かば◎の迂闊な日々

名越送水管路ずい道

●数日前、歩いて鎌倉駅前に出る途中、名越隧道脇の、ふだん鎖を張られているゴミ収集車駐車場が開いていたので、その奥の送水管路隧道入口の写真を間近で撮らせてもらった。

この送水管隧道についても、水道路(すいどうみち)についてもこれまでに何度も取り上げているが、基本的なところだけ繰り返すと、この隧道は、はるか中津川から横須賀まで引かれた軍港水道半原系(大正7年完成)のために作られたもの。軍港水道は戦後横須賀市に移管されたので、鎌倉市(反対側出口は逗子市)にあっても横須賀市の管轄下。

半原系水道は2007年に取水中止、2015年に廃止になっているが、この地点では鎌倉市内で合流した有馬系水道が並走しているため、この隧道は現役のはず。

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レンガは1段ごとに長手のみ・小口のみとしたイギリス積み。猿島で見られたフランス積み(フランドル積み)が明治前半によく見られるのに対し、こちらはそれ以降に一般化したもの。

最後の写真は入口の格子の隙間から撮ったもので、遠くに逗子側出口が見える。少なくともトンネル入り口付近は内壁もレンガ積みのまま保存されているのが判る。水道管は1本だけで、有馬系のものだろうか?

下は逗子・久木側。2015年5月に撮って当ブログにも載せたもので再掲。こちらはかなり手前からフェンスで仕切られて立ち入り禁止になっており、しかも夏季は両側の藪も茂るのでなかなか見づらい。

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●オマケ。久木川に架かる橋近くの、同水道の空気弁マンホール。ともに横須賀市の名と市章入りだが形が違う。鎌倉の海岸橋近くや、逗子の沼間あたりだと海軍の錨マーク入りの点検蓋もある。

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東京湾要塞

●先日、披露山庭園住宅入口の庚申塔の話をしたが、同様に、ポケモンgoの「ポケストップ」に選定されている、なかなかマニアックな小ランドマークについて。

横須賀線に乗っていて、北鎌倉駅で、何気なくポケストップの表示を開いてみると、「東京湾要塞第二区地帯標」なる石柱が出てきた。

そんなわけで、数日前、散歩の足を延ばして亀が谷坂を越えて北鎌倉まで歩いてみた。目当ての石柱はまさに駅の目と鼻の先。駅前の信号を渡った向かいにある。

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花崗岩製の四角柱で、上端はごく浅いピラミッド型。

正面:東京湾要塞第二区地帯標
右面:第四五号
左面:昭和十六年七月二十日建設
裏面:海軍省

「東京湾要塞第*区」というのは、おそらくセキュリティ上のランク設定のための区域指定で、実際の(東京湾防衛のための)要塞設備からの距離により、第一区~第三区まで設定されたらしい。水道路の標石ほかでさんざん参考にさせていただいた「東京湾要塞」のサイトに詳しい。要塞地帯標そのもののページはこちら。それによれば、「第二区」は(昭和15年の最終改訂で)防衛設備から5000m以内だそうだ。ちなみに、北鎌倉駅前から横須賀方面に線を伸ばすと、軍港ではなく、池子弾薬庫跡地あたりでちょうど5kmとなる。もちろん、この標石の位置が動いていないとした場合だが。

改めて前記のページを見て思い出したのだが、しばらく前に、みやまえさんが同じシリーズの標石の写真を、御自分のところの掲示板にアップしていたのだった。teacupの掲示板のURLの振り方がどういうシステムになっているか判らないが、とりあえず現時点ではここ)。

みやまえさんの写真の標石は先のページで言うと7番で、横須賀市武にあるもの。半分埋まっているので見えないが、おそらく「第一区」、しかもおそらく続き番号で建てられている標石の「第一号」。そのうち見に行きたいような気も。

●先のページによれば、もっとご近所にもう一本「東京湾要塞第*区」の標石がある。その脇を普段から比較的よく通るにも関わらず気が付かなかった。というわけで、そちらも改めて訪ねてみた。

場所は、鎌倉・材木座のぎりぎり小坪寄り。光明寺前の道が、逗子マリーナ方面(小坪海岸トンネル)、姥子台方面に分岐する三角地の角の先にある。

植え込みの中にあるうえ、半ば埋まっていて、これはさすがに傍を通っても気付かないわけだが、実際に探し当てても、表面の文字は読み取りづらい。そもそも民家の敷地内にあるので根元を掻き分けるわけにも(増してや掘るわけにも)いかない。

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先の「東京湾要塞地帯標」のページでは、北鎌倉駅前の標石と仕様が似ていることから、同じく昭和十六年七月二十日建設、区域指定も「東京湾要塞第二区地帯標」であろうと推定している。

