かば◎の迂闊な日々

ノームかグノームか

 ●フランスの航空機エンジンのGnomeは、正確には語頭の「G」も発音して「グノーム」と読むのが正しいらしい。大学の時にフランス語を習っていたのに知らんかったよ……。

「日本人にとってなじみが薄い読み方をする」というだけで、実際には英語に比べてずっと綴りと読みは規則的なフランス語だが、「gn」という綴りは、通常は「ニュ」という発音を表す。地方名の「ブルターニュ(Bretagne)」や「シャンパーニュ(Champagne )」、ファッション・ブランドの「アニェス・ベ(agnès b. )」(日本では普通「アニエス・ベー」と表記)、三銃士の主人公の「ダルタニャン(D'Artagnan )」 などがその例だにゃん。実際、フランス語の子音の綴りの発音解説サイトなどを見ても、「gnはニュと読む」としか触れられていないのが普通。

というわけで、Gnomeについても、フランス語の正確な発音だとおそらく「ニョーム」で、それだとカナ表記としてもなんだか据わりが悪いので慣用で(英語読みとしても通用する)「ノーム」、なのだと思っていた。

もっとも、では語頭だと必ず「グヌ」になるのかというとそうでもなく、このGnome(地精)とか、Gnostique(グノーシス派の)とかは外来語(ギリシャ語由来)だからGも発音する、くらいの感じらしい(そもそも語頭にGnが来る単語は珍しく、手元の中辞典では、この2単語の関連語・派生語も含めて10数語しか出ていなかった)。

まあ、Gnomeの場合イギリスでもライセンス生産されていたりして、その場合は当然英語読みするだろうし、そもそもファンタジー世界のキャラ名として「ノーム」もそれなりに通っているので、「ノーム」と読んだままでも構わないと思うけれども。

●ちなみにフランスのエンジンのGnomeは、第一次大戦機ファンには「グノーム(ノーム)」、第二次大戦機ファンなら「グノーム・ローン(ノーム・ローン)」の名前で馴染みがあるのではと思う。

もともと「グノーム」と「ル・ローン」は別会社だったのが1915年に合併。グノーム・ローン(正式な社名はSociété des Moteurs Gnome et Rhône/ソシエテ・デ・モトゥール・グノーム・エ・ローン。間の&(et)を略してGnome-Rhôneと表記されることもあるが、これはブランド名かも)となる。

合併してからもしばらくは「グノーム」「ル・ローン」両系統のエンジンを作っていたが、興味深いのは、この両系列のエンジンは連合国側、枢軸国側両方の陣営で使われていたこと。例えばフォッカー・アインデッカーは一貫してグノーム系列のエンジンを使用しているし、フォッカーDr.IやフォッカーD.VIIIはル・ローンを搭載している。両方ともドイツのエンジン・メーカー、オーベルウーゼルでコピー生産されたものだが、単純にパクっているわけではなく、(少なくとも初期モデルに関しては)きちんと戦前にライセンス権を購入しているらしい。

……というわけで、ドイツのオーベルウーゼルに関しては、「フランスのロータリーエンジンを作っていた会社」みたいなイメージでいたのだが、今回ちょっと調べ直してもうちょっと面白い(入り組んだ)経緯が判った。

そもそもは1890年代、ドイツのオーベルウーゼルが小型ながらパワフルな単気筒エンジンを開発してGnomと名付け商品化、ヒット作となる。おそらく、「小さいがしっかり仕事する」というようなイメージから、Gnom(地精・小人)の名を付けたのではないかと思う。これをフランスの会社がライセンス権を購入して生産(綴りはフランス語でGnomeとなる)、さらにはその技術をもとに多気筒のロータリーエンジンを開発し、これが前記のGnomeシリーズとなった、のだそうだ。

●グノーム・ローンは、戦間期から戦後の一時期までは、バイクや自動車も手掛けていて、エレールからは下のような大戦中のオートバイの1:35キットも出ていた(というか、今でも出ているかも)。箱には車種形式など書かれていないが、実際には「AX2」という800ccのオートバイ(+サイドカー)で、1938年に登場。軍用としては1940年までに約2700台がサイドカー付きで生産されたらしい(キットの説明書とか「Kfz. der Wehrmacht」とかより)。

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例によってつまみ食いしてちょっといじってあるが、車輛本体のパーツ構成は2枚目写真のような感じ。これに(箱絵にあるように)フィギュア3体が付く。

Scalematesによれば、発売は1970年代後半で、タミヤのBMW R75サイドカーから数年後の発売ということになるが、出来としては同程度だろうか。1:35インジェクションのバイクのキットの常として、ワイヤースポークは太目で実感を損ねているため、なんとかしたいところ(まあ、頑張っているとは思うけれど)。SWASH DESIGNのタイヤ&スポーク・セットに交換するのが最もスマートな解決法だとは思うが、同製品は現在メーカー在庫切れ。

ちなみに、キットの箱の中には、これに使おうと思って調達したのであろう1:48第一次大戦機用のワイヤースポークのエッチングパーツが入っていた。大きさ的にはちょうどいいくらいの感じだが、もちろん型押しはされておらず平板で、しかも硬そうな洋白だかステンレスだかのエッチングなので扱いづらそう。

20200909_142237黒いセイバー。( → )

(いやまあ、なんとなく。そう読めちゃったので)

●セブンイレブンのコーヒーから、通常のホットコーヒー(ブレンド)の一段上の「高級キリマンジェロブレンド」がいつの間にか姿を消してしまい、地味にショック。

と言いつつも、実際に+αのお金を払って飲んだことはあまりなく、実は「コーヒーを10杯飲んだら1杯ただ」のクーポンを使うとキリマンジェロブレンドもそのままただだったので、そんな時だけありがたく飲んでいただけなのだが(セブンイレブンには「そんなヤツに飲ませるために商品化したんじゃねえ!」と言われそう)。

●久々に(資料整理のため)神保町の事務所に行ったので(17日)、夕方、事務所を出てから、「(hn-nhさんのブログで知った)消えゆく御茶ノ水駅の古レール柱屋根の見納めに行くか……」などと思いつつ文坂(駿河台下からお茶の水駅方面への明大通りの坂道)を歩いていたら、坂を登り切ったあたりで事務所から「スマホの充電アダプターとケーブル忘れてるぞ~」と電話。一度事務所に戻ったら再び坂を上る気力をなくし、結局、御茶ノ水駅は見ず。まあ、もう屋根の撤去は終わっちゃってたかもしれないし……(すっぱいぶどう的な)。

なお、その際に、今年初めに設置された鉄腕アトムのデザインマンホール蓋を発見。あ、これって、こんなところにあったんだ~。

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アトムは明大の図書館棟の前あたり。ウランちゃんはもっと坂の下、三省堂前への斜めの脇道への分岐近く。実はアトムよりさらに駅寄りにお茶の水博士のマンホール蓋もあったはず(帰宅後検索して知った)。

この千代田区の「アトム」はじめ、今年初めに都内各所で設置されたデザインマンホールに関しては、マンホールカードの特別版が3月に発行・配布開始されるはずだったのだが、コロナ禍の影響で配布が延期に。開始時期については「改めてお知らせいたします」のままとなっている。

20200918_162930 ●ひと夏に一度は食べたい浪花家(鎌倉浪花家)の宇治金時。

涼しくなる前に、なんとか今年も食べた。写真の角度のせいもあるが、去年よりも若干、盛りが低くなったような……(もっとも、以前の盛りが多過ぎた気もする)。

●前回投稿した日の前後、件のヒメグルミの樹を見に行ったら、すっかり果肉は腐った実がまだいくつも落ちていたので3度目の収穫。しかし「果肉がほとんど残っていなくて処理が簡単でラッキー♪」と思ったのは早計で、洗って干した後で割ってみたら、中の仁はほとんどが痛んでいて、無事なものは1割もなかった。実が落ちて早々に収穫しないとだめなようだ。

代わりに、と言っては何だが、カヤの実やぎんなんがちらほら落ち始め。逗子と鎌倉の2カ所でカヤの実を少しだけ収穫。重曹溶液に漬けてアク抜き中。

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駆け足の夏

●なんだかんだで1か月近くもブログの更新が滞ってしまった。

「締切がある仕事は頻繁に遅れるくせに締切のないブログは割とマメに更新する」のがスタイルだが(あかんヤツ)、これだけ間を開けてしまったのは久々かも。

ずっと書かずにいるうち、(更新のためにログインする前の)ココログのトップ画面がこれまでと別のデザインに変わっていてびっくり。

●8月15日の終戦記念日が近くなると、わらわらと戦争ネタが取り上げられるのは日本の夏の風物詩のようなものだが、ちょうどその時期、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの「戦争は女の顔をしていない」(岩波現代教養文庫)を読む。

