« 2024年10月 | トップページ | 2024年12月 »

2024年11月

I号戦車B型 タミヤ 1:35

Img20241118231345 ●つい先日発売された(そして出張先の関西でわざわざ買ってきた)タミヤのI号戦車B型の簡単なレビューと、ちょっとしたチェック。

箱は35戦車キットとしてはだいぶ小さめ。物が小さいので当たり前とも言えるし、ツュンダップKS750サイドカーが“オマケ”に入っていたアカデミーより小さいのも、これまた当たり前。

中身は、グレーの整形色の基本プラパーツが5枝。透明パーツ1枝。ポリキャップ、エッチングパーツ、デカールという構成。

Img20241118231151 Img20241118231009 Img20241118231048 Img20241118231301

写真1枚目:Aパーツ(×2枚)。足回り。履帯は最近一般的で、アカデミーI号とも同じ部分連結式。

写真2枚目:Bパーツ。車輛全体のディテール関係と、膝上の戦車兵(車長)フィギュア1体。

写真3枚目:Cパーツ。箱組の車体と、Bパーツからこぼれたディテール少し。

写真4枚目:Dパーツ(上)はスライド型を使用した車体上部と砲塔。Gパーツ(透明パーツ)は前照灯と車幅表示灯の前面レンズ。エッチング(排気マフラーカバーのみ)とデカール。

概観としては、「タミヤらしく、きっちりとよく出来たキット」で、組立もしやすそう。実際、少し進めてみた感じでも気持ちよく組めた。

寸法的にも、ざっとチェックしてみた感じ、トラクツ(PANZER TRACTS No.1-1 Panzerkampfwagen I Kleintraktor to Ausf.B)の図面とはほぼピッタリ整合。少しだけ先行したアカデミーのキットとは、ごく僅かな出入りはあるものの、これまたほぼ合致した。

デカールは(上の写真では隠れてしまっているが)3種の塗装例に対応。

  • A:1939年、ポーランド戦時の第4戦車師団
  • B:1940年、フランス戦時の第4戦車師団
  • C:1941年、ロシア戦線の所属部隊不明。

塗装指定は3種ともグレー単色。しばらく前に、「電撃戦当時は戦前のグレー時にブラウンの雲形迷彩だった」というのが定説になったと思ったのだが、また変わったのだろうか。もともとこの迷彩は2色とも暗めなので、当時のあまり鮮明でないモノクロ写真では迷彩かどうか判別できないものも多く、「本当に2色迷彩だったの?」と思うことも多かったのだが、こうしていきなり説明なく「単色説」を提示されると、それはそれでちょっとモヤモヤする。

●おそらく、気になっている人が多いと思うのが、「で、結局、(発売時期が近かった)アカデミーのキットと比べてどうなのよ?」という点だと思う。

結論から言ってしまうと一長一短、どちらもいいキットだし、どちらが圧倒的に優れているということもない感じ。日本国内での値段的にもほぼ同等(サイドカー付きのアカデミーの方が、その分わずかに高い程度)で、あとは個々のモデラーのお好み次第、というところだろうか。

両者の特徴としては、タミヤの方が(おそらく一般的なイメージとしてもそうだろうが)組み立てやすくカッチリ仕上がりそう。アカデミーの方がディテール的には優れた点がいくつかあるものの、特に面ごとの分割が多い戦闘室の組み上げはちょっと面倒。また、タミヤのキットはフェンダー前後のマッドフラップは最初からパーツ化されていないので、特定の実車を再現したいと思うような場合、追加工作無しでは選択肢が狭まることになる。

なお、個々のパーツで見ても一長一短あったりするので、「両キットのいいとこ取りのニコイチで決定版を目指そう」というアプローチはちょっと不毛かも。

アカデミーのキットに関しては、以前に割と詳し目にレビュー(および先行キットとの比較)を書いているので、お暇な方はそちらも見て頂きたい。

それにしても、「アカデミーのキットがタミヤに全然負けてない、部分的には優れている」という時代が来るとはなあ……。

●以下、パッと目に付いたポイントごとの比較など。2社比較の写真では、グレーがタミヤでベージュがアカデミー。

▼車体

Img20241120155624 Img20241120155747

車体に関しては、こうして基本形を組み上げてしまうと大差ないように見えるが、パーツ構成はだいぶ違っていて、タミヤは車体上部がスライド型を使った一体成型で組立にストレスなし。アカデミーの場合、戦闘室のベースはフェンダーと一体なのだが、両側面・前面は別パーツで、若干すり合わせや接合部の処理に気を遣う。

エンジンルームもアカデミーは別部品。アカデミーは点検ハッチ類が別パーツで、(既発売のノーマル版では不用部品扱いだが)熱帯型のパーツと交換可能。一方タミヤはハッチ類は一体成型で、逆に右後ろの通気グリルが別パーツになっている。

車体下部は両社とも箱組だが、車軸(ボギー軸)の扱いがちょっと違っていて、タミヤは車体底面と軸が一体。アカデミーも(ボギー側の)軸は別に短くないので位置決めでガタ付く怖れは低そうだが、タミヤの方がより強固そうな気はする。タミヤは第4上部転輪基部だけ別パーツで、この第4上部転輪は履帯取り付けの基準にするために特殊な形状になっているのだが、それにしてもわざわざ基部を別にする理由は、ちょっとよく判らない。

なお、車体下部内部、エンジンルームとの隔壁は、アカデミーは今後の自走砲系列へのバリエーション展開も見越してか隔壁ディテールのモールドがあったが、タミヤのキットでは単純に側面板の位置決め/補強用で、これを見る限りでは自走砲等への展開の可能性は低そう。

Img20241120045657

興味深いのが底面で、なぜかドレン蓋類?の配置が鏡写し。これはトラクツNo.1-1、p81の写真と図面で正解が判るが、タミヤが正しくアカデミーが誤り。もっとも、車輛をひっくり返して眺める用事は少なそうで、私も個人的にあまり問題とは思わない。

ちなみにイタレリのキットではまるで違うディテールになっており、ドラゴンのB型シャーシもそれを真似たと思われるデザインになっている。

Img20241120045820

フェンダーの滑り止めパターンはアカデミーが細かく、タミヤはやや粗め。これはアカデミーのレビューを書いた時に検証したが、アカデミーの目の細かさがほぼ正しい。とはいえ、タミヤのキットも以前のII号戦車A~C型ほどは粗くはなく、大きな違和感はないと言えるかも。ちなみに、イタレリやドラゴンはタミヤとほぼ同じくらい。

Img20241120051102 Img20241120051014

エンジンルーム右後ろのグリルは、タミヤのキットは別パーツ。一応、ルーバーが斜めになっているのは表現されているものの、一見「鋳造かよ!?」みたいな出来。これは流石にお粗末。

エンジンルームと一体成型のアカデミー製の方がずっと優れた表現で、エッチングほどではないがルーバーもタミヤより薄いし、奥に見えるグリル取付用のベロもしっかり表現されている。

たぶん、20年くらい前の自分に、「ベージュの方がタミヤ製で、グレーの方は東欧の新興メーカー製だよ」と言ったら、そのまま信じてしまいそう。「そう、こういうところに手を抜かないのが、流石タミヤだよね!」とか。

「本気で取り組む人は、どうせエッチングに交換するんだから、別部品になってるタミヤの方が楽でいいんだよ」というヒネクレた見方もできるかもしれないが。

なお、グリルの奥にはメッシュがあるらしい(当時の写真で存在が確認できるものがざっと見たところで手元にないが、少なくともボービントンの指揮戦車にはある)。ドラゴンのキットにはメッシュのエッチングが付属していたが、タミヤ、アカデミーは両方とも付属していない。写真のアカデミーのキットのメッシュはハセガワ・トライパーツのメッシュ41(東京AFVの会の折にサニーで買った)。

ただ、タミヤのほうにメッシュを追加しようと考えた場合、接着ベロなど裏側形状がちょっと複雑で、簡単には取り付けられそうにない。

Img20241120050737 Img20241120050849

エンジンルーム前方のグリルについても、アカデミーの方が優れている。どうせ中に何があるわけでもないので、タミヤの方が「抜けていない」のはそれほど大きな問題ではないかもしれないが、グリル取付用のベロの再現など、アカデミーの方がより神経が行き届いている。グリル両端が単純に装甲板に合わせて斜めになっていないところも、アカデミーの方が正しい。

なお、このグリル部上面に、タミヤのキッでトは皿ネジ列のモールドがあるが、アカデミーにはない。ただし、実車にこのようなネジ列があるかどうかがいまいちよく判らない。

Img20241120165339

シャーシ後端は、太い補強用シャフトが付いた後期(改修?)仕様の一択。アカデミーは同仕様と、細い補強用ロッド付きの、より初期のものと思われる仕様の選択なので、それに比べるとタミヤは選択の自由度が低い。(訂正:アカデミーもキットの指定は太いシャフト付きのタミヤと同じ仕様で、細いロッドは不要部品扱い。今後出るバリエーションで、この仕様を使うようだ)

もっとも実際には(当時の写真を見る限りでは)太いシャフト付きがほぼ標準仕様くらいの感じに見えるので、あまり大きな問題ではない。

Img20241120122039 Img20241120121946

誘導輪基部内側のキャップ?パーツは、リングが二重にはまったような形状なのだが、タミヤのパーツは金型の方向からもわかるように1段に簡略化されている。こちらはアカデミーのパーツに軍配が上がる。

▼足回り

Img20241120121149 Img20241120121324 Img20241120134354

タミヤの大きなアドバンテージと思えるのが、外周の“ポケット”が再現された転輪。

これは「I号戦車キット史」的に見ると、トライスター製A型キットの新版から再現されるようになったディテールで、その後、ドラゴンの後期のバリエーションの一群やTAKOM製キットでもフォローされている。

ただ、トライスター、ドラゴン、TAKOM製キットでは、ホイール・リムのみが別部品だったのに対し、今回のタミヤのキットでは、ゴムリムを含めて内外に分割、スポーク部を挟み込むように組む型式にしたのが新機軸。これは、実際に見てみると至極もっともな部品分割なのだが、安易に先行キットの分割を真似せず、独自の、よりよい分割を考案したのは流石タミヤという感じ。

写真1枚目、2枚目は、右からタミヤ、アカデミー、トライスター新版。ご覧のようにトライスター新版も“ポケット”部は再現されているが、別部品のホイール・リムのリングと、ゴムリムとの接合部分は、隙間が空いたり接着剤がはみ出したりしないよう、やや気を遣う。

ドラゴン、TACOMの場合はリングがエッチングパーツなのでさらに取り付けは面倒、かつ、TAKOMのキットは(ネットでのレビューを見る限り)だいぶ隙間が空くようなので問題がある。タミヤの新方式の場合、接合線はゴムリム外周トレッド面の中央に来るので、通常の転輪パーツのパーティングライン消しと同等の手間しか要らない。

また、タミヤの転輪は、スポーク部外周の強化リブの縁に立ち上がり部分があるのも表現している(他社キットでは、TAKOM製のものにはある?)。

ただ、一体成型のアカデミーの転輪がダメかというと、こちらはゴムリムに「CONTINENTAL」のメーカーロゴ、そしてスポークにも何かの刻印がモールドされているというメリットがあり、これはこれで捨てたものではない。

なお、タミヤ、アカデミーとも、スポークの根元部分2か所にグリースポイントと思われる突起がモールドされている。この突起が、トライスター、ドラゴンでは片面にしかなかったが、アカデミー、タミヤでは両面にモールドされている。ただし、アカデミーのキットでは表裏とも同じスポークだが、タミヤのキットでは別のスポークになっている。どちらが正しいのかは不詳。

