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2022年5月

帆船恋路?

●息子のところのチビ娘(ジャスト4歳)は、なぜかサーフボードのことを「はんしぇんこいじー」と呼ぶ。

当地は海辺の町なので、たまにお泊りに来れば、近所を散歩する際に割と頻繁にサーフボードを目にすることになるが、「あれは何?」と聞くと必ず「はんしぇんこいじー(だよ)!」と言うので、彼女の中ではサーフボードを指す一般名詞として定着しているらしい。

大航海時代に見慣れぬ動物を見て「あれはなんて言うんだ?」と尋ねた時に、現地民に「なしてそげなこと聞くだ?」と言われたのがそのままヨーロッパでの生物種名になってしまった(ただし、カンガルーという名前の由来がそうだというのは俗説だそうだ)――なんて事例と似たような感じで、「幼児が(誤解に基づいた)謎名称を使う」というのは一般によくある。

とはいえ、何かのはずみで覚えたというには妙に(音の繋がりが)凝っていて長い。しかし、本人に聞いても「はんしぇんこいじーだからはんしぇんこいじーなんだよ」的な答しか返ってこないし、息子夫婦も心当たりがないそうだ。

ちなみにうちの娘は小さい頃に自動車のことを「びあん」または「びあま」と呼んでいたが、これは理由がはっきりしていて、当時乗せてもらえる機会が多かった義弟の車が日産のBe-1だったため。「びあま」は「びーわん」と「くるま」が折衷されたものか。

F1019591 ●JR逗子駅の東逗子駅側には操車場があるが、その操車場から本線を挟んで反対側には、京急逗子線と合流する分岐がある。

京急金沢八景駅近くにある鉄道車両工場、総合車両製作所横浜事業所との連絡線(回送線)で、時折、見慣れない車両がこの線路を通って出入りするので、それらの出入り情報を掴んだ鉄な人がカメラを抱えて集まっていることもある。

また、京急側の合流地点である神武寺駅から向こうは、京急の標準軌の内側にもう一本、狭軌用のレールが引かれた三線軌条になっているなど、なかなかマニア的にそそるものがある。以前にも載せたことがある写真だが、この回送線の、山の根-池子間の小トンネルも、なかなか佇まいに風情があってよい。

以前にも書いたように、この回送線は、もともと海軍工廠であった総合車両製作所横浜事業所や、池子弾薬庫の搬入・搬出用引込線との連絡用に、軍用線路として作られている。そしてこれはつい最近知ったのだが、どうやら、この回送線の京急と共用でない部分(逗子-神武寺間)は、池子弾薬庫と一体で米軍に接収されていて、(借り手としては総合車両製作所になるのかJR貨物になるのかよくわからないが)米軍から使用許可を得て使っている、という形になっているらしい。

池子弾薬庫跡地に関する逗子市のページでは範囲についてはよくわからないが、神奈川県のページに添付されたパンフの地図では、シッポのように細く回送線部分が伸びているのが確認できる。

と、そんな所属を示すように、回送線の逗子側の始点には、「米軍池子線」の路線名表示がある。場所は、つい先日廃止になった山の根踏切の少し逗子駅寄り。

横にあるのは、始点を示すものと思われる距離標(キロポスト)だが、表記が単純に「0」ではなく「0|0」である理由は鉄な人ではない私にはよくわからない。ちなみに「米軍池子線」と書かれた三角札の反対側(逗子駅方面に向かって見える側)には「JR貨物」と書かれている。

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山の根の尾根再訪

●駅前に用事があって出たついでに、突発的に、JR逗子駅北側の山の根の尾根を歩く。

初めてここを歩いたのは2015年の4月で、その後2、3度歩いているが、今回はだいぶ久しぶり(数年ぶり)だと思う。

逗子市山の根は前記のようにJR逗子駅北側の地区で、逗子の町域としては最小面積(0.51平方キロ)。南側は横須賀線の線路に区切られ、北側は尾根に囲まれている。尾根の西側は逗子市久木との境界、東側は逗子市池子との境界になる。

尾根の上には一応細い山道がずっと通っていて、数か所に行先案内表示まであるのだが、その一方で、この尾根への数か所の上り口には何の案内もなく(むしろ、そのうちの一か所の熊野神社東側には「山越えはできません」と書かれている)、逗子のいくつかの山歩き案内にもこのルートは載っていない。

●北側尾根の、久木小学校・中学校共同グラウンドを見下ろす少し手前あたりから、点々と海軍標石がある。尾根の北側は町域としては久木だが、(共同グラウンドも含めて)旧・池子弾薬庫跡地なので、その境界を示すために標石が置かれたものと思われる。

