いきもの

ずしのむし

●すっかり御無沙汰ですが生きてます。

(前回も書いたが)季節労働の追い込みはいよいよ切羽詰まってきており、地域の自治会役員の仕事も滞っていて、もう泣きそう。

そして、先日ケン太さんからコメントを頂くまで開催日を忘れていた「東京AFVの会」が、もう明日(それ以前に何度かネットで確認して、「今年はだいぶ早いぞ」と思っていたのに)。行けるかどうかは今日のこれからの頑張り次第? 行けるとしても、当然ながら、持っていく完成品は何も無し。

●表題の話。

当ブログにもしばしば載せているように、あちこち歩き回る合間に虫(主に昆虫だが、その他の小動物含め)の写真を撮るのが、模型ほどではないにしろ趣味の一つ。

写真それ自体はまったくの我流だし、機材も何も追加していないスマホのベア状態の撮りっ放しでしかないのだが、それでも、「数撃ちゃ当たる」式で、たまにはなかなかいい(自画自賛)クローズアップ写真が撮れる。

そんな写真が、「まあまあ」以上を選んでも300~400種類分くらいは貯まってきたので、特にご近所(逗子市内+α)のものを、写真と短い解説文でまとめておきたいと思うようになった。逗子に引っ越してきてからすでに30年近く、虫の写真を好んで撮り始めてからでも10数年は経っているが、その間にも、「最近、アレ見ないなあ」とか「やけにアレが増えてきたなあ」など、変化を感じることも増えて、何かしら記録に残す意味もあるのでは、と考え始めたのも理由のひとつ。

実を言うと、数年前にもそう思って何ページか分は試しに作ってみたのだが、2年前?のHDDクラッシュで見事消失。もっともその後も虫の写真は貯まり続けているので、「なんとかしとこか」という気持ちがまたもたげてきた、という次第。

Sample01改めて1ページ作り直してみたのが右だが、もともとレイアウトのセンス等はあまり備わっていないので、「暫定の暫定案」程度。今考えているところとしては、

  • 制作に個別に手間は掛けたくないので、できれば統一フォーマットを作って、そこに写真と文章をはめればOKという形にしたい。
  • ただし、写真は横位置と縦位置のものが混在している(撮った時の対象の姿勢などにも関わっているので、これは仕方がない)ので、少なくともそれぞれ用のフォーマットは必要になる。
  • また、使っているスマホの機種変更によって、縦横比が違う写真がある。できればトリミングなどの余計な手間は掛けたくない(が、そのまま使うとなると、ここでまたフォーマットが2種増えてしまう)。
  • できれば「写真1枚+文章」に収めたいが、種によっては2枚以上の写真を使いたいものもある(性的二形の差が大きいとか、翅の裏表を見せたいとか)ので、それへの対応も課題。
  • とりあえずはPDF形式にしてデジタルで保存するだけでなく、プリントしてバインダー形式にしておく?(と、目・科・属別に整理した時に、後から追加しやすい)

などなど。

Img20231005163910 ●相変わらず、プレッツェル(ブレーツェル)のマイブーム継続中。

前回記事で、スナックタイプのプレッツェルのトルコ産のものを紹介したが、パンタイプのプレッツェルも、横浜駅CIEL内のパン屋、トムキャット・ベーカリーでも売っているのを知って試してみた。

見た目はちょっとふっくらした感じ(お店のサイトに出ている写真とずいぶん感じが違うのはどうしたわけだろう?)。食べてみた印象は……。

「普通に美味しい塩バターパン」

の感じが強い。いや、一般的にはこっちのほうが「美味しい」と思う人は多いかもしれないんだけど、正統的な「ブレーツェル」感は鎌倉の山田さん(Bergfeld)に負ける。でもって、私は山田さんのほうが好き。

Img20231102132608 ●模型話もちょっと。

(割としばしばそんなことを言っているが)仕事が煮詰まっているときは「しっかり考証しながら工作を進める」のではなく「無心に単純作業をする」のを息抜き代わりにすることが多い。

今回それで取り出したのは、ハセガワの1:8「ル・ローヌ110馬力エンジン」。

同社がかつて出したミュージアムモデル(と銘打った)、フォッカーDr.Iからの別売で、同じくフォッカーDr.I搭載のシュパンダウ機銃、シリーズの別製品ソッピース・キャメルF.Iからの別売として、クレルジェ9Bエンジンとヴィッカース機銃も出ていた。

その昔、シュパンダウとヴィッカース機銃は作った(そしてどこか行ってしまった)。クレルジェは未組立で棚で仮眠中(熟睡中?)。

ル・ローンは初期のもっと低馬力のものも含め、多数の航空機に搭載された大ベストセラーのフランス製ロータリー・エンジン(マツダのそれではなくて、「エンジン自体が回る」という意味のロータリー)。フランス製なのに、なんで敵国ドイツのDr.Iに載ってるねん、という話だが、これは第一次大戦前にきっちりライセンス契約が結ばれている。もっとも、110馬力の9Jが開発されたのは戦争が始まってからだから、やはり若干のパチモン要素はあるかもしれない。

個人的には、ハセガワは(もちろん国内メーカーだけにある程度以上の質は保持されているものの)「ちょっと信用ならないところがある」印象があるメーカーだが、このル・ローンはそれなりによくできていると思う(と、言い切れるほどル・ローンのエキスパートというわけでもないが)。とはいえ、組立上の一大課題は、張り合わせ式のシリンダーの、細かいフィンの間にしっかり張り合わせラインが出てしまうこと。

ナイフでほじほじというのも間に合わないし、極細のヤスリも入らないので、結局は800番のペーパーを2つ折りにして、その折り目部分を突っ込んでヤスリ掛けをした。

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左写真、左側が作業後、右側が作業前。それなりに目立たないレベルまで消せていると思う。

なお、数日前、この作業をしながら何の気なしにシリンダーの数を数えたら、本来9本あるべきところ、8本しかない! 作業の途中で失くしたのか? それとも、そもそも過去いじっているときに、どこか別の場所に間違えて入れてしまったのか? ……と思って焦ったのだが、しばらくして、自分が座っているすぐ脇の、別の模型箱の上に1つぽつんと立っているのを発見した。

というわけで、めでたく9本に戻った記念撮影が右写真。手前右に転がっているのは、ル・ローンのシリンダーのヤスリ掛けの前に作っていた、SU-100用の増加燃料タンク。「それこそ、パーツを張り合わせるだけだろう!」と言うなかれ。SU用のタンクはちょっと面倒なのだ(という話はまたいずれ)。

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シブリ汁に挑戦

●カワセミというと山奥の清流にいるようなイメージがあるが、逗子・鎌倉近辺では、実はそれほど珍しい存在ではなく、街の中を流れる川辺で時々見かけることがある。

とはいっても、ブルーメタリックに輝くその姿はやはり格別で、出会うとなんだかとても素敵なご褒美を貰ったような気になる。

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上2枚は、3日日曜日の夕方、鎌倉の本覚寺門前、滑川(夷堂川)で見かけたカワセミ。ロケーションとしては、鎌倉駅から歩いて5分もかかるかどうかという、まさに街の中心部。

夷堂橋を渡っている際にふと川面を見下ろしたら、やたら機動性のよさそうな青いキラキラのロッテ(2機編隊)が高速で飛び去って行くのが見えた。しばらくすると、番と思われる2羽のうち1羽だけが戻ってきて、川べりのススキに止まったので、スマホのソフトウェア的ズームで無理矢理拡大して撮った。

