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2024年8月

8月のヨモヤマ

●FCM 2Cのディテール・チェックで、それほど多くもない写真を繰り返し見ていて眼が疲れたので、一回休みでヒマ話を。

なお、「眼が疲れた」は最近本当の悩みで、モニタの文字が紗が掛かったように読みづらい時がある。糖尿病が目に来るという話もあるので、久しぶりに眼底検査を受けてみたが、結果は「異状なしです」。それはそれでほっとしたものの、要するに「老眼が進んだのでは」とのことで、中距離用にメガネをもう一つ用意したほうがいいのでは、と言われた。ああ、ぢぢぃってのは面倒だね。

Img20240601180339 ●市内を流れる田越川の護岸工事だか浚渫だかで、夏前から時々クレーン船が来ているのだが、なぜか日本陸軍機塗装。なんぞこれ……。

数か月に一回開催している「オンラインたまんちん飲み会」で皆に見せたら、(日の丸のバック以外の灰色部分も考えると)「陸軍機塗装というより空自塗装では」とのこと。いや、まあ、どっちでもいいんだけど。

先月の記事で、これまで逗子市内に4基残っていた丸ポストが、残念なことに2基撤去されてしまった話は書いたが、その記事でみやまえさんからコメントを頂いた通り、撤去されたポスト2基が、現在、逗子郵便局(本局)の横に置いてあるとのことで、別れを惜しんで写真を撮ってきた。

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奥のポストが、入口や隙間がテープで塞がれているので、たぶん「アリがわいた」との理由でしばらく利用停止になっていた池子2丁目のポストなのだと思う。根石が1つしかないが、どちらかのポストは、根石がしっかり固定されていて取れなかったかな?

この先、この2基のポストは鋳潰されてしまうのかもしれないが、そうではなくて、どこかにモニュメントとか展示物とかとして引き取られる可能性があればいいなあ。

ちなみに、この2基のポストは、8月24日現在、まだ郵便局横に保管されていた。

追記。25日夕にもまだあった

Img20240730190149 ●大船や横浜に行く機会があると、成城石井でプレッツェル(ソフトタイプ、2個入り)を買うのが定例化しつつある。それとは別に、何か見慣れない食べ物とか飲み物とかにはついついふらふらと手が出そうになるのだが、最近、実際に手を出してしまったのがコレ(といってもすでに先月末だが)。

しばらく前に流行った、いわゆるクラフトコーラの一つで、「いよしコーラ」と読むらしい。どこか田舎の町興しも兼ねたような商品なのかと思ったが、帰宅後調べてみたら新宿の下落合産だった。

で、味はというと、コーラ風のなかに高麗人参シロップの「甘い泥」風味がある。缶の横を見ると、実際に原材料のなかに高麗人参が入っているようだ。かなり好みが別れそうな味だが、私自身は、ロッテやヘテの「高麗人参ガム」が好きだったくらいなので、そこそこ気に入った。でも高いんだよな……(250ml缶入り1本約300円)。

ちなみに「高麗人参ガム」は、現地で一緒に仕事した韓国人カメラマンに「あんなマズイもんよく食うなあ……」と(韓国語で)呆れられた。そして現在はロッテもヘテも生産していないらしい。残念。

●あまりに暑いこともあって、時々マックシェイクを飲む(マックのハンバーガーは滅多に食べないが)。

さて、マックシェイクはどの味も同じ機械で出すので、いろいろ味が混じる傾向がある、というのはネットで見て知ったのだが、それにしても、「マックシェイクのチョコレート味」を頼んでも、毎度チョコレート風味がほとんど感じられないのはどうしたもんだか。

もしかして、かき氷のシロップ同様、「**味の別で色は違っても味は同じ」ということになったのか?

