BT

BT-42の重箱の隅(8)

●素直に作れば組立は1日で終わってしまうようなキットに何をしてるんだか、状態な製作記その8。

F1030515 ●今さらながらのことなのだが、キットの操縦手用ハッチは、蝶番のベロがすべて3つのリベット止めに表現されている。しかしこれはBT-7の1935年型でも比較的初期の生産型の特徴のようで、一般的なBT-7、およびBT-42では戦闘室上面にかかる2ヶ所を除いては溶接に変更されている。

……ハッチ接着前のパーツ状態ならリベット頭を削り落とすのは簡単だったのだが、付けてから気付いたので余計な手間になってしまった。

なお、戦闘室上面の2ヶ所はなぜか3点のリベット止めのままなので、キットの状態でよい。

●前照灯を一つ、はね飛ばして行方不明にしてしまったのは先日の日記に書いた通り。

さて、キットの前照灯は、オリジナルのBT用(A11、12)は不要部品扱いで、BT-42専用にドングリ風のより深い、十字のベルト状モールド付きのもの(S2、15)が入っている。

当然飛ばしたパーツも、その専用のほうの片方なのだが、改めて資料写真を見ると、どうもこの「深いライト」がBT-42の標準装備品というわけでもなさそう。

まず、キットの指定塗装・マーキングのひとつにも取り上げられている戦後の4号車(Ps)は、1945年8月にデポで撮られたとされる横斜め上方からの写真が有名だが、左ライトは浅いタイプ。右ライトは欠損しているようだ(ただし、フェンダーの陰に隠れて一部写っているものが、深いタイプの上辺に見えなくもない)。

かなり初期に撮られた5号車(R)、6号車(R)の写真では、キットのようなお椀型管制カバーが付いているのはわかるが、ライト本体の形状はいまいちよくわからない。

現存のパロラの8号車では、右ライトは浅いタイプ、左ライトは深いタイプらしい。ただし、戦時中がどうであったかはよく判らない。

44年6月、スヴェトゴルスクでの9号車の写真はほぼ正面からなので、これまた、管制カバーがお椀型であることしかわからない。

ヴィープリおよびその周辺での被撃破、放棄車輌で写真があるのは、12号車(R)、17号車(R)、19号車(Ps)と、車番不明の1輌(例えば「グランドパワー」10/8号、p104下写真のもの。クリーニングロッドが車体後部にある仕様のようなので、おそらく番号がPsになっているものの1輌ではないかと思われる)。うち、12号車は車体前部の写真がないので不明、17号車は左ライトしか写っていないが、浅いタイプの上にどうも管制カバーが平べったい。19号車は左右ともライトが欠損している。番号不明のものは、一応片方のライトが写っているが形状不明。

――そんなわけで、結局、どうもBT-42でも一般的には鹵獲時ママのソ連製前照灯だったのではと判断、A11、12パーツを使い、その前面をちょっと削って、フィンランド製と思しきお椀型管制カバー(Q9)を組み合わせて装着してみた。

いやいやいやいや。部品がなくなったから無理矢理に理屈を付けてるんじゃなく!!

●その他。戦闘室前面装甲の下にも溶接ラインを追加してみたり、操縦手ハッチのスプリングを付けたり、砲塔ハッチヒンジのツメを付けたり。

●直接模型製作とは関係のない考え事。

(1).改装用の装甲板はどこから持ってきたのか。

戦時中のフィンランド軍AFVで、最も大掛かりな改装が行われたのがBT-42である。砲塔は下部を中心に3割程度(?)元の砲塔を残しているが、新設された後半の装甲面積は結構広い。この装甲板はいったいどこから持ってきているのだろうか。

ルーマニアのTACAMの場合、オープントップの戦闘室の周囲装甲板は、鹵獲したソ連戦車の残骸から切り出して使っているそうで、実際、ブカレストに残るTACAM R-2の装甲を見ると、ブラックジャック並みにツギハギになっている(それでも上部側面あたりはどこから持ってきているのか不思議に思わなくもない)。

BT-42の場合もまずソ連戦車由来である可能性が考えられるのだが、特に砲塔側面のほぼ正方形の装甲板は、BTやT-26では面積が確保できない(できたとしてもあちこちにリベット穴が残ってしまう)気がする。ただし、パロラの8号車をよくみると、この装甲板は上から1/4あたりに横一直線にキズのようなものが入っており(左右とも)、実は1枚板ではなく継ぎ足し品である可能性もありそうだ。

なお、前半の曲面部も上に継ぎ足されているが、パロラの8号車の現在のクローズアップ写真をよくみると、下の「元BT-7部」は割と表面が平滑だが、上の継ぎ足し部は下に比べ錆の浮きが早かったのか、表面のざらつきが大きく、材質に若干の差があることを匂わせる。

