かば◎の迂闊な日々

横浜AFVの会2024

●3月24日日曜日、横浜AFVの会に行く。

実は地域の自治会の会合が入っていて、今年は行くことが出来ないと諦めていたのだが、朝、自治会長にラインしたら、次の日曜に延期になったとの返事。なお、今改めて去年の横浜AFVの会の記事を読んでみたら、去年も自治会の役員会と重なっていて、役員会が終わってから終わりの数時間だけ出席したのだった(自治会役員は1年度だけの仕事だが、昨年の横浜AFVの会は4月開催)。

このところ模型製作は低調だったので、当然持っていける完成作品は無し。話のタネに作りかけのクブシュの装甲ボディでも持っていこうと思ったが、ちょうど具合よく入る持ち運び用の箱がなかった。

●出す作品がないこともあって、昼食をとってからゆるゆる出かける。

現地会場で、まずはKakudouさんにお会いする。そうこうするうち、昼食に出ていたらしいケン太さん、ミカンセーキさんも戻ってきて、あれやこれやと模型話をはさみながら作品鑑賞。会えると思っていたハラT青木氏は、聞くところによると体調不良だとかで欠席(去年も欠席だった)。大丈夫かアオキ!

あとはむーさんとか野田君とか。

●相変わらず一貫性も網羅性もない、知り合いの作品+たまたまその場で気になった作品の写真集。

まずはKakudouさんのOT-34。青木氏の厳しいチェックにさらす覚悟で持ってきたらしいが、前記のように氏は病欠のために肩透かし。「3つ(?)大きなウソがあります」とか言われたのだけれど、私はよく判らなかった。一つ種明かししてもらったところでは、112工場製車輛として製作したものの、実際のこのマーキングの車輛はよく見たら112工場製ではなかったらしい。

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同じくKakudouさんの英装甲車3題。Miniartのダイムラー・ディンゴ、ブロンコのハンバー・スカウトカー、ゲッコーのダイムラー装甲車。

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昨年末の東京AFVの会の折(会終了後の飲み会)でも見せてもらった、ケン太さん製作中のフジミのミニスケールJS-2。リアパネル周りとか、細かくヒンジなどディテールアップされていて、未塗装のこの状態が美しい。が、年末からどこが進んでるの、これ(フェンダーとかいじってるよ!と言われた)。

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ミカンセーキさんは、参加に向けて急遽完成させたという、ドイツ軍のモバイルトーチカ(輸送状態)。その筋(?)では有名なRPM製のインジェクションキット。M.Nさんからのもらい物? バーリンデン製のレジンキットも持っているとかで、そちらはいずれひまわり畑の中に設置された状態で作る由。

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むーさんの日本陸軍の牽引車。ピットロードのメタルキット。今は同一アイテムがインジェクションで出ているとかで、「作るならそっちを」と言われる。いや、作らないけど。

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野田君に、「何か作ってきたのー?」と尋ねたら、「コレですよコレ」と言われたイタレリのセモベンテ。車内はほぼスクラッチだとか。砲弾ラックの形状とか、飼料不足でとにかく苦労したらしい。ちなみに今回の横浜AFVの会、人気投票の際の予断を防ぐためか、作品カードにはエントリーナンバーは書かれているものの、作者名の欄がない。

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●ほか、知り合いでない方々(たぶん)の作品。

ルノーFTはタコムの1:16。仕上げも綺麗で丁寧で、何か賞も貰っていた。作者はだいぶ若い方。しばしFT話を楽しんだ。

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こちらは圧倒的迫力の1:35ドーラ。これも賞を貰っていた。キットはABS樹脂製だとか(その後、現行キットではスチロール樹脂に代わっているらしい)。いや、何樹脂だろうと普通の人には(製作スペース的にも保管スペース的にも値段的にも労力的にも)手に負えないよね?

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ランチア1ZM装甲車。当然、カッパーステイトのキットなのだろうと思ったら、久しぶりに名前を聞くKMR製レジンキットだった。KMRはレジンキット草創期のメーカーで、とにかく「出来の悪いレジンの塊」キット揃いだった記憶がある。よく、今になって作り上げたなあと感心。

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クロアチア軍のT-55? たしかMiniartのチェコ製車体のキット? もう一つはタミヤのAMX-13。特に何がどうということもなく、実車写真では(角度的に)あまり見ない、上面の丸型ファンが可愛かったので。戦後物の作品は当然、それなりに多数あったのだが、写真はこれしか撮っていなかった。

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ベルリン戦の雰囲気のソ連203mm榴弾砲ジオラマと、中国戦線のジオラマ。ジオラマ作品もそれなりにあったが、やはりあまり撮っていなかった(ミカンセーキさんのトーチカ、列車砲ドーラも一応ジオラマだけれど)。

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イースタンのSU-152。一応、組作品の体のランカスターとタミヤ48の救急車。私のアルビオン装甲車も、48のハリケーン(の一部)あたりと組み合わせたい気はしているのだが、実際にそこまでやり遂げる気力が出せるかどうか。

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と、あれこれ見ていて、当然、人の作品の鑑賞も楽しいには楽しいんだけれど、やはり自分でも何か作品を持っていかないとイカンなあ、と思う。……いや、毎回そう思うんだけれど。

●会終了後、ミカンセーキさん、ケン太さんと飲みに行く。ケン太さんの奥さんが気に入っているとかいう店で、日本酒を飲んで焼き鳥・焼き豚ほかを食べたり。さらに喫茶店でコーヒーを飲みつつあれこれ駄弁って解散。

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覚えているコト、忘れるコト

●昨秋以来、ずっと楽しみに観ていたアニメ、「葬送のフリーレン」がついに最終回。

原作マンガは出版社サイトの「試し読み」くらいしか読んだことがないが、アニメは実に緻密に作り込んであって、細かい部分でアニメオリジナルも多いらしいが、それが自然に、話に深みを持たせている感じ。絵も美しい。

以前、「SPY & FAMILY」が好きで観ていると兄が言っていて(その時に、えっ、兄はアニメ観るのかー、と、今更ながらちょっと驚いたくらいだが)、それならばと、先日会ったときにぜひフリーレンをと薦めてみたのだが、「観てる! あれと『薬屋のひとりごと』だけで、amazon primeにカネを払ってる価値がある!」と、食い気味に返答された。……うわ。観てるラインナップが一緒だよ。

勇者一行が人類の宿敵たる魔王を撃ち滅ぼし、その勇者もまた年老いて死んだ後に、勇者一行の魔法使いで果てしなく長命のエルフであるフリーレンが、かつての魔王討伐の跡を辿るように旅をする――というのが「葬送のフリーレン」の物語の大筋。魔王軍の残党と戦ったり、魔法使いの昇格試験を受けたりといった折々のエピソードはあるが、全体として「記憶」というのが重要なテーマになっていて、それがなんとも切ない。

あー。早く二期制作決まらないかな。

●母の納骨も10日に終わり、銀行口座の整理等々は兄任せなので、とりあえずは一段落。少し、母のことを思い返してみる。

父が亡くなって、母は長く実家に一人暮らしだったので(最後の何年かは兄が同居してくれたが)、おおよそ月一回頻度くらいで泊りがけで顔見世というか、ご機嫌伺というか、母に会いに行くのがルーティンだった。

特に何をするというわけでもなく、一緒に夕飯を食べ、とりとめなく話をしたり、見るともなくテレビを観たりして、一泊して帰るだけのことだったが、そんな徒然に、母の若い頃の話を聞くことが増えた。父も母も、あまり昔語りをする人ではなかったので、晩年になって初めて聞く話も多かった。

・これは近年になって母から聞くようになる以前の話だが、何かの折に、母の小学校時代の集合写真が出てきたことがあって、全校生徒?が20人程度だったろうか、その中で靴を履いているのが母を含め数人だけだった(あとは裸足)。「うわあ、『ド田舎のお嬢』だったんだなあ」と思った。

・子供のころから体が弱く、「二十歳まで生きられない」とまで言われていたのだそうだ。少しでも精を付けようと、祖父がウナギをよく食べさせていたとかで、無理に食べさせられたので「ウナギは嫌い。もう食べたくない」と言っていた。「夕飯、何か買っていくよ、何がいい? ウナギとか食べる?」と尋ねた時に、そう教わった覚えがある。

・田舎の旦那というのはそういうものなのかもしれないが、祖父は、祖母の生前に、すでにお妾さん?がいて、戦時中、すでに腹違いの妹が二人いた。母はそれが癪でたまらず、機織りをしているお妾さんのところに、大きな石を抱えていって、織っている最中の反物に投げつけて台無しにしたことがあったそうだ(←体の弱い娘がすることか?)。祖父はかわいがっている長女のしたことだからか、引け目もあってか、「そんなことはするものじゃない」と弱弱しく言うばかりだったとか。私の覚えている祖父は頑固で我儘な爺さんだったが。

