製作記・レビュー

RWD-8 DWL / IBG MODELS 1:72

●先々月の横浜AFVの会(仮)の折、ミカンセーキさんに、我が家の不良在庫のAZ model 1:72のビーチクラフト・スタガーウィング(元sword製)を押し付けた進呈したところ、代わりにIBGのRWD-8を頂いた。1個減って1個増えてプラスマイナスゼロ。

いや、実際には横浜AFVの会(仮)の在庫交換会にMIRAGE/RPMのビッカーズ6t系を2つ出して、代わりに貰った別キットはその場で他の方にあげてしまったので、都合、在庫2個減少。

20220505_214056 ●というわけで、ざっとIn Boxのキットレビューを。

いつのまにやらポーランド有数の模型メーカーに成長したIBGだが、RWD-8シリーズは、同社72スケールの飛行機キットとしては最初期のもののはず(あやふや)。

scalematesによれば、シリーズ最初のキット「RWD-8 PWS」(キット番号:72501)と、ここに挙げた「RWD-8 DWL」(72502)が発売されたのは2015年。その後の数年で、デカール替えで「PWS ドイツ/ラトビア/ソ連仕様」「PWS ハンガリー/ルーマニア仕様」「DWL イスラエル仕様」と、バリエーションキットが出ている。

なお、この機は48のインジェクション・キットがスポジニアから出ていて(現在はmirage hobbyから)、大昔に(ほぼストレートで)作ったことがある(たぶん押し入れの奥底あたりにまだ作品が埋まっているのではないかと思う)。当時はまったく知らずに適当に作ったが、スポジニア/ミラージュのキットは、PWS仕様であるらしい。

●実機について。

実機は1930年代初頭、航空機設計チームであるRWD(S.Rogalski、S.Wigura、J.Drzewieckiの3人の航空機設計者の頭文字を繋げたもの。発足時にはワルシャワ工科大学に在籍)により、もともとは軍の練習機として開発されたパラソル翼単葉の複座機。上記キット名称にある「PWS」「DWL」は、それぞれ生産工場を指す。「DWL(Doświadczalne Warsztaty Lotnicz)」はRWDチームが設立した航空機生産会社だが、ここはそれほど生産能力が高くなかったので、国営工場の「PWS(Podlaska Wytwórnia Samolotów)」も生産を請け負うことになり、最終的にはDWLで約80機、PWSでは本家工場の6倍近い約470機が生産されたらしい(主にwikipediaによる)。

両工場の生産機には若干の仕様の差があるのだが、基本、DWL製は民生用に販売され、PWS製は軍に引き渡されている。というわけで、大雑把には「DWLは民間型、PWSは軍用型」と覚えておけば済む。

第二次大戦までの間、RWD-8はポーランド空軍の標準的初等練習機として用いられており、1939年戦役時には多くが地上で破壊されたものの、若干機は連絡機としても用いられている。また、戦役中にある程度の数がルーマニアやラトビア、ハンガリーに逃れ、それぞれの軍に接収されて使用された。またポーランド陥落の後は、ドイツ軍によっても使用されている。

●キット内容はプラパーツが枝3つ(透明部品の小枝含む)とデカール、説明図。

20220505_220242 20220505_220306 20220505_220502 20220505_220442

写真1枚目、A枝は主翼・水平尾翼ほか。ほとんどの小物パーツもこの枝。写真2枚目、B枝は胴体パーツほか。RWD-8の胴体はPWS(軍用型)とDWL(民間型)で若干ディテールが違い、この胴体もキットにより差し替えになっている。写真の胴体は(箱絵で明らかなように)民間型仕様。胴体パーツの脇に付いている小枠は軍用型用の脚柱、集合排気管、前後席間パーツで、この民間型キットでは全て不要パーツ。なぜ胴体が差し替えなのにこの小枠がそのまま入っているのかは謎。小さな風防は(十分とは言えないものの)インジェクションパーツとしてはかなり頑張って薄い。

デカールは東欧キット草創期からお馴染みのテックモッド製、塗装例1例のみに対応。なお、箱絵とデカールは登録記号「SP-AMT」で同一機だが、マーキングに差異がある(箱絵にある機首の機番「6」がデカールにはない、垂直尾翼のマークはデカールのほうが1種多く位置も違う)。ネット上で実機(SP-AMT)の写真を探すと、両方の状態のものがあるので、時期による違いのようだが、普通こういうのってデカールと箱絵は合わせるよね……。

●パーツのクローズアップをいくつか。

20220505_220347 20220505_220703

左写真は、Aパーツ側に入っているDWL(民間型)の脚柱と、Bパーツの軍用型(PWS)脚柱。右写真はAパーツの胴体支柱で、左2つがPWS用、右2つがDWL用。見てわかるように、民間型は支柱に翼型フェアリングがかぶせてある。なお、胴体支柱パーツは中間のバッテン部分も支柱然としているが、実機では張り線。

ちなみに胴体パーツのディテールの違いは、おそらく、

  • PWS(軍用型)は左胴体に、コクピット直後、および尾翼直前にパネルがある。DWL(民間型)にはない。
  • コクピット脇下のカマボコ型フットステップは、PWS(軍用型)は左側。DWL(民間型)は右側。
  • PWS(軍用型)は胴体側面(後席下あたり)に斜めの細いリブ。方向舵の操縦索と平行なので、何かそれに関連したものなのだと思うが用途不明。
  • DWL(民間型)は単排気管(4本)、PWS(軍用型)は集合排気管。
  • DWL(民間型)はコクピット縁全周にクッション。PWS(軍用型)は一部のみ?

20220505_220322

胴体パーツ内側には、フレームのモールドがある。一体成型なので、本来は細い棒状のものが板状に厚みがついてしまっているが、組んでしまえばさほど気にならないと思う。幸い、表側にはほとんどヒケを生じていない。

20220505_220420

このキットで一番問題含みなのが主翼。エルロン、フラップと主翼本体の間に大げさに隙間が作ってあって、これはちょっと見栄えが良くない感じ。実機は、フラップ部分はほとんど隙間も段差も無し、エルロン部分は(動翼前縁が丸まっているので)段差はあるが、隙間は流石にこれほど大きくないと思う(クローズアップ写真がほとんど見つからないので印象半分だが)。ちなみに、おそらくプロペラのトルクの関係で、この機にはフラップは右側にしかない。動翼のリブ表現もいまいち。

さらに問題なのは翼断面で、キットの主翼は比較的薄め、かつ翼前縁ライン(r中心ライン)は正面から見てまっすぐだが、実機の主翼はおそらくもっと厚く、しかも前縁ラインは中央翼と外翼とで不連続で、前縁のr中心は外翼内側で中央翼に合わせて斜めに切れ上がる。……と文章で説明しても非常に分かりにくいが、下の実機写真を見ると、なんとも微妙なラインになっているのが見て取れると思う。

1024pxsamolot_rwd8_na_lotnisku_nac_1s127 Zawody_ix_lotu_poudniowozachodniej_polsk

ともにwikimedia commonsより引用(パブリック・ドメイン)。

左:File:Samolot RWD-8 na lotnisku NAC 1-S-1278.jpg (キットのデカールにもなっているSP-AMT)

右:File:Zawody IX lotu południowo-zachodniej Polski w Krakowie.jpg

動翼については修正はそれほど難しくないと思うが、主翼の基本形状が違うのは修正が難しい(それ以前に、どういう形状になっているのかが把握しづらい)。

なお、Attack squadron、およびKARAYAという2メーカーから、キットの主翼を交換するレジンパーツも発売されている(Attack squadronは主翼と方向舵・昇降舵のセット)。

| | コメント (6)

郵便機がらみの脱線話(3)

●うっかりYouTubeでCMを見てしまい、「関西、電気保~安協会っ♪」が耳に染みついてちょっと困り気味。

●ノビルを今季初収穫し、タマの部分はジップロックに入れて市販のそばつゆに漬け、葉の方は刻んで「ノビルのパジョン」にして食べた。パジョンは1枚は焼いた後にポン酢、1枚は焼きながら醤油を掛けまわした(焼けた醤油の匂いが良いので)。

20220308_165628 20220310_122341 20220310_122323

写真はそれほど美味しそうに見えないかもしれないが、美味しいんだよ! 本当だよ!(意味のない力説)

●名越の大切岸前の平場で、疥癬症のタヌキを目撃(11日)。

20220311_111758 20220311_111810

そして2日後(13日)、今度は名越切通の平場で。

20220313_142406

すぐ近くで野良ネコに餌付けしている人がいて、その上前を撥ねようと草むらに身を潜めているところ。場所は上写真のすぐ近くだが、因幡の白兎ではあるまいし、2日で毛がふさふさになるとは思えないので明らかに別個体。とはいえ、毛並みの様子が万全とは言い難い様子なので、やはり皮膚疥癬に罹っているようだ。

20220311_135938 ●郵便機がらみの脱線話の第3弾。エレールの1:75、クジネ 70.02 アルカンシエル(Couzinet 70.02 Arc-en-ciel)。

scalematesによれば、初版発売は1964年という古いキットで、1:75といういかにも半端なスケールも、おそらく箱合わせで適当に作ったためと思われる。

私が手に入れたキットは、エレールが黒箱時代になってからのものだが、箱絵は初版と同じで、暴風雨の大西洋(たぶん)を、海面すれすれに飛ぶ同機を油絵調で描いたもの。当然、ここにも箱写真を添えたいと思ったのだが、機体本体の作り掛けは出てきたものの、キットの箱(小部品入り)はストックの山の奥にあるようで発掘できなかった。というわけで、箱絵を見たい方はscalematesのページでどうぞ。