(2).BT-42は装輪走行したか。

元資料が何かは判らないが、「グランドパワー」10/8号の記事に、44年6月のヴィープリ周辺での戦いで、第1小隊の2輌のBT-42は履帯を外して行動したとある。

実際、足回りは特に改装した形跡はないから機構的には装輪走行は可能なはずだが、本来、外した履帯を乗せておくフェンダー上は、BT-42では工具箱やら何やらで埋まっており、留め具もない。

整備班か何かが随伴していて、トラックに履帯を乗せて運んでくれるとか(たった2輌の別働隊に?)、履帯自体が何かの弾みに損傷して交換する余裕がなかったとか(2輌とも?)でない限り、わざわざ外したりしない気もする。前述のように履帯を外さないことを前提とした仕様に改装されている以上、装輪状態への転換訓練なども満足にしていないように思うし。

もちろん、したかしなかったかで何が大きく変わるというわけでもなく、単に「本当カヨー」と思っているというだけで、戦闘日誌か何かに「車輪で走った」と記録されているのであれば「へー」で終わってしまう話。

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BT-42の重箱の隅(7)

●若干の進捗状況。

まあ、元がドイツ戦車ほど入り組んだディテールを持っているわけではなく、キットも至れり尽くせりなので、基本は自己満足の世界。

F1030502F1030496●数箇所に溶接跡を追加。

戦闘室上面は前半だけ溶接されていて、側面装甲板との間は溶接されていない。

側面装甲板は、(キットではリベット列があるが)実車ではボルト止めで取り外せるようになっているらしい。もっともサススプリングもサスアームも、側面装甲板まで取り外さなくても交換できるように作ってある気がするので、なぜそこまでする必要があったのかよく判らない。

車体側面の第2転輪用サススプリング調節用台形パネルは、内側に一段プラバンを貼り増し、対応する車体側面板は削って、はまり込んでいる断面を再現した。

後部では、トランスミッション上の水平部と、後面の斜めの装甲との間には溶接跡がある。車体前半もそうだが、戦前の車輌だし装甲も薄いので、ソ連戦車とはいえ溶接跡はごくおとなしい。

また、側面のフィンランドで増設された装甲箱との間にも溶接線がある。ちなみにこの装甲箱、おそらく最初に引き渡された702号車のテスト中のものと思われる極初期の写真では装着されていない。

ところで、前述のように側面装甲板はボルト止めで外せるようになっているらしいのだが、箱を溶接したらもう外せないんじゃ……いや、フタを開けたら隠れたボルト全部にアクセスできるようになっているのか? それとも、「もう、こんなとこ外さねえよ」というフィンランド人の判断?

F1030501●「重箱の隅」4回目に書いたギアケース部分は最終的にこんな感じに。

リベット列が左右で色が違うのは、向かって左は先述のようにカステンのJS履帯の不要パーツから取ったが、右はこのキット自体の、側面装甲箱に隠れる部分から取ったため。

本当のことを言えば、別々の所から取ってくると大きさが微妙に違っているかもしれないし、プラの色が違うとその判別もしにくいので、こういうことはしないのが真面目なモデラーってものである。いやまあ、そもそも目立たない部分だしさ。

F1030493 ●車体最前部の誘導輪基部周りは、ちまちまと余計な工作をした。

車体側の円筒形の部分は鋼板を曲げたパイプなので裏面に溶接ラインを入れ、外側は鋳造部品なので接着剤を塗って表面を荒し、接合部ももう少し溶接っぽく見えるようにしてみた。

さらにその外側には忘れられている段があるので追加。

第1転輪サスのダンパーは、キットでは三角板パーツ(B27、28)と一体になっているが、実際にはB15、16にくっついているものなので、そう見えるように追加工作。ダンパーと向き合う第一転輪サスの「ひざ」の部分も少しだけいじった。また、写真ではごく僅かに見えているだけだが、第一転輪サスの付根の車体の出っ張りには、グリース用と思われるボルト頭があるので、これまた先述のカステンJS履帯で余るボルト頭を貼った(実際にはもう一回り小さいほうがよかったと思うが、どうせ見えない)。

このあたりは、オリジナルのBT-7では大きな前部フェンダーの裾に隠れてしまうので、ほとんど追加工作の意味はない。フェンダー改装のために多少は見えるようになったBT-42だからこそのワンポイントおしゃれのようなもの。

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BT-42の重箱の隅(6)

●フィンランド軍によるソ連戦車の改修は、「なんでそんなに細かく手を入れる必要があるんだ」と思う場合が多々あるが、BT-42のエンジン点検ハッチ上に設けられたエアフィルター部のカバー(パーツF4、F17)もその一つ。

ここはまったく別物に作り替えたというよりは、(どういう必要性があったのかよく判らないが)フタの部分だけ、深く周囲を包むように延長し、上面中央に新たに通風孔を設ける形に改造してあるらしい。

単にフタの形状だけが違うらしいというのは、フタが取れてしまった状態の19号車(Ps)の後ろからの写真で、オリジナルのBTと同じ周囲のスリットが見えることから推察できる(もちろん19号車が無改造であった可能性もないわけではない)。

