軍事遺構

名越送水管路ずい道

●数日前、歩いて鎌倉駅前に出る途中、名越隧道脇の、ふだん鎖を張られているゴミ収集車駐車場が開いていたので、その奥の送水管路隧道入口の写真を間近で撮らせてもらった。

この送水管隧道についても、水道路(すいどうみち)についてもこれまでに何度も取り上げているが、基本的なところだけ繰り返すと、この隧道は、はるか中津川から横須賀まで引かれた軍港水道半原系(大正7年完成)のために作られたもの。軍港水道は戦後横須賀市に移管されたので、鎌倉市(反対側出口は逗子市)にあっても横須賀市の管轄下。

半原系水道は2007年に取水中止、2015年に廃止になっているが、この地点では鎌倉市内で合流した有馬系水道が並走しているため、この隧道は現役のはず。

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レンガは1段ごとに長手のみ・小口のみとしたイギリス積み。猿島で見られたフランス積み(フランドル積み)が明治前半によく見られるのに対し、こちらはそれ以降に一般化したもの。

最後の写真は入口の格子の隙間から撮ったもので、遠くに逗子側出口が見える。少なくともトンネル入り口付近は内壁もレンガ積みのまま保存されているのが判る。水道管は1本だけで、有馬系のものだろうか?

下は逗子・久木側。2015年5月に撮って当ブログにも載せたもので再掲。こちらはかなり手前からフェンスで仕切られて立ち入り禁止になっており、しかも夏季は両側の藪も茂るのでなかなか見づらい。

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●オマケ。久木川に架かる橋近くの、同水道の空気弁マンホール。ともに横須賀市の名と市章入りだが形が違う。鎌倉の海岸橋近くや、逗子の沼間あたりだと海軍の錨マーク入りの点検蓋もある。

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東京湾要塞

●先日、披露山庭園住宅入口の庚申塔の話をしたが、同様に、ポケモンgoの「ポケストップ」に選定されている、なかなかマニアックな小ランドマークについて。

横須賀線に乗っていて、北鎌倉駅で、何気なくポケストップの表示を開いてみると、「東京湾要塞第二区地帯標」なる石柱が出てきた。

そんなわけで、数日前、散歩の足を延ばして亀が谷坂を越えて北鎌倉まで歩いてみた。目当ての石柱はまさに駅の目と鼻の先。駅前の信号を渡った向かいにある。

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花崗岩製の四角柱で、上端はごく浅いピラミッド型。

正面:東京湾要塞第二区地帯標
右面:第四五号
左面:昭和十六年七月二十日建設
裏面:海軍省

「東京湾要塞第*区」というのは、おそらくセキュリティ上のランク設定のための区域指定で、実際の(東京湾防衛のための)要塞設備からの距離により、第一区~第三区まで設定されたらしい。水道路の標石ほかでさんざん参考にさせていただいた「東京湾要塞」のサイトに詳しい。要塞地帯標そのもののページはこちら。それによれば、「第二区」は(昭和15年の最終改訂で)防衛設備から5000m以内だそうだ。ちなみに、北鎌倉駅前から横須賀方面に線を伸ばすと、軍港ではなく、池子弾薬庫跡地あたりでちょうど5kmとなる。もちろん、この標石の位置が動いていないとした場合だが。

改めて前記のページを見て思い出したのだが、しばらく前に、みやまえさんが同じシリーズの標石の写真を、御自分のところの掲示板にアップしていたのだった。teacupの掲示板のURLの振り方がどういうシステムになっているか判らないが、とりあえず現時点ではここ)。

みやまえさんの写真の標石は先のページで言うと7番で、横須賀市武にあるもの。半分埋まっているので見えないが、おそらく「第一区」、しかもおそらく続き番号で建てられている標石の「第一号」。そのうち見に行きたいような気も。

●先のページによれば、もっとご近所にもう一本「東京湾要塞第*区」の標石がある。その脇を普段から比較的よく通るにも関わらず気が付かなかった。というわけで、そちらも改めて訪ねてみた。

場所は、鎌倉・材木座のぎりぎり小坪寄り。光明寺前の道が、逗子マリーナ方面(小坪海岸トンネル)、姥子台方面に分岐する三角地の角の先にある。

植え込みの中にあるうえ、半ば埋まっていて、これはさすがに傍を通っても気付かないわけだが、実際に探し当てても、表面の文字は読み取りづらい。そもそも民家の敷地内にあるので根元を掻き分けるわけにも(増してや掘るわけにも)いかない。

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先の「東京湾要塞地帯標」のページでは、北鎌倉駅前の標石と仕様が似ていることから、同じく昭和十六年七月二十日建設、区域指定も「東京湾要塞第二区地帯標」であろうと推定している。

ちなみにこの地点から5kmとなると、池子弾薬庫はすっかり通り越してしまう。横須賀軍港方面だと、沼間五霊神社あたりというひどく中途半端な位置。三浦半島東岸沿いに引っ張ると、ちょうど葉山御用邸が5km地点となる。謎。

●春の散歩の植物あれこれ。

アケビが芽吹き始め、花も咲き始めた。芽が食べ頃になるくらい伸びるのは、半月先くらいだろうか。

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モミジイチゴ(9日、名越切通)、ショカツサイ(9日、鎌倉大町)、ヒメウズ(11日、大切岸)、イワタバコの芽生え(11日、大切岸)。イワタバコの芽は縮緬のよう。

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つくし(9日、鎌倉扇が谷)、まだ開きかけのキブシの花(11日、大切岸)。キブシの花はおひたし・天ぷらなどで食べられると、とあるサイトに書いてあった。誰か食べたことがあるひといる?

