観音崎
●仕事が途切れて暇なので(経済的には結構ヤバイ)、25日木曜日、ふらふらと観音崎まで出掛ける。
実を言うと、20年以上も付け根とはいえ三浦半島の住民として暮らしていながら、いわば「地元の名所」である観音崎には行ったことがなかった。もっとも今回も、「よし、今日こそ観音崎へ行こう」などと気合を入れて出掛けたわけではなく、実際には岬のすぐ近くにある横須賀美術館に「飛行機と美術」展(2月6日~4月11日)を観るつもりで行ったのだが、直前まで行って美術館はヤメにして、岬だけ散歩してきたもの。
おかげで、しとしと雨が降って見晴らしも悪いし歩き回るにも面倒なコンディションの下、何が見られるかの下調べも不十分なままでの観音崎初訪問になってしまった。そのうち、天気の良いときにまた行きたい……。
観音崎は、東京湾の入り口近く、富津の砂州との間で東京湾が最も狭まった、いわば「門」にあたる。
日本初の西洋式灯台である観音崎灯台が1869年(明治2年)に建てられただけでなく、東京湾防衛のため、明治10年代以降、陸軍によって要塞化され、いくつもの砲台が設置されている。いわば門柱に組み込まれた守衛所ですな。
●観音崎バス停から海沿いの遊歩道を歩く。
左はバス停のある広場からすぐの入り江(観音崎海水浴場)に突き出た、何やら古い構造物。さらにその先の海上にテーブル状の構造物。例によって国土地理院の「地図・空中写真閲覧サービス」で戦後すぐの米軍の空撮写真を見ると、手前の円形部分から、海上のテーブルまで橋が架かったようになっている。小型船用の小さな桟橋だったらしい。
右は海食崖に開いた岩窟で、手前の小さな祠には観音様が祀ってある。この岩窟に、天平の昔(8世紀)、行基が十一面観音菩薩を祀ったのが「観音崎」の名の由来だという(もちろん、今ある観音様は行基の祀ったものではない)。
遊歩道の途中から、灯台へのジグザグの上り道がある。その最初の曲がり角に、陸軍石標と、「観音崎燈臺所轄地」と書かれた横倒しの石標。
再び遊歩道に降りて海沿いを進む。磯に、何やら不思議な形をしたコンクリートの構造物が転がっている。帰宅後調べてみたら、関東大震災で倒壊した2代目の観音崎灯台の残骸だそうだ(現在の灯台は三代目)。
さらに岬の突端に、これまた謎のコンクリートの小屋のようなもの。これは、1930年代になってから作られた、東京湾に侵入する潜水艦に備えた固定式ソナー施設の聴測所である由。右写真は、後述のトンネルを抜けた先、観音崎自然博物館手前の展望園地から振り返る形で撮ったもの。
岬の先端部は海上自衛隊の施設敷地だとかで立ち入りできず、したがって、上記の聴測所も近付いて撮影することはできない。そんな立ち入り禁止の敷地内の向こうに、何やら石碑が立っている。
これまた後から調べてみると、この目の前の浦賀水道で、1988年に発生した海自の潜水艦「なだしお」と、釣魚船「第一富士丸」の衝突事故の慰霊碑であるらしい。そんな慰霊碑を、一般に立ち入りできないような場所に建てて、近くに何の案内も説明もないというのは(特別の作為はないとしても)ちょっと如何なものかと思う。
上の柵を過ぎたところで遊歩道はちょっと陸側に折れ、岬の最も出っ張った部分は隧道で通り抜ける形になる。隧道の手前には何やらコンクリートの構造物(弾薬置き場?)があり、この遊歩道と隧道も、もともと要塞(砲台)関連のものであったらいいことを感じさせる(隧道内にも横穴をふさいだ跡がある。
隧道自体は素掘りで、内面は傾斜した地層の縞模様が顕著。ご近所の鎌倉近辺にもこの手の素掘りの小トンネルは多いが、それらと比べても素敵度が高い。
上の隧道を抜けた先にある展望園地/観音崎自然博物館まで行って折り返し、今度は岬の上に上って灯台を目指す。後で調べたところによると、展望園地も旧砲台跡(南門砲台)とのことだが、現在は「地形的にそれっぽい」というだけで、遺構の類は何も残っていないようだ。ただし、(隧道側から見て)展望園地手前にある道路横の石積みは古いもののようだ。