そのせいで粒子も荒いし、せっかくの瑠璃色も飛んでしまって「まあ、へちゃむくれた鳥がいるわな」くらいにしか写っていないのが残念。

いつか間近に撮らせてもらえる機会があるといいなあ。

●先月書いたプレッツェルの話の続き。

当初の、「一回食ったら満足すると思う」という予想に反し、なんだかずるずるとはまってしまって、その後2度3度と、鎌倉のUnionでプレッツェルを買って食べている。ついでに鎌倉のドイツパン専門店(ベルグフェルト/Bergfeldという店名。初代社長が山田さんだそうなので、まさか苗字直訳?)で、パンタイプのプレッツェル(こちらは特に「ブレーツェル」と呼びたくなる感じ)も2度ほど買って食べた。

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パンタイプとスナックタイプでは食感は違うのに、味はそっくり。ちなみにパンタイプは、これまた細いところはカリカリ、太いところはもふもふで、1つのなかで食感が異なる。またパンタイプの方は(特にこのお店のものは)塩が一番太いところにだけまぶされているので、細い方を少しかじっては太い方で塩味を補給という、「こなちゃん的コロネの食べ方」みたいな食べ方が必要になる。ばるさみこ酢~(昔懐かしい「らきすた」)。

Img20230822185848 ●続けて食い物関連。

先月下旬、シブリ汁(冬瓜のスープ)を作ってみた(シブリ=冬瓜は、奄美大島の島言葉)。

もう10年以上前、叔母に御馳走になったシブリ汁がやけに美味しくて記憶に残っていたのだが、冬瓜自体がデカくて買っても持て余すし、そもそも冬瓜を料理したこともないし……。と、季節になるたび、ただ横目で見ていたのだが、逗子駅前のスーパーで1/8割を安くで売っていたので、つい購入。適当目分量レシピで、なんとかでっちあげてみた。

ネットで検索してみると、沖縄の「シブイ汁」は基本、塩味ベースらしいのだが、叔母に作ってもらった「シブリ汁」は醤油味。奄美のシブリ汁は基本そうなのか、父母の郷里の集落がそうなのか、あるいは叔母が適当にそうしたのかは不明だが、ここは記憶通りに醤油ベースで。冬瓜はとろとろに、なかなか美味くできたとは思うけれど、やはり叔母の作ってくれたもののようにはいかない。ぎゅっと鶏の旨味が凝縮されたような味は、田舎の地鶏じゃないと出ないのだろうと思う。もっとも、次に作る機会があれば、今回よりもさらに少しは美味くできそうな気もする。

ちなみに、叔母に作ってもらったシブリ汁を食べた話はこちら

(シブリ汁を作ったのとは別の)叔母の誕生日で、川崎の実家に親戚が何人か(ドイツ人Pの家族も)わらわら集まって、という状況だったらしい。その時誕生日だった叔母は昨年死去。シブリ汁を作ってくれた方の叔父叔母夫妻も現在は体調不良。母は老健に入所していて、一時の危機的状況は脱したものの楽観視してよい状態でもない。もうああやって集まることもないのだなあ。

●以前の記事にも(そして上にも)書いたように、冬瓜は父母の郷里である奄美大島の言葉では「シブリ」、沖縄では「シブイ」。

ちなみに「魂」は沖縄では「マブイ」だが、奄美では「マブリ」というようだ。島唄の「行きゅんにゃ加那節」に、「吾きゃ加那やくめが生きまぶり/私の愛しい御方の生き霊(ではないだろうか)」という歌詞がある。

ウチナーグチの単語末の「i」が、奄美のシマグチでは「ri」になるという、何か法則性みたいなものがあるのかどうかはよくわからない。

●夏の夕の富士山2景。

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ともに8月31日、逗子・披露山から、わずかに時間差・高低差付きで撮影したもの。

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蜂ロボ

Img20230709165704 ●9日日曜日夕方、(小坪高角砲台で何度も話題にしている)披露山の“七曲り”の山道を下ろうとして、雨で湿ってぬめっていた岩の表面で足を滑らせ、派手に転倒してしまった。

右は転倒直前、披露山山頂下の駐車場側から、山道を見下ろして撮ったもの。この直後、この写真の真ん中あたりで滑った。この写真だとよく判らないが、そこそこ傾斜があり、転んだ拍子に頭を打って脳震盪を起こし、眩暈と吐き気でしばらく起き上がれなかった(一度起きようとして写真左の藪に半ば突っ込んだ)。

少し休憩していたら眩暈も吐き気も収まったので普通に歩いて帰宅。ただし転んだ時に右手を突いて数か所に切り傷+手首を捻ったらしく痛み、ズボンの左側は泥だらけ。手首はその後もじんわり痛く、一晩明けたら右手首から先がゴム手袋に空気を入れたように腫れてきて、しかも手のひら側がうっすら青あざになってきた。

当然キーボードも打ちづらく、仕事の文章もこのブログもほぼ片手打ち。このところすっかり更新頻度が落ちているのに、こんな時にわざわざ書いてるのも、我ながらどうかと思うが。

なお、転倒時に右手に持っていたスマホは、(右手自体はひどい有様なのに)ケースの隅を泥で汚しただけで済んだ。下手したらバキバキに破壊するところだった。

近辺の山歩きは最近の私の道楽の一つだが、年齢的に足腰も頼りなくなっているかも(もともとあまり運動神経もよいほうではない)。そろそろ、一人でふらふら山歩きに行くなって話かも。かもかも。

●近世の東海道は戸塚とか保土ヶ谷とか、もっと内陸を通って江戸に向かうわけだが、律令時代の古東海道は、この辺りを通って横須賀に抜け、東京湾を渡って房総半島に上陸、常陸の国に向かうという道筋だったそうだ。上の披露山の“七曲り”が、その古東海道の一部だったのではという話もある。

ただし、律令時代の古東海道は、道幅広く極力直線的に整備されていたと(どこかで)読んだ記憶があり、それを考えると、この七曲りの山道が古東海道だったというのは、ちょっと無理がある気がする。具体的に街道遺構のようなものが発見されたという話も聞かない(私が知らないだけかもしれないが)。

もっとも、古東海道が逗子を通っていたとすれば、考えられる道筋は名越か姥子台~披露山程度しかない。一方、南の逗子・葉山の境界尾根上には、関東地方有数の規模の前方後円墳2基(長柄桜山古墳群)がある。規模、様式からヤマトとのつながりが深いことが伺え、東西交通の要路を見下ろす位置に作られたのでは考えられている。これは、その後の古東海道もこの辺りを通っていた傍証となる。

●その披露山の西端、小坪の漁港から見れば突き当り山際の長い急階段を上ったところに、天照大神社という神社があり、これが小坪村の総鎮守であること。それとは別に、山の下に須賀神社(小坪天王社)という神社があって、これは天照大神社の境外末社(お寺でいえば塔頭とか末寺とかの感じ?)であること。小坪村の村祭である7月の「天王祭」は、総鎮守の天照大神社ではなく、須賀神社のほうのお祭であること。

――については、以前にもちょっと書いた。

その須賀神社の神輿が老朽化してきたとかで、山の上の我が家のある地区でも、修繕費用の募金のお願いが回覧板や地区の掲示板で告知されている。須賀神社の祭神スサノオノミコト(の神輿)が葉山・森山神社の妻神クシナダヒメを訪ねる三十三年祭の次回も数年後に迫っており、それまでに修繕を終えたいらしい。

ちなみに、うちの娘がまだ小さかった頃、「山の上の(新興住宅地の)住民はよそ者だから祭には参加できない」と言われたことがあり、個人的には「どの口が!」という気持ちもないわけではない。が、近年は山の上の子どももお囃子の練習に混ぜてもらったりしているようだ。高齢化・少子化で、漁港の人間だけでは祭も維持しづらくなっているからと言えばそれまでだが、少なくとも、今の若い世代には変なこだわりもわだかまりもないと思うし、うまい具合に協力して祭を維持できていければいいね、とは思う。

