続・鷹取山高角砲台
●兄が知り合いを連れて逗子近辺の山歩きに来たいというので、その計画を立てる。
もともと、兄の友人のHさんが鷹取山の磨崖仏を見たいと言っていたのが計画の出発点なので、神武寺ー鷹取山のルートは固定。しかしそれだけだと1時間も歩けば終わってしまうので、逆に追浜集合にして鷹取山→神武寺→東逗子と歩き、そのあと三浦アルプス北尾根ルートに上がって二子山に行くか、あるいは連れて行く皆さんの足が大丈夫なら再び東京湾側に歩いて田浦梅林で咲き始めの梅を見る、というような感じでどうですかね(ってここで聞いてどうする)。
一応、予定では来週25日土曜日。前日24日に少し雨が降る可能性があるとの予報が出ているのが少し心配。
●そんな計画の下見を兼ねて、本日18日、東逗子から神武寺経由で鷹取山まで(ちょっと久々に)歩く。そのついでに、以前にも書いた海軍の鷹取山高角砲台の跡地の実地調査をしてみる(というほどのものでもないが)。
鷹取山それ自体にはこれまでも何度か行っているのだが、鷹取山高角砲台の場所を私自身がきちんと調べたのは前回(2021年4月)に訪れた後のこと。当然ながら、陣地があった(と思われる)場所に行ってみるのも初めて。終戦直後の砲台周辺の状態と、現状と比較に関しては、前回記事に載せた写真を再掲しておく。
写真はともに国土地理院の国土地理院の地理空間情報ライブラリー「地図・空中写真閲覧サービス」からで、
- 左:1946年3月5日、米軍撮影(写真コード「USA-M64-A-6-69」から切り出し加工)。
- 右:2019年8月7日撮影(写真コード「CKT20194-C13-58」から切り出し加工)。
写真中央の楕円が高角砲台(の場所)で、矢印と丸数字は、①追浜駅、②追浜小学校、③鷹取山山頂。
上と同じ写真から、さらに陣地部分に寄って切り出したのが下写真。左は前回記事と同じ。右は今回新たに切り出し加工。
今回現地で撮った写真が下の2枚で、それぞれ、撮影ポイントと撮った方向を上右写真でA,Bで書き入れた。
左写真がAポイントから砲台方向を撮ったもの。左に曲がって下る道路はこの住宅地(湘南鷹取)の、いわば「中央通り」で、そのまま下っていくと京急線/国道16号に突き当たる。この住宅地は鷹取山山頂から北側の高台を(西武が)切り開いて造成したものだが、左写真で判るように、高角砲台があった場所は鷹取山北側斜面が再びちょっと盛り上がった小ピークになっている。
鷹取山山頂はもともと近代の石切場跡で(ちょうど東京湾を挟んで向かいの鋸山のように)ゴツゴツしているために高角砲陣地を作るには面倒だったのに対し、こちらは特に制約がなく都合がよかったのではと思う。確かに南側には鷹取山山頂があるが、鷹取山山頂とこの地点の標高差は35~40m程度で、そこそこ離れている(500mほど)ため、それほど空を遮っている感はない。
右写真は、左のAポイントからゆるゆる坂を上がって、高角砲台があったと思われる場所の南端あたりのBポイントから撮ったもの。写真を撮った場所がもっとも高く、そこから住宅地は再び緩やかに下っている。
これがやや不思議なところ。これまで付近で見た高角砲台は、どれも山のてっぺんが平らに整地され、各砲座は同一レベルに配置されている。しかし、当時もこの通りの地形であったとすれば、鷹取山高角砲台は、南から北に向けて砲座が低くなっていたことになる。「宅地造成の際に少し削った」なんてことはあり得るのだろうか。そもそも宅地として利用する際も平らであった方が都合がよいはずで、わざわざ傾斜地にする必然性は低い気がする。謎。
なお、前回も書いたが、ここ鷹取山高角砲台の主装備は十二糎高角砲(単装)のようなので、二子山砲台同様、砲座は単なる土塁だったと思われ、住宅の下に何らかの遺構が残っている可能性は低い。
●高角砲台跡地から、追浜駅の裏手に降りる。
昔からの谷戸の住宅地の脇で、素敵感の高いトンネルに遭遇。
明らかに地元住民の便のために谷戸と谷戸をつなぐ形で掘られた小隧道。レンガ積みのポータルは新しく、トンネル内は鋼板張りだが、おそらくもとは素掘りだったのだろうと思わせる佇まい。
帰宅後、この「向坂隧道」について改めて調べたら、トンネルファンなら押さえておきたい「横須賀トンネルマップ」に記載されたトンネルの栄えある第1番だった。昭和8年開削、現地で想像した通り、レンガ積みポータルと扁額は昭和58年の改修で追加されたらしい。「横須賀トンネルマップ」、私は紙版も持っているが、貰ってきてからあまり活用していなかった。改めてしっかり読んで、面白そうなトンネルをピックアップして訪れてみたい。
●向坂隧道を抜けてちょっと先で見掛けた小稲荷。
たぶん、もともとは崖面の窪みに小さな祠を置いたものだったんだろうなあ。崩落防止のために崖面をコンクリで固めた際に、安易にどこかに移したりせず、そのままそこでお祀りするためにこうしたんだろうなあ。
……というのは判る! 判るんだけど! いや、もうちょっとどうにかならなかったのか、これは。
ちなみにトゥラーン中戦車の“シュルツェン”に使われたのと同様な(汎用性の低い形容)パンチングボードの扉の向こうに、おそらくもともとあったものだろう、小さな石の祠が収まっている。
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