・祖父は「島一番のウタシャ(唄者)」と言われるくらいの島唄の名人で(と言っているのはおおよそ親戚限定だが)、若いお妾さんも島唄上手、しかし祖母は島唄が出来なかったらしい。それもあってか、母は島唄が「ずっと嫌いだった」と言っていたが、晩年になって、「……と思ってたのに、この歳になるとやっぱり懐かしい」と言って、いくつか、私がCDで聞き覚えた島唄を逆に私から習って口ずさんでいた。特に「行ききゅんにゃ加那」節が好きで、葬儀の時もCDで流した。

・そんな具合でも、二号さんの生んだ妹たちは母に構ってほしくて、いつも寄ってきたそうだ。母はそのたび、邪険にしていたのだが、祖母(母の実母)は、「そんなに意地悪をするものじゃない、あんたが歳を取ってから、あの子たちのお世話になることもあるかもしれないんだよ?」とたしなめていたとか。母曰く、「そんな目にあっても怒らない、仏様のような人だった」。戦後になって、さらにその下に二人、腹違いの妹が出来たのだが、一番下のH叔母は実家のすぐ近所に住んでいて、いつも様子を見てくれて、食事を作って持って来てくれたり、とんでもなくお世話になった。母は「お母さんの言ったとおりだったよ」と言っていた。

・その腹違いの妹の一番上の名前は「かすみ」で、かくれんぼをするたび、予科練の唄の替え歌で「かすみはう~らんど~(かすみはいないよ)」と歌っていたそうだ。

・祖母は、現在奄美空港のある和野という集落の出身だった(家系としては、さらにその南隣の節田の出だったらしい、というのは前々回に書いた)。太平洋側でちょっと開けた和野よりも、父母の郷里で東シナ海側、島の北端にある集落の佐仁は波も住んでいる人の気性も、言葉も荒く、母はよく、祖母から言葉遣いをたしなめられたという。「佐仁では『はさみ』のことを『パサン』って言うんだけれど、そのたびに、そんな荒い言葉じゃなくて『はさみ』って言いなさい、と言われたよ」とか。まあ、「はさみ>パサン」になる理屈はよくわからんけれども。

・戦前、同郷の父は育ての親に連れられて満州に渡り、奉天(瀋陽 )で奉天商業学校という学校に進んだという。その頃一度里帰りをしているのだが、母曰く、「制服が格好良かった」そうだ。その後父は大学(旧制高校?)受験に失敗して(一度しか受験させてもらえなかった)軍隊に行くのだが、母は父から、文房具とか、本とか(「レ・ミゼラブル」とか、ずいぶんハイカラな本だったらしい)を貰ったそうだ。

・ところが、そういう付き合いを聞きつけた父方の親族の小母さんが、「あんたみたいな身体の弱い娘は、うち(の一族)の嫁にはふさわしくない」とわざわざ文句を付けにきて、母はそれがあまりに悔しく、父から貰ったもの一式を海に(名瀬の港に?)投げ捨てに行ったという(癇癪持ち……)。

・戦時中、母はすでに農協に(事務として)勤めていたそうな。しかし戦況いよいよ思わしくなく、奄美大島にも米軍が上陸してきそうだというので、祖父は、一家で満州に疎開を決意したそうな。母は(二号さんと一緒に?)行くのが嫌で抵抗。「年頃の娘を残していけない」という祖父に対し、「では嫁に行っていればいいのか」と、勤め先の上司の紹介で、その弟?と電撃婚して残留することになったのだという。ちなみにお相手は、すでに出征していて、しかも帰ってこなかったので、母は「会ったことも話をしたこともない」そうだ。

・戦時中、母は田んぼ?畑?の畔で、「グラマンに追いかけられた」ことがあったそうだ。もちろん、母にグラマンだのノースアメリカンだのの見分けがつくはずもなく、おそらく、当時の一般の日本人として「敵機=グラマン(あるいは、せいぜい単発機ならグラマン)」くらいの認識だと思う。

・ちなみに母の(同腹の)弟妹は、長男(母のすぐ下の弟)が(現在の)北朝鮮で学校→そのまま徴兵→ソ連軍の収容所、次女は鹿児島で女学校、三女は祖父と一緒に満州に。小学生の次男と祖母が、母と一緒に島に残ることになった。しかし、(これまた体が弱かった?)祖母は終戦前に若くして死去。小学生の弟は、終戦直後に小学校で起きた(子どもが拾ってきた)不発弾の事故で生死の境をさまようことになる(運よく生き延びた)。

・一方、満州に逃げた祖父らは、逆にソ連侵攻に伴う大混乱に巻き込まれることになる。腹違いの妹二人は、逃避行の最中に熱を出し、病院に連れて行って一晩泊めてもらったところ、翌日には「もう死んで埋めた」と言われ、追及するすべもなく泣く泣く諦めたとか。残留孤児として、どこかに貰われていった/買われていった可能性が高そう。

・終戦後、奄美大島には米軍が進駐してきて、沖縄同様に占領統治下に置かれる(1953年、沖縄より約20年早く復帰)。母は洋裁ができたので、駐留米将兵と付き合った女性たちの服を仕立てて大儲け。それで資金を貯め、密航で日本本土に渡ったのだという(おそらく、祖父たちはまだ帰国していない)。漁船の底に身を潜め、昼間は途中の島の入り江に姿を隠し、夜の間だけ航行という感じだったらしい。本土に渡ってしばらくは、終戦前から東京にいた親族の家にしばらく身を隠し、その間につてをたどって住民票を改竄?したらしい(もう時効だよね?)。なお、生死の境から生還したばかりの年少のK叔父はどうしたのか尋ねたが、「どうしたっけね?」と、ずいぶんいい加減な答だった。まあ、島に残った親族を頼ったとかなのだろうけれど。

・戦後も東京で洋裁で食べていたが、ある時、偶然に父の実母と再会。インパール戦を生き残った父は、復員してその頃はたぶん横浜に住んでいたはず。「**ちゃん(母)が東京に出て来てるよ」と教えられた父と再会し、その後なんだかんだの末に結婚。

なんつーか、波乱万丈の戦中戦後史だなあ。

こんなところに母の個人史を書いても誰の何の役に立つというわけでもなかろうが、私自身、たぶんこれからどんどん忘れていくと思うので、とりあえず備忘録的に。

それに、改めて思うが、以上のあれこれは「母がそう覚えていたこと」を、それまた私が伝聞で(おそらく記憶違いも含めて)文章に直しているので、どれだけ正確かは怪しい。誰の物語であってもそうだが、人から人に伝わっていくだけ、たぶんどんどんと「聞き手の解釈」が加わって、中身は変質していく。もちろん、私の母は偉人でもなんでもないので、その個人史が変容を気にするほどこの先伝わっていくこともないだろうが、記憶している私の中でさえ、その時々の解釈で変化していくかもしれない。いずれにしても、「まあ、記憶って、そういうもんだよね」以上の何物でもないのだけれど。

●相変わらずのプレッツェル(ブレーツェル)行脚。

前回「今までで一番イメージに近い」と書いた新橋「le petit IMBISS(ル・プティ・インビス)」のプレッツェルだが、その後、もう一度買ったら、最初から防湿の紙袋に入れられていて、そのせいで湿気がこもって外皮がペタペタしていた。どうも「ラウゲ液処理」の関係で、「湿気るとベタベタになる」のは宿命であるらしいが、「買い食い」用途で考えると、ちょっとこれはがっかり。売り方にもう少し注意を払ってほしい。

(1).成城石井で、ドイツから輸入されたパンタイプのプレッツェルが2個入り・380円(だったかな?)で売られていた。ビニール袋入りなので、そのままではやはりベタベタしているのだが、こちらは持ち帰り前提で、食べる前にオーブントースターで軽く焼くとよい感じになる(「le petit IMBISS」のものもちょっと焼き直せばいいのだろうが)。

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おそらく保存の関係上、塩粒を表面にまぶすと溶けてしまうためか、「全体に軽く塩味を付けている」感じ。中のみっしり/もっちり感もよく、値段を考える(他の「パン屋のプレッツェル」と比べると1つあたりでは最安値)とかなりオススメ。

(2).上記「le petit IMBISS」に、ややミソがついた一方で浮上したのが、新横浜の「Champs de Blé(シャンドブレ)」のプレッツェル。1つ200円で、「パン屋のプレッツェル」のなかでは最安値(去年秋までは、鎌倉Bergfeldのプレッツェルが190円だったが)。ただし、大きさは「le petit IMBISS」や成城石井のものに比べて一回り・二回り小さい。

