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KV maniacsメモ(緩衝ゴム内蔵転輪)その2 附:標準型全鋼製転輪

●KV重戦車に使用された緩衝ゴム内蔵転輪の話の続き。緩衝ゴム内蔵転輪のバリエーションを、おおよそ使用時期の早い順に見てみる。

特記のない限りは、基本的なディテールは前回の「構造の概観」の項に記したものに準拠しているものとする。

なお、前回も述べたように、KVの緩衝ゴム内蔵転輪はリム部およびゴム抑え部が別体であり、形状の変遷も「リム部のバリエーション」×「ゴム抑え部のバリエーション」ということになるのだが、当然ながら模型的には全体で一括りなので、以下の変遷も「全体形ベース」で話を進めることにする。「パターンいくつ」という分類は、あくまでここだけの便宜上のもの。

また、各タイプ(車体および転輪)の生産時期については、基本、サイトТяжелые танки КВ-1の記述を参考にしている(google翻訳さん任せなので、意味を取り違えているところもあるかもしれない)。

▼(前史)SMK用転輪

KVの直接の祖先であるSMK多砲塔重戦車は、基本、ほぼそのままKV試作車に受け継がれた足回りを持っている。足回り全般に関する大きな違いは、

  • 片側の転輪数が8つ(KVは6つ)。
  • 履帯はKV標準型とよく似ているが、やや幅が狭い(セータ☆氏によれば660mm幅。KVは700mm幅)。この履帯はKVの試作車・初期生産型の一部でも引き続き使用。
  • 履帯ピッチは同一だが、起動輪はやや小径で、歯数もKVの16枚に対し15枚で1枚少ない。起動輪中央の皿形カバーも周囲が平らになっているなどやや形状が違う。トランぺッターのSMKのキットは、KVの起動輪パーツ(の含まれる枝)がそのまま入っていて、歯数が少ないSMK用はパーツ化されていないような……(少なくともsuper-hobbyの商品紹介ページではそのように見える)。誰かキットをお持ちの方、教えてください。(追記:丞さん情報。足回り丸ごと、KVキットからの流用だそうです。しかも初期型転輪・上部転輪もKV-2初期型のキットでパーツ化されているのに、なぜか標準型のパーツが入っているそうで……。どうしちゃったのトラペ)
  • 誘導輪は、本体はKVと同じもの? ただしハブキャップ形状は違う。

Charsergeimironovitchkirov

転輪に関しては、おおよそ以下のような特徴。

ゴム抑え板は8本リブ・8穴。

  • ハブキャップは、中央のボルト頭(前回「構造の概観」の①)がないように見える(TAKOMのキットのパーツでも表現されていない)。
  • ハブキャップ周囲のリング(前回「構造の概観」の④)に関しては、これまたTAKOMのキットのパーツでは別体表現/刻み目表現がないが、こちらは実車写真(上着色写真の元になった両側面からの写真)では不鮮明ながら周囲の刻み目があるように見える。
  • リム部に関しては、1種類ではなく、「軽め穴がない」「軽め穴が大きい」「軽め穴が小さい」の3種が混ざっている。上写真の元になった、試作完成時?の記録写真によれば、
    左側面: (前方)←無・小・大・小・大・小・大・小
    右側面: 大・小・大・大・大・大・大・無→(前方)
    となっているようだ(写真が不鮮明なので順番はやや不確か)。両側とも第一転輪が穴無しタイプなのは、負荷が掛かる場所には丈夫なものをという判断があったのかも。
  • 冬戦争時、擱座した状態の写真を見ると、左側面第7転輪のみ、ゴム抑え板がリブ無しタイプに替わっているようにも見える。とはいえ、単純に雪が付いていないためにそのように見えている可能性もある。なお、冬戦争時も転輪の穴の「無大小」の配列が上の通りだったかは不明。ただし、少なくとも左側面に関しては、第一転輪は穴無しのままだったように見える。

脱線話。この戦車の名称の元であり、生産工場(キーロフ工場)の名称の元にもなっているのが、1934年に暗殺された共産党幹部セルゲイ・ミロノヴィチ・キーロフで、従来は、その存在を煙たく思っていたスターリンが密かに手を回して暗殺させた――そのうえで、その存在を英雄的に祭り上げ、その暗殺に関与したとの疑惑をでっちあげて政敵大量粛清のネタとして利用した、というのがほぼ定説となっていた。