1:75といっても3発のかなり大柄な機体で、作り掛けの1:35のトランペッター KV-2と並べてもご覧のような感じ。ウィングスパンは、ほぼ40cmピッタリある。

▼メルモーズと大西洋に架かる虹

クジネ 70~71 アルカンシエル(「虹」号)は、戦間期の有名な郵便機パイロット/冒険飛行家であり、フランスの国民的英雄でもあったジャン・メルモーズの名と密接に結びついている。メルモーズはこの機に乗って、1933年、パリ-ブエノスアイレスの往復飛行を成功させているが、これは初の陸上機による南大西洋無着陸横断飛行だそうだ(水上機型のラテコエール28を使った南大西洋横断飛行は、同じくメルモーズが1930年に成功させている)。

これは、アルカンシエルの長距離飛行試験であるとともに陸上機による横断航空路確立のための飛行であったようで、1934年にはメルモーズの操縦でなお数回の南大西洋横断飛行を行っている。

しかし、やはりこの時代、大西洋横断飛行は相当な冒険であったことは否めず、不時着水時のリスクに加え、木造機であることから耐候性や火災リスクも不安視されたようで、1934年を最後に横断飛行は行っておらず、そのまま表舞台から姿を消してしまったらしい。

エールフランス(アエロポスタル社を前身として1933年に発足)は横断飛行用機体として、代わって4発飛行艇のラテコエール300「南十字星」号を使用することになるが、皮肉なことに、1936年、メルモーズはこの「南十字星」号で、セネガル(ダカール)からブラジル(ナタール)に向け飛び立った直後に行方不明となっている。

 

メルモーズと代表的乗機の動画をYouTubeで見つけたが、最初に写っているのがラテコエール28の陸上機型と、1930年の横断飛行を成功させた水上機型。続いて30秒あたりからアルカンシエル。最後に、ラテコエール300「南十字星」号が写っている。

ラテコの「南十字星」はドルニエ式のスポンソン付き飛行艇で(従って翼下の補助フロートはない)、櫛形配置でナセル2つにまとめた4発エンジン、スマートな艇体、なだらかな曲線でつながった尾翼などなかなか美しい(ちょっと尾翼が「しゃもじ」っぽいが)。ただし、どうもエンジンに不安を抱えていたらしく、メルモーズの最後の飛行でも、右後ろのエンジンの不調を伝える無線を最後に消息を絶ったという。

ちなみにArc-en-ciel(虹)の発音は、カタカナ表記すると「アルカンシエル(もしくはアルカンスィエル)」が近い。「アルカンシェル」でも「アルカンシェール」でもないので注意(時空管理局の「すっごい兵器」はアルカンシェルだが)。意味は分解して逐語訳すると「空の弓」で、ハイフンで繋げて1単語にすると「虹」になる。設計者の姓でもあるCouzinetは、日本語だと「クジーネ」と書かれたり「クージネ」と書かれたりするが、アクセントは「ou(ウ)」のところにあるものの伸ばした感はないので(発音サイトで聞く限り)カタカナ表記は「クジネ」が近い。

▼実機の特徴

佐貫亦男先生は、クジネ 70~71 アルカンシエルを評して、「航空技術史上もっともスタイリストである機体の一つ」と記している(「続々・ヒコーキの心」)。

もちろんここでいう「スタイリスト」は職業ではなく「オシャレ」くらいの意味だが、その最大のポイントは、木製機ならではの滑らかなラインと、ルネ・クジネ設計によるアルカンシエル・シリーズ共通の、胴体がそのまませり上がって薄くなり垂直尾翼になるという独特すぎる形態だろう。

「鍛えた日本刀のような」というのは喩えとしてほめ過ぎで、実際にそのような隙の無さは感じないし、むしろ「え、大丈夫なのコレ?」的な印象。側面形だけで言うと「バナナみたい」。ラインとして美しさはあるが、一方では圧倒的な珍機感を打ち出している。それがこの機の個性と魅力ではあるが。空力への並々ならぬこだわりは、巨大な主車輪だけでなく、尾輪にまで水滴状のカバーを被せたところにも感じられる(ただし、これらのカバーは後の改修で取り払われている)。

設計者のルネ・クジネは主に戦間期に活動した航空機デザイナーで、初期は(以前にエレールのキットを紹介したことがある)ANFレ・ミュロー社の協力を得て、後には独立して会社を構えて(ルネ・クジネ航空機:Société des Avions René Couzinet)何種かの航空機を生み出している。もっとも、まともに量産された機体は一種もないようだから、要するに「自分のアイデアに溺れちゃった」タイプの技術者臭い。

実機に関しては、ネット上にものすごく詳しい資料がPDFで公開されているので、興味をお持ちの方はダウンロードして目を通してみるとよいと思う。

サイト「Association Le Nouveau Souffle de l'Arc En Ciel

資料は「Quand les Arcs-en-Ciel traversaient l’Atlantique(虹が大西洋を渡った時)」(著:Claude FAIX)、上下43ページずつで、「pour aller plus loin」のページに置かれている。以下の説明も、基本、この資料に拠っている。おそらく、お金を出して買おうと思っても、なかなかこれを上回る資料はないんじゃないか? というくらいの上質な資料である(ただし全編フランス語)。

クジネによる最初の「アルカンシエル」は、1927年のクジネ 10 アルカンシエルNo.1で、これは小改修されてクジネ 11 アルカンシエルNo.1bisとなるが、1928年に事故で失われ、別機のアルカンシエルNo.2も格納庫火災で失われている。他にも数種の「アルカンシエル」タイプの大小の航空機が作られているらしい。

今回の主役のクジネ 70~71 アルカンシエルは、クジネ 10~11よりやや大型の機体として企画されたもので、1930年にクジネ 70.01 アルカンシエルNo.3として製作開始、翌年2月に初飛行している。

ここまでの文章中で、私が「クジネ 70~71」と書いているのは、初飛行以降、1934年までの間にやたらに改修が繰り返されて、そのたびに名前が変更になっているため。

クジネ 70.01 アルカンシエルNo.3:初飛行時。全長16.13m。全幅30m。1時間半飛行。イスパノ・スイザ12Lb(650馬力)3基に、グノーム&ローン製3翅ペラの組み合わせ。車輪カバー未装着。

クジネ 70.01 アルカンシエルNo.3bis:初飛行後、小改修を受ける。エンジンフレーム、エンジンカウルなど変更。左右エンジンが翼前縁に対して垂直(機軸に対して3°外向き)なのはこの改修以降? 大型の車輪カバーが付く。登録され、「F-AMBV」の登録記号を得て、これが記入されるのもこの時から。胴体下面に「René Couzinet」と大書(当初は横書き、長胴体型になってからは縦書き?)。これらのマーキングは、少なくともこの時点では赤だったらしい。32年12月に、ショヴィエール製2翅ペラに交換。全長変わらず16.13m。1933年に2度の南大西洋横断(メルモーズによる最初の往復飛行を指すと思われる)。

クジネ 70.01 アルカンシエルNo.4~No.4bis :大改修。延長型の新しい胴体。全長21.45m、全幅は変わらず30m。エンジンカウルも再び新しくなる(胴体に合わせて機首も伸びる)。ラジエーター形状変更。胴体窓は前後が角形から丸型に変更。主翼、胴体間に大型のフィレットを追加(フィレットが追加されて当初は、翼の登録記号の一部が隠れた状態)。水平尾翼形状変更。胴体窓上に「FRANCE - AMERIQUE DE SUD」。水平安定板上に、「豚の耳」と呼ばれる補助方向舵を追加。一時(1933年12月?)エンジンに減速ギアを取り付けて4翅ペラを装着。

クジネ 71.01 アルカンシエルNo.5:胴体を後部で若干短縮。全長20.18m。エンジンも減速機を外され通常のイスパノ・スイザ12Nbになり、ペラも2翅に戻る。エンジンカウル形状等にさらに改修。フィレットは大型だが、No.4~No.4bisに比べるとやや小型化? 1934年に6回の大西洋横断飛行。最後の横断飛行(8回目)の後、胴体右の虹の帯の後ろに、1回目~8回目の横断飛行の記録(達成年月日)が、胴体左の同位置には南米の都市名が記入される。

クジネ 71.01 アルカンシエルNo.6:エンジンカウルに大幅改修。前面ラジエーターをやめ、顎下ラジエーターに。機首・ナセル前面は尖った形状になる。ハミルトン・スタンダード製ペラを装着。大きな車輪カバーは外される。全長20.18mで変わらず。国が購入しエールフランス所属に? ただし実際の商業飛行には使われなかったようで、その後、エンジンを取り外された状態で競売に掛けられ、ルネ・クジネ自身が買い取ったらしい。結局修理再生されることもなく、第2次大戦中に破壊されてしまったようだ。

とにかく、1機しかないにも関わらず、やたら小刻みにあちこち変更されていてややこしい。

ちなみに上に埋め込んだYouTubeの動画中でも、最初に登場するのは短胴体の70.01(たぶんアルカンシエルNo.3bis)。フィレットも小さく、側面窓が角形なのが45秒あたりから確認できる。1分15秒から写っているのは長胴体型(アルカンシエルNo.5?)で、大きなフィレットと前後が丸くなった窓がわかる。

