観音崎再訪
●東京AFVの会の帰り、京急線の駅ホームで、横須賀美術館「運慶展 運慶と三浦一族の信仰」ポスターを見掛けた。
「ああ、今、こんなんやってるんだあ」と見ていて、「※11月3日無料観覧日」の文字に気付く。にゃんと! さすが文化の日!
●というわけで、翌日いそいそと出掛ける。そもそも「横須賀美術館」ってどこにあるんだっけ、と調べてみたら、観音崎のすぐ手前だった。以前観音崎を(初めて)訪ねた記事を読み返してみたら、そもそもその時も最初は横須賀美術館を目指して行った(けれど、結局入らなかった)のだった。
今回はJR横須賀駅からバスで。横須賀美術館は、海に面した緩い斜面上、観音崎の森を背景にしたガラス張りの建物。おされ。
「運慶展」は本館地下の展示。横須賀市芦名の浄楽寺蔵で、和田義盛夫妻の発願による運慶作阿弥陀三尊(阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩)、不動明王、毘沙門天の5体。それから運慶作ではないが、関連作品として、三浦市初声町・天養院蔵の薬師三尊像(運慶よりやや早い平安中期以降の作品)、横須賀市大矢部の清雲寺蔵の観音菩薩像(おそらく南宋より渡来のもの)。
「運慶展」と銘打っていながら、運慶仏は5体、周辺作品4体の計9体だけ!? と思ってしまいそう。実際に、運慶展の展示はそこそこ広い1フロアのうちの広めの展示室1つ(運慶仏5体)と、通路の窪みのような小展示スペース2つだけ。しかし、現時点でおおよそ運慶作と認められている作品は約30、うち真作と確定しているものは19体しかなく(貰ってきたパンフレットで知った)、5/19があると思えばなかなか贅沢。
ちなみに運慶は東国武士、それも鎌倉幕府要人との関係が深かったと言われるが、古都鎌倉の域内には、伝承等で運慶作とされるものは複数あるものの、真作やその可能性が高いものはなかったはず。私の好きな北鎌倉の円応寺の閻魔様も運慶作の伝承があるが、運慶没後の製作だそうな(加えて円応寺の仏像は、閻魔様よりも十王のほうが魅力がある)。
今回展示の運慶仏5体がある浄楽寺は、今年春に大楠山に登った帰りに寄って、寺の外観だけは見たことがある(5月3日撮影)。この5体は今回の展示会でなければお目に掛かれないわけではなく、浄楽寺でも年に2日(春・秋)の御開帳があり、またそれ以外でも予約制で拝観できる由。ぜひ拝みたい!という方はどうぞ(→浄楽寺HP)。
関連作品のうちの薬師三尊像を収めた天養院は、浄楽寺同様に和田義盛ゆかりの寺院で、薬師三尊像には和田合戦の折に義盛に代わって受けたとする刀傷だとして、縦に割れ目がある(結局、和田合戦において、義盛は鎌倉市内の和田塚あたりで討ち死にするわけだが)。
もう一体の南宋由来とされる清雲寺蔵の観音菩薩像は、立膝の珍しいポーズ。「遊戯坐(ゆげざ)」というらしい。リンクは、ホノルル美術館所蔵の同様のポーズのもの。北宋時代のものとか。
なお、この企画展は横須賀美術館のほか、県立金沢文庫、鎌倉国宝館の3館連携企画となっており、開催時期がおおよそ重なる形で、金沢文庫では「特別展 運慶 女人の作善と鎌倉幕府」、鎌倉国宝館では「特別展示 鎌倉の伝運慶仏」が開かれている。
●せっかく来たので、観音崎を散歩する。
前回訪問時は小雨模様で見晴らしも良くなかったが、今回はすっきり晴天。前回はすでに時間外で入れなかった灯台にもぜひ登ろうと行ってみたら、こちらも無料だった。
下1枚目は灯台上から北側の眺め。中央やや左に、小さくランドマークタワーも写っている。左端の山上に建っているのは海上保安庁の(旧)東京湾海上交通センター。2018年にセンター機能は横浜に移転、現在は無人の観音崎レーダー施設となっているらしい。2枚目は、その施設を足元から見上げて撮ったもの。3枚目は南側。小さな入り江向こう側の突端に、前回も写真を載せた、戦間期に作られた聴測所(対潜水艦の固定式ソナー施設)跡がある。
下写真は富津岬と横須賀の間に、東京湾要塞の一部として明治期に作られた第一海堡と第二海堡(現実の配置に合わせて、右写真が第一、左写真が第二)。第二海堡は、上に掲示した「灯台上から北側写真」の右端近くにも写っている。富津側の第一海堡は現在立入禁止、第二海堡は整備されツアーも組まれていて、その違いを示すように、写真で見ても第二海堡のほうがシルエットが整っている。