●名越切通を歩いていて、目の前に不時着してきたミンミンゼミ。

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腹の両側に大荷物を抱えている。セミヤドリガの、たぶん終齢に近い幼虫2匹。そもそもセミヤドリガはヒグラシに寄生することが多いとのことだが、別に他のセミがダメということではないらしい。

地面に落ちてきたところを見ると、セミヤドリガに生命力を吸い取られて力尽きたのかとも思ったが、wikipediaを見ると、セミヤドリガが直接セミの生命を脅かすことはあまりなく、セミが生きて活動しているうちに離れて繭を作るらしい。というわけで、離れる前に宿主が行き倒れそうになっているこの状態は、セミヤドリガにとっても若干ピンチなのかも。

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FCM 2Cのディテール・メモ(前編)

●前回キットレビューの続き。FCM 2Cを作るにあたっての、ディテールに関するメモ。

実車についてはwikipediaにそこそこ詳しい記事が出ているが、とりあえず簡単におさらいしておくと、

  • 第一次世界大戦中に開発が始まるが、政治的・技術的問題がいろいろあって完成は大戦後。
  • ポルシェ・ティーガーに20年以上先立つガス・エレクトリック方式の駆動系(第一次大戦中に実用化されたサン・シャモン突撃戦車も同方式)。
  • 適切な発動機の選定に手間取るが、賠償で得たドイツ・マイバッハ製エンジン(飛行船用)を得てようやく実用化。
  • 10両だけ生産されるも、実用性は低く、主にプロパガンダに利用される。
  • 第二次世界大戦勃発にあたっては、部隊配備はされるものの実戦参加は無理と判断され、ドイツ軍に鹵獲されるのを防ぐため後方への移動(撤退)が決定される。が、鉄道輸送中に立ち往生し爆破処理(それ以前に鉄道駅までもたどり着けず処分された車両もあり)。
  • 開発・生産は、もともと造船所であるFCM社(Forges et Chantiers de la Méditerranée:地中海鉄工・造船所)。同社は日清戦争で使われた三景艦のうち「松島」「厳島」も作っている(「松島」は日清戦争時の連合艦隊旗艦)。

といった感じ。

一応、試作車1両、量産車9両ということになっているが、ほぼ全車並行して製作されていたので、いわば全部試作車のようなもの。戦間期を通して個別に細かな改修も行われたりしたようで、個体差(時期差)もそこそこある。

生産された10両は1~10の車輛番号が振られたが、これは後に(wikipediaによれば1936年夏)、90番台の新番号に変更された。この際、一桁目をそのまま継承したため、旧10号車が、新番号では最も若い番号の90号車になってしまっている。また、各車両にはフランスの地方(旧地域圏または州)に由来する固有名が付けられている。

  • 1号車→91号車 プロヴァンス(PROVENCE)
  • 2号車→92号車 ピカルディ(PICARDIE)
  • 3号車→93号車 アルザス(ALSACE)
  • 4号車→94号車 ブルターニュ(BRETAGNE)
  • 5号車→95号車 トゥーレーヌ(TOURAINE)
  • 6号車→96号車 アンジュー(ANJOU)
  • 7号車→97号車 ノルマンディ(NORMANDIE)→ロレーヌ(LORRAINE)※1939年に改称
  • 8号車→98号車 ベリー(BERRY)
  • 9号車→99号車 シャンパーニュ(CHAMPAGNE)
  • 10号車→90号車 ポワトゥー(POITOU)

以下、個別の特徴など。

なお、残された写真は、1940年に爆破放棄された時のものを除くと「*年*月撮影」といった詳細が判るものは少なく、相対的に「これのほうが古いかな?こっちが新しそう」くらいしか判らない場合が多い。一応、上記のように「番号が一桁か、二桁か」で、1936年以前・以後は分けられるが、以下の「初期」とか「後期」とかいった記述も、「だいたいそんなもの」程度でしかないことはご了承いただきたい。

本当は、手元にある写真を全部ここに貼り付けられれば説明が楽なんだけどなあ。

●1号車→91号車 プロヴァンス(PROVENCE)

▼極初期?