●とにかく手がそんな具合なので、何をするにも不自由。ヒマネタで、IBGのTKS 20mm砲型に付属の「デブでヒゲのポーランド士官」の話でも書こうかと思っていたのだが(SU-100についてはけが以前に目立った進捗がない)、細部写真を撮るのに苦労するので、またいずれ。

●ネットで拾ったニュース。

日本工業大学において、小型ドローンを使用した人工授粉実験が進んでいる由。記事はこちら

ミツバチやマルハナバチなど、自然界のポリネーター(花粉媒介者)の減少は著しく、将来的な食糧生産にも深刻な影響があると考えられている。もちろん、この実験は自然界のポリネーターを補うなどというスケールの大きい話ではなく、(飛行の安定と制御と都合を考えても)限られたハウス内でのことなのだが、小型ドローンがハチの代替として多数飛び交う空間は、空恐ろしいような、見てみたいような。

記事には「ハチや人手による従来の方法と比較して着果率が約10%の改善」とあり、「そもそも、ハチと人手が同じ効率なのかよ!」と脳内突っ込みを入れてしまったが、これは、そもそも対象のトマトは自家受粉が可能で、単純に花を揺らすだけで受粉作業を完了できるから、というのが理由になっていそう。小型ドローンがいちいち花に綿棒を突っ込んで受粉させたりはしないのね……。

なお、数年前の一時期、逗子でぱったり姿を見なかったトラマルハナバチだが、最近は(以前より少し少ない気はするものの)普通に見かけるようになった。善哉善哉。

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姿を見かけなかったのは、連続の台風で山が滅茶苦茶になった2019年のあとの2年ほどだったと思うので、営巣地が軒並みやられてしまったのかもしれない。

●名越の山道(大切岸下)で、アホでかいキノコが群れて生えているのに遭遇する。

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昨年も同じ場所によく似たキノコが生えていて、環境省「いきものログ」の種名調べ支援で「オオシロカラカサタケ」と同定してもらった。これもそうだと思う。なお、以前はこの近くでよく目にしていた、やはり白くて大きなキノコであるシロオニタケは、ここ数年見ていない。

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サヨナラ、ポスト(3)

●26日金曜日。

お隣・葉山町の現存丸ポストのうち、県立近代美術館葉山そば(葉山町一色1657、ポスト番号123)のものが、今月末で撤去されてしまうという話を聞いて、「最後の雄姿」を見に行く。

我が家から歩いて葉山御用邸前往復。行きは内陸コース、帰りは海岸周りコース。

この際、葉山の現存丸ポストをまた一通り確認しておきたい気もあったのだが、自宅を出たのがすでに3時に近く、消えゆく主役にたどり着くまでに日が傾いても嫌なので、ルート上にあるもののみ再確認した。残りの3基、知らないうちに撤去されたりしてないだろうなあ。

葉山町の丸ポスト(郵便差出箱1号(丸型))は、私が初めて同町の「丸ポスト巡り」をした2018年6月には、全部で9基あった。

しかしその後、2基が撤去。今回さらに1基撤去が決まり、今月末で6基にまで減ってしまうことになる。逗子市内の4基も、いつまで無事か。

▼県立近代美術館葉山そば(葉山町一色1657、ポスト番号123)の丸ポスト。今月末で撤去が決定しているもの。

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御覧のように、「お店の顔」的存在ではあったのだが、この店自体が営業しているところを見たことがないので、風早橋の「たねや」同様、店ごとなくなってしまうのかもしれない。ポストの後ろに掲げられた「赤いポスト」の文字も消えかけているのが侘しい。

●その他今回改めて確認した葉山町内の丸ポスト。

▼向原交差点脇(葉山町堀内1825、ポスト番号108)。

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隣がアジサイなので、この季節が一番見栄えがする。

▼旧役場前・セブンイレブン脇(葉山町一色1818、ポスト番号129)。

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古めかしい丸ポストと、新しいコンビニとのミスマッチな組み合わせが面白い(といっても、セブンイレブンも、もう日本で展開を始めて50年近いが)。

▼しおさい公園近く、元葉山一色局前(葉山町一色2095、ポスト番号124)。

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向原交差点脇のポストはアジサイの隣だったが、こちらはイヌビワ。

●最近丸ポストが撤去された跡地二つ。

▼風早橋信号脇、葉山町堀内671。撤去直後の記事、「サヨナラ、ポスト(2)」。

撤去直後は更地に根石だけ残っていたが、その後(22年春?)代替の箱型ポスト(たぶん郵便差出箱10号)を設置。ポスト番号は、丸ポスト時代のものをそのまま引き継いで「109」となっている。今回改めて観たら、「たねや」跡地には新たに不動産屋(の支店)が建っていた。

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再建直後(右写真)に比べると、ポスト設置位置は新しい建物に合わせて逗子側に数メートル移動しているようだ。

▼森戸神社前、葉山町堀内1047。撤去直後の記事、サヨナラ、ポスト」。

元ポスト番号121。撤去後しばらく根石が残っていたが、今回見たら、その根石もなくなっていた。

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Img20230526173641 ●葉山の元町近くのとあるお店?の外壁に掛かっている「煙草小賣所(小売所)」の看板。以前から通りかかるたびにちょっと気に掛かっていたもの。

ネットで調べてみると、1949年の専売公社発足前、大蔵省専売局時代に発給していたものらしい。

「三重県総合博物館」のページに、ある程度の解説があった。同博物館ページに掲載された写真は、右の「赤地に白文字」ではなく、「白地に黒文字」。ホーローではなく木製のものもあったそうだ。

右は、建物は新しいので、それ以前にあった?古い煙草屋のものを引き継いで掲示しているらしい。ちなみに、この隣には専売公社時代の煙草屋の看板も掛かっている。

●26日金曜日は、4年ぶり?の逗子海岸花火大会だった。

上のポスト巡りの帰り、逗子海岸を通りかかったが、6時前後で海岸は御覧のような感じ(大会そのものは7時半スタート)。

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湾に3隻の打ち上げ船が出ていて、右写真はその1隻から、開始前の「案内花火」(正式名称知らず)が打ち上がっているところ。ちなみに私は花火は観ず、海岸に出掛ける近所の人らとすれ違いつつ帰宅。

なお、大会開始直前に、千葉で比較的大きな地震が発生した。幸い、「津波の危険は無し」ということで済んだが、もしも津波注意報/警報など出たら、海岸から内陸に向かう道筋が数本しかないため、混乱~パニックによる事故もあり得たと思う。

●マダケのタケノコ、今年の初収穫。

タケノコの伸びというのは大したもので、数日前には「まだ気配もないなあ」などと思って見ていたのに、気が付いたらいつの間にかニョキニョキ生えていた。

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下茹でして、大半は水煮状態でジップロックで保存。近くピリ辛メンマ風炒め物にする予定。1本分だけは焼きタケノコにして頂いた。

以前、単に採ってきたままを焼いたら、ややえぐみが残っていたので、今回は下茹でしてから(とはいっても、ヌカなどは入れず単純にお湯で煮ただけ)オーブントースターで。ある程度焼いてから、醤油+酒+みりんのタレを付けて再度ちょっと焼いて仕上げたが、一度付けただけだと味付けが薄い。えぐみもまだちょっと残っている感じ。素材は十分に美味しいので、「焼き」に関しては、なお料理法の研究の余地あり。

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大乙嫁語り展

●21日日曜日、息子のところのチビの(保育園の)運動会があり、本郷台まで出かける。

なにしろ保育園なので、ほとんどよちよち歩きの幼児からいて、その年代層も混じった演目の場合は、本人がボーっとしているのを大人が抱えて強引に進行させたり、常にどこかで大声で泣き叫んでいるのも複数いたりで、なかなか混沌とした状況。