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つい先日、「日本のタンポポとセイヨウタンポポ」(小川潔著)という本を読んで、改めてタンポポに注目中(というより、興味があったからこそ本を読んだのだが)。というわけで身近なタンポポ。

最初は近所のシロバナタンポポ。

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大切岸のタンポポ群。総苞外片の形状を見る限りでは在来種のカントウタンポポのようだが、交雑種も増えているそうなので「カントウタンポポの形質が濃い」くらいしか言えない。

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近所の野原で見たタンポポ。総苞外片の形状からはカントウタンポポっぽいが、花弁が黄色に白のメッシュ入りになっている。カントウタンポポとシロバナタンポポの交雑種の可能性はあるのか? 環境省「いきものログ」の種名調べ支援で問い合わせ中。

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猿島

●三浦半島の付け根に暮らして20年以上になるのだが、比較的「ご近所」であるにもかかわらず、これまで行ったことがなかった横須賀の猿島に初めて行く。

「横須賀市民割2017」として、猿島航路や記念館「三笠」入館料などが、今月一杯割引になっていたため。名称は「横須賀市民割」だが、横須賀市民だけでなく(逗子を含む)近隣市町民、横須賀市の国内友好都市住民も対象。

猿島は三笠公園から船で10分と、目と鼻の先に浮かぶ小島だが、東京湾内の自然島としては最大である由。明治時代から、東京湾および軍港横須賀の防衛のため要塞化され、その軍事遺構が多く残る。

同行はかみさんとちび。かみさんは子供が小さかった頃に来たことがあり、その頃は猿島側船着き場近くのレストハウスもなく、弾薬庫も勝手に入れたようだ。ちなみに今回は案内ツアーに参加したので、弾薬庫の一つに入ることができた。

●猿島内の写真あれこれ。

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レストハウス近くの小さな建物。何やら使用中の機械設備が入っていて、屋根もトタンなのでぱっと見で判断に困るが、実際には明治時代に建てられた探照灯用の発電棟だそうだ。

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島のほぼ中央を横切る切通しと、そこに設けられた弾薬庫。もともとは明治時代、東京湾防衛用に設置された要塞砲用に作られたもので、古い時代を示すフランス積み(表面が長短長短になる)のレンガが特色(写真3枚目)。弾薬庫は砲台の直下に設けられていて、弾薬庫内に入ると、部屋の角に揚弾用の縦穴がある(写真4枚目)。

なにしろ明治時代の設備なので、弾薬庫内の照明はランタンだったそうだが、火薬に引火することを防ぐため、弾薬庫のすぐ脇に別に細いトンネルを掘り、弾薬庫との間に嵌め殺しのガラス窓を設けて、その外側にランタンを置いたとのこと。写真5枚目はそのランタン室の入口(右側にわずかに見えているのが本来の弾薬庫入口)。

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切通しを北に歩くと、やはりフランス積みレンガの長いトンネルがある。トンネル好きとしては惚れ惚れとしてしまう綺麗なトンネルで、アーチ部分のエッジが妙にだが、これはオリジナルの状態なのか、修復されているのかは知らない。出口側は下り坂になっている。

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島の北側には、割合狭い間隔で、第二次大戦前に設置された海軍の高角砲台座が並んでいる(写真1、2枚目)。逗子の披露山公園の猿山・展望台・花壇も、もとはこんな状態だったのだろうと思う。2枚目はコンクリート製台座中央の、砲を固定していたらしいボルト。

3枚目は島中央部上の、明治時代の要塞砲の砲台跡。周りの放射状の横穴は揚弾された弾薬を収めるのだろうか? 向こう側の大きな穴の用途は?

このサイトの解説によれば、島中央部の第二砲台に設置されたのは二十四糎加農砲(4門)、北部の第一砲台に設置されたのは二十七糎加農砲(2門)であったらしい。この写真は前者。

●やはり「横須賀市民割2017」の対象だったので、久しぶりに三笠にも入った。

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1枚目:海側から見た三笠(猿島からの帰りの船から撮影)。

2枚目:さかみ。

3,4枚目:副砲ケースメート内側。砲操作員はそのまま砲郭内が寝室でもあった由。

5枚目:艦首左舷の錨。オリジナルかどうかは不明。

6枚目:艦橋、操舵室。

7枚目:鎮遠の主砲弾。

8枚目:ごく一部だけ残っている、オリジナルのチーク材甲板。

9枚目:日本海海戦戦利品のロシア海軍旗と、水兵の帽子の艦名リボン(海防戦艦アドミラル・セニャーヴィン)。

●その他の横須賀ネタ。ヴェルニー公園での写真2枚。

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1枚目:以前、船の科学館にあったという戦艦陸奥の主砲がヴェルニー公園に移設されている。現在はまだ周囲が囲われていて公開に向け整備工事中。

2枚目:公園向かいの海自潜水艦基地に泊まるそうりゅう型。写真では判りづらいが、2隻サイド・バイ・サイドでぴったり並んでいる。艦尾から激しく潮吹き中。wikipediaによれば、横須賀にいるそうりゅう型は第二潜水隊群の「ずいりゅう」「こくりゅう」だが……まあ、ぱっと見の区別なんて無理ですな。

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続・逗子の丸ポスト

●ほとぼり(何の?)が冷めないうちに、ということで、数日前に続き、逗子市内に4基残る丸ポストの残り1つを訪ねた。

この1基は池子のちょっと山の上、東逗子団地管理組合事務所前にある。ちょうど「池子の森自然公園」の週末の公開日にあたっており、久木側から公園を抜けて池子へ。理科ハウスの先から坂を上って団地に入り、ちょっと行くと、向こうに鮮やかな朱色が見えてくる。

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背後の製造者銘は土に埋まっていて見えない。

F1015336 ●丸ポストの近くの自販機で買ったUCCコーヒーがヱヴァ箱根缶だった。

もうずいぶん前から時々これを見るのだが、そんなに大量に生産しているんだろうか。神奈川限定で生産し続けている? 朝比奈のbookoff店舗内といい、今回の自販機といい、常にディスカウント価格(100円)なのも謎。いやまあ、もしかしたらどこでもUCCミルクコーヒーは100円なのかもしれないけれど。

あ、2年前に朝比奈で買ったのと同じ絵柄だ。

F1015402 ●前述のように池子には、「池子の森自然公園」(かつての池子弾薬庫跡地、現在の米軍管理地)を抜けていったのだが、広場の脇にクルミ(オニグルミ)が実を付けていた。食べてみたい!……でも自然公園内は動植物の採集は禁止。うう。

前回(初めて)訪れた際の記事にも書いたが、公園内は、もともと枝分かれした小谷戸のそれぞれに弾薬倉庫があったらしく、輸送用の引き込み線の跡が何カ所かで確認できる。

久木側と池子側を結ぶトンネル(New Hisagi Tunnel)の久木側すぐの脇道には、前回紹介したよりもはっきりレールが地表に出ていて、しかも、そのレールがまた分岐しているところも残っていた。

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4枚目はNew Hisagi Tunnelから見た池子側の空。丸く切り取られた空がいかにも夏っぽく青かったので。

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逗子駅から鎌倉側、名越送水管トンネルまでの海軍標石は、現存するものは池田通り交差点付近の2基と、久木新道~法性寺バス停間の1基のみで、前者の近くにあったほか2つの痕跡はもうまったくなくなってしまったものと思っていたのだが、三上金物店の隣に1つ、ほぼ間違いないと思われるアタマ(もしくは断面)が1つ残っていた。

