製作記・レビュー

「る・ろぉん」の続き

●相変わらず、あっちをいじったり、こっちをいじったり、いじらなかったり、の模型製作ライフ。

そんなうちのひとつ、ハセガワ製ル・ローン(キット名称「ル・ローヌ110馬力エンジン(ドイツバージョン オーバーウルゼルUr.II)」が、一応、エンジンらしい形になってきたので、これについて書くことにする。以前の作業についてはこちら

Img20240424023613 前回記事以降の進捗点(第一段階)は、おおよそ次のような感じ。

・継ぎ目を消したシリンダーにシリンダーヘッドと、さらにその上のロッカーアーム関連部品を接着。

・各シリンダーをクランクケースに接着。後々の塗装で、クランクケースとシリンダーの色調をちょっと変えたい、というようなことを考えると、ここで接着するより塗ってから着けたいところなのだが、そうなると、インテイクパイプの擦り合わせができないので仕方なく。

・インテイクパイプの整形。結構微妙なカープを描いているパイプに、がっつり入っているパーティングラインと押し出しピン痕を消す。押し出しピン痕はずいぶん昔に埋めるだけはしてあったので、今回は削るだけ。なお、実物はたぶん薄板を丸めてパイプにしているのではと思うが、その場合どこかに接合線があるはず。しかし、現存の実物の写真を見てもどこにあるのかわからないので、とりあえずはそのまま。

写真は、上記工作段階のエンジンを後ろ側から見たところ。ル・ローンの見た目上の大きな特徴であるインテイクパイプは、80馬力のル・ローン9Cまではクランクケースの前側から出るが、110馬力の9Jでは、写真のように後ろ側から出る。なお、写真ではインテイクパイプが5本だけ取り付けてあるが、これは仮組で、この段階では接着していない。

もうここまで来ると、「部分ごとに塗り分けてから組み上げる」ことなど考えずに、全て組み上げてしまって、あとから筆が届く限りでアクセント的に塗り分けたり、スミイレ等々で誤魔化したりというふうにしたほうがいいかなあ、などとも思ったりする(昨今のタミヤのキットのようにパチピタでもないので)。

●ここまで作っての感想は、

「良くも悪くもハセガワのキットだなあ」

というもの。

古いキット(発売は1980年代?)なので部品の精度等も「それなり」。もちろんハセガワ製/日本製のキットとしてある程度の水準には達しているので、「合わない/組めない」という個所はなく、組立説明書に従って部品を付けていけば、製品写真通りにきちんと仕上がってくれる(はず)。

ただしその一方で、(ハセガワのキットにありがちだが)「きっちりと実物のスケールモデルとして、ディテールを再現しよう」という気合のようなものはあまり感じられない。

気付いた差異などを以下に羅列。

各シリンダーのフィンの数は、実物(キットになっているドイツ型のオーバーウーゼルUr.IIも、オリジナルのル・ローン9Jも)は恐らく32枚だが、キットは25枚。細かいフィンなので、「正確に数が合ってないとイヤ!」とは言わないが、やはり約2割も違うとちょっと間引き感はあるかも。もちろん、こういう細かく薄い彫刻が金型代に直結するので略したい、というのも判るけれども(もっともハセガワの場合、金型代節約のために略したいというより、単純に「適当にそれらしくフィンを重ねときゃいいや」だった可能性もありそうな気がする)。

シリンダーが、実物に比べて細め。シリンダーの外側2/3のフィンの径は、実物ではクランクケースへの接続部より太いのだが、キットでは同径くらいになっている。その結果クランクケースよりもシリンダー部分がボリューム不足に感じる。ただし、インテイクパイプが付くとシリンダー間が若干埋まるので、ボリューム不足感は緩和されるかも。

クランクケース外周部のディテールが違う。実物ではシリンダーとシリンダーの間部分には半月型の窪みが設けられているのだが、キットでは直線的な段差になっている。シリンダーの根元のディテールも不足。実際は、シリンダー根元のリング外周には、締付用?の刻みがある。

プッシュロッドは切り揃えられた金属棒のパーツが付属しているが、実物よりやや太目。しかも、シリンダー上部のロッカーアームへの接続部には、実物にはないごついジョイント部品(A8)が付く。このジョイントは、実物の何かを再現しようというものではなく、単純に金属棒をプラパーツに繋げるためだけの目的で入っているらしい。

型抜きのためのパーツのテーパーがややきつめで、そのため、特に後面の補器類の形状がいびつになっていたりする。また、割と目立つ場所に押し出しピン痕があることも多い。

Img20240428230634 クランクケース後面には、中心軸を取り巻くように大きなギアパーツがあり(上写真中央部)、これが、本来なら補器類に繋がる小ギア(右写真)に噛み合うようになっているらしいのだが、キットには、その小ギアの部品はあるものの、大ギアとは間隔を設けて噛み合わないようになっている。たぶん、噛み合うようにすると可動にしなければならなくなるのを避けたのだと思う。ただし、ここは組んでしまえばほとんど見えない。

それ以外にも、細部ディテールの際現に関しては、随所に「まあ、適当にそれらしくやっときゃいいかな」感がある。

……などなど。そんなわけで、一応、キットはル・ローン(のドイツ版ライセンス生産型)と銘打っているのだが、全体的にパチモンくさいというか、「“ル・ローン(Le Rhône)”じゃなくて、“る・ろぉん”かな?」みたいなイメージ。

●もちろん、「それらしく」は出来ているし、あまり厳しいことを言うと、「それじゃ、プラバンを丸く切り出してシリンダーから全部自分で作れ」なんて話になってしまう。

それでは身も蓋もないし、当然ながら私自身にそんな気力もない。一方で、「じゃあ、まるっきりストレートで作って、塗装でそれらしく」というのも面白くない(私自身に塗装で凝る技量もない)ので、いつもながらの「まあ、キットの素性を活かしながら、『ちょっとだけ手を入れてみましたよ』という形跡だけ残す」というアプローチで行くことにする。

それにしても、「キットの素性を活かす」って便利な言葉だな……。

まず、上にも書いた「シリンダー根元のリング外周に、締付用?の刻みがある」点は、シリンダーをクランクケースに着けてしまってから気付いたのだが、割と「手を加えた感」が出るところのように感じたので、TFマンリーコさん直伝の“秘技エナメルシンナー剥がし”でシリンダーをもぎ取り、付け根に追加工作した。

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0.3mmプラバンで帯材を作り、それを細切れにして貼り付けることで刻み目を作成。刻み目の数は、限られた資料写真からはちょっと読み取りづらかったのだが、とりあえず7つと判断した(正解かどうかはちょっと不確か)。

プッシュロッドは、キット付属の金属棒は使わないことにし、プラストラクトのプラ棒(0.9mm径)で代用。ロッカーアームのリンクに直付けした。

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というところが、現状工作第二段階。

なお、キットは実物通り、基部と独立してエンジン本体は回転できるようになっている。仮付けして、ぶんぶん回してみた。

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今回は以上。

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えろえろタイヤ

Thunder Modelから、ボフォース37mm対戦車砲が発売されるそうだ。

同社は少し前に、CMP F30にボフォースを搭載した、英LRDGのガントラックを出しているので、そのボフォースの別売ということだろう。

ボフォース37mm対戦車砲の1:35インジェクションキットは、確か1990年代にTOM Modellbauから出て、その後ポーランドのMirageからも出たので、今度のThunder Modelは3作目。実はなかなかの傑作火砲ではあるものの、一般にはそれほど知名度が高くない、大戦前半に使われた砲としては、なかなかキット化状況は恵まれている。

ちなみに、SCALEMATESのページでは、TOMとMirageのキットは同一キットの箱替えということになっているが、実際はまったく別のキット。発売潤もSCALEMATEの「Product timeline」とは全く逆で、

 TOMのイギリス軍仕様
  ↓
 TOMの(レジンのタイヤがセットされた)ポーランド軍仕様
  ↓
 Mirageのポーランド軍仕様

が正しい(はず)。

下の写真は、左がTOM製の作りかけ(たぶん20年以上この状態で放置)、右がMirageのパーツ。出来は五十歩百歩といったところ? 作りかけのTOM製の一部がエッチングになっているのは、PartかAberのもの(うろ覚え)。

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ちなみに、両方の脚に付いているクッションは、砲手と装填手の「座席」ではなく、ここに半身を当てて寝そべって操作するらしい。

なお、私は今まで、TOMで最初に発売された、ホイール部が単純な皿形で薄いタイヤを履いているのが本国スウェーデンの生産型(で、輸入して使ったイギリスやフィンランドの仕様)、ホイールディスクにドーナツ型の盛り上がりがあって、ややタイヤが太いのがポーランド・ライセンス生産型だと思っていたのだが、今後発売されるThunder Modelのキット(箱絵には英兵が書かれていて、明らかにイギリス軍仕様を想定)のタイヤは後者になっている。ということは、両ホイルの形状は使用国/ライセンス生産国による違いではなく、もともと、スウェーデンでの前期・後期生産型の差、みたいなものなのだろうか。

何はともあれ、30年前後の期間を隔てて出る新キットでもあるし、Thunder Model自体なかなか評判のよさそうなメーカーだし(私は今までに買ったことがない)、ボフォース37mm砲はポーランドで大活躍した砲でもあるし、ちょっとこの新キットは買ってみたい気もする。

ちなみに、上に書いた「ホイール部が単純な皿形の薄いタイヤ」は、トレッドパターンが「HOHOHOHO……」、あるいは縦書きカタカナで「エロエロエロエロ……」となっていて、個人的に「えろえろタイヤ」と呼んでいる。実物については、盟友かさぱのす氏のこのページ、最下段の写真を参照のこと。

さすがにTOMの最初のキットでは、このトレッドパターンは再現されていない。どこか、3Dプリントで、この「えろえろタイヤ」をパーツ化してくれないかしらん。

●3日金曜日午後、突発的に、三浦半島最高峰の大楠山を登りに行く。

昼食もとった後で、いきなり思いつき、しかも食後しばらくのんびりしてから出掛けたので、逗子駅からバスに乗って、主要ルートの出発点である「大楠芦名口」に着いたのは午後3時頃。真面目に山歩きをする人間の姿勢とは言い難いが、大楠山の、特にこのルートは、頂上付近の国交省の気象レーダーやNTTの施設へのアクセスのため、頂上直前まで車が通れるほど整備されており、さくさくと歩きやすい。この日も、特に問題なく1時間ほどで頂上に着いた。

