つれづれSU-100(6)
●II号戦車のレビューなどもあって、すっかり「もうお蔵入り?」感が漂っているが、ここで唐突に。
ドラゴンのSU-100(初版)の割と行き当たりばったりな製作記の続き。
遡ってみたら前回は6月だったので、ほぼ夏と秋がぽっかり開いてしまったことになる。
●さて、まずは先月頭にあった東京AFVの会の折、ハラT青木伸也氏に、「この砲身、戦後型ですよ」とツッコミを入れられた件について。
もともと、実車写真でも主に注意を払っていたのは戦闘室形状で、砲身にバリエーションがあるなんてことには、まるっきり気付いていなかった。現存実車のうち、戦中型の戦闘室形状を持つものについても、砲身はドラゴンのキットや別売砲身と同形状のものばかりだったためでもある。ちなみに、ズベズダのSU-100(もちろん新版)の砲身は、web上で説明書の図解やキット写真を見る限り、一応、初期型形状になっているようだ(ややどっちつかずな印象もあるが)。
最近話題に上ることも多いCanfora Publishingの新しい資料とかだと、この辺もきちんと抑えていそう(セータ☆さんによれば、ズベズダのキットはこの資料を参考にしているそうだし)。新しい資料、ちゃんと追ってないからなあ……。
そんなわけで、改めて戦中の(と思しき)写真を、手持ちの資料やweb上で漁ってみる。砲身のディテールまでしっかり判る写真はなかなか見つけづらいのだが、それでも、なんとか「戦中と確認できる写真で、砲身の形がしっかり判るものを見ると、キットや手元の別売砲身とは形状が違う」ということは確認できた。
上記のように、戦闘室が初期型であっても砲身は戦後で標準のタイプであることが多く、初期型の砲身は現存していないのかとも思ったのだが、facebookで仙波堂さんから「現存車輛でも初期型砲身のものがある」と教えて頂いた。改めて写真を漁ると、戦闘室後面が組み継ぎではないタイプ(したがって資料集め段階でスルーしていた車輛)で初期型砲身を載せている例がいくつかあることが判明した。
どうもそれを考えると、戦中・戦後でくっきり分かれているというよりも、戦後ちょっと経って切り替わった可能性もありそうなので、以後は「戦中型・戦後型」ではなく、「初期型・標準型(もしくは後期型)」と呼ぶことにする。
AFVの会の折の青木氏の説明では、「戦中のヤツはもっと根元でグッと太くなっている」みたいな簡単な説明だったが、一応、その後の写真から読み取ったことも含めて違いをまとめると、
・標準型の砲身は、根元に向けて緩やかなテーパーで太くなったあと、防盾近く(20cm強くらい?)できつめのテーパーで太くなる。初期型の砲身は、もっと防盾ギリギリまで緩やかなテーパーで太くなり、防盾に接続する直前で急に太くなる。この点、ぱっと見の印象ではSU-85の85mm砲身(特に後期のD-5S-85A)に似ている。ただし、85mm砲のように段差は付いておらず、あくまで急なテーパーで太くなる。簡単にまとめると、「標準型は防盾より数十センチ前から急なテーパー、初期型は防盾の直前でさらに急なテーパー」。
・砲口付近の「たが」状の段差は、標準型に比べ、初期型は前後に短い。
・砲身全体のテーパーも、初期型は標準型よりも、ややふっくらしているような気がするが、これは文字通り「そんな気がするだけ」かも。
●もともと不良在庫化しかけていたドラゴンのSU-100(初版)を今更作り始めたのは、以前にも書いたように、はい人28号さんからアフターパーツの転輪と砲身を頂いたためなので、これでその砲身を使わないとなると、「何しとんねん」みたいな話になってしまう。とはいえ(一応あれこれ検討はしてみたものの)、アルミ製の挽き物砲身を一部削り直すなどというのは、専用の工具もない私にはハードルが高すぎる。結局、せっかく付けた金属砲身をもぎ取って、新たに砲身を自作することにした。
当初はキットの100mm砲身の根元を加工しようかと思ったが、ちょっと根本が細い感じがしたので、砲身の前半はキット、後半にはwaveの6mm径のプラパイプを継ぎ足してからテーパー状に削り直した。
旋盤など持っていないので、ナイフで粗削りしてからペーパーで挟んで手でグリグリというプリミティブ工法。途中でキットの砲身前半とプラパイプの砲身前半の継ぎ目が折れて継ぎ直したりもしたので、よ~く見ると、中心軸がちょっと怪しい気もする。ぱっと見で判るほどではないけれど。
