かば◎の迂闊な日々

戦争と模型

●「オレ、この戦争が終わったら結婚するんだ(or 告白するんだ)」というのはラノベ系でよく言及される死亡フラグだが、

オレ、この戦争が終わったらズベズダの新製品を買うんだ!

というのは、いったい何のフラグを立てていることになるのだろう。

(別にこんな言い訳がましいことを書く必要はないと思うが)一応断っておくと、決して私自身はロシアのウクライナ侵攻を支持してはいない。ただ、現行の政権の行為へ反対の意を表するのと、その国・地域の文化や文物を拒否するのは違うと思う。もちろん、「ロシア製品を買う」ということは、些少であってもロシア経済を回すことにつながるので、少なくとも戦争が続いている間は買いづらいし、ズベズダという会社そのものがプーチン政権/ウクライナ侵攻を積極的に支持する姿勢を打ち出しているとかいうことになると、それまた話が別だけれど(してないよね?)。

ズベズダの比較的最近の製品といえば、私はSU-85、T-28、T-35を買っているが、直近の新製品では、STZ-5トラクターはできれば欲しい一品。T-34の「フォルモチカ」(ズベズダの製品名だと「ウラルマシ」)もそのうち買おうと思いつつ買いそびれたまま(T-34 1942~43年型は、ドラゴンのキットがあまりよくないので)。

もっとも、現在のこの情勢下では、ウクライナ製の模型が(輸入ルートが万全に機能しているといい難いので、その辺の不安定さはあるものの)それなりに購入できる一方で、ロシアとの間の貿易や決済がどんどん絞られていて、ズベズダ製品はぱったり入ってきていない模様。仮に戦闘そのものが何らかの形で終了もしくは沈静化しても、ロシアとの交易自体が復活するのはいつになるのか判らない。下手をすると、再びズベズダの新製品を普通に買うことができる時代は、当分戻ってこない可能性もある。

それを考えると、冒頭の一言は「ズベズダ新製品は金輪際買えなくなるフラグ」かも……。

●それにしても、世界のどこかでは常に戦争が起こっているのに、今回のロシアによるウクライナ侵攻は、特に日常との「圧倒的地続き感」が強い(むしろ、湾岸戦争にしろイラクにしろアフガンにしろ、いつもどこかで「遠い国の他人事」的感覚でいたというほうが正しいのかもしれない)。単に戦争当事国の両方とも、そこから模型をよく買う国だというだけじゃなくてね……。

ともあれ、普段、「戦争に使われる兵器のプラモデルを趣味で作っている」身としては、実際にそうした兵器が人々の命や生活を脅かしている事態が現実に起きていることを見せつけられると、どうにももぞもぞと居心地が悪い(たとえ自分の趣味の中心は昔に終わった戦争に使われた兵器だとしても)。

ここで、「普段、兵器の模型を作って、その背景なども調べているからこそ、戦争の悲惨さについてもよく判る」などと言い訳がましいことを言うつもりもない。もちろん、そうした知識を得やすくなることは確かだと思うが、それによってモデラー個人がどういう主義思想に至るかはその人次第で、実際にモデラーの内の会話を聞いていても、右もいれば左もいる。一方では変に決めつけてくる者もいて、旧「河馬之巣」HPをやっていた頃には、ネトウヨ系の人から「同志と見込んで云々」というお便り(BBSへの書き込み)を頂いたこともある。勘弁してくれ。

今回の戦争で模型関係のSNSなどを覗いていても、「ロシア戦車は当分作りたくない」とか言う人もいる(屁理屈じみたことを言うと、T-34は“出身”がハリコフ機関車工場だからウクライナ戦車だよ!と強弁することは可能かもしれない。もっとも設計主任のコーシュキンもモロゾフもロシア人だと思うが)。あるいは、「ちょっと当分兵器のプラモ自体作りたくないかも」という人もいるかもしれない。「いや、模型は模型なんだし、現実の戦争と関係ないでしょ」という人ももちろんいると思う。そのどれが正しいと言うつもりもまたなくて、その辺もまた、自分で自分の「落としどころ」を見つけるしかないのだと思う。

私としては、前述のような「もぞもぞ感」を感じつつも模型は作るだろうが、できれば、さっさと戦争は解決してくれて、もうちょっとその「もぞもぞ感」が軽減された状況になって欲しいと思う(兵器の模型を作っていること自体は変わらないので、今次の戦争が片付いても皆無にはならない)。

何か、こんなことを書くこと自体も少々言い訳がましいけれど。

●自宅PCの外付けHDDが昇天してしまった。

突然、「かーちゃ?かーちゃ?かーちゃ?」みたいな異音が続き、作業中のファイルが反応しなくなり、結局、その外付けHDDを接続したままではPC自体が立ち上がらなくなってしまった。外すときちんと起動するので、とりあえずこうして「かばぶ」は更新できる。

しかし、外付けのHDDに入っていた多量のデータが失われてしまって半べそ状態。もちろんHDDはいつかは壊れるものだし、同じHDDを2つ用意して片方に常にコピーしておくとかいった、きちんとしたバックアップ体制をとっていなかった私の自己責任。それにしても、もうちょっと何かしらの前兆とか、壊れるにしても若干の「あれ、おかしいな」期間があってくれれば……。

以前のHDDから移したものも含めて、過去の仕事の記録が全部飛んでしまったが、これについては、偉い作家さんとかではないので将来的に「かば◎全著作集」など編纂される可能性も皆無。実際に現在の仕事で参照する必要が出てきそうな最近のものは、内臓HDD側にあるメールのログである程度カバーできるので、比較的軽傷。ただし、実際に不具合が発生した時に作業していたものは保存できず(したがって仮に外付けHDD内のデータが復旧できてもこれは復活できず)、その資料の大部分も失われてしまって、これは大問題。

個人的にショックが大きいのは、ネット上で漁った模型関連の資料(主に写真)の集積がごっそり焼失してしまったことで、ある程度は再び集めることができるとしても、元のサイト自体がなくなってしまったもの、不明なものなども多い。ちなみに、今になっては資料的価値は低いものの、「小国空軍/小国陸軍キットリスト」や「シャール・ファイル(WW2フランス陸軍キットリスト)」、「KVマニアックス」などの旧河馬乃巣時代のコンテンツも全消失。

●一方で(前回の更新時に書きそびれたが)スマホ(Android)を新調した。2016年末から使っていた前代スマホは、さすがに機能的にも動作的にもあれこれ不調が出てきたため(実際には、不具合発生による無償交換などで、その間2回ほど同一機種でリニューアルしている)。前回記事で、添付の写真の縦横比が2種類あるのは、撮影したスマホの機種が変わったため(より横長なのが旧機種)。

利用しているのはJCOM(SIMフリー)なのだが、JCOMで売られている機種変更のラインナップは著しく機種数が限られていてイマイチだったので、ネット上で(本来はY!Mobile用の)中国製スマホ(OPPO Reno5A)をかみさん分とともに購入した。

ちなみにJCOMはauの回線なので、今回(2日土曜日)発生のトラブルはもろにかぶってしまい、現在、電話は不通(日曜夕には復旧していた)。

●母が一時体調不良。数日ほとんど食事をとらないとか、湿疹が出たとかで心配したのは収まって一安心していたら、同居の兄から急遽連絡が来て、せん妄状態(意味不明の言動)という。ちなみに普段の母は、認知症のため物忘れはひどくなっているものの、行動そのものは割としっかりしていて、足腰は弱っておらず自分のことはだいたい自分でできる。

