怪しい在庫

完成しないダンジョン

●題名は模型友みやまえさんのサイトのコンテンツの丸パクリ。

●特に完成を目指しているわけでもなく、ただ無心に「模型をいじりたい」という衝動に見舞われることがよくあって(特に何かしらの用事で心身が慌ただしい時)、そんなネタの一つとして、現在、エレール 1:72のモラン・ソルニエ225をいじくり中。

キットに関しては、以前に、記事「ポテかポテーズか」でごく簡単に紹介したことがある。以下、若干重複するが、改めて。

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箱は潰れてボロボロ。1980年代の黒箱になるまえのキャラメル箱。キットは、scalematesによれば1967年に初版発売。表左下の「メーカータグ」的な部分に「Heller Echelle 1/72eme」と書かれているのは、1969年の第2版であるらしい。

裏側には「DANS LA MÊME SERIÉ(同一シリーズ)」として当時すでに出ていたキットが並んでいるが、1:75のアルカンシエル、1:40のスパッドVIIなども入っているから、単純に「シリーズ=飛行機キット」くらいの意味しかない。下に書かれた「DE NOMBREUX AUTRE MODÈLES A PARAITRE」は、おおよそ「新製品続々登場予定」といった意味。

ちなみにこのキットは、今世紀に入ってからも、まだチェコのSMĚR(スムニェル)から販売されている(本家エレールの方では、現在では絶版状態のようだ)。

実機は、上の箱のキット名称では「MORANE 225」となっているが、より詳しく書くと「Morane-Saulnier M.S.225」。戦間期のフランスの機体で、当時のフランス式分類記号では「c.1(単座戦闘機)」。第一次大戦末期から戦間期の一時期に掛けて、モラン・ソルニエがこだわっていたパラソル翼の一連の機体のうちのひとつで、1932年に初飛行している。

英語版wikipediaによれば、「開発中のより高度な航空機の導入前の一時しのぎとして作成された」機体だそうで、そのため生産機数は75機と少な目。そんなのを、よくもまあキット化したもんだ。53機が空軍に、16機が海軍航空隊に納入され、3機が中国に輸出されたらしい。3機は行方不明?(普通に考えると、テスト用にメーカー側でキープされたとか、そんなところだろうが)。

……というようなことを聞くと、私としては中国仕様で作ってみたくなるのだが、ネット上には根拠が不明な塗装図は2例ほどあるものの、実際の写真は見当たらない。どなたかこ存じの方がいれば教えて下さい。

●ちまちまいじって、現状、主要パーツ群は以下のような感じ。

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エレールは自国の誇りに掛けて戦間期のマイナー国産機のキットを精力的に出していたが、このキットは同社72の中でも比較的初期のものとあって大らかというか、再現度も「プラモデルとしての出来」もイマイチ。かといって、カリカリにチューンするほどの資料も気力も足りていないので、「どうしても目に余る」部分を訂正しつつ、若干なりと「シュッとした」状態に持っていく、程度の工作を目標とする。

しっかり製作記等を書くつもりもなかったので、いじったパーツのbefore状態の写真を撮っていないので、どういじったかの比較はできないが、以下、主に手を入れた部分など。

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主翼は外翼部上面が別部品。そのパーツ分割線がエルロンの前辺と外側を兼ねているのだが、内側の切れ目はなく、しかも主翼下面に至ってはエルロンの影も形もない。というわけで、上面の内翼・外翼間の接合線を消すとともに、エルロン内側・外側にエッチングソーで切れ目を入れた。下面はエルロン前辺をスジボリ。下面のエルロン・主翼間は若干リブの山をヤスって、「エルロンと主翼はきちんと別ですよ~」感を若干プラス(どうせ裏なので気持ち程度)。

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水平尾翼は、安定板と昇降舵の分割線が間違えている。キットでは昇降舵外側分割線が後ろ側(赤矢印部分)にあるのだが、実機は前側(黄色矢印部分)で、要するに昇降舵にデカいバランスホーンがある形状。というわけで、後ろの溝は埋めてリブ表現に。前側には切れ目を入れた。

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コクピット内は、キットのパーツとしては床板、椅子、操縦桿があり、古いキットとしては「まあ、マシ?」な感じ。とはいえ、オープンコクピットで、中を覗いてそれだけだと寂しいので、両側にフレームを付けた。あとは若干の機器類、計器盤、フットペダルくらいは足そうかな。

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カウリングは、キットのパーツのままだと「円筒形+前面」くらいの感じだったが、実機はもうちょっと、前半部で緩やかに絞っている感じなので、適当に削り直した。もともとパーツには変な梨地モールドとかパネル分割表現とかタガとかのモールドがあったが、その辺も一旦全部削り落とした。カウリング前面は排気管で、左右に排気口がある。キットは「ただの穴」状態だったので、プラペーパーを突っ込んで、なんとなくそれらしく。

エンジンは、向きを決めるダボなどなかったので、シリンダーが「Y」状態になるように付けたが、実際は逆(真上にシリンダー1本が来る)かも。

木製2翅のプロペラは、ブレードの片側がほぼ直線、もう片側がゆるくカーブしている。キットは直線側が前縁になっているのだが、実機ではカーブを描いているほうが前縁なので、キットのプロペラの軸部を切り取って、表裏をひっくり返した。

昔々、とある模型誌で、「キットのプロペラのピッチが逆なので、表裏逆にして取り付け」という記事を読んだことがあるようなおぼろげな記憶があるのだが、表裏逆にしても、ピッチは逆にならないよね……。記憶違いかなあ。

●と、いじってはいるものの、そのまま完成まで突き進む気力がいまいち湧かないのは、

  • 前記のように、生産機数があまり多くなく、塗装バリエーションに乏しいこと。
  • そもそも徒然にいじっている古キットに別売デカールなどを奢る気にもなれないこと(かといって、キットのデカールは今でもちゃんと使えるかどうか怪しい)。
  • さらに胴体前半+カウリングは金属地、しかもどうやら胴体前半側面は、細かい三角の整然とした磨き模様付きなので、塗るのが面倒。というよりも、そもそもどう塗ったらいいかも考えたくない感じ。

などによる。

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勇者

●魔王「勇者よ、この我のものとなれ!」

勇者「断る!」

……一度言ってみたかっただけ。「まおゆう」いいよね。

●モデラー界隈(?)では、とてつもない難物キットにあえて挑戦する(そして完成させる)者をしばしば「勇者」と称える。

我が家にも有名無名の難物キットはそこそこ(いや、かなり?)あるが、基本、それらのキットは作り通す気力を奮い立たせることはできずにストックしているだけなので、私は勇者手前どころか単なる無謀の人というべきかも。

それでも、時折「いやいや、スケールモデラーになってン十年、それなりに経験も積んでいるからには、時には難物キットに正面から立ち向かうべきではないのか」的な身の程を知らない謎意欲が沸き出てくることがあって、そんなキットをわざわざ掘り出してくることがある。

Img20221231125857 しばらく前から、そんなキットの一つ、M(仮称)の1:35、D-8装甲車のキットが自室の椅子のすぐ隣に積まれているのだが、数日前、セータ☆さんがブログ(gizmolog)でこれを記事にしていて、思わずニヤリとしてしまった。

セータ☆さんも書いている通り、乳白色(というより半透明)のデロデロした感じのプラパーツは、見たとたんに製作意欲を削ぐに十分で、実際私も、案の定、取り出してしばらく眺めただけで一切手を付けずに放置してある。まさに「勇者のみが対抗し得る」レベルのキットなのだが、一方で、モデラー仲間のかさぱのす氏はこのキットを、me20さんはバリエーションキットのD-12を完成させている。勇者多いなあ……。

ちなみにセータ☆さんの記事によれば、(全体形状のバランスは抜きにしても)天井板周りの面構成がだいぶ違っているようだ。もしも作るときが来たとしても「とにかく見た目を整えて組み上げる」ことしか考えていなかったので、知らんかったよ……。

●さて、この戦間期のソ連のフォードA型~GAZ-A~GAZ-M1シャーシ・ベースの装甲車は、D-8 → D-12 → FAI → FAI-M → BA-20 → BA-20Mという具合に進化していくのだが、そのFAI-Mのキットも我が家にある(そしてこれまた自席の隣に積んである)。

Img20221231132837 これも「勇者の討伐対象」の代表的レーベルと言えるMAQUETTEのキット(製造を同社で行っていたかは怪しいので、「メーカー」と言っていいかどうか)。

中身は、ソ連・東欧崩壊直後に雨後の筍のように出てきた新興メーカーの一つ、START製のBA-20のパーツ丸ごとに、新造の上部装甲ボディが入ったもの。新造の装甲ボディ・パーツは簡易インジェクションと思しき(これまた)半透明がかったプラ質で、STARTのシャーシに取り付ける際、一部を切り欠くように指示されているので、やはりMAQUETTEで出ていた(前身の)FAI装甲車のキットからの流用であるらしい。

御覧のように、箱の中身は、割合的にはSTART製の流用パーツ(緑と黒)のほうが圧倒的に量が多い。

しかし実際には角ばっているはずのシャーシ後端がBA-20Mのままで丸かったり、車体上部とシャーシとの接合部分の形状がまるで違っていたりするので、ある程度本気でFAI-Mを作るつもりならかなりの改造が必要になる難物キットなのは間違いない。もちろん、新造パーツの出来も大したことはないし、カリッカリにチューンナップしたFAI-Mを作りたい、という場合には、そもそもこのキットの存在など無視したほうがいいかもレベル。

●わざわざこのキットを引っ張り出してきたのは、おととい(29日)の晩、zoomでNIFTY時代の模型仲間(仮称・はるとまん氏を囲む会)と飲んでいて、くまざあ氏が話題に(そして画面に)出してきたため。

このキットはMAQUETTE亡き後(もう無いよね?)、今はMSDレーベルから出ていて、くまざあ氏が持っているのもその「新版」なのだが、なんと同梱のベースキットが、STARTのBA-20MからALANのBA-20に変わっているのだという。なんだそりゃ。

ALANのキットは、その後MSDに流れているので、要するに「自社製品」に挿げ替えたということらしいが、くまざあ氏が言うには、組立説明書(の図解?)はSTARTベースのままだそうだ。なんだそりゃ(再)。

ちなみに、キットの出来についてはSTARTもALANも「どっちもどっち」。ALANのキット(一時ドラゴンで出ていたこともあり)は装甲車体の合わせにかなりの難があったが、このキットの場合は使用しないのでそもそも問題にならない。いずれにしても、前述のように「ちゃんとFAI-Mを作るなら大手術が必要」という点では変わらない。

