製作記・レビュー

ポーランド・メタボ士官

●まさに現在進行形で鋭意製作中というわけではないのだが、たまには模型話でもしないと、モデラーとしてのアイデンティティが自分自身でも怪しくなってくるので、ちょっとヒマネタを一本。

ちなみに、盟友・青木伸也氏がかつて言ったことだが、単純に「模型を作る人」は「モ↑デ↓ラー↓」であるのに対して、「模型作りに入れ込んじゃってる人」(いわゆるマニア層)は「モ↓デ↑ ラー→」と、同じモデラーでも呼称が(イントネーションが)異なるのだそうだ。なんだそりゃ。

●まあ、そんなこんなでヒマネタ。

私は基本、車両は作るがフィギュアは作らない(作れない)ので、フィギュアのセットは滅多なことでは買わないし(たまにネタとして面白いものは、単純に「持っている」目的のために買う)、車両キットに付属のフィギュアも“持ち腐れ”状態にしてしまうのだが、なんとなく気に入って、ちょっとだけいじっているフィギュアが一体。

IBG社製、TKS豆戦車 20mm砲装備型(通常仕様キット)に付属の、「見るからにメタボ体型のポーランド機械化部隊士官」である。

4,5年前に同キットのレビューを書いた時にも触れたが、特定の個人を表現したわけではない無名将兵のインジェクションキットのフィギュアで、ここまでのデブはいなかったのではないか、とも思う(今ならICMとかMBとかで、これと競るくらいの体格が出ているかもしれないが)。これ、2人乗りの車両に2体入っているフィギュアの片割れだから、当然、TKSの車長兼砲手っていう設定のはずだよなあ……。あの小さいTKSに、この腹でちゃんと乗れるのか。そもそも、2人乗りの豆戦車にこんなヤツが乗ったら、車体が右に傾いちゃったりしないのか。

ちなみに同じIBGのTKSでも、機銃装備型にはまた別のフィギュア2体がついている。

さて、問題のフィギュアは下のような感じ。

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1939年戦役までのポーランド陸軍戦車兵の標準的な軍装は、カーキ色のツナギに編上げショートブーツで、IBGのTKS付属のフィギュアも、他3体(20mm砲型の残り1体と機銃型の2体)はすべてその格好をしている。

このメタボさんだけは、黒革のハーフコートと乗馬靴。

1939年時点で、ポーランド陸軍で唯一の完全機械化部隊であったという第10自動車化騎兵旅団は、独特の黒革コートから「黒旅団」と呼ばれていたそうな。このフィギュアの乗馬靴とハーフコートは、同旅団所属であることを示すのではないか……と思うのだが、どうもこれについてはキットの説明書でも一言も触れられていないし、手元に詳しい資料があるわけでもないので、いちはっきりしない。

下写真はwikimedia commonsから、戦争直前の第10自動車化騎兵旅団の1シーン(File:01938 10th Motorized Cavalry Brigade, Zaolzie, col. Stanisław Maczek.png)。

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ご覧のように、「同旅団の独特の黒コート」といっても、一般の兵のものはロングコート。ドイツ軍の第一次大戦型ヘルメットを被っているのも、ポーランド軍のなかでこの部隊だけの特徴。そして中央2人のベレー帽の高級将校のみ、乗馬ブーツとハーフコートを着ている。このハーフコートも第10旅団だけの軍装なのか、それとも他部隊でも着用例があるものなのかは、よく判らない。

ちなみにオスプレイ「Men-at-Arms」シリーズの一冊、ザロガ先生の「The Polish Army 1939-45」のカラー図版にも、黒革コートを着た第10旅団の兵士が出ているのだが、その黒革コートはほぼ膝丈で、上写真のロングコートとハーフコートのちょうど中間くらいの感じ。そういう丈の第三のコートもあったのか、単なる誤りなのか、これまたよく判らない。

ちょっと脱線話を足しておくと、上写真の中央右側のちょっと背が低めなのが、第10自動車化騎兵旅団長、スタニスワフ・マチェク。この当時は大佐かな? 後にはフランス軍下の亡命ポーランド部隊(部隊名も本国時代を引き継いで第10装甲騎兵旅団)を率い、さらには英軍下で編成されたポーランド第一戦車師団を率いてノルマンディー以後の北ヨーロッパ戦線で戦っている。タミヤのクロムウェルには、マチェク将軍乗車の指揮戦車のデカールも入っている(ただしキット自体に指揮戦車仕様に組むためのパーツはない)。

●さて、このメタボさんのフィギュアは、胴体はごろんと一体成型、脚はハーフコートの裾のラインから下が別部品。

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というわけで、コートの裾の内側はスパッと一平面に埋まっている(昔のタミヤのフィギュア、例えば「将校セット」とか「BMWサイドカー」のコート姿の兵士などと似た感じ)。まあ、普通に立てておけばまず見えない部分ではあるが、なんとなくキモチワルイので、脚を接着した後に、自作のノミやペンナイフでカリカリと削り込んだ(右写真)。

ついでに、コート裾近くの前合わせ部分も深く削り込み。ブーツの靴底も(昔のタミヤふうに)ペッタンコだったので、かかとが独立するよう段差を削った。もともと、それほどモールドがシャープというわけでもないので、他もできる範囲でちょっとずつ彫刻を強調した。

●このフィギュアの頭部は、前にも書いたが、メタボ体型によく似合った感じのヒゲのおっさん顔。モールドの甘さはあるが、「シュラフタ(ポーランド貴族)って、こんな感じかな?」と思わせるものがある。いや、知らんけど。

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そんなわけで、頭部はそのままキットのこれを使いたいのだが、残念なことに、頭部と一体成型されたヘルメットの形状がよくないうえに、そもそも小さい(「風の谷のナウシカ」のジオラマか何かに城オジとして使うにはよさそうだが)。

ポーランド装甲車両乗員用のヘルメットはフランス軍式のもので、第一次大戦中に開発された、世界初の近代戦用ヘルメットとして有名なアドリアン・ヘルメットのバリエーション。戦車兵用ヘルメットは、通常のアドリアン・ヘルメットの、四周に張り出した“つば”部分のうち前部・左右部を除き(バリエーションによって若干の差があるものの、後部のつばは逆に拡大してある場合が多いようだ)、前面には革製?のパッドが取り付けられている。頭にかぶさるクラウン?部分の形状は基本のアドリアン・ヘルメットと変わりない感じで、IBGのフィギュアのように後ろ広がりになってしまっているのはやはり格好が悪い。そこで、ヘルメット部分だけを他社製と挿げ替えることを計画する。

右写真は、その検討用に手元の同型ヘルメットのパーツを並べてみたもの。右端がこのフィギュアの頭部、上のモールド色が最も濃いのがエレールのR35/H35付属のもの、左がタミヤのルノーUE付属のもの。後になって「あ、そういえばminiartのも持ってたな」と思い出したが写していない。

ご覧のように、エレールのものも全体の形状バランスは悪くないが、昔のエレールのフィギュアは、他社製フィギュアでよくある「頭を半分切って(中の埋まった)ヘルメット部品を付ける」式ではなく、「中空のヘルメットパーツを実際にフィギュアの頭にかぶせる」形式のため、やや大きめになっている。先述のようにIBGの頭部のヘルメットは小さいが、同時に頭部自体もかなり“小顔”なので、エレールのヘルメットでは似合わないかもしれない。――で、結局タミヤ製を採用することにした。

●ここからまたひと手間。

アドリアン・ヘルメットは、頂部に前後方向の「とさか」が付いている。ちょっと古めかしく見える理由でもあるが、これは塹壕の中で、頭上で炸裂する砲弾の破片や降ってくる岩などの衝撃をそらし、頭部を守る役割を担っている。ちなみに、ソ連軍の戦前型ヘルメット(СШ-36)も頂部に「とさか」があるが、これは通風孔のカバーだそうだ。

さて、戦車兵用ヘルメットの場合、ポーランド軍用ではこの「とさか」が残っているのだが、この時期の本国フランス軍仕様では通常付いていない(フランス軍用でも時期によっては付いている模様)。当然、タミヤやエレールのフランス戦車兵用ヘルメットには付いていないので、流用に際しては「どうにかする」必要がある。

形状的にもなんだか面倒くさく、ここはタミヤのキットに一緒に入っている通常型のアドリアン・ヘルメット(とさか付き)からつばを削り落としてパッドを付けるほうが、もしかしたら楽なのでは?とも考えたのだが、結局は「戦車兵用にとさか増設」の道を選んだ。この際、フランス軍仕様では付いている、ヘルメット前面の兵科エンブレムを削り落とした。

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●そして腕も付けた。

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正規の接着位置だと、まさに双眼鏡を覗き込んでいる格好になるようなのだが、それだとせっかくの「シュラフタ顔」(←勝手な決め付け)が隠れてしまうので、肩の接合部があまり不自然にならない範囲で、やや腕を下ろして、双眼鏡を少し目から離した状態にした(双眼鏡自体は、この写真では未取り付け)。

ただ、腕側に、肩章に対応した位置にちょっと出っ張りがあって、これがやや前方にずれてしまったので、今後削って付け直すかも。

なお、キットのままだとやや後ろへの「そっくり返り」がきつい感じがしたので、ブーツのかかと部分に0.2mmのプラペーパーを貼り増しした。

●現時点での製作に関しては以上。

ただ、ここから先に関しては個人的にちょっと悩みどころ。

当記事の最初に、「私は基本、車両は作るがフィギュアは作らない(作れない)」と書いたが、実際、私はここ数十年(!)ミリタリーフィギュアは作って(塗って)いない。いや、ミリタリー以外でも作っていないけれども。

