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ごみ取り権助(T-34-85 m1943)

●日露戦争時、戦艦「三笠」の砲術長だった安保清種は、横文字に馴染みがない水兵たちに、敵ロシアのバルチック艦隊所属艦を覚えさせるため、無理やり日本語にこじつけた名前を考案。装甲艦「ドミトリー・ドンスコイ(もとは14世紀のモスクワ大公)」の“こじつけ日本名”が、「ごみ取り権助」だったとか。他に「呆れ三太」(戦艦「アレクサンドル三世」)などがある。

下って第二次世界大戦中。第38独立(火炎放射)戦車連隊は、T-34-85の1943年型を最初に受領・装備したとされる部隊で、同部隊の有名な写真では、冬季の白塗装で並ぶT-34-85やOT-34の砲塔に、「ドミトリー・ドンスコイ」の名が(たぶん赤で)書き込まれている。グムカのT-34-85砲塔のパッケージ写真も同部隊のもの。

“タタール”相手に戦ったドミトリー・ドンスコイと、ナチスドイツと戦う赤軍を重ねてのネーミングだと思うのだけれど、共産主義の労農赤軍として、王様の名前をスローガンとして書くのはどうなんだろう……。後々目ぇ付けられたりしないんだろうか(革命の先駆者とか志士の名前を書くのはよくあるけれど)。

●という、明後日方向の前置き(とタイトル)はともかく。アカデミー1:35「T-34-85 第112工場製」の、1943年型へのコンバートを含めた製作記。

前々回ちらりと書いたように、進行中の模型が複数溜まっているにもかかわらず、キット内容をあれこれチェックしたり、資料をひっくり返したりしているうちになんとなく手を付け始めてしまった。

私はこのキットに関しては、グムカのレジン製コンバージョンキットを使って1943年型として組む予定で、現段階の下ごしらえとしては、

  • 112工場製車輛として特徴の再現が不足しているところを補足・改修する。
  • 大戦末期の仕様となっているのを、1943年型に遡らせる。
  • 単純にディテール不足の部分を補足・改修する。

の、3つの方向で行うことになる。前回書いたように、おおよそのところは、グムカのブログ「アカデミーの車体を、より1943年型らしくする」が大いに助けになる。

●とりあえず、キットを標準的な112工場製車輛にする上でのポイント、エンジンルーム左右カバー部の工作。車体の改修工作の中では面倒くさい部分で、ここで足踏みしているとそのまま不良在庫化しそうなので。

レビューで書いたように、キットは第183工場の1942年型途中から(?)の形態的特徴となっており(ウラル重機械製作工場なども同様)、これを112工場仕様に直す必要がある。

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グリルの後ろ側にカバーが回り込んでいる状態を再現するにあたっては、

1案:キットのスジ彫りを埋め、カバー部が延長されている状態に彫り直す。

2案:キットのエンジンルーム上面前半部分を全部削り飛ばしてしまい、ドラゴンの初期型キット(例えば余っているSTZ車体上部)から、カバー前端部を-85形状に修正して移植。

3案:グリル後ろに差し渡された板状パーツ部分を切り飛ばし、左右カバーからの回り込み部分を新造。

のうち、どれにしようかあれこれ迷っていたのだが、結局、第3案で行くことにした。エンジンルーム中央バルジ後面も、183工場仕様では板状パーツが張り付いた状態になっているが、ここは上面の溝を伸ばしランナーで埋めてからなだらかに削り直した。

左右カバーの形状を修正するにあたって内側グリルは作業の邪魔になるのと、そもそも彫りが浅くて出来もいまいちなので、思い切ってグリルも削り取ってしまい、後からドラゴンのグリルパーツをはめ込むことにする。アカデミーのグリルのモールドとドラゴンのグリルパーツでは、幅はほぼ同じなのだが、前後長はアカデミーがだいぶ短い。実車写真を見ると(そもそも-85では砲塔バッスルに隠れてグリル前方を確認できる写真が少ないが)、グリル前端は点検ハッチより前方にあるのが正しいようなので、ドラゴンのパーツに合わせて前方に穴を広げた。

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グリルは両端のものも含めてドラゴンのパーツを使用。スターリングラード工場製の1942年生産仕様、112工場の初期型に続いて、今回もグリルをスライス&削り込みして透かしに抜いた。実物はもっと枠は薄いしロッドもはるかに細く、ヤワな出来で変形しているのが普通、くらいの場所なのだが、そのへんは目をつぶることにする。