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写真は山頂広場からの眺めで、左が東京湾側。写っているのは(たぶん)NTTの無線鉄塔。右の逆光で霞んでいるのは相模湾側。電柱と重なっているのが国交省の気象レーダー塔。

大楠山には確か昨年春も、兄と兄友人と3人で登っていて、その時も、旬よりも少し早めなのに、もうまばらにクサイチゴが実り始めていて味見ができた。今回も少し期待して行ったら、予想通りちらほら。さすがに数は少なく粒も小さかったが、そこそこ熟しているものをいくつかつまみ食いした。

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国交省レーダー近辺(大楠平というらしい)のツツジには、カラスアゲハが多数。色と輝きはいまひとつな感じだったが、2個体、割と近寄って写真を撮ることができた。前翅に特徴的な暗色部がないので、どちらもメスのようだ。

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●ここ最近数度の大楠山ハイキングでは、「大楠芦名口から登って、前田橋に降りる」行程が半ば固定化しつつあったのだが、今回は、行きに大楠芦名口付近で申請した「ポケモンgo」のルートが申請直後に受理されたのでそれを自分でも制覇済みにしたかったこと、行きに見そびれた「芦名城址庚申塔」をみたかったこと、などの理由で、同じルートを往復した。

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ちなみに「芦名城址庚申塔」は、「この地点が芦名城址であることを示す庚申塔」ではなく、「芦名城址であった隣の丘の上(現小学校敷地)から移してきた庚申塔」だそうだ。

芦名城址庚申塔を見た後は、(逗子方面行きのバスはそこそこ頻繁に来ることがわかったので)適当に歩き疲れたところでバスに乗ろう、くらいの感じで国道沿いをのんびり逗子方面に歩く。

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左は前田橋交差点あたりで見えた夕景の富士山。「ビルの谷間から登ったばかりの満月はやたら大きく見える」効果により、普段逗子で見るよりも大きく迫って見えた。右はさらに歩いて、秋谷の立石。海岸に巨大な岩が立ち上がっているのが「立石」の名前の由来。右写真のほうが明るく見えるが、これはおそらく、単に右のほうが広く空をレンズ内に入れているためで、時間的には右のほうが15分ほど遅い。

●上の「立石」は、海岸に立てられた案内板によれば、「三浦七石」の一つであるという。同様のことは横須賀市の観光案内にも書かれているのだが、「では、あとの6つは何なのか」は書かれていない。

帰宅後にあれこれ検索してみて、ようやく、神奈川のweb情報紙「タウンニュース」三浦版のコラムで顔ぶれが分かった。

うち一つは、「多分入っているんじゃないかな」と思った、立石のすぐ近くの「子産石」(正体は海岸の地層から出てくる大型の丸いノジュール)。あとはまったく見当がつかなかったが、最北のものは、我が町・逗子の小坪の「鍋島石」だった。これは江戸時代初期、江戸城の普請で石垣用の石材を運んでいた鍋島藩の船が小坪の海で座礁難破、浅瀬に沈んでいたその石垣用巨石を呼んだものとか。ちなみにその「鍋島石」(のうちのひとつ?)は、近代になって引き上げられ、今は逗子海岸の外れに「不如帰碑」として再利用されている。

上記「タウンニュース」のコラムによれば、どうも「三浦七石」の出どころは、江戸時代に書かれた「三浦古尋録」なる本であるらしい。一応、7つを下に並べておく。

  1. 小坪の「鍋島石」
  2. 秋谷の「立石」
  3. 久留和の「子産石」:上記のように、地層中のノジュール。ノジュール(団塊)とは、例えば貝化石などが核となり、その石灰分が染み出すなどの原因で、そこだけが周りの地層より硬い「ダマ」状になっているものを指す。
  4. 公卿・曹源寺の「拭眼石」:寺発行の「曹源寺略縁起」によれば、その石を撫でてから目をこすると眼病が治るとの伝承があるそうだが、「謎の伝承であり、どの石であるかも不明」だそうな。だめぢゃん。なお、「タウンニュース」には「眼拭石」とあったが、寺のパンフ(略縁起)では「拭眼石」だった。
  5. 吉井の「飛石」:吉井安房口神社の御神体の磐座(いわくら)。巨石に大きな穴が開いていて、その口が安房国を向いているというので「安房口」、また安房国から飛んできたというので「飛石」とも言うとか。
  6. 三戸の「三石」:これも小坪の「鍋島石」同様、江戸城普請のため運搬中に水没してしまった石材であるらしい。三浦市三戸浜海岸には「サンコロ石」「天神丸」と呼ばれる(元)石材が、それぞれ3個ずつあるとか。そのどちらかが「三石」ということか。
  7. 小網代・白髭神社 の「金鳴石」:小網代・白髭神社社殿の横に置かれている細長く大きな石で、叩くと金属音がする由。「鳴石」「カンカン石」とも呼ばれているらしい。

所在自体が判らなくなっているものが混じっているのがなんだかもう。

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砂糖・油・揚げ

●5月1日。メーデー。

「立て万国の労働者」方面のメーデーは、キリスト教以前からのヨーロッパの祝祭である五月祭が起源であるそうな。

なお、救難を呼びかけるメーデーは5月とは何の関係もなく、フランス語の「助けて!(M'aidez!)」。

●ということで、何ともお久しぶりでございます。

特に3月末から4月前半は、それこそ救難の「メーデー」状態で、ブログ更新も模型製作もなかなか手が付けられなかった。

理由の第一。

昨年度は地域の自治会役員(会計担当)を拝命しており、会計報告の作成で、年度末が修羅場化した。

実際のところ、「会計業務」というもの自体にそれなりに慣れていれば、そうでなくても日々の出納をきちんと管理して帳面に付けていれば――そもそも自治会のお金の出入りなんて、地域全世帯からの自治会費集金の集計の手間以外にはそれほど面倒なこともなく、問題など起きようもないのだが、「あー。今忙しいから、後からまとめとこ」なんて思って後回しにしていたものが降り積もり、結局、最後にそのシワ寄せがドンと来た。

単純な計算間違いとか記載漏れとかもあってなんだかんだとやり直しの末に、やっと会計報告をまとめて監査のハンコも貰い、一件落着。と思ったその夜に、念のためにと口座と手持ちの当座現金をもう一度数え直してみたら、合計金額が4万円ほど足りない。

「や、やばい……これって、オレが補填しなきゃならないのか?」

と青くなったのだが、しばらくして、「年度内の収支に含めること」と言われたものの、未入金の補助金が4万円あったことを思い出してようやく人心地がついた。

4月20日土曜日の自治会総会をもって、新年度役員に全て仕事も「役員グッズ一式」も引き渡して、ようやくお役御免に。ふわぁ。自治会役員なんて、そうそう引き受けるもんじゃねぇなあ(といっても、回り持ちなので逃げられない)。しばらく、計算が合わない夢を見そう。

●当「かばぶ」の更新が滞っているのは、上記のバタバタに加えて、今年から当家のプロバイダーをJCOMからniftyに変更したことも一因になっている。

niftyのココログを利用しているのに、プロバイダーをniftyに替えて更新が滞るのも変な話なのだが、これは、もともと「niftyの非ユーザーとしてブログ用に登録したアカウント」と、「新たにプロバイダー契約して設定されたアカウント」が別々に存在しているためで、niftyのwebメールを使う際と、ブログを書く際とでは、その都度ログアウトしてアカウントを切り替えないといけない。これが地味に面倒くさい。

この際、ブログ用のアカウントを新しいアカウントの方に変更して一本化したいのだが、どうもその方法が(あるのかないのか段階から)わからない。

●というようなバタバタもなんとか片付いて、ぼちぼち模型製作も復活中。直近の作りかけだけでもいくつもあって、よりどりみどり!(そんなん誇ってどうする)

とりあえず、尾藤さんの「パンツァーメモ」で現在進行中のII号戦車A/B型工作記事にアテられて、IBGのII号戦車の砲塔に追加工作をしてみたり。今々は、「あまり深く考えずに工作したい」ということで、ハセガワの1:8「ル・ローン」(航空機エンジン)をいじり中。いずれも、工作記事は改めて。

Img20240402170226 ●4月初め、仕事で都内に出て、帰りに有楽町の「わしたショップ」(沖縄県物産公社のアンテナショップ)に寄る。以前は旧プランタンの並びにあったのだが、現在は有楽町駅前の交通会館1階。昨年初めに移転したのだが、移転してから行くのは初めて(というよりも、以前の場所に行って「ありゃ? なくなってる? そういえば引っ越したんだっけ?」とwebで検索して行き直した)。

いくつかお菓子だの食材だのを買って、ついでにサーターアンダギーを買い食い。片方は「ピーナッツ」でもう片方が「黒糖」。

「サーターアンダギー」という食べ物の名前を初めて知ったのは「あずまんが大王」だったかも(ひさしぶりにこの書名を思い出した)。

今では関東でも、時折売られている場所があるサーターアンダギーだが、「わしたショップ」では店頭で揚げたものを売っているのがメリットで、外側がカリッとしたままなのが嬉しい。タイミングがよければ、揚げたてアツアツのものを食べることもできそう。

「沖縄ドーナツ」と呼ばれることもあるサーターアンダギーだが、名前の直訳は「砂糖(サーター)油(アンダー)揚げ(アギー)」だそうだ。最もメインの材料であるはずの小麦粉の立場は……?