かなり気をもんだが、翌日にはまるで普通に戻っていたとのこと。とりあえずはほっとしたが、今後もこのようなことはあり得ると思うので心構えをしておく必要がある。

●そんなこんなで身辺あれこれありすぎ、前回書いた「何とか徐々に復調したい所存」がなかなか果たせずにいる。

っていうか、とにかく消えちゃった直近の仕事を何とかせにゃ。

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帆船恋路のその後

●身内に不幸があったり、なんだかんだで仕事も低調、趣味の模型もすっかり手付かず。当ブログの更新もすっかり丸一か月も開いてしまった。

何とか徐々に復調したい所存。

●そんな中ではあるが、先の日曜日(19日)、逗子海岸で磯焼け対策のウニ採りイベントがあり、息子一家と参加してきた。息子のところのチビがサーフボードをなぜか「はんしぇんこいじー」という謎名称で呼ぶ話は前回書いたが、今回、海にいく途中で見掛けたサーフボードを指して「ほら、はんしぇんこいじーがあるよ」と言ったら、真顔で「さあふぼおどだよ?」と返された。

……子供が大人になるって早いね。ちぇ。

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小一時間の間に採ったウニは上写真のような感じ。おおよそ99.9%がムラサキウニで、わずかにバフンウニも混じっている。このウニは土だのなんだのに混ぜ込んで堆肥にし、農業利用に回されるらしい。その「ウニ堆肥」で作ったニンジンをお土産にもらった。

加えて、ちょっと大きめのウニも選って貰って帰ったが、身が細っていて、割る手間を考えるとイマイチな感じ。

●ついでに、晩春~初夏の近所の「野山の恵み」あれこれ。

5月はキイチゴの季節で、このあたりで美味しい野生のキイチゴ4種のうち3種が実る(もう1種のフユイチゴは冬のさなか)。以前は一番身近だったモミジイチゴは(よく食べていた斜面がコンクリートで固められてしまったので)今年はとうとう食べられなかったが、カジイチゴとクサイチゴはそれなりにたっぷり食べた。

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1枚目がカジイチゴ、2枚目はクサイチゴ。クサイチゴは山歩きのおやつに持って行った「小倉マーガリン」コッペパンにこれでもかとトッピングした(昨年末のフユイチゴ以上)。3枚目はキイチゴではないがやはりこの季節に美味しいクワの実。4枚目はグミの実。見た目はものすごく美味しそうだが、味はそこそこながら、後味の舌触りがちょっとヌメッとしていていまいち。

そして、梅雨時に入るころから旬になるのがマダケのタケノコ。

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今季はすでに5,6回は収穫して、ピリ辛メンマ風の炒め(2枚目)を筆頭に、天ぷら、土佐煮(3枚目)、焼きタケノコ、その他煮物や炒め物への投入など、だいぶバリエーション豊かに楽しんだ。穂先近くの柔らかい皮(姫皮)も別にとっておいて、スープ他の具として活用。CARDIのパクチースープに追加(4枚目)したのは個人的に結構アタリ。

●5月末、三浦アルプス北尾根ルートを歩いていて、途中で5,6匹、ハンミョウに遭遇した。北尾根ルートや二子山に行くと会える可能性は高く、ものすごくレアというわけではないのだが、それでも出会うと非常に「ごほうび感」がある。

最初の1,2匹はうまく接近して撮れなかったが、後半は近寄って、それなりに綺麗に撮れた。

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ほか、ここ最近出会ったトピックス的な昆虫ほか。

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1枚目。自宅を出てすぐの路上でのこのこ歩いていたコクワガタ。5月末。

2枚目。5月末、この近辺の山に行くとキアシドクガが多数乱舞しているが、これはそのサナギ。

3枚目。やはり5月末の定番、ラミーカミキリ。

4枚目。家の中でおなじみのハエトリグモと言えばツキノワグマ配色(黒に白い三日月)のアダンソンハエトリだが、これは真っ白に何やら織物のような模様(白大島ふう)。たぶんメスジロハエトリの雌。

5枚目。先週末に遭遇したムラサキシジミ。クローズアップで撮る前に逃げられたので、これは割と遠くから撮ったものをトリミング。そのため粒子が荒くて残念。

●CHINO MODELさんから、TKS用履帯の改訂版が届いた。連結可動式と、足回り一体成型式の2種。近々、きちんとレビューをアップ予定。

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帆船恋路?

●息子のところのチビ娘(ジャスト4歳)は、なぜかサーフボードのことを「はんしぇんこいじー」と呼ぶ。

当地は海辺の町なので、たまにお泊りに来れば、近所を散歩する際に割と頻繁にサーフボードを目にすることになるが、「あれは何?」と聞くと必ず「はんしぇんこいじー(だよ)!」と言うので、彼女の中ではサーフボードを指す一般名詞として定着しているらしい。

大航海時代に見慣れぬ動物を見て「あれはなんて言うんだ?」と尋ねた時に、現地民に「なしてそげなこと聞くだ?」と言われたのがそのままヨーロッパでの生物種名になってしまった(ただし、カンガルーという名前の由来がそうだというのは俗説だそうだ)――なんて事例と似たような感じで、「幼児が(誤解に基づいた)謎名称を使う」というのは一般によくある。

とはいえ、何かのはずみで覚えたというには妙に(音の繋がりが)凝っていて長い。しかし、本人に聞いても「はんしぇんこいじーだからはんしぇんこいじーなんだよ」的な答しか返ってこないし、息子夫婦も心当たりがないそうだ。

ちなみにうちの娘は小さい頃に自動車のことを「びあん」または「びあま」と呼んでいたが、これは理由がはっきりしていて、当時乗せてもらえる機会が多かった義弟の車が日産のBe-1だったため。「びあま」は「びーわん」と「くるま」が折衷されたものか。

F1019591 ●JR逗子駅の東逗子駅側には操車場があるが、その操車場から本線を挟んで反対側には、京急逗子線と合流する分岐がある。

京急金沢八景駅近くにある鉄道車両工場、総合車両製作所横浜事業所との連絡線(回送線)で、時折、見慣れない車両がこの線路を通って出入りするので、それらの出入り情報を掴んだ鉄な人がカメラを抱えて集まっていることもある。

また、京急側の合流地点である神武寺駅から向こうは、京急の標準軌の内側にもう一本、狭軌用のレールが引かれた三線軌条になっているなど、なかなかマニア的にそそるものがある。以前にも載せたことがある写真だが、この回送線の、山の根-池子間の小トンネルも、なかなか佇まいに風情があってよい。

以前にも書いたように、この回送線は、もともと海軍工廠であった総合車両製作所横浜事業所や、池子弾薬庫の搬入・搬出用引込線との連絡用に、軍用線路として作られている。そしてこれはつい最近知ったのだが、どうやら、この回送線の京急と共用でない部分(逗子-神武寺間)は、池子弾薬庫と一体で米軍に接収されていて、(借り手としては総合車両製作所になるのかJR貨物になるのかよくわからないが)米軍から使用許可を得て使っている、という形になっているらしい。

池子弾薬庫跡地に関する逗子市のページでは範囲についてはよくわからないが、神奈川県のページに添付されたパンフの地図では、シッポのように細く回送線部分が伸びているのが確認できる。

と、そんな所属を示すように、回送線の逗子側の始点には、「米軍池子線」の路線名表示がある。場所は、つい先日廃止になった山の根踏切の少し逗子駅寄り。

横にあるのは、始点を示すものと思われる距離標(キロポスト)だが、表記が単純に「0」ではなく「0|0」である理由は鉄な人ではない私にはよくわからない。ちなみに「米軍池子線」と書かれた三角札の反対側(逗子駅方面に向かって見える側)には「JR貨物」と書かれている。

