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2025年10月

デビュー戦のマチルダさん

Img20250715214606 ●6月の横浜AFVの会の折、閉幕前の不用品処分市(?)で、旧ESCIの1:72 マチルダII を頂いてきたことについては、参加レポート記事にも書いた。

骨折だの何だので転げまわっている間にも、暇ひまにいじってちょっと進んだので、これについて途中経過報告を書いてみることにする。

うーん。久々の模型記事。

●旧ESCIの1:72 マチルダII(現在はイタレリから発売されているはず)はこれまでに何度か作ったことがあり、当「かばぶ」を始めてからも、「マルタの石垣迷彩」で一度製作している(といっても、遡って調べてみたら、もう10数年前のことだった)。

この時はまだ「歩兵戦車マチルダII」のタグを作っておらず、「ミニスケールAFV」にひとまとめだったので、工作完了と塗装終了時の記事のリンクのみ貼っておく。

さて、今回はどんな仕様で作ろうか、と考えて、当初は「ソ連軍仕様かな」とも思ったのだが、同仕様でタミヤの35の作りかけもある。同じ疎遠軍仕様でも、塗装とかマーキングとかで極端に印象が違うものがあれば別だが、基本、塗装・マーキングは地味で、夏季・冬季の違いくらいしかないため、これはヤメに。結局、1940年のフランス戦、マチルダIIにとってのデビュー戦時の仕様(マチルダII Mk.I)に挑戦してみることにした(いやまあ、マチルダIIにとってだけでなく、当時のイギリス軍自体のデビュー戦なのだが)。

この仕様については、まだタミヤの35で新版が出ていなかった頃に、一度挑戦しようと考えたこともある。なぜかタミヤのマチルダIIの旧作には、不要部品として、この初期仕様の防盾が入っていたためもあるが、手は付けてみたものの、他にもあれこれ違いがある(しかもそれがよく判らない)ために挫折した。

今日では、ネット上でフランス戦時のマチルダIIの写真も(決して多くはないが)集められるし、「72なら適当に誤魔化しも効きそう」という思いも。しかし何より、TIGER MODEL DESIGNSから、タミヤの新版キットを1940年の大陸派遣軍仕様にするコンバージョンキットが発売されていて、それのパーツ写真をネット上で見ることができ、だいぶリサーチを横着できた(←ズルい)。

TMDの当該仕様コンバージョンキットの製品ページはこちら

また、1940年戦役における実車写真がそこそこまとまって見られるサイト/記事ページ(激戦だったアラス戦の記事)はこちら(Mike's Research ~ Arras France 1940)。

●以前にも書いたように、旧ESCIのマチルダは、ほぼ間違いなくタミヤの旧版マチルダの縮小コピーに近い製品で、何となくずんぐりしたスタイルだけでなく、各部の「ちょっと『?』なディテール」もそのまま引き継いでいる。

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上写真はその一例で、本来は前後スライド式の誘導輪位置調整装置が、スイングアーム形式になっている(タミヤでは別部品だったものを、そのまま車体側に一体モールドにしている)。このほかにも、「車体前端部の斜めに絞った形状が前後で不連続」とか、「なぜか起動輪軸がファイナルギアハウジングから偏心している(そもそもギアハウジングが大きすぎる?)」なども同一。

もっとも旧版とはいえタミヤキットの縮小なので全体的雰囲気は悪くないし、72としてはなかなか佳作に仕上がっている(倫理的にはどうあれ)。しかし、どうせコピーするなら、タミヤで不要部品として入っていた初期型防盾もついでに入れていてくれれば楽ができたのに……。残念ながら入っていない。

●本格的に改修に入る前の下ごしらえ。

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押し出しピン痕が目立つ個所に、前もって穴埋め工作。

●さて、初期型(Mk.I)の大陸派遣軍仕様にするうえで、大きな改修ポイントといえるのは以下。

  • 車載機銃(マチルダIIの場合主砲同軸機銃)が、初期のイギリス戦車特有の装甲スリーブ付きヴィッカース.303水冷機銃。上述の「タミヤ旧版の不要部品」がこれ。
  • 砲塔上面前部のレイアウトが異なる。
  • 転輪サスペンションの取付位置が低く、下部転輪ボギーユニットが装甲スカートから下にはみ出ている。言ってみれば「高下駄を履いたような」状態。
  • 後期のタイプ(Mk.III以降?)ではエンジンルーム上面左右から後面に取り回されている排気管が、Mk.Iでは左側は同じだが、右側は車体床面から取り回されている。
  • フランス戦車のような超壕用尾橇付き。上記排気管は、この尾橇内に引き込まれる。

