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衣笠高角砲台再訪

●我が街・逗子と、その周辺の軍事遺構、特に高角砲台に関しては割と積極的に訪ね歩いているのだが、衣笠高角砲台は基本、何の手入れもされていない状態で、昨夏チャレンジしたときには笹薮に阻まれて結局山頂の砲台までたどり着けなかったのだった。その時の探訪記はこちら

そもそも草深い夏に行くのがいけないのであって、冬になったら再挑戦しようと思っていたところ、hn-nhさんが計画に乗ってくれ、さらに比較的ご近所のみやまえさんも加わってくれたので、勇気百倍で出掛けることにしたのだった。

衣笠高角砲台についての基本的な事項は、毎度お世話になっている以下の2サイトを参照のこと(おんぶにだっこ)。

また、現地を訪れるにあたっては、以下の探訪記あたりを参考にした。

●そんなわけで6日木曜日、平日昼前にJR衣笠駅で集合する。hn-nhさんとはここ数回の年末の東京AFVの会で顔を合わせていて、みやまえさんとはネット上でそれなりに長くお付き合いがあるが、直接お会いするのはたぶん初めて。駅前のモスバーガーで軽く昼食をとって出発(というと、さっさと出掛けたように聞こえるが、実はここですでに模型談議その他でそこそこ時間を費やした)。

前回一人で行ったときには「しょうぶ園」までバスに乗ったのだが、今回は、先人の探訪記で「ふもとの兵舎跡」と紹介されていた遺構も見たかったので、最初から歩きで目的地に向かう。

こちらのサイトでは衣笠中学校の南西と書いてあったので、学校にほぼ隣接しているのかと思ったが、実際にはもっと(直線距離で300m程度?)西。畑の中にコンクリートの、何かの基礎のようなものが露出している。

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かなり細長い、中央横一直線の入った長方形(仮にA枠とする)。その向こう、写真向かって右には、深めのバスタブ状のものが複数(B枠)。逆に最初の長方形の左の向こう側には背の低い長方形(C枠)。

それぞれが個別で何かの建物の基礎だったと考えるには小さいので、これ全体を覆うような建物の、水回り(例えば炊事場とか風呂とかトイレとか)だろうか。バスタブ状のB枠は、一部が地面から浮き上がったり、またその結果としてやや傾いだりしているが、下辺の処理を見るに、移動可能のものを単にそこに置いたというのではなく、もともとその場所にあったものが、下の土が流れて下辺が露出してしまったふうに感じられる。最後の写真はA枠の一部を接写したもの。綺麗に丸くなった川砂利が使われていて、それなりに古いものであろうことは推察できる。

●ここで(いまさらの)ロケーションのおさらい。

まずは現状。オープンストリートマップ(OSM)より切り出し加工。

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①:衣笠駅 ②:上述のふもとの遺構(と思しきもの) ③:現在ある道から、半ば藪に埋もれた旧砲台道への分岐 ④:砲台推定位置

地図内のオレンジの枠線は、下の米軍撮影空中写真(国土地理院の地理空間情報ライブラリー、「地図・空中写真閲覧サービス」より。写真整理番号USA-M46-A-7-2-129、1946年2月15日撮影)で切り出した部分(おおよそ)を示す。

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●ここで改めて、上のふもとの「兵舎らしき遺構」を確認してみる。米軍の空撮の当該部分を拡大してみる(上写真の上側の黄枠)。

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これを見ると、1946年2月時点で、すでに目立つ建物等は残っていなかったように見える。写真写りの問題なのかもしれないが、上で、元からそこにあったように見えると書いたB枠相当のものも確認できない。こうなると、兵舎だったのかどうか(そもそも砲台に付随した施設だったのかどうか)も若干怪しくなってくる。とりあえず「古そうなもの」なのは確かだが、実際は何だったのか。地元で話が伝わっていたりしないだろうか(畑に人がいれば聞けたのだが)。

●「兵舎らしき遺構」の先辺りから、足元は砂利道になる。OSMでは破線の細い山道が2本描かれているが、外側(西側)のほうを歩く(東側への分岐は気が付かなかった)。道幅からも、上の空撮からも、こちらがもともとの砲台道だったように思える。

夏には藪に埋もれてすぐには判らなかった山頂への分岐(上の地図の③、下の空撮写真切り出しのAポイント)だが、藪が薄くなり、踏み分け道も判りやすくなっていた。「これは山頂の砲台まで、割とすんなり行けるのでは」と期待も高まる(というのが大きな間違いだったのが後に判明する)。