ちなみにこの地点から5kmとなると、池子弾薬庫はすっかり通り越してしまう。横須賀軍港方面だと、沼間五霊神社あたりというひどく中途半端な位置。三浦半島東岸沿いに引っ張ると、ちょうど葉山御用邸が5km地点となる。謎。

●春の散歩の植物あれこれ。

アケビが芽吹き始め、花も咲き始めた。芽が食べ頃になるくらい伸びるのは、半月先くらいだろうか。

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モミジイチゴ(9日、名越切通)、ショカツサイ(9日、鎌倉大町)、ヒメウズ(11日、大切岸)、イワタバコの芽生え(11日、大切岸)。イワタバコの芽は縮緬のよう。

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つくし(9日、鎌倉扇が谷)、まだ開きかけのキブシの花(11日、大切岸)。キブシの花はおひたし・天ぷらなどで食べられると、とあるサイトに書いてあった。誰か食べたことがあるひといる?

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つい先日、「日本のタンポポとセイヨウタンポポ」(小川潔著)という本を読んで、改めてタンポポに注目中(というより、興味があったからこそ本を読んだのだが)。というわけで身近なタンポポ。

最初は近所のシロバナタンポポ。

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大切岸のタンポポ群。総苞外片の形状を見る限りでは在来種のカントウタンポポのようだが、交雑種も増えているそうなので「カントウタンポポの形質が濃い」くらいしか言えない。

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近所の野原で見たタンポポ。総苞外片の形状からはカントウタンポポっぽいが、花弁が黄色に白のメッシュ入りになっている。カントウタンポポとシロバナタンポポの交雑種の可能性はあるのか? 環境省「いきものログ」の種名調べ支援で問い合わせ中。

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双体道祖神

●先日、図書館から借りてきた資料、逗子市教育委員会(昭和58年)発行「逗子市文化財資料集(II) 路傍の石仏その二」を読んでいたら、興味深い記述があった。曰く、

昭和五十六年三月に「神奈川県の道祖神調査報告書」が県の文化財保護課から刊行された。これを見る限りにおいても三浦半島には、双体道祖神の塔は一基もないと言えそうである。ところが小坪には七基この塔が残されていたのである。

なお、この記述だと「神奈川県の道祖神調査報告書」に小坪の道祖神が漏れているように読めてしまうが、小坪の道祖神で検索してみると、「神奈川県の道祖神調査報告書」を手掛かりに訪れている人もいるようなので、おそらく「小坪のほかには一基もない」ということなのだと思われる。

主に村の守り神として置かれる道祖神のなかでも、双体道祖神は男女2神が一組となったもの。wikipediaの記述によれば、双体道祖神は関東甲信越に多いが、「山間部において濃密に分布する一方で平野・海浜地域では希薄」だそうで、それがどうして小坪にだけ7基もあるのか、なかなか面白い(といったところで理由は判らなさそうだが)。

ちなみに、みうらじゅんが「ほぼ日刊イトイ新聞」で語っているところによれば、長野あたりには歓喜天のように抱き合った双体道祖神もあるのだそうだ。ちなみのちなみに、長野の地場の出版社、ほおずき書籍出版というところから、「信州双体道祖神めぐり」という本が出ているらしい。うわ。なんかちょっと欲しいかも。

そんなこんなでいろいろ興味を惹かれたので、上記資料をもとに、散歩がてら小坪漁港あたりを歩き回ってみた(7基とも漁港周辺の神社にある)。

▼子之神社(小坪5丁目6)

小坪港前交差点脇。鳥居脇の「子之神社」と大書された石碑のそのまた脇に、庚申塔などと一緒に立っている。子之神社そのものは昭和になるまで幾度か場所を移っているそうだ。

小坪に残った7基の双体道祖神の中では、おそらく最も保存状態がよく、根元部分に若干の欠けはあるものの、2体の道祖神の衣服のディテールや顔もしっかり残っている。

もっとも、左右よく似通っていて、どちらが男神でどちらが女神なのかちょっとはっきりしない。わずかに背が低い、向かって右が女神だろうか? ちなみに「双体道祖神」で画像検索してみると判るが、べつにどちらが左右か決まりがあるわけではなさそうだ。

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▼神明社(小坪5丁目7−29)

元々の地区名で言うと西町の鎮守で、食堂「めしやっちゃん」の脇を入って山の中腹にある。その神明社の石段脇の小石塔群のなかに、3基の双体道祖神がある。まずは全景。

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個々の双体道祖神を階段上から順に。

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1基目は横一文字にひびが入っているものの、3基のうちでは最も保存が良い。

2基目はその気になって見ればうっすらと2体浮き上がってはいるものの、ぱっと見には正体不明の石板に近い。前述の資料「路傍の石仏その二」に掲載された写真だともうちょっとはっきり人の形をしているので、30年余りでさらに風化が進んでしまったものらしい。

3基目は双体道祖神であることははっきり判るものの、破損が激しく、だいぶ残念な状態。

▼八幡宮(小坪4丁目9)