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山の根の尾根再訪

●駅前に用事があって出たついでに、突発的に、JR逗子駅北側の山の根の尾根を歩く。

初めてここを歩いたのは2015年の4月で、その後2、3度歩いているが、今回はだいぶ久しぶり(数年ぶり)だと思う。

逗子市山の根は前記のようにJR逗子駅北側の地区で、逗子の町域としては最小面積(0.51平方キロ)。南側は横須賀線の線路に区切られ、北側は尾根に囲まれている。尾根の西側は逗子市久木との境界、東側は逗子市池子との境界になる。

尾根の上には一応細い山道がずっと通っていて、数か所に行先案内表示まであるのだが、その一方で、この尾根への数か所の上り口には何の案内もなく(むしろ、そのうちの一か所の熊野神社東側には「山越えはできません」と書かれている)、逗子のいくつかの山歩き案内にもこのルートは載っていない。

●北側尾根の、久木小学校・中学校共同グラウンドを見下ろす少し手前あたりから、点々と海軍標石がある。尾根の北側は町域としては久木だが、(共同グラウンドも含めて)旧・池子弾薬庫跡地なので、その境界を示すために標石が置かれたものと思われる。

以前の記事にもいくつか載せたが、今回も写真を撮ったので、改めて載せることにする。

▼まずは前半。共同グラウンドへの降り口よりも西側のもの。以下の写真はすべて西→東の順番。

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あまり丹念に撮影はしていなくて、歩きながら「あ、ここにあった」と基本1枚ずつしか撮っていないので、ピンボケ混じり。すでにこの季節、歩いていると蚊が寄ってきたり、蜘蛛の巣に頭を突っ込んだりするので、なかなか落ち着いて写真を撮る気持ちになれない。やはり、きちんと調査するなら冬の間に登るべき。

▼後半。共同グラウンドへの降り口の案内と、それより東側の標石。

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とりあえず今回は15基の標石を確認しているが、過去に同じルートで撮った写真と見比べてみると、(細部の様子や傾きなどから見て)今回は撮っていない標石もあったりするので、藪にまぎれているなどでいくつか見落としているようだ。たぶん、全部では20基弱あるのだと思う。

なお、よく見ると表記面が一段窪んでいるのが多数派だが、少数、窪んでいないタイプも混じっているようだ。

ちなみに、同じ海軍標石でも、水道路沿いのものは表記が「ダブル山形・海」だけで、字体も異なる。また池子弾薬庫跡地北端あたり(横浜市域内)の尾根にあるものは、表記は「ダブル山形・海軍」だが、これまた字体が違う。下写真は、左が水道路のもの、右が池子弾薬庫跡地北端あたりの尾根のもの。

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ちなみに、横須賀軍用水道半原系は明治末年に始まり大正10年(1921年)に完成。池子弾薬庫は昭和13年(1938年)に一部地域の買収が始まっているが、上の標石がある久木の旧・柏原地区は昭和16年(1941年)に買収が行われている。横浜市側の区域がいつ買収されたのかはよくわからないが(横浜市サイトでは米軍が接収した日付しか出ていない)、wikipediaでは「1942年(昭和17年)には、横浜市金沢区側(当時、磯子区)に海軍の毒ガス弾の製造工場(谷戸田注填場)が設置された」とある。

おおよそ用地買収とともに標石が設置されたのだとすれば、水道路標石→山の根標石→横浜標石の順番で旧~新タイプということになる。年代別ということ以外に、「発注先によって仕様が適当」という可能性もあるかもしれないが。

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春のあれこれ

●模型製作、激しく停滞中。それに合わせて、当「かばぶ」の更新もまるっきりご無沙汰になってしまった。

別に「模型いじりたい気分」が大きく減退したわけではなく、単純に仕事が滞って模型に手を付けられなかった、というところが大きい。なんとか一息ついたので、KV-2初期型の工作をぼちぼち再開予定。

●「いまさらかよ!」という感じもするが、先々月末(3月20日)の「横浜AFVの会(仮)」の写真を少々。

▼ミカンセーキさんのポーランド国内軍ヘッツァー「フファット」号とオチキス・マーダー。いつかは自分で作りたい気もしていたフファットだが、もうこれを見てしまうと手を出せない。もうちょっと舐めるようにクローズアップを撮っておけばよかった。将来、ケーブルドラムやごみ箱が並んだバリケード込みの状態を見るのが楽しみ(ちょっとした圧力)。

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▼めがーぬさんのハンガリー軍アンサルドCV35(指揮車仕様)とマチルダ。

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▼ケン太さんのエイブラムス。ケン太さん、いったい何両エイブラムスを作っているんだか。現用素人な私は、細かいサブタイプなどは全く判別不能。それでも、防盾周りのシーリングのテープを剥がした後とか、小物の質感などの芸の細かさには唸らせられる。

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▼ハラT青木氏のタミヤ48・38(t)と野田君の「バルジ大作戦」パットン。パットンは映画の仕様に合わせて細かく手を入れている、ということなのだが、私自身はよくわからない(基本、パンツァーリートを歌う場面しか知らないので)。

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▼時間を置いて写真を見直すと判らなくなってしまったが、1枚目のT-90(?)もミニスケールの作品だった気がする。それも含めて、小ささを感じさせない緻密なミニスケ作品がそこそこの数、出品されていた。2枚目のA-222自走砲はAM誌掲載の作例だったと思う。

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▼一方で大物は、1:16(?)のラジコンのパットン系(?)架橋戦車とARL-44。

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▼ほか、ちょっと惹かれたものなど。ポーランドの試作「ステルス軽戦車」PL-01はタコム製? SU-122-54は(たぶんminiart)、自分で作る気はないけれど(戦後車両なので)格好良さは大好き。

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▼おそらくもともとはウォーゲームの駒などに使われるものなのだと思う、たぶんスズ製のフラットフィギュア。フィギュア自体を作らない私だが、この塗装技術はすごいと思う。

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●3月初めに、ノビルを採って食べた話は書いたが、その後の今春の収穫物など。

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1枚目。私にとっての春のド定番、アケビの芽。すでに今春、5、6回は食べていると思う。

2枚目。ハリギリの芽。かみさんに頼んで天ぷらにしてもらった。

3枚目。イタドリ。例によってピリ辛メンマ風にして食べた。なお1回分、塩漬け冷凍保存中。

4枚目。田浦で見つけたニリンソウ。茹でて乾燥中。

5枚目。昨年はなんとなく採らないままで終わったので、2年ぶりになるミズ。そばつゆに漬けていただき中。

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料理した写真も2枚。左、ハリギリの天ぷら。癖もなくほっこりして美味しい。右、アケビの芽たまごごはんと、ミズのそばつゆ漬け。

ついでに「今後に期待」の写真を数枚。

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1枚目、沼間の山道に沢山咲いていたクサイチゴの花。例年のスケジュールで言うと、今月半ばには実が熟して食べられるようになるはず。

2枚目、実がつき始めたクワ。これも大きくなって熟すにはもうしばらくかかりそう。

3枚目、市内某所の植え込みに勝手に生えてきていたタラノキを発見。もっと早く見つけていれば、タラの芽の天ぷらが食えたかも。

●連日、ウクライナ情勢のニュースが報じられている。特に最近の話題は東部マリウポリの戦況。マリウポリなんて、日本では、よほどのBT戦車ファンでなければ知らない地名だったのが(BT-5の初期型の円筒砲塔がマリウポリ製)、いきなり世界的に有名な場所になってしまった。

