いきもの

サヨナラ、ポスト(2)

Kazahaya20192021 ●葉山にご実家があるというブリキヲさんから、同町、風早橋バス停近くの丸ポスト(堀内671、ポスト番号109)が撤去されてしまった、といういささかショックなお知らせを頂いた。

葉山町内の丸ポストは数年前まで9基あったのだが、1年ほど前に、森戸神社バス停そばの1基(堀内1047、ポスト番号121)が撤去されたばかり。これで7基になってしまった。

森戸神社バス停そばの1基が撤去された直後の記事、およびそれ以前の、9基あった数年前にまとめて訪問した際の記事は以下に。

今回撤去された風早橋のポストは、もともと「たねや」というお店の脇(角)に設置されていたものなのだが、私が数年前に見に行った時には、もうお店は閉まっていた。そのお店(兼住居)もついに取り壊され、それと併せてポストも撤去ということになってしまったらしい。冒頭写真は、在りし日(2019年5月撮影)のポストと、ほぼ同じ角度から撮った現状(2021年4月8日)。建物も無くなり、なぜかポストの根石だけがポツンと残っているのが寂しい。

●というわけで4月8日、現状確認に行って撮った現状写真をさらに何枚か。それから、写真フォルダをひっくくり返して出てきた、最も最近の写真(昨年6月)のものを2枚ほど。

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根石の、これまでは建物があって見えなかった側の根石に製造年月が刻んであった。製造年月入りの根石は初めて見た気がする。ちなみに丸ポストそれ自体は、通常、裏側の根元に製造年とメーカーが鋳込んであるが、製造月までは書かれていない。

●一度訪れて各方向から写真を撮ったポストについては、その後に前を通りかかっても写真は撮ったり撮らなかったりだが、こんなふうに姿を消すと、ああ、もっとマメに写真を撮っておくべきだったなあ、などと思う。

思ったついでに、ちょっと足を延ばして、近くの丸ポストの「近影」をいくつか撮った(向原、一色岡、セブンイレブン葉山一色店前の3カ所)。

途中の葉山町役場前、「葉山花の木公園」のツツジは花盛り。もっとも、ハナバチたちにとってはまだちょっと早めのようで、ミツバチがちらほら、あとは(写真には撮れなかったが)ヒゲナガハナバチを1,2匹見た程度。春のハナバチの主役級、コマルハナバチに関しては、すでに山道では巣作りを始めているらしい女王バチを数度見掛けているが、花を訪れる働きバチは、上の風早橋のポスト跡のさらに手前、長柄の歩道脇のツツジで1匹見ただけ。

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(もともとはポスト巡りが主目的ではなく「しっかり歩く」ことを目的に出てきたので)セブンイレブン葉山一色店の向かいあたりから大峰山(三ヶ岡山)に登り、東西に長い山を東から西へ横断。真名瀬方面に降りる。

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1枚目は大峰山上から見た逗子・鎌倉方面。2枚目は真名瀬の夕景。残念ながら富士山は雲に隠れて見えなかった。ところで漁港もある葉山の真名瀬だが、20年以上も隣町に住んでいながら、読みが「しんなせ」だというのを今頃になって知った(大峰山上の案内板にふりがなが振ってあった)。ずっと「まなせ」だと思っていた。

●ここのところ、「仕事で人に会う用事」はリモートばかりだったのだが、久しぶりに、6日は小金井、7日は浜松町で対面の仕事。

小金井からの帰りに通った渋谷のハチ公前交差点は(毎日のニュースでも頻繁に映っているが)、6時前のちょうど仕事終わりの人が増える時間帯だったということもあり、かなりの人出で、「こりゃ、このあと感染者数はまたどっと増えるな」という感じ。その中の一人として混じっていて偉そうに言うことじゃないが。

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少なくとも、「え?なんでそれで聖火リレーとかしてるの?」という感じ。どうしてもオリンピックするならリモートでやれよ……(記録の操作が続出しそうな気もする)。

●9.11テロ直前のワールド・トレード・センター・ビルの姿。

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というのは質の悪い冗談で、こちらは(英名では)同名ながら、浜松町駅前の世界貿易センタービル。ちょうど昼時だったので、地下で何か食べようかなと降りてみたら……。なんと、ファミマとパン屋が残っているだけで、あとはすべて空き店舗。廃墟感がハンパない。ちなみにビル最上の展望台もしばらく前に閉まった模様(展望台があるということ自体知らなかったが)。

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ちなみに、隣接する東京モノレールの駅ビル「モノレ浜松町」も先月末付で館内全店が閉店で、「57年間ありがとうございました」のポスターが貼られていた。

帰って調べてみると、世界貿易センタービル、モノレ浜松町を含む地区一帯が(ビルの老朽化もあり)再開発されるそうで、今年度には解体が始まる由。ちなみに世界貿易センタービルは日本の「超高層ビル」としては霞が関ビル、神戸商工貿易センタービルに次ぐ最初期のもので、「国内における過去、最も高いビルの解体工事」になるのだそうだ。

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鷹取山高角砲台

●我が家のお嬢は(以前は「ちび」と書いていたが、さすがにお年頃になってきたので改称)、まるっきりのインドア派だが、「春休み中に一度は山歩きに行くか?」と誘ったら、意外にも「行きたい」というので、人が少なそうな平日(2日金曜日)、昼食後に出掛ける。

山歩きに慣れないのを連れて行くので、いちばん楽な二子山上ノ山に行こうと思っていたが、事前に家で検索したバスの時刻表を間違えていて、南郷方面へのバスが当分ないことが(逗子駅前でしばらくバスを待ったあとで)判明。

仕方がないので急遽行先変更。電車で一駅、東逗子まで行って、神武寺経由で(久しぶりに)鷹取山に登ることにする。

東逗子から神武寺までは、一応参道なのでそれほど険しい道はなく、神武寺から鷹取山までも(途中、鎖を張った急斜面を横断するところもあるが)尾根伝いなので極端な起伏もなかったはず――と思ったからだが、それにしても行き当たりばったりなのは言い訳出来ない。ちなみに以前に鷹取山に登ったのは、(今改めて調べてみたら)もう8年も前のようだ。

結果から言うと、お嬢は別に疲れた様子もなく文句も言わず、鷹取山山頂まで景色を楽しんだり写真を撮ったりしながら普通に歩き通した。傾斜のきついところを降りる際にはちょっとビビっていたが、20年以上前?に同じコースを歩いていた時に、当時小学校に上がるかどうかだった息子(お嬢にとっての叔父)が調子に乗ってホイホイ進んで急斜面を滑落した轍を踏むよりはずっとよい。

●行程で見かけた虫。

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1枚目:逗子駅前で来ないバスを待っているあいだ、いつのまにかポーチに止まっていたもの。セスジジョウカイの仲間?

