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2019年12月

皆様よいお年を

●例によってこれから川崎に実家に行って年越しです。

2019年、皆様にはあれこれお世話になりました。

来年もよろしくお願い申し上げます。

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T-34-85(112工場生産型)アカデミー 1:35

20191220_210150 ●先日購入したアカデミーのT-34-85(112工場製)(T-34/85 "No.112 Factory Production", #13290)の、改めて少し詳細なレビュー。

……とは言っても、試しにシャーシ部分を組んだだけなので、全体のプロポーションとか、細かい部品の合いとかについては未検証。ただし、完成見本写真を見る限り、プロポーションに関しては特に妙なところは(いまのところ)感じないし、シャーシと車体上部、それぞれをドラゴンのT-34と比較してみたが、各部分の寸法には、ごくわずかの誤差程度の違いしかなかった(後述)。

なお、T-34関係の最新の資料まできちんとフォローしていないので、考証部分は、あくまで「私の理解では」レベルなのをお含み置き頂きたし。「そこはこうだよ」のツッコミ歓迎。

博物館現存車輛に関しては、主にサイト「LEGION AFV」の-85のページを参考にした。-85の現存車輛に関して、生産工場別にリストにしてあるのがありがたい。

また、キットはグムカのコンバージョンキット「T-34-85 1943年型砲塔(初期型)」のベースキットとしても指定されており、これに関連して、グムカのサイトで(1943年型へのバックデートと合わせて)修正ポイント等に触れられているので、参照していただきたい(→「アカデミーの車体を、より1943年型らしくする」)。

●キットは第112、“クラスナエ・ソルモヴォ”工場製のT-34-85の、1944年終盤(たぶん)以降に生産された、その昔ザロガ先生がsquadron/signalの「T-34 in action」で「’composite' turret」と分類した砲塔を載せたタイプ(もう35年以上前の資料だ!)。composite(複合)と名付けたのは、砲塔下端の鋳造ラインが、バッスル前の部分でかくんと下に折れて、バッスル部分では下端のエッジが立っていて、砲塔の前半と後半を別々に作ってくっつけたかのような外観のため。もっとも、「そんなふうに見える」というだけで、実際は一体で作られている。

20191223_222925 かつてMAQUETTEが出したキットと基本同一のタイプなのだが、MAQUETTEのキットは(新興メーカー最初期の作ということで)こなれていない部分や、形状・ディテール的にも詰め切れていないところがあったので(エンジンルームがカバー下ディテールまで作り込まれているなど、見るべき点も多々あったが)、バリエーションの充実という点で喜ばしいキットといえる。

このキットの大きな売りのひとつだと思われるのが、その砲塔が、1944年生産型(たぶん)の、ベンチレーターが砲塔後部に2連で付いているタイプと、1945年生産型のベンチレーターが前後に別れカバーも大型のドーム状になったタイプの砲塔本体が贅沢に2種入ったコンパチキットであること。ただし、砲塔下面パーツその他は1つ分しか入っていないので、砲塔を2つとも作って完成後に差し替えて楽しむ、などというのは無理。

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キット全体に言えることだが、鋳造部分の表面テクスチャーは荒っぽいにも関わらず画一的で実感に乏しい。なぜか、2種の砲塔のうち初期型砲塔のほうがテクスチャーがより粗い。

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仮組してみた砲塔。鋳造ラインはこれまたいかにもおざなりに引いてあって実感に欠ける。また、先述の「鋳造ラインの切り替わり」から前方部分で、砲塔下面パーツ側で表現されているエッジが立ちすぎていて、このタイプの特徴である「砲塔の前と後ろのちぐはぐ感」が十分表現されていない。もっとも、この部分は(実物の鋳型原型にも若干の差異があるらしく)かなりエッジが立って見える車輛の写真も残っているので、「自分で気に入るように削って調整してちょうだい」というベースとして見るなら、これでもいいかも。

さらに言えば、バッスル下部分のエッジを削って、112工場製T-34-85のより初期のタイプの砲塔に改造するという手もあるかも。

なお、一般的な183工場製のいわゆる「'flattened’ turret」とは、砲塔横の最も張り出した部分が平らに削れているか否かという違いだけでなく、砲塔天井板の前後長も違う。183工場製車両の砲塔では、防盾上のカバーと天井板との間に距離があるが、112工場製車輛の砲塔では天井板がもっと前方に長く、カバー後端とほぼ密着している。またそのため、砲塔前方の上部ラインの傾きが、112工場製の場合よりきつくなっている(マケットのキットの砲塔天井は183工場製とほぼ同じになっていたような)。

