« 2020年10月 | トップページ | 2020年12月 »

2020年11月

ロレーヌへの道(2)――実車と資料

●タミヤから発売された「ドイツ対戦車自走砲 マーダーI」改め「フランス軍ロレーヌ牽引車」(の改造ベース)に関するあれこれの続き。

●実車(もちろんロレーヌ牽引車のほう)について。自分自身の頭の整理のために。

フランス軍において、もともと装甲部隊の補給用に開発された軽装甲の全装軌車輛。

1934年に出された装甲部隊随伴車輛の開発要求に基づくもので、ロレーヌ社は同時期に開発が進められていた歩兵用補給車輛の拡大版でこの要求に応えた。ちなみに歩兵用補給車輛は、ルノーUE(Chenillette de revitaillemont d'Infantrie modèle 1931 R:歩兵用補給小型装軌車31R)の後継車輛となるものだが、こちらはほとんど変わり映えのしない小改良型のUE2(Chenillette de revitaillemont d'Infantrie modèle 1937 R:歩兵用補給小型装軌車37R)が採用されている。

ロレーヌ社が装甲部隊用に開発したのは、歩兵用補給車輛の延長版で、歩兵用がリーフスプリング懸架の片側2ボギーだったものを片側3ボギーとし、併せて荷台が後方に拡大されている(このため、車幅に対してかなり縦長な車輛になっている)。これは「Tracteur de ravitaillement pour chars modèle 1937 L(TRC 37L:戦車用補給牽引車1937年型L)」として採用されたが、実際は、テストやら改良やらでもたつき、量産開始は1939年頭までずれ込んだらしい。同年9月1日の大戦勃発までに発注452輌中212輌が生産され、その後も1940年末を目途に560輌が追加発注され、40年6月のフランス陥落までに270輌が生産されている。つまり、フランス陥落までに生産されたTRC 37Lは、500輌弱ということになる。

ちなみに正式名称末尾の「L」について、このサイト(もとはロシア語?の機械翻訳)では、最初の短車体のものがロレーヌ37、長車体がロレーヌ37Lであると、なんだか「長い(long/longue)」の頭文字であるかのように書いているが、上記のルノーUE系の正式名称や「軽戦車35H(オチキスH35)」「軽戦車35R(ルノーR35)」などと同様、単純にメーカー名の頭文字のはず。

メーカーのロレーヌは、装甲車輛としてはこの牽引車1種しか作っていないが、機関車メーカーとして19世紀末に創業、その後自動車や航空機エンジンを製造してきた割と老舗のメーカーだそうな。ロレーヌ・ディートリヒ(1928年までの社名、もっとも正式社名はもっと長ったらしい)の航空機エンジンは戦間期のヒット作であるポテーズ25やブレゲー19などに搭載されているので、その辺の飛行機が好きだとちょっと聞き覚えがあるかも。……なんてことを言いつつ、私自身は割と最近になって、ようやく「えっ、ロレーヌ牽引車のロレーヌって、ロレーヌ・ディートリヒのロレーヌだったのか!」と気付いた。というわけで、1940年戦役時、これの他にも数種のソフトスキンの同社製軍用車輛は使われているようだ。なお、ロレーヌ牽引車の搭載エンジンが自社製ではなく、別の自動車メーカーであるドライエ製なのは謎。

TRC 37L用には、ルノーUE同様、専用の装軌式トレーラーが用意されたが、これは通常の物資輸送の他、燃料タンクを搭載した補給車として多用されたらしい。

主要バリエーションとしては、兵員輸送用の「Voiture blindée de chasseurs portés modèle 1938 L(VBCP 38L: 随伴歩兵装甲車1938年型L」があり、これはTRC 37Lの貨物室装甲を上方に延長、箱型の兵員室としたもので、ここに4名が搭乗。これまた装甲を上方に延長した装軌式トレーラーに6名が搭乗、計10名の兵員を輸送する。VBCP 38Lは、240輌が発注され戦争勃発までに9輌が完成、さらにフランス陥落までに140輌が生産されている。

さすがに車輛本体に兵員が4名しか収容できないのはマズイと思ったらしく、さほど間を置かず改良型の「Voiture blindée de chasseurs portés modèle 1939 L(VBCP 38L: 随伴歩兵装甲車1939年型L」が採用されている。VBCP 38Lが、基本、「TRC 37Lの貨物室が背高になっただけ」の車輛だったのに対し、VBCP 39Lは装甲兵員輸送車として全面的に改設計されており、車体前部の背を高めて操縦手席とエンジンルームを前方に寄せて後部の兵員室を拡大。兵員室のキャパシティは8名となっている。戦争勃発後のVBCPの追加発注200輌は、この39Lに対して行われたらしいが、結局のところ、試作だけに終わった。

