうが江の島。富士山の左側が箱根で、糸切り歯のようにぽつんと尖っているのは金時山。

●現・展望台周りに関する補遺。

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展望台下の崖側は、写真のようにコンクリートの土台が張り出している。外装は新しいが、砲台時代も(ここまで張り出してはいなかったかもしれないが)ある程度の張り出しが設けられていたのではと思う。

なお、古くからの逗子の住民の方に聞いたところによると、かつては、展望台の根元部分はもう少し深く、すり鉢状遺構もさらに多く露出していた気がする、とのこと。

これまで気付かなかったが、展望台の北側すぐの場所に、写真2枚目のようなコンクリートの何かの土台がある。6×6の鉄パイプの骨が埋まっている。以前に載せた終戦直後の米軍の航空写真を見ても、はっきり何かがあるようには写っておらず、正体不明。(8/11追記。hnさんから「ジャングルジム跡では」というコメントを頂いた。言われてみればまさにそんな感じ!)

●現:猿舎に関する補遺。

先の記事で、

壁龕の数はおそらく8つ。ただし、8つの壁龕は45°の等間隔ではなく、階段とその隣の四角い小檻のある部分の左右の壁龕は離れていて、その分、他の壁龕間の間隔は45°より狭くなっているようだ。上写真でも、よく見ると一つ置いた壁龕間の角度は直角には足りていないように見える。

と書いたのだが、これはどうやら誤り。

実際には、hnさんの記事にある復元図のように、壁龕は等間隔に8つ、そして先日は気付かなかったが、兵員詰め所(もしくは待避所)の大きな窪み(現在は四角い金網が付いている)と階段の間にあった壁龕が埋められている(つまり現存している壁龕数は7つ)。

写真1枚目ではちょっと判りづらいが、実際に見てみると、埋められた部分のコンクリートが若干周囲と色が違うのが判る。その範囲を見た感じでは、どうも、壁龕の上部分が少し壊れていて、それをわざわざ手間をかけて補修するよりも、いっそ壁龕ごと埋めてしまった方が楽だったための措置という気がする。

兵員詰め所と向かって左隣の壁龕とは壁一枚の厚みで隣り合っているようで(写真2枚目)、要するに、元々は砲台山のものとまったく同じ配置だったようだ。

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前回「砲台山」記事へのhnさんのコメントで改めて気付いたが、各壁龕の入口周囲の角(出隅)は、かなりしっかり面取りされている(写真3枚目)。

面と面が出っ張った形で接している角は「出角」もしくは「出隅」、凹んだ形で接しているのは「入隅」と呼ぶのもhnさんに教えて頂いた。かば◎はあたらしいことばをおぼえた!(ちゃらら~ん♪)。

砲台山と共通していることが分かった床面の円環状金具は、こちらも一直線には並んでいないが、どうもその位置は砲台山と披露山とでまったく同じようだ。

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左が披露山、右が砲台山。何の用途だったのかちょっと気になる。

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砲台山

●披露山公園山頂の「元・高角砲台座」について、先日くどくどと書いたが、(前編中編後編)、その際、みやまえさんから、「うちの裏にある砲台山と同じ構造」というコメントを頂いた。

検索してみると、確かに披露山の猿舎内部とそっくり。俄然興味を覚え、実際に見に行ってみることにした。

●通称「砲台山」は横須賀市の南端近く、「三浦富士」と「武山」の間にあるピークで、本来の名前は「大塚山」であるらしい。披露山(小坪高角砲台)同様に旧海軍の高角砲陣地で、当時の名前は「武山高角砲台」である由。

「武山」と書くとつい「ウーシャン」と読んでみたくなるが(私だけ?)、読みは「たけやま」。前述の「三浦富士」~「砲台山」~「武山」間はハイキングコースとなっていて、鉄道の駅としては京急長沢駅が最もアクセスが近いようだ。