砲塔の新旧だけでなく、キューポラも、小径で両開きハッチが付いたものと、大径で片開きのものの2種が付いている。写真左、シャーシ底板の左右が両開きハッチ。

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とりあえずキットの指定では、初期型砲塔には両開き、後期型砲塔には片開きを付けるようになっていて、砲塔側のガイドとなるモールド(本来は溶接痕のはずだが、キットのモールドは綺麗にリング状に盛り上がっているだけ)もそのようになっている。しかし、実際には後期型砲塔が導入されても、しばらくは両開きハッチの小径キューポラが使われていたようで、「グランド・パワー」95年6月号にそのような仕様の実車写真(1945年、チェコスロバキアに進駐した部隊の写真)が出ている。

なお、キットの砲塔ベンチレーターカバーは、初期型用も後期型用も、(砲塔本体よりひどくはないものの)鋳造部品であるという解釈のテクスチャーのモールドが施されているが、実際の部品はプレスで抜いているらしく、割と表面はすべすべしているようなので注意。

●シャーシはクリスティー式のコイルスプリングとその収納部もパーツ化された“今風”な構成。サスアームは(当然ながら)後期のT-34標準の角形断面。

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写真左はドラゴンのシャーシ(上)と比較対照させてみたもの。ほぼ同一の寸法ながら、わずかに出入りがあって、第1転輪軸中心から第5転輪中心まで、アカデミーは約105mm、ドラゴンは106mm弱だった。転輪軸の高さについても、両者にそれほど大きな差はなかった。アカデミーのほうがわずかに高い程度? 私は取り付け時にわずかに低めてドラゴンに近づけた。いずれにしても、パーツの接合はタミヤのように「スーッ、ピタッ」とは決まらず、若干の遊びがあるので、各サスアームの位置が不揃いにならないよう注意したほうがよい。

第1転輪のダンパーは、本来、後期のT-34ではダブルになっているはずだが、モールドが一つしかなく、「アカデミーのポカ?」と思ったら、別途パーツが入っていた。ドラゴンのキットはダブルのモールドが基本で初期のT-34を作る際は一つ削り取るよう指示されているが、アカデミーは反対だったというわけ(大変失礼)。ただし、シャーシ本体にモールドしてあるのは前側のダンパー。一つしかついていない初期型T-34の場合、本来は後ろ側の位置にあるべきではないのだろうか?(ドラゴンのキットでは、初期型T-34ではそちらを残すよう指示されている)……よくわからん。

なお、モールドされているダンパーと別部品のダンパーではほんの少し形が違っているような気がするのだが、転輪を付けてしまえば見えないので私は気にしない。

20191225_124717 第2~第5転輪に付くサスペンション・スプリングのケースは、ドラゴンではすべて同じ傾きだが、アカデミーでは第3転輪のものだけ傾きが違う。これは実車でも砲塔リングを避けるためにそうなっているのを再現しているためで、miniartのSU系などでも再現されており、これはさすがに後発キットだけのことはあるなあ、という感じ。もっとも外観上はまったく変わらないし、車内を自作しようという場合でもない限り、特に差し障りもない(ドラゴンのキットも、その辺を割り切って同一パーツにした可能性もありそう)。

試しに車体上部をかぶせてみたのが下写真。

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左がアカデミー、右が比較用のドラゴン(エンジンルーム上のカバー部形状差は、ドラゴンがT-34-76であるため)で、ドラゴンはケースの頂部がスプリング調整用のパネルと大きくずれているのがわかる。しかしアカデミーのキットもパネル位置から逆に後方にちょっとずれていて、位置が正確かどうかちょっと疑問がある。

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キットの底面は、脱出ハッチや点検パネル等の前方に跳弾リブがモールドされている。これは確かにいくつかの資料の図面にあるのだが、少なくとも、私が見た現存の博物館車輛の写真では、存在は一例も確認できなかった。また、後方(写真では向かって左側)の丸パネルはキットではツライチになっているが、ここは実車写真で見る限り、一段盛り上がっているのが正解のような(ドラゴンのキットではそうなっている)。もっとも、こういうひっくり返さないと見えない部分に関しては、個人的には「まあどうでもいいかな」的スタンス。