白黒の模様の特徴から、ここで紹介されている3番の写真と同じものと思われるが、地図上の場所は3と4が入れ替わっているかも(現在は駐車場になっている、元日通前に痕跡が一つあったのが判っているので)。

●逗子のポスト4カ所を回り終わったので、次は葉山? ポストマップによれば、葉山には丸ポストが9カ所現存しているようだ。以前、県立近代美術館の葉山分館に行った際に2カ所見ている(1カ所はバスの窓からだったので撮影していない)。

あるいは逗子市内の庚申塔巡りなんてのも面白いかもしれない、と思ったが、これはそもそもいくつあるのかもよく判らない。しかし、どんな世界にも先達というのはおられるもので、検索したらこんなサイトに行き当たった。偉大なり。

名越切通入口(久木新道)の庚申塚など私の知っている範囲でもリストに入っていないものもあるので、探せば市内で30カ所くらいにはなるのかもしれない。

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逗子の丸ポスト

●最近ほとんど歩いていないうえ、梅雨入りのお陰でますます運動不足になりそう。というわけで、仕事の谷間と梅雨の晴れ間が重なっているのをいいことに散歩に出掛ける。

いつもなら当然山歩きが主体になるところだが、ふと気が向いて、逗子の丸ポストを訪ね歩いてみることにする。

●お隣の鎌倉は現在でも30もの丸ポストが現役で、これはおそらく自治体単位では小平市と並ぶ日本トップタイなのだが、それに比べて逗子市は寂しいもので、丸ポストは4基しかない。

ポストマップで確認すると、どれも我が家からは市の反対方向で結構遠く、そのためこれまで行ったことがなかった(1基か2基は前を通ったことくらいはあるかもしれないが、その頃はまだ丸ポストにそこまで入れあげていなかった)。

多少は幸いなことに、4基のうち3基は、ほぼ同一方向にある。そんなわけで、逗子の丸ポストの3/4を以下に。

▼逗子~東逗子間、水道路沿い。桜山1丁目2-21、寿し魚友横。こういうちょっと古めのお店の脇というのは、丸ポストが最も落ち着いて見えるポイントだと思う。

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▼東逗子駅先、県道24号線沿い。沼間3丁目2-1、長谷川たばこ店前。忍法木の葉隠れポスト。しばらく前までは横に自販機が並んでいたらしい。脇道を挟んで隣の一段高くなったところは、古木の下の庚申塔。

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▼横横道路逗子インター近く、県道から北にちょっと入った住宅地。沼間4丁目5-24。隠れんぼポスト。

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残る一基はちょっとルート的には外れていて、京急神武寺駅からちょっと上ったあたりの住宅地の中にある。

●上の3つのポストは、ほぼ、逗子駅~沼間の水道路沿いにある。水道路(すいどうみち)は、かつて海軍が軍港・横須賀の水需要のため、はるばる中津川から引いてきた軍港水道半原系(その後横須賀市に移管)の上に作られた道路で、鎌倉、逗子を横断して横須賀に続いている。

今までも逗子駅近辺から鎌倉側に関しては、当ブログでも何度も取り上げているのだが、沼間まで辿ったことはないので、ちょうどいい機会なので、旧沼間ポンプ場までの道筋上の海軍標石を拾える限り拾ってみた。

逗子駅ロータリー~下田橋

逗子駅に近い、比較的短い区間。ここは駅に近いのでこれまでにもよく行って見たことがあり、当ブログで最初に海軍標石と水道路の話題を出した時にも紹介済み。

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1枚目は駅前ロータリーから水道路に入って10メートルほど?の左側にあるもので、状態も非常によく、とりあえず「海軍標石ってこんなモノ」というのを見たい人にお勧め(そんな人がいるかどうかは別として)。

3、4枚目は辻に向かい合って残っているもので、以前書いたように、角にもう一つあったのだが、家を新築する際に撤去されて(削り取られて?)しまった。

下田橋下脇には青いカバーの掛かった水道管が走っているが、1本しか見当たらない。鎌倉材木座の「水道路」交差点よりこちら側は水道路のもとになった半原系と、その後で作られた有馬系が並行しているはずだが、半原系は2007年に取水停止、2015年には廃止になっている(横須賀市上下水道局)。1本しかないとなると、これは有馬系? それとも橋桁に隠れてもう一本ある?

下田橋~蓮沼橋

くねくね曲がる田越川は下田橋で水道路の北側に行き、蓮沼橋でまた南側になる(その後もまた交差するのだが)。水道路は、田越川と県道24号の間を、おおよそ逆への字に走る。海軍標石もぽつぽつあるが、それよりも、戦後になって立てられた「横須賀市水道局」標石がやたらにあり、場所によっては数メートル間隔で3つ4つ並んでいたり、道を挟んで向かい合っていたりする。

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以上は「逆への字」のおおよそ頂点くらいまで。1枚目は右側が水道路で、かなりの長距離をまっすぐに進む水道路の特徴が出ている。左側に顔を出しているのが、2枚目写真と同じ標石。

この区間の海軍標石は、頭の上に横須賀市水道局ほかの、金属の「境界」標識を埋め込まれる改造が施されているものがちらほらみられる(2,3,4枚目。5枚目写真は4枚目写真の標石のアタマ)。

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逆への字後半。距離はそこそこあるが、前半に比べ海軍標石はあまり見当たらない。1枚目はサイズから考えて「たぶん海軍標石じゃないかなあ」的なもの。2,3枚目は同じ標石で、頭に2つもタグが植えられている。

最後の写真は東逗子駅近く、ヨークマート脇の蓮沼橋を渡る水道管。太いほうが有馬系、細いほうが半原系ではないかと想像。向こう側に裏側だけ見える看板は、実際には両側に掛かっている横須賀市水道局の注意書き。

蓮沼橋~沼間ポンプ場跡

東逗子駅前後からしばらくは海軍標石は見当たらない……と思ったのだが、ここを見ると、駅前に一つある。なくなってしまったのかもしれないが、私が単に見落とした可能性もある。

しばらく行くと、水道路はまた田越川と交差し、すぐに県道24号と合流する。見当たらないと思っていた海軍標石だが、沼間会館前の、おそらく火の見櫓跡ではと思われるコンクリート製の台座の根元に1基、横倒しになって塗り込められていた。それからしばらく行くと、沼間コミュニティセンター(旧沼間公民館)に着く、センター下の細長い駐車場が、元のポンプ場跡地であるらしい。