●ここ数日、しばらく前の酷暑が嘘のように過ごしやすい。「この機会を逃しちゃイカン」と思い立ち、4日金曜日、早起きして午前中に一仕事して、昼食をとってすぐに出掛ける。

上記の通り、京急長浜駅よりスタート。そもそも京急線で金沢八景(+逗子線)より先(南)に行くことはほとんどなく、特に横須賀中央より先なんて数えるほどしか乗ったことがない。

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長浜を降りたら、「三浦富士」~「砲台山」~「武山」のルートで歩く、ということは把握していても、事前に地図など印刷もせず、「とりあえず駅を降りたら内陸側に行く」程度の行き当たりばったりな行動計画。もっとも、駅前をはじめ、要所に上のような案内板が出ていて助かった(とはいえ、その「要所」は少な目で、山道に入る前も、入った後も、合わせて数回道の分岐を間違えた。……いや、自分で地図用意しとけって)。

夏の盛りだというのに気温も高くなく、日も照りつけておらず、数日前に降った大雨からか地面は濡れているけれどぬかるんではいないという、格好のハイキング・コンディション。――と思ったのだが、風がないうえに林内は湿気が高く、みるみる汗だくに。しかも歩き始めてすぐに、ちらちら細かい雨粒が当たる怪しげな空模様になってしまった。まあ、それでもカンカン照りよりはましな気がするけれど。

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上左はルート上の最初のピーク、「三浦富士」山頂。右はその後ちらりと見えた海(東京湾側、津久井浜方面……たぶん)。

20170804_151049 ●そしてメインの目的地である砲台山(大塚山)。

山頂には、海上保安庁のものだという通信施設の大きなアンテナがあり、地上の小さな建物ごと金網で囲われている。アンテナの鉄塔の上には、おそらく30羽を超えるくらいのカラスの群れ。ぐわあぐわあうるさい。

横須賀観光案内のページの明るい写真を見た印象、それから披露山山頂からの類推で、見晴らしのいい、ある程度広い山頂広場のなかに砲台跡がある光景を想像していたのだが、実際には、通信施設の脇の割とせせこましい場所に唐突に砲座の穴が開いていた。さらに、砲座のすぐ近くまで木立が迫っていて、周囲の風景は何も見えない。

▼全景はこのような感じ。ほぼ三方から木立が迫っている。

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▼似たようなカットで披露山公園猿舎と比較。左が披露山公園猿舎、右が砲台山。ほとんど同形状であるのが判る。

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▼縁から中を覗く。

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中央、砲架があった小円部分を囲んで六角形に白っぽくなっているのは、披露山公園の猿舎にはなかった特徴。最後の2枚は、内壁の窪み(壁龕)の真上に立つようにして撮ってみたもの。どうやら、六角形の辺の位置は、壁龕位置とも階段位置とも何の関連性もなさそうな感じ。

▼砲台内に降りる小階段。内壁の傾斜がおおよそ判るように、なるべくカメラを水平に持って左右壁も撮ってみた。

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▼内壁に開いている、弾薬の仮置場と考えられる壁龕(ニッチ)は8つ。階段脇から時計回りに撮ってみた。

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披露山猿舎とは壁龕・詰め所(?)の配置が若干異なっている。壁龕の配置は、こちらではすべて等間隔。

▼内壁の穴のクローズアップ。1,2枚目は上の写真の順番で言うと6号ニッチ、3枚目は4号ニッチ(たぶん)。披露山猿舎のニッチは単純な四角形断面のようだが、ここ砲台山のものは、上左右角がナナメになっている。建造時期の差? 請負業者(あるいは部隊)の差? 4枚目は兵員の詰め所?かと思われる大型の穴。一部崩れているが、草藪になっていて詳細は確認できず。もともとは披露山の猿舎同様、天井もあった可能性がある。