……いつか挑戦してみたい(無謀な勇者願望)。

●例年通り、本日はこれから川崎の実家に移動し、そこで新年を迎える予定。

皆様よいお年を。

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郵便機がらみの脱線話(3)

●うっかりYouTubeでCMを見てしまい、「関西、電気保~安協会っ♪」が耳に染みついてちょっと困り気味。

●ノビルを今季初収穫し、タマの部分はジップロックに入れて市販のそばつゆに漬け、葉の方は刻んで「ノビルのパジョン」にして食べた。パジョンは1枚は焼いた後にポン酢、1枚は焼きながら醤油を掛けまわした(焼けた醤油の匂いが良いので)。

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写真はそれほど美味しそうに見えないかもしれないが、美味しいんだよ! 本当だよ!(意味のない力説)

●名越の大切岸前の平場で、疥癬症のタヌキを目撃(11日)。

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そして2日後(13日)、今度は名越切通の平場で。

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すぐ近くで野良ネコに餌付けしている人がいて、その上前を撥ねようと草むらに身を潜めているところ。場所は上写真のすぐ近くだが、因幡の白兎ではあるまいし、2日で毛がふさふさになるとは思えないので明らかに別個体。とはいえ、毛並みの様子が万全とは言い難い様子なので、やはり皮膚疥癬に罹っているようだ。

20220311_135938 ●郵便機がらみの脱線話の第3弾。エレールの1:75、クジネ 70.02 アルカンシエル(Couzinet 70.02 Arc-en-ciel)。

scalematesによれば、初版発売は1964年という古いキットで、1:75といういかにも半端なスケールも、おそらく箱合わせで適当に作ったためと思われる。

私が手に入れたキットは、エレールが黒箱時代になってからのものだが、箱絵は初版と同じで、暴風雨の大西洋(たぶん)を、海面すれすれに飛ぶ同機を油絵調で描いたもの。当然、ここにも箱写真を添えたいと思ったのだが、機体本体の作り掛けは出てきたものの、キットの箱(小部品入り)はストックの山の奥にあるようで発掘できなかった。というわけで、箱絵を見たい方はscalematesのページでどうぞ。

1:75といっても3発のかなり大柄な機体で、作り掛けの1:35のトランペッター KV-2と並べてもご覧のような感じ。ウィングスパンは、ほぼ40cmピッタリある。

▼メルモーズと大西洋に架かる虹

クジネ 70~71 アルカンシエル(「虹」号)は、戦間期の有名な郵便機パイロット/冒険飛行家であり、フランスの国民的英雄でもあったジャン・メルモーズの名と密接に結びついている。メルモーズはこの機に乗って、1933年、パリ-ブエノスアイレスの往復飛行を成功させているが、これは初の陸上機による南大西洋無着陸横断飛行だそうだ(水上機型のラテコエール28を使った南大西洋横断飛行は、同じくメルモーズが1930年に成功させている)。

これは、アルカンシエルの長距離飛行試験であるとともに陸上機による横断航空路確立のための飛行であったようで、1934年にはメルモーズの操縦でなお数回の南大西洋横断飛行を行っている。

しかし、やはりこの時代、大西洋横断飛行は相当な冒険であったことは否めず、不時着水時のリスクに加え、木造機であることから耐候性や火災リスクも不安視されたようで、1934年を最後に横断飛行は行っておらず、そのまま表舞台から姿を消してしまったらしい。

エールフランス(アエロポスタル社を前身として1933年に発足)は横断飛行用機体として、代わって4発飛行艇のラテコエール300「南十字星」号を使用することになるが、皮肉なことに、1936年、メルモーズはこの「南十字星」号で、セネガル(ダカール)からブラジル(ナタール)に向け飛び立った直後に行方不明となっている。

 

メルモーズと代表的乗機の動画をYouTubeで見つけたが、最初に写っているのがラテコエール28の陸上機型と、1930年の横断飛行を成功させた水上機型。続いて30秒あたりからアルカンシエル。最後に、ラテコエール300「南十字星」号が写っている。

ラテコの「南十字星」はドルニエ式のスポンソン付き飛行艇で(従って翼下の補助フロートはない)、櫛形配置でナセル2つにまとめた4発エンジン、スマートな艇体、なだらかな曲線でつながった尾翼などなかなか美しい(ちょっと尾翼が「しゃもじ」っぽいが)。ただし、どうもエンジンに不安を抱えていたらしく、メルモーズの最後の飛行でも、右後ろのエンジンの不調を伝える無線を最後に消息を絶ったという。

ちなみにArc-en-ciel(虹)の発音は、カタカナ表記すると「アルカンシエル(もしくはアルカンスィエル)」が近い。「アルカンシェル」でも「アルカンシェール」でもないので注意(時空管理局の「すっごい兵器」はアルカンシェルだが)。意味は分解して逐語訳すると「空の弓」で、ハイフンで繋げて1単語にすると「虹」になる。設計者の姓でもあるCouzinetは、日本語だと「クジーネ」と書かれたり「クージネ」と書かれたりするが、アクセントは「ou(ウ)」のところにあるものの伸ばした感はないので(発音サイトで聞く限り)カタカナ表記は「クジネ」が近い。

▼実機の特徴

佐貫亦男先生は、クジネ 70~71 アルカンシエルを評して、「航空技術史上もっともスタイリストである機体の一つ」と記している(「続々・ヒコーキの心」)。

もちろんここでいう「スタイリスト」は職業ではなく「オシャレ」くらいの意味だが、その最大のポイントは、木製機ならではの滑らかなラインと、ルネ・クジネ設計によるアルカンシエル・シリーズ共通の、胴体がそのまませり上がって薄くなり垂直尾翼になるという独特すぎる形態だろう。

「鍛えた日本刀のような」というのは喩えとしてほめ過ぎで、実際にそのような隙の無さは感じないし、むしろ「え、大丈夫なのコレ?」的な印象。側面形だけで言うと「バナナみたい」。ラインとして美しさはあるが、一方では圧倒的な珍機感を打ち出している。それがこの機の個性と魅力ではあるが。空力への並々ならぬこだわりは、巨大な主車輪だけでなく、尾輪にまで水滴状のカバーを被せたところにも感じられる(ただし、これらのカバーは後の改修で取り払われている)。

設計者のルネ・クジネは主に戦間期に活動した航空機デザイナーで、初期は(以前にエレールのキットを紹介したことがある)ANFレ・ミュロー社の協力を得て、後には独立して会社を構えて(ルネ・クジネ航空機:Société des Avions René Couzinet)何種かの航空機を生み出している。もっとも、まともに量産された機体は一種もないようだから、要するに「自分のアイデアに溺れちゃった」タイプの技術者臭い。

実機に関しては、ネット上にものすごく詳しい資料がPDFで公開されているので、興味をお持ちの方はダウンロードして目を通してみるとよいと思う。

サイト「Association Le Nouveau Souffle de l'Arc En Ciel

資料は「Quand les Arcs-en-Ciel traversaient l’Atlantique(虹が大西洋を渡った時)」(著:Claude FAIX)、上下43ページずつで、「pour aller plus loin」のページに置かれている。以下の説明も、基本、この資料に拠っている。おそらく、お金を出して買おうと思っても、なかなかこれを上回る資料はないんじゃないか? というくらいの上質な資料である(ただし全編フランス語)。

クジネによる最初の「アルカンシエル」は、1927年のクジネ 10 アルカンシエルNo.1で、これは小改修されてクジネ 11 アルカンシエルNo.1bisとなるが、1928年に事故で失われ、別機のアルカンシエルNo.2も格納庫火災で失われている。他にも数種の「アルカンシエル」タイプの大小の航空機が作られているらしい。

今回の主役のクジネ 70~71 アルカンシエルは、クジネ 10~11よりやや大型の機体として企画されたもので、1930年にクジネ 70.01 アルカンシエルNo.3として製作開始、翌年2月に初飛行している。

ここまでの文章中で、私が「クジネ 70~71」と書いているのは、初飛行以降、1934年までの間にやたらに改修が繰り返されて、そのたびに名前が変更になっているため。

クジネ 70.01 アルカンシエルNo.3:初飛行時。全長16.13m。全幅30m。1時間半飛行。イスパノ・スイザ12Lb(650馬力)3基に、グノーム&ローン製3翅ペラの組み合わせ。車輪カバー未装着。

クジネ 70.01 アルカンシエルNo.3bis:初飛行後、小改修を受ける。エンジンフレーム、エンジンカウルなど変更。左右エンジンが翼前縁に対して垂直(機軸に対して3°外向き)なのはこの改修以降? 大型の車輪カバーが付く。登録され、「F-AMBV」の登録記号を得て、これが記入されるのもこの時から。胴体下面に「René Couzinet」と大書(当初は横書き、長胴体型になってからは縦書き?)。これらのマーキングは、少なくともこの時点では赤だったらしい。32年12月に、ショヴィエール製2翅ペラに交換。全長変わらず16.13m。1933年に2度の南大西洋横断(メルモーズによる最初の往復飛行を指すと思われる)。

クジネ 70.01 アルカンシエルNo.4~No.4bis :大改修。延長型の新しい胴体。全長21.45m、全幅は変わらず30m。エンジンカウルも再び新しくなる(胴体に合わせて機首も伸びる)。ラジエーター形状変更。胴体窓は前後が角形から丸型に変更。主翼、胴体間に大型のフィレットを追加(フィレットが追加されて当初は、翼の登録記号の一部が隠れた状態)。水平尾翼形状変更。胴体窓上に「FRANCE - AMERIQUE DE SUD」。水平安定板上に、「豚の耳」と呼ばれる補助方向舵を追加。一時(1933年12月?)エンジンに減速ギアを取り付けて4翅ペラを装着。

クジネ 71.01 アルカンシエルNo.5:胴体を後部で若干短縮。全長20.18m。エンジンも減速機を外され通常のイスパノ・スイザ12Nbになり、ペラも2翅に戻る。エンジンカウル形状等にさらに改修。フィレットは大型だが、No.4~No.4bisに比べるとやや小型化? 1934年に6回の大西洋横断飛行。最後の横断飛行(8回目)の後、胴体右の虹の帯の後ろに、1回目~8回目の横断飛行の記録(達成年月日)が、胴体左の同位置には南米の都市名が記入される。

クジネ 71.01 アルカンシエルNo.6:エンジンカウルに大幅改修。前面ラジエーターをやめ、顎下ラジエーターに。機首・ナセル前面は尖った形状になる。ハミルトン・スタンダード製ペラを装着。大きな車輪カバーは外される。全長20.18mで変わらず。国が購入しエールフランス所属に? ただし実際の商業飛行には使われなかったようで、その後、エンジンを取り外された状態で競売に掛けられ、ルネ・クジネ自身が買い取ったらしい。結局修理再生されることもなく、第2次大戦中に破壊されてしまったようだ。