ワンオフの特別な機体を、極限の飛行に合わせて細かくカスタマイズしていったと言えば聞こえはいいが、胴体の延長や大型フィレットの追加、補助方向舵の増設などは安定性や方向舵の効きを改善するための措置で、どうもルネ・クジネがこだわり続けた尾部形状が悪さをしている可能性は高いように感じる。その後、誰もこの「新機軸」を真似ていないのも、その傍証のように思う。

▼エレールのキットについて

上述のように、キット名称は「70.02」で、これは上記のリストでは、おそらく胴体延長改修後のアルカンシエルNo.4もしくはNo.4bisを指しているのだと思う。とはいえ、なにぶんにも古いキットということもあってか、細部の特徴はいくつかの時期のものが混ざっている。

  • キットの全幅は40cmで、これは実機各型の全幅30mのきっちり1:75。全長は26.6~26.7cm(スピンナーの分は適当に足しているのでいい加減)で、75倍すると約20m。アルカンシエルNo.5とおおよそ等しい。半端スケールではあるが、一応スケールに拘っているようなのは嬉しい。
  • 主翼・胴体間は大型フィレット付き(おそらくアルカンシエルNo.5の形状に近い)。
  • 胴体窓は角形でアルカンシエルNo.3bis以前。
  • プロペラは3翅で最も初期のアルカンシエルNo.3仕様。
  • 機首も胴体に合わせて長く、エンジンカウル形状はおおよそアルカンシエルNo.4?
  • 水平尾翼形状はアルカンシエルNo.4以降の改修型。「豚の耳」補助方向舵付き。
  • 主車輪、尾輪は大型カバー付き(アルカンシエルNo.3bis以降)。

とにかく、胴体と機首が長く、大型のフィレット付きの形状になっているという時点で、アルカンシエルNo.5として作るのが最も素直な道ということになる(もちろん、実機の仕様を追おうなどと考えずにキットのままに作るという方針を取らないのであれば、という前提のもとでだが)。

ちなみに、最初の横断飛行を成功させた短胴体時代の70.01 アルカンシエルは、1:72のレジンキットが模型友達である小柳氏の「赤とんぼワークス」から出ていた。

上記のように、各時期の特徴が混在していること以前の問題として、キット自体が古く、全体のスタイルの捉え方も甘く、パーツ構成やモールドも大味であることなどが挙げられる。

私がこのエレールのキットをいじったのは、ずいぶん昔のことで、以来、たぶん20年くらいは放置していたものなので、工作自体も曖昧になっているが、とりあえず、大掛かりにいじったところなどを中心に。

20220311_161213アルカンシエルの胴体は合板張りの強みを活かして、やたらに滑らかな曲線で構成されている。実機の胴体断面形は中心部あたりでも上すぼまり。側面窓が途切れたあたりからは、もうほとんどおむすび型になっているはず。エレールのキットは、胴体中心部あたりでは長方形断面に近く、そこからだんだん上部が狭くなっていくのだが、垂直尾翼として立ち上がっていくあたりになっても、まだ上に平面部を残している。キットをストレートに仕上げた作例がネット上で見られるので、参考までにそちらへのリンクを(もちろんこれはこれで、デスクトップモデル風に美しく仕上げてあって良い感じ)。

(おそらく、その他のさまざまな不都合を無視してまで)ルネ・クジネが追及したかった、抵抗の少ない流麗なラインがだいぶ損なわれている感じがあり、内側から裏打ちし、胴体後半を大胆にゴリゴリと削り込んだ。古いキットの大振りなパーツなのでプラの厚みも結構あるのだが、削り込みの結果、(写真にもちょっと写っているが)胴体上端あたりに裏打ちがちょっと見え始めている。

実はこれでも削り込みが不足で、もっと胴体の前側からなだらかに丸まっていないといけないのだが、そうすると胴体に穴が開いてしまいそう。

20220311_140053「うーん、もうちょっと削りたかったなー」と思いつつも削れないのは、胴体窓の形状を変更(角形→丸形)したいというのもあって、透明プラバンをはめ殺しにしてあるためでもある。とにかく外形を何とかしたかったということもあって、「どうせほとんど見えないよね」と、キャビン内部は何も工作していないのでがらんどう(もともとキットにも機内パーツは何も入っていなかったと思う)。

天井の明り取り窓は、キットでは確か四角くモールドがあっただけ(あるいはモールド自体なかったかも)で、ここは開口だけして放ってあった。

20220311_161121キットの機首はやや細すぎる感じ。機首下面が直線的に上がっていて、ふっくら感が足りないので、プラバン片とパテを盛って、ちょっと膨らましている。

その際に、機首の細かいルーバーのモールドは(もともとちょっと頼りないが)一部消えてしまっていて、これは将来的にはまとめて再生する必要がある。

排気管は一目で「あ、イスパノ・スイザだ」と判る「1・2・2・1」構成。機首左右下側には、イスパノ独特の三連の吸気口も製作する必要がある。機首前面にはラジエーターがあるのだが、キットのパーツはプリミティブな出来で、これも自作覚悟。

コクピットの窓枠が破損しているが、これは、そもそも「コクピット側面窓の形状もおかしい」「凸モールドがあるだけで天窓が表現されていない」などの問題があり、ここはノコギリで天井から大きく切り開き、作り替える予定があるので構わない。コクピット内も現在はがらんどうだが、その際についでに最低限の表現を制作するつもり。ちなみにこの機は、これだけ大型機であるにもかかわらず、操縦輪は左側に1つだけで、副操縦装置はない。

20220311_140355機首が細すぎる感じな一方で、両ナセルは寸詰まりで、とても同じエンジンが入っているように見えないので、こちらは一度ノコギリで切り離して、プラバンを挟んで3mm延長した(延長した長さは目分量)。

この際の工作で、ナセルの表面モールドは完全に削り落としてしまっている。機首もそうだが、細かいルーバーの再現ってどうしたらいいんだろう……というのが放置に至った直接の原因だったような気もする。

ちなみに実機では、左右ナセルに向けて厚翼の翼内に通路があり、這って行ってエンジンの点検修理ができるようになっていたらしい。宮崎駿さんあたり、好きそうだ……。

20220313_121409下面は、前述の機首を膨らませた以外にも、段差やヒケなどが多く工作跡(あるいは工作途中跡)がだいぶ汚らしい。左主翼下面が白いプラバンに替わっているのは、キットのパーツが複雑にねじくれ、波打っていて、修正して使うよりも交換してしまった方が話が早かったため。

ちなみにこの下面パーツはナセル下面と一体になっているので、ナセル部分だけは切り取ってキットのパーツを使っている。

上面、下面ともエルロンの表現は凸筋+パーツの分割線のみ(それを言うなら機首のパネルラインや方向舵も凸筋だが)。凸筋は削ってしまったしパーツ分割線は埋めたので、後々資料を見つつ彫り直す必要がある。

| | コメント (3)

郵便機がらみの脱線話(2)

20220227_200939 ●前回に続いて押入れの守り神的ストックのレビュー(守り神がやおよろず状態)。フランス製の簡易インジェクション、HiTech 1:48のブレゲー14B2。

武骨で、四角くて、頑丈そうで……およそ「洗練された格好良さ」とは無縁な感じだが、しばらく見ていると、それが逆にちょっと魅力的に見えてくる感じの機体。

フランスお得意の(というか、戦間期までは各国がしきりに開発していた)多座多用途機のハシリにして初期の成功例のひとつで、これの後継機が前回のポテーズ25や、同メーカーのブレゲー19あたり、ということになる。

大昔、オーロラの1:48シリーズにも取り上げられていたくらいなので、第一次大戦機のキット化アイテムとしては最古参の部類ということになる。実は、私は子供時代にオーロラのブレゲーを組み立てたことがある……らしい。「らしい」というのは、おぼろげな記憶で、「やけに角ばった感じの、それなりの大きさがある複葉機のキットだったこと」「主翼を前から押している地上員のフィギュアが付いていたように思うこと」くらいしか覚えていないからだが、該当するキットは、おそらく、オーロラのブレゲー14しかない。

まだプラモデル趣味に目覚める前で、当時の子どもの常として「時々プラモデルを接着剤ベタベタで捏ね上げるだけ」だった私が、なぜ輸入品の第一次大戦機などというマニアックな品を手にすることになったのか、今では確かめようもない謎である。

閑話休題。そんなキット化史を持つブレゲー14だが、その後は長く後継キットに恵まれない時代が続いた。

80年代、悪名高い草創期の簡易インジェクションメーカー、マーリンから72キットが発売され、(よせばいいのに)入手したことがあるが、でろでろのプラパーツ(前回のHITKITの比ではない)というだけでやる気を無くすのに、なんと私の入手したキットは、胴体の同じ側が2つ入っていた。購入した模型店に連絡をしたら、「えっ!? では、すぐに交換します。在庫確認しますんで……。あっ! 申し訳ありません、こっちの在庫も同じ側が2つでした……」と言われた。右左別々で2枚ずつならパーツだけ交換で済んだのに……(これって前にも書いたような気がする)。

そうした前史の末に、ようやく手に入れた比較的まともなキットが、このHiTech製の1:48 ブレゲー14B2ということになる。なお、72ではペガサス、その後AZmodelからもキットが出ている。

ちなみにキット名称末尾の「B2」は(たとえばメッサーシュミットBf109E-4、みたいな)生産順によるサブタイプ記号ではなく、フランス独自の機種識別記号で、爆撃機(Bombardier)で複座(2人乗り)を示す。ニューポール17C1、モランソルニエ406C1とかも同様で、これは戦闘機(Chasseur)で単座。

