かば◎の迂闊な日々

逗子市のマンホールカード

●全国の自治体が「下水道広報プラットフォーム」と共同で発行する「マンホールカード」の第16弾42種のうちの1つとして、逗子市のものが発行された。

第16弾の配布は今日、1月15日からで、逗子市のものも市役所(通常は2階の下水道課窓口、土日祝日は裏手の警備員室)で配布が始まっている。というわけで、早速1枚貰って来た。

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駅前に(1枚だけの)カラーマンホール蓋が設置されたのは一昨年の夏。その時から、マンホールカード発行の申請を検討とされていたので、近々出るんだろうなあと思っていたのだが、つい最近、「そういえばどうなったかな」と検索してみて発行を知った。まあ、あわてて貰わなくてもしばらくは無くならないと思うけれど。

●同じく路上蓋関連。

先日日曜日のことなのだが、逗子市久木の路上で、海軍の水道弁(仕切弁とか止水弁とか)の蓋を見つけた。

二連・二重の山形と錨は海軍を示す。左右に矢印があって、その下に「■」マークがあるが、これはすり減って読めないだけで、本来は「開・閉」の文字だったのではないかと想像。

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場所は久木小学校の裏手、妙光寺の門前ちょっと脇。街区で言うと久木2丁目1と6丁目1の間になる。普段から散歩のときなどに頻繁に通る場所なのに(もう20年以上通っているはずなのに)今まで全く気付かなかった。

こうした海軍に関わる水道施設の遺物は、軍用水道上に作られた「水道路(すいどうみち)」沿いには多数残っているが、ここは水道路(このあたりでは県道311号線)からは外れている。浄水場に到達する前の水道から枝分かれしているとは考えづらいので(上水道の構造自体に詳しくないので勝手な想像だが)、これは逗子市(当時は逗子町、あるいは1943年以降であれば横須賀市)の水道から、久木の奥にあった横須賀海軍工廠工員宿舎、あるいはさらにその奥の池子弾薬庫方面へと引かれた旧・海軍専用経路なのではないかと思う。

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2枚目写真は「水道路」上、JR逗子駅から東逗子方面へ、京急の踏切を越えたあたりにある同様の栓蓋。かなりすり減っているが、かろうじて山形と錨の海軍マークが見える。久木の蓋とは、全体形はほぼ同じだが絵柄は別物。

●何日か前のテレビニュースで、確か、コロナ禍でごみ収集の人員にも不足が出始めているという内容だったと思うのだが、東京の下町の路地でごみ収集している映像が流れていて、そのごみ収集車がなんとターレだった。確かに軽トラでも入りにくいような路地でごみ収集するにはターレはうってつけ。何区だったかなあ。

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謹賀新年2022

●本年もよろしくお願い申し上げます。

世界的に今なおコロナ禍下にあり、なかなか「明けまして」とも「おめでとうございます」とも言い難い状況であるのは確かですが、なんとか少しでも明るい方向に向かって行ってくれればと思います。……今年は東京AFVの会があるといいなあ。

●例年通り、大晦日に川崎の実家に行って、母、兄と年越し。大晦日には兄が作ってくれた蕎麦を食い、元日には兄が作ってくれた雑煮を食う。……オレ何にもしてないぢゃん。

●母もだいぶ認知症が進んできて、数分前に言ったことを忘れて同じことを繰り返すのを、こちらも同じように返したり。

「そのうち、息子の顔も忘れて『あんた誰?』って言うようになるよ」

と、自分で言っているうちはまだいいかなあ、なんて思ったりする。

●特段やることもなく、大晦日は紅白歌合戦の最初のほうだけ見る。なんというか、「無理矢理盛り上げよう感」が強すぎて痛々しい。

せっかく司会に大泉洋を据えるのなら、「どうでしょう」のぐだぐだなノリで、

「いいですかぁ? 『紅白』もねぇ、四六時中面白いわけじゃないんですよ?」とか、

「奥さーん。知ってるでしょう? 大泉洋でございます。オイ、『紅白』観ねぇか?」とか……。

あるいは、いっそのこと藤村Dにも一緒に出てもらって、

「ええええ? 『紅白』? またやるの? もういいじゃない、去年やったんだし」
「バカ野郎、お前『紅白』舐めてんじゃねえ。やるっていったらやるんだよ」

みたいな掛け合いを見せてくれるとか。それくらいしないと、もう紅白は生き返らない気がする(……むしろとどめを刺す?)。

●なんだかんだぐうたらしている間に三が日も過ぎ、通常営業に復帰(できているかどうかはさておき)。

4日は今年初砲台。といっても、ご近所の披露山。

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写真1枚目から――。

一番北側の、花壇に姿を変えた第一砲台(仮称)。写している自分の影入り。hn-nhさんが腕を突っ込んで内壁の傾斜を確かめた周囲の池は、睡蓮が刈り込まれて寒々とした感じ。

展望台の土台となった真ん中の第二砲台、越しに見る富士山。実際にはここには砲は据えられなかった模様。

ほぼ原型のまま猿舎に再利用された南端の第三砲台。檻のせいか、掘り下げられているせいか、同じ径のはずなのに花壇よりこちらのほうが大きく見える。錯視の実験のよう。それを言うなら、ここの展望台2階の床は(確か前にも書いたが)、おそらく外側に傾いた外周の壁のために、常に自分がいる場所が一番高く、床が傾斜して見えてちょっとクラクラする。披露山錯視公園。

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あんこベリー

●野山を歩くついでに食えるものを収穫するのは、私のちょっとした楽しみだが、当然ながら、冬はその手のネタに乏しい。

今年は「むかごが結構イケル」ことが判って、「オイルサーディンとむかごの簡単アヒージョ」を結局3回も作って食べたが、さすがにむかごの収穫ももう打ち止め。

そんな季節の数少ないネタのひとつが、以前にも取り上げたことがあるフユイチゴ。「そろそろいい時季、というより、今行っておかないと喰いそびれるかもしれん」と思い立ち、心当たりの山道に出掛ける。

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どうやらちょうどいいタイミングだったようで、フユイチゴの茂みには真っ赤な実がたくさん。

逗子近辺でよく見るキイチゴ類には、他に晩春のモミジイチゴ、カジイチゴ、クサイチゴがあり、それに比べるとフユイチゴはだいぶ酸味が強い。せっかくなので一ひねりして、「あんことベリー/チョコレートとベリーは鉄板の組み合わせ」という持論に従い、山歩きの「おやつ」に持って行ったつぶあん&マーガリンのコッペパンにたっぷりトッピングして食べた(なお、写真の量で半分食べて、「こりゃもうちょっと行けるな」と思って、残りにはさらにフユイチゴを足した)。美味。酸味が勝ちすぎているフユイチゴが、餡+マーガリンのあまじょっぱさとうまく融合し、さらに食感のプチプチも加わって大正解。

ヤマザキや第一パンの「コッペパン」シリーズ(上写真はヤマザキ)は出来合いの菓子パン類の中でもとりわけコスパに優れ、いかにも「小腹が空いたときの友」的食べ物だが、それが一気に高級に!(言い過ぎ)。

●「ベリー」つながり。

田園都市線の「南町田」駅が「南町田グランベリーパーク」というトンデモ名前に変わってしまったのに気付いたのはしばらく前だが(変更自体はもう一昨年のことになるらしいが、あざみ野以遠にはまず乗らないのでしばらく気付かなかった)、以後、田園都市線に乗るたびにどうにも気になって仕方がない。

「高輪ゲートウェイ」といい、なんでこう、余計なシッポを付けるかね。「南町田」で、「高輪」でいいぢゃん!