旧地区名だと南町と伊勢町の境目くらい。小坪村総鎮守の天照大神社を下ったあたりにある。双体道祖神は、社殿脇の小さなコンクリートの祠の中に納められている。割と平板な浮彫調。

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▼諏訪神社(小坪4丁目19)

八幡宮裏を過ぎて、ほとんどハイランドまで上り詰めたあたり(というよりほとんど大崎公園入り口脇)にある小さな神社。八幡宮同様、社殿脇の小さな祠に納められている。保存状態は比較的良好。

ちなみに諏訪神社は、もともと佛乗院裏の山の中腹にあったものが関東大震災の時に倒壊し、その後現在の場所に移ったとのこと。この道祖神も元の諏訪神社境内にあったものか。

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▼一之宮神社(小坪4丁目3−9)

小坪郵便局裏手にある。前述の資料「路傍の石仏その二」には、「高さ41cm」「木の祠の中」とある。同神社社殿の周りには木の小さな祠がいくつかあるのだが、その中身で、双体道祖神の可能性のあるものは写真(左側)のものだけだが、表面は風化・摩耗してしまい、そもそも何か彫ってあったのかどうかさえよく判らない状態。祠正面の格子の合間から撮ったので、ますます何だかよく判らなくなっている。

前出資料の前巻にあたる「路傍の石仏その一 逗子市内の庚申塔」には、

社殿の左手に木造の祠があって、この中に双体道祖神の石塔と、丸みのある自然石に「猿田彦大神」と刻んだ、明治二十四年建立の塔が、いっしょに祀られている。

とある。実際、同じ祠に「猿田彦大神」があったので(写真右)、やはりこれが双体道祖神で間違いないようだ。なお、「路傍の石仏その二」には7基中6基の双体道祖神の写真が掲載されていて、なぜかこの一之宮神社のものだけは外されている。「路傍の石仏その二」編纂時に、すでにかなり摩耗していて「載せてもしょうがない」と判断されたのかもしれない。

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Googleマイマップで位置を記入してみた。神明社に3つ集中しているので、ポイントとしては5カ所。

●道祖神巡りの途中で見かけたスミレ(おそらくタチツボスミレ)。

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●以下、3月8日追記。

逗子市立図書館で、上記に名前が出ている資料、「神奈川県の道祖神調査報告書」(神奈川県教育庁文化財保護課発行)を読んでみた。

上で推察した通り、小坪の双体道祖神はしっかり(7基すべて)取り上げられていた。また、どうやら双体道祖神のみならず、道祖神それ自体、基本、逗子市内では小坪にしか存在しないらしい。例外として、桜山に一基、「道祖大神」と刻んだ石碑があるそうで、これは明治の末に個人が建てたものだそうだ。

さて、この「神奈川県の道祖神調査報告書」に、小坪の道祖神に関して興味深い解説が出ている。

まずその呼称なのだが、

小坪の道祖神は七基とも全部「ドウロクジン」と呼ばれている。文字ではどのように書くのか、よくわかっていない。「道陸神」なのか「道六神」と書くのか、集落の人々は知っていない。

もっとも今では「どう書くのか」以前に、「ドウロクジン」と呼んでいたことさえ知っている人は少ないかもしれない。(もともとここの出身ではない私はもちろん知らなかった。)

また、大正末期までは、「サイトウ」と呼ばれる火祭り(=左義長、いわゆるどんど焼き)のたび、「ドウロクジン」石塔を火の中に放り込んでいたらしい。いや、そりゃ割れたり傷んだりするわけだよ! そんなわけで、道祖神塔はたびたび造り替えていたのだそうだ(以上は簡単にだが最初に出した資料、「路傍の石仏その二」にも書いてある)。つまり、上写真の中でも状態のいいものは、比較的近い時代に新調されたものなのだろう。これについてのもう少し詳細な記述を引用しておく。

 大正のなかば頃までは、一月十四日の朝、六時頃、まだ船が出ないうちに各神社毎に「サイトウ」の火を焚いた。沖へ出る前に火にあたっていったのである。このときお宮から若いしが「ドウロクジン」塔を運んできて、火の中に入れて焼いた。集落によって多少のニュアンスの違いはあるが、この一年間病気とか、数々のわざわいが家々に起こった。それらの全部を「ドウロクジン」に背負っていってもらう。そして焼き払ってもらうという意味付けをしている。集落によっては塔を火の中に入れず火の傍に置いて、火が燃えている間、塔に「おみき」を振りかけ、禍いを払ってくれることをお願いするというところもある。
 ある老人は、道陸神は書き役で、村の辻に立って入ってくる禍いを細大もらさず記録している神様だから、「サイトウ」の時に禍いを書きとめた帳面を全部焼き捨ててもらうのだと話してくれた。
(中略)
 祭が終わってから、子供たちは、家々からお賽銭を集めて、菓子などを買ってたべていた。お金を集めるとき子供たちはモッコに入れた道陸神塔を天秤棒でかつぎ、次のような唱えごとを一斉に唱えながら、各戸をめぐり歩いた。「どうろくじんのかんけい(勧化ではないだとうかと一柳太郎氏は教えてくださった)ぜねくれねえとぶっこむぞ。」
 お賽銭をくれない家があると、その門口に塔を置いてきてしまったのだという。大正の終わり頃まではこのようなことが続いていたという。

