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2020年1月

新製品ショック

●数日前から(1月29日~?)ニュルンベルクのトイフェア(Spielwarenmesse Nürnberg)が開かれていることもあって、あれこれ新製品のニュース・ラッシュ。

青天の霹靂だったのは、前記事へのはい人28号さんのコメントにあるように、miniartからT-34-85の1943年型発売が発表されたこと。うがあああああ!

タミヤからは事前に噂が流れていたルノーR35だけでなく、なんとKV-1の完全リニューアル版が登場。

フェア会場での発表に関しては、IPMSドイッチュラントにある程度の写真レポート()とリストがアップされている。

飛行機などでもちょっと気になる製品があったりもするのだが、とりあえず、上記3点について、現時点で分かっていること、気になるポイントなど。

●miniart 1:35「T-34/85 w/D-5T PLANT 112. SPRING 1944」

同社がいずれT-34の戦車型も出してくるであろうことは規定路線と認識していたが、まさかこんな変化球アイテムから出してくるとは思わなかった。大ショック。いや、いいんだ、いいんだ。高田さん渾身の43年型砲塔がminiartに負けるもんかー(←もう何が何だか)。

とりあえず、これも含めたニュルンベルクでの発表アイテムに関するminiartの公式ページ

同社のことなので、今後、かなり細かく生産時期などを刻んで製品展開してくることは間違いないだろうが、とにかく今回発表のものは、砲塔キューポラが後方に移動した、D-5T搭載の1943年型の中では後期に生産されたタイプで、この点では、現在私が製作しているアカデミー/グムカのものとは少し仕様が異なる。それも含めていくつかのポイント。

・miniartのことなので、車体が112工場製の仕様をきちんと再現しているかどうかは、あまり心配しなくてもいいように思う。いや、うん、大丈夫だよね?

・とりあえず今回はエンジンを含めたフル・インテリア再現キット。高そう……。SUの例を考えても、例えば、1943年型の初期型はインテリア再現無しで出してくるといったことも考えられる。

・車体が112かどうかは大丈夫そう、と書いたが、起動輪は箱絵やCGを見る限り、どうやら後期標準のタイプが入っている様子。同工場の-85は少なくとも1943年型くらいまではハブ周囲にボルトがあり、リム部に厚みがあるより初期型の形質のものが使い続けられていたのではないか、というのが現時点での私の考察。

・左側面の筒型燃料タンクは当初は前側だけあるのが普通だが、1943年型でも後期の生産型では後ろ側に移動しているらしく、キットもその仕様。例えば撃破された1943年型後期型(砲塔番号2312)の脇をティーガーが走り抜ける有名な写真(例えばCONCORDの“SOVIET TANKS IN COMBAT 1941-1945”のp56)の車体も、筒形燃料タンクは後ろ側にある。

・筒型燃料タンクの支持架は、箱絵でも取付ベルトの結合部がベルトの途中にあるタイプになっており、支持架自体も112工場仕様になっているのではと思う。

……とりあえず、ものすご~く気になるキットではあるけれども、一生のうちに1943年型を2輌も3輌も作らないだろうし、ものすごく高そうだし、パスかな~。

タミヤ 1:35「KV-1 MODEL 1941 EARLY PRODUCTION(ソビエト重戦車 KV-1 1941年初期生産型)」

後述のルノーR-35は昨年末から噂が流れていたけれど、こちらは「まあ、そのうちあるかもな~」くらいの感じだったので驚き。とりあえず、タミヤの会場発表に関する公式ページはこちら

現時点で、会場発表の見本やパーツから読み取れるポイントは以下のような感じ。

・箱絵もそうだが、仕様に関しては、割と有名な「林の中で待機している第116戦車旅団のKV」に写っている「スターリンのために」と大書された車輛の仕様を、おおよそ忠実にトレースしている(「おおよそ」である点に関しては後述)。

800pxkliment_voroshilov_kv1_model_1 ・形式は主砲がZIS-5に変わった、いわゆる1941年型。この点ではタミヤが一番最初に出した鋳造砲塔のKVと同じ。ただし各部はもっと古い形質で、1941年型としてはかなり初期の仕様となっている。モスクワの中央軍事博物館に野外展示されている車輛(右写真、Alan Wilson from Stilton, Peterborough, Cambs, UK - Kliment Voroshilov KV-1 model 1942 - Central Armed Forces Museum, Moscow, CC 表示-継承 2.0, リンクによる)とも仕様が近く、そちらも参考にしている可能性があるかもしれない。

・関連して。日本語のキット名称が「1941年初期生産型」となっているのはいささか疑問。そもそもZIS-5が搭載され始めたのは1941年秋(10月?)からのことらしい。ZIS-5搭載型を「1941年型」と呼ぶのはある程度コンセンサスがあるところで、その英語名称のように、「1941年型の初期生産型」と呼ぶのはOKだが、「1941年の初めころに作られた」と思わせる名称はどうかと思う。

・車体に関して。エンジンルーム上面のボルトなどが間引きされていない1940年型仕様のまま。操縦手用ハッチも、初期の皿型のものとなっている(キットもそうだが、上記の「第116戦車師団のKV」の写真でもそうなっている)。すでに1940年型の後期からフラットタイプの車体ハッチが導入されているので、(砲塔の仕様とも併せて考えて)キットの仕様の車体は1941年型として新規に生産されたものではなく、古い1940年型を41年型にアップデートした改修車輛である可能性もあるかもしれない。ただし、この時期はちょうど工場の疎開とも合わさって生産体制が混乱していた時期でもあるので、チェリャビンスクにおいて、とりあえずストックにあった旧型部品で生産を開始したものと考えることもできそう。もちろん、モデラーとしてまず気にすべきは「そういう仕様が実在したかどうか」であり、その点はほぼ同一仕様の写真があるので問題ない。

