丸ポスト

サヨナラ、ポスト(3)

●26日金曜日。

お隣・葉山町の現存丸ポストのうち、県立近代美術館葉山そば(葉山町一色1657、ポスト番号123)のものが、今月末で撤去されてしまうという話を聞いて、「最後の雄姿」を見に行く。

我が家から歩いて葉山御用邸前往復。行きは内陸コース、帰りは海岸周りコース。

この際、葉山の現存丸ポストをまた一通り確認しておきたい気もあったのだが、自宅を出たのがすでに3時に近く、消えゆく主役にたどり着くまでに日が傾いても嫌なので、ルート上にあるもののみ再確認した。残りの3基、知らないうちに撤去されたりしてないだろうなあ。

葉山町の丸ポスト(郵便差出箱1号(丸型))は、私が初めて同町の「丸ポスト巡り」をした2018年6月には、全部で9基あった。

しかしその後、2基が撤去。今回さらに1基撤去が決まり、今月末で6基にまで減ってしまうことになる。逗子市内の4基も、いつまで無事か。

▼県立近代美術館葉山そば(葉山町一色1657、ポスト番号123)の丸ポスト。今月末で撤去が決定しているもの。

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御覧のように、「お店の顔」的存在ではあったのだが、この店自体が営業しているところを見たことがないので、風早橋の「たねや」同様、店ごとなくなってしまうのかもしれない。ポストの後ろに掲げられた「赤いポスト」の文字も消えかけているのが侘しい。

●その他今回改めて確認した葉山町内の丸ポスト。

▼向原交差点脇(葉山町堀内1825、ポスト番号108)。

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隣がアジサイなので、この季節が一番見栄えがする。

▼旧役場前・セブンイレブン脇(葉山町一色1818、ポスト番号129)。

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古めかしい丸ポストと、新しいコンビニとのミスマッチな組み合わせが面白い(といっても、セブンイレブンも、もう日本で展開を始めて50年近いが)。

▼しおさい公園近く、元葉山一色局前(葉山町一色2095、ポスト番号124)。

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向原交差点脇のポストはアジサイの隣だったが、こちらはイヌビワ。

●最近丸ポストが撤去された跡地二つ。

▼風早橋信号脇、葉山町堀内671。撤去直後の記事、「サヨナラ、ポスト(2)」。

撤去直後は更地に根石だけ残っていたが、その後(22年春?)代替の箱型ポスト(たぶん郵便差出箱10号)を設置。ポスト番号は、丸ポスト時代のものをそのまま引き継いで「109」となっている。今回改めて観たら、「たねや」跡地には新たに不動産屋(の支店)が建っていた。

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再建直後(右写真)に比べると、ポスト設置位置は新しい建物に合わせて逗子側に数メートル移動しているようだ。

▼森戸神社前、葉山町堀内1047。撤去直後の記事、サヨナラ、ポスト」。

元ポスト番号121。撤去後しばらく根石が残っていたが、今回見たら、その根石もなくなっていた。

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Img20230526173641 ●葉山の元町近くのとあるお店?の外壁に掛かっている「煙草小賣所(小売所)」の看板。以前から通りかかるたびにちょっと気に掛かっていたもの。

ネットで調べてみると、1949年の専売公社発足前、大蔵省専売局時代に発給していたものらしい。

「三重県総合博物館」のページに、ある程度の解説があった。同博物館ページに掲載された写真は、右の「赤地に白文字」ではなく、「白地に黒文字」。ホーローではなく木製のものもあったそうだ。

右は、建物は新しいので、それ以前にあった?古い煙草屋のものを引き継いで掲示しているらしい。ちなみに、この隣には専売公社時代の煙草屋の看板も掛かっている。

●26日金曜日は、4年ぶり?の逗子海岸花火大会だった。

上のポスト巡りの帰り、逗子海岸を通りかかったが、6時前後で海岸は御覧のような感じ(大会そのものは7時半スタート)。

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湾に3隻の打ち上げ船が出ていて、右写真はその1隻から、開始前の「案内花火」(正式名称知らず)が打ち上がっているところ。ちなみに私は花火は観ず、海岸に出掛ける近所の人らとすれ違いつつ帰宅。

なお、大会開始直前に、千葉で比較的大きな地震が発生した。幸い、「津波の危険は無し」ということで済んだが、もしも津波注意報/警報など出たら、海岸から内陸に向かう道筋が数本しかないため、混乱~パニックによる事故もあり得たと思う。

●マダケのタケノコ、今年の初収穫。

タケノコの伸びというのは大したもので、数日前には「まだ気配もないなあ」などと思って見ていたのに、気が付いたらいつの間にかニョキニョキ生えていた。

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下茹でして、大半は水煮状態でジップロックで保存。近くピリ辛メンマ風炒め物にする予定。1本分だけは焼きタケノコにして頂いた。

以前、単に採ってきたままを焼いたら、ややえぐみが残っていたので、今回は下茹でしてから(とはいっても、ヌカなどは入れず単純にお湯で煮ただけ)オーブントースターで。ある程度焼いてから、醤油+酒+みりんのタレを付けて再度ちょっと焼いて仕上げたが、一度付けただけだと味付けが薄い。えぐみもまだちょっと残っている感じ。素材は十分に美味しいので、「焼き」に関しては、なお料理法の研究の余地あり。

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厄除け

Img20230125173113 ●逗子、田越川河口から、江の島越しの富士山夕景。1月25日。

●先月100歳の誕生日を迎えたばかりの母だが、正月早々、大腿骨転子部(付け根の部分)骨折。早朝、呻き声がして兄が気付き、廊下で倒れているのを発見した由。救急搬送され数日後に金属を埋め込む手術。

転んで折ったにしては打ち身や擦り傷などもなく、骨粗鬆症で折れて転んだ可能性もありそう、というのが救急隊員の話だそうだが、そのへんは、本人も(認知症で)覚えていなさそうなので真相は不明。

昨年亡くなった叔母二人も転んで脚を折って、そのまま寝たきりに――という経緯で、母もそうなることはまず避けられないと、半ば覚悟。そもそもさらに高齢の母が手術そのものに耐えられるかどうか、という懸念もあったのだが、手術後数日して病院にその後の経過を聞きにいったところ、(医師も驚いたことに)すでに起き上がって、補助具等で体を支えて歩いているとのこと(コロナ禍下のため本人との面会は不可)。100歳の根性恐るべし。

むしろ何でも自分でやりたがる人なので、再び転んで折ったりしないかが心配。

兄と相談し、短期間、老健でリハビリに励んでもらい、その間、自宅の必要部分のバリアフリー化の工事を行うことに。

Img20230121150708 ●母と同居している兄は、新年早々の母の大怪我に加え、飼い猫に出来物が出てこれも手術、さらには次男が同棲している彼女ともどもコロナ罹患とあれこれ心配事続き。「あんまりいろいろ続くから、今度来るときに、どこか鎌倉の適当な寺社でお札を買ってきてくれ」というので、大町の八雲神社でお札を買って持っていく。

