資料・考証

大村用オチキス

●絶対完成させる!と公言していたのに、10月に入って仕事が切羽詰まって来てほとんど作業を進めることができず、結局、週末模型親父さんのところのSUMICON2016はリタイアしてしまった。

むう……また口だけモデラーに逆戻りだ。

もっとも、これまではリタイアしてしまうと、その作品自体もそのまま放置してしまうのが常だったのだが、今回のT-34は東京AFVの会目指して完成させるつもり。

そんなわけで、仕事もようやく山を越えた感じなので、塗装を再開した。

若干(いまさら)手を入れた箇所などもあるのだが、それはまた今度。

●D.トランプが大統領選を制したそうだ。いいのかそれでアメリカ人。まあ、日本だって安倍だしなあ。

なお、私も制作に関わっている、宝島社から5月に出したトランプ語録&解説本は「あんまり売れてないんですよ」だそうだが、これを機会に売れ出したりするんだろうか。

●ほとんどずっと家に閉じこもって仕事をしていて、先月末からまた限定公開が始まった、まんだら堂やぐら群に2度ほど行った程度。散歩途中のアレコレに関してはまた改めて。

もっとも、このところの季節労働はようやく最後のまとめ作業的なフェイズに入ったので、資料やら何やらの受け渡しがあり、若干神保町通いが増えそう。実際、7日、8日と神保町に行った。7日は帰りに秋葉原に寄ったら、YS店内で、珍しいことに桜樹ルイ16世君に会った。

8日は仕事というよりは飲み会。新天地を求めてベトナムに引っ越して仕事をしているM志氏が年に一度の帰郷してきたため。

●先月、水没させてしまった携帯電話は、オートフォーカスが効かなくなってカメラが使えなくなった……だけで済んだかと思ったのだが、やはりそう都合よくはいかないもので、7日、外出途中で急にキーボタンが効かなくなった。その晩一時的に復旧したが、また使えなくなって、さらに7日、キーボードユニット全体が使えなくなってしまった(一度リセットしたら何とかなるのではと思ってバッテリーを外したら、それっきり電源をいれられなくなってしまった)。

早急に買い換えないといかんなあ。

以上、駆け足近況。

●web上でフランス戦車に関して調べたいと思ったら、まず訪ねるべきは「char-francais.net」だろうと思う。

そんなchar-francois.netを見ていて気になったのが、このオチキスの写真。添え書きに従えば、第14BCC所属車である由。

ブロンコのキット(#35019 FRENCH HOTCHKISS LIGH TANK H38/39)のデカールの一つに選ばれているのもこれだと思うのだが(車輌番号は入っていないが)、本来は小隊を示すトランプの4つのスーツがすべて描かれていることから中隊長車だと思われる。それはそれとして、問題は車体左肩の部分。

ちょっとトリミングしてみたのが下写真(char-francais.netより引用・加工、マル印はこちらで付けたもの)。

40486s

最初は「何か人型の模様?」とも思ったのだが、改めて見直すと、漢字で「大村用」と書いてあるようにも見える。1940年のフランス戦線に大村が!?(誰だよ)

ハッピー・タイガー」に続いて(というにはだいぶ間が開いているが)、「大村用オチキス」がブレイクか? いずれは「シャア専用ザク」と並び称される存在に?

もっとも、若干ボケているので「どう見ても『大村用』だ!」というわけではなく、例えば「大林風」と読めなくもない。……石段から転がり落ちるとルノーR35と入れ替わっちゃうとか?

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ウルススの迷宮(2)

●ジェニファー・ウォーンズの「I Know A Heartache When I See One」(1979年)と、カスケーズの「悲しき雨音」(1962年)って似てるよね。

って、数十年前から思っているのだが、そもそもジェニファー・ウォーンズなんて「愛と青春の旅立ち」の主題歌(「Up Where We Belong」)しか知らねえよという人が(あるいは「それも知らねえよ」という人が)ほとんどかも。

●昨日締切の仕事を昨日のうちに終わらせることができず、今日の昼まで掛かった。昨晩あまり寝ていないので午後ちょっと昼寝。夕方、寒気を感じてぶるっと身震いして起き、「やべぇ。こりゃ風邪でもひいたかも」と思ったのだが、そうではなくて、単純に外気が寒かったのだった。

つい先週、ぎんなんを拾いに出掛けた時は半袖のシャツで汗だくになったのに!

今年は秋がなくて夏の後にすぐ冬が来た、と、かみさんが言っている。

●「ストライク・ウィッチーズ」という、第二次大戦のエースパイロットを萌え系女の子変換した変なアニメがあって、今季、その続編というか外伝というか、「ブレイブ・ウィッチーズ」というのが放映される。それにニルス・カタヤイネン(の女の子版)が登場する予定だそうだが、設定(というかwikipedia)を読むと、アニメのなかでもやっぱり不運だそうだ。可哀想に。まあ、それを外してしまったらわざわざカタヤイネンを出す意味もなくなってしまうけれど。“グラーフ”プンスキ(クルピンスキ)の女の子版も登場するようで、いやに人選がマニアック。

カタヤイネンといえば、“ハッセ”ウィンド最後の出撃(たぶん)で、重傷を負って帰投したハッセ・ウィンドがコクピットから担ぎ出される時、「まだ“ニパ”がいる」(まだカタヤイネンが帰ってきていない)と言うエピソードがある。たぶん「北欧空戦史」ではなくルーッカネン隊長ユーティライネンの著書の中だったなあと記憶していて、先日、何かのはずみでふと思い出して2冊の中を探してみたのだが見つけられなかった。ありゃ……?

