●たいぶ間が開いてしまったが、フランスの超重戦車、FCM 2Cのディテール・メモの後編。
10両作られた実車の個別ディテールチェック、今回は6→96号車から。なお、前記事同様、「写真がある/ない」と書いているのは、あくまで私が知っている範囲なのはご了承のほどを。
ディテール検証のために見た写真は、基本、「char-francois.net」と「world war photos」のものがメイン。「char-francois.net」は閉じてしまったのでリンクの張りようがないが、「world war photo」(ほぼドイツ軍が接収して後の写真)については、各車記事末尾にリンクを張るようにした。そのうちリンク切れしてしまうことも考えられるが、できれば多くの写真を参照してほしいので。前編掲載の91-95号車に関しても、今後リンクを追加するかも。
本編に入る前に、各車両(全10両)が1940年のドイツ軍による侵攻時に、どのような末路を迎えたかの一覧を挙げておく。
10両作られた実車はすべて同一部隊(開戦時は第51戦車大隊/51e BCC)に配属されたが、独仏の地上戦開始時点で、2両は実質的に廃車状態、残りは動員されてマジノ線後方で待機に入ったが、待機地点に到達前に1両が故障して脱落、その後撤退が決定し鉄道駅に行く途中でさらに1両が故障脱落。
最終的に、6両が専用貨車に載せられて(というか吊り下げられて)後方への輸送が行われたが、ドイツ空軍の攻撃で鉄道網が寸断されて立ち往生、最終的に爆破処分された。
- 1→91号車「プロヴァンス」:撤退のため鉄道輸送中、積載状態のまま爆破処分。
- 2→92号車「ピカルディ」:撤退で移動中路上で故障しスタック。その後爆破処分。
- 3→93号車「アルザス」:撤退のため鉄道輸送中、積載状態のまま爆破処分。
- 4→94号車「ブルターニュ」:予備車両として部品取りに使われほぼ廃車状態。
- 5→95号車「トゥーレーヌ」:集結・待機地点への移動中路上で故障しスタック。その後爆破処分。
- 6→96号車「アンジュー」:予備車両として部品取りに使われほぼ廃車状態。
- 7→97号車「ロレーヌ(旧ノルマンディ)」:撤退のため鉄道輸送中、積載状態のまま爆破処分。
- 8→98号車「ベリー」:撤退のため鉄道輸送中、積載状態のまま爆破処分。
- 9→99号車「シャンパーニュ」:撤退のため鉄道輸送中、積載状態のまま爆破処分(爆破失敗)。
- 10→90号車「ポワトゥー」:撤退のため鉄道輸送中、積載状態のまま爆破処分。
以下、個別の特徴など。
●6号車→96号車 アンジュー(ANJOU)
▼初期
他の2Cと異なり、一桁番号が書かれた時期の写真は(私の手元には)1枚もない。少なくとも写っている範囲には何のマーキングもない、おそらくグリーンの単色塗装の写真が3枚ある(それがなぜ6/96号車と判断できるかといえば、char-francois.netで6/96号車として掲載されていたため。他力本願)。車体前面がしっかり写った写真はないため、そこに固有名「ANJOU」が書かれていたかどうかも判らない。
うち2枚の(演習もしくはテスト中の)写真では、エンジンルーム上に第一次大戦中のイギリスのマークI戦車のような山型の金網付きフレーム?が取り付けられている。これは他の2Cには見られない装備。
残る1枚では、これまた、エンジンルームの前後に鳥居のようなフレームが付いている。用途不明。
以上3枚の写真では、全て、車体横ハッチの上に何やら四角いプレートが付けられている。何か文字が書かれているようにも思えるが、白飛びしていてはっきりわからない。スカートはフルで装着。誘導輪基部先端にカバー?はない。
▼最終状態
wikipediaによれば、第二次世界大戦の勃発直前から進められたオーバーホールにおいて、94号車と96号車は最も調子がよかったために逆に再び予備役に回され、その後、僚車の部品取りに使われたのだという。
もう一両の予備車輛、94号車「ブルターニュ」は、前編に書いたように最終状態の写真が手元には1枚もないが、96号車「アンジュー」は、デポか兵舎のような建物の隣に放置された状態の写真が何枚か残されている。逆に、この96号車は、二桁番号記入後で稼働中の写真がない。
放棄状態の写真では、おそらくグリーン系の単色塗装に、車体左右前端の所定の位置に「96」の車輛番号。どの写真でもメイン砲塔は取り外されていて見当たらない。単に砲塔だけ外されているのではなく、車体側の砲塔リング部分も失われている。