いつも散歩の折に前を通る、そう大きくもない神社なのだが、実は鎌倉で厄除けと言えばココ、みたいな位置付けだというのを、ネットで調べて改めて知った。何年か前に放映されたテレビドラマ「ツバキ文具店」の文具店は(ドラマ内の設定では)この神社の隣にある。

なお、川崎の実家の近所には「身代り不動尊」という、厄除けではかなり有名で遠方からも参拝者が絶えない寺があるのだが、子供の頃から身近すぎるうえ、ものすごく儲かって建物がみるみる大きく・キンキラキンになっていく姿を見ているため、逆に「御利益なさそう」というのが兄弟の共通見解(あくまで個人的感想です)。

Img20230120153345 ●以前にも書いたように、鎌倉市は丸ポスト(郵便差出箱1号(丸型))の現存数では、日本の市町村でも1,2を争う場所なのだが、それでも何やかやの理由で、いつの間にか姿を消してしまうものもある。

先日、北鎌倉駅近くを通ったら、小坂郵便局前にあった丸ポストが、角ポストに代替わりしていた。残念至極。サイト「ポストマップ」への画像投稿によれば、昨年末(11月)時点ではまだ丸ポストだったようなので、つい最近変わったらしい。

丸ポストが消える理由としては(古くて、不便だから、という以外で)設置場所が現在の基準を満たしていないとか、そのポスト設置の理由となっていた商店等がなくなってしまったとかが多いように思うが、比較的積極的に丸ポストを残そうという姿勢の鎌倉市域で、郵便局前の丸ポストが撤去されてしまうとは思わなかった。

もっとも、丸ポスト自体が作られてからすでに70~50年経っており(生産は1949年~70年)、外見はどうあれ中がボロボロになっていて交換せざるを得なかった可能性もあるし、また、同じ鎌倉市といっても、鎌倉局と大船局とで丸ポストの扱いに差がある可能性もある。もっとも、同じ大船局でも、常楽寺交差点脇の「あっち向いてホイ」ポストは、上写真と同じ日に見たが健在だった。

●エアフィックス48、アルビオン燃料補給車の中間報告の続き。

そもそも当初は「あとは塗るだけ状態」までさっさか作ってしまう予定で、そのため前回は、製作途中での記事はせいぜい一度かな、というつもりで題名を「中間報告」としたのに、ちょっとよくない癖が出て、部分的に後戻りしてしまった。

前回も写真を乗せた、トラック車台そのものの燃料タンク周り。実車とちょっと取り付け方が違っているのが気になって、結局、一度付けたパーツを(エナメルシンナー剥がしで)もぎ取って、部分的に作り替えた。

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左が前回も載せた、未改修で燃料タンクを付けた状態。右が改修後。燃料タンク取付ステイは、正しくは燃料タンクのほぼ左右端(というか前後端?)にあるようで、さらにステイにはベルトで固定されている。ステイそのものはタンク上側のステップに隠れて見えないが、ステップもステイにリベットで固定されていて、ステイ位置に帯金とリベットがある。

というわけで、改修はやや面倒になるが、

  • 後ろ側のステイ位置を移動(ステイ自体も作り直し)。
  • それに対応し、ステップ上の帯金とリベットのモールドを削り落とし、後ろ側に移動して作り直し。
  • 燃料タンクに固定用ベルトを追加。
  • 燃料注入口下に、何やらエンブレムのようなものが付いているので追加。

なお、その後実車写真を見直していたら、実車では、キャビンの背板は二重構造になっていて、後ろ側の板はシャーシ下にまで伸びている、というのが判ったのだが、流石に今更キャビンをもぎ取って作り直すのは避けたい。

●燃料ホース用ブームの追加工作。ブームは折れ曲がったりしないよう、上側に補強用の張り線があるので、取付部に0.2mmドリルで穴開けし、0.8号の色テグスを張った。併せて、ブーム先端の「らっぱ口」部分も、変なホース受け口モールドを切り落とし、口を彫り込む。

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張り線工作は、プラが柔らかいのでテグスをピンと張ろうとするとブーム自体がしなってしまう。なるべく「しなり」が目立たないよう工作したつもりだが、考えてみれば、先日、TKSの履帯連結用に0.2mm真鍮線を買ってきてあったので、それを使えばよかったのだった。

燃料ホースそれ自体は、これから工作予定。

Img20230127201148 そのホースの材料だが、横浜ヨドバシの模型売り場の工作材料のコーナーであれこれ物色。タミヤの「曲げ自由」のロッドは、ホースに使うには太すぎるものしか無し。プラストラクトやエバーグリーンはプラ質が柔らかいので曲げやすいが、それでもこのホースを作るには熱して曲げる等が必要と思われるので少々面倒。曲げやすそうなアルミ線は、1mm径のものが50cm長3本で1200円台。結構高い。

別に普通の針金でもよくないか? それなら百均にでもあるんじゃないか?と、隣のダイソーを見に行ったら、なんと1mm径のアルミ巻き線が20m弱で100円だった。どのみちグネグネ曲げて使うので、直線である必要はなく、これで充分。

やっぱり百均は、使えそうなものがないか、たまに覗いて確認しておかないといかんなー。

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サヨナラ、ポスト(2)

Kazahaya20192021 ●葉山にご実家があるというブリキヲさんから、同町、風早橋バス停近くの丸ポスト(堀内671、ポスト番号109)が撤去されてしまった、といういささかショックなお知らせを頂いた。

葉山町内の丸ポストは数年前まで9基あったのだが、1年ほど前に、森戸神社バス停そばの1基(堀内1047、ポスト番号121)が撤去されたばかり。これで7基になってしまった。

森戸神社バス停そばの1基が撤去された直後の記事、およびそれ以前の、9基あった数年前にまとめて訪問した際の記事は以下に。

今回撤去された風早橋のポストは、もともと「たねや」というお店の脇(角)に設置されていたものなのだが、私が数年前に見に行った時には、もうお店は閉まっていた。そのお店(兼住居)もついに取り壊され、それと併せてポストも撤去ということになってしまったらしい。冒頭写真は、在りし日(2019年5月撮影)のポストと、ほぼ同じ角度から撮った現状(2021年4月8日)。建物も無くなり、なぜかポストの根石だけがポツンと残っているのが寂しい。

●というわけで4月8日、現状確認に行って撮った現状写真をさらに何枚か。それから、写真フォルダをひっくくり返して出てきた、最も最近の写真(昨年6月)のものを2枚ほど。

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根石の、これまでは建物があって見えなかった側の根石に製造年月が刻んであった。製造年月入りの根石は初めて見た気がする。ちなみに丸ポストそれ自体は、通常、裏側の根元に製造年とメーカーが鋳込んであるが、製造月までは書かれていない。

●一度訪れて各方向から写真を撮ったポストについては、その後に前を通りかかっても写真は撮ったり撮らなかったりだが、こんなふうに姿を消すと、ああ、もっとマメに写真を撮っておくべきだったなあ、などと思う。