(たった今、あ、そういえば!と、梅本弘「流血の夏」を引っ張り出してみたら、その中に書いてあった。こっちだったかあ。……しかしなんでこのエピソードを探していたのかを忘れた。)

●もう一本、今季のアニメの話。「終末のイゼッタ」というアニメが始まっていて、架空のヨーロッパ(実在の国は出て来ず、すべて架空の国になっており、一部国境線なども異なる)の第二次大戦が舞台。出てくる兵器は基本実在のもので、主舞台であるアルプスの小国に攻め込んだ「ゲルマニア」の軍隊は、メッサ―109のE型、シュツーカのB型、III号戦車E/F型などを使っている(割とよく特徴を捉えている)。攻められる小国の方は、まだOPあたりにしか出ていないが、モラン406を使っているようだ。アニメの公式サイトを見ると、早速ハセガワ(たぶん)とタイアップでアニメのマーキング入りキットが発売される(発売された?)ようだ。

というわけで大きな兵器の方は見て判るのだが、一話目でヒロイン(サブヒロイン?)の魔女がまたがって飛ぶ対戦車ライフルの種類がわからない(もともと小火器はそれほど詳しくないけれど)。

●ノーベル文学賞にボブ・ディラン。なんだそりゃ。それこそ「時代は変わる」ってことですなあ、というベタな感想が、おそらく全世界に満ち溢れるだろうと想像(私もそう書いてしまった時点で五十歩百歩)。

ちなみに私はカラオケで「ローリング・ストーン」と「タンブリン・マン」を歌えるようになりたいと思いつつ、いまだに歌詞を覚えられない(画面に出てもそれなりに覚えていないと曲に合わせて読み取れない)。

特に「タンブリン・マン」は、ニューポート・フォーク・フェスのこのライブが好き。

●青山学院大学・相模原キャンパスのチャペルでの来週の「2016チャペル・ウィーク」、連日、著名なクリスチャンを招いて講演があるそうなのだが、10月21日の講演の表題は、

「イエスぱねえ マジ神すぎてワロタ ww」

だそうだ。むしろ青学ぱねえ。

前回に続き、「こんなとこにレバーがあっていいのかよ、ウルススA型!」問題について。

前回はSPA 25C/10バスを紹介したが、今度はSPA 25C/12消防車(ポンプ車)。

写真が小さいので見づらいのだが、この写真この写真でレバーを確認でき、特に2枚目ではやはり運転席床の右側、「お前は法隆寺中門の柱か!」みたいに、乗降の邪魔になりそうな位置にあるのがわかる。

もちろんこれもウルススA型それ自体ではないし、クローズアップ写真もないので、前回同様、「右ハンドルなのにレバーが右側にあること自体は間違っていなさそうだ」以上のことは判らない。隔靴掻痒。

●さらにネット上をうろうろと探し回っていたら、ポーランドで「Samochody ciężarowe URSUS 1928-1930(ウルスス・トラック 1928-1930)」(Andrzej Glajzer)というピンポイントな本が出ているのを見つけた。

ウェブ上で立ち読みしてみると(買えよ!)、黒く潰れてディテールははっきりわからないものの、ハンドルやレバー類の付いたシャーシの写真と、シャーシの平面図が出ていた。

それらから判断すると、レバー類は右側のシャーシフレーム位置辺りから生えているようだ。平面図での描き方からすると、どうもその位置で直立しているのではなく、外側(右側)に傾けて付いているようにも見える。

もっともそれでも、キットでシャースフレーム位置と合わせてしまうと内側に寄り過ぎな感じなのだが、これは、キットのシャーシフレーム幅自体が実車より狭い可能性がある。いずれにせよ、ハンドル位置から考えると、現在作ってある座席の運転席・助手席の分割線は間違いである可能性が高そう。うー。

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ウルススの迷宮

●先日採ってきたぎんなんは、バケツのなかでざぶざぶ何度も揉み洗いをして果肉を落とし、濡れ縁で干した。

臭い思いをして、これでマズかったら悲しいなあ、と思ったのだが、月曜から食べ始めてみると、苦みがほとんどない上にほんのり甘く、すこぶる美味かった。むしろ、もうちょっと苦みがあってもいいかも、なんて贅沢なことを思うほど。採ってきたばかりで新鮮なので、炒って殻と薄皮を剥くと綺麗な色。

我が家では私以上にぎんなん好きのちびも、「このぎんなん、おいしい!」と感動していた。とはいえ、ちびはまだちびなので、ぎんなん中毒を防ぐため。基本、「年齢の個数以上は食べてはいけません」制限付き。かみさんはもともとぎんなん好きだが、アレルギー持ちになって以来食べられない。

新鮮で美味しいうちにせっせと食べて、食べ尽してしまおう。そして近いうちに、もう一度くらい拾いにいってみよう……。

kuhinitoさんのT-34が完成した。183工場製1942年型の比較的初期の仕様、例のスミェリ号を再現している。ドラゴンのT-34(特に1942/1943年型)の抱える問題をきっちり直してある上に、実車の細かい仕様を丹念に再現していて、こういう工作をみると、「オレって工作粗いなあ」とつくづく思わされる。

しかも転輪はゴムリム付きも緩衝ゴム内蔵転輪もドラゴンママではなく(ゴムリム付きは薄いタイプを履いているので当たり前だが)、ゴムリム付きは改造、緩衝ゴム内蔵は1から自作したうえで複製。うわあ……。

ちなみに車輌名(というかスローガン)の「スミェリ(смелый)」は「勇敢な、大胆な」といった意味で、ポーランドの装甲列車「シュミアウィ(śmiały)」と要するに同じ名前。カタカナで書くと「スミェリ」と「シュミアウィ」はだいぶ違っているように見えるが、耳で聞くと「ああ、同じ単語なんだな」と思えるくらいには近い(こういうときにForvoは非常に便利だ)。

