KV-1 1940年型装甲強化砲塔 (3)
●KV-1 1940年型の後期仕様である装甲強化・角形砲塔の作り直しの続き。
やり残しのメインである砲塔前面・砲周りの工作も終え、ディテールの残りも付加して、ほぼ工作を完了した。
●砲塔前面には、ブロック状の増加装甲を付けた。
このバッスル下が角形になった、第371工場製とされる装甲強化砲塔が搭載されたタイプは、(便宜的な径式名称では1940年型だが)1941年の8月から10月にかけてレニングラード・キーロフ工場で生産されたものだが(サイト「重戦車KV-1(Тяжелые танки КВ-1)」による)、ブロック状の増加装甲はそのまた一部にみられる。
この「ブロック付き」は、以前に書いた「KV maniacsメモ(砲塔編その1)」では、やはり上記サイトを出典として「特に1941年の8月から9月初めの生産分に見られるもの」と書いたのだが、今改めて(Google翻訳を通して)読み返しても、どこに書いてあったのかわからなくなってしまった。……あれえ?
В августе - сентябре 1941 года броневая планка наваривалась также перед люком в отделении управления, однако на машинах более позднего выпуска от нее отказались.
1941年8月から9月にかけて、装甲板も制御室のハッチの前に溶接されましたが、後の生産車両では廃止されました。(google翻訳による)
という一文は見つけたが、これは車体ハッチ前の防弾リブのことを言っているような気がする。
もっとも、この仕様の車輌で使われている、ボルト12本タイプの起動輪ハブカバーは、やはり1941年晩夏~初秋の生産車の特徴であるらしいので、生産時期はさほど外れてはいないと思う。
このブロック装甲が、砲塔生産工場である第371工場で最初から付けられていたのか、最終組立工場であるレニングラード・キーロフ工場で追加されたのか、あるいは生産後にどこかでまとめて改修されたのかはよく判らないが、いずれにしても、同一仕様が複数確認できるので、ある程度まとまった数が作られたのは間違いない。
ブロック装甲は、トラペ・ベースで一度作った砲塔から移植しようと思ったのだが、がっちり接着されていて剥がれなかったので、もう一度作り直した(TFマンリーコさんより伝授された「エナメルシンナー剥がし」は便利で、今回も部品の移植に多用したが、やはり万能ではない。場合によっては部品自体がもろくなって割れるので、注意が必要)。厚みは目分量で1mmプラバンの2枚重ねの2mm。実車寸法だと70mm装甲ということになるが、本当に70mmだったかどうかは不明。
砲塔前面の砲耳カバー左右の面積には差があるので、このブロック装甲も左右で形状が異なる。写真を見ての印象通りに作るのは意外に難しい。また、タミヤの砲塔前面パーツは、どういうわけか、砲耳カバー位置決め用に溶接されたリブが左右で厚みが違う。タミヤが取材対象にしたのではと思われるモスクワ中央軍事博物館の現存車輛では、たとえば右側はこんな感じで、左側はこんな感じ。う~ん。同じような、違うような。もしかしたら、片方をちょっと高くしておくことで、砲装着時に横からずらして引っ掛け、位置決めをしやすくした――なんてことも、ありそうな気がする。
まあ、これ自体はパッと見て違和感もないのでよいが、ブロック装甲を取り付けようとすると、左側リブの溶接で形成された斜面(右写真の黄色矢印部分)がエッジに接するまであるために、そのままではブロック装甲の上部と砲塔のエッジとの間にスキマが出来てしまう。そこで、ブロック装甲接着前に、この斜面部分は僅かに削り込んだ。
●防盾上部カバーを工作。
タミヤがキット化している1941年型(ZIS-5搭載)は、1940年型(F-32搭載)に比べて防盾が厚くなっているため、防盾上部カバーも大型化しており、タミヤのパーツをそのまま流用はできない。例によってトランぺッター(右写真)からもぎ取って来て使おうとも思ったが、実車写真を見ると、どうも微妙にディテールに差がある。
