T-34-85(112工場生産型)アカデミー 1:35
●先日購入したアカデミーのT-34-85(112工場製)(T-34/85 "No.112 Factory Production", #13290)の、改めて少し詳細なレビュー。
……とは言っても、試しにシャーシ部分を組んだだけなので、全体のプロポーションとか、細かい部品の合いとかについては未検証。ただし、完成見本写真を見る限り、プロポーションに関しては特に妙なところは(いまのところ)感じないし、シャーシと車体上部、それぞれをドラゴンのT-34と比較してみたが、各部分の寸法には、ごくわずかの誤差程度の違いしかなかった(後述)。
なお、T-34関係の最新の資料まできちんとフォローしていないので、考証部分は、あくまで「私の理解では」レベルなのをお含み置き頂きたし。「そこはこうだよ」のツッコミ歓迎。
博物館現存車輛に関しては、主にサイト「LEGION AFV」の-85のページを参考にした。-85の現存車輛に関して、生産工場別にリストにしてあるのがありがたい。
また、キットはグムカのコンバージョンキット「T-34-85 1943年型砲塔(初期型)」のベースキットとしても指定されており、これに関連して、グムカのサイトで(1943年型へのバックデートと合わせて)修正ポイント等に触れられているので、参照していただきたい(→「アカデミーの車体を、より1943年型らしくする」)。
●キットは第112、“クラスナエ・ソルモヴォ”工場製のT-34-85の、1944年終盤(たぶん)以降に生産された、その昔ザロガ先生がsquadron/signalの「T-34 in action」で「’composite' turret」と分類した砲塔を載せたタイプ(もう35年以上前の資料だ!)。composite(複合)と名付けたのは、砲塔下端の鋳造ラインが、バッスル前の部分でかくんと下に折れて、バッスル部分では下端のエッジが立っていて、砲塔の前半と後半を別々に作ってくっつけたかのような外観のため。もっとも、「そんなふうに見える」というだけで、実際は一体で作られている。
かつてMAQUETTEが出したキットと基本同一のタイプなのだが、MAQUETTEのキットは(新興メーカー最初期の作ということで)こなれていない部分や、形状・ディテール的にも詰め切れていないところがあったので(エンジンルームがカバー下ディテールまで作り込まれているなど、見るべき点も多々あったが)、バリエーションの充実という点で喜ばしいキットといえる。
このキットの大きな売りのひとつだと思われるのが、その砲塔が、1944年生産型(たぶん)の、ベンチレーターが砲塔後部に2連で付いているタイプと、1945年生産型のベンチレーターが前後に別れカバーも大型のドーム状になったタイプの砲塔本体が贅沢に2種入ったコンパチキットであること。ただし、砲塔下面パーツその他は1つ分しか入っていないので、砲塔を2つとも作って完成後に差し替えて楽しむ、などというのは無理。
キット全体に言えることだが、鋳造部分の表面テクスチャーは荒っぽいにも関わらず画一的で実感に乏しい。なぜか、2種の砲塔のうち初期型砲塔のほうがテクスチャーがより粗い。
仮組してみた砲塔。鋳造ラインはこれまたいかにもおざなりに引いてあって実感に欠ける。また、先述の「鋳造ラインの切り替わり」から前方部分で、砲塔下面パーツ側で表現されているエッジが立ちすぎていて、このタイプの特徴である「砲塔の前と後ろのちぐはぐ感」が十分表現されていない。もっとも、この部分は(実物の鋳型原型にも若干の差異があるらしく)かなりエッジが立って見える車輛の写真も残っているので、「自分で気に入るように削って調整してちょうだい」というベースとして見るなら、これでもいいかも。
さらに言えば、バッスル下部分のエッジを削って、112工場製T-34-85のより初期のタイプの砲塔に改造するという手もあるかも。