・余談。タミヤの旧シリーズはボルトが間引きされた1941年型でも後半からの仕様で、最初に発売された1941年型(キット名称「KV-1C」)には合うものの、その後発売されたKV-2やKV-1エクラナミ(キット名称「KV-1B」)にはふさわしくなかった。というわけで、新キットをベースに、キット名称KV-1Bの増加装甲付き砲塔・ゴム縁付き上部転輪を持ってくると、より正確な1940年型エクラナミを作ることも可能。また、この仕様で出してきたということは、今後KV-2などへの展開もあり得るかもしれない。

・砲塔に関して。KVの砲塔は似たような形状のものがたくさんあって分かりづらいが、バッスル下の丸部分の前縁にリベットが2つあるので、バッスルが短縮されていない1940年型前半の標準タイプの砲塔であると判断できる。タミヤのツイッターにUPされたこの見本写真でも、後部ペリスコープと砲塔後縁に、ある程度の間隔があることが確認できる(もちろん、見本がきちんとテストショットで組まれているとすれば、だが)。砲塔のタイプに関しては、以前の当かばぶの記事を参照のこと(KV maniacsメモ(砲塔編その1))。同記事内では、この砲塔は「標準型溶接砲塔(タイプ3)」と分類しているものにあたる。ただし、側方ペリスコープ下に跳弾リブが溶接されているなど、1941年型仕様への若干の改修も加えられている。

・履帯は部分連結式のインジェクション・パーツ。ピッチはそれなりに普通に見えるので、起動輪の歯数も直っているだろうと思う。履帯は1941年型の中途から2分割タイプの混ぜ履きが標準だが、キットは(上記実車写真の通り)全部1ピースタイプの初期仕様。各社キットを作るうえでの必要性の高さから言えば2分割タイプ混ぜ履きだったほうがより有り難いが、初期仕様でも十分に有り難い。起動輪の中央皿形カバーはボルト数の多い初期型。

・転輪は緩衝ゴム内蔵型で、その中でも終わりごろに生産されたリム部に小リブのあるタイプ。トライスターの「Russian KV-1's Ekranami」にセットされているものと同一仕様。ただし、実際にはデカールに選ばれている第116戦車旅団?の「スターリンのために」は、少なくとも左側第一転輪には、ちょっと変わったタイプの別バリエーションの転輪を混ぜ履きしている。これについては、セータ☆氏の考証記事「KV-1 ハーフリブ・タイプ転輪」を参照のこと。キットには、さすがに1種類の(標準的な)転輪しか入っていないんじゃないかなあ……。上部転輪は1941年型になって導入された全鋼製のもの。サスペンションアームの軸キャップは6本ボルトタイプか、3本ボルトタイプかは現時点では判別不能。

・その他。実際には、第116戦車旅団?の「スターリンのために」は、車体左フェンダー後部、工具箱の前方マスに筒形燃料タンクを搭載しているが、キットには入っていない模様。

・エッチングパーツはセットされていない模様。ラジエーター上のメッシュグリルは、ごく一部(KV-2の初期型とか)を除いて、最前部が平らになった、単純なくせにエッチングでは厄介(作りにくい)形状なので、これは仕方ないかも。願わくば、タミヤの48キットのような情けない表現にはなっていないように……。ただ、エッチングメッシュが付いていないとなると、後部オーバーハング下も筒抜けになっている可能性大で、やはりどこからか(できれば安くで)この2か所のメッシュパーツが出てほしい。

タミヤ 1:35「FRENCH LIGHT TANK R35(フランス軽戦車 R35)」

ルノーの名前がないのは、商標権がどーしたこーしたなんですかね?(まさか日産に配慮したとか?) とにかく、昨年から噂になっていた(特に私にとっては)待望の新製品。

・形式。1500輌余り生産されたルノーR35には細かいサブタイプの別はないが(足回りが変更された「R40」の制式名称は「Char léger Modèle 1935 R modifié 1939(軽戦車-1935年式-R-1939年改)」なので、これがサブタイプと言えなくはないが)、生産時期によって若干の細部仕様の差がある。キットはおおよそ「中期型」と言える仕様。

・クローズアップ写真がないので断言はできないが、車体は、後期生産型の特徴である操縦席左右のスリット上部のヒサシ状の凸部無し、エンジンデッキのグリル周囲の跳弾リブ無し。一方で、初期の300輌弱のみの特徴である車体前部のアップリケアーマー?もなさそう。

・車体右側の工具箱は若干背の高いタイプ。これについては「生産中盤以降ちらほら見られるような感じ?」というくらいのイメージしかなく、生産時期との具体的な関連性は現時点では不明。

・砲塔前面・左右の視察装置は中期以降の標準であるスリット式のみで、初期標準の双眼鏡式(シュレティアン式)の視察装置は入っていないらしい。仕様としては、初期に生産された(登録番号の若い)車体でもスリット式の場合があるようで、たぶん開戦までに交換された車体が結構あるようだが、塗装の選択肢を広げるという点では双眼鏡式も入っていてほしかったと思う。ちなみに先行のホビーボスのキットは双眼鏡式視察装置だけ(追記。ホビーボスはスリット式視察装置/主砲長砲身の仕様をR39として別に出している)。エレールはコンパチだった。(いや、実は入ってるよ!という場合はゴメンナサイ)