それに、「グランベリー」って一体……。「クランベリー」ならまだわかるけど。前半フランス語で後半英語、「南町田」も合わせれば3か国語混合って、なんなのよもう、って感じ。なんだかんだで「たまプラーザ」はもう馴染んじゃったけど。まあ、それを言うなら、そもそも田園都市線沿線は、「あざみ野」とか「つくし野」とか「すずかけ台」とか、ロウで作った食品サンプルみたいな名前ばっかりだけど。

●ズベズダの新製品予告がなかなかアツイ。

COEタイプ(キャブオーバー)のトラクター、STZ-5については、セータ☆さんがいろいろ書いていて、ほとんど私が書き足すようなこともないのだが、10年くらい前のValcanの同アイテムのキットはちょっとイマイチだったし、これはちょっと欲しいかも。あー。でもサンダーのスターリネッツも買ってないんだよなー。

同じく来年発売のラインナップの中には、76mm砲型のM4A2や、T-70Bなどもあり。

え……T-70B

と、ちょっと首をかしげてしまったのだが、どうも最近では、従来言われていたようなT-70Mというタイプは(少なくとも生産型としては)存在せず――従来言われているような、GAZ-202エンジンからGAZ-203エンジンへの換装はテストはされたものの生産されず、シャーシ強化などの小改修が行われたタイプがT-70Bという名称で生産された、ということになっているらしい。ロシア語版のwikipediaにも書いてあった(もちろんGoogle翻訳さん頼み)。ふーん。

T-70に関しては、20年以上前のTechmod/TOGAのキットはさすがにキツイとしても、その後発売されたMiniartのキットも、同社最初期のキットということもあって、確か砲塔の非対称表現も不十分だったはず。

●つい先週のことなのだが、ビートルズ解散後のジョージ・ハリスンの最初のヒット曲「マイ・スウィート・ロード」の“初公式MV”が発表された。リリースから50周年を記念して、ということらしい。

 

内容的には、何だかよく判らないエージェントが何だかよく判らないものを探すという、曲との関連性がさっぱり判らないものだが、出演陣が豪華。

冒頭にマーク・ハミル、劇場のシーンでは観客としてリンゴ・スターやジョー・ウォルシュが出ている。劇場の売店のおっさんが、よく見るとアル・ヤンコビックだった(笑)。劇場シーン、スクリーンの横で一人掛けソファーでバタバタ踊っているのは、ジョージの「セット・オン・ユー」のMV(第2バージョン)の再現。

マーク・ハミルは(特に最近の「スター・ウォーズ」シリーズをあまり観ていないので)じいさん過ぎて、出演シーンは結構長いのに、最初気付かなかった。“ウィアード・アル”ヤンコビックについては、以前に当かばぶでもちょっと紹介した。

リンゴ・スターとジョー・ウォルシュは義兄弟なので(奥さん同士が姉妹)最近よくつるんでいるらしく、最近でたリンゴ・スターの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」のMVでもジョー・ウォルシュがギターを弾いていた。ボーカリストしてのリンゴ・スターは上手い下手と関係なく、とにかく「歌っていて楽しそう」というのが良さだと思うが、この「ロック・アラウンド・ザ・クロック」もとても良い。

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溝ノ口高射砲陣地(2)

●承前。

週末、川崎の実家に行ったついでに、12日日曜日午前中、「溝ノ口高射砲陣地」跡地を訪ねてみた。

おおよそ現在(2019年)の航空写真は以下。

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国土地理院、地図・空中写真閲覧サービスより引用。国土地理院撮影(2019年11月1日)、CKT20191-C57-60より切り出し加工した。

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上左:南側からの津田山の遠望。国道246号に掛かる歩道橋上から撮影。国道246号は、梶ヶ谷方面の丘陵地から、JR南武線や南武沿線道路が通る谷を長い陸橋で越え、さらに津田山を大きな切通で通過する。車線こそ2車線→4車線に拡幅されているが、この陸橋と切通自体は、昭和30年代初頭、旧大山街道が国道246号に格上げされた時にバイパスとして作られた古いもの。高射砲陣地は、左側に連なる山の上にあったはず。

上右:梶ヶ谷側から陸橋を渡り終え、南側から切通を見る(上掲航空写真の①地点)。見えているのは切通だが、信号(交差点)名は撮影方向の真後ろにある「津田山陸橋」。先に見える歩道橋のたもとあたりから、山に上がっていく坂道がある。

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上左:246から津田山に上がっていく緩やかな坂道途中にある小さな祠(上掲航空写真②)。「津田山辯財天」とある。この写真では見えにくいが、奥の赤屋根の小祠の後ろには、山の斜面にぽっかりと横穴が開いている。どうも横穴式古墳の跡であるらしい。こういった小さな祠があるということは、この道自体が古いものである証ではとも思ったのだが、実際は違ったようだ。これについては後述。

上右:津田山弁財天をちょっと過ぎたあたりで、坂道を振り返る(上掲航空写真③)。(この写真では判りづらいが)先の方で完全に国道246号に断ち切られているものの、道それ自体は246号の向こう側に続いており、少なくともこの坂道が246号以前からのものであったことがわかる。

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上左:坂を完全に登り切り、平坦になった尾根道を見通す(上掲航空写真④)。住居表示のプレートに見るように、道の左側(南西側)は、高津区下作延7丁目。右側(北東側)は高津区久地1丁目で、ちょうどこの尾根道が境界となっている。高射砲陣地は下作延側にあったことになる。

上右:住宅がちょっと途切れたところから、山の北側の眺望。多摩川の流れる低地を隔てて、向こう側には世田谷の台地。住宅に遮られなければ非常に見晴らしがよい場所であることがわかる。案の定、眼下にあるはずの久地円筒分水は、家々に遮られて発見できなかった。

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上左:道端に立てられた案内板(上掲航空写真⑤)。個人情報保護に厳しい今時では珍しく、個人宅の名前入り(大丈夫だよね?この写真だと読めないよね?)。「津田山尾根道」という墨書調タイトルが由緒というか風情があるが、今年4月のストリートビューでは単純に「津田山町内案内図」とあるので、ごく最近架け替えられたもののようだ。

上右:その案内板のすぐ先から、やはり山の北斜面を見下ろす。大きな屋根は久地不動尊、その先にちろっとだけ、津田山を潜って出てきた平瀬川が見えるので、高射砲陣地があった場所は通り過ぎてしまっていることがわかる。

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いずれにしても、もう今は住宅地に飲み込まれてしまって、高射砲陣地の痕跡なんて何も残っていないよな……と半ば決め付けていたのだが、上の場所から少し戻って、「尾根道」南側の駐車場と民家の境に、こんなコンクリートの構造物を発見した(上掲航空写真⑥)。場所的には、おおよそ、一番北側にあった砲座の近くということになりそう。

武山の砲台山にある天水桶状の構造物とも何となく似ている(武山のものよりも薄く、また上辺が平行でないという違いもあるが)。もちろん、高射砲陣地と全く無関係かもしれないが、コンクリートの質感といい、「意味がないんだけれど撤去するのも面倒なので」花壇的に再利用されている雰囲気といい、当時の陣地の付属物である可能性は十分ありそうな気がする。

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上左:今度は尾根道から南側を見下ろす。中央には、ぐっとこちら側に向きを変えて流れてくる平瀬川が見える。

上右:津田山から降りて、平瀬川が津田山を貫く水路の入り口を見る。ここから見ると、津田山は裾野から上まですっかり住宅に覆われている。この尾根上の中央やや右側に高射砲陣地があったことになる。

●と、ここまで書いて、改めて過去の写真をあれこれ見比べていて気付いたこと。

「高射砲陣地」というものに対する先入観から、円弧状に配置されているのが陣地の本体と考えてそればかり気にしていたのだが、円弧状の陣地の右下(南東側)にごちゃっとあるものも、対空陣地跡なのではないだろうか。当初は「宋隆寺の裏山のてっぺんにあるんだから、墓地か何かかな?」などとボンヤリ思っていたのだが、よく見ると1941年時点の写真にはなく、円弧状の陣地と同時期に作られた軍事施設である可能性が高そう。改めて範囲を少し変えて、1947年8月1日・米軍撮影、USA-M388-64から切り出したものが以下。