とにかく、1機しかないにも関わらず、やたら小刻みにあちこち変更されていてややこしい。

ちなみに上に埋め込んだYouTubeの動画中でも、最初に登場するのは短胴体の70.01(たぶんアルカンシエルNo.3bis)。フィレットも小さく、側面窓が角形なのが45秒あたりから確認できる。1分15秒から写っているのは長胴体型(アルカンシエルNo.5?)で、大きなフィレットと前後が丸くなった窓がわかる。

ワンオフの特別な機体を、極限の飛行に合わせて細かくカスタマイズしていったと言えば聞こえはいいが、胴体の延長や大型フィレットの追加、補助方向舵の増設などは安定性や方向舵の効きを改善するための措置で、どうもルネ・クジネがこだわり続けた尾部形状が悪さをしている可能性は高いように感じる。その後、誰もこの「新機軸」を真似ていないのも、その傍証のように思う。

▼エレールのキットについて

上述のように、キット名称は「70.02」で、これは上記のリストでは、おそらく胴体延長改修後のアルカンシエルNo.4もしくはNo.4bisを指しているのだと思う。とはいえ、なにぶんにも古いキットということもあってか、細部の特徴はいくつかの時期のものが混ざっている。

  • キットの全幅は40cmで、これは実機各型の全幅30mのきっちり1:75。全長は26.6~26.7cm(スピンナーの分は適当に足しているのでいい加減)で、75倍すると約20m。アルカンシエルNo.5とおおよそ等しい。半端スケールではあるが、一応スケールに拘っているようなのは嬉しい。
  • 主翼・胴体間は大型フィレット付き(おそらくアルカンシエルNo.5の形状に近い)。
  • 胴体窓は角形でアルカンシエルNo.3bis以前。
  • プロペラは3翅で最も初期のアルカンシエルNo.3仕様。
  • 機首も胴体に合わせて長く、エンジンカウル形状はおおよそアルカンシエルNo.4?
  • 水平尾翼形状はアルカンシエルNo.4以降の改修型。「豚の耳」補助方向舵付き。
  • 主車輪、尾輪は大型カバー付き(アルカンシエルNo.3bis以降)。

とにかく、胴体と機首が長く、大型のフィレット付きの形状になっているという時点で、アルカンシエルNo.5として作るのが最も素直な道ということになる(もちろん、実機の仕様を追おうなどと考えずにキットのままに作るという方針を取らないのであれば、という前提のもとでだが)。

ちなみに、最初の横断飛行を成功させた短胴体時代の70.01 アルカンシエルは、1:72のレジンキットが模型友達である小柳氏の「赤とんぼワークス」から出ていた。

上記のように、各時期の特徴が混在していること以前の問題として、キット自体が古く、全体のスタイルの捉え方も甘く、パーツ構成やモールドも大味であることなどが挙げられる。

私がこのエレールのキットをいじったのは、ずいぶん昔のことで、以来、たぶん20年くらいは放置していたものなので、工作自体も曖昧になっているが、とりあえず、大掛かりにいじったところなどを中心に。

20220311_161213アルカンシエルの胴体は合板張りの強みを活かして、やたらに滑らかな曲線で構成されている。実機の胴体断面形は中心部あたりでも上すぼまり。側面窓が途切れたあたりからは、もうほとんどおむすび型になっているはず。エレールのキットは、胴体中心部あたりでは長方形断面に近く、そこからだんだん上部が狭くなっていくのだが、垂直尾翼として立ち上がっていくあたりになっても、まだ上に平面部を残している。キットをストレートに仕上げた作例がネット上で見られるので、参考までにそちらへのリンクを(もちろんこれはこれで、デスクトップモデル風に美しく仕上げてあって良い感じ)。

(おそらく、その他のさまざまな不都合を無視してまで)ルネ・クジネが追及したかった、抵抗の少ない流麗なラインがだいぶ損なわれている感じがあり、内側から裏打ちし、胴体後半を大胆にゴリゴリと削り込んだ。古いキットの大振りなパーツなのでプラの厚みも結構あるのだが、削り込みの結果、(写真にもちょっと写っているが)胴体上端あたりに裏打ちがちょっと見え始めている。

実はこれでも削り込みが不足で、もっと胴体の前側からなだらかに丸まっていないといけないのだが、そうすると胴体に穴が開いてしまいそう。

20220311_140053「うーん、もうちょっと削りたかったなー」と思いつつも削れないのは、胴体窓の形状を変更(角形→丸形)したいというのもあって、透明プラバンをはめ殺しにしてあるためでもある。とにかく外形を何とかしたかったということもあって、「どうせほとんど見えないよね」と、キャビン内部は何も工作していないのでがらんどう(もともとキットにも機内パーツは何も入っていなかったと思う)。

天井の明り取り窓は、キットでは確か四角くモールドがあっただけ(あるいはモールド自体なかったかも)で、ここは開口だけして放ってあった。

20220311_161121キットの機首はやや細すぎる感じ。機首下面が直線的に上がっていて、ふっくら感が足りないので、プラバン片とパテを盛って、ちょっと膨らましている。

その際に、機首の細かいルーバーのモールドは(もともとちょっと頼りないが)一部消えてしまっていて、これは将来的にはまとめて再生する必要がある。

排気管は一目で「あ、イスパノ・スイザだ」と判る「1・2・2・1」構成。機首左右下側には、イスパノ独特の三連の吸気口も製作する必要がある。機首前面にはラジエーターがあるのだが、キットのパーツはプリミティブな出来で、これも自作覚悟。

コクピットの窓枠が破損しているが、これは、そもそも「コクピット側面窓の形状もおかしい」「凸モールドがあるだけで天窓が表現されていない」などの問題があり、ここはノコギリで天井から大きく切り開き、作り替える予定があるので構わない。コクピット内も現在はがらんどうだが、その際についでに最低限の表現を制作するつもり。ちなみにこの機は、これだけ大型機であるにもかかわらず、操縦輪は左側に1つだけで、副操縦装置はない。

20220311_140355機首が細すぎる感じな一方で、両ナセルは寸詰まりで、とても同じエンジンが入っているように見えないので、こちらは一度ノコギリで切り離して、プラバンを挟んで3mm延長した(延長した長さは目分量)。

この際の工作で、ナセルの表面モールドは完全に削り落としてしまっている。機首もそうだが、細かいルーバーの再現ってどうしたらいいんだろう……というのが放置に至った直接の原因だったような気もする。

ちなみに実機では、左右ナセルに向けて厚翼の翼内に通路があり、這って行ってエンジンの点検修理ができるようになっていたらしい。宮崎駿さんあたり、好きそうだ……。

20220313_121409下面は、前述の機首を膨らませた以外にも、段差やヒケなどが多く工作跡(あるいは工作途中跡)がだいぶ汚らしい。左主翼下面が白いプラバンに替わっているのは、キットのパーツが複雑にねじくれ、波打っていて、修正して使うよりも交換してしまった方が話が早かったため。

ちなみにこの下面パーツはナセル下面と一体になっているので、ナセル部分だけは切り取ってキットのパーツを使っている。

上面、下面ともエルロンの表現は凸筋+パーツの分割線のみ(それを言うなら機首のパネルラインや方向舵も凸筋だが)。凸筋は削ってしまったしパーツ分割線は埋めたので、後々資料を見つつ彫り直す必要がある。

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郵便機がらみの脱線話(2)

20220227_200939 ●前回に続いて押入れの守り神的ストックのレビュー(守り神がやおよろず状態)。フランス製の簡易インジェクション、HiTech 1:48のブレゲー14B2。

武骨で、四角くて、頑丈そうで……およそ「洗練された格好良さ」とは無縁な感じだが、しばらく見ていると、それが逆にちょっと魅力的に見えてくる感じの機体。

フランスお得意の(というか、戦間期までは各国がしきりに開発していた)多座多用途機のハシリにして初期の成功例のひとつで、これの後継機が前回のポテーズ25や、同メーカーのブレゲー19あたり、ということになる。

大昔、オーロラの1:48シリーズにも取り上げられていたくらいなので、第一次大戦機のキット化アイテムとしては最古参の部類ということになる。実は、私は子供時代にオーロラのブレゲーを組み立てたことがある……らしい。「らしい」というのは、おぼろげな記憶で、「やけに角ばった感じの、それなりの大きさがある複葉機のキットだったこと」「主翼を前から押している地上員のフィギュアが付いていたように思うこと」くらいしか覚えていないからだが、該当するキットは、おそらく、オーロラのブレゲー14しかない。

まだプラモデル趣味に目覚める前で、当時の子どもの常として「時々プラモデルを接着剤ベタベタで捏ね上げるだけ」だった私が、なぜ輸入品の第一次大戦機などというマニアックな品を手にすることになったのか、今では確かめようもない謎である。

閑話休題。そんなキット化史を持つブレゲー14だが、その後は長く後継キットに恵まれない時代が続いた。

80年代、悪名高い草創期の簡易インジェクションメーカー、マーリンから72キットが発売され、(よせばいいのに)入手したことがあるが、でろでろのプラパーツ(前回のHITKITの比ではない)というだけでやる気を無くすのに、なんと私の入手したキットは、胴体の同じ側が2つ入っていた。購入した模型店に連絡をしたら、「えっ!? では、すぐに交換します。在庫確認しますんで……。あっ! 申し訳ありません、こっちの在庫も同じ側が2つでした……」と言われた。右左別々で2枚ずつならパーツだけ交換で済んだのに……(これって前にも書いたような気がする)。

そうした前史の末に、ようやく手に入れた比較的まともなキットが、このHiTech製の1:48 ブレゲー14B2ということになる。なお、72ではペガサス、その後AZmodelからもキットが出ている。

ちなみにキット名称末尾の「B2」は(たとえばメッサーシュミットBf109E-4、みたいな)生産順によるサブタイプ記号ではなく、フランス独自の機種識別記号で、爆撃機(Bombardier)で複座(2人乗り)を示す。ニューポール17C1、モランソルニエ406C1とかも同様で、これは戦闘機(Chasseur)で単座。

ブレゲー14の主要生産型としては、他に偵察機型のA2があって、これも「偵察機・2人」の略号だが、Aが何の頭文字なのかはよく判らない。フランス語で偵察機は「Avion de reconnaissance」だが、「Avion」は単純に航空機のことだから略号にするならRを使いそう。Accompagné(随伴)とか、あるいは実際にこのA2機が配属されたCorps d'Armeéを示しているのかも。

