ごみ取り権助(T-34-85 m1943)(4.5)
●T-34-85 1943年型の今後の製作を進めていく上での若干の考証。
アカデミーのキットにおける、112工場製仕様として若干詰め切れていない部分、および、1943年型を作るうえで「バックデート」すべき点については、キットレビューおよび製作記の初回以降でも触れた(それらについては、これまでも書いたように、グムカのブログ記事「アカデミーの車体を、より1943年型らしくする」に負うところも大きい)。
ただ、よくよく当時の写真を見ると、それだけで済まなそうな部分もいくつか目についてくる。
車体工作上で面倒なのは(すでに作業を終えた)ラジエーター上カバーの形状改修だが、工作として厄介、あるいは考証上厄介なネタが主に2つ残っている。今回は作業の進捗報告は無しで、その辺について少々。
●起動輪
厄介ネタのその1が起動輪。アカデミーのキットには駆動用ローラーピン頭部分が戦後型のフラットな、後期標準型起動輪が付いている。一方で、転輪を若干初期の仕様に変えようと思って仕入れたMiniartの転輪セットには、表側がキャッスルナットになった戦中標準の姿の後期型起動輪が付いていて、基本、普通の(つまりZIS-S-53装備の)T-34-85の戦中仕様を作ろうと思えば、そちらに交換するだけで済む。
しかし、112工場製車輛の場合、どうやら-85の1943年型は(あるいはZIS-S-53装備の1944年型の極初期も?)ハブの周りにボルト列があり、リム部が別体になったより初期の形質の起動輪を使っているようだ。
実際のところ、起動輪は履帯の陰になって仕様をちゃんと確認できないケースも多いのだが、少なくとも、確かに形状が確認できる写真では(私が見た限りでは)そうなっている。
キットでいえば、例えばドラゴンの1940年型~1941年型キットに入っている起動輪パーツのバリエーションになるが、同工場製車輛の場合は、リム部が2重のリングではなく、ムクの鋼製になっているものが使われているのが普通のようだ。
このタイプの起動輪は、私が知る限りではパーツ化されていない(レジンとか3Dプリントのアフターパーツでは出ているのかもしれない)。
右は、以前に112工場製の1941年戦時簡易型(同工場製最初期の、ガソリンエンジン搭載型と言われている仕様)用に、ドラゴンのパーツから改造したもの。ただし、この写真ではローラーピン頭が円錐形だが、標準の後期型起動輪同様、途中から(-76の1943年型あたりから?)キャッスルナットが表になっているため、今回はさらに面倒な改修作業が必要になる。やれやれ……(実を言えば、写真の1941年戦時簡易型用も、まだ片側分しか作っていない)。
ちなみに、-85の1943年型でも使われていることからわかるように、それ以前の112工場生産型では基本すべてこのタイプのはずなのだが、1:35ではドラゴンの「112工場製」と銘打たれている複数のキット、1:48ではタミヤの-76、ホビーボスの「112工場製1942年生産型」のいずれも、この特徴は再現されていない。ドラゴンのキットのいくつかでは、リム部がムクでないごく普通の初期型起動輪パーツが入っているが、後期型起動輪しか入っていないものもある(AFVクラブの1:35の「T-34/76 1942 Factory 112」は3種の起動輪が入っているが、これも一般的な初期型と後期型、およびスターリングラード工場製に使われているタイプの3種のようだ)。
●予備燃料タンク支持架
アカデミーのキットの燃料タンク支持架は、(成形上の都合で内側が埋まっているものの)帯金をM字に曲げ、ロッドを差し渡した、183工場仕様と同形状のものになっている。
しかし、一本の取付けベルトを支持架側で止める183工場タイプの支持架に対して、112工場製車輛の場合は燃料タンクの外側(車体後方から右側タンクを見た場合、おおよそ2時くらいの位置)で止める(つまりベルトは2分割されている)ようになっていて、当然、支持架も別の形状であろうことが推察される。右写真はwikimedia commonsより(パブリック・ドメイン)。
いくつかの写真から、112工場製車輛では、基本、台形の板状の支持架が使われていたらしいことが判る。ディテールが判る鮮明な写真がなかなかなくて苦労するのだが、比較的有名な写真で(しかも-85の1943年型で)しっかり写っている写真もある。
また、これも比較的有名な、ドイツ軍が鹵獲してマーキングを書き込んでいる鍛造砲塔型の-76 1943年型で、やはり台形の燃料タンク支持架のを付けている車輛もある(例えばこのページの写真3枚目)。しかしよく見ると、台形の支持架側面にベルトを止めるベロがあり、支持架側で一本ベルトを締め付ける仕様になっているらしいことが判る。どうやら一般的な112工場仕様の支持架とは違うようだ。これはキーロフスキー工場製だろうか?
