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謹賀新年2023

●明けましておめでとうございます。

本年も――おそらくこれまで同様に当「かばぶ」はぐだぐだな内容だと思いますが、なにとぞよろしくお願い申し上げます。

●例年通り、大晦日に川崎の実家に行って、母・兄と年越し。

1日にはドイツ人Pと、Pの長女Jが遊びに来て、午後中まったり飲み食いしながらお喋り。Pらの帰宅後、甥(兄の次男)Gが彼女連れで来る。田舎の叔父宅に電話したり、なんだかんだと、それなりに正月らしかったかも。

2日は兄と墓参りに行き、そのまま、津田山の墓地から東急田園都市線の宮崎台駅まで延々と歩く。横浜に寄って帰宅。

Img20230103133901 ●3日、ふと思い立って(特に用事もなく)稲村ケ崎まで往復歩く。

初詣客で混んでいるであろう鎌倉中心部には立ち寄らず。個人的には、「初詣」というものに格段の重要性を感じていないが、たまたま前を通るし、ということで、小坪の天王社(須賀神社)でお賽銭。

この小坪天王社は、“おらが村”である小坪村の総鎮守である天照大神社の境外末社。天照大神社は披露山の端っこにあり、小坪漁港側からだと、かなり長い急階段を上がる必要がある。要するに「市役所に行くのが面倒なので出張所で」という感じ。名前の通り、本社の祭神は天照大神だが、天王社のほうは牛頭天王/スサノオノミコト。

もっとも、小坪村の夏祭り(天王祭)はこの小坪天王社のお祭りだし、さらには、小坪天王社(のスサノオノミコト)と葉山の森山神社(のクシナダヒメ)は夫婦神ということで、32年ごとに天王社の神輿が森山神社に行く「三十三年祭」というのがある(祭りがある年も1年と数えるので32年周期でも三十三年祭)。次は2028年である由。なお、小坪天王社は御覧のように祠に毛の生えた程度の小さな神社だが、葉山の森山神社は結構大きい。

●その他、(特に正月とは関係のない)正月風景。

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前々回に書いた西小坪海面砲台現状に関する補足。逗子マリーナ6号棟正面の擁壁上の柵越しに、わずかに崖裾部が見えた。どうやら、擁壁上の段(かつての親不知の崖路跡?)の向こうの崖裾部は、格子状のコンクリート擁壁で覆われているようだ。崖の左右一杯までこの処理が行われているとすると、かつての洞窟砲台の洞口も完全に覆われて、何も痕跡は確認できなくなっているかもしれない。

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小坪の飯島(逗子マリーナの端)から、目的地の稲村ケ崎越しの富士山。この日はほぼ一日中、富士山は雲被り。

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由比ガ浜の波打ち際の細かい貝殻の集積。そしていつもとは逆視点。由比ガ浜の割と端っこ(稲瀬川あたり)から材木座・逗子方面を振り返って1枚。

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稲村ケ崎突端の銃眼と、その拡大。この斜め下には「伏龍」出撃基地とされる洞口があるが、大潮の時くらいしか近付けないようだ(私自身はそんなタイミングで訪れたことがなく、洞口は見たことがない)。

しかし、(銃眼があるからには、何らかの陣地だったのは確かだとしても)波の荒い岬の突端から、重い潜水装備に刺突機雷を担いだ兵が、海底を歩いてある程度以上の範囲に展開できたとは思えない。そもそも米軍が、海岸線に急斜面が迫る七里ガ浜や、山に囲まれてその後の展開に支障が出そうな旧都鎌倉に上陸作戦を敢行するとも思えないから、対上陸用舟艇の特攻兵器である伏龍をここに配置した可能性は低いのではと思う(訓練基地だった、というならまた別だが)。

小さなモーターボートに爆薬を摘んだ「震洋」の基地だったという説もあるそうだが、写真で見る洞口は、小さな舟艇でも出入りできたのかどうか怪しい(洞内に複数の舟艇を収容できたのかどうかも怪しい)。

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夕方、再び飯島あたりまで戻ってきて、振り返って1枚。手前から和賀江島(鎌倉時代の船着き場跡)、稲村ケ崎、江の島の向こうの富士山。多少雲は残っていても、シルエットならOK。

●AIRFIX 1:48、アルビオン燃料補給車の製作の続き。

荷台の燃料タンクの後ろにはポンプ室?があって、後面の扉は開閉選択式。中には一応、それらしく機器のパーツが入っているが、若干手を加えた。

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奥の壁にあるメーター付きの筒形パーツは、もともとキットにモールドがあったが、立体感に乏しいので削り落として作り変えた。横の壁にも何やら「付属の品」を追加。

とはいえ、もともとキットに含まれていたメインの内部機器パーツ自体の形状が結構怪しく、本当はもうちょっと、向かって左側にスペースも開いていて、先述の「奥の壁のパーツ」が見えていないとおかしい。が、そこをとやかく言いだすとこのメインの機器パーツ自体、1から作り直さないといけなくなって激しく面倒なので、適当なところでお茶を濁した。機器の後ろにもう少しパイプ類もあるのだが、どこからどこに繋がっているのかが判らないので、こちらも工作は諦めた。ヌルし。

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コメント

かばぶさん、三日には須賀神社にお参り頂きありがとうございました。また葉山町の森山神社にも触れて頂き、嬉しく思います。ちょうどブログの「小坪と古壺」で須賀神社に向かうところだったので、須賀神社の段落を紹介させて頂きました、ブログ全文へアクセスも含めてご了承下さい。

https://blog.goo.ne.jp/kaeru-23/e/c40c3ff3b6b4d947646d6628ad6822e6

投稿: カエル(天野清司) | 2023年1月 6日 (金) 20時29分

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