しかし最近の研究によれば、その死を政敵粛清の理由として大いに利用したのは確かでも、出発点のキーロフ暗殺そのものにはスターリンは関わっておらず、純粋に共産党幹部を狙ったテロだった、という説が浮上しているらしい。詳しくはこちら(北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター、「スラブ研究センターニュース」104号 (2006/2)、「キーロフ殺害の鍵は北大図書館の本棚にあり」マシュー・レノー)。

初期型転輪・パターン1

ゴム抑え板の穴が8カ所の初期型転輪。トランぺッターのKV-2初期型でパーツ化されているタイプ。主に試作車に使用。リム部の軽め穴は、上記SMK用の「大きい穴」「小さい穴」の中間くらいに見える。

  • ゴム抑え板は穴が8カ所、放射状のリブが8本。ゴム抑え板の穴は、後の標準型(6穴タイプ)に比べて、やや小さめのようにも見える。
  • ハブキャップ中央のボルトは、KV-1の最初の試作車U-0では、SMK同様に無いようにも見える。その他の使用例では、はっきりと中央のボルトが確認できるものもある。

(実車使用例)

  1. 試作車U-0(「Тяжелые танки КВ-1」より)
  2. KV-2/U-7:新砲塔搭載の試作車RKKA in World War II
  3. 1939年型(砲塔前後が丸い極初期/増加試作型・1940年前半生産):ハブキャップ中央のボルトあり。(「Тяжелые танки КВ-1」より)

初期型転輪・パターン2

同じくゴム抑え板の穴は8カ所だが、放射状のリブはない。試作車~極初期の生産型に使用。使用例から考えると、リブ付きの後にこのリブ無しタイプが生産されたように思われる。以下写真はwikimedia commonsより、File:Tank Fortepan 93766.jpg(FOTO:FORTEPAN / Mihályi Balázs)。

Tank_fortepan_93766m

  • ゴム抑え板は穴が8カ所、放射状のリブは無し。ゴム抑え板の穴は、上記パターン1同様、後の標準型(6穴タイプ)に比べてやや小さめのようにも見える。
  • フェンダーが「ウィング」タイプの工具箱になっている試作車U-7号車は、このリブ無しタイプを使用しているが、上記U-0号車同様、ハブキャップ中央のボルト頭が無いように見える。なお、その他の使用例では通常、ボルト頭は確認できる。
  • KV-2生産第一ロット(7角砲塔搭載型)では、サイト「Тяжелые танки КВ-1」の当該タイプのページで確認できる限りでは、すべてこの「リブ無しタイプ」の初期型が使われていた。
  • この時期までは、上部転輪はホイールのリム立ち上がり部分に小リブがあるものが使われている(らしい)。

(実車使用例)

  1. 上写真:上の写真には砲塔が写っていないが、一連の別写真から、L-11搭載の1939年型であることが確認できる。
  2. 試作車U-7:ハブキャップ中央のボルトは無いように見える。(「Тяжелые танки КВ-1」より)
  3. 1939年型:1940年夏頃生産の仕様。ハブキャップ中央のボルトはある。(「Тяжелые танки КВ-1」より)
  4. KV-2 生産第1ロット(「Тяжелые танки КВ-1」より)

標準型転輪・パターン1

ゴム抑え板がリブ12本、穴6カ所に変わったもので、「Тяжелые танки КВ-1」のL-11搭載型(いわゆる1939年型)のページによれば、1940年9月頃の生産車から用いられるようになったらしい。以後、F-32搭載の1940年型の中途(1941年7月頃?)までの生産車に広く用いられている。写真は前回載せたものの書き込み無し版。wikimedia commons、File:KV-1 1942 Parola.jpgVT1978)より切り出し。

Kvwheel03

  • リム部はおそらく初期型転輪とまったく同一。
  • ゴム抑え板の放射状リブは12本で、丸穴はリブで仕切られた部分の1つおきに開いている。初期型ゴム抑え板に比べ、丸穴はやや大きく浅い(ゴムが表面近くまで出ている)感じがする。
  • 初期――KV-1は1940年型の初期(1941年1~2月頃の生産)まで、KV-2は生産第2ロット(1940年末)までは上部転輪がリブ付き。以降はリブ無しが一般的。ただしリブ無しはなくなったわけではなく、後にチェリャビンスクでの生産分では復活したりしているのでややこしい。

(実車使用例)

