御堂筋
●17日金曜日から2泊3日で大阪。
某国研主催の合宿イベントにスタッフ(の端っこ)として参加のため。
大阪に行くのは10年ぶり? いやもっと? などと思っていたのだが、改めて調べてみると、少なくとも8年ほど前に一度行っていた。もっともこの時は行き先が吹田の阪大で、新大阪を降りていきなり北上してしまったため、大阪の中心市街地に行くのは、やはり10年ぶり以上かもしれない。
今回の行き先は御堂筋沿い、淀屋橋と本町の中間くらい。泊りもすぐ近く。御堂筋はちょうど年末のイルミネーションの期間に入っていて、夜はイチョウ並木が派手にキラキラ。
そしてそのイルミネーションの写真ではなく唐突にマンホールの写真2枚(イルミネーションの写真も1枚撮ったのだが、微妙にブレていた)。
久々の大阪で、今頃気付いたこととか改めて思ったこととか。
- 今まで「御堂筋は、なぜ御堂筋という名前なのか」というのを(なぜか)考えたことがなかったのだが、淀屋橋から本町に下る途中で「北御堂」の前を通り、「ああ!これがあるから御堂筋なのか!」と改めて思った(正確には、その先の「南御堂」と合わせて、だが)。
- 御堂筋って、あんなに広い道路なのに一通だったのね。
- 週末ということもあってだが、土曜の晩に御堂筋を歩いていたら、暴走族がけたたましく走って行った。大阪って、こんな街のど真ん中に暴走族が出るの?
- 我々以上の世代で大阪出身者以外だと、「御堂筋」という地名を知ったのは欧陽菲菲で、という人が多いのではと思う。ただ今回は「普通に降っている」か「からっと晴れている」かで、歌詞のような小糠雨のシチュエーションはなかった。調べてみて初めて知ったが、「雨の御堂筋」ってベンチャーズがオリジナルなのね。
- 本町まで歩いて、高速の高架下にある商業ビル「船場センタービル」を見て、いまさらのように「ああ、この一帯が船場だったのか」と知る。何か、東京でいえば茅場町とか人形町のような問屋街を(勝手に)イメージしていた。まあ、お店(たな)が集まっていた場所といえば、東京でも日本橋だもんな。
- 一帯の街区は碁盤の目で、大阪城(東にある)を基準に縦(東西)の道路が「通」、横(南北)の道路が「筋」で、もともとは縦の「通」が表通りだったそうだ。2へーくらい(古い)。
- 3日目の日曜日、淀屋橋から京阪に乗ったが、「京阪のる人、おけいはん」のポスターやら何やらを見ず。「ああ、もう、おけいはんっていなくなっちゃったのか」とちょっと寂しく思ったが、調べてみたらちゃんと「8代目おけいはん」が現役であるらしい。
●せっかくこんなに近くまで来たんだから!ということで、2日目の昼休みと、3日目のイベント終了後の2回、久しぶりに本町のホビーランドに行く。
「**があったら絶対買おう」という宛も特になく、ちょっとムラムラ衝動買いしたくなるネタはないではなかったが、結局何も買わなかった。
とはいえ、相変わらず品揃えのいい、しかも店内スペースがゆったりしていてあれこれ見やすいお店だなあ、という印象。これならアオキも通路に詰まらん。
●これまたせっかくの関西、しかも3日目は割と早めに仕事が終わるということもあって、はるとまん(たまん)氏に連絡を取り、京都駅で待ち合わせる。生身のはるとまん氏に会うのは、それこそ何年振りやら(オンライン飲み会では数か月ごとくらいに会っているが)。目の疾病の悪化で白杖を突いているたまん氏だが、それを除けばまあまあ元気そう。お互い歳はとったけどね。
京都駅近くのヨドバシでたまん氏の買い物に付き合った後、上階の居酒屋で差しで飲み食い。
おそらく30年くらい借りっぱなしだったホビージャパン1冊(大塚康生先生のガンポーティの記事が掲載されている号)をようやく返却。もう1冊、エデュアルドのモランソルニエNの記事が出ているモデルアートを借りているらしいのだが、そちらは(出張前の晩の数時間の捜索では)見つけられなかった。
逆に、たまん氏から資料本を一冊頂く。「このネタならこの人だよなあ」の安定のザロガ先生本。一冊返して一冊貰ってるんじゃ世話ないなあ。
●たまん氏との酒席の話あれこれ。
最近とみに粗製乱造されている「なろう系」アニメについて、たまん氏の愚痴を聞いたり、「**はひどいが**はいい」とか意見交換したり。
「四式戦疾風が687km/hを記録した」という話を初めとして、大戦末期の日本軍機が、米軍による試験で、ハイオクタン燃料を使って高性能を出した話はいろいろあって、従来の当該機の資料には必ず引かれているくらいなのだが、どうやらアレは誤報だったのだそうな。
米軍側の資料では当初推計値(計算値?)が書かれていて、その後実際に飛行して計測が行われれば書き直されるのだが、疾風その他の場合は当初の推計値がそのまま書かれており、それが「実測値」と誤解されて広まってしまったというのが真相なのだそうだ。まあ、そもそも工作不良が続出している大戦末期の日本機のエンジンに、いきなりハイオク燃料突っ込んで全開とか、怖くてなかなかできんわな……。ネットに上がっている話だそうなので、もっと詳しく知りたい人は検索するよろし。
似たような話で、大戦末期のドイツ機、例えばフォッケウルフ190D(長っ鼻ドーラ)も、「実はそんなに評価は高くなかったらしい」とか。
そのへんも含めて、「昔はこれが決定版!とか言われてた資料が、今ではもう古いってのが多いよなあ」と言い合う。「根っからのドイツ機マニアでもないのに、なんでそんなもん持ってるんだって話だけど、うちにはMONOGRAM Close-UpシリーズのBf109本が何冊かあるんだよ」と言ったら、たまん氏に「いや、本当になんでそんなもん持ってるんだよ……」と呆れられる。一冊一冊は薄いし高い本でもなかったから、何かのはずみに買っちゃったんだよな。でもすごく評価高かったよねえ、あの本。今はまるっきり二束三文だろうなあ。
逆に、「最近になって、『**は**だった!』と話題になっていることが、実は**年の記事にもう出てるんだよ」という例もある、という話を聞いたり(何がそうだったかの具体例は忘れた。役立たん)。
たまん氏が秘蔵している「ちょっとやばいブツ(法に触れる物ではない)」の話を聞いたり。その昔、たまん氏の腹の「ブヨブヨ感」を笑っていた青木氏の体重が「それどころじゃない」状態になっていることを報告したり。エトセトラエトセトラ。
●ちなみに。
冒頭2行目に「某国研」と書いたが、国研は「国立の研究機関」の略として使っている。……という用法が普通だと今まで思っていたのだが、デジタル大辞泉には、国立国語研究所もしくは国立教育政策研究所の略称としか出ていない。
もっとも内閣府のサイトにも「国研のチャレンジ」としてさまざまな国立の研究機関(正確には国立研究開発法人)が紹介されているから、私の用法は間違ってはいないはず。デジタル大辞泉、なんで狭義しか出てないかね?
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