灯台で無料のペーパークラフトを貰った。初代と当代(三代目)の2種。ともにスケールは1:100。どうやら「あなたが選ぶ『日本の灯台50選』」というシリーズらしく、公益社団法人「燈光会」というところのサイトで、全種ダウンロードできるようだ。
「50選」と銘打っていつつも、サイトをよく見ると、キット番号は250番まである。この観音崎の灯台も、キット番号は「No.22」と「No.22-2」と枝番になっているし、リストには「番外」(海上交通センターの建物とか灯台見回船とか)もあるから、キット種類の総数はもっと多いかも。観音崎のキットは両方とも白一色だが、中には着色のもの(赤白の縞模様とか)もある。
燈光会サイトにある「作り方」によれば、OA用紙などに印刷して厚紙に張り付けて……といった工程が指示されているが、当然、最初から厚手の紙に印刷したほうが話が早い。観音崎灯台で貰ってきたものも、最初から厚手の紙に印刷されていて有り難い。
●前回見そびれた場所含め、砲台を三カ所見学。
▼まずは前回見なかった北門第二砲台。上に写真を上げた(旧)東京湾海上交通センターから、階段状に3つの砲座が並んでいる。本来は6つあったらしいが、第4~6砲座の上に東京湾海上交通センターが建っているらしい(ただし、現地の説明板には、『現在は4砲座と弾薬庫が残っています」とある)。北門第一砲台等に比べると、草むしていかにも廃墟感がある。
1枚目:センターから緩い坂を上って最初の第三砲座。
2枚目:第三砲座と第二砲座間の横墻にある弾薬庫。ガイドを頼むとこの中にも入れるようだ(この写真を撮るちょっと前に、団体さんが出てきた)。
3枚目:第二砲座。
4枚目:第二砲座・第一砲座間の横墻にある弾薬庫。こちらはコンクリートで入口が塞がれている。
5枚目:最も高いところにある第一砲座。
6枚目:第一砲座手前に置かれた説明板。
7枚目:各砲座背後を登ってきた坂道の突き当りにある隧道。こちら側の入り口が坂の頂点で、隧道内は(こちらから見て)下り坂。私は観音崎園地から、つづら折りの坂を上って、言わば裏側から来たが、本来はこちらが砲台入口らしい。現在は柵が作られて立入禁止だが、サイト「東京湾要塞」によれば、内部にも弾薬庫等あるようだ。
▼前回も見た、灯台間近の北門第一砲台。
前回も書いたように、半円形の砲座が2連になっていて、間にレンガ積みの小隧道。地下に弾薬庫があって、そこからこの小隧道内に揚弾されてくる仕組みらしい。本来は、このレンガ積みの道路に面した側に下り階段があって弾薬庫にアクセスできる構造だったらしく、3枚目の拡大写真にあるように、正面下に入り口跡の一部らしい塗り込めたアーチ頂部が確認できる。
1枚目の写真の左端に写っているが、左側砲座から灯台側(写真手前側)にも弾薬庫または兵員待機所のような入り口を塞いだ跡がある。
▼前回行かなかった北門第三砲台。
砲台アクセス用に作られたらしいレンガ積みのトンネルを抜けると、すぐ左手に弾薬庫または待機所跡らしい塗り込めた二連の洞口。突き当りに納座がある。
砲座は第一、第二とはずいぶん異なる形状で、半円形ではなく前方左右角の丸い長方形? ここに、砲(二十八珊榴弾砲)が2門ずつ置かれていたらしい。最後の写真は、砲座の左側にあるレンガ積みの揚弾井。第一砲台のようにトンネル状ではなく、横墻正面に口を開いている。
本来はこの横墻を隔ててさらに左に2連の砲座がもう一つあったらしいのだが、現在は見晴らし台(への通路?)の整備で消失している。
▼岬を越えて、自然博物館のちょっと先、たたら浜に降りる。
美術館で貰った「美術館から出発!! 観音崎公園お楽しみマップ」には「第2次世界大戦時のトーチカ」なるものが、たたら浜駐車場の脇にあると図示されている。
パッと見渡しても判らず、駐車場のおじさんに聞いてみると、「たぶんそのへんにあったんだけれど、もう撤去されてしまったのではないか」という、なんとも頼りない返事。「なくなっちゃったのか……」と少々落胆しつつ、浦賀方面に歩きだしたら、駐車場の端の端に現存していた。
1枚目は海方向に向けた正面(道路/海岸線に向けてはやや斜め)。正面中央に開口部。2枚目は正面角の、表面がはがれた部分。3,4枚目は側方・後方に回っての写真。
さて、このコンクリートの構造物。GoogleMapsにも、「機関銃陣地跡」としてタグ付けされているのだが、サイト「東京湾要塞」では、「実験のための観測・監的所」ではないかと推測している。根拠は前後に鉄格子がはまっていること、正面開口部が単純に外側に向けて斜めに広がっていて(これでは跳弾が中央に集まってしまう)階段状になっていないこと、など。