2枚目:神武寺への参道にいたアオオサムシ。もう少し、木漏れ日の強いところにいれば光り方も違ったのにちょっと残念。

3枚目:「よくいるトラカミキリだよね」と思っていたら、意外に同定に苦労。カミキリムシ屋さんではないので自信はないが、トガリバアカネトラカミキリ? 鷹取山の展望台で。

●風はちょっと強めだったが天気も良く、山歩きには格好の日。

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1枚目は頂上展望台から見下ろした山頂広場。2枚目は展望台から見た(本来登るつもりだった)二子山。普段西側から見る時と違って、もうちょっと上ノ山、下ノ山が離れて間の谷がゆるやかに見える。

鷹取山はかつての石切り場跡なので石を切り出した後の垂直の崖面だらけだが、ところどころ、秘密基地めいた行き止まりの場所もあってなかなか楽しい。

山頂広場下の湘南鷹取の住宅地から追浜駅前までバスに乗る。それにしても、三浦半島の山を越えて東京湾側であるにも関わらず、新興住宅地に「湘南」と付けるのはいくらなんでもな気がする。以前、みやまえさんに教えていただいた「横須賀市グリーンハイツ」(マンション名ではなく町名!)はさらに強烈。横須賀市は地名に関してフリーダム過ぎる。

追浜駅前では、国道沿いの「シャッター商店街」をしばらく散策(「寂れたお店には何かお宝が眠っているかもしれない」というお嬢の要望による)。産業らしい産業もない逗子よりも、沿岸部に大工場が並び山側には大規模な新興住宅地が広がる追浜の方が、駅前のゴーストタウン化が著しいように見えるのはやや不思議。

駅前にある下写真の病院(鳥海病院)は、門柱にある「田浦三〇三三番」の電話番号といい、いかにも戦前から風の佇まいが目を引く。横須賀市役所のサイトで閲覧できる「新・追浜歴史年表」という資料によれば、昭和8年(1933年)、もっと海寄りの場所にあった同病院が、この場所に移転してきたとある。おそらく、その当時の建物なのではないかと思う。

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●表題の高角砲台について。

これまで紹介してきた小坪や二子山、武山(砲台山)、衣笠などと同様、鷹取山にも高角砲台があった。国立公文書館アジア歴史資料センター所蔵の「砲術科兵器目録 横須賀海軍警備隊」によれば、終戦時に配備されていたのは、

  • 十二糎高角砲:4門(弾薬数:275発)
  • 二式陸用高射器:1基
  • 九八式高角四米半測距儀:1基
  • 九七式高角二米測距儀:1基
  • 九六式一五〇糎探照灯:1基
  • 二十五粍三連装機銃:1基
  • 十三粍単装機銃:2基

であるらしい。

これまで紹介してきた近所の砲台跡は、程度の差はあれ、何らかの遺構は確認できたのだが(最も痕跡が薄かった畠山でも、砲台道と窪地は確認できた)、鷹取山の場合は、山頂の展望台から見まわしてみても、それらしい痕跡は何も見当たらない。

毎回、周辺の軍事遺構を訪ねる際にお世話になっているサイト「東京湾要塞」の「鷹取山高角砲台」のページを見ても、現在は住宅地となって何も残っていないと書かれている。

●とはいえ、「実際にどこにあったか」程度は知りたいと思ったので、例によって、国土地理院の国土地理院の地理空間情報ライブラリー「地図・空中写真閲覧サービス」から、新旧の航空写真を引いてきて対照してみた。

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左は終戦から間もない、1946年3月5日に米軍によって撮影されたもの(写真コード「USA-M64-A-6-69」から切り出し加工)。右はごく最近、2019年8月7日撮影のもの(写真コード「CKT20194-C13-58」から切り出し加工)。縮尺、方向など完全に正確ではないが、おおよそ重なる形に切り出してみた。

画面の右を上下に走る街道は現在の国道16号で、京浜急行の線路が並行している。右上の弓状になったまん中(①)が京急追浜駅で、ちょうど弓につがえた矢のように直角に横に伸びるのが夏島貝塚通り。当時から変わらない特徴的な敷地の②は追浜小学校。この目立つ2つのポイントが、位置特定に大いに役立った。

ちなみに現在の鷹取山山頂広場が③。当時は公園もなく石切り場だったままなので、どこが山頂なのかもよくわからない状態。現在はその直下にある鷹取小学校も、当時は影も形もない。

写真中央の黄色楕円枠内が「鷹取山高角砲台」で、鷹取山山頂と追浜駅の中間くらいにある。周辺の他の高角砲台は、皆大なり小なり「山のてっぺん」に作られていたが、鷹取山の砲台はちょっと中腹に下った辺りに作られていたことがわかる。もっとも、湘南鷹取の住宅地造成の際に削られただけで、この地点に小ピークがあったのかもしれない。またよく見ると、街区(道路)の形が、ちょっとだけ、当時の陣地の外形をなぞっているような感じもある。

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高角砲台部分の拡大が上写真。おおよそ海側(東側)に向け、扇形に砲座が4つ並んでいる。円形が破線上になっているのは、おそらく、同じ12cm単装砲が配備されていた二子山高角砲台同様に、弾薬仮置き場の「箱」を埋め込んだ土塁の砲座だったためではないかと思う。砲台から南への道をたどった先には、関連施設らしきものも見える。

以上は帰宅してから調べたもので、今回は近くを素通りしてしまったが、そのうちまた行く機会があったら、この場所自体をちょっと見て回って、本当に何の名残りもないのかを確認してみたい。

●オマケの追記。

上とは別の、1946年2月15日の米軍撮影の空撮で、同地域のもう少し東側を見てみる(写真コード「USA-M46-A-7-2-51」から切り出し加工)。

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この写真では、鷹取山高角砲台は画面の左下。中央左側に、追浜駅前の国道の「弓形」と、それにつがえられた矢の現「夏島貝塚通り」がある。通りの先、画面右半分には海軍航空部隊の“総本山”と言っても良い、横須賀海軍航空隊の追浜飛行場が広がる。こうしてみると、追浜駅は、まさに追浜飛行場の玄関口にあたる駅であったことがわかる。

追浜飛行場の北側には海が切れ込んでいて、細い水道を隔てて一部見えているのが野島。島の山には、航空機を避難させるための巨大掩体壕のトンネルが掘られているのだが、そういえば、中学校の頃に一度見たきりだなあ。当時はトンネルの中には入れたような記憶があるのだが、思い違いかも。とにかく今は両側とも入口は封鎖されていて、簡単な案内(解説)板が立っているそうだ。今度行ってみよう。野島の西側(左側)の平潟湾は現在よりもだいぶ広い。

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「JEEP JEEP JEEP」

20210321_191927 ●数日前、ネット経由で、大塚康生先生の訃報を聞いた(3月15日逝去)。

もちろん、大塚康生と言えば、宮崎駿と並んで(というか組んで)日本のアニメの現在の隆盛の礎を作った人であるのだけれど、我々モデラーからすると、「ミリタリーヴィークルマニアの草分け」であるとともに、伝説のメーカーMAXの製品監修初め、模型開発においても特筆すべき足跡を残した人。

私自身は、親しくお話をするといった機会はなく、モデラーの集まり等で何度かはお会いして、ご挨拶程度はしたことがある、くらい。ただ、そういう場で、「ものすごく楽しそう」という雰囲気が伝わってくるのが、非常に印象的だった。

旧MAXの製品に関しては、実際に新製品としてそれが出ていた時代には、「何か、かなりこだわっている、すごいキットだそうだ」という話は伝わっていたものの、例にもれず(当時は)ドイツ軍車輛一辺倒だった私はスルーしてしまった。その後、トミー版やイタレリ版で1,2種手に入れ、さらに中古品で、確かダッジの6輪はオリジナルのMAX版を(何かのはずみで)入手してストックしているが、どれも完成させたことがないので、あまり大きなことは言えないけれど。