車体中央のエンジンルーム左右に、排気管取り出しの突出部がない写真がある。おそらく、これが初期形態。2Cは最終的にマイバッハのエンジンに落ち着くまでに何度かのエンジン換装を経ているので、マイバッハ以前のエンジン搭載時の形態か。この状態の写真では、エンジンルーム上左右に柵状のアンテナ?を装着。中央に大型のリールを搭載(通信ケーブルか?)。標準型では塞がれてハッチが設けられた、エンジンルーム上面後部も通風孔のまま?

なお、この仕様の場合、排気管はどこに出ているのかよく判らない。エンジンルーム最前部に、小ぶりな筒状のパーツが縦に2つ並んでいるのが確認できるので、これがマフラーかもしれない。

なお、当初は車体銃が搭載されていなかったようで、前面銃架部分は丸いパッチで塞がれている。操縦手用バイザーフラップ、前照灯無し。前方のやや遠くから撮られた1枚を見ると、シャーシ前面の製造メーカー銘板と思われる楕円のプレートが付いていないようにも見える。

▼初期

エンジンルーム左右に突出部を設けて排気管を出し、エンジンルーム上にマフラーを置いた標準形態に改修。誘導輪位置調整装置部分に車輛番号「1」を白で記入。車輛番号「91」に変更後も、エンジンルーム上に柵状のアンテナ(?)が確認できる写真があるので、車輛番号「1」時代は一貫して柵状アンテナ装備か。

▼後期

車輛番号「91」に変更。それからあまり間もない時期と思われる写真では、柵状アンテナ(?)装備、砲塔リング左側に「PROVENCE」の銘板。車体銃は当初はまだ装備していない模様。前面装甲板左右のコの字金具に、何か長方体のものが差し込まれている様子の写真あり。またこの時期、ごく大雑把に水平方向に塗り分けた迷彩が施されているようにも見える。

車輛番号変更以来?、誘導輪位置調整装置部分先端に箱型カバーを装着。これは最期の爆破処分時の写真でも確認できる。

▼最終状態

1940年6月半ば、ムーズ駅近くの鉄路上で積載状態のまま爆破処分。エンジンルーム上の柵状のアンテナは、少なくともそのしばらく前から装備していない。この時には、スポンソン部および車体前面の車体機銃は装備。操縦手用装甲バイザ―フラップも完備。車体前面中央の前照灯はフタ付き。

爆破処分による損傷は特に車体右前方で大きいが、放棄から間もないと思われる写真では、変形はしているものの装甲板はそのまま。ただし、しばらく後の写真では右前部のパネル2枚分が失われ、大きな穴が開いている。

極初期から最期に至るまで、私が確認できた写真では一貫してスカートを装着。最期のみ、爆破変形した右前半のスカートが脱落している。

●2号車→92号車 ピカルディ(PICARDIE)

▼初期

エンジンルーム上にマフラーを置いた標準形態。誘導輪位置調整装置先端も、キットと同様の状態に見える。

誘導輪位置調整装置部分に車輛番号「2」を記入。記入された車輛番号「2」が白字の写真と、濃色(黒?赤?)の写真とがある。車輛番号が未記入に見える写真もあるが、写真写りの問題で、暗色の番号が見えないだけの可能性もあるかもしれない。

この時期に砲塔リング左の銘板は認められない。

1号車のような柵状アンテナ装備状態の写真はないが、一方で、ロッドアンテナの基部も見当たらないような……。

▼後期

車輛番号「92」が記入され、かつ「活きている」状態の写真は、私の手元には1枚のみ。車体前半しか写っていないので情報量は多くないが、おそらく塗装は単色。スカートが装着されている。

