KV maniacsメモ ― KV-2のおさらい(1)
●11月30日付でも書いたが、タミヤから近々KV-2が発売される。
個人的には「砲塔に『安倍晋三』と書かれていなかったら買おうかな……どうしようかな……」くらいのスタンスだが(しつこい)、一応、KV-2についてのおさらいを少々。
基本、個人的な理解の虫干しのようなものなので、誤解とか、最新の考証に追い付いていない部分とかもあるかもしれない。その辺はご了承を(というか、指摘していただけると有り難い)。
ついでに、もう10年以上前にほぼ工作終了して、そのまま放り出してあるトランぺッターのKV-2の製作記はこちら。記事中でも仕様の考証にちょろっと言及しているが、古いので、今回書くものとは若干の齟齬が出ているはず。その辺も併せてご了承を。
(冒頭写真はwikimedia commons、“File:Кв-2 1.jpg”、Gandvik)
●実車のタイプと生産
フィンランドとの冬戦争(1939/40年冬)のさなか、フィンランド軍防衛線突破用として、制式採用されたばかりのKVに、152mm榴弾砲M-10を搭載したタイプが計画され、1、2カ月というごく短期間のうちに試作車が作られ、40年2月半ば、フィンランド戦線に実戦評価試験のために送られた。
当初「大砲塔KV」と呼ばれたこの車輛は、十分開発要求を満たすものとして採用と生産が決定。40年7月から量産が開始された。
生産初期のものは、全て平面の装甲板で構成された(平面形が)7角形の砲塔(MT-1砲塔)を搭載していたが、中途から装甲板構成が簡略化され、両側面が緩くカーブした1枚板になり、背もやや低められた新砲塔(MT-2砲塔)に変更された(砲塔名称はTankograd “KV-2”より)。
その昔、「グランドパワー」1997/10号の解説では旧型の砲塔を載せているのは試作型1輌、増加試作型(先行量産型)3輌、Tankograd「KV-2」(2004年)では4~6輌と書かれていたが、その後の研究では、旧型砲塔の初期型はもっと多いとされている。実際に、撃破されてドイツ軍側に撮影された初期型を見ても、壊れ具合/背景などはかなりのバリエーションがあり、それなりの数が生産されたらしいことがわかる(昔はそもそも初期型の写真があまり出回っていなかったので、4輌と言われればそうなのかなー、くらいの印象だった)。
サイト「Тяжелые танки КВ-1(重戦車KV-1)」によれば、KV-1の総生産数は204輌、その内訳は次のようであるという(数字のもともとの出所は、マキシム・コロミェツ氏の資料とのこと。“Тяжелый танк КВ-2 - ≪Неуязвимый≫ колосс Сталина”(2011)かな?)。
- 1940年2月(3輌)~3月(1輌):計4輌。7角砲塔搭載の試作車輛(U-1~U-4)。
- 1940年7月(10輌)~8月(10輌):計20輌。7角砲塔搭載の初期型(シリアル番号 A-3603~A-3622)。
- 1940年11月(25輌)~12月(55輌):計80輌。新型砲塔搭載型(シリアル番号 A-3718、A-3720~A-3727、A-3731~A-3739、B-9601~B-9604、B-9607~9610、 B-9629~B-9631、B-9633~B-968)。
- 1941年5月(60輌)~6月(40輌):計100輌。新型砲塔搭載型、追加生産分(シリアル番号 B-4662~B-4761)
この辺がまたちょっとよく判らないところで、Wydawnictwo Militariaによれば試作車輛は「U-0」から始まっている。Tankogradによると、40年春に作られた試作車輛は、U-0、U-1、U-3、U-4の4輌となっている(U-2はKV-1)。これらとは別に、新砲塔搭載のプロトタイプの「U-7」というのがあるが、これは、テストベッドとしてキーロフ工場に残されていたKV-1試作車の改装らしい。実際、写真を見ても車体はだいぶ古い特徴を残している。この際にU-7から降ろされた試作型KV-1の(後部が丸い)砲塔は、通常の1940年型車体に載せて使われたらしい(確か新しい車体に古い砲塔を載せた写真があったはず)。
