●書きかけのままupしそびれているうち、12月が半分終わってしまった。
●1日日曜日。どんじさん夫妻が鎌倉散策に来る。天気のよいこの季節、週末の鎌倉中心部はえらく混むので、外縁部から徐々にまん中に近付く方針を立て、昼に北鎌倉駅で待ち合わせる。
鎌倉で誰かを案内するとなると必ず行ってしまう円応寺を振り出しに、山之内から亀ヶ谷坂を越えて扇ヶ谷へ。源氏山に登って昼食。その後は銭洗弁天、鶴岡八幡宮、腹切やぐらなど。
ところで、銭洗弁天で洗った金は、「使うと増えて戻ってくる」というところがミソだそうなので、大事に取っておいてはダメなようですよ>どんじさん
結構、どこへ行っても結構な人だったけれど、あちこち歩いて、最後はどんじさん達の宿のある大船で夕食&酒。目当てにしていた鶏肉屋は休みだったが、大船在住のC社長に電話して助けてもらい、なかなか魚の美味い店を紹介してもらった。
●3日水曜日。とにかく仕事がなくて日干し状態なので、激しく歩く。
名越切通から尾根道を辿ってハイランドに至り、鎌倉大町に一度降りてから、再び脇の谷戸を遡って、大町-小町の尾根の小トンネルを抜ける。以前も写真を載せているが、もう一度。こういう、おそらく近所に住んでいる人以外はほとんど使いもしないし知りもしない、という小トンネルがよい。
トンネルを掘るよりも切通しにしたほうが楽だったんじゃ、と思うほど坂道を登った末の尾根筋ギリギリにある。もっとも山の生物にとっては、コリドーが断ち切られてしまう切通しよりもトンネルのほうがよい。といってもまあ、逗子・鎌倉の場合は、それで一番恩恵を得ているのはタイワンリスだろうけれど。
トンネルを抜けて急坂を下りると、前々日に歩いたばかりの腹切やぐらの下あたりに出、東勝寺橋で滑川を渡る。ちょうどこの橋の辺りは、鎌倉時代後期、青砥藤綱という武士が夜間に渡ろうとして小銭10文を落とし、それを50文の松明を購って探させたという故事の伝承がある場所。
●同日。普段ほとんど通らない道筋にあるために、これまで写真に収めていなかった、小町・蛭子神社入口の丸ポスト(14番)。
比較的最近塗り直されたらしく、表面も滑らか。もっとも、鎌倉の他の丸ポスト同様、背面下の製造者銘はごくわずかに盛り上がって痕跡を示すのみで読めない(3枚目)。
土台となる根石は完全に露出していて状態もよいが、なぜかポスト本体が片側にずれてしまっている。通常見えない部分だが、本来ポストの裾が乗っている部分の根石上面に窪みが確認できる(間隔から見て、全部で4箇所?)。
どうやらポスト本体下には小突起があって、根石の窪みにはまって固定される仕組みになっているのではと考えられる。もっともそうなると現在のように外れている状態だとポストが若干浮き上がっていないとおかしいが、もともと衝撃にはあまり強くないはずの鋳物だから、折れ飛んでしまった可能性はあると思う。
●承前。鎌倉駅前に出て、久々に江ノ電に乗って極楽寺へ。
極楽寺には裏口があって、そのまま裏通りに抜けられることをはじめて知った。そういえば、極楽寺の裏山には開山の忍性和尚の石塔があると聞いていたので、ちょっと探してみようと思い立つ。もっとも、極楽寺自体、山裾にくっついているわけではないし、四方にある山のどこが「裏山」なのか、どうもよくわからない。とりあえず、裏道に立って、一番近い左手の山裾沿いに歩いてみたが、運動場に突き当たって道は終わりになっていた(先ほど改めて調べたら、なんと、その運動場の奥に石塔があるのだそうだ)。
改めて極楽寺の谷戸の中の道を歩き、左手の尾根に登る道を見つける。鎌倉中心部を囲む尾根道のハイキングコースはほぼ歩き尽くしたと思っていたのだが、まだまだ知らない道はあるようだ。
尾根道を辿って鎌倉山の住宅地へ。常盤口方面に降りて、今度は大仏切通の山道に入る。以前は(少なくとも大仏側入口には)通行禁止の札が掛かっていたはずだが、いつの間にか通行可になったらしい。
●普段は、当ブログにはあえて政治向きの話は書かないようにしているのだが、問題は今後尾を引きそうな気がするし、一応出来事として。6日、特定秘密保護法が参院で可決・成立。
「国のためです」「大事な秘密です」と言われてしまえば、そこでナイーブに「そりゃ結構だ、必要だ」と言い出す人が一定割合はいるだろうことは判るけれど、個人的にはよくもこれだけ杜撰な法律を、しかも強行採決で通したものだと、むしろそちらに一種感心してしまう。