道祖神が帳面に禍を書きつけているという話は、庚申の言い伝えの三尸の虫と何か混じっているような気もする。

 

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猿島

●三浦半島の付け根に暮らして20年以上になるのだが、比較的「ご近所」であるにもかかわらず、これまで行ったことがなかった横須賀の猿島に初めて行く。

「横須賀市民割2017」として、猿島航路や記念館「三笠」入館料などが、今月一杯割引になっていたため。名称は「横須賀市民割」だが、横須賀市民だけでなく(逗子を含む)近隣市町民、横須賀市の国内友好都市住民も対象。

猿島は三笠公園から船で10分と、目と鼻の先に浮かぶ小島だが、東京湾内の自然島としては最大である由。明治時代から、東京湾および軍港横須賀の防衛のため要塞化され、その軍事遺構が多く残る。

同行はかみさんとちび。かみさんは子供が小さかった頃に来たことがあり、その頃は猿島側船着き場近くのレストハウスもなく、弾薬庫も勝手に入れたようだ。ちなみに今回は案内ツアーに参加したので、弾薬庫の一つに入ることができた。

●猿島内の写真あれこれ。

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レストハウス近くの小さな建物。何やら使用中の機械設備が入っていて、屋根もトタンなのでぱっと見で判断に困るが、実際には明治時代に建てられた探照灯用の発電棟だそうだ。

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島のほぼ中央を横切る切通しと、そこに設けられた弾薬庫。もともとは明治時代、東京湾防衛用に設置された要塞砲用に作られたもので、古い時代を示すフランス積み(表面が長短長短になる)のレンガが特色(写真3枚目)。弾薬庫は砲台の直下に設けられていて、弾薬庫内に入ると、部屋の角に揚弾用の縦穴がある(写真4枚目)。

なにしろ明治時代の設備なので、弾薬庫内の照明はランタンだったそうだが、火薬に引火することを防ぐため、弾薬庫のすぐ脇に別に細いトンネルを掘り、弾薬庫との間に嵌め殺しのガラス窓を設けて、その外側にランタンを置いたとのこと。写真5枚目はそのランタン室の入口(右側にわずかに見えているのが本来の弾薬庫入口)。

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切通しを北に歩くと、やはりフランス積みレンガの長いトンネルがある。トンネル好きとしては惚れ惚れとしてしまう綺麗なトンネルで、アーチ部分のエッジが妙にだが、これはオリジナルの状態なのか、修復されているのかは知らない。出口側は下り坂になっている。

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島の北側には、割合狭い間隔で、第二次大戦前に設置された海軍の高角砲台座が並んでいる(写真1、2枚目)。逗子の披露山公園の猿山・展望台・花壇も、もとはこんな状態だったのだろうと思う。2枚目はコンクリート製台座中央の、砲を固定していたらしいボルト。

3枚目は島中央部上の、明治時代の要塞砲の砲台跡。周りの放射状の横穴は揚弾された弾薬を収めるのだろうか? 向こう側の大きな穴の用途は?

このサイトの解説によれば、島中央部の第二砲台に設置されたのは二十四糎加農砲(4門)、北部の第一砲台に設置されたのは二十七糎加農砲(2門)であったらしい。この写真は前者。

●やはり「横須賀市民割2017」の対象だったので、久しぶりに三笠にも入った。

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1枚目:海側から見た三笠(猿島からの帰りの船から撮影)。

2枚目:さかみ。

3,4枚目:副砲ケースメート内側。砲操作員はそのまま砲郭内が寝室でもあった由。

5枚目:艦首左舷の錨。オリジナルかどうかは不明。

6枚目:艦橋、操舵室。

7枚目:鎮遠の主砲弾。

8枚目:ごく一部だけ残っている、オリジナルのチーク材甲板。

9枚目:日本海海戦戦利品のロシア海軍旗と、水兵の帽子の艦名リボン(海防戦艦アドミラル・セニャーヴィン)。

●その他の横須賀ネタ。ヴェルニー公園での写真2枚。

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1枚目:以前、船の科学館にあったという戦艦陸奥の主砲がヴェルニー公園に移設されている。現在はまだ周囲が囲われていて公開に向け整備工事中。

