トンネル

のの字坂

●11日土曜日。横須賀、田浦のプチ名所である「のの字坂」を見に行く。

以前、田浦の旧軍用倉庫群と引込線跡を見に行った際、記事の末尾でちょろっと触れたもの。

もっとも、それを目的に田浦を目指したわけではなく、逗子の沼間から漫然と山道を歩いて田浦に抜け、「そういえば、そんなのがあったな」と思い出して、ついでに寄ったまで。

「のの字坂」は、JR田浦駅から、南へ400~500メートルほど。ゆるゆると谷戸を登って行った先にある。

ループ式の道路というと、高速道路のインターチェンジとか、風光明媚な山地の観光ルートがイメージされるが、これほど“ちんまり”かつ鄙びた感じのループ道路は、ちょっと珍しいかも。しかもくるりと一周、だけではなくて、1+2/3周くらいする。地図上で見ると、「のの字」どころか、プレッツェルっぽくさえある。

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左写真は、谷戸を登って「のの字坂」の出発点。ループした道路が小さな橋をまたいで上を通る。この橋の名前も「のの字橋」というらしく、GoogleMapsにも出ている。右写真は、「のの字坂」をだいぶ上った辺りから見下ろして撮ったもの。右奥に「のの字橋」が見える。

残念ながら草木が茂っていてループの様子はそれほど綺麗に写っていない。葉が落ちる冬なら、もうちょっとはっきり撮れるかな? なお、ループの真ん中は小さな児童公園になっている。

●さて、この「のの字坂」。たたずまいだけでもそれなりに魅力的ではあるが、横須賀市の「地域の歴史を歩く」-「田浦を歩く」のなかの紹介ページには、次のような記述がある(ちなみに、この「田浦を歩く」は、「平成17年に『田浦地域文化振興懇話会』によって発行された冊子『田浦をあるく』から抜粋し作成したもの」である由)。

戦前、城の台砲台を築き、物資を運び上げるためにつくられた道路である。

となると、なかなか凝った砲台道ということになる。しかし、以前の記事でもそのように紹介したのだが、これについてはどうも怪しいことが判明した。

例によって、国土地理院の地理空間情報ライブラリー「地図・空中写真閲覧サービス」で、古い空撮写真を閲覧してみた。

左は1946年2月15日、米軍撮影による 「USA-M46-A-7-2-77」から、右は1963年6月22日の国土地理院による「MKT637-C18-9」から、それぞれ切り出し加工したもの。

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右写真では、下辺ほぼ中央に特徴的なグルグルの「のの字坂」がはっきり判るが、終戦直後の左写真では存在が確認できない。上で紹介した「田浦を歩く」の記事では、

道をつなぐ陸橋を「のの字橋」(いわゆるループ橋)といい、はじめは橋も木製であったという。

とあるから、当初は道も細くて写真でも紛れてしまってよく判らないだけ、ということも有り得なくはないが、通常、「砲台道」は物資を運ぶ自動車や荷車が通れるだけの道幅は確保されているはずなので(また、それだからこそループが必要になったはずなので)、可能性は低そう。

まあ、「のの字坂」が戦後生まれであれば、土地のお年寄りに聞けばスパッと解決しそうではあるが。

Img20240511172311 なお、引用写真で黄色矢印で示したものは田浦駅。黄緑矢印で示した円形の大きな窪地は、GoogleMapsでも「城の台砲台跡」と表示され、また、激しい藪を攻略してこの地点を探訪したブログ記事なども散見されるが、以前も書いたように、ディテールから見てここが砲台跡とは考えられない。右写真は田浦駅ホームから見た、「謎窪地」のある尾根の張り出し。

サイト「東京湾要塞」では、この窪地は貯油施設跡ではと推測、城の台砲台の場所は右写真赤丸あたりではないかとしている。もっとも、こちらも「う~ん、どうかなあ」という感じではある。そもそも、「城の台(しろんだ、と読む)砲台」というもの自体、海軍の高角砲陣地のリストには出ておらず、存在そのものが若干怪しい。

●「のの字坂」のオマケ。

「のの字坂」に行く途中、ちょっとオシャレなトンネルがあった。

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「ながかまトンネル」の名は、長浦-失鎌(しっかま)間を結んでいるためで、字名「失鎌」は鎌を失うほど草藪に埋もれた地区だったからとか。JR田浦駅の横須賀側のトンネル名は同じく「しっかま」と読んで「七釜」と書くが、これは、「かま(鎌→釜)を失う」という名前では、鉄道(当時は蒸気機関車)のトンネル名として縁起が悪いというので字を変えたものだそうだ。

そこそこの幅があるトンネルだが、写真には写っていないものの、手前に車止めの柵があるので(少なくとも平時は)人道専用。ちょっと調べてみると、細かい谷戸の多い横須賀ならではの「防災トンネル」で、土砂崩れなどで谷戸の奥が孤立することがないように開削されたものである由。

以前のちょっと話題に出した「横須賀トンネルマップ」に出てるかな?と思ったが、これは出ていなかった。ただし、同じ防災トンネルである「西逸見吉倉隧道」が出ていた(21番)。ちなみに横須賀市内にこの手の「防災トンネル」は、現在5カ所あるそうだ(横須賀市「防災に関する道路などの整備」)。

●話は前後するが、突発的に田浦まで山歩きしてしまったのは、「クサイチゴ狩り」のため。

もともとは、長柄桜山古墳群に「クサイチゴ&“化粧直し”された1号墳見物」に行ったのだが、さすが、先月末に“新装開店”セレモニーも済んだばかりで人の往来も多いためか、目当てのクサイチゴの藪はほとんど実が残っておらず、2,3粒をつまみ食いできただけだった。

食べられないとなるとかえって欲しくなり、くやしんぼうのいやしんぼうで、より山奥の目当ての場所に分け入ってしまった(一応、それでそこそこの量は採れた)。

まあ、せっかくのいい天気に長柄桜山古墳群に行ったので、その写真も少々。

1枚目は、長柄桜山古墳群2号墳からの相模湾の眺め。2枚目はもうちょっと内陸側にある、1号墳からの同様の眺め。

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ちなみに1号墳からは東京湾側も見渡せる。現時点では被葬者については判っていないが、神奈川県内でも最大級の古墳であること、古代の太平洋側の交通の要衝を見下ろす位置にあることから、この地域を支配したかなりの権力者のものであろうとは言われている。

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2群目1枚目は、2号墳からの尾根道を辿って1号墳に出たところで1枚。前方後円墳の「前方」脇から撮ったもの。2枚目は墳丘上に上り、「前方」部から「後円」部を撮ったもの。3枚目は逆に「後円」から「前方」を見下ろしたもの。手前の黒い部分は、埋葬された木棺が腐って発生した腐食抗跡の位置を示したもの。4枚目は発見された埴輪のレプリカ越しの相模湾。