●先日の、「ウルススA型トラックのレバー類ってどこから生えてるんだ」問題の続き。

F1011391 その後、改めてキットをよく見てみると、ミッションから横に四角く突起がある。写真は裏側から見たところで、実際には車輌の右側(運転席側)に向かって突き出している。

これがレバーの根元に繋がるのであれば、「ミッションから直接レバーが生えている=車輌中心線あたりにレバーがある」という比較的アタリマエの配置とは違っていることになる。

F1011317

もっとも、以前も載せた写真で判るように、キットの床板にケガかれたレバーの根元位置は、シャーシフレームよりさらに外側にある。

仮にシャーシフレームのぎりぎり内側位置でレバーを生やすとなると、もろに運転手の両足の間にレバーが来ることになる。……なんだそりゃ。あるいは、ミッション横のバルジ自体はそこそこ大きいが、レバーはその端ではなくもっと内側、ミッションのすぐ横あたりから出ているとすると、比較的常識的な位置になる。もちろん、その両方ともキット床板のケガキ位置とはまるでズレる。

ちなみに椅子の座面はバキュームフォームの余りプラバンで作ったもので(元のパーツは横幅が合わなかったので)、座面が左右に分かれているのも元パーツにおおよそ合わせている。しかし、狭い方を運転席側に、広い方を助手席側にしたのは、オペル・ブリッツあたりに合わせたもの。キットの説明図では明示されていないので、実は運転席側のほうが広い、などということもあり得るのかもしれない。というわけで、この分割線の位置はレバー位置を考える際にあまり基準にはならない。

●もちろんこんな「あーだこーだ」は実車写真があれば一発で解決することなのだが、URSUS A型の外見の写真さえあまり多くなく、キャビン内の写真などまるで見つからない。

そんなわけで、URSUS A型の原型にあたる、イタリア製トラックSPA 25の写真を探してみることにした。正確にはURSUS A型の原型はSPA 25C Poloniaというのだが、一応、SPA 25系列であればコクピット周りのレイアウトはある程度の共通性があるかもしれないので、その辺は適当に探した。

そこで見つかったのが、SPA 25/10バスの写真。特に注目がこの写真この写真「右ハンドルの車輌であるにもかかわらず、床のレバーが右側(車体外側)にある」という、「なんだそりゃ」な配置が、とりあえず同系の車両で実在する、というのが確認できたわけである。いやもう、ほんとに、なんだそりゃ……。

もっとも、このSPA 25/10というのは、URSUS A型の原型であるSPA 25C Poloniaよりちょっと古そうで、キャビンもURSUS Aよりだいぶ幅が狭い。キャビン前部で、おそらくシャーシフレームの幅しかないから、フレーム内側いっぱいでシフトレバー他が立っていても、キャビン内でだいたいこの位置になるのかもしれない。というわけで、URSUS A型の場合のレバー位置の直接の資料にはならないのが惜しい。あくまで参考という感じ。

(続く)

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T-34こぼれ話(3)

●脈絡のないT-34およびそのキットに関するあれこれ。なお過去記事は、

T-34こぼれ話
T-34こぼれ話(2)

●しばらく前にドン川から引き揚げられたスターリングラード・トラクター工場(STZ)製1942年生産仕様のニュース動画を紹介したが、セータ☆さんによれば、あの車輌はクビンカに運び込まれたのだそうだ。

そろそろどこかにwalkaround写真でも上がっていないかと思い、とりあえずDishModelsをしばらくぶりに見に行ってみたら、目当ての車輌はまだのようだったが、それとは別のT-34の新しいwalkaround写真がいくつか上がっていた。

T-34 1941戦時簡易型(スターリングラード・トラクター工場製、1942年初め頃生産の仕様?)

新型操縦手ハッチを付け、車体側面装甲と前後の装甲とが組接ぎになっているが、砲塔はエラの削れていないタイプを載せているもの。以前紹介した、narod.ruにwalkaroundが出ているボルゴグラードの展示車両に近い仕様。

St.ペテルスブルクの冬宮前広場(たぶん)での撮影なので、何か記念イベント等の展示であるらしい(ページの説明には「Exhibition “We Fought up to the Last-Ditch at the Walls of Leningrad.”」とある。

ボルゴグラードの車輌はラジエーターグリル等が補修されていたが、この車輌ではオリジナルらしい。側面の増加燃料箱留め具なども残っている。もっとも、オリジナルに似せた補修という可能性もないわけではない――それを考えると、補修部分はある程度「ニセモノとわかる」形状になっているほうが親切な場合もあるかもしれない。車体後面にかなりボコボコに撃たれた跡があるので、元はスクラップだったはず。それをここまで綺麗にレストアしているからには、補修部分も結構ありそうな気もする。

ボルゴグラードの車輌と全く同一仕様というわけではなく、後部の牽引フックは錨型ではなく、「つ」の字型を付けている。えっ。この形の後部フックって183工場製だけじゃないの?

OT-34 1941戦時簡易型(112工場製初期型)

おそらく上記と同じイベントでの写真で、1枚目に、後方にもう2輌のT-34が並んでいる。3輌目が上記のSTZ製か?