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むしろ南東側の「陣地B」のほうが造りが凝っている感じ。砲が6門、円弧状の掩体も6基ということで、「陣地A」が高射砲陣地の本体と思っていたが、実は砲は陣地Bに配置されていて、陣地Aは対空機銃座、なんて可能性もあるのではないだろうか?(前回触れた資料の付表では、対空機銃の配備等には触れられていないが)。

いずれにしても、この「陣地B」跡は、国道246号の切通建設で、まるっきりこの部分の山自体が無くなっており、現地調査などしようがない。

●位置を推定するために時代を分けて検索した航空写真を、せっかくなので、おおよそ同じ区域でトリミングして比較してみることにする。全て国土地理院、地図・空中写真閲覧サービスより引用。トリミング範囲は、おおよそ津田山(七面山)の南東側半分。

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1枚目:1941年8月6日、陸軍(63-C6-102)
2枚目:1947年8月1日、米軍(USA-M388-64)
3枚目:1955年1月21日、米軍(USA-M68-51)
4枚目:2019年11月1日、国土地理院(CKT20191-C57-6)

2枚目、4枚目はそれぞれ既出の写真のトリミング違いのもの。各写真は北を上にしているものの、微妙な角度のズレもあり、縮尺も正確には合っていないが、おおよその変遷は判ると思う。

1枚目は高射砲陣地が構築される前の津田山で、山の南側に斜めにまっすぐ引かれた線は南武線(当時は南武鉄道)。左端には現:津田山駅(当時の駅名は「日本ヒューム管前停留場 」) と、その駅前にあったヒューム管工場(前年に鶴見より移転)が見える。津田山を縦貫する新平瀬川の水路は未成のようだ。上辺中央やや右の久地円筒分水は、まさにこの年に完成。この写真ではすでに完成しているのか、半完成状態なのかはよくわからないが、円筒分水からまっすぐ右下に向けて引かれた二ケ領用水本流(川崎堀)は目立つ。

山の南側から尾根に向けて上がる細い道はあるが、今回私が上がった砲台道と思われる坂道はまだなく、上で「陣地B」として言及したごちゃっとした何かも、この段階では存在しない。

2枚目はたびたび掲示した終戦直後(2年後)の写真で、すでに新平瀬川のトンネルは完成。高射砲陣地の掩体もはっきりわかる。この段階で、1941年の写真でもあった尾根に上がる道の右側(東側)に、新たに(写真で見てもより道幅が広い)坂道が新設されている。西側の旧道は谷筋を通っているので、おそらく尾根の直前で傾斜がきつくなる。そこで砲台への資材や弾薬の搬入のため、新たに砲台道として山の中腹を緩やかな傾斜で上がる新道を作ったのではないかと思う。この道が、今回私が歩いた道になる。

そんな新しい道の途中に「津田山弁財天」の祠があるのは少し不思議だが、そもそもこの弁財天は、大正初期、日照りが続いた折に某行者(?)が横穴に籠って祈願したところ雨が降ったことに由来するとか。先述のようにその穴自体は山の中腹に掘られた横穴式古墳の跡と考えられるので、たまたま新しい砲台道を通した際に、中腹の横穴の脇を通ることになったのかも。

3枚目は1955年の撮影で、まさに246号の切通を作っている最中の写真。この段階(終戦から10年後)でも、円弧状の陣地跡は畑(?)の中にまだ残っている。しかし、上で「陣地B」とした構造群は、切通と全く重なっていて、完全に消失している。また、246号によって、砲台道が途中で分断されてしまったことがわかる。

4枚目は現状(2019年)。1955年と比べると、246号が大きく拡幅されている。津田山もびっしりと住宅が覆っているため、緑は一部の斜面にしかなく、山の形(高低差)が判りにくい。

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溝ノ口高射砲陣地(1)

●hn-nhさんがブログ「ミカンセーキ」を更新されていて、日米開戦の日(12月8日)の更新というのも意図したのかどうか、久々の高射砲陣地ネタ。

今回は「3月8日の月島」と題して、1945年の東京大空襲直前の隅田川河口の埋め立て地一帯の様子(米軍による空撮写真)と、そこにあった対空陣地についてレポートしている。

Kawasaki もちろんこの記事自体興味深いのでぜひ各々読んで頂きたいのだが、それと併せて、「おおお?」と思ったのが、都心一帯の対空陣地配置図。多摩川を越えて、川崎・横浜あたりまで含まれていて、その中に「溝口」の文字が。

もともと私は物心付くか付かないかの頃に現・高津区の下作延に引っ越して、今でも実家はそこにある。が、今までそのあたりにも砲台跡があるとは知らなかった(もちろん、“帝都”防衛のため、その周縁部に対空陣地があるのは全然不思議ではないのだが)。

問題の画像(本土地上防空作戦記録:関東地区_S26.7 復員局作成)を頂いたので、川崎を中心に切り抜いて掲示しておく。左上から右下にうねうねと引かれている線が東京と神奈川の境である多摩川。中央あたり、多摩川の南岸に「溝口(溝ノ口)」の文字があり、その南側・西側に「馬絹」「土橋」の文字もある。馬絹は、現在の地区名で言うと田園都市線の宮崎台駅の南方(昔はもっと広範囲を指していた可能性がある)。土橋は宮前平駅から鷺沼駅にかけての線路北側。ちなみに私の実家は、「溝口」と「馬絹」の中間あたりにある。

いくつかの地名ごとに周りが囲われているのは等高線などではなく、管轄の部隊を示しているらしく、「溝口/馬絹/土橋」のカコミには15(あるいは18?)/112AAと書かれているようだ。配置図の付表によれば、管轄の部隊は陸軍高射第一師団の高射砲第112連隊。3陣地の管轄と配備は、

馬絹:第二大隊本部、同第10中隊 -- (三式)十二糎高射砲×6門
溝ノ口:(第二大隊)第9中隊 -- (九九式)八糎高射砲×6門
土橋:(第三大隊)第15中隊 -- 一式照空灯×1基、九三式照空灯×5基

先の配置図内の112AAは「112th Anti-Airclaft (Regiment)」を示すのはいいとして、その前の15(または18)が謎だが、単純に「全部で15(または18)中隊あるでー」という意味かもしれない。

●手始めに溝ノ口陣地を探してみる。

「溝ノ口」とはいっても、現在の溝の口(東急)/武蔵溝ノ口(JR)駅前の低地ではなく、それを見下ろす高台にあったであろうことなんとなく想像できる。そこから先は、終戦直後の米軍の航空写真をローラー作戦で眺めて探してもいいのだが、ちょっと効率が悪い。

安直ではあるが、まずは「溝ノ口 高射砲」で検索してヒントが見つからないか試してみたところ、運よく「神奈川県全域・東京多摩地域の地域情報紙 タウンニュース高津区版」、「高津物語 連載第八二六回」に、ちょろっと触れられていた。

 その昔、旧亀屋十字路角から溝口神社脇を通り、神社の後田から宗隆寺へ通じる道は、車も通れない狭い田圃の畦道だった。

 「昭和十六年(一九四一)神社後田一帯の耕地整理によって、現在の様な道路幅に拡張された」と『思い出のまちかど』(上田恒三著)に書かれている。溝口交差点(旧亀屋交差点)を曲って、二四六方面に進む道路のことを言っているのだが、指摘のように狭く細い道であるが、昭和十六年になぜ拡張されのか?拡張されなければならならなかった理由は何だったのか?全ては七面山高射砲陣地化の故だ。

「七面山」とは、調べてみると津田山の旧称(というか本名?)であることが分かった。引用文中にある「旧亀屋十字路」は溝の口駅北側、「溝口駅入口」交差点のことで、宗隆寺には私が通った幼稚園がある。そこがいわゆる「砲台道」だったとすると、そこから山に上った辺りに陣地があるはずで、それを手掛かりに写真をチェックすると、比較的容易に見つけることができた。