最初はタミヤのパーツを切り刻んで小型化して使おうと思ってあれこれいじり回していたのだが、いまひとつ綺麗にフィットせず、結局0.3mmプラバンで新調した。
トランぺッターのキットでは、全体的に、このカバーは後方・左右の折り返しを直接砲塔前面・砲耳カバーにリベットもしくはボルトで止めている表現になっている。しかし実際には、後方・左右ともに、取付用のベースを一度砲塔・砲耳カバーに溶接して、そこに折り返しを止めている。特に後方(砲塔前面側)は、トランペッターでは砲塔前面にペッタリ付く感じになっているが、実際には、エッジ部分に斜めに付いている(カバーが大型化した1941年型では、前面装甲板の小口部分にかぶさるようになる)。
このディテールについては当時の記録写真でもある程度確認できるものの、いまひとつ細部を詰め切れずにモヤモヤしていたのだが(こんな薄い鉄板製の部分は現存車輛では保存されていないとも思っていたのだが)、なんと、パロラのエクラナミで、おそらくオリジナルの状態のまま残っていた。たとえばDISHMODELSのアーカイブのコレとかコレで確認できる。素晴らしきかな。
そんなわけで、カバー後方は取付部が斜めになった状態を再現(左写真①)。このベロ部分のみは、タミヤのカバー部の後縁を切り取って流用した。左右は取付用のベースの上に、カバー本体のベロは小さなものが3つ(左写真②)。また、カバー本体の前縁は、改めて帯金を溶接して延長したようになっている(左写真③)。これはいかにも補修や小改造の痕跡のように見えるが、パロラのエクラナミだけでなく、当時の記録写真でも確認できるので(例えば「グランドパワー」1997/10、p33上写真)、これが標準の仕様であるらしい。
薄い0.3mmプラバンで新調した結果、防盾と干渉せずに済み、無理なく砲の仰俯も行えることになった。
今後発売されることがほぼ確実なタミヤのエクラナミではどうなっているかな……。
●砲塔後面の機銃マウントの追加工作。
トランぺッターの砲塔から、接着済みの防盾をもぎ取って来て移植した(タミヤのパーツは砲塔枝以外のところにあるため)。これまたベースにがっちり接着してあって、「エナメルシンナー剥がし」をしようとしたらベースごと取れてしまった。一瞬、「それじゃあベースごとトラペにするか」とも思ったのだが、ベース形状はタミヤの方が良い感じだったので、さらに無理矢理防盾を分離。その際、真っ二つに割れそうになったのだが、なんとか補修した。
防盾下には、エンジンルーム上面誤射防止用(?)のガードが付く。これはトラペの砲塔で追加してあった金属片を移植。この砲塔では、ガードは金属板を曲げた形状だが、エクラナミあたりではもっとがっちりした突起が付いていたりする。
●ほか、手すりを付けたり(トラペのパーツを使用)、側方ペリスコープ下の跳弾リブに溶接跡を入れたり。
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コメント
防盾上部カバーの③の延長はどうしてこんなことになってるんでしょうね。砲塔内に水が入るとかで庇を伸ばすことにしたのかしら?
溶接ビードが雨だれ防止になってる気もしますね。
パロマの車両を見ると①の両サイド側面、砲塔への付け根の部分に小口塞ぎ用のプレートを追加溶接してるようにも見えますが、これはオリジナルなのか博物館展示で砲塔内に水を入れないように追加したものなのか..
投稿: ミカンセーキ(hn-nh) | 2022年1月31日 (月) 06時48分
パロラの展示車輛は(というかフィンランド軍の鹵獲ソ連車輛は)、元の車輌の「造りの粗い部分」に、フィンランドで細かに追加修正が入っていたりするので(笑)、その辺は確かに注意が必要ですね。
防盾カバーの「継ぎ足し部分」は本当に「なんで? 最初から一枚にしとけばよくない?」の謎さが際立っています。
まるっきり想像なんですが……。
継ぎ足しのない状態で、ギリギリ「後嵌め」で防盾が装着できて、防盾を付けた後で、最大に俯角を掛けても上に隙間ができないように延長を溶接しているとか……。
どうですかね、この推論。
投稿: かば◎ | 2022年1月31日 (月) 14時36分