Img20241120051546 Img20241120051704

サスペンションボギーは、アカデミーではスライド型を用いて横の窪みがモールドされている。ボギー軸上のグリースポイントと思しき小突起も、タミヤでは省略されているが、アカデミーは表現している。この部分に関してはアカデミーに分があると言えそう。

しかし一方で、サス下面のディテール(サススプリング根元の結束具、先述の窪みに対応する下面のボルト頭もしくはナット)はタミヤの方がよく、アカデミーが完璧、というわけでもない。

Img20241120051241 Img20241120051304

誘導輪は、アカデミーのキット・レビューの中で、「ドラゴンとアカデミーの誘導輪を比べると、ドラゴンはハブ部の突出が大きく、比べてアカデミーは全体に平べったい形状であること」「実車写真と見比べるとアカデミーの方が近いこと」を書いたが、タミヤとアカデミーを比べると、タミヤ製の誘導輪のほうがさらに平べったい。

実車写真と比べると、見る角度によってタミヤの方が近く見えたり、アカデミーの方が近く見えたり。なお、タミヤの誘導輪は表裏の分割がちょっと奇抜だが、そこはタミヤのこと、変な隙間など出ずに綺麗に組める。内外で分かれているリム部の間隙は、タミヤ/アカデミーともちょっと狭いかな。内外リム間のリブは実車では6枚タイプと12枚タイプがあるが、タミヤ/アカデミーともに後者。

Img20241120051953

タミヤの起動輪は、ホイールディスクに外周のスプロケット(歯車)部分を取り付けるボルト列はあるが、ホイールディスクとスプロケットの分割線が省略されている。中心のハブカバープレートは、アカデミーに比べやや大きめ。

Img20241120121836 Img20241120122647

第一転輪のコイルスプリングのサスペンションは、意外になかなか満足できるパーツがない。そもそもコイルスプリングが、左右で巻きが鏡写しになっていたり、コイルスプリングじゃなくて蛇腹になっていたり……。その点、タミヤの新キットのコイルスプリングはちゃんと左右で同じ巻きだし、ちゃんとコイルスプリングを表現している……のはよいのだが、バネ線が細くて強化前のA型用に近い。残念。

2枚目の比較写真で見るように、アカデミーのキットはバネ線が太くB型用としてふさわしいが、これまた残念なことに裏面ではバネ線が逆斜めになっていて、要するにコイル状ではなく、「斜め蛇腹」になっている。なんだそりゃ……。まあ、組んでしまえばほぼ見えないけれど。

▼砲塔

Img20241120121006

砲塔は両社ともスライド型を用いて上側面一発抜き。外周はほんのわずかにタミヤの方が大きい。

Img20241120134439 Img20241120122447

砲塔に関しての2社間の大きな違いが防盾の処理。タミヤは内部防盾と防盾カバーが一体で、当然ながら非可動。アカデミーは別(可動)。一方で防盾前面のクラッペはタミヤは別部品、アカデミーは一体。

Img20241120122341 Img20241120122529

機銃(MG13k)については、2社とも、インジェクションのパーツとしては十分な出来ではないかと思う。満足できない人は、アドラーズネストなど張りこむよろし。タミヤは機関部もあり、別に照準器もあるので、ハッチを開けた際に多少有利。ただし、クラッペ内側機構など、その他砲塔内部のパーツはない。

▼その他ディテール

Img20241120121533 Img20241120121451Img20241120121636

排気管基部カバーは、アカデミーが2か所のボルト付きの後期仕様であるのに対して、タミヤはそれがない前期仕様。手元の写真(指揮戦車)で、ボルト突起がないカバー付きで、誘導輪基部の補強シャフト付きのものが確認できたので、仕様的な齟齬は特に無いようだ。

一方、排気口はタミヤは単に外形だけのパーツだが、アカデミーはスライド型を用いて開口表現がなされている。

なお、アカデミーのキットは不用部品扱い(たぶん今後発売されるアフリカ仕様用?)ながら、車体後部に付けられる発煙筒ラックのパーツが入っているが、タミヤのキットの方にはその手のパーツはない。

Img20241120051352

タミヤのキットのアンテナラックは木目表現入り。やや大げさな感じはしないでもないが、努力は感じる。

Img20241120122312 Img20241120122235

工具のクランプは、両社とも一応ハンドル部分も表現。ただし、タミヤの方はハンドル内側が抜けていない。アカデミーの方は一応抜けているが、形状が単純な四角という感じで、こちらもイマイチ。個人的にはエッチングや3Dプリントのクランプは「そこまで張り込むのもなあ……」という気がしているのだが、ハンドルだけは交換してもいいかも。

Img20241120163204 Img20241120163450

前照灯、車幅表示灯は、タミヤは前面レンズ部が透明部品。アカデミーは透明部品無し。2枚目写真のアカデミーのパーツは、中央のものが車幅表示灯で、前面部品は別パーツ(その前面部品も通常のプラ)。

なお、写真に見るように、タミヤのパーツはちょっと厚みがあり過ぎるものの車幅表示灯の「逆さへの字」の座金もしっかり形状を表現している。アカデミーの方は単純にフェンダー上にイモ付けする構造。

Img20241120121737

オマケ。フェンダー前後のマッドフラップ。アカデミー製。タミヤのキットには付属していない。

| | コメント (5)

あるときー。

●11月15~17日、大阪出張。

通常、「仕事で大阪に行く」という場合、新大阪から御堂筋線で上下する範囲を外れることはあまりないのだが、今回はこんなあたり。

Img20241116074129 Img20241116074050 Img20241117152636

一枚目は巨大ガントリークレーンが並ぶコンテナヤードと、その向こう側に見える港大橋。2枚目は泊まったホテル近くのNTTの巨大九輪塔……のような通信アンテナ。3枚目は大阪府咲洲庁舎。

港大橋は、ぜひ近くから見上げるような形で全貌を見たいと思ったのだが、そちらの海側はだいたいがヤードとか倉庫とかで近付けず。どうやら橋のたもとあたりまで行けばいいロケーションのポイントもあったようなのだが、歩くには遠くて諦めた。

咲洲庁舎に関しては、実は同行者に「あのデカいビル何?」と訊ねて「庁舎ですよ」と言われるまで知らず、帰宅後に調べて初めて大阪府庁舎の移転問題とか入居しているホテルの賃料未払い問題とかを知った。

ちなみに泊まったホテル(および仕事の対象である研修会場)は「フクラシア大阪ベイ」というところで、「何だ、その『膨らし粉』みたいな名前」と思ったのだが、運営会社のサイトを見たら、「私達のミッション」と題して、

「私達は空間の膨らし粉として、」

と書いてあった。マジで膨らし粉だったよ……。

●最終日、仕事が終わった後に、咲洲庁舎の近く、アジア太平洋トレードセンター(ATC)内にある「おおさかATCグリーンエコプラザ」でマンホールカードを貰う(しかも2種貰えた)。

前日に、「そういえば、この辺で貰えるマンホールカードってないんかな」とふと思い出して検索してみたら、まさにピンポイントですぐ近くだった。こういう機会でもなければ行かない場所なので、思い出してよかった。

Img20241118011106 Img20241115133409

1枚目左はマンホールカード第1弾、大阪市下水道科学館近くのカラーマンホール。1枚目右は、マンホールカード第5弾、市内の下水道管理費業務の委託先として設立されたクリアウォーターOSAKA(株)近くに設置された特別色のカラーマンホール。2枚目写真はカラーマンホールの元になっている通常版の蓋。

ところで前回書き忘れたが、先々週、ベトナムで働いているMの年末帰郷飲み会の折に、田町で途中下車して港区のマンホールカードも一種、貰ってきた。……せーらーむーん!!(貰いに行く前にリストでパッと見た時には、絵柄がこちゃこちゃしていて判らなかった) ああ、麻布十番だもんね。

Img20241114132039

これでマンガ・アニメ・特撮系マンホール蓋のカードは6種。集まったカードの総数は上の大阪市のものを含め36.5種(0.5種換算はつくば市の英語版)。

●泊まっていたホテルの近くにあった保存車輛。

Img20241117085201 Img20241117085219 Img20241117085243 Img20241117085309 Img20241117085325 Img20241117085342

阪堺電気軌道(南海鉄道)の戦前型旧型車両。「鉄っちゃん」ではないものの、乗り物や機械の古物は好き。それにしても、赤茶と緑の配色がなんだかクリスマスっぽい。

昨年同じ用事で大阪に行った時同様、仕事帰りに京都ではるとまん氏と待ち合せて1杯。今回はハホ氏も一緒。ハホ氏と直接会うのは10年ぶり以上? ずいぶん昔に貸して、なかなか返してもらうタイミングが合わなかったハインケル自伝「嵐の生涯」を受け取る。ほどよく内容を忘れているので、近々楽しく読み直すつもり。

はるとまん氏から、司馬遼太郎「翔ぶが如く」の生原稿を見せてもらう。……原稿用紙のマス目、まったく無視なのな。他、あれこれ駄弁る。

用事のあるハホ氏に合わせて早めに切り上げ、ヨドバシで新発売のタミヤ「I号戦車B型」を買う。「わざわざ京都まで来て買うのかよー」など言われつつ。だって近所に模型屋が(もう)ないし。買おうと思ったら、改めて都会まで出ないといけないし。

●私の大阪(あるいはちょっと広げて関西)に対するスタンスというのは、基本、野次馬というか、お上りさんというか、まあ、そんな感じ。今回の大阪行きでの、その他「ご当地ネタ」。

ホテルの朝食バイキングにタコ焼きがあったのは「流石、大阪」と思いかけたのだが、別にアツアツでもトロトロでもなく、冷凍食品以下のもので、なんとなく、「ほら、大阪やからタコ焼き出しとったら文句ないやろ」的雰囲気も若干。

先日の広島行きの時と同じく、近くのコンビニでカールを買って食べる。が、今まで私の中のスタンダードだった「チーズ味」ではなく、先日M.Nさんに薦められて食べた「うす味」。帰りにも一袋買ってきた。

「今度大阪行ったら、買って試してみよう」と思っていたのが伊藤ハムの「ポールウインナー」なのだが、少なくともコンビニ(ファミマとセブン)では見かけなかった。……という話を、はるとまん氏とハホ氏にしたら、2人とも「何それ、そんなん知らん」という反応だった。え!? ポールウインナーって、関西人には深く深く馴染みがある(そして関東では全然知られていない)食べ物なんじゃないの?(その後ハホ氏からは、前記事へのコメントで「あれがポールウインナーだったのか」的な書き込みあり)

現地で、生で「かんさい、でんき、ほ~あんきょうかいっ」のCMを観られないかなあと、ちょっと期待していたのだが、夜寝る前に漫然とTVをつけていた時間内には一回も放映されなかった。ちなみに、「関西電気保安協会を、そのまま読むのではなくつい歌ってしまうのが関西人とそれ以外との大きな違い」というのは広く言われていることだが、先日の東京AFVの会の折、「そもそも本物と似ても似つかない勝手なメロディーで歌う非関西人」という第三の道の存在が、ケン太さんによって示された。これが文化の刺激的伝播(概念だけ伝わって内容は行った先で再発明される)ってヤツか?

もともとI号戦車は帰りに本町のホビーランドに寄って買おうと思っていたのだが(帰路の乗換駅でもあったので)、マンホールカードを貰うなどの寄り道のため時間がなくなった。

現地で会った関西在住の先生との雑談で、「チーズケーキと言えば■■が有名だが、いつも長蛇の列で買いづらい。それよりも、箕面に本店があるDELICIUSがマジお勧め。新大阪にも店舗があるからお土産にもいい」と薦められた。調べたら大阪駅にも店舗があることが判ったのだが、これまた立ち寄る時間がなかった。次回に期待。

昨年はるとまん氏と飲んだ時は、多少遅かったこともあって、蓬莱(551)の豚まんが、私が行列に並ぼうとした途端に売り切れてしまった。今回は若干早めだったこともあって、しっかり買えた。夜の新幹線・東京方面行の車内の赤い紙袋は定番の風景だ。

●タミヤI号戦車のちょっとしたチェック記事も書こうと思うが、それはまた改めて。

| | コメント (4)

シンャホルストル

Amazon24111101 ●amazonで見かけた素敵な商品。

この見かけで「金属飛行甲板」!「エッチングパーツ」!