1939年後半以降、VBCP 38Lのうち、少なくとも10輌が無線指揮車に改装されている。どうも特別に制式名称等はないようだが、ロレーヌ38L PCなどと呼ばれている。PCはたぶんposte de commandement(英語で言えばコマンドポスト)の略。形状は基本VBCP 38Lのままだが、兵員室内には無線機が置かれ、兵員室前面中央には、大戦中のフランスAFVでお馴染みの大きな蛇腹が根元に付いたアンテナ。他にも数カ所小アンテナが立てられている。

1940年のドイツ侵攻時、対戦車戦力の不足を受け、1輌のTRC 37Lが47mm対戦車砲を搭載した自走砲に改装された。レイアウト的には後のマーダーIとまったく同じで、エンジンデッキ後方に47mm対戦車砲の砲架を載せているが、戦闘室を囲む装甲は(少なくとも製作時点では)無く、まったく「単純に砲を載せてみました」状態のもの。同時期に、やはり即興的に作られた装輪式のラフリーW15 TCCが70輌作られたのに対して、この37L対戦車自走砲は試作のみに終わっている。

――といったところが1940年戦役までのロレーヌの開発/生産の様子だが、その後、ヴィシー政権下で限定的に(「林業用トラクター」の名目で?)生産が行われた模様。それの全部なのか、一部なのかがよく判らないのだが、ボギー2つの短車体型が作られた模様。現存の、ドイツによる自走砲改装物以外のロレーヌは短車体のタイプが多いが、これはそのような理由によるもののようだ。なお、最初に述べた歩兵用補給車輛としての試作型の短車体のタイプは、ルノーUE同様の後方に傾けられるダンプ型の荷台を持つが、戦中生産型は固定式らしい。

以上の内容は、主に以下の資料に拠っている。

* François Vauvillier, Jean-Michel Touraine “L'AUTOMOBILE SOUS L'UNIFORME 1939-40”, MASSIN EDITEUR, 1992
* Chars et Blindés Francais sur le Net (Chars-francais.net)
* 日本語版wikipedia「ロレーヌ37L」
* 英語版wikipedia “Lorraine 37L”

特に37L、38Lの発注数、生産数等については“L'AUTOMOBILE SOUS L'UNIFORM 1939-40”に従っている。ほか、紙資料として大昔の「プロファイル」シリーズのロレーヌ牽引車の号を持っているのだが、積んだ資料のどこにあるのか見つけられなかった。いまさらあっても役に立つのか判らない大昔の薄っぺらい資料だが、まさか車内の写真とか出てないだろうな……。

出版物としては、ほかにシュピールベルガーの鹵獲戦車本にも当然出ているが、原型のロレーヌに関して言えば「うわ、ここにこんなのが出てたかあ!」的な内容は無し。現時点でのフランス軍車輛の虎の巻的な資料シリーズであるパスカル・ダンジューさんの「TRACKSTORY」からは、まだロレーヌは出ていない(出てくれれば「一発解決!」とか行きそうなのに)。

●現存実車に関するネット上の資料。

とりあえずは、どれくらい、どんな状態のものが、どこに残っているのかについては、各国各種AFVの現存実車に関してマメにPDFでまとめてくれている「Shadock's Website」の「Surviving  Panzer」から、

Surviving Lorraine 37L Tractors

ついでにロレーヌを含む鹵獲戦車ベースのドイツの自走砲については、

Surviving German SPGs based on foreign chassis

上のリストで確認できる限り、オリジナルに近い状態で現存しているのは、まずは2000年にベルリン近郊で掘り出され、現在はドレスデンの軍事史博物館に収められている、2輌のVBCP 38L。これのwalkaround写真が出回ってくれるととても嬉しいのだが、現時点ではネット上では見当たらない。

次のフランス国内の個人蔵という1輌は、別角度で別塗装の写真も他で見たことがあるが、側面にラジエーターグリルが付いていることから見て、ドイツの自走砲からの逆改造品である可能性大。これも私はwalkaround写真を見たことがないが、あったとしても荷台内部の状態などは当てにできなそう。

その次の大掛かりなレストア中車輛は、どこまでオリジナルの部品が残っているのか不明。あとはかなり状態が悪そうな2輌が続き、残りは短車体ばかり。同じく補助車輛のルノーUEが30輌以上現存しているのに比べるとかなりお寒い状況だが、これはロレーヌ牽引車の使い勝手が良くて使いつぶされてしまったからという理由もあるかもしれないが、そもそも生産台数の桁が違うことが大きそう。

そんなこんなで、結局のところ、長車体型の現存実車のディテールウォッチについては、主にドイツ軍の自走砲に頼るほかないということになる。以下、現存実車の主なwalkaround。

▼ソミュールのマーダーI

タミヤのキット付属のリーフレットにも10枚ほど写真が掲載されている。エンジンルームの天井が単純に鉄板で塞がれているなどベストコンディションとはいえないが、他はそれなり?