特にマリウポリでは、一般人が多数避難しているにも関わらず激しい戦闘にさらされている製鉄所が話題の焦点となっているが、セータ☆さんの記事によれば、いわゆる「マリウポリの製鉄所」は2か所あるらしい(内陸のイリイチ製鉄所と、アゾフ海沿岸のアゾフスタリ製鉄所)。ウクライナ軍が拠点としているのは、このうちアゾフスタリ製鉄所であるらしい。wikipediaによれば、同製鉄所には核シェルターを兼ねて地下6階までの要塞施設があるそうなので、民間人が逃げ込んでいるのもここか。

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郵便機がらみの脱線話(3)

●うっかりYouTubeでCMを見てしまい、「関西、電気保~安協会っ♪」が耳に染みついてちょっと困り気味。

●ノビルを今季初収穫し、タマの部分はジップロックに入れて市販のそばつゆに漬け、葉の方は刻んで「ノビルのパジョン」にして食べた。パジョンは1枚は焼いた後にポン酢、1枚は焼きながら醤油を掛けまわした(焼けた醤油の匂いが良いので)。

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写真はそれほど美味しそうに見えないかもしれないが、美味しいんだよ! 本当だよ!(意味のない力説)

●名越の大切岸前の平場で、疥癬症のタヌキを目撃(11日)。

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そして2日後(13日)、今度は名越切通の平場で。

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すぐ近くで野良ネコに餌付けしている人がいて、その上前を撥ねようと草むらに身を潜めているところ。場所は上写真のすぐ近くだが、因幡の白兎ではあるまいし、2日で毛がふさふさになるとは思えないので明らかに別個体。とはいえ、毛並みの様子が万全とは言い難い様子なので、やはり皮膚疥癬に罹っているようだ。

20220311_135938 ●郵便機がらみの脱線話の第3弾。エレールの1:75、クジネ 70.02 アルカンシエル(Couzinet 70.02 Arc-en-ciel)。

scalematesによれば、初版発売は1964年という古いキットで、1:75といういかにも半端なスケールも、おそらく箱合わせで適当に作ったためと思われる。

私が手に入れたキットは、エレールが黒箱時代になってからのものだが、箱絵は初版と同じで、暴風雨の大西洋(たぶん)を、海面すれすれに飛ぶ同機を油絵調で描いたもの。当然、ここにも箱写真を添えたいと思ったのだが、機体本体の作り掛けは出てきたものの、キットの箱(小部品入り)はストックの山の奥にあるようで発掘できなかった。というわけで、箱絵を見たい方はscalematesのページでどうぞ。

1:75といっても3発のかなり大柄な機体で、作り掛けの1:35のトランペッター KV-2と並べてもご覧のような感じ。ウィングスパンは、ほぼ40cmピッタリある。

▼メルモーズと大西洋に架かる虹

クジネ 70~71 アルカンシエル(「虹」号)は、戦間期の有名な郵便機パイロット/冒険飛行家であり、フランスの国民的英雄でもあったジャン・メルモーズの名と密接に結びついている。メルモーズはこの機に乗って、1933年、パリ-ブエノスアイレスの往復飛行を成功させているが、これは初の陸上機による南大西洋無着陸横断飛行だそうだ(水上機型のラテコエール28を使った南大西洋横断飛行は、同じくメルモーズが1930年に成功させている)。

これは、アルカンシエルの長距離飛行試験であるとともに陸上機による横断航空路確立のための飛行であったようで、1934年にはメルモーズの操縦でなお数回の南大西洋横断飛行を行っている。

しかし、やはりこの時代、大西洋横断飛行は相当な冒険であったことは否めず、不時着水時のリスクに加え、木造機であることから耐候性や火災リスクも不安視されたようで、1934年を最後に横断飛行は行っておらず、そのまま表舞台から姿を消してしまったらしい。

エールフランス(アエロポスタル社を前身として1933年に発足)は横断飛行用機体として、代わって4発飛行艇のラテコエール300「南十字星」号を使用することになるが、皮肉なことに、1936年、メルモーズはこの「南十字星」号で、セネガル(ダカール)からブラジル(ナタール)に向け飛び立った直後に行方不明となっている。

 

メルモーズと代表的乗機の動画をYouTubeで見つけたが、最初に写っているのがラテコエール28の陸上機型と、1930年の横断飛行を成功させた水上機型。続いて30秒あたりからアルカンシエル。最後に、ラテコエール300「南十字星」号が写っている。

ラテコの「南十字星」はドルニエ式のスポンソン付き飛行艇で(従って翼下の補助フロートはない)、櫛形配置でナセル2つにまとめた4発エンジン、スマートな艇体、なだらかな曲線でつながった尾翼などなかなか美しい(ちょっと尾翼が「しゃもじ」っぽいが)。ただし、どうもエンジンに不安を抱えていたらしく、メルモーズの最後の飛行でも、右後ろのエンジンの不調を伝える無線を最後に消息を絶ったという。

ちなみにArc-en-ciel(虹)の発音は、カタカナ表記すると「アルカンシエル(もしくはアルカンスィエル)」が近い。「アルカンシェル」でも「アルカンシェール」でもないので注意(時空管理局の「すっごい兵器」はアルカンシェルだが)。意味は分解して逐語訳すると「空の弓」で、ハイフンで繋げて1単語にすると「虹」になる。設計者の姓でもあるCouzinetは、日本語だと「クジーネ」と書かれたり「クージネ」と書かれたりするが、アクセントは「ou(ウ)」のところにあるものの伸ばした感はないので(発音サイトで聞く限り)カタカナ表記は「クジネ」が近い。

▼実機の特徴

佐貫亦男先生は、クジネ 70~71 アルカンシエルを評して、「航空技術史上もっともスタイリストである機体の一つ」と記している(「続々・ヒコーキの心」)。

もちろんここでいう「スタイリスト」は職業ではなく「オシャレ」くらいの意味だが、その最大のポイントは、木製機ならではの滑らかなラインと、ルネ・クジネ設計によるアルカンシエル・シリーズ共通の、胴体がそのまませり上がって薄くなり垂直尾翼になるという独特すぎる形態だろう。

「鍛えた日本刀のような」というのは喩えとしてほめ過ぎで、実際にそのような隙の無さは感じないし、むしろ「え、大丈夫なのコレ?」的な印象。側面形だけで言うと「バナナみたい」。ラインとして美しさはあるが、一方では圧倒的な珍機感を打ち出している。それがこの機の個性と魅力ではあるが。空力への並々ならぬこだわりは、巨大な主車輪だけでなく、尾輪にまで水滴状のカバーを被せたところにも感じられる(ただし、これらのカバーは後の改修で取り払われている)。

設計者のルネ・クジネは主に戦間期に活動した航空機デザイナーで、初期は(以前にエレールのキットを紹介したことがある)ANFレ・ミュロー社の協力を得て、後には独立して会社を構えて(ルネ・クジネ航空機:Société des Avions René Couzinet)何種かの航空機を生み出している。もっとも、まともに量産された機体は一種もないようだから、要するに「自分のアイデアに溺れちゃった」タイプの技術者臭い。

実機に関しては、ネット上にものすごく詳しい資料がPDFで公開されているので、興味をお持ちの方はダウンロードして目を通してみるとよいと思う。

サイト「Association Le Nouveau Souffle de l'Arc En Ciel

資料は「Quand les Arcs-en-Ciel traversaient l’Atlantique(虹が大西洋を渡った時)」(著:Claude FAIX)、上下43ページずつで、「pour aller plus loin」のページに置かれている。以下の説明も、基本、この資料に拠っている。おそらく、お金を出して買おうと思っても、なかなかこれを上回る資料はないんじゃないか? というくらいの上質な資料である(ただし全編フランス語)。