車体後面の点検ハッチが4本ボルトで中央にあるので、もともとガソリンエンジン搭載のクラスナエ・ソルモヴォ工場(第112工場)製の初期型車輌であるのは間違いないと思うのだが、砲塔だけ第27工場で施されたという増加装甲付き、車体は増加装甲無しで、112工場製1941戦時簡易型の後期型に準じた跳弾リブや手すりの装着が行われている。しかも火炎放射戦車型(OT-34)。

戦時中の写真では(少なくとも私は)見たことがない取り合わせで、もともとこういう仕様であったのか、どうも判断が付きにくく悩ましい。

T-34 1941年型(スターリングラード・トラクター工場製、1941年8月生産)

これも同じイベントでの写真で、上記112工場製車輌1枚目の写真で、2番目に写っている車輌がこれであるらしい。

スターリングラード・トラクター工場で1941年8月に生産された仕様であるというのは写真ページのタイトルに素直に従ったものだが、この車輌がスターリングラード工場製であるという根拠が、正直言って私にはさっぱりわからない。

もともと、スターリングラード・トラクター工場がT-34の生産を開始した当初は、ハリコフ機関車工場製車輌とほとんど同一の仕様のものを生産していて、その後、だんだんと独自仕様が加味されていった……という流れだと思うが、では、その独自仕様が加わる前の生産車を、ハリコフかスターリングラードか見分けるポイントはどこにあるのだろうか?

左フェンダー前部の背の高い工具箱もハリコフ工場製車輌の特徴だと思っていた(これはレストア品かもしれないが)。増加燃料箱を縦にして(いや、横にして?)2段重ねにするのはスターリングラード・トラクター工場製の特徴?

「どうなのよアオキ!」と言いたいところだが読んでるかなあ。

追記:Wydawnictwo Militariaの#265「T-34 vol.II」に、STZ製の1941年秋生産仕様とされる図面が出ている。その図面に描かれた車輌は、砲塔が、スターリングラード・トラクター工場製車輌に独特の、264工場製とされる砲塔後部に湾曲部のない台形一枚板の溶接砲塔に変わる前、そして足回りも緩衝ゴム内蔵転輪に変わる前のもので、上記写真の車輌の仕様と若干近い。ただし、前後のフックは錨型に変わっており、トランスミッション点検ハッチもすでにコの字の取っ手タイプになっている。)

さらに追記:書いているうちに自分でもわけがわからなくなってきていて、いつの間にか1番目の写真車輌の特徴がごちゃ混ぜになった記述になっていたのを整理。)

▼オマケ。やはり同一イベントにおけるKV-1。いわゆる1940年型の最後期のタイプ。そういえばこのタイプのそのものズバリのキットって出てないっすね。

私が作りかけで放ってあるKV-1と近い仕様。このブログを始める前から絶賛放置中。いかんね。

●同じくDishModelsに上がっていた、ロシア人モデラーによるA-32の作品写真(ドラゴン改造)。素敵。

操縦席周りが大きく出っ張っているのは試作2号車の特徴で、1号車は後のT-34生産型に近い形状になっている。

●いつのまにか「T-34 maniacs」が引っ越していた。

新アドレス(IS maniacsなども含めた表紙ページ)はこちら

F1011386 ●「T-34こぼれ話」初回で書いた、ドラゴンのT-34の車体上部パーツの(たぶん)最新版にある上面ラジエーターグリル前方の筋彫りだが、この部分が別体なのは、やはり1942年型あたりからであるらしい。というわけで、作りかけの1941年型は筋彫りを埋めた。

40年型で一体であるらしいことは、「グランドパワー」95/6、84ページの写真で確認でき、STZの1941年型、112工場の1941戦時簡易型でもそうらしいことが上の実車写真でわかる。いや、知っている人には先刻ご承知のネタなのかもしれないけれど。

おそらくこのパーツ改修は1942年型シリーズ発売の際に行われたものなのではないかと思うのだが、側面には増加燃料箱用のモールドが残っているので、1941年型以前のキットも、再生産分はこの改修車体上部が入っている可能性がある。

ドラゴンの場合、こっそりパーツが改修されていることが頻繁にあるが、場合によっては「こちらを立てればあちらが立たず」状態になっているので注意が必要。もっとも、エンジン点検ハッチの形状が合わないことに比べれば、筋彫りを埋めるほうが楽だと思う。もちろん、各仕様に細かく合わせたパーツになっていてくれればそれに越したことはないのだけれど。

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T-34こぼれ話(2)

●ドラゴン/サイバーからは、何種類かのドイツ軍鹵獲仕様のT-34が出ている。

ドイツ軍はかなり多数のT-34を鹵獲使用していて、もちろん、単純にバルケンクロイツを書き加えただけのものも多く、ドラゴン/サイバーの通常仕様のキットでもそれらのデカールが含まれていたりする。

一方で、III/IV号のキューポラを増設してみたり、ゲペックカステンを取り付けたりという独自改装を施しているものもあって、わざわざドイツ軍鹵獲仕様として出しているキットは、そういった仕様を再現している。

●そんななかで一番最初に出たのが(そしてベース車両としても一番旧タイプなのが)キット番号6185、「T-34/76 German Army」で、旧型車体ハッチ/溶接砲塔の1941年型にIII/IV号用のコマンダーズキューポラを増設したもの。車体周囲にもいろいろ工具箱やら工具やらを追加している。キット内容に関してはこちら(PMMSのレビュー)を参照のこと。

さて、キットではもともとの砲塔ハッチにそのまま穴を開けてキューポラを装着した状態になっている。もちろん、実際にそういう例がなかったとは言い切れないが、車外装備品から見て、ドラゴンがモデルにしたと考えられる仕様は、実際にはそうなっていない。