●4月最後の土曜日(というよりもGW初日?)、兄とドイツ人Pと3人で鎌倉ハイキング。今回はP家族は不参加とのことだったので、ひたすらがっつり歩く。天気はあまりよくないという予想で、実際に朝のうちは降っていたが、小雨程度で延期にすると「この程度で!」とPがむくれるのでそのまま決行。幸い、歩き始めた頃はもう止んでいて、むしろ暑すぎずによかったかも。

当初は「駅ナカの店で何か食べる物を買って行って、山の上で食べる?」なんてことも考えて、大船駅で待ち合わせたのだが、「せっかくしらすの季節だからしらす丼を食べよう!」ということになる。

北鎌倉スタートで、まずは浄智寺を散策。そのまま源氏山~大仏ハイキングコースと歩き、長谷に降りる。予定通り、長谷でしらす丼を食べる。美味。ちなみに私とPは生しらす丼、兄は釜揚げしらす丼。

そのまま鎌倉の旧都を横断し、金沢街道方面へ。途中、長谷と雪ノ下のドイツパン専門店「Bergfeld」でプレッツェルとスティックを買い食い。以前この店のプレッツェルの写真を見せた時は「穴の大きさが違う」と文句を言っていたPだが、家族にも食べさせると言ってあれこれ買い込んでいた。

なお、雪ノ下の店を出てスティックを齧りながら歩いていたところ、残り数センチをトンビに強奪された。この「天然ヤーボ」の襲撃は、この界隈では日常茶飯であり、私もこれまでに数回やられていて、それなりに注意をしているつもりなのだが、それでも「ついうっかり」の隙を狙われる。

報国寺と杉本寺をハシゴした後、バスで駅前に戻り、市役所前のスタバで休憩。さらに亀ヶ谷坂切通を超えて歩いて北鎌倉に戻り、大船の「鶏恵」で焼き鳥などつつきながら酒を飲む。

●この春の「近所の野山のおすそ分け」総括。

(1).春先一番手のフキノトウ。収穫時の写真は撮り忘れた。フキ味噌と天ぷらで消費。

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(2).ノビル。久しぶりに我が宝剣エクスカリバー(ただの根掘り)を取り出してきて、2度ほど収穫に行った。意外に根の玉(球根)が大きいものが採れた。例年は、手軽に出汁醤油とかめんつゆとかに漬けるのだが、今年はちょっとひと手間で、甘酢を作って漬けた。葉の方は例によってお好み焼き粉で「適当パジョン」に。

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(3).アケビの芽。4月中、4度か5度ほども採ったかも。毎度結構大量に収穫。一度だけドレッシングで、あとは例によって「大量のアケビ入り卵かけご飯」で。写真の卵かけご飯の付け合わせは甘酢漬けのノビル。

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(4).ハリギリの芽。今年は珍しく、2度(2か所で一度ずつ)収穫できた。天ぷらでいただいた(右写真の上のもの)。

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(5).イタドリ。いつもは「皮を剥いてから下茹でして、一晩水にさらしてシュウ酸抜き」という下処理をするのだが、「それだと、どうも食感のシャキシャキ感が損なわれる――下茹で無しで塩漬けのほうがいいかも」という、「逗子拾い食いの会」仲間のTannoさんの意見に基づき、今年の収穫はそのまま塩漬け冷凍に。半分だけ、数日前に「ピリ辛メンマ風炒め」にした。確かにこっちのほうがシャキシャキ感が生きていてよいかも。

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●少しだけ模型話。

アカデミーからI号戦車B型が出る(とりあえず国内入荷はまだ?)

I号B型は、イタレリのキットは発売時期を考えればなかなかの佳作キットではあるものの、今の目で見ればあちこち古さとか考証不足が目立つし、その後出たドラゴンのキットは寸法的に「どうしちゃったんだよ」レベルでおかしい代物だったので、新作が待たれるアイテムだった。

(追記:セータ☆さんに言われて、TAKOMもつい最近新製品でB型(というか、A・B型のセット)のキットを出しているのを思い出した。限定版でバラ売りもあるそうなのだが、最近あまり模型屋に行っていないこともあって、どちらも見ていない。レビューを見ると、車体・砲塔のクラッペ周りのネジ/リベットのA・B型間の差も、車体前端のギアハウジング部底部の平面も表現されているし、それなりによさそう)

そんなわけで、アカデミーのキットはなかなか期待……の一方で、前後して「タミヤからI号戦車(B型?)が出るらしい」というニュースも飛び込んできて、急に何だか妙に"恵まれた"状況に。もちろん、どちらも手に取って見たことはないが(そもそもタミヤのキットは発売の確報すら入ってきていないが)、アカデミーのものは、写真を見る限りではそこそこよさそう。転輪も、リム部のリングが別部品になった、トライスターに倣った処理のようだ(タミヤは部品数を増やしたくなくて一体にしそうで少し心配)。

ただ、「え、なんで?」と思うのは、I号戦車に加えてツュンダップKS750サイドカーがセットになっていること。KS750は戦争中盤になって登場したものなので、I号戦車の"付け合わせ"としては、いささか不似合い。箱絵も、電撃戦当時(ポーランド戦時)の塗装とマーキングのI号戦車の隣にKS750がいて「おまえはクリスチャン・ラッセンかっ!?」と言いたくなる構図。

※クリスチャン・ラッセン:一頃、秋葉原の名物だった「エウリアン」の定番商品である版画の作家。ありえない密度・取り合わせの海洋生物+風景詰め合わせセットみたいな絵をよく描く。

もっとも、こういう「変な組み合わせ」セットの模型というのは過去もそれなりにあって、例えばニットー1:35のケッテンクラートは37mm対戦車砲を牽引していたし、フジミ1:76のI号戦車は75mmPak40対戦車砲付きだった。ニットーのI号戦車も、BMW R75とキューベルワーゲン付きだったかな。

●もっとも、ツュンダップKS750サイドカーは、1:35インジェクションキットとしては、そこそこ楽しみに思う人もいそう。

大戦中期以降のドイツ軍主力サイドカーは、双璧であるBMW R75とツュンダップKS750の両方とも、タミヤとイタレリからキットがあるが(タミヤのツュンダップはオートバイ単体のみだったかな?)どちらも結構古い。BMW R75は、その後ライオンロアから新キットが出たが、ツュンダップKS750は出ていなかったはず。

ツュンダップといえば、大戦初期から使われていたKS600サイドカーがタミヤから発売間近で、個人的にはこちらのほうがちょっと欲しいかも。大戦初期型のオートバイ/サイドカーは、ズベズダのBMW R12もちょっと欲しいと思っていたのだけれど、買ってないんだよね……。

ちなみに、ツュンダップの大戦初期型オートバイのインジェクションキットとしては、かつてVulcanからK500とK800が出ていた(K800のオートバイ単体キットのほうは持っているが、プレス済みエッチングのスポークが入っていたりして、なかなか素敵)。

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戦うプーさん/「クブシュ」Mirage HOBBY 1:35(6)

●Mirage HOBBY 1:35のクブシュは、ほぼ発売直後(2014年8月)に喜び勇んで買って、その後しばらく放置。数年経って(2019年)ようやく作り始めたものの、装甲ボディをおおよそいじり終えたあたりで中断。長らく放置と相成った。

キットレビューやここまでの製作記に関しては、記事タグ:クブシュを参照のこと。

先日、facebookでコレを作っているという人の書き込みがあって、俄かに「またいじろうか」ゲージが上昇。がさごそと「お手付き山」から掘り出してみた。

現状はこんな感じ。

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装甲ボディに関しては、2019年8月15日の前回から僅かに変化があるが、これは前回書き込みの直後にいじった部分で、今回取り出して以降に新たにいじった箇所は無い。それどころか、それほど高さのないキットの箱に何の手当もせずに突っ込んであったので、戦闘室上面の防盾が折れてしまっていた。……退化してるのは情けないなあ。

前回書き込み時との違いは、車体前後のスカート部分。これは両方とも、0.3mmプラバンで作り直した。特に前部スカートに関しては、中央部の継ぎ目は、組立説明図のコメントに従い、三角のリブ材のない状態に。どうやら、実車は工作時に段が出来てしまったものを埋めている感じだったので、そのように工作した。溶接線が左端(向かって右)で幅広く汚いので、そのように再現。全く想像だが、第一回作戦での衝突等でスカート端の溶接にひびが入ってしまったのを補修したとかかもしれない。特に左側スカートが微妙に歪んでいるのは、実車もそんな感じなのを再現したのだが、箱に収めている間に歪みが大きくなってしまったかも。

後部スカートも、中央でピッタリ揃っていないのは、戦後に放置された状態での後方からの写真に倣ったもの。とはいえ、戦時中の稼働状態の時からそうだったかは確証が無い。

後部スカートは蝶番付きで可動のようだが、ヒンジは未工作。シャーシに繋がっているはずのフックが通る穴は、後部スカートには開けたが、前部スカートの分は未工作。

●今回掘り出して、とりあえずいじり始めたのは足回り。

キットレビューにも書いたように、このキットはシャーシの再限度がはなはだプア。シャーシフレームとか駆動系とかに関しては、そもそも「何のシャーシだったのか」時点で説が分かれているし(定説ではシボレー157だが)、そもそも装甲ボディをかぶせてしまうとほぼまったく見えないので、適当で構わないと思う。が、車輪のお粗末さは流石に何とかしたい。タイヤは同じくMirageで出ているwz.34装甲車のものの使いまわしで、径が不足しているうえにトレッドパターンもオモチャじみている。ホイールパーツも情けない出来で、タイヤに合わせて小径なのはもちろん、5つの軽め穴が貫通しておらず単に浅いくぼみになっている。

キットレビュー時点で「TOKO/RODENのGAZトラックのタイヤをホイールごと流用しようか検討中」と書いたが、実際に、シボレー157とGAZ(フォード)-AAのタイヤは同一サイズであるらしいことが判明したので、心おきなく流用を決意する。

なお、TOKO/RODENのGAZトラックは、その後イースタン・エクスプレスやズベズダでも販売され、バリエーションキットも出されている。今回も、パーツはイースタンのBAから持ってきた。

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左写真がTOKO/RODENのGAZトラックのタイヤ&ホイール。タイヤは軟質樹脂で、キットは、いくつかメーカーを渡り歩いているうちのどれか、もしくは生産ロットによっては、若干の収縮があり、うまくホイールにはまらないケースもあるようだ。今回流用分に関しては問題なく装着できた。

このTOKO/RODENのGAZの車輪、タイヤのモールドに関しては、トレッド部分については「それなり」程度ではあるが、側面ディテールなどは細かく美しく、そこそこよい感じ。ただし、一方でいくつかの問題もある。

(1).軟質樹脂部品には付き物の問題といえるが、パーティングラインを消す際、ヤスリ掛けをすると削りカスが粉ではなくケバになって表面に残る。

(2).元がソ連製トラックのキットなので、タイヤの片面にキリル文字でメーカーや型名などの文字が入っている。

(3).実車では、前輪・後輪とも同じホイールを使用、後輪ホイールは表裏向かい合わせでダブルになっている。したがって、後輪外側ホイール(左写真の左側)は、本来は前輪用ホイールの裏返し形状で、中心部分は内側にさらに一段窪んでいないといけないのだが、逆に出っ張ってしまっている。