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1947年8月1日・米軍撮影、USA-M388-64から切り出した(国土地理院、地図・空中写真閲覧サービスによる)。もっとも、「津田山(七面山)の上にある」こと自体は合っているが、上の引用にある旧亀屋十字路から溝口神社/宗隆寺方向への道は、山の北麓を通る。実際には陣地へは南麓から上がるようになっているようだ(北麓からは、付近に上がる道自体がない気がする)。上の記述は陣地を見つけるヒントにはなったが、「旧亀屋十字路から溝口神社/宗隆寺方向への道」が拡幅されたのは、高射砲陣地とは無関係のように思える。

とりあえず、上の写真で陣地の立地・位置や形状について考察してみる。

七面山(津田山)自体は、溝ノ口市街地からは北西に位置する、北西-南東に伸びる舟型の山で、山の北側は府中街道(神奈川県道9号川崎府中線)、南側はJR南武線と南武沿線道路が通る。川崎市を縦に貫く幹線道路2本に挟まれた形、ということになる。もともとの名前は七面山だが、玉川電気鉄道(玉電、現在の田園都市線の渋谷・溝の口間の前身)の社長を1928年まで務めた津田興二が開発を手掛け、「津田山」と呼ばれるようになった由。「津田山」はJR南武線の駅名にもなっているので、私も子供の時から「津田山」とだけ認識していて、七面山の名前は今回調べる過程で知った。

高射砲陣地はその南東側1/3くらいの尾根上にある。砲座は6つで、現在もほぼ同じ位置にある「尾根道」の南側に、ほぼ真西を向いた円弧状に配置されている。前記資料によれば配備されていたのは八糎高射砲6門。九九式八糎高射砲は中国戦線で鹵獲したクルップ製88mm砲(有名な「アハト・アハト」のFlaK18系列ではなく、海軍用のSK C/30)をコピーしたもの。

砲座の掩体は、円弧の中心方向に出入り口が設けられているらしい。また、2基ずつ組になって、掩体間の連絡路も設けられているように見える(特に中央の2基で顕著)。披露山の「小坪高角砲台」のコンクリート製砲座は1基の直径が12mだが、こちらはそれより小さいようだ。もっとも小坪高角砲台は12.7cm連装、こちらは8.8cm単装なので、据えられた砲のボリューム自体がだいぶ違う。

山の上下に串を刺したように(上中央から左下へ)溝が見えるが、これは、多摩川の支流である平瀬川(流下方向は左下から上)。もともとは山の南側を流れ、現在の溝の口駅付近を通って多摩川に流れ込んでいたが、付近でしばしば氾濫したとかで、第二次大戦中に大工事をして、津田山の下を潜ってもっと上流側で多摩川に合流するようにしたもの。山の北側、その平瀬川のすぐ脇にある「◎」印は、以前に当「かばぶ」でも取り上げたことがある、1941年に竣工した久地円筒分水。ちなみに久地円筒分水の直径は16mなので、砲陣地や砲座の大きさを想像する目安にもなる。

●現在は、この高射砲陣地があった場所よりもやや東側で、津田山は国道246号の大規模な切通でバッサリと刻まれている。また、山の上もすっかり宅地化されてしまい、高射砲陣地の痕跡はおそらく何も残っていない。とはいえ、この写真に写っている南麓からの道と尾根道はあまり変わっておらず、「円筒分水を見下ろす場所で、平瀬川のトンネル手前あたり」(住宅に遮られてうまく視認できない可能性はあるものの)という手掛かりで、おおよその場所くらいは特定できそう。

というわけで、川崎の実家に行くついでに、ちょっと探索に出掛けてみることにする。

(続く)

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シュヴァルツローゼ

20211207_143718 ●7日、仕事で久々に都心に出る。

新橋で一仕事して、神保町にハシゴ。最近インド風のカレー食べてないなあと思っていたところだったので、神保町のシディークでマトンカレー。

靖国通りの裏手のさくら通りにあった、元・日本タイ協会が入っていた古い風情のあるビルは、すっかり取り壊されていた。10年近く前に解体された、俎橋たもとの九段下ビル同様、関東大震災後の復興建築の一つだったという。ちょっと惜しい。

在りし日の姿をストリートビューで見てみたのが下。スクショではなくてストリートビューからの埋め込みなので、カーソルで掴んでグリグリすると動きます。しかし初めてストリートビューの埋め込みを試してみたけれど、画像が更新されたら、埋め込んだコレも更新されちゃったりはしないよね……?(ストリートビュー自体は、過去画像も遡って閲覧できる仕組みになっている)

 

なお、小川町の交差点の「顔のシャツ」向かいのビル(1階にエクセルシオールが入っていたビル)も解体されていた。

一方、閉店してからしばらく経つ、すずらん通りの「スヰートポーヅ」は今のところまだそのまま。はす向かいの元・南海キッチンの場所は更地になっていた。街の景色ってどんどん変わるなあ。

20211207_144712 ●すずらん通り、三省堂の向かいにある画材屋、文房堂の入り口に、こんな一文が。

「どなたもどうかお入りください。
決してご遠慮はありません」

何なの、このアヤシイ日本語……。

「遠慮はしないで」というならわかるが、「遠慮がない」とはどういうことだろう。入った途端に、鈴々舎馬風みたいなのが出て来て、「よっ、こりゃまたよく来やがったナァおい」とか馴れ馴れしく言われちゃうんだろうか。外国人が出している飲食店の拙い日本語案内というならわかるが、明治創業の老舗でコレはいったい……。

と思ってしまったのは私の日本文学の素養が足りていなかったからで、これは宮沢賢治の「注文の多い料理店」に出てくる、山猫のレストラン(山猫軒)の店先に書かれた誘い文句だった(というのに、検索して行き当たった)。なるほど、だから文句の下に、山猫の顔があるのか。

調べてみると、どうもこの秋にやった何やらのフェアに絡めてのディスプレイらしい。

●久しぶりに秋葉原の模型屋(複数)に行く。

YSのパーツバラ売りコーナーで、miniartのオースチン装甲車の機銃を見つける。

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おっと! オースチンの機銃ってことは、ヴィッカース機銃? あれ?こっちにちょっと形の違うやつがあるけど……これって、もしかしてシュヴァルツローゼ機銃? そういえば、miniartのオースチン装甲車って、枢軸側の鹵獲仕様も出てたっけ……。

と思ってとりあえず購入。帰宅してから枝番を元に調べてみると、ヴィッカース機銃だと思っていた左の「Ff」枝は、その原型であるマキシム機銃。右の「Fa」枝は思った通り、オーストリア=ハンガリー軍のシュヴァルツローゼ機銃だった。シュヴァルツローゼ機銃は、第二次大戦時にもハンガリー軍で、より新しいゾロトゥルンの31Mなどと併せて使われている。車載機銃としても使われていて、ハンガリー軍のクルップ・プロッツェの荷台に据えられている写真も残っている。

というわけで、ハンガリアン・プロッツェ製作のための重要な1ピースが手に入ったので、「くくく……これで勝つる」などとしばし舞い上がってしまったのだが、考えてみるとハンガリアン・プロッツェはその他に荷台もキャビンもタイヤのトレッドパターンも違うので、実際には全く勝つ算段など付いていないのだった。

ちなみにヴィッカースだと思って買ったほうのマキシム機銃は、今のところ何の用途のあても無い(ヴィッカースだったらRPMのT型フォード機銃車に使おうと思っていた)。

●先日来のつまみ食いモデリングの続き。

「あ」モデル(Amodel)のIAR-80Aは、とりあえず「士の字」くらいにはしておくかぁ……くらいのつもりで作業を進めてみたのだが、案の定、主要パーツのそれぞれがどうにもうまく合わない。