クジネによる最初の「アルカンシエル」は、1927年のクジネ 10 アルカンシエルNo.1で、これは小改修されてクジネ 11 アルカンシエルNo.1bisとなるが、1928年に事故で失われ、別機のアルカンシエルNo.2も格納庫火災で失われている。他にも数種の「アルカンシエル」タイプの大小の航空機が作られているらしい。

今回の主役のクジネ 70~71 アルカンシエルは、クジネ 10~11よりやや大型の機体として企画されたもので、1930年にクジネ 70.01 アルカンシエルNo.3として製作開始、翌年2月に初飛行している。

ここまでの文章中で、私が「クジネ 70~71」と書いているのは、初飛行以降、1934年までの間にやたらに改修が繰り返されて、そのたびに名前が変更になっているため。

クジネ 70.01 アルカンシエルNo.3:初飛行時。全長16.13m。全幅30m。1時間半飛行。イスパノ・スイザ12Lb(650馬力)3基に、グノーム&ローン製3翅ペラの組み合わせ。車輪カバー未装着。

クジネ 70.01 アルカンシエルNo.3bis:初飛行後、小改修を受ける。エンジンフレーム、エンジンカウルなど変更。左右エンジンが翼前縁に対して垂直(機軸に対して3°外向き)なのはこの改修以降? 大型の車輪カバーが付く。登録され、「F-AMBV」の登録記号を得て、これが記入されるのもこの時から。胴体下面に「René Couzinet」と大書(当初は横書き、長胴体型になってからは縦書き?)。これらのマーキングは、少なくともこの時点では赤だったらしい。32年12月に、ショヴィエール製2翅ペラに交換。全長変わらず16.13m。1933年に2度の南大西洋横断(メルモーズによる最初の往復飛行を指すと思われる)。

クジネ 70.01 アルカンシエルNo.4~No.4bis :大改修。延長型の新しい胴体。全長21.45m、全幅は変わらず30m。エンジンカウルも再び新しくなる(胴体に合わせて機首も伸びる)。ラジエーター形状変更。胴体窓は前後が角形から丸型に変更。主翼、胴体間に大型のフィレットを追加(フィレットが追加されて当初は、翼の登録記号の一部が隠れた状態)。水平尾翼形状変更。胴体窓上に「FRANCE - AMERIQUE DE SUD」。水平安定板上に、「豚の耳」と呼ばれる補助方向舵を追加。一時(1933年12月?)エンジンに減速ギアを取り付けて4翅ペラを装着。

クジネ 71.01 アルカンシエルNo.5:胴体を後部で若干短縮。全長20.18m。エンジンも減速機を外され通常のイスパノ・スイザ12Nbになり、ペラも2翅に戻る。エンジンカウル形状等にさらに改修。フィレットは大型だが、No.4~No.4bisに比べるとやや小型化? 1934年に6回の大西洋横断飛行。最後の横断飛行(8回目)の後、胴体右の虹の帯の後ろに、1回目~8回目の横断飛行の記録(達成年月日)が、胴体左の同位置には南米の都市名が記入される。

クジネ 71.01 アルカンシエルNo.6:エンジンカウルに大幅改修。前面ラジエーターをやめ、顎下ラジエーターに。機首・ナセル前面は尖った形状になる。ハミルトン・スタンダード製ペラを装着。大きな車輪カバーは外される。全長20.18mで変わらず。国が購入しエールフランス所属に? ただし実際の商業飛行には使われなかったようで、その後、エンジンを取り外された状態で競売に掛けられ、ルネ・クジネ自身が買い取ったらしい。結局修理再生されることもなく、第2次大戦中に破壊されてしまったようだ。

とにかく、1機しかないにも関わらず、やたら小刻みにあちこち変更されていてややこしい。

ちなみに上に埋め込んだYouTubeの動画中でも、最初に登場するのは短胴体の70.01(たぶんアルカンシエルNo.3bis)。フィレットも小さく、側面窓が角形なのが45秒あたりから確認できる。1分15秒から写っているのは長胴体型(アルカンシエルNo.5?)で、大きなフィレットと前後が丸くなった窓がわかる。

ワンオフの特別な機体を、極限の飛行に合わせて細かくカスタマイズしていったと言えば聞こえはいいが、胴体の延長や大型フィレットの追加、補助方向舵の増設などは安定性や方向舵の効きを改善するための措置で、どうもルネ・クジネがこだわり続けた尾部形状が悪さをしている可能性は高いように感じる。その後、誰もこの「新機軸」を真似ていないのも、その傍証のように思う。

▼エレールのキットについて

上述のように、キット名称は「70.02」で、これは上記のリストでは、おそらく胴体延長改修後のアルカンシエルNo.4もしくはNo.4bisを指しているのだと思う。とはいえ、なにぶんにも古いキットということもあってか、細部の特徴はいくつかの時期のものが混ざっている。

  • キットの全幅は40cmで、これは実機各型の全幅30mのきっちり1:75。全長は26.6~26.7cm(スピンナーの分は適当に足しているのでいい加減)で、75倍すると約20m。アルカンシエルNo.5とおおよそ等しい。半端スケールではあるが、一応スケールに拘っているようなのは嬉しい。
  • 主翼・胴体間は大型フィレット付き(おそらくアルカンシエルNo.5の形状に近い)。
  • 胴体窓は角形でアルカンシエルNo.3bis以前。
  • プロペラは3翅で最も初期のアルカンシエルNo.3仕様。
  • 機首も胴体に合わせて長く、エンジンカウル形状はおおよそアルカンシエルNo.4?
  • 水平尾翼形状はアルカンシエルNo.4以降の改修型。「豚の耳」補助方向舵付き。
  • 主車輪、尾輪は大型カバー付き(アルカンシエルNo.3bis以降)。

とにかく、胴体と機首が長く、大型のフィレット付きの形状になっているという時点で、アルカンシエルNo.5として作るのが最も素直な道ということになる(もちろん、実機の仕様を追おうなどと考えずにキットのままに作るという方針を取らないのであれば、という前提のもとでだが)。

ちなみに、最初の横断飛行を成功させた短胴体時代の70.01 アルカンシエルは、1:72のレジンキットが模型友達である小柳氏の「赤とんぼワークス」から出ていた。

上記のように、各時期の特徴が混在していること以前の問題として、キット自体が古く、全体のスタイルの捉え方も甘く、パーツ構成やモールドも大味であることなどが挙げられる。

私がこのエレールのキットをいじったのは、ずいぶん昔のことで、以来、たぶん20年くらいは放置していたものなので、工作自体も曖昧になっているが、とりあえず、大掛かりにいじったところなどを中心に。

20220311_161213アルカンシエルの胴体は合板張りの強みを活かして、やたらに滑らかな曲線で構成されている。実機の胴体断面形は中心部あたりでも上すぼまり。側面窓が途切れたあたりからは、もうほとんどおむすび型になっているはず。エレールのキットは、胴体中心部あたりでは長方形断面に近く、そこからだんだん上部が狭くなっていくのだが、垂直尾翼として立ち上がっていくあたりになっても、まだ上に平面部を残している。キットをストレートに仕上げた作例がネット上で見られるので、参考までにそちらへのリンクを(もちろんこれはこれで、デスクトップモデル風に美しく仕上げてあって良い感じ)。