まあ、模型を作るうえでは正確に何輌だったとかシリアルが何番だったかというのは、普通、それほど重要ではなく、生産の流れについては
- KV-2は全部で200輌程度生産された。
- 7角砲塔の初期型は、従来言われていたような数輌のみでなく、どうやら20輌くらい生産されたらしい。
- 新砲塔搭載の主量産型は、40年末と41年晩春の2期に分けて生産されている。
- 生産工場であるキーロフ工場(キーロフスキー工場)がチェリャビンスクに疎開する1941年秋以前に生産が終了しているので、KV-2は全車、レニングラード・キーロフ工場(LKZ)製。
くらいのことが判っていればよい(と思う)。
●生産時期別の仕様の特徴
▼試作車~初期生産型(仮に第1シリーズと呼称)
7角形砲塔(MT-1砲塔)を搭載。試作車が作られた時期は、KV-1もまだ試作段階。初期生産型の40年7月~8月は、KV-1はL-11搭載のいわゆる「1939年型」の生産の前半くらいなので、車体の特徴もそれに準じている。
転輪は緩衝ゴム内蔵型の中でも初期のもので、内蔵ゴムが覗く小穴が8つのタイプ(標準型は6穴)。ゴム抑え板のリブがないものを使っている例が多い気がする。ゴムリムありの上部転輪は小リブ付きが標準? 履帯は、試作車では(あるいは生産車の一部も)SMK時代からの650mm幅のものが混じっているようだ。
車体前端の装甲板接合用のアングル材は、埋め込みボルト数が後のタイプよりもやけに数が多くて17本。
エンジンデッキの固定は尖頭ボルト。後端の丸めた装甲の頂部は、KV-1 1939年型同様に面取りされている。ラジエーターグリル前端は平たくつぶれておらず、前から後ろまでカマボコ型。KV-1の場合は1939年型でも先端がつぶれている(さらに初期は内側に開口部のあるダクトが付いている)ようなので、この形状のグリルはKV-2初期型のみの特徴か。
主砲は後の新砲塔(MT-2)搭載型と違って、砲口部に一段盛り上がったリングがない。ただし、スリーブ固定用?の、前端部の4方向のネジ穴?は、この時期から存在しているようだ。MT-2砲塔型と同じ位置に砲身スリーブの分割線があるかどうかは、鮮明な写真が手元になくてよく判らない。
なお、最初の試作車(U-0)は、車体ハッチの形状が違う、車体後端ディテールが違う、車体前端アングル材の埋め込みボルトが出っ張っていて明瞭など、だいぶ細部に差がある。以降の試作車も、U-1は砲塔ビジョンスリットとピストルポートの位置が開け直されていたり、U-3は当初、工具箱がフェンダーと一体化した「飛行機の翼」フェンダーを付けていたり(後に通常仕様に改修されたらしい)、砲塔手すり位置が1輌ごとに微妙に違ったりと、それぞれ少しずつ異なっている。
▼主量産型(第2シリーズ)
形状が大きく手直しされ、面構成も簡略化、やや小型・軽量となった新型砲塔(MT-2)を搭載して生産されたシリーズ。生産時期は1940年末(11~12月)で、KV-1ではL-11搭載の1939年型の生産最終フェイズにあたり、すでに車体の仕様は1940年型とほぼ同様で、車体前面に機銃が装備されるようになっている。KV-2の車体もこれに準じる。
車体前端の装甲板接合用のアングル材の埋め込みボルトは11本に減少。エンジンデッキ上のラジエーターグリルは、この型より、KV-1同様に最前部が平らにつぶれた形状になる。後端の丸い装甲の頂部の面取りも、最初からなくなっているのではと思う。
転輪は標準型の緩衝ゴム内蔵転輪に変更。履帯も標準の700mmワンピースタイプのみが使われている。上部転輪ははっきりディテールが判る写真が少ないが、「Тяжелые танки КВ-1(重戦車KV-1)」のKV-1のディテール変遷の解説を見ると、この時期まではまだリブ付きだったような感じ。ただし、下記の初期仕様のMT-2砲塔を載せていても、「これ、リブ無し上部転輪じゃないかなあ……」みたいな写真もあって、ちょっとあやふや。