……など。

なお、マチルダのプロトタイプとされる写真を見ると、「足回りの下駄履き」「尾橇」はない。Mk.Iが生産時から上記の仕様だったのか、それとも「足回りの下駄履き」「尾橇」はフランス派遣にあたっての特別な改修だったのかは、現時点では私にはよく判らない。どこかの資料にはちゃんと書いてありそう。

10月21日追記:みやまえさんから情報を頂いた。アルゴノート社刊の資料(何だろう?)によれば、上記2つの仕様は、フランス派遣前に特別に施されたものである由。みやまえさんありがとう)

▼砲塔周りの改修

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上述の第一点・第二点、キットの元の状態の防盾と砲塔上面が上写真。

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まず砲塔上面前部のディテールはペリスコープを除いて削り取り……。

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防盾はランナーから削り出したスリープを継ぎ足したり、あちこち削ったり。なお、キットの砲身は段付きタイプを表現していたが、初期型は段無しが標準だった模様。FTFのA10巡航戦車CSで余っていた段無しテーパーの2ポンド砲砲身を流用した。なお取付の際、キットの取付穴位置だとちょっと砲身が下過ぎる気がしたので、一度埋めて、やや上に穴を開け直した。

ディテールを削った砲塔上面前部にも、横に張り出す謎ディテール(ベンチレーション用ダクト?)を追加した。

操縦手用ハッチが灰色なのは、キットのハッチが小さくて前後に大きく隙間が開くため。

▼足回りの改修

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転輪サスの取付位置を下にずらす。1枚目写真では車体下端近くに新たな取付穴を開けているが、この位置で付けて見たところ、まだ移動距離が足りなさそうだったので、さらにもう一度下にずらした。旧タミヤ譲りのディフォルメが入っているせい?で、取付位置の変更も試行錯誤が必要だった。

最終的に組み上げた足回りが2枚目写真。ちなみに、「屋根裏のマチルダさん」の製作記で触れているが、このキットの足回りは、正規位置で組んだ場合、サスの上端が排土板の裏と干渉してしまう欠点がある。今回はサス全体を下方に移動したので、サス上部を削って調整する手間が省けた。なお、足回り前方の補助転輪も、位置をやや下方にずらしている。

▼排気管の取り回しの変更

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キットはMk.III/IVの仕様なので排気管がエンジンルーム上部左右を取り回されている。初期型では上面にあるのは左だけなので、排気管が出てくる穴の右を埋め、また車体後端の排気管が通る溝も埋めた。排気管自体の工作はこれから。

▼尾橇の追加

車体後端にはフランス戦車ばりの尾橇が付いているのでプラバンで自作した(なお細かいディテールを追加する必要あり)。

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排気管は、この尾橇の左右に引き込まれることになる。引込位置は尾橇のない場合のマフラー位置よりちょっと後方のようなので、この尾橇内にどんな形状のマフラーが収まっているのかは、よく判らない。

なお、エンジンルーム後方パネルのロック機構は、マルタ石垣迷彩仕様を作った時同様にちょっと追加工作(改修)した。

●以上のような改修作業をして、現在のおおよその仮組全体形。

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骨折り損(再)

●「何やってんの?」とあちこちから盛大に言われそうだが……。

9月末に再び骨折した。

いや、本当に何やってんの?(自分ツッコミ)

一応経緯について書いておくと、前回の(8月末の)肩の骨折とは、基本、何の関係もない。また、前回の反省もなく何か“おいた”をしたわけでもない。

寝ている間に、ちょうど坂道を駆け降りる夢を見ていて、けつまづいて転びそうになって飛び起きる、とともに左の足先に激痛。翌日には指の付け根あたりが変色してきて、歩くと少々痛い。