なお、一般的な183工場製のいわゆる「'flattened’ turret」とは、砲塔横の最も張り出した部分が平らに削れているか否かという違いだけでなく、砲塔天井板の前後長も違う。183工場製車両の砲塔では、防盾上のカバーと天井板との間に距離があるが、112工場製車輛の砲塔では天井板がもっと前方に長く、カバー後端とほぼ密着している。またそのため、砲塔前方の上部ラインの傾きが、112工場製の場合よりきつくなっている(マケットのキットの砲塔天井は183工場製とほぼ同じになっていたような)。
砲塔の新旧だけでなく、キューポラも、小径で両開きハッチが付いたものと、大径で片開きのものの2種が付いている。写真左、シャーシ底板の左右が両開きハッチ。
とりあえずキットの指定では、初期型砲塔には両開き、後期型砲塔には片開きを付けるようになっていて、砲塔側のガイドとなるモールド(本来は溶接痕のはずだが、キットのモールドは綺麗にリング状に盛り上がっているだけ)もそのようになっている。しかし、実際には後期型砲塔が導入されても、しばらくは両開きハッチの小径キューポラが使われていたようで、「グランド・パワー」95年6月号にそのような仕様の実車写真(1945年、チェコスロバキアに進駐した部隊の写真)が出ている。
なお、キットの砲塔ベンチレーターカバーは、初期型用も後期型用も、(砲塔本体よりひどくはないものの)鋳造部品であるという解釈のテクスチャーのモールドが施されているが、実際の部品はプレスで抜いているらしく、割と表面はすべすべしているようなので注意。
●シャーシはクリスティー式のコイルスプリングとその収納部もパーツ化された“今風”な構成。サスアームは(当然ながら)後期のT-34標準の角形断面。
写真左はドラゴンのシャーシ(上)と比較対照させてみたもの。ほぼ同一の寸法ながら、わずかに出入りがあって、第1転輪軸中心から第5転輪中心まで、アカデミーは約105mm、ドラゴンは106mm弱だった。転輪軸の高さについても、両者にそれほど大きな差はなかった。アカデミーのほうがわずかに高い程度? 私は取り付け時にわずかに低めてドラゴンに近づけた。いずれにしても、パーツの接合はタミヤのように「スーッ、ピタッ」とは決まらず、若干の遊びがあるので、各サスアームの位置が不揃いにならないよう注意したほうがよい。
第1転輪のダンパーは、本来、後期のT-34ではダブルになっているはずだが、モールドが一つしかなく、「アカデミーのポカ?」と思ったら、別途パーツが入っていた。ドラゴンのキットはダブルのモールドが基本で初期のT-34を作る際は一つ削り取るよう指示されているが、アカデミーは反対だったというわけ(大変失礼)。ただし、シャーシ本体にモールドしてあるのは前側のダンパー。一つしかついていない初期型T-34の場合、本来は後ろ側の位置にあるべきではないのだろうか?(ドラゴンのキットでは、初期型T-34ではそちらを残すよう指示されている)……よくわからん。
なお、モールドされているダンパーと別部品のダンパーではほんの少し形が違っているような気がするのだが、転輪を付けてしまえば見えないので私は気にしない。
第2~第5転輪に付くサスペンション・スプリングのケースは、ドラゴンではすべて同じ傾きだが、アカデミーでは第3転輪のものだけ傾きが違う。これは実車でも砲塔リングを避けるためにそうなっているのを再現しているためで、miniartのSU系などでも再現されており、これはさすがに後発キットだけのことはあるなあ、という感じ。もっとも外観上はまったく変わらないし、車内を自作しようという場合でもない限り、特に差し障りもない(ドラゴンのキットも、その辺を割り切って同一パーツにした可能性もありそう)。
試しに車体上部をかぶせてみたのが下写真。
左がアカデミー、右が比較用のドラゴン(エンジンルーム上のカバー部形状差は、ドラゴンがT-34-76であるため)で、ドラゴンはケースの頂部がスプリング調整用のパネルと大きくずれているのがわかる。しかしアカデミーのキットもパネル位置から逆に後方にちょっとずれていて、位置が正確かどうかちょっと疑問がある。