うちのチビは、もうそこそこ大きいので、その辺は大丈夫。体操で一人だけテンポがズレていたり動作が逆だったり、かけっこが意外に早かったりで、それなりに見ていて面白かった。

Img20230524120650 ●折よく、本郷台駅前のあーすぷらざ(神奈川県立の公共施設)で「大乙嫁語り展」というのをやっていて、運動会帰りにいそいそと見に行く。

というより、私が「乙嫁語り」を読んでいるのを知っている息子から、当日に「こんなのやってるよ。行けば?」と教わって、初めてそんな催しをやっているのを知ったもの。偉いぞ息子よ。おかげでせっかくの機会を見逃さずに済んだ。

●「乙嫁語り」は森薫によるマンガ作品で、エンターブレイン刊の漫画雑誌(「Fellows!」→「ハルタ」→「青騎士」)に連載。単行本は現時点で第14巻まで出ている。

19世紀半ば過ぎの中央アジアを舞台にした群像劇で、この地域の民俗を調査する若いイギリス人、ヘンリー・スミスを狂言回しに、各地の「乙嫁」(特に第一の「乙嫁」であるアミルさんと夫のカルルクを中心に)とその周辺の人々のあれやこれや(さらには人間からも離れて自然)を描く。長編第一作でヴィクトリアン・メイドを描いた「エマ」に続いて、同作者の趣味全開。そして描き込み全開。私が、単行本が出るたびに買っているマンガはいくつかあるが、その中でも気に入っている1本。

●会場は、専用の撮影機器は不可でもスマホでの撮影は可で、割と太っ腹。

もちろん、会場で直接観るならまだしも、スマホで撮って照明等が写り込んだ絵を見るくらいなら単行本見ろよ、という話なのだが、せっかく撮ってきたのでいくつか。

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まずは(カバー)表紙画集。ただし最後の1枚(夫sとじゃれるライラ・ライリ)は表紙ではない。どこに使われた絵かなー(会場で説明が添えてあったかどうかもちゃんと見ていない)。もちろん会場にはもっとたくさん展示されていた。

表紙はカラーの人物とセピア調の背景は別々に描かれていて、後から合成している由。会場では人物と背景がペアで展示されていた。

下は背景の一例と展示の様子。この背景は「うろたえるパリヤさん」(上写真の5枚目)と組になっている第8巻のもの。

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●カラーの群像。カバー裏表紙のもの。美しい(そして細かい)。

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実際の本では値段とかバーコードのタグとかが重ねられているし、若干のトリミングもあるので、一枚絵としてしっかり見られるのはよい。

もっとも、裏表紙までしっかり鑑賞していなくて、「えーっと、こんな絵あったっけ」などと思ったりしたので、大きな声で「愛読者」とは言えないかも。

●本編のモノクロページの原画はラフのコピーを添えて展示されていた。下は、アミルさんがカルルクのもとに嫁いできた、まさに物語の最初も最初、第一巻冒頭のシーン。

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よく見ると、ラフ段階では夫婦とカルルクの両親だけで、祖父母や姉家族が一緒ではなかったことが判る(現地で見たときは気が付かなかった。ボンヤリ過ぎる)。

●それぞれの絵にはキャプションとして「~が苦労した」とか、作者のコメントも添えられて、またその他に作者インタビューなどの掲示もあって興味深かった。下写真のように、執筆風景の動画も流されていた。

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最近はPC上でペンタブなどを使って描く漫画家が増えているが、この作者は昔ながらの手描き。「うわー。職人だなー」という感じ。

●アラル海湖畔編の双子、ライラとレイリのライラは「ライラとマジュヌーン」、ペルシャ編のアニスとシ―リーンのシ―リーンは「ホスローとシ―リーン」、どちらも詩人ニザーミーの作品で有名なペルシャのロマンスから名前を採ったんだろうなあ、と思う。なお、どちらも東洋文庫で読んだはずだが、話の中身はすっかり忘れている。

ちなみにエリック・クラプトン(デレク&ドミノス)の「レイラ(Layla)」は「ライラとマジュヌーン」をモチーフにしていて、名前は「ライラ」の英語読み。曲のおかげで、なんだか英語圏では「よくありそうな名前」に思ってしまっていたが、実はそうではないらしい。

「カレイドスター」の“お蝶夫人”、レイラ・ハミルトンさんは大富豪令嬢だが、実はお父さん、ああ見えて元々はロック野郎?

もっとも、サーミ由来のスカンジナビアの名前でも「Laila」というのがあるそうだ。ハミルトンという姓は主にスコットランドの氏族由来だそうだが、レイラさん一家はスカンジナビア系も入っているのかも(どうでもいい話)。

●閑話。

ここ一年近く、PCメール宛に届くフィッシングのメールが急増している。当初amazonを騙って届いたメールについては、昨年7月の記事でも書いた。

その後は、偽装対象のバリエーションもどんどん増えてきていて、

  • amazon
  • ETC利用照会サービス事務局
  • えきねっとサポートセンター(JR東日本ネットステーション)
  • 三井住友カード
  • PayPay
  • エポスカード
  • 楽天カード
  • 三井住友信託銀行
  • American Express
  • JCBカード

多くは「アカウントが失効するので情報を更新せれ」とか「不審なアクセス/怪しい注文があったので確認せれ」とかなのだが、中にはちょっと毛色の変わったものもあって、

Fishrakuten02 Fishamazon02

左は、キャンペーンに参加すると、かなりお得なポイント付加が得られるというもの。右は「受け取りポイントが増えます」という、一見どこが詐欺に通じるのかよく判らない通知だが、詳細を見るリンクをクリックすると何か抜き取りのステップに進むとかなのだと思う。ちなみに上は試しにhtmlを開いてみたが、下手をするとhtmlを開くだけでどこかに飛ばされる可能性もなくはない気がするので、普段は(確認する場合も)プレーンなテキストでしか開かないようにしている。

ちなみにこれらのメールは、多くがドメインが「.cn」という時点でニセモノなのがほぼ確定できるが(それ以前に使った覚えもないカードとか、車に乗らないのにETCとか)、たまに「.cn」以外のものもあるので注意が必要。

こうした「企業を騙る」ものとは別に、最近は続けて2通、

Subject: お久しぶりです。
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相変わらずお忙しくされていると伺いましたがお元気になさってますか?
また一緒にお食事でも行きたいですね。

Subject: 今日は忙しいですか?
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急ぎでは無いので、お時間ある際にお返事ください。
あっ、電話でも大丈夫です♪

という、差出人名無しのメールが来た(差出アドレスはdocomoの携帯メール)。

最初は、誰だか判らんけどウッカリなヤツだなあ、と思ったが、これまた、実は最近増えている返信狙いの迷惑メールだそうだ。「迷惑メールに返信してみた」体験談をネットで見てみると、返信すると(とりあえず当初は?)コピペながら「送信先を間違えました/済みません」→「これも何かのご縁」と話を繋いでいって、最終的に有料チャットやら有料サイトやらに誘導するらしい。迂遠だなあ。

ちなみに、「ヒマだから騙されたフリでからかってやろう」で返信するのは、こちら側のアドレスが使用中のものであると拡散する原因になってしまうので、控えたほうが良い。

●ここ最近の、近所の虫。

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1枚目:ナガサキアゲハのオス。名越切通にて。逗子には「黒いアゲハ」は何種かいるが、無尾なのはナガサキアゲハだけ。普通、昆虫は「オスが派手、メスは地味」ということが多いが、ナガサキアゲハはメスは後翅にかなり派手な斑紋があるのに対し、オスはほぼ真っ黒なのだそうだ。もちろん、昆虫自身の目で見ての派手・地味の基準は判らないけれども。