シンャホルストル」が「シャルンホルスト」(ドイツ戦艦)の綴り間違いなのは容易に想像できるにしても、だ。

え? 「日本海軍」? 戦艦なのに「飛行甲板」?。っていうかこの形のどこから飛行機が飛び立つのか。そして「オールシーズン」対応なのも謎ながら素敵。……ほとんど何一つ合ってない。

これ、実際に注文したら何が届のかも気になる(ただそれを知りたいためだけに約8000円費やす気にはなれないが)。

そもそも、「シンャ」ってどう発音したらいいんだ。

ヘイ、りぴーと・あふたー・みー。……「シンャホルストル」。いや、そこの君。それは違うぞ。「シニャ」ではない、「シン」だ!

ほか、同じくFlyHawkモデル製のパーツで、1:700「英海軍巡洋戦艦インシブンルビ1942」用のエッチングとして、写真は1:35戦車用のエッチングになっているものも2種(ティーガーII用とパンター用)出品されている。こちらは(AFVモデラー相手には)すぐ正体が判ってしまうし、「エッチング」という部分では合っているので、インパクトとしては今一つ。

●10月1日付で郵便料金が値上げになっているのを失念し、N女史宛の請求書(定型の封書)をうっかり旧料金の切手で出してしまった。当然、料金不足で差し戻されて来るものと思って、不足分の切手も用意して待ち構えていたのだが、N女史から、

「料金不足のまま届いていました。いいのか…」

との連絡あり。いや、本当にいいのか日本郵便!

実は値上げ後2か月間は旧料金でも届く特例措置が!?(ない)

●前回の記事、「FCM 2Cのディテール・メモ(後編)」を改めて眺めていて、

「なんつー判りにくい記事だ!」

と、自分でほとほと呆れた。

もちろん、個々の説明に対応した写真を掲示できていないというもの一因なのだが、だらだらと文章で説明しているのが、とにかくくどい。考えてみれば、車輛別・時期別に表組にすればもっとスッキリしたはず。

……いやもう、何か息切れしているので、表組は気が向いたらにしますけれど(気が向くかどうかは不明)。

Img20241114184818 ●東京AFVの会の会場で、私が自分の作品(ロールスロイス装甲車)を入れて持って行った箱を見た人に、「『化石』って書いてあるけど、何?」と尋ねられた。

実際、その通り中に(昔採った)化石が入れてあったためで、今回、ロールスロイス装甲車を持っていくにあたって、たまたま、ちょうど作品が入る細長い箱だったので中身を出して輸送用に徴発したのだった。……この、毎度適当な箱に、乱暴に作品を突っ込んで持って来る件については、その度にケン太さんに「もうちょっと考えて梱包しろ」と叱られている。

まあ、それはそれ。せっかく箱から出して、久しぶりに昔の採集物を見たので、写真を撮って紹介してみる。

●箱に入っていた化石は、高校時代に北海道で採った白亜紀のアンモナイトが数点と、栃木の葛生で採ったペルム紀(二畳紀)の腕足類もしくは二枚貝が1点。

以前にも書いたことがある気がするが、私は中学・高校時代の部活で「地学部地質班」というのに属していた。地質班といっても、地質調査なんてものは基本したことがなく、あっちこっち化石を掘りにいくのがメインの活動だった。年に一度(だったかな?)、巡検と称して顧問の先生とともに泊りがけで遠出するだけでなく、生徒だけであれこれ計画して出掛けることも多く、北海道は確か高校2年の夏に、同級生1人と、あとは大学生のOB4人くらいと一緒にテントを持って出かけたもの。葛生はいつだったっけなあ。

▼というわけで化石の紹介。まずは北海道留萌郡、小平蘂(オビラシベ)川上流産の中生代白亜紀のアンモナイトあれこれ。

Img20241114145037

中くらいの大きさのアンモナイト。。下敷きにしているカッティングマットの枠線は5cm刻み。巻きの出口側、生きていた時には軟体部が収まっていた部分(住房という)は殻の中に隔壁などなくて脆いため、押しつぶされて殻も割れて変形している。巻きの中心に近いほうは気室といって隔壁で仕切られており、丈夫なので形状が保たれている。

殻の表面には目立つ肋(筋)はない。クリーニング(余分な石の除去)し切れていないが、中央のへそ穴はとりあえずある。……と、そこから先の種類調べはさっぱり。

Img20241114144935 Img20241114144948

上よりはだいぶ小さい標本。切断面(左)と、その裏側の外面(右)。形状自体は割とふっくらめ、殻の表面に肋が見えないなど特徴が共通しているので、もしかしたら同じ種類かも。

高校の地学室(準備室)にはある年から岩石切断・研磨機が導入されたので、それを使って輪切りにしてある。上の標本同様、住房部分は変形あり。住房の中は砂(泥?)が詰まっているが、気室部分は染み出した石灰質が結晶化している。

Img20241114145150

比較的小型の標本。一般に「異常巻き」と呼ばれる、通常の平らかつ密な渦巻に巻いた形状から外れた巻きを示しているもの。別に奇形の個体とかいうわけではなく、そういう種類で、なかにはもっと珍妙な形状のものもある。

この数字の「6」のように、巻きの最後の部分だけほどけたようになっているのは、流石に形状が特徴的なので、属名までは行きつけた。スカフィテス(Scaphites sp.)。写真を見比べると、なかでもスカフィテス・スブデリカトゥルス(Scaphites subdelicatulus)というのが近そうな気がする。

Img20241114145221 Img20241114190220

小さな標本3つ。左写真の2つは名前判らず。特に左写真の下のものは、「いかにもアンモナイト!」という形状なのだが、実際にはこういう形状のものはアンモナイトのなかのいくつもの科にまたがって存在していて、素人の私にはまったく絞り切れない。うーん。ゴードリセラスの仲間かなあ。それともデスモセラス? プゾシア?

右写真は今回箱から取り出したものではなく、それ以前から隣の棚に裸で置いてあったもの。「化石」のタグで遡ってみたら、10年近く前の記事で一度紹介していた。一緒の産地のものだし、名前が判るものももう一つくらい上げておきたかったので再登場。へそ穴がきゅっと閉まっていて、全体的には平べったい形。表面に繊細な肋がびっしり入っている。これは判り易い特徴で、ネオフィロセラス(Neophylloceras sp.)と判る。ネオフィロセラス・スブラモスム(Neophylloceras subramosum)かな?

Img20241114184927 今回、写真を紹介するにあたって、「ちょっとでも名前とか調べて書きたい」と思ったので、虎の巻として逗子市立図書館から借りてきたのが右の書。

いや、確かに同定の仕方とか、そこそこしっかり書かれてるんだけど! しかも北海道産アンモナイトに軸足を置いて書かれていて、私が採集した小平蘂川含めた産地ごとの特徴なども書かれていて有り難いんだけど!

もとから知っていたネオフィロセラスと、以前にどこかで写真を見て「あ、これ、オレが持ってるヤツだ」と思ったことがあって、ある程度アタリが付いていたスカフィテス以外は、結局やはり属名までも突き止めることはできなかった。これはあれかなあ。III号戦車とIV号戦車の見分けとか、ルノーR35とオチキスH35の見分けとか、「素人目には『同じじゃないの?』でも、見慣れている人なら割と簡単に区別できる」系のものなのかなあ。

「年代も大いに手掛かりになる」と言われても、そもそも採集したのが河原の転石からなので、「地域的に、白亜紀後期」以上のことは判らないし、そもそも小平蘂川のどれくらい上流で採ったかも、今や曖昧だし。

しかし、この本自体は結構眺めていて楽しかった。あー。北海道に化石採りにとか行きたいなあ。でももう、岩石用ハンマーもどこにしまったかわからないや。

▼残るは、ひとつだけ味噌っかすで古生代ペルム紀の、栃木県佐野市葛生産の化石。

Img20241114145342 Img20241114145440 Img20241114145515

葛生はセメントの原料としての石灰石鉱山がある。たぶん、今では「何か事故でも起きたら責任問題」ってことで、入れてくれないんじゃないかなあ。ン十年昔の私が高校生の頃は随分大らかで、入り口で「部活動で化石を採りに来ました~」というと、簡単な注意(危ないとこに近付くなよ~程度)で入れてくれたものだった。これは、そんな鉱山の中で採集した(というより拾った)もの。

何しろガンガン発破をかけて石灰岩を掘り進めている場所なので、周りじゅう、大小の石灰岩がごろごろしている。そんな場所を歩き回り、岩の断面を見て「お、これ、フズリナの密度が高いぞ」なんてのをハンマーで欠いて採集していくわけだが、そんななかで、ほぼこのままの状態で(ただし泥だらけで)転がっているコレを見つけた。

実のところ、最初は本当に化石であるなどとは思わず、単に「形状がそれっぽい」だけの石ころだと思ったのだが、拾い上げて、冗談で周囲の仲間に

「お~い、スゲーの見つけた! デカい腕足貝だぞ!」

と叫んで自慢したのだった。

当然、その後には「嘘だよ~ん」と続けるつもりでいたのだが、泥をぬぐってみると、かすかに表面の模様が確認できる。むしろ最初に「見つけた」と言った私が驚くはめになった、というオチ。

1枚目は全体形で、横幅が約8cm。2枚目は裾部のクローズアップで、かすかに放射肋(頂部からの縦方向の筋)が確認できる。3枚目は側方から。頂部下にも、見える範囲には穴などないの。最初は「腕足類の化石」と思っていたのだが、腕足類(正確には腕足動物門)であれば殻の頂部から肉茎が出る穴があるはずなので、実は二枚貝の化石なのかも。

いずれにしても、こういう石灰層ではフズリナなどの微小な化石がメインで、大きな化石が採れることは少なく、なかなかレアな標本だと思う(なので、きちんと同定などして貰えるなら、どこぞの博物館とかに寄贈してもいいのだが、なかなかそういうきっかけもない)。

| | コメント (4)

FCM 2Cのディテール・メモ(後編)

●たいぶ間が開いてしまったが、フランスの超重戦車、FCM 2Cのディテール・メモの後編。

10両作られた実車の個別ディテールチェック、今回は6→96号車から。なお、前記事同様、「写真がある/ない」と書いているのは、あくまで私が知っている範囲なのはご了承のほどを。

ディテール検証のために見た写真は、基本、「char-francois.net」と「world war photos」のものがメイン。「char-francois.net」は閉じてしまったのでリンクの張りようがないが、「world war photo」(ほぼドイツ軍が接収して後の写真)については、各車記事末尾にリンクを張るようにした。そのうちリンク切れしてしまうことも考えられるが、できれば多くの写真を参照してほしいので。前編掲載の91-95号車に関しても、今後リンクを追加するかも。

本編に入る前に、各車両(全10両)が1940年のドイツ軍による侵攻時に、どのような末路を迎えたかの一覧を挙げておく。

10両作られた実車はすべて同一部隊(開戦時は第51戦車大隊/51e BCC)に配属されたが、独仏の地上戦開始時点で、2両は実質的に廃車状態、残りは動員されてマジノ線後方で待機に入ったが、待機地点に到達前に1両が故障して脱落、その後撤退が決定し鉄道駅に行く途中でさらに1両が故障脱落。