エンジンルーム上のマフラー等も確認できず、エンジンルーム上面版ごと取り外されている可能性がありそう。エンジンルーム前端には何か曲線のフレーム状のものが確認できるが、実際にそこにそのような部品(装備)が取り付けられているのか、あるは曲がった鉄骨のようなものがたまたま載せられているだけなのか、判断できない。
車体前面の写真を見ると、操縦手用バイザーは付けられておらず(ヒンジも見当たらない)、どうやらバイザーは、94号車・96号車が予備役に回されることが決定して以降に追加されたのではないかと推論できそう。また、標準では戦闘室前面左右にあるコの字金具は、この96号車では左側にしかない(94号車では右側にしかなかったのと逆)。スカートは装着していない。誘導輪基部先端のカバー?無し。
車体前面に車輛名の記入無し。車体前面に、進駐してきたドイツ軍が試し撃ちしたものらしい弾痕が数カ所確認できる。車体右側スポンソン後端には、ドイツ軍によって上段:Beutegut(戦利品)、下段:F****114(途中判読できず、部隊名か)と白字で書き込みがある。
サイト「world war photo」には、96号車の写真は1枚だけある。頭の番号は、同サイトが掲載しているFCM 2Cの写真50枚中の何枚目かを示すもの。
●7号車→97号車 ノルマンディ(NORMANDIE)→ロレーヌ(LORRAINE)
▼初期
一桁番号時代のものと言い切れる写真は、少なくとも私の知っている範囲ではない。渡渉中などで車体番号が確認できない写真はあるので、もしかしたらその中に紛れている可能性はあるかも。
▼後期(1)
車輛番号が「97」となっても、名称はしばらく「NORMANDIE」のままだった(車番の2桁化は1936年、名称変更は1939年)。
比較的多数の写真が残っている状態は、キットのデカールにも取り上げられている、「単色塗装、砲塔左面に大きくノルマンディ地方の盾形紋章、砲塔リング左にNORMANDIEの車輛銘板、戦闘室前面(操縦手バイザー下)に小国旗付き車輛名 」の塗装とマーキング(キットの指定塗装C)。車体前面の楕円のメーカー・プレートは塗り潰されていないらしく明色に写っている写真が確認できる。 「97」の車輛番号はあっても砲塔の盾章が描かれていない写真もあるが、どちらがより初期の状態なのかは不明。
戦闘室前面の小国旗付き車輛名が書かれていない写真もあるが、これに関しては、char-francois.netで97号車として出ていたものの写真に車番を特定できるものは写っておらず、本当に97号車なのか(またそうであったとしても番号が二桁になってからのものかどうか)不明。
車輛のディテール自体はキットで再現されているのと基本は同じ標準仕様だが、操縦手用バイザーは(ヒンジも)付けられていない。スカートは装着している写真、していない写真、両方がある。
ちなみにノルマンディの紋章は「赤地に二頭のヒョウ、またはライオン」。一応、文字で表現されるときは「deux léopards d’or(2頭の金のヒョウ)」と書かれることが多いようだが、絵としてはタテガミ付きでライオンっぽく描かれることもある。これはどちらが正解ということではなく、フランスにおける紋章学上では「ヒョウとライオンは同じもの」扱い(より正確には、描かれた生物学的特徴での区別はなく、姿勢によって lion か léopard か呼び分ける。でもって、Normandieの旗の場合は léopard)なのだそうだ。へー。

▼後期(2)
時期としては前記の単色時代より後なのか前なのか、実ははっきりしないのだが、車体の仕様としては標準のまま、車体横前端の「97」の番号は同様ながら、車体全体に2色?の迷彩を施した写真も残っている。写真それ自体がやや不鮮明なのではっきりしたことは言えないが、主砲塔部分を見ると、暗色地に明色の大まかな斑点迷彩の様子。
砲塔リング部分に車輛名の銘板が付いているのは判るが、車輛名それ自体は読み取れず、「NORMANDIE」と書かれているのかどうかはっきりしない。
なお、この迷彩の写真はchar-francois.netでは「7-97 normandie 04」として掲載されていたものだが、これとは別に、もう一枚、標準的な車体ディテールで2色迷彩を施された写真、「7-97 normandie 10」も載せられていた。こちらの写真の2色迷彩は帯状で、先の写真とはパターンが異なるが、この写真自体、渡渉中で車体は隠れていて、車輛番号は確認できない(砲塔リング部の銘板も、存在は確認できるが文字は読めない)ため、実際には97号車の写真ではない可能性もある(もちろん、時期によって塗り替えられていた可能性もある)。下記「後期(3)」時期の迷彩とは微妙に違う感じ。