▼最終状態

路上に放置。wikipediaの解説によれば、撤退のため鉄道駅に移動中、ピエンヌ(Piennes:地名)で電気系統の故障のため脱落、その後爆破処理された由。残された写真では、外部に大きな損傷は認められない。スカートは未装着、車体後部に尾橇が付けられている。車体前端の牽引具にはピン(ボルト?)が差し込まれている。エンジンルーム後部に、ロッドアンテナの基部は無いように見受けられる。

上時期同様に、誘導輪位置調整装置部分に白数字の「92」、砲塔リング左の銘板は付けられていない様子。

車体色は汚れているのか焦げているのか、かなりまだら模様になっていて、単色なのか迷彩なのか、ちょっと判別しづらい感じ。斜め前から撮った写真を見ると、シャーシ前面の製造メーカー銘板は、車体色で塗り潰されているように見える。

●3号車→93号車 アルザス(ALSACE)

Char2cpainting8 ▼初期

初期(1936年夏以前、第551連隊所属時代)のものと思われる写真には、

  1. おそらく単色塗装で、誘導輪位置調整装置部分に白数字の「3」(くっきり)。砲塔リング部左に白塗り黒文字?の「ALSACE」の銘板、エンジンルーム上は標準配置。掲示の写真はこの状態(wikimedia commons、File:Char2Cpainting8.JPG)。色は人工着色なのでアテにならない。
  2. 誘導輪位置調整装置部分に白数字の「3」(かすれて消えかけ)、少なくとも砲塔部を見ると、第一次大戦中のような複雑な迷彩塗装。エンジンルーム上はなぜか左側から取り回した排気管が繋がる後部マフラーのみ(写真の修整じゃないだろうなあ)。エンジンルーム横に柵状アンテナ。また、左側面に、おそらく車体上部に上るときに使うのだと思われるハシゴがぶら下げられている。
  3. おそらく単色塗装で、誘導輪位置調整装置部分に車輛番号確認できず。砲塔リング部左に白塗り黒文字?の「ALSACE」の銘板、エンジンルーム上は標準配置。

――の3種の状態が確認できる。いずれの写真でもスカートは完備。どれが古くてどれが新しいのかよく判らないが、エンジンルーム上のレイアウトが異なる2番目がより初期の状態と考えるのが妥当か?

▼後期

1936年夏以降のある時点で、コントラストと塗り分けラインが明瞭な2色迷彩が施される。誘導輪位置調整装置部分に白数字の「93」、砲塔リング部左に「ALSACE」の銘板。砲塔左面には大きく地域圏の盾形紋章。パレードか、何かのイベント時の「お化粧」だったらしく、ロッドアンテナ先端から前後砲塔に向けて綱を張り(前方は主砲、後方はよくわからないが、副砲塔の機銃か)、大量のフランス国旗の小旗を飾っている。キットの指定塗装/デカール3種のうちの1種に選ばれているのがこの状態(ただしデカールに小旗の飾りは付いていない)。スカートは装着していない。

もう一枚、1936年以降の冬に撮られたと思しき正面からの写真がある。塗装は暗色の単色塗装に見えるが、周りが雪なので暗く潰れている可能性もある。シャーシ正面に白字で「ALSACE」の車輛名。前照灯、操縦手用バイザーフラップ付き。シャーシ前面のメーカー銘板は、付いていないか、あるいは車体色で塗り潰されているか。角度的に、砲塔リング部の銘板や誘導輪位置調整装置部分の車輛番号、砲塔側面の紋章の有無は確認できない。スカートの有無も確認できない(内側は角度的には見えていても良いのだが、陰になっていて判別不能)。

▼最終状態

1940年6月半ば、ムーズ駅近くの鉄路上で積載状態のまま爆破処分。

91号車同様、爆破による損傷は特に車体右前方で大きいが、これまた、一部破損はあるものの装甲板が揃っていて履帯の脱落もない写真と、装甲板が外れ履帯も切れて垂れ下がっている写真と、2種の状態の写真がある。爆破処分された車両に対し、改めてドイツ軍が爆破なり攻撃なりしたのか?