●そんなこんなで、112工場製仕様の(特に予備燃料タンク支持架の)ディテールがよりよく判る鮮明な写真はないものだろうか
と思いつつネット上の写真を漁っていると、20年ほど前にエストニアの沼地からサルベージされ、T-34マニアの間でそこそこ話題になった(鹵獲ドイツ軍マーク入りの)-76 1943年型が、まさに112工場製車輛で、前述のタイプの燃料タンク支持架をしっかり付けているのに行き当たった。たとえば以下の2サイトあたりを参照のこと。
- Militaarne Hiiumaa "Tanki T-34-76 väljatõmbamine Kurtna järvest"
- Here's What a T-34 Tank Looks Like after 66 Years at the Bottom of a Lake
すごい! まさに知りたい部分が現存してるんじゃん!
とりあえずネットで漁った写真には沼地から引き揚げている時の写真しかなく、しかし、引き揚げられたのが20年前なら、綺麗にレストアされた(望ましいのはレストアよりも単純に“掃除”されている状態だが)walkaround写真もあるのではないだろうか?――というわけで、facebookで最近加入した「The T-34 Interest Group」で、「誰かそういう写真を知らない?」と質問を上げてみた。
いくつか「いいね!」を貰った後で(「いや、欲しいのは情報なんだ! 『いいね!』じゃないんだ!」と思い始めたところで)、思わずビンゴ!と叫びたくなる、この車輛のレストア中の写真が多数上がっている(エストニア語の)掲示板(スレタイトル:tanki T-34/76 restaureerimine」を紹介してもらえた。なお、ページを開くとべろんと広告が下りてきたりするが、下端の「▲」をクリックすると畳める)。
ありがたやありがたや……。
望んだ燃料タンク支持架部分のみのクローズアップ写真はなかったが、比較的単純な形状だけにここに出ている写真だけでもおおよそのことは判るし、レストア中でバラバラにした写真からは普段は見えない部分も判り、思いがけない収穫も多々あった。とりあえず、これらの写真の“見どころ”を列記してみる。
▼予備燃料タンク支持架は、基本形状は台形の板の台座に、タンクのホールド部分に帯材の付いた比較的単純な形状(ただし右側面最前部の支持架は、上辺にも帯材のようなものが追加されているようにも見える。
台形の左右(というか上下)辺は同じ傾きではなく、若干下側の傾斜の方がキツイような気がするが、よく見ると上辺が揃っていないような気も。単純に切り出しが適当なだけかもしれない。
台座の帯金側の両端に小さな穴が開いていて、ベルトの取付けに関係のある部分だと思われるが、ベルトそれ自体は失われているため詳細は判らない。ここをどうするかが課題だなあ……。戦時中の写真で、これが判るものってないかしらん。
ホールド部分の帯金は、台座がその中心ラインに来るように付けられているのか、どちらかにズレているのかは、クローズアップがないので今一つよく判らない。
また、車体に対しては、台座部分にベロなどはなく、単純に板材を立てた状態で溶接してあるようだ。この写真で、根元に光が差している部分が見えるので、台座は両側と真ん中の3カ所で破線状に溶接してあるようだ。
▼起動輪は、基本初期の形質でリム部がムクになっているタイプ(例えばこの写真)。上で考察したように、駆動用のローラー軸部は、起動輪の表側でキャッスルナットになっている。
また、この写真を見ると、裏側は円錐形の軸頭になっており、要するに、-76の1941年戦時簡易型あたりとこの時期とでは、起動輪それ自体のパーツに変更があったわけではなく、何らかの理由で裏表が逆転しただけ、ということが判る。これはおそらく、183工場製等で先に使われた後期型起動輪においても同様だと思われる(ドラゴンの(戦中型仕様の)後期型起動輪だと、両側ともキャッスルナットになっていたりするが)。
▼履帯ピン打ち戻し板は、アカデミーのキットに入っているような起動輪前方のザブトン型ではなく、より初期の形質である、起動輪付け根部分上方の扇型(この写真ほか)。この車輛はキューポラ付きの43年型で、前面装甲板の組み継ぎもすでに廃止されており、-85の1943年型の直前に生産されていた仕様と考えられる。組立中の-85の1943年型も扇型打ち戻し板にしておいたほうが無難か。