履帯ピン打ち戻し板(右写真)は四角い座布団タイプだが、このタイプは戦後になって、あるいは終戦ギリギリくらいから使われたもの(たぶん)。-85でも初期は、起動輪軸上の部分に扇状のものが付けられていたはずだが、現存車輛でもそこまでカメラを突っ込んで撮っているものはあまりなく、「第112工場製車輛の場合はどうだったのか」に関しては確証がない(Wydawnictwo Militariaの#275「T-34-85」では、1944年春の112工場生産車の図で、すでに座布団タイプが使われているように描かれている。うーん。ホントかなー)。

●車体上部。

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左はドラゴン(-76、41年型系車体)とのプロポーション比較。各部の長さ、割合は、やはりごく僅かの差はあるもののほとんど一致。ドラゴンの42/43年型でやや外側にずれていた操縦手ハッチ位置も、このキットでは特に問題なし。

戦闘室上面四隅にあるサスペンション・スプリング点検用パネルが側面装甲板からやや内側に離れた位置にあって、「え?これって装甲板の継ぎ目に密着しているものなんじゃなかったっけ?」と焦ったのだが、確認してみたところ、-76では外側に密着しているものの、-85ではこんなふうに離れているのが正解。実際、ドラゴンの-85でもそうなっていた。最近、-76のキットばかりいじっていたために、「外側にくっついているのが普通」みたいに思い込んでいた。

ラジエーターグリルは、側部のものは別部品だが、上面内側のものは車体と一体モールド。開口もしておらず、彫りもやや浅め。留めピン部の表現もなく、前後長もやや短いようだ。

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エンジンルーム上面ディテールはやや問題ありの部分。キットでは、エンジンルーム中央の、点検ハッチのあるバルジ後面から左右のグリル後方にかけ、板状の部材が差し渡されている表現となっているが、これは、第183工場製車両で42年型から?見られるようになった特徴。第112工場製車両では、右側のドラゴンの41年型車体のように、左右のカバー後端がグリル後方まで回り込んだ、より古い形質がそのまま引き継がれているのが標準らしい。できれば修正したい部分。

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細かい話だが、車体前端にある誘導輪位置(履帯張度)調整装置(誘導輪スイングアームのロック用?)のアタマは、ベース部分が車体前面装甲とツライチ表現になっている。第183工場製車輛の場合はそれでもいいのだが、第112工場製車輛では一段出っ張った「デベソ」状態になっているのが普通のようだ。数年前の東京AFVの会の折、1-color君に貰ったレジンパーツ(右写真)に、ついに有効活用の場が!? ちなみにこのレジンパーツはTigermodel 'TANKMAKER'製で、174工場製車輛のリアパネルヒンジとこの調整ボルトがセットになったものだが、1-color君に貰った後、「ハラT」青木氏と山分けしたにもかかわらず、まだ5、6輌分ある。

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前部フェンダーは初期の丸形、後期の角形のコンパチ。ただし角形フェンダーのほうは、第183工場製車輛ではキットのようにマッドフラップのヒンジが一か所でよいが、第112工場製の場合は2か所ずつになっているのが標準。ついでに、丸形フェンダーの隣にある操縦手ハッチは、砲塔同様のキモチワルイ鋳造テクスチャー付き。

●シャーシ&エンジンルーム後面。

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エンジンルームのリアパエルがシャーシ側にかぶさるようになる構成で、大型でゴツイ感じのヒンジが下端2か所に付いているのが112工場製車輛の特徴であり最大の識別点。キットはその辺はちゃんと再現している。シャーシ後面板左右のギアケース部分は、キットは鋳造という判断で例によって派手な鋳造肌になっているが(ただし抜きの関係で垂直面はツルツル)。このギアケース部分はT-34系列全体でみるとかなりのバリエーションがあるのだが、112工場製-85に関して言うと、形状はキットのように丸みの強いものが一般的だが、鋳造ではなく鍛造なのか、表面は割とスベスベしている。