ご冥福をお祈りいたします。

●個人的には、「大塚先生といえばコレ」とまず思い出すもの、および実際に役に立たせていただいているものが、上に表紙写真を出した一冊。ホビージャパン別冊で1983年に発行された(今奥付を見て確認した)、「JEEP JEEP JEEP ―ウィリスMB、フォードGPW写真集」、大塚康生 編。「1」と書いてあるからには、うまく行けば続編も出してやろうという予定もあったのだろうと思う(もしも出たらどんな内容になっていたのか、というのも気になる)。

実際に大塚先生がどれだけ編集に関わっていたかはよく知らないが、マニアックな視点でウィリスMB/フォードGPWについてまとめていて、「写真集」と表題にはあるものの、その開発や使われ方、仕組みなどもくまなく勉強できる。要所に、ジープの性格をよく表した大塚先生のイラストが挟まれているのも素敵。マンガ(アニメ)調のイラストだけでなく、「ジープが町にやってきた―終戦時14歳の画帖から」(平凡社ライブラリー)に載っていたような、昔のスケッチの転載もある。「軍用車輛少年」だった大塚先生の面目躍如。

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連合軍車輛(特にアメリカ軍車輛)にあまり興味がなかったはずの私が、なぜこの本はたまたま入手したのか、今では思い出せないのだが、「よくぞ確保した!」と過去の自分を褒めておきたい。なにしろ「日本語で読めるジープの内容の濃い一冊本」なんて、これ以降も(たぶん)出ておらず、古本市場にも滅多に出回らない(出てもえらく高い)。

●最近のあれこれ。

10日ほど前、鎌倉の県立大船高校の近くにある「長窪の切通」に行ってきた。「古道」とか「切通」とか「変なトンネル」とかにはついつい野次馬根性で惹かれてしまう私だが、割と最近まで存在を知らなかったもの。

鎌倉の切通と言えば、古都鎌倉とその周辺の出入り口にあたる「鎌倉七口」が有名だが、もともと細かく尾根と谷戸が入り組んだ鎌倉近辺には他にも小隧道や切通が数多い。大船高校のあるあたり(高野)は古都鎌倉を囲む山の外側で、外側でも歴史のある山ノ内からもさらに外れた地区だが、おそらく、古い生活道路だったと思われる切通が2カ所も残っている。どちらも、尾根を横切るために開削したというよりは、現在大船高校がある高台への上り下りが容易なように、細い尾根筋の道を均す目的で掘ったらしいもの。

この2カ所の切通はGoogleMapsにも記載されていて、東側のひとつ、熊野神社の裏手の尾根を大船高校の裏に上る切通には「高野の切通し」、西側の高野公園の横手を上る切通には「長窪の切通し」と表示されている。

不思議なのは、呼び名にどうも混同が見られるらしいことで、鎌倉市役所サイトの「かまくら景観百選」に取り上げられている「31 高野の切通」は、記されている住所(高野4-4地先)からみて、GoogleMapsの「長窪の切通し」のほう(GoogleMapsの「高野の切通し」は住所が「大船」になる)。どちらかが間違えているのか、それとももともと適当なのかはよくわからないが、とにかく、今回見に行ったのは西側のほうの切通。

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今回は北鎌倉側から歩いた。1枚目写真は北鎌倉駅裏の道を大船方面に進んで、どん詰まりにある素掘りの隧道。この隧道も「かまくら景観百選」に「34 素掘りのトンネル」として取り上げられている。2~3枚目が今回目当ての切通。こうして写真に撮ると勾配がよく判らないが、2枚目写真は坂になっている切通の上側から下りを撮ったもの。2枚目は半ば,3枚目は出口近くから振り返って上り坂を撮ったもの。

最後の一枚は、切通を通って下の谷戸に抜け、振り返って出口を撮ったもの。左は「高野公園」の入り口で、右の住宅脇が切通。こんな感じなので、大船側から行こうと思ったら簡単には見つけられなかったかもしれない。

切通の多い鎌倉だが、この狭い道を、これだけ切り立った、垂直に近い両岸で掘り下げているのはちょっと珍しい気がする(朝夷奈切通の、峠を越えた横浜側に短距離だが似たような切り立った部分があるが)。まるでBTM-3を使って掘ったような!(判りにくい例え)

これだけ綺麗に切り立った崖面が残っているということは、この切通自体、それほど古いものではないのだと思うが、主要な街道などではないのでネット上で調べてもしっかり来歴などは出てこない。

20200224_165852 ちなみに東側の、熊野神社裏手の切通は、以前に2度ほど通ったことがある(その近くになかなか素敵なトンネルがあるので)。切通自体は、今回行ったものよりも、もうちょっと「開放感」のあるもの。写真は昨年2月撮影。

●春先のフキノトウの季節はとうに過ぎて、そろそろ他の春の山菜が出始める頃。

どうも天候の具合とか、草刈りのタイミングとかの問題で、ノビルは年によって出来・不出来の波が非常に大きいが、今年は、例年アテにしている場所がほぼ全滅状態。ひよひよと細っこい物しか生えていない。

一方で、アケビは毎年わさわさと生え放題で、今年も花が咲き始めるとともに芽も伸びてきたので、先週中ごろに初収穫。それから立て続けに3回ほど収穫した。

例によって、さっと茹でて「アケビ特盛たまごご飯」にして食べる。アケビの芽だけ辛子マヨネーズなどで食べるのもいいが、やはり生卵との相性が一番いい気がする。そうこうしているうち、「全然ダメ」と思っていたノビルも、ちょっとまともに生えている場所を見つけたので少々収穫。こちらは根の部分は出汁で漬けて、葉の部分はチヂミ(パジョン?)にして食べた。ノビルのチヂミだから「ノビチヂミ」?

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ウグイスの初鳴き

●19日金曜日、名越の山の中でウグイスのさえずりの初鳴きを聞く。

「いや、ちょっと待って。今のウグイスの声だよね? ウグイスって2月にもう鳴くもんだっけ?」

などと思いつつ、立ち止まってしばらく待ってみたが、結局、第2声は聞けなかった。

あれは結局聞き間違えだったんだろうか、などと思っていたのだが、21日日曜日、二子山に登りに行って、二子山上ノ山~下ノ山~阿部倉山と縦走する間に、今度は数回耳にした。

ちなみに「ウグイスの初鳴き」は、気象庁がまとめている「生物季節観測」のメニューの一つに取り上げられていたのだが、2020年11月、気象庁は生物規則観測の対象となる種目・減少を大幅に削減することを発表。ウグイスの初鳴きも、対象から外されてしまった。

大幅削減の理由は、個体数の減少などにより観測自体が難しくなったり、ブレが大きくなったりしたためだそうで、動物23種、植物34種が対象だったものを、動物(ウグイス含む)は全廃、植物もアジサイ(開花)、イチョウ(黄葉・落葉)、ウメ(開花)、カエデ(紅葉・落葉)、サクラ(開花・満開)、ススキ(開花)の6種目9現象に絞られることになった。寂しいことよ。

●上で書いたように、21日日曜日、二子山に登る。

ここのところ、近所から二子山をはるかに眺めて、「そろそろ久しぶりに行くか」と思ったのが一つ。さらに、草が茂っていないこの季節こそ、二子山上ノ山から下ノ山、阿部倉山のルートを歩くにはもってこいなのではないか、と思ったのが理由の二つ目。