まずは主翼の上下面が、上面と一体のフラップ/エルロンと、下面との間でかなり段差になってしまうので、下面パーツの内側をゴリゴリ削り込む。そうすると、今度は胴体前半部のフィレットと翼上面のカーブが全然合わず、ここにも隙間と段ができる。

この胴体前半部、普通に貼り合せたら胴体後半部よりやや横幅が狭かったので、内側につっかい棒を入れて広げた……ら、今度はまた主翼側と幅が合わなくなってしまったので、フィレット部を広げた分だけ削り落とす。

なお、主脚のタイヤハウジングの内壁には大胆なヒケがあったので、一度大きく穴を開け、プラ材を差し込んで瞬着固めの刑にしてから削り込んだ。なんだか、「プラモデルを組み立てている」というよりも、「彫刻をしている」みたいな気分になってきた。

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テレメンテイコ

Img_20211205_0001 ●唐突に、「テイコや、テレメンテイコ」というセリフが頭に浮かんできて、「いったいなんだったっけな……あ、高野文子のマンガの一節だ」と思い出した途端に読み返したくなり、書棚の奥から引っ張り出してきた(思い出したときに運よく手の届く場所に見つかるのは、私にしては珍しい)。

高野文子の最初の単行本(短編集)、「絶対安全剃刀」。奥付を見たら「昭和57年1月19日 初版発行」とあった。古いなあ……。

後には割とほんわかした感じのマンガを描いていたように思う高野文子だが、この最初の単行本(短編集)のマンガはどれも尖っていて、しかもとてもよい。

ページをめくって最初がカラーの小品、「たあたあたあと遠くで銃の鳴く声がする」。

何と言うか、ビートルズのアルバム「Let It Be」の最初の「I dig a pigmy!」という叫び声とか、ピンク・フロイドの「Dark Side of The Moon」冒頭の徐々に高鳴る心臓の鼓動とか、もうそこで一気に引き込まれてしまうような「口開け」感が、この小品にもある。題名も素敵。たあたあたあ。

●最初に書いた「テイコや、テレメンテイコや」(正しくは最後にも「や」が付いていた)は、「早道節用守(はやみちせつようのまもり)」に出てくる。(wikipediaによると)どうやら杉浦日向子に触発されて描いたものであるらしい、

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江戸に天竺、中国(秦)と、空間も時間も飛び越えて話が展開する摩訶不思議感は澁澤龍彦の「高丘親王航海記」にも通じるものがあるが、物語そのものはこっちのほうがずっと古く、江戸時代の山東京伝の原作のマンガ化。

「テレメンテイコ」は秦の始皇帝に呼びつけられる廷臣(小坊主)の名前。私はずっと「高野文子のマンガに出てくる名前」という認識でいたのだが、実際には、この珍妙な名前は山東京伝の原作にすでにあるそうだ。

最後に出てくる「三囲りの鳥居と幽霊は腰から下が見えねえはずだ」の三囲の鳥居は、現・墨田区向島の三囲神社の鳥居のことで、隅田川の対岸から見ると、堤越しに鳥居の頭だけ見えたことが下敷きになっている。同神社には三本足の鳥居があることで有名だが(一度見に行きたい)、この三本足の鳥居はちょっと奥まったところにあり、「腰から下が見えない」のは別の(普通の)鳥居らしい。

●軽妙な「早道節用守」もいいが、個人的に(初めてこの本を読んだ時から)好きなのは「ふとん」。基本、無神論者の私だが(論者というほど強固ではないが)、もしも「衆生を救う神仏」というものが在るとしたら、厳かな仏像のようではなく、この作品に出てくるかんのんのようではないだろうか、と思ったりする。

痴呆症の老婆を精神年齢ベースで絵本風の幼女の姿で描いた「田辺のつる」も、最初読んだ時は衝撃だった。

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(ここまでの画像は全て、高野文子「絶対安全剃刀」白泉社(1982年)より引用)

●4日土曜日。ふと思い立って三浦富士~砲台山~武山不動の三浦半島横断ハイキングをする。初めて砲台山に行った時と同じく、最初に電車で(東京湾側の)京急長沢まで行って、相模湾側の武山まで。

京急長沢で降りて、あっ、そういえばここはモデラー仲間のMさんのいるところでは!と思ったのだが、考えてみれば電話番号を知らないし、知っていても「もしもし? 今近くに来てるんだけど、一緒に山登りません?」というのも唐突過ぎる。というわけで、おとなしく1人で歩く。

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上写真は左が三浦富士から見下ろした東京湾。右が砲台山山頂下の展望台から見た三浦半島南部と、その向こうの伊豆大島。ここから見る三浦半島南部はほぼまっ平らで、要するに、三浦富士~砲台山~武山不動と連なる尾根が三浦半島の山の南端であることが判る。

砲台山探訪は、2017年8月の第1回目、2018年11月の第2回目に続いて今回が3回目。

わざわざ砲台山まで行かなくても、我が家の近所にほぼ同型の砲台が(披露山公園に)あるにはあるのだが、何も手を加えられていない砲台が藪にも覆われず、実際にすり鉢の中に入ってあれこれ見ることができるのはやはり貴重だと思う。贅沢を言えば、山頂広場の樹と藪はすっかり丸裸にして、もう一基、藪に埋もれている方の砲座や機銃座も併せて見てみたい。

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1枚目・2枚目:三浦富士からの尾根道が、砲台山の砲台道に突き当たった地点で、砲台道の下手・上手を撮ったもの。海上保安庁の通信施設が建っているため、砲台道は藪に狭められることもなく、車が通れる道幅をキープしている。

3~5枚目:砲座全景と、砲が据えられていた中心の穴。今回新たに得た知見だが、中心の穴の周囲には、ほぼ等間隔?にくさび型の刻み目のようなものがある。一部エッジが削れて不明瞭になった部分もあるが、たぶん全周で18カ所。

6枚目:砲台道から、武山不動方面に向かう枝道に入ってすぐの場所にある、衛兵所(と、サイト「東京湾要塞」では説明されている)とされる建造物のコンクリートの基礎。さらにこの先に、第1回目の記事にも載せた、コンクリート製の天水桶状の構築物(7枚目)がある。

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「あ」モデル

●年間の仕事上の最大の山場を越えた虚脱状態からいまだ脱出できておらず、模型製作も低調。

一つのキットに集中するモチベーションが沸いてこないので、あれこれキットをとっかえひっかえ取り出しては、ちょっと眺めたりいじったりしてまた箱に戻す、などということを繰り返している。

20211202_232053 ●そんななかで、最近いじったのが、A modelの1:72、IAR-80A。

A modelについては、以前に一度、ニューポールIVのキット評をUPしたことがあるが、もう一度、ざっとこのメーカーの説明を。

A modelはたぶんウクライナの会社で――と、最初から「たぶん」が付くところがなんとも情けないが、これは、キットの箱にも説明書にも、どこにも会社の所在地とか、「made in どこそこ」とか書かれていないため。箱横のロゴ下には、「ワールド・ワイド・ディストリビューター」として、ポーランドのIBG(International Bussiness Group)の名前とワルシャワの住所/連絡先が書かれている。IBGが独自キットを出すより、A modelが出回り始めた方が早かったと思うから、IBGって商社活動の方が先だったんだなあ……と今さらながら思ったりする。

箱の横には実機説明・キット内容説明が複数言語で書かれているが、それも英語とロシア語、もしくは英語とドイツ語とロシア語で、ローデンのようにウクライナ語は書かれていない。

「ウクライナ産」の証拠がどこにもないじゃないか、と突っ込みたくなる感じだが、日本でこれらのキットを扱っているバウマンのサイトには「Amodel from UKRAINA」と書かれている。キット名称や説明に多々怪しいところがあるバウマンが言っているだけだとやや根拠に乏しいが、ポーランドの通販サイトのJadarHobbyでも「Amodel (Ukraine)」と書かれているので、まず間違いないと思う。