お馴染みのBeutepanzerの写真の話なのでご存知の方も多いかもしれないが、同一位置に装備品を装着した車両が出ている(このページでは、2.Kompanie/Panzer-Abteilung z.b.V.66所属車としている)。興味深いのは上から5番目の写真で、これを見ると、キューポラの隣にハッチがあって、開いたハッチに腰かけて砲塔内部に足を突っ込んでいる。

さらに、おそらく同じ修理廠で改造されたと思われる、ほぼ同一仕様の車輌が、「Germans repair  plant modified」と題されたページにも出ている。良い写真が載っているのは、その2ページ目3ページ目

2ページ目のクローズアップ写真を見ると、もともとのハッチは取り払い、新たに鋼板を溶接して塞ぎ、その上にキューポラを装着。さらに右側は砲塔縁にヒンジを持つハッチとしている。キューポラはぎりぎり左に寄せているのだが、それでも新設のハッチはやけに狭く、体を横向きにしないとくぐれそうにない。

他写真を見て判るように、砲塔側面にはハッチ受けが新設されていて、ハッチは水平か、それよりやや高めで止まるようになっている。残念ながら、ここに出ている写真ではヒンジ形状は判らない。

3ページ目2枚目の写真を見ると、同様の改装を施された車輌にも多少のバリエーションがあることがわかる。キットは標準的な1941年型車体に溶接砲塔だが、ここに写っている実車の3輌は、

  • 一番手前:1941年戦時簡易型の比較的初期の車体(もしかしたら車体ハッチも旧型の基部を残している仕様)に溶接砲塔。
  • 二番目:1941年型に溶接砲塔でキットの仕様に近いが、装着されたキューポラが旧型(Kommandantenkuppel 021 B 9261)。直線的な前部フェンダー。
  • 一番奥:1941年型で鋳造砲塔。直線的な前部フェンダー。

基本、ドイツ軍鹵獲仕様にはあまり惹かれないのだが、これはちょっと面白い。いやまあ、面白いと言っているだけで作らないだろうけど。

ちなみに、III/IV号キューポラ付きT-34に関しては、興味深いことに、ソ連軍が使用中の写真もある(CONCORD、“SOVIET TANKS IN COMBAT 1941-1945”、p50上段)。1944年夏、レニングラード戦線(フィンランドから奪取した街で、とあるのでカレリア戦線と言うべき?)での写真。溶接砲塔搭載の1941年型で、旧型キューポラを装着。ソ連軍が同様の改装をした車輌である可能性もなくはないが、ドイツ軍から再鹵獲して使っているという可能性の方がもっと高そうな気がする。

●上記、「Germans repair plant modified」の4ページ目もなかなか興味深い内容で、こちらには、II号戦車F型のキューポラを装着したT-34の写真が出ている。全部がそうなのかは判らないが、こちらはもともとのハッチをそのまま活かしていて、しかも開閉機構も残している。

3枚目の写真がちょっと謎で、両開きハッチが付いている。III/IV号キューポラから、上部のハッチ部分だけ持ってきたのだろうか。

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スターリングラード・トラクター工場(19.5)

前回書いた、スターリン・グラード・トラクター工場製T-34に主に用いられているタイプの牽引フックのツメについての若干の考察。

Wm01 このツメは、台座先端に軸を溶接し可動式となっているが、もちろんそのままでは(少なくとも車体前部のツメは)内側に倒れたままになってしまう。ツメを閉位置に保持するためのバネがあると考えるのが妥当だが、「Wydawnictwo Militaria、#265、T-34 Vol.II」には右のように図示されている(Wydawnictwo Militariaより引用、マル印は筆者)。

丸で囲んだ部分のコの字型の線材がバネではないかと思われ、また実際にこれが写っている実車写真も見たことがある気がする(うろ覚え)。前回示したメディンの実車写真でも、ツメの車体側先端に、この線材が入るらしい穴の痕跡のようなものが見える。

しかし。本当にこの図に示したような形が正規の状態なのだろうか。ツメにテンションを掛けるにしては、この位置はちょっと変な気もする(もちろん、線材がうまい具合に車体側に固定されていればバネとして機能するとは思うが)。

それよりも、この線材はこの図と逆に、ツメの下側(台座側)に畳まれているものなのではないだろうか。それなら、ツメの軸周りの凸部に引っかかって、ツメを閉位置に保持する形になりそうだし、車体側に固定する必要もない。車体後部のフックの場合、逆に爪が勝手に外側に開いてしまわないかという気もするが、それはこの線材が台座のV字に引っかかってくれれば問題がない。

この線材が図のように台座と反対側に出てしまっているのは、ツメが内側に倒れ過ぎた時にツメの下部から“すっぽ抜け”てしまった結果なのでは、などとも思う。

もちろん上記はこの線材が本当にバネだとしてという仮定の話で、これはバネじゃなくて何かを繋ぐためのリングだよ?ということもあるかもしれない。

……なんだかほとんど証拠も何もない、仮定に次ぐ仮定の妄想話ですが。

「いやいや、バッチリの細部クローズアップ写真があって、それで仕組みも一目瞭然よ?」という例をご存知の方はぜひご一報を。そういえば、後期のフックのツメの場合、バネってどうなってるんだっけ。

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上を書いてしばらくして、後期のフックのツメについて調べていたら、以下のような写真に行き当たった。

183工場製のT-34-85のフックのツメ写真

これを見ると、向かって右側に、おそらくフックを起立位置に保持している線バネの尻尾らしきものが見えていて、それとは別に、上で話題にしているのとほぼ同形状のコの字の線材が付いている。それぞれが別のものなのは、線の太さが明らかに違うことで判る。

ということは、上で話題にしているコの字も、ツメを支えるスプリングとは別の用途のものである可能性が高そうだ。あれこれの妄想、まるで空振り!?