Hutago 以前にも書いたが、二子山上ノ山山頂までは、高角砲陣地があった名残りで自動車も通れる「砲台道」が続いているため、お散歩感覚で登ることが出来る。が、そこから先、双子の片割れである下ノ山と、それに隣接する阿部倉山にも足を延ばそうとすると、途端に道は面倒臭くなる。

そもそも二子山の二つの山は「寄せて上げて」みたいな格好をしていて、間の谷は妙に深く切り立っている。上ノ山から下ノ山にハシゴするには、その谷を「降りて、登って」する必要がある。右写真は名越の大切岸から見た二子山。この角度からだと阿部倉山は下ノ山の手前になるので判らないが、下ノ山と阿部倉山の間の谷も結構険しい。

そもそも上ノ山山頂と違って、下ノ山山頂と阿部倉山山頂には何があるというわけでもないので、そちら方面に歩くのは、初めて二子山に登った時以来。

●まあ、一応上ノ山に来たからには、恒例行事的に砲座跡と、藪の中の探照灯台座(?)のコンクリート柱を撮る。

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相変わらず、藪の中のコンクリート柱は頭がかすかに見えるだけ。

前述のように上ノ山から下ノ山、阿部倉山に向かう道はかなり険しく(といっても、もちろん、逗子・鎌倉近辺の山のレベルで「険しい」なのだが)、途中は上り下りの補助のためにロープが張られている場所も。久々に歩くと結構きつく、ああ、hn-nhさんやみやまえさんを道連れにしたい!などと不穏なことを考えたが、前述のように下ノ山や阿部倉山に軍事遺構の類は特にないので、多分付き合ってくれないだろうなあ。

下写真群1枚目は上ノ山と下ノ山間の道の最も低い部分の尾根。この写真だと、「まっすぐ綺麗な歩きやすそうな道」にしか見えないが、左右はほとんど断崖絶壁という、逗子・鎌倉近辺の山ではよく見る狭い馬の背の尾根。3枚目は下ノ山山頂。以前に訪れたときは普通だった看板が、アバンギャルドな状態に。これも前に書いたが、終戦直後の米軍の空撮写真を見ると、下ノ山山頂にも何かの施設(観測所?)があったように見えるものの、現在は(ちょっと怪しい深い窪地以外)特に何の痕跡もなく、木も茂っていてまったく見晴らしも利かない。

4枚目は下ノ山~阿部倉山間の最も傾斜がきつかった下りで、この写真だと判りづらいが、写真の道の先と足元とでは、たぶん5m以上の高低差がある。しかし、こんなに険しい山道なのに、片側の谷の木々を通して南郷中学校や南郷上ノ山公園が見え、公園のグラウンドで遊ぶ子どもたちの歓声やサッカーボールを蹴る音が響いてくるので、なかなかシュールだ(結構奥山に踏み入った気がするのに、ふと気付くとすぐ横が住宅地、というのは、逗子・鎌倉の山道にはよくある)。

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6、7枚目は阿部倉山から降りきったところの石仏群。最後の1枚は人里に降り立って振り返ってみた阿部倉山。二子山もそうだが、お椀を伏せたような山なので、ふもとでむしろ傾斜がきつく、山頂は割となだらか。

●ここのところ毎年、フキノトウの収穫をアテにしている野原が、今年は冬の間に草刈りされなかったこともあってか、ほぼ壊滅状態で、ごくごく小さなフキノトウが少数しか採れず。

半ばあきらめかけていたのだが、あちらこちらで少しづつ採り集めたら、結局はある程度の量になったので、フキ味噌とオリーブオイル漬けを作った。相変わらず、材料の分量に関してはまるっきり適当。

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今年のフキノトウはこれで打ち止めかなあ。ちなみにノビルも全滅状態。

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くろぬま閉店

●鎌倉・御成通りの(駄菓子屋向け雑貨店、とでも言えばいいのだろうか? 元はたぶん紙屋)「くろぬま」が先月半ばで閉店してしまった。

約10年前の大風でお店の南面が倒壊し、そこをベニヤ等々で応急修理して「これ、そのままでいいの?」状態で営業を続けていたが(下左写真に写っている左側)、張り紙によれば、おじいちゃん店主がお亡くなりになったらしい。ご冥福をお祈りしたい。

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個人的には、「くろぬま」は時折気が向いたときに「点取占い」を仕入れる店で、昔、神保町の事務所で缶詰作業をしていた時期には台紙ごと買って事務所の壁にぶら下げていたことも。そういえば最近はあまり買ってなかったなあ。

●facebookでT.Wongさんに教えていただいた話。

CAMs(Combat Armour Models/戰甲模型)のヴィッカース6t戦車のフィンランド仕様は、これまでに、評価試験用に1輌輸入した標準型(キット番号A008)と、メインの輸入分である後期型車体のボフォース37mm砲搭載仕様(キット番号A009)が出ているが、来年2月目途で、後期型車体の継続戦争における45mm砲搭載改修型(いわゆるT-26E)を発売する由(キット番号A010)。A009同様、エンジンルーム内を含めてインテリア付き。

個人的にはインテリアまで作り込む趣味はあまりないので、インテリア無しの廉価版が欲しいなあ、などと思わなくもないが、いずれにしてもフィンランド型は1輌欲しいかも。あまり活躍できなかったとはいえ、虎の子の新鋭戦車として参戦した冬戦争仕様(ボフォース搭載仕様)が欲しい。そちらはもう出ているはずなのだが、模型店では未見。

●今年3月初め、東京で「マンホールカード特別版」12種の発行が予定されていたのだが、新型コロナ感染症拡大予防の観点から配布が延期されていた。

20201210_180758 それが、ついこの間たまたま確認したら、11月19日から配布が始まっていた。3月に取りやめたものを、その時期をはるかに上回る規模でコロナ第三波が猖獗を極めている今になって再開するっていうのはどうなの?と思わなくもないが、それはそれとして、たまたまついでがあって千代田区版と世田谷区版の配布場所近くに行ったので、その2つを貰ってきた。千代田区の絵柄は、先日実物を見に行った、お茶の水の明大通りのアトム

配布場所は世田谷区が東急世田谷線三軒茶屋駅改札脇の「三軒茶屋観光案内所」、千代田区は千代田区役所向かいの「千代田区観光案内所」(神保町の事務所の近く)。 全12種配布場所リストはこちら。さすがにわざわざリスクを冒して遠出して貰いに行くタイミングではないと思うし、たまたま近くに行く「要」で「急」な用事なんてあるかなあ。

●コロナ禍のため、名越切通の途中にある「まんだら堂やぐら群」はしばらく公開が取りやめになっていたのだが、久しぶりに、10月24日(土)~12月14日(月)(土、日、月、祝日のみ)に公開されており、最終日近くに行ってきた。

名越切通は旧都鎌倉を取り巻く山を越える旧道の「鎌倉七口」の一つで、七口の中で最も南の端にあり、江戸時代の東海道の脇往還である西浦賀道(戸塚-浦賀)の一部でもある。まんだら堂やぐら群は、その切通道の脇にある、中世(鎌倉~室町期)の横穴墳墓群。

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管理のおじさん曰く、今年は例年に比べ(珍しく)モミジが綺麗、である由。確かにまんだら堂以外でも今年はモミジが色鮮やかなのが目につく。どうも、秋にことさら激しい台風が来なかったために、いつもなら大風や塩害にやられて満足に紅葉できないモミジが、今年は無事に残っていたということであるらしい。