ちなみに「そのタイミングだから読んだ」というわけではなく、ずいぶん前に市立図書館に予約を入れていたのが、ようやく順番が回ってきたため。もちろん、「べっ、別に、世間が回顧ムードだから読んだわけじゃないんだからねっ!」と言いたいわけではなく、むしろ「読む時期としてはいいかも」と思ったりもした(実際には“大祖国戦争”の終戦は5月なので、8月15日はあくまで読者たるこっちの感傷でしかないが)。

もともとは数か月前にマンガ版を読んだのをきっかけに、「これは原作のほうも読まねば」と思ったのだが、実際に読んでみると、マンガ版は話を壊すことなく、なかなかうまくイメージを補完しながら描けている気がする。とはいっても、マンガ版では書き尽くせていないところも、また、これはちょっと印象が違うかも、というところも若干はある感じ。マンガ版を読んだ時の感想はこちら

マンガ版を読んでイメージしていたのとちょっと違ったのは、1人のエピソード(1人に対するインタビュー)が基本、だいたい同じくらいのボリュームで載っているのかと思ったらそうではなくて、数ページにわたるものもあれば、ほんの数行しかないものもある、ということ。ただし、その後で改めてマンガ版を読んだら、マンガ版の方でも(他人のエピソードにくっつけて)断片的エピソードも取り上げられていた。

この本を読むうえで、ミリオタ的知識が必要とは言わないが、それがイメージを補ってくれる部分は確かにある。何人かのエピソードに「(古い)1トン半トラック」という言い回しが出てくるが、「ああ! たぶんインタビューに答えているばあちゃん(たち)は、ポルトルカ(GAZ-AAの愛称)って言ってるんだな」というのが判るし、その大きさ、ガタピシ具合もイメージできる。

レニングラードの話で、「市電の三番でキーロフ工場まで行くことができて、そこはもう前線」(p157)という一文が出てきて、中身が疎開した後のキーロフスキー工場が交戦の場になっていたことも判る。女性戦車兵が、中戦車では割といた一方で、重戦車(IS)に乗っていたのは希少だったという話も興味深い。弾が重いから? 「自動小銃は七十一個の薬莢でとても重い」(p175)とあるのは、弾数からPPSh-41(のドラム弾倉)であるのが判る。自動小銃ではなくて短機関銃と表現する方が一般的な気がするが、これは元の語が「アヴトマット」だったのだろうか?

訳として「これはちょっとどうなの?」という部分もいくつかあった。「戦車のハッチから引きずり出すのはとても大変。ことに砲台から引きずり出すのは」(p144)は、「砲塔」と訳すべきだろうし、「私たちのところにあったのは? 三十四型の戦車で、たちまち燃えてしまうんです」(p443-444)は普通に「T-34」と書いて欲しかった。「友軍のY-2型飛行機が降りてきました」(p341)とあるのは、元のキリル文字をそのまま残してしまったための判りづらさで、これはおそらくU-2(複葉の練習機、ポリカルポフPo-2の初期の名称)のことだろう。

●ディテールの感想から入ってしまったが、話の中身は話が詳細なぶん(そしてイメージが固定化されないぶん?)マンガ版よりさらにツラい。実際の戦いの凄惨さだけでなく、戦争が終わってからも、個人にとっての戦争(の傷跡)が終わらないのがまたツラい。

語る元女性兵士たちに対しても、この著作自体に対しても、「祖国を守り抜いた(英雄的な)戦いの勝利の暗部をほじくり出すな」的批判がずっと付きまとっていることが、前書き等々からも判る。あるいは、語って欲しい元女性兵士自身からそう言われることもあるし、いちどは語った人が、それを理由に「表に出さないで欲しい」と言い出すこともある。

もちろん、「戦勝国」だからこそその圧力も強いのかもしれないが、戦争の悲惨さ、汚さを振り返ることが「立派に戦った人たちを貶めることになる」との非難に繋がるのは日本も同じことで、むしろ近年(実際に戦争を知る世代が減るにつれて)ますますそうした声が強まっているように思えるのが、どうにも薄ら寒い。

なお、著者のスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチは、その姓からベラルーシ人だろうなとは思っていたが(実際には後から調べたら、父がベラルーシ人で母はウクライナ人だそうだ)、 今のベラルーシでは体制に嫌われて著作は発禁状態だそうだ。

その昔、渡辺ミッチーが外務大臣だった時代(ソ連崩壊直後の頃)に国会で「ベルラーシ、ベルラーシ」と言っていて、それを後藤田正晴が苦笑いして聞いているのがテレビに映ったことがある。……というのを思い出した(関係ない)。

●ついに逗子市にもカラーマンホールが登場。お隣の葉山町同様に1枚だけの特注品。逗子駅前ロータリー、マクドナルド前のちょっと駅寄りに設置された(8月17日に設置された由)。

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葉山のカラーマンホールは、スタンダードの図柄そのままをカラー化したものだが、逗子市のものは標準品(右)とは別図柄で、逗子海岸の田越川河口側に立っている「太陽の季節」碑越しの海と富士山。石原慎太郎という人は好きではないので「結局逗子ってシンタローなのかよぅ」と思わなくはないが、まあ、その辺はこれ以上ぐじぐじ言わない。

これを機会にマンホールカードの申請も行うそうな。

なお、3月に発行予定だったがコロナ禍で延期されてしまった、東京都の特別版マンホールカードは、どうやらまだ発行時期未定らしい。

●ヒメグルミ(と若干のオニグルミ)のその後。

数日放置して果肉部分をもう少し腐らせた後で足で踏んでとりあえず剥ける分だけ剥き、さらに残った果肉をまた放置して腐らせたり洗ったりを何度か繰り返して、核果を取り出した。写真2枚目、左のハート形がヒメグルミで右の普通のクルミっぽいのがオニグルミ。ずいぶん形が違うが、生物種としては同じJuglans mandshurica の変種なのだそうだ(一般に流通しているシナノグルミ/カシグルミは別種でJuglans regia )。

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思ったより歩留まりが悪く、核果を割ってみると中身が腐っているものも(体感)1割くらいあったが、1/4ほどは川崎の実家に持っていき、残りのほとんどは溶かした砂糖をからめた(4枚目)。

●8月の後半だったと思うが、セブンイレブンの店内にいたら、BGMで「あれ、聞き覚えがあるけど何だったっけな」という曲が掛かって、ちょっと考えて、トラベリング・ウィルベリーズの「Handle with care」だと思い至った。選曲シブい!

店内で掛かっているのはインストゥルメンタルだが、原曲はこちら。

ちなみに私自身は自分ではそこそこヘビーなビートルズ・マニアだと思っていたのだが、ジョージ・ハリソンが中心になって数枚のアルバム(公式には2枚)を出した覆面バンド、トラベリング・ウィルベリーズのことを知ったのは比較的最近。ヌルし。

もっとも覆面バンドとは言っても、上のようにまるっきり顔出しでPVなど作っているので、正体を隠す気は皆無。ボブ・ディランがシレッとバックボーカルを務めていたりして妙に贅沢(リードボーカルを取っている曲もある)。

ちなみにセブンイレブンの店内BGMの曲目は同社のサイトで公開されているが、それを見ると、トラベリング・ウィルベリーズの「ハンドル・ウィズ・ケア」は、9月16日~24日の曲目リストにも名前が出ている。同期間に(トラベリング・ウィルベリーズのメンバーだった)ロイ・オービソンの「プリティ・ウーマン」も取り上げられている。担当者がロイ・オービソンのファンなのか?

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ヒメグルミ

●散歩の途中でオニグルミの実が落ちているのに気付いて、「ああ、そういえばクルミの季節か」と思い出す。

そのオニグルミの実もパッと目に着いた分は拾ったのだが(10個くらい?)、オニグルミはとにかく殻が分厚くて堅く、割りづらいうえに中身(仁)が取り出しにくい。というわけで、このアホ暑い中だが、2年ほど前に知人に教えて貰ったヒメグルミの木のある市内某所に拾いに行く。

とある公園の一角なのだが、市の予算削減のあおりを食ってか、草刈りの頻度が減ってしまったらしく、クルミの木の下は30~50cmくらいの軽い草藪になっている。

おかげで、足で下草をかき分けかき分け、さらに目や鼻の穴にまで入り込みそうなくらい濃密なヤブカの群れに襲われつつという過酷な環境ながら、クルミは拾い放題。数日おいて、結局2袋も拾ってきた。

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これだけあれば、くるみ味噌も砂糖掛けも十分作れそう。もっとも、果肉を腐らせて取って核果の状態にするまでがなかなか大変だが。

●「ナラ枯れ」続報。

前回、名越の大切岸上の尾根道沿いにあるいて、すでに4,5本が立ち枯れになっていると書いたが、その数日後、さらにしっかりチェックしつつ歩き直してみた。

結果、尾根道の西端(法性寺奥の院への分岐)から、反対側のハイランド端の「鎌倉子ども自然ふれあいの森」まで、まだ枯れてはいないもののすでにキクイムシによるフラスが溜まっているものを含めると20本以上がやられていた。