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他の店では、生地のもっとも太い部分(開口部があるところ)に重点的に塩粒をまぶしてある場合が多いが、ここのプレッツェルはまんべんなく散らしている。皮のしっかり感、中身のみっしり感ともに良し。ただちょっと納得が行かないのは、「なんでフランス語の店名のお店のプレッツェルが暫定一位?」(「le petit IMBISS」 も半分フランス語だ)。

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ベッカライ

●1月末日、母死去。

未明、入所している施設からの電話で知らされる。

その何日か前に、脚にチアノーゼが出ていると知らせがあって慌てて面会に行き、それなりに覚悟も出来ていたことではあるけれども、その一方で、頭の片隅では、昨年正月早々に転倒して骨折して手術、入所以来、何度も「いよいよ危ない」的なことを言われて持ち直してきた実績があって、今度もなんとなく乗り越えそうな、みたいなことも思っていた。

この一年は、こちらのこともよく判らない状態で、ほとんど会話もできなかったけれど、とにかく、最後は痛くも苦しくもなかった様子だし(夜半の見回りで死去していることに気付いたそうなので、本当のことは知りようがないけれども)、年齢(101歳)を考えると胸を張って(誰にだ?)大往生と言えると思う。

もう、母の周りの友人と言える人たちや、同年代の親族なども軒並み亡くなっていることもあって、ごく近しい身内――兄・甥と私・妻・娘と三人目の息子扱いのドイツ人P夫婦、母の一番下の叔母夫婦、母方の従弟妹2人だけで小ぢんまりと告別式も済ませた。あとは来月頭の納骨を待つのみ。

●ひとつ文句を言いたいことがある。

母がまだ元気なころに言っていたのだが、戦時中に若くして亡くなった母の母(私の祖母)が、今際の際に「節田からお迎えに来たよ……」と言い残して逝ったらしい。節田というのは現在、奄美空港があるちょっと南あたりの集落。祖母の実家はもともとその節田という集落の出だったらしいというのを、母自身がその言葉で初めて知ったのだとか。

それはそれとして。

母はそれを根拠に、「これから死んでいく人は、必ず何か一言言ってから逝くものだ」と決め込んでいて、父が亡くなった後、しばしば「何も言わないで勝手に逝った。薄情なんだから」とブツブツ文句を言っていた。

そこまで言うからには、きっと本人は、たとえその場にいなくとも、夢枕かなにかで一言知らせてくるだろうと密かに期待していたのだが、何もなかった。機会があれば「ちょっとどうなのよ」と詰問したいが、流石に現実世界の地球上に「魂の眠る地オレオール」は探し出せそうにない。

まあ、実は私が眠りこけていて気付かなかった、などということなら逆に申し訳ないが。

●そんなこんなで、がっつりと模型製作に取り組む精神的余裕もちょっと失くしていたのだが、現在はちょっと持ち直して、「なんとなく漫然と手を動かせるネタ」として、エレール 1:72の古いキット、モラン・ソルニエMS225と、ハセガワ 1:8、ル・ローン・エンジンをいじっている。製作記については、気が向いたらそのうちに。

●プレッツェル行脚、なお続く。

スナック・タイプのハード・プレッツェルについては、身近に確保ルートがあるフーバーのプレッツェル(HUOBER社のSCHWÄBISCHE KNUSPERBREZEL――直訳すると、シュワーベン風さくさくブレッツェル)が私の中ではスタンダード認定されていて、それで満足。

しかしパン・タイプのソフト・プレッツェルは、なかなか「これだ!」というのに出会えない。最初に食べた鎌倉ベルグフェルトのものが結局はイイ、というところで落ち着きかけたが、何度か食べているうち、「もうちょっと身にみっしり/もちもち感が欲しい」と思うようになった。決してドイツ人Pの「穴の大きさが……云々」に流されたわけではない。

もちろん、本場のドイツの「ブレーツェル」を知っているわけではないし、本場のものも店によってあれこれ違いがあるだろうから、当然、私自身の勝手な思い込み基準で探しているだけなのだが、ここ最近は、ついに「どこかに出かけたついでに、近くにプレッツェルを扱っているとネットに出ているパン屋があれば、わざわざ足を延ばしてみる」までにハマってしまった。

ところが、これがなかなか打率が低い。

文京区湯島のドイツパン専門店、「ベッケライ・テューリンガーヴァルト」に行った時には運悪く売り切れ。田園都市線・江田駅近くのオーストリア菓子屋の「ナッシュカッツェ」に行ったら、折悪く店主?が手を怪我していて生地の成形できないとかで生産休止中。新横浜の「シャンドブレ」もこれまた売り切れ。

Img20240208164451 っていうか、あるかどうか確かめてから行けよ!と、我ながら流石に反省して、金沢八景駅前の「ベーカリーハウス・アオキ」には電話。「ありますよ」というので取り置きしてもらって行ったら、

プレッツェルという名前の、プレッツェル型の菓子パン

だった。生地も全然別物のデニッシュ系で、それに大量のアーモンド・スライスと砂糖コーティング。

実際、その手のもの(名前だけプレッツェルの菓子パン)がこの世に存在していることは知っていたのだが、この店に関しては、普通のプレッツェルの写真がネット上に出ていたので油断した。

「あっ……こういう“プレッツェル”ですか……」

と、出されたときに思わず言ってしまい、「え? あの、違いましたか?」「いえいえ、大丈夫です」なんて問答をしていたら、奥から店主?が出て来て、「もしかして、塩味の(正統の)プレッツェルをお求めに?」と尋ねられた。

曰く、「しばらく前まで、正統のプレッツェルも作っていたが、そちらは製造過程で劇薬を使う(焼く前に水酸化ナトリウム溶液にくぐらせる)ため、別に許認可が必要になってしまい、面倒で今は作っていない」由。

「だから、作っているお店があまりないんですよ。プレッツェルをお求めなら、ベッカライという名前の付いているお店に行かれるといいですよ」と教えられ、またその一方で、「わざわざ来ていただいたのに済みません」と謝られた。ちなみに、菓子パンのプレッツェルは、それはそれで普通に美味しかった。

前出の湯島の「ベッケライ・テューリンガーヴァルト」もそうだが、「BÄCKEREI(ベッカライもしくはベッケライ)」はドイツ語で「パン屋」の意(英語でいうベーカリー)。つまり、それが付いているお店はおおよそドイツパンの専門店と判断できる。フランス系のパンを多く扱う店が「ブーランジェリー」を名乗るのと同様。

●もっとも、その後ネットで検索すると、「ベッカライ/ベッケライ」を名乗る店でも、意外にプレッツェルは扱っていなかったりすることも判明。例えば大船の観音さんのちょっと向こうに「ベッカライジーベン」(カンプグルッペかっ!?)というドイツパン屋さんがあるらしいのだが、電話してみたところ「ウチでは扱っていません」と言われた。まあ、何はともあれ「これからはもっとちゃんと調べてから行こ……」と思ったのだった。

というようなこともありつつ、最近の戦績。

(1).鎌倉、御成通りの「ロティガール」のプレッツェル。

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存在はちょっと前から知っていたものの、以前紹介した鎌倉駅の「Delifrance 鎌倉店」同様、太い部分にバターのフィリングの「ちょっと贅沢」系で結構お高い(500円)ため、試すのは後回しにしていたもの。いやまあ、美味しいけどね。

(2).新橋駅、ecute内の「le petit IMBISS(ル・プティ・インビス)」のプレッツェル。ドイツ風の「ちょい飲み屋」なのだが、なぜか店名はフランス語とドイツ語のちゃんぽん。プレッツェル等はテイクアウトもしていて、しかも(bergfeldほどではないが)お値段も比較的リーズナブル(プレーン:330円)。最も最近(土曜日)に、神保町に行くついでに寄って買ったもの。チーズコーティングのものもあったのでついでにそちらも。

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ラウゲン液(水酸化ナトリウム溶液)処理由来の革靴のような皮の色艶と硬さ、中身のきめ細かなもちっと感など、今まで食べた中では「おお、これが一番オレ的プレッツェル・イメージに近いかも」感あり。

……ロケーション的にも寄りやすいので、今度また食べよ。

●つい最近買って読んだ「ハクメイとミコチ」最新刊(第12巻)に、とある本の中に、まるっきり曖昧な描写で登場する「キュウリ・サンドイッチ」を、ハクメイが味を想像して試行錯誤する話が出てくる。当然、実物がどんなものだかは全く不明で、ハクメイは「自分が想像したソレ」を求めているだけ。ああ、オレのプレッツェル行脚って、まさにこれだなあ、と思った。

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鎌倉めぐり

Img20240101164200 ●年末から母の容態が悪いうえ、世間でも年明け早々に大地震や大事故が起きたりで、なかなか新年を寿ぐ感じにはならないが、とりあえず。