ちなみにこの頃のフランスの陸上の航空隊は全体が陸軍に所属していたはずなので、後者のCorps d'Armeé(直訳すれば陸上部隊)は陸軍所属を示すのではなく、爆撃隊とか戦闘機隊とかと並列で、偵察・空撮・弾着観測・リエゾンなどの地上支援を担当する部隊のことであるらしい。

●前置きが長くなったが、そろそろキットの中身を。

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中身は簡易インジェクション製の主要プラパーツ、レジンとメタルの小物パーツ、エッチング、デカールとインスト。

単発機とはいえ結構大柄な機体で、2枚目写真にあるように、手のひらと比べても主翼はだいぶ大きい。胴体横・後席脇に窓があるのはたぶん爆撃型の特徴。下翼に出っ張りがあるのも爆撃型の特徴で、この出っ張りは下翼下面に装着されたミシュラン製の爆弾架(小型爆弾なら左右各16個懸架可能)のもの。下翼後縁が、ほぼ全スパンに渡ってフラップになっているのも爆撃機型だけの特徴らしい。ちなみにアエロポスタル社で使用された郵便機は、おそらく窓や爆弾架のないA2仕様をベースにしているのではないかと思う。また郵便機型は(ネット上で作例等見ると)下翼左右(B型で爆弾架のあるあたり)に貨物(郵便袋?)収納用のコンテナをぶら下げているようだ。

胴体表面の布張りの縫い目、翼のリブ表現などはそれなり。簡易インジェクションで第一次大戦機を出し始めたころのエデュアルド並み、くらいか(通じにくい評価)。私の入手したキットでは、下翼の爆弾架部分の表側に、あまり目立たないながらも、わずかにヒケがあった。裏側ならエッチングを貼るので、いくらヒケててもいいのに……。

胴体下面はモールドの方向もあってつんつるてんだが、実機は何かディテールがあるかもしれない(資料不足でよく判らない)。

びっしりとルーバーの入った機首側面は、プラパーツは一段窪んでいて、エッチングパーツを貼る構成。

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割と大判のエッチング(横約10センチ)は、前述の機首側面パネル、爆弾架、後席機銃架、窓枠、前面ラジエーターのシャッターなど。機首側面のルーバーがペッタンコ表現なのはちょっと残念な感じがするが、かといって、ここを綺麗に膨らませて、かつ綺麗に形を揃えるというのは非常に面倒くさそうだ。

メタルキャストパーツはペラ、脚柱、機銃。本機に使われたプロペラは数種あるらしいが、キットは最も標準的に用いられたラチエ製。レジンパーツは機首前面のラジエター、車輪、座席と、オカリナのような形の排気管。

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デカールシートは、確か今はもう活動停止してしまったエアロマスターデカール製の美しい印刷のもの。縦横13cmちょっと程度あるが、塗装例1種のみに対応。シリアルNo1333はボックスアートの実機写真にある機体で、説明書によれば1918年6月、エスカドリーユBR117所属である由。フランス航空隊の中隊(エスカドリーユ)名は機種別になっていて、BRはブレゲー装備を示す。

たとえばエースとして名高いジョルジュ・ギヌメールの所属は第3戦闘機中隊だが、モラン・ソルニエ装備時代はMS3、ニューポール時代はN3、スパッドに替わってからはSpa3と変遷している。

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郵便機がらみの脱線話(1)

●ロシアのウクライナ侵攻が始まってしまった。

独ソ戦の話ではなく、まさか21世紀の今になって「ハリコフ攻防戦」が現実に起きるなどとは思わなかった。

多くのウクライナ人にとっては「隣国(他国)の侵攻」である一方で、プーチンにとっては(あるいは多くのロシア人にとっては)「自国内の問題」という意識なんだろうなあ、と思ったりする。そういえば、ロシアの民族的英雄であるイリヤ・ムロメッツは「キエフの大公」に忠誠を使っているのだった。

それはそれとして、NHKのニュースにおいても、「第二の都市ハリコフへ云々」と言っているのがちょっと気になった。当然ながら報道は立場としてはウクライナ寄りなのだけれど、それでいてなぜに都市名はロシア語? ハルキウって言うべきなんじゃないの? いや、それを言うならキエフもロシア語名で、ウクライナ名はキィフ? 一方でなぜリヴィウだけは各ニュースでウクライナ名? などと、なんだか脇道に逸れたあたりが気になったりする。

ちなみに、ウクライナ外務省推奨の正しい地名呼称(より現地発音に近い表記)は、キエフ→クィイヴ、ハリコフ→ハルキヴ、そして国名は「ウクライーナ」だそうだ。

●24日木曜日に3回目のCOVID-19ワクチン接種。当初2回はファイザーで今回はモデルナ。もともと1,2回目の時は「同種のワクチンを」と言っていたのが、なんで急に「交互接種は有効」ということになったのか、どうにアヤシイものを感じてしまうのだが、明確に「そりゃおかしいだろ」という根拠を持っているわけでもないので大勢に流される。翌日肩が痛かったが、特に発熱などはなかった。

20220226_153957_burst01 ●久しぶりに佐助稲荷に行く。

どうも小学生女子としては趣味の方向がよくわからない我が家のお嬢が、先週末だったか、一人で佐助稲荷に行って来たのを聞いて、「そういえばすっかりご無沙汰だな」と思い出したため。

数年前の台風による倒木で大被害を受け、本殿と拝殿が潰れてしまったと聞いてから行っていないから、少なくとも3年以上行っていないかも。考えてみれば、近年、山歩きは逗子から南側・西側が主で、衣張山・朝比奈方面以外の鎌倉外縁の山もほとんど歩いていない。

久々に行った佐助稲荷は、拝殿は白木造りの新しいものが建っていたが、その奥の本殿は倒壊・撤去されたままで、陶器の小さな狐がぎっしりと並べられた中に、神棚に毛の生えたような小さな仮の本殿が置かれていた。本殿脇からは、本来は尾根上の大仏ハイキングコースに上がる道があるのだが、そちらはなお通行止めのようだ。参道の鳥居の列も、以前は木製の古いものが混じり、また腐って倒れて根元しか残っていないものもちらほらあったような気がするのだが、ほぼすべて樹脂製の新しいものになり、抜けも補充されているようだ。

●hn-nhさんが昨年買ったキットのリストを挙げた中に、AZUR-FRROMの1:72 ポテーズ25があって中身が非常に気になっていたのだが、hn-nhさんのブログ「ミカンセーキ」にレビューが上がった。

Le Potez25 de l'Aeropostale

hn-nhさんのことなので、単に「キットの出来はこーじゃ」みたいな味気ないものではなく、(もともと軍用の多用途機として開発されたものの)サンテクスの著作でも有名な郵便飛行の使用機として活躍したあたりをじっくり書いていて、読んでワクワクする。

もちろんキットの紹介も抜かりなく、一緒に購入されたらしいSpecial Hobbyの郵便機入りデカールのインストに従って、後部銃座を普通の座席に改造する作業も済ましていたりしてなかなか楽しい。

もともと、AZURはチェコのMPM/Special Hobby系の中で、フランス企画の機体をリリースするラインナップだったと思う(箱に「Design and conception in France. Tooling and molding in Czech Republic(設計・企画はフランスで、製造・生産はチェコで)」と書かれている)。FRROMはそのまた派生レーベルで、今度はルーマニア企画でキット開発が行われているらしく、FRROMは「From Romania」の意味ではないかと思う。それを示すかのように、最初はルーマニア国産のIAR-39とか、ルーマニア型(双発型)のサヴォイア・マルケッティ79とか、ルーマニア関わりの機体が多かったのだが、その後は割と曖昧で、同じキットのバリエーションが、AZURとAZUR-FRROM、Special Hobbyとレーベルをまたがったりしていることも多い。

ポテーズ25は、さすが戦間期に割合ヒットした機体だけに、ロレーヌ型もイスパノ型もルーマニア軍で使用されているらしく、FRROMで取り上げるだけの関連性はあるようだ。

●さて、そのフランスの郵便飛行会社でエールフランスの前身でもある「アエロポスタル」は、いろいろな機体を郵便機として使用しているのだが、なかでも代表的なものが、第一次大戦機払い下げのブレゲー14、上記のポテーズ25、そしてより新型で大型のラテコエール(ラテ)28が三羽烏、というところではないかと思う。

hn-nhさんのところで新しいAZUR FRROMのキットを見ると、ビシッとキレもよく、私も一つ欲しくなってしまうのだが、実は我が家には、もっと古いポーランド製の簡易インジェクションキットであるHITKIT製の1:72 ポテーズ25が、エンジン違いで2、3種ストックがある。一方では、第一次大戦直後の郵便飛行草創期の主役だったブレゲー14も、フランス製簡易インジェクションのHiTech製、1:48キットがある(もしかしたらペガサス製の1:72キットもある)。

特に前者については、AZUR FRROMのキットを見てしまうととてもこれから作る気にはなれないシロモノだが、せめて賑やかしで(くやしんぼうで)キット紹介くらいはしておこうと思う(どちらも純軍用機仕様なので、郵便機としての話題からは逸れてしまうが)。

20220227_201100 ●まずはHITKIT、1:72のポテーズ25。

ポーランド製の簡易インジェクションで、scalematesによれば90年代半ばのリリースだったらしい。各種搭載エンジン別にバリエーションキット化されていて、私も「まさかこんな機種がキット化されるとは!」と舞い上がってしまって、数種買い込んで、そのまま死蔵して今に至る。紹介するのは、たまたま押し入れの目につくところにあった、グノーム・ローン「ジュピター」エンジン搭載型。輸出仕様で、キットのデカールはフィンランド空軍1、エストニア空軍2、クロアチア空軍2、ユーゴスラビア空軍1に対応。マニアック過ぎる……。

キットは薄っぺらいキャラメル箱入りで、構成は、「いかにも(一昔前の)簡易インジェクション」という基本プラパーツ、エッチングパーツ、メタルキャストパーツ(エンジンのみ)、デカールと説明書。

肝心のプラパーツはこんな感じ。

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1枚目は2枚合わせの上翼と左右胴体。貼り合せる内側は、粘土をこねくり回した跡?みたいな表面。胴体は、左側はまだいいとして、右側は下縁に沿ってウネウネとヒケ(というか波打ち?)が生じていた(写真2枚目)。小物パーツ(3,4枚目)は、モールドの状態は見ての通りで、取り付ける前にバリだの荒れだのをクリーニングするの大変そうだが、コクピット内のフレームもパーツ化されていたり(それがキットの胴体パーツにきちんと収まるのかどうかは別問題)、たぶんエンジンの別に応じてペラも2種入っていたりと、キット企画・設計者の気合は十分に感じられる。……のが、逆にわびしい。この気合に見合う技術があればなあ。