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スターリングラード・トラクター工場(番外)

●ネットをふらふらしていて偶然行き当たったニュース。

近年、旧ソ連の戦場跡の湿地だの沼地だの川だのから大戦中の戦車その他が完全に近い形で発掘される例が多いが、これもまたそのうちの一つ。

どうも最近、こんなT-34が出てきたらしい。

550mmワッフルに、緩衝ゴム内蔵転輪、鋳造砲塔搭載型ではあるが、バリカディ・タイプの尖った駐退機カバー、組接ぎになったエンジンルーム後面板……。ボルゴグラードで展示されているらしいこの車輌よりも、「まさにSTZ1942!」と言える仕様のようだ。

同一車輌の別動画。こちらのほうが長い。

こちらのキャプションから、ボロネジ地方、ドン川の底から見つかったものであることが判る。

うはーっ。早くどこかに展示されてwalkaround写真とか出ないかな!(今回の製作には間に合わないだろうけれど……)

(7月30日追記)

一番最初に貼った動画が削除されてしまったので、追加でいくつか。

●AFVクラブのT-34のパーツ写真を見ていて(今頃)知ったのだが、同社のT-34キットには、誘導輪、起動輪が3つずつ入っている。含まれている誘導輪・起動輪パーツは、1942年型以降用の後期型と、1940~1941年型用の初期型、スターリングラード・トラクター工場仕様向けのもの。

現時点で実現可能性がどれだけあるのか判らないが、AFVクラブにSTD製T-34を出すつもりが多少なりともあったとは知らなかった!

ネット上では枝丸ごとの写真しか見つからなかったので、細部ディテールはいまいち不明。とりあえず出来が知りたい! 誘導輪がバッチリの出来だったりしたらどうしよう(って、たぶんどうもしないと思いますが)。

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スターリングラード・トラクター工場(11)

●タイトルは「スターリングラード・トラクター工場」だが、今回はどこ工場と限らず初期のT-34共通の、どちらかといえば枝葉末節の考証とわずかな工作。前回の製作記事と若干の関連あり。

F1015605b ●フェンダーについてのあれこれ。

▼T-34の車体側部フェンダーは、側面装甲にべったり溶接されている。右フェンダーには3カ所、さらに初期のT-34(いわゆる1941年戦時簡易型まで?)は標準で左側にも2カ所の防滑具搭載部があり、防滑具がずれないようにフェンダー上にリブがあり、それぞれ2対の固定ベルト用コの字金具がある。

右フェンダーの3カ所は、3つが単純に連続しておらず、前から1番目と2番目の間に若干の隙間があるが、これは、この場所にフェンダーの継ぎ目があるため。

側部フェンダーは左右とも3分(おそらく3等分)されていて、そのため、それぞれ2カ所に継ぎ目がある(写真内の①)。これはおそらく各工場・各年式共通と思われるが、単純に前後のフェンダーを繋いだ細い溶接痕があり、さらに内側半分以上に、帯状に薄板を被せている。溶接痕をカバーするように、薄板は中央が出っ張っている。

F1015614 F1015617 ▼前述のように防滑具搭載部は前後にリブがあるのだが、ドラゴンの初期型車体上部のパーツでは、左側最後部にリブがない(写真内②)。どんな場合でも必ずここにリブがある!……のかどうかはよく判らないが、とりあえず、リブがある実車写真は確認できたのでプラバンで追加した。

▼ドラゴンの初期型車体上部のパーツでは、写真内③の場所に細かなモールドがあるが、これは1940年型キットで取り付ける小さな工具箱の基部。1941年型キットではモールドを削り取るよう指示されているが、STZ1942のキットでは車体上部を新しく作り直しているにも関わらず(今回の製作では使用していないが)、不要なモールドをそのまま継承しており、削り取る指示もなし。謎。

▼初期型T-34では、写真内④の場所に標準で中型の工具箱が付く(パーツ番号C11)。STZの場合はそれでよいが、クラスナエ・ソルモヴォ工場製の場合、この工具箱は反対側のの場所に付く。サイバーの「クラスナエ・ソルモヴォ初期型」ではパーツを⑤の場所に取り付けるよう指示されているが(後期型も?)、左側の工具箱取り付け基部のモールドは(その直前の、前述の小型工具箱基部モールドも)削り取る指示はない。

なお、クラスナエ・ソルモヴォ工場製には見えない車輌でも右側に付けている例がある(たとえば「グランドパワー」1997/9のp104など)。また、1942年型以降では右側が標準位置に変更になっているようだ。

(なお、上記はあくまでT-34-76の話で、T-34-85になると、今度はクラスナエ・ソルモヴォ工場製の一部車輌で、この中工具箱が左フェンダーに戻ったりしている。わけわからん)

で示した位置の前にあるモールドはジャッキ取り付け具の座金なのだが、取り付け具を直接フェンダーに付けている例もあるので、この座金がどれだけ一般的であったのかよく判らない。

▼初期型T-34で中型工具箱を右に付けている場合、ジャッキ用ブロック(?)を車体側面、写真内⑥の位置に付けている例が多い。通常、1941年型では後部フェンダー上左右に付けていることが多いのだが、側面に付けている場合、搭載個数は1つに減っているのか、あるいは左側にも付けていたりするのか、引き続きリサーチの要あり。なお、右側に中型工具箱を載せている場合、もともとそこにあったジャッキがどこに行ったのか判らない。

●そもそも戦車というのは、なかなか綺麗に(そして詳細に)上面が写っている写真がなく、おかげで上面ディテールの変遷はなかなか判りづらい(言い訳)。

そんなわけで悩ましいのが、エンジンルーム左右カバーの形状。だいたいこの部分は丸みの強さでもバリエーションがありそうな気がするが、深入りするととんでもないことになりそうなので、今はひとまず置いておく。

