かば◎の迂闊な日々

サヨナラ、ポスト(2)

Kazahaya20192021 ●葉山にご実家があるというブリキヲさんから、同町、風早橋バス停近くの丸ポスト(堀内671、ポスト番号109)が撤去されてしまった、といういささかショックなお知らせを頂いた。

葉山町内の丸ポストは数年前まで9基あったのだが、1年ほど前に、森戸神社バス停そばの1基(堀内1047、ポスト番号121)が撤去されたばかり。これで7基になってしまった。

森戸神社バス停そばの1基が撤去された直後の記事、およびそれ以前の、9基あった数年前にまとめて訪問した際の記事は以下に。

今回撤去された風早橋のポストは、もともと「たねや」というお店の脇(角)に設置されていたものなのだが、私が数年前に見に行った時には、もうお店は閉まっていた。そのお店(兼住居)もついに取り壊され、それと併せてポストも撤去ということになってしまったらしい。冒頭写真は、在りし日(2019年5月撮影)のポストと、ほぼ同じ角度から撮った現状(2021年4月8日)。建物も無くなり、なぜかポストの根石だけがポツンと残っているのが寂しい。

●というわけで4月8日、現状確認に行って撮った現状写真をさらに何枚か。それから、写真フォルダをひっくくり返して出てきた、最も最近の写真(昨年6月)のものを2枚ほど。

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根石の、これまでは建物があって見えなかった側の根石に製造年月が刻んであった。製造年月入りの根石は初めて見た気がする。ちなみに丸ポストそれ自体は、通常、裏側の根元に製造年とメーカーが鋳込んであるが、製造月までは書かれていない。

●一度訪れて各方向から写真を撮ったポストについては、その後に前を通りかかっても写真は撮ったり撮らなかったりだが、こんなふうに姿を消すと、ああ、もっとマメに写真を撮っておくべきだったなあ、などと思う。

思ったついでに、ちょっと足を延ばして、近くの丸ポストの「近影」をいくつか撮った(向原、一色岡、セブンイレブン葉山一色店前の3カ所)。

途中の葉山町役場前、「葉山花の木公園」のツツジは花盛り。もっとも、ハナバチたちにとってはまだちょっと早めのようで、ミツバチがちらほら、あとは(写真には撮れなかったが)ヒゲナガハナバチを1,2匹見た程度。春のハナバチの主役級、コマルハナバチに関しては、すでに山道では巣作りを始めているらしい女王バチを数度見掛けているが、花を訪れる働きバチは、上の風早橋のポスト跡のさらに手前、長柄の歩道脇のツツジで1匹見ただけ。

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(もともとはポスト巡りが主目的ではなく「しっかり歩く」ことを目的に出てきたので)セブンイレブン葉山一色店の向かいあたりから大峰山(三ヶ岡山)に登り、東西に長い山を東から西へ横断。真名瀬方面に降りる。

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1枚目は大峰山上から見た逗子・鎌倉方面。2枚目は真名瀬の夕景。残念ながら富士山は雲に隠れて見えなかった。ところで漁港もある葉山の真名瀬だが、20年以上も隣町に住んでいながら、読みが「しんなせ」だというのを今頃になって知った(大峰山上の案内板にふりがなが振ってあった)。ずっと「まなせ」だと思っていた。

●ここのところ、「仕事で人に会う用事」はリモートばかりだったのだが、久しぶりに、6日は小金井、7日は浜松町で対面の仕事。

小金井からの帰りに通った渋谷のハチ公前交差点は(毎日のニュースでも頻繁に映っているが)、6時前のちょうど仕事終わりの人が増える時間帯だったということもあり、かなりの人出で、「こりゃ、このあと感染者数はまたどっと増えるな」という感じ。その中の一人として混じっていて偉そうに言うことじゃないが。

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少なくとも、「え?なんでそれで聖火リレーとかしてるの?」という感じ。どうしてもオリンピックするならリモートでやれよ……(記録の操作が続出しそうな気もする)。

●9.11テロ直前のワールド・トレード・センター・ビルの姿。

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というのは質の悪い冗談で、こちらは(英名では)同名ながら、浜松町駅前の世界貿易センタービル。ちょうど昼時だったので、地下で何か食べようかなと降りてみたら……。なんと、ファミマとパン屋が残っているだけで、あとはすべて空き店舗。廃墟感がハンパない。ちなみにビル最上の展望台もしばらく前に閉まった模様(展望台があるということ自体知らなかったが)。

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ちなみに、隣接する東京モノレールの駅ビル「モノレ浜松町」も先月末付で館内全店が閉店で、「57年間ありがとうございました」のポスターが貼られていた。

帰って調べてみると、世界貿易センタービル、モノレ浜松町を含む地区一帯が(ビルの老朽化もあり)再開発されるそうで、今年度には解体が始まる由。ちなみに世界貿易センタービルは日本の「超高層ビル」としては霞が関ビル、神戸商工貿易センタービルに次ぐ最初期のもので、「国内における過去、最も高いビルの解体工事」になるのだそうだ。

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鷹取山高角砲台

●我が家のお嬢は(以前は「ちび」と書いていたが、さすがにお年頃になってきたので改称)、まるっきりのインドア派だが、「春休み中に一度は山歩きに行くか?」と誘ったら、意外にも「行きたい」というので、人が少なそうな平日(2日金曜日)、昼食後に出掛ける。

山歩きに慣れないのを連れて行くので、いちばん楽な二子山上ノ山に行こうと思っていたが、事前に家で検索したバスの時刻表を間違えていて、南郷方面へのバスが当分ないことが(逗子駅前でしばらくバスを待ったあとで)判明。

仕方がないので急遽行先変更。電車で一駅、東逗子まで行って、神武寺経由で(久しぶりに)鷹取山に登ることにする。

東逗子から神武寺までは、一応参道なのでそれほど険しい道はなく、神武寺から鷹取山までも(途中、鎖を張った急斜面を横断するところもあるが)尾根伝いなので極端な起伏もなかったはず――と思ったからだが、それにしても行き当たりばったりなのは言い訳出来ない。ちなみに以前に鷹取山に登ったのは、(今改めて調べてみたら)もう8年も前のようだ。

結果から言うと、お嬢は別に疲れた様子もなく文句も言わず、鷹取山山頂まで景色を楽しんだり写真を撮ったりしながら普通に歩き通した。傾斜のきついところを降りる際にはちょっとビビっていたが、20年以上前?に同じコースを歩いていた時に、当時小学校に上がるかどうかだった息子(お嬢にとっての叔父)が調子に乗ってホイホイ進んで急斜面を滑落した轍を踏むよりはずっとよい。

●行程で見かけた虫。

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1枚目:逗子駅前で来ないバスを待っているあいだ、いつのまにかポーチに止まっていたもの。セスジジョウカイの仲間?