最終的に、6両が専用貨車に載せられて(というか吊り下げられて)後方への輸送が行われたが、ドイツ空軍の攻撃で鉄道網が寸断されて立ち往生、最終的に爆破処分された。

  • 1→91号車「プロヴァンス」:撤退のため鉄道輸送中、積載状態のまま爆破処分。
  • 2→92号車「ピカルディ」撤退で移動中路上で故障しスタック。その後爆破処分。
  • 3→93号車「アルザス」:撤退のため鉄道輸送中、積載状態のまま爆破処分。
  • 4→94号車「ブルターニュ」予備車両として部品取りに使われほぼ廃車状態。
  • 5→95号車「トゥーレーヌ」集結・待機地点への移動中路上で故障しスタック。その後爆破処分。
  • 6→96号車「アンジュー」予備車両として部品取りに使われほぼ廃車状態。
  • 7→97号車「ロレーヌ(旧ノルマンディ)」:撤退のため鉄道輸送中、積載状態のまま爆破処分。
  • 8→98号車「ベリー」:撤退のため鉄道輸送中、積載状態のまま爆破処分。
  • 9→99号車「シャンパーニュ」:撤退のため鉄道輸送中、積載状態のまま爆破処分(爆破失敗)。
  • 10→90号車「ポワトゥー」:撤退のため鉄道輸送中、積載状態のまま爆破処分。

以下、個別の特徴など。

●6号車→96号車 アンジュー(ANJOU)

▼初期

他の2Cと異なり、一桁番号が書かれた時期の写真は(私の手元には)1枚もない。少なくとも写っている範囲には何のマーキングもない、おそらくグリーンの単色塗装の写真が3枚ある(それがなぜ6/96号車と判断できるかといえば、char-francois.netで6/96号車として掲載されていたため。他力本願)。車体前面がしっかり写った写真はないため、そこに固有名「ANJOU」が書かれていたかどうかも判らない。

うち2枚の(演習もしくはテスト中の)写真では、エンジンルーム上に第一次大戦中のイギリスのマークI戦車のような山型の金網付きフレーム?が取り付けられている。これは他の2Cには見られない装備。

残る1枚では、これまた、エンジンルームの前後に鳥居のようなフレームが付いている。用途不明。

以上3枚の写真では、全て、車体横ハッチの上に何やら四角いプレートが付けられている。何か文字が書かれているようにも思えるが、白飛びしていてはっきりわからない。スカートはフルで装着。誘導輪基部先端にカバー?はない。

▼最終状態

wikipediaによれば、第二次世界大戦の勃発直前から進められたオーバーホールにおいて、94号車と96号車は最も調子がよかったために逆に再び予備役に回され、その後、僚車の部品取りに使われたのだという。

もう一両の予備車輛、94号車「ブルターニュ」は、前編に書いたように最終状態の写真が手元には1枚もないが、96号車「アンジュー」は、デポか兵舎のような建物の隣に放置された状態の写真が何枚か残されている。逆に、この96号車は、二桁番号記入後で稼働中の写真がない。

放棄状態の写真では、おそらくグリーン系の単色塗装に、車体左右前端の所定の位置に「96」の車輛番号。どの写真でもメイン砲塔は取り外されていて見当たらない。単に砲塔だけ外されているのではなく、車体側の砲塔リング部分も失われている。

エンジンルーム上のマフラー等も確認できず、エンジンルーム上面版ごと取り外されている可能性がありそう。エンジンルーム前端には何か曲線のフレーム状のものが確認できるが、実際にそこにそのような部品(装備)が取り付けられているのか、あるは曲がった鉄骨のようなものがたまたま載せられているだけなのか、判断できない。

車体前面の写真を見ると、操縦手用バイザーは付けられておらず(ヒンジも見当たらない)、どうやらバイザーは、94号車・96号車が予備役に回されることが決定して以降に追加されたのではないかと推論できそう。また、標準では戦闘室前面左右にあるコの字金具は、この96号車では左側にしかない(94号車では右側にしかなかったのと逆)。スカートは装着していない。誘導輪基部先端のカバー?無し。

車体前面に車輛名の記入無し。車体前面に、進駐してきたドイツ軍が試し撃ちしたものらしい弾痕が数カ所確認できる。車体右側スポンソン後端には、ドイツ軍によって上段:Beutegut(戦利品)、下段:F****114(途中判読できず、部隊名か)と白字で書き込みがある。

サイト「world war photo」には、96号車の写真は1枚だけある。頭の番号は、同サイトが掲載しているFCM 2Cの写真50枚中の何枚目かを示すもの。

  • 37/50:右後方からの撮影。

●7号車→97号車 ノルマンディ(NORMANDIE)→ロレーヌ(LORRAINE)

▼初期

一桁番号時代のものと言い切れる写真は、少なくとも私の知っている範囲ではない。渡渉中などで車体番号が確認できない写真はあるので、もしかしたらその中に紛れている可能性はあるかも。

▼後期(1)

車輛番号が「97」となっても、名称はしばらく「NORMANDIE」のままだった(車番の2桁化は1936年、名称変更は1939年)。

比較的多数の写真が残っている状態は、キットのデカールにも取り上げられている、「単色塗装、砲塔左面に大きくノルマンディ地方の盾形紋章、砲塔リング左にNORMANDIEの車輛銘板、戦闘室前面(操縦手バイザー下)に小国旗付き車輛名 」の塗装とマーキング(キットの指定塗装C)。車体前面の楕円のメーカー・プレートは塗り潰されていないらしく明色に写っている写真が確認できる。 「97」の車輛番号はあっても砲塔の盾章が描かれていない写真もあるが、どちらがより初期の状態なのかは不明。

戦闘室前面の小国旗付き車輛名が書かれていない写真もあるが、これに関しては、char-francois.netで97号車として出ていたものの写真に車番を特定できるものは写っておらず、本当に97号車なのか(またそうであったとしても番号が二桁になってからのものかどうか)不明。

車輛のディテール自体はキットで再現されているのと基本は同じ標準仕様だが、操縦手用バイザーは(ヒンジも)付けられていない。スカートは装着している写真、していない写真、両方がある。

ちなみにノルマンディの紋章は「赤地に二頭のヒョウ、またはライオン」。一応、文字で表現されるときは「deux léopards d’or(2頭の金のヒョウ)」と書かれることが多いようだが、絵としてはタテガミ付きでライオンっぽく描かれることもある。これはどちらが正解ということではなく、フランスにおける紋章学上では「ヒョウとライオンは同じもの」扱い(より正確には、描かれた生物学的特徴での区別はなく、姿勢によって lion か léopard か呼び分ける。でもって、Normandieの旗の場合は léopard)なのだそうだ。へー。

D5012_nr_741_f_19410102_panzerkampfwagen

▼後期(2)

時期としては前記の単色時代より後なのか前なのか、実ははっきりしないのだが、車体の仕様としては標準のまま、車体横前端の「97」の番号は同様ながら、車体全体に2色?の迷彩を施した写真も残っている。写真それ自体がやや不鮮明なのではっきりしたことは言えないが、主砲塔部分を見ると、暗色地に明色の大まかな斑点迷彩の様子。

砲塔リング部分に車輛名の銘板が付いているのは判るが、車輛名それ自体は読み取れず、「NORMANDIE」と書かれているのかどうかはっきりしない。

なお、この迷彩の写真はchar-francois.netでは「7-97 normandie 04」として掲載されていたものだが、これとは別に、もう一枚、標準的な車体ディテールで2色迷彩を施された写真、「7-97 normandie 10」も載せられていた。こちらの写真の2色迷彩は帯状で、先の写真とはパターンが異なるが、この写真自体、渡渉中で車体は隠れていて、車輛番号は確認できない(砲塔リング部の銘板も、存在は確認できるが文字は読めない)ため、実際には97号車の写真ではない可能性もある(もちろん、時期によって塗り替えられていた可能性もある)。下記「後期(3)」時期の迷彩とは微妙に違う感じ。

いずれにせよ、どちらの写真でも砲塔の盾形紋章は確認できない。

▼後期(3)

その後、97号車は中隊指揮戦車として独自の改修を受け、この1両のみの独特な仕様となった。おそらく同時期に、車輛名も「LORRAINE」に変更された。改修ポイントは、おおよそ以下の通り。

  • 砲塔上面に増加装甲。若干の隙間を設けたスペースド・アーマー形式のように見える。
  • 主砲塔前の工具箱を除去し、ここにも上面に装甲?を追加。さらに車体前端上面にも増加装甲をボルト止め。砲塔前の戦闘室上面は薄手のスペースドアーマーかも。シャーシ前端上面は厚手の装甲をベタ止めに見える。
  • エンジンルーム上部をさらに一段かさ上げ。かさ上げされた部分は、左右、および前部がオーバーハング(前部は主砲塔をやや巻く感じ)。かさ上げ部分の上面は、中央(やや右寄り)に縦一本にルーバー。その左右は装甲。
  • エンジンルームのかさ上げの結果、もともとエンジンルーム上面に置かれていたマフラーは撤去。排気管は車体左右に這わせて、車体後端まで伸ばされている。特段、マフラー等は設けられていない模様。
  • 左右スポンソン上部に並んでいるグリルには防弾板が取り付けられる。
  • 操縦手用バイザーは装備。前照灯は無し。
  • ほか、無線機を増設?

塗装は、上記「後期(2)」よりももっと大ぶりなパターンの2色迷彩(ただし、後期(2)の迷彩に近いパターンに見える不鮮明な写真もある)。砲塔左面に、「NORMANDIE」時代よりももっとずっと小ぶりな盾章。しかし、本来ロレーヌ地方の旗/盾章は、黄色時に斜めに赤帯、帯の中に3つの鷲章のはずなのだが、写真に写っている盾章は別のデザインに見える。謎。シャーシ前端中央に「LORRAINE」の車輛名。

wikipediaの解説には、「1939年11月15日から12月15日の間」に、97号車は「実験的に追加装甲を施された」とあり、これが上記の改修を指すらしい。

▼最終状態

僚車と共に鉄道輸送状態のまま爆破処分となる。この時には、上記「後期(3)」時期に実施された改修のうち、エンジンルーム上部のかさ上げ部分は撤去されているようだが、その他の、各部の増加装甲、車体後端まで延長された排気管はそのまま。これら、97号車のみの特徴は下の写真でも確認できる(wikimedia commons, File:Char2C 97.jpg

Char2c_97

損傷が激しく、側面装甲は左右とも大穴が開いている。車体左右前端の車輛番号「97」以外のマーキングや塗装の詳細はよくわからない。左面の写真も存在するのだが、砲塔左面の盾章はボンヤリあるような、ないような……。砲塔リング部の車輛銘板も脱落しているように見える。

車輛の前面(特に戦闘室前面、主砲塔前面)は、進駐してきたドイツ軍が標的にしたようで、多数かつ大小の弾痕に覆われている。標的にされた後の写真では操縦手バイザーがヒンジごとないが(車体機銃もないが)、char-francois.netに掲載されていた、鹵獲直後で標的にされる前の写真では両方とも存在が確認できる。ただし、その写真でも前照灯は(支持架ごと)付いていない。

以下はサイト「world war photo」掲載写真へのリンク。

  • 09/50:左前方から。前面の弾痕が痛々しい。側面前端の車番は極かすかに見える。
  • 39/50:撮影条件(立体交差の鉄橋下)が似ているので、上の09と同じ時に撮ったものか。排気管の取り回し変更、側面グリルを塞いだ改造が判る。
  • 41/50:上の39と一連の写真。側面グリルの防弾板はやや隙間を設けているらしい。左側排気管は途中で途切れているが、本来は車体後端まである(おそらく爆破時に欠落)。
  • 47/50:やはり同じ時の撮影か。ドイツ軍に滅多撃ちされた前面。標準では工具箱がある前部天井の仕様違いが判る。