F1015602b 大きな問題は右写真で黄色のマルを付けた部分の形状。キットは写真のように、カバーがグリルの後方まで伸びた形状になっているが、ここは生産工場、生産時期により違いがある。

この部分については、以前ハラT青木氏に(アカデミーの112工場製T-34-85にからんで)軽く説明を受けたのだが、どうも内容があやふやになってしまった(どうもいかんね)。

F1015620 ちなみに、その時に青木氏が私のノートに走り書いた解説用の絵図が左。ハラT青木先生直筆の解説図! 将来値が付くかもしれん。そこまでして貰って話の中身がうろ覚えというのも申し訳ないのだけれど、まあ、酒の席だったし。

今回STZ1942を作るにあたって初期型T-34に関しどうだったかを調べ直したのだが、現時点での私の理解は次のような感じ。

▼1940年型(当然ながらハリコフ機関車工場/183工場製)では、左右カバーのグリル後方への回り込みはなく、グリルが後部カバーに接する位置まである。

▼1941年型になってしばらくして(?)、左右カバーがグリル後方に回り込むようになる(青木氏の図の下)。

▼その後生産に入ったスターリングラード・トラクター工場、さらにその後加わったクラスナエ・ソルモヴォ工場(112工場)も同様に、「グリル後方回り込みタイプ」の左右カバーを使用。つまり1940年型~1941年戦時簡易型では、この形状が一般的だったことになる。

▼しかし本家183工場は仕様を変更。ウラルへの移転後のことではと想像しているが、左右カバーのグリル後方への回り込みはない代わりに、中央の点検ハッチ付きバルジ部も含め、左右のグリル後方をカバーする板材を装着(青木氏の図の上)。183工場製ナット砲塔搭載型はすべてこの仕様だったのではと考えられるが、この仕様でピロシキ砲塔搭載型があったのかどうかは不明。板材が付く分、中央のバルジは(板厚の分だけ)ちょっと短くなっていないとおかしいと思うのだが、どうなんだろう。

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R-1の下調べなど

週末模型親父さんのところのAFV模型ウェブコンペ、「SUMICON2016」が5月1日にスタートする。

とりあえず現時点では(←優柔不断な奴)、ルーマニア軍軽戦車R-1でエントリーすることにしていて、その下準備など。

●ルーマニア軍のR-1軽戦車は、チェコČKD社の開発した軽戦車(というより豆戦車に近い?)AH-IVの輸出型で、社内名称はAH-IV-R。M. AXWORTHYほか著、「THIRD AXIS FORTH ALLY」(ARMS & ARMOUR)によれば、ルーマニアは騎兵部隊用にこれを35輌輸入・配備している。ルーマニア国内でライセンス生産する計画もあったらしいが、これは頓挫している。

重量4.2トン(サイト“WorldWar2.ro”だと3.5トン、wikipedia記載のデータだと3.9トンになっている)、機銃2丁装備。1丁は回転砲塔に装備したvz.37重機関銃(イギリスのベサ機銃の原型)、1丁は車体右袖部に装備したZB26軽機関銃。どちらも7.92mm×57弾なので、弾薬そのものは同じなのではと思うが、給弾形式が違う。補給とかメンテとかを考えると、同じ機銃を装備していた方がいいと思うがなあ……。まあ、素人には判らない何か大事な理由があるのかもしれない。

足回りは同じČKD社のLT vz.38(要するにPz.Kpfw.38(t))とそっくり。AH-IVと、LT vz.38の原型であるTNHの設計ほぼ並行していたようなので、同じ原設計で大小2種を作った、という感じかもしれない。ただし、いかにも「大直径転輪」という感じのLt vz.38に比べ、AH-IVのそれは、ドイツ戦車で言うとIII号/IV号程度しかない。その直径で片側4つだから、この戦車の豆さ加減が判る。

F1010895 ●写真だの図面だのに関する手持ちの資料としては、チェコ戦車の資料として手頃かつ信頼性も高いMBIの「Praga Export Tankette」を買って持っていたはずなのだが、今は発掘できない(なんて整理の悪さだ!)。

代わりに当座の比較検討資料として出してきたのが、「タンコ・マステル」誌の1998年No.2-3。手塚治虫のマンガに出てくるわんわんパトカーそっくりの、スペイン内乱時の装甲車が表紙に出ている(関係ない話だが、この装甲車はトラック改造で装甲ボディをかぶせたものなので、別角度から見るとそれほどわんわんパトカーには似ていない)。

F1010892 このなかに8ページの、第二次大戦中のルーマニア軍AFVの記事があり(といっても全部ロシア語だが)、R-1の写真5枚と1:35の図面が出ている。

あとはウェブ上でかき集めた写真が少々。なお、R-1は現存車輌はない(はず)。きっちりルーマニア軍R-1の塗装でキリキリ走り回っている現代の動画などもあるが、レプリカ車輌。それとは別に、スウェーデン向け輸出型のAH-IV(Strv m/37)が残っていて、walkaround写真などもそこそこある(たとえばこことか)。ただし、Strv m/37に関しては細部の仕様がだいぶR-1と異なっているので、あくまで参考に止めておく必要がある。

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ビッカース水陸両用戦車、参戦(13)

●いささか仕事が切羽詰まりつつあるのだが、とりあえずこれだけは、ということで、週末戦車親父さんのところの「軽戦車コンペ」(K-CON)のエントリー作、CAMsのビッカース水陸両用戦車(Vickers Carden-Loyd Amphibious Tank A4E12 Early Production)の報告。