・砲塔天井後端には対空機銃架基部付き。これは付いている車体と付いていない車体あり。時期との関連はあまりよくわからず。実車写真をよく見ると、装着位置が微妙にズレていたりするので、生産後に一部車輛に追加されたものではないかと思う。こういう形状のものについては、ないものを追加するよりあるものを削るほうが楽なので、これは付いているのがより良い、と思う。

・足回りは、履帯に関してはKV同様に部分連結式インジェクション。比較的最近のタミヤ製品に入っていた「接着可能な軟質樹脂履帯」は経年劣化がかなり心配な素材だったこともあり、塗装等の観点でも部分連結式は嬉しい。誘導輪は軽め穴がパッチでふさがれた中期以降の仕様。ホビーボスは穴がふさがれていない初期仕様とコンパチだったので、ちょっと寂しいかも。リム部両側を別部品にして窪みを表現するのは先行のホビーボスのキットと同様。

・エッチングパーツは含まれていない模様。排気管カバーや、車体前端のルノーのエンブレムがどれだけシャープに再現されているかはちょっと気になるところ。また、車体前端はホビーボスと同じ処理で、本来一体である鋳造のノーズ部品の真ん中に、横一直線でパーツの継ぎ目が来るのは「う~ん」という感じ。もっともタミヤのことなので隙間なくピッタリくっついて、あとからナイフでさっと一撫で、で済んでしまうのだろうけれど。

・その他あれこれ。基本、主砲パーツはSA18のみの模様。一部車輛の装備ではあるが尾橇なども入っておらず(そもそもこの辺は主に後期生産車中心なので仕様との整合性もあるが)、内容としては選択肢が狭めでシンプル。また、ホビーボスはインテリア付きで各ハッチがすべて別部品だったのに比べ、タミヤは内部無し、ハッチは乗降用を除いて一体化されて組み易さ優先。私はそもそもインテリアを作る趣味はあまりなくて、その分安くしてほしい派なので、これは歓迎(インテリアはアフターパーツで出てくれればいいと思う)。ただし、操縦手用乗降ハッチの下側まで一体化しているのは(私はどうせ閉めてしまうので構わないが)ジオラマ派の一部の人からは不満が出るかもしれない。

2/1追記。すでに一部にテストショットが出回っているらしく、youtube上に、早組みレビュー動画が上がっていた。フェア会場での写真ではわかりにくかったところもある程度チェックできてよい。

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ごみ取り権助(T-34-85 m1943)(3)

●アカデミーのT-34-85(第112工場製)キットをベースにした、T-34-85 1943年型製作記。

●載せる予定のグムカのコンバージョンキット、「T-34-85 mod.1943 turret early type」を少々いじる。

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箱の中身はごろんとレジンの一発抜きの砲塔本体と、付属のレジン小パーツ(キューポラ本体、ベンチレーター、ペリスコープ、防盾、防盾カバー、アンテナポスト、砲塔吊り下げフック用治具)と、アルミの挽き物砲身。

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アカデミーのキットが指定のベースキットだが、砲塔リングは砲塔側でやや小さく、ガタツキが生じてしまうので、車体側に0.5mmプラバンの細切りを巻いて調整した。また、砲塔はレジンのムクで重量があり、不注意で取り落としたりすると角や細部パーツが割れたり跳んだり、大惨事になりかねないので、車体に噛み合うベロを工作した。このベロに関しても、砲塔の重みでショックが加わると、瞬着だけではすぐに剥がれかねないので、KV戦車の装甲板に倣って、ドリルで穴を開け伸ばしランナーのピンを挿して補強した。

そして実際に車体に載せてみたのが下写真。

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なんだか、車体に比べてやたらにでかく見えるのだが、これは履帯やフェンダーが付いていなくて車体がボリューム不足であることと、色の問題によるものではないかと思う。グムカの完成見本写真で見ると特に違和感はないし、アカデミーのキットの45年型の砲塔と比べても、長さや高さは基本同じ、幅に関してはむしろアカデミーの砲塔のほうが大きかった。

なお、側面に走る鋳造のパーティングラインとは別に、このパーツ自体の分割線は鋳造ラインのやや下にあり、それほど目立つものではないが丁寧に消す必要がある。

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砲塔上の小パーツに関しては、キューポラに対して砲塔上面の穴がかなり大きく、ガタつくだけでなく周囲にわずかに隙間も覗いたので、瞬着を流し込んだ。流用が指定されているアカデミーの両開きハッチのパーツも、ハメ合わせの際に若干削る必要があったので、キューポラパーツ側が少し収縮している可能性もある。ただし、ハッチを載せてみて違和感を覚えるような大きさの差はない(もともと、両開きハッチが載る初期型の小径キューポラは、ハッチを含めた上面がやや周りにはみ出すスタイルのはずなので)。

ベンチレーターに関しては、周囲の溶接痕にわずかの欠けもあり、こちらも若干の埋め作業が必要だった。

ただし、一部の(古いキットの場合には特に)レジンキットでは悩まされる気泡は皆無で成型状態は美しく、部品の合わせも(上には細かく書いたが)レジンキットとしてはむしろ良好な部類だと思う。

●上の「砲塔を載せてみた」写真にも写っているように、転輪はアカデミーのキットのものよりも初期の形質、ゴムリムに穴が開いている仕様のminiart製のものに交換予定。

miniartからは、T-34系列用の転輪や履帯が各種別売されているが、今回購入したのは#35239、「T-34 WHEELS SET. 1942-43 SERIES」。転輪、誘導輪、起動輪のセット……というだけでなく、何やらいろいろと不要小パーツが入っている。