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▼砲架跡丸穴の一方(おおよそ北側)に、何かの取付架であったと思われる円環状の受け金具のようなもの/その他がある。披露山猿舎の底面にも同じものが確認できる。そういえば、披露山の金具もほぼ北側にあったような。何かしら方角に意味があるのか、たまたまなのかは不明。

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円環状金具は3つ、およびもともとはこの金具がついていたと思われる6本のボルト(それとも鉄骨?)だけの部分が1カ所(写真4枚目)。写真5枚目はボルト(あるいは鉄骨)が菱形に4本だけで、明らかに別用途のもの。写真6枚目の丸いくぼみはボルト(あるいは鉄骨)が認められず、円環の痕跡なのか違うのか判別できず。

3枚目以降の個別の写真は、1枚目写真の手前から(階段側)からの順番。1枚目写真を見て判るように、これらは(円環状金具部分だけをとっても)一直線上には並んでいない。

▼コンクリート内壁の表面の粗さはこれくらい。

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模型を自作したい方は是非参考に(そんな人いるかな……)。

▼砲台山山頂に向けてぐるりと回り込むように上がる道の途中に「ポケモンgo」のポケストップが設定されていて、確か「高射砲の方位盤」という名前でコンクリート製構造物の写真が出ていた。石柱のような、キノコのような格好。

なんとなく公園の水飲み台くらいの大きさのものを想像していて、登る時には見落としていたのだが、下りの時に発見。なんと高さ4メートルほどもある巨大なものだった。あまりに想像と違い過ぎて気付かなかった。

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1枚目は道の山頂側から、2枚目は下側から。道に沿って2本並んでおり、山頂側の柱は下1/3ほどに大きくヒビが入っているだけでなく、根元が崩れて穴があいている。柱の中は中空になっているらしい(写真3枚目)。下側の柱は上の方に、作られた時からのものと思われる横/斜めの溝がある(写真4枚目)。

よく参考にさせて頂いている「東京湾要塞」サイトのこのページによれば、このコンクリート柱は山頂と渡り廊下で結ばれた計測所の建物のもので、コンクリート柱は機器の基礎を兼ねていたという。「ふ~ん。披露山にも昔はこんな感じのものが立ってたのかね?」と一瞬思ったのだが、考えてみれば披露山は山頂が広く、砲台の北と南に(地べたの上に)建物があるのだった。

5枚目写真は、さらに武山方向に下った場所にある、コンクリート製の天水桶のようなもの。これも当時の遺構と思われる。

▼上記「東京湾要塞」の解説ページによれば、砲台山には高角砲台は(披露山同様)3つあったらしい。ひとつは海保の通信施設の下になってなくなったが、もう一つは、上の写真の木立の奥に残っているのだという。藪の薄い季節に、もう一度行ってみるか……。

●一応我が家のご近所(隣の市)ではあるものの、三浦半島もここまで南下すると森も深く、逗子ではなかなか見られないような虫もいる。

まだそれほど山に入っていないところで、前翅が茶色、半分ほど除く後翅が綺麗なオレンジ色の中型の蛾に遭遇(というより、なにやらオレンジ色の目立つものが目の前を横切って、横の藪に止まったのだ)。

さっそく写真を、とオタオタして、スマホを構えて改めてその蛾を見たら……一瞬目をそらしている間にどこかに飛び去ってしまっていた。惜しい。きちんと姿を捉えていないので、種類も判らず。アケビコノハとか、なんとかキシタバとか……? 惜しい。

と、そんな残念さを大いに補って余りあるものに逢えた。

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逗子でも、名越切通途中で一度見たことがあるアサギマダラ。渡りをする蝶として有名で、春に北上、秋に南下、日本で夏に見られるものは海を渡って先島諸島や台湾までも行くという。こいつはどこまで行くのやら。

ひらひら飛んでは翅を広げてスーッと滑空する独特の飛び方(とはいえコミスジほどゼンマイ仕掛けっぽくはない)。飛んでいる時は下から見上げる形になるが、この写真で一見ただ白く見える部分は光が透けると薄青(名前の由来の浅葱色)の綺麗なグラデーションになる。