  1. 1939年型:1940年秋頃生産の仕様。車体銃がなく(別写真で確認できる)砲塔の手すりがペリスコープより後ろにある。(「Тяжелые танки КВ-1」より)
  2. 1940年型:1941年前半に生産された、1940年型の初期タイプ。砲塔は溶接線がエッジにある初期型。(「Тяжелые танки КВ-1」より)
  3. 1940年型エクラナミ(「Тяжелые танки КВ-1」より)
  4. KV-2 生産第3ロット(「World War Photos」より)

標準型転輪・パターン2

ゴム抑え板は上記の標準型パターン1と同一だが、リム部に軽め穴がまったくない。それほど生産数は多くないものと思われるが、1941年夏(7月頃?)の生産車、1940年型エクラナミや、同時期に生産された増加装甲無しの1940年型(75mmおよび90mm装甲の溶接砲塔型)に使われている例が散見される。上記の標準型パターン1、下記の標準型パターン3と混ぜ履きになっている例もあり。

実物は現存していない……と思っていたのだが、ソミュールにある元RONA(ロシア自由軍)所属車は、下のパターン3を主に装着しているものの、左側第3転輪(?)の内側は穴無しリムになっているように見える(はっきり写っている写真が手元に無い)。

(実車使用例)

  1. 1940年型エクラナミ(「Тяжелые танки КВ-1」より)
  2. 1940年型エクラナミ(「Тяжелые танки КВ-1」より)
  3. 1940年型エクラナミ:穴無し転輪と穴あり転輪を混用している例。 (「Тяжелые танки КВ-1」より)
  4. 1940年型:穴あり転輪と混用している例。別写真で右側面も第4転輪のみ穴ありなのが確認できる。(「Тяжелые танки КВ-1」より)

標準型転輪・パターン3

リム部の穴と穴の間に強化リブが設けられたタイプ。上記穴無しのパターン2とほぼ同時期か、その直後に登場。1940年型エクラナミや、同時期に生産された増加装甲無しの1940年型から、キーロフ工場がチェリャビンスクに疎開して以降、主砲がZIS-5に換装された1941年型の初期に至るまで標準的に使用されている。

写真はキーロフスクの短バッスルタイプの溶接砲塔搭載の1940年型。wikimedia commons、File:KV-1.JPGOne half 3544、パブリックドメイン)より切り出し。

Kvwheel05

リム部の強化リブは穴と同数の12個。

  • リム部のリブは穴と穴のちょうど中間ではなく、通常、正面から見て、時計回り方向にずれる。直線的に描き表すと、|〇 |〇 |〇 (↑外周) のような感じ。これは裏面も同様で、つまり、リブ位置は表と裏とでは食い違っている。タミヤの新KVのパーツでは、裏面は鏡写し(つまり表裏でリブが同一位置)になっている。ただし、下記のように前記と逆配列(つまりタミヤの裏面と同じ)になっている例もある(その場合裏面はどうなっているのか?)。リブと穴の間隔がちょっと違う(ように見える)例もあるので、下請け工場による若干の差異があった可能性がある。
  • リム部のリブは緩衝ゴム取付位置外周まで届いており、内側に向けて、緩やかにカーブしながら低くなっている。
  • リブの部分を残してリム部外周が変形し、縁部が円ではなく緩やかな12角形のようになってしまっているものもある。もっとも、現存博物館車両では時々見るものの、戦時中に変形するほど使い込まれる例はそれほど多くなかったのでは、という気がする(当時の写真でも若干は確認できるが)。
  • 組み合わせる上部転輪はリブ無しゴムリム付きが主だが、チェリャビンスクで生産が開始されたZIS-5搭載型(1941年型)では全鋼製上部転輪が使われ始める。

(実車使用例)

  1. 1940年型エクラナミ:穴無し(パターン2)と混用、というだけでなく、よく見ると第5、第6転輪のリム部の穴とリブの位置関係が通常と逆になっているという極レアもの。このタイプの存在についてはセータ☆さんに教えていただいた。(「world war photos」より)
  2. 1940年型エクラナミ:同じく穴とリブの位置関係の変則例。破損した第一転輪内側リムのリブが、通常よりやや「穴と穴の真ん中」に寄っているように見える。(「Тяжелые танки КВ-1」より)
  3. 1940年型/371工場砲塔搭載型:この仕様の場合、転輪は基本このタイプのみ。(「Тяжелые танки КВ-1」より)