いずれにせよ、どちらの写真でも砲塔の盾形紋章は確認できない。
▼後期(3)
その後、97号車は中隊指揮戦車として独自の改修を受け、この1両のみの独特な仕様となった。おそらく同時期に、車輛名も「LORRAINE」に変更された。改修ポイントは、おおよそ以下の通り。
- 砲塔上面に増加装甲。若干の隙間を設けたスペースド・アーマー形式のように見える。
- 主砲塔前の工具箱を除去し、ここにも上面に装甲?を追加。さらに車体前端上面にも増加装甲をボルト止め。砲塔前の戦闘室上面は薄手のスペースドアーマーかも。シャーシ前端上面は厚手の装甲をベタ止めに見える。
- エンジンルーム上部をさらに一段かさ上げ。かさ上げされた部分は、左右、および前部がオーバーハング(前部は主砲塔をやや巻く感じ)。かさ上げ部分の上面は、中央(やや右寄り)に縦一本にルーバー。その左右は装甲。
- エンジンルームのかさ上げの結果、もともとエンジンルーム上面に置かれていたマフラーは撤去。排気管は車体左右に這わせて、車体後端まで伸ばされている。特段、マフラー等は設けられていない模様。
- 左右スポンソン上部に並んでいるグリルには防弾板が取り付けられる。
- 操縦手用バイザーは装備。前照灯は無し。
- ほか、無線機を増設?
塗装は、上記「後期(2)」よりももっと大ぶりなパターンの2色迷彩(ただし、後期(2)の迷彩に近いパターンに見える不鮮明な写真もある)。砲塔左面に、「NORMANDIE」時代よりももっとずっと小ぶりな盾章。しかし、本来ロレーヌ地方の旗/盾章は、黄色時に斜めに赤帯、帯の中に3つの鷲章のはずなのだが、写真に写っている盾章は別のデザインに見える。謎。シャーシ前端中央に「LORRAINE」の車輛名。
wikipediaの解説には、「1939年11月15日から12月15日の間」に、97号車は「実験的に追加装甲を施された」とあり、これが上記の改修を指すらしい。
▼最終状態
僚車と共に鉄道輸送状態のまま爆破処分となる。この時には、上記「後期(3)」時期に実施された改修のうち、エンジンルーム上部のかさ上げ部分は撤去されているようだが、その他の、各部の増加装甲、車体後端まで延長された排気管はそのまま。これら、97号車のみの特徴は下の写真でも確認できる(wikimedia commons, File:Char2C 97.jpg)。

損傷が激しく、側面装甲は左右とも大穴が開いている。車体左右前端の車輛番号「97」以外のマーキングや塗装の詳細はよくわからない。左面の写真も存在するのだが、砲塔左面の盾章はボンヤリあるような、ないような……。砲塔リング部の車輛銘板も脱落しているように見える。
車輛の前面(特に戦闘室前面、主砲塔前面)は、進駐してきたドイツ軍が標的にしたようで、多数かつ大小の弾痕に覆われている。標的にされた後の写真では操縦手バイザーがヒンジごとないが(車体機銃もないが)、char-francois.netに掲載されていた、鹵獲直後で標的にされる前の写真では両方とも存在が確認できる。ただし、その写真でも前照灯は(支持架ごと)付いていない。
以下はサイト「world war photo」掲載写真へのリンク。
- 09/50:左前方から。前面の弾痕が痛々しい。側面前端の車番は極かすかに見える。
- 39/50:撮影条件(立体交差の鉄橋下)が似ているので、上の09と同じ時に撮ったものか。排気管の取り回し変更、側面グリルを塞いだ改造が判る。
- 41/50:上の39と一連の写真。側面グリルの防弾板はやや隙間を設けているらしい。左側排気管は途中で途切れているが、本来は車体後端まである(おそらく爆破時に欠落)。
- 47/50:やはり同じ時の撮影か。ドイツ軍に滅多撃ちされた前面。標準では工具箱がある前部天井の仕様違いが判る。
●8号車→98号車 ベリー(BERRY)
▼初期
一桁番号時代(1936年夏以前、第551連隊所属時代)の写真は何枚か存在。下写真はwikimedia commons、File:Issy-les-Moulineaux 31-3-28 manoeuvres de chars- Agence Rol 03.jpg。この写真から読み取れる状態は、
- 基本、車体の細部ディテールは標準仕様と思われる。
- ただし、エンジンルーム後部のロッドアンテナが、途中で太さが変わる二段構成になっているのはこの車輛独特?