以前の記事にもいくつか載せたが、今回も写真を撮ったので、改めて載せることにする。

▼まずは前半。共同グラウンドへの降り口よりも西側のもの。以下の写真はすべて西→東の順番。

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あまり丹念に撮影はしていなくて、歩きながら「あ、ここにあった」と基本1枚ずつしか撮っていないので、ピンボケ混じり。すでにこの季節、歩いていると蚊が寄ってきたり、蜘蛛の巣に頭を突っ込んだりするので、なかなか落ち着いて写真を撮る気持ちになれない。やはり、きちんと調査するなら冬の間に登るべき。

▼後半。共同グラウンドへの降り口の案内と、それより東側の標石。

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とりあえず今回は15基の標石を確認しているが、過去に同じルートで撮った写真と見比べてみると、(細部の様子や傾きなどから見て)今回は撮っていない標石もあったりするので、藪にまぎれているなどでいくつか見落としているようだ。たぶん、全部では20基弱あるのだと思う。

なお、よく見ると表記面が一段窪んでいるのが多数派だが、少数、窪んでいないタイプも混じっているようだ。

ちなみに、同じ海軍標石でも、水道路沿いのものは表記が「ダブル山形・海」だけで、字体も異なる。また池子弾薬庫跡地北端あたり(横浜市域内)の尾根にあるものは、表記は「ダブル山形・海軍」だが、これまた字体が違う。下写真は、左が水道路のもの、右が池子弾薬庫跡地北端あたりの尾根のもの。

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ちなみに、横須賀軍用水道半原系は明治末年に始まり大正10年(1921年)に完成。池子弾薬庫は昭和13年(1938年)に一部地域の買収が始まっているが、上の標石がある久木の旧・柏原地区は昭和16年(1941年)に買収が行われている。横浜市側の区域がいつ買収されたのかはよくわからないが(横浜市サイトでは米軍が接収した日付しか出ていない)、wikipediaでは「1942年(昭和17年)には、横浜市金沢区側(当時、磯子区)に海軍の毒ガス弾の製造工場(谷戸田注填場)が設置された」とある。

おおよそ用地買収とともに標石が設置されたのだとすれば、水道路標石→山の根標石→横浜標石の順番で旧~新タイプということになる。年代別ということ以外に、「発注先によって仕様が適当」という可能性もあるかもしれないが。

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RWD-8 DWL / IBG MODELS 1:72

●先々月の横浜AFVの会(仮)の折、ミカンセーキさんに、我が家の不良在庫のAZ model 1:72のビーチクラフト・スタガーウィング(元sword製)を押し付けた進呈したところ、代わりにIBGのRWD-8を頂いた。1個減って1個増えてプラスマイナスゼロ。

いや、実際には横浜AFVの会(仮)の在庫交換会にMIRAGE/RPMのビッカーズ6t系を2つ出して、代わりに貰った別キットはその場で他の方にあげてしまったので、都合、在庫2個減少。

20220505_214056 ●というわけで、ざっとIn Boxのキットレビューを。

いつのまにやらポーランド有数の模型メーカーに成長したIBGだが、RWD-8シリーズは、同社72スケールの飛行機キットとしては最初期のもののはず(あやふや)。

scalematesによれば、シリーズ最初のキット「RWD-8 PWS」(キット番号:72501)と、ここに挙げた「RWD-8 DWL」(72502)が発売されたのは2015年。その後の数年で、デカール替えで「PWS ドイツ/ラトビア/ソ連仕様」「PWS ハンガリー/ルーマニア仕様」「DWL イスラエル仕様」と、バリエーションキットが出ている。

なお、この機は48のインジェクション・キットがスポジニアから出ていて(現在はmirage hobbyから)、大昔に(ほぼストレートで)作ったことがある(たぶん押し入れの奥底あたりにまだ作品が埋まっているのではないかと思う)。当時はまったく知らずに適当に作ったが、スポジニア/ミラージュのキットは、PWS仕様であるらしい。

●実機について。

実機は1930年代初頭、航空機設計チームであるRWD(S.Rogalski、S.Wigura、J.Drzewieckiの3人の航空機設計者の頭文字を繋げたもの。発足時にはワルシャワ工科大学に在籍)により、もともとは軍の練習機として開発されたパラソル翼単葉の複座機。上記キット名称にある「PWS」「DWL」は、それぞれ生産工場を指す。「DWL(Doświadczalne Warsztaty Lotnicz)」はRWDチームが設立した航空機生産会社だが、ここはそれほど生産能力が高くなかったので、国営工場の「PWS(Podlaska Wytwórnia Samolotów)」も生産を請け負うことになり、最終的にはDWLで約80機、PWSでは本家工場の6倍近い約470機が生産されたらしい(主にwikipediaによる)。

両工場の生産機には若干の仕様の差があるのだが、基本、DWL製は民生用に販売され、PWS製は軍に引き渡されている。というわけで、大雑把には「DWLは民間型、PWSは軍用型」と覚えておけば済む。