2枚目:神武寺への参道にいたアオオサムシ。もう少し、木漏れ日の強いところにいれば光り方も違ったのにちょっと残念。

3枚目:「よくいるトラカミキリだよね」と思っていたら、意外に同定に苦労。カミキリムシ屋さんではないので自信はないが、トガリバアカネトラカミキリ? 鷹取山の展望台で。

●風はちょっと強めだったが天気も良く、山歩きには格好の日。

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1枚目は頂上展望台から見下ろした山頂広場。2枚目は展望台から見た(本来登るつもりだった)二子山。普段西側から見る時と違って、もうちょっと上ノ山、下ノ山が離れて間の谷がゆるやかに見える。

鷹取山はかつての石切り場跡なので石を切り出した後の垂直の崖面だらけだが、ところどころ、秘密基地めいた行き止まりの場所もあってなかなか楽しい。

山頂広場下の湘南鷹取の住宅地から追浜駅前までバスに乗る。それにしても、三浦半島の山を越えて東京湾側であるにも関わらず、新興住宅地に「湘南」と付けるのはいくらなんでもな気がする。以前、みやまえさんに教えていただいた「横須賀市グリーンハイツ」(マンション名ではなく町名!)はさらに強烈。横須賀市は地名に関してフリーダム過ぎる。

追浜駅前では、国道沿いの「シャッター商店街」をしばらく散策(「寂れたお店には何かお宝が眠っているかもしれない」というお嬢の要望による)。産業らしい産業もない逗子よりも、沿岸部に大工場が並び山側には大規模な新興住宅地が広がる追浜の方が、駅前のゴーストタウン化が著しいように見えるのはやや不思議。

駅前にある下写真の病院(鳥海病院)は、門柱にある「田浦三〇三三番」の電話番号といい、いかにも戦前から風の佇まいが目を引く。横須賀市役所のサイトで閲覧できる「新・追浜歴史年表」という資料によれば、昭和8年(1933年)、もっと海寄りの場所にあった同病院が、この場所に移転してきたとある。おそらく、その当時の建物なのではないかと思う。

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●表題の高角砲台について。

これまで紹介してきた小坪や二子山、武山(砲台山)、衣笠などと同様、鷹取山にも高角砲台があった。国立公文書館アジア歴史資料センター所蔵の「砲術科兵器目録 横須賀海軍警備隊」によれば、終戦時に配備されていたのは、

  • 十二糎高角砲:4門(弾薬数:275発)
  • 二式陸用高射器:1基
  • 九八式高角四米半測距儀:1基
  • 九七式高角二米測距儀:1基
  • 九六式一五〇糎探照灯:1基
  • 二十五粍三連装機銃:1基
  • 十三粍単装機銃:2基

であるらしい。

これまで紹介してきた近所の砲台跡は、程度の差はあれ、何らかの遺構は確認できたのだが(最も痕跡が薄かった畠山でも、砲台道と窪地は確認できた)、鷹取山の場合は、山頂の展望台から見まわしてみても、それらしい痕跡は何も見当たらない。

毎回、周辺の軍事遺構を訪ねる際にお世話になっているサイト「東京湾要塞」の「鷹取山高角砲台」のページを見ても、現在は住宅地となって何も残っていないと書かれている。

●とはいえ、「実際にどこにあったか」程度は知りたいと思ったので、例によって、国土地理院の国土地理院の地理空間情報ライブラリー「地図・空中写真閲覧サービス」から、新旧の航空写真を引いてきて対照してみた。

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左は終戦から間もない、1946年3月5日に米軍によって撮影されたもの(写真コード「USA-M64-A-6-69」から切り出し加工)。右はごく最近、2019年8月7日撮影のもの(写真コード「CKT20194-C13-58」から切り出し加工)。縮尺、方向など完全に正確ではないが、おおよそ重なる形に切り出してみた。

画面の右を上下に走る街道は現在の国道16号で、京浜急行の線路が並行している。右上の弓状になったまん中(①)が京急追浜駅で、ちょうど弓につがえた矢のように直角に横に伸びるのが夏島貝塚通り。当時から変わらない特徴的な敷地の②は追浜小学校。この目立つ2つのポイントが、位置特定に大いに役立った。

ちなみに現在の鷹取山山頂広場が③。当時は公園もなく石切り場だったままなので、どこが山頂なのかもよくわからない状態。現在はその直下にある鷹取小学校も、当時は影も形もない。

写真中央の黄色楕円枠内が「鷹取山高角砲台」で、鷹取山山頂と追浜駅の中間くらいにある。周辺の他の高角砲台は、皆大なり小なり「山のてっぺん」に作られていたが、鷹取山の砲台はちょっと中腹に下った辺りに作られていたことがわかる。もっとも、湘南鷹取の住宅地造成の際に削られただけで、この地点に小ピークがあったのかもしれない。またよく見ると、街区(道路)の形が、ちょっとだけ、当時の陣地の外形をなぞっているような感じもある。

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高角砲台部分の拡大が上写真。おおよそ海側(東側)に向け、扇形に砲座が4つ並んでいる。円形が破線上になっているのは、おそらく、同じ12cm単装砲が配備されていた二子山高角砲台同様に、弾薬仮置き場の「箱」を埋め込んだ土塁の砲座だったためではないかと思う。砲台から南への道をたどった先には、関連施設らしきものも見える。

以上は帰宅してから調べたもので、今回は近くを素通りしてしまったが、そのうちまた行く機会があったら、この場所自体をちょっと見て回って、本当に何の名残りもないのかを確認してみたい。

●オマケの追記。

上とは別の、1946年2月15日の米軍撮影の空撮で、同地域のもう少し東側を見てみる(写真コード「USA-M46-A-7-2-51」から切り出し加工)。

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この写真では、鷹取山高角砲台は画面の左下。中央左側に、追浜駅前の国道の「弓形」と、それにつがえられた矢の現「夏島貝塚通り」がある。通りの先、画面右半分には海軍航空部隊の“総本山”と言っても良い、横須賀海軍航空隊の追浜飛行場が広がる。こうしてみると、追浜駅は、まさに追浜飛行場の玄関口にあたる駅であったことがわかる。

追浜飛行場の北側には海が切れ込んでいて、細い水道を隔てて一部見えているのが野島。島の山には、航空機を避難させるための巨大掩体壕のトンネルが掘られているのだが、そういえば、中学校の頃に一度見たきりだなあ。当時はトンネルの中には入れたような記憶があるのだが、思い違いかも。とにかく今は両側とも入口は封鎖されていて、簡単な案内(解説)板が立っているそうだ。今度行ってみよう。野島の西側(左側)の平潟湾は現在よりもだいぶ広い。

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観音崎

●仕事が途切れて暇なので(経済的には結構ヤバイ)、25日木曜日、ふらふらと観音崎まで出掛ける。

実を言うと、20年以上も付け根とはいえ三浦半島の住民として暮らしていながら、いわば「地元の名所」である観音崎には行ったことがなかった。もっとも今回も、「よし、今日こそ観音崎へ行こう」などと気合を入れて出掛けたわけではなく、実際には岬のすぐ近くにある横須賀美術館に「飛行機と美術」展(2月6日~4月11日)を観るつもりで行ったのだが、直前まで行って美術館はヤメにして、岬だけ散歩してきたもの。