・さて、そのエアフィルターのカバーパーツ。F4は上面に薄くドーナツ状にヒケがあったので、取っ手のモールドを一度削ぎとって、ヒケを埋めてから接着し直した。

・このカバーを取り付けるエンジン点検ハッチ自体も、BT-7/1935年型用(B-31)とは別のパーツ(F6)が用意されているのだが、2つを比べると判るように、BT-42用のほうが、エアフィルターカバーがだいぶ後ろ(ヒンジ側)に寄っている。

最初は、1937年型では位置が若干変わったのか、それともBT-42はエンジン点検ハッチ自体作り変えてしまったのかと思ったのだが、パロラの実車写真で確認しても、そこまで後ろ寄りではない。

F1030461 ・さて、というわけで、ここから先は辻褄合わせの連鎖の工作。

  1. 上記のようにフィルターカバー全体が後ろ寄り過ぎる感じだったので、ハッチのダボ穴を埋め、カバー全体を若干前に寄せてみる。
  2. ところがそうすると、砲塔バスル後部の角がカバー中央の突起と干渉してしまうことが判明。要するにキットでは、細かい寸法の違いから生じた干渉を防ぐためにエアフィルターカバー全体を後ろに移動させてあったらしい。
  3. 仕方がないので、カバー中央の突起(F17)を極々わずかに小径に削り込み、
  4. 一方で砲塔リングの前側をちょっと削り、一方で後ろ側にプラバンを貼って、砲塔をごくわずかに前進させるという荒業を敢行(ちなみに、車体側面の第二転輪サス調整パネルや車体上面のベルト用金具との位置関係でいうと、砲塔はもう少し前の方がよいというのも、踏み切った理由。ただしもちろん、それらの位置自体が正しいという保証はない)。
  5. その上で、ギリギリF17が当らない位置にフィルターカバーを再接着。

もちろん、以上の工作は、「始めてしまった以上後戻りできなくなってズルズルと」行ったもの。あまりやった甲斐があるとは思えない。とほほ。

・なお、キットの指定の通りに組むと、フィルターカバー上の取っ手はきっちり真横に来る。しかし、これは(1935年型用のパーツB32同様)本来はどっち向きでもいいものであるらしい(パロラの実車では斜めになっている)。

どうやらこれも、キットではフィルターカバー上面と砲塔バスル下のクリアランスがあまりないために、干渉を防ぐ意味で位置を決めたのではないかと思う。

……というわけで、へそ曲がりな私はちょっとだけ斜めにしてみた。

(追記:上記、「エアフィルターカバーの中心に妙なフタがある」問題だが、セータ☆氏によれば、これはフィンランド独自の改修ではなく、本家ソ連軍の車輌でも同じ特徴を持ったものがあるそうだ。gizmologのこの記事参照のこと。)

●先日も話題にした、「何だかどでかい建物内にBT-42がズラリと並び、奥にBA-20が一両控えている写真」について再び。

同じ写真の拡大版をかさぱのす氏に見せてもらい、一番手前の車輌が確かに19号車であるのを確認。

しかしその向こうの数輌について、先日は「前端に書かれた白い文字列の横幅から『Ps』番号であることが判る」と書いたが、改めて見ると、単にカーブした装甲板の鼻先の光の反射が文字列っぽく見えているだけのようにも思えてくる。さらに塗装も、どう見ても3色に見えない気が……謎過ぎる!!

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BT-42の重箱の隅(5)

●砲塔関係をちょこちょこと。

・フィンランド軍AFVは、結構律儀に、前後左右に上からと、5方向から見て敵味方識別ができるように国籍マークのハカリスティをベタベタと描き込んでいる例が多い。

そりゃまあ周り中、AFVがヌッと出てくればソ連軍である可能性が高いのだから、自軍AFVはものすごく判りやすくしておかないといけないのだ。

そんなわけで、BT-42も、もしかしたら天井にもハカリスティがあったりしないだろうか、などと余計なことを考えたりする。しかし、描かれているとすれば最も可能性が高いハッチが写っている写真、撃破された19号車(Ps.)、スヴェトゴルスクでのパレードの9号車(R)ではハッチ表面に何も描かれていないことが確認できる。……ならわざわざ書くなよ、と言われそうだが、まあ、こうやっていろいろ気になって調べるのがまた楽しいんですよ、みたいな記録として。

・砲塔上面前方の台形のハッチ(パーツF18)はせっかく別パーツになっているし、戦時中の実車写真ではここが開いている写真も多いので、ちょっと開きたくなる感じ。

ハッチの下は、キットではただ窪んでいるだけで、そのまま開いていいものかどうかちょっと不安になるのだが、よく見ると、窪みの突き当たりの面にまた僅かな窪みがある。

Tur02キット同梱の資料リーフレット表の最下段に砲塔内の写真があり、このハッチ下の砲塔内側部分も写っている。どうも構造がどうなっているのか判りにくいのだが、たぶんこんな風だったんだろうと描いてみたのが右のポンチ絵。