●8号車→98号車 ベリー(BERRY)

▼初期

一桁番号時代(1936年夏以前、第551連隊所属時代)の写真は何枚か存在。下写真はwikimedia commons、File:Issy-les-Moulineaux 31-3-28 manoeuvres de chars- Agence Rol 03.jpg。この写真から読み取れる状態は、

  • 基本、車体の細部ディテールは標準仕様と思われる。
  • ただし、エンジンルーム後部のロッドアンテナが、途中で太さが変わる二段構成になっているのはこの車輛独特?
  • 塗装は単色、スポンソン前端に車輛番号「8」。それだけでなく、シャーシ前面にも番号が記入されているようで、これは他車輛では確認できないマーキングの仕様。

Issylesmoulineaux_31328_manoeuvres_de_ch

他の同時期の写真で見る状態もおおよそ同じだが、角度的にシャーシ前面まで写っているのは(私が知る限りでは)上の1枚だけで、前面の「8」が常に書かれていたか、また車輛名も同時に書かれていたかは定かではない。

操縦手バイザーが付いていたかどうか確認できる写真無し。スカートは装着している写真が多いが、装着していない写真もある。

また、車庫あるいは工場内と思われる場所で写された、ほぼ同時期と思われる写真が1枚あり、その写真では主砲塔が外されて車体の前に置かれており、その砲塔の右前部にも車輛番号「8」が書かれている。ちなみに、砲塔に車輛番号が書かれている事例は、この8号車→98号車以外には見当たらない。

▼後期

車番が「98」に変わり(1936年以降)、かつ「生きている」写真は、私の手元には1枚のみ。

だいぶ不鮮明な写真で、しかもスポンソン部にはべったり汚れの雨だれ模様がついているので、塗装は「う~ん、単色、かなあ?」くらいにしか判らない。スポンソン前端部に「98」の車番。砲塔リング部には(文字は写真が不鮮明で読み取れないものの)車輛銘板。左側、やや後方から撮った写真なので、車両の前面に番号または車輛名が書かれていたかどうかは判らない。砲塔に地方の盾形紋章が書かれているかどうかも(反射していて)よく判らず。

その1枚の写真に関する限りでは、スカート付き。誘導輪基部先端のカバー?は写真が黒く潰れていて確認できず。

無線機が換装されたのか、ロッドアンテナは見当たらず、エンジンルーム左側に沿って3本の柱。おそらく上端にアンテナ線を張り渡しているのではと思う。

▼最終状態

僚車と共に鉄道輸送状態のまま爆破処分。スポンソン前部の左右とも大穴が開いているのは「97」号車同様だが、変形はさらに激しく、鉄道輸送状態で爆破処分された6両中、おそらく最も大きく破損している。

車輛の仕様はおおよそ標準だが、エンジンルーム後部にロッドアンテナの基部は見えない。上記でアンテナ形態が変更されてから戻されていなかった可能性がありそう。左側誘導輪基部前端には箱型カバーあり。右はないが、爆破時に脱落したか?

スカートは左右とも後半は装着、前半がないが、前半部は車体の変形も激しいので、爆破時に脱落したものと考えられる。

塗装は単色ではないかと思うが確証なし。スポンソン前端、誘導輪基部の標準位置に「98」の車輛番号。前面の写真は手元にないので、車体前面の車輛名や、初期にあった車番の記入等は確認できず。当然、操縦手バイザーフラップの有無も確認できず。

非常に興味深いのが、主砲塔にも大小2種の「8」の数字が書き込まれているらしいこと。かなりかすれて見づらいものの、右面は前部に小さく、後部には上下幅いっぱいに大きく書かれている。左面は2種の数字が隣り合って、両方とも装甲の継ぎ目よりも前に書かれている(小数字が前、大数字が後ろ)。左面の数字は写真によっては見えづらく、char-francois.net掲載の写真では確認できなかったが、world war photoのこの写真では何とか確認できる。

前述のように“かすれ”が激しいが、もともとはっきり書かれていたものが炎上で消えかけたのか、あるいは炎上の結果塗り潰されていた数字が再び浮き上がってきたのか、その辺はよく判らない。主砲塔左側面にも大きな白い菱形のような、何かしらマーキングの痕跡のようなものも見えるが、実際にマーキングなのか、単に塗料が焼け焦げた結果なのか、これもよく判らない。

以下、「world war photo」掲載写真へのリンク。

  • 07/50:左前から。激しい損傷具合が判る。誘導輪基部先端のカバー?がある。
  • 18/50:上記解説文中にリンクを張ったもの。左からのクローズアップ。
  • 42/50:右から。戦闘室床面も失われていて、車体が折れそうな損傷。
  • 43/50:右前から。実際既に車体前部と後部では角度が違っているのが判る。こちら側には誘導輪基部のカバー?がない。

●9号車→99号車 シャンパーニュ(CHAMPAGNE)

▼初期

1920年代半ば、9号車のみ、155mm榴弾砲装備の“突撃戦車”仕様、2Cbisに改造された。

主砲は、日本語版wikipediaによればシュナイダー115C 1917年式を元にしたもの、とのことなのだが、2Cbisの搭載砲は非常に肉厚で太短く、シュナイダー115Cとは似ても似つかない形状で「ホンマかいな」という感じ。なお、英語版、仏語版wikipediaにはシュナイダー115Cを元にしたという記述はないようだ。

砲塔は上半分が鏡餅のような独特の鋳造のもの。キューポラは主砲塔と独立して、砲塔の後ろに置かれているらしい。車体側はあまり大きな差異はないようだが、車体銃は除かれているようだ。

写真は、私の手元には斜め右前方、右側方からの不鮮明な2枚があるだけだが、それで確認できる範囲では、塗装はおそらく単色。目立つマーキングは特にないが、車体前端の楕円のメーカー銘板が三色旗に塗り分けられているようだ。

2Cbis仕様への改装はあくまで試験的なもので、後に標準仕様に戻されている。ただ、一桁番号が記入された標準仕様の9号車の写真は、少なくとも私は見たことがない。

▼後期

車番が「99」に変わり(1936年以降)、かつ貨車に積載された放棄/鹵獲状態でない写真は、char-francois.netには2枚。片方は、スポンソン部に雨垂れ状の汚れが激しいので確言は出来ないが、単色塗装に見える。もう片方は最終状態の放棄時と同じ2色迷彩。

前者は車輛から見て左前方から写したもので、側部先端に「99」の車番、砲塔下リング部横に暗色地に白文字の車輛銘板。車体前面は写っていないので、マーキングの有無は不明。砲塔に紋章等は確認できない。

後者は路上?に停車した状態で、右やや前から写されたもの。前述のように、ちょっと前衛芸術っぽい入り組んだ塗分けの2色迷彩で、パターンも鹵獲時と同一。側部先端に「99」の車番。左面や車輛前部は写っていないのでマーキングの有無は不明。周りに人の姿もないので、実際にはフランス軍の下にある時のものか、ドイツに鹵獲された後なのか、いまひとつよく判らないが、後述の、スポンソン部のドイツ軍によって書かれた文字が見当たらないので、一応、フランス軍時代の写真と判断した。

ともに操縦手用バイザーの有無も確認できないが、少なくとも後者は、40年6月の放棄時と極めて近い状態なので、バイザーは付いていたはず。この2枚の写真とも、前面装甲中央の前照灯は支持架ごと未装着、かつスカートも装着していない。誘導輪基部先端のカバー?も無し。

▼最終状態

僚車同様、鉄道輸送状態のまま爆破処分されるはずが、爆破に失敗してほぼ無傷でドイツ軍に鹵獲される。そのため、残されている写真も多い。下写真はwikimedia commons、File:Char2C 99 01 res.jpgPhrontis

Char2c_99_01_res

この時の塗装とマーキング、車輛細部の仕様は、

・ちょっと前衛芸術っぽい入り組んだ塗分けの2色迷彩。比較的明るめに見えるので、MENGキットの「93号車」の塗装指示にある、グリーン/ベージュ系の迷彩か。上方から写した写真を見ると、この2色の塗り分けはエンジンルーム上のマフラーでも確認できるので、このマフラーが、焼けた赤錆状態にはなっていないことがわかる(塗装からあまり時間が経っていないせいもあるかもしれないが、そもそもこのマフラーはあまり高熱にはならないのかもしれない)。

・側部前方に「99」の車番。近くからはっきり写した写真を見ると、右下方向に向かって細くシャドウを入れて数字を目立たせている。

・砲塔下リング部、左側面に車輛銘板。極めて見づらいが、白縁に暗色の地色、それに地色より少しだけ明るめの文字で「CHAMPAGNE」と書かれているらしい。あるいは白地に車輛名が書かれていたものを、暗色で塗り潰した(そしてうっすら車輛名が見える)という可能性もあるかもしれない。白縁部分がガタガタなので、他の車輛のように銘板が付けられているのではなく、車両本体に直接書き込んでいることも考えられる(銘板が浮き上がって歪んでいるという可能性もあるか?)。

・砲塔に地方紋章等の記入は無し。

・車体正面は貨車との接続等できっちり写った写真は無く、全体像が確認できない。ただし、操縦手用バイザーが付いていること、少なくとも操縦手バイザー下には車輛名の記入がないことは確認できる。

・主砲塔、副砲塔のキューポラのドーム状天井には同心円状の塗り分けがある。フランス国籍マークのコケイドに塗られている可能性がありそうだが、白部分が1/3幅には見えないのもちょっと気になる。なお、副砲塔のキューポラは装着したままだが、主砲塔のキューポラは橋下などの通過時に引っかかるのを防ぐために取り外してエンジンルーム上に置かれている。

・誘導輪位置調整装置部の延長(カバー?)もなく、キットが表現している状態ほぼそのままの仕様。スカートは左右ともフルで装着。

・エンジンルーム左後方のアンテナ基部がキットパーツに比べて背が低く写っている写真があるが、これは蛇腹部が破損したものか?(背が高い、キットと同仕様らしい状態で写っている写真もある)。

・ドイツ軍により、両側面に「Erbeutet Pz.Rgt.10」(第10戦車連隊により捕獲、の意味か)とデカデカと書かれている(右側面のみ、10の後にスワスチカ)。迷彩よりも暗色だが、写真によってはコントラストが弱く見えづらいので、黒文字ではないのではと思う。

「world war photos」上の写真。かなり多数ある。

  • 03/50:左前から。比較的鮮明な写真で、ドイツ軍による書き込みもくっきり。
  • 05/50:左前、やや高い位置から。2Cの写真としては割と有名なもの。車体の迷彩が明瞭。
  • 06/50:左斜め後ろから。この写真ではドイツ軍の書き込みのコントラストが弱く見える。
  • 08/50:左斜め前から。
  • 10/50:左斜め後ろから。
  • 12/50:左から。主砲塔のキューポラがマフラー間に置かれているのが判る。
  • 13/50:前方、やや左から。
  • 17/50:左やや前方から。鹵獲後だが側面の書き込みが見えない。書き込まれる前の撮影か。
  • 20/50:左前方から。
  • 23/50:左やや上から。キューポラの同心円状塗り分けが判る。
  • 24/50:左前上から。全体ではないものの上面が判る貴重な写真。マフラーの迷彩も判る。
  • 25/50:左後ろから。
  • 27/50:珍しく右前から。
  • 33/50:左前上から、No.24よりさらに広範囲。キューポラの塗り分け、マフラーの迷彩が明瞭。
  • 36/50:左前から。やや遠景かつやや不鮮明。
  • 38/50:左前から車体のみ。あまり質の高い写真ではないが、車番のシャドウがはっきり判る。