もともと私はちまちまと対象のディテールをいじるのは(いつも面倒くさいと言いつつも)好きだが、塗装にはあまり熱意を持てないでいる。車輛においてもそうなのだが、特に製作上、組立:塗装の重要性の比率が大きく後者に傾いているフィギュアの場合は、はなから製作しようという気が起きないくらいに縁遠い。

そんな私がフィギュアについてあれこれ言うこと自体がおこがましいのはもちろんのことなのだが、そもそもが、無生物で基本「金属の塊」である車輛(やら飛行機やら)と、柔らかく固定した形状がない生物とでは、「模型にする」切り口自体がまったく異なっている、ような気もする。

もうちょっと補足すると、形がきちんと定まっている「モノ」である車輛や航空機を縮小して模型化するのはあまり無理がないのに対して、「ある一瞬を固定化して縮小する」という過程が一つ加わってしまうフィギュアの場合は、より実物と模型との間に距離があって、「ホンモノらしさ」の追求はさらに難しい気がしている。実際のところ、模型の展示会や、あるいはweb上の写真でフィギュア作品を見て、「うわっ、これスゲー!」と思うことはしばしばあるのだけれど、それは、その作品が「まるで人間に見える」からではなくて、「フィギュア作品として素晴らしい完成度を持っている」から、という場合が多い(と、個人的には感じている)。現実の精緻な復元ではなく、何か、フィギュア製作ならではの la bella maniera がある、というか。

だからといってフィギュア製作を車輛製作より一段下に見ている、ということではなく、単に、例えばテレビで素晴らしい職人芸を見て、「うわ、こりゃスゲーな!」と思いはするけれど、それを自分でする気にはならない、という感じ。

もちろん、車輛やら砲やらを作るうえで、「これはフィギュアが欲しいな」と思う場合もある。例えばトラックや砲の場合など、国籍マークなど付いているのは稀なので、それだけでは何軍所属かもわかない場合も多い。そんな時は、特徴的な軍装のフィギュアを添えておきたくなる。

とはいえ、そのために改めてフィギュア製作のスキルを磨くのも面倒だし、特に最近は老眼が進んで1:35フィギュアの細部塗装などますます無理感が強くなってきたこともあり、「フィギュアを作るだけは作って、サーフェサー吹いてスミイレだけして車輛(ほか)の隣に置いておくのもアリかなあ、などとも思い始めている。この「ポーランド・メタボ士官」も、もしかしたらサーフェサー仕上げになるかも。

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つれづれSU-100(5)

●ドラゴンのSU-100制作記の続き。しばらくブログ更新をさぼってしまったので、生存報告を兼ねて。

とはいっても、目立った進捗があるわけではなく、割と小ネタの寄せ集め。

●現状の全体像は、以下のような感じ。

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戦闘室周りの工作はほぼ終了、ただし金属線に作り替えた各部の手すりは未接着。エンジンルーム左右の予備燃料タンクステイも未工作。

キットに含まれる後期型燃料タンクステイも、大戦末期からすでに使われ始めているらしいので、仕様的にはそのままで構わないはず。キットのパーツはちょっと厚みがありすぎるのだが、薄いプラバンで作り替えると、今度は強度的に頼りなくなる(しかも突出しているので壊れやすい)ので、キットパーツをそのまま使用する方向に傾き中。

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ほか、細かい進捗としては、フェンダーの破線状の溶接痕と、グローサーの取り付け金具を工作。フェンダー外側は金属線、車体側はキットのモールドを削り取り、キット付属のパーツを使用。キットパーツのほうが少しだけ太いが、塗ってしまえばあまり目立たない(はず)。

車体前面は、記事第一回にも書いたように、実車では前端の三角材と上部正面装甲板との間に明瞭な段差があるのだが、キットでは無視されているので、これを再現。キットの三角材をわずかに削って小さくし、下側にずらして接着することで段差を付けた。段差部にはプラペーパーで小口の荒れも表現したが、最終的には予備履帯でほとんど隠れてしまう。

初期型の特徴である丸フェンダーの内側ディテールは未工作。

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車体前側の各ハッチには、開閉補助用の棒バネがついている。キットでもモールドで表現されているが、前端部はハッチ側・車体側で分裂してしまっているので、この部分だけ削って作り替えた。蝶番の軸も兼ねた後方部も一緒に作り替えたほうがよりよい……とは思うが、ドリルの刃が届かないので分割工作が必要になり、面倒くさいのでパス。

それはそれとして、前側のハッチにはこのように開閉補助バネがあるのに後ろのハッチにはなく、一方で後ろのハッチにはロック機構があるのに前側のハッチには(少なくとも見える表側には)ない、というのがちょっと不思議。

キューポラの両開きハッチは、実車では自由に回転する。私は別に可動にこだわるほうではないが、お行儀よく方向を定めて接着してしまうのも何だし、かといって載せておくだけでは落としてなくしてしまいそうなので、簡単な差し込み部を作った。

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これまた記事第一回に書いたように、ABERの100mm砲身は砲口部が明らかに狭すぎる。どのみち内部のライフリングも再現されていないので、ヤスリを突っ込んでゴリゴリと削った。

砲身は外部防盾に接着(防盾に開いた照準口はやや小さく開け直した)。後々の塗装の便を考えて、基部との接続は、金属線を埋めて着脱式とした。

●足回りの工作も少々。

転輪は以前に書いたように、頂き物のminiarm製品(#35178、SU-100,SU-85,T-34 Pressed roadwheels set (Sormovo Factry))を使用する。キットの転輪と比較すると、以下のような感じ。

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基本はほぼ同じタイプの転輪(ディッシュタイプでゴムリムは穴・刻み目無しのソリッド)だが、ゴムリム部の細い凸筋ディテールが僅かに違う。時期の差なのか、同時期生産でバリエーションがあったのかは不明(そもそも現存博物館車両のクローズアップとかでないと、ゴムリムのこんな細部までは判らない)。

ドラゴンのキットの転輪はご丁寧に凸筋がトレッド部分にもモールドされているが、パーティングラインやゲート痕を綺麗に消そうと思ったら、このモールドも一緒に削り取らざるを得ない。まあ、実車でも、こんな筋があったとしても使用後ほどなく摩耗してしまうと思うけれど。

転輪本体のディテールに関しては、miniarmのパーツは外周内側に溶接痕がモールドされていること、転輪ディッシュ部内側の、内外の隙間とその間のボルトシャフトも再現されていることなどはアドバンテージ(ただし後者は組んでしまえばほぼ見えない)。転輪全体の幅はドラゴンのもののほうが僅かに厚い(どちらが正確なのかは不明)。

miniarmのパーツは(これも以前書いたように)ハブキャップが初期型・後期型の2種が入っているが、どちらも戦後タイプの特徴である、中心のグリースアップ用ボルド頭(?)がモールドされているので、戦中型で作るのであれば、それを削り取る必要がある。

また、miniarmのパーツは基本、モールドはシャープで美しいのだが、ゴムリムの外周およそ半分くらいまで湯口があり、さらにその脇がややヒケたように窪んでいたりするので、その削り/埋めにやや手間取った。

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起動輪は、ドラゴンのキットのパーツ(写真2枚とも左側)はローラーピン部の頭が平たくなった戦後仕様となっているので、miniartの転輪セットに入っていた戦中型(右側)に取り換えることにする。戦中型(の後期仕様)は、表側がキャッスルナット、裏側が(初期仕様で表側となっていた)円錐形のピン頭となっている。

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ドラゴンの起動輪とminiartの起動輪は、仕様の差以外にぱっと見の大きな違いはない感じだが、実際には厚みは結構違っていて、miniartのもののほうが薄い(ただし内外の間隔はminiartのほうが広い)。直径はminiart製のほうが僅かに大きく、車体に取り付けると、第5転輪との間隔はだいぶキツキツ。

なお、転輪と起動輪、それぞれキットのパーツではないので、車体に取り付ける際、縦方向(車体前後方向)の中心線がきちんとは揃わず、若干の調整が必要となった。

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つれづれSU-100(4)

●さらに行き当たりばったり度が増している、ドラゴンのSU-100製作記。4回目。

前回書いたように、キューポラと操縦手ハッチの改修もとりあえず終えて(操縦手ハッチはペリスコープ周りの工作を残しているが)、「もう山場は越えたぜ!」みたいな気分でいたのだが、戦闘室周りの溶接痕を入れながら、現存実車の写真を改めて見ていて、これまで見落としていたディテールの差異に気が付いた。……いまさら!!

