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大楠山特設見張所

●金曜日午後、大楠山(横須賀市)に登る。三浦半島の最高峰、かつ関東100名山の100番目であるらしい。241.3mしかないのに!

特にはっきりした目的があるわけではなく、

  • 近年、この辺の山のハイキングコースはおおよそ歩いたにも関わらず、大楠山には行っていない(ただし、主要ルートの一つであるゴルフ場脇を歩いた覚えがあるので、だいぶ昔に一度上ったことがあるのは確か)。
  • 大楠山に登るなら、暑くなく、藪も濃くない季節にしようと思っていた。
  • 先日の2度の台風で、この辺の山のハイキングコースはだいぶ痛めつけられているが、ネットでちらりと調べてみた限り、大楠山の主要ルートは大丈夫らしい。
  • とりあえず、今ヒマ。

などの理由による。

●大楠山への登山(というよりハイキング)の主要ルートは4~5つあるのだが、今回は逗子から衣笠行きのバスに乗って「大楠登山口」下車。阿部倉温泉経由で、ゴルフ場(葉山国際カンツリー倶楽部)脇を通って登頂。帰りは前田橋へ。大雑把に言うと、北から登って南西に降りた感じ。

昼食をとってすぐに出掛けるつもりがちょっとぐずぐずし、その遅れがバスの待ち時間などで増幅されて、バス停を降りて歩き始めたのはすでに2時過ぎ。しかも実際にハイキングコースの山道を登り始めるまでに3度も道を間違えた。おかげで、前田橋で人里に出ることにはもうかなり暮れはじめ。冬のハイキングは時間がタイトなので気を付けなければいかんね……。

●山道に入る前、「両面地蔵」というちょっと変わったお地蔵さんの名前を見つけたので(ポケモンgoのポケストップになっていた)、ちょっと寄ってみる。小さなお堂の格子越しに撮った写真が以下。

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名前から、顔が2つあるお地蔵さんなのか、などと勝手に想像したのだが、そうではなくて、どうやら石の両面に地蔵を浮彫にしたものらしい。調べてみると、同じ横須賀市にある宋円寺という寺に同形式の「両面地蔵」が10基ほどあり、平安時代末期の武将、鎌倉権五郎景政が盲目の身で自ら彫ったという怪しげな言い伝えがあるそうな(鎌倉権五郎景政は後三年の役で片目を射られた話は伝わっているが、両目が見えなくなった話は、この伝承以外にはないはず)。

この祠の両面地蔵が宋円寺のものと何か関連があるのかどうかや、そもそも「両面地蔵」という像容(像の形態)の意味等についてはわからなかった。わざわざ両面に彫るには、それなりの理由がありそうだけどなあ……。

●さて。この近辺にあった戦時中の軍事施設に関しては、ほとんど虎の巻的に参照させていただいているサイト「東京湾要塞」には大楠山に関する記述はなく、そのため、今回は施設探訪などというつもりはない、単なる山歩きのつもりだったのだが、頂上に着くと、明らかに軍事遺構っぽい、こんなものが。

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1枚目。頂上広場でいきなり目に入るコンクリートのテーブル状構築物。5分の2程度が欠損しているが、元は8角形だろうか。ディテールは異なるものの、これまで何カ所かで見てきた砲座や銃座に感じが似ている。ただし、他では見られない用途不明の溝がある。元からこのように地面から出っ張ってテーブル状だったのか、それとも元は地面と同レベルで、その後周りの土が削れてなくなってしまったのかは不明。

2枚目。その脇にあった、同じくコンクリートの小構築物。2つ出っ張っているが、よく見ると写真右側にも地面すれすれにもう一つ。位置関係からみて、どうも最初は4か所に四角く並んでいたのではないかと思う。何かを据え付けるための脚のように見え、逗子の大崎公園にある機銃座跡といわれるものにも似ている。

3枚目。先の2枚に写っていた2つの構造物の位置関係。

4枚目。1枚目の写真で向こう側に写っていた三角点。円筒状のコンクリート製構造物の上に据えられているが、この円筒は三角点設置のためにわざわざ作ったものなのか、それとも元からあったものを流用したのかはよくわからない。

帰宅してから調べてみると、ここ、大楠山の頂上には海軍の「特設見張所」なるものがあり、電探や対空機銃が設置されていたらしい。1枚目の“テーブル”が電探の台座のようだ。出典はこちら