U-7に搭載されたMT-2の試作砲塔では、砲塔前面に、砲耳バルジの位置決め用の両側のリブがなかったが、量産型ではすべて付いている模様。また試作砲塔では砲塔後面の機銃マウントがなかったが(一応、当初から付けられる予定だったらしく、その位置に丸い窪みはある)、量産型砲塔では全車機銃マウントがある、と思う。
搭載された主砲には若干のディテール変化があり、砲口部に「たが」状に段が付く。また、砲身は実際には外側に保護スリーブ?がかぶせられていて、途中2カ所にその分割線がある。
一部不確かな点もあるが、翌年晩春の第3シリーズと比べると、以下のような違いがある。一部は不確かで、また、この第2シリーズの生産途中で変更されたものもあるかも。
MT-2砲塔の装甲板接合方法の違い。おそらく前後面とも、補強用の埋め込みボルトが使われていない(少なくとも表に見えていない)。また、前面装甲板は後期型同様、砲塔側部に小口が見えているが、砲塔後面はエッジに溶接ラインがあり、小口は見えていない。
主砲の駐退機カバーが、後のタイプと比べやや「痩せて」いるらしく、その外側にあるボルトのための逃げ溝がない。これに関しては、写真のコントラストによって、有無がよく判らない場合も多いが、向かって右側(車輌からすれば左側)の最上部のボルトが、駐退機カバーのラインより内側に食い込んでいるか、外側に出ているかも見分けの助けになる(実際にはこれも結構見え方が微妙だが)。
砲塔ペリスコープカバーの違い。カバー接合用のベロがなく、裾部分でダイレクトに砲塔上面に溶接されている。なお、車体前部、ドライバー用ペリスコープカバーは、後の型になっても一貫してベロがない。
エンジンデッキの固定ボルトは尖頭タイプ?
フェンダー上の工具箱は、MT-1砲塔搭載型同様、左に2つ、右に1つ。初期型の、両側にベロがかぶさらないタイプが標準。牽引用ワイヤーロープの両端も、MT-1搭載型と同じく編み込み型。
割と有名な、ドイツ軍作成の対戦車教材フィルムに登場するKV-2がこの主生産型初期ロットのもので、砲塔ディテールが確認できる。また、有名なIII/IV号戦車のキューポラを増設したKV-2も初期ロットのもので、後期ロットのキットをベースにしてしまったトラペの製品は、正確を期すなら若干の改造を要する。
▼主量産型(第3シリーズ)
新型砲塔(MT-2)を搭載し、前ロットから数カ月の間を開けて改めて生産されたもの。1941年5~6月は、KV-1で言うと、主砲がF-32に変わった、いわゆる「1940年型」の初期にあたり、増加装甲付きの「1940年型エクラナミ」がそろそろ生産されるかな?まだかな?くらいの時期。したがって、エクラナミの生産途中から導入された、緩衝ゴム内蔵転輪の中期以降のバリエーション、穴無しリムや小リブ付きリムはKV-2では確認できず、すべて標準タイプの転輪が使われている。上部転輪はおそらくリブ無しが標準。
エンジンデッキ上のボルトは、なにぶんにもエンジンデッキをクローズアップで鮮明に写した写真が少ないが、はっきり確認できる例では尖頭ボルト。ただし同時期のKV-1から類推するに、尖頭ボルトもあり、平頭ボルトもあり、という感じではないかと思う(エクラナミ以前と思われるKV-1で平頭ボルトの仕様が確認でき(例えば「グランドパワー」97/10のp29上)、一方でエクラナミでも尖頭ボルトを使っているように見える写真(同p35)、エクラナミ以後の生産車で尖頭ボルトを使っている例(同p42上)もある)。
フェンダー上の工具箱は、両サイドのベロ付き、左に1つ、右に2つが標準。牽引用ワイヤー両端は鋳造(?)のもの。ちなみに初期の編み込みタイプはフェンダーステイの三角穴を通し、鋳造タイプは穴を通らないのでステイの上を這わせて搭載する。
MT-2砲塔には若干の手直しが入り、砲塔前面、後面に接合補助用の埋め込みボルトが確認できるようになる。砲塔後面も、前面同様に装甲板の小口が側面に出る形に変更。またペリスコープカバーは(車体前方のものも含め)ベロ付きに変更。