ブレゲー14の主要生産型としては、他に偵察機型のA2があって、これも「偵察機・2人」の略号だが、Aが何の頭文字なのかはよく判らない。フランス語で偵察機は「Avion de reconnaissance」だが、「Avion」は単純に航空機のことだから略号にするならRを使いそう。Accompagné(随伴)とか、あるいは実際にこのA2機が配属されたCorps d'Armeéを示しているのかも。

ちなみにこの頃のフランスの陸上の航空隊は全体が陸軍に所属していたはずなので、後者のCorps d'Armeé(直訳すれば陸上部隊)は陸軍所属を示すのではなく、爆撃隊とか戦闘機隊とかと並列で、偵察・空撮・弾着観測・リエゾンなどの地上支援を担当する部隊のことであるらしい。

●前置きが長くなったが、そろそろキットの中身を。

20220227_201323 20220227_201203 20220227_201717 20220227_201702

中身は簡易インジェクション製の主要プラパーツ、レジンとメタルの小物パーツ、エッチング、デカールとインスト。

単発機とはいえ結構大柄な機体で、2枚目写真にあるように、手のひらと比べても主翼はだいぶ大きい。胴体横・後席脇に窓があるのはたぶん爆撃型の特徴。下翼に出っ張りがあるのも爆撃型の特徴で、この出っ張りは下翼下面に装着されたミシュラン製の爆弾架(小型爆弾なら左右各16個懸架可能)のもの。下翼後縁が、ほぼ全スパンに渡ってフラップになっているのも爆撃機型だけの特徴らしい。ちなみにアエロポスタル社で使用された郵便機は、おそらく窓や爆弾架のないA2仕様をベースにしているのではないかと思う。また郵便機型は(ネット上で作例等見ると)下翼左右(B型で爆弾架のあるあたり)に貨物(郵便袋?)収納用のコンテナをぶら下げているようだ。

胴体表面の布張りの縫い目、翼のリブ表現などはそれなり。簡易インジェクションで第一次大戦機を出し始めたころのエデュアルド並み、くらいか(通じにくい評価)。私の入手したキットでは、下翼の爆弾架部分の表側に、あまり目立たないながらも、わずかにヒケがあった。裏側ならエッチングを貼るので、いくらヒケててもいいのに……。

胴体下面はモールドの方向もあってつんつるてんだが、実機は何かディテールがあるかもしれない(資料不足でよく判らない)。

びっしりとルーバーの入った機首側面は、プラパーツは一段窪んでいて、エッチングパーツを貼る構成。

20220227_201455 20220227_201527 20220302_205457

割と大判のエッチング(横約10センチ)は、前述の機首側面パネル、爆弾架、後席機銃架、窓枠、前面ラジエーターのシャッターなど。機首側面のルーバーがペッタンコ表現なのはちょっと残念な感じがするが、かといって、ここを綺麗に膨らませて、かつ綺麗に形を揃えるというのは非常に面倒くさそうだ。

メタルキャストパーツはペラ、脚柱、機銃。本機に使われたプロペラは数種あるらしいが、キットは最も標準的に用いられたラチエ製。レジンパーツは機首前面のラジエター、車輪、座席と、オカリナのような形の排気管。

20220227_201800

デカールシートは、確か今はもう活動停止してしまったエアロマスターデカール製の美しい印刷のもの。縦横13cmちょっと程度あるが、塗装例1種のみに対応。シリアルNo1333はボックスアートの実機写真にある機体で、説明書によれば1918年6月、エスカドリーユBR117所属である由。フランス航空隊の中隊(エスカドリーユ)名は機種別になっていて、BRはブレゲー装備を示す。

たとえばエースとして名高いジョルジュ・ギヌメールの所属は第3戦闘機中隊だが、モラン・ソルニエ装備時代はMS3、ニューポール時代はN3、スパッドに替わってからはSpa3と変遷している。

| | コメント (18)

郵便機がらみの脱線話(1)

●ロシアのウクライナ侵攻が始まってしまった。

独ソ戦の話ではなく、まさか21世紀の今になって「ハリコフ攻防戦」が現実に起きるなどとは思わなかった。

多くのウクライナ人にとっては「隣国(他国)の侵攻」である一方で、プーチンにとっては(あるいは多くのロシア人にとっては)「自国内の問題」という意識なんだろうなあ、と思ったりする。そういえば、ロシアの民族的英雄であるイリヤ・ムロメッツは「キエフの大公」に忠誠を使っているのだった。

それはそれとして、NHKのニュースにおいても、「第二の都市ハリコフへ云々」と言っているのがちょっと気になった。当然ながら報道は立場としてはウクライナ寄りなのだけれど、それでいてなぜに都市名はロシア語? ハルキウって言うべきなんじゃないの? いや、それを言うならキエフもロシア語名で、ウクライナ名はキィフ? 一方でなぜリヴィウだけは各ニュースでウクライナ名? などと、なんだか脇道に逸れたあたりが気になったりする。

ちなみに、ウクライナ外務省推奨の正しい地名呼称(より現地発音に近い表記)は、キエフ→クィイヴ、ハリコフ→ハルキヴ、そして国名は「ウクライーナ」だそうだ。

●24日木曜日に3回目のCOVID-19ワクチン接種。当初2回はファイザーで今回はモデルナ。もともと1,2回目の時は「同種のワクチンを」と言っていたのが、なんで急に「交互接種は有効」ということになったのか、どうにアヤシイものを感じてしまうのだが、明確に「そりゃおかしいだろ」という根拠を持っているわけでもないので大勢に流される。翌日肩が痛かったが、特に発熱などはなかった。

20220226_153957_burst01 ●久しぶりに佐助稲荷に行く。

どうも小学生女子としては趣味の方向がよくわからない我が家のお嬢が、先週末だったか、一人で佐助稲荷に行って来たのを聞いて、「そういえばすっかりご無沙汰だな」と思い出したため。

数年前の台風による倒木で大被害を受け、本殿と拝殿が潰れてしまったと聞いてから行っていないから、少なくとも3年以上行っていないかも。考えてみれば、近年、山歩きは逗子から南側・西側が主で、衣張山・朝比奈方面以外の鎌倉外縁の山もほとんど歩いていない。

久々に行った佐助稲荷は、拝殿は白木造りの新しいものが建っていたが、その奥の本殿は倒壊・撤去されたままで、陶器の小さな狐がぎっしりと並べられた中に、神棚に毛の生えたような小さな仮の本殿が置かれていた。本殿脇からは、本来は尾根上の大仏ハイキングコースに上がる道があるのだが、そちらはなお通行止めのようだ。参道の鳥居の列も、以前は木製の古いものが混じり、また腐って倒れて根元しか残っていないものもちらほらあったような気がするのだが、ほぼすべて樹脂製の新しいものになり、抜けも補充されているようだ。

●hn-nhさんが昨年買ったキットのリストを挙げた中に、AZUR-FRROMの1:72 ポテーズ25があって中身が非常に気になっていたのだが、hn-nhさんのブログ「ミカンセーキ」にレビューが上がった。

Le Potez25 de l'Aeropostale

hn-nhさんのことなので、単に「キットの出来はこーじゃ」みたいな味気ないものではなく、(もともと軍用の多用途機として開発されたものの)サンテクスの著作でも有名な郵便飛行の使用機として活躍したあたりをじっくり書いていて、読んでワクワクする。

もちろんキットの紹介も抜かりなく、一緒に購入されたらしいSpecial Hobbyの郵便機入りデカールのインストに従って、後部銃座を普通の座席に改造する作業も済ましていたりしてなかなか楽しい。

もともと、AZURはチェコのMPM/Special Hobby系の中で、フランス企画の機体をリリースするラインナップだったと思う(箱に「Design and conception in France. Tooling and molding in Czech Republic(設計・企画はフランスで、製造・生産はチェコで)」と書かれている)。FRROMはそのまた派生レーベルで、今度はルーマニア企画でキット開発が行われているらしく、FRROMは「From Romania」の意味ではないかと思う。それを示すかのように、最初はルーマニア国産のIAR-39とか、ルーマニア型(双発型)のサヴォイア・マルケッティ79とか、ルーマニア関わりの機体が多かったのだが、その後は割と曖昧で、同じキットのバリエーションが、AZURとAZUR-FRROM、Special Hobbyとレーベルをまたがったりしていることも多い。

ポテーズ25は、さすが戦間期に割合ヒットした機体だけに、ロレーヌ型もイスパノ型もルーマニア軍で使用されているらしく、FRROMで取り上げるだけの関連性はあるようだ。

●さて、そのフランスの郵便飛行会社でエールフランスの前身でもある「アエロポスタル」は、いろいろな機体を郵便機として使用しているのだが、なかでも代表的なものが、第一次大戦機払い下げのブレゲー14、上記のポテーズ25、そしてより新型で大型のラテコエール(ラテ)28が三羽烏、というところではないかと思う。

hn-nhさんのところで新しいAZUR FRROMのキットを見ると、ビシッとキレもよく、私も一つ欲しくなってしまうのだが、実は我が家には、もっと古いポーランド製の簡易インジェクションキットであるHITKIT製の1:72 ポテーズ25が、エンジン違いで2、3種ストックがある。一方では、第一次大戦直後の郵便飛行草創期の主役だったブレゲー14も、フランス製簡易インジェクションのHiTech製、1:48キットがある(もしかしたらペガサス製の1:72キットもある)。

