帰ってきたトラマルハナバチ
写真は24日の鎌倉湾越しの夕空。
海上、左端に見える船は、このところ、オリンピック警備のためか停泊している海上保安庁の巡視船。
それにしても、本当にオリンピック始まっちゃったよ……。
●18日、1回目のワクチン接種に行ってきた。
横浜市に住民票がある兄は、ちょっと前に案内は来たものの予約は取れない、地域の民間接種場所も極端に少ないなどでずいぶんバタバタした挙句、仕事関係の職域接種で何とか打てたのに対して、逗子市は(小規模な自治体だからということもあるだろうが)案内が来たその日にネットで集団接種会場の予約も取れた。
ちなみに兄の職域接種は、兄の勤める会社ではなく、その大手取引先が、関係するあちこちの会社まるごと、その家族まで含めて接種を請け負うという大盤振る舞いだったとか。それはそれでスゴイ。
接種した日の晩から翌日に掛けて若干痛みはあったが、先日来、元から五十肩っぽく痛かったので、どこからどこまでが副反応の痛みだったのかはっきりせず。もっとも、2回目も済ませた人の話を聞くと、2回目のほうが副反応が重く、痛みが長引いたり熱が出たりすることが多いようだ。
それはそれとして、なぜコロナワクチンの場合だけ、従来のように「副作用」と言わずに「副反応」と言うのだろうか?
と思って調べてみたら、広く治療や医薬品で目的とした結果(作用)以外の結果が出るのが「副作用」で、そのうちワクチン由来で起きるもののみを指す言葉が「副反応」なのだそうだ。「副作用」というと怖がる人がたくさんいるので、言葉を変えてやや印象を和らげようとしているのではないだろうか、なんて深読みしかけていた。
●逗子に、トラマルハナバチが戻ってきた!
もともと、逗子近辺には2種のマルハナバチ(コマルハナバチとトラマルハナバチ)がいるのだが、そのうち、トラマルハナバチが数年前から姿を消してしまっていた。その前年までは当たり前に、ごくありふれて目にしていたのに、いきなりぱったりといなくなってしまっていたのだ。
もう片方のコマルハナバチはその間も、毎年普通に発生しているのだが、こちらは春にしか活動しないので、その時季に咲く花以外は恩恵を受けられない。トラマルハナバチが消えてしまったことで、秋遅くまで活動するポリネーター(花粉仲介者)の重要な一角が崩れてしまったことになる。
2年程前だったか、逗子市境に近い「鎌倉市子ども自然ふれあいの森」でアベリアの花に来ていたのを見たのが最近の(数少ない)近所での目撃例で、逗子ではこのままトラマルハナバチが絶滅してしまうんじゃないか、とまで思っていた。
ところが今月半ば、小坪の「はげ山」を歩いていたら、ミツバチよりずっと野太い「む”~」という翅音。ムラサキツメクサの花に、久しぶりに黄色の丸っこいヤツが。
その一週間後くらいに、飯島の公園でも見かけた。
今日(31日)は、我が家のすぐ隣の空き地のワルナスビにも来ていた。何しろ忙しいヤツなので、なかなかピンが合わない。
戻ってくれて、じわじわと嬉しい……のは確かだが、こうシレッと何もなかったかのように復活されると、「これまでの数年間はいったい何だったの? オマエら、どこ行ってたの?」と問い詰めたくなるような。
(追記)あまりにピンボケ写真ばかりだったので、リベンジで夕方、「はげ山」にトラマルハナバチを求めて行ってきた。ムラサキツメクサの花はもうほとんど終わりだったので、なかなか見つけられなかったが、なんとか2匹(昆虫マニアを気取って言えば2頭)いるのを見つけて撮影。今度こそ割と鮮明に撮れた。
●25日夕。いかにも軍用機なジェット機の飛行音がして空を見上げると、間隔を空けて少なくとも3機、明らかにA-10サンダーボルトIIの機影が南から北に飛んで行った。
「ええっ? 日本にA-10なんているの!?」と思ったのだが、後から調べてみると、韓国に配備されているA-10が5機、横田に来ているらしい。
26日午前。今度はV-22オスプレイが1機、南東に向けて飛んで行った。木更津に行くのかな?