SVSM Gallery:SdKfz 135 Marder I, Musee des Blindes, Saumur, France, by Vladimir Yakubov

各種walkaround写真が豊富なSVSM Galleryより。写真80枚。「net-maquettes.com」に上がっているのも同じ写真。

LEGION AFV:Marder I

写真43枚。

▼アバディーンのSd.Kfz.135/1 sFH13/1(Sf)(おそらく現在Fort Sillにあるもの)

アバディーンの15cm自走砲型。野外展示で戦闘室上も鉄板で塞がれていたり、ちょっと可哀想な状態。

SVSM Gallery:SdKfz 135/1 15cm sFH13/1 (Sf) auf Geschutzwagen Lorraine Schlepper(f), Aberdeen Proving Ground, by Matthew Flegal

写真は7枚のみ。

Prime Portal:Sd.Kfz.135/1 Walk Around

こちらのほうが写真は多めで29枚。「net-maquettes.com」に上がっているのも同じ写真。

▼モスクワの10,5 cm LeFH 18-4 auf Geschutzwagen Lr.S. (f)(12/2追加)

モスクワの大祖国戦争中央博物館所蔵のもの。(上記のPDFによれば)フランス、Trunのスクラップヤードにあったものをレストアした車輛だとのことで、10.5cm自走砲としてのオリジナル度に関しては私にはよく判らないが、少なくとも、ベース車体のロレーヌに関しソミュールの車輛と比較検討するには結構役立つ。

SCALEMODELS.ru:САУ 10,5 cm LeFH 18-4 auf Geschutzwagen Lr.S. (f) Alkett, Моторы Войны 2016, Крокус-Экспо, Москва, Россия

写真159枚と非常に詳細。ソミュールのマーダーとは、改装で隠れた部分/潰れてしまった部分が微妙に違うのも有り難い。

SCALEMODELS.ru:САУ 10,5 cm LeFH 18-4 auf Geschutzwagen Lr.S. (f) Alkett, музей Моторы Войны, Москва, Россия

上記と同じ車両のレストア途中(砲未搭載状態)の写真。97枚。

▼オマケ。短車体型の動画。

La journée de la chenille - Lorraine 37L

短車体型の動画はYouTubeに何本か上がっているが、これはその中で比較的長く、しかも荷台の中のチラ見えシーンもあるもの。長車体型では上面に開いていたラジエーターグリルが後ろ(荷台)側になっていること、荷台後部のディテールも長車体型と全く違うことなどが判る。

| | コメント (24)

ロレーヌへの道――タミヤのキットチェック

20201124_204604 ●タミヤからロレーヌ牽引車ベースの対戦車自走砲、マーダーIが発売された。いやいやほんとに、こんなものまでタミヤが出すようになるとは。……って、もう何度も同じようなことを言っている気もするけれど。

ちなみに、発売になったという話を聞いて、先週の日曜日、実家からの帰りに買う気充分で横浜のVOLKSとヨドバシカメラに寄ったのだが、そのどちらも品切れ。「ええっ、あんなアイテムが入荷直後に売り切れちゃうなんて、あるの?」と思ったのだが、それは私の頭の中のイメージが、あくまで「マイナーなフランス車輛のロレーヌ牽引車」(マイナーな、は、フランス車輛とロレーヌ牽引車の両方に掛かる)だったからで、改めて考えてみると、発売されたのは曲がりなりにもドイツ軍車輛のマーダーなのだった。

結局、それから数日後、(コンクリート・タワー見物の帰りに)再び横浜に寄ったら、(VOLKSには相変わらずなかったが)ヨドバシでなんとか入手できた。

●さて、「ドイツ車輛」として発売されたこのキットではあるものの、個人的にはフランス軍用のロレーヌ牽引車として作るつもり100%。というわけで、パーツチェックもそれを念頭に。プラパーツはこんな感じ。

20201125_121432 20201125_121405 20201125_121336 20201125_121316

  • Aパーツ:転輪類、履帯、75mm砲弾など。×2。
  • Bパーツ:車台基本パーツ。
  • Cパーツ:車体上部、戦闘室装甲板。
  • Dパーツ:足回りの一部、PaK40、フィギュア。