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写真はキットのままの戦闘室上面だが、戦闘室前部ハッチの右側のヒンジは、その横の長方形のバルジと干渉するような形で、左側に比べ半分くらいの幅になっている(黄色矢印)。

また、戦闘室後部ハッチの前方ヒンジは、後面に掛かる後方ヒンジや前部ハッチのヒンジ同様、噛み合わせが2・2の4つになっている(赤矢印)。

実際にこのような仕様の車輛もあるのだが、それは、もうちょっと後の生産型のようで、少なくとも、戦闘室後面が組み継ぎの戦中型(初期型)の場合は、

  • 前部ハッチ右側と長方形バルジとの間隔がもう少し開いていて、ヒンジ幅も削られていない。
  • 後部ハッチ前方ヒンジは、噛み合わせが3・3の6つ。

すでにキューポラもベンチレーターカバーも付けてしまった後で、上面ディテールを修正するのはかなり面倒臭く、一時は見なかった振りをしようかとも思ったのだが、結局(ため息をつきつつ)改修に着手。

前部ハッチ右側ヒンジと長方形バルジとの間隔が広い点に関しては、(1).長方形バルジ自体の幅が狭い、(2).前部ハッチの幅が狭い(あるいは左に寄っている)、(3).その複合――などの理由が考えられるのだが、砲基部カバーのボルトなどとの位置関係から、とりあえず(1)の可能性が高いと判断、バルジのモールドを削り取って作り替えることにした。

キューポラとヒンジに挟まれた長方形のバルジ部分を削り取るのは、案の定面倒くさかった……。

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このあと、(当然ながら)後方ハッチの前側ヒンジも削り取っている。

そして、バルジと後部ハッチ前側ヒンジを作り替えた状態が以下。

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長方形バルジ上にある、内部機器と関連しているらしい“ミステリーサークル”は、初回に書いたように、戦闘室後面が組み継ぎの初期型でもドラゴンのキットが表現している「後端に横並び」タイプも見られるのだが、作り直したついでに「前端・後端に縦並び」タイプに変更した。

●さらに、作り直した後部ハッチ前方ヒンジ上に、ロック爪とダンパーを作る。

キットのような後期標準の噛み合わせ4つヒンジの場合は、右ヒンジにロック爪、左ヒンジにダンパーなのだが、噛み合わせ6つヒンジではロック爪・ダンパーの両方が右ヒンジに付いている。おそらく、6つ→4つに変更した際、小型のヒンジに両方は乗らなくなったので、ダンパーを左に振り分けたのではないかと思う。

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こうして写真で拡大すると工作の粗さが目立つが、そのへんは「メガネをしていても老眼をカバーしきれない」&「工作力自体がそんなもん」の相乗によるもの。

ダンパーに対応するコの字ストッパーは、プラバンかプラペーパーで作ろうかとも思ったが、それではちょっと触っただけで壊れそうなので、面倒ではあったがエッチングパーツの枠の余白から切り出して作成した。見えているより脚は長く作ってあって、プラパーツ側に差し込み穴を作って固定してあるので丈夫。

なお、このストッパーのダンパーに当たる面はやや後傾していて、そのため、全開時のハッチは垂直ではなく、やや前に傾いた形になる。

何はともあれ、この手の極小パーツは、作る面倒もさることながら、「作っている最中に飛ばして作り直す羽目になる」というのがコワイ(そして悲しい)。実際この部分の工作では、ヒンジの噛み合わせ部をひとつ、ロック爪の根元の軸受け部をひとつ、行方不明にした。

●戦闘室上面ディテールの作り直し前に進めていた溶接跡追加工作。

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いつもながら、主に伸ばしランナーの接着剤溶かし方式。一部、戦闘室後面・上面間や、戦闘室後部の「三角コーナー」肩部などは伸ばしランナーは足さず、「キットのパーツを彫り込んで接着剤でちょっと溶かしてぐりぐり」式で処理した。

T-34系列、KV系列の工作をする際には、いつも「ソ連戦車っぽい溶接痕にしたいなあ」と思いながら作業しているのだが、なかなか思ったようにはできない。

車体とフェンダー間の溶接痕は未工作。

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つれづれSU-100(3)

●行き当たりばったりなドラゴンSU-100(初版)製作記、3回目。

今回はドライバーズハッチのディテール修正と、キューポラ改造の続き。

●まずはドライバイーズハッチから。

SUとT-34(戦車型)のドライバーズハッチの違い、さらにSUの中でのSU-85用とSU-100用の違いについては、(前回も書いたが)セータ☆さんの記事、gizmolog「SU-85&SU-100・操縦手ハッチの鋳造刻印文字」に詳しいので参照のこと。

修正工作としてはポイントは3つで、

  1. ドラゴンSU-100初版のドライバーズハッチのパーツは、最初のT-34-85キットと共通で、ペリスコープカバーの嵌る窪みがない、ロックハンドルの軸(がハッチ表面に貫通している部分)の位置が高く表現もイマイチ、などの問題があるので、これらを修正する。
  2. T-34系列のドライバーズハッチは仕様や生産時期によって(おそらく下請け工場の差で)仕上げに差が大きく、SU用やスターリングラード・トラクター工場製車輛のハッチは鋳造肌がかなり粗いイメージなので、その表現を付加する。
  3. 戦車型との違いを含め、SU-100用の特徴を盛り込む。

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1枚目はキットのパーツ。良くも悪くも「綺麗な」パーツ。

ロック機構の軸部分は、実物では貫通させた軸を溶接で固定しているので、もっと「ぐちゃぐちゃ」している。また、周囲が一段窪んでいるので、キットパーツの半球形のモールドを削り、やや下に大きめの穴を開け、ランナーを挿し込んで僅かな窪みを再現。中央に輪切り伸ばしランナーで軸部を付ける。

ペリスコープカバー部が当たる部分は、一段低く削り込む。

SU用ハッチは中央に巨大な湯口の削り跡があるので、プラペーパーを貼って再現。

SU-100用は中央下に「P.」の刻印があるので、これもプラペーパーで再現。

2枚目はおおよそ形状修正を済ませたものと、ズベズダのSU-85用のパーツとの比較。ズベズダのキットはSU-85用、SU-100用ともそれぞれきちんとディテールの特徴を盛り込んでいる、鋳造肌や切削跡などはまったく再現されていない。「C.」と「P.」の位置が違うのは実車同様。

ハッチ表面は接着剤を塗って荒らし、最後にサーフェサーをベタ塗りして様子を見たのが3枚目。ペリスコープ自体や、ペリスコープカバー操作ロッドの穴などは未工作。

●キューポラ工作。

基本形状の修正(ハッチの偏心)は前回までに済ませているので、視察スリットの工作と鋳造肌の再現を行う。

キットは、キューポラ本体のパーツ表面に、スリットの「リップ」のパーツを貼りつけるようになっているのだが、スリット自体開口していないし、形状もやや実感に欠ける。以前、SU-85Mを作った時にはキットパーツに直接ホットナイフを当ててスリットを開けたのだが、その場合、形状はキットパーツとどっこいどっこいだし、正確に望む位置にホットナイフを当てられる気もしなかったので(SU-85Mの時はどうやったんだろう?)、今回はもうちょっと面倒臭い方法を採ることにする。

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まずは、スリット位置にドリル、ペンナイフ、ヤスリをあーだこーだして大きめに穴を開ける(写真1枚目)。

次に、その開口部の上下に0.3mmプラバンを貼って、リップ部の“もと”を作るとともに均一な幅のスリットを作る(写真2枚目)。

スリットの両側にもプラバンを貼ってから、いい具合に突出するように削り、さらに溶接跡を追加。並行して、流し込み系の接着剤でキューポラ表面を荒らして鋳造肌を作る(写真3枚目、4枚目)。キューポラと車体との接続部も、キットのパーツはいかにも「別部品」感が高かったので、削ったり荒らしたりして溶接跡の感じを加えた。

ハッチは、実車では基部ごと回転するので、生きている状態の写真を見ると、割と方向はまちまち。ペリスコープの位置を考えると前後開き方向が基準のようだが、左右開きにしている例も結構ある。わざわざ回転可能に工作するのも面倒だが、方向固定で接着するのももったいない気がして、現時点ではただ載せているだけ。

●さあ、これで面倒臭い工事はほとんど終わったぞ~。

……と思ったら、結構大きな落とし穴を発見して茫然。

そちらの工作もすでにある程度進めたが、それに関しては次回。

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つれづれSU-100(2)

●つまみ食い的なドラゴンSU-100(初版)製作記の続き。

ちまちま手を加えるところはあちこちあるにしても、今回の製作における改修のなかでも特に重視しているところといえば3点で、

  1. 戦闘室後面装甲の継ぎ方を初期型標準の組み継ぎにする。
  2. キューポラを戦中型標準の偏心タイプにする。
  3. 砲基部カバー右側面のボルト溝を再現する。

このうち1の装甲板の継ぎ方の改修については、前回書いた通り(溶接跡の再現はこれからだが)。

その後キューポラの偏心の工作をして、さらに(一番面倒臭そうだったので後回しにしていた)砲基部カバーの改造もなんとか済ましたので、今回はその報告。

●戦中型のSU-85M/100のキューポラは、おそらく前方からの攻撃に重点的に対抗するために前方が厚く、後方が薄くなっているようで、キューポラ本体に対してハッチが後方にズレている。

ドラゴン初版ではこれが再現されていないので(プレミアム版やズベズダでは偏心キューポラが付属している)、キットのパーツを改造する。

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具体的には、キットのキューポラ本体パーツの開口部の前方内側半分にプラ材を貼り増し、後方は逆に削り込んで、開口部自体が後ろにズレるように調整する。ただし、キューポラ本体パーツの上端には若干内向きにrが付いていて、そのまま削ると後部が低くなってしまうため、上端も若干ヤスった後に0.3mm板を貼り増した。前側の厚くなった“縁側”部分はナナメに削ぎ落ちた形状に。

ハッチおよびハッチ枠部は、ほぼ発売当初(20年以上前)に製作したSU-85Mの際には、キットよりわずかに小径に作り直したが(T-34maniacs内の製作記事参照)、今回はキットのパーツをそのまま使うことにした。それにしても、今読み返すと「結構頑張ってるなあ、当時のオレ」と思うと同時に、考証的に迷走している部分もあってちょっと恥ずかしい。