もう一つ、同工場製車輛の特徴としては、シャーシ後面板(右)中央に牽引ラグが付くはずだが、これはパーツ化されていない。もっとも、これは単純に穴の開いた板なので、追加工作はそれほど難しくない。先述のグムカのページでも触れられているが、実車写真でいえば例えばこれあたり。現存のT-34-85だと、第112工場製と判断できる車輛でもこのラグがなく、かつて付いていたことを示す溶接痕もないケースも多々あるので、同工場製でも-85の後期だとこのラグは廃止されてしまった可能性もあるかも。ただし、戦時中の実車写真を見ると、付いているのが普通のような気がする。

●足回り。

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転輪はディスクタイプ。第112工場製の車輛は、生産開始時の1941年(簡易)型以降、一貫してディスクタイプの転輪を用いており、この選択は妥当(かつてのマケットのキットは第183工場製1945年型で一般的な後期スパイダーウェブタイプが付属していた)。ゴムリムは穴も刻み目もないタイプで、1944年型以降の仕様ということではこれも妥当。

実際には「刻み目と穴の有無」だけではなく、ゴムリム部の細かい筋目模様に関しても(おそらく生産工場別の)細かい違いがあれこれある。そのあたりについては、雑誌「タンコマステル」にかつて「T-34:上から下まで」という連載があって、そのうち、2003年第1号の転輪類の回で詳しく図説されていた……が、文章全面ロシア語でついていけ~ん! まあとにかく、「穴無し溝無しのゴムリムでもこの筋目パターンのものはこの工場製車輛のこの時期だけ」なんてことがないように祈りたい。いやほんとに。

閑話休題。とりあえず仕様については基本問題はないが、重箱の隅をつつくと、T-34のディスクタイプの転輪では、表側ではボルト頭ではなくナットになっているのが通常。キットは表と裏のパーツが共通で「ハブキャップを付けたら表」という省エネ設計だが、両側とも中心にねじの出ていないボルト頭になってしまっている。それ以外の点では、外周(おそらくホイールの内外の結合用)と内周(ハブフランジへの固定用)で大きさを微妙に変えていること、リム部内側の段差と溶接痕もとりあえず表現していることなどは評価できるのだが。

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左は起動輪、右が誘導輪。起動輪は履帯のガイドを引っかけて回すローラー軸エンドが平たくなった後期仕様で、現在博物館などで見られる実車は大抵コレを付けているのだが、このタイプは(おそらく)戦後仕様。戦中の-85ではキャッスルナットが表側に来るのが標準ではないかと思う。ごく簡単に解決するには、キャッスルナットに見える裏側パーツを表に使い、平頭は(中心に穴を開け直して)目立たない裏に回すという手も使えるかも……。

誘導輪はハブキャップの中央ドーム状の部分だけ別部品という妙な構成だが、仕様そのものは10穴で穴の周囲に盛り上がりがあり、フィンは全部同じ長さの後期標準仕様。

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アカデミックな買い物

●facebookのAFV模型のグループで、ホビーショップTamTamでアカデミー製品の半額セールをやっていると教えてもらったので、仕事で都心に出たついでに秋葉原に寄り道。前々から「そのうち買おう、機会があったら買おう」くらいに思っていたアカデミーの「T-34-85 112工場製」のキットを買ってきた。

アカデミーのAFVを買うのは、「プラハ蜂起のヘッツァー」以来。

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何はともあれ、これでちょっとアコガレだったT-34-85 1943年型にチャレンジできる! というわけで、グムカの1943年型砲塔も並べて準備万端。……いつ作るかは別として。

もうちょっと細かいキット内容については改めて。

●前回、大楠山に登った次の日。夕方、日が暮れて町内を歩いていたら、ずんぐりしたケモノに遭遇。あっ、あれはタヌキだろうか、アライグマだろうか、などと思いつつも暗い中でははっきり確認もできず。とりあえず慌てて撮った「目がキラリ」だけはっきりわかる写真が以下。明度を上げてみたのが右。

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改めて写真で確認すると、前足から肩にかけて黒いこと、鼻筋が黒くないことなどから、タヌキである模様。数週間前の夜に逗子開成の前で遭遇したのと同じ個体かも。

●“ウィアード・アル” ヤンコヴィック(“Weird Al” Yankovic)というアメリカの「替え歌歌手」については、私は割と最近、youtubeでたまたま知ったのだが、結構、知る人ぞ知る感じのアーティストであるらしい。名前からするとセルビア系とかクロアチア系とかかな。