途中で、どうも前半部も細身な気もしたので、プラペーパーをらせん状に一巻きして、改めて削り直したり。さらに削る過程で薄くなったプラペーパーが一部剥がれてあばた状になったところを瞬着で埋めたり、凹凸を均すためにサーフェサーを塗っては削り、塗っては削りしたり。
左が削り途中。右がひとまずの工作終了状態。頂き物のABERの100mm砲身と並べて撮影。新造の砲身はプラペーパーを巻いているので材質の下地は基本白なのだが、サーフェサーを重ね塗りしては削りを繰り返しているうち、砲口部を除いておおよそグレーになった。
標準型(後期型)のABERの砲身と、初期型の新造砲身とのディテール比較。新造砲身の根元部は、ドラゴンのキットに不要パーツで入っていたSU-85Mの砲身根元の段差部を移植してから削った。砲口部の段差はプラペーパーを一巻きしてから削っている。ABERの砲身も、狭すぎる砲口を、ぜっかくゴリゴリ削って広げたのになあ。もったいないなあ。
ABERの砲身も、新造砲身も、砲口内部のライフリングは無し。KV-2初期型用に作った152mm砲身にはライフリングも工作したが、100mm程度では面倒くさくて工作する気になれない(言い訳)。
●そして、東京AFVの会の折に青木氏に指摘された箇所の第二弾。
「ラジエーター・グリル、方向逆じゃないですか」
これは考証がどうのという以前の問題で、単純に老眼とうっかりの合わせ技。工作直後にクローズアップで写真も撮って(下左写真)、当ブログの製作記事にも載せているのに気付かなかった。
前述のように左が当初の工作で、上面左の内側ラジエーター・グリルの向きが逆。マンリーコさん直伝の「エナメルシンナー剥がし」で何とか外せたので、向きを変えて付け直した(右写真)。
●ほか、夏~秋の停滞期にちっくりちっくり工作していた個所など。
ますは車体後部の補助燃料タンクの支持架(ステイ)。
ドラゴンのキットには、IS(JS)重戦車用と似た(もしかしたら同じ?)基本板状のステイのパーツが付属している。初期にはもっと別の形状なのだが、キットのタイプも大戦末期から使われているので、私はこのタイプを使うことにした。
本来ならば、ステイの本体部分(メインの板部分)はキットのパーツよりもずっと薄く、そのあたりに気を遣うなら薄いプラバンや金属板、あるいはアフターパーツのエッチングなどに交換すべきなのだが、金属板で根元にベロを作って車体に埋め込むとかの手間を掛けない限り、強度的にかなり不安が出て来てしまうため、キットパーツに若干手を加えて使用することにした。
キットパーツに「若干手を入れた」のが左写真。タンク固定ベルトの留め具は、やや薄削りをしたうえで、根元側は穴、先端側はフォーク状に加工。また、タンクの受けとなる円弧部分は、先端はベルト先端のロッドが干渉しないよう、留め具側が少し切り欠かれているので、そのように加工した。
右写真は車体に取り付けた状態。ちなみにこのステイは、車体右と左とで全く同一のパーツを使っているので、ベルト留め具は、車体右側ではステイの後面、左側では前面にある。
しかし。
これに関しても青木氏からツッコミが。大戦末期からこのタイプが使われているようだというのは青木氏も異論がないものの、「ステイがこのタイプになった時には、すでに戦闘室後面の組み方が変わっているのではないか」とのこと。
というわけで、手元にある写真を再確認してみたのが、どうも今ひとつ決め手がない。CONFORAの「SU-100」とかなら、そのあたり解答があるのかなあ。
今のところ分かっているのは、
- 前部フェンダーが丸型の時期から、すでに新型燃料タンクステイは使われている。
- 新型燃料タンクが使われている場合、すでに後面の発煙缶の搭載もデフォかも。
- 少なくとも手元にある終戦前後の写真では、戦闘室後面の組み継ぎと新型ステイの組合せを確認できるものはない。
- ただし、現存車輛では戦闘室後面が組み継ぎでも、ステイは新型である場合がほとんど(全て?)。ステイをわざわざ新型に付け替える必然性なんてあるかなあ。