キューポラ表面のテクスチャーやビジョンスリットに関してはこれから。

●砲基部カバーの改修。

プロトタイプを除いて?SU-100の砲基部カバーは右側面に深いボルト逃げの縦溝がある。ドラゴン初版キットではこのパーツはSU-85M、SU-100の両キット共用で、基本はSU-85M用に近い形状をしており、縦溝が再現されていない(正確にはSU-85M用でも本来は薄く溝があるのだが)。

脱線話だが、この縦溝は、大昔のゴムキャタピラ時代のタミヤ「SU-100ジューコフ」の箱絵にも描かれていて、当時それを見て、「何かコレ格好いいなー」と思ったものだった。もちろんキットのパーツでは無視されているが、当時の私は自分で何とか改造してそれを再現する、などとは1ミリも思わなかった(将来そんなことに精魂込める大人になるとも思わなかった)。

閑話休題。

実車は、SU-85用に比べてカバー部本体が右側に増幅されていて、その分、ボルト位置が内側に“食い込んで”しまったものと思われる。どんなふうにこの溝を作るか、あれこれ方策を考えたのだが、結局は愚直に、プラバンで「溝付き板」を作ってキットのパーツ側面に貼り増すことにした。

実際の作業は、おおよそ以下の左写真のような流れ。

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0.5mmプラバンの2枚重ねで溝板を作る。2枚重ねにしたのは、表側のプラバンは最初からボルト位置にわずかに隙間を作っておいて、丸ヤスリで溝を作る際のガイドにしたため。キットパーツに張り付け、段差部分はプラバンの小片をレンガ積みするように張り付けて行って埋めた(さらに多少の段差や隙間は瞬着で埋めた)。

「モデラーとしてそれはどうなの?」という感じだが、我が家にはパテの備蓄がない。普段、ちょっとした隙間や窪みはプラ片や瞬着で埋めてしまうことが多く、一方で「パテ使い」のスキルもまったく進歩しないため、パテを買ってもだいたい、ほんのちょっぴり使っただけで残りを引き出しの奥でダメにしてしまう。というわけで、こんなふうにかなり大胆に「盛り・埋め」をする際にも「あ、そういえばパテねーや」という事態になる。まあ、プラ片を使うメリットとして、ベース部分と切削感に大きな差が生じない、というのはあるけれど。

ちなみにme20さんは、キットの平滑部に多少の歪みがある場合も積極的にパテで直していて(ポリパテ?)、何度見ても「スゲー!」と思う。

何はともあれ、そんな埋め/削り作業の後、表面をミカンセーキさんに倣った「瞬着なすりつけ」で鋳造肌表現とし、さらに(プラ色がまだらで判りにくかったので)修正箇所のみビン入りサーフェサーをベタ塗りして表面状態の確認を行った。その状態で、キットの元パーツと比較したのが右写真。溝のある側面と、丸みを帯びた面との境界は、実車では、作例のように割合はっきりエッジが出ているもののほか、かなりなだらかに変化しているものもある。生産時期の差などが関係しているのかどうかは未確認。

ついでに、上面にはキットでは省略されている砲架のカルダン枠の軸受も追加した。

なお、ドラゴンのSU-100プレミアム版のパーツでは、先述のようにこの溝が再現され、カルダン枠の軸パッチも追加されているのだが、少なくとも溝部はちょっと表現がおとなし過ぎる感じがする。

先のキューポラと合わせて戦闘室周りの現状はこんな感じ(もちろん両方とも仮組み)。

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●このところドラゴンのT-34系を作る際に、個人的に「お約束工作」にしている、ラジエーターグリルのスライス→透かし工作もついでに済ませた。

実車は枠板はもっと薄いし、仕切りのロッドはもっと細く、むしろあちこち変形しているのが普通というくらいにヤワ感あふれるパーツなのだが、少なくとも、一部のエッチングパーツセットに含まれる平板なグリルよりはマシかな、と個人的には思っている。お金掛からないし。

もちろん、最近では実車通りの見た目に枠を組んで金属線を通すパーツとか、3Dプリント製の繊細なパーツもあるのだが、その辺は懐と工作力に余裕のある方はどうぞ、ということで。

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側面グリルは、上辺のヒンジに関して最近の資料では工場別/年代別の位置の変遷などに触れているものもあるのだが、少なくとも私が現存車輛で確認した限りでは(戦時中の写真ではそもそも燃料タンクに隠れてきちんと確認できる例が少ない)個体差が大きく、「これがSU-100の標準」という位置は判断できなかった。

ただし、固定ボルト?とその座金に関しては、どうもSUの場合は真ん中辺にあるのが普通のようだったので、キットのモールドは削り取って、新たに真ん中あたりに付け足した。右写真でデッキの上に乗っているのが元パーツ。

●前回、SU-100用操縦手ハッチの「P.」マークについてちょっと触れたが、これに関してセータ☆さんが、新たに記事をUPしている。最近の資料での記述なども交えて、SU系のハッチについて解説したもの。これについては私が安直につまむより、とにかくSU者(なんだそりゃ)は同記事を直に読むことをお勧めする。

gizmolog「SU-85&SU-100・操縦手ハッチの鋳造刻印文字

●ドラゴンSU-100の謎。

ドラゴンの1:35のSU-100には、ここで取り上げている初版(通常版、#6075)と、改修パーツが入った「プレミアム版」(#6359)のほかに、さらにその後になって発売された(六日戦争シリーズ)「エジプト陸軍SU-100」(#3572)というのがある。

「エジプト陸軍版」は「プレミアム版」のそのまた若干のパーツ追加版という感じのキットで、エッチングパーツやアルミ挽き物砲身、改修された砲基部カバーなどはプレミアム版のまま、戦後仕様特有の大型工具箱や履帯交換具なども入っているらしい。

superhobbyでパーツや説明書を確認してみると、この「エジプト陸軍版」、両開きハッチの戦中型キューポラも不要パーツで入っているだけでなく、なんと、プレミアム版にはなかった、戦中型の組み継ぎ仕様の戦闘室後面板と側面板も不要部品扱いで入っているらしい。そもそもそんなパーツを使うバリエーションキットは、現時点でドラゴンからは発売されていないはずで、そのパーツの存在自体が謎。

というわけで、ドラゴンのキットで戦中型SU-100を作るなら、「エジプト軍仕様」が実は最適! ――と言いたいところではあるが、ドラゴンの場合、割とこっそりパーツの入れ替えがあったりするし、不要パーツ扱いなので(プレミアム版と同様に)そのパーツ枝の該当部分が除かれてしまう可能性もあるかも。そもそも、superhobbyの当該ページに上がっている説明書のパーツ展開図と実際のパーツ写真との間にも、わずかに齟齬がある感じなので、実際に購入して箱を開けたら、目当てのパーツが「えー!入ってないじゃーん!」となる可能性も無きにしも非ず。どなたか買って確かめてみません?

(3月24日追記)

kunihitoさんが実際に上記「エジプト陸軍版」を購入してみたところ、組み継ぎ式の戦闘室装甲板、初期型キューポラ、溝付き砲基部カバーは全部入っていたそうだ。

なお、上で「そもそもそんなパーツを使うバリエーションキットは、現時点でドラゴンからは発売されていないはずで、そのパーツの存在自体が謎」と書いたのだが、その後さらに調べてみると、「SU-85M」のプレミアム版というのがSU-100プレミアム版とは別に出ていて、そちらは実際には初期型SU-100とのコンパチキットになっており、組み継ぎ式の戦闘室装甲板パーツを使う指定になっていることが判明。

というわけで、今後ドラゴンのキットを(新たに購入して)使って戦時中タイプのSU-100を作るのであれば、「SU-85Mプレミアム版」か「エジプト陸軍SU-100」のいずれかが適、ということになる(もちろんエジプト陸軍版のほうは「パーツが入っている」というだけで、説明書は戦時中仕様で組むようには書かれていないので、自分でパーツ構成を判断できる人に限る)。

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つれづれSU-100

●つれづれなるままに、さもほどなや。

「がっつり模型を作りたい」というよりは、「漫然と模型をいじりたい」という気分で、何ということなしに、ドラゴンのSU-100の“下ごしらえ”工作をする。

きっかけは単純で、昨年末の東京AFVの会で頂いた、MINIARMのT-34用転輪(#35178、SU-100,SU-85,T-34 Pressed roadwheels set (Sormovo Factry)と、ABERのSU-100用砲身(#35L-39、Russian 100mm D-10S tank Barrel for SU-100 (for Dragon model))が机の上でそのままになっていたのを眺めでいるうち、これらを、半ば戸棚の肥やしになりかけていたドラゴンのSU-100とともに、まとめて成仏させてやろうと思ったため。

ちなみに上のアフターパーツ2品はkakudouさんに頂いたもの(……ですよね? M.Nさんからのものも混じってます?)。どうもありがとうございます。

そのkakudouさんもT-34シリーズを積極的に次々と完成させていて、SU-100も比較的最近、ズベズダのものを完成披露している。さすがにあの作品レベルまで迫れる気はしないので、こちらはヌルめに製作予定。

ちなみに冒頭に(そして以前にも)「さもほどなや」と書いたが、SU=СУ、Самоходная Установкаをカナ表記すると、「サマホードナヤ・ウスタノーフカ」がより近いらしい。直訳すれば自走式装置、とか何とか。ざっくり意訳して自走砲。