●市立図書館で、NHKスペシャル取材班編「戦慄の記録 インパール」を借りて読む。
以前にも書いたように、亡父はインパール戦の生き残りだが、断片的な経験談を聞いたのみなので、その背景としての作戦の概要はきちんとおさらいしたいと常々思っていて、そのための一冊。
内容は、NHKスペシャルのインパール(考えてみれば録画しただけでしっかり観ていない)の取材を、番組で取り上げられなかった部分も含め単行本として再構成したもの。基本、作戦の詳細やその進行、戦況などについては詳しくなく、ざっと話の「経糸」としてあるだけで、その中で「関わった個人」の記録(記憶)をつづり合わせていく形式。
証言の生々しさはあるが、作戦立案の杜撰さや悲惨さについて、目からウロコ的新事実といったようなものはほとんどないが、父の話のアレはこういうことだったのか的に補完できたところもあり。戦後、牟田口が「あの作戦は正しかった」との主張にころりと変わった経緯に関してはほとほと呆れる。
番組のエンディングには「そう言えば死体には、兵、軍属が多く、将校、下士官は案外に少ない」という、取材対象の一人の当時の日記の一文を据えたというが、これは(敗走中、濁流のチンドウィン川を越える際に)「俺は将校だったからいかだに乗せてもらえた、兵隊だったら帰って来られなかった」という父の言葉とも重なる。
ただし、「ひどかった」「杜撰だった」は判るものの、結局のところ、作戦決行・遂行の過程での「なんでそこでそうなる!?」というツッコミどころが次々と重なっていくだけで、「なんで」そのものがすっきりと解き明かされることは(たぶんこの先も)ないので、非常にモヤモヤする。
読後、「牟田口は~行きたがるが~、遥かな世界~」とか「インパール、インパール、they say it was in India」とかボンヤリ歌う(←ばか)。
細かい話。序章、8ページに「日本軍が遺したとみられるキャタピラー」とキャプションがついた写真が掲載されているが、明らかにイギリスのビッカース系のもの。Mk.VI軽戦車あたり、というのも考えられなくはないが、おそらくはキャリアのものだと思われる。もっとも、日本軍も鹵獲したキャリアを使っている例があるので、「日本軍が遺した」は100%誤りとは言い切れない。
●新型コロナはいよいよ猖獗を極めていて、連日のように各地で感染者数の最大値が更新されている(いや、この先もっと増えそうなことを考えれば、まだ全然猖獗を『極めて』いないのか)。
そんな折ではあるけれど、26日、某国立研究機関に用事があって、県境をまたいで出掛ける。行き帰りに渋谷を通るが、外出自粛を呼び掛けているとは思えない人出だった。帰りに下北沢のサニーに寄って(他人の出歩きをとやかく言えない)、CAMsのフィンランド・ビッカースを購入。ううううう。高いよう。中身のチェック等々は、そのうちまた機会を改めて。
さて、外出(特に県境をまたいでの移動)の自粛要請に関してもうひとつ。
毎年この時期のお決まりの仕事の中で使用するため、霞が関の某官庁に資料コピーに出掛けないといけない……「全国」でまとめてしまった数字はサイトで公開されているものの、都道府県別の細かいデータは閲覧申請をして紙データで見せてもらう必要があったためで、「ウェブ上で閲覧・DL出来るようにしておいてくれよぅ」と常々思っていた。
結局今年もわざわざそのために行くことになるんだろうな、電話で確認するときに、ダメ元で「ファックスとか、スキャンデータをメールで送るとか、お願いできませんか?」と頼んでみようかな、などと思っていたのだが……。念のために某庁サイトを漁っていたら、なんと!昨年末に当該テーマの特設サイトが開設されていて、そこで都道府県データも閲覧できるようになっていた。いやっふぅ! わざわざ数枚のコピーのために県境を越えずに済んだ!!
●6月末で「SUMICON2021」が終わったばかりだが、続けて、8月1日から、タミヤIV号発売記念のSUMICON特別版「タミヤフェス2021」開催予定。KVだと泥沼化して、「タミヤのキットを楽しんで作る」趣旨から外れてしまいそうな気がしたので、ルノーR35でエントリー。
今回もお手付き参加可。私のR35の「スタート前夜」の状態はこんな感じ。車体の箱組、砲塔の貼り合せ、バラ売りで買ってきたホビーボスの尾橇の(おおよその)組立は終わっている。
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