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畠山高角砲台

●「こりゃもう、二度は採って食わないな」と思ったニリンソウだが、前回書いたように、改めて調べると、一度乾燥させてオハウ(アイヌ料理の汁物)に入れると美味いらしい。「肉の味が倍になる」というアシリパさんの言だけでなく、それを頼りに実際に料理したというネット上のいくつかの記事でも「ヒンナ、ヒンナ!(おいしい)」と絶賛されていて、「これはもう一度試してみねばなるまい」と思った次第。

そう思うと我慢できず、どうやら今度の週末以降しばらく天気も悪いらしいので、「じゃあ、休みを前倒しにしよう」と、仕事をサボる勝手な言い訳を(自分自身に)しつつ、25日水曜日、もう一度三浦アルプスに出向く。

特に迷うこともなく、目当ての場所に到達。とはいっても、たった数日前に行った場所にたどり着けないようなら、それはそれでヤバイ。

白い花が咲いていて形態にブレのない群生のなかから、葉柄を根元までたどって慎重に収穫。それはそれとして、前回……。

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上写真に写っているなかで左上に写っている、やや葉がとがり加減のものはトリカブト、と書いたのだが、今回改めて同じ場所を見たら、それらの株のいくつかからニリンソウのつぼみが出ていた。実際には、

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青丸でくくったあたりはニリンソウで、赤丸でくくったものがトリカブトであるようだ。いいんだよ!毒を安全と間違えなければ、安全を毒と間違うのはセーフなんだよ!

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そんなこんなで、収穫してきたのが上左。現在はタコ糸で茎を縛って、ドライフラワー風に吊るして乾燥中。右はついでに採ってきたアケビの芽。

なお、乾燥についてはネット上の“食レポ”でただ単に干すと書かれていたので上のようにしたのだが、その後さらに調べると、アイヌの古老の話として「一度茹でてから干す」のが正統な手順であるらしいことが判明。この次はそうしよう……(←すでに次がある前提)。

なお、この手の発見は続くもので、いちいち葉山の外れまで採りに行かなくても、もっと近場で群生している場所を見つけてしまった。うん。コロナに倒れるくらいなら、その前にニリンソウを食おう。

●せっかく山に登って、数日前とまったく同じ道を歩くのも面白みがないので、乳頭山下から東にそれて、畠山に向かう。

前回(初めて)登った時には、その畠山も海軍の高角砲台跡であると知らず、まったく遺構のチェックなどもしなかったので、改めて確かめてみたいと思っていた。

前回登ったのは一昨年の5月末。今回も尾根伝いに東京湾要塞地帯標を一四号、一三号、一二号とカウントダウンしながら歩く。

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1、2枚目はどちらも一四号。ちなみに、一四号、一三号は尾根道の鞍部(窪んだ部分)にあって分岐点にもなっているので道案内の標識と隣り合わせ。一二号は畠山の一つ手前のピークにある。なお、一昨年の記事で、参考として「東京湾要塞」の地帯標のページにリンクを張ったが、当時はYahoo!ジオシティーズにサイトが置かれていて、すでにリンク切れになっているので、改めて張っておく(とはいっても、軍事遺構の記事では何度となくリンクを張っていて、最近のものはすでに新しいものに変わっているはず)。

●一二号を過ぎてさらに歩くと、細い尾根道が、砲台道と思われるそれなりの道幅でとても人工臭がする道に突き当たる。最初に畠山に行ったときは、「え? なんでこんなにマトモな道が?」と思ったのだが、砲台道であると判ると納得がいく。

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1枚目は、要塞地帯標のある尾根道から見た砲台道への合流地点。道の向かい側に案内標識が立っている。標識は「← 塚山公園 1.5km」「畠山 0.1km →」。

2枚目は、合流地点から砲台道をやや下ったところから振り返って撮ったもの。標識には、先ほどはちょうど撮影方向で見えなかった尾根道方向を指しているものが見えている。内容は「乳頭山 1.2km →」。写真中央に細く続くのが山頂広場への道。砲台道の常として、ゆるい傾斜で山頂広場を巻くように進む(といってもこの辺りはまっすぐに近い)。

3、4枚目はその山頂広場への途中。現在は下草や灌木が茂って人が通る部分は踏み分け道程度になってしまっているが、本来の道幅は自動車が通れるくらい(機械化が遅れていた日本軍のことなので、実際に資材を自動車で運んでいたかどうかは判らないが)であることがなんとなく見て取れる。