思ったついでに、ちょっと足を延ばして、近くの丸ポストの「近影」をいくつか撮った(向原、一色岡、セブンイレブン葉山一色店前の3カ所)。

途中の葉山町役場前、「葉山花の木公園」のツツジは花盛り。もっとも、ハナバチたちにとってはまだちょっと早めのようで、ミツバチがちらほら、あとは(写真には撮れなかったが)ヒゲナガハナバチを1,2匹見た程度。春のハナバチの主役級、コマルハナバチに関しては、すでに山道では巣作りを始めているらしい女王バチを数度見掛けているが、花を訪れる働きバチは、上の風早橋のポスト跡のさらに手前、長柄の歩道脇のツツジで1匹見ただけ。

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(もともとはポスト巡りが主目的ではなく「しっかり歩く」ことを目的に出てきたので)セブンイレブン葉山一色店の向かいあたりから大峰山(三ヶ岡山)に登り、東西に長い山を東から西へ横断。真名瀬方面に降りる。

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1枚目は大峰山上から見た逗子・鎌倉方面。2枚目は真名瀬の夕景。残念ながら富士山は雲に隠れて見えなかった。ところで漁港もある葉山の真名瀬だが、20年以上も隣町に住んでいながら、読みが「しんなせ」だというのを今頃になって知った(大峰山上の案内板にふりがなが振ってあった)。ずっと「まなせ」だと思っていた。

●ここのところ、「仕事で人に会う用事」はリモートばかりだったのだが、久しぶりに、6日は小金井、7日は浜松町で対面の仕事。

小金井からの帰りに通った渋谷のハチ公前交差点は(毎日のニュースでも頻繁に映っているが)、6時前のちょうど仕事終わりの人が増える時間帯だったということもあり、かなりの人出で、「こりゃ、このあと感染者数はまたどっと増えるな」という感じ。その中の一人として混じっていて偉そうに言うことじゃないが。

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少なくとも、「え?なんでそれで聖火リレーとかしてるの?」という感じ。どうしてもオリンピックするならリモートでやれよ……(記録の操作が続出しそうな気もする)。

●9.11テロ直前のワールド・トレード・センター・ビルの姿。

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というのは質の悪い冗談で、こちらは(英名では)同名ながら、浜松町駅前の世界貿易センタービル。ちょうど昼時だったので、地下で何か食べようかなと降りてみたら……。なんと、ファミマとパン屋が残っているだけで、あとはすべて空き店舗。廃墟感がハンパない。ちなみにビル最上の展望台もしばらく前に閉まった模様(展望台があるということ自体知らなかったが)。

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ちなみに、隣接する東京モノレールの駅ビル「モノレ浜松町」も先月末付で館内全店が閉店で、「57年間ありがとうございました」のポスターが貼られていた。

帰って調べてみると、世界貿易センタービル、モノレ浜松町を含む地区一帯が(ビルの老朽化もあり)再開発されるそうで、今年度には解体が始まる由。ちなみに世界貿易センタービルは日本の「超高層ビル」としては霞が関ビル、神戸商工貿易センタービルに次ぐ最初期のもので、「国内における過去、最も高いビルの解体工事」になるのだそうだ。

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サヨナラ、ポスト

●用事があって横浜に連日通っているのだが、23日火曜日はその仕事も梅雨空も“中日”だったので、葉山方面に歩きに行く。

行程は、県道311号をずっと歩いて、桜山隧道を通って葉山町へ。長柄から葉山町役場前、大道入り口を経て御用邸前まで。そこから今度は海沿いに引き返して、鐙摺を通って逗子海岸。海岸経由で帰宅。

●ちょっと前に書いたように、現在、私のスマホでは「Pokémon GO」が起動できなくなっていて、外歩きのモチベーションが下がり気味(かといって、健康上歩かないわけにもいかないので歩きに出たわけだが)。

なお、私のスマホはポケモン的には使えないままだが、代わりに神保町の事務所のGさんが、FREETELの予備機を貸してくれた。私のスマホはau系で、FREETELにSIMを移して使うことはできないが(その辺の仕組みは面倒なので略す)、それでも、Wi-Fi経由であればポケモン専用機として使える。

しかしこれがなかなか微妙で、まず

  • 自宅でなら問題なく使える。
  • 神保町の事務所でも、事務所のWi-Fiに問題なく接続できた。
  • 横浜のヨドバシカメラの館内ではなんとか使えた。
  • が、その他、街の中のFree Wi-Fiの場合は「認証できませんでした。もう一度やり直してください」と出てきて、うまく接続できない。火曜日の散歩の際にも、Wi-Fiが使える葉山町立図書館に寄って試してみたがダメだった。

というわけで、現在、借りたFREETELは、ほぼ自宅内ポケモン専用機となっている。

ちなみに、「8月で32bit機のサポートを打ち切る」としたNIANTICの発表に関しては、その後、「終了予定を延期」ということになった模様。しかし、仮に8月で終了ということだとしても、本来は少なくとも7月末まではサポートすべきはずだが、6月初旬に発生した不具合にも関わらず、一向に解決の気配がない。NIANTICの「Pokémon GO」サポートページにおいても、「確認されている不具合」は、6月9日に


Android 5 または 6 の一部の端末では、アプリを起動できない場合がある

不具合内容:Android 5または6の端末をお持ちのトレーナーの中には、ポケモンGOアプリの読み込み画面を完了しても起動ができない場合がある。

ステータス:調査中


と書かれたきりで変化なし。いやまあ、古い低性能スマホの面倒まで、いちいちいつまでも見てられんよ、というのは判るんだけれども、それならそれで「これ以降はサポートをやめる」と言った期限まではしっかりやるか、できないならすっぱり「やめました」と言ってほしい。

●葉山町内には、現役の丸ポストが以前に調べた時点では9基あり、今回の散歩の経路上には、そのうちの6基がある。せっかくなのでついでに現状の写真も撮っておこう……と思ったら、その最後の1基、森戸神社近くのもの(堀内1047)が根石(台座の石)を残してなくなっていた。

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3枚目は2年前に撮った、「在りし日の姿」。もともとはポストの後ろの空き地は店があったらしく、その店が閉まった後は表に張られた板がポストの形にくり抜かれ、そこから半分現れる「埋まりポスト」状態で何年か存在していたらしい。2年前に見に行った時にはすでに建物がなかったが、結局はポストも撤去されてしまったらしい。なお、Googleのストリートビューを見ると、少なくとも昨年6月にはまだ存在していたことがわかる。

中の収集袋を立ったまま交換すれば済む角型ポストに比べ、丸ポストは体をかがめて手で郵便物を掻き出さねばならず、郵便局員には余計な不便を強いることになる。さらには手紙/はがきの利用自体が減っており、一方でポストの設置基準は昔よりも厳しくなっているようで、古いポストの消滅圧力はいよいよ増している。減っていくのは致し方ないのだが、それでも、できればできるだけ長く現役でいてほしいと思う。