▼標準型転輪・パターン4

パターン3同様にリブ付きリムだが、リブの数が少ない上に形状が違うタイプ。セータ☆氏が以前に記事にまとめていて、それで存在を知った。セータ☆氏は、このタイプの転輪を「ハーフリブ・タイプ」と呼んでいる。同記事を読んでもらえれば「今のところ判っていることは全部判る!」くらいなのだが、以下に簡単にポイントをまとめる。使用例は少なく、主に、チェリャビンスクで生産が本格的に始まった頃(1941年8~9月頃?)に生産された、主砲がF-32・短バッスルの溶接砲塔搭載型に使われている。生産時期はそれよりやや下るが、タミヤが新KV-1で箱絵/デカールに選択した116戦車旅団所属「スターリンの為に」も、少なくとも左側第1転輪にこのタイプを使用している(セータ☆氏の記事に写真あり)。

  • リブの数が通常(パターン3)の半分で、穴の間の一つ置きにしかない。
  • リブの位置が片方に寄っておらず、穴と穴のちょうど中間にある。
  • タイプ3ではリブがゴム抑え板周囲まで届いているのに対し、こちらは短く中ほどまでしかないうえ、傾きも直線的。いわば三角定規を立てたような感じ。何しろ限られた戦時中の写真でしか見たことがないので、裏表のリブの位置関係は不明。パターン3のリブ位置が表裏で食い違っていることを考えると、このタイプでも互い違いの配列になっている可能性もあるかも。
  • 緩衝ゴム内蔵転輪の他のすべてのタイプと違い、リム外周部縁の「巻き込み」がない(ように見える)。そのため、接地面(履帯に当たる面)はより平らで、縁は薄く見える。下図は、この形式の転輪とパターン3の転輪の、リム外周とリブの形状の比較。あくまで「こんな感じ」の比較ポンチ絵で、寸法比率等はいい加減。
  • チェリャビンスクでのKVの生産では、当初はリブ付きの上部転輪が復活使用されていて、この転輪との組み合わせでもそれが主。

Kvwheel06

(実車使用例)

  1. 1940年型チェリャビンスク工場製(「Тяжелые танки КВ-1」より)
  2. 1940年型チェリャビンスク工場製:写っているなかでは第一転輪だけがこのタイプで、第2~4転輪はパターン1、第5転輪はパターン3と3種混用。見比べて、このタイプは縁の回り込みがないらしいことも見て取れる。(「Тяжелые танки КВ-1」より)

オマケ。

標準型・全鋼製転輪

KVの生産がチェリャビンスクに移って以降、当初はそのまま緩衝ゴム内蔵転輪が使用されていたが、1941年型(ZIS-5搭載型)が登場してしばらく後、さらに製造の簡略化が進んだ全鋼製転輪が登場する。転輪それ自体の緩衝機能はなくなってしまうわけだが、それほど高速走行しないはずの重戦車なら許容範囲、ということだろうか。以後、IS重戦車まで(形状は異なるものの)全鋼製転輪が使用される。

Kvwheel02

写真は前々回も使用したもの。wikimedia commons、File:KV-1 front-right 2017 Bovington.jpg(Morio)より切り出し加工。

  • それまでの緩衝ゴム内蔵転輪では、複列のそれぞれの片側も表裏対称だったが、新しい全鋼製転輪は深く窪んだ「片面モールド」状態のものを背中合わせに結合した形状。
  • 表面に放射状に並ぶ強化リブは、ハブ側からリム部まで(徐々に背が低くなって)到達するメインのものは6本。逆にリム側から内側に向け中途まで伸びるサブのリブは、メインのリブの間に2本ずつで12本。
  • 車軸を囲むハブ部分は、単純な円柱状のものと、ごく緩やかな6角柱状のものと2種類がある(セータ☆さんに言われて初めて気付いた……)。6角柱状のものの場合、頂点は前記の1対のサブリブの間に来る。必然的に、メインリブは各辺の真ん中から出ることになる。博物館車両のクローズアップ写真ではなんとか確認できるが、戦時中の写真でははっきり鑑別できるものは少なく、どちらが多数派なのかは不明。上写真のものは六角柱タイプ。改めて確認して、「ありゃ、これもそうだった!」的な。なお、Tankograd - Soviet Special No.2003 "KV-1 Soviet Heavy Tank of WWII - Late Version" の図面では、この部分を8角柱と解釈している。うーん。さすがにそれはないんじゃないかなあ……。
  • 転輪本体の断面形状(片側)は、金だらい状に「底」が平らではなく、中心に向かって浅く窪んだすり鉢状になっている。旧タミヤやトランぺッターの後期型KVのキットでは平らになっている。前々回記事で書いた疑問を、セータ☆さんがスパっと解決してくれた。ありがとうございます。 (追記)その後、現存の転輪を横(軸方向に直交する向き)から写した写真を見つけることができた。LEGION-AFVのwalkaroundアーカイブの、ロプシャの展示車両の写真のなかにあった(KV-1_Ropsha_185.JPG、およびKV-1_Ropsha_595.JPG)。これをみると、窪んでいると言っても極々浅く皿状であることと、転輪の内外は別々に作って中央で結合しているらしいことがわかる(後者に関しては、単純に“パーティングライン”である可能性もある)。
  • 緩衝ゴム内蔵転輪と違い、ハブキャップ周りの別体の刻み目付きリングはなく、ハブキャップは転輪本体中心の(前述の)円筒にやや埋まった格好。
  • 内外の転輪の結合部には、ごく小さな補強リブがある。トランぺッターのパーツでは10本。セータ☆さんに教えて貰ったDT35のアフターパーツでは12本?(ロプシャの上記2枚の写真からはちょっと判断しづらい感じ?)