2枚目:公園向かいの海自潜水艦基地に泊まるそうりゅう型。写真では判りづらいが、2隻サイド・バイ・サイドでぴったり並んでいる。艦尾から激しく潮吹き中。wikipediaによれば、横須賀にいるそうりゅう型は第二潜水隊群の「ずいりゅう」「こくりゅう」だが……まあ、ぱっと見の区別なんて無理ですな。

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庚申塔

●本来なら先月にとっくに終わっていなければならない仕事を引きずり中。おかげで模型関係もほとんど進展なし。

●2月6日、仕事でNICT(情報通信研究機構)に行った際に、その近所で見かけた丸ポスト(小金井市)。都心にはほとんど残っていない丸ポストだが、小平市を中心に西東京にはだいぶ現存しているようだ(以前、調布に行った時も行き帰りで2基見かけたし)。

ちなみに情報通信研究機構は、(検索時に出てくるHPのリードをそのまま引用すれば)「産学官で連携した情報通信技術の開発を目的とする独立行政法人」。日本標準時も司っているため、時々実施される「うるう秒の追加」の際には、ここの本館正面のデジタル時計がニュースに映し出されることが多い(その時には、「**:**:60」という表示を見ることができる)。

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●ポケモンgoは、妙にシブい小さなランドマークがポケストップとして設定されていることがある。ちなみに我が家に一番近いポケストップは児童公園だが、2番目は県道沿いにある石屋の店先においてあるハチ公の石造りのコピー。

先日、ちょっと散歩の足を延ばして披露山に登ったら、庭園住宅入口近くの庚申塔がポケストップに設定されていた。サイト「庚申塔探訪」の逗子の庚申塔のリストにも取り上げられておらず、道からも一段上がって奥まったところにあるので、ポケモンgoがなかったらずっと気付かなかったかもしれない。

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そんなこんなで再び庚申塔に興味を覚え、市立図書館に寄った際にレファレンスサービスで訊ねてみたら、こんな「そのものズバリ」な資料が出てきた。

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「その1」が庚申塔で、これによれば逗子市内には31カ所の庚申塔があることになっている(ちなみに上記「庚申塔探訪」では24カ所)。たぶんそのうち少なくとも10カ所以上はすでに見ていると思うのだが、いずれ機会があれば残りも回ってみたいような気もする。

●今年4度目のフキノトウ収穫(15日)。

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ひと掴みほどお向かいさんにお裾分け。ちょうど夕食が揚げ物だったので、半分は天ぷらにして食べた(若干ご近所Mさん宅にこれまたお裾分け)。残り半分は茹でて、数個はオリーブオイル和えでつまみ食い。さらに残りはそのまま冷凍保存。

●タミヤからレンドリース版ソ連軍仕様のマチルダが発売されるそうだ。単純なデカール替えではなく、パーツを組み替えて、既存キットより後期の生産仕様になっている。

作るならソ連軍仕様かなあなどと思いながら、セータ☆さんのところの「ソレマチ(ソ連軍のマチルダ〉」考証記事なども横目で見つつも、タミヤのマチルダはついついきっかけがなくて買わずに来たのだが、そうこうするうちにタミヤ自体に追いつかれてしまった的な。

●ここ2週間ほど、模型製作はほとんど開店休業状態だが、わずかに、ミニスケールのクルセーダーの予備履帯ラックを作り替え、パイロ48(旧インパクト)のマーチン・ハンダサイドの逆立ち防止スキッド先端のディテールアップ工作を行った。これらに関してはまた改めて。

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春来たるらし

●ちょっと散歩に出たらもうぽつぽつとフキノトウが出ているのを見つけ、今年の初収穫。ちなみに当ブログを遡ってみると、昨年は2月の後半に初収穫しているらしい。

まだだいぶ小さく、しかも寒さに当てられてなのか、少々傷んでいる感じもしたので、天ぷらでなくフキ味噌にした。天ぷらだと一度でなくなってしまうが、フキ味噌なら何日か続けて楽しめるから、というのもある。左写真はピンボケ失礼。

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一方、私の山野草食の原点的位置づけで、毎年楽しみにしているノビルは、今年はほとんど育っておらずがっかり。土壌の栄養が変わってしまった、とかあるのかなあ。

●そのほか、少々春っぽいもの。

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・1枚目:鎌倉大町、名越坂踏切脇児童公園の河津桜。FBの逗子のニュースグループで、「もう**では咲いてるよ」などという書き込みも目にしているが、ここはようやくつぼみがほころび始めたところ。1月21日。