なお。Wydawnictwo Militariaの#275「T-34/85」では、-85でも初期(1944年初頭)には前面装甲板が組み継ぎのものが生産されたとする図面を載せているが、これはちょっとアヤシイ気がする。
▼履帯は、引き上げ時の写真では泥のために詳細が判らないが、レストア時の写真で、後期500mmワッフルタイプのうち、センターガイドのついている履板のリブが両側目一杯まであるバリエーションであることが確認できる(レストア時に他から持ってきて交換されていなければ)。
右画像は、一番上がこのタイプ。中がより一般的な500mmワッフル。ガイドが付いていない方のリンク(下)は通常タイプで変わらず。矢印は正規の取付け方向における履帯の回転方向。
-85の1943年型でも、パターンがしっかり確認できる写真ではこのタイプを履いており、贅沢を言えばこのタイプを履かせて作りたい気がする。……が、このタイプの別売履帯なんて出てたかなあ。
▼サスアームはあらまあびっくり。183工場ではおそらく1942年型の中途くらいから使われ始めた角形断面ではなく、より初期の形質である丸形断面のサスアームだった(ただし、STZの1942年生産型同様、根元の外れ止めはすでに導入されている)。主にこの写真より。
また、第1転輪用アームは、ドラゴンがパーツ化している初期型アームとは違い、車体側軸部頭が第2転輪以降用と同形。つまり、ドラゴンがパーツ化している初期型の丸形アームと、後期型の角形アームの中間的な形質ということになる。私がSTZ 1942年生産仕様を作ったときには、第1転輪用アームはキットのまま使ってしまったが、STZでも1942年生産型あたりはこの形状になっている可能性がありそう。
なお、第2~第5転輪用サスアームは左右の互換性はないが、第1転輪用は上下にダンパー受けがあり、左右同形になっているらしいことがで確認できる。
ちなみにドラゴンの「OT-34/76 Mod.1943 (No.112 Factory)」では、丸形断面の初期型アームも入っているが不要部品扱いで(外れ止めのベロも無し)、角形断面のアームを使うよう指示されている。
しかしこの時期、まだ丸形断面のアームを使っているとなると、-85の1943年型も丸形サスアームの可能性があるかもしれない。
▼第一転輪サスアーム用のダンパーがダブルになっているが、2つのダンパーの間に隙間はなく、台座はピッタリくっついている(この写真)。アカデミーのキットをそのまま作ると、若干の隙間が開く。まあ、転輪を付けたら見えないからいいけれども。
▼転輪は、引き上げ時の写真ではよく判らないが、リム部のゴムは「穴・刻み目あり」多数に、「穴のみ」タイプが混じっているのがこの写真で判る。面白いことに、一つの転輪の内外で違うタイプのリムが使われているものも(この写真)。
誘導輪は小穴の縁に盛り上がりがあるタイプ(この写真)。というわけで、私の-85 1943年型は、Miniart製ではなく、やはりアカデミーのキットの誘導輪を(ハブキャップを加工して)使うように再び路線変更するとに。
▼現時点で私のT-34-85には付けていないが、どうやら-85の1943年型でも、この車輛同様、車体機銃防盾直下の跳弾リブは付いていそうな感じ……(鮮明な写真がなく、有無が判りづらいが)。
ちなみにこの写真では、その跳弾リブのほか、私が112工場製車輛の特徴の一つと考えている誘導輪位置調整装置のボルト頭の「でべそ」もしっかり確認できる。また、-76の43年型ですでに角形ノーズ(前端のコーナー材)が存在することも判る。
▼操縦手ハッチの写真で、ペリスコープカバーが付く部分の外側左右に、正体不明の円筒形の小突起が確認できる(しかも左側は1/3ほど削れている)。よくよく資料写真を見直すと、112工場製1941年戦時簡易型の現存車輛でも同様の突起が確認できるものがあった。謎。
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コメント
第112工場タイプの予備燃料タンク支持架へのベルト取り付け部の件,私が以前に調べたところでは,
・ベルト(金属製)の端部の中央から長手方向に向かって,支持架の板厚分の幅のスリット状の切れ込みを入れる.すなわちベルトの端部が平行な二股になる.