(4).キットの(GAZの)ホイールの軽め穴は比較的三角形に近いが、どうやらクブシュのベースとなっているシボレーのホイールは、穴にもっと丸みがあるようだ。

うち、(1)に関しては、ヤスった後に、布などでこすると、ある程度ケバを落とすことが出来るようだ。したがって(2)に関しても削り落としてもいいのだが、そもそもロゴのある面を内側にしてしまえば完成後は見えなくなる。

(3)(4)についても、クブシュでは外側にスカートが装着されていて車輪はかなり隠れてしまうので、苦労して手を入れてもあまり意味がない。というわけで、今回は以上の問題はほぼまるっと無視することにする。

なお、我が家にはTOKO/RODENのGAZ用の車輪の代替品として、ポーランド・ARMO-JADAR製のレジンパーツもあるのだが、これまた後輪ホイールの形状がキット準拠で間違えている。トレッドパターンはこちらのほうが細かく、上記(1)の毛羽立ち問題も回避できるので、もしかしたら今後そちらに乗り換える可能性もあり。いずれGAZ系を作る気になったら、今はもっと出来が良い、miniartのパーツもあるしね。

とりあえず、GAZの車輪の取り付けに備えて、キットの後輪軸は切り詰め、GAZ系キットのブレーキドラムのパーツを取り付けた。フロントアクスルは、ステアリング機構のスの一文字もない粗末な構成だが、どうせ見えないので追加工作などはしない。確かソ連のBA-6以降は前輪にもブレーキがあるが、原型のGAZ-AAにはなかったのではと思うし、同クラスのシボレーもそうだろうと判断。こちらにはブレーキドラムのパーツは付けなかった。

●若干の考証。

(1).後輪について

改めてネット上でクブシュについて検索していて、こんな記事を見つけた。

„Kubuś” w cywilu

ざっくり言うと、クブシュのベース車輛は結局何だったのかという検証。これまでも、「クブシュのベースはシボレー157だった」「実はシボレー155だったという説もある」などと書いてきたが、この記事によれば、「157とか155とかいうのは、単にホイールベースの寸法(インチ)を示しているだけで、正式なモデル名称ではない」とか。まあ、それは興味深くはあっても、直接模型製作には関わりなさそう。

しかしより大きな問題は、それらの記述に加えて、「(定説で言われている車種は)後輪がダブルタイヤだが、クブシュの実車写真では両軸ともシングルタイヤであることが明瞭にわかる」というような一文が書かれていること。

えーーーーーーーー!?

これが本当なら、ちょっとちゃぶ台ひっくり返し系の新知見なんだけれど。

もちろん、元の文章はポーランド語で、それをgoogle翻訳に掛けているので、実際には上のようなスマートな日本語にはなっていない。原文とgoogle翻訳による日本語訳は次の通り。

Tyle, że nie jest to pełna nazwa, a dodatkowo ta seria miała podwójne opony z tyłu, zaś zdjęcia „Kubusia” wyraźnie pokazują pojedyncze koła na obu osiach.

ただしこれは正式名称ではなく、さらにこのシリーズは後輪がダブルタイヤで、「ウィニー」の写真では両軸ともシングルホイールであることがはっきりとわかる。

一応、素直に考えれば、最初に私が書いたような意味になるであろうことは判っていただけると思う。ちなみに「クブシュ」という固有名が「ウィニー」になっているのはgoogle翻訳さんの勇み足で、クブシュを「クブシュ・プハテク=くまのプーさん=ウィニー・ザ・プー」と判断してしまっているため。

Rearwheel さて、「写真では」とは言うものの、戦時中の「生きている」クブシュの写真は極めて少ない。右は、そんなクブシュの写真の中ではおそらく最も有名な1枚(wikimedia commons, File:Warsaw Uprising - Kubuś.jpgと、そこから後輪部分を切り出してクローズアップしてみたもの。陰になっていて判りづらいが、後輪はダブルの幅になっているように見える。

もちろんディテールは潰れているし、何か別のものが重なって幅広に見えているだけという可能性は皆無ではない。上の記事の根拠はどこにあるのか、いや、そもそも本当に「後輪もシングル」と言いたいのか――など、なお気になってモヤモヤする。が、とりあえずこれをひとまずの安心材料として、「後輪はダブル」のままで作ることにする。

(2).塗装について

ポーランド軍事博物館に所蔵のクブシュの現存実車は、これまで幾度か塗り直されているが、とりあえず現時点では濃淡のグレー2色の迷彩、ワルシャワ蜂起博物館のレプリカはグレーとブラウンの迷彩が施されている。いくつかの資料に掲載された塗装図も、おおよそ「グレー2色」派と「グレーとブラウン」派とに分かれている。

ちなみにMirage HOBBYのキット指定はグレー濃淡2色。キットの大らかさはどうあれ、説明書などからはかなりの入れ込み具合がわかるので、そんなMirageが言うのなら何かそれなりの根拠もあるのだろうとボンヤリ思っていて、近年はグレー2色派が有力なのかなと考えていた。私の模型も、最終的にはグレー2色迷彩で行こうと決めかけていたのだが……。

しかし、ポーランド語版wikipediaの文章を試しにgoogle翻訳に掛けてみると、興味深い記述が。

„Kubuś” został pomalowany przez Stanisława Kopfa ps. Malarz w brązowo-szare łaty.

「クブシュ」はスタニスワフ・コップフの別名によって描かれました。茶色と灰色の斑点を持つ画家。

ピリオド付きの省略単語などが入ると、とたんにgoogle翻訳さんは怪しくなるので、人名等は除いて文章を簡略化して訳させてみる。

„Kubuś” został pomalowany w brązowo-szare łaty.

「Winnie」は茶色と灰色の斑点で塗装されました。

文章を短くしたら「クブシュ」がまたしても「Winnie」(しかも英綴り)になってしまったのが謎だが、文章の意味はスッキリした。

ちなみに省略した人名前後の部分は、おそらく「コードネーム『画家』のスタニスワフ・コップフによって」なのだと思う。googleさんを混乱させた「ps.」は「pseudonim(偽名・仮名)」の略かと思う。文の切り分けはおかしくなっているが、一応「別名」という訳語が出ているのは流石?

なお、スタニスワフ・コップフは当時、クブシュを製作した国内軍「クリバル」部隊の第1中隊第105小隊所属の士官候補伍長で、第1回攻撃の際には実際にクブシュに乗り組んでいるらしい。戦後はワルシャワ蜂起博物館の開設にも関わっているので、レプリカの製作・塗装にもアドバイスを与えている可能性がある(ただし、2004年の博物館の開館直前に逝去している)。(→ワルシャワ蜂起博物館の人物紹介ページ

さらに、後のほうの段落では現存実車について、

W latach 90. został − niezgodnie z oryginałem − pomalowany w ciemnoszare łaty na jaśniejszym tle.

1990年代には、オリジナルとは反対に、明るい背景に濃いグレーのパッチで塗装されました。

とも書かれていた。灰色・茶色の組合せが灰色2色になっても「反対に」にはならないが、戦中の実車写真では「濃色に淡色の斑点」に見えるので、濃淡の組合せが逆になったという意味か。

いずれにせよ、これらの記述を読む限り、どうやら実車はもともと「ブラウン地に明るいグレーの迷彩」という組み合わせであった可能性が高そう。なんとなく一歩進んだ気分(製作それ自体はほとんど進んでいないが)。

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完成しないダンジョン

●題名は模型友みやまえさんのサイトのコンテンツの丸パクリ。

●特に完成を目指しているわけでもなく、ただ無心に「模型をいじりたい」という衝動に見舞われることがよくあって(特に何かしらの用事で心身が慌ただしい時)、そんなネタの一つとして、現在、エレール 1:72のモラン・ソルニエ225をいじくり中。

キットに関しては、以前に、記事「ポテかポテーズか」でごく簡単に紹介したことがある。以下、若干重複するが、改めて。

Img20240228224125 Img20240228224142

箱は潰れてボロボロ。1980年代の黒箱になるまえのキャラメル箱。キットは、scalematesによれば1967年に初版発売。表左下の「メーカータグ」的な部分に「Heller Echelle 1/72eme」と書かれているのは、1969年の第2版であるらしい。

裏側には「DANS LA MÊME SERIÉ(同一シリーズ)」として当時すでに出ていたキットが並んでいるが、1:75のアルカンシエル、1:40のスパッドVIIなども入っているから、単純に「シリーズ=飛行機キット」くらいの意味しかない。下に書かれた「DE NOMBREUX AUTRE MODÈLES A PARAITRE」は、おおよそ「新製品続々登場予定」といった意味。

ちなみにこのキットは、今世紀に入ってからも、まだチェコのSMĚR(スムニェル)から販売されている(本家エレールの方では、現在では絶版状態のようだ)。

実機は、上の箱のキット名称では「MORANE 225」となっているが、より詳しく書くと「Morane-Saulnier M.S.225」。戦間期のフランスの機体で、当時のフランス式分類記号では「c.1(単座戦闘機)」。第一次大戦末期から戦間期の一時期に掛けて、モラン・ソルニエがこだわっていたパラソル翼の一連の機体のうちのひとつで、1932年に初飛行している。

英語版wikipediaによれば、「開発中のより高度な航空機の導入前の一時しのぎとして作成された」機体だそうで、そのため生産機数は75機と少な目。そんなのを、よくもまあキット化したもんだ。53機が空軍に、16機が海軍航空隊に納入され、3機が中国に輸出されたらしい。3機は行方不明?(普通に考えると、テスト用にメーカー側でキープされたとか、そんなところだろうが)。

……というようなことを聞くと、私としては中国仕様で作ってみたくなるのだが、ネット上には根拠が不明な塗装図は2例ほどあるものの、実際の写真は見当たらない。どなたかこ存じの方がいれば教えて下さい。

●ちまちまいじって、現状、主要パーツ群は以下のような感じ。

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エレールは自国の誇りに掛けて戦間期のマイナー国産機のキットを精力的に出していたが、このキットは同社72の中でも比較的初期のものとあって大らかというか、再現度も「プラモデルとしての出来」もイマイチ。かといって、カリカリにチューンするほどの資料も気力も足りていないので、「どうしても目に余る」部分を訂正しつつ、若干なりと「シュッとした」状態に持っていく、程度の工作を目標とする。

しっかり製作記等を書くつもりもなかったので、いじったパーツのbefore状態の写真を撮っていないので、どういじったかの比較はできないが、以下、主に手を入れた部分など。