おかげで、しとしと雨が降って見晴らしも悪いし歩き回るにも面倒なコンディションの下、何が見られるかの下調べも不十分なままでの観音崎初訪問になってしまった。そのうち、天気の良いときにまた行きたい……。

観音崎は、東京湾の入り口近く、富津の砂州との間で東京湾が最も狭まった、いわば「門」にあたる。

日本初の西洋式灯台である観音崎灯台が1869年(明治2年)に建てられただけでなく、東京湾防衛のため、明治10年代以降、陸軍によって要塞化され、いくつもの砲台が設置されている。いわば門柱に組み込まれた守衛所ですな。

●観音崎バス停から海沿いの遊歩道を歩く。

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左はバス停のある広場からすぐの入り江(観音崎海水浴場)に突き出た、何やら古い構造物。さらにその先の海上にテーブル状の構造物。例によって国土地理院の「地図・空中写真閲覧サービス」で戦後すぐの米軍の空撮写真を見ると、手前の円形部分から、海上のテーブルまで橋が架かったようになっている。小型船用の小さな桟橋だったらしい。

右は海食崖に開いた岩窟で、手前の小さな祠には観音様が祀ってある。この岩窟に、天平の昔(8世紀)、行基が十一面観音菩薩を祀ったのが「観音崎」の名の由来だという(もちろん、今ある観音様は行基の祀ったものではない)。

遊歩道の途中から、灯台へのジグザグの上り道がある。その最初の曲がり角に、陸軍石標と、「観音崎燈臺所轄地」と書かれた横倒しの石標。

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再び遊歩道に降りて海沿いを進む。磯に、何やら不思議な形をしたコンクリートの構造物が転がっている。帰宅後調べてみたら、関東大震災で倒壊した2代目の観音崎灯台の残骸だそうだ(現在の灯台は三代目)。

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さらに岬の突端に、これまた謎のコンクリートの小屋のようなもの。これは、1930年代になってから作られた、東京湾に侵入する潜水艦に備えた固定式ソナー施設の聴測所である由。右写真は、後述のトンネルを抜けた先、観音崎自然博物館手前の展望園地から振り返る形で撮ったもの。

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岬の先端部は海上自衛隊の施設敷地だとかで立ち入りできず、したがって、上記の聴測所も近付いて撮影することはできない。そんな立ち入り禁止の敷地内の向こうに、何やら石碑が立っている。

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これまた後から調べてみると、この目の前の浦賀水道で、1988年に発生した海自の潜水艦「なだしお」と、釣魚船「第一富士丸」の衝突事故の慰霊碑であるらしい。そんな慰霊碑を、一般に立ち入りできないような場所に建てて、近くに何の案内も説明もないというのは(特別の作為はないとしても)ちょっと如何なものかと思う。

上の柵を過ぎたところで遊歩道はちょっと陸側に折れ、岬の最も出っ張った部分は隧道で通り抜ける形になる。隧道の手前には何やらコンクリートの構造物(弾薬置き場?)があり、この遊歩道と隧道も、もともと要塞(砲台)関連のものであったらいいことを感じさせる(隧道内にも横穴をふさいだ跡がある。

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隧道自体は素掘りで、内面は傾斜した地層の縞模様が顕著。ご近所の鎌倉近辺にもこの手の素掘りの小トンネルは多いが、それらと比べても素敵度が高い。

上の隧道を抜けた先にある展望園地/観音崎自然博物館まで行って折り返し、今度は岬の上に上って灯台を目指す。後で調べたところによると、展望園地も旧砲台跡(南門砲台)とのことだが、現在は「地形的にそれっぽい」というだけで、遺構の類は何も残っていないようだ。ただし、(隧道側から見て)展望園地手前にある道路横の石積みは古いもののようだ。

灯台を目指して坂道を登っていくと、突然目の前に、いかにもな遺構が現れる。観音崎砲台のうち、最初に作られた2つの砲台の1つである第一砲台で、1880年(明治13年)起工、1884年(明治17年)竣工(ただし、起工・竣工年は一緒ながら、起工日は第二砲台の方が若干早かったらしい)。

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すり鉢状の披露山の対空砲座などと違い(そもそも建造年代もまったく違うが)、こちらは海に向かって半円形の砲座が左右に並び、その間をレンガの小トンネルが結んでいる。煉瓦は表面が各段とも長短交互になったフランドル積み。現在は塞がれているが、このレンガのトンネルの下に弾薬庫があるらしい。

海に向かって左側の砲座のさらに左、灯台側に進む途中の石壁にも、現在は塞がれた小アーチの入り口がある(最後の写真)。

第一砲台を過ぎてさらに歩くと、これまた縞模様が素敵な小切通抜けたところに、観音崎灯台がある。

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灯台に着いたのはちょうど17時頃。もう少し早ければ、灯台に上ることもできたのだが、それを知らずにぐずぐず遠回りをしてしまって間に合わなかった。惜しいことをした。

●本来は、第一砲台と灯台の間に、さらに山側に上る道があり、そちらに行くと第一砲台よりさらに規模が大きい第二砲台があるのだが、おそらく一昨年の台風のせいで道が不通になっていて行けなかった(海岸遊歩道入口あたりから登る道も不通だった)。裏側から回り込むように行くことはできるかもしれない。

また、バス停よりも走水側にある「三軒家砲台」跡も多くの遺構が残っており見応えがあるらしい。

今回は「予習」ということで、近々また出掛けてみたい。

●ちなみに、公園の案内図はこちら(神奈川県立観音崎公園「みどころMAP」)。

砲台等に関する情報は、いつもの通りサイト「東京湾要塞」さん(特に同サイトの「観音崎砲台マップ」、「観音崎砲台ガイド」)に大いにお世話になった。

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「JEEP JEEP JEEP」

20210321_191927 ●数日前、ネット経由で、大塚康生先生の訃報を聞いた(3月15日逝去)。

もちろん、大塚康生と言えば、宮崎駿と並んで(というか組んで)日本のアニメの現在の隆盛の礎を作った人であるのだけれど、我々モデラーからすると、「ミリタリーヴィークルマニアの草分け」であるとともに、伝説のメーカーMAXの製品監修初め、模型開発においても特筆すべき足跡を残した人。

私自身は、親しくお話をするといった機会はなく、モデラーの集まり等で何度かはお会いして、ご挨拶程度はしたことがある、くらい。ただ、そういう場で、「ものすごく楽しそう」という雰囲気が伝わってくるのが、非常に印象的だった。

旧MAXの製品に関しては、実際に新製品としてそれが出ていた時代には、「何か、かなりこだわっている、すごいキットだそうだ」という話は伝わっていたものの、例にもれず(当時は)ドイツ軍車輛一辺倒だった私はスルーしてしまった。その後、トミー版やイタレリ版で1,2種手に入れ、さらに中古品で、確かダッジの6輪はオリジナルのMAX版を(何かのはずみで)入手してストックしているが、どれも完成させたことがないので、あまり大きなことは言えないけれど。