なお、上記リンクのページにも、国土地理院の地理空間情報ライブラリー、「地図・空中写真閲覧サービス」から米軍の空撮写真が引用されているが、近隣の防空砲台と違い、ここについては「何かあった」という痕跡がよくわからない。実際、私も写真を閲覧してみたのだが、そもそもこの一帯の土地利用は現在は激変しているうえ、過去の写真ではそもそも田舎過ぎて目立つランドマーク等がなく、「そもそもどこが大楠山頂なのか」自体、どうもよくわからなかった。

●山頂広場の西側には、売店と展望台がある。基本、バカと煙の類なので登っていい場所には登ってみたくなるのだが、残念なことに展望台入り口の扉は鍵が掛かっていて入れなかった。無念なり。

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売店も閉まっていたので、「売店が開いている時間だけ展望台も開いている」という仕組みかもしれない。とはいえ、いつなら登れるのか/いつなら売店が開いているのか等々について現地には何も書かれていなかったし、横須賀市の案内ページや観光ページなどにも記載がなく不明。

●さらにその西側、山頂からちょっと下った肩の部分には、現代の「特設見張所」、レーダー施設がある。もっとも防衛目的のものではなく、国交省所有の雨量観測所。

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レーダー塔の隣には(かなり低いが)展望台があり、2枚目はそこからレーダー塔を見上げて撮ったもの。3枚目は展望台から南を向いて撮ったもので、写っているのは三浦半島西岸(油壷方面)。

●前述のように大楠山では(少なくとも私の通った2ルートでは)、台風の後遺症はおおよそ片付けられている感じ。

道にかぶさるような倒木その他に関しては、行きのルートで一か所、ゴルフ場のフェンスが倒れたままになっていたのと(左写真)、帰りで一か所、倒木がかぶさってトンネル状になっていた程度(右写真)。

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ちなみに左側も身をかがめれば通れる程度で、右は(一見狭いようだが)中背の私がまったく身をかがめなくても通れる高さがあった。

●と、大楠山はそんな感じなのだが、鎌倉周辺のハイキングコースはもっとずたずたになっているようで、現在はほぼどのルートも通行禁止。復旧は来年の6月ころまでかかるらしい。

先日、逗子のハイランドから、池子の米軍接収地の北辺の尾根をぐるっと歩く「やまなみルート」を歩いたのだが、(割と時間も遅めだったので)十二所果樹園から朝夷奈切通入口に降りるつもりでいたところ、果樹園を降りる道が「がけ崩れのため通行禁止」とのことで、結局六浦まで歩き続けることになった。

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コメント

わたしが大楠山に登ったのは小学校の時ですから、
もう40年以上経つのかとちょっとびっくりしました。
今度登ってみようかしら。
大楠山程度なら、
Gパンで登ったら叩かれるというようなことは
ないでしょうが、
富士山滑落事件で軽装とか目の敵にされてそう・・・

投稿: みやまえ | 2019年12月15日 (日) 23時24分

両面地蔵は六道救済のための「六地蔵」の変形バージョンなのかなとも思ったりします。
通常は六体を並べますが石柱6面に彫った六面地蔵というのもあるようで:https://www.city.nerima.tokyo.jp/kankomoyoshi/annai/rekishiwoshiru/rekishibunkazai/bunkazai/b041.html

神社仏閣の伝承は話が盛られていることが多いので真実味は判然としませんが....
「あぁ..両目が見えないのによくぞここまで。ありがたやありがたや」
「いやいや拙者は目が見えないとは申しましたが...」 (両目が見えないとは言ってない..)
と、言うに言い出せなくなっちゃたのかもしれませんよ(笑)

大楠山の8角形の溝は設置機器の配線コードを収めるためのものなのかしら?

投稿: hn-nh | 2019年12月16日 (月) 05時46分

>みやまえさん

基本、私も、この辺の山を歩いている時の格好は、街を歩いているのとまったく変わりありません。
大楠山は道も広くて歩きやすいですね。

>hn-nhさん

六面なら六道で分かりますが、「そのうち2つだけ」なんてあるかなあ。……ざっくり「あの世とこの世」とか?
あるいは、「お地蔵さんは死角なく360度見守ってまっせー」っていうことかも、と思ったりもします。

「大楠山の台座の溝は配線用」というのは、大いにありそうですね。
電探が設置されていたということは、配線は当然あったでしょうし、しかし剥き出しで表を這わせていたら、不用意に足を引っかけてしまうとかもありそうだし。

投稿: かば◎ | 2019年12月17日 (火) 00時42分

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