Img20240228224617 Img20240228224601

主翼は外翼部上面が別部品。そのパーツ分割線がエルロンの前辺と外側を兼ねているのだが、内側の切れ目はなく、しかも主翼下面に至ってはエルロンの影も形もない。というわけで、上面の内翼・外翼間の接合線を消すとともに、エルロン内側・外側にエッチングソーで切れ目を入れた。下面はエルロン前辺をスジボリ。下面のエルロン・主翼間は若干リブの山をヤスって、「エルロンと主翼はきちんと別ですよ~」感を若干プラス(どうせ裏なので気持ち程度)。

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水平尾翼は、安定板と昇降舵の分割線が間違えている。キットでは昇降舵外側分割線が後ろ側(赤矢印部分)にあるのだが、実機は前側(黄色矢印部分)で、要するに昇降舵にデカいバランスホーンがある形状。というわけで、後ろの溝は埋めてリブ表現に。前側には切れ目を入れた。

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コクピット内は、キットのパーツとしては床板、椅子、操縦桿があり、古いキットとしては「まあ、マシ?」な感じ。とはいえ、オープンコクピットで、中を覗いてそれだけだと寂しいので、両側にフレームを付けた。あとは若干の機器類、計器盤、フットペダルくらいは足そうかな。

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カウリングは、キットのパーツのままだと「円筒形+前面」くらいの感じだったが、実機はもうちょっと、前半部で緩やかに絞っている感じなので、適当に削り直した。もともとパーツには変な梨地モールドとかパネル分割表現とかタガとかのモールドがあったが、その辺も一旦全部削り落とした。カウリング前面は排気管で、左右に排気口がある。キットは「ただの穴」状態だったので、プラペーパーを突っ込んで、なんとなくそれらしく。

エンジンは、向きを決めるダボなどなかったので、シリンダーが「Y」状態になるように付けたが、実際は逆(真上にシリンダー1本が来る)かも。

木製2翅のプロペラは、ブレードの片側がほぼ直線、もう片側がゆるくカーブしている。キットは直線側が前縁になっているのだが、実機ではカーブを描いているほうが前縁なので、キットのプロペラの軸部を切り取って、表裏をひっくり返した。

昔々、とある模型誌で、「キットのプロペラのピッチが逆なので、表裏逆にして取り付け」という記事を読んだことがあるようなおぼろげな記憶があるのだが、表裏逆にしても、ピッチは逆にならないよね……。記憶違いかなあ。

●と、いじってはいるものの、そのまま完成まで突き進む気力がいまいち湧かないのは、

  • 前記のように、生産機数があまり多くなく、塗装バリエーションに乏しいこと。
  • そもそも徒然にいじっている古キットに別売デカールなどを奢る気にもなれないこと(かといって、キットのデカールは今でもちゃんと使えるかどうか怪しい)。
  • さらに胴体前半+カウリングは金属地、しかもどうやら胴体前半側面は、細かい三角の整然とした磨き模様付きなので、塗るのが面倒。というよりも、そもそもどう塗ったらいいかも考えたくない感じ。

などによる。

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II号戦車a2型 IBG 1:35(4)

●もはやレビューというより半ば製作記に足を突っ込んでいるが、IBGのII号戦車a2型の気になりポイントの続きと、その修正作業など。

とりあえず現在は、車体基本形を組み上げたあたりで、その時点での気になりポイント/手入れポイントをランダムに。

●戦闘室の部品分割はタミヤのII号戦車(ポーランド、フランス戦線)とほぼ同様で、周囲の縦の面は一部を除いて別部品。実車では接合ライン(溶接線)はエッジにあるが、キットでは上面に接合ラインが来てしまうので、なるべく丁寧に消す必要がある。近接して吊り下げフック基部のモールドがあるので、それを避けて消すのがちょっと面倒。

Img20240112234052

レビューの前回で書いたように、戦闘室右側のフェンダーステイは、車体側付け根部分に若干の変形があった。

前方ステイの付け根は埋めたり削ったりして修正。後方ステイは、キットでは前方と同形状だったが、一度削り落として大型のものに作り直した。

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どうもこの後方ステイの形状や位置には、型や時期で微妙な変更があって、b型以降はもう少し前方にあるらしい。a型の場合は戦闘室とエンジン部カバーの接合部くらいにある。ステイの根元は、キットのモールドでは戦闘室側にかかっているのだが、当時の実車写真では戦闘室側よりもエンジンフード側にかかっているようにも見える。確証無し。

また、トラクツの図面によると、フェンダー側の取付ベロは後方にあるように描かれているが、キットは前方ステイと同様に前側にある。これに関しては、当時の実車写真ではよく確認できないし、そもそも修正するとフェンダーパターンの再生など、非常に面倒な作業になってしまう。というわけで、ステイ本体の形状は修正したが、位置とベロの向きはキットのままとした。なお、b型以降のステイのベロは後方も前側にある模様。

●エンジンルーム側面の通風孔は、保護ロッドが単純な板状モールドになっているので、一旦削り落とし、金属線で作り直した。

また、エンジン点検ハッチは、周囲に隙間があるのは実車もそうなのだが、キットはちょっと開きすぎな感じなので、ハッチ側にプラバンを貼って狭めるとともに周囲の溶接線を付け加えた。

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●車体前部ハッチは、キットは表面がつんつるてん。本来は鍵穴ほかロック機構関連と思われるディテールがあるので、なんとなくそれらしく追加。

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●II号戦車a~b型の前端マッドフラップは、フラップ本体とヒンジが離れた位置にある、ちょっと謎の構成。なんで単純に継ぎ目に蝶番じゃダメだったんだろう……と思ったが、改めて考えて謎が判明。あ。これ、跳ね上げた際に前照灯をまたぎ越すようになってるんだ。

キットでは、この周辺は比較的細かく部品分割されていて、それなりに表現しようという努力は認められる。

しかし、フェンダー内側パーツ(左写真)は、可動部との継ぎ目がないうえにスプリング付きストッパーのモールドもやや貧弱。可動部を貼り増す形で手を入れた。

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可動部内側面(白いプラペーパーで追加した部分)は、パンツァートラクツに掲載されたマニュアル図(p8)では、写真に追加した黄色矢印部に切れ込みがある。尾藤満さんのa2型工作でもその切れ込みは再現されているが、当時の実車写真では、写真それ自体が不鮮明だったり、寄りの写真がなかったりで、存在がはっきり確認できなかったので、私は切れ込み無しとした。

しかし、よくよく考えると、この切れ込みは、跳ね上げた際に後方のフェンダーステイと当たる部分を窪ませることでより深く倒すために付けてあるのかも。そう考えると、「あって当然」にも思えてくる。

また、ついでに前照灯の配線も追加した。

なお、車体前端曲面部にある小さな点検パネルは、a型では取付ボルドが6本、b型以降では2本……というだけでなく、b型以降は一段出っ張っているのに対して、a型ではほぼツライチになっている。

●車体後部の無線手ハッチは、増加試作型(a~c型)では2分割。

a型では通風孔に中央の保護バーがないようなので、キットのパーツのバーのモールドをくりぬいた。そのままがらんどうの車内が覗けてしまうと情けないので、適当に隔壁を入れたのだが(左写真)、よくよく資料を見直したら、通風孔は筒抜けではなく直下にシールドがあるようなので追加。そりゃまあそうだわな。隔壁工作はまるで無駄。

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なお、このハッチのパーツは、キットの説明書では戦闘室後面パーツ(P18)の取付前に付けるように指示されている。私は、前記の接合線消しの都合もあって先にP18を付けたのだが、そうすると、クラッペのモールドが干渉してハッチが入らず、無理矢理ねじ込む羽目になってしまった。そのせいで、ハッチが微妙に歪んでしまった。

それにしても、実際にこのようなレイアウトだと、実車でもハッチがうまく開かないはず。本来はクラッペがもっと薄くて干渉しない? あるいは、ハッチ前端の形状が、実際にはちょっと違う? どうもよく判らない。

●フェンダー後部ステイは別部品(G7、G8)。

パーツそれ自体にピタッと位置を決めるダボなどはないが、L字の内側をフェンダーにそのまま沿わせるのではなく、やや間隔を開ける。でないと、外側端が飛び出してしまうので判ると思うが。

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なお、説明書ではこのステイに重ねて牽引用リングの部品(U4)を取り付けるよう指示があるが、実車では当初、このリングはなく、後々の追加装備の様子。また、このパーツはステイ付け根のボルトを共用して取り付けられているようなので、(説明書には書かれていないものの)ステイ付け根のボルトを削ってから付けるものではないかと思う。

●誘導輪基部は、基部パーツの中心に車軸が付いた形状になっている。

Img20240112222105

しかし、実際には車軸はこの基部パーツの中央から偏心していて、この部分を回転させることで誘導輪位置を変えて履帯張度を調整する仕組みになっているはず。

もっとも、組み上げてしまえばほとんどわからないうえ、現在の車軸位置で、トラクツの側面図とほぼピッタリの位置に誘導輪が来るようなので、特に移動などはせず放置のつもり。

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つれづれSU-100(6)

●II号戦車のレビューなどもあって、すっかり「もうお蔵入り?」感が漂っているが、ここで唐突に。

ドラゴンのSU-100(初版)の割と行き当たりばったりな製作記の続き。

遡ってみたら前回は6月だったので、ほぼ夏と秋がぽっかり開いてしまったことになる。

●さて、まずは先月頭にあった東京AFVの会の折、ハラT青木伸也氏に、「この砲身、戦後型ですよ」とツッコミを入れられた件について。

もともと、実車写真でも主に注意を払っていたのは戦闘室形状で、砲身にバリエーションがあるなんてことには、まるっきり気付いていなかった。現存実車のうち、戦中型の戦闘室形状を持つものについても、砲身はドラゴンのキットや別売砲身と同形状のものばかりだったためでもある。ちなみに、ズベズダのSU-100(もちろん新版)の砲身は、web上で説明書の図解やキット写真を見る限り、一応、初期型形状になっているようだ(ややどっちつかずな印象もあるが)。

最近話題に上ることも多いCanfora Publishingの新しい資料とかだと、この辺もきちんと抑えていそう(セータ☆さんによれば、ズベズダのキットはこの資料を参考にしているそうだし)。新しい資料、ちゃんと追ってないからなあ……。