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上写真2枚は、鎌倉子ども自然ふれあいの森内で撮影したもの。木の幹に点々と見える白いものが、キクイムシが食い進んだ穴の入り口と、そこからあふれているフラス。2本ともまだ葉は青かったが、枯れるのは時間の問題だと思う。

下写真は久木7丁目、「池子の森自然公園」との境の尾根。この季節ならあおあおとしているはずが、だいぶ立ち枯れが進んでいる。ここは「立ち枯れ密度」が比較的高かった場所だが、この先、コナラやミズナラから(逗子の山に多い)スダジイにまで被害が進んでいくと、逗子鎌倉を囲む山のほとんどがこんな状態になりそう。

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一応、市役所の経済観光課には連絡。「現地を確認したところ、状況からみてナラ枯れの可能性が高いため、神奈川県に報告し、専門的な知識を持つ職員や樹木医に確認してもらうこととなりました。また土地所有者にも連絡し、今後の対策について相談していきます。」との返答も貰っているのだが、現状、コロナ禍で人も予算も割けないのではないかと思うし、そもそもここまで被害が進んでいて、何かしら取れる対策自体があるのかどうかもよく判らない。

●模型製作は相変わらず開店休業中なのだが、例によって「何かがっつり作る、というよりも、無心に手を動かす作業がしたい」症候群に見舞われ、たまたま本棚の上から崩れ落ちてきたMPM 1:48のバキュームフォームキット、フォッケウルフFw.58Cヴァイエの尾翼を削る。

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ナラ枯れ

●名越の大切岸上の尾根道を歩いていたら、ナラ(コナラ?)の大きな木の根元あたりが、まるできな粉を一袋ぶちまけたように粉だらけになっているのに気付いた。

よく見てみると、その大木はすでに立ち枯れていて、しかし枯れてからそれほど時は経っていないらしく、葉は落ち切っていなくて、この季節だというのに紅葉したように真っ茶色になっている。さらに気を付けて歩ていくと、「粉だらけの立ち枯れのナラの樹」は一本だけでなく、尾根道沿いだけで4本も5本もある。

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帰宅して調べてみると、どうやらこれは、現在全国的に被害が拡大している「ナラ枯れ」という現象で、カシノナガキクイムシというキクイムシの食害をきっかけに「ナラ菌」と呼ばれる菌類が増殖、枯死に至るというものであるらしい。根元に積もった「きな粉」は、このキクイムシの食害で幹に開いた穴からこぼれ落ちた、木屑と虫糞が混じった「フラス」と呼ばれるもの。

ナラ枯れの実態やメカニズムについては、独立行政法人 森林総合研究所 関西支所が作成したパンフ、「ナラ枯れの被害をどう減らすか―里山林を守るために―」がよくまとまっていて判りやすい。

伝染病で何やらえらこいとになっているのは、人間の世界だけではなかったらしい。

調べた後で、改めて逗子の街を囲む山を眺めてみると、山肌の雑木林の中にぽつぽつと真っ茶色に立ち枯れた樹が見える。結構この辺りでも急速に拡大しているようだ。

ここ2年くらいでぱったり姿を見なくなってしまったトラマルハナバチとか、どうも身近なところでじわじわヤバイことが進行中という気が。

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梅雨明け

●コロナ禍の影響もあり、仕事自体は全般的には低調なのだが、それでも重なるときは重なるもの。久しぶりに真面目に(集中的に)仕事しなければいけなかったりして、すっかり更新がご無沙汰に。

そんなこんなで、ある程度まとまりのある話を書くようなネタもなく、近況報告的にあれこれつらつらと。

●兄が濃厚接触者として1週間自宅隔離になった、と連絡を貰う。一応、30日の検査では陰性で、今のところ症状も出ていないので大丈夫だろうとのこと。とはいえ、老母と同居で食事の面倒なども見ているので、そちらのほうが問題。とりあえずデリバリーなどでしのぐ由。

●KV小ネタ。

タミヤの新KVの転輪については以前にも書いたが、トランぺッターの転輪と比較して、ディテール的に至らない点がいくつかあり、そのあたりの改良を試みてみる。

(1).リム部の小リブの位置が裏側で間違えていることについては、どのみち組んでしまえば見えないので(車輛の前後から床下を覗き込めば、全く見えないということはないのだが)、そのままスルーする。

(2).ハブ部・ゴム抑え板のディテール不足に関しては、ハブ両脇の2カ所の小ボルト?部分に関してはタミヤのほうがいい感じはするが、ハブ周囲のリングが別体である表現、およびそのリングのグリップ用?刻みが省略されている問題のほうがより大きいので、これらに関しては、トランぺッターのパーツの流用を検討。

(3).内外の転輪の向かい合わせになった面で、ゴム抑え板の表現が全く無視されている問題。内側転輪の表側に関しては、組立後も覗き込めばちらりと見えないこともないにもかかわらず、キットのパーツはその部分が窪んだ状態になっている。これに関しては、上記(2)とセットで考え、(2)で余ることになるタミヤのゴム抑え板パーツのハブ部をくり抜き、軸が通るようにして内側転輪に取り付ける。

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1枚目写真。タミヤの転輪の外側の表裏(左側)、内側の表裏(右側)。内側転輪の裏にはしっかりゴム抑え板のモールドがあるので、表裏ひっくり返して使用できればちょっと楽だが、裏側は前述のようにリム部の小リブの位置を間違えているので、その手は使えない。外側転輪の表には別パーツのゴム抑え板を載せてある。

2枚目写真。ゴム抑え板パーツの元の状態(左)と、軸が通るようにくり抜いた状態(右)。

3枚目写真。軸部をくり抜いたゴム抑え板を内側転輪の表に載せてみたところ。軸部の位置合わせ用の凸は余計なので(本来、内外のリムの穴位置は揃っていないので)削り取ってある。

ここまでやってみての小まとめ。とりあえず、覗き込んで見える部分にはゴム抑え板が装着できたが、この部分の土台の立ち上がりが外側転輪表より若干高く、ゴム抑え板部分に厚みが出てしまう(軸部分は貫通しているので、転輪の間隙には影響しない)。内側転輪に流用するゴム抑え板の中心をくり抜くのは、それほど難易度の高い工作ではないものの、ちょうどよい太さのドリルやヤスリがあるわけでもないので結構面倒くさい。暫定結論。……これをあと11個分やるんだったら(しかも苦労してトラペ以上のものが出来るわけでもないのなら)、素直に転輪それ自体、トラペから持ってきた方がいいんじゃね?

ちなみにそうせずに、こんな面倒な工作を試してみたのは、手元にトラペのリブ付き転輪の余剰がなかったため(リブ付きでないほうはある)。

●はい人28号さんからコメントで情報を頂いたのだが、Passion Modelsから、タミヤKV用のエッチングパーツの発売予告が出た。8月下旬予定とのこと。

内容はラジエーターグリル、車体後端オーバーハング部のメッシュは当然として、フェンダーステイ、ハッチ裏のロック用リングなど。さらにプレス済みのオーバーハング下の整風板、挽き物のピストルポート装甲栓、DT機銃と、思ったよりも贅沢な内容。個人的にはラジエーターグリルと後部のメッシュだけの簡易セットでよかったんだがなあ、という気もするけれど、予価1800円だそうなので、そこそこリーズナブルかな。

ラジエーターグリルはちゃんと前方が平らの形状になっているようだ。いやまあ、なっていなきゃ困るんだけれど、これまで意外に再現していないセットが多いので、一安心。

別途、ツールボックス(の蓋と取っ手)のセットも同時に発売になるらしい。

●1日土曜日。晴れたので、午後、鎌倉方面に散歩に出る。

小坪から稲村ケ崎方面の景色を眺めていると、極楽寺坂よりもさらに稲村ケ崎側に、山腹を斜めに上がる道が見えて、「あの道はどこに通じているのだろう」と以前から少し気になっていたところを目標に歩く(といっても、今の世の中はGoogleMapsを開くと「どこに通じているのだろう」は判ってしまうわけで、実際に歩きに行く段階では、すでに「まあ、歩いたことがない道だし、行ってみるか」程度になっているわけだが)。

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写真は、その坂の上から、鎌倉の海(由比ガ浜、材木座海岸)を隔てて逗子側を撮ったもの。すでに夕方だったので、薄暗い写真で失礼。

黄色矢印が二子山高角砲台跡(二子山上ノ山)、赤井矢印が小坪高角砲台跡(披露山)、黄緑矢印は西小坪海面砲台跡(飯島)。こうしてみると披露山に比べ二子山の方がだいぶ高いことも判る。その高いほうの二子山に12.7cm単装が、低い披露山に12.7cm連装が配備されていたのはどういう理由なのだろうか。

例えば、軍港横須賀(あるいは東京湾)に向け、内側は単装で外側は連装とか、そんな基準があったのではないか、などとぼんやり考えてみて、帰宅してからGoogleのマイマップに三浦半島の高角砲台を配備された砲の種類別に色分けしてプロットしてみたのが、結局は位置それ自体には何の法則性も見い出せなかった。

小坪海面砲台は、こうしてみると鎌倉湾の防衛用という感じだが……いくらなんでも鎌倉の海に上陸作戦なんてしないだろう。いや、それでも入り江に小型艦船など入り込まれると困るので、とりあえず防備はしておかなきゃいけない的なものなのか?