・2枚目:鎌倉、本覚寺の紅梅。1月21日。

・3枚目:町内のとあるお宅の梅の木に来ていたメジロ(画面中央)。1月26日。

●じわじわとポケモン収集中。ポケストップが近所にそれほど多くないので、しばしばポケモンボール不足に陥る。

やたらにイーブイばかり出てくるが(せっかく捕まえてもボールから脱出する率が高いようで、ちょっと苦手)、これは地域的な偏りもあるのだろうか。

それはそれとして……イーブイってでんきタイプじゃなかったんだなあ、などとダジャレ系の感想をボンヤリ思ったりする。

20170125_182116 ●Vanatorul de care R-35の防盾に手を入れる。

「どこかのメーカーから新設計のキットが出る前に、エレールのルノーR35を成仏させてやろう」

という意図で作り始めたにもかかわらず10年越しの製作になってしまい(それだけ長時間かけて作っているわけではなく、単に中断期間が長いだけだが)、ホビーボスから新製品が出てもまだ出来ていないお粗末さ。

ちなみに前回製作記事は2010年5月4日だった。その後(比較的最近になって)全体のベース塗装は済ませてある。今年こそ何とかしたいものじゃのう(と、他人事のように)。

ちなみに防盾の改修は、防盾側部の形状修正。左右とも後縁を真っ直ぐ断ち切ったような形に作っていたのだが、その後鮮明な写真が出てきて、軸部をカバーするよう三角に出っ張っているのが判明したため、0.5mmプラバンを貼り増して削った。

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十川さんのコト

●フェイスブック上の知人の書き込みで知ったのだが、カンプグルッペジーベンの十川俊一郎さんがお亡くなりになったそうだ。

カンプグルッペジーベンは、確か私が小学生くらいの時に、すでに凄腕のAFVモデラーのクラブとして名を馳せていた。東京AFVの会はカンプが主催で、毎年、十川さんが司会も務めていたのだが、昨年末はお見えにならず、体調でも崩されたかとちょっと気になってはいたのだった。金子辰也さんの書き込みによれば、もう何年も前から闘病生活を送られていたそうで、それでも一昨年末までは毎年出席されていたのだなあと今になって知った次第。

個人的には、ほぼ東京AFVの会でお顔を拝見するくらいの関係でしかなかったが、大先達でありながら、「ここって**なの? え? そんなことまでしてるの?」など、気さくに話し掛けて来られる素敵なお人柄だった。ご冥福をお祈り致します。

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ポケモンGO

Img_2017011602093170 ●今さらながら「ポケモンGO」を開始。

ゲームリリース直後から、仕事先である神保町の事務所のC社長に、

「オマエのためにあるようなゲームだから! ぜひやれ!」

と言われ続けていて、もっともその頃はガラケーだったのでいくら薦められてもやりようがなかったのだが、同社新年会(5日)の帰りの東海道線の中で「どら、貸してみ?」とスマホを取り上げられてインストールされてしまった。

ちなみに、スマホ契約時に「主な用途」を聞かれて、「仕事先の社長にポケモンGOをやれと言われてるんだけれど」と言ったら、営業マンに「そんな社長がいるんですか?」と問い返された。いるんですよ。

もっとも、最初のうちはいつ起動しても「GPSの信号をさがしています」ばかりだし、なんとか信号を受信できたと思ったら、今度はニックネームの登録で「使用できないニックネームです」の連続でにっちもさっちも。

数日経ってようやくその段階をクリアし、出現したポケモンにおっかなびっくりモンスターボールを投げつけてみたりして、現在レベル13。まだ「なんだかよくわからん」状態でプレー中。ジムでの戦い方などはよく判らないので、基本、単純に出てきたポケモンを捕まえて、図鑑の登録が増えたら嬉しいなレベル(登録数54)。

●そんなわけで、1週間ほどプレイしてみての感想だの、気付いたことだの。初期からやっている人からすると「何を今さら」ということが多いと思うけれど。

▼それこそIngress以前から、現実世界の位置情報を使ったゲームはいろいろ面白いことができそうだと思ったり言ったりしてきたが、自分でちゃんとプレイするのは初めて。それを踏まえて、まず思ったのは、「意外に測位がアテにならんなあ」ということ。

携帯にGPSが載るようになって結構経つが、前述のように、プレイしようとしても「GPSの信号をさがしています」がだいぶ頻繁に起きる。もちろんこれにはモードの問題もあって、位置情報の設定を(私の機の場合で)「本体センサーのみ(GPSのみ)」から「高精度(GPSとネットワーク)」に切り替えると、屋内でもそこそこ位置を感知してくれるが、その代わりにバッテリー消費が大きいので、普通の外出時には使えない(ゲーム用にバッテリーを持ち歩くといったことはこの際考えない)。

測位のズレも結構あって、自宅で「高精度(GPSとネットワーク)」モードにしておいても、ポケモンGOのプレーヤーキャラが、近所の横須賀線をはさんで反復横跳び状態になっていたりする。もっとも、そのズレを利用して、持ち歩いていなくても僅かずつ、「たまご」孵化のための移動距離を稼ぐという地味な技もあると、攻略サイトに書いてあった。