なお、2年前に葉山の丸ポスト9基をまとめて訪ねた記録は以下。

今回確認した残り5基、

  • 堀内671:風早橋バス停近く
  • 堀内1825:向原交差点
  • 一色1818:セブンイレブン葉山一色店
  • 一色2095:町屋倶楽部前
  • 一色1657:近代美術館近く

は、収集時間に変更があった程度で、ちゃんと現存していた。残るうち、長柄769-1(御霊神社前)と、 一色692-2(葉山大道、HACドラッグ向かい)の2基については、比較的最近視認しているのでまず大丈夫。一色1222(一色小から大道を隔てて反対側の住宅地の中)だけは2年前に見たきり。

●なお、以上のような行程で歩いたのは、葉山のポストの現状確認が第一目的ではなく、葉山町のマンホールカードの題材になっているカラーマンホールが御用邸前の一か所だけにあり、それを見たいと思ったため。

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目的のマンホール蓋はより大きい蓋の中にはまった、いわゆる「親子蓋」形式になっており、さらに隣には同じく親子蓋になった(カラーではない)通常版のマンホール蓋がある。

葉山のマンホールカードについてはこちら

●マンホール蓋を見た後、一色の近代美術館脇から海岸に出たら、砂浜への出口のところで突然目の前からにょろにょろとヘビが逃げ出してビックリ(もちろん、のんびり日向ぼっこでもしていたらしいヘビのほうも、突然人が来てビックリだろうが)。

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3枚目写真は2枚目の拡大切り出し。柄模様から、「えっ、これって、もしかしたらマムシ?」とも思ったのだが、帰宅してよく調べてみると、コンクリート壁をほとんど垂直に登ることができる能力と、エラの張っていない頭部の形から見て、アオダイショウの幼蛇であるらしい(それなりに大きく、たぶん1mくらいはあったと思うが)。アオダイショウの幼蛇はマムシに似た模様を持つのだそうだ。

●葉山のポストが一基なくなったことをfacebookに書いたら、地元の知人から「逗子の4基は大丈夫?」と聞かれて、ちょっと心配になったので、土曜日に改めて見回りに行ってみた。結論から言うと、とりあえず全部無事。

●逗子の4基のポストを見回ったついでに、最も東の1基のさらに奥の谷戸に足を伸ばしてみる。

以前、facebookの逗子のニュースグループで、「地元民にしかわからない(俗称としての)地名、ランドマーク名」が話題になった。例えば「サリーちゃんち」(名越の山の上にある洋館)や「うんどこ」(第一運動公園)などがその例だが、そうしたなかに「はっしゃば」というのがあった。

それが今回訪れた一角で、具体的な住所は沼間4丁目12、13、15、16あたり。狭い谷戸に沿って、ハシゴ形の道路で区分けされた細長い住宅地で、南側は「ハイツ東逗子」という集合住宅、北側は戸建て住宅が並んでいる。「はっしゃば」とは、なんだか「ハッテンバ」の仲間と誤解されそうな名前だが当然無関係で、海軍の機関銃工場に付随した試射場(「横須賀海軍工廠造兵部 沼間機銃発射場」)だったことによる。

いつも通り、サイト「東京湾要塞」を虎の巻とした。

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最初の1枚は、地区の見取り図。

続く3枚は、谷戸の下手(南側)から、谷戸東側の道を徐々に北に進んでいく途中写真。こちら側はやや道が曲がっているので、途中まで行かないと北端は見通せない。3枚目が北端近くで、突き当りの向こうには、現在はヨコヨコ(横浜横須賀道路)が通っている。

4枚目は北端から折り返し、西側の道路を南に向いて撮ったもの。こちらは東よりも道路が真っすぐで、南端近くまで見通せる。

5枚目は南端にある街区公園。「柚沢」もしくは「柚子沢」が本来の小字名であるらしいが、読みは「ゆずさわ」ではなく「ゆずっさわ」であるらしいことが、公園名に振られたルビで判る。

6枚目も南端近くで見たマンホール蓋。旧海軍水道の水道路(すいどうみち)からはちょっと離れているにもかかわらず、なぜか横須賀市水道局の蓋。元軍用地なので、軍用水道の支線のようなものでもあったのだろうか? いや、浄水施設も介さないで、そんなことってあるのか?

このように、現在では遺構の類は何も残っていないが、当時は、南側に試射を行うための銃座や観測所、弾薬庫などがあり、北端が銃弾を受け止める土手になっていたらしい。現在では、地区の細長さに「なるほど、言われてみればそんな感じだなあ」と思う程度。

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最後に、終戦直後とほぼ現在の空中写真比較。例によって国土地理院の「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。左は終戦間もない1946年2月22日米軍撮影の「USA-M53-A-7-28」、右は2019年6月16日撮影の「CKT20194-C14-60」から切り出した。

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おかわり自由

●もしかしたら、以前にも一度書いたことがあるかもしれないが、昔、地下鉄の新宿三丁目駅前にイエローサブマリンのスケールモデルの店があった頃、そのすぐ近所に、えらく人懐こいインド人のお兄ちゃんが、小さなスナックを昼の数時間だけ借りて開いているカレーショップがあった。

「このカレーはネー、ボクがインドで食べていたのと一緒。でもゴハンは日本のお米のほうが美味しいネ」

というそのカレーは素朴ながら美味く(そして安く)、メニューは確か固定3種類と日替わり1種類の4種類だけ。

何と言っても際立っていたのは、普通盛も大盛も同じ値段、しかもご飯が先になくなればご飯、カレーがなくなればカレーと、無限お代わりができたことだった。「それで100円とか高く取っても100万円儲かるわけじゃないし、それよりお腹いっぱい食べてほしいカラ」だそうな。しばらくしてそのお店はなくなってしまったが、あの大盤振る舞いで赤字になって畳んじゃったんじゃなければいいなあ……。

そういえば、これまたずいぶん昔の話だが、ソウル駅近くで韓国人の若いカメラマン氏に連れて行ってもらった、おばちゃんが一人でやっているらしかったソルロンタン(真っ白い牛スープ)屋も、「無限お代わり制」だった。あのソルロンタンも美味かった……。

●なんてことをいきなり思い出した理由。

「ごみ取り権助(T-34-85 m1943)」製作記番外編。

現在制作中のT-34-85 m1943はアカデミーの車体にグムカの砲塔の組み合わせで、当然ながら、アカデミーのキットの砲塔はまるまる余っている。そんな砲塔を手に取って眺めているうち、ついその気になって削り始めてしまった。

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ベースは、キットに2つ付いているうちの初期タイプのほう。大げさかつ不自然な「恐竜肌」だけでなく、バッスル部の「ハードエッジ」も削り落とし、頸部や前半部も削って形状修正するなどして、とりあえず1944年型の初期型が目標。実物写真と見比べると、若干、頸が短いような気もするんだよなー。どうするかなあ。などと思いながらゴリゴリゴリ。

ちなみにこのタイプの砲塔は、現時点ではインジェクションキットではどこからも出ていない(はず)。レジンキットではどこからか出ていたかも。もっとも、そのうちMiniartからは出そうな気もする。

いずれにしても「廃品利用」といえば聞こえはいいが、当然ながらすでに車体は1943年型に使ってしまっているわけで、この砲塔を載せるべき車体がない。もう一個、アカデミーのキットを買うのか?