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割と久しぶりに極楽寺のあたりを歩いたが、江ノ電の極楽寺駅が大改装されていた。元の駅舎正面は残っているが、裏手が大々的にリニューアルされて新しい大きな駅舎になり、さらに元からの入り口の左手に大きな新しい、「入り口広場」と言ってもいいような入り口が出来ている。元の姿がほぼそのまま(左写真)なのは喜ばしいが、その横が新しく変わり過ぎていて、旧入り口がいかにも「保存された展示物」的に見えてしまうのはちょっと寂しいかも。

●自然科学のなかでも古生物学、および身近な昆虫等々の観察が好きなことがあって、生物関連の本や記事は割とよく読む方だが、「単系統群」と「クラウングループ」の違いがどうもよく判らない。

●「メイドインアビス」9巻発売、娘がさっそく購入していたので、こちらもさっそく借りて読む。

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蓼食う虫も

●世の中はいつまた緊急事態宣言が発令されても不思議ではない状況だが(感染拡大のレベルは十分緊急事態だが、経済活動的にもう出せない、と踏みとどまっている感じ)、霞が関の某官庁に資料の閲覧/コピーに行ったついでに、大回りして久しぶりに秋葉原に寄り道。イエローサブマリンのパーツばら売りコーナーで、こんなものを見つけて買ってきた。

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ホビーボスのルノーR35、長砲身型(キット名称はR39)に付属の尾橇パーツ。

長辺で15cmに満たない小さめの枝で1200円という値付けには「くっ……足元見やがって!」と思わなくもないが(他キットの、車体パーツ入りの大きな枝でも500円とかだったりするので)、それでも3Dプリントやレジンのアフターパーツを買うよりは安いし、スチロール樹脂の扱いやすさもメリットではあるので、結局購入。

国産品のようにパーツ請求のシステムがあるもの以外は、おそらく枝ごとの値付けは店員さんの見積り次第なのではないかと思うが、まあ、過去このコーナーで「うわ。これはお買い得だ」と思ったパーツもないわけではないので、プラスマイナスという感じ。

実際に組んでみたのが以下。

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実際に組んでみるまでは、「尾橇関連のパーツが他枝にもいくつか分散していて、部分的に自作の必要性も出てくるかも」とも思っていたが、入手した枝(Hパーツ)だけで間に合った。他、長砲身SA38の砲尾、同軸機銃の機関部などのパーツがいくつか入っていて余る。

ルノーR35の場合、後面両側にエンジンアクセスハッチがあるため、似たようなオチキスに比べると尾橇形状がやや複雑になっている。そのため組立てもちょっと面倒で、特に水平のY字の部材はなかなか角度が決めづらい(パーツに位置決めのダボなどが足りないのも一因)。また、形状のためかランナーゲートが多く、細かくパーティングライン、押し出しピンに由来する小さなバリなどあるのも面倒さの増加要因。

ただし、ホビーボスとタミヤの間で(砲塔の大きさは顕著に違うものの)車体の大きさとレイアウトは大差ないようで、大きな変更はなくタミヤの車体に取り付けられそう。

尾橇側のエンジン始動用クランクハンドル支持用のパイプと、タミヤの後面パネルのハンドル差込口とはほんのわずかに位置のずれがあるようだが、パッと見て明らかに違うというほどでもないので放置の予定。なお、組立時に(この角度では見づらいが)クランクハンドル支持用のパイプに穴開けし、尾橇プレートの後上端のエッジが立っていたのをヤスって丸めた。また、後ろ側に付く始動用クランクハンドルの支持リングと、チェーン掛け用の突起パーツは、破損を防ぐために現時点ではまだ取り付けていない。

●ルノーR35はそれほど仕様の差が激しい戦車ではないが、それでも細かく見るとあれこれ選択肢がある。

▼生産時期による仕様差。

・初期生産型:車体前部上面に増加装甲。誘導輪は基本穴開き。

・中期生産型:車体前部の増加装甲は無くなる。誘導輪の穴はパッチでふさがれる。タミヤのキットの仕様。

・後期生産型:操縦席左右スリットの上がヒサシ状に出っ張る。エンジンデッキ上のグリル周囲に跳弾リブ追加。

・R40:足回りが新型になる。車体は当然ながら後期生産型の仕様。長砲身。

me20さんが増加装甲付き・誘導輪穴開きの初期型を作っている。me20さんらしい丁寧な工作が見もの。ほぼほぼ工作完了時点の姿がこちら

▼このほかに、厳密に生産時期とはリンクしていない(ある程度はリンクしている)以下のような部分的な仕様差がある。

・砲塔視察装置が双眼鏡型(シュレティアン式)かスリット型か。双眼鏡型が当初の仕様だが、初期生産型でも交換されたものがある。

・搭載砲が37mm短砲身SA-18か、長砲身SA-38か。生産末期にはSA-38が最初から付けられていたものもあるようだが、既生産車でも交換されたものがあるようだ。オチキスほど長砲身型は多くない印象。

・右フェンダー上の工具箱が高いか低いか。初期生産型はだいたい低いようで、その後ぼちぼち高いものが混じるようになる、という感じだったかな?(←うろ覚え)

・尾橇付きか無しか。R40はすべて尾橇付きなので、後期は最初から尾橇付きで生産されたものがあったらしい。が、既生産車でも追加装備されたものが結構ありそう。

タミヤは順に、「スリット型/工具箱高/尾橇無し」仕様。

▼特別仕様車。

・フェンダー前方左右に、超壕用の粗朶(そだ)束搭載レールを装着したもの。一応、現地改造とかではなくある程度の数が用意されたらしく、写真も複数確認できる。

・無線搭載車。砲塔右後部のアンテナ穴は通常はパッチでふさがれているが、この部分にアンテナが立てられている。ある程度の部隊単位で一輌、隊長車用に配備された――というようなものかと思っていたが、一部隊丸ごとアンテナ付きという例もあるようで、使われ方は謎。

私はどうせ作るなら、ちょっと変わった粗朶束レール付きか、アンテナ付きを作ろうなどとボンヤリ思っていたのだが、特にアンテナ付きのほうは塗装ヤマーキングなどがしっかり分かる車輛が尾橇付きだったのでちょっと悩んでいたところ。このパーツが運良く手に入ったので、アンテナ付きを作ろうかな……。

●逗子市立図書館で借りて読んでいた「アゲハチョウの世界:その進化と多様性」(吉川寛/海野和男、平凡社)を読み終わったので、返却して今度はこんな本を借りてきた。

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似たような本ではあるけれど、片や現実には存在しない、人の空想した変な生き物図鑑。もう片方は現実の変な生き物図鑑。まだ全く読んでいないので、イマジネーションの限りなさを感じることになるか、「事実は小説より奇なり」と思うことになるかは、これからのお楽しみ。

なお、別にニイガタハシリマイマイやイリオモテウラオモテガエルの設定を深化させる目的で借りてきたわけではない。単純にこういうのが好きなのだ。

●読み終わった「アゲハチョウの世界」は、単純に、チョウの中でもおそらく一番人気で、地元逗子でも結構たくさんの種類に会えるアゲハチョウ科についてもうちょっと親しもうか、くらいの感じで借りてきたもの。大判でそれほど分厚くなく、写真も綺麗だったので。

が、読み進めてみるとはるかに期待以上の(そして結構マニアックな)内容で、アゲハチョウ科のなかでの進化(枝分かれ)の様子、食草(食樹)選択のメカニズムやその変化の仕組み、ジャコウアゲハ系その他の毒蝶への擬態の広がりなど、非常に読みごたえがあった。

ウマノスズクサというと、「あ、ジャコウアゲハの食草ね」というイメージだったのだが、実際にはアゲハチョウ科の祖先のもともとの食草がこの科だったと考えられるらしい。そこからクスノキ等を食すアオスジアゲハの仲間や、柑橘類を食すナミアゲハや黒いアゲハの一群が分岐、さらにはナミアゲハなど「黄色いアゲハ」系からセリ科を食すキアゲハ系が分岐したらしい。身近なアゲハから、つい「ミカン食うのがアゲハチョウ科の主流」みたいに考えていたが、どうやらそうではなかったようだ。

なお、狭義のアゲハチョウ(ナミアゲハ)とキアゲハの関係で言うと、ナミアゲハのほうが身近なせいでそちらの方が普通種と思ってしまうのだが(実際に日本ではそちらが普通種だろうが)、世界的にはキアゲハ系の方がずっと分布域が広いのだそうだ。ほほー。