このタイプの転輪は1942年型まで使用され、KV-1s以降は、さらに数種の全鋼製転輪が使われることになる(1s系の製作にはまだまったく手を付けていないので、何か書けるほど知識の整理もついていない)。

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コメント

トラペのSMKの足回りはKV-1前期型やKV-2と同じランナーが入ってて、起動輪もそのまんまです。せめて転輪や上部転輪はKV-2初期型(ドレットノート砲塔)のランナーを使えばいいのに…。

投稿: 丞 | 2022年12月16日 (金) 00時08分

>丞さん

おお。お久しぶりです。
南極お疲れ様でした(いつの話をしてるんだ……)。

トラペのSMK、転輪も初期型じゃなくて標準型が入ってるんですか!!?
私、TAKOMのキットを持っていますが、どうもあちこち再現度がヌルめで、「ああ、これならもうちょい再現度が上の初期型転輪が入っている(であろう)トラペのキットを待ってればよかった」なんて思ってましたよ。

super-hobbyのページを見ても、「あ、転輪枝はKVのヤツだから片側2個ずつ余るなー。初期型のゴム抑え板が余るのはちょっと嬉しいかも」とだけ思っていました。

それはそれとして、「緩衝ゴム内蔵・リブ付き転輪」の逆配置版を最初に見つけたのは丞さんとか。
よくあんなもの、見つけましたね……。

投稿: かば◎ | 2022年12月16日 (金) 00時28分

トラペのSMKについては、ごく簡単にではありますが備忘録的にメモしてあります。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1980167137&owner_id=5814871
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1980167168&owner_id=5814871

トラペのことなので足周りはおそらく既存のKV系をそのまま流用するだろうとは思ってましたが、新規金型のフェンダー幅やサスアーム直径を、寸法を誤っている自社の初期型KVと同じにサイズにしてきたのには本当に参りました。
一方、TAKOMは起動輪の歯の数や写真で確認できるリベット位置など、少ない写真を真面目に調べた様子が伺えて、よく頑張ったと褒めてあげたいくらいです。

「緩衝ゴム内蔵・リブ付き転輪」の逆配置版は私だったかなぁ。今日ではロシアソースの情報で“答え合わせ”されていることも多いですが、当時資料の乏しい中で、皆で“発見”した情報を検証していくのは、それはそれで楽しかったですよねぇ。

投稿: 丞 | 2022年12月16日 (金) 20時20分

>丞さん

>>トラペのSMKについては

うわあ……。うわあ……。
これはもう、ちょっと言葉が出ませんね。
TAKOMは、基本ハッチが閉まったままの一体モールドとか(私自身はだいたい結局閉めちゃうんですが)、なんだかオモチャっぽいなあという印象で、中身を知らずに「トラペのほうがマシなのでは?」と思っていたんですが、丞さんのレビューを読んで、ちょっと背筋がぞわぞわしました。

最近出たT-100はどうなのか気になってたんですが……。これまた丞さんのレビューを読んで、だいぶ「パスしとこか」方向に傾きました。ああもう。

>>今日ではロシアソースの情報で“答え合わせ”されていることも多いですが

何だかいろいろ予想したり推察したりした挙句、ロシアソースで「ちゃぶ台ひっくり返し」なことも結構あるような……(^^;
いやもう、それならそうと早く言ってよ、みたいな。

投稿: かば◎ | 2022年12月16日 (金) 23時18分

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