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2枚目は沼間ポンプ場跡地、逗子側(上流側)の入口。5,6枚目は横横インター側(下流側)。両方とも、古い門跡が残っている。場内(現在は駐車場)の県道側には、西洋の城の狭間(ツィンネ)のような凹凸の付いた古い壁がある。もともと半原系水道は水源地から逸見の浄水場まで自然流下で水を通していたのだが、昭和6年、能力向上のためにこのポンプ場が設けられたのだそうだ。

最後の3枚の海軍標石は、上記壁の外側にあったもの。1枚目は逗子側端、3枚目は横横インター側端。これは前出の研究サイトでも取り上げられていない。ポンプ場跡のこの壁と県道の間は民家が並んでいるので、この3つ以外にも、民家の庭にぽつぽつと並んでいそう。自分の家の庭先に海軍標石。いいなあ(いいか?)。

この沼間ポンプ場跡地から県道(と田越川)を渡ってしばらく行くと逗子・横須賀市境の水道隧道があり、そこまでにもいくつか標石があるそうだ(というのを帰ってから確認した)。せっかくここまで来たのだから、足を延ばせばよかった。

●散歩の行き帰りの雑多なあれこれ。

F1015306 F1015305 我が家の前のアカメガシワには、この時季、しょわしょわした花が咲いてマルハナバチもよく来るのだが(右)、そんな中に、小さな、やたら丸っこいハチのようなヤツがいた。花から花へ、結構忙しなく飛ぶので、ハチ?アブ?などと思っていたのだが、どうもよく見るとハナムグリらしい。後で調べて、「ヒメトラハナムグリ」という種類らしいと判明した(左)。愛用しているポケット図鑑「日本の昆虫1400」には「数は少ない」とある。

F1015205 沼間、県道24号線沿いで見かけたスゴイもの。この写真はちょっとピンボケであるうえに角度もあまりよくない。むしろストリートビューで見たほうがいいかもしれない(もちろん、この先更新されたらどうなるかわからないが)。

とにかく、明らかに傾いていて、崩壊寸前の廃屋に見えるのだが、実は、まさに営業中の床屋なのだ(看板も出ていないのがますます不思議)。地元の人にとっては見慣れた風景なのかもしれないが、中で散髪中なのを見て驚いた。

F1015203 五霊神社は沼間の鎮守で、市のほとんど反対側在住の私には馴染みがないものの、お祭りもそこそこ盛んらしい。境内は県道に面してちょっと高台にあり、こぢんまりしている割に鎮守の森が大木揃いで、特に拝殿に向かって右側の大銀杏は立派。鶴岡八幡宮の大銀杏亡き今、もしかしたら一円で一番立派なんじゃなかろうか。いや知らんけど。

説明板には、樹齢は800年、いや1000年にも達するかもしれない、などと書いてあって、ということは鎌倉時代か、下手をすると平安末期にまで遡ることになるのだが、実際には、日本へのイチョウの伝来は室町時代と考えるのが妥当であるらしい(ということは、どんな大樹でも樹齢はおよそ600年が最高ということになる)。これについては、この研究レポートがなかなか説得力もあって面白い。もちろん、鎌倉の三代将軍実朝が甥に暗殺された際、甥の公暁は例の大銀杏に隠れていたというのは後々の創作だというのが定説となっている。

沼間ポンプ場跡地あたりから上の3つめのポスト(沼間4丁目5-24)方面に行くには、県道の脇を入って横須賀線の線路をくぐる。……のだが、この横須賀線下の歩道が妙に素敵度が高い。写真ではあまり面白さが伝わらないかもしれないが、とりあえず写真と説明を以下に。

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横須賀線は、ごくごく短いガーダー橋で一番上を通っている。この橋はもともとは田越川と交差するもので、鉄橋から川面まではそこそこ高さがある。その間に、後から歩道橋(これは両方の川岸と同レベル)をくぐらせてしまったのがこの状態。歩道とガーダー橋は、頭をぶつけるほどではないが、かなり接近している。狭いところ潜り抜けマニアとか、「すぐ頭の上を電車が走るところを実感したい」人にもお勧め。

逗子の中心、亀岡八幡(市役所隣)の脇の入口には、古い街灯柱が立っているのだが、そこに、その街灯柱の製作者であるらしい会社の鋳物のプレートが付いている――というのを先日facebookの逗子ニュースグループで教えて貰ったのを思い出して見に行った。電話番号に局番がなく、「蒲田」局で掛けるようになっているのが時代がかっている。またよく見ると単なる銘板ではなく、上にはヒンジが付いていて、実際には街灯柱点検用の小扉であるのが判る。入口の両側に立っているのだが、もう片方の電灯柱はこのパネルがなくなっていた(ちなみにこちら側は街灯本体も失われていて、柱のアタマにはガイシだけがぶら下がっている)。

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池子弾薬庫跡

●連続お散歩ネタ。

26日土曜日。そういえば先週末から、「池子の森自然公園」が土・日・休日のみ公開になったんだったと、ふいに思い出し、午後、チビを連れて散歩に行く。

●「池子の森自然公園」は、有名な(といっても、現在、世間一般にどれだけ知名度があるのかよくわからないが)「池子弾薬庫跡地」の米軍接収地の一部が、新たに公園として整備されたもの。

池子弾薬庫は、かつて海軍が、横須賀海軍基地に間近い、現在の逗子市~横浜市の山地に作った倉庫・弾薬庫地区で、戦後米軍に接収され、現在もほとんどは米軍管理下にある。

かつては大きな反対運動の波があって、逗子市の選挙の大きな争点にもなった。その理由は、弾薬庫として利用されなくなってからも返還は進まず、その代わりに米軍の住宅地としての転用が決定したからだが、結局、国に押し切られる形となり、ぶっちゃけた話、「もう建てちゃったもんはしょうがねーなー」的な諦観から、現在は表立った反対運動などはない(が、もちろん地道な返還要求などはある)。

まあ、とりあえず、沖縄の多くの米軍施設のように第一線の基地機能があるわけではなく、軍用車両だの軍用機だのが我が物顔に往来するということがないというのも大きいし、そもそも戦前に海軍が接収したもので、直接的に、土地を取り上げられて悔しい思いをした人たちがほとんど亡くなっているということもあろう。

また正直な話、仮に戦後すぐにこれらの土地が戻って来ていたとしたら、今頃は、盛大に西武あたりに掘り返されて新興住宅地に変わり果てた後だと思う(もちろん、だからといって国が勝手にアメリカに進呈しちゃっていいものかどうか、というのは別の話だ)。

ちなみに「池子弾薬庫跡地」、現在の正確な名称でいうと「池子住宅地区及び海軍補助施設」は、その大部分が逗子市池子(かつての池子村)にあるための名称で、北東側は前述のように一部横浜市に入り、西側は逗子市久木に入る。