ほぼ同じところをずっと飛び回っている姿をしばらく眺めて、「蝶が飛んでいる」程度しかわからないような動画を(とりあえず証拠として)撮ったりしているうち、道の脇に止まってくれたので写真を撮ることができた。角度的にもピント的にもイマイチ感はあるものの、とにかく初めて間近で撮れて嬉しい。

●その他、ハイキング途中のいきものあれこれ。

1枚目:三浦半島一帯どこにでもいるタイワンリス(クリハラリス)。この日も何度も遭遇。こっち見んな(と、向こうも思っているに違いない)。

2枚目:やたらに巴紋が立派なオスグロトモエ。これは近所では見たことがないかも。陰陽道とか使いそう。

3枚目:これは近所でもお馴染み。普通のシオカラトンボに比べて青い!黒い! オオシオカラトンボ。

4枚目:はっきり言ってでんでんむしむしカタツムリの種類の見分けはさっぱり。ここまで茶色いのも模様の個体差の範囲内?

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●ちなみにその後武山山頂でまともに雨に降られた。そのあたりの写真がないのはスマホのバッテリーが切れたため。

バッテリーそれ自体が劣化していることに加えて「ポケモンgo」およびカメラの消費電力が高いらしく、最近は下手すると半日持たない(実際にこの日は4時間足らずしか持たなかった)。

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改めて披露山(後編)

●軍事遺構としての披露山公園の観察記オマケ。

長くなったので、前編に貼った終戦直後および現状(2014年)の航空写真比較を再掲しておく。繰り返しになるが、写真は国土地理院地理空間情報ライブラリー、「地図・空中写真閲覧サービス」より。終戦直後のものは1946年2月に米軍が撮影したUSA-M46-A-7-2-84、現況は上写真と同じCKT20141-C5-8より切り出し・加工。

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披露山公園山頂広場は写真のように南北に細長いが、3つの高角砲台跡(⑤花壇、⑥展望台、⑦猿舎)がほぼ同一レベルにあるのに対し、猿舎より南の海側は、1段低くなっている(1~2m程度?)。

●公園南端から、逗子湾側を見下ろす(下左写真)。

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逗子湾との間にまだ山並みが少々続いているため、こちらも鎌倉側同様、湾奥(逗子海岸)は見えず、わずかに湾口と、その向こうの葉山の海が見える程度。やはり海岸線防衛用途は考えていないようだ。

右写真。南端近くにはベンチと、元は藤棚かバラ棚かだったのだろうが、現在はワクだけになった展望スポットがある(⑨)。写真左端に見えているのは猿舎。写真中央に写っている木立の位置には、終戦直後の写真を見ると、何か小さな建物があるのが判る。監視所分室のようなもの、あるいは兵員の詰め所か。

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その場所には、現在、水道施設の小さな建物がある。建物自体は古いものではなさそうだが、一段掘り下げてコンクリートで作ってある土台部分は高角砲陣地時代のもののように見える。

●山頂広場から西側への遊歩道を降り、披露山庭園住宅を挟んで向かい側には、大崎公園がある。披露山山頂よりは一段低い場所にある。

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この表示を見ると、披露山公園の山頂広場より15mちょっと低い。下写真2枚は、大崎公園から見た披露山山頂を見上げたもの。

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左写真中央に披露山公園展望台、右写真中央に山頂広場突端のベンチ周りの「ワク」が見える。

披露山山頂より低いとはいえ、こちらのほうが海に突き出した岬の真上にあるので見晴らしはよく、逗子湾も一応砂浜が(全部ではないが)確認できる。

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ちなみに、大崎公園突端あたりは昔は「よばわりやま」と呼ばれたそうで、岬の上から魚の接近を見張って大声で知らせたのだという。逗子市教育委員会発行の「逗子市内の地名調査報告書」(1998年)には、