さらにその次の日(だったかな?)、ちょうど肩の骨折の診察日だったので、ついでに診てもらい、レントゲンも撮ってもらったところ、

「うーん、折れてますね」

左趾(人差し指)付け根の骨の端が少し欠けるように折れているらしい。何しろ寝ている間のことなので正確な理由とか原因とかは判らないのだが、金属製のベッドの柵にぶつけたとか、あるいは(その頃はまだちょっと暑かったので)冷たい金属柵の細い部分を足指で挟んでいてひねったとか、何かそんな理由なのではと想像。

医者には、ギプス等で固定するまでもなく、基本放置でも1か月程度で治ると言われ、しかも笑いを漏らしつつ

「寝ていて勝手に骨を折る人は初めて」

と言われた。

同時期に我が家のお嬢も足を挫くし、かみさんも検査入院を繰り返す羽目になっているし、最初に再度骨折と判明した時には、「何か悪いものでも憑いているのでは」という思いが頭をよぎり、一方では「人が何か新興宗教に転ぶって、たぶんこういうタイミングなんだろうなあ」とまで思ったのだが、医者に笑われたことで、

「あ、いや、これは単純にオレがマヌケなんだ」

と納得できた。いや、新興宗教にはまらなくてよかった。

ちなみに、歩くと結構痛かったのも最初の数日だけで、2週間経った今では、(痛みが完全になくなったわけではないものの)ほぼ普通に歩ける。

より重症の左肩の方は、9月後半にはむしろ手術直後よりも筋肉が凝って/張ってつらかったが、今はだいぶマシになった(現在は週一で病院にも通ってリハビリ中)。

とりあえず、月イチ骨折野郎の汚名返上を目指し、この10月中にまた骨折しないよう注意したい。

●本日(10月9日)も通院日だったので、午前中、湘南鎌倉総合病院に行き、その後、大回りして藤沢まで歩く。

途中、弥勒寺近くでお馴染みの「海軍標石」に遭遇。

逗子市内を横断する、半原系旧軍用水道の「水道路」経路はほぼ正確に知っているし(何ならしっかり辿って歩いているし)、鎌倉市内も逗子との市境から海岸橋交差点まではお馴染み。その先の上流も長谷を通って藤沢方面に繋がっていることは知っていたが、そこから先はあまり考えたことがなかった。

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左写真が最初に見つけたもの。村岡交差点から村岡中学校前を通る道が水道路の一部で、これはもうだいぶ東海道線の線路に近付いた場所にあったのだが、サイト「東京湾要塞」の半原系水道の経路をたどるページによれば、周辺にはさらに何カ所か残っていそう。2枚目は、先述のの道路が東海道線線路手前で弥勒寺方面にカーブするのに対し、それと別れて真っ直ぐ線路に突き当たる枝道の住宅前にあったもの。

さらに跨線橋を渡って反対側へ行くと、工場が並ぶ中を水道路が手広・常盤方面に続いていて、その“とっかかり”部分しか追わなかったが、そこでもさらにいくつかの標石を見ることができた。

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ここには海軍標石しか載せていないが、合間には、戦後に追加された横須賀市水道局の標石もあった。

Img20251009130520 ●同じく、跨線橋を渡った辺りで、藤沢方面を望んで撮った写真を一枚。

真ん中に写っているのは、藤沢のNTTビルの屋上に立っている無線塔で、下半分をトラスが覆っているという違いはあるものの、スタイルは以前に話題にしたことがある、仏向無線塔によく似ている。

あれ? でも仏向無線塔は、日本国内では数本しかない、珍しい鉄筋コンクリート製の塔なんじゃなかったっけ? なのに同じような塔が近所に?

と思ったら、こちらは鋼製(シリンダー型)であるらしい。

もっとも、街中の「NTTの屋上の無線塔」というと、もうちょっと小型のものが多いイメージのなか、こちらはかなり存在感が強く、いずれ近くまで行って見上げてみたい感じ。今日も藤沢駅前まで行ったのだが、駅の北側まではいかなかった(NTTビルは市役所の隣、駅の北東側にある)。

●すでに1,2週間前の話だが、8月下旬に拾ってきたヒメクルミを使ってクルミ味噌を作った。

割ってみた結果は、傷んでいるものもそこそこあったが、2/3程度は使い物になった。

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クルミ味噌は、分量を適当で作ったらだいぶ固くなってしまったが、単におかず味噌として食べるならそれでもOK。もっともせっかくなので、日本酒で溶いて柔らかくして、余ったご飯で五平餅も一度作って食べた。美味し。

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