そんなわけで、改めて戦中の(と思しき)写真を、手持ちの資料やweb上で漁ってみる。砲身のディテールまでしっかり判る写真はなかなか見つけづらいのだが、それでも、なんとか「戦中と確認できる写真で、砲身の形がしっかり判るものを見ると、キットや手元の別売砲身とは形状が違う」ということは確認できた。

上記のように、戦闘室が初期型であっても砲身は戦後で標準のタイプであることが多く、初期型の砲身は現存していないのかとも思ったのだが、facebookで仙波堂さんから「現存車輛でも初期型砲身のものがある」と教えて頂いた。改めて写真を漁ると、戦闘室後面が組み継ぎではないタイプ(したがって資料集め段階でスルーしていた車輛)で初期型砲身を載せている例がいくつかあることが判明した。

どうもそれを考えると、戦中・戦後でくっきり分かれているというよりも、戦後ちょっと経って切り替わった可能性もありそうなので、以後は「戦中型・戦後型」ではなく、「初期型・標準型(もしくは後期型)」と呼ぶことにする。

AFVの会の折の青木氏の説明では、「戦中のヤツはもっと根元でグッと太くなっている」みたいな簡単な説明だったが、一応、その後の写真から読み取ったことも含めて違いをまとめると、

・標準型の砲身は、根元に向けて緩やかなテーパーで太くなったあと、防盾近く(20cm強くらい?)できつめのテーパーで太くなる。初期型の砲身は、もっと防盾ギリギリまで緩やかなテーパーで太くなり、防盾に接続する直前で急に太くなる。この点、ぱっと見の印象ではSU-85の85mm砲身(特に後期のD-5S-85A)に似ている。ただし、85mm砲のように段差は付いておらず、あくまで急なテーパーで太くなる。簡単にまとめると、「標準型は防盾より数十センチ前から急なテーパー、初期型は防盾の直前でさらに急なテーパー」。

・砲口付近の「たが」状の段差は、標準型に比べ、初期型は前後に短い。

・砲身全体のテーパーも、初期型は標準型よりも、ややふっくらしているような気がするが、これは文字通り「そんな気がするだけ」かも。

●もともと不良在庫化しかけていたドラゴンのSU-100(初版)を今更作り始めたのは、以前にも書いたように、はい人28号さんからアフターパーツの転輪と砲身を頂いたためなので、これでその砲身を使わないとなると、「何しとんねん」みたいな話になってしまう。とはいえ(一応あれこれ検討はしてみたものの)、アルミ製の挽き物砲身を一部削り直すなどというのは、専用の工具もない私にはハードルが高すぎる。結局、せっかく付けた金属砲身をもぎ取って、新たに砲身を自作することにした。

当初はキットの100mm砲身の根元を加工しようかと思ったが、ちょっと根本が細い感じがしたので、砲身の前半はキット、後半にはwaveの6mm径のプラパイプを継ぎ足してからテーパー状に削り直した。

旋盤など持っていないので、ナイフで粗削りしてからペーパーで挟んで手でグリグリというプリミティブ工法。途中でキットの砲身前半とプラパイプの砲身前半の継ぎ目が折れて継ぎ直したりもしたので、よ~く見ると、中心軸がちょっと怪しい気もする。ぱっと見で判るほどではないけれど。

途中で、どうも前半部も細身な気もしたので、プラペーパーをらせん状に一巻きして、改めて削り直したり。さらに削る過程で薄くなったプラペーパーが一部剥がれてあばた状になったところを瞬着で埋めたり、凹凸を均すためにサーフェサーを塗っては削り、塗っては削りしたり。

Img20231116145405 Img20231130230211

左が削り途中。右がひとまずの工作終了状態。頂き物のABERの100mm砲身と並べて撮影。新造の砲身はプラペーパーを巻いているので材質の下地は基本白なのだが、サーフェサーを重ね塗りしては削りを繰り返しているうち、砲口部を除いておおよそグレーになった。

Img20231201002523 Img20231130230348

標準型(後期型)のABERの砲身と、初期型の新造砲身とのディテール比較。新造砲身の根元部は、ドラゴンのキットに不要パーツで入っていたSU-85Mの砲身根元の段差部を移植してから削った。砲口部の段差はプラペーパーを一巻きしてから削っている。ABERの砲身も、狭すぎる砲口を、ぜっかくゴリゴリ削って広げたのになあ。もったいないなあ。

ABERの砲身も、新造砲身も、砲口内部のライフリングは無し。KV-2初期型用に作った152mm砲身にはライフリングも工作したが、100mm程度では面倒くさくて工作する気になれない(言い訳)。

●そして、東京AFVの会の折に青木氏に指摘された箇所の第二弾。

「ラジエーター・グリル、方向逆じゃないですか」

これは考証がどうのという以前の問題で、単純に老眼とうっかりの合わせ技。工作直後にクローズアップで写真も撮って(下左写真)、当ブログの製作記事にも載せているのに気付かなかった。

Img20230318123907 Img20231116145559

前述のように左が当初の工作で、上面左の内側ラジエーター・グリルの向きが逆。マンリーコさん直伝の「エナメルシンナー剥がし」で何とか外せたので、向きを変えて付け直した(右写真)。

●ほか、夏~秋の停滞期にちっくりちっくり工作していた個所など。

ますは車体後部の補助燃料タンクの支持架(ステイ)。

ドラゴンのキットには、IS(JS)重戦車用と似た(もしかしたら同じ?)基本板状のステイのパーツが付属している。初期にはもっと別の形状なのだが、キットのタイプも大戦末期から使われているので、私はこのタイプを使うことにした。

本来ならば、ステイの本体部分(メインの板部分)はキットのパーツよりもずっと薄く、そのあたりに気を遣うなら薄いプラバンや金属板、あるいはアフターパーツのエッチングなどに交換すべきなのだが、金属板で根元にベロを作って車体に埋め込むとかの手間を掛けない限り、強度的にかなり不安が出て来てしまうため、キットパーツに若干手を加えて使用することにした。

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キットパーツに「若干手を入れた」のが左写真。タンク固定ベルトの留め具は、やや薄削りをしたうえで、根元側は穴、先端側はフォーク状に加工。また、タンクの受けとなる円弧部分は、先端はベルト先端のロッドが干渉しないよう、留め具側が少し切り欠かれているので、そのように加工した。

右写真は車体に取り付けた状態。ちなみにこのステイは、車体右と左とで全く同一のパーツを使っているので、ベルト留め具は、車体右側ではステイの後面、左側では前面にある。

しかし。

これに関しても青木氏からツッコミが。大戦末期からこのタイプが使われているようだというのは青木氏も異論がないものの、「ステイがこのタイプになった時には、すでに戦闘室後面の組み方が変わっているのではないか」とのこと。

というわけで、手元にある写真を再確認してみたのが、どうも今ひとつ決め手がない。CONFORAの「SU-100」とかなら、そのあたり解答があるのかなあ。

今のところ分かっているのは、

  • 前部フェンダーが丸型の時期から、すでに新型燃料タンクステイは使われている。
  • 新型燃料タンクが使われている場合、すでに後面の発煙缶の搭載もデフォかも。
  • 少なくとも手元にある終戦前後の写真では、戦闘室後面の組み継ぎと新型ステイの組合せを確認できるものはない。
  • ただし、現存車輛では戦闘室後面が組み継ぎでも、ステイは新型である場合がほとんど(全て?)。ステイをわざわざ新型に付け替える必然性なんてあるかなあ。

ま、とりあえず今のところは「組み継ぎ+新型ステイもあったんじゃないかなあ」説の明確な否定材料もないので、そのままとしているが、この先、あまりに気になったら旧型ステイに付け替えるかも。

もともとSU用の旧型ステイは、細かい板状パーツを折ったり曲げたり溶接したりして組み上げたちょっとややこしい形で、SU-122やSU-85は基本これのみ(SU-85Mも?)、SU-100も生産初期にはこのタイプが使われている。現在では出来の良い3Dプリント・パーツ等もあるようだが、インジェクションでもminiartのSU系列にセットされたものがあり、これも必要十分な出来(下写真)。

Img20231219132155

同社のT-34系列用転輪セット各種には、このステイが不要パーツとして1輌分以上入っている。初期型・後期型ハブキャップの枝に入っているので、どの形式の転輪セットにも全て入っているのではないかと思うが、しっかり確認はしていない。

ともあれ、我が家にも1セットあるので、いざとなったらこれに交換予定。実は「ズベズダのSU-85を作るときに使おう」と思っていたのだが、「その時はその時でまた考えよう」でもいいし。

●そして予備燃料タンク本体。

SU用の燃料タンクは、基本、筒のフタ部分(円筒の底面)が凹レンズ状に窪んでいて、ズベズダのパーツはこれを表現しているが、ドラゴンでは戦車型と共通パーツのためにフラットになっている。

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そんなわけで、ドラゴンのパーツのフタ部分をノミだのヤスリだので窪ませた。上写真は右端がズベズダ(ベルトのモールドは削り済み)、他がフタ部分を加工したドラゴン。ドラゴンのタンクは派手にへこみ表現が加えられているが、実車写真を見ると、ここまでベコベコなのはほとんど見ないような。しかも4本のタンクのへこみ表現が全て同一なのも難点。写真のパーツは、へこみ表現を若干削り直し、少しでも変化が出るようにした。左端のへこみ無しタンクもドラゴンのものだと思うが、何のキットのものだか不明。

筒のフタ部分が窪んでいるため、SUでは、前後の燃料タンクがほとんど密着状態で搭載されていることがある(フタ部分がフラットだと、持ち手が干渉してしまうはず)。なお、戦車型でも時々、この「フタ窪みタイプのタンク」が使われていることがある。

なお、初期のSUでは、固定ベルトが掛かる内側部分でタンクが「たが」状に出っ張っている、という考証を以前していたのだが、これに関してはちょっとあやふやになってきた。

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II号戦車a2型 IBG 1:35(3)

●ポーランド、IBG社製 1:35 I号戦車a2型のだらだらと長いキットレビューの続き。

まあ、たまにはモデラーらしい話もしないとね、というのと、久々に(それなりに)新しくて(それなりに)ボリュームのあるキットを買ったので。……軽戦車だけど。

●というわけで、前回の足回りチェックに続いて本体部分。まずは車体上部。

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車体上部パーツをPANZER TRACTSの図面と重ねてみると、ほぼ寸分違わず重なる。ベース資料としてトラクツを参考にしているのは、ほぼ間違いないようだ。