いかん! これではT-34の無限お代わりに突入してしまう!

ちなみに1943年型の方はちょっとした山場、起動輪を工作中。それについてはまたいずれ。

●直近の模型の買い物。先週の初め、BOOKOFFでMiniartのT-70用履帯が税込950円で売られていたので購入。

タミヤのSU-76Mは、ちょっとだけ手を入れて放置してある。バレンタイン同様、金型代の節約のためか穴のない履帯は不満ながら、それほどガッツリとディテールアップする気にもなれず、「そのままでいいか」とも思っていたのだが、思ったより安く履帯が手に入るとなると、ついつい転んでしまった。

さて、この履帯……。帰宅して開封してみたら、なんと、元の持ち主が入れっぱなしにして忘れていたらしい、パッションのSU-76M用のエッチングセット(タグは外れていたがパーツ自体は手付かず)が出てきた。なんとお得!

……と思ったが、私はすでにパッションのエッチングは買って、一部はキットに組み込み始めているし、この先、タミヤのSU-76Mをもう一輌作る日が来るとも思えないので、別にそれほどお得でもないのだった。中古屋にでも売るか……。

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●兄の発案で、母を箱根湯本の温泉に連れて行くご相伴に与る。計画したのは新型コロナウイルス騒動が深刻化する以前のことで、この期に及んで出掛けるのは如何なものかとも思わなくもないが、母は家から兄・甥と車で往復するのみ、どこに何を観に行くでもなく、宿から一歩も出ない態勢だし、むしろ街にいるよりも、人が減った観光地のほうが逆にマシかもしれないというわけで、そのまま決行。往復、電車で行った私のほうが危なかったかも(平日昼間なので電車も空いていたけれど)。

行き帰り、小田原(小田原市)と辻堂(藤沢市)でマンホールカードを貰った。写真は小田原のもの。配布場所の「小田原宿なりわい交流館」の隣には丸ポストが立っている。

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なお、このあと数日して、マンホールカードがお手本としているダムカードは配布中止になったそうだ(ダム勤務者が新型コロナウイルスに罹患してダム機能に支障が出るのを防ぐためか)。

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季節労働の終わりと砲台山再訪

●毎年秋は、とある年刊のムックの制作に携わるためしっちゃかめっちゃかになるのだが、特に今年は(スタートが遅かったこともあって)泥沼化。11月に入って当「かばぶ」の更新がまったくストップしていたのもそれが理由なのだが、とりあえず、それも1週間ほど前にすっかり終わった。もう何があっても知らん。

そんなこんなで、先月にはほぼ組立が終わっていたホルト75トラクターも放置状態。はっと気づけば、SUMICONの終了まで1週間を切ってしまった。……この週末のうちに色を塗り始めよう。間に合うかなあ。

●一応、健康上の理由により毎日ある程度は歩くようにしているのだが、上記のように「大物」が片付いたので(実を言えば、その分しわ寄せを食った別の仕事が押しているのだが)、久しぶりに“がっつり”歩く。

先週日曜日(18日)は家から歩き始めて鎌倉旧市街を横切り、極楽寺から尾根に上って鎌倉山に抜け、藤沢市境直前の手広まで。その後また歩いて鎌倉駅前まで戻ってバスに乗って帰宅。

散歩途中、大町の「アルモリック」で、カヌレをとうとう購入。これまで、行くたびに「売り切れ」「夏の間はやっていません」「定休日」等々で買えなかったもの。さらに長谷の「なみへい」で焼きピロシキを購入。これまた夏の間はやっていなくて試しそびれていたもの。昼食(の一部)およびそのデザートとして食べた。

アルモリックのカヌレは表面がカリッとほろ苦甘く、中はトロモチな食感で美味し。なみへいの焼きピロシキは、餡がなんとなくインド料理っぽい香辛料の配合の感じがしたが、味それ自体は私好みでこれも美味かった。

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ついでに、鎌倉市内で未見の数基の丸ポストのうちの2基に新たに会って写真を撮ることができた。1基目は鎌倉山ロータリーのもの。桜の木の下にあるので、春には見栄えがしそう。

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2基目は手広の、鎌倉消防署深沢出張所斜め向かい。

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日が暮れて鎌倉駅まで戻る途中、常盤あたりの某キリスト教系幼稚園の前にあるのを見掛けた彫像。

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なんだか、天使が崖っぷちにいる子供にそーっと近寄って突き落とそうとしているように見えるんですが……(バチあたりな奴)。

●24日土曜日。逗子から自衛隊の武山駐屯地のあたりまでバスに乗り、武山-砲台山-三浦富士の三浦半島横断ルートを歩く。

昨年8月に歩いたルートをほぼ逆にたどったもの。登り始める前、一騎塚交差点近くで、出掛ける前にGoogleマップを見ていて所在を知った「永野プラモデル店」に寄ったが、結局何も買わず。申し訳無し。

武山山頂の不動院を経て、砲台山へ。前回行ったのは真夏で下草も多く、hn-nhさんに「調査なら冬にやれ」と笑われたため、捲土重来。いや確かに仰る通りです。とりあえず、全景に関しては前回を見て頂くとして、今回は、改めて撮った細部等を少々。

まずは、前回は草に覆われていてクローズアップが撮れなかった、兵員詰め所?と思われる大きな窪み部分。

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出入口の階段から、反時計回り方向に、砲弾仮置き場の壁龕一つを隔てて存在しているのは披露山(小坪高角砲台)と同一。ただし、窪みの手前の広い部分左右壁は上部まで表面が綺麗で、もともと(少なくともこの部分には)天井がなかったのが判る。これは披露山の砲台との大きな違い。

また、手前の広い部分の突き当り壁には鉄骨が飛び出ているので、当初はもうちょっと複雑な形状をしていたようだ。

奧の狭まった部分は、元々は天井があったらしい。現在は積もった土砂(その下には崩れた天井のコンクリートもあるかも)で見えづらいが、左右は奥行きがあり、全体ではそれなりの広さの小部屋になっている(それでも4,5人が入れば一杯なのでは、という感じだが、もしかしたら半分埋まっているのでそう見えるだけで、もっと広いのかもしれない)。

狭まった部分の(向かって)右側は壁の崩れた痕跡があるので、この小部屋の入り口は本来はもっと狭かったようだ。

hn-nhさんに教えて貰った「 大津島高角砲台遺構」の記事にある写真では、この詰め所?入り口部分は天井がなく、披露山よりもこちらの仕様に近そう。

ほか、細部写真をランダムに。

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1枚目:中央の砲架跡部脇にある、何かの機器の取付部。前回も撮ったが、今度は大きさを見るために手を添えて撮ってみた。

2枚目:中央の砲架跡の穴周囲は、軽く段付きの二重縁になっている。この段に金属製の台座がはまっていたのか?