特に前者については、AZUR FRROMのキットを見てしまうととてもこれから作る気にはなれないシロモノだが、せめて賑やかしで(くやしんぼうで)キット紹介くらいはしておこうと思う(どちらも純軍用機仕様なので、郵便機としての話題からは逸れてしまうが)。

20220227_201100 ●まずはHITKIT、1:72のポテーズ25。

ポーランド製の簡易インジェクションで、scalematesによれば90年代半ばのリリースだったらしい。各種搭載エンジン別にバリエーションキット化されていて、私も「まさかこんな機種がキット化されるとは!」と舞い上がってしまって、数種買い込んで、そのまま死蔵して今に至る。紹介するのは、たまたま押し入れの目につくところにあった、グノーム・ローン「ジュピター」エンジン搭載型。輸出仕様で、キットのデカールはフィンランド空軍1、エストニア空軍2、クロアチア空軍2、ユーゴスラビア空軍1に対応。マニアック過ぎる……。

キットは薄っぺらいキャラメル箱入りで、構成は、「いかにも(一昔前の)簡易インジェクション」という基本プラパーツ、エッチングパーツ、メタルキャストパーツ(エンジンのみ)、デカールと説明書。

肝心のプラパーツはこんな感じ。

20220227_212317 20220228_201530 20220227_212411 20220227_212550

1枚目は2枚合わせの上翼と左右胴体。貼り合せる内側は、粘土をこねくり回した跡?みたいな表面。胴体は、左側はまだいいとして、右側は下縁に沿ってウネウネとヒケ(というか波打ち?)が生じていた(写真2枚目)。小物パーツ(3,4枚目)は、モールドの状態は見ての通りで、取り付ける前にバリだの荒れだのをクリーニングするの大変そうだが、コクピット内のフレームもパーツ化されていたり(それがキットの胴体パーツにきちんと収まるのかどうかは別問題)、たぶんエンジンの別に応じてペラも2種入っていたりと、キット企画・設計者の気合は十分に感じられる。……のが、逆にわびしい。この気合に見合う技術があればなあ。

20220227_212520 20220227_212454

ジュピター・エンジンは、ころんと、これだけ一つメタルキャストのパーツが入っている。このエンジンが付く機首部分のパーツが右写真で、上で紹介した胴体パーツの先端を切り飛ばして挿げ替えろという、なかなかスパルタンな構成。なお、キットの基本胴体はロレーヌやイスパノ装備型にはとても見えないので、おそらく、ポーランド仕様のブリストル・ジュピター装備型を基本にしているのだと思う。さすがポーランド製キット。ちなみにポーランド軍仕様は、同じジュピター装備でも、エンジンにタウネンドリングが付いているなどの違いもある。

20220227_212156 20220227_212055

エッチングパーツは左写真のような感じで、プラパーツとは隔絶の出来。しかし、AZUR-FRROMのポテーズにも専用のエッチングは付いているだろうし、これだけ有効活用する必然性も高そうにない。デカールはシート自体が端の方で変色していて、今でもちゃんと使えるかどうか不安な状態。

●長くなったので、HiTech 1:48のブレゲー14B2のレビューは改めて。

| | コメント (4)

KV-2「ドレッドノート」(3)

20220213_220809 ●相変わらずのKV三昧。

1940年型・第371砲塔搭載型のフェンダーをL字材溶接タイプに変更した一方で、ついでにもう一つ作りかけのKV-2初期型のフェンダーをいじる。こちらは幅詰め工作が未成(キットの縁を切り取っただけ)だったので、改めてリベット付きの縁を工作する。

なお、「どうせリベット付きのフェンダーを作るなら、1940年型のほうの(工作済みの)フェンダーをこっちに使って、改めて作る方を溶接タイプにすれば手間がひとつ減るのでは」というのは、前回記事の工作前にも思ったのだが、1940年型のほうのフェンダーはすでに車体に接着済みだったこと、さらに右フェンダーはダメージ工作をしてあったことなどから断念した。

●というわけで、改めてリベット付きの縁を作る。

幅詰めは、もともとのL字材部分のモールドを切り離して、断面をちょっとヤスってやると、だいたい求める幅になる(適当)。ここまではすでに作業してあったので、フェンダー支持架のベース部分を、一番外側のボルト頭のモールド(本当はナット)ギリギリあたりまで削って、L字材の水平部分を取り付けるスペースを稼ぐ。

リベット付きのL字材水平部分は、タミヤの2mm厚プラペーパーの細切りに、ちょっと先端を鈍らせた針でつついて表現した。以前に作ったときは、もっと薄いプラペーパー/もっと細い針の組み合わせだったが、今回は若干改良。リベットも以前よりやや目立つ感じに出来た。

縁を工作したら、フェンダー支持架のボルト頭のモールド(しつこいようだが本当はナット)も、一番内側だけは残して、後は少しずつ内側にずらすように移植する。

20220206_120658 20220206_195945

左写真はこの段階まで工作したもの。L字材の縦に立ち上がった部分はまだ付けていない。

なお、リベット止めタイプのフェンダーの場合、前部フェンダー内側にも本来はリベットがあるのではないだろうか……ということで追加した(右写真の左側)。なお、位置等は(リベットタイプが復活した)1941年型の、アバディーンに展示されていた車輛のwalkaroundを参照したが、初期型のKV(KV-2およびKV-1の1940年型前期型まで)でも本当にこの部分にリベットがあったかどうかは、当時の写真ではきちんと確認できていない。

また、最前部フェンダー支持架部分は、パーツの取付穴が後々ちょっと目立つので(というのが1940年型で作業して分かった。KV-2量産型を作ったときにはそもそも気にもしていなかった模様)、この段階で埋めておいた。

●フェンダーのパーツに合わせて、その上に載る工具箱も幅広なので、こちらも幅詰め工作が必要になる。

20220203_230441 20220203_230546

トラペのKVでは、工具箱は初期型(H1)・後期型(D20)の2種がパーツ化されている。左写真、箱横に被るナナメのベロがなく、正面に取っ手もないのが初期型(左)、あるのが後期型(右)。

キットによっては両方のパーツが入っていて(例えばKV-2後期型)「どっちを使ってもいいヨー」みたいな扱いになっていたりするのだが、前にも書いたように、この工具箱は生産時期によってどちらが使われたか、はっきり決まっている(KV-2後期型なら後期型の工具箱)。また搭載位置も、初期型は右1・左2であるのに対し、後期型は右2・左1が標準。トラペのKV-2後期型の説明書ではどちらも右1・左2で付けるよう間違えて指示されているので注意。

1940年型のほうはすでに工作済みだったので、今回はKV-2初期型用の初期タイプの工具箱3つのみ工作。奥側の上面が水平になった部分でエッチングソーを使って切断。フェンダーに合うよう、こちらも幅詰めを行う。右写真がbefore(左)/After(右)。

KV-2ディテールチェック記事にも書いたが、KV-2初期型の主砲身は、主量産型と形状に差がある。

顕著な違いは砲口部分の“たが”状の段差がないということだが、キットには主量産型と同じ砲身パーツしか入っていないうえ、「そもそもトラペのKV-2砲身は短い」という難点も抱えている。

(なお、アフターパーツの金属挽き物砲身で出ているのは、当然、主量産型用のものが主なのだが、実はこの初期型砲身もMagic Modelsというメーカーから出ている、というのを後から知った)

幸いなことにKV-2の砲身はテーパーが掛かっておらず、waveのプラパイプの6.5mm径のものが、ほぼピッタリなことが判ったので、これを使うことにする。ただし、waveの肉厚パイプでも内側の穴の径は4.7mm。152mm砲(正確には152.4mmらしい)のスケール寸法は約4.34mmなので、ちょっと狭めてやる必要がある。

そもそも口径がデカくて目立つので、できればライフリングも入れてやりたい。細い伸ばしランナーでも並べて貼るか? いや、さすがに作業として現実的ではないか? などとあれこれ考えているうち、ふと思いつきで、「エッチングソーでプラバンに平行の筋をケガいてみたらどうだろう」と考える。

というわけで、早速0.3mmプラバンを相手に試してみたのが下写真左。

20220213_173145 20220213_180744

本来ならば、エッチングソーがブレないようにきちんと当て木でもして作業すべきだが、一応、片側に定規(金尺)を当てただけで適当に作業する。ある程度何度かケガくと、今度はケガいた溝自体がガイドになって、(1cm足らずの短い距離であることも手伝って)比較的ブレずに作業できることが判った。

そうしてケガいたプラバンを丸めて、実際にプラパイプの砲身に接着してみたのが右写真。

もうちょっと深くケガくべきだったかなあ。というわけで、ライフリングの形状や条数はまったくいい加減だが(そもそも本来は畝と溝がそれぞれ同じくらいの幅なのではないだろうか)、一応、実車と同じ向きにらせん状にヒネリは加えてある。市販の金属挽き物砲身だと、単純にまっすぐギザが刻んであったりする。

なお、主量産型の砲身は、二層になった外側のスリーブが3分割されていて途中に分割線が(写真によっては)うっすらと見えるのだが、この初期型砲身の場合はどうなっているのか、よくわからない。前記のMagic Modelsの砲身パーツは商品名が「152 mm M-10T howitzer monoblock barrel. KV-2 (early)」となっていて、どうやら分割無しのワンピース構造であるという解釈らしい。とりあえずはそれに倣って、分割線無しの解釈で作業を進める予定。