墳丘上の樹木はすべて伐採せず、あえてまばらに残してあるのは(整備上の意図がどこにあったにせよ)なかなかオシャレでいいと思う。なお、この一号墳は前方後円墳としてはややいびつ。2枚目写真で、「前方」から「後円」を見た時に右手の木立のほうが密度が濃いのは、特にこちら側の形が崩れているのを紛らわせる意味もあるかも。

その場に立って見ているだけだと古墳のスケールもあって形状が把握しづらいが、市のページにある空撮写真はなかなか格好よい。

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路上のバルケンクロイツ

●先日も紹介した「横須賀トンネルマップ」の中に、田浦港町-長浦間の「比与宇(ひよう)隧道」というのが出ていた。もともと軍事用の引込線のトンネルで、内部で荷物の積み下ろしができるよう、線路と車道が並ぶ珍しい形式であった由。

何か格好いい!見に行きたい!という気持ちが俄かに盛り上がったので、田浦まで出かける。JR田浦駅では、跨線橋を渡りちょっと「裏口感」がある北側(海側)へ。

Img20230311144515 跨線橋の上から、田浦駅を両側から挟むトンネルのうち、横須賀側の七釜(しっかま)トンネル群を撮る。

以前にも書いたことがあるし、横須賀市の観光情報のページでも紹介されているが、中央の現・下り線トンネルが開業当初の明治のもの。右の上り線が大正の開削。一番左の大きいものが昭和になって作られた、軍事輸送の引込線用で、こちらはまったく廃線になっている。このトンネルを見るたび、雨に濡れるのがイヤで引きこもったヘンリー(「きかんしゃトーマス」より)のトンネルっぽいなあ、と思う。

この写真だと、廃線トンネルには向かって左側に一線だけ入っているように見えるが、実際には(藪に埋もれたか撤去されたかで)右にももう一線入っている。

●JR田浦駅を降りて目的地の比与宇隧道に向かう途中、海側に並ぶ大型倉庫群は、見るからに年代物が多い。

改めて調べてみて意外だったのだが、軍港・横須賀は、大戦中、ドーリットルの日本本土初空襲の際の1機や、主には艦載機による散発的な銃爆撃があった(あるいは東京空襲の行き帰りの際の置き土産)程度で、本格的な空襲は受けておらず、田浦の倉庫群も多くが大戦前・大戦中からの生き残りなのだという。

横須賀が本格的な空襲から逃れたのは、アメリカが戦後利用することを見越してのことだったなどと言われることもあるらしいが、実際にはこれは俗説で、どうも「たまたま」だったらしい。このあたりは、wikipediaの「横須賀空襲」の記事で概略が掴める。

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1枚目の写真は(割と駅を降りてすぐのところにある)相模運輸倉庫F号倉庫。近辺の倉庫の中でも一番の古株らしく、1917年(大正6年)建造。横須賀市のサイトでも、これ一棟が特別に紹介されている。近辺の軍事遺構のガイドとして常々活用させてもらっている「東京湾要塞」の記事「横須賀海軍軍需部本部地区長浦倉庫」によれば、元々は「第三水雷庫」であった由。普通にコンクリート建のように見えるが、レンガ造りの上からモルタルを被せているらしい。

2枚目の写真は、F号からひとつ置いて隣、相模運輸倉庫K号倉庫。1928年(昭和3年)。旧・光学兵器倉庫だそうだ(「東京湾要塞」による)。

3枚目はだいぶ比与宇隧道に近付いて、相模運輸倉庫の本社事務所の隣にある、巨大なトタン葺き倉庫。同社の5号倉庫。大きさとサビっぷりに感心して撮ってきたのだが、これは1940年(昭和15年)建造。このあたりは第二海軍航空廠横須賀補給工場の倉庫群で、この現・5号倉庫も、発動機倉庫であったらしい。

Img20230311145510 ●上の5号倉庫脇を過ぎてすぐ、道路脇に珍しい線路の平面交差が2つ隣り合っている。このあたりの海軍の倉庫群を細かく連絡していた引込線のもの。その昔、タモリ倶楽部でも比与宇隧道とセットで紹介されたとか。

写真は駅方面から歩いてきて、比与宇隧道方向を向いて撮ったもの。写真にも遠くにちらりと、比与宇隧道の入り口が写っている。

線路それ自体はまったくの廃線で、道路方向にはまだ多少前後が続いているものの、道路を横切るほうは交差のすぐ脇でぶっつり途切れている。

2連の平面交差をもっと寄って撮ったのが下写真。1、2枚目が上写真の手前の交差、3、4枚目が奥の交差。レールの継ぎ方がなぜかそれぞれで異なっている。

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レールはほとんど直角に交わっていて、ギャップはそれなりに広いから、通過の際にはかなりガタゴトいっただろうなあ……。

●そして今回の訪問のメインの目的地である比与宇隧道。

手元にある「横須賀トンネルマップ」の掲載写真がいささか古く、いかにもトンネル直前まで引込線が残っているように撮られているのだが、現状ではかなり手前で線路は消失していて、すでに「普通の(ちょっと狭めの)二車線道路トンネル」にしか見えず、いささか拍子抜け。

トンネルは田浦港町(田浦駅側)と長浦(横須賀側)を結んでいて、冒頭書いたように、かつては線路と車道が並行し、トンネル内部で荷物の積み下ろしをするようになっていたらしい。というだけでなく、トンネルの南面(田浦側から入って右側)にはそのまま大規模な地下倉庫(地下陣地)が広がっていて、現在でも塞がれた洞口が4つ確認できる。この地下壕に関しても、「東京湾要塞」に見取り図付きの記事がある。

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●今回紹介の一帯の、終戦直後の米軍による空撮写真が以下。国土地理院の地理空間情報ライブラリー「地図・空中写真閲覧サービス」、「USA-M46-A-7-2-77(1946年2月15日撮影)」から切り出し加工。

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丸数字を振ったのが最初に紹介した倉庫で、①がF号、②がK号、③が5号。今回はこの3つの倉庫の写真しか撮っていないが、周囲の倉庫群も、この頃から今までそれほど大きくは変化していない。

アルファベットは、Aが田浦駅。Bが引込線の平面交差地点。Cが比与宇隧道の田浦側入り口。この写真でも判るように、田浦駅から七釜トンネルを抜けて分岐した引込線は、平面交差(上の現状写真では横方向の線路)を通って第二海軍航空廠倉庫群の区画に入る。

平面交差のやや手前から右への分岐があったようで、これは比与宇隧道に向かう。その引込線は、比与宇隧道隧道内でスイッチバックする形で、今度は平面交差を東西方向(上の現状写真では道路沿いの縦方向の線路)で横切り、横須賀海軍軍需部本部地区長浦倉庫群に連絡していたらしい。