皆さま、本年もよろしくお願い申し上げます。

写真は元旦の夕方、鎌倉逗子ハイランドからの富士山。

●年末、ドイツ人Pが、「ドイツから姪っ子が出てきており、鎌倉を案内してほしい」というので、Pとその娘2人(長女と三女)、姪っ子、そして私の計5人で1日鎌倉を歩き回る。P娘2人はすでに社会人。姪っ子もドイツで保育士?をしている由。当日の行程は、

北鎌倉駅で待ち合わせ
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円覚寺
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東慶寺
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北鎌倉古民家博物館
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円応寺
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建長寺門前の店で昼食(けんちん汁)
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亀ヶ谷坂切通
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銭洗弁天
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佐助稲荷
 ↓(鎌倉駅前からバス)
高徳院(鎌倉大仏)
 ↓(長谷から江ノ電で鎌倉駅)
鎌倉浪花家でたい焼き
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鶴岡八幡宮
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鎌倉駅前で夕食

私の個人的な「鎌倉オススメスポット」は、なんといっても鎌倉期~江戸期の閻魔像・十王像ほかをかぶりつきで見られる円応寺で、それプラス、ドイツからのお客人が「え? 鎌倉に行って、あそこ見てないの?」と言われないように(誰に?)、大仏と銭洗弁天を組み入れて、後は適当に。冬休み中なので鎌倉中心部は混んでいるかな、と思ったのだが、むしろ年末は落ち着いた感じだった。

Pの娘2人は日本生まれ日本育ちなので、過去にも鎌倉に来たことがあるとのことだが、おおよそ満足してくれた模様。

浪花家のたい焼きは、ちょっと話をしたら「ぜひ食べたい」とP娘2人が言うので夕食前に立ち寄った。「欧米人は『甘く似た豆』というのが想定の範囲外で苦手(=餡子がダメ)」というのはよく言われる話だが、純ドイツ人のPも、Pの姪っ子も、平気な顔で食べていた。……あれ?

Img20231229095525 ●相変わらずブレーツェル(特にソフトタイプ)の探求続く。

鎌倉駅改札隣の「Delifrance 鎌倉店」でも売られているのを見てびっくり。とはいえ、1つ税込み530円という値段。いくらなんでも高過ぎだろう!と思ったが、物は試しに1つ買って食す。

皮の色艶、中身のもっちり感は良し。太いところの真ん中に、フィリングとしてバターが入っていた。そういうギミックありの存在は知っていたが、私自身が食べたのは初めて。塩味は(そのパターの存在も含めて)薄く全般に、の感じ。まあ、美味しかったけど、値段を考えると、もう買わないなあ。

ちなみに、上記散策の際に、P長女のJと「ソフトタイプのブレーツェルってなかなか売ってないよね」から始まり、「美味しいブレーツェルとは」で結構話が盛り上がる。

鎌倉Bergfeldのブレーツェルについて、「味と食感はいいと思うんだけど、キミのお父さんに写真を見せたら、『穴の大きさが揃ってない』って言われたよ?」と話したら、

「それは、単にひとこと文句を言ってみたかっただけだと思う」

と笑っていた。

Img20231227194316 ●ついでにいくつか食い物話。

KARDIで、変な、しかしなんだかちょっと見覚えのあるおっさんの絵付きのチョコレートを見つけた。

えーっと。これはいったいなんて読むんだ? すヴぇいく……?

とまで来たところで、あっ、これって「兵士シュヴェイク」だ!と思い至った。

「兵士シュヴェイク」は、第一次大戦前~戦間期のチェコで生み出されたキャラクター(作家ヤロスラフ・ハシェクの小説の主人公)。日本で例えるとなんだろう? 「兵隊やくざ」かな?

ただし、「兵隊やくざ」のように「無頼漢が軍にたてつく」というのではなく、チェコ人でオーストリア=ハンガリー帝国の一兵士であるシュヴェイクが、天然なのか故意なのか、(理不尽な)命令や規則を墨守することで、かえって上官やら軍隊組織そのものを混乱に叩き込む、という話(だったと思う)。いつごろ、何で読んだんだっけなあ。

ちなみにチョコレートは(当然ながら)チェコ製、「兵隊さんのチョコ」らしくラム酒味。

Img20240104211605 ●散歩中見かけた自動販売機。

ダイドードリンコ、攻めてるなあ……。たぶんこの先も買わないけど。

(でも寒い日に外で仕事で、温かいこれを渡されたら喜んで飲むかも)

●仕事先の事務所のC社長から、「インスタントの鶏飯なるものを貰ったんだけれど、話のタネにオマエにやろう」と言われて、おすそ分けされた。

インスタントみそ汁のように、一食分が直方体にフリーズドライされていて、それを米飯の上にのせ、熱湯を注いで食べるというもの。

C社長から事前に聞いていたように、具と呼べるものはあまり入っていないし、「ちょっとこれを『鶏飯』って言われると困っちゃう」ような内容だが、意外なことに味はそこそこまともだった。

●年明け早々、我が家の玄関を守っていた陶器のシーサーの「吽形」が真っ二つに。

このシーサー、平成元年に初めて(そして今のところ一度だけ)沖縄に行った際に購入し、その後しばらくして門扉両側に設置したもの。最初は「そのうちいたずらっ子とかに叩き落されないか」と心配していたのだが、その後30年余り何事もなく勤務に就いていた。

かみさんは「新年早々縁起が悪いなあ」というのだが、ここはポジティブに、マジムンだかヤナムンだかと激烈に戦い退けた結果である、ということにしておきたい。

左前脚の先の欠片が見つからず、ちょっと欠けたままになってしまったが、久しぶりにエポキシ系接着剤を練り練りして修復。門扉両側の塀の上に復帰させた。

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●前回、「同志少女よ、敵を撃て」の感想は次回に、と書いたのだが、長くなったのでまたいずれ。

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ブレーツェルは電気ブランの夢をみるか

●20日、仕事で初台に行く。どういう経路で行き来すればいいのか微妙に迷う辺りだが、行きは東横線/副都心線の新宿三丁目乗り換え、帰りは明大前で井の頭線に乗り換えて渋谷から東横線。

午後遅くの用事だったので小腹が空いていたこともあり、行きに横浜でTOMCATのプレッツェル(左)、帰りには(ネットで探して)西新宿のMORETHAN BAKERYのプレッツェル(右、セブンイレブンのコーヒー添え)と、2種のソフトタイプ(パンタイプ)のものを買い食い。

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TOMCATのプレッツェルは、以前に「なんだか、プレッツェルというより、『普通に美味しい塩バターパン』という気がする」と、(本場のプレッツェルを知っているわけでもないのに)したり顔で評価したヤツだが、たまたま店の前を通ったら、「焼きたて」の札付きでバットに並べられていたので、つい買ってしまった。焼きたてのためか「普通に美味しい」が「結構美味しい」にグレードアップしていた感じ。見た目は、革靴のような色艶が、いかにもBREZEL(ブレーツェル)な印象で良し(あくまで個人の主観です)。ちなみに、プレッツェル/ブレーツェル独特の色艶は、焼く前に生地を水酸化ナトリウム水溶液をくぐらせることで出るものである由(wikipediaより)。でもやっぱり、この店のはちょっとふかふかし過ぎかなあ(重ねて言いますが、あくまで主観です)。

MORETHAN BAKERYは新宿中央公園裏手の通りに面したホテル1Fにあるパン屋。仕事帰り、「近所にプレッツェルを売っているパン屋は無いか」と検索して、閉店数分前に滑り込んで購入。全体にねじりの入った、ちょっと変則形状。これも結構バター味強め。塩も局地的でなく、全体にまばらに均等に付いていて、部分的な太さ/細さの差もないので、どこからどこまで同じ食感と味を楽しめる。そのぶん、「うはー。そうかあ。これがブレーツェルかあ」感は薄いかも。美味しいけど。

●本国ドイツにおけるブレーツェルの立場というのは(ソフトもハードも)、おおよそ「ビールのおつまみ」というものなのだそう。先日会った兄弟分のドイツ人Pも、だいたいそんな認識だった。

しかし、基本、自宅で酒を飲まない私は、現時点ではビールのつまみとしてプレッツェルを食べたことがなく、もっぱらプレッツェルのお供はコーヒー。ただ、バター味の強い系のプレッツェルの場合は、結構これは合う、気がしてきた。

一方で、以前、「ビールと一緒でこそ真価を発揮するのでは」と書いたが、そもそも、日本人の感覚としてビールに一番よく合うのって、やっぱり揚げモンじゃね?とか思ったりする。

前にケン太さんに「ジンジャーエールと合う」というコメントを頂いたが、確かに甘い炭酸系には合いそう。お酒もサワーとか、甘いリキュール系のほうが、むしろビールより合うのでは?という気もする。表題に電気ブランを出したのは単に語呂の問題でしかないが、実は意外によく合うかもしれない。

なお、ドイツ人Pに、「今のところ気に入ってるプレーツェルはコレだ」と、鎌倉Bergfeldのものの写真(下)を見せたのだが、どうも「3つの穴の大きさが不均等」という点がお気に召さないらしい。え?こだわるのそこなの?