夏に登った時からあった気がする古い倒木や、昨秋の台風で新たに倒れたと思しき倒木なども時に乗り越えたりくぐったりしつつ、中腹をぐるりと時計回りに巻いて進む。そういえば今回は、途中の山道の写真は全然撮らなかったな……。

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改めて、砲台周辺のみの切り出し拡大(最初に掲示した空撮写真のおおよそ下黄枠部)。砲台の北東側(おおよそBポイント)には、前回も入り口写真をUPした洞窟がある。その近くには外方向への分岐があり、何らかの付随施設があったらしい(Cポイント)。夏に行ったときには気付けなかったが、今回はその分岐が(誰かが草を刈って踏み分けたような跡があり)判り、その先の藪の中には、コンクリートの基礎が確認できた。

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いや、まあ、この写真だとただの藪にしか見えないけれど……。

「本道」に引き返し、そのまま割とまともに踏み分け道っぽいルートを道なりに進むと、前回も確認できた足元のコンクリートの基礎群、およびその先には高さ約2mの直方体の建物に行き当たる(Dポイント)。空撮写真を見ると、小さな建物群が固まっていたようにも見える。聴音所、もしくは計算所等の施設だったのではと考えられる。

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「このへんは前回結構写真を撮ったから」みたいな意識でいて、あまり真面目に撮影していない。いかんね。

1枚目は、一群の「主役」的な直方体の建物を計測するh隊員とm隊員。この建物はレンガ積みの上からコンクリートをかぶせた構造で、2枚目は建物の入り口内側のコンクリートが剥がれてレンガが見えている箇所。3枚目はやはり入り口脇の外側頂部付近で、レンガが段ごとに長手と小口が見えているイギリス積みであることが判る。この建物は頂部も一部は崩れているものの、この部分を見るとレンガ+コンクリートの本来の高さもここまでで、この上はもっと簡素な造りの屋根が乗せられていたのではと思われる。

●少し引き返し、改めて山頂広場方面への道の痕跡をたどる。前回はほんの少々進んだところで笹薮に阻まれ、それ以上進むのは断念した。それに比べると、今回は季節柄、まだ進みやすい……と思ったのも束の間。

おそらく、上空撮写真のEポイント近くまで進んだあたりで、濃い笹薮に突っ込んでにっちもさっちも行かなくなってしまった。なお、空撮ではEポイントに何らかの小施設が確認できるが、今回は(とにかく藪を漕ぐのに必死で)その基礎等痕跡は発見できなかった。

せっかくのリベンジなのに、前回からさほど進歩もなく諦めるのは悔しい……というのに加えて、今回は、酷い目に遭うにしても2人も道連れがいることもあって(失礼)、なんとか強行突破できないか、やや戻ったポイントから山頂に向けての斜面を突っ切ってみることにする。

冬だから藪が薄くなっている、と言っても、笹薮の笹はそのまま濃密に茂っていて、それをかき分けて進む。笹の細かい枯れ葉のかけらとか、枯れ枝のかけらとかが頭上からパラパラ降ってきて、襟から背中に潜り込んだりして散々な思いをする。後からみやまえさんに「あの段階から進もうとするとは思わなかった」と言われたが、いや、絶対に一人なら進んでません。なお、この時の様子は(藪漕ぎが大変すぎて)まったく写真に残していない。

「とにかくこの先にあることだけは確かなんだから」という思いだけで進んで、登り切ったあたりで砲座の遺構にたどり着いた。

●すり鉢型の砲座は、基本、小坪高角砲台(披露山)や武山高角砲台(砲台山)と同形で、配備された砲も同じ四十口径八九式十二糎七高角砲 。国立公文書館アジア歴史資料センター所蔵の「砲術科兵器目録 横須賀海軍警備隊」(終戦直後にまとめられた各陣地の配備品ほかのリスト)によれば、終戦時には同砲2基4門。上空撮写真でいえば、ET顔の陣地の左右両目の部分が砲座で、下側の2連の◎はやや小さいので、測距儀とか聴音器、探照灯とかだろうか。

たどり着いた砲座自体、ほぼ藪の中に埋もれていて見通しも悪く、基本、部分写真しか撮れなかった。

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上の3枚はすり鉢状の砲座の内壁。1枚目、弾薬仮置場とされる壁龕の向こうには小さな通路が見える。最初はこれが砲座への入り口階段かと思ったのだが、披露山や砲台山の入り口階段より明らかに狭く、階段それ自体もない。後から、入り口階段はさらに向こうに別に存在していたことが判明したので、これは、披露山や砲台山の砲座にはなかった(塹壕状の)小通路の口らしい。披露山と砲台山にも違いがあるので、同じように見えてどこも何かしら独特の部分があるようだ。