下は、最初の2枚は名越切通から大切岸の尾根道を通って鎌倉側、「鎌倉市こども自然ふれあいの森」の斜面のモミジ。最後の縦長の1枚は鎌倉・二階堂の杉本寺から金沢街道を隔てた滑川。

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もちろん、逗子鎌倉の山々は美しく紅葉する樹種自体、それほど割合が高くないので、綺麗なのは「そこだけ切り取って写真を撮っているから」。「鎌倉の紅葉」なんて、テレビで大層に取り上げられているのを見ることがあるが、「色とりどりの紅葉の山」を期待して来たらガッカリするのは必定。

●ちなみに上写真の行程(名越切通~大切岸~ハイランド~二階堂)で、ハイランドから二階堂方面に行くのに、久しぶりに衣張山に登ったのだが、昨年秋の台風で倒木だらけのひどい有様だった衣張山南斜面は、おおよそ普通に歩ける程度には復旧していた。ただし、一部は(1年以上経って)まだこんな感じ。

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●ずいぶん昔、真冬に(父母の郷里の)奄美大島に行ったときに、道端でアサガオが咲いていて、「さすが南国」と思ったのだが、ふと気づくと、逗子でも、この季節に当たり前のようにアサガオが咲いていた。

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このアサガオ、逗子鎌倉近辺では割とよく見る野生種で、外来種のアメリカアサガオか何かなのかな?と漠然と思っていたのだが、アメリカアサガオは萼(がく)が細長く尖り、反っているのだそう。というわけで、これは在来種のノアサガオのようだ。日本在来種とはいっても比較的南方系のものなので、この近辺に大昔から生えていたのかどうかはよくわからない。

●小野不由美「十二国記」シリーズ、「白銀の墟 玄の月」刊行時の読者キャンペーンで、「未刊行の短編一編をいち早く読める」プレゼントがようやく届く。パスワード付きのwebページで1編読めるサービスなのだが、ほんの掌編かと思いきや、70ページ近くの、それなりの長さのものだった。題名は「幽冥の岸」。良し。

来年刊行予定の短編集に収録予定であるらしい。楽しみだけど、さて、予定通りに出るかなあ。

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大楠山再訪

●どうも最近しっかり歩いていないし、体重も増えてきたし。ということで、好天に恵まれた日曜日の昼食後、久々に午後いっぱい歩きに出掛ける。

実のところ、家を出る時点ではどこに行くかもはっきり決めておらず、とりあえずふらふらと逗子駅前まで。

武山の地上発進型「桜花」の訓練基地跡に行くかとも思っのだが、そちらはそのうちhn-nhさんやみやまえさんと行こうという話もあったのでパス。結局、なんとなく昨年末に登った大楠山(三浦半島最高峰)にもう一度登ってみることにする。

前回登った時は山の北東側、阿部倉温泉側から登って南西の前田橋へ下りたのだが、今回は南の大楠芦名口から登り、北西の湘南国際村へ抜けるルートを通った。

20201025_144531 ●大楠山は山頂付近に通信会社の中継施設や国交省の気象レーダーがあるため、それら施設までは自動車で登れる道がある。というか、今回言った大楠芦名口からのルートがまさにそれだった。登り始めてしばらく、右のような案内板が立っていた。曰く、

へっぴり坂
芦名側のなかで最も傾斜の急な坂道。
その名がおもしろい。

しかし実際には、はっきり言って我が家の前の坂道のほうがよほど急。

というわけで、山頂までの距離はそこそこあるものの、少なくともこのルートは二子山上ノ山同様、「お散歩感覚で登れる初心者コース」という感じだった。車の通れる道は前記の通信施設およびレーダー施設行きなので、山頂広場への最後のアプローチだけは階段道になるが、それはさほどの距離ではない。

●同ルートをたどって、山頂までもう少しという地点で、道端に小さな洞穴が口を開けていた。

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2連になった、向かって左側が入り口で、右側は奥行き1mもないくらいの浅い窪みだが、その上部に銃眼のような小穴が開いている。山の中で(といっても道端だが)、一人で明かりもない狭い洞穴に潜り込む度胸はないので確かめなかったが、洞穴は入ってすぐに右に折れていて、この「銃眼」は折れてすぐの洞穴内部と接続している感じ。表側から覗いたところでは、「銃眼」部分の厚み(奥行)は50cm以上あるように感じた。

なんとなく軍事遺構っぽい雰囲気はするのだが、とはいっても、入り口から折れてすぐに銃眼を設けるようではトーチカ的役割をするには防御力が低すぎるだろうし、正体は謎。あるいは頂上に設けられていたという海軍の特設見張所の入り口としての歩哨所とかかな?とも思ったりする。

20191213_152626 ●前回登った時には山頂の展望台が閉まっていて残念な思いをしたが、今回は下の売店に人がいて、閉めたばかりということだったが「せっかくだから」と厚意で開けて貰えた。

「展望台」といっても、二本の鉄柱に螺旋階段が付いた簡易なものだが、人が歩くと微妙に揺れたりするのが、下からの見た目以上に「高さ」を感じさせて楽しい。右写真は前回登った時に撮った展望台の姿(今回は撮り忘れた)。

というわけで、展望台上から割といい加減に360度撮影した眺望を。

▼西側。右写真の山の向こうに見えるのは逗子・鎌倉の海で、中央にぼんやり見えるのは江の島。左写真中央は山頂から一段下った肩のところにある国交省の「大楠山レーダー雨量観測所」。このレーダー塔のやや右あたりが真西になる。

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▼南側。右写真には三浦半島の西岸が、左写真には東岸が写っている。意外に三浦半島の南側って平らなんだなー、と思う。右写真にはうっすらと伊豆大島も写っている。左写真で向こうに見えるこんもりした山が、おそらく武山~砲台山~三浦富士。なるほど、三浦半島で最も南にある山らしい山なのね(とはいっても標高200m前後)。

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▼東側。東京湾を挟んで向こうに千葉の山々。昔は久里浜の発電所の煙突が割と目立つランドマークだったが、施設老朽化で取り壊されてなくなった。新しい石炭火力発電所がどういう姿になるのかはよく知らない。左写真で見降ろしているのは横須賀中心市街地で、その向こう(中央右寄り)に小さく猿島が見える。左写真の手前に写っている山のどこかに、2月初めにhn-nhさん、みやまえさんと登った衣笠砲台があるはずだが、どこやら全く判らない。

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▼北側。手前の山腹はゴルフ場(葉山国際カンツリー倶楽部)。右写真の向こうの海は東京湾奥部。右写真の左端、左写真の右端に小さく写っているのがランドマークタワー(のはず)。左写真、ゴルフ場の向こう、中央左側に、逗子市最高峰の二子山が写っている(のに、帰宅後写真を開いてようやく気付いた)。

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●山頂広場の電探の台座遺構?と思われるものを、改めて展望台から見下ろして撮影。

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前回も書いたように、元は8角形であったと思われるが、3分の1程度が大きく欠けている。向こう側にはケーブル収納部かと思われる溝。台座の手前には三角点が乗った円柱状構造物。逆側には機銃座跡かと思われるコンクリートの「脚台」。

●オマケ。国交省の「大楠山レーダー雨量観測所」。まあ、お役所も予算配分はいろいろと大変なのだと思うが、この案内板はどうにかしたほうがいいと思うな……(かすれてしまってほとんど読めない)。