言われてみれば、鉄格子はずいぶんがっちりはまっていて、後付けでないようにも見えた。また、写真では草藪に隠れてしまってよく見えないが、GoogleMapsには藪に覆われていない状態の正面写真も1枚載っていて、それを見ると、正面開口部が銃眼というには広すぎる。鉄格子が無ければ、大人がそのまま潜り込めそうなくらい広い。
なお、頂部に突き出た部分は通風孔のようにも見えるが、どうもどの面にも開口部がないようで、機能は謎。
▼その後、浦賀駅まで歩いて帰宅。
●週が明けて5日火曜日にも、法務局に用事があって横須賀へ(逗子市、葉山町は管轄が横浜地方法務局横須賀支局)。どうも最近横須賀づいている。
写真1枚目は観音崎に行った土曜日に撮った「もがみ」型。先月に撮った時は桟橋の向こう側だったが、より姿がはっきりわかる。晴天下だと、なぜか船腹ではっきりと色が2トーンに分かれている。2枚目も同じ「もがみ」型で、火曜日に撮ったもの。船腹中央の大型ハッチを開いている。
3枚目は潜水艦桟橋で、今回は、前回よりも新型のシッポがX字のタイプ。「そうりゅう」型なのか、さらに新しい「たいげい」型なのかは、素人の私には判別不能。
鎌倉の小町小路(元の名前は小町大路、鎌倉の中心を南北に通る若宮大路の東側に並行する通りで、土産物屋通りで有名な新しい「小町通り」とは若宮大路を挟んで反対側にある)、蛭子神社の斜め向かいにあるセブンイレブンは、独自仕入れで、なぜか「インド菓子」を売っている。物珍しくてついつい買ってしまう。たまに「うわ。これハズレだ」と思うものもあるが、結構イケルものもある。
ビスケット/クッキー類はごく普通に美味い(たまにちょっと甘過ぎるのがある)。左下の空袋の「ムルック(Murukku)」は個人的にはハズレ。スパイシーなだけで味が何か足りない感じ。
右下の「ナブラタン・ミックス(Navratan Mix)」と左上の「オール・イン・ワン(All In One)」はそこそこ当たりな感じ。シリアル+ナッツ等々、細かいアレコレをスパイスで味着けたもの。オール・イン・ワンのほうが甘みと辛さが強かったように記憶。
上中央は食べかけで止めてあるので見づらいが、「ゴル・カチャウリ(Gol Kachauri)」。4センチほどの一口で食べるにはちょっと大きめの揚げボールの中に、甘辛い具がぎっしり詰まっている。これは味はかなり美味しいと感じたのだが、同じ会社(ハルディラム/Haldiram's)のミニサモサとか、上のムルック同様、ちょっと「揚げた油が回っちゃってる」感がマイナス点。
●さらに別話題。
ここ数か月のうち、道端でオレンジ色のハムシを見掛け、「ああ。ありきたりなウリハムシか」と思ったのだが、それにしては、クズの葉にいる(しかもクズの葉を食べているっぽい)のがおかしい。
ちょっと気になって調べてみたら、本当にごく最近、2016年に東京都目黒区で初確認されたらしい外来昆虫(中国原産)、クズクビボソハムシと判明。判って気にして見てみると、結構あっちにもこっちにも、大繁殖してクズの葉を食い荒らしている(写真は先月撮ったもので、さすがにここ最近、肌寒くなってからは見なくなった気がする)。
クズはそのへんにいくらでも生えているので、適当に食えばよさそうなものだが、どうもこの虫、集団でまとまって食害する習性があるらしく、ほぼ無傷な葉がある隣で、ほとんど葉脈だけになった葉の上に何十匹も固まっている。……なので、「虫がたくさん」が苦手な人は卒倒しそう。
そもそも食草が、繁茂力が強く増え過ぎてしまって問題視されているクズなので、いくらでも食ってくれてOKな気もするが、とはいえ、「それはそれで問題が」となる可能性も結構ありそうな気がする。
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コメント
浦賀駅までの道にドブ川があったと思うのですが、
うなぎを見かけたことがあります。
投稿: みやまえ | 2024年11月 8日 (金) 23時09分
その道の何処かに、昔一軒模型屋さんがあったのです。
投稿: みやまえ | 2024年11月 8日 (金) 23時12分
>みやまえさん
そういえば昔、「ウナギがいた」と、写真を見せて頂いたことがありましたね。あれってこの辺だったんだ……。
投稿: かば◎ | 2024年11月 9日 (土) 09時29分