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写真2枚目:主役の転輪。アカデミーのパーツと違い、表側はきちんとナット表現。この写真には写っていないが、ホイールディッシュ内周部分の裏は、転輪の内外がベタ付けではなく隙間が空いていて、結合ボルトが見える表現になっているのも新しい。組んでしまえば見えなくなる部分だとしても。

写真3枚目:起動輪は泥抜き穴周囲に盛り上がりのある後期型。センターガイドを引っかけるローラー軸の外側は、戦中仕様のキャッスルナットになっている。ただし、アカデミーのT-34-85を単純に戦中仕様にするのであればこれに交換するだけでいいのだが、1943年型の場合、さらに初期の仕様の起動輪が使われているような……。

写真4枚目:起動輪の枝に入っていた排気管カバー。取付ボルトの周囲が一段窪んだタイプ。今回の-85製作には使わないが、いつかどこかで使うかも。パーツのバリエーションが増えるという点ではちょっとお得。

写真5枚目:基本は転輪ハブキャップのために入っている小パーツ枝。サスペンション・スプリングとか、グローサーとか、増加燃料タンクステイとか。ハブキャップも2種入っているが、片方は戦後型(たぶん)なので、それに関しては「ボルト取りとかに使えるかな?」程度。

写真6枚目:増加燃料タンクのステイはSU用のもの。今回の製作には関係ないが、ドラゴンのSU-100/SU-85Mに入っているのは終戦ギリギリくらいから使われ始めたタイプだし、ズベズダのSUは燃料タンクと一体モールドだったはずなので、これは嬉しい。以前ドラゴンのSU-85Mを作ったときに、やたら面倒くさい思いをして自作したのが懐かしい……。ちなみに下がその時の部品展開図と、塗装前の自作部品周りの様子(「T-34 maniacs」より)。この時のSU-85Mは、完成させて「第11回モデラーズクラブ合同作品展」に出展した写真が出てきた。何年前だ……。

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それはそれとして、T-35-85 1943年型の増加燃料タンクステイをどうするか、というのも課題として残っている。形状、よくわからないんだよなー(アカデミーのキットは183工場製仕様と同じステイが入っている)。

miniartの誘導輪は穴の周りに盛り上がりがないタイプ。アカデミーのキットは盛り上がりのあるタイプ。下写真左は、左側がアカデミー、右側がminiart。最初は「誘導輪はアカデミーのを使おうかな」と思っていたのだが、写真のように、ハブキャップ中心の半球の立ち上がりが急で、中央にボルト頭があるのは戦後型にみられる形質らしい(中央のボルト頭に関しては、戦時中の写真でも例があるようだ)。アカデミーのパーツはハブキャップのフランジが誘導輪側と一体なので、ハブキャップだけ交換するわけにいかない。というわけで、誘導輪もminiartのパーツを使うことになりそう(いつ頃から穴に盛り上がりのあるタイプが使われるようになったかは、まだ詰め切れていない)。

サスアームの転輪軸に関しては、アカデミーのものは根元に太い段差があり、miniartの転輪が奥まで入らない。軸の根元を削るか、あるいはminiartの転輪の穴を削るかするのも考えたが、結局、アカデミーの転輪軸を切り飛ばして、miniartのセットに入っている転輪軸に交換した。割と大きめ/長めの接着凸が付いているので、強度的にはそれほど不安はない。

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ごみ取り権助(T-34-85 m1943)(2)

●アカデミーのT-34-85(第112工場製)キットをベースにした、T-34-85 1943年型製作記の続き。

とはいっても、まだ1943年型仕様の工作までたどり着かず、前回記事で触れた「3つの工作の方向性」でいうと、主に「単純にディテール不足の部分を補足・改修する」の部分にかかずらっている段階。

●全般的にこのキットでは鋳造部分のテクスチャー表現が大げさな一方で画一的で、一言で言ってしまうと「キモチワルイ」感じなのだが、操縦手ハッチは特にそれがひどい。なんだか「南米アマゾン産の珍しい両生類の皮膚標本」みたいな。上部の2つのペリスコープカバーについても同様。これはさすがにあんまりなので、テクスチャーを削っては接着剤で荒らすという工程を数度繰り返し、右のように直した。

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ロックハンドル軸の溶接部(下側左右の「◎」)は、軸の周りが丸く窪んでいるもの、逆に出っ張っているもの、そもそも窪みも出っ張りも目立たないものなどバリエーションがあるが、今回は窪んだふうに工作した。工作それ自体は、とりあえず丸く貫通孔を開けてしまい、ちょうどはまる太さにしたランナーを一段下げて接着したうえで、中心軸の盛り上がりを付けた(いちいち書くほどのものなのか、という方法)。

そもそもT-34の操縦手ハッチは、鋳造肌の荒れ具合、真ん中の湯口が目立つかどうかなども含め、かなり差異が大きい。生産工場によって(おそらく納入する下請け工場の別によって)、さらに生産時期によってある程度傾向が分かれているように思うが、今のところ「スターリングラード・トラクター工場製車輛のこのタイプのハッチはだいぶ仕上げが汚いようだ」「クラスナエ・ソルモヴォは割とおとなしめ?」くらいの、割といい加減な知見(というか単なる印象)しか持っていない。

なお、アカデミーのパーツには一応ペリスコープもモールドされているが、揃って正面を向いていて、若干左右に角度をつけて開いた状態は再現されていない。(が、カバーを開状態にしても、どうせほとんど見えなくなるので直さなかった)。