我が家には右に上げた3キットのほか、以前にキット評を書いたニューポールIVと、あとは確かUTI-4(ポリカルポフI-16の複座練習機型)があったはず。とにかく初期のキットは簡易インジェクションとしても出来は悪い方で、(悪名高いマーリンやヴィーディーとまではいかないものの)モールドはでろでろ、ぱっと見でも、かなり削り合せないとそのまま接着もできない風のものが多かった気がする。

――箱を開けて見たとたん、「あ……」と言って二の句が継げずに箱を閉めちゃうから「あ・モデル」なんだよ。

と、誰かが言っていたような気が。

比較的初期の製品であるUTI-4も、翼弦長などは修正してあったものの、一部パーツは古いレベル72のU-16のデッドコピーだったような記憶がある(うろ覚え)。それでも、他ではまず出さないような珍機・迷機・マイナー機を次々に出すので、(私のような)アホなマニアがついつい手を出してしまう、いわば「マニアホイホイ」なメーカーでもある。

ただ、一時期以降は結構質も向上してきて(とはいっても、まともなインジェクションメーカーに太刀打ちできるレベルではない)、写真に上げた3キットやニューポールIVあたりは「好きなら手に取っていいかも」くらいには仕上がっている。とはいえ、これまたニューポールIVの時に書いたように、昔のひどいキットが箱替え・デカール替え/一部パーツ替えで番号が新しくなって出ている例もあるようなので、かなりの地雷含みではある。

▼せっかくなので上に上げた3キットの中身紹介を少々。

最初はIAR-80A。

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前述のように、ちょっとだけお手付きなので、箱の中には切り離した胴体や主翼ほか一部パーツがバラバラと入っている(カウリング胴部や胴体前半部は左右を接着済み)。

このキット、どうも純正A model製ではない気配もあって、パーツ枝には「Master 44」という謎のタグが。以前は、実機の生産国であるルーマニア製のキットをリボックスして売っているものかと思っていたのだが、Scalematesを見ると、ルーマニアのレーベルである「Parc」からはA modelと同時期に1種のキットしか出ていないのに対して、A modelからは細かくバリエーションで5,6種出ている。しかも前述のようにキットの枝のタグは「Parc」ではない。

角の丸いパーツ枝形状、枝の交点にいちいち出ている樹脂のヒケの穴などは他のA modelキットと似通っているので、「Master 44」とは単純に下請けの金型メーカーである可能性もある。いやまあ、それが判ったとしても何がどうということはないけれども。

A modelからは、私が持っているIAR-80Aのほかにも、-80、-80C、-81など何種もバリエーションが出ていて、それへの対応のためか胴体は前半と後半で別パーツ(そしてその擦り合わせは結構苦労しそう)。

ちなみに実機は、ルーマニアがライセンス生産していたポーランドのPZL P.24の胴体後半の設計をそのまま丸パクリして低翼単葉引込脚機をでっち上げたというもの。いかにも旧式なPZLの固定脚ガル翼機が、いきなりスポーツ機じみた外見に生まれ変わっているのはビックリだが、垂直尾翼の形状はP.11cともそっくり。

ちなみに箱の右上にあるポートレートは「Constantin Pomut(コンスタンチン・ポムート、と読めばいいのか?)」で、キットの塗装例の機体に乗っていたエース・パイロット。ただし以前にはハリケーンに乗っていて、何機をIARで落としたのか(あるいは落としていないのか)はよく判らない。

▼2番目はユーゴスラビア仕様のホーカー・フューリー。フューリーの72のインジェクションキットは、古くはマッチボックスからも出ていて、「マイナー機ほど出来がいい」と言われるマッチボックスらしくそれなりにいいキットだったのだが、形式はMk.IIだったので輸出型には対応していなかった。

A modelのこのキットはユーゴスラビアに輸出、また一部ライセンス生産されたMk.Iで、脚柱がV字でなくI字の一本脚であるなどの外形上の差がある。A modelからは、この他、イスパノスイザのエンジンを搭載したイスパノ・フューリーも発売されている。

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御覧のようにパーツは72小型機としては標準的な構成。IAR同様、パーツ一つ一つのキレはお世辞にもいいとは言えないが、コクピット内壁のモールドもあるし、「それなり」には仕上がっていると思う。ただ、型からの取り外し時に無理な力を掛けたのか、私の入手したキットでは、胴体右側の排気管のモールドが部分的に(ちぎれたような感じに)潰れていた。これはどうにかして(ついでに左右揃えて)作り直さないといけない。うわ。面倒。

▼最後のキットはスパッドS.A.4。

箱絵は後ろ姿なのでちょっと判りづらいが、これはとにかくスタイルが珍妙なので実機解説から。

第一次大戦前半、同調装置が一般化するまでは、とにかく「まっすぐ前に機銃を撃つ」ということが難しくかつ大きな課題で、イギリスでは空力性能を犠牲にして各種プッシャー式戦闘機が実用化され、フランスのニューポールあたりは上翼の上にさらに架台を組んでプロペラ圏外から撃ったりしていたわけだが、そこでもっと斬新な(悪夢のような)解決法を導入したのが、スパッドS.A.2と、その小改良型であるS.A.4(どこがどう違うのかよく判らないが、とにかくA modelからは両方発売されている)。

基本、ごく普通の牽引式の飛行機に、プロペラを迂回する形で支柱を付けて、プロペラの真ん前に銃座を取り付けてある。だいたいこの頃の飛行機というのはほぼ野原のままの飛行場から運用されていて、そこで尾輪式の機体は、ちょっと“つまづく”とつんのめって逆立ちをしてしまう。実際にそんな状態の写真はよく見るが、この機でそんな事態になると、機銃手は真後ろから高速回転するプロペラとエンジンがかぶさってくることになる。……ブラック職場過ぎる。

そんなわけで、本国フランスでは嫌われて、生産機の多数がロシアに里子に出されている。このS.A.4のキットの指定塗装もロシア空軍。

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小パーツ枝と一緒に写した10円玉との比較で判ると思うが、成型状態はお世辞にもいいとは言えないものの、細かいパーツはとことん細かい。ル・ローン・エンジンも吸気管が別パーツとなかなか凝っているが、果たしてこの極細パーツ群、破損させずに切り離すことは可能なんだろうか……。

前部機銃手ナセルの両側面には、直後の空冷星型エンジンの冷却を助けるためにダクトがあって入り口にメッシュが張られているのだが、キットでは頼りなさげなモールド表現のみ。もっとも、エッチングに張り替えるなどと余計なことを考えたりせず、塗装表現で済ます方が平和だろうなあ。

とりあえず模型として形態だけを見ると、奇抜な前部機銃手席の機構に加えて、デュペルデュサン以来の、ルイ・ベシュロー設計機の特徴である矢羽根状のシュッとした垂直尾翼とか、後のスパッドVIIやスパッドXIII同様の、張り線保持用の補助支柱とか、いろいろ見どころがあって、いつかものにしてみたいキットではある。……いつか、いつかね。

●新型コロナに関しては、新たな変異株であるオミクロン株の話題で持ち切り。

前回「来年は東京AFVの会は開催されるだろうか。またまた変異株も出て来て、でかい第6波とか第7波とか来そうな気もする」と書いたが、悪い方に予測が当たりそう。こうなると、今年、感染の波のちょうど合間にささっと開催できた関西AFVの会は大したものだと思う。

オミクロン株について。うちのかみさんは「鬼クローン株」だと思っていたらしいことが判明。強そう! そして質悪そう!