- 塗装は単色、スポンソン前端に車輛番号「8」。それだけでなく、シャーシ前面にも番号が記入されているようで、これは他車輛では確認できないマーキングの仕様。

他の同時期の写真で見る状態もおおよそ同じだが、角度的にシャーシ前面まで写っているのは(私が知る限りでは)上の1枚だけで、前面の「8」が常に書かれていたか、また車輛名も同時に書かれていたかは定かではない。
操縦手バイザーが付いていたかどうか確認できる写真無し。スカートは装着している写真が多いが、装着していない写真もある。
また、車庫あるいは工場内と思われる場所で写された、ほぼ同時期と思われる写真が1枚あり、その写真では主砲塔が外されて車体の前に置かれており、その砲塔の右前部にも車輛番号「8」が書かれている。ちなみに、砲塔に車輛番号が書かれている事例は、この8号車→98号車以外には見当たらない。
▼後期
車番が「98」に変わり(1936年以降)、かつ「生きている」写真は、私の手元には1枚のみ。
だいぶ不鮮明な写真で、しかもスポンソン部にはべったり汚れの雨だれ模様がついているので、塗装は「う~ん、単色、かなあ?」くらいにしか判らない。スポンソン前端部に「98」の車番。砲塔リング部には(文字は写真が不鮮明で読み取れないものの)車輛銘板。左側、やや後方から撮った写真なので、車両の前面に番号または車輛名が書かれていたかどうかは判らない。砲塔に地方の盾形紋章が書かれているかどうかも(反射していて)よく判らず。
その1枚の写真に関する限りでは、スカート付き。誘導輪基部先端のカバー?は写真が黒く潰れていて確認できず。
無線機が換装されたのか、ロッドアンテナは見当たらず、エンジンルーム左側に沿って3本の柱。おそらく上端にアンテナ線を張り渡しているのではと思う。
▼最終状態
僚車と共に鉄道輸送状態のまま爆破処分。スポンソン前部の左右とも大穴が開いているのは「97」号車同様だが、変形はさらに激しく、鉄道輸送状態で爆破処分された6両中、おそらく最も大きく破損している。
車輛の仕様はおおよそ標準だが、エンジンルーム後部にロッドアンテナの基部は見えない。上記でアンテナ形態が変更されてから戻されていなかった可能性がありそう。左側誘導輪基部前端には箱型カバーあり。右はないが、爆破時に脱落したか?