2枚目はコミスジ。3枚目の薄黄色の蛾はウスキクロテンヒメシャク(たぶん)。蛾の同定はなかなか面倒で、これも「シャクガの仲間かなあ」というのはとりあえず当たったものの、そこから先がまたちょっと苦労した(シャクガ自体かなり種類が多いので)。類似の近縁種もいるようなので、同定は「たぶん~かな?」レベル。4枚目はネコハエトリ。家の中でよく見るアダンソンハエトリよりも大きめかつ派手。

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1枚目:コマルハナバチのオス。2枚目:ニホンミツバチ。ニホンミツバチとセイヨウミツバチは、正確には後翅の翅脈の細部を見ないと判別できないのだが、この写真では、ごく微かにその部分が確認できる。

3枚目はオオスズメバチ。できれば近寄りたくない相手だが、この時は樹液に夢中だったのである程度近寄って撮れた。私の小指くらいの大きさがあったので、巣作り前の女王バチかも。

4枚目:こういう極小の蛾の同定は(上のシャクガよりも)さらに面倒。最初は、この「ジャンピング土下座」スタイルから、身近でよく見るヨツスジヒメシンクイと近縁で、つまりはハマキガ科かと思ったのだが、まったくハズレだった。カザリバガ科のカザリバ(たぶん)。これまた同じカザリバガ科で類似の近縁種がいるので「たぶん」が付く。

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はちみつとウィスキー

オレは筋金入りのスケールモデラーだぜ!

と言い切りたいなら、この週末はすべからく静岡に行っているべきなのかもしれないが、いつもと変わらず逗子でぐだぐだしている。

もっとも、今世紀に入ってからは、一度も静岡ホビーショーに足を運んでいないかもしれない。スケールモデラー失格か? 失格なのか?

まあ、ホビーショーで何か「おお!これは!」というネタがあったら、コメント欄等々で教えてくださいませ。

●年初に転倒・骨折した母は最初の手術はすんなり終わり、退院して老健に入所したものの、再度(無理をしようとしたようで)転倒してもう一方の脚を骨折し再手術することに。その時にコロナ罹患が発覚したり、手術後に脳梗塞を起こしたり、さらにようやく退院が決まったら帯状疱疹になって延期になったりで長引き、GW中にようやく退院となり、再び老健に戻った。

兄とドイツ人Pと3人で退院の迎えに行ったが(といっても迎えの主力は老健の送迎車だが)、こちらをちゃんと認識しているかは怪しい感じ。とりあえずリクライニング車椅子で移動するしかない状態だが、それでも、(脳梗塞の麻痺のないほうの)右手を握るとしっかり握り返すし、老健の看護師さんの名札を自分で読んで、「〇〇子さん? 何〇〇子さんなの?」と訊ねたりで、むしろ思ったよりしっかりしていた。

●その他、自治会の用事で右往左往したりしなかったり、数年ぶりに大腸の内視鏡検査をして(精神値をゴリゴリ削られる)、ついでにポリープを切除したりで、なんだかんだと1カ月以上も(また)当「かばぶ」更新をさぼってしまった。模型製作も(その後SU-100もわずかに進んではいるが)低調だが、とりあえず生存報告も兼ねて。

●4月半ば。地元逗子のfacebookのグループ内の知り合いで、地元の野山のあれこれを採って食べようという同好の士、「逗子拾い食いの会」の飲み会を3年ぶり?に挙行。

前回はキッチンもあるイベントスペースを借りて十数人?集まって大々的に開催したが、今回は比較的こっそりとゲリラ的に。参加者5人。

飲んだり話したりで忙しく、せっかく持ち寄った料理の写真を撮るのを忘れた。私は茹でたアケビの芽、ツワブキのピリ辛佃煮を持ち込んだほか、刻んだノビルの葉とお好み焼き粉を持って行って、会場のお店のキッチンを借りてノビルのチヂミ?を焼いた。

ほか、イタドリのメンマ風、ノビルの甘酢漬け?、ハルジオン味噌、地元の筍の水煮や炙りなど。「収穫時に、自分でしっかり分かっているものしか採らない」は鉄則として、その上で「もし持ち込んだもので腹を壊しても恨みっこ無し」を互いに確認したが、なんだかんだでどれも美味しかった。

市内山の根で養蜂をしているというFさんが、月別(つまりメインとなる花別)のハチミツを持ってきて味見させてもらったが、初めてハチミツの味比べというのをして、実際に「ちょっとこってり」とか「華やかな感じ」とか、味に違いがあるのが判って面白かった。

衝撃だったのが、その時教わった「ハチミツを肴にしてウィスキーを飲む」という飲み方。

Fさんはスコッチで飲んでいるとのことだが、バーボンでも大丈夫だろうということで、バーボンで試す。

これが結構衝撃的。小さなスプーンの先にほんのちょっとハチミツを付けて舐めて、その後、ストレートのバーボンをちびりと飲む。当然、バーボンの味は結構強いのに、飲んだ後もハチミツの風味が口の中に残り続けていて、それが何とも言えない。

Fさんが養蜂を始めたのも、この飲み方を教わって衝撃を受けたからだそう。皆様も(ウィスキーが好きなら)ぜひ一度お試しあれ。

●そんな「逗子の野山の食べられるもの採集」は、春の山菜が一段落して、今はキイチゴの季節。

この季節に採れる(近所の)野生キイチゴはモミジイチゴ、カジイチゴ、クサイチゴだが、市内某所で思いがけずクサイチゴが大量に採れたので、現地でつまみ食い+小倉マーガリンコッペパンにトッピングに加えて、初めてジャム作りに挑戦した。

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1枚目は藪の中で実っているクサイチゴ。この写真だと低く見えるが、ぱっと見で似ているヘビイチゴよりもずっと株が立っているし、実も大きい(実の構造も違う)。茎には細かいトゲがあるので、藪に手を突っ込んで採集していると、結構チクチク痛い。

3枚目は最近定番の小倉マーガリンコッペパンにテンコ盛り。どうもこればかり続いているので、たまにはチョコホイップクリームとかにすればよかったかと(食べる直前になって)思った。

そして以下はジャム作り。

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クサイチゴにたっぷりの砂糖をざっくり合わせる(1枚目)。ネット上でレシピを見ると、だいたい重量比で実2:砂糖1というのが普通らしいが、今回はやや砂糖少なめ。果汁がにじんで砂糖が溶け始めたら弱火でことこと。レモン果汁(ポッカレモン)を加えて、ある程度とろみが出てくるまで煮詰める(2枚目)。熱湯消毒した瓶に移して冷ます(3枚目)。100均で買った瓶、もっと小さいのでよかったなあ……。

ネット上で見ると、裏ごしして種を除いたり、煮詰める際にスパークリングワインを加えたりといった例もあったが、今回はとことんシンプルに。そもそも、種のプチプチ感があってこそのキイチゴだと思っているし。

ちなみに砂糖をたっぷり、さらにレモン果汁も加えるのは、味の調整というよりは、保存のため、および果実のペクチンと反応させてねっとり(ゲル化)させるためであるらしい。

そして今日の朝食では、いつものシリアルに加えてトーストにこのジャムをたっぷり塗って1枚。茶色のきび砂糖を使ったからなのか、果実の鮮やかな色はなくなってしまったのがちょっと惜しいが、味はとても良し。

●なお、クサイチゴ以外の(この季節の)3種に関しては、カジイチゴは例年楽しみにしている場所が結構刈り込まれてしまって、手の届く範囲ではほんのつまみ食い程度しか採れず。

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モミジイチゴは、以前によく採って食べていた場所は何年か前に崩落防止でコンクリートで固められてしまい、その後再び生えてきてはいるのだが、手が届かない。残念。