なお、Dで示したのは、おいそれと入れる場所ではないが、田浦駅のすぐ横にある小高い丘に現在でも残っている巨大な丸い窪地。ネット上では高角砲陣地の砲座跡ではないか等と紹介されていることもあるが、中心に謎のコンクリート柱があり、普通に対空砲が据え付けられる状態ではない。「東京湾要塞」の「横須賀海軍軍需部本部地区長浦倉庫」ページでは、地下貯油タンクではないかと書かれている。

この付近に「城の台(しろんだ)砲台」と呼ばれる対空陣地があったとの話もあるが、これはこの「謎窪地」よりももうちょっと南にあったようだ。そこに向けての旧・砲台道と思われる道が、勾配を緩くするためにループさせた「のの字坂/のの字橋」と呼ばれる場所も附近にあり、今回は見られなかったが、そのうち訪問してみたい。F号倉庫同様、市のサイトに紹介ページ有り。

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トンネルの追浜

●追浜(おっぱま)行ってオッパマン!(言ってみただけ)

●一昨昨日(さきおととい)の土曜日に行ったばかりだというのに、また本日午後、追浜に行く。前回は東逗子→追浜だったが、今回は追浜→東逗子と逆順で。

前回買い食いして美味かったので、国道沿いの商店街でメンチカツ+横須賀コロッケを再度買い、鷹取山山頂で、このためにわざわざ家から持って行った食パンに挟んで食べる。

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でかでかと「横須賀コロッケ」と掲げてあるので、これが店名かと思ってしまうが、実際にはそのわきに小さく「マルシン追浜店」とある。コロッケをメインに、横須賀周辺に数店舗を展開している由(サイトはこちら)。数分待たされるが、その場で揚げてくれる。衣さくさく、ほくほくで美味し。

「横須賀コロッケ」はイチオシメニューのようで、数種あるコロッケのなかの一つ。右写真の右側の、小さ目で俵型をしているのが横須賀コロッケ。左はメンチカツ。こちらもチーズ入りとか、バリエーションがある。

追浜駅前の商店街は半ばシャッター通りと化している中で、看板に明かりも照らして幟も立てて営業しているので、このお店は結構目立つ。場所は追浜駅を降りて国道を右(南側)。隣は「介護スナック 竜宮城」という「え?」と思う業態のお店。気になって調べてみたら、本当に介護スタッフや介護送迎車輛も揃えた高齢者向けの店だそうだ。ただし前回も今回も閉まったまま。

●こんなに頻繁に追浜に行ってしまったのは、上のコロッケを(今度こそパンに挟んで)食べたかったのが一つ。もう一つは、改めて中身をチェックした「横須賀トンネルマップ」に、前回見た「向坂隧道」とは別の、追浜駅近くのさらに素敵なトンネルが出ていて、俄かにそれが見たくなったこと。

というわけで、追浜駅から南東に、直線距離で1km弱。追浜東町と浦郷町の間にある「筒井隧道」(横須賀トンネルマップNo.5)。

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これほど縦に間延びした形状なのは、もともとはトンネルへのアプローチの道に傾斜があり、トンネル自体もっと高い位置にあったものを、傾斜を緩めるために掘り下げたためだという(横須賀トンネルマップによる)。

なおトンネル内は浦郷(南)方向にやや下り坂。ポータルの化粧煉瓦は、前回見た「向坂隧道」同様に新しい感じで美しいが、よく見ると入口両側角の部分は、時折ぶつかる車でもあるのか、数か所欠けている。

追浜駅方面に戻る途中で、もう一つトンネルを見る。「平六隧道」(横須賀トンネルマップNo.2)。浦郷小学校裏(追浜東町)と駅方面(追浜町)を結ぶ歩行者専用トンネル。

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左が浦郷小学校側(浦郷町ではなく追浜東町にあるのに、小学校名は浦郷。もっとも昔は追浜~田浦一帯が浦郷村だったらしい)、右が駅側。トンネル内は壁面だけでなく路面の舗装もコンクリートで、全体的に真っ白なので明るい。

このトンネル、昔は素掘りで、その後コンクリート巻きになったものの、数年前までは高さが2m強しかなく、web上のコンテンツによれば、「横須賀一狭くて低い」トンネルだったそうな。ううむ。その頃に一度通ってみたかった。

ちなみに平六隧道という名称は、別に平六さんが掘ったためではなく、「平六ヶ入」という地名があったとか何とか(横須賀トンネルマップによる)。地名自体が人名由来かどうかは不明。

●改めて手元の紙版の「横須賀トンネルマップ」を見ていたら、web上で閲覧できる版とは若干の相違があることに気付いた。

手元の紙版は「平成23年3月発行」。web上のPDF版は「平成25年10月発行」。上記「平六隧道」は、手元の紙版では「大人が手を伸ばせば天井の照明に手が届く」狭くて低い旧バージョンが出ている。また、紙版ではNo.6「榎戸隧道」とNo.8「日向隧道」の写真が同じというミスがあったが(写真は榎戸隧道のもの)、新版では訂正されている。

この記事を書くのにあれこれネットを見ていたら、他にもこの近辺のトンネル関連話題で興味深いものがいくつか。

(1).追浜観光協会サイトに、「追浜トンネル物語」というコンテンツがあった。追浜の車道・人道16本のトンネルを、開削年代別に4世代に分けて紹介している。前回・今回の記事で取り上げた3隧道も掲載されている。

地元のNPO法人(「アクションおっぱま」)の発行?で、「『追浜トンネル物語』大人の散歩・散策のしおり」という小冊子も発行されているそうだ。「追浜トンネル物語」ページでは、冊子の価格は200円と出ているが、「アクションおっぱま」では増刷の値段として400円になっている。追浜駅前の「こみゅに亭カフェ」で売っているそうな。今度また機会があったら買ってこよう……。

(2).横須賀市独自の取組として、「(横須賀)トンネルカード」なるものが発行されていたそうだ。

体裁はマンホールカードなどと同様で、1つのトンネルについて表に写真、裏に解説を掲載。市内の特定の飲食店で、これまた特定のメニューを頼むと1枚貰えるというシステムらしい。もっとも、2018年初めに10種、翌年もう10種が発行された後はニュースが無く、もともと配布期間も限定だったようなので、現在はもう入手できなくなっているのではと思う。

●鷹取山に行くために、前回とはまた別の裏道を通り、途中、「首斬観音」という物騒な名前の石仏(石碑)に寄る。

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大正末期、国道工事の際に頭蓋骨だけ10余り出土したものを供養したものとか。昔はこの辺りに陣屋(浦郷陣屋)があり、隣接して刑場もあったとかで、出土した頭骨もそんな由来ではという。なんだかテレ東の時代劇っぽい書体の「首斬観音」碑は昭和三年。両側の「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」碑は江戸時代からのものらしい。

