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溝ノ口高射砲陣地(1)

●hn-nhさんがブログ「ミカンセーキ」を更新されていて、日米開戦の日(12月8日)の更新というのも意図したのかどうか、久々の高射砲陣地ネタ。

今回は「3月8日の月島」と題して、1945年の東京大空襲直前の隅田川河口の埋め立て地一帯の様子(米軍による空撮写真)と、そこにあった対空陣地についてレポートしている。

Kawasaki もちろんこの記事自体興味深いのでぜひ各々読んで頂きたいのだが、それと併せて、「おおお?」と思ったのが、都心一帯の対空陣地配置図。多摩川を越えて、川崎・横浜あたりまで含まれていて、その中に「溝口」の文字が。

もともと私は物心付くか付かないかの頃に現・高津区の下作延に引っ越して、今でも実家はそこにある。が、今までそのあたりにも砲台跡があるとは知らなかった(もちろん、“帝都”防衛のため、その周縁部に対空陣地があるのは全然不思議ではないのだが)。

問題の画像(本土地上防空作戦記録:関東地区_S26.7 復員局作成)を頂いたので、川崎を中心に切り抜いて掲示しておく。左上から右下にうねうねと引かれている線が東京と神奈川の境である多摩川。中央あたり、多摩川の南岸に「溝口(溝ノ口)」の文字があり、その南側・西側に「馬絹」「土橋」の文字もある。馬絹は、現在の地区名で言うと田園都市線の宮崎台駅の南方(昔はもっと広範囲を指していた可能性がある)。土橋は宮前平駅から鷺沼駅にかけての線路北側。ちなみに私の実家は、「溝口」と「馬絹」の中間あたりにある。

いくつかの地名ごとに周りが囲われているのは等高線などではなく、管轄の部隊を示しているらしく、「溝口/馬絹/土橋」のカコミには15(あるいは18?)/112AAと書かれているようだ。配置図の付表によれば、管轄の部隊は陸軍高射第一師団の高射砲第112連隊。3陣地の管轄と配備は、

馬絹:第二大隊本部、同第10中隊 -- (三式)十二糎高射砲×6門
溝ノ口:(第二大隊)第9中隊 -- (九九式)八糎高射砲×6門
土橋:(第三大隊)第15中隊 -- 一式照空灯×1基、九三式照空灯×5基

先の配置図内の112AAは「112th Anti-Airclaft (Regiment)」を示すのはいいとして、その前の15(または18)が謎だが、単純に「全部で15(または18)中隊あるでー」という意味かもしれない。

●手始めに溝ノ口陣地を探してみる。

「溝ノ口」とはいっても、現在の溝の口(東急)/武蔵溝ノ口(JR)駅前の低地ではなく、それを見下ろす高台にあったであろうことなんとなく想像できる。そこから先は、終戦直後の米軍の航空写真をローラー作戦で眺めて探してもいいのだが、ちょっと効率が悪い。

安直ではあるが、まずは「溝ノ口 高射砲」で検索してヒントが見つからないか試してみたところ、運よく「神奈川県全域・東京多摩地域の地域情報紙 タウンニュース高津区版」、「高津物語 連載第八二六回」に、ちょろっと触れられていた。

 その昔、旧亀屋十字路角から溝口神社脇を通り、神社の後田から宗隆寺へ通じる道は、車も通れない狭い田圃の畦道だった。

 「昭和十六年(一九四一)神社後田一帯の耕地整理によって、現在の様な道路幅に拡張された」と『思い出のまちかど』(上田恒三著)に書かれている。溝口交差点(旧亀屋交差点)を曲って、二四六方面に進む道路のことを言っているのだが、指摘のように狭く細い道であるが、昭和十六年になぜ拡張されのか?拡張されなければならならなかった理由は何だったのか?全ては七面山高射砲陣地化の故だ。

「七面山」とは、調べてみると津田山の旧称(というか本名?)であることが分かった。引用文中にある「旧亀屋十字路」は溝の口駅北側、「溝口駅入口」交差点のことで、宗隆寺には私が通った幼稚園がある。そこがいわゆる「砲台道」だったとすると、そこから山に上った辺りに陣地があるはずで、それを手掛かりに写真をチェックすると、比較的容易に見つけることができた。

1948_usam38864l

1947年8月1日・米軍撮影、USA-M388-64から切り出した(国土地理院、地図・空中写真閲覧サービスによる)。もっとも、「津田山(七面山)の上にある」こと自体は合っているが、上の引用にある旧亀屋十字路から溝口神社/宗隆寺方向への道は、山の北麓を通る。実際には陣地へは南麓から上がるようになっているようだ(北麓からは、付近に上がる道自体がない気がする)。上の記述は陣地を見つけるヒントにはなったが、「旧亀屋十字路から溝口神社/宗隆寺方向への道」が拡幅されたのは、高射砲陣地とは無関係のように思える。