そんな具合で、いい意味で予想を裏切った本だったのだが、問題はどうにも「編集(チェック)が行き届いてないなあ」感があること。

本はおおまかに、前半の(文章主体の)解説パート、後半の「美しい世界のアゲハチョウ写真集」パートに分かれているのだが、冒頭に出てくる世界のアゲハチョウの属一覧表の順番と、後半の写真集(こちらも属ごとにまとめて掲載)の順番が違っていて対照しづらい。しかも、そもそも表にない属が出てきて戸惑う(表には別名で出ているのだろうか?)。

また文章は複数の人が書いているのだが、そのため、同一種について場所によって「メスグロキアゲハ」だったり「クロキアゲハ」だったりする(しかも文章の最後になってようやく「クロキアゲハ(メスグロキアゲハ)」と書かれている。初出のとこに書いといてよ!)。また、前半の解説ページにもそれなりに写真は多いが、どうも「綺麗な写真を掲載する」ほうに重きを置いていて、本文としっかりリンクできていないように思う箇所もいくつか。また、p60本文中に「(図14、15)」とありながら、図15はどこにも見当たらない。……などなど。

20200711_175923 ちなみに逗子では、

  • アゲハチョウ(ナミアゲハ)
  • キアゲハ
  • ジャコウアゲハ
  • クロアゲハ
  • モンキアゲハ
  • ナガサキアゲハ
  • カラスアゲハ
  • アオスジアゲハ

に、割と普通に遭うことができる(さすがにカラスアゲハやナガサキアゲハはそう頻繁ではないが)。右は今日撮ったばかり、名越切通のぬかるみで吸水していたモンキアゲハ。もともと南方系のチョウだが、近年の逗子では一番頻繁にみるアゲハチョウ科かも。

●最も興味深かったのは、食草(食樹)選択のメカニズムと、進化との関わり。

そもそも、なぜ多くの昆虫が狭食性(ごく限られた種類の食物(多くは植物)しか食べない)のかというのは、以前から非常に気になっていたこと。生きていく上では、例えば単一の科の植物しか食べられないよりも、さまざまな種類の葉っぱを食べる広食性であったほうが有利な気がする(実際に、広食性を獲得しているマイマイガは、大発生すると山を丸裸にしてしまうほどの猛威を振るう)。

これについてのドンピシャの解説には今のところお目にかかったことがないが、比較的判りやすかったのは、北大農学部のとある講義のページにある解説。

植物は分類群ごとに様々な二次的代謝産物を有していますが、これは植食者に対する忌避・有毒物質として進化したという説があります。植食性の昆虫は、それぞれある種の物質に対してそれを克服する適応をしてきましたが、多くの種類の物質には対応していないために利用できる植物種が限られてしまいます。しかしその植物を利用できる植食者も少ないために、競争が緩和される利点もあって狭食性が維持されています。

これに私の生半可な知識を足して考えると、おおよそ、次のような感じであるらしい。

▼植物の生成する化合物には、直接に生存に関係する一次的代謝産物と、例えば自身の捕食者からの防衛や、逆に自分にとって有益な昆虫の誘引などに使われる二次的代謝産物とがある。人が薬効成分として利用するものも多くは二次的代謝産物である。二次的代謝産物は、植物ごとにその内容が異なる。

▼自らを食する昆虫に対する防衛として分泌する(昆虫に対して毒となる)二次的代謝産物だが、特定の昆虫は、進化の過程でその毒を克服する機能(酵素など)を獲得。さらには、逆にその二次的代謝産物を、「自分が(というか幼虫が)食べてもいい植物」を識別する目印として利用する。アゲハチョウ科の場合、メスの前脚の先端に、それら二次的代謝産物を「味見」して植樹を見分けるための器官が備わっている。ちなみに造花のプラスティックの葉っぱに柑橘系の二次的代謝物質を塗ると、ナミアゲハはせっせと産卵するそうだ。

▼特に昆虫の場合は体も小さく、多種多様な植物の二次代謝産物(毒物)にすべて対応するような機能を持つことは効率的でも現実的でもない。逆に特定の種に特化することにより、「他の虫が食べないものを自分だけは食べられる」状態を保つことができる。現実的には同じ科の植物を複数の種が奪い合うことは珍しくないが、それでも競争率がむやみに上がることはあまりない(外来種の問題などは除く)。

▼実際には、ある種の食草(食樹)が分泌する二次代謝産物は何種類もあり、昆虫もそれらの複数をキーとして利用している。進化の過程では、それらキーとなる代謝産物(あるいはそれに対応する酵素)などがある程度重複する別の植物種に「乗り換える」形で、いわば生き残るための「新天地」を獲得。これが別種の昆虫が枝分かれしていく一因になっているらしい。

▼体の大きい脊椎動物などでは、複数の耐性を獲得することもそれほど難しくないためか、あるいはそれぞれの植物が持つ二次代謝産物の毒性が体に与える影響も相対的に少ないこともあってか、昆虫と違って無理なく広食性を得ることができる。もちろん、ごく少量でも人間一人くらいコロリと倒してしまう猛毒を持つ植物も少なくないが。一方で、猛毒のトリカブトを平気でもしゃもしゃ食べるイモムシも、実際に見たことがある。逆に、ササしか食わないパンダとかユーカリしか食わないコアラみたいなヤツもいるわけで……。何なのかねアレは。

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新製品ニュース

●前回記事へのコメントで、めがーぬさんから第一報を聞いて仰天したニュース。タミヤから、

  • IV号戦車F型
  • マーダーI(7.5cnPaK40搭載ロレーヌ牽引車)

が発売される由。7月1日、2日に開催された静岡模型教材共同組合主催の商談会の場で発表されたらしく、3日付のタミヤのツイッターでも公表されている。

田宮会長が旧製品のリニューアルを積極的に図っていきたいと語っていた旨、“ハラT”青木伸也氏のつぶやきで読んだ覚えがあるのだが、上のIV号F型はその流れかな、と思う。

旧キットで出ていたD型ではないのは違いがあり過ぎて既存の設計データや部品の使い回しが基本全くできなくなるためかと思う。よくよく写真を見ると、見本の前の札に「砲塔、車体上部、履帯、人形など主要な部分は新規開発。(グレー成型色の部分)」と書かれていて、要するに車体下部や転輪等は、既存のH初期型キットからの流用ということになる。中型ハブキャップの幅広転輪はすでにH型キットで使われているのでそのまま、履帯はベルト式でなく部分連結式に変更だろうか。ハンガリー軍IV号戦車の“主力”がF型だったことを考えると、タミヤのY氏の陰謀もありそうな気もするが、それなら38(t)がG型ではなかったのが解せぬ(笑)。

タミヤの最近の新製品の傾向を見ると、特定の仕様・塗装例に準拠した構成にしている場合と(たとえば38(t))、塗装例とは細かい仕様が違っていても比較的標準的な構成でまとめている場合と(例えばKV)の2系統があるような気がしているが(あるはそこまで考えていないのかもしれないが)、このIV号F型の場合はどんな出し方をしてくるのかもちょっと気になる。

もっとも、F型以降は傑作・新作キットがすでに存在しているのに対し、D型は今なお最もマトモなキットが、最初の箱組からすでに難儀な旧トライスター(現ホビーボス)であることを考えると、「なんでD型じゃないんだ!」と言いたいIV号マニアは多そう。F型じゃ大戦初期(フランス戦まで)のシーンにも使えないしね。

ロレーヌベースのマーダーIについてはさらに驚き。今世紀に入ってからのタミヤの新製品で、個人的に「ええっ、そんなの出すの?」と最も驚いたのはルノーUEだったような気がするが「(シムカとかはUEの後だったし、ちんまいキットだったのでまだショックが小さかった)、それに匹敵するかも。しかし、原型のロレーヌ牽引車は、展開として想定はしているだろうけれど、いつ出してくれることやら……。

もういっそのこと、マーダーIとロレーヌ牽引車のコンパチにしてくれないかな……。38(t)ベースのマーダーIIIなどと違って大胆なレイアウト変更とかはないわけだし。

●上で名前の出た青木氏は現在タミヤのKV-1をこつこつ組み上げてそろそろ塗装に入ろうかという段階に到達している。しかし改めて考えると、氏はタミヤのKV発売に前後して「タミヤの新KVの部品取り用に」と、トランぺッターのKVを2輌も新規調達したはずなのに、パーツを一つも流用した気配がない。

私自身はといえば、とりあえず部品取り用のトラペKV(KV-2)を1輌持っていて、誘導輪はそちらを使おうか迷い中。転輪のゴム抑え板もできればトラペのものを使いたいのだが、今後のことを考えると、ゴム抑え板はそのまま使うのではなく、複製量産して使いたい感じ。