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抜き工作をするとエンジンルームががらんどうなのが(場合によると)見えてしまうので、目隠し程度に中央バルジの側面とエンジンルーム上面板とを作る。以前の工作では側面グリルの内部には燃料注入口とかサススプリング調整口とかを申し訳程度に付けたが、結局ほとんど見えなかったので今回は省略した。

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工作終了状態が上写真。両側カバーのグリル後方への回り込み部分と、中央バルジとが接する部分は、ドラゴンの初期型T-34を見習って縦に平行になっているが、実際には、バルジが台形断面なので、ここも「ハの字」になっている。が、どのみち後部カバーを付けると見えなくなるので直さない。

また、中央両側グリルの前方は、カバー本体と独立しているふうにスジ彫りがある。実際、183工場製の車輛では1942年型以降?、ここは別体なのだが、112工場製の-85で、ここが別体になっていない例もあったりして悩ましい。そもそも、この部分は砲塔バッスルに隠れて見えないことが多いので、どういう形態が標準なのかが確認しづらい。もっとも、これを修正するとなると、筋彫り埋めるだけでなく現状では段差があるカバー部前面部も作り直しになってしまうので、作品でもバッスルに隠れて見えなくなることを期待して修正せずにおくことにする。

(2/17追記。などと言いつつ、結局その後、筋彫りは埋めて、前側の段差も削った)

●車体側面は、グムカのブログに従って位置をずらして取り付けるため、手すり用のダボなどを埋める。

ついでに、側部フェンダーの溶接跡、フェンダー自体の継ぎ目、右フェンダー上のグローサー収納部のベルト用金具などを工作。

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フェンダー溶接跡は、前回スターリングラード工場製車輛を作ったときには全面ベタ付けにしたのだが、今回は破線状に。これも、「割といい加減に破線状」と「ほぼきっちり等間隔に破線状」とがあるような感じなのだが、工場・生産時期との因果関係まできっちり詰められていない。今回は前者のような感じにした。

フェンダーの分割線は、標準と思われる“ほぼ三等分”の位置に入れた。ただし博物館展示車輛のwalkaroundをみると、もっと細かく分割されている例もあり、しかも継ぎ目の処理(溶接して継いだあと、車体側を薄板でカバーする)を見ても生産時のままようにも見え、実際にはなお検討の余地あり。とはいえ、今回は「もう作業しちゃったしこれでいいかー」状態。

グローサー収納部金具は、キットのモールドを削り取って、フェンダー側は0.35mmの真鍮線。車体側はminiartの転輪セット(#35239)に入っていたオマケパーツを使った。穴に通すことができない形状なので、普通の接着剤が使えるほうが有り難かったため。

●車体前面。こちらも波切板や予備履帯用のダボ穴を処理。また(これまたレビュー時に書いた通り)、誘導輪位置調整装置のアタマは、モールドの凸部を削り取り、穴を開けてTigermodel 'TANKMAKER'製レジンパーツを取り付けた。1-color君ありがとう!

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●シャーシ後面。ファイナルギアハウジングはわざとらしい鋳造肌モールド入りだったが、実物は鍛造なのだろうか?――少なくとも112工場製の-85では割合すべすべな感じなので、表面モールドは削り落とし、シャーシ後面板への溶接跡も追加。また、ギアハウジングの内側側面と最下部に、グリスポイントと油抜きの穴を開けた。

内側側面のグリスポイントは、少なくとも-76ではボルト頭と思しき出っ張りがあるのだが、-85の現存車輛では穴状態になっているものが多く、そのように表現した。ただし、実際には何かフタのようなものが付いていたのが失われて穴開き状態になっている可能性もなきにしもあらず?