ご冥福をお祈りいたします。

●個人的には、「大塚先生といえばコレ」とまず思い出すもの、および実際に役に立たせていただいているものが、上に表紙写真を出した一冊。ホビージャパン別冊で1983年に発行された(今奥付を見て確認した)、「JEEP JEEP JEEP ―ウィリスMB、フォードGPW写真集」、大塚康生 編。「1」と書いてあるからには、うまく行けば続編も出してやろうという予定もあったのだろうと思う(もしも出たらどんな内容になっていたのか、というのも気になる)。

実際に大塚先生がどれだけ編集に関わっていたかはよく知らないが、マニアックな視点でウィリスMB/フォードGPWについてまとめていて、「写真集」と表題にはあるものの、その開発や使われ方、仕組みなどもくまなく勉強できる。要所に、ジープの性格をよく表した大塚先生のイラストが挟まれているのも素敵。マンガ(アニメ)調のイラストだけでなく、「ジープが町にやってきた―終戦時14歳の画帖から」(平凡社ライブラリー)に載っていたような、昔のスケッチの転載もある。「軍用車輛少年」だった大塚先生の面目躍如。

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連合軍車輛(特にアメリカ軍車輛)にあまり興味がなかったはずの私が、なぜこの本はたまたま入手したのか、今では思い出せないのだが、「よくぞ確保した!」と過去の自分を褒めておきたい。なにしろ「日本語で読めるジープの内容の濃い一冊本」なんて、これ以降も(たぶん)出ておらず、古本市場にも滅多に出回らない(出てもえらく高い)。

●最近のあれこれ。

10日ほど前、鎌倉の県立大船高校の近くにある「長窪の切通」に行ってきた。「古道」とか「切通」とか「変なトンネル」とかにはついつい野次馬根性で惹かれてしまう私だが、割と最近まで存在を知らなかったもの。

鎌倉の切通と言えば、古都鎌倉とその周辺の出入り口にあたる「鎌倉七口」が有名だが、もともと細かく尾根と谷戸が入り組んだ鎌倉近辺には他にも小隧道や切通が数多い。大船高校のあるあたり(高野)は古都鎌倉を囲む山の外側で、外側でも歴史のある山ノ内からもさらに外れた地区だが、おそらく、古い生活道路だったと思われる切通が2カ所も残っている。どちらも、尾根を横切るために開削したというよりは、現在大船高校がある高台への上り下りが容易なように、細い尾根筋の道を均す目的で掘ったらしいもの。

この2カ所の切通はGoogleMapsにも記載されていて、東側のひとつ、熊野神社の裏手の尾根を大船高校の裏に上る切通には「高野の切通し」、西側の高野公園の横手を上る切通には「長窪の切通し」と表示されている。

不思議なのは、呼び名にどうも混同が見られるらしいことで、鎌倉市役所サイトの「かまくら景観百選」に取り上げられている「31 高野の切通」は、記されている住所(高野4-4地先)からみて、GoogleMapsの「長窪の切通し」のほう(GoogleMapsの「高野の切通し」は住所が「大船」になる)。どちらかが間違えているのか、それとももともと適当なのかはよくわからないが、とにかく、今回見に行ったのは西側のほうの切通。

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今回は北鎌倉側から歩いた。1枚目写真は北鎌倉駅裏の道を大船方面に進んで、どん詰まりにある素掘りの隧道。この隧道も「かまくら景観百選」に「34 素掘りのトンネル」として取り上げられている。2~3枚目が今回目当ての切通。こうして写真に撮ると勾配がよく判らないが、2枚目写真は坂になっている切通の上側から下りを撮ったもの。2枚目は半ば,3枚目は出口近くから振り返って上り坂を撮ったもの。

最後の一枚は、切通を通って下の谷戸に抜け、振り返って出口を撮ったもの。左は「高野公園」の入り口で、右の住宅脇が切通。こんな感じなので、大船側から行こうと思ったら簡単には見つけられなかったかもしれない。

切通の多い鎌倉だが、この狭い道を、これだけ切り立った、垂直に近い両岸で掘り下げているのはちょっと珍しい気がする(朝夷奈切通の、峠を越えた横浜側に短距離だが似たような切り立った部分があるが)。まるでBTM-3を使って掘ったような!(判りにくい例え)

これだけ綺麗に切り立った崖面が残っているということは、この切通自体、それほど古いものではないのだと思うが、主要な街道などではないのでネット上で調べてもしっかり来歴などは出てこない。

20200224_165852 ちなみに東側の、熊野神社裏手の切通は、以前に2度ほど通ったことがある(その近くになかなか素敵なトンネルがあるので)。切通自体は、今回行ったものよりも、もうちょっと「開放感」のあるもの。写真は昨年2月撮影。

●春先のフキノトウの季節はとうに過ぎて、そろそろ他の春の山菜が出始める頃。

どうも天候の具合とか、草刈りのタイミングとかの問題で、ノビルは年によって出来・不出来の波が非常に大きいが、今年は、例年アテにしている場所がほぼ全滅状態。ひよひよと細っこい物しか生えていない。

一方で、アケビは毎年わさわさと生え放題で、今年も花が咲き始めるとともに芽も伸びてきたので、先週中ごろに初収穫。それから立て続けに3回ほど収穫した。

例によって、さっと茹でて「アケビ特盛たまごご飯」にして食べる。アケビの芽だけ辛子マヨネーズなどで食べるのもいいが、やはり生卵との相性が一番いい気がする。そうこうしているうち、「全然ダメ」と思っていたノビルも、ちょっとまともに生えている場所を見つけたので少々収穫。こちらは根の部分は出汁で漬けて、葉の部分はチヂミ(パジョン?)にして食べた。ノビルのチヂミだから「ノビチヂミ」?

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ウグイスの初鳴き

●19日金曜日、名越の山の中でウグイスのさえずりの初鳴きを聞く。

「いや、ちょっと待って。今のウグイスの声だよね? ウグイスって2月にもう鳴くもんだっけ?」

などと思いつつ、立ち止まってしばらく待ってみたが、結局、第2声は聞けなかった。

あれは結局聞き間違えだったんだろうか、などと思っていたのだが、21日日曜日、二子山に登りに行って、二子山上ノ山~下ノ山~阿部倉山と縦走する間に、今度は数回耳にした。

ちなみに「ウグイスの初鳴き」は、気象庁がまとめている「生物季節観測」のメニューの一つに取り上げられていたのだが、2020年11月、気象庁は生物規則観測の対象となる種目・減少を大幅に削減することを発表。ウグイスの初鳴きも、対象から外されてしまった。

大幅削減の理由は、個体数の減少などにより観測自体が難しくなったり、ブレが大きくなったりしたためだそうで、動物23種、植物34種が対象だったものを、動物(ウグイス含む)は全廃、植物もアジサイ(開花)、イチョウ(黄葉・落葉)、ウメ(開花)、カエデ(紅葉・落葉)、サクラ(開花・満開)、ススキ(開花)の6種目9現象に絞られることになった。寂しいことよ。

●上で書いたように、21日日曜日、二子山に登る。

ここのところ、近所から二子山をはるかに眺めて、「そろそろ久しぶりに行くか」と思ったのが一つ。さらに、草が茂っていないこの季節こそ、二子山上ノ山から下ノ山、阿部倉山のルートを歩くにはもってこいなのではないか、と思ったのが理由の二つ目。