ドライバーズハッチに関しては、昔、「ハラT」青木伸也氏から自作のドラゴン用パーツを複数貰っていて(下写真左)、お手軽にそれに交換することも考えたのだが、蝶番のかみ合わせ部分が微妙に合わず断念した。ちなみに青木氏のこのパーツは、もともとドラゴンの最初のT-34-85キットのハッチ・パーツにペリスコープもペリスコープカバー用の窪みもなかったため、その代替用に作ったもの。こちらはロックハンドル軸の周囲が盛り上がっているタイプとなっている。

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ペリスコープカバーは開状態で接着(ハッチを全て閉めて組み立てた場合、ここが開いていないと生きている車輛に見えない気がするので)。ペリスコープの外側左右にカバーの作動ロッドも追加したが、もともとアカデミーのパーツのペリスコープは左右に広すぎるようで、作動ロッドが若干上すぼまりになってしまった(どのみちほとんど見えないので修正せず)。

●脱線話。

そもそも、T-34の操縦手ハッチのペリスコープ用装甲カバーって、いったい何のために付いているのだろう?

ハッチを閉めて操縦中は、基本、このカバーは開状態になっていないといけないはず。逆にカバーを閉めた状態で運転するには操縦手ハッチそれ自体を開けているわけなので、装甲カバーで守る意味がない。そもそも開閉式のカバーなど付けず、固定式の雨避けカバー程度のものが付いていればよかったのではないだろうか(というか、1941年型まではそんな感じだったのに)。

ドイツ戦車の操縦手用の装甲バイザーは、直視用の開口部(の防弾ガラス)前面をふさぐもので、閉めた場合に使うペリスコープが本来は別にあったから(後期にはペリスコープが廃止されてしまっているが)、開閉機構があるのは判らなくはない。

……などとつらつら考えていたのだが、もしかしたら、このカバーは「開けるか、閉めるか」ではなくて、外の様子(例えば日差しの強さや角度)に合わせて、「どれくらい開くか」を選ぶために開閉機構付きになっているのかもしれない(要するに自動車用サンバイザー的なイメージ)。

●その他、車体前後面のあれこれ。

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車体機銃のバルジは、ちょっとヤスって鋳造肌を落ち着かせた(ここはもともと操縦手ハッチほどひどくなかった)。前面のリング部分は別部品。そのまま付けるとバルジ本体とツライチな感じになってしまうので、のりしろになるフランジ部分を少し削って、わずかに出っ張るようにした。

前面・後面の牽引フックは頂部にドリルで小穴を開けたが……判らないねコリャ。この先、塗装したら埋まってしまうかも。

フックの外れ止めのツメは、それなりにマトモなパーツがキットにちゃんと入っている。銅線でコの字金具を追加した。この金具については、スターリングラード・トラクター工場製の車輛を作るときに、「ツメを閉状態にするためのバネ材?それにしては位置が変?」とあれこれ悩んだが、セータ☆さんから「バネは別にあるので、これはワイヤーを掛けるときにツメを開くためのハンドルでは」と教わった。

ちなみにツメの受け金具の形状はキットが表現しているようなコの字型のものと、取付けベロが外に開いているものとがあり、工場や時期で差があるようだ(例えばフィンランドが鹵獲使用した183工場の-85の初期型は外開き。後の標準的な183工場製はコの字)。とりあえず、122工場製ではコの字が一般的のようなのでキットのまま使用。おそらく戦後型だと思われるが、コの字を寝かせたような形状のものもある(言葉で書いても何のことやら)。

●エンジンルーム後部の通風孔とそのカバー。

通風孔の可動シャッターはキットにパーツが入っている。かなり分厚いが、どのみち、メッシュ越しではほとんど見えないので、上側の縁を若干薄削りするに留めた。

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カバー部は、メッシュも含めて一体のプラパーツと、メッシュ部分が抜けていて付属のエッチングパーツを貼るものとの選択式。当然後者で作る。キットのエッチングパーツはステンレス製? 硬くてバネがあり、ゲート部分も切り離しにくく、ちょっと扱いづらい。ディテール的にも目の細かさはよいが線自体が太過ぎる(が、そのまま使った)。

メッシュの枠は前後の長辺はメッシュと一体、縦線が別部品。内側の4本に3つの小リベットが付いているのはどの仕様でも標準だが、外枠にリベットが付いているかどうかはかなりのばらつきがあり、「初期だからリベット付きで後期だからリベット無し」とは一概に言えないようだ。キットのエッチングは外枠左右端のパーツにも小リベット付きになっていたが、112工場製車輛の写真を漁っていて見つけたリベット付き仕様と本数が違っていたりしたので、結局プラバンでリベット無し仕様にしてしまった。

なお、このリベットは(少なくとも後期のT-34では)メッシュを枠に固定するためのもので、枠+メッシュ全体はカバーに溶接されているのが標準のようだ。溶接は破線状が一般的なようだだが、ベタ付けもある。工場・時期による差異もあるかもしれないが、そこまで突き詰めて調査・考証しておらず、たまたま見た112工場製車輛(1945年型?)が破線状だったので破線状にしたまで。1943年型がどうだったかは、そもそも現存車輛もなく鮮明なクローズアップ写真もないのでよくわから~ん!