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スベスベマンジュウガニ

●「スベスベマンジュウガニ」というカニは、そのファンキーな名前と、一方で名前のイメージに反して毒があるという意外性から、比較的知名度は高い。(おそらく)名前のせいでイジられて、NHKの「みんなのうた」でも取り上げられた歌になったことがあるので(私自身は今回初めて検索して聞いた)、さらに知っている人が増えたかも。

Img20230317154503 先日、材木座海岸を歩いていて、波打ち際に丸っこい、小さいカニの死骸があって、「ああ。たぶんスベスベマンジュウガニってこんな感じのカニなんだろうなあ」と思ったのだが、帰宅して写真をもとに検索してみたら、(むしろ意外なことに)本当にスベスベマンジュウガニだった。こんなご近所にいるカニだったのか……。

なお、写真はパッと見で「こっちが上かな」と撮ったのだが、帰ってよく見たら天地が逆だった。写真下が本来の頭側。

●その材木座近辺の軍事遺構について少々。

住吉城址~扇山の裾は、突端の西小坪海面砲台をはじめとして、洞窟陣地跡が点在している。

光明寺の裏山、鎌倉第一中学校北側脇の駐車場奥の崖面に、いかにも戦時中のものと思われる、コンクリート巻きの洞口があるのに(今更)気付いた。

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よく似た洞口は、光明寺の本堂(大殿)真裏の崖面にもある。現在光明寺の大殿は大規模な保存修理工事中で、それに合わせて本堂裏の道も足場で若干かさ上げされていて、洞口も半分隠れている。

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上の駐車場のものとよく似ているが、よく見るとコンクリート巻きの上部が上は緩いアーチ型、こちらは直線の屋根型。また、洞の入り口近く数メートル分は洞横も半露出になっていて、コンクリートが外側からも確認できる(2枚目写真)、洞窟自体は真っ直ぐでなく、ちょっと「くの字」型。内部は、現在もお寺が資材置き場的に使っているらしい。覗き込むように撮った写真からみて、奥はちょっと広がっているようで、その部分は素掘りかも。

4枚目は洞窟と無関係で、その洞窟の対面側、保存修理中の大殿を覆うパネル一部が透明で、中をちょっと覗き見できるようになっている。現在の大殿は、外壁も内壁も床面も全部取り払って、骨組みだけになっているようだ。

●光明寺からまた山側に戻って、第一中学前の道が材木座~姥子台間の道に当たるわずか手前の崖面にも、洞窟陣地跡がある。崩落防護網や藪のせいで、普段は存在自体がなかなか確認できないのだが、たまたま午後の陽が当たってわずかにコンクリートの構造物が見えた。ここは単純な洞口ではなくて、内側が一段窪んで銃眼がしつらえてあるらしい。

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しかし写真にすると、やっぱり判りづらいなあ……。

Img20230319173056 ●20日月曜日。仕事先の事務所で数年ぶりの花見。千鳥ヶ淵、英国大使館前にて。久しぶりに都心に出た。

とはいえ、まだこの時は三分咲き程度。

前日に今年初収穫したアケビの芽を茹でて持って行った。出がけに逗子駅前OKストアで買っていった使い切りの胡麻ドレッシングで食す。これはこれで好評だったものの、数人に「今年はノビルはないの?」と言われた。

花見の席の近くを通りかかった女性のひとりが、いわゆる“胸開きタートルネック”を着ていて驚く。え?あれってネタとか伝説上の存在とかじゃなかったの?

●ほか、春の収穫ネタ。

私自身はもともとツワブキは、独特の味のクセがあまり好きではなく、好んで収穫しようと思わないのだが、義妹は好きで、日常的にあれこれ採っている私に「ツワブキはまだ? あれって下処理はどうするんだっけ」などと聞いてくる。

たまたま散歩に出た際に、ちょうどよい具合に若い葉が出ているツワブキを見つけたので、「ついでだから採って行ってやろう」と一束摘んで義妹宅に持っていったら、「ちょうど今日採ってきて今煮たところだよ! 持って帰って自分で作ってよ」と言われてしまった。なんという間の悪さよ。

というわけで仕方がないので、久々に(以前作った時の手順はすっかり忘れてしまったので、改めてネットなど見つつ)佃煮(風?)を作る。

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下処理は一茹でして皮むき。……前に作った時って、皮剥いたかなあ。

適当に刻んで、まずは日本酒、顆粒だし、醤油と、みりん、砂糖を少々。刻んだ鷹の爪を心持多め。色が薄い気がしたので、もうちょっとちゃんと味が染み込むようにと、途中で一度、すこしだけ水を差している。水気が飛ぶまで炒め煮して終わり。

意外なくらい美味しく出来て、これだけで飯が食えてしまう感じ。ツワブキを見直す。この春のうちに、あと数度は作ってもいいかも。

某所に「ミズはもう生え始めたかな?」と見に行ったら、まだ本当に生え始めで、5~10cm程度だった。せめて40cmくらいまでは育たないと。

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花見のあと、アケビの芽は自分用に(今日までに)もう2度収穫。どちらも(私的)定番の「卵ご飯に大量投入」で食べる。美味し。

●DHCといえば、世間的には(ネトウヨ系の)薬屋さんかもしれないが、個人的には見かけるたびに「デ・ハビランド・カナダだ~」と思う。飛行機マニアあるある?

それはそれとして、薬屋さんのほうのDHCは、もともと「大学翻訳センター」の頭文字だそうだ。……は?

●YouTubeの有隣堂clip「神奈川あるあるの世界 clip」というのをたまたま見ていたら、通勤ラッシュの話題で、

「幸せな人生って、南武線に何回乗らずに済んだかっていう人生だと思うんですよね」

と言っていて、中学・高校の6年間、南武線に乗って通学していた私は、人生の幸せをものすごい勢いですり減らしたんだなあ、と思った。

ちなみに中学の時だったか、ドアにぎゅうぎゅうに押し付けられて、腕時計のガラスを割ったことがある(むしろよくそれで腕が折れなかったものだと思う)。もっとも、通勤ラッシュ時の混雑度のすごさは、南武線よりも、大学時代に使っていた(かつての)新玉川線のほうがひどかったように思う。

単純に乗車率の問題だけでなく、当時の車輛の吊革の配置などもあるのかもしれないが、新玉川線の場合は発着時の「潮汐作用」もひどくて、身体が半ば浮いたまま、発着のたびに自分の意志と関係なく態勢変えを強いられるのがツラかった。

ここ数十年で、列車運行の改善とか時差通勤とかでラッシュはだいぶ軽減されたと思うので、今はあれほどの殺人的ラッシュは稀なのかも。

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謹賀新年2023

●明けましておめでとうございます。

本年も――おそらくこれまで同様に当「かばぶ」はぐだぐだな内容だと思いますが、なにとぞよろしくお願い申し上げます。

●例年通り、大晦日に川崎の実家に行って、母・兄と年越し。

1日にはドイツ人Pと、Pの長女Jが遊びに来て、午後中まったり飲み食いしながらお喋り。Pらの帰宅後、甥(兄の次男)Gが彼女連れで来る。田舎の叔父宅に電話したり、なんだかんだと、それなりに正月らしかったかも。

2日は兄と墓参りに行き、そのまま、津田山の墓地から東急田園都市線の宮崎台駅まで延々と歩く。横浜に寄って帰宅。

Img20230103133901 ●3日、ふと思い立って(特に用事もなく)稲村ケ崎まで往復歩く。

初詣客で混んでいるであろう鎌倉中心部には立ち寄らず。個人的には、「初詣」というものに格段の重要性を感じていないが、たまたま前を通るし、ということで、小坪の天王社(須賀神社)でお賽銭。