Hutago 以前にも書いたが、二子山上ノ山山頂までは、高角砲陣地があった名残りで自動車も通れる「砲台道」が続いているため、お散歩感覚で登ることが出来る。が、そこから先、双子の片割れである下ノ山と、それに隣接する阿部倉山にも足を延ばそうとすると、途端に道は面倒臭くなる。

そもそも二子山の二つの山は「寄せて上げて」みたいな格好をしていて、間の谷は妙に深く切り立っている。上ノ山から下ノ山にハシゴするには、その谷を「降りて、登って」する必要がある。右写真は名越の大切岸から見た二子山。この角度からだと阿部倉山は下ノ山の手前になるので判らないが、下ノ山と阿部倉山の間の谷も結構険しい。

そもそも上ノ山山頂と違って、下ノ山山頂と阿部倉山山頂には何があるというわけでもないので、そちら方面に歩くのは、初めて二子山に登った時以来。

●まあ、一応上ノ山に来たからには、恒例行事的に砲座跡と、藪の中の探照灯台座(?)のコンクリート柱を撮る。

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相変わらず、藪の中のコンクリート柱は頭がかすかに見えるだけ。

前述のように上ノ山から下ノ山、阿部倉山に向かう道はかなり険しく(といっても、もちろん、逗子・鎌倉近辺の山のレベルで「険しい」なのだが)、途中は上り下りの補助のためにロープが張られている場所も。久々に歩くと結構きつく、ああ、hn-nhさんやみやまえさんを道連れにしたい!などと不穏なことを考えたが、前述のように下ノ山や阿部倉山に軍事遺構の類は特にないので、多分付き合ってくれないだろうなあ。

下写真群1枚目は上ノ山と下ノ山間の道の最も低い部分の尾根。この写真だと、「まっすぐ綺麗な歩きやすそうな道」にしか見えないが、左右はほとんど断崖絶壁という、逗子・鎌倉近辺の山ではよく見る狭い馬の背の尾根。3枚目は下ノ山山頂。以前に訪れたときは普通だった看板が、アバンギャルドな状態に。これも前に書いたが、終戦直後の米軍の空撮写真を見ると、下ノ山山頂にも何かの施設(観測所?)があったように見えるものの、現在は(ちょっと怪しい深い窪地以外)特に何の痕跡もなく、木も茂っていてまったく見晴らしも利かない。

4枚目は下ノ山~阿部倉山間の最も傾斜がきつかった下りで、この写真だと判りづらいが、写真の道の先と足元とでは、たぶん5m以上の高低差がある。しかし、こんなに険しい山道なのに、片側の谷の木々を通して南郷中学校や南郷上ノ山公園が見え、公園のグラウンドで遊ぶ子どもたちの歓声やサッカーボールを蹴る音が響いてくるので、なかなかシュールだ(結構奥山に踏み入った気がするのに、ふと気付くとすぐ横が住宅地、というのは、逗子・鎌倉の山道にはよくある)。

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6、7枚目は阿部倉山から降りきったところの石仏群。最後の1枚は人里に降り立って振り返ってみた阿部倉山。二子山もそうだが、お椀を伏せたような山なので、ふもとでむしろ傾斜がきつく、山頂は割となだらか。

●ここのところ毎年、フキノトウの収穫をアテにしている野原が、今年は冬の間に草刈りされなかったこともあってか、ほぼ壊滅状態で、ごくごく小さなフキノトウが少数しか採れず。

半ばあきらめかけていたのだが、あちらこちらで少しづつ採り集めたら、結局はある程度の量になったので、フキ味噌とオリーブオイル漬けを作った。相変わらず、材料の分量に関してはまるっきり適当。

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今年のフキノトウはこれで打ち止めかなあ。ちなみにノビルも全滅状態。

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ひぽぽたまんデカール

●すでに前世紀の話になってしまったのだが、nifty模型フォーラム時代からの友人、はるとまん氏と共同で35AFV用のデカールを自作して、コミケだの、模型店への委託だので少数売ったことがある(1999年~2000年)。

図案は私がお絵かきソフトで(ぶっちゃけて言うとwindowsのペイントで)制作し、それをはるとまん氏があれこれ調整して、氏の持っていたアルプスのプリンター(白が印刷できる!というので、デカールを自作したいモデラーの間で人気があった)で刷る、という共同作業で、私:かば◎と、はるとまん氏(模型仲間内での呼称はたまん、たまんちん、たまんさんetc.)の名前を掛け合わせて、レーベル名は「ひぽぽたまんデカール」。

20210218_233250 中身は私の趣味全開(言ってみれば私の趣味に無理矢理たまん氏を付き合わせた感じ)で、第1集が小国陸軍詰め合わせ(ハンガリーとブルガリアとスロバキアと中国)、第2集がフィンランド、第3集がルーマニアだった。

改めて見てみると、考証のミスがあったり、中間色のベタがうまく出ずに細かい縞模様が入ってしまっていたり、そもそもベタのクリアデカールのシートに印刷しているのでいちいち切り出す手間がかかったりと、いろいろ問題もある。が、何より最大の問題は、自分が欲しくて作った癖に、これを使った私自身の完成品が今なお一つもない、ということだろうと思う。

いやもう、デカール作ってから5分の1世紀過ぎちゃいましたよ。かろうじて、デカールまで貼った作りかけとしては、スロバキア陸軍のLT-38がある。……今年は完成させたいなあ。

なぜいきなりそんな昔話をしているかというと、現在進行中の「SUMICON 2021」でご一緒している「遼太郎」さんが、なんとこのひぽぽたまんデカールを使って作品を完成させたことがある!というのが判ったため。ご本人の許可を頂いて、作品写真を掲載させていただくことにした。

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一瞬、「わ、すごい、TACAMだ!」と思ってしまったが、よく見るとIII突用のStuKを流用した即席マーダーIIIというレア車種(サイバー白箱でキットが出ている)。いやまあ、実際にTACAM(=対戦車自走砲)ではあるんだけれども。

デカール指定の車種でなく、いわゆる「IF仕様」だが、TACAM R-2用の塗装とマーキングがバッチリ合っていて、いかにも「ありそう」な雰囲気。ルーマニア軍の「カーキ色」がどんな色だったかはルーマニアのサイトの掲示板でもあーだこーだ論争になっていたくらいで、実際のところよく判らないのだが、遼太郎さんのこの作品の色は、私のイメージするルーマニアン・カーキ(ちょっと緑色に振れた感じのOD色)にもよく合っていて素敵。

今度たまんちんにも教えてやらなきゃ。

20210218_173125 ●母が、田舎(奄美大島)から“たんかん”が届いたので取りに来いというので、川崎の実家に泊りがけで出掛ける。たんかんは(日本では)奄美、沖縄あたりでのみ作られている亜熱帯産の柑橘類で、wikipediaによればポンカンとネーブルの交配種だそうだ。何年か前、ミカンコミバエが発生して島外への出荷が禁止されたりしたが、その後復活した。