第二次大戦までの間、RWD-8はポーランド空軍の標準的初等練習機として用いられており、1939年戦役時には多くが地上で破壊されたものの、若干機は連絡機としても用いられている。また、戦役中にある程度の数がルーマニアやラトビア、ハンガリーに逃れ、それぞれの軍に接収されて使用された。またポーランド陥落の後は、ドイツ軍によっても使用されている。

●キット内容はプラパーツが枝3つ(透明部品の小枝含む)とデカール、説明図。

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写真1枚目、A枝は主翼・水平尾翼ほか。ほとんどの小物パーツもこの枝。写真2枚目、B枝は胴体パーツほか。RWD-8の胴体はPWS(軍用型)とDWL(民間型)で若干ディテールが違い、この胴体もキットにより差し替えになっている。写真の胴体は(箱絵で明らかなように)民間型仕様。胴体パーツの脇に付いている小枠は軍用型用の脚柱、集合排気管、前後席間パーツで、この民間型キットでは全て不要パーツ。なぜ胴体が差し替えなのにこの小枠がそのまま入っているのかは謎。小さな風防は(十分とは言えないものの)インジェクションパーツとしてはかなり頑張って薄い。

デカールは東欧キット草創期からお馴染みのテックモッド製、塗装例1例のみに対応。なお、箱絵とデカールは登録記号「SP-AMT」で同一機だが、マーキングに差異がある(箱絵にある機首の機番「6」がデカールにはない、垂直尾翼のマークはデカールのほうが1種多く位置も違う)。ネット上で実機(SP-AMT)の写真を探すと、両方の状態のものがあるので、時期による違いのようだが、普通こういうのってデカールと箱絵は合わせるよね……。

●パーツのクローズアップをいくつか。

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左写真は、Aパーツ側に入っているDWL(民間型)の脚柱と、Bパーツの軍用型(PWS)脚柱。右写真はAパーツの胴体支柱で、左2つがPWS用、右2つがDWL用。見てわかるように、民間型は支柱に翼型フェアリングがかぶせてある。なお、胴体支柱パーツは中間のバッテン部分も支柱然としているが、実機では張り線。

ちなみに胴体パーツのディテールの違いは、おそらく、

  • PWS(軍用型)は左胴体に、コクピット直後、および尾翼直前にパネルがある。DWL(民間型)にはない。
  • コクピット脇下のカマボコ型フットステップは、PWS(軍用型)は左側。DWL(民間型)は右側。
  • PWS(軍用型)は胴体側面(後席下あたり)に斜めの細いリブ。方向舵の操縦索と平行なので、何かそれに関連したものなのだと思うが用途不明。
  • DWL(民間型)は単排気管(4本)、PWS(軍用型)は集合排気管。
  • DWL(民間型)はコクピット縁全周にクッション。PWS(軍用型)は一部のみ?

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胴体パーツ内側には、フレームのモールドがある。一体成型なので、本来は細い棒状のものが板状に厚みがついてしまっているが、組んでしまえばさほど気にならないと思う。幸い、表側にはほとんどヒケを生じていない。

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このキットで一番問題含みなのが主翼。エルロン、フラップと主翼本体の間に大げさに隙間が作ってあって、これはちょっと見栄えが良くない感じ。実機は、フラップ部分はほとんど隙間も段差も無し、エルロン部分は(動翼前縁が丸まっているので)段差はあるが、隙間は流石にこれほど大きくないと思う(クローズアップ写真がほとんど見つからないので印象半分だが)。ちなみに、おそらくプロペラのトルクの関係で、この機にはフラップは右側にしかない。動翼のリブ表現もいまいち。

さらに問題なのは翼断面で、キットの主翼は比較的薄め、かつ翼前縁ライン(r中心ライン)は正面から見てまっすぐだが、実機の主翼はおそらくもっと厚く、しかも前縁ラインは中央翼と外翼とで不連続で、前縁のr中心は外翼内側で中央翼に合わせて斜めに切れ上がる。……と文章で説明しても非常に分かりにくいが、下の実機写真を見ると、なんとも微妙なラインになっているのが見て取れると思う。

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ともにwikimedia commonsより引用(パブリック・ドメイン)。

左:File:Samolot RWD-8 na lotnisku NAC 1-S-1278.jpg (キットのデカールにもなっているSP-AMT)

右:File:Zawody IX lotu południowo-zachodniej Polski w Krakowie.jpg

動翼については修正はそれほど難しくないと思うが、主翼の基本形状が違うのは修正が難しい(それ以前に、どういう形状になっているのかが把握しづらい)。

なお、Attack squadron、およびKARAYAという2メーカーから、キットの主翼を交換するレジンパーツも発売されている(Attack squadronは主翼と方向舵・昇降舵のセット)。