「保護」すべき「特殊秘密」として、防衛機密、外交機密、特定有害活動・テロリズムの防止に関する情報と並んでいるが、もともと自衛隊法で細かく規定されていて具体性のある防衛機密はまだいいとして、後段になるほどだんだん内容が曖昧模糊としてくる。
「防衛機密は大事でしょう、守らなきゃダメでしょう」と、言い訳の立ちやすいものを前面に押し出し、どうとでもいじれそうなものを後に紛れ込ませるのはこの手の法律の常套手段と言えるかもしれないが、しかしそれ以前に、おそらく統治する側として使いやすく、ということを第一に考えた結果なんだろうなあ、という感じ。会社登記簿の事業目的欄の「その他これらに付随する一切の業務」という文言を思い出した。
尖閣海域での海上保安官の動画流出事件等が民主党政権のイメージダウンに繋がったのを他山の石に、おもむろに政権が変わってから出して来て押し通しちゃいました、の体。昔の自民党であれば強硬に反対して造反する議員の何人かは出るんじゃないかと思うほどだが、そこは冷や飯を食った数年がよほど効いているらしい。
この話題をメインに、7日付産経新聞に安倍のインタビューが掲載されているのだが、これがまたツッコミどころ満載。
●7日土曜日。名越の尾根道を歩いてハイランドへ。
名越切通からハイランド側へ伸びる尾根の逗子側は、人工的に切り立った大きな崖面になっており、「大切岸」と呼ばれる。かつては古都鎌倉を囲む自然の山を利用した城壁と言われていたが、現在ではどうやら、ただの石切り場跡ということに落ち着いたらしい。
大切岸の上を尾根道が通っているのだが、先日来、何やら新しく遊歩道のようなものを整備中。右写真、左が現在の道。右側、一段下に作っているのが新しい道。
●同日。ハイランドのバス停ベンチに置き忘れられていたリンゴ。バス停は西友ストアのすぐ表にあるので、買い物袋からもれたものなのだと思うが、貰って帰るのも何だし、交番に届けるようなものでもなかろうし。
というわけで、きっと、どこかのいたずら小僧が投げて潰してしまうとかするまで、ここに転がっているのだろうと推測。
●8日日曜日。ジョン・レノンの命日。衣張山にもニイタカヤマにも登らず。
●9日月曜日。仕事仲間のM君が、現状のジリ貧傾向に、「このまま日本にいても食えなくなる一方だ!」と一念発起。ベトナムの出版社に就職を決めたため、その壮行会。五反田。
いいなあ。ベトナム。現地水準ではかなりの高給なので独り者のM君にはよいが、日本円に換算してしまうとがくんと減ってしまうので、日本に妻子を置いて海外脱出はちょっと無理そうだ。もちろん、日本に残るほうが勝手に糊口を凌いでくれるというのなら話は別だが。
もっともM君本人は、「こうやって送り出してもらっても、試用期間の2ヵ月で逃げ帰ってくるかも」と、いささか弱気。
●有難いことにパラパラと仕事が舞い込んできたので、週半ば以降、新木場に行ってティラノザウルスっぽい東京ゲートブリッジをビルの合間に眺めたり、錦糸町に行ってスカイツリーを見上げたり、神泉に行って住宅地の路地で迷ってウロウロしたり。
その途中で実家に一泊。また例によって母の戦中・戦後秘話を聞く。
右は錦糸町駅近くの路地から見たスカイツリー。雑居ビルと架線で雑然としたなかに忽然と立っているのがなんだかシュール。
ところで、スカイツリーは根元が三角形、上に行くほど丸くなる断面形を持っているために、見る角度によって、裾に向かっての左右のシルエットがアンバランスになる。設計上は、この微妙な曲線が自慢らしいのだが、個人的にはどうも見るたびになんだか不安を抱かせる感じでよろしくない気がする。
ちなみに、この錦糸町からのタワーは、どうもちょうど三角の一辺を正面にしているらしく、左右のバランスが取れている。
●35でいよいよサン・シャモンのインジェクション・キットが出るそうだ、と、つい先日話題に上がったばかりだが、PMMSを見ると、もうレビューまで上がっている。
ネット上に、ソミュールの実車の写真等もあれこれ上がっていたりするが、予習としてはまずchars-francais.netのこのページをお薦めしたい。当時の写真は、生半可な資料本よりよほど豊富に出ているし、現存実車のwalkaroundも充分。
ただし、ソミュールの現存実車は後期型で、搭載砲が違うだけでなく、車体外形も(それからたぶん履帯幅も)違うので注意が必要。ちなみに(wikipediaの記述によれば)搭載砲の変更は165輌目からで、全生産数は377輌だそうなので、前期/後期の生産数は、ほぼ同じで若干後期型が多い程度。
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