●素材の説明。

ドラゴンのSU-100は、初版が1995年発売。(今となってはあれこれ古さも目立つが)スケールモデルとしてそれまでと一線を画した新世代のT-34キットとして発売された同社T-34-85のバリエーションとして、ほぼ共通の車体のSU-85Mと共に出されたものなのだが、

Img20230310133314 (1).発売当初、セットするパーツの選択を間違えてSU-100のキットにSU-85M用の防盾しか入っておらず(うろ覚え)、後から模型店経由でSU-100用防盾パーツを大量に配布した(私も初版を買って、後から防盾を手に入れた。右写真)。

(2).その後、2000年代になってプレミアム版を発売。履帯をマジックトラックにし、エッチングをセットしただけでなく、キューポラもきちんとSU用形状に、砲基部カバーもSU-100用に改修した新規パーツをセット。戦闘室側面を別パーツ化し、戦闘室後面との接合状態を、後期型(というか標準型?)としてより正確なものに。戦後型標準の戦闘室後面もセット。車体底面を、それなりにSU専用車体に見せる改修パーツなども有り。

(3).そこまではよかったが、その後発売されたSU-85Mのオレンジ箱(廉価版)では、上記プレミアム版で戦闘室側面を別パーツ化したにも関わらず、その側面板の新規パーツが入っていない。車体上部自体は、側面パーツを貼り増すのが前提の改修パーツが入っているので、そのまま作ると、戦闘室側面が一段窪んだ情けない姿に。

――という、なかなかに「お騒がせ歴史」付きキットとなっている。

発売当初は、(雰囲気はどうあれ、寸法バランス的にもディテール的にもあっちこっち問題があるタミヤを除いて)初のかっちりした35スケールのSUキットとして大いに価値があったこのキットだが、さすがに発売から30年近く経つともなると、そこそこ気になる点も多い。

(1).左後ろのハッチが戦闘室後面まで回り込んだ、とりあえずは戦中型と言える仕様を再現しているが、起動輪は(先に発売されたT-34-85同様に)戦後型だったり、「戦中型に成り切れていない」点がちらほらある。ほか、先に発売された戦車型に引きずられたディテールも若干あり。

(2).砲基部カバーは本来、SU-85MとSU-100ではやや大きさが違い、大きめのSU-100では右側面にボルトアクセスの逃げのために明瞭な縦溝がある(極初期車輛か試作型には溝無しもあるようだ)。キットはSU-85M用の形状のものしか入っていない。上述のように、プレミアム版ではSU-100用に改修された新規パーツが入っている。

(3).SU-122/85/100はT-34のバリエーションだとはいえ、車台は戦車用とSU用では別物。キットは、下部前面装甲板はSU用に新たに起こしているものの、車体下部自体は戦車型をそのまま流用している。ただし、上述のように後に発売されたプレミアム版では、エッチングパーツ等を用いてSU車体に近付ける工夫をしている。

などなど。

これらは(繰り返し言うが)プレミアム版では若干改善されているし、もっと言えば、ズベズダの新キット(確か新旧2種あるが、その新しい方)ではほとんど解消されているので、そもそも、これからカッチリした戦中型SU-100を作るなら(ウクライナ侵攻が続いている今、そもそもズベズダのキットは手に入りづらいとか、姿勢としてロシア製キットは避けたいとかいった理由は抜きにすれば)素直にズベズダ製を作るべき。いやもう、本当に早く侵攻は諦めてくれませんかね。

もっとも今回の主眼は「カリッカリに戦中型SU-100を突き詰めて作る」のではなく「せっかく頂いたパーツの活用を兼ねて、在庫のドラゴンSU-100をやっつける」方にあるので、とりあえず、適当に「やる気になった部分だけ手を入れる」を基本方針に工作していくことにする。

●頂き物の2パーツについても若干。

MINIARM製の転輪は、さすがにT-34やKVの各種パーツを積極的に出しているメーカーだけにかっちりした出来。裏になるパーツのほうはボルト頭が気泡で潰れている部分が少しだけあったが、表は基準を厳しくしているらしく問題なく美しい。もっとも、このタイプ(ディスク型でゴムリムに穴・刻み目無し)はキットの転輪も基本同一タイプで、キットのパーツも決して悪い出来ではないので、取り換える必然性はそれほどは高くない。今回は「せっかく頂いたものだし、他に使うあてもなさそうだし」ということで、贅沢な気もするが使ってしまう。

MINIARM製パーツの最大のアドバンテージは、リム部に溶接跡が再現されていること。キットの転輪とは、ゴムリム部の筋のパターンにわずかに違いがあるが、これはどちらが正しいとかがあるのか、あるいは工場や時期の差なのかは、私にはよく判らない。またMINIARM製は内外の転輪の接合部分がより正確で、若干の隙間と、その間のボルトのロッドも再現されているが、これはどのみち組んでしまうと見えない。製品名に「ソルモヴォ工場」とあるけれど、ゴムリムの模様が、基本112工場への納入のみの仕様とかだったら怖いなー。

ABER製の100mm砲身は、外形はキットのパーツとそう大きな差はないが、張り合わせ式のキットパーツに比べれば、歪みの心配も継ぎ目消しの苦労もないのはメリット。しかし、砲口は100mmにしては明らかに狭すぎ、口径80mm程度しかないため、そのままではちょっと使いづらい。幸い?内側にはライフリングの再現もないので、ゴリゴリ内側から削って、100mmに近付け中。

●というわけで、下ごしらえ工作の現状。

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キットの戦闘室後部の装甲板の組み方は、後面装甲板左右をを側面装甲板が挟む、(おそらく)大戦末期から導入された仕様になっているが(ただしその場合、側面装甲が若干後方に張り出す。ドラゴンプレミアム版ではこれを再現)、これを生産当初の組み継ぎ形状に修正、ドイツ戦車のようなかっちりした組み継ぎではなく、かなりいい加減な組み方で、逆にうまく再現するのに苦労する。とりあえず装甲板の組み上げだけ行って、このあと溶接跡をちまちま入れていく予定。

ちなみに、戦闘室後面に後部ハッチが回り込んでいる初期型形質であっても、組み継ぎになっておらず側面装甲に挟まれた形状に改まったものも確かにある。私が極初期型?と誤解して、後面装甲を傾けて作ってしまったポーランド軍所属のSU-85Mも、実際にはこの過渡期の仕様だったようだ。整理すると、

  • 後面装甲/側面装甲の継ぎ方が変更されてからも、しばらくは後部ハッチの後面への回り込みがあって、期間を置いて(戦後になって?)廃止される。
  • 後面装甲/側面装甲の継ぎ方の変更は、SU-85Mの生産終了以前(戦時中?)に導入されている。……たぶん。

閑話休題。

キューポラ下の張り出しや、戦闘室後ろの三角コーナーの装甲は、キットパーツは綺麗に土台の装甲に繋がる形状となっているが、実車の場合は明瞭に段があって溶接跡も大胆なので、それがある程度再現できるよう、エッジ部分を若干削ってある。

ドラゴンのT-34系定番工作の、グローサー取付用のU字金具のモールドの削り取りは、戦闘室裾部分は場所的にナイフの刃を装甲板に沿って当てられず、ちょっと往生した。

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前面装甲下部左右、そして右上にもうひとつある調整ボルト?は、キットのモールドはやや窪んだ形状、かつ周りのスジ彫が広かったので、一旦削り落として穴開けし、2016年(!)に、これまた東京AFVの会で1-colour君に頂いたTMD製のレジンパーツを、若干装甲板表面から出る形で取り付けた。174工場製用リアパネルヒンジは使うあてが今のところまったくないが、同梱ののこ調整ボルトは、T-34-85/D-5T型に続いて活用2例目。ありがとうございます。

キューポラと前方ハッチの間にあるバルジ表面には、後方に横並びにミステリーサークル?が2つある。これは初期の車体だと前方中央に1つ、後方中央に1つの縦並びだったりする(ズベズダのキットではそうなっている)。おそらく、内部装備の配置の変化に関係しているものなのだと思う。しかし、現存車輛を見ると、戦闘室後面が組み継ぎの初期型でも、キットのように「後端に横並び」の例も確認できるため、とりあえずそのままとしている。

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エンジンルーム後端カバーは、後々、メッシュ部分にどこかのエッチングパーツを使うことを想定してくり抜き工作をした(プレミアム版ではエッチングパーツと、元から開口しているカバーパーツが入っているはず)。

ついでに、カバー後端/リアパネル間の蝶番に似た見た目の固定具のモールドを一旦削り落とした。これはキットの固定具の位置が183工場製戦車車体に準拠していて、SU(というかUZRM製車体?)ではもっと内側にあるのが普通であるようなので。

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もともと車体裏側はまともに塗装もしなかったりするので、きちんと再現するつもりはないのだが、一応(おざなりに)SU車体への改修を実施。戦車型(というか183工場製車体?)では底面は前後2分割だが、SUでは4分割なのでスジ彫りを追加。UZTM(ウラル重機械製作工場)ではSU生産に専念するまでは戦車も一部生産していたので、同工場製戦車は同様の装甲板構成になっているかも。

戦車型では右舷前端に小判型の脱出用ハッチ?があるが、SUでは第二パネルに移動、90度回転して縦長形状になっている。新たに彫り直したりしていないが、とりあえず前方の脱出ハッチのモールドは消した。