親戚(従姉)が地元で買って送ってくるものなので、都会で流通するような見栄えのいい実ではなく、見てくれは何となく悪いが、味は悪くないはず。一般に、普通のみかん(温州みかん)に比べ非常に甘みが強いが、皮が薄いくせに剥きづらい。今回貰ってきたものはまだ食べていないが、さて、今年分の味はどうかな。

20210218_094158 ●昨日(18日)は今季一番の冷え込みだったとか何とか。ただ、その前日・前々日あたりと違って風があまりなかったのが救い。

右は実家の近所、団地の日陰の斜面で見た霜柱。

●我が家の近くにある国の史跡「名越切通」は、切通本道と、隣接する「まんだら堂やぐら群」、北東に伸びる尾根筋の「お猿畠の大切岸」が指定区域だが、数日前に歩いていたら、その大切岸下の遊歩道の北東端の藪が切り開かれて、その先に歩けるようになっていた。

20210211_141313 20210211_141218 大切岸北東端の「水道山」(鎌倉逗子ハイランドに水道を供給する施設がある)南面には、崖に巨大な横穴があって、10年前、東日本大震災の直後に散歩していてその横穴にたどり着いてびっくりしたのだが、その後、藪に覆われて見に行けなくなっていた。

今回、道が切り開かれたおかげで、久しぶりに見ることが出来た。震災直後に大穴を初めて訪れた際の記事はこちら。この時は「巨大なやぐら」と書いているが、実際にはやぐらではなく、石切り場の跡だと思う。

右写真、1枚目は大切岸下遊歩道の突き当たりから新しく切り開かれていた小径。笹薮を突っ切る形。さすがにこの笹薮がそのままの状態のところはなかなか歩けない(と言いつつ、ちょうど1年前、そんな笹薮にhn-nhさんとみやまえさんを道連れにして突入したが)。

この小道をそのまま道なりにどんどん進むと、やがてちょっと下って、水道山の尾根から名越里山に下る山道に合流する。その途中に、斜面の上に上がる分かれ道があって、落ち葉に埋もれかけた古い石段がある(写真2枚目)。これを上がっていくと、例の大穴がある。震災直後の記事で、「藪に埋もれかけた石段が下の方にあるのだが、下っていったら竹薮で行き止まりになった」と書いてあるのが、今しがた登ってきた道だったという次第。で、久しぶりに見た大穴がこちら。

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家具など持ち込んで悠々暮らすことが出来るほどの広さがある……が、このところ逗子近辺では崩落死亡事故が何件も起きているので、不用意に入ったりしないことにする。何しろこんな場所で崩落に巻き込まれたら、しばらく発見されないことは確実。

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SUMICON 2021

●サイト「週末模型親父の部屋」が昨秋復活。さらに、この2月スタートで、みんなでわいわいAFVモデルを作るイベント「SUMICON」も復活開催されることになった。

作りかけをやたら抱えていることもあって若干迷ったのだけれど、ネットを通じてお付き合いの深い皆さんも揃って参加するということで、(やはりこういう機会だと完成が近づくので)ご相伴にあずかることにした。

Sum2021 ●今回はコンペ形式にはせず、まっさらの未製作からのスタートでなくても良い、ということではあったのだけれど、とはいってもあまりに製作を進めてしまったものでは何なので、あれこれ考えて絞った候補がこの4つ。

右上から時計回りに、

AZIMUT 1:35 ヴィッカース・ユーティリティ・トラクター:ベルギー軍が使用した1人乗りの軽トラクターのレジンキット。35なのに72クラスの小ささ。操縦席内が椅子だけでレバーとかペダルの類が何にもパーツ化されていないのが難点。履帯は非可動式のカステンのI号戦車用が入っている。

テックモッド 1:35 T-50増加装甲型:砲塔およびキューポラの形を修正しようと、若干手を入れた形跡あり。今T-50を本気で作るなら、たぶんホビーボスを選ぶほうがいいと思うのだが(ホビーボスのキットをちゃんと見ていないが)、このキットも(いかにも一頃の東欧製キットではあるけれど)、そう悪くはないと思う。何と言ってもこの「増加装甲型」キットのいい点は、ラジエーターグリル上の盛り上がった金網が、プレス済みのエッチングで入っていること。

M 1:35 D-8装甲車:ちょっと半透明っぽい白いプラ質がキモチワルイ、そしてモールドもでろでろ気味の簡易インジェクション?キット。かつてかさぱのす氏が完成させ、バリエーションキットのD-12はme20さんが完成させている。私の周囲、勇者多いな……。

DES ソミュアMCG5ハーフトラック(砲牽引車型):同じケグレス方式のハーフトラックでも、昔作ったNKCのユニックP107と比べるとずいぶん大味で荒っぽいキット。

どれにしようかしばし悩んだのだけれど、結局は、「今回はパーツの少ないレジンキットでバタバタとやっつけよう」などという邪な考え(あるいは皮算用)のもとに、ソミュアのハーフトラックでエントリーすることにした。

キット内容はこんな感じ。

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シャーシにはいくつか、すでにパーツを接着してあった。荷台部分は一体成型なのか、それともアオリ部分は別で自分で組み立てたのか定かでない(接着跡が見えないので、たぶん一体パーツだったのだと思う)。少なくとも20年程度は我が家の押し入れで“熟成”されていたものなので、有機溶剤臭はしない(miniart studioのトルディのように、いつまで経っても臭いのもあるが)。

若干の歪みがあるパーツもあったので、組立前に煮る必要がある。なお、上右のパーツ写真で下辺中央あたりに写っている足回りのアーム(H形のもの)が片側分しかないが、これは撮影の直前、箱をひっくり返してパーツを床にぶちまけてしまったため。この後、無事に発見回収した。他、パーツをチェックしたところ、ブタの尾形の牽引フックが3つしかなかった(本来、前後2つずつで4つ必要)が、これは購入後に無くしたのか(あるいはこの直前にぶちまけたときに無くしたのか)、もともと無かったのか不明。

もっともそれ以前にこのキット、組立説明書に図解は最小限で、あとは「*番のパーツを*番に付けろ」という具合に文章でステップ解説してあるだけ。その一方で、パーツリストのようなものは入っていないので、どのパーツが何番なのか判らないし、パーツの過不足もしっかり確認できない。ただし、いくらなんでも番号で手順を説明しているのにリストがないのはおかしいので、私自身が購入後にどこかに仕舞って無くしてしまった可能性あり。

とりあえず、今後、ぼちぼちと製作記事などUPの予定。

20210202_213004 ●世は緊急事態宣言下にあるが、行かないでいるとそれはそれで問題が出てくるので、先週末、1晩泊りで川崎の実家に行く。土曜日にはドイツ人Pも来ていて、大いに飲む。

Pは年末年始にドイツの実家に帰っており、帰国後の2週間の隔離も明けてから顔を見せに来たもので、年またぎの実家製シュトレンを土産にもらった。市販品のようなオシャレな見てくれはしていないけれど、しみじみと美味しい。

●自分ではあくまでもコレクターではなくてモデラーだと思っていて(「完成させる模型」が「買う模型」の数十分の1に過ぎないとしても)、やはり買う模型は、多少なりとも「作るつもり」があるものに限られるのだけれど、中には「これはもしかしたらこの先作ることはないかもしれないけれど、買って持っていたい」と思うキットもある。