ちなみに、waveのプラパイプは5本セット。1本からKV-2の砲身が4本とれるので、あと19輌、KV-2(初期型)砲身が作れる。……それ以外に使い道が思いつかないプラパイプ。どうしてくれよう。

| | コメント (6)

KV-1 1940年型装甲強化砲塔 (4)

●KV-1 1940年型・後期仕様(第371製・装甲強化「角砲塔」搭載型)製作記の続き。それにしても、毎回、仕様の呼び方が定まっていないのは我ながら如何なものか。

●砲塔の工作は前回までで一通り終わったので、車体の工作に入る。

実際のところ、車体はトランペッター・ベースで、ラジエーターグリルのメッシュ・カバー部を除いて一通り工作終了していたのだが、砲塔を新調したのに合わせて、その後の知見・考証を加味して若干の修正や追加工作を行うことにする。

一番のポイントはフェンダー。もともとトランぺッターのKVシリーズのフェンダーは、初期型(~1940年型)では幅が広すぎる(なぜか後期型では正しい)という欠点を抱えていて、これについては以前に幅詰め工作終了済みだった。

20180503_133804

上写真は何年か前に工作した際のものだが、もともとのパーツの外側縁部分を切り落とし、その内側に新たに縁を作り直している。この際に、外縁のL字材を止める小リベットを、プラペーパーの裏から針でつつくという方法で再現している。

……が、これに関して新たな疑問が発生。

発端はタミヤの新KV-1の発売なのだが、タミヤのキットのフェンダーには、内側・外側の小リベット列が存在していなかった。改めて写真をひっくり返して検証してみたところ、どうも時期によっては、フェンダー内側(裏側)・外側のL字材はリベットではなく、溶接で止められているタイプがあるらしいことが判明。

Kvfender

とりあえず、KVのフェンダーを断面図にすると上のような感じになる。単純な平板の本体に、外側には上、車体側には下に補強のL字材が付けられている。ここがリベット止めの場合は、赤の矢印で示した部分にリベット列があり、溶接止めの場合には接合部に沿って破線状に溶接跡がある。ちなみに真ん中下のもう一本のL字材はフェンダーステイのボルトで固定されていて、フェンダー本体は単純にこれの上に載っているだけなので、フェンダー表側には何も影響を及ぼさない。

以上のことについては、セータ☆さんの検証記事が詳しい(リンクは(1)に張ったが、記事は(5)まである)。

→ GIZMOLOGIC CAFE KV重戦車のフェンダーについて(1)

なにしろ現存車輛ではオリジナル状態で残っていることが少なく、戦時中の写真ではなかなかはっきりと確認できる例が少ないのが悩ましいが、どうも、レニングラード・キーロフ工場における1941年初夏のエクラナミあたりから溶接タイプが使われ始め、チェリャビンスク疎開後は再びリベットタイプに戻ったという変遷のようで、この「371工場製砲塔搭載型」は、まさに溶接タイプどまんなか、ということになる(もちろん、絶対にそうなっている!と言い切れるほどの材料があるわけではないが)。

そんなわけで、せっかく縁の再生も終わっていたフェンダーだが、改めて溶接タイプに作り替えることにする。

●ここで選択肢。すでにリベット付きで幅詰め工作をしてあるトラペのフェンダーを作り直すか、それとももともと溶接タイプの表現になっているタミヤのフェンダーに交換してしまうか。

ただし、両社のフェンダーに関しては、先日、「ハラT」青木伸也氏に、

「ヘイ! タミヤとトラペとで、フェンダーの支持架の間隔が違うZE! ちぇけら!」(大意)

みたいなコメントを貰っていて、これまたいささか悩ましい。

とりあえずタミヤとトラペのフェンダーを並べて比較してみる。

20220201_022223

上からタミヤ、トラペ(初期型)、トラペ(後期型)。前述のように、トラペ初期型だけやや幅が広く、タミヤとトラペ後期型はほぼピッタリ同幅。

ぱっと見には「まあ、似たような感じ」ではあるものの、詳細にみると、確かに青木氏の言うように、フェンダーステイの位置に若干のズレがある。便宜的に、車体最前部のクランク形のステイを0番、車体横の三角ステイを1~5番とし、ステイに区切られた区画をI~Vとして説明すると、

  • フェンダーの全長はタミヤが約1mm長い。
  • 車体横のステイ1番~5番間の距離は、タミヤ・トラペでおおよそ同じ。
  • 1番、5番で位置合わせをすると、タミヤは3番ステイでやや前方、4番ステイでやや後方にずれている。
  • 三角ステイで区切られた区画(II~V)は、トランペッターはほぼ全部同じ長さで34mm。タミヤは、II:34mm、III:33mm、IV:36mm、V:33.5mmと、若干不均等(ここで示した寸法はおおよそ0.5mm刻みのアバウトなもので、0.2~0.3mm程度の出入りあり)。

結局のところ、どっちが正しいの?というのが気になるわけだが、これについては差異が微妙過ぎて写真等では判別できず、誰かが(レストアの結果フェンダーステイの位置などが変わっていない)現存車輛で測ってくれない限り、答えは出そうにない。ちなみに、青木氏のコメントへの返事で「実車写真を見ると、4区画目のボックス前方は三角ステイとの間隔がちょっと空いているので、不均等のほうが正しいかも」と書いたのは、結局「たまたま見た写真でそんな感じがしただけ」だった模様。いい加減なもんだなあ。

ステイ間の絶対値ではなく、車体ディテールとの位置関係でチェックできないかとも思ったのだが、よく比べてみると、タミヤとトランぺッターでは車体上面ディテールにも若干の前後のズレがあって、どちらも、自社の車体と合わせた時には特に不自然はないようだ。個人的には、何も考えずにキットを設計したら等間隔にしてしまいそうで、タミヤのキットでわざわざ区画ごとにわずかに差があるのは実車の採寸でそうだったからではないか――というような気もするのだが、これまた単に想像に過ぎない。

結局のところ、どちらが正しいかの判断は(今のところ)付かず、であるならば「使い易い方を使う」以外の基準も持ちようがないので、元のトラペのパーツを再改修して使うことにした(タミヤのフェンダーを流用する場合、車体側にモールドされたステイのベロの移植が面倒になるので。

騒いだ割に、実のある答は何もなし。

●結局、もともと工作してあったトラペのフェンダーの外縁は一度削り落とし、リベット無し状態のL字材表現を再工作。フェンダー面に接する部分は0.2mmプラペーパー、縁の立ち上がり部分は0.3mmプラバンを使用した。

また、車体に接する側のリベット列のモールドもすべて削り落とした。

20220201_052842 20220201_052917

とりあえず上記の工作が終わった状態が上写真。ちなみにKVのフェンダーは、三角ステイのベロが両側に付いている場所(先の説明写真でいえば2番ステイと4番ステイ)を境にして3分割されており、作例では右フェンダーの前1/3は破損・脱落した状態として工作している。

| | コメント (2)

KV-1 1940年型装甲強化砲塔 (3)

●KV-1 1940年型の後期仕様である装甲強化・角形砲塔の作り直しの続き。

やり残しのメインである砲塔前面・砲周りの工作も終え、ディテールの残りも付加して、ほぼ工作を完了した。

20220128_235321 20220128_235016

●砲塔前面には、ブロック状の増加装甲を付けた。

このバッスル下が角形になった、第371工場製とされる装甲強化砲塔が搭載されたタイプは、(便宜的な径式名称では1940年型だが)1941年の8月から10月にかけてレニングラード・キーロフ工場で生産されたものだが(サイト「重戦車KV-1(Тяжелые танки КВ-1)」による)、ブロック状の増加装甲はそのまた一部にみられる。

この「ブロック付き」は、以前に書いた「KV maniacsメモ(砲塔編その1)」では、やはり上記サイトを出典として「特に1941年の8月から9月初めの生産分に見られるもの」と書いたのだが、今改めて(Google翻訳を通して)読み返しても、どこに書いてあったのかわからなくなってしまった。……あれえ?

В августе - сентябре 1941 года броневая планка наваривалась также перед люком в отделении управления, однако на машинах более позднего выпуска от нее отказались.