スカートは左右とも後半は装着、前半がないが、前半部は車体の変形も激しいので、爆破時に脱落したものと考えられる。
塗装は単色ではないかと思うが確証なし。スポンソン前端、誘導輪基部の標準位置に「98」の車輛番号。前面の写真は手元にないので、車体前面の車輛名や、初期にあった車番の記入等は確認できず。当然、操縦手バイザーフラップの有無も確認できず。
非常に興味深いのが、主砲塔にも大小2種の「8」の数字が書き込まれているらしいこと。かなりかすれて見づらいものの、右面は前部に小さく、後部には上下幅いっぱいに大きく書かれている。左面は2種の数字が隣り合って、両方とも装甲の継ぎ目よりも前に書かれている(小数字が前、大数字が後ろ)。左面の数字は写真によっては見えづらく、char-francois.net掲載の写真では確認できなかったが、world war photoのこの写真では何とか確認できる。
前述のように“かすれ”が激しいが、もともとはっきり書かれていたものが炎上で消えかけたのか、あるいは炎上の結果塗り潰されていた数字が再び浮き上がってきたのか、その辺はよく判らない。主砲塔左側面にも大きな白い菱形のような、何かしらマーキングの痕跡のようなものも見えるが、実際にマーキングなのか、単に塗料が焼け焦げた結果なのか、これもよく判らない。
以下、「world war photo」掲載写真へのリンク。
- 07/50:左前から。激しい損傷具合が判る。誘導輪基部先端のカバー?がある。
- 18/50:上記解説文中にリンクを張ったもの。左からのクローズアップ。
- 42/50:右から。戦闘室床面も失われていて、車体が折れそうな損傷。
- 43/50:右前から。実際既に車体前部と後部では角度が違っているのが判る。こちら側には誘導輪基部のカバー?がない。
●9号車→99号車 シャンパーニュ(CHAMPAGNE)
▼初期
1920年代半ば、9号車のみ、155mm榴弾砲装備の“突撃戦車”仕様、2Cbisに改造された。
主砲は、日本語版wikipediaによればシュナイダー115C 1917年式を元にしたもの、とのことなのだが、2Cbisの搭載砲は非常に肉厚で太短く、シュナイダー115Cとは似ても似つかない形状で「ホンマかいな」という感じ。なお、英語版、仏語版wikipediaにはシュナイダー115Cを元にしたという記述はないようだ。
砲塔は上半分が鏡餅のような独特の鋳造のもの。キューポラは主砲塔と独立して、砲塔の後ろに置かれているらしい。車体側はあまり大きな差異はないようだが、車体銃は除かれているようだ。
写真は、私の手元には斜め右前方、右側方からの不鮮明な2枚があるだけだが、それで確認できる範囲では、塗装はおそらく単色。目立つマーキングは特にないが、車体前端の楕円のメーカー銘板が三色旗に塗り分けられているようだ。
2Cbis仕様への改装はあくまで試験的なもので、後に標準仕様に戻されている。ただ、一桁番号が記入された標準仕様の9号車の写真は、少なくとも私は見たことがない。
▼後期
車番が「99」に変わり(1936年以降)、かつ貨車に積載された放棄/鹵獲状態でない写真は、char-francois.netには2枚。片方は、スポンソン部に雨垂れ状の汚れが激しいので確言は出来ないが、単色塗装に見える。もう片方は最終状態の放棄時と同じ2色迷彩。
前者は車輛から見て左前方から写したもので、側部先端に「99」の車番、砲塔下リング部横に暗色地に白文字の車輛銘板。車体前面は写っていないので、マーキングの有無は不明。砲塔に紋章等は確認できない。
後者は路上?に停車した状態で、右やや前から写されたもの。前述のように、ちょっと前衛芸術っぽい入り組んだ塗分けの2色迷彩で、パターンも鹵獲時と同一。側部先端に「99」の車番。左面や車輛前部は写っていないのでマーキングの有無は不明。周りに人の姿もないので、実際にはフランス軍の下にある時のものか、ドイツに鹵獲された後なのか、いまひとつよく判らないが、後述の、スポンソン部のドイツ軍によって書かれた文字が見当たらないので、一応、フランス軍時代の写真と判断した。
ともに操縦手用バイザーの有無も確認できないが、少なくとも後者は、40年6月の放棄時と極めて近い状態なので、バイザーは付いていたはず。この2枚の写真とも、前面装甲中央の前照灯は支持架ごと未装着、かつスカートも装着していない。誘導輪基部先端のカバー?も無し。