要するにハッチを開けた際の表面形状はほぼキットの通りで、窪みの突き当たりにペリスコープが付いている。赤で示したのがハッチの開閉アームで、円弧状のアームはハッチ左右端に付き、下端は左右が連結されていて(つまりコの字状になっている)、中央やや外側寄りに取っ手がある。この取っ手を青の矢印方向にカッチャンカッチャン動かしてハッチを開閉させる。下に突き出した黄色い円弧のパーツはアーム作動用のガイド。ここに開閉のストッパーか何か付いていそうだが、限られた写真では詳細不明。

ペリスコープ後方のオレンジは、おでこを当てる部分。キットのリーフレットにある現存実車写真では、ペリスコープ本体は取り外されている。

・砲塔の数箇所に付いているピストルポートだが、若干悩ましいのが左前方の斜めの面に付いているもの。かさぱのす氏も言及しているように、これはパロラの車輌(8号車)では向かって左にピストルポートの装甲栓が、右に尖頭ボルトがあるのだが、どうやら19号車や12号車では配置が逆のようだ。……どっちかにしろよフィンランド人!

ちなみにこの手の装甲栓式のピストルポートはオリジナルのBTその他、ソ連戦車でお馴染みのもので、栓の先には溝が切ってあり、装甲板に差し込んだ後、その溝にフックを引っ掛けて止める仕組みになっている。BT-42の装甲栓横の尖頭ボルトは、このフックの回転軸のものと思われる。なお、同様のボルト頭はBT-7の1937年型傾斜砲塔には見られないが、35年型の砲塔にはある。

Tur032右図はBTの砲塔のもので、黄色が装甲栓、水色が回転軸、赤がハンドル。フックは上から引っ掛ければよさそうな気がするのだが、なぜか下から噛ませる仕組み。ハンドルの先端におそらくバネが仕込んであって、ピストルポートの孔の脇に溶接した横向きU字の金具の溝にパッチンとはまって止まる。右の絵は歪んでしまったが、本来、回転軸と装甲栓中心とハンドルの中心は一直線。

さて、仮にBT-42の装甲栓とボルト頭の関係が生産順に関係しているなら、栓の位置が初期が向かって左、後期が向かって右ということになりそうだが、何しろ号車が判って栓の位置もわかる、という写真が少なすぎる。

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BT-42の重箱の隅(4)

F1030455 ●起動輪基部のギアハウジング部は、ちょっとだけ手を入れてこんなふうになった。地味なディテールアップだなあ。……まだ工作は片側だけ、しかもパーツは接着せずに置いてあるだけ。

小さなリベットは、モデルカステンのJS用可動履帯(2分割混ぜタイプ)、SK-14に入っている、予備履帯用留め金具裏の接着用ポッチ。内側のリベット列の位置は割りといい加減。

内側の穴の中のボルト頭も、前記JS用予備履帯用留め金具のもの。穴が深かったので、0.3mmプラバンの切れ端でゲタを履かせて付けた。

この留め金具パーツ、履帯留めピン枝のすべてに入っており、1セットあると大量に余るのでなかなか重宝する。

というわけで重箱の隅考証の続き。

・前回、登録番号が「R-」の場合はクリーニングロッド搭載位置が前、「Ps.」である場合は後ろである可能性について書いたが、どうもそうではないような例に気付いた。

「グランドパワー」2010年8月号にも出ているが、何だかどでかい建物内にBT-42がズラリと並び、奥にBA-20が一両控えている写真がある。GP誌のキャプションでは一番手前の車輌の登録番号がPs.511-19と読める、と書いてあって、印刷の際にボケたせいか最近とみに落ちた視力のせいか、私には19かどうかはっきりは読み取れないのだけれど、砲塔前部には段がついているようだし、車体前端には件のヒレが付いているので、おそらく19号車で間違いないのだろう。

そんな具合なので、その向こうに並ぶ車輌の番号は読み取れないのだが、少なくとも2両め、3両めあたりまでは、前端に書かれた白い文字列の横幅から、数字三桁だけの「R-」番号体系でなく、「Ps.」番号であることだけは判る。

しかし、その2両めの車輌は「前ロッド」らしい。いきなり仮説に穴がー。

なお、この写真に並ぶBT-42はグリーン単色のように見えるが、番号が「Ps.」になっている以上、すでに3色迷彩に塗り替えられているはずである。

Rear022Rear021・車体後面には、ワイヤー取り回し用と思われる金具(フック)が付けられている。

これにはどうやら、左右2箇所だけの場合と、中央寄りにも2箇所の計4箇所付いている場合の、2種があるようだ。

側面板に付けられた左右2箇所のフックは下向き、中央寄り2箇所は斜め上向き(少なくとも19号車(Ps.)では)。ワイヤーの取り回し方法は推定。

ヴィープリ戦時の写真だと、有名な19号車(Ps.)は4つタイプ、12号車(R)も、ほぼ真横からなので中央寄りフックの位置が正確には判らないが、4つ付いているらしいことは判る。