F1013934 ●さて、「池子の森自然公園」は、その米軍管理下の土地のうち、住宅地としては利用されていない一部を、逗子市が国や米軍と交渉し、公園として整備し公開するもの。「返還」ではなく、「共同使用」という形なのでゲートの内側なのだが、先週末以降、特別に申請だの身分証のチェックだのもなく、一応公園として指定された範囲内であれば気軽に入ることができる。

池子側のメインエントランスに近い一部は「スポーツエリア」で、陸上競技用グラウンドだの、野球場だのテニスコートだのがある。これは以前から申請すれば使える施設だったはず。

F1013935 その奥のトンネルをくぐった先が今回公開されたキモの「緑地エリア」で、だだっ広い、かつての里山の平地が芝生に変わったような地域になっている。山の部分は戦後の開発等が一切入っていない遷移林で、「森林保全エリア」として基本立ち入り禁止。中央の池(おそらくかつての農業用溜池)も外来魚がいない貴重な「水環境保全エリア」として立ち入り禁止になっている。この「緑地エリア」は、基本全域が逗子市久木に属し、かつての「柏原村」にあたる。

久木側にも、公開日には自由に出入りできる小さなエントランスがある。今回は行きも帰りもこちらを通った。

●中はこんな感じ。基本、遊具などは何もなく、途中、東屋や、あちこちにベンチとテーブルなどは置いてあるものの、要するに「だだっ広さを楽しむ」感じ。左写真、まあ、よく顔が判らない大きさならいいでしょうってことで、中央に写っているのがチビ。来月から小学生。

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その「ベンチやテーブル」があるのは、ほとんどが谷戸の左右の行き止まりの枝道の部分。昔の航空写真などではその場所に建物があり、おそらくそこが地上の弾薬庫または倉庫だったようだ。なお、そんな場所の一つに、塗装はボロボロだが迷彩された物置があった。それほど古いものではないので米軍が建てたものだと思うが、ここは軍用地なのだと実感させる。

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山裾部分のあちこちに横穴。やぐらもあるのかもしれないが、ほとんどは軍が掘った壕とか地下倉庫ではないかと思う。左写真など、入口も大きく、奥も深そうな印象だった。

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もともと弾薬庫跡であった名残をもういくつか。「何だかアヤシイものがあっても不用意に触ったらアカンでー」という看板と、緑地エリアの奥で見つけた線路跡。レールははがされておらず、地面からうっすらと覗いていた。弾薬の輸送用に各谷戸に線路が張り巡らされていたらしく、おそらく、現在の池子側メインゲートで、軍用引き込み線(現在の総合車両製作所・横浜事業所回送線)に接続していたのではないかと考えられる。概略はこちらのサイトで。以前に撮った横浜事業所回送線の写真はこちら

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池子側と久木側を結ぶトンネルの銘板。1992年とあるが、もともとこの場所には1941年開通のトンネルがあったはずで、拡幅して掘り直したものか? 「New Hisagi Tunnel」という名称は、その旧トンネルに対してのNewなのか、それとも久木と山の根を結ぶ久木隧道に対してのNewなのか、どちらだろう。久木隧道に関してはこちら(先述の回送線についても書いてある)。右は、トンネルの池子側、池子遺跡資料館脇の消火栓。とってもアメリカンな感じ。

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池子側、グラウンドの整備工事の際に出たらしい、シロウリガイ(第三紀中新世、約440万年前)の化石岩塊。露頭は埋め戻されているが、調査の際に掘り出された、化石の詰まった巨大な岩塊がグラウンド奥に展示されている。右はトンネルを迂回して山越えする散策路途中のニリンソウ。葉の形がトリカブトに似ているので、(私のような)にわかが不用意に手を出さない方がいい山菜。とはいえ、こうして花が咲いていれば明らかに違う。

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ウミユリ

●金曜日(4日)から泊りがけで実家。荷造りだの障子張りだのする。

ついでに床下の物置に潜り、中学・高校時代に採集した化石をまた漁る。先日持ってきたいくつかの標本同様、「理科ハウス」に寄贈予定。

今回持ってきたのは、

F1011418F1011416▼ウミユリ。古生代二畳紀。大垣市、美濃赤坂金生山産。石灰岩の表面が風化し、細かなウミユリの茎(支持体)部分がびっしりと浮き出ている。

金生山では茎の太さが3~4センチもあるような巨大なウミユリの化石も算出し、実際にそんな太い茎化石の一部も採集した覚えがあるが、これはせいぜい径5mmくらいまでの細かいものが固まりになっている。

F1011424▼フズリナ(パラフズリナか?)。古生代二畳紀。たぶん栃木県佐野市葛生(当時は栃木県葛生町)産。風化して、フズリナだけが残ったもの。前回持ち帰ってきた標本と同じ時、同じ場所で採集したのだと思う。

石の入った箱の中にパラパラと落ちていた。実際にはもっとたくさん採って、瓶詰めにしておいたように思うのだが、そこからこぼれ落ちたものか?

F1011423F1011420▼アンモナイト。中生代白亜紀。これも前回持ち帰ってきた標本と同じ、北海道留萌郡、小平蘂(オビラシベ)川上流産。かなり大きなアンモナイトの、ごく一部分(それでも握りこぶしより大きい)で、表面の貝殻は失われ、縫合線が見えている。

専門家が見れば縫合線からある程度種類を絞り込めるのかもしれないが、私は「ああ、アンモナイトだなあ」くらいしかわからない。

ほかにもたくさん床下から出してきたのだが、ウミユリ石灰岩が大きくて重かったので、今回はこれだけ。

F1011412●毎年恒例、兄弟分のドイツ人Pの実家で作ったシュトレンを今年ももらってきた。発作で倒れて以来、ママは思うように体が動かないらしく、今年もママの監督総指揮のもと、パパが作ったものであるらしい。

それでも(さっそく一切れ味見してしまったが)甘すぎず、しみじみと美味しい。

「ああ、これを何切れも贅沢に食べてみたい!」と思うが、そこをぐっと我慢して、クリスマスまでちびちびと食べる予定。それにしてもこう並べると、シュトレンも化石に見えてしまう。

F1011440F1011432●我が家のある逗子市の外れから鎌倉市に入ってすぐ、名越坂の途中に小さな古い工場というか作業場があったのが、しばらく前に取り壊されて更地になっている。

建物の向こう側にあって見えなかった崖面に横穴があるのが判明したが、入り口からすぐにいくつか部屋か通路が分かれていて、やぐらなのか、防空壕なのか、あるいは物置用に掘った穴なのか、あるいは元あったやぐらを掘り進めて防空壕なり物置なりにしたのか、よくわからない。