今後、もっと高度に、位置情報でサクサク遊ぶゲームが出てくるためには、測位の性能アップ(と、それによるバッテリー消費の低減)は欠かせない。

もちろん、以上のことは機種(あるいは搭載しているGPSチップ)の性能にもよるかもしれないけれど。

▼スマホを見ながら/操作しながら歩くというのは非常に危険で、私のようにそそっかしいとそれで躓いたり、あるいはもっと危ない(場合によっては他人を巻き込むような)事故もありそう。基本、操作の際には立ち止まって、周りを見てやるようにすべきだが(私もそう心掛けているが)、一方で、「移動することによって何かしらイベントが発生する」というゲームの仕組みなので、そのあたりジレンマがある。

しかも周りに危険が少ない閑散とした場所ではなく、人が集まる場所ほどゲームのギミックも濃密に仕込まれているため、ますます「プレイヤー自身が気を付けなければいけないこと」のレベルは上がっている。これは今後登場して来る位置ゲーでも多かれ少なかれ課題になりそう。

▼ゲーム進行に必要な細かなアイテムは現実のランドマークに関連付けられた「ポケストップ」に立ち寄ることで手に入るが、我が家からは最寄りのポケストップまで数分掛かる。しかし、場合によっては自宅にいながらにしてポケストップ操作圏内の人もいるわけで、なんともうらやましい。

ちなみに神社仏閣・石碑等々はポケストップに指定されることが多いので、鎌倉中心部はかなりポケストップが多い。一方で、普段よく通る場所なのにそんなものがあったなんて知らなかったよ、みたいな小さな石の祠とか、店先のタヌキとかに設定されていることもあり、さらにはその場所に行ってもポケストップに設定された「物件」が見つからないこともある(ゲーム操作上は問題ない)。

▼ポケモンが最初に流行ったのはうちの子らが小さいときだったので、ピカチュウから始まる「ポケモン言えるかな?」は昔覚えたことがある(もうすっかり忘れた)。が、いろいろ捕まえていると「そういえばこんなのいたなあ」とちょっと懐かしくなったりする(自分が子供の頃のマンガの懐かしさではないけれど)。

▼ゲーム画面であるマップは、道路の描き分けのバリエーションが少なく(広い・狭いの2種類のみ?)、しかもポケストップ/ジム以外にランドマークは表示されないので(それらもゲーム上のアイコン)、現実の地理との対応が結構難しい。せめて電車の線路くらいは表示してほしい気が……。

20170115_142757 ▼ご近所小ネタ。大きな公園の入口とか、児童公園とかはポケストップに指定されていることが多いが、週末、「池子自然の森公園」に出掛けたら、入り口にも中にもポケストップはなく、しかも公園内はポケモンが1匹も出現しない特殊空間だった。

「池子自然の森公園」は要するに、かつての池子弾薬庫跡地の米軍管理地で、週末のみその一部が公園として公開されているもの。公園内は、「ポケモンGO」的には道路地図さえない空白地帯で、何らかの規制(もしくは自粛?)が掛かっている模様。GoogleMapsあたりには普通に地図が載っているのに不思議(市の公園として印刷物の案内マップも配っている)。

私としては、「米軍家族の子供もポケモンGOをするだろうから、米軍管理地内はポケストップだらけ?」とちょっと思ったりしていたのだが。

●散歩途中のあれやこれや。

法性寺の梅。7日撮影で、この時はちらほら咲き始めという感じ。

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同日、法性寺本堂前の木が、半分ほども樹皮を剥かれて白くなっていた。タイワンリスが3匹ほど、一心不乱にカリカリと樹皮をかじりとっていた。何の木だろう?

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鎌倉、宝戒寺のロウバイと、丸七商店街・キッキリッキの「バタースコッチパイ」。甘すぎずほろ苦いのがとても美味。14日。

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●我が家からは最も近所の模型屋ということになるのだが、披露山入口下の「八風堂模型店」がいよいよ閉店するらしい。閉店セールの張り紙がしてあった。

20170117_154722 基本、鉄道模型が中心だったのかな? スケールモデルはあまり本気で扱っておらず、そのうえ、「買わないのは客じゃない、むしろさっさと帰れ」(言葉自体はうろ覚え)といったことをお店のHPで公言しているような店だったので(もちろん、個人経営の店なのだからどんな方針だろうとその店の自由なのだが)、私は滅多に行かなかった。もし今後営業していたとしてもやはり行かなかっただろうと思うが(^^;)、それでも、見慣れた光景が変わるとなると、一抹寂しいような気も。

スケールモデルの在庫で、半額なら買ってもいいと思うようなものが何かあるかなあ……。

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砂漠の十字軍(番外)

●模型ストックを漁っていたら、未組立のハセガワ・ミニボックスの72クルセーダー(履帯無し)が出てきた。エアフィックスの箱の中に入っていた履帯の出所はこれか!