後方、ギアハウジング直下のドレン穴の開口はドラゴンのT-34系キットの定番工作(と言うほどでは……)。

なお、シャーシ後面装甲が若干底面に回り込んでいるのは初期型T-34でエッジが丸く底面に回り込んでいた名残なのだと思う。丸み付きの初期型後面装甲を持つタイプを生産していない112工場では、底面がギリギリ後端エッジまである形態をしている、らしい。

SUを含め、多くの仕様では下面後端がキットのように後面装甲と一体化しているが、この場合、後面装甲に続く部分は底面より一段窪んでいるのが普通。ただし、ここでドラゴンは設計をちょっと間違えてしまったらしく、ここが底面とツライチになってしまう。「間違えてしまったらしく」というのは、真ん中につく小さい丸パッチの、後面パーツ側の土台部分は底面とツライチになるよう出っ張っていて、これはドラゴンも再現しているため。しかし前述のようにベース部分が底面装甲とツライチなので、半月状の出っ張りは、逆に底面と不連続になってしまっている(戦車型キットを含めての問題)。

もちろん、普通にしていれば見えない部分なので、私は半月状の出っ張りを安直に削り落とすだけの対処をした。なお、ドラゴンのキットではこの半月状の出っ張り(=円形パッチの取付位置)はちょうど中央にあるが、実際には多くの仕様ではやや右舷寄りになっている。また、この円形パッチ自体、多くの仕様では受け部分が一段窪んでいて、パッチは底面に対し出っ張らないことが多いようだ。

●(一応、SU-100として)今後手を入れたい点。

・砲基部カバー形状は、ボルト逃げ溝付きに替えたいところ。これがないと、やはりSU-100らしくないので。

・戦闘室前面装甲は、SU-100ではSU-85の45mmから75mmへと大幅に増厚されていて(85Mも同様)、そのため車体前端の三角材と戦闘室前面装甲との間に明瞭な段差が生じている。ズベズダでは表現されているが(少なくとも新キットの方では)、ドラゴンでは表現されていないので何とかしたい。

・キューポラは(以前にSU-85Mを作った時にもそれなりに頑張ったが)、偏心した戦中型に改修予定。SU-85Mの時はハッチ部も新造したが、キットのパーツをそのまま使えないか検討中。

・操縦手ハッチは戦車型もSU-85もSU-100もそっくり同じような見た目をしているが、細部に差があり、例えばSU-85用は表側中央に「C.」と刻印されている。おそらくこれは「СУ(エス・ウー、SU)」用であることを示しているというのは、確かセータ☆さんから聞いた話。実際、戦車型とSUとでは前面装甲板の角度が違うから、ハッチへのペリスコープ取付穴の角度も異なっているはずで、パーツに識別記号を入れておくのは理にかなっている。そして今回のお題のSU-100の場合は、SU-85ともまた違って、たいていの場合は中央に「P.」と刻印されている。SU-85よりも装甲自体が厚くなっているので、ハッチも別物になっていて当然だが、「P(エル、ローマ字のRに相当)」が何の略なのかは不明。重箱の隅の話に前置きが長くなったが、これは再現しておきたい(ズベズダのキットでは最初からモールド有り)。

・起動輪はMiniartの大戦型パーツに素直に交換。履帯もMiniartにしようか考え中。

・予備燃料タンクのステイはMiniartの初期型パーツに交換するか、それともキットの後期型(標準型)にするか迷い中。IS用のステイに似た後期型(標準型)は、大戦末期にはすでに登場していたはず。ただしドラゴンのパーツはちょっと厚みが気になる。Miniartのパーツは、ズベズダのSU-85に使いたい気もする(ズベズダのステイはタンクと一体で表現も今ひとつなので)。

●今回の製作にあたっての参考資料等。

主にネット上の現存車輛walkaround写真。特に「LEGION-AFV」「Dishmodels」などから、戦闘室後面装甲が組み継ぎになっている仕様のものを中心に。

Wydawnictwo MilitariaのSUの号も見たりしているが、本文は読めないし写真もあまり多くはないので情報量はそれほどでもない。

ドラゴンのSU-100を作るのであれば、そのものずばり、青木伸也氏の「ハラショーT-34」で、2000年代中盤に(2000年代というのは2000~2009年の意味で使っているが、どうも21世紀中ごろの意味にもなってしまいそうで、いつもちょっと躊躇う。いや、そう取る人はいないだろうけどさ)ドラゴンのSU-100の製作記を数回に渡って掲載している。

これを読めば、(たとえその後分かったこととかがいくつかあるとしても)製作上の注意点のベース部分は、あれこれ考えるまでもなく「おまかせ」にできそうだが、模型雑誌類の保管が悪く模型の山の向こうに埋もれてしまっているうえ、SU-100掲載号のうちどれだけ手元にあるかも不明。何かのたびに「T-34の(あるいはKVの)ここって、どう思う?」とか青木氏に聞いているくせに、いざという時に氏の労作を見ないとか、失礼この上ない気がする。青木センセ、まったくもって済まん。

それはそれとして、大日本絵画は、「ハラショーT-34」の単行本化とかしてくれないものですかね。いや、同社が許可してくれれば同人誌化でも。

●ちなみに前回記事以降、2月末の土曜日には予定通り、兄と兄の友人と一緒に、追浜から鷹取山、二子山とハシゴ・ハイキング。この週は1週間合計で100km以上歩いた。流石に歩きすぎてその後数日は足がガクガクした。

その後、老健に入所していた母がまた倒れて緊急入院になったり、仕事が進まなかったりであれこれ心配事多し。あ。申告も終わらせないと。

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アルビオン燃料補給車のその後

●作りかけで放り出してあるタミヤのバレンタイン、バレンタイン・デーに合わせて今度こそ工作完了させよう――と数日前から思っていたのに、まだ掘り出しさえしていない。

とりあえず以前からの製作記はこちら。「次回には工作終了!といきたい」と書いた製作記の最終更新は、2020年5月。

●直近いじっているエアフィックスのアルビオン燃料補給車は、その後もちまちま工作を進めて、なんとか形になった。実は「工作完了!」というにはまだちょっと足りないのだが、現状写真を以下に。

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現状説明、前回までの工作以降でいじったところ、未工作のところなど。

・屋根の上の燃料補給ブームには、前回紹介したダイソーの「アルミ自在ワイヤ―」でホースを取りつけ、ブーム自体もポンプ室上部に接着。ブームとポンプ室の連絡部分のホースもアルミ線に替えた。右のブームだけは、後々燃料補給シーンにできるように、やや側方に振った形に固定。実際に機体に接続するかもしれないので、こちらだけは燃料ホースが未工作。

・後部のポンプ室ドアは、シーリングのため?縁にリブがあるので追加工作。開状態で接着した。ポンプ室内部、ブームの根本の下部には、ブーム操作用の棒ハンドルがそれぞれあるのだが、未工作。

・塗装の便を考えて、車体後部の給油ユニットひとかたまりと、キャビンの屋根、キャビンドア、ポンプ室内の機器、タイヤは未接着。エンジンボンネットと左側板は現時点では未接着だが、(せっかくエンジンがあってちょっともったいないが)最終的には接着してしまう予定。

・前照灯はコードの工作を終えてから取りつけ予定。ちなみに前照灯は丸ごとクリアパーツなので、全体塗装前に後半を銀か何かで塗っておく必要あり。

●まだa型も店頭で見てはいないが、Armoramaに、IBGのII号戦車b型発売のアナウンスが出ていた。そリゃまあ、出るよね。

実はIBGのII号戦車初期型発売の報を聞いた当初は、「買うならb型が出てからかな」などと考えていたのだが、手元のWAW 1:72のII号戦車を見比べているうち、寸詰まりのa型のほうが魅力的に思えてきてしまって迷い中。昔だったら「両方買っておかなきゃ!」だったのだが、さすがにもうそこまでの気力も財力も……。

●web上の資料としては、昔からかなり重宝していたロシアのサイト、「Beutepanzer」が消失してしまった。

サイト名通り、大戦中にドイツが鹵獲使用した各国AFV(なかでも特にソ連製車輛)の写真を丹念に集めていたサイトで、写真それ自体は寄せ集めで質が高いとは言えないものの、「鹵獲車輛で近付いて撮っているからこそ確認できた仕様」なんてものもそこそこあって助かっていたのだった。誠に残念。消失の原因がウクライナ戦争がらみなのかどうかは不明。

●資料サイトに関してもう一件。フィンランドの戦時中の写真アーカイブ、「SA-kuva」が不通。

おそらくこのアーカイブはフィンランド国防軍直営のはずで、フィンランド国防軍サイト表紙下部のメニューには現在も「SA-kuva - Finnish Wartime Photo Archive」は出ているのだが、少なくとも昨年末からはずっと不通のまま。メンテナンスにしては長すぎる気がするし、それならそれで、メニューをクリックしたら「メンテ中ですよ」のお知らせページに飛ぶとかの措置はあっていい気がする。

フィンランド国防軍サイトのお知らせあたりを丹念にめくってみると何か書いてあったりするのかもしれないが……。

●youtubeで配信されている「ゆる言語ラジオ」の水野さんって、「ディック・トレイシー」のヤマダ警部と激似だよね!

と、以前から思っていて、「これだけ似ていたら、そう思っているのは私だけではあるまい」と考えて、「ゆる言語学ラジオ ヤマダ警部」で検索してみたら全くヒットしなかった。古すぎた?