この小坪天王社は、“おらが村”である小坪村の総鎮守である天照大神社の境外末社。天照大神社は披露山の端っこにあり、小坪漁港側からだと、かなり長い急階段を上がる必要がある。要するに「市役所に行くのが面倒なので出張所で」という感じ。名前の通り、本社の祭神は天照大神だが、天王社のほうは牛頭天王/スサノオノミコト。

もっとも、小坪村の夏祭り(天王祭)はこの小坪天王社のお祭りだし、さらには、小坪天王社(のスサノオノミコト)と葉山の森山神社(のクシナダヒメ)は夫婦神ということで、32年ごとに天王社の神輿が森山神社に行く「三十三年祭」というのがある(祭りがある年も1年と数えるので32年周期でも三十三年祭)。次は2028年である由。なお、小坪天王社は御覧のように祠に毛の生えた程度の小さな神社だが、葉山の森山神社は結構大きい。

●その他、(特に正月とは関係のない)正月風景。

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前々回に書いた西小坪海面砲台現状に関する補足。逗子マリーナ6号棟正面の擁壁上の柵越しに、わずかに崖裾部が見えた。どうやら、擁壁上の段(かつての親不知の崖路跡?)の向こうの崖裾部は、格子状のコンクリート擁壁で覆われているようだ。崖の左右一杯までこの処理が行われているとすると、かつての洞窟砲台の洞口も完全に覆われて、何も痕跡は確認できなくなっているかもしれない。

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小坪の飯島(逗子マリーナの端)から、目的地の稲村ケ崎越しの富士山。この日はほぼ一日中、富士山は雲被り。

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由比ガ浜の波打ち際の細かい貝殻の集積。そしていつもとは逆視点。由比ガ浜の割と端っこ(稲瀬川あたり)から材木座・逗子方面を振り返って1枚。

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稲村ケ崎突端の銃眼と、その拡大。この斜め下には「伏龍」出撃基地とされる洞口があるが、大潮の時くらいしか近付けないようだ(私自身はそんなタイミングで訪れたことがなく、洞口は見たことがない)。

しかし、(銃眼があるからには、何らかの陣地だったのは確かだとしても)波の荒い岬の突端から、重い潜水装備に刺突機雷を担いだ兵が、海底を歩いてある程度以上の範囲に展開できたとは思えない。そもそも米軍が、海岸線に急斜面が迫る七里ガ浜や、山に囲まれてその後の展開に支障が出そうな旧都鎌倉に上陸作戦を敢行するとも思えないから、対上陸用舟艇の特攻兵器である伏龍をここに配置した可能性は低いのではと思う(訓練基地だった、というならまた別だが)。

小さなモーターボートに爆薬を摘んだ「震洋」の基地だったという説もあるそうだが、写真で見る洞口は、小さな舟艇でも出入りできたのかどうか怪しい(洞内に複数の舟艇を収容できたのかどうかも怪しい)。

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夕方、再び飯島あたりまで戻ってきて、振り返って1枚。手前から和賀江島(鎌倉時代の船着き場跡)、稲村ケ崎、江の島の向こうの富士山。多少雲は残っていても、シルエットならOK。

●AIRFIX 1:48、アルビオン燃料補給車の製作の続き。

荷台の燃料タンクの後ろにはポンプ室?があって、後面の扉は開閉選択式。中には一応、それらしく機器のパーツが入っているが、若干手を加えた。

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奥の壁にあるメーター付きの筒形パーツは、もともとキットにモールドがあったが、立体感に乏しいので削り落として作り変えた。横の壁にも何やら「付属の品」を追加。

とはいえ、もともとキットに含まれていたメインの内部機器パーツ自体の形状が結構怪しく、本当はもうちょっと、向かって左側にスペースも開いていて、先述の「奥の壁のパーツ」が見えていないとおかしい。が、そこをとやかく言いだすとこのメインの機器パーツ自体、1から作り直さないといけなくなって激しく面倒なので、適当なところでお茶を濁した。機器の後ろにもう少しパイプ類もあるのだが、どこからどこに繋がっているのかが判らないので、こちらも工作は諦めた。ヌルし。

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彫師

Img20221229015336 ●アルビオン燃料補給車の前部フェンダー、左右ともそれなりに「窪んでいる」状態まで彫り込んだ。やれやれ。もっとも、プラが柔らかいので思ったよりは早く片付いた。

シャーシフレームにそれなりにパーツも付けてみて、ここまで組んでの感想いくつか。

▼パーツの位置決め、方向決めがやや曖昧。もちろん、一頃の東欧キットのように「部品をどこに、どう付けたらいいかわからん!」ということは基本ないが、例えば4カ所のリーフスプリングが、シャーシフレームに対してしっかり真っ直ぐになっているかどうかは「部品任せ」では決まらない。ここが歪んでいると、後々4輪がきちんと接地しないことになりかねないので、ピッタリ決まるような何らかの工夫が欲しかった。

▼バリ等はないが、入り組んだ部分のパーティングライン、微妙な型ズレの直しが面倒(ほぼ見えなさそうなところはそもそも本気で直していないが)。

▼近接部位のパーツがあっちの枝、こっちの枝にバラバラに配置されていて、いちいち探すのが面倒。別にタミヤとかでなくても、普通のメーカーなら例えばエンジン周りならひとまとまりで同じ枝になっていそうなものだが、このキットの場合A枝、B枝、C枝、D枝に分散している。なんで!?

▼謎の部品取り付け手順。「絶対、これはこの段階じゃないだろ!」という指示がある。例えばエンジン側面に取り付けるパーツB12が、エンジン本体をシャーシフレームに付けた後に取り付けるよう指示されているが、あらかじめ付けておいたほうが楽。その上に付く排気管D15もエンジン取付前のほうが付けやすいと思う。

▼一方で組立説明図は多色刷りで丁寧。1ステップ前で取り付けたパーツは色を変えて図示し、取付後の姿がはっきりわかるようにしている。それでも見難い部分に関しては、別途向きを変えた別図など添えていて間違えにくいようにしている。

●そういえば、今季はフユイチゴを食べていなかった!といきなり思い出し、日曜日、例年つまみ食いしている某所に出掛ける。

昨年同様、途中で「山歩きのおやつ」として「小倉&マーガリン」のコッペパンを仕入れ、現地でこれでもかとフユイチゴをトッピングして食べる。美味し。

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鎌倉市図書館に「鎌倉・太平洋戦争の痕跡」(鎌倉市中央図書館近代史資料収集室/CPCの会、2004年)という冊子があり、図書館サイトでPDFで閲覧もできるようになっている(興味のある方は図書館サイトで書誌名で検索のこと)。

このなかに西小坪海面砲台のことも出ていて、それによれば、砲の据えられた二つの洞窟は、現在の逗子マリーナ6号棟正面の崖の、ちょうど6号棟の左右端の前あたりにあったらしい。

Img20221220151344 崖に向かって右側の擁壁には、現在上側で通行止めになっている階段があるが、これは上記資料によれば、洞窟の爆発事故で亡くなった子供たちの慰霊の地蔵へのアクセス用に設けられたものだという。

以前の記事に書いたように、この地蔵は現在では小坪海岸トンネル入り口上になるが、もともとは南砲台の洞窟前に置かれていたものだという。その当時の写真も、逗子市役所の写真アーカイブ「逗子フォト」にある(「小坪の洞窟砲台」で検索すると出てくる)。

というわけで、南砲台の洞窟は、この階段を上がってすぐの場所にあったはず。藪が多少は薄くなる(はずの)冬なら、もしかしたら洞口の痕跡くらいは見えるかもしれない――などと考えていたのを、先週通りかかった時に思い出し、ちょっと上まで登ってみた。