それは「作り上げる技術や知識がちょっと足りない気がするけれどネタ的に魅力に抗えない」とか、「ネタ的に自分の守備範囲からちょっと外れるかもしれないけれど、とにかくキットとして素晴らしく魅力的」とかいった感じのもので、結局買わずに我慢することもあるけれど、我慢できずに買ってしまうこともある。

と、前置きをしつつ。

「そんなんいつ作るんだ」と思いつつ購入をためらっていたMENGのFCM 2C多砲塔重戦車。たまたまfacebookのAFV模型板で話が出て、「いつか買いたいと思いつつ我慢している」といったようなコメントを書いたら、「なくなっちゃうよ」と言われ、つい流されて買ってしまった(実家からの帰り、横浜のVOLKSでたまたま見かけたので)。

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箱もそれなりに大きいが、そのうえで中身がぎっしり詰まっていて、一度箱を開けてパーツを出すと、きっちり収めるのが難しい。

さて。そんなわけで「いつ作るか判らないけれど前からとても欲しかった」キットを手に入れたわけだが、実はこのキット、左写真にあるように、「¥7020」の値札シールが貼ってある。しかし、実際に買って、直後にレシートを見てみると、「¥7560」とある(両方とも税抜価格)。気付いてレジに引き返し、「値段、打ち間違えてますよ」と言ったら、「済みません、値札シールの方が間違いでした」と言われた。

ここで買い逃して、結局買えないままになってしまうのも何なので、結局そのまま「¥7560+税」を払って買ってきたのだが、何だか釈然としない。>横浜VOLKS

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ここ数か月の買い物・補遺

●すでに新年になって半月以上。

すっかり当「かばぶ」更新をさぼっていたのは、仕事に追われたり仕事をさぼったり仕事から逃げたりしてワタワタしていたため。きちんと仕事をしていればブログの更新時間も模型の製作時間も取れたはず、というのは言わない約束で。

まあ、そんな有様ですが、本年もよろしくお願い申し上げます。

●セータ★さんのところの記事で知ったのだが、ICMが今年、ラフリーV15Tを出すそうだ。

うぉう! 攻めてるなあ、ICM!(どこに向かって攻めているかは置くとして)。これはとても楽しみ(セータ★さん同様、私もストックのどこか奥底に、Al-Byのレジンキットがあるけれど)。

ラフリーV15Tは25mm対戦車砲の牽引などに用いられた4輪軍用車で、割とダサダサなデザインの多い第二次大戦のフランス軍車輛には珍しく、現用車両としても通じそうな格好良さがある。

ただ、実車でちょっと不思議なのは、車体後部の制動灯が英語で「STOP」という透かしになっていること(Al-Byのキットでもそのようなモールドになっていた)。フランス人、英語はあまり好んで使いたがらないイメージがあるけどなあ……。

20210118_174858 ●ラフリーV15Tに引っ張らせるもの、ということでは、まさに本来の役割の25mm対戦車砲がエレールから出ているが、かなり古いキットなので、ディテール的に最新キットと組み合わせるのはちょっと厳しい。

写真はかなり昔に、防盾を作り変えるなどそこそこ手を加えて組むだけ組んであったエレールの25mm砲。

もっともこれは、(タミヤの)ルノーUEに牽引させるつもりで作ったもの。牽引姿勢なので脚は閉じてトラベリングロックも掛けてある。しかしラフリー向けにもう一つ作る気にはなれないなあ(別に、砲は一つでUEに付けたりラフリーに付けたりして遊んでもいいわけだが)。

●タミヤのロレーヌも引き続きちまちまいじっているものの、1記事立てるほどの進展は無し。というわけで、昨秋以降、特段キットレビューとか入手報告とか書いていないキットや半端なパーツについて書きとめておくことにする。

20210117_224137 ▲まずは半端な買い物から。一つ目は、ブロンコのPz.kpfw.35(t)/LT vz.35の砲塔パーツ。

砲塔そのものが欲しかったというよりは、ディテールがモールドされた、戦闘室/エンジンルームの隔壁が欲しかったのが第一。CMKのTACAM R-2(ルーマニアの対戦車自走砲)のキットはオープントップ車輛なのにシャーシ内がからっぽで、複雑なディテール付きの隔壁は追加工作が大幅にショートカットできる有り難いアイテム。

そもそもブロンコの35(t)系はR-2のキットを持っていて、もともと個人的に(通常の戦車の場合)インテリアを工作する趣味はないので、そちらから隔壁パーツをコンバートしようとも思っていたのだが、このパーツ、一部外側にも影響するので余分にあるならそのほうがいい。また、出来のいい砲塔パーツが丸ごとあるのも、CMKの35(t)のディテールアップに使えるので無駄にはならないはず。

……手を付けずに死蔵したままだと結局無駄なんじゃないの、と言われそうだけれど。

20210117_224207 ▲半端な買い物その2。タミヤのKVの砲塔パーツ。

溶接砲塔の非対称を表現している(たぶん)唯一のもの。

トランペッター・ベースで作りかけている(というかほとんど組み立て終わっている)1940年型後期の装甲強化砲塔搭載型は、素直にそのまま組み上げて終わりにしようと思っていたのだが、イエローサブマリンのパーツばら売りラックにこのパーツがあるのを見た途端、「これをベースに砲塔だけ新しく作り直そう……」と、つい変な欲が出て手を伸ばしてしまった。

もともと、タミヤのKV自体、あっちこっち不満点があるのでストレートに作る気がせず、いっそ、大昔に最初に発売された「KV-1C」から砲塔を持って来て、タミヤ新キットの仕様と同時期の鋳造砲塔搭載型を作ってやろうか、そうしたら溶接砲塔が余るから、そっちはトラペに回して……などと、獲らぬ狸のなんちゃらを妄想したこともあったりして(結局のところ、タミヤのKVをどう料理するかはまだ決めかねている)。

ちなみにこの砲塔パーツの枝にはペリスコープカバーやツノ型ペリスコープのパーツが足りないので、トラペに使う場合はトラペのパーツと合体させる必要がある。

20210117_224318 ▲最後に半端じゃない買い物。

カッパーステートモデルズのコードロンG.IV水上機型、1:48。私にとっては初のカッパーステイト。

牽引式のくせに胴体がスケルトンという、何を考えているのかちょっとよく判らないコードロン社の初期の機体。単発のG.IIIに対して、G.IVは双発。主翼は前半だけ翼形で後半はペッタンコなのはG.III、G.IV共通の特徴。これまた何のメリットがあるのかよく判らない。……が、その諸々の変てこな点が魅力の機体。

実を言うと、G.IVの水上機型というのは、一応、1,2枚の写真はあって実在は確かであるものの、文献的記録には乏しく、どうやら試験的に少数(もしかしたら1、2機)作られただけのタイプであるらしい。

基本、(戦車にしても)実戦に出ていない試作機とか試作車輛とかにはあまり惹かれないので、この機にしても実際には通常の陸上機型のキットが欲しかったのだが、数年前に発売されて、(もともと入荷数も少なかったのだろうが)一度、確かVOLKSあたりで見かけただけで、たちまち店頭から姿を消してしまった。