また、後面板中央には、第112工場製車輛の特徴である牽引ラグを追加した。この牽引ラグ、現存の博物館車両では、明らかに第112工場製車輛と思われるものでも付いていない(そして溶接跡などもない)場合がある。戦後のある時期以降、112工場でも廃止されてしまったのかも。

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●エンジンルーム後面パネル。発煙ドラムに向けた配線は、グムカのブログに従って削り取った。中央4か所には、厳寒期に使用するエンジン始動用ストーブ取付け用の金具。以前、ドラゴンのSU-85Mを作った時と同様、0.6mmの真鍮パイプで追加した。

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このエンジン始動用ストーブ取付具がいつから標準装備されるようになったか、正確なところは知らないが、第183工場製車輛の場合は、ナット砲塔にキューポラが付いた1943年型あたりからは付いている模様。122工場製の場合、“ドミトリー・ドンスコイ”の-85 1943年型で、所定位置にストーブを背負っている写真があるので、少なくとも(私が作ろうとしている)-85の1943年型初期型ではすでについていたことはわかる。

上写真で左下に転がっているのが始動用ストーブ本体で、これはminiartのSU-122初期型キットに入っているもの。実物は、煙突の付いた単純な箱で、中で火をおこし、T-34のエンジンルーム下に突っ込んで使用するものだそうだ。「T-34の股火鉢」って表現したの、誰でしたっけ……(秀逸)。

排気管はスライド型まで使って一発抜きしているものの、開口部が浅く縁も厚い。モーターツールのビットを手でグリグリして穴を広げ深くした。排気管カバーは標準的な形状のものだが、もっとなだらかに盛り上がっているほうがよかったかも。カバーの取付ボルトは側部の3対のうち最上段のものだけ左右に間隔が広く、「え?そうだったっけ?」と実車写真を見直したら、実際に違っていた。ただし、キットのように「広・狭・狭」ではなく、「広・狭・広」のように見えるものがある。……もしかしたら、単純に「そもそもきっちり揃えずに適当に穴を開けてボルト止めしている」だけなのかも。標準化された部品じゃないのかコレ?

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コメント

「T-34の股火鉢」はロシヤの戦車のことは解らない私が皆さんの会話で知った情報から厳冬期に暖機するためエンジンルーム下で温めるとの記述に触れて面白いことをするもんだと思ってコメントしました。

投稿: hiranuma | 2020年1月14日 (火) 23時53分

キットレビューから軽く始まってどっぷり嵌まり込んでますねー

エンジンルームのグリルですが、ドラゴンのパーツの裏を削り込んで透けるようにするのは手軽でいいアイディアですね。グリルをエッチングパーツで実際の構造を再現しようとしたら気が狂いそうだし... このあたりはMIniArtのSU系でも中途半端な再現でした。
3Dプリンターなのかな、この類の造形に適してるのは。

投稿: hn-nh | 2020年1月15日 (水) 04時42分

>hiranumaさん

ああ、hiranumaさんでしたか。
使わせていただいてます。
股火鉢、言い得て妙だと思います。

>hn-nhさん

このグリルは、エッチングで単純に平板に抜いたものもあるのですが、これではプラパーツよりさらに劣化した表現になってしまい、「なんでもエッチングにすりゃいいってもんじゃないだろ」の典型のような……。

aberのT-34-85用セットには、重ね張りすることで多少なりとも立体感を出すようにしたものと、実物通り枠を組んで金属線を通すものと、両方がセットされていたはずです。後者だと申し分ないんですが……。

T-34系は1輌しか作らない!という場合は張り込む気になるかもしれませんが、ドラゴンだけでもまだ何輌かストックもありますし。

投稿: かば◎ | 2020年1月15日 (水) 12時25分

最終減速機のカバーはプレス製品のようですね。
T-34 Vol.III / _Wydawnictwo Militaria 268 P64
https://imgur.com/etaZjwy

鋳造の場合、砂型の作り方次第で肌目は綺麗にもなるのでしょうけど
湯口がどこかに残りそうですし。

ごみ取り権助は、そう覚えてしまうと、そうとしか聞こえないですね(笑)

投稿: hn-nh | 2020年1月16日 (木) 17時18分

>hn-nhさん

私も、ほとんどのバリエーションでプレスだと思っています。
ただ、中には鋳造のものもあるようで、下写真の中央下のものは、かなり派手な湯口があります。
https://kabanos.cocolog-nifty.com/photos/temp/20200117_161326.jpg
(アルマゲドン「T-34 Mityczna Broń」)

これはどこ工場のいつ頃のなのかなー。キャプションには書いてあるようですが、ポーランド語なのでなかなか調べる気になれなくて。

投稿: かば◎ | 2020年1月17日 (金) 16時26分

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