なお、カバーは全体をプレスして通風孔部分を後から切り抜くのではなく、左右+前後の4パーツを枠状につないで作るものらしい(仮に中央の穴を機械で打ち抜くとすれば前者のほうが量産性に優れるが、資材を無駄なく使うには後者のほうがよいはず)。そのため、通風孔部分の左右辺に合わせ、前後方向に薄く溶接線が入っているのが標準のようだ(122工場製でも183工場製でも)。なお、左右の立体型になっている部分はrが緩やかなものと、エッジが立っているものがあり、エッジが立っているものでは(一部のエッチングのアフターパーツにあるように)後半のカーブ部分は、切り欠きを入れて溶接で形にしているものもありそう。

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ごみ取り権助(T-34-85 m1943)

●日露戦争時、戦艦「三笠」の砲術長だった安保清種は、横文字に馴染みがない水兵たちに、敵ロシアのバルチック艦隊所属艦を覚えさせるため、無理やり日本語にこじつけた名前を考案。装甲艦「ドミトリー・ドンスコイ(もとは14世紀のモスクワ大公)」の“こじつけ日本名”が、「ごみ取り権助」だったとか。他に「呆れ三太」(戦艦「アレクサンドル三世」)などがある。

下って第二次世界大戦中。第38独立(火炎放射)戦車連隊は、T-34-85の1943年型を最初に受領・装備したとされる部隊で、同部隊の有名な写真では、冬季の白塗装で並ぶT-34-85やOT-34の砲塔に、「ドミトリー・ドンスコイ」の名が(たぶん赤で)書き込まれている。グムカのT-34-85砲塔のパッケージ写真も同部隊のもの。

“タタール”相手に戦ったドミトリー・ドンスコイと、ナチスドイツと戦う赤軍を重ねてのネーミングだと思うのだけれど、共産主義の労農赤軍として、王様の名前をスローガンとして書くのはどうなんだろう……。後々目ぇ付けられたりしないんだろうか(革命の先駆者とか志士の名前を書くのはよくあるけれど)。

●という、明後日方向の前置き(とタイトル)はともかく。アカデミー1:35「T-34-85 第112工場製」の、1943年型へのコンバートを含めた製作記。

前々回ちらりと書いたように、進行中の模型が複数溜まっているにもかかわらず、キット内容をあれこれチェックしたり、資料をひっくり返したりしているうちになんとなく手を付け始めてしまった。

私はこのキットに関しては、グムカのレジン製コンバージョンキットを使って1943年型として組む予定で、現段階の下ごしらえとしては、

  • 112工場製車輛として特徴の再現が不足しているところを補足・改修する。
  • 大戦末期の仕様となっているのを、1943年型に遡らせる。
  • 単純にディテール不足の部分を補足・改修する。

の、3つの方向で行うことになる。前回書いたように、おおよそのところは、グムカのブログ「アカデミーの車体を、より1943年型らしくする」が大いに助けになる。

●とりあえず、キットを標準的な112工場製車輛にする上でのポイント、エンジンルーム左右カバー部の工作。車体の改修工作の中では面倒くさい部分で、ここで足踏みしているとそのまま不良在庫化しそうなので。

レビューで書いたように、キットは第183工場の1942年型途中から(?)の形態的特徴となっており(ウラル重機械製作工場なども同様)、これを112工場仕様に直す必要がある。

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グリルの後ろ側にカバーが回り込んでいる状態を再現するにあたっては、

1案:キットのスジ彫りを埋め、カバー部が延長されている状態に彫り直す。

2案:キットのエンジンルーム上面前半部分を全部削り飛ばしてしまい、ドラゴンの初期型キット(例えば余っているSTZ車体上部)から、カバー前端部を-85形状に修正して移植。

3案:グリル後ろに差し渡された板状パーツ部分を切り飛ばし、左右カバーからの回り込み部分を新造。

のうち、どれにしようかあれこれ迷っていたのだが、結局、第3案で行くことにした。エンジンルーム中央バルジ後面も、183工場仕様では板状パーツが張り付いた状態になっているが、ここは上面の溝を伸ばしランナーで埋めてからなだらかに削り直した。

左右カバーの形状を修正するにあたって内側グリルは作業の邪魔になるのと、そもそも彫りが浅くて出来もいまいちなので、思い切ってグリルも削り取ってしまい、後からドラゴンのグリルパーツをはめ込むことにする。アカデミーのグリルのモールドとドラゴンのグリルパーツでは、幅はほぼ同じなのだが、前後長はアカデミーがだいぶ短い。実車写真を見ると(そもそも-85では砲塔バッスルに隠れてグリル前方を確認できる写真が少ないが)、グリル前端は点検ハッチより前方にあるのが正しいようなので、ドラゴンのパーツに合わせて前方に穴を広げた。

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グリルは両端のものも含めてドラゴンのパーツを使用。スターリングラード工場製の1942年生産仕様、112工場の初期型に続いて、今回もグリルをスライス&削り込みして透かしに抜いた。実物はもっと枠は薄いしロッドもはるかに細く、ヤワな出来で変形しているのが普通、くらいの場所なのだが、そのへんは目をつぶることにする。

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抜き工作をするとエンジンルームががらんどうなのが(場合によると)見えてしまうので、目隠し程度に中央バルジの側面とエンジンルーム上面板とを作る。以前の工作では側面グリルの内部には燃料注入口とかサススプリング調整口とかを申し訳程度に付けたが、結局ほとんど見えなかったので今回は省略した。

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工作終了状態が上写真。両側カバーのグリル後方への回り込み部分と、中央バルジとが接する部分は、ドラゴンの初期型T-34を見習って縦に平行になっているが、実際には、バルジが台形断面なので、ここも「ハの字」になっている。が、どのみち後部カバーを付けると見えなくなるので直さない。