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ジュピター・エンジンは、ころんと、これだけ一つメタルキャストのパーツが入っている。このエンジンが付く機首部分のパーツが右写真で、上で紹介した胴体パーツの先端を切り飛ばして挿げ替えろという、なかなかスパルタンな構成。なお、キットの基本胴体はロレーヌやイスパノ装備型にはとても見えないので、おそらく、ポーランド仕様のブリストル・ジュピター装備型を基本にしているのだと思う。さすがポーランド製キット。ちなみにポーランド軍仕様は、同じジュピター装備でも、エンジンにタウネンドリングが付いているなどの違いもある。

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エッチングパーツは左写真のような感じで、プラパーツとは隔絶の出来。しかし、AZUR-FRROMのポテーズにも専用のエッチングは付いているだろうし、これだけ有効活用する必然性も高そうにない。デカールはシート自体が端の方で変色していて、今でもちゃんと使えるかどうか不安な状態。

●長くなったので、HiTech 1:48のブレゲー14B2のレビューは改めて。

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「あ」モデル

●年間の仕事上の最大の山場を越えた虚脱状態からいまだ脱出できておらず、模型製作も低調。

一つのキットに集中するモチベーションが沸いてこないので、あれこれキットをとっかえひっかえ取り出しては、ちょっと眺めたりいじったりしてまた箱に戻す、などということを繰り返している。

20211202_232053 ●そんななかで、最近いじったのが、A modelの1:72、IAR-80A。

A modelについては、以前に一度、ニューポールIVのキット評をUPしたことがあるが、もう一度、ざっとこのメーカーの説明を。

A modelはたぶんウクライナの会社で――と、最初から「たぶん」が付くところがなんとも情けないが、これは、キットの箱にも説明書にも、どこにも会社の所在地とか、「made in どこそこ」とか書かれていないため。箱横のロゴ下には、「ワールド・ワイド・ディストリビューター」として、ポーランドのIBG(International Bussiness Group)の名前とワルシャワの住所/連絡先が書かれている。IBGが独自キットを出すより、A modelが出回り始めた方が早かったと思うから、IBGって商社活動の方が先だったんだなあ……と今さらながら思ったりする。

箱の横には実機説明・キット内容説明が複数言語で書かれているが、それも英語とロシア語、もしくは英語とドイツ語とロシア語で、ローデンのようにウクライナ語は書かれていない。

「ウクライナ産」の証拠がどこにもないじゃないか、と突っ込みたくなる感じだが、日本でこれらのキットを扱っているバウマンのサイトには「Amodel from UKRAINA」と書かれている。キット名称や説明に多々怪しいところがあるバウマンが言っているだけだとやや根拠に乏しいが、ポーランドの通販サイトのJadarHobbyでも「Amodel (Ukraine)」と書かれているので、まず間違いないと思う。

我が家には右に上げた3キットのほか、以前にキット評を書いたニューポールIVと、あとは確かUTI-4(ポリカルポフI-16の複座練習機型)があったはず。とにかく初期のキットは簡易インジェクションとしても出来は悪い方で、(悪名高いマーリンやヴィーディーとまではいかないものの)モールドはでろでろ、ぱっと見でも、かなり削り合せないとそのまま接着もできない風のものが多かった気がする。

――箱を開けて見たとたん、「あ……」と言って二の句が継げずに箱を閉めちゃうから「あ・モデル」なんだよ。

と、誰かが言っていたような気が。

比較的初期の製品であるUTI-4も、翼弦長などは修正してあったものの、一部パーツは古いレベル72のU-16のデッドコピーだったような記憶がある(うろ覚え)。それでも、他ではまず出さないような珍機・迷機・マイナー機を次々に出すので、(私のような)アホなマニアがついつい手を出してしまう、いわば「マニアホイホイ」なメーカーでもある。

ただ、一時期以降は結構質も向上してきて(とはいっても、まともなインジェクションメーカーに太刀打ちできるレベルではない)、写真に上げた3キットやニューポールIVあたりは「好きなら手に取っていいかも」くらいには仕上がっている。とはいえ、これまたニューポールIVの時に書いたように、昔のひどいキットが箱替え・デカール替え/一部パーツ替えで番号が新しくなって出ている例もあるようなので、かなりの地雷含みではある。

▼せっかくなので上に上げた3キットの中身紹介を少々。

最初はIAR-80A。

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前述のように、ちょっとだけお手付きなので、箱の中には切り離した胴体や主翼ほか一部パーツがバラバラと入っている(カウリング胴部や胴体前半部は左右を接着済み)。

このキット、どうも純正A model製ではない気配もあって、パーツ枝には「Master 44」という謎のタグが。以前は、実機の生産国であるルーマニア製のキットをリボックスして売っているものかと思っていたのだが、Scalematesを見ると、ルーマニアのレーベルである「Parc」からはA modelと同時期に1種のキットしか出ていないのに対して、A modelからは細かくバリエーションで5,6種出ている。しかも前述のようにキットの枝のタグは「Parc」ではない。

角の丸いパーツ枝形状、枝の交点にいちいち出ている樹脂のヒケの穴などは他のA modelキットと似通っているので、「Master 44」とは単純に下請けの金型メーカーである可能性もある。いやまあ、それが判ったとしても何がどうということはないけれども。

A modelからは、私が持っているIAR-80Aのほかにも、-80、-80C、-81など何種もバリエーションが出ていて、それへの対応のためか胴体は前半と後半で別パーツ(そしてその擦り合わせは結構苦労しそう)。

ちなみに実機は、ルーマニアがライセンス生産していたポーランドのPZL P.24の胴体後半の設計をそのまま丸パクリして低翼単葉引込脚機をでっち上げたというもの。いかにも旧式なPZLの固定脚ガル翼機が、いきなりスポーツ機じみた外見に生まれ変わっているのはビックリだが、垂直尾翼の形状はP.11cともそっくり。

ちなみに箱の右上にあるポートレートは「Constantin Pomut(コンスタンチン・ポムート、と読めばいいのか?)」で、キットの塗装例の機体に乗っていたエース・パイロット。ただし以前にはハリケーンに乗っていて、何機をIARで落としたのか(あるいは落としていないのか)はよく判らない。

▼2番目はユーゴスラビア仕様のホーカー・フューリー。フューリーの72のインジェクションキットは、古くはマッチボックスからも出ていて、「マイナー機ほど出来がいい」と言われるマッチボックスらしくそれなりにいいキットだったのだが、形式はMk.IIだったので輸出型には対応していなかった。

A modelのこのキットはユーゴスラビアに輸出、また一部ライセンス生産されたMk.Iで、脚柱がV字でなくI字の一本脚であるなどの外形上の差がある。A modelからは、この他、イスパノスイザのエンジンを搭載したイスパノ・フューリーも発売されている。

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御覧のようにパーツは72小型機としては標準的な構成。IAR同様、パーツ一つ一つのキレはお世辞にもいいとは言えないが、コクピット内壁のモールドもあるし、「それなり」には仕上がっていると思う。ただ、型からの取り外し時に無理な力を掛けたのか、私の入手したキットでは、胴体右側の排気管のモールドが部分的に(ちぎれたような感じに)潰れていた。これはどうにかして(ついでに左右揃えて)作り直さないといけない。うわ。面倒。

▼最後のキットはスパッドS.A.4。

箱絵は後ろ姿なのでちょっと判りづらいが、これはとにかくスタイルが珍妙なので実機解説から。

第一次大戦前半、同調装置が一般化するまでは、とにかく「まっすぐ前に機銃を撃つ」ということが難しくかつ大きな課題で、イギリスでは空力性能を犠牲にして各種プッシャー式戦闘機が実用化され、フランスのニューポールあたりは上翼の上にさらに架台を組んでプロペラ圏外から撃ったりしていたわけだが、そこでもっと斬新な(悪夢のような)解決法を導入したのが、スパッドS.A.2と、その小改良型であるS.A.4(どこがどう違うのかよく判らないが、とにかくA modelからは両方発売されている)。

基本、ごく普通の牽引式の飛行機に、プロペラを迂回する形で支柱を付けて、プロペラの真ん前に銃座を取り付けてある。だいたいこの頃の飛行機というのはほぼ野原のままの飛行場から運用されていて、そこで尾輪式の機体は、ちょっと“つまづく”とつんのめって逆立ちをしてしまう。実際にそんな状態の写真はよく見るが、この機でそんな事態になると、機銃手は真後ろから高速回転するプロペラとエンジンがかぶさってくることになる。……ブラック職場過ぎる。

そんなわけで、本国フランスでは嫌われて、生産機の多数がロシアに里子に出されている。このS.A.4のキットの指定塗装もロシア空軍。

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小パーツ枝と一緒に写した10円玉との比較で判ると思うが、成型状態はお世辞にもいいとは言えないものの、細かいパーツはとことん細かい。ル・ローン・エンジンも吸気管が別パーツとなかなか凝っているが、果たしてこの極細パーツ群、破損させずに切り離すことは可能なんだろうか……。

前部機銃手ナセルの両側面には、直後の空冷星型エンジンの冷却を助けるためにダクトがあって入り口にメッシュが張られているのだが、キットでは頼りなさげなモールド表現のみ。もっとも、エッチングに張り替えるなどと余計なことを考えたりせず、塗装表現で済ます方が平和だろうなあ。

とりあえず模型として形態だけを見ると、奇抜な前部機銃手席の機構に加えて、デュペルデュサン以来の、ルイ・ベシュロー設計機の特徴である矢羽根状のシュッとした垂直尾翼とか、後のスパッドVIIやスパッドXIII同様の、張り線保持用の補助支柱とか、いろいろ見どころがあって、いつかものにしてみたいキットではある。……いつか、いつかね。

●新型コロナに関しては、新たな変異株であるオミクロン株の話題で持ち切り。

前回「来年は東京AFVの会は開催されるだろうか。またまた変異株も出て来て、でかい第6波とか第7波とか来そうな気もする」と書いたが、悪い方に予測が当たりそう。こうなると、今年、感染の波のちょうど合間にささっと開催できた関西AFVの会は大したものだと思う。

オミクロン株について。うちのかみさんは「鬼クローン株」だと思っていたらしいことが判明。強そう! そして質悪そう!