主砲は駐退機カバーの両側に、ボルトアクセスのための逃げ溝(右1カ所、左2カ所)が設けられる。見た目ではわかりにくいが、おそらく駐退機カバーがやや膨らみが増したのだと思う。
さて、ここから先がちょっと謎含みな感じなのだが、おそらく最末期に生産された一部車輌のみの特徴として、砲塔リングガード、車体ハッチの跳弾リブ、戦闘室側面の増加装甲、フェンダー上の角型増加燃料タンクなどが追加された例が確認できる。たとえば角型燃料タンクと車体ハッチの跳弾リブはこの写真などが判りやすい。戦闘室側面増加装甲はこれ(角型燃料タンクと車体ハッチの跳弾リブもあり)やこれ。楔形のターレットリングガード(と側面の増加装甲のセット)は、ちょっと不鮮明だがこれ(すべて「Тяжелые танки КВ-1(重戦車KV-1)」より)。
これが不思議なのは、いずれも、KV-1ではエクラナミの後期やその後の1940年型後期型で導入された(つまりKV-2の生産終了後に導入された)と思われる特徴であること。「もしかしたらKV-1の40年型後期型の車体にKV-2の砲塔を載せたハイブリッド?」などと考えたこともあったのだが、その場合、戦闘室前面/シャーシ前面の増加装甲がないことが矛盾する(KV-1の1940年型の後期型ではそれが標準で装着されている)。あるいは、KV-2の残存車輛に、KV-1のちょっと新しいタイプに準じたアップデートを(デポあたりで)施した車輛なのかもしれない。
……と、つらつら書いてきたが、どうにも文章ばかりでは判りにくいので、改めて模型写真と対応させてディテール説明を書こうかと思う(最初からそうしろよ的な)。
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コメント
おお、KV-2 予習記事の掲載、助かります。maniacsは久しく読めなくなっているからこれは嬉しい。
タミヤの初代KV-2は砲塔の鋳造肌にこっそり「田中角栄」と掘り込んであるのが知る人ぞ知る伝説になってますが、2代目KV-2にはどんなイタズラが仕込んであるんでしょうね。
フィギュアの顔がどことなく田中角栄に似てる..と思いきや、エリツィン似との噂が。
投稿: hn-nh@ミカンセーキ | 2021年12月29日 (水) 23時38分
「おさらい」第2回目もUPしました。
「あれ。ここってどうなってたんだっけ」と思うたび、ほとんどその答えが曖昧にしか判らなくて、非常にもどかしいです。
>>2代目KV-2にはどんなイタズラが
「安倍晋三」と書かれていないことを祈るばかりです。
投稿: かば◎ | 2021年12月30日 (木) 19時55分
田中角栄はマジっすか?
投稿: | 2022年1月 4日 (火) 13時59分
無記名で送信してしまいました!
「田中角栄はマジっすか?」を送った犯人は私です!
投稿: 屋根裏戦車隊 | 2022年1月 4日 (火) 14時01分
>屋根裏戦車隊さん
正確に言うと、「田中角…」までなんですが、「これってたぶん、わざと書きこんでるなあ……」と思うくらいには、ちゃんと漢字に見えます。
今手元に旧KV-2の砲塔がパッと出てこないので写真は載せられませんが、割と有名な話なので、「タミヤ KV-2 田中角栄」で検索すれば複数ヒットします。
金型屋さんのイタズラかなあ。
投稿: かば◎ | 2022年1月 4日 (火) 14時26分
全く知らなかったのでかなろビビりました。
会長のカミナリとか、その後の仕事の心配とか
なかったんでしょうか。
いや。いろいろ驚きです。
ありがとうございました。
というか。
明けましておめでとうございます。
投稿: 屋根裏戦車隊 | 2022年1月 6日 (木) 19時08分
>屋根裏戦車隊さん
写真、見られましたか?(笑)
こちらこそ、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。
投稿: かば◎ | 2022年1月 6日 (木) 22時50分