ま、とりあえず今のところは「組み継ぎ+新型ステイもあったんじゃないかなあ」説の明確な否定材料もないので、そのままとしているが、この先、あまりに気になったら旧型ステイに付け替えるかも。
もともとSU用の旧型ステイは、細かい板状パーツを折ったり曲げたり溶接したりして組み上げたちょっとややこしい形で、SU-122やSU-85は基本これのみ(SU-85Mも?)、SU-100も生産初期にはこのタイプが使われている。現在では出来の良い3Dプリント・パーツ等もあるようだが、インジェクションでもminiartのSU系列にセットされたものがあり、これも必要十分な出来(下写真)。
同社のT-34系列用転輪セット各種には、このステイが不要パーツとして1輌分以上入っている。初期型・後期型ハブキャップの枝に入っているので、どの形式の転輪セットにも全て入っているのではないかと思うが、しっかり確認はしていない。
ともあれ、我が家にも1セットあるので、いざとなったらこれに交換予定。実は「ズベズダのSU-85を作るときに使おう」と思っていたのだが、「その時はその時でまた考えよう」でもいいし。
●そして予備燃料タンク本体。
SU用の燃料タンクは、基本、筒のフタ部分(円筒の底面)が凹レンズ状に窪んでいて、ズベズダのパーツはこれを表現しているが、ドラゴンでは戦車型と共通パーツのためにフラットになっている。
そんなわけで、ドラゴンのパーツのフタ部分をノミだのヤスリだので窪ませた。上写真は右端がズベズダ(ベルトのモールドは削り済み)、他がフタ部分を加工したドラゴン。ドラゴンのタンクは派手にへこみ表現が加えられているが、実車写真を見ると、ここまでベコベコなのはほとんど見ないような。しかも4本のタンクのへこみ表現が全て同一なのも難点。写真のパーツは、へこみ表現を若干削り直し、少しでも変化が出るようにした。左端のへこみ無しタンクもドラゴンのものだと思うが、何のキットのものだか不明。
筒のフタ部分が窪んでいるため、SUでは、前後の燃料タンクがほとんど密着状態で搭載されていることがある(フタ部分がフラットだと、持ち手が干渉してしまうはず)。なお、戦車型でも時々、この「フタ窪みタイプのタンク」が使われていることがある。
なお、初期のSUでは、固定ベルトが掛かる内側部分でタンクが「たが」状に出っ張っている、という考証を以前していたのだが、これに関してはちょっとあやふやになってきた。
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コメント
一応「Canfora SU-100」本によれば…
・後期型燃料タンク・ラック:1945年01月〜
・戦闘室側面後部の組継加工廃止:1945年01月〜
・戦中型主砲(100mm D-10S)から戦後型(D-10SK)への変更:1945年06月〜
…とされていますね。無論、実際の生産現場では余剰部品の消化が行われていると思いますが。
上記のようなことが豊富な写真と資料でもって解説されているので「Canfora SU-100」本は、かば◎さんにこそ活用してもらいたいんですよね。在庫があるうちに購入を検討してみては?(ちなみにAmazonは高い)
投稿: セータ☆ | 2023年12月20日 (水) 22時28分
>セータ☆さん
ありがとうございます!
なんと、そこまで具体的に導入時期が明らかにされているとは。
conforaのサイトでサンプルページも覗いてみたんですが、戦闘室上面の縦長バルジのバリエーションも、きちんと解説されているみたいですね。
web上で値段を見てみると、高いところで6000円台くらい、安いところで4400円ってところですか……。うーん。お値段の価値は十分にありますね……。
フトコロにある程度お金があるときに店頭で見たら、ふらふら買ってしまいそう。しかしその一方で、今これを買ったら、作りかけのSU-100を踏みつぶしたくなるのではという恐怖も(笑)。
いずれにしても、戦闘室後面の継ぎ方の変更と、燃料タンクステイの変更が、ほぼ同時と判ったのは有り難いです。ほぼ同時ということは、多少、新旧入り交じった仕様がある可能性があったとしても、だいぶ希少な例ということになりそう。うーん。これはminiartのパーツに交換かな。
投稿: かば◎ | 2023年12月21日 (木) 20時26分