小さく平たいパーツなので、型自体は「おゆまるくん」の片面取りでいいとして、複製材料はお手軽で/安価で/気泡が残りづらいのは何がいいのだろうか。KVのゴム抑え板程度だと複製材料の量自体少なくて済むので、キット一つ複製するような量のものは確実に余す(そして使い切る前にダメにする)可能性が高い。もう数十年前に、KV初期型転輪を作るのに2液混合無発泡ウレタンを使って以来、まともに複製はしたことがなく、「複製経験値」が著しく低いので、適当な材料がぱっと浮かばない。「ちょっとした複製ならこういうのがいいよ」というお勧めがあればぜひご教授下さい。

さらに脱線。青木氏のツイートの中に、「ねこちぐら」に名前を残したことで(ごく一部で)有名なフォン・ツィーグラー博士の名前が出てきて、久しぶりにその名前に接して懐かしくなる。あまりに懐かしかったので、20年以上前に書いた「ニイガタハシリマイマイ」の記事を復活させてみた。

今読むと「なんで一種しかいないのに学名に亜種名が付いてるんだよ」とか、「殻が軽量といっているカタツムリがかかとにあたってもビックリはするかもしれないけど骨折はしないよな」とか、いろいろツッコミどころはあるもののそのまま。

●前回記事に関わるこぼれ話。

▼裁判員・補充裁判員には日当・交通費が支払われる。日当は拘束時間当たりで一日一万円が限度。交通費は「こうやって来ています」という申告は不要で、勝手に裁判所側で経路と値段が算定される。書いてあった金額は私が実際に使っている交通費より若干低く、基本「一番安い経路」で算定されるらしい。今回は天気が悪い日も多く、逗子駅と自宅間はバスを使うことも多かったので交通費的には足が出た感じ。

もっとも、徒歩の部分のキロなんぼで計算されるらしいので、「逗子から横浜地裁まで歩いてこい!」というようなことにはならない。

▼現在はネットが発達している世の中なので、事件によってはネット上にも様々な情報が流れていることがある。基本、裁判員裁判の対象になるのは注目度が高い重大事件であることが多いので、それだけネット上の情報も多くなる。が、あくまで裁判員が下す判断は法廷に出てくる証拠にのみ基づかなければならないので、「予断に結び付きかねないので、わざわざ調べるようなことはしないでください」と念押しされた。

▼横浜地裁は裁判員制度導入直前に改築されていて、そのため、実は細かいところで裁判員制度に適した建物の構造になってないんですよ、というような話を聞いた。

ちなみに裁判員制度が導入されてほぼ10年。裁判官のほうも、若手は最初からこの制度下で裁判を行っているわけだが、ベテランはこの制度導入前あら仕事しているわけで、それまでは(裁く対象である被告人は別としても)基本は検事、弁護人という「法律のプロ」と仕事を進めていればよかったものが、いきなり素人を相手に、引率の先生か添乗員みたいな仕事をしなければいけなくなったわけで、なかなか大変そう。裁判官に求められる資質も違ってきているのかもしれない。

ただし、「裁判を身近で判りやすいものにする」「裁判の中に一般市民の感覚を取り入れる」という制度の目的の一方で、うがった見方をすれば、「素人の裁判員たちを上手に、それと気付かせないように意見誘導してまとめ上げる」のが優れた裁判官であるということになりかねない、という危惧も当然ある(今回の裁判では逆に「えっ、裁判官って、素人の裁判員の言うことをいちいちそこまで取り上げて検討するの?」と思ったりしたが)。

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裁判員

●29日月曜日昼前。自宅で、今年初めてのニイニイゼミの声を聴く。

●30日火曜日。「Pokémon GO」にアップデートが入り、約20日ぶりに私のスマホでもログインできるようになった。いそいそと近所の公園のジムに自分のポケモンを配置しに行く。

20200701_230147 ●前回、「用事があって横浜に連日通っている」と書いたのだが、具体的には、横浜地裁での裁判員(より正確には補充裁判員)。なんとかお勤めも終了し、こんな記念品を貰った。

「裁判員バッジ」って……。こんなん付けて歩く人、いるのか?

デザイン的にも、なんだかゲームセンターのコインっぽい。ただしゲームコインほどの大きさはなく、1:35のKVの転輪とほぼ同サイズ(たまたま現在最も手近にある比較対象)。もっともピンバッジとしてはやや大きめ。

デザインは手錠……ではもちろんなくて、二つの輪は裁判官と裁判員が協力して事に当たること、その効果は無限大(∞)であることを示すのだそうだ。またバッジでは銀色だが、カラーだと二つの輪はそれぞれ暖色・寒色のグラデーションで、情熱と冷静を表すのだとか。

裁判員をやる前は「裁判員になったことは言っちゃいけないんだよね?」とボンヤリ思っていたのだが(たぶんそう思っている人も多いだろうが)、実際には、公判中は口外してはいけないものの(関係者が接触してくる可能性がある等々で)、公判が終了してしまえば、審理の過程には守秘義務があるものの、どのような事件の裁判に関わったのかまで含めて話して構わないのだそうだ。むしろ、裁判員制度について広く世間に知ってもらうという点からは積極的に話してください、くらいの感じのようだ。

ちなみに裁判員バッジは、かつては裏に通し番号(と裁判所名?)が刻印されていたらしいが、現在のものにはなく(コスト削減?)、若干「プレミア度」が低い(……ことを惜しいとも思わないが)。いずれ、現在の在庫がはけた段階でバッジの配布そのものがなくなる可能性があり、「その意味では貴重品と言えるかもしれません」と裁判官に言われた。もっとも実際に付けて歩く人はまずいないだろうし、本当に「記念品」以上の意味を持たないので、廃止されて当然な気はする。というか、そもそもこんなものを作ろうと考えた人は明らかに何かズレている(マンホールカードとか貰って喜んでいる私が言うことではないかもしれないが)。

試しに検索してみたら、結構大量にヤフオクとかメルカリとかに出品されていた。まあ、そうなるよね……。

もっとも私は“物”好きな人間なので、一応は引き出しの中に入れて取っておくつもり。で、静岡ホビーショーのピンバッジなどと同様、忘れた頃に何かの弾みで手に取って「そういえばこんなん貰ったなあ」と思い出すことになるのだろうと思う。

●もともと、「今年、裁判員に選ばれる可能性があるから覚悟しといてね~」というような通知が来て、その段階では「どうせこれから何回か抽選があるのだから、選ばれることはないだろう」と軽く考えていたのだが、結局6月半ばには横浜地裁に呼び出され、当日の抽選で(この段階でたぶん30人くらいだったと思う)6人の正規の裁判員、2人の補充裁判員のうちの補充裁判員に大当たりしてしまった。

補充裁判員というのはごく簡単に言うと「ベンチ入りの補欠」で、公判の間、裁判員に(病気や急用などで)欠員が出た場合に代わって裁判員を務める役割。聞いた当初は、「じゃあ、出番が来るまでおとなしく隅っこに座って他の人の話を聞きながら待っていればいいのか」と思っていたのだが(むしろ居眠りしないでいられるかが心配だったが)、実際には最後の評決の際に一票として数えられないだけで、最初から最後まで他の裁判員とほとんど変わらず、評議の過程でも逐一意見を求められた。また、(正規の)裁判員が欠けた場合に代わって務めるというのも、(正規の)裁判員が出られない日/時間だけ、ということではなく、「一度代わったらそのまま最後まで」だそうだ(今回はそんなことにはならなかったが)。

審理において被告人に質問することはできないが、実際には「これまでの審理でどんな点が疑問で、被告人にどんな質問をしたいか」は事前に評議室で皆で話し合っていて、その際に補充裁判員が呈した疑問に関しては、法廷で裁判官が代わって訊ねるので、この点でも大きな差はない(ちなみに法廷では裁判官と裁判員が法壇前列に並んで座っているのに対して、補充裁判員はその後ろに下がった位置に専用の席が用意されている)。

最後の評決には加わらないとは言っても、細かい事項ごとに、「検察の言い分についてはこう思う、被告人の証言はこう思う、この行為についてはこう感じる」などと意見を述べ合っていて、そこに至るまでのある程度のコンセンサス形成に加わっているため、「最終的には何もしていない」といった印象はなかった(また最後の評決の際にも「“選挙管理委員会”をやってくださいね」と票の確認作業を割り振られた)。

もっとも、裁判所のサイトのQ&Aを見ると、補充裁判員に関しては

「1つの事件につき,最大6人まで選任」
「評議で意見を述べることはできませんし(裁判官から意見を求められた場合は可能)」
「審理や評議の進行状況やスケジュールなどを考慮した上で,これ以上職務を行っていただく必要がないと認められる場合には,裁判の途中で解任されることがあります」(今回は評決が終わった後、判決宣告日もきちんと出席した)

と書かれており、補充裁判員がどれだけ関わるかについては(そもそも何人選ばれるかも含めて)、その裁判を担当する裁判官の裁量に任されている部分も多いようだ(今回は補充裁判員にもどっぷり関わってもらう方針の裁判長だったということかもしれない。いや、他は知らんけども)。