F1018198F1018199それはそれとして、この作業場?の建物の前には、「海軍用地」と書かれた花崗岩製の標石があったのだが、更地にした際に同時に撤去されてしまったらしい。1本は建物入り口近くに立っていて、もう1本は元はどこに立っていたのか、建物前に転がされていた。右写真はかつての姿で、今年3月に撮ったもの。

名越坂は鎌倉・逗子を横断する、海軍が敷設した水道路の一部で、道沿いに「ダブル山形+海」と彫られたコンクリート製の海軍標石が点々と残っている。しかしこの場所にあった「海軍用地」の標石は材質も書式(?)も違っていて、他では見ないタイプだった。何か特別な設備か何かでも置かれていたのかもしれない。

F1011434いずれにせよ、もしもそのまま捨てられてしまったのだとしたら惜しい。

なお、建物があったときには(おそらく完全に埋まっていて)判らなかったのだが、道のすぐ脇に、別の標石があった。頭だけしか見えないので確認は出来なかったが、材質、大きさからみて、「ダブル山形+海」の標準タイプの海軍標石の可能性があるのでは、と思う。

●12月1日より、「週末模型親父」さんのところでSUMICON2015に続いて、「軽戦車コンペVol.1(K-CON)」がスタートした。

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SUMICON2015参加作、I号戦車A型改は未完成で放置してある状態だが、懲りもせずにエントリー。これの製作記も当ブログにアップしていく予定。

ちなみにやはり「組立終了・未塗装」でSUMICON2015を終了したme20さんは、そのまましっかり、FIAT3000の塗装工程を終了。実に美しく、しかもその塗装がディテールをくっきり浮き立たせていて、こんなのを見てしまうと、「ああ、ウチのタウロのFIAT3000はもう死蔵しておくしかない……」とさえ思えてしまう。

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タウリン1000mg

●先月半ば。自宅パソコンのディスプレイは(この時代に)古いCRTを使っていたのだが、何となく基板が焼けるような不穏な臭いがしてきた。さらには時折ビリビリ画面が揺れるようになってしまい、いよいよ寿命だと覚悟。こりゃアカン、早くディスプレイだけでも何とかしなきゃ、と思ったのだが、対処する前にいきなり昇天してしまった。

まあ、ブツッと画面が真っ暗になっただけで、火を噴いたりはしなかったので、よしとしよう。

壊れたのは夕食後だったが、仕事の途中だったので、仕方なくその時間から神保町の事務所に出かけて泊りがけで作業。さらには、事務所で使っているマックブックを持って帰ってきて1日使ったが、翌日にヨドバシで新しいディスプレイを買ってきて接続した。

もともと、近日中にパソコンを新調するつもりだったのだが、そんなわけで一足先にディスプレイだけ新しくなった。

●なにしろ必要な写真資料などは自宅PCの中にあるので、これでI号戦車の製作はぱったり中断。

幸い、上記のように数日で環境は復旧したのだが、今度は五十肩が悪化。家にあった湿布薬を貼ってしのいでいたのだが、続けて貼りすぎたせいなのか、今度はその湿布薬でかぶれて、痒いのと痛いのと両方我慢する羽目になってしまった。

結局、模型製作も当「かばぶ」更新もしっかりご無沙汰となってしまった。SUMICONエントリー作として作ってきたI号戦車だが、組立さえ終了するのかどうか、という感じになってきた。いかんねどうも……。

●ご無沙汰の間の日常のあれこれ。

9月半ば。チビ助が数えで7歳なので、わざわざスタジオで七五三のオシャレな写真を撮るとか。ついでに外食をしようというので、久しぶりに横須賀に出かける。

F1013166右は、なにやらでっかいのがおる!と思って撮ったもの。艦番号「183」といえば、ウラル戦車工場!……ではなく、一般的な分類でいうとヘリ空母、自衛隊独自の呼称でいうとヘリコプター搭載護衛艦(DDH)の「いずも」。現在の自衛艦では最新(たぶん)・最大のもの。ヴェルニー公園から。

旧海軍の正規空母と比較すると、「蒼龍」「飛龍」よりは若干大きく、「赤城」や「翔鶴」型よりは少し小さい。いずれにせよ、かつての空母が停泊していたら、だいたいこんな感じに見えたわけだ。

F1013155もう1枚は、ヴェルニー公園のちょうど向かいの“黒なめくじ”さん。よく見ると後端の舵がX形なので、こちらも最新の「そうりゅう」型。見づらいが、左側にももう一隻いる。

●以前にみやまえさんに教えていただいたことなのだが、横須賀駅にはちょっとマニアックな駅員さんがいるのか、ホームの古レール柱の一部でペンキをマスキングし、残っている刻印を読みやすくしてある(普通に塗りつぶされている箇所もある)。

さらにそのうち2箇所には、きちんと案内板まで出ていて、「古レール・ウォッチャーへの誘い」的な感じに仕上がっている。

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最初の3枚は同じレール柱。あとはそれぞれ別の、独ドルトムンター・ウニオン製、米カーネギー社製レール。

●横須賀線の駅の中でももっとも鄙びていると思うのが田浦駅で、せっかくなので帰りにちょっと寄り道をした。

駅ができたのは日露戦争中のことで、おそらく、海側に何か軍の施設ができたなどの用事があったのではないかと思う。ただし、横須賀市役所の案内には、「交通も不便で人家もほとんどなく、せまくてさびしいこの場所が選ばれたのは、路線の勾配の関係ともいわれている」とある。……「勾配の関係」だけで駅ができるものなのか?

何がいいって、両側を古びたトンネルに挟まれてしまっている「ちんまり感」が素敵。おかげで延長できず、11両編成だと開かないドアがある。両側のトンネルのレンガのポータル、たっぷり残った古レールのホーム屋根柱、古レールをふんだんに使った跨線橋など、「素敵要素」がいろいろある。タウリン(田浦成分)1000mg配合って感じ。

▼まずはホーム逗子方面側のトンネル(田浦トンネル)。1枚目、列車が頭をトンネルに突っ込んで停車している。こちら側は仲良く双子という感じのトンネルだが、実際には案内板にあるように、左右で25年ほどの差がある。

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▼ホーム逗子方面寄りの跨線橋と、その柱。刻印から、写真の古レールは戦後の国産、八幡製鉄製ということが判る。この跨線橋は比較的新しいもののようだ。

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▼ホーム屋根柱、ホームの中央部分は古レールではなく木造。垂木(というほどのものではなくて、下敷き程度?)がナナメになっているのがちょっとオシャレ?