替え歌というと、嘉門達夫とかは一節を切り取った一発芸的なものだが、“ウィアード・アル”のものは一曲丸ごと、つまり「フル・コーラス」でやるのが特徴。もともとザ・ナックの「マイ・シャローナ」の替え歌の「マイ・ボローニャ」(延々とボローニャ・ソーセージについて歌う)でデビューし、マイケル・ジャクソンとかマドンナとかレディ・ガガとか、とにかくいろいろやっているのだが、個人的に秀逸だと思うのは以下。タイトルは“The Saga Begins”

もっとも、ドン・マクリーンの「アメリカン・パイ」にしっかり馴染みがあるかどうか(に加えて「ファントム・メナス」を観ているかどうか)という点で、これがウケるのは年代的にも結構限られそう。

もちろん、英語が得意とは言えない私のことなので、単に聞いていても意味ははっきり分からない。歌詞は歌詞で別途検索して「あー、そんなこと歌ってんのかー」と2段階で納得している感じ。ただし、元歌の韻とかフレーズとか、あるいは小節の利かせ方とかを部分的にうまく生かしているのが凝ってるなあ、と思う。

“ああ、これなるはアナキン坊や
いつかヴェイダーになるかもしれないけれど、いまはまだガキんちょだ
そしてママに別れのキスをして家を出る
「すぐにジェダイになるからね、すぐにジェダイになるからね」と言いながら”

ちなみに割と最近の作品に、ビートルズ(ジョージ・ハリスン)の「タックスマン」の替え歌、「パックマン」がある。何でもありだなオイ。

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大楠山特設見張所

●金曜日午後、大楠山(横須賀市)に登る。三浦半島の最高峰、かつ関東100名山の100番目であるらしい。241.3mしかないのに!

特にはっきりした目的があるわけではなく、

  • 近年、この辺の山のハイキングコースはおおよそ歩いたにも関わらず、大楠山には行っていない(ただし、主要ルートの一つであるゴルフ場脇を歩いた覚えがあるので、だいぶ昔に一度上ったことがあるのは確か)。
  • 大楠山に登るなら、暑くなく、藪も濃くない季節にしようと思っていた。
  • 先日の2度の台風で、この辺の山のハイキングコースはだいぶ痛めつけられているが、ネットでちらりと調べてみた限り、大楠山の主要ルートは大丈夫らしい。
  • とりあえず、今ヒマ。

などの理由による。

●大楠山への登山(というよりハイキング)の主要ルートは4~5つあるのだが、今回は逗子から衣笠行きのバスに乗って「大楠登山口」下車。阿部倉温泉経由で、ゴルフ場(葉山国際カンツリー倶楽部)脇を通って登頂。帰りは前田橋へ。大雑把に言うと、北から登って南西に降りた感じ。

昼食をとってすぐに出掛けるつもりがちょっとぐずぐずし、その遅れがバスの待ち時間などで増幅されて、バス停を降りて歩き始めたのはすでに2時過ぎ。しかも実際にハイキングコースの山道を登り始めるまでに3度も道を間違えた。おかげで、前田橋で人里に出ることにはもうかなり暮れはじめ。冬のハイキングは時間がタイトなので気を付けなければいかんね……。

●山道に入る前、「両面地蔵」というちょっと変わったお地蔵さんの名前を見つけたので(ポケモンgoのポケストップになっていた)、ちょっと寄ってみる。小さなお堂の格子越しに撮った写真が以下。

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名前から、顔が2つあるお地蔵さんなのか、などと勝手に想像したのだが、そうではなくて、どうやら石の両面に地蔵を浮彫にしたものらしい。調べてみると、同じ横須賀市にある宋円寺という寺に同形式の「両面地蔵」が10基ほどあり、平安時代末期の武将、鎌倉権五郎景政が盲目の身で自ら彫ったという怪しげな言い伝えがあるそうな(鎌倉権五郎景政は後三年の役で片目を射られた話は伝わっているが、両目が見えなくなった話は、この伝承以外にはないはず)。

この祠の両面地蔵が宋円寺のものと何か関連があるのかどうかや、そもそも「両面地蔵」という像容(像の形態)の意味等についてはわからなかった。わざわざ両面に彫るには、それなりの理由がありそうだけどなあ……。

●さて。この近辺にあった戦時中の軍事施設に関しては、ほとんど虎の巻的に参照させていただいているサイト「東京湾要塞」には大楠山に関する記述はなく、そのため、今回は施設探訪などというつもりはない、単なる山歩きのつもりだったのだが、頂上に着くと、明らかに軍事遺構っぽい、こんなものが。