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●冒頭、MORETHAN BAKERYのプレッツェルと一緒に写っているコーヒーは、西新宿~初台間のセブンイレブンで買ったもの。

セブンイレブンのレギュラーコーヒーは、確か1,2年前から「軽いーふつうー濃い」の3段階で濃さを選べるようになっているのだが、その店舗のコーヒーマシンは、今年9月下旬から登場のさらに新型だそうで、「ふつうー濃いーもっと濃い」の3段階選択式になっていた。「軽い」の売れ行き、あんまりよくなかったのかなあ。ヘビーローストの濃いコーヒーが好きな私は、もちろん「もっと濃い」を選択。近所のセブンイレブンのマシンも更新されないかな。

●「ダンジョン飯」、遂に完結。

「そろそろ次巻が出る頃じゃないかなあ」などと呑気に構えていたのだが、いきなり本屋で13巻、14巻が並んでいてびっくり。「あれ? オレ、1巻買い逃していた?」と思ったのだが、2巻同時発売だった。

このマンガ、一応は「ダンジョンで竜に食われた妹を取り戻す」という目標はあるものの、最初はのほほんと変な料理番組ノリでダンジョン素材の料理を重ねていくばかり。しかも、何しろ料理の素材が最初から「現実に存在しないもの」なので、いわゆる「飯テロ」要素も薄く、なんとなくピントがボケてる?みたいなイメージを持っていた。

しかし、一度は救出・蘇生した妹がドラゴンキメラになり、さらにダンジョンの主だの悪魔だのが絡むようになると、急に話が深く入り組んできて、俄然面白くなってきた。くすりと笑える要素の挟み方も良い。

結末もなかなか素敵な締め方。

●以前からちょっとだけ気になっていた小説、「同志少女よ、銃を取れ」――じゃなかった、「同志少女よ、敵を撃て」だが、先日の関西行きの際にはるとまん氏からも薦められたので、図書館で予約。人気のようでだいぶ待たされそう、と思ったのだが、約一か月待ちで「本が用意できました」の連絡がきた。

ちょうど正月を挟むので、かなりのんびり読む時間が確保できた、と思ったのだが、読み始めたらほとんど一気に、2日で読み終えてしまった。感想は次回。

●米軍の上陸作戦に備えた洞窟砲台である「西小坪海面砲台」については当「かばぶ」でも何回か取り上げている。

今年初夏の大雨で崖面が一部崩れたことについても既報だが、その崖面の補修工事のため、もともと小坪と飯島/材木座を結ぶ「親不知」の崖縁の道だったと思われる場所がすっかり草刈りされていた。

一応、崩落の後なので簡易の柵が組まれて立入禁止となっているので、下写真はその柵のラインを越えない場所から写したもの(左)、と、その手前の庚申塔(右)。庚申塔も長らく藪の中に沈んでいたので、こんなふうに綺麗に並んだ姿を見るのは久しぶり。

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藪が切り開かれれば、もしかしたらこの辺りからでも南砲台の入り口跡を確認できるのではと期待したのだが、どうやらもうちょっと先まで行かないと見えないようだ。

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月の出

●12月1日、師走入り。

日が暮れてからちょっと家を出てみたら、月がやたら北寄りから上るところで、ちょっとビックリしてしまった。

冬の太陽は低く上るし、日の出・日の入りの場所も東西から南寄りにずれる。月の出・月の入りも、当然同じなのだと、なぜかずっと思い込んでいたのだが、実際には、

太陽とほぼ重なる新月の時は太陽と同じように冬は低く、夏は高く上り、太陽と反対側に位置する満月に近づくほど、冬は高く、夏は低く上る。

のだそうだ。国立天文台のサイトにある詳しい説明はこちら

あー。えーっと。そうなる……のか? 頭の中で下のような図に変換して、ようやく理解できた。

Moon

本日の月齢は17.7で、満月からちょっと欠け始めたあたり(言わずもがなだが、月齢15.0=十五夜が満月)。冬至も迫りつつある時季で、満月に近い今夜は、月は高く上る=真東よりも北寄りから上り、真西よりも北寄りに沈む、ことになる。

……その昔、大学入試(共通一次試験)を地学で受けたとは思えない基礎知識の浅さ。

なお、(国立天文台のサイトの最後にあるように)月の公転面の傾きに由来した数年単位の変動もあり、2020年代中盤は、そのためにさらに、満月の際の出入り方位のズレが大きく、南中時の高度が高くなっているらしい。

●相変わらずプレッツェルのマイブーム去らず。冬になったので、カルディのチョコ掛けプレッツェルも復活。鎌倉のBergfeldのパンタイプの「ブレーツェル」も時々食べる。下写真は先月初旬に、たまたま3種揃い踏みした時のもの。

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●食い物話2題目。鎌倉・大町のいかにも昭和な「街のパン屋さん」、日進堂のカレーパンが妙に美味しい。甘口と辛口があるが、私が食べるのはもっぱら辛口。確か1つ180円。

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なお、上写真にちらりと写っていて初めて気付いて、googleのストリートビューで確認してみたのだが、お店の英語表記が、

FRESH NIHSSIN BREAD

になっている。なんでそんなことにー。

しばらく考えてわかったが、要するに、「HSS」の部分だけパネルが上下逆になっている(回転している)らしい。お店にいるばーちゃんに言って直るかなあ。

●食い物話3題目。業務スーパーには輸入物の変な食べ物があれこれあって、時々衝動買いしてしまう。先日はトルコ産の「ハルヴァ」というお菓子を「物は試しに」とつい買ってしまった。

wikipediaにも記事が出ているが、どうもインドあたりからギリシャに至るまで、広い地域で食べられているものだそうで、おかげで地域による差も大きいらしい。業務スーパーで売られているトルコ産のものは、ゴマペーストをベースにして、特に他の具が入っているわけではないプレーンなもの。

見た目に何かしらのインパクトがあるわけでもなく、食べる前/途中で写真を撮り損ねたが、一言で言い表すと、「ちょっとしっとりめの落雁が、小さなタッパーいっぱいに入っている」感じ。前述のように主原料はゴマペーストらしいのだが、味は「ピーナッツバターがかった(これまた)しっとり目の落雁」。落雁っぽいとはいえ、しっとり目なのでスプーンで少しずつすくって食べる(フォークで食べようとするとぼろぼろ崩れる)。

……それなりに素朴な美味しさはあるが、それでも「小さめのタッパーいっぱいの落雁」を消費するには一週間くらい掛かった。いや、うん、美味しかったけど、たぶんもう買わない。

同じくトルコのお菓子だと、ロクム(いわゆるターキッシュ・ディライト)も売られていたが、さすがにこれはとことん甘そうなので手を出しかねている。それに1つ2つならいいけれど、一箱じゃなあ……。ファンタジー物の映画で、魔女が子供を誘惑するネタとして出てきたことがあるなあ……といううろ覚えを検索してみたら、「ナルニア国」だと判明。そういえばずいぶん昔に観たような。

なお、業務スーパーの怪しい食べ物で、割とよく買っているのは、ポーランド産の(ちょっと歯にくっつく)シリアルバーとか、チェコ産のチョコ味のグラノーラとか。中国産のひまわりの種とか、UAE産のデーツのチョコとかも何度か買ったことがある。

最近では韓国産のヤックァ(薬菓)も一度買って食べたが、これは簡単に言うと「油や蜜がべたべたする、花の形のサーターアンダギー」だった。もっともwikipediaで見ると、本格的なヤックァはもっと上品な/凝ったお菓子であるようだ。リトアニア産のシリアルはあまり美味しくなかった。

●門前仲町のピンバイス、親父さんが亡くなったのは聞いていたが、いよいよ閉店とのことで、年末に閉店セールをやる由。それも混雑を避けるために予約制なのだとか。行きたいけどなあ。なんとか軍資金を用意して行っても、不良在庫を増やすだけになりそうだし。

シブイ専門店が次々なくなっていく。

結局、生き残るのは繁華街の大型店だけなのか、と思ったら、秋葉原のイエローサブマリンのスケールショップも3日で閉店だそうだ。もっともこちらは、現在入っている古い雑居ビルの契約切れに伴うものだそうで、一応ツイッター(X)には「再び秋葉原でスケールショップ店の再開ができるよう努めて参ります」とある。

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御堂筋

●17日金曜日から2泊3日で大阪。

某国研主催の合宿イベントにスタッフ(の端っこ)として参加のため。

大阪に行くのは10年ぶり? いやもっと? などと思っていたのだが、改めて調べてみると、少なくとも8年ほど前に一度行っていた。もっともこの時は行き先が吹田の阪大で、新大阪を降りていきなり北上してしまったため、大阪の中心市街地に行くのは、やはり10年ぶり以上かもしれない。