もっとも私自身、オミクロンというのがギリシャ・アルファベットだというのは判るが、何番目なのか等はよく知らない。最後の文字の「Ω(オメガ)」株とか出てくるとなんだか終末感が漂っていて怖いが、すでにオミクロンで文字数の半分は超えているようなので、来年にはオメガに到達しそう。

なお、慶応の湘南藤沢キャンパスに通っている知人によると、同キャンパスの校舎はギリシャ・アルファベットが割り振られていて、「オミクロン棟」もあるそうだ。

●昨晩(12月2日)から、あっちこっちで地震が起きて、震度5クラスの地震も2度。今朝の山梨の地震ではここ(神奈川東部)でも結構揺れた。コロナだけでも面倒なのに、大きい地震とか被せて来ないでほしいなあ。

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RとLの区別もつかないくせに!

●毎年夏~秋の季節労働。

いつも最後あたりは間に合うの間に合わないの早くしろのなんのかんのとしっちゃかめっちゃかになるのだが、今年はなんとかまともに終われそうだと思ったら、最後の最後になって発注元から「こちらで手に負えなくなったので、追加でお願いしたい」と6見開き分のテキスト執筆の仕事が丸投げされてきた(しかも、本来の私の担当の仕事よりも「こっちを先にお願いします」と言われた)。おいおいおいおいおいおいおい。

というわけで、結局またしっちゃかめっちゃかになったのだが、なんとか13日土曜日までに全部終了。

やっとこれで模型も作れる……というところなのだが、いざ終わってしまうと、その後は今に至るまで絶賛気抜け中。当「かばぶ」の更新も滞り中。いかんね。

●もちろん、以後2週間、まったく茫然自失状態だったというわけではなく(かなりの時間を“のたーっ”としていたのは否定しない)、仕事を片付けた当日の土曜日には、ちび2号(3歳児)がお泊りに来て、翌日には金沢自然動物公園に「動物園デビュー」に連れて行ったりする。もっとも、始めて見る動物たちよりも、アイスクリームの方に関心を持っていかれた気がする。

ほか、いつものように近所の山道を歩き回ったり(季節労働中より頻度が上がっただけ)、合間に新しい仕事関連のオンラインシンポジウムに出席したり、やはりオンラインのの打ち合わせをしたり。

●16日火曜日、たまたま仕事で鎌倉に来るというhn-nhさんと「久しぶりに対面で模型話でも」ということになって、午後、鎌倉駅前で待ち合わせる。

その前に自宅で昼食をとっている時に、やたらに消防車がけたたましく走っていくのが聞こえたのだが、1時過ぎに鎌倉方面に歩いて行くと、名越坂の上から見ても、行く先かなたにもうもうと煙。横須賀線の名越踏切も開かない。そうこうするうち、hn-nhさんからも、「鎌倉駅前でも焦げ臭い」などとメッセージが入る。

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現場に近付くと県道は封鎖され、ものものしい雰囲気。その後のニュース等によれば、アパートから出火、近隣計6軒が焼けた由。翌日前をバスで通ったが、前回記事で書いた韓国料理屋さんのすぐ隣から、ぽっかり黒焦げの空間が出来ていた。ニュースで掲載された消火活動中の写真ではまだきちんと残っている建物も焼け落ちてしまっていたので、鎮火までにずいぶんてこずったらしいこともわかる。火事怖い。

●それはそれとして、久しぶりにお会いしたhn-nhさんとは、鎌倉浪速家でたい焼きを食べて、その後若宮大路の喫茶店で模型話。hn-nhさんから、最近の完成品、ARMA HOBBYのPZL P-11cを見せて頂く。hn-nhさんらしく端正な出来。しかも、昔々に「プロフィーリ・ディ・アエレイ・ミリターリ」で見て以来、気に入っているKOP(国境飛行隊?)の七面鳥マーキング。胴体の両側でマーキングが異なっているらしいというのは初めて知った……(もっとも、部隊マークだとするといろいろ記入のバリエーションがあった可能性もある)。目の前にあると、自分の目で見ることばかり考えて、写真を撮り忘れた(どうせ綺麗に撮った写真はhn-nhさん自身がネットにアップするだろうなあ、というのも頭の片隅にあったかも)。

私は話のタネに、CHINO MODELのTKS履帯と、INPACTのアブロ複葉機(もちろん手付かずのキットのまま)を持って行った。

今年も東京AFVの会は流れてしまったし、生で模型話も、これまた久しぶりかつ貴重な機会。ちなみにその前の週にはオンラインで「Fも飲み会」をして、全国に先駆けて再開させた関西AFVの会の様子を、世話人の青木氏から写真付きで聞いた。三密を避ける意味もあって、会場はそこそこの広さの部屋を上下階で2部屋借りて開催したそうだ。贅沢! 来年は東京AFVの会は開催されるだろうか。またまた変異株も出て来て、でかい第6波とか第7波とか来そうな気もする。

●毎日のように出かけている山歩き風景など。

名越切通途中のまんだら堂やぐら群は、前回記事の公開初日に比べると、だいぶ秋っぽさが増して現状このような感じ(27日土曜日)。ただ、イチョウの脇にあるモミジはまだ梢がやや赤くなってきた程度で、しっかり紅葉するのは公開最終日近くになってから?

第一平場・第二平場間のみかん(種類不明)もだいぶ黄色くなった(23日火曜日)。

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名越からは市中心部を挟んで反対側、長柄桜山古墳群の尾根も2度ほど歩いた。初回(15日)は六代御前墓から上がって、二号墳~一号墳と縦走して葉桜団地へ。二度目は蘆花記念公園から上がって二号墳を経由し、一号墳への尾根道の途中から、始めて通る枝道を長柄交差点に下りる。

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上写真1枚目は、田越川沿いの県道から蘆花記念公園に入る脇にある「蘆花獨歩ゆかりの地」石碑。徳富蘆花(作家、代表作「不如帰」)、国木田独歩(作家、代表作「武蔵野」)、田村ゆかり(声優、代表作「魔法少女リリカルなのは」)の記念碑(たぶん)。

2、3枚目は二号墳~一号墳の尾根道にぽつんと立っている古い石碑で、「Pokémon GO」のポケストップにも指定されているものだが、その登録名が「残念仏」。もちろん「残念な仏」なわけはないだろうし、残・念仏(念仏を残す)とか、何かそれなりの仏教的な意味があるのかと気になっていたのだが、「残念仏」で検索すると「大阪なおみが全仏オープンを棄権して残念」くらいしかヒットしない。今回改めて碑の表面をよくよく見ると、どうやら一文字目は「残」ではなくて、梵字で阿弥陀仏を示す“キリーク”のようだ。

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二号墳からは江の島越しに富士山が見える。昔は二号墳の海側斜面に小さな展望テラスがあったような気がするが、今は撤去されていてない。国の史跡に指定される際に、古墳の表面に余計なものをくっつけたらダメとかなんとかあったのかも。昨春は実り始める前に綺麗さっぱり草刈りされてしまってガッカリだった二号墳斜面のクサイチゴはまた伸び始めていた。来春は食べられるといいなあ。

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上写真左は一号墳。こちらは周囲が綺麗に伐採され、周りも囲って整備中。なんとか前方後円墳に見える。右写真は長柄交差点に下りる枝道で見掛けた……おそらく間違いなくシイタケだと思うのだが、やはりキノコは間違えたときのリスクが大きすぎるので手は出さない。でもなかなか立派な傘の大きさだった。

●11月25日夕、鎌倉を歩いていて、妙本寺の山門前からふと空を見上げたら、西の空にギラギラした光が、ふっと右下斜めに(北方向に)流れて消えた(17:45頃)。流星というのは見ると何だかちょっと得した気になるが、特に明るい「火球」レベルのものはさらに滅多に見ないので嬉しい。火球というのは流星の中でも特に明るいものを指し、「絶対等級が-4等級より明るいもの」という定義があるそうな。今回のものが正しくそれに当たるかどうかは不明。

非常に近く見えたので、神奈川県の中部あたり上空かな?と思ったのだが、「流星・火星・隕石の掲示板」で、まったく同時刻に、名古屋から「東の空に見えた」という書き込みがあったので、思ったより遠かったらしい。