3枚目:とりあえず地面上に出ているコンクリート製砲座外周の厚み。

4枚目:出入口の階段。その向こうに詰め所?跡がある。

5,6枚目:改めて、仮弾薬置き場の壁龕。5枚目で奥の壁の上部がボヤッと光っているのは心霊現象ではなく、写真を撮るときにも見えたので、何かに反射してきた西日らしい。

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若干引きの全景っぽいものもいくつか。しっかり全景で撮っていないのは、この時、写っていない端で、数人の方が木にロープを引っ掛けて、何かの作業か訓練かをしていたため。

なお、砲台がある山頂へは、資材搬入用に拓かれたらしい、一応自動車も通れる道が渦巻き状に斜面を上がっていくのだが、山頂手前でショートカットの細道が分かれている。前回来た時には気付かなかったので、夏は藪に埋もれてしまうのかも。

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左が渦巻き状にゆるやかに上がっていく本道、右が近道で、これを通ると上の砲台の裏側――というか、上の砲台からさらに奥の藪に分け入る道の途中に出る。

よく参照させてもらっているサイト「東京湾要塞」の砲台山のページによれば、実際にはこの山頂には(披露山同様に)砲座が3つ作られていたらしく、上写真のものは中央の一基。もう一つ(本道から上がってきた時の手前側)は海上保安庁の通信施設の下になって現存せず(あるいは埋められているだけかもしれないが)。さらにもう一つは、上の砲台の奥の藪の中に、こちらはかろうじて現存している。

前回は藪も深くて確認しなかったが、今回は(先の細道のおかげで奥に小道が続いているのもわかったので)、どんな状態になっているのか覗いてみた。

小道を突き当りまで歩いてみたが、足元に何カ所かコンクリートの角が顔を出している(下写真3枚目)ほか、それらしいものがない……と思ったのだが、脇の藪の暗がりを覗き込んでみたら、コンクリートのすり鉢の一部が確認できた。

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1枚目の写真は藪の上からの写真で、藪がゆるやかに窪んでいるのが、ほぼすり鉢状の構築物の形状をなぞっている。2、4、5枚目はちらりと覗くコンクリート製構築物の一部。藪と落ち葉等に隠れてよく見えないが、入口階段か詰め所?部分の角のようだ。足元もよく確認できないので、不用意に近づくといきなり穴に落ちそうで怖い。全体をはっきり確認するには、徹底的に草刈りするか山焼きをするしかない感じ。この季節でこんな具合なので、夏季にはほとんど確認できない可能性も高い。

オマケ。前回よりちょっと明るい状態で撮った、アプローチの本道脇にある、計算所施設の台座。

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●砲台山からなるべく早く降りるルートを辿ればよかったのだが、欲をかいて(当初予定通り)三浦富士まで尾根伝いに歩いたら、三浦富士の頂上でちょうど日没を迎えてしまった。

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YRP野比駅方面に降りたが、急勾配の山道がどんどん暗くなり、足元も見えなくなってきて大いに焦った。前回と同じく昼食後すぐに出掛けたのになぜ……と思ったが、考えてみれば前回は真夏で日が長かったのだから、余裕があって当たり前。迂闊。ここが戦場なら即死。

●話は前後するが、23日金曜日、祝日だが仕事で新宿。ミーティング相手の1人であるポーランド人は、先日、母国の田舎の村で農業をしていたお兄さんが亡くなり、その整理のために一時帰国していたのだが、「トラクターが処分できなくてまだ倉庫に残っている」由。「それって、もしかしてウルスス(URSUS)ですか?」と聞いたら、「そう! ウルスス! なんでそんなの知ってるの!?」と大いに驚かれた。

……オタク知識の発露。でもさすがに「ウルススA型トラックが」とか「wz.29装甲車が」というような話はしない。

●逗子銀座商店街にある古いおもちゃ屋、「のんきや」さんが来年早々にもついに閉店だそうだ。もともと、逗子に引っ越してきた当初は逗子銀座商店街裏に住んでいて、「のんきや」さんとはご近所付き合いもあったので残念。

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サファリ・ゾーン

20180830_173012 ●8月30日。横須賀で開催されたポケモンgoのイベント、「Pokémon GO Safari Zone in YOKOSUKA」に(仕事をサボって)出掛ける。

事前申し込みで、比較的軽い気持ちで応募したらたまたま当選してしまったもの。なんだか込み入った手順で、

メールで当選通知が送られてくる。
 ↓
リンクで開くシートを印刷して、開催期間中の指定の日に会場に持参。
 ↓
会場内のポケストップを回すとアプリ内でエントリー画面が開くので、印刷したエントリーシートのQRコードを読み込む。
 ↓
会場の範囲内でだけ、参加者にのみ特別なポケモンが沸く。

仕事先のC社長夫妻含め、非参加組のポケモン仲間から、交換用にたっぷり獲ってこい!という圧力を受けていたので、アホ暑い中、頑張って会場のヴェルニー公園と三笠公園を往復してせっせと捕獲する。

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写真は、この日もでーんと威容を晒していた「いずも」と、それに比べるとひっそり感のある「黒なめくじさん」の「そうりゅう型」2隻。3枚目は三笠と東郷平八郎の銅像。いつにない人出に「またロシアと戦争?」とか思っているかしれん。

ちなみに出現した「珍しいポケモン」は、通常であればアフリカ限定?であるらしい「トロピウス」と、「YOKOSUKA GO!」の綴りに使う「Y・O・K・S・U・G・!」の7種類のアンノーン。

いやいや、本当に暑かった! 頑張った! 日焼けした! 「ポケモンgo」のアプリが頻繁に熱落ちした。

●ついで。ヴェルニー公園の隣にある「ショッパーズプラザ横須賀」の前には、横須賀市内唯一の現役丸ポストがある。というか、これまで何度もショッパーズプラザに行っているにもかかわらず、先日なんとなく検索してみるまで知らなかった。

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なお、横須賀市にはあと3基、小学校の敷地内に単純にモニュメントとして残されている「引退丸ポスト」がある。そのうち一基が、三笠公園近くの小学校(諏訪小学校)にあるので、ついでに寄って塀越しにチラ見えしているのを撮ってきた。

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よく見ると投函口と取り出し口が真逆を向いている。

●数日前、某有名コーヒー専門チェーン店に行ったのだが、注文して出てきたホットコーヒー、「たっぷりブレンド」(要するに大盛)を飲んだら明らかに甘い。

普段、コーヒーはブラックしか飲まないが、別に甘いコーヒーも飲めないわけではない(糖尿病なので飲まないほうが好ましいかもしれないが)。……とはいっても、出てきたブレンドコーヒーが最初から砂糖入りというのはあまりに妙なので、店員さんに「これはこういうものなんですか?」と訊ねたら、曰く、

  • 実際のブレンドコーヒーは、(当然ながら)甘くないのがデフォ。甘いのを出したのは間違い。
  • 甘かったのは、店員が、最初から砂糖入りであるアイスコーヒー用パックを、通常のブレンド用パックと間違えて温めてしまったせい。

……である由。

慌てて謝って交換してくれたのだが、後からよくよく考えると、

  • 昔の喫茶店なら普通だったかもしれないが、最初から甘いアイスコーヒーというのも近頃では珍しい。
  • という以前に、そもそもコーヒー専門店でありながら、アイスコーヒーだけではなくホットのブレンドコーヒーも、豆から淹れるのではなくパックを温めるだけ?