▼最終状態
僚車同様、鉄道輸送状態のまま爆破処分されるはずが、爆破に失敗してほぼ無傷でドイツ軍に鹵獲される。そのため、残されている写真も多い。下写真はwikimedia commons、File:Char2C 99 01 res.jpg、Phrontis。

この時の塗装とマーキング、車輛細部の仕様は、
・ちょっと前衛芸術っぽい入り組んだ塗分けの2色迷彩。比較的明るめに見えるので、MENGキットの「93号車」の塗装指示にある、グリーン/ベージュ系の迷彩か。上方から写した写真を見ると、この2色の塗り分けはエンジンルーム上のマフラーでも確認できるので、このマフラーが、焼けた赤錆状態にはなっていないことがわかる(塗装からあまり時間が経っていないせいもあるかもしれないが、そもそもこのマフラーはあまり高熱にはならないのかもしれない)。
・側部前方に「99」の車番。近くからはっきり写した写真を見ると、右下方向に向かって細くシャドウを入れて数字を目立たせている。
・砲塔下リング部、左側面に車輛銘板。極めて見づらいが、白縁に暗色の地色、それに地色より少しだけ明るめの文字で「CHAMPAGNE」と書かれているらしい。あるいは白地に車輛名が書かれていたものを、暗色で塗り潰した(そしてうっすら車輛名が見える)という可能性もあるかもしれない。白縁部分がガタガタなので、他の車輛のように銘板が付けられているのではなく、車両本体に直接書き込んでいることも考えられる(銘板が浮き上がって歪んでいるという可能性もあるか?)。
・砲塔に地方紋章等の記入は無し。
・車体正面は貨車との接続等できっちり写った写真は無く、全体像が確認できない。ただし、操縦手用バイザーが付いていること、少なくとも操縦手バイザー下には車輛名の記入がないことは確認できる。
・主砲塔、副砲塔のキューポラのドーム状天井には同心円状の塗り分けがある。フランス国籍マークのコケイドに塗られている可能性がありそうだが、白部分が1/3幅には見えないのもちょっと気になる。なお、副砲塔のキューポラは装着したままだが、主砲塔のキューポラは橋下などの通過時に引っかかるのを防ぐために取り外してエンジンルーム上に置かれている。
・誘導輪位置調整装置部の延長(カバー?)もなく、キットが表現している状態ほぼそのままの仕様。スカートは左右ともフルで装着。
・エンジンルーム左後方のアンテナ基部がキットパーツに比べて背が低く写っている写真があるが、これは蛇腹部が破損したものか?(背が高い、キットと同仕様らしい状態で写っている写真もある)。
・ドイツ軍により、両側面に「Erbeutet Pz.Rgt.10」(第10戦車連隊により捕獲、の意味か)とデカデカと書かれている(右側面のみ、10の後にスワスチカ)。迷彩よりも暗色だが、写真によってはコントラストが弱く見えづらいので、黒文字ではないのではと思う。
「world war photos」上の写真。かなり多数ある。
- 03/50:左前から。比較的鮮明な写真で、ドイツ軍による書き込みもくっきり。
- 05/50:左前、やや高い位置から。2Cの写真としては割と有名なもの。車体の迷彩が明瞭。
- 06/50:左斜め後ろから。この写真ではドイツ軍の書き込みのコントラストが弱く見える。
- 08/50:左斜め前から。
- 10/50:左斜め後ろから。
- 12/50:左から。主砲塔のキューポラがマフラー間に置かれているのが判る。
- 13/50:前方、やや左から。
- 17/50:左やや前方から。鹵獲後だが側面の書き込みが見えない。書き込まれる前の撮影か。
- 20/50:左前方から。
- 23/50:左やや上から。キューポラの同心円状塗り分けが判る。
- 24/50:左前上から。全体ではないものの上面が判る貴重な写真。マフラーの迷彩も判る。
- 25/50:左後ろから。
- 27/50:珍しく右前から。
- 33/50:左前上から、No.24よりさらに広範囲。キューポラの塗り分け、マフラーの迷彩が明瞭。
- 36/50:左前から。やや遠景かつやや不鮮明。
- 38/50:左前から車体のみ。あまり質の高い写真ではないが、車番のシャドウがはっきり判る。