昔は「ヨバワリヤマ」から知らせが来ると、かじきまぐろなどを突きん棒でよく獲ったものです。

という回想が載っている。

このサイトによれば、この大崎公園の場所にも、披露山山頂の高角砲陣地と関連して、聴測所等があったらしい。もっとも、披露山山頂ほどの旧軍事施設らしい痕跡は見当たらない。

よくよく探すと、当時のものであるらしい、何かの機器か機銃の台座の可能性もあるコンクリートの小構造物(の残骸)があるそうなのだが、今回は(そこまで本気で探さなかったので)見つけられなかった。

●なお、この大崎公園西側(小坪漁港側)の崖下には、大戦中のものかと思われる壕がいくつか開口している。写真は何年か前に撮ったもの。

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最後の写真に見るように、これらの壕は奥でつながっているらしい(オオゲジ等がワサワサいそうな気がするので入ったことはない)。

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改めて披露山(中編)

●逗子市立披露山公園、元・小坪高角砲台レポートの続き。

ちなみに(前回書かなかったが)、この披露山山頂は現在の住所で言えば「逗子市新宿」であって「逗子市小坪」ではない。それがなぜ「小坪砲台」なのかと言えば、昭和18年まで新宿は小坪の一部(東小坪)であったため。

●入口から数えて2番目の砲台跡である展望台(前回現況航空写真の⑥)。

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ただし前述のように、小坪高角砲台には3基分の砲台跡があるものの、実際には12.7cm連装高角砲は2基しか配備されず、この展望塔になった場所には、探照灯か測距儀か、要するに高射砲の「周辺機器」が据えられていたらしい。

ちなみに小坪高角砲台は日米開戦前に建設されているが、なかなか砲は配備されず、一度決まった砲が軍艦に回されてしまったりして(もともと12.7cm連装高角砲は艦載用途なのでそちらが優先されたものか)、実際に配備されたのは1942年6月になってからだった由。その2カ月前にはドーリットルによる日本本土初空襲があったから、それを受けて慌てて配備したのかもしれない。

さて、展望台は中心の太い柱で支えられ、その柱の両側に螺旋階段を添わせた形状。展望台下の崖側はウッドデッキ(左写真で奥側)、反対側(階段入り口側、左写真で手前側)はコンクリートで地面と同レベルになっているが(階段手前はさらに一段高かったかも)、北側(左写真で右側)一部だけは一段窪んでいる。この窪みの外周が、猿舎と相似の傾斜面になっているのは、hnさんの記事を読んで改めて気付かされた部分。

展望台階段脇には(東日本大震災後にあちこちに掲示されるようになった)標高掲示があり、この地点(おおよそ山頂広場全体)が92.5mの高さであることが判る。

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展望台に上らずとも、この展望台下の崖際は披露山山頂広場の中でも見晴らしのいいポイントのひとつ。暑い日の午後、もやっているうえに逆光なのでこんな感じだが、時刻や天候、季節によっては、正面の江の島の向こうに富士山が綺麗に見える。

もっとも砲台の立地として考えると、手前の(現在の披露山庭園住宅の)高台に遮られて小坪湾は見えず、右手中景に出っ張った飯島崎のために鎌倉湾も見えない(さらにその向こうは稲村ケ崎)。もともと12.7cm連装高角砲(四十口径八九式十二糎七高角砲)は対空・対艦両方に使える両用砲として作られたものだそうだが、仮に山頂西端にあるこの場所に砲が据えられていたとしても、こちら側の海からの侵攻への対処は考慮されていなさそうだ(そもそもほとんど俯角が取れないすり鉢砲座になっている時点でそうだとは思うが)。

ちなみに飯島崎の崖面には、まさに対艦の防衛用として、洞窟型の「西小坪海面砲台」が作られていた。この洞窟砲台では、終戦後、地元の子供たちが入り込んで遊んでいる際に未回収の弾薬が爆発、14人が死亡、23人が負傷する事故が起きている。これについては以前にも記事にしている。