このほかにポリキャップ、デカール。

上のパーツの枝ごとの組み合わせ状況を見ても、ベース車両であるロレーヌの基本パーツと、マーダーI用のパーツがまったく入り混じっていて、どうやら、タミヤはロレーヌ牽引車の発売は想定していないらしい。また、足回りと75mm砲弾が一緒であることを考えると、ロレーヌ車体の10.5cm自走砲や15cm自走砲への展開の可能性も低そう。もっとも、そのおかげで「本当に発売されるかな~。いつかな~。まだかな~」などと思い悩むことなく、ロレーヌへの先祖返り改造を試みることが出来る。

ロレーヌのキットは、昔のAl.ByのレジンキットにRPM、IRONSIDEの両レジンキットと3つもストックしているのだが、それに比べてもこの新しいタミヤのキットから作った方がマトモなものが出来そうな気がする。

もっとも、元車体をほとんどいじっていないとはいえ、「砲と戦闘室装甲板を取り去ったら、ハイOK」というほどお手軽ではなさそうで、それに関しては以下に。

●パーツの細かいあれこれ。「個人的気になりポイント」的なもので、今後、実際に製作していく段になったら、もうちょっとアレコレあるはず。

20201125_231620 20201125_231653 20201125_231752

1枚目:車体上部側面、2枚目:エンジンルーム上面、3枚目:シャーシ後面。元のロレーヌ牽引車の車体基本形に関わるパーツだが、それぞれ、対戦車自走砲への改修に伴う変更があり、このパーツのままではロレーヌは組み立てられない。ロレーヌに先祖返りさせる場合は、

  • 上部側面に関しては、戦闘室装甲板を装着するための出っ張りや窪みがある。本来の貨物室側面は単純な平板なので、キットのパーツを「削って埋めて」するか、それとも綺麗さっぱり作り変えるか、ちょっと考えどころ。
  • エンジンルーム上面は、前半はトラベルクランプ基部の取付穴を埋める程度だが、後半の砲架が乗る部分は本来はラジエーターグリルがあるので(マーダーでは左右側面に振り分けていて、側面パーツに三角の大きな出っ張りがあるのはそのダクト)、作り変える必要がある。私自身はIRONSIDEのキットからパーツ流用を検討中だが、IRONSIDEのパーツはタミヤよりやや幅が狭く、そのままでは使えない感じ。
  • シャーシ後面版に関しては、中央の「二の字」のダボがある部分はドイツ側で追加された牽引具基部なので、綺麗に除去する必要あり。

20201124_1515552

エンジンルームと戦闘室の隔壁パーツ(上)と戦闘室の床板(下)。床板パーツの前側の穴は砲弾ラック。砲弾の先端がはまる穴と床板がツライチであることから判るように、キットは床板がシャーシ底面から一段上げ底になっている解釈。ソミュールの実車では後端部分にリブがあるだけで(キットパーツのスジボリから下側部分)、上写真の黄緑斜線部分は抜けている。

もっともソミュールの実車はエンジンルーム上面がただの鉄板で塞がれていたり、とても状態がいいとは言えないものなので、もともとあった床板が無くなってしまった、ということも考えられる。昔の戦車マガジン別冊「シュトルム&ドランク ドイツ対戦車自走砲」に、マーダーIの戦闘室内の写真が載っているはずだが(たんくたんくろうさんのブログ記事で見た)、埋もれてしまって出てこない。資料の持ち腐れ。

ちなみに先行のパンダホビーのマーダーIは、これまた悩ましいことに、タミヤの位置よりやや下に、やはり別に床板がある構成になっているようだ。

もちろん、私にとって問題なのは、「マーダーIの戦闘室に上げ底の床板があったかどうか」ではなく、「ロレーヌ牽引車に床板があったかどうか」なのだが、これまたよく判らない。「戦時中の(元々の)ロレーヌの荷台の床が写ってる写真、ここにあるよ~」というのをご存知の方、ぜひご教示ください(もちろんダイレクトに「こうなってるで~」という話でも)。