また、中央両側グリルの前方は、カバー本体と独立しているふうにスジ彫りがある。実際、183工場製の車輛では1942年型以降?、ここは別体なのだが、112工場製の-85で、ここが別体になっていない例もあったりして悩ましい。そもそも、この部分は砲塔バッスルに隠れて見えないことが多いので、どういう形態が標準なのかが確認しづらい。もっとも、これを修正するとなると、筋彫り埋めるだけでなく現状では段差があるカバー部前面部も作り直しになってしまうので、作品でもバッスルに隠れて見えなくなることを期待して修正せずにおくことにする。

(2/17追記。などと言いつつ、結局その後、筋彫りは埋めて、前側の段差も削った)

●車体側面は、グムカのブログに従って位置をずらして取り付けるため、手すり用のダボなどを埋める。

ついでに、側部フェンダーの溶接跡、フェンダー自体の継ぎ目、右フェンダー上のグローサー収納部のベルト用金具などを工作。

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フェンダー溶接跡は、前回スターリングラード工場製車輛を作ったときには全面ベタ付けにしたのだが、今回は破線状に。これも、「割といい加減に破線状」と「ほぼきっちり等間隔に破線状」とがあるような感じなのだが、工場・生産時期との因果関係まできっちり詰められていない。今回は前者のような感じにした。

フェンダーの分割線は、標準と思われる“ほぼ三等分”の位置に入れた。ただし博物館展示車輛のwalkaroundをみると、もっと細かく分割されている例もあり、しかも継ぎ目の処理(溶接して継いだあと、車体側を薄板でカバーする)を見ても生産時のままようにも見え、実際にはなお検討の余地あり。とはいえ、今回は「もう作業しちゃったしこれでいいかー」状態。

グローサー収納部金具は、キットのモールドを削り取って、フェンダー側は0.35mmの真鍮線。車体側はminiartの転輪セット(#35239)に入っていたオマケパーツを使った。穴に通すことができない形状なので、普通の接着剤が使えるほうが有り難かったため。

●車体前面。こちらも波切板や予備履帯用のダボ穴を処理。また(これまたレビュー時に書いた通り)、誘導輪位置調整装置のアタマは、モールドの凸部を削り取り、穴を開けてTigermodel 'TANKMAKER'製レジンパーツを取り付けた。1-color君ありがとう!

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●シャーシ後面。ファイナルギアハウジングはわざとらしい鋳造肌モールド入りだったが、実物は鍛造なのだろうか?――少なくとも112工場製の-85では割合すべすべな感じなので、表面モールドは削り落とし、シャーシ後面板への溶接跡も追加。また、ギアハウジングの内側側面と最下部に、グリスポイントと油抜きの穴を開けた。

内側側面のグリスポイントは、少なくとも-76ではボルト頭と思しき出っ張りがあるのだが、-85の現存車輛では穴状態になっているものが多く、そのように表現した。ただし、実際には何かフタのようなものが付いていたのが失われて穴開き状態になっている可能性もなきにしもあらず?

また、後面板中央には、第112工場製車輛の特徴である牽引ラグを追加した。この牽引ラグ、現存の博物館車両では、明らかに第112工場製車輛と思われるものでも付いていない(そして溶接跡などもない)場合がある。戦後のある時期以降、112工場でも廃止されてしまったのかも。

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●エンジンルーム後面パネル。発煙ドラムに向けた配線は、グムカのブログに従って削り取った。中央4か所には、厳寒期に使用するエンジン始動用ストーブ取付け用の金具。以前、ドラゴンのSU-85Mを作った時と同様、0.6mmの真鍮パイプで追加した。

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このエンジン始動用ストーブ取付具がいつから標準装備されるようになったか、正確なところは知らないが、第183工場製車輛の場合は、ナット砲塔にキューポラが付いた1943年型あたりからは付いている模様。122工場製の場合、“ドミトリー・ドンスコイ”の-85 1943年型で、所定位置にストーブを背負っている写真があるので、少なくとも(私が作ろうとしている)-85の1943年型初期型ではすでについていたことはわかる。

上写真で左下に転がっているのが始動用ストーブ本体で、これはminiartのSU-122初期型キットに入っているもの。実物は、煙突の付いた単純な箱で、中で火をおこし、T-34のエンジンルーム下に突っ込んで使用するものだそうだ。「T-34の股火鉢」って表現したの、誰でしたっけ……(秀逸)。

排気管はスライド型まで使って一発抜きしているものの、開口部が浅く縁も厚い。モーターツールのビットを手でグリグリして穴を広げ深くした。排気管カバーは標準的な形状のものだが、もっとなだらかに盛り上がっているほうがよかったかも。カバーの取付ボルトは側部の3対のうち最上段のものだけ左右に間隔が広く、「え?そうだったっけ?」と実車写真を見直したら、実際に違っていた。ただし、キットのように「広・狭・狭」ではなく、「広・狭・広」のように見えるものがある。……もしかしたら、単純に「そもそもきっちり揃えずに適当に穴を開けてボルト止めしている」だけなのかも。標準化された部品じゃないのかコレ?

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小坪の穴

●タミヤがルノーR35を出すという噂を昨年秋にめがーぬさんから聞いて、こちらはまだ本当かどうか判らないが(ただしHobbyEasyやScalemateには、35376と製品番号まで明記されている)、今度はネタ的にはもっとびっくり、ICMからFCM36が出るそうだ。最近またじわじわと活動を再開しているPMMSのNew Kit Newsのコーナーより。……今年はフランスものAFVの当たり年になるのか?