1941年8月から9月にかけて、装甲板も制御室のハッチの前に溶接されましたが、後の生産車両では廃止されました。(google翻訳による)

という一文は見つけたが、これは車体ハッチ前の防弾リブのことを言っているような気がする。

もっとも、この仕様の車輌で使われている、ボルト12本タイプの起動輪ハブカバーは、やはり1941年晩夏~初秋の生産車の特徴であるらしいので、生産時期はさほど外れてはいないと思う。

このブロック装甲が、砲塔生産工場である第371工場で最初から付けられていたのか、最終組立工場であるレニングラード・キーロフ工場で追加されたのか、あるいは生産後にどこかでまとめて改修されたのかはよく判らないが、いずれにしても、同一仕様が複数確認できるので、ある程度まとまった数が作られたのは間違いない。

20220128_235047 20220129_105351

ブロック装甲は、トラペ・ベースで一度作った砲塔から移植しようと思ったのだが、がっちり接着されていて剥がれなかったので、もう一度作り直した(TFマンリーコさんより伝授された「エナメルシンナー剥がし」は便利で、今回も部品の移植に多用したが、やはり万能ではない。場合によっては部品自体がもろくなって割れるので、注意が必要)。厚みは目分量で1mmプラバンの2枚重ねの2mm。実車寸法だと70mm装甲ということになるが、本当に70mmだったかどうかは不明。

砲塔前面の砲耳カバー左右の面積には差があるので、このブロック装甲も左右で形状が異なる。写真を見ての印象通りに作るのは意外に難しい。また、タミヤの砲塔前面パーツは、どういうわけか、砲耳カバー位置決め用に溶接されたリブが左右で厚みが違う。タミヤが取材対象にしたのではと思われるモスクワ中央軍事博物館の現存車輛では、たとえば右側はこんな感じで、左側はこんな感じ。う~ん。同じような、違うような。もしかしたら、片方をちょっと高くしておくことで、砲装着時に横からずらして引っ掛け、位置決めをしやすくした――なんてことも、ありそうな気がする。

まあ、これ自体はパッと見て違和感もないのでよいが、ブロック装甲を取り付けようとすると、左側リブの溶接で形成された斜面(右写真の黄色矢印部分)がエッジに接するまであるために、そのままではブロック装甲の上部と砲塔のエッジとの間にスキマが出来てしまう。そこで、ブロック装甲接着前に、この斜面部分は僅かに削り込んだ。

●防盾上部カバーを工作。

タミヤがキット化している1941年型(ZIS-5搭載)は、1940年型(F-32搭載)に比べて防盾が厚くなっているため、防盾上部カバーも大型化しており、タミヤのパーツをそのまま流用はできない。例によってトランぺッター(右写真)からもぎ取って来て使おうとも思ったが、実車写真を見ると、どうも微妙にディテールに差がある。

最初はタミヤのパーツを切り刻んで小型化して使おうと思ってあれこれいじり回していたのだが、いまひとつ綺麗にフィットせず、結局0.3mmプラバンで新調した。

20220128_235144 20220128_235218

トランぺッターのキットでは、全体的に、このカバーは後方・左右の折り返しを直接砲塔前面・砲耳カバーにリベットもしくはボルトで止めている表現になっている。しかし実際には、後方・左右ともに、取付用のベースを一度砲塔・砲耳カバーに溶接して、そこに折り返しを止めている。特に後方(砲塔前面側)は、トランペッターでは砲塔前面にペッタリ付く感じになっているが、実際には、エッジ部分に斜めに付いている(カバーが大型化した1941年型では、前面装甲板の小口部分にかぶさるようになる)。

このディテールについては当時の記録写真でもある程度確認できるものの、いまひとつ細部を詰め切れずにモヤモヤしていたのだが(こんな薄い鉄板製の部分は現存車輛では保存されていないとも思っていたのだが)、なんと、パロラのエクラナミで、おそらくオリジナルの状態のまま残っていた。たとえばDISHMODELSのアーカイブのコレとかコレで確認できる。素晴らしきかな。

そんなわけで、カバー後方は取付部が斜めになった状態を再現(左写真①)。このベロ部分のみは、タミヤのカバー部の後縁を切り取って流用した。左右は取付用のベースの上に、カバー本体のベロは小さなものが3つ(左写真②)。また、カバー本体の前縁は、改めて帯金を溶接して延長したようになっている(左写真③)。これはいかにも補修や小改造の痕跡のように見えるが、パロラのエクラナミだけでなく、当時の記録写真でも確認できるので(例えば「グランドパワー」1997/10、p33上写真)、これが標準の仕様であるらしい。

薄い0.3mmプラバンで新調した結果、防盾と干渉せずに済み、無理なく砲の仰俯も行えることになった。

今後発売されることがほぼ確実なタミヤのエクラナミではどうなっているかな……。

●砲塔後面の機銃マウントの追加工作。

20220128_235248

トランぺッターの砲塔から、接着済みの防盾をもぎ取って来て移植した(タミヤのパーツは砲塔枝以外のところにあるため)。これまたベースにがっちり接着してあって、「エナメルシンナー剥がし」をしようとしたらベースごと取れてしまった。一瞬、「それじゃあベースごとトラペにするか」とも思ったのだが、ベース形状はタミヤの方が良い感じだったので、さらに無理矢理防盾を分離。その際、真っ二つに割れそうになったのだが、なんとか補修した。

防盾下には、エンジンルーム上面誤射防止用(?)のガードが付く。これはトラペの砲塔で追加してあった金属片を移植。この砲塔では、ガードは金属板を曲げた形状だが、エクラナミあたりではもっとがっちりした突起が付いていたりする。

●ほか、手すりを付けたり(トラペのパーツを使用)、側方ペリスコープ下の跳弾リブに溶接跡を入れたり。

| | コメント (2)

KV-1 1940年型装甲強化砲塔 (2)

20220126_002131 ●「KV-1 1940年型の装甲強化砲塔搭載仕様」の、砲塔工作のやり直し。

前回砲塔基本形を作ったが、ある程度ディテール付加工作が進んだので進捗報告を書いておきたい。

●前回以降進んだのは、おおよそ以下の点。

  • 砲塔後面に埋め込みボルト跡を追加。
  • 尾部機銃マウントの基部を取り付け。
  • 各部に溶接線を追加。
  • ピストルポートの装甲栓を取り付け。
  • 主砲基部を工作。
  • 側方ペリスコープ下を削り込み。
  • 砲塔上面ペリスコープカバー、ツノ形ペリスコープを取り付け。

20220126_001322 20220126_001303

●砲塔後面の埋め込みボルト跡は、KV-2初期型の車体前端アングル材工作と同様に、「接着剤を垂らしてドリルのお尻でグリグリ」方式で再現。プラバンが白なので、ちょっと仕上がりが確認しづらく、最終的に塗装してみないとどんな具合かわからない。適当過ぎる……。

機銃マウント基部はタミヤのパーツを使用。なお、この基部パーツは、今回の改造用に入手したタミヤの砲塔パーツ枝(E&Qパーツ)に入っているのだが、防盾パーツは入っていない(車体機銃マウントのものと同形のため足回り枝に入っている)。今後、トラペのパーツを移植予定。

20220126_001416 20220126_001609

ちなみに上面ペリスコープカバーも足回り枝に入ってるので不足しているため、以前に作ったトラペ改造の砲塔から(エナメルシンナーで接着部分を弱めたうえで)もぎ取って来て移植した。後部ペリスコープは、(前回書いたように)周囲の縁の角がちょうど天井板の後縁に接するくらいの位置関係。そのため、カバーの「ひさし」部分は砲塔後縁から若干飛び出すくらいの感じになるのが、バッスル短縮タイプの溶接砲塔数種の特徴となっている。

●上の写真にも写っているが、砲塔前後面と側面装甲板の間の溶接ラインは二重線になっているのが、KVの溶接型砲塔の特徴(ただし作例は2二重線の間隔がやや大げさだったかも)。再現はいつも通り伸ばしランナーの接着剤溶かし。

20220126_001450

ピストルポートの装甲栓とツノ形ペリスコープは、これまたタミヤのパーツは砲塔枝に入ってない。ツノ形ペリスコープはやはりトラペからもぎ取って移植。ピストルポートの装甲栓はPaasion Modelsのタミヤ新KV-1用エッチングセットに入っている真鍮挽き物を使った。この挽き物は頭がペッタンコでタミヤのキットのプラパーツより再現度が低く、存在意義が問われる謎パーツだが、ヤスリで若干緩やかに丸めて使用した。

上面のペリスコープカバーは、タミヤのものとわずかにアウトラインが違うようで、特にこの側方のものはちょうどいい位置に付けようとすると、上面の取付指示用にうっすら窪んでいる輪郭がはみ出して見えてしまう。そのため、取付前に埋める余計な手間が必要だった。

側方ペリスコープ下の削り込みは、装甲増厚に対応したもの。

●砲耳カバー部はタミヤのパーツを使用したが、トラペの1940年型(76.2mmF-32砲装備)防盾に比べてほんの心持ち間隔が狭かったので、内側で一度切り離してプラバンを挟んでやや幅を増し、一方で防盾側も少しヤスって調整した。ちなみにタミヤの旧KV-1Bの同型の防盾は、逆にこの砲耳カバー部の間隔よりも幅が狭い。

20220126_001546 20220126_001514

内側の砲基部は、トラペの防盾がうまく付くように切り詰め、一応、上下動できるようにしてあるが、今後、防盾上のカバーの工作次第では接着固定が必要になるかも。

●前回は写真を載せなかったバッスル下の工作はこのような感じ。バッスル下の入隅に付く波状の補強材にも溶接跡を足した(どうせほとんど見えないので工作が荒っぽい)。角形に修正した部分には(面倒くさいので)特に底板などは付けていない。

20220126_002014

トラペの車体の砲塔穴にガタツキなくはまるよう、砲塔リング部にもプラバンを足したりして辻褄合わせ工作をしている。

| | コメント (2)

KV-1 1940年型装甲強化砲塔

20220110_150316 ●すっかりKVづいて、KV-2初期型以前に、ほぼ半完状態まで持っていってあった1940年型後期型(装甲強化砲塔搭載)も再びいじり始めてしまった。

キットとしては、トランペッターのキット番号00357、「40年型エクラナミ(Russia KV-1's Ehkranami)」なのだが、ボルト止めの増加装甲は付けず、砲塔はバッスル下が直線的に処理された装甲強化型砲塔に改造(以前のKV-1砲塔メモでは「短縮型・装甲強化溶接砲塔(90mm、バッスル下角型)(タイプ5)」としたもの)。車体もそれに合わせて細部をいじり、エクラナミよりも後、41年秋頃の生産車としている。おおよそ、レニングラードにおける疎開前の最終生産仕様、くらいの感じ。