右写真は、タミヤの標準型II号戦車の車体上部と突き合わせてみたところ。戦闘室の寸法には大差ないが、フェンダー幅はIBGのa型キットでは、きちんと幅が狭いKgs.67 280/90に合わせたものになっている。前回書いたように、履帯は後になって幅広のKgs.67 300/90に履き替えている例があるが、フェンダーまで交換しているわけはないので、ここはきちんと狭くなっていてくれて一安心。

また、フェンダーの滑り止めの網目模様は、タミヤのキットでは「網目がある」という記号的表現でしかなく、目が粗過ぎるのが問題だったが、IBGのa型では十分に細かい表現になっていて好感が持てる。

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a型の外観上の大きな特徴である、ビル空調の室外機みたいな丸いラジエーターグリルは、ちょっと彫刻が浅め。とはいえ、表現は割と繊細なので、個人的には「スミイレくらいでいいかなあ」という感じ。

その前方の、増加試作型特有の2分割の無線手用ハッチは、通風孔の中心に縦にバーが付いた仕様になっているが、a型の場合は、このバーはないのではないかと思う。少なくともPANZER TRACTSに掲載のa2型の図面とキャプションではそのように説明されている。

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戦闘室右側面は別パーツ、この部分のフェンダーステイはフェンダーと一体だが、金型からの抜きの際に余計な力が掛かったか、微妙に変形があった。

エンジンルーム側部の通風孔は、異物が入らないように保護バーがあるのだが、これがスリットと一体成型(右写真)。これはタミヤのキットでも別部品だったところで、もうちょいなんとかしてほしかった。いやまあ、手を入れるのが凄く面倒、という形状でもないけれど。

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シャーシは底面・側面が一体。前後面は別パーツ。a型は後の生産型に比べて寸足らずだが、単純に車体後部が短いだけでなく、前部も傾斜がきつく下がっていて、誘導輪位置もやや後下方に下がっている。

車体後下部パーツは選択式で、初期状態と、誘導輪基部強化のために追加されたコーン(右写真)付きの仕様とを選べるようになっている。この補強コーンが導入されたのがいつ頃なのか今一つよく判らないが、とりあえず、ポーランド戦時のa型の写真で、コーン未装着のものがあるのは確認できる。

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砲塔はこんな感じ。寸法は、これまたトラクツのa2型の図面とほぼ合致。タミヤの砲塔より1mmほど幅広。エッジには溶接表現が加えられているが、ちょっと立ち過ぎな感じも。ここはタミヤ程度のほうが落ち着いていて好き。

なお、a型は、砲塔それ自体はb型以降と同一だが、クラッペの仕様に違いがある。

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武装の20mmKwKとMG34。1枚目はプラパーツのランナーにある通常版用。スライド型を用いて砲口・銃口が開いており、また、MS34のジャケットの放熱穴もそれなりに表現されている。ただし、20mm砲身の交換時グリップ部分が凹表現になっているのは、ちょっと頂けない。

限定版に付属の20mm砲身とMG34銃身は、ポーランドのサードパーティ「MASTER」製で、このセット自体の別売もあり、日本国内でもM.S modelsやパンツァー・レーア、ホビーランドなどで扱いがあるようだ。3DプリントのPZL P-11c用のオイルクーラーとか、ちょっと欲しいなあ。

閑話休題。20mm砲身はアルミ挽き物で、塗装すると消えそうではあるものの、グリップ部分の梨地表現もついている。消炎器部分は3Dプリント。MG34は銃身と消炎器は真鍮挽き物で、ジャケットが3Dプリント。銃身と消炎器は前後から差し込んで、接続部は入れ子になる。MG34のジャケットはちょっと事後変形があり、銃身を差し込むとそれなりに真っ直ぐになるが、それでもやや曲がっているような……。3Dプリントのレジンも、熱湯で変形は直るのかな? ご存じの方、教えて下さい。

●ちょっと気になる部分、目についた部分をピックアップしてみたが、実際に製作に入ったら、さらに気になる部分、判らない部分がぼろぼろ出て来そう。まあ、その時はその時に、ということで。

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II号戦車a2型 IBG 1:35(2)

●ポーランド、IBG社製の「II号戦車a2型(限定版)」キットレビューの続編。中身をチェックして、個人的に気になったところなど。

●いきなり「足元を見やがって」感があるが、まずは履帯から。

前回述べたように、キットの履帯はII号戦車で標準的に用いられたKgs.67 300/90(ピンを含めた横幅が300mm、ピッチが90mm)を表現している。

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左写真はタミヤのII号戦車c、A~C型の部分連結履帯と重ねて撮ったもので、同一幅であることが判る。右写真はT-RexのI号戦車用履帯(Kgs.67 280/90)の初期型と並べてみたもの。

前回も書いたように、II号戦車はa型においては生産時にはI号戦車と同じ、幅が狭いKgs.67 280/90(ピンを含めた横幅が280mm、ピッチは同じ90mm) が用いられていて、Kgs.67 300/90に変更されたのは次のb型からであるらしい。ただし、a型でもその後Kgs.67 300/90に履き替えている例があることは写真で確認でき(例えば「PANZER TRACTS No.2-1 Panzerkampfwagen II Ausf.a/1, a/2, a/3,b, c, A, B, and C」のp22)、これのみを以て直ちに誤りとは言えない。

むしろ開戦時には生産からすでに数年が過ぎており、実戦参加車輛は多くが標準履帯に履き替えていた可能性もありそう。しかし問題は、履帯の見た目自体はKgs.67 300/90もKgs.67 280/90もそっくりで、当時の写真を見ても、どちらを履いているのかなかなか判別できないこと。上記トラクツの写真についても、キャプションに「Kgs.67 300/90だ」と書かれているので「へ~、そうなんだ~」と思うだけで、私自身がきちんど識別できているわけではない。

ただ、ガイドホーンに穴が開いていて三角形に近い形状であればKgs.67 280/90(の初期型)、ガイドホーンに穴がなく台形に近ければKgs.67 300/90の可能性が高そうな気がする(Kgs.67 280/90でも後期型はガイドホーンに穴がなく台形に近いが)。

なお、標準的なKgs.67 300/90としてみると、キットのパーツはちょっとガイドホーンが尖りすぎかも。

●転輪類。

結論から言ってしまうと、転輪、上部転輪、誘導輪はすべて広いKgs.67 300/90に合わせた幅になっている。

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転輪(左写真)は、三枚おろしの円盤を貼り合わせる構造で、ゴムリムの縦筋を表現する形式になっている。確かにa~b型の実車写真を見ると、このような縦筋が確認できるものがある。

ただし円盤間の位置決めダボがいまひとつキッチリ行かない。挟み込む中央円盤の凸が明瞭な側はそのままでよいようだが、凸が不明瞭な側は、そのまま付けようとすると円周がズレるので微調整が必要になる。

なお、前述のように転輪幅はKgs.67 300/90準拠なので、もしもI号戦車用履帯に交換することを考えるなら、中央に挟む円盤を薄いプラバン製に替える必要がある。むしろ、スライスして幅を詰めるといった激しく面倒な作業を強いられずに済む分、よいかも。

右写真は上部転輪パーツで、上側がキットのもの。下側はタミヤの主生産型キットのもの。II号戦車の上部転輪はa各型は大径、b型以降は下のような小径のものとなる。というわけで、本来のa型用としては上の大径でよいのだが、ただし、その場合はKgs.67 280/90履帯に合わせて幅が狭くなければおかしいことになる。上部転輪パーツ裏は軸穴以外特にモールドはないので、削るのに不都合はないが、それでも均一な幅で削るのはちょっと面倒?

もう一つ問題なのは、確かにKgs.67 300/90に交換されていると思われるパンツァートラクツのp23の写真では、上部転輪も小径・幅広のものに交換されていること。大径の上部転輪のままで、Kgs.67 300/90履帯を履いている例があるのかどうかは、よくわからない。タミヤのパーツを流用して小径のものに変えるか、それとも「新型履帯を使っていても大径の上部転輪のものもある」と判断して、a型らしさを残すために大径のものを使うか。ちょっと悩ましい。

●サスペンションパーツは下左写真のような形状。一方、a3型のキットでは、右のような形状になっているようだ(IBGサイトにUPされているa3型キットの組立説明図より切り出し引用)。

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この増加試作型のボギー式のサスは、だいぶ小刻みに形状が変化している様子。しかしその一方で、実車写真では外側ビームの陰になっていることが多いためもあり、なかなか細かいディテールが確認できない。

PANZER TRACTSにはa2型の4面図が出ているのだが、IBGのキットのサスペンションボギーのスプリング部のディテールは、a2型用も、a3型用も、それぞれ微妙に図面とは異なっている。大雑把に言うと、トラクツの図面のサスは、IBGのキットの2種のものを掛け合わせたような感じ。わざわざ形を違えてパーツ化しているということは、IBGはトラクツ以外の何らかの資料or写真を参考にしている可能性がある。

なお、このサスボギーに関しても、履帯を新型に交換している場合には、幅広の転輪とともにより新しい型に交換されている可能性があるかもしれない。これまたちょっと悩ましい。

ちなみに、トラクツの22ページ上写真の(キャプションを信じるなら)a1型は、IBGのa2・a3型とも、トラクツの図面のa2型とも違い、後のb型のものに似たサススプリングになっている(車軸がスプリングに対して下側にある)。この車輛は幅の狭いKgs.67 280/90の初期型履帯を履いているようだし、上部転輪も初期型なので、b型のサスに交換している可能性は低そう。これはa1型独特のサスなのか?