シッペル中尉の17号車(R)は後ろからの写真はあるのだがカムフラージュの木の枝が垂れ下がっていてよく判らない。

一方、単色塗装時代の8号車(R)は左右2箇所しかないことが確認でき、現存のパロラの8号車もそうなっている。途中で真ん中の金具が一度付けられて失われた可能性もないではないが、一応、装甲板に溶接痕のようなものは見えない。

・ハカリスティについて。

継続戦争が始まって間もなく、国籍マークのハカリスティのサイズ、形状が統一された。通達では、全体が325mm角、腕は55mm幅、白シャドウは10mm幅であるらしい。

が、たった18両のBT-42の中でも不統一があり、比較的生産直後のものと思われる5号車(R)の写真では、サイズも大きく腕も長いハカリスティが書かれている。グリーン単色時代の全車がそうだったわけではなく、8号車(R)などは規定サイズが描かれていたようだが、6号車(R)は大型のもの。

一方ヴィープリ戦では、17号車(R)、19号車(Ps.)は規定サイズのようだが、12号車(R)はよく見ると腕は短いがハカリスティのサイズそのものは大きい。ピストルポートと上の視察孔との関係からすると、どうも前記のグリーン塗装時代の5号車、6号車に描かれているものから、腕を縮めただけの大きさであるように思える。

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BT-42の重箱の隅(3)

●車両番号の謎。

18両しかないBT-42を考証するにあたって、避けて通れないのが車両登録番号の問題である。個々の車両をラベリングするにも欠かせないので、当然、真っ先に話題に上げていなくてはいけないところ、面倒だし結局どうもよく判らないので見て見ぬ振りをしてきたのだが、やはり少しは書いておこうと思う。

いやまあ、こんなところで私が少ない資料でアレコレ想像しなくても、どこかにスッキリバッチリ解説している資料があるのかもしれないけれど。

▼もともとフィンランド軍のAFVには「R-」で始まる車両番号があり、同系の車両は同じあたりにまとめて振られていて、BT-7にはR-701以降が割り振られていた(それでいて唯一戦車型のままで使われた1937年型はR-100だったりするので、これまたどうもスッキリしない)。

BT-42に改装されたBT-7はR-702からで、1935年型のR-703を抜いて、以降R-720までの18両(ただし、車両への記入は「R-」を省き3桁の番号のみ)。R-701というのは1935型だったのか、それともR-100からの改称だったのか、はたまた兵員輸送車のBT-43のベースにされたのか、調べればどこかに書いてあるのかもしれないが、ここでは本筋でないので放っておく。

しかし1943年夏になり、フィンランド軍では登録番号体系を根本的に改め、「Ps.」+「車種ごとの分類番号」+「車種ごとの通し番号」という新しい番号を使い始める。BT-42に割り振られたのは、Ps.511という車種番号で、以下、ハイフン付きで固有番号が振られる。

ただし、末尾は「車種ごとの通し番号」なのだから通常は「-1」から始まるはずが、BT-42は元の「R-7**」から番号を引き継いだらしい。そうでなければ、18両しか作られていないにも係らず、新番号体系においても「Ps.511-19」や「Ps.511-20」があることの説明を付けづらい(もちろん、実は18両以上ありましたという、ちゃぶ台ひっくり返し系仮説は考えないものとする)。例えば「R-708」号車は「Ps.511-8」号車にという具合に、末尾の番号はそのまま同じものが使われていると考えられる。

▼ここで問題は、「1943年夏に番号体系が改定された」にも係らず、1944年夏のヴィープリ戦時点で、しかも同一部隊内で「R-」番号の車体と「Ps.」番号の車体が混在しているらしいことである。なんなんだそりゃ。

実を言うと、有名な「Ps.511-19」号車はしっかり写真で番号が確認できるものの、私自身はヴィープリ戦で「R-」番号が確認できる車両の写真は見た覚えがない。が、これまた写真としては有名なシッペル中尉の車両とされる「R-717」号車、操車場で野ざらしになっている「R-712」号車などは、写真キャプションや戦史では「R-」番号で解説されており、おそらく、戦闘記録でそう扱われているらしいことが判る(きっちり写っている写真があればご教示願いたい)。

タミヤのキットもまた「ヴィープリ戦時は番号体系並立」説に立っており、ヴィープリ戦時のシッペル中尉の中隊長車とされる「717」の車番のデカールを入れている。この車輌は写真としては有名だが、その有名な写真では開いたハッチ等で番号は見えない(見える写真が別にあるのだろうか?)。

▼同一部隊で使われている車両なのだから、「いっせいの、せっ」で番号を書き換えてしまえばいいものの、この併用は一体何なのだろう。考えられる流れは、以下の2つ。

  1. 改装時~初陣:グリーン単色塗装+R-番号。
  2. 1943年春:3色迷彩の導入は4月初めのはずだが、5月の初陣(スヴィル河畔戦)時点ではまだグリーン単色であったらしい。おそらくこの戦闘後に3色に塗り替え。この時はまだR-番号のまま。
  3. 1943年夏~1944年夏:何らかの理由でオーバーホール等が必要になり、デポに戻された車両のみがPs.番号に書き換えられ、修理の必要なかった車両はR-番号のまま残され、ヴィープリ戦を迎えた。