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▼ちょっと横須賀側に行くと、ホーム屋根柱が古レールに変わる。山手線各駅ほど凝った曲線ではないが、それなり。理由はよくわからないが、柱が中央に1本のY字型、2本のП字型、そしてまたY字型と切り替わっている。わずかに刻印が残っている場所もあるが、塗りこめられて「刻印がある」程度しか判らないところも。かろうじて、英バーロウ社製とわかるものもあった。

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▼横須賀側のトンネル。名称は七釜(しっかま)トンネル。反対側の田浦トンネルのような案内板は立っていない。田浦トンネルの案内板によれば、七釜トンネルは「明治・大正・昭和と三代にわたって建設された」そうな。

パッと見には、右から明治・大正・昭和と判断してしまいそうだが、実際には右から大正・明治・昭和で、真ん中が古い。

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F1013217●9月中に2度実家に行く。実家近くの路上で、なぜか2匹も遭難状態のツマグロヒョウモンの幼虫を目撃した。

何も知らずに見ると毒々しい気がしてしまうが、実際には無毒で、しかも割と綺麗な蝶の幼虫とわかると、「なんだかゴスロリな感じのするヤツ」くらいに思えてくる。片方は拾って、とりあえず車に轢かれそうにない場所に移動。

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暑さに負けている週末

●先にヴィッカース水陸両用戦車を出したCAMs(Combat Armour Models、戰甲模型)から、第二弾(水陸両用戦車のバリエーションをひとまとまりと考えて)として、いよいよヴィッカース6t戦車が出る。

ひゃっほう!

インジェクション・キットとしてはMIRAGE HOBBYからも出ているが、なにしろこれは元キットが大昔の7TPなのでお世辞にも出来がいいとは言えないし、仕様もキメラ的で、きちんと6t戦車として作ろうと思えばかなりの苦労は必至、というものだった。

CAMsの新キットは、それ以前のヴィッカース水陸両用戦車の出来を見ても、仕様やディテールに関してはきっちりこだわったものになりそうで、期待大。

アナウンスされているのは無線機用バッスルのない標準的なタイプだが、おそらく、無線機付きのタイプも出るはず。以前に同社のT. Wongさんから、ポーランド型のエアダクトの形状の詳細がわかる?と聞かれたことがある。その先のバリエーション展開がどこまで行くのかわからないが、あれこれ楽しみ。

Img_0078●ゴキブリホイホイに犬がかかった。間抜けすぎる……。

●22日水曜日、前日締め切りをひとつ片付けて一息ついたので、あれこれ用事の片付け。

市役所に書類の申請、池子の理科ハウスに本の返却&いくつかの化石標本の寄贈。

その後、今年の春に見つけた山の根の尾根道が本当に池子の医療センターまで通じているのかどうか、医療センター側から確認できないかどうか確かめに行く。

以前書いたように、久木から池子まで、山の根の裏山の尾根を歩く道の途中に、「医療センター」と書かれた行き先案内板が出ていたのだが、その方向に歩いていったら、特に分岐は見当たらなかったのだが、方向が逸れてしまって、山の根の崖の上で行き止まりになってしまったのだった。

医療センターの裏をぐるりと回ってみたのだが、一箇所、斜面を登る階段があったものの、そこは小さな休憩所のようなところで行き止まり。たまたま職員の人が出てきたので訊ねてみたが、やはり山に登る道は知らないとのことだった。久木から池子まで尾根を歩き通せるなら、なかなかいいハイキングコースだと思うのだが、ちょっと残念。

●せっかくなので、総合車両製作所横浜事業所回送線。

金沢八景の総合車両製作所(元の東急車輛、さらに遡れば海軍工廠)から京急逗子線を通り、神武寺手前で逗子線と分岐、JR線に合流する線路で、池子弾薬庫の引込線でもあった線路。

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ピンボケ写真ばかりで申し訳ないけれど、1枚目はJR山の根踏切から。逗子駅を背に撮ったもの。右側がJR横須賀線と留置線。同じ場所で撮った写真は、この書き込みの末尾にも。

米軍池子住宅地正面ゲート前踏切から逗子側(2枚目)と神武寺側(3枚目)。1枚目と2枚目の間に、以前に載せた山の根の小トンネルがある。おそらく昔は、この辺りから弾薬庫側(2枚目なら右、3枚目なら左)に引込線が出ていたのではないかと思う。

4枚目は神武寺駅から金沢八景側にある、回送線と逗子線との合流ポイント。軌道幅が違うので、ポイントから向こうはいわゆる三線軌条になっている。

●24日金曜日、川崎の実家に行って一泊。翌25日、墓掃除(というか草むしり)に行く。

おそらく奄美大島は違うと思うのだが、母は「郷に入っては」式に、お盆は東京風の7月15日を採用している。そんなわけで数週前に墓掃除に来るよう言われていたのだが、たまたま忙しかったのでずれ込んだもの。

しかしそれはそれとして……こんなクソ暑い時、炎天下に墓掃除に行っちゃいけませんな。お墓の中の人には申し訳ないが、つくづく思った。

ところで実家に行く際、あざみ野までたどり着いたら、宮崎台駅で人身事故だとかで田園都市線が鷺沼折り返しになっていた。上り側は、最初は溝の口折り返しとアナウンスされていたと思うのだが、しばらくしたら渋谷~鷺沼間と、運休区間が長くなっていて、しかもいつ復旧するかも判らないという。

小学校の頃、自宅近くを「鷺沼行き」のバスが走っていたことを思い出し、とにかく鷺沼駅まで移動してバスに乗って自宅最寄り駅近くまで行った(小学校の頃走っていた路線とは別で、そちらはもうないのかも)。

F1012124●26日日曜日、18時過ぎ、逗子海岸海水浴場真ん中へんから、西の空を見上げて。

雲の形はなんだか涼しげだが、今日の地上は風がなく蒸し暑い。

浜でなにやら露店が出て、お祭りのようなイベントがあると聞いて出かけたのだが、ものすごくショボかった。

ちなみにこの写真は空を見上げて撮ったので地上がだいぶ暗いように見えるが、この時間はまだ明るく泳いでいる人もちらほら。今日は埼玉在住のM嶋君家族も(去年に引き続き)逗子海岸に来ていたのだが会わずじまいだった。

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理科ハウス

●このところ右肩が慢性的にじんわり痛くて、これが噂に聞く五十肩ってやつだろうか、と思う。四十肩というのもあるが同じものだそうだ。ちなみにゴジュウカラシジュウカラは別物。