ちなみに新型コロナ感染症拡大防止策として、いつもと対応が違っている部分もあれこれあったようで、評議も広い部屋で間隔を離してゆったり座り、法廷でも法壇上は各人の間にアクリルのパーティションが設けられ、全員マスク着用だった。

●選任手続の当日には「選ばれたら面倒くさー」と思っていたし、実際に選ばれて法廷に出たり、審議に参加している間は非常に緊張もしたし気疲れもしたのだが、終わってみれば、よい経験だったのではと思う。

もっともそれは、裁判員裁判の対象が重大犯罪であるとはいえ、今回の裁判は強盗致傷で、殺人等に比べれば事件の経緯も証拠も衝撃の度合いが低く、また被告人自身も起訴事実をすべて認めていて、法廷で争う姿勢がまったくなかったためもあるかもしれない。(実際に選任されてすぐにパンフレットが配られたが)メンタルケアが必要なほどの内容で、しかも審議すべき内容も複雑でなかなかまとめられないようなものであったら、印象も違ってくるかもしれない。考えてみれば、横浜地裁の管轄であれば例の「津久井やまゆり園」で19人が殺された殺傷事件を担当する可能性もあったわけだ(あちらはもう地裁の公判は終わっているが)。

一方で、起訴事実をすべて認めているために求められるのは量刑を決めることだけ(しかも検察官の論告求刑と、弁護人が最終弁論で求めた刑期のあいだにも、それほど顕著な差はなかった)で、「それならもう、裁判官が量刑の“相場”みたいなものに基づいて決めちゃっていいんじゃないの? 裁判員要らないんじゃない?」とも思ったのだが、実際には(前述のように)細かな事項のひとつひとつについて全員の意見を求め、「ではこれについては裁判官・裁判員の考えとして**というふうにまとめたいと思うがどうか」と諮られて進んでいくという具合で、人ひとりの人生を決めるには、やはりこれだけの綿密さと慎重さが必要なんだな、と実感させられた。

……と書くと、なんだか自分でもあまりに優等生的に結んでいるような気もするけれど。

●だいたい朝から夕方まで裁判所に居ることになる。天気が悪くて出るのが億劫なため、裁判所内で売られている弁当で昼食を済ませたこともあったが、昼時に雨が止んでいる時は近くの横浜中華街まで行って、なるべく違う店で肉まん(豚まん)を食べた。本当は「何か美味そうなテイクアウトがあったら裁判所に持って帰って食べようかな」と思っていたのだが、意外に、店先で弁当を売っている店は少なかった。

「横浜中華街でどの店の肉まん/豚まんが美味いのか」というのは昔からの個人的なテーマではあるのだが、きちんとチェックしているわけではないので、どこの店は食べたことがあるかが曖昧になり、今のところ「ここが一番」というのははっきりしていない。せいぜい、「1個500円は高いけれど(その代わり巨大)、やっぱり『江戸清』は納得できる味かな」程度。ほか、今回食べた中では、中華街大通りに面した「同發」のものがオーソドックスながらなかなか。なお、「中華街の肉まんだからどこもそれなりに美味い」ということはなく、中には「これならコスパ的にもファミマの黒豚まんのほうがいいや」と思うものもあったりする。

ちなみに中華街の人通りは、コロナ前と比較すると激減と言っていいくらい減っているように感じた。昼時に中華街大通りがこんなに向こうまで見渡せるなんてなかった気がする。

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実際には、中華街とは反対の馬車道側に行った方が、ビジネスマン向けの小食堂とか店先での弁当販売などが多かったようだ。最終日には、麻婆豆腐が美味いと裁判員仲間の人に教わった、太田町通りの「三熙(さんき)」という店に行って、「もつ麻婆豆腐定食」を食べた。味は甘いのにがっつり辛く、なかなか好み。しかしセットとしてサンマーメンが付くのは個人的には余計で、その分麻婆豆腐が多いほうがよかったかも(知っていればそういう注文にすればいいだけの話だと思うが)。

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近くで見た案内板。落ち着いて見れば、横浜の「中区」の年金事務所であることがわかるが、ぱっと見では、どうしても「横浜・中年」と読んでしまう。

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サヨナラ、ポスト

●用事があって横浜に連日通っているのだが、23日火曜日はその仕事も梅雨空も“中日”だったので、葉山方面に歩きに行く。

行程は、県道311号をずっと歩いて、桜山隧道を通って葉山町へ。長柄から葉山町役場前、大道入り口を経て御用邸前まで。そこから今度は海沿いに引き返して、鐙摺を通って逗子海岸。海岸経由で帰宅。

●ちょっと前に書いたように、現在、私のスマホでは「Pokémon GO」が起動できなくなっていて、外歩きのモチベーションが下がり気味(かといって、健康上歩かないわけにもいかないので歩きに出たわけだが)。

なお、私のスマホはポケモン的には使えないままだが、代わりに神保町の事務所のGさんが、FREETELの予備機を貸してくれた。私のスマホはau系で、FREETELにSIMを移して使うことはできないが(その辺の仕組みは面倒なので略す)、それでも、Wi-Fi経由であればポケモン専用機として使える。

しかしこれがなかなか微妙で、まず

  • 自宅でなら問題なく使える。
  • 神保町の事務所でも、事務所のWi-Fiに問題なく接続できた。
  • 横浜のヨドバシカメラの館内ではなんとか使えた。
  • が、その他、街の中のFree Wi-Fiの場合は「認証できませんでした。もう一度やり直してください」と出てきて、うまく接続できない。火曜日の散歩の際にも、Wi-Fiが使える葉山町立図書館に寄って試してみたがダメだった。

というわけで、現在、借りたFREETELは、ほぼ自宅内ポケモン専用機となっている。

ちなみに、「8月で32bit機のサポートを打ち切る」としたNIANTICの発表に関しては、その後、「終了予定を延期」ということになった模様。しかし、仮に8月で終了ということだとしても、本来は少なくとも7月末まではサポートすべきはずだが、6月初旬に発生した不具合にも関わらず、一向に解決の気配がない。NIANTICの「Pokémon GO」サポートページにおいても、「確認されている不具合」は、6月9日に


Android 5 または 6 の一部の端末では、アプリを起動できない場合がある

不具合内容:Android 5または6の端末をお持ちのトレーナーの中には、ポケモンGOアプリの読み込み画面を完了しても起動ができない場合がある。

ステータス:調査中


と書かれたきりで変化なし。いやまあ、古い低性能スマホの面倒まで、いちいちいつまでも見てられんよ、というのは判るんだけれども、それならそれで「これ以降はサポートをやめる」と言った期限まではしっかりやるか、できないならすっぱり「やめました」と言ってほしい。

●葉山町内には、現役の丸ポストが以前に調べた時点では9基あり、今回の散歩の経路上には、そのうちの6基がある。せっかくなのでついでに現状の写真も撮っておこう……と思ったら、その最後の1基、森戸神社近くのもの(堀内1047)が根石(台座の石)を残してなくなっていた。

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3枚目は2年前に撮った、「在りし日の姿」。もともとはポストの後ろの空き地は店があったらしく、その店が閉まった後は表に張られた板がポストの形にくり抜かれ、そこから半分現れる「埋まりポスト」状態で何年か存在していたらしい。2年前に見に行った時にはすでに建物がなかったが、結局はポストも撤去されてしまったらしい。なお、Googleのストリートビューを見ると、少なくとも昨年6月にはまだ存在していたことがわかる。

中の収集袋を立ったまま交換すれば済む角型ポストに比べ、丸ポストは体をかがめて手で郵便物を掻き出さねばならず、郵便局員には余計な不便を強いることになる。さらには手紙/はがきの利用自体が減っており、一方でポストの設置基準は昔よりも厳しくなっているようで、古いポストの消滅圧力はいよいよ増している。減っていくのは致し方ないのだが、それでも、できればできるだけ長く現役でいてほしいと思う。

なお、2年前に葉山の丸ポスト9基をまとめて訪ねた記録は以下。

今回確認した残り5基、

  • 堀内671:風早橋バス停近く
  • 堀内1825:向原交差点
  • 一色1818:セブンイレブン葉山一色店
  • 一色2095:町屋倶楽部前
  • 一色1657:近代美術館近く

は、収集時間に変更があった程度で、ちゃんと現存していた。残るうち、長柄769-1(御霊神社前)と、 一色692-2(葉山大道、HACドラッグ向かい)の2基については、比較的最近視認しているのでまず大丈夫。一色1222(一色小から大道を隔てて反対側の住宅地の中)だけは2年前に見たきり。

●なお、以上のような行程で歩いたのは、葉山のポストの現状確認が第一目的ではなく、葉山町のマンホールカードの題材になっているカラーマンホールが御用邸前の一か所だけにあり、それを見たいと思ったため。