●ちなみに「ディック・トレイシー」(もちろんアニメの方)に登場するヤマダ警部は、オリジナルでは「ジョー・ジツ」という、何系だかよく判らない名前。日本語版でヤマダ警部になったのは、要するに「スター・トレック」のスールーが日本語版では「ミスター・カトー」になったのと似たような話だが、ジョー・ジツ/ヤマダ警部は、チビなのにジュージュツ?を使って巨漢の悪人をびったんびったん振り回し、ベタな「engrish」を話し、退場時には「サヨナ~ラ~」と言うなど、明確に日系人という位置付けになっている。

いつまで観られるかか判らないが、youtubeに上がっていた、ジョー・ジツ/ヤマダ警部が出てくる回はこちら

風貌はチビ・丸顔・メガネ・出っ歯・釣り目と、いかにも日本人ステロタイプな描き方だが、それが嫌味にならないのは、そうしたステロタイプなキャラを安易に敵役に据えるのではなく、ディック・トレイシーの腹心の部下として胸のすく活躍をさせているため。アニメの「ディック・トレイシー」は、他にもヒスパニック・ステロタイプな部下、「ゴー・ゴー・ゴメス」を登場させているので、1960-61年という比較的早い時期の制作ながら、(ステロタイプなキャラ付け自体は旧時代的ではあるものの)マイノリティへの配慮を心掛けていたらしいことがわかる。

なおゴー・ゴー・ゴメス警部は、同じくアニメの「ルーニー・トゥーンズ」のキャラ、“メキシコ最速のネズミ”「スピーディ・ゴンザレス」のパロディ(というかリスペクト?)だそうな。

このスピーディ・ゴンザレス(と、ゴー・ゴー・ゴメス警部)も、かなり強烈なヒスパニック・ステロタイプなキャラ付けで、そのため、2000年前後には一時、スピーディ・ゴンザレスはカートゥーン・ネットワークにおいて放映自粛の憂き目にあっている。が、実際には、「この時代(1950年代)にあって、明確にメキシコ系でありつつ縦横無尽に活躍するヒーロー」としてヒスパニック系の人々の間での人気は高いそうで、ヒスパニックの人権団体が中心となって復活の運動が起こされ、放映再開となった経緯がある。

●先週あたりのニュース。

位置情報技術の会社、ジオテクノロジーズ(株)と、東京大学のCSIS(空間情報科学研究センター)は徒歩人流データの共同研究を開始するそうで、そのサンプルとして、1都3県(首都圏)の市区ごとに調べた「よく歩く街ランキング」を発表した。

それによれば、平1都3県・計184市区のうち、日、週末ともに、一番よく歩いている町は我が町逗子市だそうだ。へー。

思うに、都会に出るための鉄道駅はあるが、市内の公共交通網はそれほど便利ではなく、道が狭いので近場の移動なら自動車より徒歩、という人が多いのでは。

ちなみに同ランキングにおける逗子市の1日あたり平均歩行距離は、平日が1.888km、週末が1.867km。「トリマ」という、ジオテクノロジーズ製“ポイ活アプリ”のユーザーデータを元に算出したものだそうな。私は1日平均もっと歩いているが、少なくともこの調査の時点では私の移動データは含まれていない。

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アルビオン燃料補給車・中間報告

●年末からいじっている、エアフィックス 1:48、アルビオンAM463燃料補給車の製作記の続き。

とはいえ、しっかりディテールアップするほどの資料も(そしても元々そのつもりも)ないことなので、比較的淡々と作業を進めているだけ。

●その前に一つ。

当ブログの古い記事をつらつら見ていたら、なんと!昨年末の記事以前に、このキットを入手した当初に、一回すでにレビュー記事を書いていた。すっかり忘れていた。ボケとるなこりゃ。しかも書いている内容自体、年末に書いた記事とおおよそ変化なし。特に手元に資料等ないアイテムなので当然と言えば当然だが、なんとも進歩のないことで。

●現状。塗装の便も考えて、あちこち未接着ではあるものの、ほぼ車輛の全体形が見えてきた。

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御覧のようにディテールもなかなかしっかりしていて、小粋な姿に組み上がるキットなのだが、先日も書いたように、パーツの位置決めが曖昧な個所が多いこと、「なんだそりゃ」な組立手順が随所にあることなどが問題点と言えそう。説明書はすごく丁寧なのになあ……。

以前に書いたことも含めて、組立手順上の注意を以下に纏めておく。

▼燃料タンク(C12・C13)は手順14でシャーシフレームのステイに接着するよう指示されているが、ダボなどもないので取付位置が曖昧。実際には、手順41でタンク脇のステップ(B01)を取り付けないと、タンクの正確な位置は判断できない。なお、キットではステイに対してタンクは左右不均等に付くことになるのだが、実車ではステイの間隔がもっと広く、ステイは左右対称に、タンクの両端にあるのが正しいようだ。

▼手順15、16でエンジン周りの小部品を付けるよう指示されているが、これは手順6のエンジンのシャーシフレームへの取付以前に済ませたほうが楽。ただし、パーツB19のファンベルトだけは、逆に、手順44のラジエーター(D10)の取付直前のほうがいいと思う(ラジエーターとエンジンを結ぶパーツなのに、角度を決めるダボなどがないので、いざラジエーターを付けるとき、がっちり固着した状態でズレがあると厄介)。

▼手順23で付けるよう指示されているシフトレバー(D02)は、実際にはキャビン床に空いた穴を通して、シャーシに付いているトランスミッションに取り付けるようになっているので、キャビン床をシャーシに取り付けた後でないと取り付けられない。そして組立説明書の手順通りに工作を進めると、キャビン取付時にはキャビンの屋根まで含めて箱組が済んでいるので、シフトレバーは取り付けようがない。どないせいちゅうねん。また、トランスミッションはすでに手順4でシャーシフレームに取付済みだが、実際にはきちんとキャビン床との位置調整をしながら取り付けないと、シフトレバーの取付部と床の穴の位置が一致しない。

▼手順42で取り付けるよう指示されているキャビン乗降用ステップ(B14)は、手順31のキャビン取付前に付けたほうが楽。いやまあ、キャビン取付後でも付けられるけどね……。

▼ポンプ部品(D12・D18)は手順33でポンプ室の床(B08)に、ホースの根本(D13)は手順36で天井(B09)に付けるよう指示されているが、この手順で組むと、最終的に手順37でポンプ室を組む時に、ホースとポンプをきちんと接着できない。まあ、どうせ接合部は裏に隠れて見えないからいいよ、とも考えられるが、それではどうもキモチワルイと思う人は、手順34でポンプ室の背板(A10)を接着せず、手順35で側板(B10)を床に付ける際にガイドとして添えるだけにして、最終的に、ポンプとホースを接合してから背板を付けるようにするといいと思う。私は塗装の便を考えて、そもそもポンプ+ホースと、ポンプ室をそれぞれ別に組んでしまった。この状態でもあとからポンプ室にポンプを挿し込むことは可能。

▼手順40。タンクとポンプ室の接合はしっかりしたダボなどなく、ポンプの上下がだいぶ左右回転方向にブレる。ポンプのキャップ(A12)がちゃんと真上を向くよう、シャーシフレームに仮置きして確認が必要。

▼同じく手順40。タンク前端左右のラダーだが、タンク上部の「受け」形状がちょっと変で、ラダーの一番上の横棒がと干渉して隙間ができる。「受け」部分を、横棒がうまくはまるよう削って調整が必要。

▼手順48。キャビン横のスペアタイヤの取付位置が曖昧。私は塗装説明図(の側面図)を頼りに位置決めをしたが、後から実車写真を見たら、もっと下にずらしたほうがよかったようだ(右側面が写った写真は手元に1枚しかないので、もしかしたら個体差があるのかもしれないが)。

現時点で手を入れた部分、あるいはちょっと気になったけれども手を入れなかった部分は以下。

▼フェンダー裏側の薄削り。これは先日書いた通り。後輪フェンダーも前後縁は少し削った。

▼ポンプ室内部の若干の改修。これも前回書いた通りだが、天井にあるブーム操作用のハンドルがまるっと省略されているので、今後追加の必要がある。

▼ポンプ室の箱組は、側板(B10)と床(B08)・天井(B09)の継ぎ目にやや隙間と段差が生じるので、伸ばしランナーやら瞬着やらで埋めてゴリゴリ削った。

▼タンク横のラダー(D04)は実車写真を見るともっと細くて華奢なのだが、プラパーツとしてはそこそこ頑張って細いので、ちょっとヤスっただけでそのまま使った。

▼タンク横下のステップのうち、左側のB01は前方の凹部分はプラが厚かったので、0.5mmプラバンで作り直した。また全長がわずかに寸足らずだったのも、この凹部分の作り替え時に調節した。

▼エンジンボンネット側板の手すりをプラペーパーで作り替えた。

▼バンパー(D19)の横棒部分が変形していたのでエバーグリーンのプラ棒で作り替え。ついでにステイ部分を薄削りした。

▼エンジンはそれなりに再現されているが、上にラジエーターと繋ぐパイプがあるんじゃないかなあ。いやいや、もちろん下にもね。ただし、最終的にはボンネットを閉めてしまう予定なので追加工作などはしない。

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今のところはこんな感じ。燃料ホースはアルミ線とかで作り替えかなあ……。

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謹賀新年2023

●明けましておめでとうございます。

本年も――おそらくこれまで同様に当「かばぶ」はぐだぐだな内容だと思いますが、なにとぞよろしくお願い申し上げます。

●例年通り、大晦日に川崎の実家に行って、母・兄と年越し。

1日にはドイツ人Pと、Pの長女Jが遊びに来て、午後中まったり飲み食いしながらお喋り。Pらの帰宅後、甥(兄の次男)Gが彼女連れで来る。田舎の叔父宅に電話したり、なんだかんだと、それなりに正月らしかったかも。