今回の行き先は御堂筋沿い、淀屋橋と本町の中間くらい。泊りもすぐ近く。御堂筋はちょうど年末のイルミネーションの期間に入っていて、夜はイチョウ並木が派手にキラキラ。

そしてそのイルミネーションの写真ではなく唐突にマンホールの写真2枚(イルミネーションの写真も1枚撮ったのだが、微妙にブレていた)。

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久々の大阪で、今頃気付いたこととか改めて思ったこととか。

  • 今まで「御堂筋は、なぜ御堂筋という名前なのか」というのを(なぜか)考えたことがなかったのだが、淀屋橋から本町に下る途中で「北御堂」の前を通り、「ああ!これがあるから御堂筋なのか!」と改めて思った(正確には、その先の「南御堂」と合わせて、だが)。
  • 御堂筋って、あんなに広い道路なのに一通だったのね。
  • 週末ということもあってだが、土曜の晩に御堂筋を歩いていたら、暴走族がけたたましく走って行った。大阪って、こんな街のど真ん中に暴走族が出るの?
  • 我々以上の世代で大阪出身者以外だと、「御堂筋」という地名を知ったのは欧陽菲菲で、という人が多いのではと思う。ただ今回は「普通に降っている」か「からっと晴れている」かで、歌詞のような小糠雨のシチュエーションはなかった。調べてみて初めて知ったが、「雨の御堂筋」ってベンチャーズがオリジナルなのね。
  • 本町まで歩いて、高速の高架下にある商業ビル「船場センタービル」を見て、いまさらのように「ああ、この一帯が船場だったのか」と知る。何か、東京でいえば茅場町とか人形町のような問屋街を(勝手に)イメージしていた。まあ、お店(たな)が集まっていた場所といえば、東京でも日本橋だもんな。
  • 一帯の街区は碁盤の目で、大阪城(東にある)を基準に縦(東西)の道路が「通」、横(南北)の道路が「筋」で、もともとは縦の「通」が表通りだったそうだ。2へーくらい(古い)。
  • 3日目の日曜日、淀屋橋から京阪に乗ったが、「京阪のる人、おけいはん」のポスターやら何やらを見ず。「ああ、もう、おけいはんっていなくなっちゃったのか」とちょっと寂しく思ったが、調べてみたらちゃんと「8代目おけいはん」が現役であるらしい。

Img20231118123145 ●せっかくこんなに近くまで来たんだから!ということで、2日目の昼休みと、3日目のイベント終了後の2回、久しぶりに本町のホビーランドに行く。

「**があったら絶対買おう」という宛も特になく、ちょっとムラムラ衝動買いしたくなるネタはないではなかったが、結局何も買わなかった。

とはいえ、相変わらず品揃えのいい、しかも店内スペースがゆったりしていてあれこれ見やすいお店だなあ、という印象。これならアオキも通路に詰まらん。

●これまたせっかくの関西、しかも3日目は割と早めに仕事が終わるということもあって、はるとまん(たまん)氏に連絡を取り、京都駅で待ち合わせる。生身のはるとまん氏に会うのは、それこそ何年振りやら(オンライン飲み会では数か月ごとくらいに会っているが)。目の疾病の悪化で白杖を突いているたまん氏だが、それを除けばまあまあ元気そう。お互い歳はとったけどね。

京都駅近くのヨドバシでたまん氏の買い物に付き合った後、上階の居酒屋で差しで飲み食い。

おそらく30年くらい借りっぱなしだったホビージャパン1冊(大塚康生先生のガンポーティの記事が掲載されている号)をようやく返却。もう1冊、エデュアルドのモランソルニエNの記事が出ているモデルアートを借りているらしいのだが、そちらは(出張前の晩の数時間の捜索では)見つけられなかった。

Img20231122013944 逆に、たまん氏から資料本を一冊頂く。「このネタならこの人だよなあ」の安定のザロガ先生本。一冊返して一冊貰ってるんじゃ世話ないなあ。

●たまん氏との酒席の話あれこれ。

最近とみに粗製乱造されている「なろう系」アニメについて、たまん氏の愚痴を聞いたり、「**はひどいが**はいい」とか意見交換したり。

「四式戦疾風が687km/hを記録した」という話を初めとして、大戦末期の日本軍機が、米軍による試験で、ハイオクタン燃料を使って高性能を出した話はいろいろあって、従来の当該機の資料には必ず引かれているくらいなのだが、どうやらアレは誤報だったのだそうな。

米軍側の資料では当初推計値(計算値?)が書かれていて、その後実際に飛行して計測が行われれば書き直されるのだが、疾風その他の場合は当初の推計値がそのまま書かれており、それが「実測値」と誤解されて広まってしまったというのが真相なのだそうだ。まあ、そもそも工作不良が続出している大戦末期の日本機のエンジンに、いきなりハイオク燃料突っ込んで全開とか、怖くてなかなかできんわな……。ネットに上がっている話だそうなので、もっと詳しく知りたい人は検索するよろし。

似たような話で、大戦末期のドイツ機、例えばフォッケウルフ190D(長っ鼻ドーラ)も、「実はそんなに評価は高くなかったらしい」とか。

そのへんも含めて、「昔はこれが決定版!とか言われてた資料が、今ではもう古いってのが多いよなあ」と言い合う。「根っからのドイツ機マニアでもないのに、なんでそんなもん持ってるんだって話だけど、うちにはMONOGRAM Close-UpシリーズのBf109本が何冊かあるんだよ」と言ったら、たまん氏に「いや、本当になんでそんなもん持ってるんだよ……」と呆れられる。一冊一冊は薄いし高い本でもなかったから、何かのはずみに買っちゃったんだよな。でもすごく評価高かったよねえ、あの本。今はまるっきり二束三文だろうなあ。

逆に、「最近になって、『**は**だった!』と話題になっていることが、実は**年の記事にもう出てるんだよ」という例もある、という話を聞いたり(何がそうだったかの具体例は忘れた。役立たん)。

たまん氏が秘蔵している「ちょっとやばいブツ(法に触れる物ではない)」の話を聞いたり。その昔、たまん氏の腹の「ブヨブヨ感」を笑っていた青木氏の体重が「それどころじゃない」状態になっていることを報告したり。エトセトラエトセトラ。

●ちなみに。

冒頭2行目に「某国研」と書いたが、国研は「国立の研究機関」の略として使っている。……という用法が普通だと今まで思っていたのだが、デジタル大辞泉には、国立国語研究所もしくは国立教育政策研究所の略称としか出ていない。

もっとも内閣府のサイトにも「国研のチャレンジ」としてさまざまな国立の研究機関(正確には国立研究開発法人)が紹介されているから、私の用法は間違ってはいないはず。デジタル大辞泉、なんで狭義しか出てないかね?

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NOIW AND THEN

●11月2日付で、ビートルズの“新曲”、「NOW AND THEN」が発表された。

すでにビートルズが解散して50余年、ジョン・レノンが亡くなって40余年、ジョージ・ハリソンが亡くなってからでも20年以上経つ。

発表された“新曲”は、90年代の「アンソロジー」に収録された「REAL LOVE」と「FREE AS A BIRD」同様に、ジョンが残したデモテープの音声データを加工し、新たに演奏やアレンジを重ねたもの。

 

世の中的には「新曲が聞けて嬉しい」「こういう形であれビートルズが復活して感激した」的な声が大きいような感じだが(プロモ込みのニュースの論調でそうであるだけかもしれないが)、私自身としては、何度か聞いているうち、

「未完成の歌をいじくりまわして無理にサイボーグ化して生かすよりも、もう、そのままそっとしておいてあげようよ……」

という気になった。

「REAL LOVE」、「FREE AS A BIRD」に関してはそこまで思うことはなかったのだが、「NOW AND THEN」ではなぜことさらにそう感じたのか、後付け的にいろいろ考えてみる。

「REAL LOVE」、「FREE AS A BIRD」の場合は、曲がりなりにも1曲として完成しているが(サビでポールやジョージがボーカルを取っている部分も、元のデモテープでジョンのボーカルですでに入っている)、「NOW AND THEN」はそれらに比べ完成度が低く、元のデモから「あまり練られていない部分」をごそっと削り落とし、残った部分をあまり不自然にならないように繋いだだけ……な感じ。まあ、悪くはないかもしれないが、なんだか平凡?