●鷹取山に上って山頂広場?で前述のようにコロッケ/メンチカツパンを食べ、その後尾根道のハイキングコースを辿って神武寺・東逗子へ。東逗子からもそのまま歩いて帰宅。仕事進んでない……。

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続・鷹取山高角砲台

●兄が知り合いを連れて逗子近辺の山歩きに来たいというので、その計画を立てる。

もともと、兄の友人のHさんが鷹取山の磨崖仏を見たいと言っていたのが計画の出発点なので、神武寺ー鷹取山のルートは固定。しかしそれだけだと1時間も歩けば終わってしまうので、逆に追浜集合にして鷹取山→神武寺→東逗子と歩き、そのあと三浦アルプス北尾根ルートに上がって二子山に行くか、あるいは連れて行く皆さんの足が大丈夫なら再び東京湾側に歩いて田浦梅林で咲き始めの梅を見る、というような感じでどうですかね(ってここで聞いてどうする)。

一応、予定では来週25日土曜日。前日24日に少し雨が降る可能性があるとの予報が出ているのが少し心配。

●そんな計画の下見を兼ねて、本日18日、東逗子から神武寺経由で鷹取山まで(ちょっと久々に)歩く。そのついでに、以前にも書いた海軍の鷹取山高角砲台の跡地の実地調査をしてみる(というほどのものでもないが)。

鷹取山それ自体にはこれまでも何度か行っているのだが、鷹取山高角砲台の場所を私自身がきちんと調べたのは前回(2021年4月)に訪れた後のこと。当然ながら、陣地があった(と思われる)場所に行ってみるのも初めて。終戦直後の砲台周辺の状態と、現状と比較に関しては、前回記事に載せた写真を再掲しておく。

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写真はともに国土地理院の国土地理院の地理空間情報ライブラリー「地図・空中写真閲覧サービス」からで、

  • 左:1946年3月5日、米軍撮影(写真コード「USA-M64-A-6-69」から切り出し加工)。
  • 右:2019年8月7日撮影(写真コード「CKT20194-C13-58」から切り出し加工)。

写真中央の楕円が高角砲台(の場所)で、矢印と丸数字は、①追浜駅、②追浜小学校、③鷹取山山頂。

上と同じ写真から、さらに陣地部分に寄って切り出したのが下写真。左は前回記事と同じ。右は今回新たに切り出し加工。

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今回現地で撮った写真が下の2枚で、それぞれ、撮影ポイントと撮った方向を上右写真でA,Bで書き入れた。

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左写真がAポイントから砲台方向を撮ったもの。左に曲がって下る道路はこの住宅地(湘南鷹取)の、いわば「中央通り」で、そのまま下っていくと京急線/国道16号に突き当たる。この住宅地は鷹取山山頂から北側の高台を(西武が)切り開いて造成したものだが、左写真で判るように、高角砲台があった場所は鷹取山北側斜面が再びちょっと盛り上がった小ピークになっている。

鷹取山山頂はもともと近代の石切場跡で(ちょうど東京湾を挟んで向かいの鋸山のように)ゴツゴツしているために高角砲陣地を作るには面倒だったのに対し、こちらは特に制約がなく都合がよかったのではと思う。確かに南側には鷹取山山頂があるが、鷹取山山頂とこの地点の標高差は35~40m程度で、そこそこ離れている(500mほど)ため、それほど空を遮っている感はない。

右写真は、左のAポイントからゆるゆる坂を上がって、高角砲台があったと思われる場所の南端あたりのBポイントから撮ったもの。写真を撮った場所がもっとも高く、そこから住宅地は再び緩やかに下っている。

これがやや不思議なところ。これまで付近で見た高角砲台は、どれも山のてっぺんが平らに整地され、各砲座は同一レベルに配置されている。しかし、当時もこの通りの地形であったとすれば、鷹取山高角砲台は、南から北に向けて砲座が低くなっていたことになる。「宅地造成の際に少し削った」なんてことはあり得るのだろうか。そもそも宅地として利用する際も平らであった方が都合がよいはずで、わざわざ傾斜地にする必然性は低い気がする。謎。

なお、前回も書いたが、ここ鷹取山高角砲台の主装備は十二糎高角砲(単装)のようなので、二子山砲台同様、砲座は単なる土塁だったと思われ、住宅の下に何らかの遺構が残っている可能性は低い。

●高角砲台跡地から、追浜駅の裏手に降りる。

昔からの谷戸の住宅地の脇で、素敵感の高いトンネルに遭遇。

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明らかに地元住民の便のために谷戸と谷戸をつなぐ形で掘られた小隧道。レンガ積みのポータルは新しく、トンネル内は鋼板張りだが、おそらくもとは素掘りだったのだろうと思わせる佇まい。

帰宅後、この「向坂隧道」について改めて調べたら、トンネルファンなら押さえておきたい「横須賀トンネルマップ」に記載されたトンネルの栄えある第1番だった。昭和8年開削、現地で想像した通り、レンガ積みポータルと扁額は昭和58年の改修で追加されたらしい。「横須賀トンネルマップ」、私は紙版も持っているが、貰ってきてからあまり活用していなかった。改めてしっかり読んで、面白そうなトンネルをピックアップして訪れてみたい。

●向坂隧道を抜けてちょっと先で見掛けた小稲荷。

たぶん、もともとは崖面の窪みに小さな祠を置いたものだったんだろうなあ。崩落防止のために崖面をコンクリで固めた際に、安易にどこかに移したりせず、そのままそこでお祀りするためにこうしたんだろうなあ。

……というのは判る! 判るんだけど! いや、もうちょっとどうにかならなかったのか、これは。

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ちなみにトゥラーン中戦車の“シュルツェン”に使われたのと同様な(汎用性の低い形容)パンチングボードの扉の向こうに、おそらくもともとあったものだろう、小さな石の祠が収まっている。

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あんパンまん

20180530_105422 ●鎌倉、大町の和菓子屋前に立っていた幟。

「あんパンのようなおまんじゅう」……。

略称は「あんパンまん」ってことでおk?

●以前、ここで「ハクメイとミコチ」を読んでいて、無性にカヌレが食べたくなった話を書いたような気がする(今検索しても出てこないが)。

鎌倉近辺でカヌレが美味しい店はないか検索して、大町の某店が良さそうだとアタリをつけて行ってみたところ、(行ったのは午後だったが)「いつも午前中で売り切れちゃうんですよ」と言われて買えず。

その時は御成通で、やはりカヌレを売っているお店を見つけて、とりあえず「カヌレ欲」を一時的に静めることができたのだが、最初にアタリをつけたお店のものもやはり食べたくて、昨日(30日)午前中に再訪してみたところ、「夏の間は作っていないんです」と言われてまたしても空振り。ぬぬぬぬ。無いと言われるとますます食いたい!