あるいは、

  1. 改装時~初陣:グリーン単色塗装+R-番号
  2. 1943年春、スヴィル河畔戦以降、全車一斉でなく順次デポに戻されて3色の新塗装に移行。この際、1943年夏前に塗り替えられたものはR-番号のまま、夏以降に塗り替えられたものはPs.番号に書き換えられた。

▼いずれにせよ、同一部隊で2つの番号体系が併用されているのであれば、ますます「R-」であれ「Ps.」であれ末尾の番号は変更なし、である可能性は高い。別に「R-」だろうが「Ps.」だろうが「8号車は8号車」で済むのだから。

▼前回書いた「個体差」のクリーニングロッドの搭載位置について。

「R-」であるか「Ps.」であるかに係らず「**号車」との対応で考えると、クリーニングロッド搭載位置は番号の順とまったく対応していない。しかし、「R-」と「Ps.」の別とはどうやら対応関係があり、「R-」番号の車両、あるいは「R-」番号であると言われている車両では前方にあり、「Ps.」番号の車両では車体後部にある。

上記の流れに即して考えると、クリーニングロッドが前方にあるのは初期搭載位置であり、これが後方に移されているのは、補修もしくは再塗装のためにデポに戻されたかどうか(あるいは戻された時期が早かったか遅かったか)による、と言えそう。

傍証として、グリーン単色時代の「R-708号車」ではクリーニングロッドは前方に搭載されているが(キットの指定塗装でもそうなっている)、現存のパロラのPs.511-8号車では搭載位置が後方になっていることが上げられる。

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BT-42の重箱の隅(2)

●オリジナルのBTのあれこれの続き。

・車体側面のボルト/リベット列はキットでは画一化された形状だが、実車では、

  • 車体後面板との接合部は尖頭ボルト、
  • 側面リブ上は丸頭リベット、
  • サスペンション用内部隔壁接合用の(主に)斜めに走っている列は平頭ボルト

という具合に形状に差異がある。もっとも組んでしまえばほとんど見えないので(特にBT-42では)、今後特大サイズのBTのキットでも発売された時に再現されていればいいや、くらいの感じ。

・起動輪基部のギアハウジングのパーツB10、B11内側垂直面には4箇所の穴が開いているが、ここは実際には貫通しておらず、窪みの中に六角ボルトの平頭があるようだ(グリスの注入口か何か?)。しかも最上部の穴はなく3箇所。パロラのBT-42だけでなく他の1937年型でも確認できるので、(どこまできっちり連動しているかはともかく)どうやら37年型では3箇所が標準であるらしい。

では35年型は皆4箇所かといえば、今度は35年型で下側の穴が少ないらしいものもあったりして、どうもよく判らない。

Rear01 ・このギアハウジング切り欠き部外側には、三角形にベロが少しだけ見えている。ここはEECのBT-7系のキットでは再現されている。EECが一箇所、タミヤに勝っている! スゴイ! 切り欠き内側垂直面の円周外縁にはボルトがある。右図の数だの位置だのはまるでいい加減だが、まあこんな感じ、ということで。

・車体前部の斜め部と誘導輪基部を結ぶ三角板のパーツ(B27、B28)の四角い開口部前側に小さな出っ張りがあるが、これは組立を進めていくと判るように最前部転輪サスのダンパー。実際にはもうちょっと凝った形状で、しかも三角板のほうではなく誘導輪基部のほうにがっちり付いている。

なお、今さらの話ではあるけれど、ここではキットの説明書に合わせて1937年型と言っているが、傾斜砲塔を載せたBT-7は文献によっては1938年型と呼ばれていたりもするので注意。

●BT-42の話。

キットに付いて来ている実車解説リーフレットにもあるように、BT-42は18両がBT-7/1937年型から改装されている。

フィンランド軍はソ連戦車を大量に鹵獲して自軍戦車として使っているが、その大多数はT-26系列で、BT系、特にBT-7/1937年型は戦車のままの形態で使ったのはR-100号車1両だけとのことなので、ほぼ37年型の全車両がBT-42に化けたことになる。

37年型は砲塔換装に伴って砲塔リング径が拡大されているそうなので、大砲塔化に都合がよかった、ということなのだろう。もっとも「大砲塔」と言っても元の37年型の傾斜砲塔を切ったり継いだりしたもので、オリジナルのバスル底面まで残っているらしいことは、かさぱのす氏の実車リサーチにある通り。いやあ、いいなあ、このビンボ臭さ。

なお、かさぱのす氏は早速バスル下に溶接ラインを作っているらしい。わははははは。

それにしても何が悩ましいって、たった18両しかないくせに、妙に個体差があり、しかもその個体差がちゃんと判る写真が少ないのが、もうもうもう、って感じ。

というよりも、「フィンランド軍2代目突撃砲」であるIII突が、ほぼ全車写真が残っており、それぞれの素性が判り、ある程度各車の仕様やディテールが追えるのに対して、BT-42はそもそも写真自体が少ない。しかもまともな写真のほとんどは、ヴィープリ戦で撃破されてソ連側で写されたものである。

苦しい戦いのさなか、メルスやブルーステルやシュトゥルミ相手にはあんなにニコヤカに並んで写真を撮りまくっているフィンランド軍の中で、この扱いの悪さはどうよ!?