(おそらく、その他のさまざまな不都合を無視してまで)ルネ・クジネが追及したかった、抵抗の少ない流麗なラインがだいぶ損なわれている感じがあり、内側から裏打ちし、胴体後半を大胆にゴリゴリと削り込んだ。古いキットの大振りなパーツなのでプラの厚みも結構あるのだが、削り込みの結果、(写真にもちょっと写っているが)胴体上端あたりに裏打ちがちょっと見え始めている。

実はこれでも削り込みが不足で、もっと胴体の前側からなだらかに丸まっていないといけないのだが、そうすると胴体に穴が開いてしまいそう。

20220311_140053「うーん、もうちょっと削りたかったなー」と思いつつも削れないのは、胴体窓の形状を変更(角形→丸形)したいというのもあって、透明プラバンをはめ殺しにしてあるためでもある。とにかく外形を何とかしたかったということもあって、「どうせほとんど見えないよね」と、キャビン内部は何も工作していないのでがらんどう(もともとキットにも機内パーツは何も入っていなかったと思う)。

天井の明り取り窓は、キットでは確か四角くモールドがあっただけ(あるいはモールド自体なかったかも)で、ここは開口だけして放ってあった。

20220311_161121キットの機首はやや細すぎる感じ。機首下面が直線的に上がっていて、ふっくら感が足りないので、プラバン片とパテを盛って、ちょっと膨らましている。

その際に、機首の細かいルーバーのモールドは(もともとちょっと頼りないが)一部消えてしまっていて、これは将来的にはまとめて再生する必要がある。

排気管は一目で「あ、イスパノ・スイザだ」と判る「1・2・2・1」構成。機首左右下側には、イスパノ独特の三連の吸気口も製作する必要がある。機首前面にはラジエーターがあるのだが、キットのパーツはプリミティブな出来で、これも自作覚悟。

コクピットの窓枠が破損しているが、これは、そもそも「コクピット側面窓の形状もおかしい」「凸モールドがあるだけで天窓が表現されていない」などの問題があり、ここはノコギリで天井から大きく切り開き、作り替える予定があるので構わない。コクピット内も現在はがらんどうだが、その際についでに最低限の表現を制作するつもり。ちなみにこの機は、これだけ大型機であるにもかかわらず、操縦輪は左側に1つだけで、副操縦装置はない。

20220311_140355機首が細すぎる感じな一方で、両ナセルは寸詰まりで、とても同じエンジンが入っているように見えないので、こちらは一度ノコギリで切り離して、プラバンを挟んで3mm延長した(延長した長さは目分量)。

この際の工作で、ナセルの表面モールドは完全に削り落としてしまっている。機首もそうだが、細かいルーバーの再現ってどうしたらいいんだろう……というのが放置に至った直接の原因だったような気もする。

ちなみに実機では、左右ナセルに向けて厚翼の翼内に通路があり、這って行ってエンジンの点検修理ができるようになっていたらしい。宮崎駿さんあたり、好きそうだ……。

20220313_121409下面は、前述の機首を膨らませた以外にも、段差やヒケなどが多く工作跡(あるいは工作途中跡)がだいぶ汚らしい。左主翼下面が白いプラバンに替わっているのは、キットのパーツが複雑にねじくれ、波打っていて、修正して使うよりも交換してしまった方が話が早かったため。

ちなみにこの下面パーツはナセル下面と一体になっているので、ナセル部分だけは切り取ってキットのパーツを使っている。

上面、下面ともエルロンの表現は凸筋+パーツの分割線のみ(それを言うなら機首のパネルラインや方向舵も凸筋だが)。凸筋は削ってしまったしパーツ分割線は埋めたので、後々資料を見つつ彫り直す必要がある。

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郵便機がらみの脱線話(1)

●ロシアのウクライナ侵攻が始まってしまった。

独ソ戦の話ではなく、まさか21世紀の今になって「ハリコフ攻防戦」が現実に起きるなどとは思わなかった。

多くのウクライナ人にとっては「隣国(他国)の侵攻」である一方で、プーチンにとっては(あるいは多くのロシア人にとっては)「自国内の問題」という意識なんだろうなあ、と思ったりする。そういえば、ロシアの民族的英雄であるイリヤ・ムロメッツは「キエフの大公」に忠誠を使っているのだった。

それはそれとして、NHKのニュースにおいても、「第二の都市ハリコフへ云々」と言っているのがちょっと気になった。当然ながら報道は立場としてはウクライナ寄りなのだけれど、それでいてなぜに都市名はロシア語? ハルキウって言うべきなんじゃないの? いや、それを言うならキエフもロシア語名で、ウクライナ名はキィフ? 一方でなぜリヴィウだけは各ニュースでウクライナ名? などと、なんだか脇道に逸れたあたりが気になったりする。

ちなみに、ウクライナ外務省推奨の正しい地名呼称(より現地発音に近い表記)は、キエフ→クィイヴ、ハリコフ→ハルキヴ、そして国名は「ウクライーナ」だそうだ。

●24日木曜日に3回目のCOVID-19ワクチン接種。当初2回はファイザーで今回はモデルナ。もともと1,2回目の時は「同種のワクチンを」と言っていたのが、なんで急に「交互接種は有効」ということになったのか、どうにアヤシイものを感じてしまうのだが、明確に「そりゃおかしいだろ」という根拠を持っているわけでもないので大勢に流される。翌日肩が痛かったが、特に発熱などはなかった。

20220226_153957_burst01 ●久しぶりに佐助稲荷に行く。

どうも小学生女子としては趣味の方向がよくわからない我が家のお嬢が、先週末だったか、一人で佐助稲荷に行って来たのを聞いて、「そういえばすっかりご無沙汰だな」と思い出したため。

数年前の台風による倒木で大被害を受け、本殿と拝殿が潰れてしまったと聞いてから行っていないから、少なくとも3年以上行っていないかも。考えてみれば、近年、山歩きは逗子から南側・西側が主で、衣張山・朝比奈方面以外の鎌倉外縁の山もほとんど歩いていない。

久々に行った佐助稲荷は、拝殿は白木造りの新しいものが建っていたが、その奥の本殿は倒壊・撤去されたままで、陶器の小さな狐がぎっしりと並べられた中に、神棚に毛の生えたような小さな仮の本殿が置かれていた。本殿脇からは、本来は尾根上の大仏ハイキングコースに上がる道があるのだが、そちらはなお通行止めのようだ。参道の鳥居の列も、以前は木製の古いものが混じり、また腐って倒れて根元しか残っていないものもちらほらあったような気がするのだが、ほぼすべて樹脂製の新しいものになり、抜けも補充されているようだ。

●hn-nhさんが昨年買ったキットのリストを挙げた中に、AZUR-FRROMの1:72 ポテーズ25があって中身が非常に気になっていたのだが、hn-nhさんのブログ「ミカンセーキ」にレビューが上がった。

Le Potez25 de l'Aeropostale

hn-nhさんのことなので、単に「キットの出来はこーじゃ」みたいな味気ないものではなく、(もともと軍用の多用途機として開発されたものの)サンテクスの著作でも有名な郵便飛行の使用機として活躍したあたりをじっくり書いていて、読んでワクワクする。

もちろんキットの紹介も抜かりなく、一緒に購入されたらしいSpecial Hobbyの郵便機入りデカールのインストに従って、後部銃座を普通の座席に改造する作業も済ましていたりしてなかなか楽しい。

もともと、AZURはチェコのMPM/Special Hobby系の中で、フランス企画の機体をリリースするラインナップだったと思う(箱に「Design and conception in France. Tooling and molding in Czech Republic(設計・企画はフランスで、製造・生産はチェコで)」と書かれている)。FRROMはそのまた派生レーベルで、今度はルーマニア企画でキット開発が行われているらしく、FRROMは「From Romania」の意味ではないかと思う。それを示すかのように、最初はルーマニア国産のIAR-39とか、ルーマニア型(双発型)のサヴォイア・マルケッティ79とか、ルーマニア関わりの機体が多かったのだが、その後は割と曖昧で、同じキットのバリエーションが、AZURとAZUR-FRROM、Special Hobbyとレーベルをまたがったりしていることも多い。