20201126_03462920201124_151511

操縦席ハッチは閉状態で一体モールド。下部ハッチはまだしも、上部ハッチは通常は開け放っていることのほうが多いので、別パーツにして欲しかった。

上部ハッチの視察スリットは左右2カ所にモールドがあるが、ソミュールの実車では、操縦手側の一カ所(向かって右側)しかない。これに関しては、「また例によっていい加減なレストア?」とも思ったのだが、戦時中のマーダーIの写真を漁ってみると、片目タイプが実在していることが判明。ソミュールさん疑って済みません。なお、オリジナルのロレーヌの場合は、現時点では片目タイプと言い切れる例は発見できなかった。ドイツ専用仕様かなあ(無線機は戦闘室に置いてあるし、ドイツ軍は「助手席」は使用しなかったのかも)。一方で、マーダーIでも両目タイプのものも存在していることは確認できた。以下、ブンデスアルヒーフの写真(wikimedia commons)より

Bundesarchiv_bild_101i297170121_im_westeBundesarchiv_bild_101i258132622_sdfrankr

左が片目タイプ(Bundesarchiv, Bild 101I-297-1701-21 / Müller, Karl / CC-BY-SA 3.0)。一連の写真が多数残されており、単に写真写りの問題でたまたま片側だけに見えているわけではないことは判る。また、塗装パターンが違う別車輛でも片目仕様があり、もしかしたらマーダーIではこちらのほうが多数派の可能性も?

右が両目タイプ(Bundesarchiv, Bild 101I-258-1326-22 / Wegner / CC-BY-SA 3.0)。こちらはタミヤのキットのデカールでも取り上げられている車輛。

20201124_204442

シャーシ前面。ロレーヌ車体の装甲板の接合はリベットではなく、尖頭六角ボルトが使われている。タミヤのキットは、なんとなくそれを表現しているようなしていないような(老眼鏡を掛けてもよく判らないので、それなら、改造の途中で植え替える必要が出てきたときに気にすればいいか、くらいのスタンス)。

なお、特にこのシャーシ前面に関して言えば、実車の場合はボルト周辺に軽くザグリがあるのだが、キットでは再現されていない。

20201125_001654 20201125_222915

なんだか無駄に凝っている感じがするロレーヌの足回りだが、サス部は3連のボギーの前面を上部転輪ごと丸々1パーツにするという大胆設計。組み立てやすく、足回りにゆがみも出ないという点ではいいアイデアではないかと思う(もっとも、先行のパンダホビーも似たような処理)。

しかし問題はリーフスプリング。実車はバネ板が10枚程度重ねられているが、キットのパーツは、ご覧のように「ここはリーフスプリングなんですよ」ということを記号的に示すだけ。実車の形状を再現する意思はあまり感じられず、非常に残念。かといって、同じ寸法で6組もリーフスプリングを自作するのは遠慮したいし(その昔、邦人さんはマーダーIのロレーヌ車体を丸々自作していたが)。

長くなったのでロレーヌの実車解説やら資料やらはまた次回。

| | コメント (6)

コンクリート・タワー

●毎年夏秋恒例の季節労働が、先週末でやっと、おおよそ終了。

今年は割と取り掛かりが早く、それなりにテンポよく片付けてきたつもり……だったのだが、結局最後は例年通りバタバタした。

最初にチーム内で担当分けをする時に後々のことを考えず、うっかり、「なるべく最新の状況を反映するためにギリギリまで待って制作する」部分を、担当21テーマ中5テーマも抱えてしまっていたため。迂闊すぎる。

●とにかく一仕事終わってぽっかり時間が空いたので、この機会にと、保土ヶ谷の「謎塔」を見に行くことにする。

20201117_142139 湘南方面の住民で、通勤・通学等で都心方向に電車を使う人にとって、車窓から目に付く「異様な巨大人工物」の筆頭は、何と言っても大船観音だが、それに次ぐものとして、東戸塚-保土ヶ谷間で、北の方に(それなりに隔たったところに)見える謎の塔を挙げることが出来るのではと思う。車窓から撮った写真が右。

なお、塔のすぐ脇を横浜新道が通っているので、車をよく使う人にはもっとお馴染みかもしれない。

見た目からして通信関係の何かだということは判るが、それにしても異様な姿で、巨大な仏塔(あるいはその上の相輪)という感じ。

そもそも私は特に土木建築マニアというわけでもないが(そうした基礎的素養もあまりないし)、「なんだありゃ」と思うくらい目立つものがあれば見に行きたいと思うくらいにはミーハーで、ずいぶん以前から気に掛かっていたもの。

正体についてはさっさと種明かしをしてしまうと(もちろん私もネットで調べて知ったのだが)、これは旧電電公社時代に建設された無線中継用の塔で、保土ヶ谷区仏向町(ぶっこうちょう)の小高い丘の上にあり、施設名称は「仏向無線中継所」。現在はNTTドコモ所有の施設になっているらしい。「仏向」という地名もまた、見るからに仏塔然とした姿と妙に符合している(wikipedia「仏向町」によれば、「新編武蔵風土記稿」に、仏に供える食物=「佛餉」に由来するという説が出ている由)。