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春のあれこれ

●模型製作、激しく停滞中。それに合わせて、当「かばぶ」の更新もまるっきりご無沙汰になってしまった。

別に「模型いじりたい気分」が大きく減退したわけではなく、単純に仕事が滞って模型に手を付けられなかった、というところが大きい。なんとか一息ついたので、KV-2初期型の工作をぼちぼち再開予定。

●「いまさらかよ!」という感じもするが、先々月末(3月20日)の「横浜AFVの会(仮)」の写真を少々。

▼ミカンセーキさんのポーランド国内軍ヘッツァー「フファット」号とオチキス・マーダー。いつかは自分で作りたい気もしていたフファットだが、もうこれを見てしまうと手を出せない。もうちょっと舐めるようにクローズアップを撮っておけばよかった。将来、ケーブルドラムやごみ箱が並んだバリケード込みの状態を見るのが楽しみ(ちょっとした圧力)。

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▼めがーぬさんのハンガリー軍アンサルドCV35(指揮車仕様)とマチルダ。

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▼ケン太さんのエイブラムス。ケン太さん、いったい何両エイブラムスを作っているんだか。現用素人な私は、細かいサブタイプなどは全く判別不能。それでも、防盾周りのシーリングのテープを剥がした後とか、小物の質感などの芸の細かさには唸らせられる。

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▼ハラT青木氏のタミヤ48・38(t)と野田君の「バルジ大作戦」パットン。パットンは映画の仕様に合わせて細かく手を入れている、ということなのだが、私自身はよくわからない(基本、パンツァーリートを歌う場面しか知らないので)。

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▼時間を置いて写真を見直すと判らなくなってしまったが、1枚目のT-90(?)もミニスケールの作品だった気がする。それも含めて、小ささを感じさせない緻密なミニスケ作品がそこそこの数、出品されていた。2枚目のA-222自走砲はAM誌掲載の作例だったと思う。

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▼一方で大物は、1:16(?)のラジコンのパットン系(?)架橋戦車とARL-44。

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▼ほか、ちょっと惹かれたものなど。ポーランドの試作「ステルス軽戦車」PL-01はタコム製? SU-122-54は(たぶんminiart)、自分で作る気はないけれど(戦後車両なので)格好良さは大好き。

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▼おそらくもともとはウォーゲームの駒などに使われるものなのだと思う、たぶんスズ製のフラットフィギュア。フィギュア自体を作らない私だが、この塗装技術はすごいと思う。

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●3月初めに、ノビルを採って食べた話は書いたが、その後の今春の収穫物など。

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1枚目。私にとっての春のド定番、アケビの芽。すでに今春、5、6回は食べていると思う。

2枚目。ハリギリの芽。かみさんに頼んで天ぷらにしてもらった。

3枚目。イタドリ。例によってピリ辛メンマ風にして食べた。なお1回分、塩漬け冷凍保存中。

4枚目。田浦で見つけたニリンソウ。茹でて乾燥中。

5枚目。昨年はなんとなく採らないままで終わったので、2年ぶりになるミズ。そばつゆに漬けていただき中。

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料理した写真も2枚。左、ハリギリの天ぷら。癖もなくほっこりして美味しい。右、アケビの芽たまごごはんと、ミズのそばつゆ漬け。

ついでに「今後に期待」の写真を数枚。

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1枚目、沼間の山道に沢山咲いていたクサイチゴの花。例年のスケジュールで言うと、今月半ばには実が熟して食べられるようになるはず。

2枚目、実がつき始めたクワ。これも大きくなって熟すにはもうしばらくかかりそう。

3枚目、市内某所の植え込みに勝手に生えてきていたタラノキを発見。もっと早く見つけていれば、タラの芽の天ぷらが食えたかも。

●連日、ウクライナ情勢のニュースが報じられている。特に最近の話題は東部マリウポリの戦況。マリウポリなんて、日本では、よほどのBT戦車ファンでなければ知らない地名だったのが(BT-5の初期型の円筒砲塔がマリウポリ製)、いきなり世界的に有名な場所になってしまった。

特にマリウポリでは、一般人が多数避難しているにも関わらず激しい戦闘にさらされている製鉄所が話題の焦点となっているが、セータ☆さんの記事によれば、いわゆる「マリウポリの製鉄所」は2か所あるらしい(内陸のイリイチ製鉄所と、アゾフ海沿岸のアゾフスタリ製鉄所)。ウクライナ軍が拠点としているのは、このうちアゾフスタリ製鉄所であるらしい。wikipediaによれば、同製鉄所には核シェルターを兼ねて地下6階までの要塞施設があるそうなので、民間人が逃げ込んでいるのもここか。

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