ビートルズの曲のうち、ジョンとポールの共作は、特に後期になるにしたがって、相手の作った部分に「合わせる」のではなく、むしろ場合によっては「打ち消してやろう」くらいの気持ちで「競う」イメージがあって(私が勝手に思っているだけかもしれないが)、それが緊張感や曲の面白みに繋がっている、と思う。しかし、今回の「NOW AND THEN」には、そういう“尖った”新作部分もなく、なんというか、ジョンの原曲の雰囲気を壊さないように綺麗に繋げてみました、くらいの感じで、あまり面白みがない。

もともと、アンソロジー・プロジェクトにおいて、「NOW AND THEN」も「REAL LOVE」「FREE AS A BIRD」とともに「新作候補」に上がっていたものの、ジョージが反対し、この時はお蔵入りになったのだという。その理由について、「当時の技術ではジョンのボーカルを綺麗に抽出できなかったから」としているニュース等もあるが、、wikipedia記事には、「ジョージがやりたくなかった理由は、この曲にボーカルを多重録音したり、ベースやドラムを少し重ねて完成というものではなく、ジョンが作ったわずかなパートを基にほとんど1曲を作り上げることだったからだ」(とあるスタッフの証言)、「でもジョージはこの曲をやることを望んでいなかった。最も良い方法はジョンともう一度取りかかるほかなかったから」(ポールのインタビュー)などのコメントが引用されている(wikipedia記事の注釈)。

実際、この新たに出来上がった「NOW AND THEN」を聞くと、ジョージの反対は妥当だったと思う。何というか、ジョージも亡くなったからこそ、ポールのやりたい放題で出てきた曲というか。さすがに「これからもビートルズで儲けたい」などとは思っていないだろうが、「何か出し続けていたい」というポールの妄執のなせる業というか。

曲と同日に発表されたMVも、今日の技術を使って非常に美しく作られている。「REAL LOVE」「FREE AS A BIRD」のMVは、ビートルズとその時代、ビートルズのさまざまな曲の中の風景をコラージュして振り返るといった内容だったが、「NOW AND THEN」のMVは、曲作りの光景の中に、在りし日のジョン、ジョージ(そして過去のポールやリンゴ)の姿を散りばめて、「彼は今もそこにいる」を印象付けることを真正面に打ち出したもの。

いや、よく出来ている……し、ファンとしては見ていてじーんとしてしまうのは確かなんだけれど、一方ではあざとさも感じる。

いや、「せっかく新曲が出たんだし、それだけで嬉しいんだからぐちぐち言うなよ」と思った方がいたら、どうも済みません。

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東京AFVの会2023

●「今年は早いんだよなあ」と判っていたはずなのに、具体的な日付を忘れ、ケン太さんのコメントで大焦りした東京AFVの会。

一昨日時点では、「行けるかどうかは今日のこれからの頑張り次第?」と書いたのだが、結局、その「今日(一昨日)」はあまり頑張らなかったのだが、なんだかんだとやるべきことを全部放り出したまま、昨日は下北沢に向かってしまった。

「開催日も忘れてたくらいだし、実は会場もいつの間にか変わってないだろうなあ」などと急に不安になって、行きの電車の中であわてて検索してみたが、会場は例年通り北沢タウンホールで安心した。

前回書いたように、展示すべき完成品は何もないので、のんびり家を出て、昼過ぎに現地着。そういえば、今年のテーマは「1930年以降の英語圏(の車輛)」とかだったはず。それを念頭にアルビオン燃料補給車を作っていたんだったっけ、と改めて(現地で)思い出したりする。ダメダメな感じ。

●現地で作品をつらつら眺め始めたあたりで、ハラT青木氏ほか、昼食から帰ってきた旧知の人たちに会う。

「青木さん見て、どう思います?」

と誰かに聞かれたが、いや、もう、見るたびに膨らんでいっているように見えるのはいつものことだから! 赤色巨星の道を歩んでるから! つーかマジ身体に気を付けてくれ。

ミカンセーキさんと「お互いブログの更新もせず……」と傷を舐めあったり、ケン太さんにM1エイブラムスを強く薦められたり(作らないってば!)、M.Nさんやめがーぬさんにいきなり作品解説を強要したり。当ブログの製作記が出発点のhiranumaさんのwz.34装甲車が完成していた。やはりコツコツ着実に作る人は違う。

会場で、ものすごく久しぶりに“ラスカン”高橋さんにもお会いした。

●例によって、まったく網羅性はなく、写真に収めるにあたっての基準なり一貫性なりも全くない作品集。とりあえず友人知人のものを中心に、適当にその場で「んー。これいい」と思った作品とか、好きな傾向のアイテムとかを撮っただけ。ジオラマやフィギュアの写真が(改めて見返すと)少なかったりなかったりするのは仕様です。

今年のAFVの会の力作といえばアレだろう! なんで撮ってないんだ! 貴様の目は節穴か!?

と思う方がいるかもしれませんが、はい、その通りです、と言うしか。

とりあえずは友人知人の作品から。

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めがーぬさんのディアーナとMk.I。いずれも72。ディアーナはACE、ディテールはよいものの(型ズレがあったりで)難キットである由。Mk.IはMBで、私も雌型を組んだが(組んだだけで塗っていない)、非常にきっちりくっきりした佳作キット。めがーぬさんの作品は中東仕様?(フランス・ソンム戦線の仕様だそうです。どうもすんません)

ミカンセーキさんのタミヤの軽装甲機動車(←名前があやふやで今調べた)。「高速でよく見かける仕様(アンテナ位置) 」に小改造してあるとか。ミカンセーキさん、現用も作るんですねえ。

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M.Nさんのトルディ・ジオラマとケン太さんのIV号F型VORPANZER仕様。トルディ&オペル・オリンピア(だっけ?)のジオラマは以前のSUMICON参加作品。よくあのボキボキ折れる履板パーツを、こう滑らかに地面になじませて繋げましたね、と言ったら、「フリウルに交換した」とのこと。あー、やっぱりあれは扱いづらいよねえ……。

ケン太さんのIV号はボーダー。この辺の新興メーカーのキットは一つも買っていないが、ケン太さんの感想だとそこそこいい感じ? ただ、改めて写真を見ると、車体後部のクリーニングロッドの本数が、長砲身向けのような(キットのパーツがそうなっているらしい)。

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精力的に作品を完成させているなあ……と感心するシェルさんの中東もの三作と、悪評高いドラゴン黒箱シリーズのコンカラー。南レバノン軍のT-55の青は、一応これでも現地の岩砂漠?に合わせた迷彩色だそうで、そんなことが書かれた資料も見せてもらった。コンカラーは輸送途中に「転輪が1つ取れた」そうで、取れた転輪は「(接着せずに)置いてあるだけ」だそうだ。展示会作品輸送あるある。

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1枚目は中尾さんの1:15、イマイのIV号。facebookなどでも見ていたが、「小学校の頃に買って作って、しまってあった作品を、改めて、どうしても気になる部分に手を入れて(かつラジコン仕様にして)作り直したもの」。中尾さん、いつも思いますが物持ち良すぎです。スケールモデルとして手を入れた個所は、主に砲塔プロポーション。元の今井のキットの特徴は残しつつ、見栄えよく仕上げていて、「懐かし部門」1位になっていた。っていうか、「懐かし部門」は中尾さんの独壇場(昨年はコロナ罹患でお休みされていたが)。

2枚目はhiranumaさんのwz.34。出発点は前述のように当ブログの製作記だが、私は工作7~8割のところで止まったまま。その残りの部分を中心に、結構解釈の違いなどもあって面白い。私が「銅板で作るかなあ」と材料の手当てだけしてあるフェンダーは、薄いプラバンをしごいて曲げているそうだ。

3枚目はむーさんのフィアリー企画製?のちよだ装甲車(+スキ車)。あとの3枚は、その横に並んでいた、別の方のフェアリー企画製装甲車3輌。フェアリー企画なのに綺麗にできている……。棚の奥底に沈んで行方不明の私のウーズレー装甲車も、そのうち成仏させたい。

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あとは、適当に撮り残してあったものをだーっと。マチルダIは昔のアキュリットのものだそうな。試作のみに終わったズリーニイIは、まさにその試作感を前面に出したジオラマ。こういうのって、私は一生作れないだろうなあ。その次はT-64……のB型?(あやふや)。追加装甲のおかげで、小さな砲塔がますます小さく見える。

次2枚はブラチのソミュア・ハーフトラックの自走砲。私が以前作ったものはこれの原型にあたり、足回りは同じなのだが、さすがブラチのものは足回りのパーツのいちいちがシャープ。羨ましい。

その次はアヴェンジャー? 工作途中だが、こういう工作途中は見ごたえがあって楽しい。うーん。工作綺麗だなあ……。

●M.Nさんから見せてもらった、「まだ未完成ですよ」のIBGの1:72 ズリーニイと、昨年も見せてもらった、FC Model Trendsの1:35 グノーム・エ・ローンのサイドカー。これ、切り離す以外にほとんど「工作」するところ、ないよね……。