●10号車→90号車 ポワトゥー(POITOU)

90番台になったらいきなり初号車みたいになってしまったが、本来は最終号車。

▼初期

車番「10」時代の写真は、char-francois.netにもworld war photosにもない。

▼後期

車番が「90」に変わり(1936年以降)、かつフランス軍の下にあって「生きている」写真は大別して2種。

ひとつは帯状?に2色迷彩が施され、車体前端のメーカー銘板?の下に車輛名「POITOU」、その下に小さく三色旗が書かれたもの。この状態の写真は数枚あるが、車両を左側から写したものはなく、砲塔のマーキング、その下の銘板の有無については確認できず。ただし、下記のドクロマークは「ぶっちがい骨(crossbones)」の端がほとんど防盾横の照準窓に接するくらいなのだが、この迷彩時で、わずかに左面が見えている写真では、それが見えない。ドクロマークは未記入と考えてよさそう。

おおよそ、キットが表現している仕様に近いが、誘導輪基部先端には箱型カバーが付いている。スカートは未装着。操縦手用バイザーはすでに付いている。前面装甲板中央の前照灯は支持架のみでライト自体は無し。

もうひとつは全面緑色単色で砲塔左面に大きく、海賊旗風のドクロが描かれたもの(つまりキットの指定塗装B)なのだが、これは写真が明らかに人工着色で、マーキングはともかく、車体の塗装はちょっとアテにならない。この塗装で車体前端に車輛名が書かれていたかは、車輛の前に立つ戦車兵に隠れて確認できない。砲塔下リング部の車輛銘板は、暗色に白文字らしいが、少なくとも手元の着色写真では銘板の地色もグリーンに塗られている。

こちらも誘導輪基部先端には箱型カバーが付いており、スカートは未装着。操縦手用バイザーの有無は確認できず。前面装甲板中央の前照灯は支持架のみでライト自体は無し。

上の迷彩の時期と、このドクロ付きの時期のどちらが先かもよく判らない。ただし、下記のように放棄後にドクロマークがわかる写真もあるので、「ドクロ付き」が時期的に後か。

▼最終状態

僚車とともに、鉄道輸送状態で爆破処分。炎上したと思われる痕跡は認められるものの、「99」以外の爆破処分車輛に比べ表面上の破損は軽度で、左右とも側面装甲に大穴は開いていない。塗装及びディテールは――

・前述のように爆破処理の際に炎上したようで、車輛全面が塗装とは考えづらいまだら模様になっており、単色塗装だったのか、迷彩塗装だったのかも判別しづらい。側面前端には僚車同様、白で「90」の車番。

・砲塔下左側面の銘板は、上記「後期」の着色写真と違い、明色の字に暗色の文字。

・不思議なのは、ほとんどの写真で砲塔はマーキング無しに見えるにもかかわらず、かなり剥げかけではあるものの、明瞭に上記「後期」で書かれていた砲塔左面の大きなドクロマークが残っている写真があること(この写真はchar-francois.netにあったものなので、下リンクには入っていない)。爆破放棄直後は、ボロボロの剥げかけながら残っていたものが、その後しばらくですっかり剥がれてしまったのか? あるいは塗り潰されていたマーキングが逆に浮かび上がってきたのか?

・車体前面~砲塔前面に、ドイツ軍が標的にした弾痕複数。とはいえ、「97」号車のように大小の弾痕がびっしりという感じではなく、同一口径の砲(3.7cm?)の弾痕が7カ所ほど。一発は砲身先端に当たっており、砲口右側が破損欠落している(接収時に砲口が破損しているのはこの「90」号車のみ)。

・上記「後期」同様、おおよそキットの仕様だが、誘導輪基部先端には箱型カバー付き。スカートは無し。

「world war photos」上の写真。

  • 26/50:前方より。ドイツ軍に標的にされた弾痕は、他車輛同様白塗料で囲われている。
  • 28/50:右後方より。車輛番号は確認しづらいが、車体の破損状態は軽微な一方、砲口が破損しているように見えるので、おそらく90号車。
  • 30/50:右前方から。
  • 34/50:右前方から。やや遠くからの撮影、かつ不鮮明。
  • 40/50:左前方から。車番は見づらいが弾痕で90号車と判別できる。
  • 46/50:戦闘室/砲塔前面クローズアップ。砲口部合わせ7カ所の弾痕が確認できる。
  • 48/50:同上。

| | コメント (2)

観音崎再訪

●東京AFVの会の帰り、京急線の駅ホームで、横須賀美術館「運慶展 運慶と三浦一族の信仰」ポスターを見掛けた。

「ああ、今、こんなんやってるんだあ」と見ていて、「※11月3日無料観覧日」の文字に気付く。にゃんと! さすが文化の日!

●というわけで、翌日いそいそと出掛ける。そもそも「横須賀美術館」ってどこにあるんだっけ、と調べてみたら、観音崎のすぐ手前だった。以前観音崎を(初めて)訪ねた記事を読み返してみたら、そもそもその時も最初は横須賀美術館を目指して行った(けれど、結局入らなかった)のだった。

今回はJR横須賀駅からバスで。横須賀美術館は、海に面した緩い斜面上、観音崎の森を背景にしたガラス張りの建物。おされ。

「運慶展」は本館地下の展示。横須賀市芦名の浄楽寺蔵で、和田義盛夫妻の発願による運慶作阿弥陀三尊(阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩)、不動明王、毘沙門天の5体。それから運慶作ではないが、関連作品として、三浦市初声町・天養院蔵の薬師三尊像(運慶よりやや早い平安中期以降の作品)、横須賀市大矢部の清雲寺蔵の観音菩薩像(おそらく南宋より渡来のもの)。

「運慶展」と銘打っていながら、運慶仏は5体、周辺作品4体の計9体だけ!? と思ってしまいそう。実際に、運慶展の展示はそこそこ広い1フロアのうちの広めの展示室1つ(運慶仏5体)と、通路の窪みのような小展示スペース2つだけ。しかし、現時点でおおよそ運慶作と認められている作品は約30、うち真作と確定しているものは19体しかなく(貰ってきたパンフレットで知った)、5/19があると思えばなかなか贅沢。

ちなみに運慶は東国武士、それも鎌倉幕府要人との関係が深かったと言われるが、古都鎌倉の域内には、伝承等で運慶作とされるものは複数あるものの、真作やその可能性が高いものはなかったはず。私の好きな北鎌倉の円応寺の閻魔様も運慶作の伝承があるが、運慶没後の製作だそうな(加えて円応寺の仏像は、閻魔様よりも十王のほうが魅力がある)。

Img20240503180858 今回展示の運慶仏5体がある浄楽寺は、今年春に大楠山に登った帰りに寄って、寺の外観だけは見たことがある(5月3日撮影)。この5体は今回の展示会でなければお目に掛かれないわけではなく、浄楽寺でも年に2日(春・秋)の御開帳があり、またそれ以外でも予約制で拝観できる由。ぜひ拝みたい!という方はどうぞ(→浄楽寺HP)。

関連作品のうちの薬師三尊像を収めた天養院は、浄楽寺同様に和田義盛ゆかりの寺院で、薬師三尊像には和田合戦の折に義盛に代わって受けたとする刀傷だとして、縦に割れ目がある(結局、和田合戦において、義盛は鎌倉市内の和田塚あたりで討ち死にするわけだが)。

もう一体の南宋由来とされる清雲寺蔵の観音菩薩像は、立膝の珍しいポーズ。「遊戯坐(ゆげざ)」というらしい。リンクは、ホノルル美術館所蔵の同様のポーズのもの。北宋時代のものとか。

なお、この企画展は横須賀美術館のほか、県立金沢文庫、鎌倉国宝館の3館連携企画となっており、開催時期がおおよそ重なる形で、金沢文庫では「特別展 運慶 女人の作善と鎌倉幕府」、鎌倉国宝館では「特別展示 鎌倉の伝運慶仏」が開かれている。

●せっかく来たので、観音崎を散歩する。

前回訪問時は小雨模様で見晴らしも良くなかったが、今回はすっきり晴天。前回はすでに時間外で入れなかった灯台にもぜひ登ろうと行ってみたら、こちらも無料だった。

Img20241103145346 Img20241103150438 Img20241103150012 Img20241103150515

下1枚目は灯台上から北側の眺め。中央やや左に、小さくランドマークタワーも写っている。左端の山上に建っているのは海上保安庁の(旧)東京湾海上交通センター。2018年にセンター機能は横浜に移転、現在は無人の観音崎レーダー施設となっているらしい。2枚目は、その施設を足元から見上げて撮ったもの。3枚目は南側。小さな入り江向こう側の突端に、前回も写真を載せた、戦間期に作られた聴測所(対潜水艦の固定式ソナー施設)跡がある。

Img20241103145852 Img20241103144205 Img20241103145806

下写真は富津岬と横須賀の間に、東京湾要塞の一部として明治期に作られた第一海堡と第二海堡(現実の配置に合わせて、右写真が第一、左写真が第二)。第二海堡は、上に掲示した「灯台上から北側写真」の右端近くにも写っている。富津側の第一海堡は現在立入禁止、第二海堡は整備されツアーも組まれていて、その違いを示すように、写真で見ても第二海堡のほうがシルエットが整っている。

Img20241103150352 Img20241103150238

灯台で無料のペーパークラフトを貰った。初代と当代(三代目)の2種。ともにスケールは1:100。どうやら「あなたが選ぶ『日本の灯台50選』」というシリーズらしく、公益社団法人「燈光会」というところのサイトで、全種ダウンロードできるようだ。

「50選」と銘打っていつつも、サイトをよく見ると、キット番号は250番まである。この観音崎の灯台も、キット番号は「No.22」と「No.22-2」と枝番になっているし、リストには「番外」(海上交通センターの建物とか灯台見回船とか)もあるから、キット種類の総数はもっと多いかも。観音崎のキットは両方とも白一色だが、中には着色のもの(赤白の縞模様とか)もある。

燈光会サイトにある「作り方」によれば、OA用紙などに印刷して厚紙に張り付けて……といった工程が指示されているが、当然、最初から厚手の紙に印刷したほうが話が早い。観音崎灯台で貰ってきたものも、最初から厚手の紙に印刷されていて有り難い。

Img20241107223759

前回見そびれた場所含め、砲台を三カ所見学。

▼まずは前回見なかった北門第二砲台。上に写真を上げた(旧)東京湾海上交通センターから、階段状に3つの砲座が並んでいる。本来は6つあったらしいが、第4~6砲座の上に東京湾海上交通センターが建っているらしい(ただし、現地の説明板には、『現在は4砲座と弾薬庫が残っています」とある)。北門第一砲台等に比べると、草むしていかにも廃墟感がある。

Img20241103144432 Img20241103144700 Img20241103144510 Img20241103144633 Img20241103144551 Img20241103144604 Img20241103144544

1枚目:センターから緩い坂を上って最初の第三砲座。

2枚目:第三砲座と第二砲座間の横墻にある弾薬庫。ガイドを頼むとこの中にも入れるようだ(この写真を撮るちょっと前に、団体さんが出てきた)。

3枚目:第二砲座。

4枚目:第二砲座・第一砲座間の横墻にある弾薬庫。こちらはコンクリートで入口が塞がれている。

5枚目:最も高いところにある第一砲座。

6枚目:第一砲座手前に置かれた説明板。

7枚目:各砲座背後を登ってきた坂道の突き当りにある隧道。こちら側の入り口が坂の頂点で、隧道内は(こちらから見て)下り坂。私は観音崎園地から、つづら折りの坂を上って、言わば裏側から来たが、本来はこちらが砲台入口らしい。現在は柵が作られて立入禁止だが、サイト「東京湾要塞」によれば、内部にも弾薬庫等あるようだ。

