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NOIW AND THEN

●11月2日付で、ビートルズの“新曲”、「NOW AND THEN」が発表された。

すでにビートルズが解散して50余年、ジョン・レノンが亡くなって40余年、ジョージ・ハリソンが亡くなってからでも20年以上経つ。

発表された“新曲”は、90年代の「アンソロジー」に収録された「REAL LOVE」と「FREE AS A BIRD」同様に、ジョンが残したデモテープの音声データを加工し、新たに演奏やアレンジを重ねたもの。

 

世の中的には「新曲が聞けて嬉しい」「こういう形であれビートルズが復活して感激した」的な声が大きいような感じだが(プロモ込みのニュースの論調でそうであるだけかもしれないが)、私自身としては、何度か聞いているうち、

「未完成の歌をいじくりまわして無理にサイボーグ化して生かすよりも、もう、そのままそっとしておいてあげようよ……」

という気になった。

「REAL LOVE」、「FREE AS A BIRD」に関してはそこまで思うことはなかったのだが、「NOW AND THEN」ではなぜことさらにそう感じたのか、後付け的にいろいろ考えてみる。

「REAL LOVE」、「FREE AS A BIRD」の場合は、曲がりなりにも1曲として完成しているが(サビでポールやジョージがボーカルを取っている部分も、元のデモテープでジョンのボーカルですでに入っている)、「NOW AND THEN」はそれらに比べ完成度が低く、元のデモから「あまり練られていない部分」をごそっと削り落とし、残った部分をあまり不自然にならないように繋いだだけ……な感じ。まあ、悪くはないかもしれないが、なんだか平凡?

ビートルズの曲のうち、ジョンとポールの共作は、特に後期になるにしたがって、相手の作った部分に「合わせる」のではなく、むしろ場合によっては「打ち消してやろう」くらいの気持ちで「競う」イメージがあって(私が勝手に思っているだけかもしれないが)、それが緊張感や曲の面白みに繋がっている、と思う。しかし、今回の「NOW AND THEN」には、そういう“尖った”新作部分もなく、なんというか、ジョンの原曲の雰囲気を壊さないように綺麗に繋げてみました、くらいの感じで、あまり面白みがない。

もともと、アンソロジー・プロジェクトにおいて、「NOW AND THEN」も「REAL LOVE」「FREE AS A BIRD」とともに「新作候補」に上がっていたものの、ジョージが反対し、この時はお蔵入りになったのだという。その理由について、「当時の技術ではジョンのボーカルを綺麗に抽出できなかったから」としているニュース等もあるが、、wikipedia記事には、「ジョージがやりたくなかった理由は、この曲にボーカルを多重録音したり、ベースやドラムを少し重ねて完成というものではなく、ジョンが作ったわずかなパートを基にほとんど1曲を作り上げることだったからだ」(とあるスタッフの証言)、「でもジョージはこの曲をやることを望んでいなかった。最も良い方法はジョンともう一度取りかかるほかなかったから」(ポールのインタビュー)などのコメントが引用されている(wikipedia記事の注釈)。

実際、この新たに出来上がった「NOW AND THEN」を聞くと、ジョージの反対は妥当だったと思う。何というか、ジョージも亡くなったからこそ、ポールのやりたい放題で出てきた曲というか。さすがに「これからもビートルズで儲けたい」などとは思っていないだろうが、「何か出し続けていたい」というポールの妄執のなせる業というか。

曲と同日に発表されたMVも、今日の技術を使って非常に美しく作られている。「REAL LOVE」「FREE AS A BIRD」のMVは、ビートルズとその時代、ビートルズのさまざまな曲の中の風景をコラージュして振り返るといった内容だったが、「NOW AND THEN」のMVは、曲作りの光景の中に、在りし日のジョン、ジョージ(そして過去のポールやリンゴ)の姿を散りばめて、「彼は今もそこにいる」を印象付けることを真正面に打ち出したもの。

いや、よく出来ている……し、ファンとしては見ていてじーんとしてしまうのは確かなんだけれど、一方ではあざとさも感じる。

いや、「せっかく新曲が出たんだし、それだけで嬉しいんだからぐちぐち言うなよ」と思った方がいたら、どうも済みません。

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