いや、それとも未発表なだけで、まだまだどこかに鮮明なBT-42の写真が大量に眠っているのか?

その他ディテールにしても、パロラに現存している車輌(R-708→Ps.511-8号車)を鵜呑みにしてよいのかどうか、という問題もある。8号車特有の仕様ではないか、あるいは戦後の追加改修ではないか、確認する術がない部分も多いためである。

・仕様上の「個体差」のポイントは、

  • 装備品の位置。特にクリーニングロッドの搭載場所は車体右前部か、車体後部かの2択で、これは有り難いことにタミヤもしっかりキットでフォローしてくれた。
  • 車体前部の謎の板状張り出し。これは少なくともR-717号車、Ps.511-19号車で確認できる。乗員が個人的にくっ付けるようなレベルのものとも思えないので、改装時に工場で付けられたものだとは思うが用途は不明。個人的にはヘッジローカッターの類のものじゃないのかと思っていて、先日青木氏と会った際に話したら「BT程度で倒せるもんならあんなん付いてなくても倒せるのでは」と疑義を呈された。うーん、まあ……。R-717号車はキットの指定塗装にも取り上げられているので注意。
  • 砲塔の謎の増加装甲? スコドロのEASTERN FRONTにも取り上げられている有名車輌のPs.511-19号車で確認できる。本来、オリジナルのBT-7砲塔が残っている前半部分が一段盛り上がり、リベットが並んでいる。単に増加装甲なら、フィンランドで継ぎ足した上方にもそのまま付けそうなものなのに、オリジナル装甲部分にだけ付いているのが謎過ぎる。Ps.511-19号車は珍しく、後ろからと前から、両方の写真が残っており、この増加装甲様のものが左右両側面にあるのが判る。したがって、たまたま砲塔装甲のその部分が損傷したので張り増しました、というものではないらしい。

なお、バトルダメージによると思われる個体差として、Ps.511-19号車は車体前面、操縦手用上部ハッチ左に弾痕を補修したと思しき四角いパッチを当てている。712号車の砲塔にもパッチがあるが、これは鉢巻アンテナ受けの座板である可能性もありそう。

・以前よりかさぱのす氏との間で話題になっていたことの一つが、主砲基部脇、オリジナルのBT-7砲塔面に付いている左右3つずつの尖頭リベット(いわゆる「ザクのショルダースパイク・リベット」……どこの“いわゆる”だよ)である。

これはオリジナルのBT-7の防盾外側カバーを付けていた左右3箇所ずつのボルト穴の名残りなのではないか、と推察したのだが、ご存知のようにBTやT-26の防盾はやや右にオフセットされているため、カバーを止めるボルト位置は左右でやや異なる。それにしてはBT-42の尖頭リベットは左右対称にあるっぽいし、では主砲用張り出しが中央にあると見せかけて、実は右に寄っていたりするのか? ……などと話していたのである。

が、タミヤのキットで確認すると、微妙に右ボルトが外側に寄っている! 改めて実車写真を見ると、確かに僅かに位置が違うように見える(なぜ今まで気付かなかった!?)。というわけで、「位置が左右で違うらしいこと」「やはりオリジナルの防盾カバー止め跡らしいこと」「やはり主砲は中心線上だったこと」がまとめてキットで確認できた。すっきり。

・車外装備品は多くがフィンランド独自のものに置き換わっているが、車体左側部に付く箱状のもの(パーツS5)はただの工具箱ではなく、鋼板で新たに作られた車体張り出し部で、側面装甲とは溶接で継がれている。おそらく実車はこの箱の前後でフェンダーが切れているのではと思う。

これについては、大口径榴弾砲搭載に伴い、戦闘室の容積を稼ぐためにはじき出された何かで、燃料タンクあたりかと以前から想像していたのだが、キットの説明書にはバッテリーボックスとあった。へー。

・砲塔上面ハッチの砲塔側の受けは、キットのモールドでは左右同じ形の角状になっているが、実車は左側はハッチ固定用の爪が掛かるように、少し前側に張り出しがある。キット同梱の資料写真リーフレット、表の下から2段目左端の写真参照。ヒンジ自体、オリジナルのBT-7/1937年型から持ってきているようで、ここはオリジナルも同じ。

