ごみ取り権助(T-34-85 m1943)(2)
●アカデミーのT-34-85(第112工場製)キットをベースにした、T-34-85 1943年型製作記の続き。
とはいっても、まだ1943年型仕様の工作までたどり着かず、前回記事で触れた「3つの工作の方向性」でいうと、主に「単純にディテール不足の部分を補足・改修する」の部分にかかずらっている段階。
●全般的にこのキットでは鋳造部分のテクスチャー表現が大げさな一方で画一的で、一言で言ってしまうと「キモチワルイ」感じなのだが、操縦手ハッチは特にそれがひどい。なんだか「南米アマゾン産の珍しい両生類の皮膚標本」みたいな。上部の2つのペリスコープカバーについても同様。これはさすがにあんまりなので、テクスチャーを削っては接着剤で荒らすという工程を数度繰り返し、右のように直した。
ロックハンドル軸の溶接部(下側左右の「◎」)は、軸の周りが丸く窪んでいるもの、逆に出っ張っているもの、そもそも窪みも出っ張りも目立たないものなどバリエーションがあるが、今回は窪んだふうに工作した。工作それ自体は、とりあえず丸く貫通孔を開けてしまい、ちょうどはまる太さにしたランナーを一段下げて接着したうえで、中心軸の盛り上がりを付けた(いちいち書くほどのものなのか、という方法)。
そもそもT-34の操縦手ハッチは、鋳造肌の荒れ具合、真ん中の湯口が目立つかどうかなども含め、かなり差異が大きい。生産工場によって(おそらく納入する下請け工場の別によって)、さらに生産時期によってある程度傾向が分かれているように思うが、今のところ「スターリングラード・トラクター工場製車輛のこのタイプのハッチはだいぶ仕上げが汚いようだ」「クラスナエ・ソルモヴォは割とおとなしめ?」くらいの、割といい加減な知見(というか単なる印象)しか持っていない。
なお、アカデミーのパーツには一応ペリスコープもモールドされているが、揃って正面を向いていて、若干左右に角度をつけて開いた状態は再現されていない。(が、カバーを開状態にしても、どうせほとんど見えなくなるので直さなかった)。
ドライバーズハッチに関しては、昔、「ハラT」青木伸也氏から自作のドラゴン用パーツを複数貰っていて(下写真左)、お手軽にそれに交換することも考えたのだが、蝶番のかみ合わせ部分が微妙に合わず断念した。ちなみに青木氏のこのパーツは、もともとドラゴンの最初のT-34-85キットのハッチ・パーツにペリスコープもペリスコープカバー用の窪みもなかったため、その代替用に作ったもの。こちらはロックハンドル軸の周囲が盛り上がっているタイプとなっている。
ペリスコープカバーは開状態で接着(ハッチを全て閉めて組み立てた場合、ここが開いていないと生きている車輛に見えない気がするので)。ペリスコープの外側左右にカバーの作動ロッドも追加したが、もともとアカデミーのパーツのペリスコープは左右に広すぎるようで、作動ロッドが若干上すぼまりになってしまった(どのみちほとんど見えないので修正せず)。
●脱線話。
そもそも、T-34の操縦手ハッチのペリスコープ用装甲カバーって、いったい何のために付いているのだろう?
ハッチを閉めて操縦中は、基本、このカバーは開状態になっていないといけないはず。逆にカバーを閉めた状態で運転するには操縦手ハッチそれ自体を開けているわけなので、装甲カバーで守る意味がない。そもそも開閉式のカバーなど付けず、固定式の雨避けカバー程度のものが付いていればよかったのではないだろうか(というか、1941年型まではそんな感じだったのに)。
ドイツ戦車の操縦手用の装甲バイザーは、直視用の開口部(の防弾ガラス)前面をふさぐもので、閉めた場合に使うペリスコープが本来は別にあったから(後期にはペリスコープが廃止されてしまっているが)、開閉機構があるのは判らなくはない。
……などとつらつら考えていたのだが、もしかしたら、このカバーは「開けるか、閉めるか」ではなくて、外の様子(例えば日差しの強さや角度)に合わせて、「どれくらい開くか」を選ぶために開閉機構付きになっているのかもしれない(要するに自動車用サンバイザー的なイメージ)。
●その他、車体前後面のあれこれ。
車体機銃のバルジは、ちょっとヤスって鋳造肌を落ち着かせた(ここはもともと操縦手ハッチほどひどくなかった)。前面のリング部分は別部品。そのまま付けるとバルジ本体とツライチな感じになってしまうので、のりしろになるフランジ部分を少し削って、わずかに出っ張るようにした。
前面・後面の牽引フックは頂部にドリルで小穴を開けたが……判らないねコリャ。この先、塗装したら埋まってしまうかも。
フックの外れ止めのツメは、それなりにマトモなパーツがキットにちゃんと入っている。銅線でコの字金具を追加した。この金具については、スターリングラード・トラクター工場製の車輛を作るときに、「ツメを閉状態にするためのバネ材?それにしては位置が変?」とあれこれ悩んだが、セータ☆さんから「バネは別にあるので、これはワイヤーを掛けるときにツメを開くためのハンドルでは」と教わった。