・支持架の小孔に,ベルト幅と同じ長さの丸棒(金属製)を挿す.丸棒は支持架の両面に同じ長さずつ突出する.
・ベルト端の二股のそれぞれを、丸棒の両端の突出部のそれぞれに巻き付けて,ベルト端が輪になるように溶接.ベルトと丸棒の間は、たぶん溶接せずに,丸棒を押し出して抜けるようにしていると思う.
という構造になっているはずです.ただ,調べたのがずいぶん昔なので,どの資料にもとづいて調べたのかがさっぱり思い出せない……
投稿: 青木伸也 | 2020年2月21日 (金) 23時14分
>青木君
ああ、燃料タンクのベルトの取付けに関しては、ぜひ君と意見交換したいと思っていたところでした。
実を言うと、その「ベルトを二股にして小穴を通した棒でひっかける」というのは私も想像したのですが(これに関しては何かを見て根拠があって、ではなく、単純に想像)、「しかし構造的に単純ではあっても、ロシア人がベルトを二股にするような芸コマなことをするだろうか」と思い直し、「183工場のベルトの片側のように三角リングを通してそれにベルトを繋げているのでは」と思い直したところでした。
ううむ。最初の想像のほうが近かったか……。
ところで、だいぶ昔(何年か前の東京AFVの会の時)に-85の1943年型の話をしていて、「準備万端、それ用の起動輪は作っているところだ」というような話を君がしていた覚えがあるんだけれど、アレは出来たの?
投稿: かば◎ | 2020年2月22日 (土) 00時16分
Wydawnictwo MILITARIAのT-34 vol.IIIに載っている円筒型タンクと支持架の画像を示します.これは,第112工場製でも比較的後期の,C字型のタイプです.この図で,固定ベルト端の構造が私の先の説明のようになっています(丸棒はベルト幅より長めですが).今検討している台形のタイプ(より古い形態)はなぜかこの本には載っていないのですが,固定ベルトまわりの構造は同じだと思います.
http://tsaoki.na.coocan.jp/img2020/20200226a.jpg
(ここは画像が簡単に載せられないのが,今となっては不便ですなぁ)
私のところのT-34-85(D-5T)は,起動輪は出来たんですけど,そこで止まってます.
投稿: 青木伸也 | 2020年2月26日 (水) 21時50分
ハンガリー動乱のときに見事にやっつけられてバラけた/85の写真があるのですが、
https://napitortenelmiforras.blog.hu/2015/10/23/a_t-34_szovjet_kozepes_harckocsi_az_1956-os_forradalom_egy_fo_tipusa
これの予備タンクが二分割バンドと一体バンドを混ぜて装備してるっぽいのと、
ソ連軍なのに1956年でも転輪混ぜ履きってのが斬新です。
タンクは盗まれたようで、
時間たった写真だとバンドだけになってます。
https://hu.m.wikipedia.org/wiki/F%C3%A1jl:F%C3%A9rfi_portr%C3%A9,_tank,_1956._Fortepan_24628.jpg
右舷後部のバンドです。
投稿: みやまえ | 2020年2月27日 (木) 20時05分
>青木君
どうもありがとうございます。助かります。
いや、そもそも私もWydawnictwo Militariaの「T-34 part.III」はざっと見ているんですが、ここにこんな図が出ているのは気付きませんでした(第III巻は細部ディテール変遷編なのに)。
今は、「タンクと一体で作っちゃうと車体に付けるときに溶接痕を付けづらいし」「ステイだけ作って予め車体に付けると、不揃いになりそうだしベルトの工作も面倒くさそうだし」というのの間で揺れてます。
ちなみに図示されているタイプのステイって、昔のグランパ(95年6月号)で、朝鮮戦争で撃破された車輛(p145)が付けてますね。これ、マケットの箱絵の元になったやつかな。
起動輪作ったら車体も作れよ……。
>みやまえさん
下から2枚目の写真ですよね。
あらほんとだ。前側のタンク取付けベルトは一本タイプに見えますね。
車体そのものは112(クラスナエ・ソルモヴォ)工場製ですが、右側転輪のうち少なくとも3つは同工場製としてはイレギュラーなスパイダーウェブ型ですね。さすがに50年代半ばともなると、このへんは交換修理を重ねた結果でしょうか。
投稿: かば◎ | 2020年2月28日 (金) 11時27分