キットの底面は、脱出ハッチや点検パネル等の前方に跳弾リブがモールドされている。これは確かにいくつかの資料の図面にあるのだが、少なくとも、私が見た現存の博物館車輛の写真では、存在は一例も確認できなかった。また、後方(写真では向かって左側)の丸パネルはキットではツライチになっているが、ここは実車写真で見る限り、一段盛り上がっているのが正解のような(ドラゴンのキットではそうなっている)。もっとも、こういうひっくり返さないと見えない部分に関しては、個人的には「まあどうでもいいかな」的スタンス。
履帯ピン打ち戻し板(右写真)は四角い座布団タイプだが、このタイプは戦後になって、あるいは終戦ギリギリくらいから使われたもの(たぶん)。-85でも初期は、起動輪軸上の部分に扇状のものが付けられていたはずだが、現存車輛でもそこまでカメラを突っ込んで撮っているものはあまりなく、「第112工場製車輛の場合はどうだったのか」に関しては確証がない(Wydawnictwo Militariaの#275「T-34-85」では、1944年春の112工場生産車の図で、すでに座布団タイプが使われているように描かれている。うーん。ホントかなー)。
●車体上部。
左はドラゴン(-76、41年型系車体)とのプロポーション比較。各部の長さ、割合は、やはりごく僅かの差はあるもののほとんど一致。ドラゴンの42/43年型でやや外側にずれていた操縦手ハッチ位置も、このキットでは特に問題なし。
戦闘室上面四隅にあるサスペンション・スプリング点検用パネルが側面装甲板からやや内側に離れた位置にあって、「え?これって装甲板の継ぎ目に密着しているものなんじゃなかったっけ?」と焦ったのだが、確認してみたところ、-76では外側に密着しているものの、-85ではこんなふうに離れているのが正解。実際、ドラゴンの-85でもそうなっていた。最近、-76のキットばかりいじっていたために、「外側にくっついているのが普通」みたいに思い込んでいた。
ラジエーターグリルは、側部のものは別部品だが、上面内側のものは車体と一体モールド。開口もしておらず、彫りもやや浅め。留めピン部の表現もなく、前後長もやや短いようだ。
エンジンルーム上面ディテールはやや問題ありの部分。キットでは、エンジンルーム中央の、点検ハッチのあるバルジ後面から左右のグリル後方にかけ、板状の部材が差し渡されている表現となっているが、これは、第183工場製車両で42年型から?見られるようになった特徴。第112工場製車両では、右側のドラゴンの41年型車体のように、左右のカバー後端がグリル後方まで回り込んだ、より古い形質がそのまま引き継がれているのが標準らしい。できれば修正したい部分。
細かい話だが、車体前端にある誘導輪位置(履帯張度)調整装置(誘導輪スイングアームのロック用?)のアタマは、ベース部分が車体前面装甲とツライチ表現になっている。第183工場製車輛の場合はそれでもいいのだが、第112工場製車輛では一段出っ張った「デベソ」状態になっているのが普通のようだ。数年前の東京AFVの会の折、1-color君に貰ったレジンパーツ(右写真)に、ついに有効活用の場が!? ちなみにこのレジンパーツはTigermodel 'TANKMAKER'製で、174工場製車輛のリアパネルヒンジとこの調整ボルトがセットになったものだが、1-color君に貰った後、「ハラT」青木氏と山分けしたにもかかわらず、まだ5、6輌分ある。
前部フェンダーは初期の丸形、後期の角形のコンパチ。ただし角形フェンダーのほうは、第183工場製車輛ではキットのようにマッドフラップのヒンジが一か所でよいが、第112工場製の場合は2か所ずつになっているのが標準。ついでに、丸形フェンダーの隣にある操縦手ハッチは、砲塔同様のキモチワルイ鋳造テクスチャー付き。
●シャーシ&エンジンルーム後面。