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20201025_163940 ●前述のように、帰りは湘南国際村へ。湘南国際村も山の上にあるので、道筋は割と平坦で楽……なのかと予想していたのだが、実際には「一度降りて、登る」感じ。降りる道は南側2ルートよりもむしろ傾斜が厳しい階段道。ただし、降りきった後の湘南国際村までの道は完全な舗装道路。

途中の山道で、スズメバチの群れに遭遇。

ブナ科の木の幹に、上から下までびっしりと何十(あるいは百以上)がたかっていた。樹液が出ている場所に何匹か固まって来ているという姿はよく見るが、木の幹の一面に多数がたかっているというのは今までに見たことがない状態で、非常に不思議。

歩いている山道のすぐ脇の木で、羽音で気が付いた。写真を撮ろうとしたら飛び立つやつがいて、かなり危なそうだったので、きちんと蜂の姿が識別できるような状態で撮ることが出来なかった。残念。

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ノームかグノームか

 ●フランスの航空機エンジンのGnomeは、正確には語頭の「G」も発音して「グノーム」と読むのが正しいらしい。大学の時にフランス語を習っていたのに知らんかったよ……。

「日本人にとってなじみが薄い読み方をする」というだけで、実際には英語に比べてずっと綴りと読みは規則的なフランス語だが、「gn」という綴りは、通常は「ニュ」という発音を表す。地方名の「ブルターニュ(Bretagne)」や「シャンパーニュ(Champagne )」、ファッション・ブランドの「アニェス・ベ(agnès b. )」(日本では普通「アニエス・ベー」と表記)、三銃士の主人公の「ダルタニャン(D'Artagnan )」 などがその例だにゃん。実際、フランス語の子音の綴りの発音解説サイトなどを見ても、「gnはニュと読む」としか触れられていないのが普通。

というわけで、Gnomeについても、フランス語の正確な発音だとおそらく「ニョーム」で、それだとカナ表記としてもなんだか据わりが悪いので慣用で(英語読みとしても通用する)「ノーム」、なのだと思っていた。

もっとも、では語頭だと必ず「グヌ」になるのかというとそうでもなく、このGnome(地精)とか、Gnostique(グノーシス派の)とかは外来語(ギリシャ語由来)だからGも発音する、くらいの感じらしい(そもそも語頭にGnが来る単語は珍しく、手元の中辞典では、この2単語の関連語・派生語も含めて10数語しか出ていなかった)。

まあ、Gnomeの場合イギリスでもライセンス生産されていたりして、その場合は当然英語読みするだろうし、そもそもファンタジー世界のキャラ名として「ノーム」もそれなりに通っているので、「ノーム」と読んだままでも構わないと思うけれども。

●ちなみにフランスのエンジンのGnomeは、第一次大戦機ファンには「グノーム(ノーム)」、第二次大戦機ファンなら「グノーム・ローン(ノーム・ローン)」の名前で馴染みがあるのではと思う。

もともと「グノーム」と「ル・ローン」は別会社だったのが1915年に合併。グノーム・ローン(正式な社名はSociété des Moteurs Gnome et Rhône/ソシエテ・デ・モトゥール・グノーム・エ・ローン。間の&(et)を略してGnome-Rhôneと表記されることもあるが、これはブランド名かも)となる。

合併してからもしばらくは「グノーム」「ル・ローン」両系統のエンジンを作っていたが、興味深いのは、この両系列のエンジンは連合国側、枢軸国側両方の陣営で使われていたこと。例えばフォッカー・アインデッカーは一貫してグノーム系列のエンジンを使用しているし、フォッカーDr.IやフォッカーD.VIIIはル・ローンを搭載している。両方ともドイツのエンジン・メーカー、オーベルウーゼルでコピー生産されたものだが、単純にパクっているわけではなく、(少なくとも初期モデルに関しては)きちんと戦前にライセンス権を購入しているらしい。

……というわけで、ドイツのオーベルウーゼルに関しては、「フランスのロータリーエンジンを作っていた会社」みたいなイメージでいたのだが、今回ちょっと調べ直してもうちょっと面白い(入り組んだ)経緯が判った。

そもそもは1890年代、ドイツのオーベルウーゼルが小型ながらパワフルな単気筒エンジンを開発してGnomと名付け商品化、ヒット作となる。おそらく、「小さいがしっかり仕事する」というようなイメージから、Gnom(地精・小人)の名を付けたのではないかと思う。これをフランスの会社がライセンス権を購入して生産(綴りはフランス語でGnomeとなる)、さらにはその技術をもとに多気筒のロータリーエンジンを開発し、これが前記のGnomeシリーズとなった、のだそうだ。

●グノーム・ローンは、戦間期から戦後の一時期までは、バイクや自動車も手掛けていて、エレールからは下のような大戦中のオートバイの1:35キットも出ていた(というか、今でも出ているかも)。箱には車種形式など書かれていないが、実際には「AX2」という800ccのオートバイ(+サイドカー)で、1938年に登場。軍用としては1940年までに約2700台がサイドカー付きで生産されたらしい(キットの説明書とか「Kfz. der Wehrmacht」とかより)。

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例によってつまみ食いしてちょっといじってあるが、車輛本体のパーツ構成は2枚目写真のような感じ。これに(箱絵にあるように)フィギュア3体が付く。

Scalematesによれば、発売は1970年代後半で、タミヤのBMW R75サイドカーから数年後の発売ということになるが、出来としては同程度だろうか。1:35インジェクションのバイクのキットの常として、ワイヤースポークは太目で実感を損ねているため、なんとかしたいところ(まあ、頑張っているとは思うけれど)。SWASH DESIGNのタイヤ&スポーク・セットに交換するのが最もスマートな解決法だとは思うが、同製品は現在メーカー在庫切れ。

ちなみに、キットの箱の中には、これに使おうと思って調達したのであろう1:48第一次大戦機用のワイヤースポークのエッチングパーツが入っていた。大きさ的にはちょうどいいくらいの感じだが、もちろん型押しはされておらず平板で、しかも硬そうな洋白だかステンレスだかのエッチングなので扱いづらそう。

20200909_142237黒いセイバー。( → )

(いやまあ、なんとなく。そう読めちゃったので)

●セブンイレブンのコーヒーから、通常のホットコーヒー(ブレンド)の一段上の「高級キリマンジェロブレンド」がいつの間にか姿を消してしまい、地味にショック。

と言いつつも、実際に+αのお金を払って飲んだことはあまりなく、実は「コーヒーを10杯飲んだら1杯ただ」のクーポンを使うとキリマンジェロブレンドもそのままただだったので、そんな時だけありがたく飲んでいただけなのだが(セブンイレブンには「そんなヤツに飲ませるために商品化したんじゃねえ!」と言われそう)。

(10/17追記:しばらく間をおいて、「グアテマラブレンド」が登場した。どうやらある程度の期間限定で「高級」系を交替させて回していくらしい)

●久々に(資料整理のため)神保町の事務所に行ったので(17日)、夕方、事務所を出てから、「(hn-nhさんのブログで知った)消えゆく御茶ノ水駅の古レール柱屋根の見納めに行くか……」などと思いつつ文坂(駿河台下からお茶の水駅方面への明大通りの坂道)を歩いていたら、坂を登り切ったあたりで事務所から「スマホの充電アダプターとケーブル忘れてるぞ~」と電話。一度事務所に戻ったら再び坂を上る気力をなくし、結局、御茶ノ水駅は見ず。まあ、もう屋根の撤去は終わっちゃってたかもしれないし……(すっぱいぶどう的な)。