2枚目写真はその小通路口からさらに向こう側を撮ったもの。3枚目写真はさらに進んで、待避所(?)入口から振り返って小通路口、壁龕を撮ったもの。

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壁龕2か所。内部のコンクリート肌は風雨にさらされることもなく、非常にきれいなままに残されている(ただし1枚目の壁龕は入口近辺が若干崩れている)。

待避所は、すり鉢状の円周から一段窪んで入り口の壁面があり、その奥に部屋があるという二段構えだったようだ。円周から一段窪んだ両側は径方向に壁面を切っているので、入り口との壁面は鋭角で接している(判りにくい説明)。以下、待避所のディテール。

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上部はコンクリートが崩れた跡があり、もとはコンクリートの天井があったものが崩落したらしい。高さから考えると、現在は落ち葉等々で埋まっているが、砲座よりも一段低く作られている可能性もありそう。現在は露天になってしまっているが、壁面は壁龕同様に滑らかな状態が保たれている。

待避所のさらに向こうに、本来の砲座への入り口だった階段跡が発見できた。現在は両側の壁が残っているだけで、階段自体は崩れてなくなってしまっているが、側壁に階段の跡が認められた。

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ちなみに、この入り口階段はほぼ北を向いていて、その向こうは、少し先から北東方向に急斜面になっていた。したがって(藪の中でだいぶ方向が怪しくなっていたが)、我々がたどり着いたこの砲座は山頂陣地の東側のもの(上空撮のFポイント)だったと思われる。

砲座の中央には、もともと四十口径八九式十二糎七高角砲が据え付けられていた穴が残っている。これは披露山や砲台山ではすでに埋められてしまっている部分。

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コンクリートが2段(?)の円筒状に窪んでいて、これは、公園に改装される前の披露山の砲座でも同様だったことが判っている。

本来はこの周辺に指揮所と思しき建物跡やもう一つの砲座もあるはずなのだが、とにかく藪が深く、「もうここに着いただけで十分」という気分になっていたため、この砲座の探索だけで引き返すことにした。なお、帰途の藪漕ぎでも途中で方向がよくわからなくなり、道を外れて登り始めた場所ではなく、最初に「ここは藪が深くてこれ以上進めないよ」と言っていた場所に到着した。いい加減だなあ。

なお、山頂広場をかすめてそのまま西に行った場所には、兵舎らしき大きな建物があったらしいことが空撮でわかる(Gポイント)。

●帰途、行きにはスルーした壕(Bポイント)を覗く。

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入口近辺は素掘りの荒々しい岩肌だが、数m先からはコンクリートが巻かれた壁面に変わる。1枚目が入り口近くから奥を覗いたもの。2枚目はやや進んだ位置から。突き当りから通路は左右に分かれ、壕全体はT字型をしている。古い自動車シートやカブの残骸などが落ちていて、かつてはゴミ捨て場か物置かになっていたようだ。3枚目はT字に分かれた左側で、右側も似たような構造。両側に小部屋のような壁龕が並んでいる。本来の用途は弾薬庫だろうか。「東京湾要塞」では「発電機が置かれていたのではないか」と推察している。

コンクリートのアーチ状の壁面には、型枠跡もはっきり残っている。……そしてこの季節にもしぶとく活動しているオオゲジがいた。

●倒木だらけの踏み分け道程度で、「人間の通る道に戻ってきた」としみじみと語るみやまえさん。「人間の通る道」のハードルがものすごく低くなってる……。

その後、「もっとちゃんとした人間の通る道」まで戻り、前回同様、衣笠城址を経由して、バスに乗って横須賀中央まで。

いつも一人で山歩きする時には昼食をとってからのんびり出掛けることが多いので、山から下りてきたころには夕方になってしまうのだが、この日はまだ時間がたっぷり。三笠公園でコンビニコーヒーを飲んだり、(このところ個人的に第二次マンホールブームなので)ふと思い出して横須賀市役所に行ってマンホールカードを貰ったり。

夕方までぶらぶらし、その後、3人で軽くビールで乾杯し解散。実り多かった……。hn-nhさん、みやまえさん、どうもありがとうございます。

なお、今回の探索行ではhn-nhさんがレーザーポインターで遺構の大きさ等をいくつか計測していたので、もうちょっと中身のあるレポートが、いずれhn-nhさんの「ミカンセーキ」に載るかもしれない。


●娘に、「私がお金を出すから、代わりに『メイドインアビス』の映画を観に行ってほしい」と言われ、私自身、「メイドインアビス」というマンガ/アニメは好きなので断る理由もなく、金曜日、川崎の実家に行くついでにいそいそと観に行く。