Fcm1 かつてのNKCのレジンキットは組むだけ組んで、そのままどこに仕舞い込んだか、行方不明(右写真。すぐ身近の棚の前にキットの箱が置いてあったので、「あ、こんなところにあったじゃん」と思って開けてみたら、1:72のPZL P-24の完成品が入っていた)。R35もエレール改造のVanatorul de care R-35が未完なうえにHOBBYBOSSのキットも買ってしまっているが……。上記2キットは出たら買う! タミヤの38(t)は買っていないけれども!

●スマホでポケモンgoのスクリーンショットを撮ったら、そのショットの数枚に、googleフォトから大胆な撮影場所推定を付けられた。どこまでポケモン採りに行ってるんだオレ……。

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20200104_144252 ●逗子、小坪の漁港の南側の磯に面した、大崎の崖下には、ポコポコと人工の洞窟が口を開けている。右は、磯場への入り口付近から崖面を撮ったもの。崖面がデコボコしているので、この写真に写っているのは、おそらく、1番目、2番目、4番目の入り口。

中の様子から見ても歴史の古いものとも思えず、おそらく戦時中に掘られたものだと思うのだが、これについて、いつ、どのような目的で掘られたものかという資料には今のところお目にかかったことはない。

今まで、外から中を覗き込んだことはあったけれども入ったことはなかったのだが、この季節ならゲジゲジやフナムシが群れていることもなさそうだし、数日前、散歩のついででちょっと中を見てみた。

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1枚目:(漁港側から数えて)1番目を覗き込んで撮影。数mで突き当り、左はすぐ行き止まり。右は2番、3番の穴と連結。

2枚目:2番目入り口から中を撮影。奥は広くなっており、突き当りは壁状の仕切りを残して小部屋状に四角く掘り込んである。

3枚目:2番目奥から1番目方向を撮影。

4枚目:奥向かって右側の「小部屋」。

5枚目:3番目突き当り辺りから2番目奥を振り返って撮影。

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6枚目:4番目入り口から中を覗き込んで撮影。奥は突き当り、左右に分岐がある十字架状。左は突き当りで1~3番穴には連結していない。右は5番穴と連結。

7枚目:同じく4番穴。ちょっと中に入って、正面突き当りと左突き当りの穴を撮影。

8枚目:4番穴から5番穴への横穴途中は奥が深くなって小部屋状になっている。

9枚目:同上。奥の壁は工具で削り取った跡がはっきり残っている。

10枚目:5番穴から4番穴方向を振り返る。右手が8、9枚目の「部屋」。

11枚目:5番穴入り口から相模湾/江の島を見る。

弾薬庫にしては、披露山の小坪高角砲台にも、漁港を挟んで反対側の西小坪海面砲台にも(オマケでいえば現大崎公園にあったという対空機銃座にも)距離とか高低差でかなり“遠い”し、そもそも、穴それ自体が浅く、風雨が荒いと中まで吹き込んできそうなので、何かものを収蔵するのに適しているとは思えない。

銃眼のような拵えは全く見られないので、銃撃陣地ではありえず、監視所としてもちょっと吹き曝し過ぎるような。あるいは、ここは陣地としては手を付け始めたばかりで、さらに大崎突端方向に深く掘り進んでいく計画があったのかもしれない。

現在小部屋状になっている部分は奥の壁が綺麗に垂直に削られているので、その部分をさらに奥に掘る計画があったとは思えないが、例えば4番穴の正面突き当りなどは、その先が作られる予定があったとしても不思議ではない気がする。

F1030105 右写真は、今からもう10年近く前(2011年)、春の大潮の時に磯の上から撮った洞窟群の全景(その頃に、当かばぶにUPしたものの再掲)。

今回入ってみた1~5番穴よりもさらに岬突端方向(向かって右側)に、さらに2つの開口部があるのがわかる。そのうち機会があったら、こっちもちょっと覗いてみよう……。

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謹賀新年/2020年

●明けましておめでとうございます。

ネットワークの片隅で、まったく自分の趣味にのみ偏って運営している当ブログですが、それでも時折覗いてくださる皆様には大変感謝しております。本年もどうかよろしくお願いいたします。

初日の出どころか夕景なので有難みは薄いけれども、3日夕、鎌倉材木座海岸の風景。右に江の島、稲村ケ崎とかぶる富士山。左に和賀江島(鎌倉時代の船着場跡)と、その陰に停泊する漁船。

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●ここ数年の通例通り、大晦日に川崎の実家に行き、老母とあれこれ取り留めない話をしつつ過ごす。夜9時半くらいになって兄も帰宅し、そばを食ったり酒を飲んだり。結局紅白はちらりとさえ観なかった。

●年が明けて1日には兄の息子2人が来て、宅配ピザなど取って食べる。すっかりルールを忘れてしまった上の甥にあれこれ説明しつつ麻雀をしていると、ドイツ人Pもやってきて、さらに酒盛り。結局、1日の晩も泊まり、2日に帰宅。

帰りに横浜で寄り道し、VOLKSに行ったりヨドバシに行ったり。VOLKSでIBG(THE WORLD AT WAR)の1:72、III号戦車B型を購入。今年の初キット。中身の紹介は改めて。

●年末年始の模型製作。wz.34やクブシュなど、ある程度以上製作が進んでいるものを頑張る!と東京AFVの会直後に言っていたにも関わらず、アカデミーのT-34-85を、1943年型にするのに備えた下ごしらえをあれこれ。

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