とりあえず、上の写真で陣地の立地・位置や形状について考察してみる。

七面山(津田山)自体は、溝ノ口市街地からは北西に位置する、北西-南東に伸びる舟型の山で、山の北側は府中街道(神奈川県道9号川崎府中線)、南側はJR南武線と南武沿線道路が通る。川崎市を縦に貫く幹線道路2本に挟まれた形、ということになる。もともとの名前は七面山だが、玉川電気鉄道(玉電、現在の田園都市線の渋谷・溝の口間の前身)の社長を1928年まで務めた津田興二が開発を手掛け、「津田山」と呼ばれるようになった由。「津田山」はJR南武線の駅名にもなっているので、私も子供の時から「津田山」とだけ認識していて、七面山の名前は今回調べる過程で知った。

高射砲陣地はその南東側1/3くらいの尾根上にある。砲座は6つで、現在もほぼ同じ位置にある「尾根道」の南側に、ほぼ真西を向いた円弧状に配置されている。前記資料によれば配備されていたのは八糎高射砲6門。九九式八糎高射砲は中国戦線で鹵獲したクルップ製88mm砲(有名な「アハト・アハト」のFlaK18系列ではなく、海軍用のSK C/30)をコピーしたもの。

砲座の掩体は、円弧の中心方向に出入り口が設けられているらしい。また、2基ずつ組になって、掩体間の連絡路も設けられているように見える(特に中央の2基で顕著)。披露山の「小坪高角砲台」のコンクリート製砲座は1基の直径が12mだが、こちらはそれより小さいようだ。もっとも小坪高角砲台は12.7cm連装、こちらは8.8cm単装なので、据えられた砲のボリューム自体がだいぶ違う。

山の上下に串を刺したように(上中央から左下へ)溝が見えるが、これは、多摩川の支流である平瀬川(流下方向は左下から上)。もともとは山の南側を流れ、現在の溝の口駅付近を通って多摩川に流れ込んでいたが、付近でしばしば氾濫したとかで、第二次大戦中に大工事をして、津田山の下を潜ってもっと上流側で多摩川に合流するようにしたもの。山の北側、その平瀬川のすぐ脇にある「◎」印は、以前に当「かばぶ」でも取り上げたことがある、1941年に竣工した久地円筒分水。ちなみに久地円筒分水の直径は16mなので、砲陣地や砲座の大きさを想像する目安にもなる。

●現在は、この高射砲陣地があった場所よりもやや東側で、津田山は国道246号の大規模な切通でバッサリと刻まれている。また、山の上もすっかり宅地化されてしまい、高射砲陣地の痕跡はおそらく何も残っていない。とはいえ、この写真に写っている南麓からの道と尾根道はあまり変わっておらず、「円筒分水を見下ろす場所で、平瀬川のトンネル手前あたり」(住宅に遮られてうまく視認できない可能性はあるものの)という手掛かりで、おおよその場所くらいは特定できそう。

というわけで、川崎の実家に行くついでに、ちょっと探索に出掛けてみることにする。

(続く)

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コメント

 最近たまーに仕事で小坪の別荘地に行くこともあるKWATです。おひさ。

 ウチの近所、宮崎中学校や虎の門病院分院の辺りが1942年以降に歩兵第101連隊の司令部となった場所で、近傍の宮崎大塚古墳には高射砲陣地を作る予定だったがその直前に終戦になった由。宮崎台のあたりから菅生のほうまでは広大な溝の口演習場で、その境界を示す陸軍標はウチの裏山でもいくつか現存してるぞよ。馬絹の高射砲陣地ってのはどこにあったんだろうねぇ。馬絹神社のあたりかね。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~slycrow/myweb/miyazakidaifr.htm
https://www.townnews.co.jp/0201/2021/12/03/602896.html

投稿: KWAT | 2021年12月14日 (火) 01時27分

>くわっちん

宮崎中学校に歩兵連隊の司令部が、それから坂上の生活環境事業所のところにいは被覆廠とかがあったようですね。

陸軍石標も残ってるのかあ……。今度探してみよう。

「馬絹の高射砲陣地」も、実は津田山の後に書くつもりでいたんですが、今の地域名としての「馬絹」とは違って、宮崎台駅の北側(OKストアの裏手の丘の上)あたりにあったようです(住所で言うと、宮前平2丁目とか3丁目とかのあたり)。

投稿: かば◎ | 2021年12月14日 (火) 10時12分

みどりの松の七面山 小鳥もたのしく歌ってる♪ って覚えてない?

投稿: ばお | 2021年12月18日 (土) 17時13分

>ばお

久しぶり!

えええっ。覚えてない!(笑)
早速検索してみました。
「高津幼稚園」園歌! よく覚えてるなあ。

ちなみに、「高津小学校」校歌はかろうじて(歌詞を見たら)思い出しました。
それよりももっと頭に染みついているのは、
「手品や~るある、みな来るよろし~♪」です。

投稿: かば◎ | 2021年12月18日 (土) 20時38分

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