などなど、ツッコミどころたっぷり。少なくともプロセスに関する限り、コンビニコーヒー以下! 値段は3,4倍もするのに! まあ、私自身、味覚はかなり大雑把なほうなので、そのまま普通に出されていれば「まあこんなもんかな」で特に気付かず飲んだと思うのだが。

●5日。仕事で都内。四谷で人と会う約束だったので、昼過ぎに四谷仙波堂を覗いてみたがまだ開店しておらず。用事が終わったあとは、お会いした方と駅前で別れてすぐに地下鉄の改札をくぐってしまい、「あ、仙波堂に行きそびれた」と後から思い出した。迂闊。

神保町の事務所に寄ってから秋葉原に回り道。IBGのTKSを購入。これについてはまたいずれ。

●6日。北海道で震度7の大地震。現地の皆さん、お見舞い申し上げます。

(とりあえず札幌のY氏は無事な様子)

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続・葉山の丸ポスト

●葉山町内の丸ポスト探訪その2。前回時間切れ&バッテリー切れで撮れなかった、9基のうちの残り2基を改めて訪ねてきた。

繰り返しになるが、丸ポスト特定のソースは、サイト「ポストマップ」。

▼葉山町長柄769-1(ポスト番号112)。

葉山町の丸ポストは、町内6地区(行政区、旧6村)のうち、おおよそ一色と堀内に集中しているが(5基が一色、3基が堀内)、1基だけ長柄にある。以下はその長柄の御霊神社前のもの。

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隣がごみスポットなので、ごみ収集前だと、ちょっと可哀想な姿になりそう。昭和41年製だろうか? 鋳造銘はちょっと読みづらい。根石は肩の部分まで埋まっている。

ポストの向かって左側が長柄村鎮守の御霊神社。鎌倉・坂ノ下の御霊神社同様、鎌倉権五郎景政を祀っているらしい。ちなみに逗子・沼間の鎮守である五霊(御霊)神社は鎌倉景政とは無関係。

▼葉山町堀内671(ポスト番号240109)。

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国道134号沿い。バス停「風早橋」近く、「たねや」という商店の前(というか脇?)にある。ロケーション的にはだいぶ目立つ場所だが、スペース的にはちょっと窮屈そうであるうえ、放置ごみもあって雑然とした印象。

●前回撮影の丸ポストの補遺。堀内671(ポスト番号240109)のポストを見に行ったついでに、もう一度寄った時のもの。

▼葉山町一色2095(ポスト番号240124)の鋳造銘。前回貼った写真では「昭30」の製造年しか読めなかったが、ちょっと角度を変えて撮影したこの写真では社名もなんとなく見える。少なくとも「工業」は確かそう。「吉村工業製」?

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▼葉山町一色1818(ポスト番号240129)、前回は車が停まっていて撮れなかった、ちょっと引いた写真。

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●長柄のポストを見に行った日(8日)、だいぶ街外れの神社に設定されたポケモンgoのジムにポケモンを置いたら、なんと7日と1時間居座ってから、やっと帰ってきた。

もともと自軍のカラーだったのでジム戦もせず、単に空きに置いただけだったのに、余裕で銀バッジに。いやもうそのまま金バッジまで行ってしまうんじゃないかとさえ思った。これまで(たぶん)最長だった浦賀の街外れの史跡の4日5時間の記録を大幅更新。田舎のジム、ぱねぇ。

●風早橋に行くついでに(9日)、葉山しおさい公園内、しおさい博物館の企画展示「化石は語る」を見てきた。それなりのボリュームのあるものなのかと思ったら、小さな展示ケース5つだけのミニコーナー的なもの。もっとも、しおさい博物館自体かなり久しぶりに行ったので、それなりに面白かった。

園内のあじさいもちょうど見ごろ。最後の1枚は、そのあじさいの花の上にいた、ちょっと見慣れない中型の蛾(ツマジロエダシャク?)。

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20180612_210809 ●「マルハナバチ国勢調査」の5月の月間投稿数1位になって、賞品を頂いた。賞品はいくつかの選択肢のなかから選ぶことができる。以前に一度頂いた時にはニホンミツバチの百花蜜の小瓶を選んだが、今回は、同調査のfacebookページで見て気になっていた、「まる花札」を選択。

各種マルハナバチと、それが好む花をセットで集めて点数を競うものであるらしい。各花には、どんな種類のマルハナバチがどれくらい好むかに応じて点数が割り振られている。

もっとも、カードそれ自体はそれほど厚くないボール紙なので(小学館の学年誌のオマケに使われているような、という説明でイメージできるだろうか?)、傷むのがもったいなくて、気軽には遊べないかも。という以前に、うちの家族はマルハナバチのゲームに付き合ってくれるかどうか……。

20180612_155857 ●知人に「運動公園でヤマモモがなっているよ」と教えて貰い、つまみ食いしに行く。ヤマモモを食べるのは初めて。

手の届く範囲のものはすでに落ちてしまったか、食べられてしまったかで、採れたのは7個、8個。アセロラ系の、だいぶ酸味のある甘さ。赤黒く熟しているともっと甘そうだが、手が届かなかった。

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葉山の丸ポスト

「ほーみたいっ(hold me tight)! 大阪ベイ・ブルース」(悲しい色やね)

という歌詞を、タイガースの四番打者か何かを歌っているのではないか(要するに「浪花のモーツァルト」とかそんな感じ)と思っている人は意外にいそうだが、

「大阪の街よーすてん」(大阪で生まれた女)

というのを、大阪版のヤン・ヨーステンのことだと思う人は、さすがにいない気がする(仮にいても、かなり変な人だと思う)。

●などという愚にもつかないことを考えながら、隣町ながらなかなか足を踏み入れない葉山を散歩してきた(5日)。家に閉じこもっていても午後は特に暑いこと(かといって流石に冷房を入れるには早い気がしていること)、梅雨で閉じ込められないうちになるべく歩いておこうと思ったことなどがきっかけ。