主にマイクロ波通信用としての鉄塔の建設は1950年代半ばから始まる。アングル架台型、アングルトラス型、パイプトラス型、シリンダー型など、さまざまな鉄塔が作られるなか、1970年代後半を中心にわずかに作られたのが「コンクリートタワー型」通信塔で、NTT技術資料館の記事によると、全国に5基だけ作られたらしい。

これまたググって調べてみると、その5基のコンクリートタワーは2基が北海道(樽前、帯広木野)、1基が青森(石崎)、もう1基が沖縄(首里)にある。要するに、この保土ヶ谷「仏向無線中継所」は、私が気軽に見に行ける唯一のコンクリートタワー型通信塔ということになる。……ということも判って、「なるほど、そりゃ見に行かなきゃなるめぇ」という思いを強くし、いそいそと見物に出掛ける。

●公共交通機関を利用していく場合には、JR保土ヶ谷駅西口あるいは相鉄線和田町駅から、市営バスの22系統もしくは33系統。ほとんど塔の真下に「仏向無線塔」という、そのものズバリな名の停留所がある。とりあえず、到着直後に下から見上げて撮った写真を数葉。

20201117_151544 20201117_151552 20201117_151849 20201117_152010

下から見上げるとなかなか威圧感がある。wikipediaによれば、高さは103m。

こうしたコンクリート製通信塔が建てられた理由は、前出のNTTの資料によれば「地域との環境調和を目指して」だそうな。なぜ鉄塔だと環境と不調和で、コンクリートタワーだと調和していることになるのか、何やら判ったような判らないような。

確かに、剥き出しの鉄塔というのはなんとなく威圧的というか、景観的によろしくないと感じられる場合もある。建設当時のエッフェル塔にかなり強い不評の声があったというのも比較的有名な話。生物である人間は、スケルトンのものを見ると生理的に薄ら怖くなる、とかあるんですかね? しかしコンクリートの円柱になったからといって、格段に「環境への溶け込み度」が上がったりするものなのかどうか。

仏塔の相輪だと輪は「九輪」だが、この無線塔では微妙に大きさが不統一のものが7つ(実は上の写真では建物に隠れて、根本付近にもう一輪あるので、正確には8つ)。都心のビルの上の円盤型ヘリポートなどと同様グレーチング(スノコ)で、もしも上がることがあったら、足元が地面まで素通しでものすごく怖いこと間違いなし。うはー。登ってみてぇ。

ちなみに上の写真だと輪に隠れて見えづらいが、各輪に対応して、北側にドアのようなものがあるので、塔の内部を上がることが出来るようになっているらしい。螺旋階段かなあ。何らかのリフト装置かなあ。頻繁に上がる用事はなさそうなので階段のような気もするし、機材を上げることを考えたら簡易エレベーターとか付いていそうな気もするし。いや、機材は内側てっぺんにホイストとかウインチとかあって吊るすのかなあ。

ちなみに5基作られたというコンクリートタワーの通信塔のうち、北海道・帯広木野のものは六角柱、青森・石崎のものはもっと変わっていて、なだらかに裾広がりになった長方形断面。残り3基が円柱。なお、街の真ん中のNTT局の屋上にももっと小型の円柱状通信塔が立っているのをしばしば見かけるが、あれは鋼管製の「シリンダー型鉄塔」。

●ちょっと塔から離れて、綺麗に全体形を撮ってみたいと思ったのだが、そうすると電線とか建物とかにさえぎられて、なかなかうまい撮影ポイントがない。右写真は、結局、谷一つ隔てたところから取った。塔の向かって左下に横浜のランドマークタワーが見える。この2枚の写真だと、根元の「8枚目の輪」も見える。

20201117_154536 20201117_153822

塔の高さを感じるには、横位置で撮ったもののほうがいいかもしれない。上右写真と同じ場所から取ったものと、帰り、和田町方面に歩く途中で振り返って撮ったシルエット。

20201117_153847 20201117_155255

●横須賀線の車窓から、初めてこの塔に気付いた時には、上部の輪の間にいくつもパラボラアンテナが付いてもっと派手だったような記憶がある。マイクロ波通信が光ファイバーに代替されて、この手の通信塔は、ほとんど役目を終わりつつあるらしい。パラボラがなくなって、いわば「ベア状態」になったことで、ますます仏塔っぽくなったが、今後の運命や如何に。

