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沈頭鋲

●8月15日(すでに日付的には昨日だが)だからといって戦争を振り返らないとイカン、ということではないのだが、たまたま関心に引っかかる話があったので。

●大学時代の後輩であるS君がfacebookに書き込んでいた話題。

この時期お決まりの太平洋戦争振り返り企画の一つで、CBC(中部日本放送)のサイトに『特攻隊を援護し九死に一生を得たパイロット “戦友”と68年ぶりの再会 技術を結集した「零戦」』という記事があり(大元は2013年8月放送の特集番組)、そのなかに、(S君曰く)「昭和時代からよくあるゼロ戦についての間違った俗説、過大評価を相変わらずそのまま載せて」しまった部分がある、とのこと。ちなみにその記事自体はこれ(Yahoo!ニュースによる転載。なぜかCBC本体のサイトでは検索に引っかからなかった)。

なかでもS君が疑問を呈しているのが、

『ボディを接合するリベット「鋲(びょう)」は、頭の部分が平らな「枕頭鋲(ちんとうびょう)」を世界で初めて採用。』

という部分。

私自身、かつて、零戦は初めて落下式増槽を装備したと書いてしまい、その原稿が表に出てから誤りに気付いて(実際には前代の九六艦戦ですでに実用化されている)恥ずかしい思いをしたので大きなことは言えないのだが、この記事はそれ以外にも「零戦はいかにスゴイ機体だったか」的トーンで書かれていて、「なんだかなあ」な気持ちにさせられる。

もちろん、記事中で元搭乗員が零戦の素晴らしさを語っているが、これはあくまで個人の主観であるし、そもそも搭乗員が自分が乗る機体に誇りを持つのは何ら非難すべきことではないので、分けて考えるべき。しかし、地の文が礼賛調なのは、どうにも読んでいて頭の端っこがカユイ気分になる(ということでS君と合意する)。

まあ、どうも書き手は軍事とか飛行機とかに疎そうではあるが、すでに戦争後半で性能的にも見劣りが明らかであったはずの52型に関する米軍側調査書から、「ゼロ戦52型は、中高度・中速度では、どのアメリカの戦闘機より運動性が優れている」と、褒めている箇所だけ抜き出してきている恣意性もちょっとひどい。

●さて、話をちょっと戻して、沈頭鋲について。

S君もfacebookの書き込みですでに指摘しているが、そもそも零戦に先駆けて九六陸攻や九六艦戦で沈頭鋲は使用されており、「世界初」どころか「日本初」でもないわけで、この時点ですでに冒頭引用の一文は誤り、ということになる。

九六陸攻や九六艦戦もまた世界初ではなく、wikipediaには、

世界初のHe70に初飛行で遅れること3年、九六式陸上攻撃機と並び日本で初めて沈頭鋲を全面採用した。(九六式艦上戦闘機

と書かれている(九六陸攻の記事のほうには、沈頭鋲に関しては単に「採用は同じ三菱製の九六式艦上戦闘機と同時」と書かれている)。

これによればハインケルHe70が最初ということになり、実際にwikipedia日本語版のHe70の記事には、

機体表面を滑らかに仕上げる皿リベットの世界初採用

との文言がある。

もっともこれについては、S君もfacebookの書き込みで「本当にドイツのハインケルHe70が世界初かという点にちょっと疑問 」と言及していて、私も「ホンマかいな」という気がしたので、さらに追加で調べてみた。

●まず、He70について、英語版のwikipediaの「Heinkel He 70 Blitz」では、

To meet the demanding speed requirements, care was taken to minimize drag, with flush rivets giving a smooth surface, and fully retractable main landing gear. (厳しい速度要件を満たすため、抗力の減少には細心の注意が払われ、表面を滑らかにするための沈頭鋲や完全引込式の主脚が採用された)

とはあるものの、沈頭鋲採用が世界初であるという記述はない(ドイツ語版でも言及なし)。この時点で、ちょっと日本語版の記述はアヤシイ感じになってくる。

一方、英語版wikipediaのリベットの項のなかの「沈頭鋲」(Flush rivet)の節では、沈頭鋲は1930年代にダグラス社の設計チームが開発したもので、ハワード・ヒューズのH-1レーサーに採用された、と書かれている。しかしヒューズH-1の初飛行は1935年で、1932年末初飛行のHe70より遅く、これまた内容に疑問がある。

(そもそもwikipediaレベルで何か調べ物をした気になっている時点でイカンだろう、と言われればその通りなのだが、今のところは「とりあえず見当を付けてみる」レベルのことしか考えていないので見逃していただきたい)

というわけで、「flush rivet」やら「flush rivet  airclaft」やらで検索を重ねてみて、こんな記事にたどり着いた。

ONE MONROEというサイトの「Who Invented The Rivet? A “Riveting” Bit Of Aviation History.」という記事だが、ここでは、「(外板の)突き合わせ結合(butt joint)と沈頭鋲はハワード・ヒューズが初めて採用したみたいなことを言っているけど、そうじゃないヨ」と前置きした後に、以下のように述べている。