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1枚目。頂上広場でいきなり目に入るコンクリートのテーブル状構築物。5分の2程度が欠損しているが、元は8角形だろうか。ディテールは異なるものの、これまで何カ所かで見てきた砲座や銃座に感じが似ている。ただし、他では見られない用途不明の溝がある。元からこのように地面から出っ張ってテーブル状だったのか、それとも元は地面と同レベルで、その後周りの土が削れてなくなってしまったのかは不明。

2枚目。その脇にあった、同じくコンクリートの小構築物。2つ出っ張っているが、よく見ると写真右側にも地面すれすれにもう一つ。位置関係からみて、どうも最初は4か所に四角く並んでいたのではないかと思う。何かを据え付けるための脚のように見え、逗子の大崎公園にある機銃座跡といわれるものにも似ている。

3枚目。先の2枚に写っていた2つの構造物の位置関係。

4枚目。1枚目の写真で向こう側に写っていた三角点。円筒状のコンクリート製構造物の上に据えられているが、この円筒は三角点設置のためにわざわざ作ったものなのか、それとも元からあったものを流用したのかはよくわからない。

帰宅してから調べてみると、ここ、大楠山の頂上には海軍の「特設見張所」なるものがあり、電探や対空機銃が設置されていたらしい。1枚目の“テーブル”が電探の台座のようだ。出典はこちら

なお、上記リンクのページにも、国土地理院の地理空間情報ライブラリー、「地図・空中写真閲覧サービス」から米軍の空撮写真が引用されているが、近隣の防空砲台と違い、ここについては「何かあった」という痕跡がよくわからない。実際、私も写真を閲覧してみたのだが、そもそもこの一帯の土地利用は現在は激変しているうえ、過去の写真ではそもそも田舎過ぎて目立つランドマーク等がなく、「そもそもどこが大楠山頂なのか」自体、どうもよくわからなかった。

●山頂広場の西側には、売店と展望台がある。基本、バカと煙の類なので登っていい場所には登ってみたくなるのだが、残念なことに展望台入り口の扉は鍵が掛かっていて入れなかった。無念なり。

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売店も閉まっていたので、「売店が開いている時間だけ展望台も開いている」という仕組みかもしれない。とはいえ、いつなら登れるのか/いつなら売店が開いているのか等々について現地には何も書かれていなかったし、横須賀市の案内ページや観光ページなどにも記載がなく不明。

●さらにその西側、山頂からちょっと下った肩の部分には、現代の「特設見張所」、レーダー施設がある。もっとも防衛目的のものではなく、国交省所有の雨量観測所。

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レーダー塔の隣には(かなり低いが)展望台があり、2枚目はそこからレーダー塔を見上げて撮ったもの。3枚目は展望台から南を向いて撮ったもので、写っているのは三浦半島西岸(油壷方面)。

●前述のように大楠山では(少なくとも私の通った2ルートでは)、台風の後遺症はおおよそ片付けられている感じ。

道にかぶさるような倒木その他に関しては、行きのルートで一か所、ゴルフ場のフェンスが倒れたままになっていたのと(左写真)、帰りで一か所、倒木がかぶさってトンネル状になっていた程度(右写真)。

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ちなみに左側も身をかがめれば通れる程度で、右は(一見狭いようだが)中背の私がまったく身をかがめなくても通れる高さがあった。

●と、大楠山はそんな感じなのだが、鎌倉周辺のハイキングコースはもっとずたずたになっているようで、現在はほぼどのルートも通行禁止。復旧は来年の6月ころまでかかるらしい。

先日、逗子のハイランドから、池子の米軍接収地の北辺の尾根をぐるっと歩く「やまなみルート」を歩いたのだが、(割と時間も遅めだったので)十二所果樹園から朝夷奈切通入口に降りるつもりでいたところ、果樹園を降りる道が「がけ崩れのため通行禁止」とのことで、結局六浦まで歩き続けることになった。