ポテーズ25は、さすが戦間期に割合ヒットした機体だけに、ロレーヌ型もイスパノ型もルーマニア軍で使用されているらしく、FRROMで取り上げるだけの関連性はあるようだ。

●さて、そのフランスの郵便飛行会社でエールフランスの前身でもある「アエロポスタル」は、いろいろな機体を郵便機として使用しているのだが、なかでも代表的なものが、第一次大戦機払い下げのブレゲー14、上記のポテーズ25、そしてより新型で大型のラテコエール(ラテ)28が三羽烏、というところではないかと思う。

hn-nhさんのところで新しいAZUR FRROMのキットを見ると、ビシッとキレもよく、私も一つ欲しくなってしまうのだが、実は我が家には、もっと古いポーランド製の簡易インジェクションキットであるHITKIT製の1:72 ポテーズ25が、エンジン違いで2、3種ストックがある。一方では、第一次大戦直後の郵便飛行草創期の主役だったブレゲー14も、フランス製簡易インジェクションのHiTech製、1:48キットがある(もしかしたらペガサス製の1:72キットもある)。

特に前者については、AZUR FRROMのキットを見てしまうととてもこれから作る気にはなれないシロモノだが、せめて賑やかしで(くやしんぼうで)キット紹介くらいはしておこうと思う(どちらも純軍用機仕様なので、郵便機としての話題からは逸れてしまうが)。

20220227_201100 ●まずはHITKIT、1:72のポテーズ25。

ポーランド製の簡易インジェクションで、scalematesによれば90年代半ばのリリースだったらしい。各種搭載エンジン別にバリエーションキット化されていて、私も「まさかこんな機種がキット化されるとは!」と舞い上がってしまって、数種買い込んで、そのまま死蔵して今に至る。紹介するのは、たまたま押し入れの目につくところにあった、グノーム・ローン「ジュピター」エンジン搭載型。輸出仕様で、キットのデカールはフィンランド空軍1、エストニア空軍2、クロアチア空軍2、ユーゴスラビア空軍1に対応。マニアック過ぎる……。

キットは薄っぺらいキャラメル箱入りで、構成は、「いかにも(一昔前の)簡易インジェクション」という基本プラパーツ、エッチングパーツ、メタルキャストパーツ(エンジンのみ)、デカールと説明書。

肝心のプラパーツはこんな感じ。

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1枚目は2枚合わせの上翼と左右胴体。貼り合せる内側は、粘土をこねくり回した跡?みたいな表面。胴体は、左側はまだいいとして、右側は下縁に沿ってウネウネとヒケ(というか波打ち?)が生じていた(写真2枚目)。小物パーツ(3,4枚目)は、モールドの状態は見ての通りで、取り付ける前にバリだの荒れだのをクリーニングするの大変そうだが、コクピット内のフレームもパーツ化されていたり(それがキットの胴体パーツにきちんと収まるのかどうかは別問題)、たぶんエンジンの別に応じてペラも2種入っていたりと、キット企画・設計者の気合は十分に感じられる。……のが、逆にわびしい。この気合に見合う技術があればなあ。

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ジュピター・エンジンは、ころんと、これだけ一つメタルキャストのパーツが入っている。このエンジンが付く機首部分のパーツが右写真で、上で紹介した胴体パーツの先端を切り飛ばして挿げ替えろという、なかなかスパルタンな構成。なお、キットの基本胴体はロレーヌやイスパノ装備型にはとても見えないので、おそらく、ポーランド仕様のブリストル・ジュピター装備型を基本にしているのだと思う。さすがポーランド製キット。ちなみにポーランド軍仕様は、同じジュピター装備でも、エンジンにタウネンドリングが付いているなどの違いもある。

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エッチングパーツは左写真のような感じで、プラパーツとは隔絶の出来。しかし、AZUR-FRROMのポテーズにも専用のエッチングは付いているだろうし、これだけ有効活用する必然性も高そうにない。デカールはシート自体が端の方で変色していて、今でもちゃんと使えるかどうか不安な状態。

●長くなったので、HiTech 1:48のブレゲー14B2のレビューは改めて。

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逗子市のマンホールカード

●全国の自治体が「下水道広報プラットフォーム」と共同で発行する「マンホールカード」の第16弾42種のうちの1つとして、逗子市のものが発行された。

第16弾の配布は今日、1月15日からで、逗子市のものも市役所(通常は2階の下水道課窓口、土日祝日は裏手の警備員室)で配布が始まっている。というわけで、早速1枚貰って来た。

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駅前に(1枚だけの)カラーマンホール蓋が設置されたのは一昨年の夏。その時から、マンホールカード発行の申請を検討とされていたので、近々出るんだろうなあと思っていたのだが、つい最近、「そういえばどうなったかな」と検索してみて発行を知った。まあ、あわてて貰わなくてもしばらくは無くならないと思うけれど。

●同じく路上蓋関連。

先日日曜日のことなのだが、逗子市久木の路上で、海軍の水道弁(仕切弁とか止水弁とか)の蓋を見つけた。

二連・二重の山形と錨は海軍を示す。左右に矢印があって、その下に「■」マークがあるが、これはすり減って読めないだけで、本来は「開・閉」の文字だったのではないかと想像。

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場所は久木小学校の裏手、妙光寺の門前ちょっと脇。街区で言うと久木2丁目1と6丁目1の間になる。普段から散歩のときなどに頻繁に通る場所なのに(もう20年以上通っているはずなのに)今まで全く気付かなかった。

こうした海軍に関わる水道施設の遺物は、軍用水道上に作られた「水道路(すいどうみち)」沿いには多数残っているが、ここは水道路(このあたりでは県道311号線)からは外れている。浄水場に到達する前の水道から枝分かれしているとは考えづらいので(上水道の構造自体に詳しくないので勝手な想像だが)、これは逗子市(当時は逗子町、あるいは1943年以降であれば横須賀市)の水道から、久木の奥にあった横須賀海軍工廠工員宿舎、あるいはさらにその奥の池子弾薬庫方面へと引かれた旧・海軍専用経路なのではないかと思う。

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2枚目写真は「水道路」上、JR逗子駅から東逗子方面へ、京急の踏切を越えたあたりにある同様の栓蓋。かなりすり減っているが、かろうじて山形と錨の海軍マークが見える。久木の蓋とは、全体形はほぼ同じだが絵柄は別物。

●何日か前のテレビニュースで、確か、コロナ禍でごみ収集の人員にも不足が出始めているという内容だったと思うのだが、東京の下町の路地でごみ収集している映像が流れていて、そのごみ収集車がなんとターレだった。確かに軽トラでも入りにくいような路地でごみ収集するにはターレはうってつけ。何区だったかなあ。

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謹賀新年2022

●本年もよろしくお願い申し上げます。

世界的に今なおコロナ禍下にあり、なかなか「明けまして」とも「おめでとうございます」とも言い難い状況であるのは確かですが、なんとか少しでも明るい方向に向かって行ってくれればと思います。……今年は東京AFVの会があるといいなあ。