なお、その際に、今年初めに設置された鉄腕アトムのデザインマンホール蓋を発見。あ、これって、こんなところにあったんだ~。

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アトムは明大の図書館棟の前あたり。ウランちゃんはもっと坂の下、三省堂前への斜めの脇道への分岐近く。実はアトムよりさらに駅寄りにお茶の水博士のマンホール蓋もあったはず(帰宅後検索して知った)。

この千代田区の「アトム」はじめ、今年初めに都内各所で設置されたデザインマンホールに関しては、マンホールカードの特別版が3月に発行・配布開始されるはずだったのだが、コロナ禍の影響で配布が延期に。開始時期については「改めてお知らせいたします」のままとなっている。

(10月1日追記。また事務所に行ったついでに、改めてお茶の水博士を撮影してきた。場所は明大12号館の前。仕事が長引いたのですっかり日が暮れてから行ったのだが、意外に明るく撮れた)

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20200918_162930 ●ひと夏に一度は食べたい浪花家(鎌倉浪花家)の宇治金時。

涼しくなる前に、なんとか今年も食べた。写真の角度のせいもあるが、去年よりも若干、盛りが低くなったような……(もっとも、以前の盛りが多過ぎた気もする)。

●前回投稿した日の前後、件のヒメグルミの樹を見に行ったら、すっかり果肉は腐った実がまだいくつも落ちていたので3度目の収穫。しかし「果肉がほとんど残っていなくて処理が簡単でラッキー♪」と思ったのは早計で、洗って干した後で割ってみたら、中の仁はほとんどが痛んでいて、無事なものは1割もなかった。実が落ちて早々に収穫しないとだめなようだ。

代わりに、と言っては何だが、カヤの実やぎんなんがちらほら落ち始め。逗子と鎌倉の2カ所でカヤの実を少しだけ収穫。重曹溶液に漬けてアク抜き中。

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駆け足の夏

●なんだかんだで1か月近くもブログの更新が滞ってしまった。

「締切がある仕事は頻繁に遅れるくせに締切のないブログは割とマメに更新する」のがスタイルだが(あかんヤツ)、これだけ間を開けてしまったのは久々かも。

ずっと書かずにいるうち、(更新のためにログインする前の)ココログのトップ画面がこれまでと別のデザインに変わっていてびっくり。

●8月15日の終戦記念日が近くなると、わらわらと戦争ネタが取り上げられるのは日本の夏の風物詩のようなものだが、ちょうどその時期、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの「戦争は女の顔をしていない」(岩波現代教養文庫)を読む。

ちなみに「そのタイミングだから読んだ」というわけではなく、ずいぶん前に市立図書館に予約を入れていたのが、ようやく順番が回ってきたため。もちろん、「べっ、別に、世間が回顧ムードだから読んだわけじゃないんだからねっ!」と言いたいわけではなく、むしろ「読む時期としてはいいかも」と思ったりもした(実際には“大祖国戦争”の終戦は5月なので、8月15日はあくまで読者たるこっちの感傷でしかないが)。

もともとは数か月前にマンガ版を読んだのをきっかけに、「これは原作のほうも読まねば」と思ったのだが、実際に読んでみると、マンガ版は話を壊すことなく、なかなかうまくイメージを補完しながら描けている気がする。とはいっても、マンガ版では書き尽くせていないところも、また、これはちょっと印象が違うかも、というところも若干はある感じ。マンガ版を読んだ時の感想はこちら

マンガ版を読んでイメージしていたのとちょっと違ったのは、1人のエピソード(1人に対するインタビュー)が基本、だいたい同じくらいのボリュームで載っているのかと思ったらそうではなくて、数ページにわたるものもあれば、ほんの数行しかないものもある、ということ。ただし、その後で改めてマンガ版を読んだら、マンガ版の方でも(他人のエピソードにくっつけて)断片的エピソードも取り上げられていた。

この本を読むうえで、ミリオタ的知識が必要とは言わないが、それがイメージを補ってくれる部分は確かにある。何人かのエピソードに「(古い)1トン半トラック」という言い回しが出てくるが、「ああ! たぶんインタビューに答えているばあちゃん(たち)は、ポルトルカ(GAZ-AAの愛称)って言ってるんだな」というのが判るし、その大きさ、ガタピシ具合もイメージできる。

レニングラードの話で、「市電の三番でキーロフ工場まで行くことができて、そこはもう前線」(p157)という一文が出てきて、中身が疎開した後のキーロフスキー工場が交戦の場になっていたことも判る。女性戦車兵が、中戦車では割といた一方で、重戦車(IS)に乗っていたのは希少だったという話も興味深い。弾が重いから? 「自動小銃は七十一個の薬莢でとても重い」(p175)とあるのは、弾数からPPSh-41(のドラム弾倉)であるのが判る。自動小銃ではなくて短機関銃と表現する方が一般的な気がするが、これは元の語が「アヴトマット」だったのだろうか?

訳として「これはちょっとどうなの?」という部分もいくつかあった。「戦車のハッチから引きずり出すのはとても大変。ことに砲台から引きずり出すのは」(p144)は、「砲塔」と訳すべきだろうし、「私たちのところにあったのは? 三十四型の戦車で、たちまち燃えてしまうんです」(p443-444)は普通に「T-34」と書いて欲しかった。「友軍のY-2型飛行機が降りてきました」(p341)とあるのは、元のキリル文字をそのまま残してしまったための判りづらさで、これはおそらくU-2(複葉の練習機、ポリカルポフPo-2の初期の名称)のことだろう。

●ディテールの感想から入ってしまったが、話の中身は話が詳細なぶん(そしてイメージが固定化されないぶん?)マンガ版よりさらにツラい。実際の戦いの凄惨さだけでなく、戦争が終わってからも、個人にとっての戦争(の傷跡)が終わらないのがまたツラい。

語る元女性兵士たちに対しても、この著作自体に対しても、「祖国を守り抜いた(英雄的な)戦いの勝利の暗部をほじくり出すな」的批判がずっと付きまとっていることが、前書き等々からも判る。あるいは、語って欲しい元女性兵士自身からそう言われることもあるし、いちどは語った人が、それを理由に「表に出さないで欲しい」と言い出すこともある。

もちろん、「戦勝国」だからこそその圧力も強いのかもしれないが、戦争の悲惨さ、汚さを振り返ることが「立派に戦った人たちを貶めることになる」との非難に繋がるのは日本も同じことで、むしろ近年(実際に戦争を知る世代が減るにつれて)ますますそうした声が強まっているように思えるのが、どうにも薄ら寒い。

なお、著者のスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチは、その姓からベラルーシ人だろうなとは思っていたが(実際には後から調べたら、父がベラルーシ人で母はウクライナ人だそうだ)、 今のベラルーシでは体制に嫌われて著作は発禁状態だそうだ。

その昔、渡辺ミッチーが外務大臣だった時代(ソ連崩壊直後の頃)に国会で「ベルラーシ、ベルラーシ」と言っていて、それを後藤田正晴が苦笑いして聞いているのがテレビに映ったことがある。……というのを思い出した(関係ない)。

●ついに逗子市にもカラーマンホールが登場。お隣の葉山町同様に1枚だけの特注品。逗子駅前ロータリー、マクドナルド前のちょっと駅寄りに設置された(8月17日に設置された由)。