そんなことを言っていて、秋までにころっと忘れそうな気もするので、一応書いておく(書いたこと自体も忘れそうだが)。

●何年か前に訪ねて、ここで紹介したこともある、鎌倉市大船-岩瀬間のトンネル(岩瀬隧道)で、内部で一部が崩落し通行止めになったそうだ(鎌倉市のリリース)。

このトンネル、以前に書いたことだが、もう一度特徴を列記すると、

  • 狭い一車線のトンネルで、両出口に信号がある交互通行。
  • もともと狭いのに無理矢理片側に歩道を設けてあり(おそらく中学校の通学路であるため)、
  • しかも歩道と車道の間に柱形式の街灯付き。
  • 岩瀬側は、もともとの入り口の外側に延長部が設けてあるが、そこだけトンネル幅が広くなっていてちぐはぐ。
  • 両入り口近くは内張りがあるものの、中央部分は素掘りのまま。
  • 前述のようにちょっと無理のある歩道(と街灯)の作り方をしているために、車輛は歩道と反対側にかなり寄って走る必要があり、そちら側のトンネル壁面上部には、有蓋トラックによるものと思われる擦り傷が派手に付いている。

――という具合に、「変なトンネル愛好者」の心をくすぐるポイントが多数ある(以下写真は、2011年10月撮影のもの)。

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そのうちまた見に行こう、などと思っていたのだが、崩落をきっかけに全面内張り付きに改装されてしまうかな?

●逗子銀座商店街内のファミマが昨日(30日)で閉店。それはちょっと前から張り紙があって知っていたのだが、駅前なぎさ通り商店街のセブンイレブンも、これまた30日で閉店。いきなり駅近くのコンビニが2店舗も減ってしまった。

ちなみにファミマのほうは比較的最近、古い酒屋を潰したあとのマンション(?)1階にあったもので、開店してから1年くらいしか経っていないかも。こちらは逗子銀座商店街入り口のセブンイレブンとの競争に敗れたか?

一方のなぎさ通りのセブンは逗子駅近くのコンビニとしてはかなりの「老舗」だが、今年春、店長が市議会議員選挙に当選したので、経営に手が回らなくなったのかも。

●東北大、山形大の研究者が中心になってやっている「マルハナバチ国勢調査」。

この調査に使われていた、富士通の携帯フォト投稿のクラウドシステムが今年度末で終了予定だとか。もっともそれで「マルハナバチ国勢調査」自体が終わってしまうわけではなく、来年度からは別システムを利用して継続する計画らしい。

実は私自身は、携帯端末が変わって写真の設定やら整理法やらも変わった影響もあって、実は1年以上投稿をサボっていたのだが、そのお知らせ&アンケートのお願いが来たのをきっかけに、たまっていた写真と、新たに撮った写真を投稿した。以下はこの4、5月に撮ったマルハナバチおよびその他のハナバチ写真からいくつか。

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改めて積極的にハナバチの写真を撮るようになって思うのだが……ハナバチって、こんなに少なかっただろうか?

花が一斉に咲いているときは、もっとわんわんと耳鳴りがするくらいにハチが寄ってくるものだったような気もする。もっとも、花が咲いていても、咲き初めはあまり蜜が出ていないらしくて寄ってこないし、花の終わり頃も同様。たまたま見た時季が悪かったのかもしれないし、そもそも「もっとハナバチが寄ってきていて然るべき」という私の思い込みでしかないかもしれない。

とはいっても、植え込みに真っ赤にツツジが咲いていたり、空き地にシロツメクサがいっぱい咲いていたりするのに、ハナバチを全然見かけないと、なんだか寒々しい、怖い光景を見ているんじゃないか、という気がしてくる。

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白きのこ、黄きのこ、赤きのこ

●モー暑。

今からこんなに暑くてどうしますか。8月になったら融けるんじゃなかろうか。

●娘がコンビニにコピーを取りに行ったのだが小銭がなく、レジで両替をしてもらおうと1000円札を持って行き、

「コピーを取りたいんでこれを500円と替えてください」

と言ったら、高校生くらいのバイトの女の子に真顔で

「本当にいいんですか?」

と聞かれ、不審に思いながらもいいと言ったら、

500円硬貨1枚と交換されてしまったそうだ。なんだかすごいなそれ……。

●長いこと、DELLの古いXPマシンをだましだまし使ってきたのだが(ただし購入時のデフォはVISTAで、それが信用ならん気がしたのでXPに換えて使っていた)、ここ最近、かなり挙動不審になってきた。

ブラウザで多数のサイトを同時に開いて、かつ、あれこれ他のソフトも起動して負荷が掛かっている場合になるような気がするのだが、いきなりビープ音がして固まってしまったり(まるでそのまま成仏してしまいそうだが、強制終了して再起動すると復活してくれる)、あるいは、何か動画を再生しようとすると画面全体が真っ暗になってしまったり(何も見えないので操作しようがなく、これも強制終了して再起動になる)。

下手をすると、日に2度、3度再起動する羽目になったりする(もちろん、しないで済む日もある)。

なるべく近いうちにマシンを新調しないとイカン。

●ずしのきのこ。

毎年、だいたいこの頃になると名越の尾根道にシロオニタケが出るんだよなあ、と思いつつ、19日日曜日、散歩に出かけてみたら、案の定、傘の径が20cmを超えるような大物が生えていた。近くにやや小さめのものも2つ。

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さすが先週までは雨が多かったからか、他にも怪しげなキノコがちらほら。下はおそらくキアミアシイグチ。イグチの仲間は食用になるものが多いが、これは苦くてダメだとか(特に毒ではないらしい)。

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これは以前にも固まって生えているものを見たことがあるウスキテングタケではないかと思う。

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まるで絵本に出てくるような、真っ赤でずんぐり、キノコキノコしたスタイルのもの。ドクベニタケ(名前の通り毒)ではと思うが、似た食用になるキノコもあるらしい。

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●ずしのむし。

以前にも書いたことがある、尾根道途中の木のうろのニホンミツバチの巣。いつもは働き蜂がせっせと出入りしているだけだが、この日(19日)は多数のハチが入り口周辺に群がっていて、それが一斉に翅を動かしていた。風を起こして巣の冷却をしていたのではないかと思う。

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翅のうなりが重なって、なかなか迫力のある音になっていたが、巣の冷却かと思うと、なんだかクーラーの室外機を連想してしまった。

●ここ数日にわかに、朝夕のヒグラシの合唱が大きくなった。

日中のセミの主役はまだニイニイゼミだが、時折、ミンミンゼミが混じる。19日日曜日、名越の尾根道で、今年初めてのツクツクボウシを聞いた。夏の終わりのセミというイメージなので、だいぶ意外だったが、wikipediaで見ると、「(近年は)東京でも、夏の初めにツクツクボウシの声を聞く機会が少しずつ増えている」のだそうな。