階段そのものが草藪と化していて、上るだけでも面倒だったが……結果。冬だろうと藪が濃くて、その向こう側はまったく見通せなかった。

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1枚目は通行止めの鉄棒越しに、ほぼ真っ直ぐ崖方向を向いて撮ったもの。2枚目は飯島方向(崖に向かって左方向)。3枚目は振り返って草ぼーぼーの階段を撮ったもの。

洞口はコンクリートが巻かれていたので、洞窟自体は埋められていても、藪さえなければ痕跡くらいは見えそうなものだが、残念。

●仕事先の神保町の事務所のC社長夫妻がコロナ罹患。ほぼ同時にその事務所での仕事仲間のE君も発症し(家に受験生がいるとのことで)隔離施設入り。一気に身近に迫ってきた感。

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Sultryバラ

Img20221220225653 ●先週、母が100歳を迎え、合わせて土曜日にドイツ人Pも遊びに来るというので、週末に実家に出掛ける。認知症が進んで、直前のことはほぼすぐ忘れて同じ会話を繰り返すものの、とりあえず立ち居はしっかりしているのは有り難い(もちろん、兄が同居してくれて面倒見てくれているのがまず有り難い)。

土曜日はPとあれこれ話しながら飲み食い。日曜日はちょっと買い物に出るという兄と溝の口まで歩き、その後横浜をうろついてから帰宅。

●その横浜のヨドバシで、数回前に書いた、海洋堂の四天王ガシャポンのリベンジ。やったぜ!別のが出たぜ!

一応、現行の名付けに従うと、今回出たのは「増長天」。なお、前回引いた「持国天」に加え、見落としていたがキンキラキン・バージョンの「多聞天」も、すでに我が家にあった。あとは、無いのは「広目天」だけ。しかし、4分の1を引き当てるクジ運の自信はない。

なお、このシリーズの(現行名称)「広目天」は右足に体重をかけ、左手に槍(鉾?)を持った姿で、「持国天」との差異に乏しい。「広目天」なら、巻物を持って目を細めていてほしかったなー(東大寺戒壇院スタイル)。

Img20221219105527●サルトリイバラはこのへんの野山にいくらでも生えているツル草だが、秋に実る赤い実は食べられる、という話は割と最近まで知らなくて、今年はぜひ試してみようと思っていた。

そんなわけで、先月の半ばころ、赤く色づいた実を試しにつまみ食いしてみたのだが、甘くも酸っぱくもなく、ただ単に渋いだけだった(口が曲がりそうに渋いとかではなく、「ありゃ、渋いなこれ」レベルというのが、逆に何だか間が抜けた感じ)。

熟し方が足りないのかもしれないと、その後間を開けて2度ほど試したが(つい数日前も)、結局同じように渋いだけだった。

改めて考えてみれば、検索してみても「食べることができる」「生食できる」とは書いてあっても、きちんと味の説明をしているところはなかった。ちゃんと食べたうえで解説してるのかヲイ。

なお、サルトリイバラは(比較的まばらではあるものの)結構鋭いトゲと、立派な巻き付きヒゲがあり、「猿・捕り・茨」の名はそこから来ている。Sultry(情熱的に抱きつく)バラ、というわけではない(誰も思わないだろうけど)。かつて、「その昔、土佐の猟師はマダガスカルレーザーオオトカゲを捕らえるのに“天狗縛り”なるツル草を用いていた」という話を捏造したことがあるが、その時にイメージしたのがサルトリイバラだった。

●KV戦車に関する小ネタ。いまさらのように誘導輪のサイズについて。

web上にあるwalkaround写真を切り貼りしているので、ここに画像を貼るわけにはいかないのだが、いくつかの博物館車両の誘導輪サイズを比較してみた。

といっても、厳密な計算とが計測とかをしているわけではなく、ほぼ真横から撮った写真を、転輪サイズを揃える形で倍率調整し、その状態で、今度は誘導輪サイズを比較してみる、というもの。

比較対象としたのは、

  • 旧アバディーンに展示の1941年型(prime portal
  • キーロフスクの1940年型、緑色塗装の「061」号車(net-maquettes
  • キーロフスクの1940年型、白色塗装の「レニングラーデッツ」号(net-maquettes
  • ペテルブルクの何かのイベントに出てきた1940年型(DishModels

旧アバディーンの車輛に関しては、以前に仙波さんに教えていただいたが、実測値で直径が680mmであることが判明している。一方、キーロフスクの「レニングラーデッツ号」は、(グムカの高田さんがtwitterでも言及しているが)実際にメジャーを当てている写真もDishModelsに上がっており、それを見ると径は680mmより小さいように見える(誘導輪の中心が目盛のどのあたりかが判りづらいが、半径は320~330mmくらいに見える。ただし、それでもタミヤの新KV-1のパーツの約620mm径(35倍)よりは大きい)。

比較検討の結果。とりあえず、ほぼ直径部分で切り貼りしてみたが、明らかな径の差は認められなかった。

もっとも、「ほぼ真横からの写真」といっても誘導輪は端のほうにあるので若干の角度が付いているうえ、カメラと車輛との距離もそれぞれ違っているはずだから、到底正確な比較はできていない。あくまで「そう見える」程度のものでしかないことはお断りしておく。

●ポーランドのIBG modelsというメーカーは、私好みのアイテムをポコポコ出してくるので、まったくもって気を抜けない存在である。1:35ではTKSや7TP、ミニスケールでもWAWやFTFレーベルで「うぉう、こんなん出しやがった」的なものを製品化してくる。しかしその一方で、技術力が付いていっていない――というよりも、神経の行き届き方が足りていない的なポカがほぼ必ずどこかにあるキットを出してくるので、その意味でも気を抜けない。

そんなIBGが新製品としてII号戦車の初期型(a1/a2/a3型、b型)を出してくるというので、アイテム的には是非ほしいところなのだが、期待と不安半々。発売としてはa1/a2/a3型のほうが早く、同社のサイトによれば「12月発売」になっているので、もしかしたらもう早いところには入荷し始めているかもしれない。

何だかIBGが「やらかしそう」な懸念点を含めて、キットの予想を少々。

  • 一応、a型キットは予告の製品名では「a1/a2/a3」と、3形式の併記になっているが、Armoramaに出た見本写真やメーカー発表のCGを見る限りでは恐らくa3型。
  • a1/a2/a3型は、もともとは後の型よりも履帯幅が狭い、I号戦車と同じものを使っている(Kgs.67 280/90)。ただし、Armoramaの見本写真やCGでは上部転輪がb型以降のものになっているので、履帯も後のII号戦車標準幅(Kgs.67 300/90)のものになっている可能性が高い。実際の車輛でも交換されている例がある(例えばトラクツのp23)。誘導輪基部も(CGによれば)強化改修仕様とのコンパチ、車体前部には追加装備のノテク・ライトも付くようなので、要するに「改修済みの実戦仕様」という感じのようだ。もっとも、「せっかくのa型なのだから、製作当初の姿で作りたい」と思う人にとっては、結構厄介だろうと思う。
  • a型は、エンジンルーム後端が短く車体長も後の型に比べ寸詰まりなのだが、それだけではなく、実は車体前端も後の型より下がっていて、前部上面の傾斜がきつい。しかしこれは同じIBGのミニスケール、WAW1:72のa型、b型でもきちんと違いを表現しているので、まさか35でポカをする可能性は低そう。
  • しかし今後発売されるはずのb型の起動輪が、後のc型以降よりディスク部の盛り上がりが大きい点はきちんと再現されるかなあ……。WAW72では再現していたようには見えなかったので少々不安。

私自身は以前から「b型が欲しいなあ」と思っていたのだが、WAWのa型をいじって以来、寸詰まりでちょっと愛嬌があるうえ、業務用空調の室外機のようなエンジンルームの円形ルーバーがいかにも試作車然としているが気に入ってしまって、どちらを買おうか迷い中(さすがに両方は作らないと思う)。

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