前回も見た、灯台間近の北門第一砲台。

Img20241103152510 Img20241103152556 Img202411031525261 Img20241103152617 Img20241103152638

前回も書いたように、半円形の砲座が2連になっていて、間にレンガ積みの小隧道。地下に弾薬庫があって、そこからこの小隧道内に揚弾されてくる仕組みらしい。本来は、このレンガ積みの道路に面した側に下り階段があって弾薬庫にアクセスできる構造だったらしく、3枚目の拡大写真にあるように、正面下に入り口跡の一部らしい塗り込めたアーチ頂部が確認できる。

1枚目の写真の左端に写っているが、左側砲座から灯台側(写真手前側)にも弾薬庫または兵員待機所のような入り口を塞いだ跡がある。

▼前回行かなかった北門第三砲台。

砲台アクセス用に作られたらしいレンガ積みのトンネルを抜けると、すぐ左手に弾薬庫または待機所跡らしい塗り込めた二連の洞口。突き当りに納座がある。

Img20241103154526 Img20241103154411 Img20241103154157 Img20241103154222 Img20241103154259

砲座は第一、第二とはずいぶん異なる形状で、半円形ではなく前方左右角の丸い長方形? ここに、砲(二十八珊榴弾砲)が2門ずつ置かれていたらしい。最後の写真は、砲座の左側にあるレンガ積みの揚弾井。第一砲台のようにトンネル状ではなく、横墻正面に口を開いている。

本来はこの横墻を隔ててさらに左に2連の砲座がもう一つあったらしいのだが、現在は見晴らし台(への通路?)の整備で消失している。

▼岬を越えて、自然博物館のちょっと先、たたら浜に降りる。

美術館で貰った「美術館から出発!! 観音崎公園お楽しみマップ」には「第2次世界大戦時のトーチカ」なるものが、たたら浜駐車場の脇にあると図示されている。

パッと見渡しても判らず、駐車場のおじさんに聞いてみると、「たぶんそのへんにあったんだけれど、もう撤去されてしまったのではないか」という、なんとも頼りない返事。「なくなっちゃったのか……」と少々落胆しつつ、浦賀方面に歩きだしたら、駐車場の端の端に現存していた。

Img20241103162142 Img20241103162358 Img20241103162244 Img20241103162301

1枚目は海方向に向けた正面(道路/海岸線に向けてはやや斜め)。正面中央に開口部。2枚目は正面角の、表面がはがれた部分。3,4枚目は側方・後方に回っての写真。

さて、このコンクリートの構造物。GoogleMapsにも、「機関銃陣地跡」としてタグ付けされているのだが、サイト「東京湾要塞」では、「実験のための観測・監的所」ではないかと推測している。根拠は前後に鉄格子がはまっていること、正面開口部が単純に外側に向けて斜めに広がっていて(これでは跳弾が中央に集まってしまう)階段状になっていないこと、など。

言われてみれば、鉄格子はずいぶんがっちりはまっていて、後付けでないようにも見えた。また、写真では草藪に隠れてしまってよく見えないが、GoogleMapsには藪に覆われていない状態の正面写真も1枚載っていて、それを見ると、正面開口部が銃眼というには広すぎる。鉄格子が無ければ、大人がそのまま潜り込めそうなくらい広い。

なお、頂部に突き出た部分は通風孔のようにも見えるが、どうもどの面にも開口部がないようで、機能は謎。

▼その後、浦賀駅まで歩いて帰宅。

●週が明けて5日火曜日にも、法務局に用事があって横須賀へ(逗子市、葉山町は管轄が横浜地方法務局横須賀支局)。どうも最近横須賀づいている。

Img20241103131304 Img20241105163113 Img20241105162602

写真1枚目は観音崎に行った土曜日に撮った「もがみ」型。先月に撮った時は桟橋の向こう側だったが、より姿がはっきりわかる。晴天下だと、なぜか船腹ではっきりと色が2トーンに分かれている。2枚目も同じ「もがみ」型で、火曜日に撮ったもの。船腹中央の大型ハッチを開いている。

3枚目は潜水艦桟橋で、今回は、前回よりも新型のシッポがX字のタイプ。「そうりゅう」型なのか、さらに新しい「たいげい」型なのかは、素人の私には判別不能。

Img20241026193726 ●まるで別話題。

鎌倉の小町小路(元の名前は小町大路、鎌倉の中心を南北に通る若宮大路の東側に並行する通りで、土産物屋通りで有名な新しい「小町通り」とは若宮大路を挟んで反対側にある)、蛭子神社の斜め向かいにあるセブンイレブンは、独自仕入れで、なぜか「インド菓子」を売っている。物珍しくてついつい買ってしまう。たまに「うわ。これハズレだ」と思うものもあるが、結構イケルものもある。

ビスケット/クッキー類はごく普通に美味い(たまにちょっと甘過ぎるのがある)。左下の空袋の「ムルック(Murukku)」は個人的にはハズレ。スパイシーなだけで味が何か足りない感じ。

右下の「ナブラタン・ミックス(Navratan Mix)」と左上の「オール・イン・ワン(All In One)」はそこそこ当たりな感じ。シリアル+ナッツ等々、細かいアレコレをスパイスで味着けたもの。オール・イン・ワンのほうが甘みと辛さが強かったように記憶。

上中央は食べかけで止めてあるので見づらいが、「ゴル・カチャウリ(Gol Kachauri)」。4センチほどの一口で食べるにはちょっと大きめの揚げボールの中に、甘辛い具がぎっしり詰まっている。これは味はかなり美味しいと感じたのだが、同じ会社(ハルディラム/Haldiram's)のミニサモサとか、上のムルック同様、ちょっと「揚げた油が回っちゃってる」感がマイナス点。

●さらに別話題。

ここ数か月のうち、道端でオレンジ色のハムシを見掛け、「ああ。ありきたりなウリハムシか」と思ったのだが、それにしては、クズの葉にいる(しかもクズの葉を食べているっぽい)のがおかしい。

ちょっと気になって調べてみたら、本当にごく最近、2016年に東京都目黒区で初確認されたらしい外来昆虫(中国原産)、クズクビボソハムシと判明。判って気にして見てみると、結構あっちにもこっちにも、大繁殖してクズの葉を食い荒らしている(写真は先月撮ったもので、さすがにここ最近、肌寒くなってからは見なくなった気がする)。

Img20241004130326 Img20241017134732

クズはそのへんにいくらでも生えているので、適当に食えばよさそうなものだが、どうもこの虫、集団でまとまって食害する習性があるらしく、ほぼ無傷な葉がある隣で、ほとんど葉脈だけになった葉の上に何十匹も固まっている。……なので、「虫がたくさん」が苦手な人は卒倒しそう。

そもそも食草が、繁茂力が強く増え過ぎてしまって問題視されているクズなので、いくらでも食ってくれてOKな気もするが、とはいえ、「それはそれで問題が」となる可能性も結構ありそうな気がする。

| | コメント (3)

東京AFVの会2024

●11月2日土曜日、東京AFVの会に参加。土曜日に開催するのはちょっと変則的? 場所はいつもの下北沢、北沢タウンホール。

昨年は自分の作品無しでいささか肩身が狭かったが、今回は、RODENのロールス・ロイス装甲車をある程度のところまで何とか仕上げて持っていくことができた。ちなみにこのRODENのロールスは、2015年の東京AFVの会で、その年の課題「第一次大戦」に出そうとして塗装途中まで進めて止まっていたもの。遅刻にも程がある!

10時の開場とともにフルで参加しようと思っていたのだが、ボケてスマホの目覚ましを1時間遅く設定してしまい、11時頃に現地着。生憎の荒れた天気で、11月というのに会場内はかなり蒸し暑かった。

ケン太さん、めがーぬさん、M.Nさんらと久々の挨拶。このところブログ更新もなくちょっと気になっていたミカンセーキさん、相変わらず膨らんでいる青木センセとも無事会う。nifty時代からの付き合いのシェルさん、むーさんとも。

●というわけで、会場で見た作品あれこれ。

相変わらず、知り合いの作品+会場でなんとなく目を引かれた作品を適当に撮っているだけで、網羅性はまったくなく、また、受賞作なども撮りこぼしている。作者名等も基本、控えておらず、使用キットなどの情報も適当。「いや、この作品はここが推しなんだよ!」というところなども判っていない場合が多々あると思う。失礼な奴っちゃ。

Img20241102111248 Img20241102111157 Img20241102111057

ケン太さんのE-10(トランペッター、1:35)とBMD-2(ズベズダ、1:35)。ズベズダのBMD-2は足回りの構造が(キットとして)ヤワで大変だったとか。

Img20241102111558 Img20241102111633 Img20241102111941 Img20241102112019

めがーぬさんのT83(M40の試作車)と、M.NさんのIV号戦車改良案。

M40は基本、“戦後の車輛”というイメージだが、試作車1輌が45年に北ヨーロッパ戦線に投入されているとかで、めがーぬさんの作品はその車輛を作ったもの。とはいえ、後端の側面装甲板の張り出し部分に穴があるかどうかくらいの違いだそうな。M40のキットはタミヤもあるが、大戦参加車輛のデカールがあるAFVクラブを選択した由。

M.NさんのIV号改は、砲を含めて砲塔は丸ごと交換、車体は傾斜装甲、駆動系は流体変速機付きとしたもので、「お尻」はアバディーン(今でもあるのかな?)の流体変速機付き試験車輛の形状を模している。これはそもそもこういうキットがあるのか? どこかの改造パーツ組み込み? M.Nさん独自の魔改造? そのへん、まるっと聞き忘れた(あるいは聞いたけど忘れた)。

Img20241102111921 Img20241102111930 Img20241102112340

シェルさんのクロムウェルと、M8自走砲に75mm砲を乗せた駆逐戦車型の試作車輛。

クロムウェルはタミヤベースで、砲塔は偽装ネットがそのままモールドされた改造パーツ。砲身は金属挽き物に、砲塔に合わせて偽装ネットを追加工作したものとか。M8駆逐戦車版は、タミヤニュースの「これだけは作ろう」に載った記事をなぞったもので、「なつかし」部門に出品。「これだけは~」記事は掲載時期が古く、「砲身は筆の軸を寸法に合わせて切って、削ってテーパーを付けよう」みたいな、今読むと「うわあ……」な工作が指示されている。なお、シェルさんはそんな工作をしたわけではなく、おとなしくシャーマンのキット(だったかな)から75mm砲を持ってきたそうだ。

Img20241102112729 Img20241102112752

青木氏のT-34。右写真の「解説文」で判るように、1970年代発売のキットを、当時の工具や材料のみを使い、キットの指示を逸脱しないシバリの下に製作したものである由。であるからには、名前も「T-34/76 1942年型」と呼ばねばなるまい。説明書には「キロブ工場」って書いてあったのか……気付かなかった。

今の目で見るといろいろなタイプの特徴が入り交じっておかしなことになっているのだが、発売当時は、きちんと裏もモールドされた履帯、鋳造肌の表現、豊富なアクセサリーなど、ゾクゾクするくらい素敵なキットだった。今見ても、この角度からのスタイルが無暗に格好いい。

Img20241102112305 Img20241102112259 Img20241102113504 Img20241102112925

今年も「なつかし」部門で1位を獲った中尾さんのバンダイ1:15ティーガー。

昨年のIV号戦車もそうだったが、大昔に作ったキットを丹念にレストアしたもの。facebookでも経過を少し見ていたが、元キットの素性を潰し過ぎない範囲で、砲塔の高さを変えたり、かなり「切った貼った」してスタイルを修正。フィギュアはタミヤの1:16だそうな。3枚目写真はリモコンでのデモ走行。4枚目は本命の1:15をいじるにあたって「習作」にしたらしい1:35のティーガー2輌。