●大船のbookoffに行ったついでに北鎌倉まで歩く。ちょうど駅裏の山の上の八雲神社の例大祭で、神輿が神社に帰り着いたところ。本殿前で、神輿を練って揺すって意外に勇壮。

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なお、この神社は裏手の庚申塔が少し有名。

●北鎌倉駅裏道の素掘りの洞門は独特の風情でお馴染みのものだったのだが、4月末以来、崩落の危険ありということで通行止めになってしまった。現状は以下のような感じ。両側から完全に塞がれている。

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ほかにも北鎌倉駅近くには素掘りのトンネルがある。上は有名な好々洞。中途に(ふさがれた)横穴があるのにいまさら気付いた。下はもうちょっと大船寄りの、かまくら景観百選に選ばれているもの。しかしこれらもいずれは「崩落の危険アリ、通行止め」になってしまうのかもしれない。

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あめふらし

●土日が大潮で、ちょうどお昼頃に一番引くと知ったので、まずは土曜日昼頃、怪しげな天気の中、かみさんとチビと3人で小坪(大崎)の磯に出掛けてみるが、ちょっと行った時間が遅めだったか、それほど磯は出ていなかった。

いい天気になった日曜日、今度は昼前に一人でふらふら出掛ける。以前はほとんど岩が剥き出しだったのが、震災の年の5月に行ったら藻だらけになってびっくりしたが、この土日はそれ以来の磯歩き。つまりは4年ぶり。近所なのに!

そんなわけで写真を適当に。

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磯から見た江ノ島と、磯に面した崖にポコポコ掘られた穴。全体では7つばかり開いているのだが(11年5月の写真参照)、いくつかは中で繋がっている様子。おそらく大戦中の防空壕か、防衛用陣地と思われる。

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磯は藻だらけだが、4年前の5月よりは若干少なめかも。季節的なものなのか、若干環境が変わったのかは不明。ちなみにこの藻、ホンダワラだと思っていたがヒジキのようだ。ホンダワラはもっと浮きが丸い。ムラサキウニ系のウニと小型のヤドカリ多数。ひとつだけバフンウニ系のウニを見た。

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アメフラシが(10年以上前のようにうじゃうじゃではないが)復活していた。2枚目は干潮に取り残されていたもの。潮溜りに戻してやろうと思ったが、しっかり岩に張り付いていたので断念。3枚目は4cm程度の子供。岩肌に尻尾だけつけて、何がしたいのか背伸び中。

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1枚目はまだ小さいムラサキガイの群れ? 以前には、ここでは見たことがなかった気がする。どちらかといえばあまり綺麗でない場所を好む貝と聞いているので、水質が悪くなっているのか、あるいは、そもそも外来生物なので分布域を広げただけなのか。2枚目は小坪漁港のワカメ干し。

●磯に出る前、大谷戸で、ポカポカした陽気に誘われて出てきたトカゲを3匹も見た。

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実はトカゲにもキリギリスと同じような問題が起きていて、以前は、日本に広く分布する「ニホントカゲ」とされていたものが、その後の研究で、遺伝子系統が分化していることが判明。新たに、西日本の「ニホントカゲ」、東日本の「ヒガシニホントカゲ」、伊豆半島・伊豆諸島の「オカタトカゲ」とに分けられることになった。「ニホントカゲ」と「ヒガシニホントカゲ」は鼻先のウロコ形状で識別できるらしく、ここの図説がわかりやすい。

運良く、近寄って鼻先も写せたので、形態からもヒガシニホントカゲと同定できた。

●磯から引き上げた後は、ちょっと前から気になっていた小坪・飯島砲台跡の慰霊碑を探したのだが、その顛末はまた改めて。

ふらふらと鎌倉まで散歩。ミスドでお茶を飲みつつ「アレクシア女史」の3巻目を読み、その後電車で一駅、逗子まで乗って、市立図書館。仕事で必要なキュリー夫人の書籍を借りて帰る。

途中の生き物等々。

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1枚目。マリーナ近くの路地、オオキバナカタバミにいたモモブトカミキリモドキ♀。

2枚目。フキの花に来ていた小蜂。フキの花との比較で判るようにごく小さく、おそらく6、7mm程度。キマダラハナバチの仲間かなあ、などと漠然と思うがまるで確証なし。

3枚目。鎌倉の桜のなかでも特にお気に入り、本興寺の枝垂桜。まだ咲いてはいないが、遠目にぼんやり樹全体が赤味を帯びていて、近付くと、このようにつぼみが膨らんでいる。そろそろ咲き始め。

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イリイチ

●知人がfacebookで「へそくりを見つけた」報告をしており、うらやましくなったので、私もへそくりを探してみる。

F1017610もちろん今まで、どこかにへそくりを隠した覚えはまったくないのだが、「まあ、歳なんだから忘れているかもしれないし」という、まるっきりいい加減な理屈付き。

発見した金、その1。旧ソ連のルーブル札2枚(50ルーブルと10ルーブル)。ウラジーミル・イリイチ・レーニンの肖像付き。

ソ連崩壊直前の通貨価値がガタ落ちしていた時期のものであり、また、そんなこんなで持っている人も多そうなので、おそらく価値はティッシュ並み。とはいえ、史料として個人的にはプチ宝物。

発見した金、その2。旧ユーゴスラビアの100ディナール札。かみさんが若い頃に旅行した時の使い残し。

F1017606 F1017608 札裏の「100」の左右に振り分けて、4つの言葉で100ディナールと書いてあるのが、いかにも旧ユーゴスラビア。4つの言葉は、おそらく左上下がセルビア語とスロベニア語、右上下がクロアチア語とマケドニア語。

セルビア語とクロアチア語は文字が違うだけで基本は同一の言語なので、キリル文字とローマ字で綴りが同じならこの2国語、違うのがマケドニア語とスロベニア語になる。

なお、その一方で、札の表の「ユーゴスラビア人民銀行」と、札の裏の「ユーゴスラビア社会主義共和国連邦」は3つの言語でしか書いていない。しかも表はスロベニア語がなく、裏はマケドニア語がないようだ。激しく謎。

そもとも最初から持っているのを覚えていたうえに通貨価値のまるでない金を掘り出しても仕方がないのだが、なんと、その過程でいつの使い残しなのかまったく不明の米ドル数千円分が出てきた。いやあ、ダメ元でも探してみるもんだなや。年が明けたら両替してこよう……。

●読書メーターでSO-122さんの感想を見て興味を惹かれ、松戸清裕「ソ連史」(ちくま新書)読書中。よい悪いではなく、淡々とソ連の歴史(経済政策、農業政策、工業政策が中心で、政治的権謀術数や外交的対決などはその関連で触れられる程度)を追ったもの。

とはいえ、(ソ連戦車ファンではあっても共産主義やソ連に憧れを覚えたことはないのだが)読み進むうちに、「せめて次の対策はなんとか成功してくれよ……」という気になってくる。