もっとも、これだけ大きいコンクリートの構造物となると解体するにもかなりのコストが掛かるはずで、となると、ベルリンの高射砲塔よろしく、当分はこのままで残るのかもしれないし……。

| | コメント (2)

III号指揮戦車D1型 FIRST TO FIGHT 1:72

20201101_113754 ●先日、FIRST TO FIGHTのIII号戦車D型のキットレビューの最後に「これはぜひ欲しい」と書いた、同シリーズのIII号指揮戦車D1型。行動範囲の模型屋の店頭では見かけなかったが、秋葉原のイエサブで取り寄せてもらうことができた。というわけで組む前のチェックなど。

●実車について簡単に。

III号指揮戦車D1型(本来の名称は「III号」は付かず、単に「指揮戦車D1型」)は、III号戦車ベースの指揮戦車としては最初に作られたもので、「ジャーマン・タンクス」によれば1938年6月から1939年3月にかけて30輌が生産されている。ベースとなったIII号戦車D型は1938年1月から6月の生産なので、基本、戦車型の生産が終了した後に新たに生産されたことになる。

私自身、ちょっと前までは指揮戦車型(D1、E、H)では「砲塔が固定で、戦車型よりも前にある」のは前提として、その他は「無線装備その他のためにちょこちょこと細かいところの仕様が違う」くらいの認識でいたのだが、実際には、特にこのD1型においては、

  • 足回りのコンポーネントと動力系は基本同じものを流用、
  • 車輛全体のレイアウトもよく似ている(似せている)ものの、
  • 車体の装甲は全体的に戦車型より厚く各部の形状にも微妙に差がある全くの別物、
  • 砲塔基本形状も戦車型A~D型のものより前半の厚みが増したE型以降の型に準じたもの。

であるなど、要するに「似ているけれど車体から砲塔から実は全然別物」。これに関しては、しばらく前にはい人28号さんが1:35で、miniartのD型改造で製作された際の記事で教えて貰ってビックリした。

より小型のI号指揮戦車においても、エンジンが強化され車体が延長されたB型車体はもともと指揮戦車専用として開発されたことを見ても、この時代のドイツの戦車開発陣は、「指揮戦車は戦車型からちょろっと中身を改造するようなものではなく、コンポーネントを流用はするけれども全体を作り直すくらいの手間とコストを掛けるべき贅沢車輛」と考えていたらしいことが判る。

●というわけでキット。

上記のように「似ているけれど、いちいち全部違う」ことで二の足を踏んだか、結局miniartも指揮戦車D1型は出していないので、このFTFの1:72キットが、各スケールを通して初のインジェクションキットということになる(はず)。

先に発売されたIII号指揮戦車E型は、以前にレビューしたように、単に戦車型キットにアンテナパーツを足しただけというトンデモキットだったが、このキットは打って変わって、かなりの気合と頑張りが見て取れる。

20201101_113557 20201101_113903

パーツ構成は左写真の3つの枝+白十字のみの小さなデカールシートが1枚。パーツ枝のうち、

  • Aパーツ:車体下部ほか
  • Bパーツ:足回り

戦車型キットと共通。

  • Cパーツ:車体上部+砲塔ほか

は指揮戦車型専用に新たに型起こしされている。加えて、このシリーズ共通のものとして戦歴や開発史、組立・塗装説明の書かれた小冊子(表紙含め12ページ、テキストはポーランド語のみ)が付いている。右写真は同小冊子の組立・塗装説明ページ。

●車体上部を先行のD型キットと比較してみた。きちんと同サイズに撮れていないが、上が本キット、下が戦車D型。

20201101_hull

  • エンジンルーム上の点検ハッチの違い。戦車型は左右開き、指揮戦車型は前後開き。ハッチの大きさも異なる。
  • 砲塔位置が指揮戦車型のほうが前。指揮戦車は砲塔が固定式のため、エンジン交換等でエンジンデッキを取り外す際に邪魔にならないよう、砲塔後端がエンジンデッキに掛からない位置にある。
  • 戦闘室部分の延長。指揮戦車型の戦闘室は戦車型より若干前方に長いらしい(実はこのキットでようやく気付いて、確認してみたらトラクツでもそのように描かれていた)。のちの指揮戦車E型、H型では砲塔の前方移動に伴って砲塔前面と戦闘室前面の間が狭く、この位置に乗せた予備履帯が前方にかなりはみ出している写真がよく見られるが、指揮戦車D1の場合は狭くなったように見えないのはそういうわけだったのか!と改めて納得。
  • 車体前部ハッチが操縦手側だけ。
  • フェンダー上のOVM類の配置の違い。とはいえ、指揮戦車型キットのOVM配置はトラクツの図と比べると違いがあり、これが正しいかどうかは検証の必要あり。