もっとも私自身、オミクロンというのがギリシャ・アルファベットだというのは判るが、何番目なのか等はよく知らない。最後の文字の「Ω(オメガ)」株とか出てくるとなんだか終末感が漂っていて怖いが、すでにオミクロンで文字数の半分は超えているようなので、来年にはオメガに到達しそう。

なお、慶応の湘南藤沢キャンパスに通っている知人によると、同キャンパスの校舎はギリシャ・アルファベットが割り振られていて、「オミクロン棟」もあるそうだ。

●昨晩(12月2日)から、あっちこっちで地震が起きて、震度5クラスの地震も2度。今朝の山梨の地震ではここ(神奈川東部)でも結構揺れた。コロナだけでも面倒なのに、大きい地震とか被せて来ないでほしいなあ。

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骨飛行機

●急ぎの締め切り仕事などあり、模型製作低調。

●前回、カッパーステイトのコードロンG.IVについて書いたところ、vol de nuitさんから、ボワザン10が欲しい旨のコメントを頂いた。10ではないけれど、ボワザンのキットなら持っていたなあ……と、押入れを開けたらすぐ目に付くところに目当てのキット、FLASHBACKのボワザン3が置いてあった。

改めて考えてみると、私の模型ストック(のなかの古典機ストック)には、この手の「胴体が単純に骨組だけ」飛行機が結構ある。

最新がカッパーステイトのコードロンG.IV(1:48)だが、ずいぶん昔にここでちょろっと紹介したことがあるバキュームフォームのフィアット/サボイア・ポミリオF5B(モーリス・ファルマン11のイタリア・ライセンス型)(1:72)ほかバキュームの「骨飛行機」が複数(実はコードロンG.IVもすでに72のバキュームで1機ある)。フィアット/サボイア・ポミリオF5BとコードロンG.IVのバキュームを紹介した昔の記事はこちら

インジェクションでは上記のボワザン3のほか、インパクト~パイロ~ライフライクのブリストル・ボックスカイト(アンリ・ファルマンのイギリス・ライセンス型)と、ブレリオXI(ともに1:48)がある。

一番の大物は、Metropolitanというレーベルから出た、1:24のコードロンG.3のマルチ・マテリアル・キット(scalematesの紹介ページ)。

これは(いわゆるプラモデルとは別の方向性で)精巧な車模型を出していたポケール設計によるもの。スケールモデルとして正確かどうかは置くとして、半透明樹脂製の翼にシール式の帆布を貼っていくとか、エンジンのシリンダーが金属製の挽き物であるとか、車輪はワイヤースポーク張り済みだとか、やたらに高級感のある「ハイソな大人の趣味」的なキットで、機会があれば写真入りで紹介したいが、今は天袋の奥底に仕舞い込んである。

そもそもガリガリにスケールモデルとして仕上げるべきキットでもなく、そのまま説明書通りに作ればいいようなものだが、そうしていないのは「作っちゃうと大きさ的に邪魔」というだけではなく、肝心の骨組み部分の金属部品が一部(というか大半)劣化しており、ちょっと力を加えるとポキポキ折れ、まるごと作り替える必要があるという極度に面倒なハードル付きであるため。

もともと入手時に中古品で、Metropolitanというレーベルだかメーカーだかもたぶんこれ一作で(前世紀のうちに)消滅しているので、部品請求などしようもない。

●そんな具合で、我が家は結構、「骨飛行機」まみれであることが判った。

そもそも、(私の理解が確かなら)飛行機の胴体というのは、飛行そのものの機能のうえからは、尾翼ユニットを支えるという以上の意味は持たない。そのため、黎明期の飛行機には、胴体は骨だけという機体が結構ある。その後、「単純に尾翼を支えるだけといっても、骨剥き出しよりはきちんとカバーした方が空力的に有利」というのが判ってちゃんと胴体らしくなっていくわけだが、特にプッシャー式の機体の場合はその胴体が邪魔になるので、第一次大戦中盤に至るまで、なお「骨飛行機」の形態は残ることになる。

そんなわけで、初期の飛行機好きの私の場合、もともと「骨飛行機」率が高くなる素地があるが、加えて、「骨だけ・張り線まみれ」の機体は、模型として非常に見栄えがする。

若き日の私は、自分の製作技術やら製作速度やらをよくよく顧みることもなく、そんな「模型映えする機体を格好良く作り上げる自分」を夢想して舞い上がってしまった結果が、この骨飛行機ストックの山なのではないかと思う。考えてみると、私自身がこれまでに完成させた「骨飛行機」は、古のレベル72のDH.2だけだ(たぶん学生時代)。……この先、1機くらいは作りたいなあ(ストックの何分の1だろう)。

20210128_194224 ●せっかく久しぶりに取り出して中身を見たので、チェコ製簡易インジェクション・キット、FLASHBACKのボワザン3(VOISIN 3)の紹介。

このボワザンやエトリッヒ・タウベはまっさらの新キットだったが、FLASHBACKは他にも、簡易インジェクション時代のエデュアルドのバリエーション・キットなども出していたので、たぶん系列のレーベルなのだと思う。

基本、FLASHBACKのキットは48がメインだが、ソッピース・ストラッターやこのボワザンなど、一部は72。「機体が大きいのは72?」とも思ったが、タウベも結構大きいしなあ。基準がよくわからない。

改めてFLASHBACKの製品リストなど見てみると、結構面白いネタが並んでいる。アヴィアチク(ベルグ)D.1とかハンザ・ブランデンブルクw29の48キットなんて、今でも他メーカーから出てないんじゃ……入手しておけばよかった。ちなみにアヴィアチクD.1は、マクタロウさんが素晴らしい完成品をサイトに上げている(→こちら)。

実機は飛行機黎明期の有力メーカー(というかデザイナー)のボワザン製で、第一次大戦の緒戦期に手ごろな性能だったこともあって多数作られた複座機。前席にオチキス機銃を装備し、どうやら、「世界で初めて敵機を撃墜した機体」でもあるらしい(1914年10月5日)。4輪の乳母車に翼と骨組み胴体をくっつけたような形式だが、人が乗っていない状態だと前輪は浮いて尾翼部分が接地する。全部がそうかどうかは判らないが、指定デカールの塗装だと、フランス軍機もイタリア軍機も、軍用機らしからぬ全面白色。これって、ボワザンの目止めドープが白だったのかな?

それはそれとしてキット内容。まずはプラパーツ。

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枝は2枚。翼とコクピット・ナセル関係の大枝と、支柱パーツの小枝。支柱パーツの枝は、古き良き時代のチェコ簡易を知っている人ならお馴染みの放射状のもの。MPMのバキューム・キットに入っている小物インジェクション・パーツもたいていこの形式だった。たぶん、射出時の圧力が低めでも樹脂が回りやすいように、ということなのだと思う。

成形そのものはいかにも「かつてのチェコ簡易」そのもので、若干の表面のざらつきやバリに発展しかけのパーティングラインなどあるものの、初期の簡易インジェクションによくあった「厚みの不均一」とか「盛大な型ズレ」などはない、まずは満足すべきレベルのもの。

エッチングパーツも2枚。

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写真の都合で右のほうが大きく見えるが、実際は左の方が2倍くらいの面積。後部胴体の骨組みはそのまま折り曲げて作る感じで、クロスの張り線もそのままエッチングになっている。その分、枠組み部分との太さ・厚みの差がちょっと足りない気もする。右は小物で、床板だの椅子だのスポークだの。

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あとはレジンパーツとデカール。エンジンはクランクケースにシリンダーを一つ一つ付けていく方式。なのはいいとして、エンジンの回転軸が歪んでるよ……。デカールは長年死蔵している間にちょっと汚れや黄ばみが出てしまったが、印刷そのものは薄く美しい。とはいっても、実際に貼ってみないことにはどうにも。

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説明書(右)の最終ページには張り線の手順が説明されているが、間違いがあって正誤表が入っている。が、なぜか私のキットには正誤表が4枚も入っていた。そんなサービス嬉しくない。それ以前に、張り線の多さとややこしさにクラクラする。

●そして、同じ箱の中に、それ以前に入手したものだと思われるボワザン3のバキュームキットが突っ込んであった。

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クラシック・プレーンというメーカー?の72。なんとびっくり、半割の胴体だけでなく、上下の主翼もすでにサンディングが終わっていた。ちゃんとこれを作り上げる気があったのか……。

ちなみに骨組みの後部胴体や翼間支柱は、バキュームのこの手のキットには割とよくあるが、「自分でよろしく作ってね」と、コントレールのプラ棒がセットされている。スパルタン。

●ついでにもう一つ、手近にあった「骨飛行機」。パイロ(旧インパクト)のブレゲーXI。

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旧インパクトの古典機6機シリーズは、1960年代に発売されたものだが、現在でもインジェクション・キットとしては(たぶん)全種がこのスケールで唯一であるだけでなく、それなりに古さは目立つものの、現在でもスケールモデルとして手に入れる+手を入れる価値が十分あるという点でも貴重。ブレゲーXIそれ自体は、旧フロッグ(その後NOVOほか)から72のキットはあるが、キットそのものの出来はこちらのほうがだいぶ上。

写真のキットはインパクトが無くなった後に再版されたパイロ版で、インパクト版では透明プラで成形されて「塗装でワイヤースポークを再現してね」形式だった車輪が、そのまま普通のプラになってしまったのが、中身的な違い。

コクピット上面は枠だけなので素通しで見えてしまうコクピット側面は、布張りにワイヤーのクロス張り線がモールドされているのは素敵だが、押し出しピン跡はなんとかしたい。また、私が入手したこのキットは、4枚目写真の脚支柱ほか、数カ所に成形不良(樹脂のショート)があった。

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ノームかグノームか

 ●フランスの航空機エンジンのGnomeは、正確には語頭の「G」も発音して「グノーム」と読むのが正しいらしい。大学の時にフランス語を習っていたのに知らんかったよ……。

「日本人にとってなじみが薄い読み方をする」というだけで、実際には英語に比べてずっと綴りと読みは規則的なフランス語だが、「gn」という綴りは、通常は「ニュ」という発音を表す。地方名の「ブルターニュ(Bretagne)」や「シャンパーニュ(Champagne )」、ファッション・ブランドの「アニェス・ベ(agnès b. )」(日本では普通「アニエス・ベー」と表記)、三銃士の主人公の「ダルタニャン(D'Artagnan )」 などがその例だにゃん。実際、フランス語の子音の綴りの発音解説サイトなどを見ても、「gnはニュと読む」としか触れられていないのが普通。

というわけで、Gnomeについても、フランス語の正確な発音だとおそらく「ニョーム」で、それだとカナ表記としてもなんだか据わりが悪いので慣用で(英語読みとしても通用する)「ノーム」、なのだと思っていた。

もっとも、では語頭だと必ず「グヌ」になるのかというとそうでもなく、このGnome(地精)とか、Gnostique(グノーシス派の)とかは外来語(ギリシャ語由来)だからGも発音する、くらいの感じらしい(そもそも語頭にGnが来る単語は珍しく、手元の中辞典では、この2単語の関連語・派生語も含めて10数語しか出ていなかった)。