そもそもなぜ「娘の代わりに」なのかというと、上映週ごとに変わる入場特典のプレゼントがあり(しかもその中にも種類があって何が当たるかはランダム)、娘はすでに2回もこの映画を観に行ったのだという。さらに、本編上映前に映されるオマケ短編も週替わりなのだそうだ。何そのAKB商法。最近の映画、あざと過ぎる……。

とはいえ映画そのものは面白く(というか切なく悲しく)、しかももう4週目の平日ということもあってガラガラで、ゆっくりと楽しむことができた。内容自体は「to be continued」(そもそも原作もまだ終わっていない)、放映時期は決まっていないものの、テレビ第二シリーズに続くのだそうな。

ちなみに貰ってきた入場特典は5種類?の絵柄の付箋紙なのだが、まさに娘が欲しいと思っていたものがピンポイントで入っていたとかで狂喜していた。その絵柄というのが、ボンドルド(いわば敵役)の手下。欲しがるものがマニアックすぎる。

●ひとつ前の投稿への青木伸也氏のコメントで「タミヤの新KVについてmissing-lynxでは『砲塔がちゃんと左右非対称になっとるんかいね』という話題が出てる」という話を聞いて仰天。知らなかったよ……。

というわけで、青木氏同様、慌てて手元の資料をひっくり返して見たのだが、

  • フロントバヤの「イストリヤ・タンカ・KB」上下(2002年?)
  • Wydawnictwo Militariaの「KW vol.1」no.163(2002年)
  • タンコグラードの「KV-1」上下(2005年)

と、すべて溶接砲塔は非対称に描かれていた。下の写真は、フロントバヤとタンコグラードの、それぞれ1940年型エクラナミの平面図ページ。

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エクラナミを選んだのは、増加装甲で左右に広がっているために、車体側面との距離がぱっと見で分かりやすかったため。

いずれにしても、少なくとも20年近く前から、「知っている人は知っていること」だったわけで、乗り遅れ感が甚だしい。KVマニアを堂々と名乗る資格なし!

さて、これに関してはhn-nhさんが新橋のタミヤ・プラモデル・ファクトリーで見本を確認してきたというのを(上の衣笠砲台探索行の際に)聞き、写真も見せてもらったが、しっかり非対称に、左が右より前方に絞った形状になっているようだ。この詳細に関してはhn-nhさんの「ミカンセーキ」の記事を参照のこと。

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コメント

衣笠砲台探検お疲れ様でした。帰宅して脱いだ服やカバンのあちこちから枯枝枯葉のかけらが出てきましたよ(笑)

想像以上に密集する藪に阻まれたとはいえ、何かこちらも記事にせねばと思えど、ほとんど写真を撮っていなかった事実。。せめて砲座の穴ぐらいもう少しがんばって実測しておくべきだったか。山中をさまよう間にすっかり頭が真っ白になってましたね。さてどうしよう。

投稿: hn-nh | 2020年2月10日 (月) 00時52分

>hn-nhさん

いやもう、たどり着くだけで精一杯でしたね。

先人の探訪記など読むと、今より藪が薄かったんじゃない?と思える記述や写真があり、あの笹薮は年々深くなっているのかも。

投稿: かば◎ | 2020年2月10日 (月) 01時22分

かば◎さん、hn-nhさん
過日はお世話になりました。
オフ会的な気持ちでついていったら、おふたりとも道の果てで、ためらいもなく、
ガチでうさぎの住処的な藪の中へ潜っていってしまわれるので、ついて行きながら、ああ、これで俺も神隠しにあっちゃうのかと恐怖を感じました(笑)
でもついていってよかったです。良い物見れました。
私も砲座の写真は全く撮ってませんでした・・・
合流前に衣笠商店街で撮ったハイスクールフリートの寂れた横断幕なら撮ってました・・・
hn-nhさん、今度はチェンソー持ってきてください!

投稿: みやまえ | 2020年2月10日 (月) 23時21分

>みやまえさん

私のブログ名が「かばぶ」、hn-nhさんのところは「ミカンセーキ」、みやまえさんのサイトは「ハードな冒険」……。

みやまえさんのところが、いちばんこういう荒事(笑)にふさわしい、というか、まさにピッタリの名称じゃないですか!

投稿: かば◎ | 2020年2月11日 (火) 09時49分

かば◎さん、お久しぶりです
ようやく、ホームページを再開しました。
URLは以前と同じです。
 https://panzermemo.web.fc2.com/
まずはお知らせまで

投稿: 尾藤 満 | 2020年2月14日 (金) 20時00分

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