●30日。年末最後の鎌倉散歩。稲村ヶ崎まで行く……というか、行きは稲村ガ崎までバスと江ノ電で。そこからふらふら回り道しつつ鎌倉駅前まで。

経路は、稲村ヶ崎駅-稲村ガ崎(海岸)-極楽寺駅-極楽寺/笛田間トンネル-大仏切通-長谷大谷戸-市役所通り-鎌倉駅前。

▼稲村ヶ崎(七里ガ浜)。風強し。左はハマボッスのロゼットの紅葉。2枚目はホンダワラか何かの浮き。

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▼安定の鄙びた佇まい。江ノ電極楽寺駅。

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▼極楽寺の谷戸を奥へ奥へ進むと、笛田方面に抜ける山の上のトンネルがある。極楽寺側からの上りは、これが車が通れるトンネルに繋がるのか?という道。確かに時折軽自動車は通るのだけれど。

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▼大仏切通を抜けて高徳院側に降りたところに、大正か昭和初めと思しき、古びた建物がある。常々何なのだろうと思っていたのだが、帰宅後調べてみたら、比較的簡単に検索でヒットした。「旧大仏坂体育館」とのこと。昭和10年築、元は水道のポンプ施設の建物で、その後鎌倉市が借り上げ、剣道場等に使用していたらしい。2002年に閉鎖されて水道局に返還されたというが、むしろ、2002年まで使われていたのがちょっとびっくり。入口の扁額は、「清泉露萬戸」と書かれているらしい。字面からするとポンプ場時代のものなのだろう。

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▼大谷戸の道から垣間見た大仏ぁん。

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▼稲村ヶ崎駅前の食料品店で買った、地場のぎんなん。昨年末より100円高かった(380円、税別)が、昨年よりちょっと大粒な気がする。

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●というわけで、今年最後の更新です(明日は川崎の実家の予定)。皆様よいお年を。

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かもしか

●年明け早々の締切仕事を抱えているので、年内の仕事納めがどうの、という状態ではない。

年末の出費が痛いので、N社の忘年会は何年か出席を断っていたら、その後の内輪の仕事納めの飲み会のお誘いも来なくなった。世知辛い世の中だぜー。

●27日土曜日。SO-122さんの書評で「げんしけん」最新刊が出たのを知ったので、鎌倉駅前の本屋まで買いに行くことにして、散歩に出る。

名越の切通を通って大町に降り、さらに釈迦堂切通だのなんだのぐるぐる遠回りして鎌倉駅前へ。名越切通で、リスがわんわん吠えていた。

リスがわんわん、などというと怪訝な顔をされそうだが、逗子・鎌倉近辺にわんさかいるタイワンリス(クリハラリス)は、(どうやら何かに対し威嚇する際に)小型犬そっくりの声で吠える。ちなみにもっと普通には、「きょろきょろきょろ」といった感じの鳴き声を上げる。

鶴岡八幡宮から続く若宮大路の段葛は補修中。フェンスで仕切られ、中の桜は、若干の細い若木を除き、すべて引っこ抜かれている様子。どこかに移していて、補修後にまた同じ場所に植え戻すのか、それとも新しく苗木を植えるのかは不明。

そもそも桜の木は病虫害にやられやすい木のようで、古い木は、腐朽菌にやられていきなり倒れる等の事故もあるらしい(やたらにサルノコシカケの類のキノコが噴き出しているハイランドの桜並木はちょっとアブナイ気がする)。それを考えると、全面植替えもあるのかも。

ミスドで読みかけの恩田陸を読み進めたりして、日が暮れてから帰る。

●散歩途中の風景あれこれ。

レモンの木のレモン色の紅葉。いや黄葉。

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ここでいけません。

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釈迦堂切通。数年前に完全ロックアウトになって以来見ていなかったが、久しぶりに行ってみた。補修などはされないらしく、やはり柵で仕切られていた。ここが通れないと、大町-二階堂間がずいぶん遠くなる。ただし柵の脇は開いていたので、こっそり通っている人はいそうな……。

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これまでにも何度も取り上げている、大町の奥から東勝寺方面に抜けるトンネル。

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かもしか。特に意味は無し。

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日没後の富士山、小坪から。手前は江ノ島の灯台の電飾仕様。

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ちなみに、江ノ島の電飾は、「関東三大イルミネーション」のひとつだそうだ。この「関東三大イルミネーション」、「夜景観光コンベンション・ビューロー」なる団体が「夜景サミット2012 in 長崎」で認定したのだそうで、他の2つは「あしかがフラワーパーク(栃木県足利市)」と「東京ドイツ村(千葉県袖ヶ浦市)」。

認定したという団体がどうにも怪しげである上に、認定された三ヶ所とも微妙にマイナー感が漂っているところがなんとも。モンド・セレクションと怪しさはどっこいどっこいな気がするが、認知度ははるかに劣る。

●常々、名古屋には名物として「きしめん」と「味噌煮込みうどん」があるのに、「味噌煮込みきしめん」はないのか? ひらぺったいきしめんは、煮崩れて煮込みには適さないのか? ……などと思っていたのだが、名古屋方面のI姐さんによれば「普通にある」そうだ。

「宮きしめん」というブランドから、袋ものの味噌煮込みきしめんも出ているそうな。今度名古屋に行く機会があったら是非買ってこよう……。

などということを書くのも、寒いと味噌煮込みうどんが食べたくなり、血中の赤味噌濃度が欠乏しているかのように感じるからだ。

●28日日曜日。仕事上の用事もないのに都心に……というか、秋葉原に出掛ける。

昼頃出かけ、最初は秋葉原で昼飯を食うかあ、などと思っていたのだが、ふとラーメン屋の看板を見てよろめき、地元・逗子の久木水道路沿いのラーメン屋で昼食。

脱サラして(あるいは定年で)、趣味でラーメン屋を開きましたという感じの小父さんがやっている4席しかないラーメン屋で、かといって、ものすごく趣味に走ったラーメンを出すわけでもない。実に昭和っぽいラーメンらしいラーメンが出てくる。もう開店して何年か経つが、自宅に近いので逆に行く機会はなかなかなく、今回が2度目。

(12/29追記。脱サラ、あるいは定年後に始めたラーメン屋ではなく、以前にも同じ場所でラーメン屋をしていたが、しばらく閉めていて、また復活した説をかみさんから聞いた。いやまあどうでもいいんだけど)

サンマー麺を食べる。酸味のあるとろみをつけた餡が掛かっているイメージを抱いていたのだが、これは頭の中でサンラー麺(酸辣麺)とごっちゃになっていたようで、合っていたのは後段だけ。別に酸味はなく、単純に五目あんかけラーメンだった。もちろんサンマは入っていない。