目的は葉山町内に残った丸ポストの探訪。

我が町逗子の丸ポストは、以前に

逗子の丸ポスト
続・逗子の丸ポスト

に書いたように、現在、たった4基しか残っていない。それに対し、葉山町内の丸ポストは、常々頼りにしている「ポストマップ」によれば、倍以上の9基ある。鎌倉市内現役30基に比べると少ないが、比較的頑張っているほうではないかと思う。それでも、今後減ることはあっても増えることはまずないので、今のうちに見ておきたいと思った次第。

逗子駅前からバスに乗り、「森戸神社」で下車。バス停すぐ近くの1基を皮切りに、海岸沿いを歩き、葉山の街の真ん中に居座っている感じの「大峰山」を巻くように歩く。

とりあえずこの日は、全9基中7基を撮って、8基目撃(最後の1基はバスの中から見た)。全部回らなかったのは、(出発が遅かったので)日が暮れてきたためと、スマホのバッテリーが切れたため。

▼葉山町堀内1047(ポスト番号121)。

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県道207号森戸海岸線沿い、「森戸神社」バス停すぐそば。昔は後ろに商店か何かあったらしいが、現在は空き地の前にぽつんと立っている(数年前までは廃屋をふさいだ板から前面だけ覗いているという珍奇な姿だったようだ)。

後ろの土地に何ができるかにもよるが、場合によっては撤去されてしまうかもしれない。先行きがちょっと心配な一基。

海岸通り沿いで傷みが早いのか、塗装はボロボロで、塗替えが必要な感じ。

▼葉山町一色1657(ポスト番号240123。ポスト番号は3桁のものと、管轄の郵便局番号(郵便番号)の240付きのものとが混在しているが、そのポストに貼られたカードに準拠した)。

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同じく県道207号沿い、県立近代美術館葉山そば。何年か前に写真に撮って当「かばぶ」に載せたものと同じだが(その時の記事)、その時とはなぜか向きが変わっている。

後ろの「赤いポスト」の看板を見ても、後ろの商店の顔として大事にされている感はあるが、しかし肝心の商店は今も営業しているのだろうか?(前回訪問時も今回も閉まっていた)

6/9追記。本日、バスで前を通った時にちらりと見たら、後ろの商店が営業中だった。重畳重畳。)

▼葉山町一色2095(ポスト番号240124)。

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1つ前のポストよりもさらに御用邸寄り。県道207号からちょっと引っ込んだところにあるので、地図で確認しないと見つけにくそう。「ポストマップ」によれば、後ろの建物は元郵便局(葉山一色局)だったらしい。

ポスト裏の鋳造マークは、製造年だけ読める(ちなみにこの前の2つに関しては、ポスト番号121はボロボロで、ポスト番号240123は向きの関係で隠れていて確認できず)。

▼葉山町一色1818(ポスト番号240129)。

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御用邸前T字路を曲がって国道134号沿い、セブンイレブン葉山一色店前。丸ポストといえば古くからの商店(もしくは元商店)前というイメージで、コンビニ前というのはちょっと珍しいかも。あるいは古くからの商店がコンビニに転業して、ポストはそのまま残されたものか? それとも(至近に「旧役場前」というバス停があるが)ここって元の葉山町役場跡地?

▼葉山町一色1222(ポスト番号131)。

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国道134号から、「葉山大道」交差点で県道27号横須賀葉山線に折れる。このポストは葉山町立一色小学校から県道を隔てて反対側、住宅地にちょっと入ったところにあり、ポスト番号240124よりもさらに見付けづらい。

現在は後ろは見たところ全く普通の民家だが、元商店だったらしい。

▼葉山町一色692-2(ポスト番号240102)。

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県道27号沿い。葉山郵便局先、ハックドラッグ葉山一色店向かい。裏面の銘は、最初の2文字(昭和)はなんとか読めるが、その後はよく判らない。

▼葉山町堀内1825(ポスト番号240108)。

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再び国道134号に戻り、逗子方面に歩いて葉山町役場を過ぎてさらに先。向原交差点脇。アジサイの隣に鎮座しており、ロケーション的には鎌倉・力餅屋隣と近い。

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庚申塔

●本来なら先月にとっくに終わっていなければならない仕事を引きずり中。おかげで模型関係もほとんど進展なし。

●2月6日、仕事でNICT(情報通信研究機構)に行った際に、その近所で見かけた丸ポスト(小金井市)。都心にはほとんど残っていない丸ポストだが、小平市を中心に西東京にはだいぶ現存しているようだ(以前、調布に行った時も行き帰りで2基見かけたし)。

ちなみに情報通信研究機構は、(検索時に出てくるHPのリードをそのまま引用すれば)「産学官で連携した情報通信技術の開発を目的とする独立行政法人」。日本標準時も司っているため、時々実施される「うるう秒の追加」の際には、ここの本館正面のデジタル時計がニュースに映し出されることが多い(その時には、「**:**:60」という表示を見ることができる)。

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●ポケモンgoは、妙にシブい小さなランドマークがポケストップとして設定されていることがある。ちなみに我が家に一番近いポケストップは児童公園だが、2番目は県道沿いにある石屋の店先においてあるハチ公の石造りのコピー。

先日、ちょっと散歩の足を延ばして披露山に登ったら、庭園住宅入口近くの庚申塔がポケストップに設定されていた。サイト「庚申塔探訪」の逗子の庚申塔のリストにも取り上げられておらず、道からも一段上がって奥まったところにあるので、ポケモンgoがなかったらずっと気付かなかったかもしれない。

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そんなこんなで再び庚申塔に興味を覚え、市立図書館に寄った際にレファレンスサービスで訊ねてみたら、こんな「そのものズバリ」な資料が出てきた。

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「その1」が庚申塔で、これによれば逗子市内には31カ所の庚申塔があることになっている(ちなみに上記「庚申塔探訪」では24カ所)。たぶんそのうち少なくとも10カ所以上はすでに見ていると思うのだが、いずれ機会があれば残りも回ってみたいような気もする。

●今年4度目のフキノトウ収穫(15日)。

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ひと掴みほどお向かいさんにお裾分け。ちょうど夕食が揚げ物だったので、半分は天ぷらにして食べた(若干ご近所Mさん宅にこれまたお裾分け)。残り半分は茹でて、数個はオリーブオイル和えでつまみ食い。さらに残りはそのまま冷凍保存。

●タミヤからレンドリース版ソ連軍仕様のマチルダが発売されるそうだ。単純なデカール替えではなく、パーツを組み替えて、既存キットより後期の生産仕様になっている。

作るならソ連軍仕様かなあなどと思いながら、セータ☆さんのところの「ソレマチ(ソ連軍のマチルダ〉」考証記事なども横目で見つつも、タミヤのマチルダはついついきっかけがなくて買わずに来たのだが、そうこうするうちにタミヤ自体に追いつかれてしまった的な。

●ここ2週間ほど、模型製作はほとんど開店休業状態だが、わずかに、ミニスケールのクルセーダーの予備履帯ラックを作り替え、パイロ48(旧インパクト)のマーチン・ハンダサイドの逆立ち防止スキッド先端のディテールアップ工作を行った。これらに関してはまた改めて。

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