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上2枚は展望デッキの写真。

砲台とは関係ない話だが、デッキ外周の壁が外側に向かって広がる形に傾いているためなのか(加えて、天井が中心に向かってわずかに下がっていることも関係しているかもしれない)、この展望デッキは、「常に自分がいる場所が一番高く、反対側に向けて床が低くなっているように感じる」という、非常に不思議な感覚というか、ある種のだまし絵的不安感を抱かせるものとなっている(最初は、「あれ? この展望台、もしかしたら傾いてる?」と思った)。写真ではうまく伝わらないだろうし、もしかしたら、たまたま私がそう感じただけなのかもしれないが。

もちろん、展望デッキに上がって、遠くの景色を眺めて「うわー綺麗だねー」と言ってすぐ降りてしまえば気付かないままだと思う(それが本来の用途ではあるが)。もし披露山公園においでになる機会があったら、展望台に上って景色とは逆に柱側を向いて確認してみて欲しい。

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花壇および猿舎は、直径12mの「コンクリートのすり鉢」の外側はそのまま地面だが、この展望台だけはさらに1m幅くらいにコンクリートが打ってある。よく見ると、コンクリート表面に点々と穴を補修した跡があり、すわ、機銃掃射の跡か!?と思ったのだが、よくよく形を見ると、どうも犬の足跡のようだ(あるいはもしかしたらタヌキ?)。コンクリートが固まる前に迷い込んだものか。

展望台から落ちる雨水などで周囲がぬかるまないようにとか、そんなような理由で展望台建設時、あるいはその後に追加で打設されたものではと思う。

●3つめの砲台跡である猿舎(前回現況航空写真の⑦)。……ようやく!

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先述のように、コンクリートで作られたすり鉢状の構築物は、ほぼ当時のまま。その上に、ドーム状の金網と、金網から1mほど?離れて柵が設けられている。

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猿舎内は2m程度すり鉢状に掘り下げられており、斜めになった周囲の壁面には弾薬の仮置き場か、四角い壁龕が並んでいる。

これまではボンヤリと「要するにこういう形に作った猿舎なんだな」という先入観で見ていただけだが、実際、他の場所の遺構の写真と比較しても当時の高射砲陣地の形状をほぼそのまま残しており、猿舎内も、目立つ変更点は南西側に作られた猿山と中央の水飲み場、さらにその中央の檻の支持柱程度。

自分の立っている側の壁面は見えないので(しかも猿舎の間近に立っていると、この暑い季節、結構匂いがきついので)念を入れて数えてはいないのだが、壁龕の数はおそらく8つ。ただし、8つの壁龕は45°の等間隔ではなく、階段とその隣の四角い小檻のある部分の左右の壁龕は離れていて、その分、他の壁龕間の間隔は45°より狭くなっているようだ。上写真でも、よく見ると一つ置いた壁龕間の角度は直角には足りていないように見える。(8/8追記。これはどうやら勘違いだったようだ。補足記事参照)

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この小檻の中の構造に関しては、たまたま猿の飼育員さんがいて聞くことができた。檻の奥は壁龕よりもずっと大きな空間(地下室)になっており、「外に出ている檻の2倍くらい奥行きがある」由。猿舎としてわざわざ小檻を作った理由は聞き忘れたが、小檻の扉は通常は開放してあり、暑い日には猿が地下室に入って涼んでいることも多いそうだ。

砲台当時の用途は、警戒態勢時の兵員の詰め所、もしくは銃爆撃の際の避難所かと思うが、私にはよく判らない。

なお、「すり鉢」周辺は基本は土の地面だが、この小檻(地下室)の入り口付近の上だけは若干コンクリートが露出している。hnさんがレポート前編で引用しているほぼ同形の砲台の戦時中の写真(山口県大津島高角砲台のもの?)では、この「控室」は天井がないので、ここも戦後に天井を被せて地下室化した可能性はあるかもしれない。