まあ、Gnomeの場合イギリスでもライセンス生産されていたりして、その場合は当然英語読みするだろうし、そもそもファンタジー世界のキャラ名として「ノーム」もそれなりに通っているので、「ノーム」と読んだままでも構わないと思うけれども。

●ちなみにフランスのエンジンのGnomeは、第一次大戦機ファンには「グノーム(ノーム)」、第二次大戦機ファンなら「グノーム・ローン(ノーム・ローン)」の名前で馴染みがあるのではと思う。

もともと「グノーム」と「ル・ローン」は別会社だったのが1915年に合併。グノーム・ローン(正式な社名はSociété des Moteurs Gnome et Rhône/ソシエテ・デ・モトゥール・グノーム・エ・ローン。間の&(et)を略してGnome-Rhôneと表記されることもあるが、これはブランド名かも)となる。

合併してからもしばらくは「グノーム」「ル・ローン」両系統のエンジンを作っていたが、興味深いのは、この両系列のエンジンは連合国側、枢軸国側両方の陣営で使われていたこと。例えばフォッカー・アインデッカーは一貫してグノーム系列のエンジンを使用しているし、フォッカーDr.IやフォッカーD.VIIIはル・ローンを搭載している。両方ともドイツのエンジン・メーカー、オーベルウーゼルでコピー生産されたものだが、単純にパクっているわけではなく、(少なくとも初期モデルに関しては)きちんと戦前にライセンス権を購入しているらしい。

……というわけで、ドイツのオーベルウーゼルに関しては、「フランスのロータリーエンジンを作っていた会社」みたいなイメージでいたのだが、今回ちょっと調べ直してもうちょっと面白い(入り組んだ)経緯が判った。

そもそもは1890年代、ドイツのオーベルウーゼルが小型ながらパワフルな単気筒エンジンを開発してGnomと名付け商品化、ヒット作となる。おそらく、「小さいがしっかり仕事する」というようなイメージから、Gnom(地精・小人)の名を付けたのではないかと思う。これをフランスの会社がライセンス権を購入して生産(綴りはフランス語でGnomeとなる)、さらにはその技術をもとに多気筒のロータリーエンジンを開発し、これが前記のGnomeシリーズとなった、のだそうだ。

●グノーム・ローンは、戦間期から戦後の一時期までは、バイクや自動車も手掛けていて、エレールからは下のような大戦中のオートバイの1:35キットも出ていた(というか、今でも出ているかも)。箱には車種形式など書かれていないが、実際には「AX2」という800ccのオートバイ(+サイドカー)で、1938年に登場。軍用としては1940年までに約2700台がサイドカー付きで生産されたらしい(キットの説明書とか「Kfz. der Wehrmacht」とかより)。

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例によってつまみ食いしてちょっといじってあるが、車輛本体のパーツ構成は2枚目写真のような感じ。これに(箱絵にあるように)フィギュア3体が付く。

Scalematesによれば、発売は1970年代後半で、タミヤのBMW R75サイドカーから数年後の発売ということになるが、出来としては同程度だろうか。1:35インジェクションのバイクのキットの常として、ワイヤースポークは太目で実感を損ねているため、なんとかしたいところ(まあ、頑張っているとは思うけれど)。SWASH DESIGNのタイヤ&スポーク・セットに交換するのが最もスマートな解決法だとは思うが、同製品は現在メーカー在庫切れ。

ちなみに、キットの箱の中には、これに使おうと思って調達したのであろう1:48第一次大戦機用のワイヤースポークのエッチングパーツが入っていた。大きさ的にはちょうどいいくらいの感じだが、もちろん型押しはされておらず平板で、しかも硬そうな洋白だかステンレスだかのエッチングなので扱いづらそう。

20200909_142237黒いセイバー。( → )

(いやまあ、なんとなく。そう読めちゃったので)

●セブンイレブンのコーヒーから、通常のホットコーヒー(ブレンド)の一段上の「高級キリマンジェロブレンド」がいつの間にか姿を消してしまい、地味にショック。

と言いつつも、実際に+αのお金を払って飲んだことはあまりなく、実は「コーヒーを10杯飲んだら1杯ただ」のクーポンを使うとキリマンジェロブレンドもそのままただだったので、そんな時だけありがたく飲んでいただけなのだが(セブンイレブンには「そんなヤツに飲ませるために商品化したんじゃねえ!」と言われそう)。

(10/17追記:しばらく間をおいて、「グアテマラブレンド」が登場した。どうやらある程度の期間限定で「高級」系を交替させて回していくらしい)

●久々に(資料整理のため)神保町の事務所に行ったので(17日)、夕方、事務所を出てから、「(hn-nhさんのブログで知った)消えゆく御茶ノ水駅の古レール柱屋根の見納めに行くか……」などと思いつつ文坂(駿河台下からお茶の水駅方面への明大通りの坂道)を歩いていたら、坂を登り切ったあたりで事務所から「スマホの充電アダプターとケーブル忘れてるぞ~」と電話。一度事務所に戻ったら再び坂を上る気力をなくし、結局、御茶ノ水駅は見ず。まあ、もう屋根の撤去は終わっちゃってたかもしれないし……(すっぱいぶどう的な)。

なお、その際に、今年初めに設置された鉄腕アトムのデザインマンホール蓋を発見。あ、これって、こんなところにあったんだ~。

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アトムは明大の図書館棟の前あたり。ウランちゃんはもっと坂の下、三省堂前への斜めの脇道への分岐近く。実はアトムよりさらに駅寄りにお茶の水博士のマンホール蓋もあったはず(帰宅後検索して知った)。

この千代田区の「アトム」はじめ、今年初めに都内各所で設置されたデザインマンホールに関しては、マンホールカードの特別版が3月に発行・配布開始されるはずだったのだが、コロナ禍の影響で配布が延期に。開始時期については「改めてお知らせいたします」のままとなっている。

(10月1日追記。また事務所に行ったついでに、改めてお茶の水博士を撮影してきた。場所は明大12号館の前。仕事が長引いたのですっかり日が暮れてから行ったのだが、意外に明るく撮れた)

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20200918_162930 ●ひと夏に一度は食べたい浪花家(鎌倉浪花家)の宇治金時。

涼しくなる前に、なんとか今年も食べた。写真の角度のせいもあるが、去年よりも若干、盛りが低くなったような……(もっとも、以前の盛りが多過ぎた気もする)。

●前回投稿した日の前後、件のヒメグルミの樹を見に行ったら、すっかり果肉は腐った実がまだいくつも落ちていたので3度目の収穫。しかし「果肉がほとんど残っていなくて処理が簡単でラッキー♪」と思ったのは早計で、洗って干した後で割ってみたら、中の仁はほとんどが痛んでいて、無事なものは1割もなかった。実が落ちて早々に収穫しないとだめなようだ。

代わりに、と言っては何だが、カヤの実やぎんなんがちらほら落ち始め。逗子と鎌倉の2カ所でカヤの実を少しだけ収穫。重曹溶液に漬けてアク抜き中。

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ヒメグルミ

●散歩の途中でオニグルミの実が落ちているのに気付いて、「ああ、そういえばクルミの季節か」と思い出す。

そのオニグルミの実もパッと目に着いた分は拾ったのだが(10個くらい?)、オニグルミはとにかく殻が分厚くて堅く、割りづらいうえに中身(仁)が取り出しにくい。というわけで、このアホ暑い中だが、2年ほど前に知人に教えて貰ったヒメグルミの木のある市内某所に拾いに行く。

とある公園の一角なのだが、市の予算削減のあおりを食ってか、草刈りの頻度が減ってしまったらしく、クルミの木の下は30~50cmくらいの軽い草藪になっている。

おかげで、足で下草をかき分けかき分け、さらに目や鼻の穴にまで入り込みそうなくらい濃密なヤブカの群れに襲われつつという過酷な環境ながら、クルミは拾い放題。数日おいて、結局2袋も拾ってきた。

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これだけあれば、くるみ味噌も砂糖掛けも十分作れそう。もっとも、果肉を腐らせて取って核果の状態にするまでがなかなか大変だが。

●「ナラ枯れ」続報。

前回、名越の大切岸上の尾根道沿いにあるいて、すでに4,5本が立ち枯れになっていると書いたが、その数日後、さらにしっかりチェックしつつ歩き直してみた。

結果、尾根道の西端(法性寺奥の院への分岐)から、反対側のハイランド端の「鎌倉子ども自然ふれあいの森」まで、まだ枯れてはいないもののすでにキクイムシによるフラスが溜まっているものを含めると20本以上がやられていた。

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上写真2枚は、鎌倉子ども自然ふれあいの森内で撮影したもの。木の幹に点々と見える白いものが、キクイムシが食い進んだ穴の入り口と、そこからあふれているフラス。2本ともまだ葉は青かったが、枯れるのは時間の問題だと思う。

下写真は久木7丁目、「池子の森自然公園」との境の尾根。この季節ならあおあおとしているはずが、だいぶ立ち枯れが進んでいる。ここは「立ち枯れ密度」が比較的高かった場所だが、この先、コナラやミズナラから(逗子の山に多い)スダジイにまで被害が進んでいくと、逗子鎌倉を囲む山のほとんどがこんな状態になりそう。

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一応、市役所の経済観光課には連絡。「現地を確認したところ、状況からみてナラ枯れの可能性が高いため、神奈川県に報告し、専門的な知識を持つ職員や樹木医に確認してもらうこととなりました。また土地所有者にも連絡し、今後の対策について相談していきます。」との返答も貰っているのだが、現状、コロナ禍で人も予算も割けないのではないかと思うし、そもそもここまで被害が進んでいて、何かしら取れる対策自体があるのかどうかもよく判らない。

●模型製作は相変わらず開店休業中なのだが、例によって「何かがっつり作る、というよりも、無心に手を動かす作業がしたい」症候群に見舞われ、たまたま本棚の上から崩れ落ちてきたMPM 1:48のバキュームフォームキット、フォッケウルフFw.58Cヴァイエの尾翼を削る。

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ブロック崩し

●「ブロンコ沼」から女神さまが現れて、

「あなたが使うのは、この歯数が正しくてサイズが違う起動輪でしょうか、それともサイズが正しくて歯数が違う起動輪でしょうか」

と訊ねるので、そっと見なかったふりをして森の外に出ることにしました(これにてひとまずお話はおしまい)。

……ここで「いえ、女神さま! 私が使うのはサイズも歯数も正しい起動輪でございます!」と言ったら、女神さまは褒めてくれるのかなあ。「よくぞ申しました、ではこのサイズが違う起動輪も、歯数が違う起動輪もあなたに授けましょう」って言われても嬉しくないしなあ。

●というわけで、ひとまずオチキスに関してはそれぞれ(3キット)そっと箱にパーツを戻して、何かとてつもない精神の高揚期が来るまで再び熟成させておこう……と思ったのだが、その前に。

起動輪ほどではないものの、これまた簡単に対処は出来そうもないと思った「誘導輪の形状が変(より正確には、再現度が(かなり)不十分)」という問題だが、(前回も触れたように)hn-nhさんは、過去、オチキスの自走砲の工作で、キットのパーツをコリコリ削ってそれなりの形に仕上げていたことが判明。その写真がある記事はこちら

いやいやいやいや。ちょっと待って。一度リム部を削り落すとかじゃなくて、キットのパーツを彫り込むだけで、そんなふうにできるの?