Img20241102135255 Img20241102135201 Img20241102135137

当日の受付もやっていた、MGS時代の後輩の野田君のセモベンテ。えーっと。後端のグリルが横方向なのはM40、M41、どっちだっけ。イタレリの履帯は固いし、ピッチも微妙にズレていたような気もするけれど(←これはうろ覚え)と言ったら、「ズベズダ版だったので、履帯が柔らかめでOKだった」とのこと。内部はほぼ丸ごと自作。素敵。

Img20241102152507

ミカンセーキさんの「石焼きイモ屋台」みたいな可搬トーチカは、今年春の横浜AFVの会でも見て、その時の参加記にも数方向からの写真を載せているが、今回の東京AFVの会の、もう撤収という時になって、初めて中身を見せてもらった。ストーブとかダクト類とか細かく作り込んであるのは流石。

こんな小さなトーチカに、暖房やら換気機構やらしっかり組み込んであるのが流石「おドイツ」っぽいというか。これが日本軍ならストーブどころか、寒気も「銃眼があるからいいだろう」と無視されそう、などと話す。それはそれとして、中身も組み込んだ状態を見ると、いかにも狭い。これって入れるのは一人だけ、給弾とかも銃手自身がやるんですかね。何もなければ引きニート系の人は居心地いいかもしれないが、いざ戦闘になって周りからどっかどっかん音がし始めたら、たちまち閉所恐怖症になりそうだ。

▼ほか、適当に会場でポチポチ撮ってきた写真など。

Img20241102115643 Img20241102115632 Img20241102111319

先2枚はダス・ヴェルクの1:35、VOMAG車体の8.8cm搭載重対空自走砲。比較的最近のキットでもあるし、完成品は初めて見た。でかい。

何しろ迫力があるし格好いいし、かなり惹かれるのだけれど、お高いし、たぶん買ったらそれで満足してしまいそうなので、RODENの72で我慢。っていうか、アレも作りかけで10年放置しているし、なんとかせないかん。M.Nさんはダス・ヴェルクの1:35も買ったのだそうで、キット付属の資料冊子を見せてもらった。

同じくM.Nさんとの会話のネタになったのが3枚目、大スケール、1:16のトゥラーンII。ドニェプル・モデル製のレジンキットだそうで、IIだけでなく、IやIIIも出ているそうな。M.Nさんはホビーランドに注文したものの入手できなかったとか何とか。こっちも私は値段的にも大きさ的にも手が出ない。

Img20241102115927 Img20241102120027 Img20241102132938

37mm搭載ハーフトラックと、3枚目のストライカーは、確か同じ方の作品。みやまえさんが大喜びしそうだが、全可動にこだわりのある方で、対空ハーフトラックのほうをあちこちいじっているのを見せて頂いた。車輛そのもののハッチだのパネルだのはもちろんのこと、添えてある工具箱なども開閉できる。3Dプリントで出来のいいヒンジ・パーツが出るようになってだいぶ助かる、とのこと。塗装は基本組んでからだが、塗料が回り込んで固まっていないよう、ヒンジにはグリースを指して組むそうな。

Img20241102115705 Img20241102113922 Img20241102115524

模型誌でお馴染み、柴田和久氏によるいにしえのモノグラム、エアフィックスの32AFV作品。AFVのスケールとしては廃れてしまった32だが、(柴田さんが作っているから、というのもあるかもしれないが)キットそのものの素性の良さは今でも光る感じ。

Img20241102115550 Img20241102115604 Img20241102115620 Img20241102115500

ドイツ軽戦車とその派生車輛。先の3枚は大戦初期のヨーロッパ戦線車輛の連作で、II号a型はIBGではなく、それ以前に出ていたレジンキットとのこと。I号/sIG33自走砲は、これまたドラゴンではなく、アランの砲と、車体はイタレリ?

4枚目写真はアフリカ戦線車輛の連作で、II号C型改、I号A型、マーダーIII。この方は入賞していたような。

Img20241102112102 Img20241102112121 Img20241102115207

大戦中のソ連車輛の出品は、比較的少なかったような。先2つは確か同じ方の作品で、SU-122とT-34-85(183工場)。3枚目は光を描き込んだ独特な塗装のSU-122。あとは、写真を撮りそびれたけれど、48のT-34があったtけ。

Img20241102130901 Img20241102133554Img20241102130615 Img20241102130607

先2枚はスクラッチに近い改造の105mm自走砲連作。どれがどんな車輛なのかは、私の趣味範囲から外れるのでちんぷんかんぷん。でも工作は丁寧で仕上がりも美しい。一見、そういうキットがあるように思ってしまうが、作品の前に掲示した写真で自作範囲が判る。

後の2枚は九五軽戦車改造のブルドーザー。インテリアは自作。

Img20241102113830 Img20241102113821Img20241102131152

先2枚は試作に終わったロシアの主力戦車、チョールヌイ・オリョール。アミュージングホビーの1:35。T-72系とかT-80系より車体が延長されているから? 反応装甲の形状のせい? 余計平べったく見える。

3枚目は弾道ミサイル迎撃用なんだっけな? SA-12a対空ミサイルシステム。トランペッターのキット?

Img20241102115226 Img20241102112152

M10パンターはドラゴンのキットではなく、タミヤからの改造である由。貨車に載せられているのはMk.IV?のメス型。

Img20241102130717 Img20241102130745 Img20241102130555 Img20241102115351

丸ごと3Dプリントによるスクラッチ作品が複数出ていて、ますますの3Dプリントが勢力拡大を感じる。先2枚は自衛隊の73式装甲車。2枚目写真は出力された状態の排気管カバー。他に、一体成型された転輪+履帯、重機関銃も並べて展示されていた。

3枚目はフォードの豆戦車。4枚目はかなりの大物で、スウェーデン製のFH77BW L52(アーチャー)自走砲、ウクライナ軍所属車輛。

Img20241102114321 Img20241102114250 Img20241102115433 Img20241102112222

ジオラマ作品あれこれ。先2枚は雨の表現にこだわったベトナムもの。1枚目写真、向こう側にあるM5軽戦車がまるで関係者のように映り込んでしまった。3,4枚目はこれまた3Dプリントのひまわり(ミカンセーキさんのブログ記事でも取り上げられたヤツ)を使ったクラッシュIII突。

Img20241102115255 Img20241102115312Img20241102130929 Img20241102130957

先2枚は、昭和30年くらい?の陸自の行進と街角の情景。2枚目は、正面の模型屋の店内を覗き込んでクローズアップしてみたもの。商品やら完成品展示やらが細かく作り込んである。この作品は、facebookにも作者の方の投稿があったはず。

3枚目はアフリカ戦線の新旧車輛対比。III突はアフリカ戦の中盤以前に数輌のみ使われたもの。ティーガーはもちろん、アフリカ戦の最終幕であるチュニジアに登場。

4枚目はやはりアフリカだが、イギリス側のLRDG車輛3連作を1つのベース上にまとめたもの。

Img20241102131030 Img20241102132959 Img20241102130947 Img20241102133410

雪のブルムベアは、汚れた雪と綺麗な雪の対比とか、建物とか、細部まで丁寧に作り込まれた感じ。カモネット付きのマーダーは、「偽装している」一方で、なんだか生け花風味。

3,4枚目はともに朽ちていく車輛の情景で、中東のT-55?と、占守島のチハ車。チハ車のほうは、昔、フジミの72で私もよく似た小品を作った(雪は降らせなかったが)。

Img20241102120726 Img20241102120736 Img20241102130654 Img20241102121144

フィギュアも数点だけ写真を撮った。先2枚はベルリン戦のビネット。3枚目はICMのウクライナ女性兵士セットをそのまま使ったビネット。偵察用の小型マルチコプター機、スマホでの自撮りなど「いかにも、今」な内容。

4枚目は、これも3Dプリントによるスクラッチ。鳥山明デザイン/無限軌道の会制作のフィギュア、「リーザ」の説明書にある座り姿のイラストの立体化。

……自分の作品、ロールス・ロイス装甲車は、会場では写真は撮り忘れた。

●午後の講演、今年は「ラスト・オブ・カンプフグルッペ」の高橋さん。昼食から帰るのが遅れて、ちょっと遅刻(失礼しました)。その後の各賞の発表、じゃんけん大会の間、高橋さんとあれこれ駄弁る。

なんだかんだと濃い会合も、16時で終了。終了間際に発表された来年の課題は、「オートバイ(二輪車)」だそう。なんともニッチなテーマだなあ……。10年前の東京AFVの会に出品したポーランドのサイドカー付きオートバイ Sokół 1000/CWS M111を超えるネタのキットは、今のところストックしていない(同じ年に大賞を獲ったケン太さんの1:9のツュンダップくらいの大ネタじゃないと……)。

●何かと毎回「話のネタ」を持って来るM.Nさんからは、先述のVOMAGの資料冊子や、最近出たI号戦車の写真集に加えて、IBGの1:72・トゥラーンIIIの製作中のものも見せてもらった。

Img20241102132828 Img20241102132802 Img20241103001850

IBGのWAWや、同社生産のOEM品?FTFのキットはロコ形式のお手軽構成だが、IBG本体のシリーズで出しているものはディテール重視で、このトゥラーンも履帯の細かさなど素晴らしい。……とはいっても、エッチングのシュルツェンなどは「どうやって付けたらいい?」状態らしい。

さらに追加で、カール「チーズ味」「うすあじ」を頂いた。先日広島でチーズ味を買って食べた話を書いたが、関西人としては「カールと言えば『うすあじ』でしょ」という主張もあってのことらしい。実際、私もこれに関しては“関東人の典型”で、「カールと言えばチーズ味、次点でカレー味」。そもそも、関東では「うすあじ」ってほとんど見かけなかった気がするし、「うすあじ」自体、今まで食べたことがない。

というわけで、帰宅後に初実食。「うすあじ」と言いつつ、実際には結構、だしの味が濃厚。「チーズ味」よりも圧倒的にこっちが!とまでは言わないが、個人的にはかなり美味しいと思った。今月、大阪に行くので向こうでまた買って食べよ。M.Nさん、どうもありがとうございます。

●会終了後、皆で連れ立っていつも通りサニーへ。

ICMのFCM36にふらふらと転びかけたのだが、なんとか思い直し、代わりに?ハセガワのエッチングメッシュ(菱形)を購入。アカデミーのI号戦車のグリル用。

その後は、ケン太さん、ミカンセーキさん、めがーぬさん、青木氏に私の5人で飲んで大いに馬鹿話をする。酒の肴に、ミカンセーキさんの作りかけラム・カンガルー(ゲッコー製)も見せてもらった。ゲッコーのキットは今のところ何も持っていないが、キットのテイストとしてはブロンコ風で、ブロンコと袂を分かった人たちが作った会社なのでは、などとも。

1軒目のお店は客の入りに店側が追い付いておらず、わたわたしていたので、適当なところで2軒目にハシゴ。ケン太さんが知り合いに紹介されたという焼き鳥屋で、全てのメニューに戦国武将(および関係者)の名前が付いているというファンキーな店。

〆で喫茶店でコーヒーを飲んで、居眠りを始めたケン太さんを起こして解散。毎度、こういう展示会の終了時には「よし、次回には2つでも3つでも完成させて持っていこう!」と思うのだが、実現したためしがない。……頑張ろう。

というわけで、次は春の横浜AFVの会かな。同会世話人?のブリキヲさんに会場で話を聞いたが、開催時期は「静岡AFVの会(?)と合同展の間くらいで、あまり無理のない日程で……」くらいの感じらしい。

| | コメント (6)

« 2024年10月 | トップページ | 2024年12月 »