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猿舎内に降りる階段。階段そのものは砲台時代のままのようだが、扉は階段の約半分の幅しかない。猿舎を囲む金網の下にはコンクリートの脚(土台)があるが、これはすり鉢状の砲台の構築物の上に、金網を被せる際に継ぎ足して作ったものと思われる。このコンクリートの脚は、階段部分も(扉の直下を除いて)コの字に囲んでいる。

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中央の現・水飲み場が、もともと高射砲の砲架が据えられていたところで、元は前回冒頭に貼った猿島の台座跡のように砲据え付け用のボルト列があったのではないかと思われる。

hnさんは「底の部分にコンクリートが全面に敷かれてるのは、戦前にはなかった仕様。」と書かれているが、ここ以外の同形式の高角砲陣地遺構の例を見ても、ある程度広い面積でコンクリート床になっていたのではと思われる。右写真には、水飲み場の外側に何かを取り外したような、鉄製の輪が埋まっているのが確認できる。砲台時代からのものである可能性があるが、正体は不明。

●付け足しのあれこれをあともう一回続ける予定。

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改めて披露山(前編)

●逗子市西北端に近い披露山の山頂一帯は市営の披露山公園として整備・公開されているが、ここはかつて海軍の高角砲陣地であり、円形の花壇・展望台・サルの檻は高角砲の台座を流用している。

――という話は以前から何度かここで話題にしているのだが、これに関し、hnさんがブログで面白い探訪・考察記事を上げていて、改めて興味をかきたてられたので、8日土曜日、散歩がてら出掛けてみた。

●そもそも「高角砲(高射砲)の台座を流用」といったところで、花壇・展望台・猿舎に作り替えるために掘り返してしまい、当時の名残りというのはせいぜい「円形であること」程度なのではないか……と、ずっとボンヤリ思っていた。

要するに、元の状態として、横須賀・猿島の高角砲台座のような状態を思い浮かべていたのである(下写真)。ちなみに、終戦直後に書かれた横須賀海軍警備隊「砲術科兵器目録」によれば、据えられた火砲は披露山(小坪砲台)も猿島も同じ12.7cm連装高角砲(正式な名称は四十口径八九式十二糎七高角砲)であったらしい。なお、猿島要塞探訪記についてはこちら

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しかしhnさんの記事によれば、特に猿舎は、ほとんど当時の高角砲陣地の原型をとどめているのだという。

猿舎はすり鉢状に2m近く窪んでいて、コンクリートの壁面には8カ所?の壁龕があるが、これは弾薬仮置場ではとのこと。hnさんが紹介しているこちらのサイトでは、山口県にある高角砲台跡(および当時の写真)が載っており、確かに披露山公園の猿舎内と瓜二つ。

これに関しては私が繰り返すよりも、hnさんの考察記事を読んでいただく方が早い。

披露山公園、あるいは小坪防空高角砲台(前編)
披露山公園、あるいは小坪防空高角砲台(後編)

実際にどのような感じに砲が据えられていたのか、hnさんは簡単に図面も起こされていて、これも判りやすい。

改めてウェブ上で披露山の高角砲陣地について検索すると、猿舎がほぼ砲台の原型を保っていることについて言及しているところもいくつかあり、私がそれらを読み飛ばしていただけだった。迂闊。

●そんなわけで、改めて撮ってきた写真を中心にあれこれ。その前におさらい。

以下は逗子市西北部の航空写真(国土地理院地理空間情報ライブラリーの「地図・空中写真閲覧サービス」、2014年9月撮影のCKT20141-C5-8より切り出し・加工)。

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中央やや右の黄色矢印が披露山公園、中央下のオレンジが大崎公園(後述)、左端上のピンク矢印が西小坪海面砲台跡。