もっとも、腕が上がらないとか、動かすと激痛が、とかもない。スペースの都合で、キーボードの横でなく向こう側でマウスを操作するという、いささか無理のある姿勢が原因かも。

●そのキーボード。しばらく前に自室でカップ麺(確か「緑のたぬき」)を食べていて、盛大にツユをこぼし、お出汁の利いたキーボードになってしまった。作動上は今のところ問題なし。

●収納上どうにもならなくなってきて、若干の蔵書を処分(主に文庫本)。bookoffの出張買取に来てもらう。300数十冊で、〆て5000円少々。

旬を過ぎたベストセラー本の買い叩かれ度がすごくて、「のぼうの城」単行本が6円とか。逆に、「え? なんでこんな本が?」というマイナーな専門書に100円とか付く。

●そのより分け作業の間に、ずっと前に誰かに貸して行方不明になったと思っていた、早川文庫FT初期の名作、ロード・ダンセイニの「ぺガーナの神々」が見つかってちょっと嬉しい。

もっとも、誰かに一度貸して戻ってこなかったのは本当で、出てきた本は初版の25年後、読者アンコールフェアで再版された際に買い直したもの(フェアの帯が掛かっていて思いだした)。こんな感じで、現在持っている「北欧空戦記」も3冊目だったかも。

●donjiさんが仙台から来るのに合わせて、22日月曜日、久々の「生春巻き隊」会合。というわけで、古本の売上げがそのまま飲み代に。

かさぱのす氏幹事で、donji氏、ばお氏と私の4人。秋葉原にて、珍しく名前の通りに生春巻きを食べつつ飲む。

酒の肴に、「イタレリ作せり」CONで作ったPaK97/38(依然未塗装)を持って行く。

「やっぱり、塗らずにとっておく用(というより自慢用)と、塗る用の2つを作るべきだよ」

などと言われる。

かさぱのす氏はFLY HAWKのルノーFT、MBのオースチン装甲車(ともに72)の組み立て中のもの。どちらも非常にシャープなキットで、かなり欲しくなる出来。

その日のうちに新幹線で帰るdonji氏と東京駅で別れ帰宅。

●数日前、自宅を出たところのヤブガラシの花でコマルハナバチのオスを見たが、さすがにコマルハナバチの季節はそろそろ終わりで、代わって、あちこちで咲き始めたアガパンサスやアベリアで、トラマルハナバチを頻繁に見かけるようになった。

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最初の2枚はハイランド、3枚目は池子、4枚目は逗子駅裏にて。すべて23日撮影。

●その他ムシ関係。

▼昆虫に関しては普通の人よりも結構好きだと思っているのだが、そんな私でもちょっと背筋がぞわぞわしてしまう系のムシを発見(ムシ耐性の低い方には失礼)。撮ったのは6月上旬なのでしばらく前なのだが、例によって、何かいないか道端の草をチェックしながら歩いていて、こんなものを見つけた。

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センニンソウの葉の、表皮の下にもぐり込んで食害しているイモムシというかウジムシというか、しかも妙に綺麗な薄オレンジ色。たぶん、葉の上にいるだけならそこまで気持ち悪くないと思うのだが、この、表皮の下にいるというのが「ぞわぞわ感」を掻き立てる(少なくとも私的には)。

いわゆる「ハモグリムシ」はハモグリガ、ハモグリバエの幼虫であることが多いのだが、食草やこの色、形態から調べても該当種が見つからない。そもそもハモグリムシの場合は、お金持ちの子のプラレールのようにグニグニと細い食痕が線を描くのが普通で、こんなふうに面で食害するのは珍しい。

あれこれ探して、ようやく、オオアカマルノミハムシというハムシの幼虫であることが判った。6月7日撮影。

▼次は、我が家の斜め向かいのアカメガシワの花で、コマルハナバチのオスの写真を撮っている時に見つけた奇抜な格好の寄生バチ。長い産卵管、変な翅の畳み方に腹部の立て方、妙に長い首。オオコンボウヤセバチと判明。6月10日撮影。

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▼どうせルリシジミかヤマトシジミだろうと思ってカメラ(というかケータイ)を近付けたのだが、ちょっと普段は見ない子だった。ツバメシジミ。6月11日。

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▼6月15日撮影。朝、チビがムシがいる、ムシがいると呼ぶので見に行ったら、中型のカミキリムシだった。胸に赤い模様のある、ちょっと見慣れない種類のカミキリムシだなあ、と思ったのだが、そんな模様の種類にはなかなか行き当たらない。それもそのはずで、赤い模様に見えたのはびっしりたかったタカラダニだった。本体はセンノキカミキリ。

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▼同日、そのすぐ後に、家のまん前の潅木で。ウンカ? ヨコバイ? と思って調べていて(実際にその近縁ではあるのだが)、意外にたどり着くのに手間が掛かった地味なトリコロールの小さな虫。コガシラアワフキ。

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●梅雨時はヤマユリの季節でもあり、怪しいキノコの季節でもある。前者はそろそろ盛りが過ぎた感じ? 後者は、ここ数年必ず見かけるシロオニタケもまた出てきそうだが、今のところ未見。

下の写真は両方とも名越の尾根道で。真っ白なキノコは傘裏にひだも見えないが管孔も見えず、形態的にも怪しい。しかもこの黄色い汁がとことん怪しげ。ひと舐めで卒倒するか、あるいはトリップするか、いずれにせよ、無事には済みそうにない。

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●池子に「理科ハウス」という、小さな私設科学館があるとかみさんに聞いて、23日、出掛けてみる。子どもらの幼稚園時代の同級生のお母さん2人が館長および学芸員。

F1011405 F1011406行ってみると、本当に小さな施設ではあるのだが、それなりに面白い本がある書架のコーナー、触って楽しめる器具や標本、飼っている小さな生き物など、もしも自分が小学生の頃にこんな場所があったら入り浸ってしまいそうな感じ。

アメリカのものらしい、ミールワームのスナック菓子(BBQ味)というのを食べさせられる。個人的に、昆虫食はバッタ系の佃煮までは大丈夫だが、ハチノコを含め幼虫は無理、と思っていたのだが、思い切って食べたら意外に平気だった。揚げてあるので汁気がなかったためかと思う。

あれこれ話し込んで、キュリー夫人関係の本を2冊借りて帰る。キュリー夫人ネタの仕事は一応終わっているが、もしも急に書き足す必要などが出てきた時のため。

●逗子駅裏の道の柵は古レール製だった。ざっと見てみたが、だいぶ表面は荒れていて、刻印などは確認できず。

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以下の写真は、総合車両製作所横浜事業所回送線。つまり、以前に載せた写真の続き。

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