●そして、歩くことわずかで山頂広場に着く。

まずは恒例、終戦直後の米軍による空撮(1946年2月15日、USA-M46-A-7-2-105からの切り出し)。国土地理院の地理空間情報ライブラリー、「地図・空中写真閲覧サービス」より。

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これを見ると、山頂に4基の砲座が円弧状に並んでいるが、実際には(いつもの国立公文書館アジア歴史資料センター所蔵の「砲術科兵器目録 横須賀海軍警備隊」によれば)、終戦時に配備されていたのは一二糎高角砲(単装)3門のみであったようだ。

円弧状に砲座が並んでいるのは、管制上の理由でか、他の砲台でもよく見られる配置だが、特にこの畠山の場合は、実際の地形図と対照すると山の頂部そのものが円弧状になっているためというのが大きそう。

そして現況。

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1枚目は、山頂広場に到着したあたりから北(北東?)方向を撮ったもの。2枚目はそのまま端近くまで歩いて、振り返って撮ったもの。1枚目では中央やや右側(わかりづらい)、2枚目では中央左側に、この山頂広場のヌシ的な石仏(馬頭観音)が写っている。その正面からの写真がこちら(一昨年も同様の写真を上げたが)。

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てっぺんに誰かの忘れ物の手袋。

とりあえず、上写真でもわかるように、現状の山頂広場は周囲が木に囲まれて見通しが悪く、そもそも山頂の平らな部分がどこからどこまであるのか、というのもよく判らない。

配備されたのが一二糎単装高角砲だということもあり、砲座は武山(砲台山)や小坪(披露山)、衣笠のようなベトン製の堅固なものではなく、二子山同様の土盛り/直掘りであったようで、さらに当時の様子が伺いづらくなっている。

上の1枚目写真の左奥方向(2枚目写真の右さらに後ろ方向)の藪の奥を覗くと、緩やかに窪んだ場所があり、もしかしたらこれが砲座あとの一つなのではないか、と思われる。

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もっとも、実際に三次元で(自分の目で)見て、やっと「窪んでるなあ」と判る程度なので、写真で二次元にしてしまうと窪んでいるかどうかも、スケール感もよく判らない。ただの藪の写真で申し訳なし。

そしてもう一枚は、山頂への入り口付近に戻って、そのすぐ脇の藪のなか(上の全景写真1枚目でいうと、すぐ左手)。こちらにはもっと深い窪地があった。

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これは写真に撮っても窪地であるのが判る。とはいっても、上の米軍空撮を見ると、砲台道からの“とっつき”すぐ脇に砲座はなく、むしろ山頂広場の逆側の縁にある感じ。どうもよく判らない。

二子山の場合、探照灯の台座かとされるコンクリート製の構造物などあるが、こちらはそれらも確認できるものはなく、とにかく「言われてみなけりゃ何も判らん」状態と言える。

なお、いつもの通り参考資料は以下の2サイト。

前者の場合、私よりもだいぶマシな遺構確認ができているが、実際には「う~ん。そんなのどこに隠れてるのかなあ」状態。

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コメント

土盛りの砲台とベトンの砲台の使い分けは、装備する高角砲の種類(単装/連装)によるんですかね。あるいは山の上までコンクリートを運びにくい立地条件などで使い分けたのか、はたまた築造時期によるのか。

今でこそ深い藪に埋もれてますが、戦後の米軍空中写真でもわかるように当時は周囲の樹木も伐採してあって、上空から「丸見え」状態だったんでしょうね。
配属された兵士たちはニリンソウを摘んで食べてたかなー

投稿: hn-nh | 2020年3月29日 (日) 15時30分

>hn-nhさん

がっつり偽装しても大丈夫な対戦車砲陣地と違って、高射砲陣地は広い射界と視界を確保するために、自分も丸見えになってしまうのは、仕方のないこととはいえ大きな弱点ですね。

近隣の砲台同士も、(今のように「山が見える」だけでなく)互いの、空を睨んでいる砲身くらいまで確認できたかも。

とりあえず、この辺の高角砲台でみると、連装はベトンのすり鉢、単装は土盛/掘り込みだったようです。

投稿: かば◎ | 2020年3月29日 (日) 15時42分

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