――など、戦車型とは異なる車体を再現しようという意図がしっかり感じられるパーツとなっている。ただし、戦闘室上面とエンジンルームとの間に本来あるべき分割線が忘れられているのは戦車型キットと同様。

20201101_231131 20201101_135101

車体側面には、一体モールドのため形状はイマイチであるものの、指揮戦車型の配置のクラッペが付いている。

ただし、右フェンダー前方のジャッキ台のモールドは、型抜きのためにしては大げさ過ぎるテーパーが前後に付けられていて、はなはだ見た目がよろしくない(加えて、ジャッキ台の正規の搭載位置は実際にはここではない可能性がある)。ドットのモールドの関係上、削り取るだけでは済まないのが悩ましい。上の比較写真のIII号戦車D型ではジャッキ台はごく普通であることが確認できると思うが、これまで私が買ったFTF、WAWのキットでここまで変な処理は例がなく、なぜこんなことになったのか謎過ぎる。

●砲塔パーツ概観。

20201101_135229 20201101_135548

D型までの初期型砲塔とは違い、E型以降の標準型砲塔に準じた外形を持つ砲塔パーツがセットされている。砲塔上面も(以前のナンチャッテ指揮戦車E型キットと異なり)きちんと指揮戦車型のディテールを模したものになっている。

その一方で、抜きの関係で砲塔後面のアンテナ線引込部や(本来円錐形であるべき)ピストルポートはかなり大胆に形状が崩れていて、なんとかしたいところ。実は同じシリーズのIII号戦車E型のキットでは――

20201101_231633

金型をやや傾けているのか、上のようにきれいな形状で一体モールドで抜けており、今回はなぜそうしてくれなかったのか惜しまれる。ただ、E型キットでは側面ハッチが別部品になっているので、そのぶん成型方向に自由がきいたのかも。

指揮戦車キットの砲塔側面ハッチ、クラッペは下辺のエッジの処理もダルいので、この際、(車体の再現度などで)トホホ度が高いE型キットを犠牲にして側面ハッチやピストルポートを移植してしまおうかなどという考えも、ちらちら頭をかすめ中。なお、側面のハッチストッパーのモールドもかなりゴツい。また、本来指揮戦車型の側面クラッペは左右で高さが違うのだが、キットではその点は再現されていない。

なお、キットの砲塔と車体の接合は戦車型同様に回転可能な状態になっているが、実車は固定されており回転しない。

●細かいパーツ類。

20201101_135246 20201101_135302

左写真は指揮戦車仕様の戦闘室前面やダミー主砲、フレームアンテナなど。戦闘室前面のピストルポートは、ちょっと枠部分が強調されすぎかも。砲塔前面は実際は一番端の機銃だけが本物だが、本来あるべき、その根元のボールマウントの表現は省略されている(ダミーのものも含め機銃が太すぎる点もマイナス)。フレームアンテナは柱部分も一体成型で、そのため、柱は単なる棒になっている。

右写真は誘導輪。なぜかIII号戦車D型と指揮戦車D1型では誘導輪形状が全く違うのだが、キットではフォローされていて有り難い。

●車体下部と誘導輪を除く足回りはIII号戦車D型キットからまるまる流用。

20201101_135634

実際には前述のように車体は別物で、シャーシ前面のブレーキ点検パネルは指揮戦車D1型にはないので、モールドを削り取る必要がある(加えて、指揮戦車D1型では前面装甲板が組み継ぎになっている)。ちなみにキットの箱絵でもこのパネルが間違って描かれている。

はい人28さんによれば、その他にも上部転輪配置が僅かに違っているそうで、それに付随して、前方の第一転輪ボギーのショックアブソーバーの作動アームは、戦車型では上掲パーツ写真のようにほぼ垂直だが、指揮戦車型ではショックアブソーバー本体が前方に移動しているのでもっと斜めになっている。これは作動アームも含めて一体成型になっているので改修は面倒だし、そもそも履帯と一体成型になっている上部転輪の配置を直すのはなかなか難事となる。……たぶん私は手を付けない。

さらにはい人28さんによればシャーシ幅自体も若干拡幅されているそうなのだが、これは見た目ではよく判らない。

●というわけで若干の問題はあるものの、なかなか興味深いキットであるのは確かで、III号戦車D型と並べて形状の違いを楽しむためにも、とりあえず早々に組んでみたい気も。

| | コメント (5)

« 2020年10月 | トップページ | 2020年12月 »