というわけで、「そっと箱にしまう」前に、私自身も削ってみることにした。主に使用した工具は、丸棒ヤスリ(の先端)と、先日も紹介した刃先を研いだマイクロドライバー(マイナス)。結果はこちら。

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左がピットロード/トラペ、右がブロンコ。2つ削るのに1日がかりだった(もちろん、そればかりやっていたわけではないが)。

総括:やってできないことはない、ということは、とにかく判明(が、もちろん面倒臭い)。また、ここまで削ってもhn-nhさんほどディスク部の「ふっくら感」は再現できていない。しかし、これ以上削るとリム部内側のあたりでパーツに穴を開けちゃいそうなんだよなあ。また、仕上がり具合もhn-nhさんの作例よりだいぶ粗い。前回、hn-nhさんを「人間ろくろ」と評したが、改めて「人間NC旋盤」と呼ぶことにしたい。

ちなみにわざわざ別会社のものを1個ずつ削っているのは、最初、「部品をオシャカにするかもしれないから、小リベットのモールドがないブロンコを実験台にしよう」ということで右を削り、次に「なんとかなりそうだから(本番として)トラペを削ろう」と左を削ったため。

なお、実際に作業した感じではブロンコのもののほうがプラが柔らかく削りやすかったが、me20さんの評にあるように、ちょっとケバ立つ感じがした。また、ここまで削ってしまうと片方を捨てるのももったいないし、どうせ両方一緒に見えるわけでもないので、これで1輌分として削り作業は終了、ということにしたい気も。

●今回キット比較をするために改めて押入れのストックの山をごそごそしていたら、久しぶりに目にするキットとか、「あっ、これ、前に探していて見つからなかったやつだ!」なんていうのも出てきたり。

「久々に目にした」一つがこれ。チェコ、KP製の1:72「AERO MB-200」。箱が汚いのはご勘弁。

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KPはまだ東欧が「共産圏」だった頃のチェコスロバキアで活動していたメーカー。というか、ボチボチ新製品もあるようで、今でも活動しているらしい。

そもそもNOVO-FROG以外、「東側」のプラモデルなんてなかなか日本の模型店には出回っていない頃から、KPは結構模型店の棚で見かけることが多く、後から思うに、「さすがチェコは先進工業国」ということなのか、それともプラモデル趣味が存在する文化があったのか。初期の製品は、アヴィアS-199(メッサーシュミットBf109の戦後チェコスロバキア生産型)とか、レトフŠ-328、アヴィアB-534、B-35といった国産機中心で、アイテム的には変わり種、しかし技術はちょっと……という感じだった。

しかし、その後次第に技術が向上して、このMB-200は、(scalematesによれば)1985年発売で、まだ東欧革命前のものだが、「かなり素敵なキット」と言える内容になっている。

ちなみにキット名称はチェコの航空機メーカーAEROの名を冠しているが、実機はフランス、マルセル・ブロック社が開発した双発重爆で、アエロはライセンス権を取得して生産したもの。本国フランスでは、第二次大戦でもまだ少数(本来の爆撃機としてではなく偵察や輸送用途で)使われたらしい。ちなみに、後継機種で低翼・引込脚になったMB210も、キットがエレールから出ている。

マルセル・ブロック(Marcel Bloch)はユダヤ系の航空機技術者で、彼のメーカーはこの爆撃機のほか、第二次大戦勃発時にはMB150シリーズという空冷エンジン装備の単発戦闘機も開発・生産しているものの、これはぼろぼろ欠陥が露呈してほとんど活躍できなかったなど、あまりぱっとしない。しかし、戦後は姓を兄のレジスタンス時代の変名に改名し、会社名も「マルセル・ブロック社」から「マルセル・ダッソー社」に変更。その後、超ベストセラーのジェット戦闘機、ミラージュ・シリーズを生み出している。戦前・戦中はぱっとしないのに、戦後大躍進したという点では、ミグなどとも近いかも。

なお、「Dassault」はもともと「D'Assault」(英語ならof assault)。つまり「マルセル・ダッソー」は「突撃マルセル」の意味なわけで、なかなかスゴイ名前。「突貫カメ君」っぽい。

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KPの初期の製品はパーツも分厚く、バリも結構出ていて難物感が高かったが、このキットは部品もシャープでスッキリしている。

飛行機モデルといえば胴体は左右分割が普通だが、旧式機らしく四角い断面のこの機の場合は大胆に箱組。4枚目写真にあるように、エンジンナセルも箱組。整流板かよー、みたいな細かいリブのある主翼表面も綺麗なモールド。ただし、尾翼周りなど一部にちょっとだけバリがあり、透明パーツの透明度もやや低め。デカールはかなり黄変していて使えなさそうだが、そもそも私はフランス機として作りたい気がする(あるいはスペイン共和国軍とかブルガリア軍とか)ので無問題。手書き感あふれる組立説明図も素敵。

何と言うか、非常に主観的な話になってしまうが、「ワクワク感溢れる模型って、こういうものだよなあ」と思わせる内容。問題は、決して誰もがワクワクするわけではないアイテム選択だろうが、また、そういうアイテムに(傍目では理解しづらい)力の入り方が見られるところが、ワクワク感を覚える源のような気もする。

……いや、そこまで褒めるなら仕舞い込んでないで作れって(←自分ツッコミ)。

●ブロックが出てきた在庫の山のブロック崩しの発見物その2。ロシア、マケット/モデリストの1:48、モラン・ソルニエG/H。

これは以前「そういえばあれ、どこに行ったかなあ」と探して見つけられなかったもの。意外に山の浅いところにあった。

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左の汚いのが箱の表。右が裏。そう、このキット、外箱と内箱でまったく同じ紙を使っているのだ。もちろん、内箱の方がやや小さめに折ってある。

マケットは陸物キットを見ても想像できるように、ここ自体がメーカーではなくてあっちこっちの金型(あるいは最終製品)を扱っている商社のような感じなので、このキットも併記している「モデリスト」のほうがそもそものメーカーなのかも。

箱にはローマン・アルファベットで「Moran G」、キリル文字で「Моран Ж」と書かれている。形式の「G」が、ロシア語だと「Г(ゲー)」ではなく「Ж(ジェー)」になるのは何故? 音じゃなくてアルファベットの順番?

箱は横幅で25cm弱しかなく、一昔前の1:72大戦機クラス。しかも箱を開けたら、なぜか2機分入っていた……。ありゃま。

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もちろん最初から2機入りだったということではなく(そういうキットも世の中にはあるが)、なんとなく、後からもう一つ、何かの機会に入手したようなおぼろげな記憶が。そのまま一つの箱にまとめて忘れていたらしい。

小さい箱に2機分なのに箱に大分余裕があり、(古典機ゆえということもあるが)パーツ構成はごく簡単。

こういうロシア・東欧製の怪しいキットだと、モールドもでろでろだったりすることも多いのだが、このキット場合は、(飛行機キットの肝の一つと言える)主翼後縁が素晴らしくシャープに薄い(それでいて、一機のほうの主翼はプラにゴミか何かが混入してまだらになっている)。

古典機によくある、裏側が窪んだ翼型は、本来ならリブとリブの間の布地は凹んでいるのではなく、むしろやや出っ張っているくらいでないと変なのだが、これは圧倒的多数の古典機キットが等しく間違えているので、ことさらこのキットを責めても仕方がない、美しい主翼に比べて、尾翼はボッテリしているのはご愛敬。

さて、中身は2機分だが、それぞれちょっと流通経路に違いがあったらしく、説明書も2種類入っていた。ひとつはA4版表裏でペラリと一枚。

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片面はまさに「組立説明図」なのだが、昔のレベル72の説明図もこんな感じだったかなー、みたいな簡単なもの。いや、キット自体の構成もこんなもんだし。しかしもう片面はキットの内容からするとギャップも甚だしい、ちょっと本格的な細部図解も含めた図面。これを見てディテールアップしろと!?

しかし、もう片方の説明書はさらに面白い。こちらはA4版2枚、裏表の4ページ。

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1ページ目は英語のそれなりの長文の実機解説。下に出典資料も列記してあるのが誠実。2ページ目が組立説明なのだが……。いやこれ、組立説明図って言えるの? 翼の取付け等については全く触れられていない一方で、胴体の図解は詳細で、一部構成品については「これはキットのパーツに含まれていないが自分でなんとかせぇ」みたいなことが書かれている。スパルタ!?

興味深いのは、こちらの説明書ではキット名称が「モラン・ソルニエ H」になっていること。実を言えば、キットはG型とH型の折衷のようなところがあり、H型として組む方がより簡単、ということであるらしい。また、箱はG型表記なので、もともと最初の説明書が入っていたものであるらしいことが判る。

3ページ目はモラン・ソルニエH型(G型との相違点含む)の1:48図面。この図解で、キットの主翼は基本H型で、G型の場合はリブ一つ分スパンが長いらしいことが判る。そして4ページ目は改造の手引きとして、モラン単葉機のライセンス生産型である、ドイツのファルツE.I/IIの図面と相違点の解説。スバラスゴイ。

ちなみにこのモランG/Hは、有名なフォッカー単葉機に非常によく似ているが、これは、戦前のベストセラーでドイツで(ファルツが)ライセンス生産もされていた本機のデザインを、フォッカーがほとんど丸パクリしたため。はっきり言って、見た目上は尾翼が尖っているか、“コンマ”形か、くらいの違いしかない。ただしフォッカー単葉機は本機と違って鋼管フレームを採用したこと、初めて実用的なプロペラ・機銃同調装置を搭載したことで「名機」として歴史に名を残すことになった。

●他にも、いつどういう経緯で入手したのかさえ全然覚えていない、(いろいろな意味で悪名高き)フェアリー企画の1:72「満州国軍オースチン装甲車」なんてのも出てきたりしたが、これはまたいつか、機会があれば。

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