エンジンルームのリアパエルがシャーシ側にかぶさるようになる構成で、大型でゴツイ感じのヒンジが下端2か所に付いているのが112工場製車輛の特徴であり最大の識別点。キットはその辺はちゃんと再現している。シャーシ後面板左右のギアケース部分は、キットは鋳造という判断で例によって派手な鋳造肌になっているが(ただし抜きの関係で垂直面はツルツル)。このギアケース部分はT-34系列全体でみるとかなりのバリエーションがあるのだが、112工場製-85に関して言うと、形状はキットのように丸みの強いものが一般的だが、鋳造ではなく鍛造なのか、表面は割とスベスベしている。
もう一つ、同工場製車輛の特徴としては、シャーシ後面板(右)中央に牽引ラグが付くはずだが、これはパーツ化されていない。もっとも、これは単純に穴の開いた板なので、追加工作はそれほど難しくない。先述のグムカのページでも触れられているが、実車写真でいえば例えばこれあたり。現存のT-34-85だと、第112工場製と判断できる車輛でもこのラグがなく、かつて付いていたことを示す溶接痕もないケースも多々あるので、同工場製でも-85の後期だとこのラグは廃止されてしまった可能性もあるかも。ただし、戦時中の実車写真を見ると、付いているのが普通のような気がする。
●足回り。
転輪はディスクタイプ。第112工場製の車輛は、生産開始時の1941年(簡易)型以降、一貫してディスクタイプの転輪を用いており、この選択は妥当(かつてのマケットのキットは第183工場製1945年型で一般的な後期スパイダーウェブタイプが付属していた)。ゴムリムは穴も刻み目もないタイプで、1944年型以降の仕様ということではこれも妥当。
実際には「刻み目と穴の有無」だけではなく、ゴムリム部の細かい筋目模様に関しても(おそらく生産工場別の)細かい違いがあれこれある。そのあたりについては、雑誌「タンコマステル」にかつて「T-34:上から下まで」という連載があって、そのうち、2003年第1号の転輪類の回で詳しく図説されていた……が、文章全面ロシア語でついていけ~ん! まあとにかく、「穴無し溝無しのゴムリムでもこの筋目パターンのものはこの工場製車輛のこの時期だけ」なんてことがないように祈りたい。いやほんとに。
閑話休題。とりあえず仕様については基本問題はないが、重箱の隅をつつくと、T-34のディスクタイプの転輪では、表側ではボルト頭ではなくナットになっているのが通常。キットは表と裏のパーツが共通で「ハブキャップを付けたら表」という省エネ設計だが、両側とも中心にねじの出ていないボルト頭になってしまっている。それ以外の点では、外周(おそらくホイールの内外の結合用)と内周(ハブフランジへの固定用)で大きさを微妙に変えていること、リム部内側の段差と溶接痕もとりあえず表現していることなどは評価できるのだが。
左は起動輪、右が誘導輪。起動輪は履帯のガイドを引っかけて回すローラー軸エンドが平たくなった後期仕様で、現在博物館などで見られる実車は大抵コレを付けているのだが、このタイプは(おそらく)戦後仕様。戦中の-85ではキャッスルナットが表側に来るのが標準ではないかと思う。ごく簡単に解決するには、キャッスルナットに見える裏側パーツを表に使い、平頭は(中心に穴を開け直して)目立たない裏に回すという手も使えるかも……。
誘導輪はハブキャップの中央ドーム状の部分だけ別部品という妙な構成だが、仕様そのものは10穴で穴の周囲に盛り上がりがあり、フィンは全部同じ長さの後期標準仕様。
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コメント
アカデミーの製品は「プラハのヘッツァー」を持ってるくらいですが、いろいろと至らないところがあって、いっそのことタミヤのコピー+型式差分でよかったのに(笑)という経験から、何となく敬遠してしまってます。
最近だとズベズダからT-34-85がリリースされてますが、あれは183工場仕様だから、112工場仕様だと、アカデミーのキットをベースにするのが近道なんですね。
転輪リム内部の段差と溶接痕を再現してたりと、気合いは入ってますね。
力が入りすぎの鋳造表現はいただけませんが。
投稿: hn-nh | 2019年12月31日 (火) 18時34分