当「かばぶ」にこれの製作記事は載っていないから、作り始めたのは「かばぶ」を始める前、つまり今から10年以上前のことであるらしい。もっともその時にここまで進んでいたわけではなく、以降も記事にはしないまでもちまちまいじっていて、Googleフォトをひっくり返して見たら、フェンダーの工作は2018年にやっていた。

あとはラジエーターグリルのメッシュカバーと履帯くらい、というところまで進んでいたのだが、そんなところでタミヤの新KV-1が発売されて、「実は溶接砲塔は非対称でした~」なんてことが発覚(以前にも書いたように、知っている人はとうに知っていることだったわけだが)。

それでもこれはこれで、もうそのまま作っちゃおう、それなりに砲塔も手を入れたし、などと思っていたのだが――もうしばらく前の話になるが、YSのパーツばら売りコーナーでタミヤの新KVの砲塔パーツ枝を見つけて、ついふらふらとゲットしてしまったのだった。

●というわけで、「さっさと作らないからこういうことになるんだよ馬鹿だねえ」の典型例というか、あるいは「ぐずぐずしていたおかげでより正確な砲塔に変更できた」と考えるべきか。とにかく、買い置きのタミヤ砲塔パーツを取り出し、改めて「短縮型・装甲強化溶接砲塔」を作ることにした。

このタイプの砲塔は、いまのところ、1:35のインジェクション・キットでは存在しないはず。おおよそデザイン的には同一ながら、より後期(1942年型)で、さらに装甲が増している(105mm?)の溶接砲塔に関しては、トランペッターとイースタン・エクスプレスから出ている(トランペッターは「Russia KV-1 model 1942 Simplified Turret Tank(キット番号00358)」、イースタン・エクスプレスは「KV-1 mod. 1941 late Version(キット番号35119)」)。ただし、この後期型砲塔は各装甲板が組み接ぎになっているうえ、装甲板それ自体が(増厚の結果)かなりごついので、改造ベースとしては標準型砲塔からの方が楽(と、個人的には思っている)。

まず、以前に作ったトランペッター・ベースの砲塔はこちら。

20220110_150206

これもそれなりに頑張って改造したのだが、トランペッターのパーツがベースなので基本形状の左右非対称は再現されていない。今回はタミヤの新KV-1のパーツを使い、同様の改修を行うことになる。せっかく作り直すので、製作の基本方針として、左右非対称だけでなく、その他のディテールについても少々「前回以上」を心がけることにする。

タミヤの砲塔パーツは基本、装甲板ごとに開いた構成になっている。とりあえずは、側面装甲後下方をプラバンで延長する。

20220110_144647 20220110_144732

これと併せて、バッスルの短縮を行う。現存のこのタイプの砲塔の写真から、上面後方ペリスコープのカバーの縁角ギリギリくらいまで切り詰める。タミヤのパーツは部品取付位置がうっすら窪んでモールドされているので、これが切り詰める際のガイドになる(この取付位置指示モールド自体は、仮に取付位置を移動させたり、付けなかったりする場合に余計な手間を生むので、個人的にはあまり好ましくないと思っているが)。切り詰める寸法はおおよそ3mm。側面や底面も同じだけ切り詰める。

もともとのKVの溶接砲塔は装甲厚が75mm、この強化型砲塔では90mmになっているとされている。厚み差は1:35だと約0.43mmある。前回トラペの砲塔を改造した時にはバッスル下の角型への改修とバッスル長の切り詰めだけを行ったが、今回は装甲の増厚分も表現する&後下方の継ぎ足し部分の境目処理を省略するという2つの理由から、表面に0.3mmプラバンを貼り増した。

これによってタミヤの砲塔パーツの特徴である圧延鋼板表面の荒れ表現は消えてしまうが、これについては個人的に「まあ、あったらあったでいいけど、なくても別にいいや」的スタンスなので気にしない(砲塔にだけあるのって変な気がするし、そもそも新品のKVの表面はもっと「つるん」としているっぽいし)。貼り増し後、ピストルポート穴と視察スリットは、元のモールドに合わせて開け直した。

なお、(タミヤがパーツ化している)標準型の砲塔では砲塔上面にも埋め込みボルト跡があるが、この装甲強化型砲塔では、上面の埋め込みボルトは廃止されているらしい。当初は上面はプラバンで作り直し、モールドは元パーツから移植する方向で考えていたのだが(こういう時に圧延荒れ表現が邪魔になる)、割とすんなりと埋め込みボルト跡が消せたので、キットの天井パーツをそのまま使うことにした。

その際に、このタイプの砲塔の現存車輛の写真では、割と側面装甲との間の段差が目立つ感じがしたので、天井板裏側の縁に0.3mmプラバン片でゲタを履かせた。前回のトラペ改造砲塔では、上面板は周囲と一体だったので、「もうちょっと段差あったほうがよかったなあ」などと思いつつそのままにした部分。

20220113_01581620220123_174529

砲塔後面はバッスルの切り詰めに合わせてやや幅が足りなくなるのでプラバンで新造(トラペの時はなんとか誤魔化して、切り離した元の後面を使ったが)。砲塔前面はタミヤのパーツのまま。装甲増厚のことを考えると、ここも0.3mm板でゲタを履かせるなりした方がよかったのではとも思うが、実車写真で見る限り、(階段状に組んでいる)前面装甲横の小口部分は厚みが増しているように見えなかったので、そのままとした。

右写真はタミヤの素組み砲塔との比較。ペリスコープと後縁との位置関係で、バッスルが短くなっているのが確認できると思う。

そんなこんなで、砲塔基本形は完成。

20220117_112055 20220117_111913

このあと、各部ディテールを工作するとともに、砲やペリスコープなどを取り付けていく予定。

| | コメント (8)

KV-2「ドレッドノート」(2)

20220107_160532 ●タミヤのKV-2発売に向けてチェックポイントのまとめ記事を書いていたら、俄然KV-2がいじりたくなってしまい、トランペッターのKV-2初期型(キット番号00311、「Russian KV "Big" Turret」を引っ張り出してきた。

特に一直線に完成を目指すわけでもなく、つまみ食い的にいじり始めたのはもう10年以上前。過去の製作記事2本は以下。

今後、KV-2の主量産型を(それなりにこだわって)作る場合、タミヤをベースにするか、トランペッターをベースにするかは若干迷うところだが、少なくとも初期型を作るなら(砲塔だけでなく車体もだいぶ違うので)、現時点ではこのキット一択となる(実際にはイースタンからも出ているが、どうやらあまりお勧めできる出来ではない)。

●今回の(現時点での)微々たる進捗、その1。

20220107_155612

車体前端の装甲板接合補助のアングル材は、7角砲塔(MT-1砲塔)の初期型では、埋め込みボルトが17本。キットは主量産型のMT-2砲塔になって以降の11本のモールド表現なので、一度削り取って、ドリルのお尻を使って(接着剤で溶かして)ボルト溶接跡をスタンプ。「17個」という数は、まず両端の位置を決めたら、後は最後まで2分割で位置を決めていけるのでちょっと楽。ついでに、牽引具基部にも同様の埋め込みボルト跡を付ける。

微々たる進捗、その2。

20220107_155122

砲塔上のツノ形ペリスコープカバーのてっぺんに穴を開ける。MT-2砲塔のKV-2でも40年型後期型でも同じ工作をしたが、今回は、裾部の3方向に開いているさらに小さい穴も開けた(ペリスコープ開口部の真下の1カ所が見える)。……塗装したら埋まってしまいそう。てっぺんの穴が0.6mmドリル、裾部は0.3mmドリル(最初0.2mmで開けたら小さすぎてほとんどわからなかった)。

微々たる進捗、その3。

20220107_155251 20220107_213644

ラジエーターグリルのメッシュカバーをAberのエッチングに替えるのに備えて、プラパーツ取付用の穴を埋めた。写真は伸ばしランナーを挿した段階だが、このあと削り取った。

また、前記2記事で触れていないので、それ以降のいつかの時点で作業したのだと思うが、エンジンパネル前端の忘れられたボルトの追加(左写真・黄色矢印)、エンジンパネル後端の不要な吊り下げリングの取付穴埋め(同・黄緑矢印)はすでにやってあった(ともにトラペのKVではお約束の作業)。

ちなみにキットのH枝には、説明書のパーツ図にも載っていない不要部品扱いで尖頭ボルト頭が8個ほど入っているのだが(右写真)、残念ながらキットのエンジンデッキのボルトのモールドよりやや大きいので、そのままでは使いづらい。

なお、同じくお約束作業であるフェンダーの幅詰め(初期型KVのみ)は作業途中で、切り詰めただけでフチは未再生で箱に入っていた。

●若干の考証。

20220107_201650 20220107_201843

砲塔前面右側の「小・大」の2連の穴は、この初期型KV-2の写真としては最も有名かつクリアな「沼落ち」車輌でもこの状態なので、なんとなく「こういうもの」でスルーしていたのだが、実際には右写真にある砲塔後面のピストルポートおよび照準穴と同じもので、装甲栓で塞がっているのが正規状態であるらしい。

同じ車輌のより初期の時点の撮影と思われる写真では、やや不鮮明だが装甲栓が垂れ下がっている様子が写っている。サイト「Тяжелые танки КВ-1(重戦車KV-1)」のこのページ、「1b. Шета」の一連の写真を参照のこと。

| | コメント (6)

より以前の記事一覧