●例年通り、大晦日に川崎の実家に行って、母、兄と年越し。大晦日には兄が作ってくれた蕎麦を食い、元日には兄が作ってくれた雑煮を食う。……オレ何にもしてないぢゃん。

●母もだいぶ認知症が進んできて、数分前に言ったことを忘れて同じことを繰り返すのを、こちらも同じように返したり。

「そのうち、息子の顔も忘れて『あんた誰?』って言うようになるよ」

と、自分で言っているうちはまだいいかなあ、なんて思ったりする。

●特段やることもなく、大晦日は紅白歌合戦の最初のほうだけ見る。なんというか、「無理矢理盛り上げよう感」が強すぎて痛々しい。

せっかく司会に大泉洋を据えるのなら、「どうでしょう」のぐだぐだなノリで、

「いいですかぁ? 『紅白』もねぇ、四六時中面白いわけじゃないんですよ?」とか、

「奥さーん。知ってるでしょう? 大泉洋でございます。オイ、『紅白』観ねぇか?」とか……。

あるいは、いっそのこと藤村Dにも一緒に出てもらって、

「ええええ? 『紅白』? またやるの? もういいじゃない、去年やったんだし」
「バカ野郎、お前『紅白』舐めてんじゃねえ。やるっていったらやるんだよ」

みたいな掛け合いを見せてくれるとか。それくらいしないと、もう紅白は生き返らない気がする(……むしろとどめを刺す?)。

●なんだかんだぐうたらしている間に三が日も過ぎ、通常営業に復帰(できているかどうかはさておき)。

4日は今年初砲台。といっても、ご近所の披露山。

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写真1枚目から――。

一番北側の、花壇に姿を変えた第一砲台(仮称)。写している自分の影入り。hn-nhさんが腕を突っ込んで内壁の傾斜を確かめた周囲の池は、睡蓮が刈り込まれて寒々とした感じ。

展望台の土台となった真ん中の第二砲台、越しに見る富士山。実際にはここには砲は据えられなかった模様。

ほぼ原型のまま猿舎に再利用された南端の第三砲台。檻のせいか、掘り下げられているせいか、同じ径のはずなのに花壇よりこちらのほうが大きく見える。錯視の実験のよう。それを言うなら、ここの展望台2階の床は(確か前にも書いたが)、おそらく外側に傾いた外周の壁のために、常に自分がいる場所が一番高く、床が傾斜して見えてちょっとクラクラする。披露山錯視公園。

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あんこベリー

●野山を歩くついでに食えるものを収穫するのは、私のちょっとした楽しみだが、当然ながら、冬はその手のネタに乏しい。

今年は「むかごが結構イケル」ことが判って、「オイルサーディンとむかごの簡単アヒージョ」を結局3回も作って食べたが、さすがにむかごの収穫ももう打ち止め。

そんな季節の数少ないネタのひとつが、以前にも取り上げたことがあるフユイチゴ。「そろそろいい時季、というより、今行っておかないと喰いそびれるかもしれん」と思い立ち、心当たりの山道に出掛ける。

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どうやらちょうどいいタイミングだったようで、フユイチゴの茂みには真っ赤な実がたくさん。

逗子近辺でよく見るキイチゴ類には、他に晩春のモミジイチゴ、カジイチゴ、クサイチゴがあり、それに比べるとフユイチゴはだいぶ酸味が強い。せっかくなので一ひねりして、「あんことベリー/チョコレートとベリーは鉄板の組み合わせ」という持論に従い、山歩きの「おやつ」に持って行ったつぶあん&マーガリンのコッペパンにたっぷりトッピングして食べた(なお、写真の量で半分食べて、「こりゃもうちょっと行けるな」と思って、残りにはさらにフユイチゴを足した)。美味。酸味が勝ちすぎているフユイチゴが、餡+マーガリンのあまじょっぱさとうまく融合し、さらに食感のプチプチも加わって大正解。

ヤマザキや第一パンの「コッペパン」シリーズ(上写真はヤマザキ)は出来合いの菓子パン類の中でもとりわけコスパに優れ、いかにも「小腹が空いたときの友」的食べ物だが、それが一気に高級に!(言い過ぎ)。

●「ベリー」つながり。

田園都市線の「南町田」駅が「南町田グランベリーパーク」というトンデモ名前に変わってしまったのに気付いたのはしばらく前だが(変更自体はもう一昨年のことになるらしいが、あざみ野以遠にはまず乗らないのでしばらく気付かなかった)、以後、田園都市線に乗るたびにどうにも気になって仕方がない。

「高輪ゲートウェイ」といい、なんでこう、余計なシッポを付けるかね。「南町田」で、「高輪」でいいぢゃん!

それに、「グランベリー」って一体……。「クランベリー」ならまだわかるけど。前半フランス語で後半英語、「南町田」も合わせれば3か国語混合って、なんなのよもう、って感じ。なんだかんだで「たまプラーザ」はもう馴染んじゃったけど。まあ、それを言うなら、そもそも田園都市線沿線は、「あざみ野」とか「つくし野」とか「すずかけ台」とか、ロウで作った食品サンプルみたいな名前ばっかりだけど。

●ズベズダの新製品予告がなかなかアツイ。

COEタイプ(キャブオーバー)のトラクター、STZ-5については、セータ☆さんがいろいろ書いていて、ほとんど私が書き足すようなこともないのだが、10年くらい前のValcanの同アイテムのキットはちょっとイマイチだったし、これはちょっと欲しいかも。あー。でもサンダーのスターリネッツも買ってないんだよなー。

同じく来年発売のラインナップの中には、76mm砲型のM4A2や、T-70Bなどもあり。

え……T-70B

と、ちょっと首をかしげてしまったのだが、どうも最近では、従来言われていたようなT-70Mというタイプは(少なくとも生産型としては)存在せず――従来言われているような、GAZ-202エンジンからGAZ-203エンジンへの換装はテストはされたものの生産されず、シャーシ強化などの小改修が行われたタイプがT-70Bという名称で生産された、ということになっているらしい。ロシア語版のwikipediaにも書いてあった(もちろんGoogle翻訳さん頼み)。ふーん。

T-70に関しては、20年以上前のTechmod/TOGAのキットはさすがにキツイとしても、その後発売されたMiniartのキットも、同社最初期のキットということもあって、確か砲塔の非対称表現も不十分だったはず。

●つい先週のことなのだが、ビートルズ解散後のジョージ・ハリスンの最初のヒット曲「マイ・スウィート・ロード」の“初公式MV”が発表された。リリースから50周年を記念して、ということらしい。

 

内容的には、何だかよく判らないエージェントが何だかよく判らないものを探すという、曲との関連性がさっぱり判らないものだが、出演陣が豪華。

冒頭にマーク・ハミル、劇場のシーンでは観客としてリンゴ・スターやジョー・ウォルシュが出ている。劇場の売店のおっさんが、よく見るとアル・ヤンコビックだった(笑)。劇場シーン、スクリーンの横で一人掛けソファーでバタバタ踊っているのは、ジョージの「セット・オン・ユー」のMV(第2バージョン)の再現。

マーク・ハミルは(特に最近の「スター・ウォーズ」シリーズをあまり観ていないので)じいさん過ぎて、出演シーンは結構長いのに、最初気付かなかった。“ウィアード・アル”ヤンコビックについては、以前に当かばぶでもちょっと紹介した。

リンゴ・スターとジョー・ウォルシュは義兄弟なので(奥さん同士が姉妹)最近よくつるんでいるらしく、最近でたリンゴ・スターの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」のMVでもジョー・ウォルシュがギターを弾いていた。ボーカリストしてのリンゴ・スターは上手い下手と関係なく、とにかく「歌っていて楽しそう」というのが良さだと思うが、この「ロック・アラウンド・ザ・クロック」もとても良い。

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