灯台を目指して坂道を登っていくと、突然目の前に、いかにもな遺構が現れる。観音崎砲台のうち、最初に作られた2つの砲台の1つである第一砲台で、1880年(明治13年)起工、1884年(明治17年)竣工(ただし、起工・竣工年は一緒ながら、起工日は第二砲台の方が若干早かったらしい)。
すり鉢状の披露山の対空砲座などと違い(そもそも建造年代もまったく違うが)、こちらは海に向かって半円形の砲座が左右に並び、その間をレンガの小トンネルが結んでいる。煉瓦は表面が各段とも長短交互になったフランドル積み。現在は塞がれているが、このレンガのトンネルの下に弾薬庫があるらしい。
海に向かって左側の砲座のさらに左、灯台側に進む途中の石壁にも、現在は塞がれた小アーチの入り口がある(最後の写真)。
第一砲台を過ぎてさらに歩くと、これまた縞模様が素敵な小切通抜けたところに、観音崎灯台がある。
灯台に着いたのはちょうど17時頃。もう少し早ければ、灯台に上ることもできたのだが、それを知らずにぐずぐず遠回りをしてしまって間に合わなかった。惜しいことをした。
●本来は、第一砲台と灯台の間に、さらに山側に上る道があり、そちらに行くと第一砲台よりさらに規模が大きい第二砲台があるのだが、おそらく一昨年の台風のせいで道が不通になっていて行けなかった(海岸遊歩道入口あたりから登る道も不通だった)。裏側から回り込むように行くことはできるかもしれない。
また、バス停よりも走水側にある「三軒家砲台」跡も多くの遺構が残っており見応えがあるらしい。
今回は「予習」ということで、近々また出掛けてみたい。
●ちなみに、公園の案内図はこちら(神奈川県立観音崎公園「みどころMAP」)。
砲台等に関する情報は、いつもの通りサイト「東京湾要塞」さん(特に同サイトの「観音崎砲台マップ」、「観音崎砲台ガイド」)に大いにお世話になった。
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コメント
関東大震災で崩壊した灯台の残骸が放置されて残ってるって不思議な風景ですね。イタリアのローマ時代の遺跡ならわかるけど、日本だとあまりそういうのないし。
三浦半島の先っちょの剣崎砲台の写真を最近手に入れました。
https://imgur.com/MF7UifD
砲座はまだ残ってるみたいですね。
https://www.google.co.jp/maps/place/%E5%89%B1%E5%B4%8E%E7%A0%B2%E5%8F%B0%E8%B7%A1/@35.151501,139.6789083,225m/data=!3m1!1e3!4m5!3m4!1s0x0:0x273536b9a642d73c!8m2!3d35.1520981!4d139.6789125
投稿: hn-nh | 2021年4月 2日 (金) 23時14分
自然博物館は、この間行ったら庭の水槽でグソクムシ触り放題でした。
幸せスキンシップ楽しみましたよ。
投稿: みやまえ | 2021年4月 3日 (土) 00時08分
>hn-nhさん
おお。これはなかなか素敵。
ここって、10年近く前に海岸からチハが出てきたところの近くですよね。
なんだか他にもコンクリート製の掩体みたいな施設とか、近くにあれこれ残っているそうで、そのうち見に行きたいです。
しかしちょっと遠い(行きづらい)なあ。
投稿: かば◎ | 2021年4月 3日 (土) 00時18分
>みやまえさん
えええっ。それはなかなか楽しい!(と思う人が他にどれくらいいるかは別として)
私が行ったときは、もう閉館時間でした。
やはり、改めていかねば。
投稿: かば◎ | 2021年4月 3日 (土) 11時32分