今回買ったこの水上機型のキットも見かけるのは初めてで、「これを買い逃したらカッパーステイトのコードロンには一生縁がないかも」と、つい手を伸ばしてしまった。実はこのキット、1万円を超える高額キットで、衝動買いしていいようなものではないのだが、魅力に抗しきれなかった。ちなみに帰ってからパーツを検証したところ、プラパーツ的には陸上機型のものは全部揃っており、デカールと、エッチングパーツの一部が異なっている程度であるらしい。個人的には、陸上機型の説明書をなんとか入手して、陸上機型として作りたい感じ。

とはいっても、このキットの内容はあまりにも高度な感じ(キットの出来が悪いのではなく、むしろ出来が良すぎ+細かすぎ)で、久しく飛行機(特に第一次大戦機)の製作から遠ざかっている私としては、手を付けるのに怖気づいてしまう。

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ゆく年2020

●よく考えたら、今年は一つも模型を完成させていないかもしれない。

あっ。もしかしたら去年も。そう考えると、SUMICONって(というか締め切りって)偉大だなあ、と。

●例年通り今日は川崎の実家に行って、そのまま新年を迎える予定。皆様よいお年を。

来年にはコロナ禍が沈静化してくれるといいな、と思うけれど、

・世界の時間距離が(例えば第一次大戦時のスペイン風邪の時と比べても)格段に短く、(規制されているとはいえ)交通量も多い時代にあって、

・しかも濃淡はあっても各国で感染拡大予防策を取っているため、逆にその分感染拡大の期間は伸びることになる。

――というようなことを考えると、来年いっぱいもどうなのかなあ、という気もする。

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オースチン装甲車Mk.III MASTER BOX 1:72

20201230_154827 ●タミヤの「マーダーI改めロレーヌ」は、ああでもない、こうでもないと頭を悩ませる部分が多く、作業していて悶々としてくるので、箸休め的に浮気する(……と、そんな感じでそのまま放置してしまうことも多いので気を付けたい)。

ネタはあまり悩まずに手っ取り早く形になるミニスケール、ウクライナ・MASTER BOX(MB)1:72のオースチン装甲車Mk.III。MiniArtから最近1:35でのシリーズ展開が始まったばかりのネタで、ネット上でそれを見て「ああ、そういえばミニスケールのヤツを持ってたなあ」と思い出して引っ張り出してきたもの。

●買ったのは数年前。確か、かさぱのす氏達と飲み会をした時に、donjiさんだか誰だったかが買ったのを見せてもらい、出来の良さに惹かれてその後購入したもの。

MBは「第一次大戦100年記念」として、2014年からMk.I/Mk.II菱形戦車のキットを数バリエーション発売。さらにその後追加したのがオースチンのキットで、この「Mk.III」と、後輪がダブルになった「Mk.IV」(ただし、通常はMk.IVという呼称は用いず、1918年型と呼ばれることが多い仕様)の2種が出ている。

実車はオースチンが第一次世界大戦中、帝政ロシア政府の求めに応じて開発・生産したもので、初期の生産型(Mk.I~Mk.III)は主にロシア軍で使われ、さらにロシア革命の混乱期には赤白両陣営で使われただけでなく、革命戦争にちょっかいを出したり巻き込まれたりした周辺諸国も鹵獲使用したりしている。1918年型は革命で輸出が差し止めになったのでイギリス本国が接収したり、他国(日本を含む)に輸出されたりしている。

●出来が良いので、基本、キットのストレート組み。ちなみに同社のMk.I菱形戦車雌型も発売後まもなく買って、組むだけは組んでいるが、これも(ベルト式の履帯がいまいちなのを除けば)非常によいキットだった。

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塗装の便を考えて、現時点では車輪は未接着。車輪まで仮組みして写真を撮りたかったが、取付穴がユルユルだったので断念した。

若干なりと手を入れたのは、

  • フェンダー、機銃防護板を薄削り。
  • ボンネット横の取っ手を金属線(0.2mm径くらいのエナメル線)で作り変え。
  • そのままキットのパーツを使ったら、完成までに必ず折ってしまいそうな右面の乗降ステップを金属支柱に交換。
  • シャーシ前端のフックを金属線製に交換。これも破損が怖かったのはもちろん、キットパーツを片方ピンセット・カタパルトで飛ばしてしまったため。ついでに、キットパーツでは再現されていなかった軽いヒネリも加えた。
  • 銃塔の下の円筒形に膨らんだ部分に、キットは小さなライトの部品が付くが、(塗装例との関係で)取り付けず、基部のモールドも削り落とした。
  • 同じ部分、CADデータに基づく金型切削の際に入ってしまった表面の縦縞状の軽い凹凸を、目立たないように軽くヤスリ掛け。

……など。

●キット指定の塗装例/デカールは、基本、ロシア革命時のあっちこっちの陣営+大戦後のドイツ、オーストリアのもの。ここの塗装例については、箱裏の塗装図に一応国旗が示されているものの、何年何月の何軍といった細かい説明は何も書かれていない。

そのあたりは、このサイトのレビューで解説が載っていて非常に助かる。


●若干の日々の報告。

月曜日、散歩に出て、夕方に鎌倉の大町・小町間にある通称「お妾さんトンネル」を久々に通る。

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このトンネルに関しては以前にもちょろっと紹介したことがあるが、大町の奥の谷戸(しかもその支谷)をずんずん登って行って、もうほとんど尾根目前、というところにある。路面にはタイヤ跡があるが、普通の乗用車は通れるのかなあ。軽自動車でないと無理な気もする。

1枚目は大町側の入り口。もうちょっと早い時季に通っていれば、紅葉がもっと綺麗だったかも。

2枚目も大町側の入り口で、さらに近づいたところ。葉の間に見える空で、尾根のてっぺんからトンネルまでは数mしかないだろうことがわかる。「これなら切通でもよかったんじゃ?」レベル。しかし、鎌倉にはこんなふうに、「登って登って、もう尾根直前」に掘られた古い小トンネルがいくつかある。どれも、「いや、これは地元の人じゃないと知らないよな」という位置にあり、またどれもなかなか雰囲気があってよい。

3,4枚目はトンネル内部。昔懐かしいタイムトンネル風。元はたぶん素掘りのトンネルだったのが、現在ではコルゲート板のライナーで覆われている。

5枚目は小町側の入り口。トンネルを抜けた先は急坂で、それを降りると腹切りやぐら(新田勢の鎌倉攻めの際、北条一門が集団自決したとされるやぐら(横穴))の下あたりに出る。

ちなみに俗称が「お妾さんトンネル」なのは、その昔、地元の有力者がお妾さんのもとに通うために掘らせたためである由。どっちからどっちに通ったのかまでは知らない。

●同日。鎌倉駅前まで出たら、鶴岡八幡宮の狛犬までがマスクをしていた。

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●話は前後するが、先週、披露山から撮った富士山。この季節、晴れていればだいたい夕景の富士山は美しい。

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