スカートは未装着。また、この時の93号車は、誘導輪位置調整装置先端に半月状のパーツが見える。標準形態と違うというより、誘導輪を再前方に振ったために、通常は見えていない部分は見えている、ということかもしれない。

塗装は基本、薄汚れているのか、爆破時に炎上して焼け焦げているのか、むらのある単色塗装にも見えるのだが、写りのよい写真の中に、砲塔のアルザス地方の盾形紋章と、上と同じ迷彩模様がうっすら見えるものがある。砲塔リング部左の銘板も、薄汚れて(あるいは字が消えかけて)見づらいが付いている。

誘導輪位置調整装置部分の車輛番号「93」は、右側は焦げたか汚れたかで、左上部に向けてやや消えかけ。左側ははっきり綺麗に見える。それに対し、砲塔の盾形紋章はほとんど消えかけている感じで、もちろん焦げたり汚れたりしているのかもしれないが、もともとプロパガンダ用に描かれたものを、実戦使用としては目立ちすぎるので消そうとした(そして消え残った)可能性もあるかもしれない。

不思議なのは迷彩塗装で、パターンがはっきりわかる部分で比較して、上の「後期」の項に書いた迷彩塗装と同一なのは判るが、それにしてはコントラストが近くて判りづらい。単なる写真の質の問題なのか、あるいは上記の塗装から数年経って、もともと“儀式用”に落ちやすい塗料で臨時に施されたために剥がれたり褪せたりしたのか。いろいろ可能性は考えられるものの、真相は不明。

●4号車→94号車 ブルターニュ(BRETAGNE)

▼初期

1936年夏以前、第551連隊所属時代の車番「4」時代の写真では、その車番が白数字のものと、黒(?)数字のものとがある。エンジンルーム上部、誘導輪位置調整装置部分前端は標準(キットと同じ)状態。スカート完備。

▼後期

車輛番号が「94」に変更になって以降、演習中なのか、池か濠を渡ったり、歩兵が随伴して走行中だったりという(おそらく一連の)写真が何枚か残されている。車輛のディテール的にはおおよそ初期と変わりがないが、誘導輪位置調整装置前端に箱型カバーが追加されており、初期の写真では確認できなかったロッドアンテナが付けられている。また、尾橇を装着している。スカートは変わらず完備。

塗装は暗色の、おそらく単色塗装。誘導輪位置調整装置部分に白数字で「94」。砲塔に大きくブルターニュ地方の盾形紋章。砲塔リング部左に、白地に暗色文字で「BRETAGNE」の銘板。

正面から写した、おそらくこの時期のものと思われる写真を見ると、戦闘室前面左右のコの字金具は右側のみで、長方形の物体が差し込まれている(もしかしたらジャッキ?)。車輛名「BRETAGNE」の記入位置は、93号車「ALSACE」と異なり、戦闘室前面の操縦手バイザー下に小さなフランス国旗マーク付きで書かれている。また、シャーシ前面の製造メーカー銘板は車体とは明らかに異なる明色。真鍮色の可能性もあるかも。

▼最終状態

(少なくとも私の手元には)1940年戦役時の94号車の最期を示すような写真は1枚もない。wikipediaの解説によれば、94号車と96号車は、1939年10月以降予備車に回され、僚車の稼働状態維持のための部品取りに使われて、部隊配備から外されていたらしい。

●5号車→95号車 トゥーレーヌ(TOURAINE)

▼初期

一桁番号時代の写真は確認できない。

▼後期

番号の隣り合った94号車「ブルターニュ」に近い仕様と塗装。おそらく暗色の単色塗装で、誘導輪位置調整装置部分に白数字で「95」。一部の写真では、左側面の「95」の5の字が消えかけている。砲塔に大きくトゥーレーヌ地方の盾形紋章(描かれていない写真もある)。砲塔リング部左に「TOURAINE」の銘板(文字は暗色、銘板の地色は明色だが、金属光沢のようにも見える)。誘導輪位置調整装置前端に箱型カバー付き。エンジンルーム後方に、ロッドアンテナを装備。ただしスカートは未装着。94号車と違い、この時期に撮られた写真では尾橇は装備していない。