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FC Model Trendsといえば、先日久々に行った秋葉原のイエサブで、タミヤのユニバーサル・キャリア用の、足回り代替パーツ(履帯と転輪・起動輪・誘導輪が一体成型されたもの)を見たのだが、履帯のガイドホーンが痕跡程度しかないうえに、履帯の接地面のリブも薄く、履帯全体がなんだかペラペラした印象だった。「あれって、そういう仕様の履帯があるわけじゃないよね?」とM.Nさんに聞いてみたが、M.Nさんも「そうじゃないのでは」との返事。3Dプリントの「ミスプリ」みたいなものなんだろうか? さきほどFC Model Trendsのサイトで商品画像を見てみたら、きちんとガイドホーンは生えていた。とにかく、3Dプリント製品にはそういうケースもあるのかも、という注意喚起を兼ねて。

●話のタネに持って行ったドラゴンSU-100の作りかけを、青木氏に

「ククク……何か言うことがあれば言うてみい。ほれほれ」

という気分で見せたところ、開口一番、

「この砲身、戦後型ですよ」

とバッサリ斬られた。ぐは……(血)。

もともと、kakudouさんから頂いた金属砲身を有効活用するというのが製作開始のきっかけの一つだったりするので(もう一つは、やはり頂き物のminiarmのレジンの転輪)、「どうすんだよコレ」状態。いやまあ、戦後型だということなら、なんとか戦中型にするしかないんだけれども。

さらにその後、ラジエーターグリルの一か所が内外逆に接着してあることも判明(老眼工作の弊害)。追加ダメージ+5。

なお、グリルに関しては、マンリーコさんに伝授された「秘技エナメルシンナー剥がし」で無事に取り外すことができ、正しい向きで再接着できた。よかった……。

●閉会後は、毎年の通り皆でサニーに寄って(何も買わず)、その後、「鳥貴族」であれこれ模型談義(+α)。メンバーは青木氏、ケン太さん、ミカンセーキさん、めがーぬさんと私の5名。ケン太さんが結構ちまちまと手を入れて製作中の、フジミ76のJS-II・1943年型を見せて貰ったりする(写真を撮り忘れた)。喫茶店にハシゴしてさらにあれこれ喋って解散。では諸君、また何かのイベントの折に~。

●なお、東京AFVの会の来年の課題は「砂漠」だそうだ。ネタ……ぱっと思いつかん。いや、別に完成させるなら課題作じゃなくてもいいんだけどさ。

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ずしのむし

●すっかり御無沙汰ですが生きてます。

(前回も書いたが)季節労働の追い込みはいよいよ切羽詰まってきており、地域の自治会役員の仕事も滞っていて、もう泣きそう。

そして、先日ケン太さんからコメントを頂くまで開催日を忘れていた「東京AFVの会」が、もう明日(それ以前に何度かネットで確認して、「今年はだいぶ早いぞ」と思っていたのに)。行けるかどうかは今日のこれからの頑張り次第? 行けるとしても、当然ながら、持っていく完成品は何も無し。

●表題の話。

当ブログにもしばしば載せているように、あちこち歩き回る合間に虫(主に昆虫だが、その他の小動物含め)の写真を撮るのが、模型ほどではないにしろ趣味の一つ。

写真それ自体はまったくの我流だし、機材も何も追加していないスマホのベア状態の撮りっ放しでしかないのだが、それでも、「数撃ちゃ当たる」式で、たまにはなかなかいい(自画自賛)クローズアップ写真が撮れる。

そんな写真が、「まあまあ」以上を選んでも300~400種類分くらいは貯まってきたので、特にご近所(逗子市内+α)のものを、写真と短い解説文でまとめておきたいと思うようになった。逗子に引っ越してきてからすでに30年近く、虫の写真を好んで撮り始めてからでも10数年は経っているが、その間にも、「最近、アレ見ないなあ」とか「やけにアレが増えてきたなあ」など、変化を感じることも増えて、何かしら記録に残す意味もあるのでは、と考え始めたのも理由のひとつ。

実を言うと、数年前にもそう思って何ページか分は試しに作ってみたのだが、2年前?のHDDクラッシュで見事消失。もっともその後も虫の写真は貯まり続けているので、「なんとかしとこか」という気持ちがまたもたげてきた、という次第。

Sample01改めて1ページ作り直してみたのが右だが、もともとレイアウトのセンス等はあまり備わっていないので、「暫定の暫定案」程度。今考えているところとしては、

  • 制作に個別に手間は掛けたくないので、できれば統一フォーマットを作って、そこに写真と文章をはめればOKという形にしたい。
  • ただし、写真は横位置と縦位置のものが混在している(撮った時の対象の姿勢などにも関わっているので、これは仕方がない)ので、少なくともそれぞれ用のフォーマットは必要になる。
  • また、使っているスマホの機種変更によって、縦横比が違う写真がある。できればトリミングなどの余計な手間は掛けたくない(が、そのまま使うとなると、ここでまたフォーマットが2種増えてしまう)。
  • できれば「写真1枚+文章」に収めたいが、種によっては2枚以上の写真を使いたいものもある(性的二形の差が大きいとか、翅の裏表を見せたいとか)ので、それへの対応も課題。
  • とりあえずはPDF形式にしてデジタルで保存するだけでなく、プリントしてバインダー形式にしておく?(と、目・科・属別に整理した時に、後から追加しやすい)

などなど。

Img20231005163910 ●相変わらず、プレッツェル(ブレーツェル)のマイブーム継続中。

前回記事で、スナックタイプのプレッツェルのトルコ産のものを紹介したが、パンタイプのプレッツェルも、横浜駅CIEL内のパン屋、トムキャット・ベーカリーでも売っているのを知って試してみた。

見た目はちょっとふっくらした感じ(お店のサイトに出ている写真とずいぶん感じが違うのはどうしたわけだろう?)。食べてみた印象は……。

「普通に美味しい塩バターパン」

の感じが強い。いや、一般的にはこっちのほうが「美味しい」と思う人は多いかもしれないんだけど、正統的な「ブレーツェル」感は鎌倉の山田さん(Bergfeld)に負ける。でもって、私は山田さんのほうが好き。

Img20231102132608 ●模型話もちょっと。

(割としばしばそんなことを言っているが)仕事が煮詰まっているときは「しっかり考証しながら工作を進める」のではなく「無心に単純作業をする」のを息抜き代わりにすることが多い。

今回それで取り出したのは、ハセガワの1:8「ル・ローヌ110馬力エンジン」。

同社がかつて出したミュージアムモデル(と銘打った)、フォッカーDr.Iからの別売で、同じくフォッカーDr.I搭載のシュパンダウ機銃、シリーズの別製品ソッピース・キャメルF.Iからの別売として、クレルジェ9Bエンジンとヴィッカース機銃も出ていた。

その昔、シュパンダウとヴィッカース機銃は作った(そしてどこか行ってしまった)。クレルジェは未組立で棚で仮眠中(熟睡中?)。

ル・ローンは初期のもっと低馬力のものも含め、多数の航空機に搭載された大ベストセラーのフランス製ロータリー・エンジン(マツダのそれではなくて、「エンジン自体が回る」という意味のロータリー)。フランス製なのに、なんで敵国ドイツのDr.Iに載ってるねん、という話だが、これは第一次大戦前にきっちりライセンス契約が結ばれている。もっとも、110馬力の9Jが開発されたのは戦争が始まってからだから、やはり若干のパチモン要素はあるかもしれない。

個人的には、ハセガワは(もちろん国内メーカーだけにある程度以上の質は保持されているものの)「ちょっと信用ならないところがある」印象があるメーカーだが、このル・ローンはそれなりによくできていると思う(と、言い切れるほどル・ローンのエキスパートというわけでもないが)。とはいえ、組立上の一大課題は、張り合わせ式のシリンダーの、細かいフィンの間にしっかり張り合わせラインが出てしまうこと。

ナイフでほじほじというのも間に合わないし、極細のヤスリも入らないので、結局は800番のペーパーを2つ折りにして、その折り目部分を突っ込んでヤスリ掛けをした。

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左写真、左側が作業後、右側が作業前。それなりに目立たないレベルまで消せていると思う。

なお、数日前、この作業をしながら何の気なしにシリンダーの数を数えたら、本来9本あるべきところ、8本しかない! 作業の途中で失くしたのか? それとも、そもそも過去いじっているときに、どこか別の場所に間違えて入れてしまったのか? ……と思って焦ったのだが、しばらくして、自分が座っているすぐ脇の、別の模型箱の上に1つぽつんと立っているのを発見した。

というわけで、めでたく9本に戻った記念撮影が右写真。手前右に転がっているのは、ル・ローンのシリンダーのヤスリ掛けの前に作っていた、SU-100用の増加燃料タンク。「それこそ、パーツを張り合わせるだけだろう!」と言うなかれ。SU用のタンクはちょっと面倒なのだ(という話はまたいずれ)。

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