Charles Ward Hall of the Hall-Aluminum Aircraft Corporation submitted a patent proposal for a flush rivet in 1926. Hall’s Buffalo, New York company produced the first aircraft with a riveted fuselage in 1929 with his XFH Naval Fighter Prototype. The first aircraft with butt joints and flush rivets to fly was the Hall PH flying boat of 1929.(ホール・アルミニウム・エアクラフト社のチャールズ・ホールは、1926年に沈頭鋲の特許を出願した。ホールのニューヨーク州バッファローの会社は、1929年にリベット留め胴体を持つ最初の航空機、海軍のXFH試作戦闘機を製作。突き合わせと枕頭鋲を備えた最初の航空機は、1929年のホールPH飛行艇だった。)

この記事自体の裏付けは取れていないが(ホールXFHホールPHも、マイナー機体過ぎてあまり情報なし。とりあえず英語版wikipediaに短い記事はあるが、沈頭鋲に関する言及はなし)、とりあえず現在たどれる限りでは、このあたりが「航空機での沈頭鋲採用」のハシリということになりそうだ。

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コメント

沈頭鋲の技術情報が当時はどんな感じで伝搬してたんでしょうね。今なら「ネットで見たんだけど」みたいな話でしょうが。零戦に沈頭鋲を採用するとして三菱は特許使用料をホール・アルミニウム・エアクラフト社に支払ったりしていたのかな?とかあれこれと考えてしまいます。
陸軍の99式8糎高射砲は中国で鹵獲したドイツの8.8cm海軍砲を無断コピーしたものの三国同盟が発足した後はクルップ社にライセンス料払ったみたいですね。

零戦の性能は世界一だったが数に勝る米軍機には....みたいな俗説は永遠に再生産されて行くんでしょうね。質では優っていたけど量で負けたというストーリーが高度成長期の日本製品神話とどこかで結びついてしまっているけど、工業製品の品質が向上するのは戦後にアメリカから製品管理の技術が導入されて以降の話だっていうのに。

投稿: ミカンセーキ | 2023年8月18日 (金) 10時42分

>ミカンセーキさん

我々の世代は、子供の頃はまだ「舶来もののほうが偉い!」って風潮が残っていたんですが、そんな世代のなかにさえ、無邪気に(というか偉そうに)「日本の技術は戦時中から世界いちぃぃぃ!」みたいなことを言い出す人がいて、時々びっくりします。ちょっと思い出せば、想像がつきそうなものなのになあ。

もうかれこれ30年以上昔のことになると思うんですが、とある仕事で、「日本のエレクトロニクスは、どのようにして世界でその地位を築いていったのか」というような趣旨で、大手電機メーカーの“ご隠居”クラスの人――すでに一線は退いて、「顧問」とか「相談役」とかになっている高齢の方々に、「どうやってアメリカ(海外)市場を開拓したか」の昔話をインタビューしたことがあります。

「日本の会社に、マトモなものが作れるのか?」という雰囲気の中で、販路を開きつつも、製品や技術もブラッシュアップして、少しずつ信頼を勝ち得ていく過程を聞いて、「ああ、こういうことがあって、やっと「メイド・イン・ジャパン」の評価があるんだなあ、と感激しました(あれのテープ起こしとかあれば、今、結構価値があったのになあ)。

なんというか、「昔から日本の技術はすごかったんだよ」と盲信するのは、こういう人たちの努力に対して、すごく失礼な気がするんですよね。

あるいは戦前・戦中に、ろくな工業的バックグラウンドもないなかで、センスと努力で世界の一線で戦えるような飛行機などを作った人に対しても。

投稿: かば◎ | 2023年8月18日 (金) 19時52分

>あるいは戦前・戦中に、ろくな工業的バックグラウンドもないなかで、センスと努力で世界の一線で戦えるような飛行機などを作った人に対しても。

まさに核心はそこですね。限られた条件の中で最適解を探し出す努力こそ忘れてはいけないのでしょうね。沈頭鋲を使えば確かに空気抵抗が減って速度や航続距離を伸ばすのには有利。難度の高い技術を使うことで生産性は犠牲になるのでしょうが。幸か不幸か「決定版」ができてしまってこの成功体験がまた足枷になるのも..

そう考えるとドイツ軍はアメリカのM4シャーマンやソ連のT-34のような決定版戦車を作れなかったのでしょうね。幸か不幸か、それが故の不断の開発の努力と迷走の結果が後の時代のモデラーを愉しませることに...

投稿: ミカンセーキ | 2023年8月19日 (土) 06時43分

>戦前・戦中に、ろくな工業的バックグラウンドもないなかで、センスと努力で世界の一線で戦えるような飛行機などを作った

それこそが日本の技術だと思いますし
戦後はそこに生産技術の向上が加わったわけで

投稿: めがーぬ | 2023年8月21日 (月) 12時54分

子供の頃から家にあって30年くらい現役だった60年代製の東芝のサーキューレータは、同じ目的のの部分に似たような互換性のない何種類かのタッピングビスを使っていて、
大掃除のとき分解洗浄するのが私の役目でしたが、
組立時にとっても疑問でした。
でも今思うと、多分同じ規格だったのかなって・・・
製造側からしたらタッピングとかねじ込んだら終わりですし。
ねじとナットもピッチが合わないとめずらしくなかった。
今はすごい時代だと思います。

投稿: みやまえ | 2023年8月22日 (火) 22時53分

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