K-CONは3月末が締切だが、今回は時間切れリタイアにもならず、締切当日の晩の駆け込みにもならず、「とりあえずこれで完成ってことでいいかな」というところまで持って行くことができた。

製作途中の報告写真ならいざ知らず、さすがにキットの上蓋の裏に置いての写真はみっともないし、我が家に唯一あったそれなりに面積のあるパステルグリーンの紙は、戦車それ自体が非常に発色悪く写ったので、月曜日、都内に仕事に出たついでに、画材屋で半切の色紙(グレーとブラウン)を買ってきた(下の写真でみるように、ブラウンは失敗だった模様)。

ちなみに「半切」は「はんぎり」とか「はんせつ」とか読むのだろうと思っていたのだが、画材屋のおねーちゃんはなんだか珍しい読みをしていた。どう言っていたのか忘れてしまったけれど。

●完成写真。なんとな~くピンボケだったり、なんとな~くナナメだったり、発色が悪かったりもするが、仕上げ同様、「完成品をよく見せる」ことについても圧倒的に経験不足なので勘弁してつかぁさい。もちろんカメラがあれこれ調整できないガラケーだからということもある。

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●クローズアップも数枚。

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●一応、前回からの変化を書くと、

・最初のウォッシング/スミ入れに使ったローアンバーよりも明るい、(油彩の)イエローオーカーを使って車体下部を中心にウォッシング/スミ入れを重ねた。ローアンバーも再度、要所に加えた。

・履帯もかなり暗めだったのが気になっており、イエローオーカーでウォッシング。その上から再度、クロームシルバー+フラットアルミで若干ギラギラを抑えた銀でドライブラシ。だいぶ「黒々感」は薄れてマシになった気がする。どんな戦車でも、モノクロ写真で履帯が暗く写っている例はあまり多くなく、個人的には軽めの色で仕上げたいと思っている(のだが、結局黒っぽくなったりする)。

・前照灯内部を銀で塗り、レンズをはめた。キットの前照灯パーツは薄くくりぬかれているがレンズ部品はない。今回はWAVEの「H-EYES 3ミニ」の2.2mm径のものを使った。最初は2.5mm径でちょうどかなと思ったがわずかに大きくて入らず、2.2mm径はわずかに小さかったものの隙間が目立つというほどでもなかったのでそのまま使った。このWAVEの透明パーツはそれなりに厚みがあるので、場合によってはレンズ面がかなり出っ張った状態になってしまい、かといって斜めに削り込むと汚くなるし――ということで、あまり使いやすいパーツではない印象なのだが、今回はキットの前照灯外周部が薄かったので助かった。

●今回はキット設計者のT.Wongさんからしばしばアドバイスを頂けるという、なんとも贅沢な製作工程だった(いや、ちょっと怖かったけど(^^;))。有難うございます。

以前からずっと作りたかった車種で、自分でスクラッチしかけたこともある。そんなわけで、ストック棚のどこかに基本形だけは組んだ車体や、ミラージュのビッカース双砲塔型から取り分けた砲塔パーツや、カステンの履帯やらが今でも大事にしまってある(でもどこにあるのかはよくわからない)。新興メーカー第一作とあって、若干の作りづらさはあったものの、とにかくHOBBY-BOSSあたりには爪の垢でも煎じて飲んでほしいと思えるような、こだわりと愛情の詰まったキットで、長年の課題だった車種を作ることができたのは純粋に嬉しい。

また、me20さんにはデカールを提供して頂いたほか、折々のコメントで励まして頂いた。もちろん、同じ中国軍所属のルノーUEを、まさにお手本にしたくなる美しさで作っている、というのも大きかった。ほかにもSUMICON掲示板でも、当ブログでも多くの方にあれこれ背中を押して頂いた。どうもありがとうございます。

●一方で、あれこれ反省もある。

・最も悔いが残るのは迷彩パターン。SUMICON掲示板でも多くの方に褒めて頂いたのだが、やはり改めて資料を見返すと、もっと各色の塗り分けが細かく、塗り分けラインも複雑に入り組んでいるほうがよかった。もうちょっとパターンの下書き時点で急がず、チェックを繰り返すべきだった。

・ほかにも(塗装のスキルと経験値が不足していることもあり)塗装にはあれこれ不満が残る。

・パーツ自体の長さが若干不足気味ということもあるが、車体から舵下部に繋がる支柱(C15、C16)の接続が誤っている。キットの説明書ではC17の下側に繋げるよう図示されているが、前述のようにパーツが短めなこと、クビンカの実車では上側に繋がっていることから、上側に変更して組んだ。が、後から広東軍車輌は下側に繋がっていることが確認できた。ううう。

・機銃付け根のドラム状の防盾は、クビンカの実車ではキットのようにむき出しなのだが、広東軍の実車は左右にカバー部がある(下の動画参照)。完成させてから気付いたので、いまさら改修する気にはなれない。

●とにかく鮮明な実車写真が乏しい車輌で(製作途中で、細部が異なる後期型に関しては新資料が出版されたが)、あれこれ判断に迷ったことも多かった。

……のだが、今さら! Youtubeで、まさにこの広東軍車輌が縦横に走り回る動画を見つけた。製作中にしばし悩んだ前照灯コード部分も写っている。というよりも、前照灯コードに関してT.Wongさんが送ってくれた画像が、同じ動画からのスチルだった。さすがだなあ……。


長めの動画だが、ビッカース水陸両用戦車が写っているのは、後半の34:43あたりから。

ちなみに、最初から中央政府軍が輸入した後期型の動画はこちら。

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