ちなみにツメの受け金具の形状はキットが表現しているようなコの字型のものと、取付けベロが外に開いているものとがあり、工場や時期で差があるようだ(例えばフィンランドが鹵獲使用した183工場の-85の初期型は外開き。後の標準的な183工場製はコの字)。とりあえず、122工場製ではコの字が一般的のようなのでキットのまま使用。おそらく戦後型だと思われるが、コの字を寝かせたような形状のものもある(言葉で書いても何のことやら)。
●エンジンルーム後部の通風孔とそのカバー。
通風孔の可動シャッターはキットにパーツが入っている。かなり分厚いが、どのみち、メッシュ越しではほとんど見えないので、上側の縁を若干薄削りするに留めた。
カバー部は、メッシュも含めて一体のプラパーツと、メッシュ部分が抜けていて付属のエッチングパーツを貼るものとの選択式。当然後者で作る。キットのエッチングパーツはステンレス製? 硬くてバネがあり、ゲート部分も切り離しにくく、ちょっと扱いづらい。ディテール的にも目の細かさはよいが線自体が太過ぎる(が、そのまま使った)。
メッシュの枠は前後の長辺はメッシュと一体、縦線が別部品。内側の4本に3つの小リベットが付いているのはどの仕様でも標準だが、外枠にリベットが付いているかどうかはかなりのばらつきがあり、「初期だからリベット付きで後期だからリベット無し」とは一概に言えないようだ。キットのエッチングは外枠左右端のパーツにも小リベット付きになっていたが、112工場製車輛の写真を漁っていて見つけたリベット付き仕様と本数が違っていたりしたので、結局プラバンでリベット無し仕様にしてしまった。
なお、このリベットは(少なくとも後期のT-34では)メッシュを枠に固定するためのもので、枠+メッシュ全体はカバーに溶接されているのが標準のようだ。溶接は破線状が一般的なようだだが、ベタ付けもある。工場・時期による差異もあるかもしれないが、そこまで突き詰めて調査・考証しておらず、たまたま見た112工場製車輛(1945年型?)が破線状だったので破線状にしたまで。1943年型がどうだったかは、そもそも現存車輛もなく鮮明なクローズアップ写真もないのでよくわから~ん!
なお、カバーは全体をプレスして通風孔部分を後から切り抜くのではなく、左右+前後の4パーツを枠状につないで作るものらしい(仮に中央の穴を機械で打ち抜くとすれば前者のほうが量産性に優れるが、資材を無駄なく使うには後者のほうがよいはず)。そのため、通風孔部分の左右辺に合わせ、前後方向に薄く溶接線が入っているのが標準のようだ(122工場製でも183工場製でも)。なお、左右の立体型になっている部分はrが緩やかなものと、エッジが立っているものがあり、エッジが立っているものでは(一部のエッチングのアフターパーツにあるように)後半のカーブ部分は、切り欠きを入れて溶接で形にしているものもありそう。
| 固定リンク
「製作記・レビュー」カテゴリの記事
- ずしのむし(2023.11.02)
- ポーランド・メタボ士官(2023.08.26)
- つれづれSU-100(5)(2023.06.24)
- つれづれSU-100(4)(2023.04.01)
「T-34」カテゴリの記事
- 不要不急料理(2020.05.03)
- ごみ取り権助(T-34-85 m1943)(5)(2020.03.09)
- ごみ取り権助(T-34-85 m1943)(脱線編の続き)(2020.03.07)
- おかわり自由(2020.03.03)
コメント
ドライバーズハッチのペリスコープカバーは、
敵陣内への突撃の時に、目標を見定めたら閉じて、
あとは車長の指示で真っ直ぐつっ走るのかなって思ってました・・・
見えなきゃ怖さが減るし・・・競馬馬的な・・・
アカデミーの鋳造表現は、鋳造というより、
ペンキ塗った鉄板を波止場に置いといた十年後・・・
みたいな表現ですな・・・
投稿: みやまえ | 2020年1月25日 (土) 01時22分
ペリスコープの装甲カバーはちょっとだけ開けた「薄目」状態で走るのが戦闘中の姿かもしれませんね。下方直近の地面は見えて穴に落ちたりしないようには運転できて正面遠方の敵の姿は見なくていいように(^^)
開閉式カバーの形状があのスタイルになって-76 、-85と変化しなかったのは、それなりに役に立ってたということなんでしょうね。
投稿: hn-nh | 2020年1月27日 (月) 06時13分
>みやまえさん
ちなみに、逗子、葉山の海っぺたのマンホールのフタはかなりすごいことになってる場合があります。
……って、たぶんみやまえさんとこの近くにもありそうですね。
まっすぐ突撃って、KVは(トランスミッションにかなり重大な弱点を抱えていたので)時々やってたような話を聞いたことがありますが。
>hn-nhさん
そうなんです。
いわゆる「41年戦時簡易型」でこのハッチになってから、生産終了まで(SU系列も含めて)使われてるんですよね。
砲架に圧迫されてこのハッチが使えなかったSU-122も、これの半分版みたいなヤツを使ってますし。
やはり「閉められること」が重要なのではなく、「調整できること」がよかったのか……。
もひとつ謎なのは、クラスナエ・ソルモヴォ(112)工場とスターリングラード・トラクター工場製の車輛に一時期だけ装備されていた、操縦手ハッチの斜め上にある「小型ペリスコープ穴」です。いったい何の必然性があったのか……。
投稿: かば◎ | 2020年1月28日 (火) 23時21分