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四一式山砲(完成)

●だらだらと製作記を重ねるものの、いつまで経っても完成しない/そのうちフェイドアウト、というのが私の模型製作の常態だが、ソミュアMCG5完成の余勢を駆って、長年、とりあえず迷彩塗装だけして放り出してあった、ファインモールドの1:35、「四一式山砲(山砲兵)」を完成させた。

製作記事それ自体は、2013年の12月にちょろっと書いただけ。もっとも大胆なディテールアップ等はしていないので、そもそもあまり書くこともない。

一週間前の状態(前回記事)からは、若干ウェザリング(墨入れとウェザリングマスターのハイライト)を足しているのだが、正直言って大した変化はない。……が、これ以上やっても単に薄汚さが増すだけのような気がしたので、これで完成ということにする。

●あっちこっちの角度からの完成写真。

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●口径は75mmだが、山砲として分解運搬なども考え小型軽量に作ってあり、模型としても全長10cm弱、幅は4cm強のちんまりとしたもの。明治末期に制式化された砲なので、構造もあちこちに古風な部分もあり、組んでいて結構楽しかった(といっても、組んだのは何年も前だが)。

前回書いたように、妙な迷彩は中華民国軍所属という設定のため。

2013年春に書いたキット紹介からの丸々コピーだが、

「抗戰時期陸軍武器装備 野戰砲兵篇」によれば、中国ではこの砲は非常に好まれ、そのため国内数箇所の工場でコピー生産も行われた。

漢陽兵工廠(現・湖北省武漢市):民国10年(1921年)に開発もしくは生産開始され、「漢十年式75山砲」と呼ばれる。

太原兵工廠(現・山西省太原市):民国13年(1924年)に開発もしくは生産開始され、「晉造一三式」と呼ばれる。

瀋陽兵工廠(現・遼寧省瀋陽市):民国14年(1925年)に開発もしくは生産開始され、「遼一四式」と呼ばれる。

これは生産拠点を複数設けて大量生産を行ったというよりも、当時の状況で言えば、太原兵工廠は閻錫山、瀋陽兵工廠は奉天軍閥の影響下にあり、要するに、中央と有力軍閥がそれぞれ勝手に生産したということらしい。というわけで、(呼び分けるのも面倒臭いので)四一式山砲は中央軍で使われただけでなく、晋綏軍(山西省、綏遠省を地盤とした閻錫山率いる軍)、東北軍では野戦砲兵の主力として使われた。

実戦では、1933年の熱河戦はじめ、日中本格開戦後の太原会戦(日本側呼称は太原作戦)などでも大量に使用された。この間、中央軍では、装備の統一も意図して、ボフォース75mmM1930山砲を標準装備と定めて導入を進めていたが、まだ一部の部隊では四一式山砲を使用していたらしい。

この迷彩自体、「抗戰時期陸軍武器装備 野戰砲兵篇」に出ていた不鮮明な写真の1枚を参考にしたもの。当然ながらモノクロ写真なので、使用されていた迷彩色がこの系統の色でよいのかどうかはまったく不明。

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コメント

私もこのキット買ってどこかにあるはずなんですが・・・
これを駄載するときに、
砲身を積む馬が「砲身馬」っていって、一番のエースだって話を読んで
ちょっと馬も作りたくなるわけですが、
私も思うだけや作りかけてフェードアウトってのは結構あります・・・
そのうちパーツがどこかいってごみになってしまうという・・・

投稿: みやまえ | 2021年7月12日 (月) 19時36分

>みやまえさん

>>そのうちパーツがどこかいってごみになってしまうという・・・

モデラー「あるある」ですね。
結構お高めのレジンキットとかなのに、作っている途中の本体と残るパーツ群が生き別れになってしまって、どうにもならなくなっているのもあったりして、泣きそうになります。

投稿: かば◎ | 2021年7月12日 (月) 20時44分

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