エアフィックス76(公称)の車体がやけに長いのは以前に述べた通りだが、これに関し、web上の海外の作例で、「ハセガワの車体にエアフィックスの砲塔を載せる」というお手軽解決法を試したものがあったので、出てきたついでにちょっと試してみた。

この方法にはいくつか利点があって、

  • まず、ハセガワ72のスタイルがおかしい最大のポイントは上下につぶれ過ぎた砲塔なので、その点を一気に解消できる。
  • エアフィックス76のキットはMk.II、Mk.IIIコンパチで、砲塔周りは完全に2個分のパーツが入っているため、組み合わせても「2個1(ニコイチ)」ではなく「2個2(ニコニ)」になってキットを無駄にしない。

もっとも私の場合はエアフィックスのMk.III砲塔はどこかにやってしまったのでキットの有効活用的メリットはなく、単純に「様子見」してみただけ。

20170109_235347_burst01 ▼とりあえず仮組みしてみたハセガワと、工作中のエアフィックスを並べてみたのが右写真。エアフィックスを手前に置いているのでそちらのほうが大きく見えるが、実際には、車体の縦横の寸法はだいたい同じ(わずかにハセガワのほうが長い)。

もちろんそれは、私がエアフィックスのキットをフェンダー後部で切り詰め工作を行っているためで、単純にキットのままの場合には、(スケールは1:76であるはずの)エアフィックスのほうが長い。

20170109_235435_burst01 ▼ハセガワ素組単体。

砲塔はかなりペッタンコで、むか~し昔、このキットを実際にひとつ組んだ時、当時はクルセーダーと言う戦車に特別に思い入れもなく、しっかりしたイメージもなかったが、「なんか格好悪くて変……」と思った記憶があるが、下のエアフィックスと比べると違いは顕著(もっともエアフィックスは逆に比率的には全高が高すぎるらしい)。

ハセガワのミニボックスではいくつか例があるようだが、転輪(誘導輪、起動輪も)は車体下部側面と一体成型という大胆な設計。なお、クルセーダーは起動輪が履帯の外側に噛み合うのでこれでも行けるが、ハセガワは、起動輪の歯が履帯の穴に噛み合うカール臼砲でも同じ手法を取っている。……つまり、起動輪の内側は車体にべったり貼り付いているので、キットのままでは履帯は絶対に起動輪にはまらない。

20170109_235551 ▼ハセガワ車体+エアフィックス砲塔。

確かに、それなりに見られるバランスになっている気がする。もっとも、ディテール表現はかなり大味で、(私の場合は)別段、エアフィックスの砲塔が余っているわけでもないので、あえてこのキットの車体を活用したくなるというわけではない。

▼ハセガワの車体を使う気になれない大きな要因がこちら。

Crusadercomp 初回にも書いたのだが、二重のシャーシ側壁に対応して本来は一直線であるはずのラインが、なぜか、エアフィックスとまったく同じ間違い方になっている。初回ではweb上の写真を見て書いたのだが、手元の現物を見て改めて呆れた。上がハセガワ、下は初回にも載せたエアフィックス。

可能性としては、

  • 基本設計は別だが、ディテールに関して先行のエアフィックスのキットを無批判に真似した。
  • たまたま、同じ(間違えた)図面を元にキット化した。

という二通りが考えられるが、戦闘室とエンジンルームの比率などはまったく違っているので、個人的には、前者の可能性が高いのではと思う。

ちなみに戦闘室の前後長、エンジンルーム前方のエアインテイク・カバーの縦横比などはハセガワのほうが実車に近いが、エアインテイク・カバーが車体と一体モールドなのは、ミニスケールとは言えちょっと寂しく、また、前記のようにモールドが全体的に大味であること、エアフィルター周りのフェンダーの処理がやはり違っていることなどから、手を入れるベースとしてエアフィックスよりいいとはとても言い難い。

20170112_104006 ●12日、また長野日帰り出張。11月末から飯田、佐久平、佐久平と行って、今回は長野駅まで(行先は長野市近郊の中野市(長野駅からだと小布施町のちょっと先)。

行きの駅弁は長野の「鮭はらこ弁当」。

ちょうど昼頃に長野駅に到着したのだが、いきなりぶわぶわ雪が降ってきた。長野駅で待ち合わせた現地の会社の方曰く、「晴れているんで、本当に降っているわけじゃなくて、山から吹き飛ばされてきた雪ですねえ」とのこと。

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謹賀新年2017

●皆さま明けましておめでとうございます。

最近とみに模型濃度が高くなっているものの、その模型製作自体とりとめがないというグダグダなブログですが、本年もよろしくお願い申し上げます。

もうずいぶん以前にリアルの年賀状を出す習慣をなくしてしまっていて、それでも毎年頂く方もいて、大変申し訳なく思っていますが、そんな方々にもこの場でのご挨拶でご容赦願えればと思います。

●まあ、とりあえずはクルセーダーとT-34(STZ)の完成かな……。

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