その他の大まかな説明をしておくと、右下の砂浜が逗子海岸。中央の小判型の住宅地が、逗子のビバリーヒルズ的高級住宅地である披露山庭園住宅。他と比べて1軒ごとの建物のスケール感がちょっとおかしい。大崎公園左上が小坪漁港で、その隣の埋め立て地が逗子マリーナ。写真左上端にある岩礁のようなものが、鎌倉時代に船着場として作られた和賀江島

下は、披露山山頂付近のみを切り出し拡大、終戦直後の状態と現在を比較してみたもの。写真は同じく国土地理院の「地図・空中写真閲覧サービス」からで、終戦直後のものは1946年2月に米軍が撮影したUSA-M46-A-7-2-84、現況は上写真と同じCKT20141-C5-8より切り出し・加工。

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前述のように、高射砲の台座は3基分作られたのだが、実際の砲は2基しか配備されず、現在展望台になっている場所には測距儀か何かが据えられていたらしい。実際、上写真でも、真ん中のマルは上下とちょっと違って写っており、いくぶん窪みが浅いようにも見える。

●山頂の北東側、一段低くなった平場は、現在駐車場として利用されている(上写真①)。終戦直後の写真に写っているように、この場所には、もともと兵舎と思しき大き目の建物があったらしい。

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駐車場の東側突き当りからは細い山道があり、その先には憲政の神様と呼ばれた尾崎行雄(咢堂)の旧宅「風雲閣」跡がある(その向かい側は三文文士の元東京都知事邸だ)。これを記念して、駐車場中ほど北側には、尾崎行雄の記念碑が立っている。

駐車場の南側からも浪子不動(高養寺)に降りる山道があり、ハイキングコースの案内板が立っている。駐車場からこの道筋を少し降りたあたりに数カ所、コンクリートブロックでふさがれた横穴がある(上写真②のあたり)。高射砲陣地用の弾薬庫だったのではと思われるが詳細は不明。この2枚の写真は1年半ほど前に撮ったもの。

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駐車場から山頂広場に向けてゆるいスロープになっており、その中途にもコンクリートでふさがれた横穴跡のようなものがある(上写真③)。

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これも弾薬庫だったのか、それともこの上にも監視所・指揮所関連の建物があったようなので、その地下室と連絡していたのか。

スロープを登った右手には現在レストハウスがある(上写真④)が、これは監視所跡であった由。上の建物は新しいが、スロープ側に入口がある半地下はコンクリートの頑丈そうなもので、おそらく当時まま流用されているのではと思われる。

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●スロープ上から山頂広場を望む。手前に花壇、中央奥に展望塔、左手奥にちょっと隠れて猿舎が写っている。

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まずは花壇(上写真⑤)。二重の縁石に囲まれていて、その間は細いドーナツ状の池になっている。こんなにせせこましい池なのに(公園案内板によれば、3つの高射砲台座跡はすべて直径12mだそうだ)ザリガニが繁殖していて、子供たちのザリガニ釣り場になっている。ちなみにここのザリガニは結構スレていて、エサのさきいかを挟むまでは行くのだが、釣り上げようとするとするとすぐに離してしまうため、小さな網を持って行かないとなかなか捕まえられない。

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閑話休題。流石にこの花壇こそ原型との共通点は丸いことくらいしかないんじゃないか、と思ったのだが、hnさんによれば、他の2つ同様、もともとのすり鉢状のコンクリートの構造物はそのまま残っているらしい。どのように改造されたかの詳しい推察はhnさんの記事に譲るが、hnさんが実際に池に手を突っ込んで確認したところ(偉い!)、池の外周の壁面は垂直でなく、内側に向けて斜めになっていたという。外周は砲台そのままで、単にその上に縁石を載せてあるらしい。

長くなったので続きはまた改めて。

●「RWBY」のテレビ放映が始まったのだが、なんと大幅に中身が端折られていた。なにこれ。DVDプロモ用の撒き餌か何か? 吹き替え版で話が分かりやすいので続けて観たいとは思うけれど、かなりガッカリ。

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