・ラジエータ上の通風孔(パーツE5、E8)には内部にシャッターがあり、その操作つまみが付いている。キットの写真リーフレット、裏面中左を参照のこと。開口部が3面あるのに合わせ、つまみは後部に2つ、前部は外側のみに1つ。さすがにこう小さいとエッチングだな、と、既存のBT用エッチングをいくつか見たが入っておらず、それもそのはずでBT-42独自の追加装備だった。芸が細かすぎるぜフィンランド人。

問題は、戦時中の車輌ですでにこれが付いていたかどうかだが、珍しくフィンランド側撮影の鮮明な、1943年撮影のグリーン一色塗装の写真(R-705号車)でなんとか確認できる(しかしヴィープリ戦の撃破車輌では写っていなかったり、そもそもこの部分が破損してなくなっていたりで全滅)。

あまり中身はないが長くなったので次回に続く。

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BT-42の重箱の隅(1)

●タミヤのBT-42をいじり始めたので、細かい考証など順不同に。

もっとも、これがEECのキット相手だと「ここだけはぜひ手を入れたい」だの、「ここはもちっとこうであって欲しかった」だのテンコ盛りで書けるのだが、タミヤのコレは基本、非常によくできたキットで、実際、表題の通り重箱の隅な話である。

●BT-7/1935年型がタミヤから出たことだけでも結構な驚きで、1935年型を出したからにはいずれ1937型は既定路線だと思ったが、1937年型をすっ飛ばしてBT-42とは、フィンランドAFVファンの私あたりが流したガセネタならともかく、くらいの意外性だった。

そもそも「1937年型は当然出ると思った」と言っても、それぞれ標準的な1935年型と1937年型とでは砲塔だけでなく、車体の細部にだいぶ差異がある。

F1030059b私も以前は、砲塔リングが広がったことによる第2転輪用サススプリングの頭近辺のあれこれの変更、くらいしか認識していなかったのだが、その他にも、砲塔の進化と前後して結構変化がある。これについてはセータ☆氏がブログですっきりまとめているので、そちらを読むのが早い(写真は本文と特に関係ありません)。

実のところ、タミヤは当初、1935年型と1937年型とでそう細かく違っているとは思わずにうっかり1935年型から出してしまい、後で気付いてあーら大変状態だったのではと先日会った際に青木氏が言っていたが(某模型店主氏もそう仰っていたとか)、私もそう思う。

これがひと昔前のタミヤなら堂々と「そんな細かいところはイイヤ」で出してしまったかもしれないが、流石に今の世ではそうも行かないというところか、実に丹念に手を入れて来ていて、共通部品枝は約半分しかない。頑張ってるなあ。

●まずはオリジナルのBTとしてのあれやこれや。

・単に差異をフォローしているだけでなく、1935年型では忘れられていた誘導輪基部の車体側モールドも追加された部品が入ってるなど細かい。

・1937年型では第2転輪用サススプリングの頭が車体上面に突出しなくなった代わり、車体横に台形のパッチが付く(パーツF13、F14)。おそらくサス調整用のアクセスパネルなのだが、新砲塔が乗るのと同時ではなく、37年型でも初期の車体にはない。また同じく大型の砲塔が頭位置にかぶるBT-7Aにもない。この場合、サススプリングを頂部で調整すること自体を諦めているのか、車内側からどうにかするようになっているのか、謎。

Side02 ・上記パッチは単に側面装甲に重ねてあるのではなく、実際には側面装甲に切り欠きがあって、そこにはめ込んで止めるようになっている。右図の左がキットの状態で、右が実車。キットに同梱のBT-42ディテール写真リーフレット裏面右肩の写真を参照のこと。

・上記パッチのパーツ(F13、F14)はキットの通りだと装備品で隠れるので取り付け穴があったりボルト/リベットの省略があったりする。パッチが表に出るような仕様で作る場合は注意が必要。キットではBT-42の砲塔パーツの枝に入っているので、BT-7/1937年型発売の際は、また別にボルト/リベットが揃ったパーツを起すのだろう。

Side01 ・車体側面のボルト列のモールドは、僅かに不足がある。図は車体側面のフェンダーより上で、1935年型の場合で第2、第3転輪上、1937年型の場合は上記パッチが付くので第3転輪上のみ。下がキットのモールドの状態、上が実車で、台形に並んだボルトの上に、一段丸く窪んだ中に下より小さめのボルトが付く。ただし、BT-42の場合は第3転輪上も工具箱や追加の張り出しで隠れてしまうのでまったく問題にならない。……しかし、ここが見える1935年型はもう車体の箱組みを終えてしまった。困った。

・車体天井板、戦闘室前側に、キットのパーツでは横一直線に筋彫りがあるが、ここは実際は溶接線であるらしい。砲塔後ろにも筋彫りラインがあるが、こちらは実車では見えない位置なのでよく判らない(が、エンジンルーム上は取り外せそうな気がする)。

・起動輪基部のギアハウジングの張り出し(パーツB10、B11)は、丸まった面上にリベット列がある。たとえばこのあたり参照。

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