●10号車→90号車 ポワトゥー(POITOU)
90番台になったらいきなり初号車みたいになってしまったが、本来は最終号車。
▼初期
車番「10」時代の写真は、char-francois.netにもworld war photosにもない。
▼後期
車番が「90」に変わり(1936年以降)、かつフランス軍の下にあって「生きている」写真は大別して2種。
ひとつは帯状?に2色迷彩が施され、車体前端のメーカー銘板?の下に車輛名「POITOU」、その下に小さく三色旗が書かれたもの。この状態の写真は数枚あるが、車両を左側から写したものはなく、砲塔のマーキング、その下の銘板の有無については確認できず。ただし、下記のドクロマークは「ぶっちがい骨(crossbones)」の端がほとんど防盾横の照準窓に接するくらいなのだが、この迷彩時で、わずかに左面が見えている写真では、それが見えない。ドクロマークは未記入と考えてよさそう。
おおよそ、キットが表現している仕様に近いが、誘導輪基部先端には箱型カバーが付いている。スカートは未装着。操縦手用バイザーはすでに付いている。前面装甲板中央の前照灯は支持架のみでライト自体は無し。
もうひとつは全面緑色単色で砲塔左面に大きく、海賊旗風のドクロが描かれたもの(つまりキットの指定塗装B)なのだが、これは写真が明らかに人工着色で、マーキングはともかく、車体の塗装はちょっとアテにならない。この塗装で車体前端に車輛名が書かれていたかは、車輛の前に立つ戦車兵に隠れて確認できない。砲塔下リング部の車輛銘板は、暗色に白文字らしいが、少なくとも手元の着色写真では銘板の地色もグリーンに塗られている。
こちらも誘導輪基部先端には箱型カバーが付いており、スカートは未装着。操縦手用バイザーの有無は確認できず。前面装甲板中央の前照灯は支持架のみでライト自体は無し。
上の迷彩の時期と、このドクロ付きの時期のどちらが先かもよく判らない。ただし、下記のように放棄後にドクロマークがわかる写真もあるので、「ドクロ付き」が時期的に後か。
▼最終状態
僚車とともに、鉄道輸送状態で爆破処分。炎上したと思われる痕跡は認められるものの、「99」以外の爆破処分車輛に比べ表面上の破損は軽度で、左右とも側面装甲に大穴は開いていない。塗装及びディテールは――
・前述のように爆破処理の際に炎上したようで、車輛全面が塗装とは考えづらいまだら模様になっており、単色塗装だったのか、迷彩塗装だったのかも判別しづらい。側面前端には僚車同様、白で「90」の車番。
・砲塔下左側面の銘板は、上記「後期」の着色写真と違い、明色の字に暗色の文字。
・不思議なのは、ほとんどの写真で砲塔はマーキング無しに見えるにもかかわらず、かなり剥げかけではあるものの、明瞭に上記「後期」で書かれていた砲塔左面の大きなドクロマークが残っている写真があること(この写真はchar-francois.netにあったものなので、下リンクには入っていない)。爆破放棄直後は、ボロボロの剥げかけながら残っていたものが、その後しばらくですっかり剥がれてしまったのか? あるいは塗り潰されていたマーキングが逆に浮かび上がってきたのか?
・車体前面~砲塔前面に、ドイツ軍が標的にした弾痕複数。とはいえ、「97」号車のように大小の弾痕がびっしりという感じではなく、同一口径の砲(3.7cm?)の弾痕が7カ所ほど。一発は砲身先端に当たっており、砲口右側が破損欠落している(接収時に砲口が破損しているのはこの「90」号車のみ)。
・上記「後期」同様、おおよそキットの仕様だが、誘導輪基部先端には箱型カバー付き。スカートは無し。
「world war photos」上の写真。
- 26/50:前方より。ドイツ軍に標的にされた弾痕は、他車輛同様白塗料で囲われている。
- 28/50:右後方より。車輛番号は確認しづらいが、車体の破損状態は軽微な一方、砲口が破損しているように見えるので、おそらく90号車。
- 30/50:右前方から。
- 34/50:右前方から。やや遠くからの撮影、かつ不鮮明。
- 40/50:左前方から。車番は見づらいが弾痕で90号車と判別できる。
- 46/50:戦闘室/砲塔前面クローズアップ。砲口部合わせ7カ所の弾痕が確認できる。
- 48/50:同上。
最近のコメント