この95号車「トゥーレーヌ」だけの独自装備が、砲塔前上部、主砲防盾の左右に追加された、ライト装着用と思われるY字のステイ(戦闘室前面中央の前照灯用ステイと似た形状のもの)。ただし、ライトそのものは付けられていない。なお、そのステイは正面を向いておらず、砲塔の取付面に沿う形で左右に斜めに振られている。シャーシ前面のメーカー銘板は明色。

右後方車体ハッチ上に、雨どいのようなものが付けられている写真がある(左側面ハッチ上には確認できない)。これも「トゥーレーヌ」のみに見られるもの。

▼最終状態

1940年のドイツ軍侵攻開始時点で、95号車は故障しており部隊の集結・待機場所にも行けず、メリ=マンヴィル(Mairy-Mainville:地名)の路上でスタック、修理中。結局最後まで動けず、同地で爆破放棄された。

その後の写真を見ると、おそらくエンジンルーム上面パネルは取り外されていて、車外にエンジンその他が散乱している。

戦車本体は尾橇付き、スカートを装着。主砲塔に簡易クレーンが装着されており、これで、砲塔横の四角い穴がクレーン基部を取り付けるために使われているのが確認できる。「独自装備」の砲塔のライト(?)ステイはこの時も付いている。右後方車体ハッチ上の雨どいのようなものも、この時点でも付いているのが確認できる。放棄後の左側面写真は無く、左ハッチにも付いていたかは不明。

砲塔左側面には、ごくうっすらと地方の盾形紋章が見えており、薄く塗り潰されたものが見えているか、あるいは消し残ったものかと思われる。

●長くなったので今回はここまで。

 

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Char 2C MENG 1:35(の突発的レビュー)

Img20240803231341 ●突然思い立って、MENG社、1:35のシャール2C(FCM 2C)を組んでみたので、そのレビュー。

私の好きなフランス軍AFV、しかもこんな珍車両をインジェクションキット化した、というだけで「いつかは買わねばならん」と思っていて、結局、しばらく前にとうとう購入したのだが、買っただけである程度満足してしまって積んであったもの。

とにかくこの戦車に関しては、「でかい・珍しい・ポンコツ」と、ほとんど外連味しかないうえに、キットはモールドもシャープで、組立に変なトラップもない。そのため、ネット上でこのキットのレビューや製作記を漁っても、おおよそは「こんなキットが出たんだぜ! てぇてぇ!」みたいな感じのものばかりだった。私が見た範囲内では、唯一、track-linkの掲示板での議論で、サスペンション部分の表現が簡略化されてレリーフ調になっていることが指摘されていた程度。

実際、私も最初は特に何も考えずにパタパタ組んでしまったのだが、組んでいるうち、若干気になるところも出てきたので、そのへんをちょっとだけ突っ込んでみたい。前述のように、他にはあまりこのキットについて「ディテールがどうのこうの」なんて言っている記事は少ないようなので、そのへんが気になる人には手掛かりにして頂きたい。

……もっとも、このキットも発売されてかれこれ10年経つし、こういうアイテムを前のめり姿勢で作ろうという人は、もうとっくに作ってしまっていそう。

●「模型としての出来(モールドやはめ合わせ)」は前述のようにしっかりしているので、ストレートに作るのであれば、組立自体はあまり大きな問題はなく進む。おおよそ形になった状態が下の写真。

Img20240803231553 Img20240803231732

宮崎アニメ感たっぷりというか何というか。

Img20240703012329 ただ、「説明書通りにパタパタと組んでいく」だけにしても、ムカデ並みに多い転輪にはさすがに閉口する。片側37個(加えてほぼ同形の上部転輪4個)って、なんだそりゃ……。