あとで調べてみると、サンマー麺は(wikipedia的定義では)「細麺を使った塩ラーメンもしくは醤油ラーメンの上に、歯ごたえが残る程度に炒めたモヤシ入りのあんをかけた麺料理」だそうだ。うーん。モヤシ入ってたかな……。

それよりも、これが「神奈川県のご当地料理」であるというのを知らなかった。神奈川県民なのに!(もちろん、ケンミンSHOWで扱われるが如く、ごく日常的に食べていて全国区の定番料理だと思っていたわけでもない。単純に、マイナーな中華麺のバリエーションだと思っていただけの話である)

●イエローサブマリンで、アスカのイタリアン・ジェリカンを購入。VOLKSで、エデュアルド新作のジーメンス・シュッケルトD.IIIを購入。最近、陸物ばかりで、飛行機を買ってもなかなか作らなそうなのだが、あまりのコストパフォーマンスの高さにクラクラしてしまった。これについてはいずれ内容紹介を。

P40自費出版本もあったのだが、ジーメンスを買ったので自粛。

●イエローサブマリンで、HOBBYBOSS新製品の44M TAS(タシュ)の製品見本を見る。……なんというか、まあ、実物がないのだからしょうがないのだけれど、どう見ても「模型の模型」。

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年末鎌倉散歩

●年内の仕事は強制終了させたので、満を持して散歩に行く(なんだそりゃ)。

……もちろん、取り立てて年末だからどうというわけでなく、単にとじこもっているのに飽きただけ。

ここ数日は天気もよく、29日、30日と、2日続けて午後になってから鎌倉方面に出掛ける。

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名越切通-大町-下馬四つ角-由比ヶ浜大通り-長谷-御霊神社(公開中の面掛行列の技芸面を見る)-極楽寺坂切通-極楽寺(新年の準備とかで閉門中)-忍性和尚石塔(場所は判ったが行き着けず。非公開の可能性あり)-月影地蔵-尾根道-稲村ヶ崎。

最後は稲村ヶ崎で日没を迎える。江ノ電に乗って鎌倉駅前に戻る。

極楽寺奥の月影地蔵から上った尾根道が、GoogleMapsだと途中で消失しているが、実際にはきちんと踏み固めた山道がずっと続いていて、稲村ヶ崎まで抜けられることが判ったのがめっけもの。

鎌倉のハイキングコース案内でこの道が触れられているのを見たことはないが、鎌倉山から稲村ガ崎まで、ずっと尾根を歩いて行けるわけで、なかなかよい。

写真は、その尾根筋の道にあった基準点。

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名越切通-大町-安国論寺-下馬四つ角-和田塚(江ノ電に乗車)

稲村ヶ崎(江ノ電下車)-極楽寺-長谷貯水池-大仏ハイキングコース-源氏山-浄智寺-北鎌倉

葛原岡神社のあたりで日没を迎えていたので、浄智寺に向かう山道でかなり暗くなって、ちょっと焦った。

鎌倉中心部(古都鎌倉)は城壁代わりの山に取り囲まれ、山之内(北鎌倉駅あたり)だけが山の外だが古都に含まれる。今回は29日にその古都を横断、30日に縦断した感じ。

写真2点は大仏ハイキングコース途中の基準点。

●この2日の散歩で出会った丸ポスト。

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上は若宮大通りから由比ヶ浜大通りに入り、江ノ電踏切を渡ってほどなく、ビルの1階にある公衆トイレ入口脇にあるNo.9ポスト。根石の表面にセメントが綺麗に塗られている。ポスト自体も比較的最近塗り替えられた感じだが、近くで見るとだいぶ厚塗りでゴテゴテ。もっともそれはほとんどの丸ポストが同じ。

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由比ヶ浜大通りをさらに進んで、六地蔵交差点の近く、栄屋商店前のNo.10。坂の下の力餅屋脇のポスト同様、根石が埋まって寸詰まりな感じ。

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その坂の下の力餅屋脇のポスト、No.52。あじさいの頃に紹介済み。改めて比べると、栄屋商店前のものより埋まり方が激しい。

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なんと極楽寺の稲村ヶ崎小学校校庭の片隅に丸ポストがあるのを偶然発見。もちろんもう使われてはいない。

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北鎌倉、鎌倉小坂郵便局前のもの。塗装が一部はがれてボロボロ。塗り替えが迫られている感じ。ほか、道筋的に極楽寺駅前、浄智寺前の2基にも逢っているが今回は撮らず。

●両日とも天気が良かったので、散歩途中のあちこちで世界遺産のアレがなかなか綺麗だった。

F1017720 名越切通を抜けて横須賀線トンネル上から。

F1017711 名越の踏切から。

F1017705 安国論寺の高台、その名も富士見台から。

F1017614 月影地蔵から上った尾根筋を、稲村ヶ崎に辿る途中。

F1017591 稲村ヶ崎で。

F1017665 源氏山から。

F1017595 オマケ。稲村ヶ崎から見た伊豆大島。

F1017690 F1017687 ●由比ヶ浜大通りの、六地蔵のほぼ向かいに、こんなレトロな建物がある。

「所張出濱个比由」

の右横書きもなかなか良い。その上の文字板を削り取った痕がちょっと無粋な感じなのが惜しいが、ここは元々、横浜興信銀行(現・横浜銀行)と書かれていたらしい(もちろん右横書きの旧字体で)。昭和2年築である由。

それにしても小さな建物で、機能的には今日のATMくらいの役割しか果たさなかったのでは……。

ちなみにTHE BANKの文字は元からのものではなく、現在この建物で営業中のバーの店名とか。

F1017681 ●江ノ電にありがちな風景。明らかに路地は線路を横切っているのだが、「危険 線路内立入禁止」の札。

もちろんここは、日常的に人が渡っているところで(しかも稲村ヶ崎駅のすぐ脇)、立て札はあくまで「建前」。これ以外にも、江ノ電には、当たり前に、直接線路に面している玄関や勝手口などが多数ある(特に鎌倉~稲村ヶ崎間)。

F1017680 ●稲村ヶ崎駅前の食料品屋で、地元産のぎんなんを買った(30日)。

これだけ入っていて(500g?)、280円。安い!……店の人が自分で拾ってきて売ってるんじゃなかろうか。

夕食後に早速炒って食った。美味し。食いすぎて銀杏中毒(本当にある)にならないように注意しよう。

F1017653 ●北鎌倉駅裏の通りの素掘りトンネルは、何しろホームのすぐ脇にあるので沿線の人間にはお馴染みな存在だが、いつの間にか、トンネルのすぐ脇に説明板が立っていた。

曰く、

「平安時代後期よりこのトンネルの有る岩塊は鎌倉の北の境界でした。(中略)鎌倉時代の鎌倉を今にとどめる貴重な遺跡です」

なんと、それほど由緒のあるものだったとは。

●息子を付き合せて、川崎の実家で年を越す予定。

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