●秋の初めの木の実系の収穫が終わると、ぐっと「野山の拾い食い」ネタが減ってしまうが、そんな中で今が旬の希少なネタがヤマノイモのむかご。以前は採ってきて、そのまま軽く炒って塩を振って「まあ、それほど美味いもんじゃないな」的位置づけだったのだが、今季一回目の収穫では一度茹でてからニンニク+オリーブオイルで炒めたら結構美味かった。

そんなわけで、「ちゃんと手を掛ければそれなりに美味い」という(あたりまえの)ことに気付いたので、2度めはこれまた一度茹でてから、オイルサーディン/ぶなしめじと合わせてアヒージョに仕立てた。

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写真では一番上に入れたぶなしめじばかり写っているが、その下には結構ぎっしりむかごが入っている。色味のあるものが入っていないので一面茶色であまり美味しそうに見えないかもしれないが、実際にはなかなか美味しかった。昼間からビール飲んじゃったよ……。

20211030_175950 ●「RとLの区別もつかないくせに!」というのは、日本人の英語(というかヨーロッパ系の言語の多く)下手を表す定番表現(昔懐かしいフラッシュの「ペリーのお願い」にも同様のセリフがある)。

が、ここで言いたいのはRとLの発音ではなく、セブン-イレブンのコーヒーの件。

セブンイレブンのコーヒー(セブンカフェ)のサイズはR(レギュラー)とL(ラージ)の二段階。しかし(以前にも一度書いた気がするが)「レギュラー」と頼んでラージサイズが出てくる頻度が(私自身の感覚として)妙に高い。

右写真は「レギュラー」と頼んでカップを貰ってサーバーにセットしたら、コーヒーの量が妙に少なくて「あれ?」と思った時の写真。実際にはコーヒーが少ないのではなくてカップが大きかった(カップでRかLかを自動判別する方の機械だったら気付かなかったかも。いや、カップのフタを付けるときに気付いたかな?)。当然、レジでナナコカードからはLの料金で引かれていて、差額を返金してもらった。

一つの店で一人のアルバイト君とかが間違うなら「慣れてないから?」で済むが、複数の店でしばしばある。場合によっては「レギュラーですね……」と復唱しておいてLが出てきたりする。こうなるともう、構造的な問題としか思えない。

どうやら聞くところによると、セブンイレブンのレジ自体、表記は「R」「L」しか書かれていないらしい。つまり、「レギュラー」と言われたときに、それが「R」なのか「L」なのかは店員さん各自が覚えていなければならない、ということになる(そこで、「お客さんの『レギュラー』の発音だと頭の文字はRじゃなくてLでしたよ」とか言われると怖いが)。

そもそもコンビニの中でも売れ線の商品なんだから、バイト君でも間違えないように指導を徹底するとか、あるいはそれ以前に頭文字を使うのなら間違いようがない「S」と「L」にするとか(ファミマは「S」「M」「L」)、もうちょっと考えてよ!とセブンイレブンの中の人を問い詰めたい。

……というような文句を言っていたら、かみさんに「大きいの、小さいので頼めばいいんだよ」と切り捨てられた。え? オレが悪い流れ?

●タミヤからKV-2が発売されるそうだ。

まあ、出るだろうなあ、とは思っていたけれど。

たぶん車体はそのまま、転輪はもともと枝の差し替え部分に分離してあったリム部が標準型に、上部転輪がゴムリム付きに変更。めがーぬさんは、タミヤのサイトの写真を見ると誘導輪も大きくなっている気が……と言っていたが、どうかなあ。

昔々のKV-2は、車体が完全にチェリャビンスクで生産された新型になっていたし、たぶん実車取材無しで写真から判断したために砲塔上面に後ろ下がりの変な傾斜が付いていたりと、あれこれ問題のあるキットだったが、その辺はおおよそすべて払拭されることになる。ただ、トラペのKV-2(これはこれでいくつか問題はあるが)を完全に上回る出来!となるかどうかはちょっと。

なお、旧キットは砲塔の圧延傷表現に隠れて「田中角……」と書かれているのが有名だが、まさか新キットには「安倍晋三」とか書かれていないだろうなあ(そんなだったら絶対買わない)。

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陶片追放

●毎年の季節労働がいよいよ大詰めで精神的にもだいぶ圧迫感。

●という折も折だが、本日(28日)、昼食に久しぶりに外食。かみさんと、近所の奥さんと3人で鎌倉の韓国料理屋。マッコリを飲みつつ参鶏湯を食べる。参鶏湯も、何年か前に新橋で食べて以来かな。もうたぶん30年以上前、コリアレポートの辺さんに新宿で奢ってもらった「初・参鶏湯」の感動は忘れられない。

●買い物に行くという女性陣2人と別れ、鎌倉から海岸回りで家まで歩いて帰る。

途中、材木座の街のなかでフォード・モデルA(?)のクーペを見た。一応、ラジエーターの上部にはフォードのロゴ。

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しかし……あれ。フォード・モデルAって、横置きサス・スプリングじゃなかったっけ。下を覗いてみると、左右に縦置きのリーフスプリングがある。しかも右ハンドルだし。

改めて写真を見てみると、ボディに比べてシャーシも長い感じで、フロントバンパーがだいぶ前に飛び出ている気がする。レプリカ? それとも、何かのシャーシにフォードのボディだけかぶせた?

20211028_140101●鎌倉の材木座海岸沖の和賀江島は鎌倉時代の船着場の遺跡で、そのため、材木座の砂浜に落ちている陶磁器のかけらには、古く宋の時代のものなども混じっているそうだ(以前にもちょっと書いた気がするし、hn-nhさんもブログで触れていたことがあるような……)。

なんてことを聞くと、ついつい気になって拾ってしまうのだが、そもそも陶磁器について何の目利きでもないので、宋の時代のものも、その辺の百均で売っているものも区別がつかない。そもそも史料としてそれなりに価値のあるものなら専門家が頑張って拾っていそうだし、そうでもないのにどこかに持ち込んで見てもらうのも迷惑になるだけの気がする。というわけで、結局は海岸に置いてくる。

ちなみに「陶片」と聞くとつい後に「追放」と続けてしまうのは高校時代に世界史を選択した名残。

なお、高校の社会科はなんだかあれこれ様変わりしていて、何年か前から世界史は必修だったのが、来年度からはその内容も変わって、「歴史総合」「地理総合」が必修化されるそうだ。

●歴史繋がり。

23日土曜日から、名越切通の中途にある「まんだら堂やぐら群」が21年末の公開中。今回の公開は12月13日まで。いつも通り、土日月および祝日のみ公開(10:00~16:00)。

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「やぐら」は中世の墓地で、まんだら堂やぐら群は、一つ一つのやぐらは小さく素っ気ないが、集積度は鎌倉周辺のやぐら群の中では最上位クラス。いわば中世の「鎌倉霊園」。

まだ平場のイチョウもモミジも青々と茂っていて、紅葉の気配はまったくなし。公開期間ギリギリ最後あたり、もしも綺麗に色づいたらその時はまた写真を載せるかも。

20211028_211157 ●ロッテのガムの包み紙に、正方形にするためのキリトリ線と「おりがみ部」の文字が。どうやらそういうキャンペーンで、「ただ捨てるんじゃなく、折り紙として遊んでください」というメッセージらしい。

せっかくなので折り鶴を2羽折って……飽きた。折り紙のレパートリー、ほとんどないし。「おりがみ部」さんごめんなさい。

●忙しければ忙しいほど、「まったく何にも手を入れず、バタバタと接着して完成する模型が作りたい!」と思ったりするのだが(忙しくなくてもそういう衝動は時々ある)、それさえ今は手に付かない。

っていうより、仕事が片付いたら、ちゃんとルノーR35再開したいよ……。

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