さらに、これは私が入手したキットだけの問題かもしれないが、エンジンルーム上部(スライド型で一体成型されたワク状の大きなパーツ)の片側側面に若干の反りが出ていた。これに関しては、車体上部に強制接着することで反りを修正した。

また、一部僅かに隙間などできる部分、組立づらい部分もあったが、それらについては後述する。

●で、気になった点をいくつか。もっとも、私自身、この車輛について詳しいまとまった資料など持っているわけでもなく、ネット上で拾い集めた写真等で気づいた点をポツポツ書いているだけなので、あくまで参考程度にどうぞ。

Img202408032317322 Img202408032316532

上記写真の丸番号に対応する形で挙げていくことにする。なお、内容は

  • 組立上で気になったところ
  • ディテール上で気になったところ

の2種があるので、それぞれ下記説明では文頭番号を色分けで示した。

Img20240805144133 主砲塔・副砲塔の両側面には、四角い窪みがある。実車写真を見るに、簡易クレーンの装着部らしいのだが、側面の乗降ハッチ上部の小窓とも形状が似ているので、もしかしたらピストルポートか視察口と兼用かも。いずれにしても、キットは砲塔の大きさに合わせて(?)、主砲塔のもののほうが大きいのだが、実車では主砲塔・副砲塔とも同じ大きさのようだ。というわけで、主砲塔側の窪みはプラ片で三方から狭めた。

なお、番号では示さなかったが、主砲塔・副砲塔とも、スライド型を使ってリベットを潰さないように一体成型されており、そのため、周囲それぞれ4カ所に型の分割線がある。ごく薄いが、丁寧に消しておきたい。

 縦スリットが細かく並べられた「ストロボスコープ式」キューポラは、そのスリットをモールドするために、筒部が上下分割されていて、スリット上辺に沿って接合線が目立つ。実車はたぶんそんな溝はないと思うので、若干やっつけ仕事ながら埋めてヤスった。そもそもこのスリット自体、実車はもっと細くて目立たないかも。左:before、右:after。

Img20240803231914 Img20240806215603

 エンジンルーム上面は別パーツだが、四周のワクのパーツより僅かに短く、そのままだと隙間ができる。前端に薄いプラバンを挟んで隙間が出ないようにした(⑥下に載せた写真の黄色い部分)。

 エンジンルーム側面と上面を繋ぐ細パイプ類は細いので破損注意(私は2本折った)。面倒臭がりで無い方は、金属線などで作り替えるのもいいと思う。また、説明書では一緒に図示されているが、側面外側のカバー(Q、R、T、U)は、細パイプ類の後に取り付けるべき。私は先にカバーを付けてしまい、あとから細パイプ類を付けるのにちょっと苦労した。

 マフラーの側面は、キットのままだとちょっと太めの縁取りがあるが、実車では普通にドラム缶とか飲料のスチール缶風。一度組んだ後にくりぬいて作り直した。

 マフラーからは、キットでは何やらフタ状のもの(C5)が飛び出た構成になっているが、実車写真を見ると、どうやら普通に排気口らしいし、形状もちょっと違うので作り直した。下写真は④~⑥について、左:before、右:after。

Img20240729175510 Img20240804033819

ちなみに排気管は、マフラーに接続する前に分岐があって、その上に弁付きの開口部がある。箱絵ではここから排気煙が出ていて、となると、「一体マフラーは何のために付いてるの?」状態。実車写真でも半開きになっていたりするので、「閉じて塞いでいるのが常態」というわけでもなさそう。よく判らん構造。上写真では弁のパーツはまだ着けていない。

Img20240803231958  エンジンルーム最後部に、補助エンジンのものと思われる小排気管+マフラーがある(wikipediaの記述によれば、主機関を動かしていない時の電源用、およびエンジン始動用であるらしい)。スライド型を多用しているこのキットだが、ここに関しては排気口も開いていないし、マフラーとの接続部に隙間も空いたりするので、排気口は一度削って穴を埋め、金属パイプで作り直した。