12/14追記。邦人さんに教えて頂いたのだが、フランス人のjacky PAQUIS氏という方が、II号戦車に特化(!)したサイトを開いている。そのサイトの図説によれば、上記、トラクツの22ページ上写真のサススプリング仕様は、a1型の生産第2シリーズ(?)で用いられた(元のサスから交換装着された?)“第2バージョン”のサスだそうだ(「デッサン」コーナーにある図説27、28)。PAQUIS氏によれば、a2のサスは、基本的に、a1の仕様をそのまま引き継いでいるらしい(図説41)。

また、そもそも第1ボギーと、第2・第3ボギーとでは、最初からわずかな差異(リーフスプリングの枚数とか)があるようだ。

このあたりの仕様(の変遷)に関しては、実際にこのキットを作る際、最後まで悩みの種になりそうだ。一応、トラクツに掲載されているKgs.67 300/90履帯と小径上部転輪装着車の写真(p23上)ではa型用サス形状なので、幅広履帯でもb型サスへの交換まではしなくて済みそうではあるけれど、そもそも「a各型のサスはどういう形状だったのか」がはっきりしないのはもどかしい。

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サスボギー外側ビームのエッチングパーツはa1-a2型用。コの字断面の上下の折り返しが、左写真のように、a1-a2型用では左右端まである。一方、a3型用(右、IBGサイトにUPされているa3型キットの組立説明図より切り出し引用)はやや短く、軸穴の中央に達するくらいまでしかない。

ただし、これまた「実車ではどうなのか」というのが今一つよく判らない。後のb型でも「折り返し長いタイプ」が使われていたりするし(トラクツp30)、a1型で「折り返し短いタイプ」だったりする(トラクツp5)。しかしa1型で「長いタイプ」もある(トラクツp22)。

ちなみに、IBGのa2型キットとa3型キットの間のパーツの差異は先述のサスボギー(a2:Eパーツ → a3:Fパーツ)と、エッチングパーツ2枚のみ。エッチングパーツの差は、1枚は上記のビーム形状、もう一枚の小物エッチングシートには強化サスの追加スプリングリーフ?が追加されている。

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起動輪はa型独特の形状。径は後のb型用や、c、A~C型用と一緒で歯数も同じ26枚。IBGはTKSで歯数を間違えた前科があるので、「大丈夫かな~」とも思っていたのだが、今回はOK。径もタミヤのc、A~C型用と一致した。

長くなったので、足回り以外はまた次回。

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II号戦車a2型 IBG 1:35

Img20231210133426 ●久々の大きな買い物。ポーランド、IBG社製のII号戦車a2型。

昨年末~今年の初頭に発売されたキットで、その後、バリエーションとしてa3型とb型も出ている(a1型も予告されている)。

「初期型好き/大戦初期もの好き」の私としては発売予告時から欲しいと思っていたキットなのだが、通常版で7000~8000円台、金属挽き物+3Dプリントの20mm砲身とMG34、minirt製の戦車兵フィギュアの付いた限定版は1万円の大台に乗るという、昨今の高価キットの波の中でもひときわお高い感じで、指をくわえて眺めていたもの。

それが、9日土曜日、仕事で都心に出た帰りに秋葉原の駿河屋に寄ったら、中古品+バーゲンで限定版が税込み6300円で売られていて、つい手を出してしまった。9日は誕生日でもあったので、「自分へのプレゼント」という勝手な言い訳を心の中でしつつ。

●実車は言わずと知れたドイツ戦車の次男坊、II号戦車の初期型、というか増加試作型。a1~a3型まで各25輌、合計75輌が生産されている。後の、リーフスプリング独立懸架の片側5転輪という標準形式に落ち着く前の、I号戦車同様のカーデン=ロイド製トラクター譲りのリーフスプリング付き、小転輪のボギーを並べた足回りを持つ。

次のb型も同様の足回りながら、小改良がくわえられ、車体形状はほぼ後の標準型と同じになる。その次のc型で、ついに足回りが落ち着いて、その後の主生産型(A~C型)に引き継がれていく。

なお、サブタイプがa~cと小文字なのは増加試作型であることを示している、というのが一般に言われていることで、実際、その説明は納得しやすいのだが、改めて考えると、例えば同じく増加試作型扱いで少量生産のIII号戦車A~D型はそのまま主量産型と続きになっているし、他にも「小文字は試作型」の方式を採っているドイツ車輛にはお目にかかったことがないような。そのへんキッチリしていそうなドイツ軍(orドイツ人、ドイツメーカー)なのに、ちょっと不思議。

実車に関しては「PANZER TRACTS No.2-1 Panzerkampfwagen II Ausf.a/1, a/2, a/3,b, c, A, B, and C」や「アハトゥンク・パンツァー(第7集) 1号戦車・2号戦車と派生型編」が詳しい。また、「アハトゥンク・パンツァー」著者の尾藤満さんが、過去、スクラッチに近い工作で完成させたa2型の製作過程をサイト「パンツァーメモ」に載せており、これからa型を作ろうという人にも大いに参考になる。ちなみに尾藤さんは現在、II号戦車の主量産型であるA、B型の工作記事を進行中で、こちらも楽しみ。

●IBGのキットのa2型は、同社の初期型(増加試作型)II号キットの中では最初に出たもので、この後、若干のパーツ替えをしてa3型が発売され、さらに(私はまだ見ていないが)b型も発売された。a1型もアナウンスされているが、これはまだ発売に至っていないようだ。IBG models公式サイトとSCALEMATESによれば、現在判っているラインナップは、

  • 35075 Pz.Kpfw.II Ausf.a1
  • 35076 Pz.Kpfw.II Ausf.a2
  • 35078 Pz.Kpfw.II Ausf.a3
  • 35079 Pz.Kpfw.II Ausf.b
  • 35080 Pz.Kpfw.II Ausf.b with fuel trailer
  • 35083L Pz.Kpfw.II Ausf.a2(LIMITED EDITION)

35077に何が入るのかもちょっと気になる。

なお、発売予定のa1型まで含めれば、おそらく、大戦中に正式採用されたドイツ戦車に関しては、I号戦車からVI号戦車まで、ある程度(10輌以上くらい?)量産されたサブタイプはおおよそ全て1:35でインジェクションキット化されたのではないかと思う。

II号戦車E型はブロンコから火炎放射戦車型しか出ていないが、これはそもそも戦車型として完成したものがなさそうなので対象外。ただ、38(t)の初期型のうち、A型、C~D型は、マケットの初期型キットが大雑把に「A~D型」とひとまとめに銘打っているだけ。しっかりそのタイプを作ろうとするなら、トライスター/ホビーボスのB型から頑張ってちまちま改造する必要がある(ただしこの辺の仕様差はかなり微妙)。

●とりあえずキット内容概観。

35戦車キットとしては標準的な大きさの箱に、パーツは割とぎっしり目。miniart風に、パーツをかなり小分けにした枝構成になっているので、そのぶん容積を食っているのかも。プラパーツの枝は履帯を除いても全部で21枚もある。

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Aパーツ(左写真):戦闘室周囲の装甲板、OVM類など。

Bパーツ(右写真):砲塔下面・前面および砲塔内部パーツ。

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Dパーツ(写真左):車体上部および前部上面、マッドフラップなど。

Gパーツ(写真右):車台、マフラーなど。

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Pパーツ(左写真):車体前後面、ギアハウジングなど。

右写真はQパーツ:砲塔、O・Rパーツ:クラッペ。

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足回りパーツ。Eパーツ:転輪ボギー(×2)、Vパーツ:転輪(×6) Wパーツ:誘導輪(×2) 、Uパーツ:起動輪(×2) 。

履板は枝記号無し。12リンク1綴りのものが20本、計240リンク。軽くパチハメ式になっているようだが、はめ込みの凹凸はあまりなく、あくまで仮止め程度のようだ。説明書には「足回りの組立の最終段階まで接着はするな」と書かれていて、要するに、ハードにいじったり動かしたりしなければ連結が保持されるくらいにはなっているらしい。

履板の横幅は8mm強で、明らかにII号戦車用のKgs.67 300/90(履板のみの幅は285mm、1:35で8.14mm)を再現している。

「II号戦車のキットなんだからII号戦車用の履帯が入っているのは当たり前じゃないか」と言われそうだが、実際には、a型は生産時にはI号戦車と同じKgs.67 280/90(履板のみの幅は260mm)を履いている。ただし、後にII号戦車用に履き替えている例もあるので、誤りとは言い切れない。これに関してはまた回を改めて。

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左写真はTパーツ(透明パーツ)、エッチング(2枚)、限定版のみに付属の20mm機関砲身とMG34。20mmKwKとMG34は、同じポーランドのサードパーティ、「MASTER MODEL」製。20mmKwKはアルミの砲身と3Dプリントのフラッシュハイダー(消炎器)、MG34は真鍮製の銃身・消炎器と3Dプリント製の放熱筒。エッチングは2枚とも、「Pz.II a1-a2」と書かれていて、今後発売されるはずのa1型と共通の模様。a3型用はIBGのサイトの同型用組立説明書で確認できるが、2枚とも若干の差がある。

右、デカールはポーランド戦時の第4師団の2種の砲塔番号(304号車、345号車)と、第5師団の45号車。第5師団の45号車に関しては、国籍の十字と番号は、解釈の違いで白か黄色の選択式。ちなみに実車写真はこちら。一応、下部の菱形の明色部については黄色が定説。番号は菱形と同色のように見えるが、国籍マークは同色のようにも、やや明るいようにも見える……。悩ましいところですな。

ちなみに、箱絵は通常版・限定版ともに国籍マーク、番号ともに黄色の解釈だが、説明書のカラー図では国籍マーク黄色、番号白の解釈。

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左は限定版のみに付属のフィギュア。miniart製のものがそのまま入っている。なぜか付属のリーフレットは「GERMAN TANK CREW (FRANCE 1944)」というトンデモな題名になっているが、実際はベレー帽の初期スタイルの、キット番号35191「GERMAN TANK CREW (FRANCE 1940)」。車輛のマーキングはポーランド戦(1939年)だが、ポーランド戦からフランス戦までに軍装の変更はないはず。……ないよね?

それはそれとして、II号戦車は乗員3名なのに、フィギュアは5体入り。いや、僚車の乗員が遊びに来てるんだよ。

説明書(右写真)は、おおよそいつものIBGスタイル。

●総じて言うと、若干気になる部分はあるものの、なかなか神経の行き届いた良いキットではないかと思う。

これまで、IBGの1:35キットはTKS、7TPを買って持っているが、いずれも、「やる気は感じるものの、どうも詰めが甘い」と感じる出来だった。TKSは、特に足回りがややもっさりした出来だったし、7TPの場合は、リベットが打たれた面にあちこちヒケが出ていたりした。

このキットに関しては、ディテールの細かさに関しては全体に統一感があるし、射出時の温度管理が適切だったのか(あるいは私の手に入れたキットがたまたまアタリだったのか)ヒケはほとんど存在していなかった。「この型式のインジェクションキットとしては初めて/唯一だから」以上の価値は十分にありそう。

考証に関しては、私自身、あまり偉そうなことは言えないが、もう少し細部についての(個人的な)注目点等々については次回に。

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