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虫焼け

Img20221203210943 ●前回、海洋堂の四天王のインジェクション・キットについて、値段にビビッて、「これなら(同じ海洋堂の)ガシャポンの四天王でいいや……」と思った話を書いたが、思い立ったらなんとやらで、川崎の実家に行った帰りに横浜のヨドバシのガチャコーナーで一つ引いてきた。

……が。

ピンポイントで、かなり前に引いたものと同じ像を引いてしまった。1/4の確率なのに! なんというクジ運よ……。orz

でも今度行ったらまた引こう。

●さて、この海洋堂の四天王についての疑問。実は私が引いたこの像、初期には「広目天」となっていたのに、現行では「持国天」になっている。というか、宝塔を掲げた多聞天以外の3人は、すべて途中で名前が入れ替わっている。どういうこと?

ちなみに件のインジェクション・キットは、基本、このガシャポンと同一のポーズで、そちらの名前の割り振りはガシャポン現行版と同じになっている。

いやまあ、実際の仏像でも、途中で名前が入れ替わったりして、寺伝の名称と重文・国宝指定の名称が違っていたりすることもあるんだけれど。

●先日書いた通り、目先の仕事が片付いてちょっとヒマになったので、久々に図書館本を数冊読む。

そのなかの一冊が養老孟司「虫の虫」(廣済堂出版)で、たまたま自然科学の書架にあって手に取って、ちょっと面白そうだったのでそのまま借りてきたもの。養老先生は言わずと知れた「解剖学の偉い人」だが、一方で昆虫採集のエライ人(偉い、だけでなく『エライコッチャ』も含む)でもあり、この本はそんな、虫マニアとしての養老先生のエッセイ。養老先生の虫本を読むのはたぶん2冊目。

それにしても、マニアな人のマニアな話というのは、なぜこうワクワクするのだろう。私自身はかなり「虫好き」ではあるものの「虫マニア」までには至っていない(と自分では思う)し、特に養老先生の専門のゾウムシに関して言えば、最近覚えたカシルリオトシブミを含めても、近所で見掛けて判別できるのはたぶん5,6種類止まりだと思う。写真は撮るが、特に虫を捕まえる趣味もない。それでも、「ついて来られない人は結構!」くらいの感じでマニア話に突っ込むほど、逆に我がことに引き寄せて思わず頷いてしまったり、あるいは目からウロコではっとしたりする部分が多いように感じる。

●考えてみれば、模型趣味も似たようなところがある。

例えばAFVの会に行って、ケン太さんに作品を見せて貰って話を聞く。M1エイブラムスのサブタイプはここがこう違うとか、作品のここは(現物が)一度テープを貼って剥がした跡を塗装で再現してみたとか、深く細かい話が(つつくといくらでも)出てくる(ちなみに今回の出品作はM1ではなくてK2だったが)。

個人的にはM1はまったく興味の外であり、今後M1を作る機会もほぼ絶対にない。そこからすれば、M1のウンチク話など「ああそうですか」で終わりかねないのだが、実際にはこれが面白い。もちろん、同じ模型製作の土俵の上なので、「このワザはこっちにも使える」というところもあったりするのだが、それだけでなくてM1(およびその製作)自体の話も十分に面白い。で、一生作らないであろうM1の余計な知識がちょっとだけ付く(が、ほとんど数日で忘れる)。たぶん、たとえ自分とは方向性は違っていても、(世間一般的には)余計なことに果敢に突っ込んでいくその姿勢そのものが面白いのだと思う。

ただ、これは「オタクの心、オタクが知る」的なものなのか。あるいはマニア的素養のない人であってもある種の共感があるのかどうか。それともマニア的素養がないと自他ともに思っているようなひとでも、心のどこかには「マニアのかけら」があったりして、そこに引っかかったりするのかどうか。いまさら何のマニアでもない自分にはなりようがないので、ちょっと判らない。

●養老孟司「虫の虫」の前書き部分で触れられていた話。

夜にも煌々と明かりがついているコンビニには、たくさんの昆虫が引き寄せられてくる。ただ、コンビニが出来た当初はものすごい量が来るものの、そのうち、数が減ってくるのだという。コンビニの殺虫灯で退治されるものもあるだろうが、光に引き寄せられて本来の生息地から引き離され、そのまま帰れなくなって生殖機会が減るという理由もあるかもしれない。

そのため、コンビニのある地域では走光性のある特定の種類の昆虫が減ってしまう現象が起きる。これを虫屋さんは「虫が焼ける」と言うのだそうだ。

身近な昆虫の増減で言うと、「最近、ミヤマクワガタを見なくなったなあ」とか「アカボシゴマダラが増えたなあ」などとは思うが、数ミリの名もない羽虫(単に名前を知らないというだけでなく、その手の虫の場合、研究も進んでいなくて実際に名付けされていない虫もあったりする)はほとんど気にすることはないし、むしろ「小さい羽虫が減って有り難い」とさえ思うかもしれない。しかし実際にはそういう部分も含めて生物多様性は成り立っているわけで。いろいろ考えさせられる。

そんなわけで、その下りで養老先生が紹介していた高橋敬一「昆虫にとってコンビニとは何か?」(朝日新聞社)を、改めて市立図書館で借りてきた。人間のさまざまな活動、産物を取り上げて、「昆虫にとって〇〇とは何か?」を問う28の記事から成り立っている。「コンビニとは何か?」の項まで読んだが、「虫が焼ける」話は出ていなかったので、そちらは養老先生が別ソースで聞いてきた話らしい。

むしろ「昆虫にとってコンビニとは何か?」のなかでは、「結局、コンビニの明かりが、その周辺の昆虫の個体群を壊滅させることはほとんどないと思われる」と書かれている(が、それに続けて「人間活動(コンビニもその一環である)にともなう生息場所の破壊や環境悪化のほうが、その地域の昆虫種を根絶やしにしてしまう可能性が高い」と書いている)。

●ちょっと用事があって、KVの履帯と転輪について改めてちくちくディテール等検証中。

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