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目的のマンホール蓋はより大きい蓋の中にはまった、いわゆる「親子蓋」形式になっており、さらに隣には同じく親子蓋になった(カラーではない)通常版のマンホール蓋がある。

葉山のマンホールカードについてはこちら

●マンホール蓋を見た後、一色の近代美術館脇から海岸に出たら、砂浜への出口のところで突然目の前からにょろにょろとヘビが逃げ出してビックリ(もちろん、のんびり日向ぼっこでもしていたらしいヘビのほうも、突然人が来てビックリだろうが)。

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3枚目写真は2枚目の拡大切り出し。柄模様から、「えっ、これって、もしかしたらマムシ?」とも思ったのだが、帰宅してよく調べてみると、コンクリート壁をほとんど垂直に登ることができる能力と、エラの張っていない頭部の形から見て、アオダイショウの幼蛇であるらしい(それなりに大きく、たぶん1mくらいはあったと思うが)。アオダイショウの幼蛇はマムシに似た模様を持つのだそうだ。

●葉山のポストが一基なくなったことをfacebookに書いたら、地元の知人から「逗子の4基は大丈夫?」と聞かれて、ちょっと心配になったので、土曜日に改めて見回りに行ってみた。結論から言うと、とりあえず全部無事。

●逗子の4基のポストを見回ったついでに、最も東の1基のさらに奥の谷戸に足を伸ばしてみる。

以前、facebookの逗子のニュースグループで、「地元民にしかわからない(俗称としての)地名、ランドマーク名」が話題になった。例えば「サリーちゃんち」(名越の山の上にある洋館)や「うんどこ」(第一運動公園)などがその例だが、そうしたなかに「はっしゃば」というのがあった。

それが今回訪れた一角で、具体的な住所は沼間4丁目12、13、15、16あたり。狭い谷戸に沿って、ハシゴ形の道路で区分けされた細長い住宅地で、南側は「ハイツ東逗子」という集合住宅、北側は戸建て住宅が並んでいる。「はっしゃば」とは、なんだか「ハッテンバ」の仲間と誤解されそうな名前だが当然無関係で、海軍の機関銃工場に付随した試射場(「横須賀海軍工廠造兵部 沼間機銃発射場」)だったことによる。

いつも通り、サイト「東京湾要塞」を虎の巻とした。

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最初の1枚は、地区の見取り図。

続く3枚は、谷戸の下手(南側)から、谷戸東側の道を徐々に北に進んでいく途中写真。こちら側はやや道が曲がっているので、途中まで行かないと北端は見通せない。3枚目が北端近くで、突き当りの向こうには、現在はヨコヨコ(横浜横須賀道路)が通っている。

4枚目は北端から折り返し、西側の道路を南に向いて撮ったもの。こちらは東よりも道路が真っすぐで、南端近くまで見通せる。

5枚目は南端にある街区公園。「柚沢」もしくは「柚子沢」が本来の小字名であるらしいが、読みは「ゆずさわ」ではなく「ゆずっさわ」であるらしいことが、公園名に振られたルビで判る。

6枚目も南端近くで見たマンホール蓋。旧海軍水道の水道路(すいどうみち)からはちょっと離れているにもかかわらず、なぜか横須賀市水道局の蓋。元軍用地なので、軍用水道の支線のようなものでもあったのだろうか? いや、浄水施設も介さないで、そんなことってあるのか?

このように、現在では遺構の類は何も残っていないが、当時は、南側に試射を行うための銃座や観測所、弾薬庫などがあり、北端が銃弾を受け止める土手になっていたらしい。現在では、地区の細長さに「なるほど、言われてみればそんな感じだなあ」と思う程度。

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最後に、終戦直後とほぼ現在の空中写真比較。例によって国土地理院の「地図・空中写真閲覧サービス」より引用。左は終戦間もない1946年2月22日米軍撮影の「USA-M53-A-7-28」、右は2019年6月16日撮影の「CKT20194-C14-60」から切り出した。

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図書館

20200612_142214 ●市立図書館が、なお制限はあるものの閲覧・貸出再開されたので、12日金曜日、久々に本を借りに行く。

常に入り浸るほど「図書館ホリック」ではないものの、行けないとなると何だかむずむずし出すくらいには図書館好きではある。

利用頻度を下げるために貸出期間が3週間に伸びており、まとめて3冊借りてきた。持って帰るのが重かった……。

▼「増補・改訂 アイヌ文化の基礎知識」監修:アイヌ民族博物館 増補・改訂版監修:小島恭子 草風館

たまたまアイヌ関係の棚が目に入って、その中で割と読み易そうで、書名通りに「基礎知識」のレベルが上がりそうだったので借りてきた本。私自身が琉球系ということもあって、「ヤマトではない日本」は常に興味の対象。

▼「世界の戦車 1915~1945」ピーター・チェンバレン&クリス・エリス 大日本絵画

AFVマニアならおなじみの、第二次大戦までの戦車のエンサイクロペディア。この日本語版が発売されるよりも前から英語版の(より大判の)原著は持っていて、そのせいで日本語版は結局買わなかった。今から見ると、たぶん内容的には「えー?」という部分も結構あるのではと思うが、マイナーな戦車の系統とか、概略を知るのにものすごくお世話になった本。戦車を生産していない国を含め、小国の使用(輸入)状況について巻末にまとめてあるのが個人的にはポイントが高い。とはいっても、英語が不得意な私は内容をしっかり読み込んであるわけではなく(まあ、そもそも読み込むようなタイプの本でもないが)、この際改めてざっと読んでみようと思って。

▼「重戦車大隊記録集1陸軍編」ウォルフガング・シュナイダー 大日本絵画

ティーガーを作る人には、おそらくバイブルとも言えるのではないかという大冊の1巻目(2はSS編)。大戦後半のドイツ軍は基本的に対象から外れる私は絶対に買わない本ではあるけれど、かといって興味がないわけではなく(ティーガーのキットも一応持っているし)、ちょっとした「お勉強」用に。

●「Pokémon GO」につき、NIANTICから公式発表。再来月、2020年8月上旬予定のアップデートをもって、32ビット版Android端末への「Pokémon GO」のサポートを終了するとのこと。

こうした足切りの基準になるにもかかわらず、スマホの公表されたスペックには32bitなのか64bitなのか明記されていないのが普通だそうで、そのこと自体、端末メーカーに文句を言いたいところだが、とりあえず、「CPU-Z」というアプリで、私のスマホがどちらなのか確認できた。……32bitだった。あうう。

「Pokémon GO」のために端末を買い替えるのも癪だし(お金もないし)、どうしたってそのうち、端末がヘタれば買い替えることになるので、それまで「Pokémon GO」は封印ということにしようと思う。

そもそもここ数日の、アプリが起動できない不具合に関しても、公式発表では「Android 5 または 6 の一部の端末」で発生していることになっているが、これって要するに32bit端末ということなのではないだろうか。

当然、そのうち32bitがサポート対象外になるのは当然だったとしても、今回の不具合発生が「ああもう、やってらんないや~」のきっかけになったような気も(ちなみに不具合は現在も未解消)。

●「アハトゥンク・パンツァー」の著者、尾藤さんの「パンツァーメモ」の掲示板で掲示板で、尾藤さんに、スロバキア軍の38(t)、完成していたらブログで見せて下さいと言われてギクリとする。……数年前、完成直前まで持っていって、それっきりになっていたので。

どこにしまったっけな、と、身近な模型箱をごそごそと漁って、なんとか本体は発見。ブレダ20mm搭載I号戦車A型(未塗装)とともに、ヴィッカース水陸両用戦車の箱にしまってあった(この脈絡のなさ……)。

というわけで、製作記の現状の最終回(ちなみに2016年の4月)から何の進展もしていないのだが、現状は以下の通り。

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私の35AFVの作りかけの中では、最も完成に近い状態かも。しかし、なんでここまで塗って中途半端に放置するかなあ。

なぜか起動輪が片方行方不明。履帯もないが、これは本来のキットの箱に入っているはず……だが、それがどこにいったやら。そっちの箱にもう片方の起動輪も入っているといいなあ。

ちなみに尾藤さんの「パンツァーメモ」では、III号E型、F型に続いて、38(t)戦車各型の完成品写真が披露されている。特に38(t)に関しては、個人的に電撃戦の主役であるA型、B型がツボなのだが、尾藤さんの作品で、意外に細かくA型とB型が違うのを知ってびっくり。物干し竿みたいなアンテナくらいしか違わないのかと思っていた。

A型は転輪も違うというのは知らなかった。スロバキア陸軍の、チェコ迷彩の最初の5輌はどうだったかなあ、と思って写真を漁ってみたが、3色迷彩の時期ののV-3000が初期型転輪っぽいかな?という感じ。カーキに塗り直されたV-3003は通常転輪のようだ。

戦争中盤以降に入手したドイツ軍の中古車両の中にも何輌かのA型が混じっているが、こちらは流石に後期型(というか標準型)の転輪に交換されているかもしれない。

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