それにしても、このエンジンルーム、ほとんで見た目が化学プラントのよう。そもそも、こんなふうにパイプがごっそりむき出しになっていていいのか。流れ弾とか破片が当たって切れたら、それで動かなくなっちゃうとかないだろうなあ。どこぞのモビルスーツだってここまでパイプだらけじゃないぞ。

 最後尾の上部転輪は、架台の位置決めがやや曖昧で、うっかりするとこの上部転輪のみ、外側に傾いてしまう可能性があるので注意。

 車体後部上側の斜めになった部分のパネルは別部品だが、車体上部パーツ(特に側面)との接合に、若干の難あり。

Parts01 Img20240717033445

実車の装甲板(上面と側面)は、おそらく上図の左のような接合になっていると思うのだが、キットはAのように、わざわざ上面・側面装甲板の接合ラインはスジボリで表現したうえで、実際のパーツは斜めそぎ落としで継ぎ合わせるよう処理されている。が、車体上部パーツの接合部が右写真のようにゆるく波打っているので、そのまま接着するとところどころ隙間が開いてしまう。ここは、Bのような処理にしてほしかったところ。

実際の工作においては、車体上部パーツの側面部分を、接合ラインのモールド部分まで削り取り、一方で上面パネルの淵にはプラバンを貼り増して小口を作った。隙間をパテ埋めなどするよりも綺麗に仕上がる(と、思う)。

 実車は誘導輪を前後させることで履帯張度を調整しているものと思われ、おそらくそれに関連すると思われるディテールのパーツ(C34、C38)を前端に接着するようになっている。ただし、実車写真を見ると、車両によって(あるいは時期によって?)ここに半月状の出っ張りがあったり、箱型のカバーのようなものが装着されていたりする。前者は、もしかしたら誘導輪位置を動かした結果による形態変化かもしれないが、後者は違いそう。特定の車輛を作る際には注意が必要。

 誘導輪位置調整装置が収まっているこの部分は、どうも実車とキットでやや縦横比が違っているような気がする。

 スポンソンの下縁にはスカート取付金具が並んでいる。キットでは冒頭に上げた側面写真のように左右8カ所ずつモールドされているのだが、実際には番号を付けた写真で示した赤部にもあり(計10カ所)、また最前部の黄緑は位置がおかしく、実際はもう少し前方にある。取付金具の形状自体も、キットは縦長、実車は横長なので、エバーグリーンのL字材を利用して作り替えた。

Img20240803232025 Img20240817205857

私はスカートを付けない仕様で作ろうと思ったのでこのような工作にしたが、スカートを付ける場合には(そしてこの金具の位置と数を修正するなら)、スカート側の凹部を埋めて、プラペーパーか何かで追加するのが楽かも。

 これは乗降ハッチなのか? とも思ったのだが、どうやら単純に工具箱らしい。実車は前方から見た時に、もっと傾斜がきつい(中央が高く、左右が低い)ようだが、接着してから気付いたので修正していない(エナメルシンナーを使っても、蓋パーツが割れそうな気がしたので)。

 操縦手用のバイザーフラップは、どうも戦間期は基本的に付いておらず、単純に四角く開口しているだけだったらしい。戦間期の写真では、フラップのヒンジさえ見当たらない。フラップが取り付けられたのは、1940年戦役が始まる直前辺りらしい。また、キットのパーツは比較的単純な板状のパーツだが、実際はスリットが設けられており、また側・下方の三方のエッジは面取りされている。

Img20240803235624 Img20240806124612

 前面左右の何やら手すりのような、ラックのようなパーツは実際は薄板製。私は取り付け後に、上側だけ削り込んだ。

●10輌生産された各車の特徴などについて、改めて書くかも。

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