2日は兄と墓参りに行き、そのまま、津田山の墓地から東急田園都市線の宮崎台駅まで延々と歩く。横浜に寄って帰宅。

Img20230103133901 ●3日、ふと思い立って(特に用事もなく)稲村ケ崎まで往復歩く。

初詣客で混んでいるであろう鎌倉中心部には立ち寄らず。個人的には、「初詣」というものに格段の重要性を感じていないが、たまたま前を通るし、ということで、小坪の天王社(須賀神社)でお賽銭。

この小坪天王社は、“おらが村”である小坪村の総鎮守である天照大神社の境外末社。天照大神社は披露山の端っこにあり、小坪漁港側からだと、かなり長い急階段を上がる必要がある。要するに「市役所に行くのが面倒なので出張所で」という感じ。名前の通り、本社の祭神は天照大神だが、天王社のほうは牛頭天王/スサノオノミコト。

もっとも、小坪村の夏祭り(天王祭)はこの小坪天王社のお祭りだし、さらには、小坪天王社(のスサノオノミコト)と葉山の森山神社(のクシナダヒメ)は夫婦神ということで、32年ごとに天王社の神輿が森山神社に行く「三十三年祭」というのがある(祭りがある年も1年と数えるので32年周期でも三十三年祭)。次は2028年である由。なお、小坪天王社は御覧のように祠に毛の生えた程度の小さな神社だが、葉山の森山神社は結構大きい。

●その他、(特に正月とは関係のない)正月風景。

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前々回に書いた西小坪海面砲台現状に関する補足。逗子マリーナ6号棟正面の擁壁上の柵越しに、わずかに崖裾部が見えた。どうやら、擁壁上の段(かつての親不知の崖路跡?)の向こうの崖裾部は、格子状のコンクリート擁壁で覆われているようだ。崖の左右一杯までこの処理が行われているとすると、かつての洞窟砲台の洞口も完全に覆われて、何も痕跡は確認できなくなっているかもしれない。

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小坪の飯島(逗子マリーナの端)から、目的地の稲村ケ崎越しの富士山。この日はほぼ一日中、富士山は雲被り。

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由比ガ浜の波打ち際の細かい貝殻の集積。そしていつもとは逆視点。由比ガ浜の割と端っこ(稲瀬川あたり)から材木座・逗子方面を振り返って1枚。

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稲村ケ崎突端の銃眼と、その拡大。この斜め下には「伏龍」出撃基地とされる洞口があるが、大潮の時くらいしか近付けないようだ(私自身はそんなタイミングで訪れたことがなく、洞口は見たことがない)。

しかし、(銃眼があるからには、何らかの陣地だったのは確かだとしても)波の荒い岬の突端から、重い潜水装備に刺突機雷を担いだ兵が、海底を歩いてある程度以上の範囲に展開できたとは思えない。そもそも米軍が、海岸線に急斜面が迫る七里ガ浜や、山に囲まれてその後の展開に支障が出そうな旧都鎌倉に上陸作戦を敢行するとも思えないから、対上陸用舟艇の特攻兵器である伏龍をここに配置した可能性は低いのではと思う(訓練基地だった、というならまた別だが)。

小さなモーターボートに爆薬を摘んだ「震洋」の基地だったという説もあるそうだが、写真で見る洞口は、小さな舟艇でも出入りできたのかどうか怪しい(洞内に複数の舟艇を収容できたのかどうかも怪しい)。

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夕方、再び飯島あたりまで戻ってきて、振り返って1枚。手前から和賀江島(鎌倉時代の船着き場跡)、稲村ケ崎、江の島の向こうの富士山。多少雲は残っていても、シルエットならOK。

●AIRFIX 1:48、アルビオン燃料補給車の製作の続き。

荷台の燃料タンクの後ろにはポンプ室?があって、後面の扉は開閉選択式。中には一応、それらしく機器のパーツが入っているが、若干手を加えた。

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奥の壁にあるメーター付きの筒形パーツは、もともとキットにモールドがあったが、立体感に乏しいので削り落として作り変えた。横の壁にも何やら「付属の品」を追加。

とはいえ、もともとキットに含まれていたメインの内部機器パーツ自体の形状が結構怪しく、本当はもうちょっと、向かって左側にスペースも開いていて、先述の「奥の壁のパーツ」が見えていないとおかしい。が、そこをとやかく言いだすとこのメインの機器パーツ自体、1から作り直さないといけなくなって激しく面倒なので、適当なところでお茶を濁した。機器の後ろにもう少しパイプ類もあるのだが、どこからどこに繋がっているのかが判らないので、こちらも工作は諦めた。ヌルし。

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勇者

●魔王「勇者よ、この我のものとなれ!」

勇者「断る!」

……一度言ってみたかっただけ。「まおゆう」いいよね。

●モデラー界隈(?)では、とてつもない難物キットにあえて挑戦する(そして完成させる)者をしばしば「勇者」と称える。

我が家にも有名無名の難物キットはそこそこ(いや、かなり?)あるが、基本、それらのキットは作り通す気力を奮い立たせることはできずにストックしているだけなので、私は勇者手前どころか単なる無謀の人というべきかも。

それでも、時折「いやいや、スケールモデラーになってン十年、それなりに経験も積んでいるからには、時には難物キットに正面から立ち向かうべきではないのか」的な身の程を知らない謎意欲が沸き出てくることがあって、そんなキットをわざわざ掘り出してくることがある。

Img20221231125857 しばらく前から、そんなキットの一つ、M(仮称)の1:35、D-8装甲車のキットが自室の椅子のすぐ隣に積まれているのだが、数日前、セータ☆さんがブログ(gizmolog)でこれを記事にしていて、思わずニヤリとしてしまった。

セータ☆さんも書いている通り、乳白色(というより半透明)のデロデロした感じのプラパーツは、見たとたんに製作意欲を削ぐに十分で、実際私も、案の定、取り出してしばらく眺めただけで一切手を付けずに放置してある。まさに「勇者のみが対抗し得る」レベルのキットなのだが、一方で、モデラー仲間のかさぱのす氏はこのキットを、me20さんはバリエーションキットのD-12を完成させている。勇者多いなあ……。

ちなみにセータ☆さんの記事によれば、(全体形状のバランスは抜きにしても)天井板周りの面構成がだいぶ違っているようだ。もしも作るときが来たとしても「とにかく見た目を整えて組み上げる」ことしか考えていなかったので、知らんかったよ……。

●さて、この戦間期のソ連のフォードA型~GAZ-A~GAZ-M1シャーシ・ベースの装甲車は、D-8 → D-12 → FAI → FAI-M → BA-20 → BA-20Mという具合に進化していくのだが、そのFAI-Mのキットも我が家にある(そしてこれまた自席の隣に積んである)。

Img20221231132837 これも「勇者の討伐対象」の代表的レーベルと言えるMAQUETTEのキット(製造を同社で行っていたかは怪しいので、「メーカー」と言っていいかどうか)。

中身は、ソ連・東欧崩壊直後に雨後の筍のように出てきた新興メーカーの一つ、START製のBA-20のパーツ丸ごとに、新造の上部装甲ボディが入ったもの。新造の装甲ボディ・パーツは簡易インジェクションと思しき(これまた)半透明がかったプラ質で、STARTのシャーシに取り付ける際、一部を切り欠くように指示されているので、やはりMAQUETTEで出ていた(前身の)FAI装甲車のキットからの流用であるらしい。

御覧のように、箱の中身は、割合的にはSTART製の流用パーツ(緑と黒)のほうが圧倒的に量が多い。

しかし実際には角ばっているはずのシャーシ後端がBA-20Mのままで丸かったり、車体上部とシャーシとの接合部分の形状がまるで違っていたりするので、ある程度本気でFAI-Mを作るつもりならかなりの改造が必要になる難物キットなのは間違いない。もちろん、新造パーツの出来も大したことはないし、カリッカリにチューンナップしたFAI-Mを作りたい、という場合には、そもそもこのキットの存在など無視したほうがいいかもレベル。

●わざわざこのキットを引っ張り出してきたのは、おととい(29日)の晩、zoomでNIFTY時代の模型仲間(仮称・はるとまん氏を囲む会)と飲んでいて、くまざあ氏が話題に(そして画面に)出してきたため。

このキットはMAQUETTE亡き後(もう無いよね?)、今はMSDレーベルから出ていて、くまざあ氏が持っているのもその「新版」なのだが、なんと同梱のベースキットが、STARTのBA-20MからALANのBA-20に変わっているのだという。なんだそりゃ。

ALANのキットは、その後MSDに流れているので、要するに「自社製品」に挿げ替えたということらしいが、くまざあ氏が言うには、組立説明書(の図解?)はSTARTベースのままだそうだ。なんだそりゃ(再)。

ちなみに、キットの出来についてはSTARTもALANも「どっちもどっち」。ALANのキット(一時ドラゴンで出ていたこともあり)は装甲車体の合わせにかなりの難があったが、このキットの場合は使用しないのでそもそも問題にならない。いずれにしても、前述のように「ちゃんとFAI-Mを作るなら大手術が必要」という点では変わらない。

……いつか挑戦してみたい(無謀な勇者願望)。

●例年通り、本日はこれから川崎の実家に移動し、そこで新年を迎える予定。

皆様よいお年を。

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