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葉山のカラーマンホールは、スタンダードの図柄そのままをカラー化したものだが、逗子市のものは標準品(右)とは別図柄で、逗子海岸の田越川河口側に立っている「太陽の季節」碑越しの海と富士山。石原慎太郎という人は好きではないので「結局逗子ってシンタローなのかよぅ」と思わなくはないが、まあ、その辺はこれ以上ぐじぐじ言わない。

これを機会にマンホールカードの申請も行うそうな。

なお、3月に発行予定だったがコロナ禍で延期されてしまった、東京都の特別版マンホールカードは、どうやらまだ発行時期未定らしい。

●ヒメグルミ(と若干のオニグルミ)のその後。

数日放置して果肉部分をもう少し腐らせた後で足で踏んでとりあえず剥ける分だけ剥き、さらに残った果肉をまた放置して腐らせたり洗ったりを何度か繰り返して、核果を取り出した。写真2枚目、左のハート形がヒメグルミで右の普通のクルミっぽいのがオニグルミ。ずいぶん形が違うが、生物種としては同じJuglans mandshurica の変種なのだそうだ(一般に流通しているシナノグルミ/カシグルミは別種でJuglans regia )。

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思ったより歩留まりが悪く、核果を割ってみると中身が腐っているものも(体感)1割くらいあったが、1/4ほどは川崎の実家に持っていき、残りのほとんどは溶かした砂糖をからめた(4枚目)。

●8月の後半だったと思うが、セブンイレブンの店内にいたら、BGMで「あれ、聞き覚えがあるけど何だったっけな」という曲が掛かって、ちょっと考えて、トラベリング・ウィルベリーズの「Handle with care」だと思い至った。選曲シブい!

店内で掛かっているのはインストゥルメンタルだが、原曲はこちら。

ちなみに私自身は自分ではそこそこヘビーなビートルズ・マニアだと思っていたのだが、ジョージ・ハリソンが中心になって数枚のアルバム(公式には2枚)を出した覆面バンド、トラベリング・ウィルベリーズのことを知ったのは比較的最近。ヌルし。

もっとも覆面バンドとは言っても、上のようにまるっきり顔出しでPVなど作っているので、正体を隠す気は皆無。ボブ・ディランがシレッとバックボーカルを務めていたりして妙に贅沢(リードボーカルを取っている曲もある)。

ちなみにセブンイレブンの店内BGMの曲目は同社のサイトで公開されているが、それを見ると、トラベリング・ウィルベリーズの「ハンドル・ウィズ・ケア」は、9月16日~24日の曲目リストにも名前が出ている。同期間に(トラベリング・ウィルベリーズのメンバーだった)ロイ・オービソンの「プリティ・ウーマン」も取り上げられている。担当者がロイ・オービソンのファンなのか?

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ヒメグルミ

●散歩の途中でオニグルミの実が落ちているのに気付いて、「ああ、そういえばクルミの季節か」と思い出す。

そのオニグルミの実もパッと目に着いた分は拾ったのだが(10個くらい?)、オニグルミはとにかく殻が分厚くて堅く、割りづらいうえに中身(仁)が取り出しにくい。というわけで、このアホ暑い中だが、2年ほど前に知人に教えて貰ったヒメグルミの木のある市内某所に拾いに行く。

とある公園の一角なのだが、市の予算削減のあおりを食ってか、草刈りの頻度が減ってしまったらしく、クルミの木の下は30~50cmくらいの軽い草藪になっている。

おかげで、足で下草をかき分けかき分け、さらに目や鼻の穴にまで入り込みそうなくらい濃密なヤブカの群れに襲われつつという過酷な環境ながら、クルミは拾い放題。数日おいて、結局2袋も拾ってきた。

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これだけあれば、くるみ味噌も砂糖掛けも十分作れそう。もっとも、果肉を腐らせて取って核果の状態にするまでがなかなか大変だが。

●「ナラ枯れ」続報。

前回、名越の大切岸上の尾根道沿いにあるいて、すでに4,5本が立ち枯れになっていると書いたが、その数日後、さらにしっかりチェックしつつ歩き直してみた。

結果、尾根道の西端(法性寺奥の院への分岐)から、反対側のハイランド端の「鎌倉子ども自然ふれあいの森」まで、まだ枯れてはいないもののすでにキクイムシによるフラスが溜まっているものを含めると20本以上がやられていた。

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上写真2枚は、鎌倉子ども自然ふれあいの森内で撮影したもの。木の幹に点々と見える白いものが、キクイムシが食い進んだ穴の入り口と、そこからあふれているフラス。2本ともまだ葉は青かったが、枯れるのは時間の問題だと思う。

下写真は久木7丁目、「池子の森自然公園」との境の尾根。この季節ならあおあおとしているはずが、だいぶ立ち枯れが進んでいる。ここは「立ち枯れ密度」が比較的高かった場所だが、この先、コナラやミズナラから(逗子の山に多い)スダジイにまで被害が進んでいくと、逗子鎌倉を囲む山のほとんどがこんな状態になりそう。

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一応、市役所の経済観光課には連絡。「現地を確認したところ、状況からみてナラ枯れの可能性が高いため、神奈川県に報告し、専門的な知識を持つ職員や樹木医に確認してもらうこととなりました。また土地所有者にも連絡し、今後の対策について相談していきます。」との返答も貰っているのだが、現状、コロナ禍で人も予算も割けないのではないかと思うし、そもそもここまで被害が進んでいて、何かしら取れる対策自体があるのかどうかもよく判らない。

●模型製作は相変わらず開店休業中なのだが、例によって「何かがっつり作る、というよりも、無心に手を動かす作業がしたい」症候群に見舞われ、たまたま本棚の上から崩れ落ちてきたMPM 1:48のバキュームフォームキット、フォッケウルフFw.58Cヴァイエの尾翼を削る。

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ナラ枯れ

●名越の大切岸上の尾根道を歩いていたら、ナラ(コナラ?)の大きな木の根元あたりが、まるできな粉を一袋ぶちまけたように粉だらけになっているのに気付いた。

よく見てみると、その大木はすでに立ち枯れていて、しかし枯れてからそれほど時は経っていないらしく、葉は落ち切っていなくて、この季節だというのに紅葉したように真っ茶色になっている。さらに気を付けて歩ていくと、「粉だらけの立ち枯れのナラの樹」は一本だけでなく、尾根道沿いだけで4本も5本もある。

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帰宅して調べてみると、どうやらこれは、現在全国的に被害が拡大している「ナラ枯れ」という現象で、カシノナガキクイムシというキクイムシの食害をきっかけに「ナラ菌」と呼ばれる菌類が増殖、枯死に至るというものであるらしい。根元に積もった「きな粉」は、このキクイムシの食害で幹に開いた穴からこぼれ落ちた、木屑と虫糞が混じった「フラス」と呼ばれるもの。

ナラ枯れの実態やメカニズムについては、独立行政法人 森林総合研究所 関西支所が作成したパンフ、「ナラ枯れの被害をどう減らすか―里山林を守るために―」がよくまとまっていて判りやすい。

伝染病で何やらえらこいとになっているのは、人間の世界だけではなかったらしい。

調べた後で、改めて逗子の街を囲む山を眺めてみると、山肌の雑木林の中にぽつぽつと真っ茶色に立ち枯れた樹が見える。結構この辺りでも急速に拡大しているようだ。

ここ2年くらいでぱったり姿を見なくなってしまったトラマルハナバチとか、どうも身近なところでじわじわヤバイことが進行中という気が。

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