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マサルマ

20191205_124001 ●先週木曜日(5日)、逗子市内、池田通り交差点近くのインドカレー屋さんでかみさんと昼食。

右は店頭の日替わりメニューの掲示。「マサルマ」という謎食材の正体にワクワクしながらインド系の店員さんに訊ねたら、「マッシュルーム」のことだった。

そもそも小さい文字を添える表記(というよりも、促音という概念とか、小さい文字を添えることで別系列の子音を示すとか)は日本語独自のものなので使いこなしにくいところへもって、「マッシュルーム」と耳で覚えている音をカナ表記に頑張って直そうとしてこうなった――のではと想像。

なお、流れでそのまま私は昼食に「マサルマとチキン」のカレーを食べた。久々のストレートなインドカレー美味し。

●「店員さん手書きの日替わりメニュー掲示」は、なぜかインドカレー屋さんの全国標準になっているのではないか、という気がする。

以前、神保町の「シディーク」でも手書きメニュー黒板が店の前に置いてあって、そのいかにも「がんばって書いている」感の鑑賞と解読が私(と仕事仲間)の密かな楽しみだった一時期がある(なかでも出色は「イソドビル」で、これについては以前にも書いた)。

もっとも、店頭のメニューでウケるのは店員さんにとっては不本意だったらしく、「シディーク」では、いつのまにか手書きメニューではなくなってしまった。残念。

●続けて店話題。数日前、セブンイレブンのレジで、「キリマンジェロ、ナナコで」と注文して、レジにナナコカード(セブン&アイの電子マネー)をタッチしたところ、770円引かれてコーヒーカップが7つ出てきた。

……コント?

当然、660円返金してもらった。

●天気の良い日にはしばしば歩きに出るが、先日の台風により、このあたりの山道はいまだに痛めつけられたままになっている箇所も多く、以前のように気楽に山歩きには行きづらい。といって、休みの日に鎌倉は人が多いので、1日日曜日、8日日曜日と、2週続けて葉山方面に散歩。写真は森戸海岸からの夕日(8日 16:16)。

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冬の間は富士山が綺麗に見える日も多く、特にこのあたりからの富士は、江の島を前景に、箱根と丹沢の切れ目から立ち上がって見えるので姿が良い。ここ半月ほどに適当に撮った富士山あれこれ。

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1枚目:逗子海岸端、田越川河口の渚橋上から(1日 13:44)。

2枚目:葉山港隣、旗立山(鐙摺城址)上から(1日 14:09)。

3枚目:逗子マリーナ突端から(3日 17:23)。

4枚目:森戸海岸から(8日 16:13)。

●8日だった気がするが、葉山から歩いて戻って、我が家手前の坂道を上っているときに、近くで妙にしゃがれた鳥の鳴き声がした。あまりにしゃがれ声なので最初は気付かなかったが、よく聞くと「ホホウ……ホロッホロッ」という、独特のリズムのフクロウの声。しかも、ふと見上げると、すぐそこの電信柱の真上に大きなずんぐりしたシルエットが見えた。

その1羽だけではなく、近くの森にいるもう1羽と、交互に鳴いている。番だろうか。

これまでもフクロウの鳴き声だけは聞いているが、姿は初めて見た。残念ながら、スマホのバッテリーが切れかけていたので写真は撮れなかった。もっとも、バッテリーがあってもフラッシュの予備発光だけで飛んで逃げてしまったかも。

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wz.34装甲車リベンジ(12)

●先月末に東京AFVの会に行き、つくづく「模型を1つでも完成させないとなあ」と思い、現在、「とにかく、ある程度以上製作が進んでいる“作りかけ”を少しでも進めて行こう」モード中。

というわけで、長らく放り出してあったwz.34装甲車を再び取り出す。……うは。前回記事はもう2年以上前ですよ。

●製作がストップしていた理由は、単純に「エントリーしていたSUMICON2017に間に合わなかったので、その時点で意欲が一度ぷっつん切れた」というのもあるが、それとともに、いくつか製作上「ここはどうやって作ろうか」というのがよくイメージできない点が出て来たからでもある。

模型製作に際し、特に改造とか自作とかの場合には、「どんな手順、工法で作ればうまく(楽して)作れるか」を明確にイメージできているかどうかが大事で、それができれば、(少なくとも個人的には)もう道半ばまで来ているという感じがしている。もちろん、何をどうやっても地道に七面倒くさい作業を重ねないとできない(あるいはそれ以外思いつかない)という場合もあって、そこでげんなりして工作がストップしてしまうこともあるが。

今回は、とりあえず作業再開のきっかけということで、そんな足踏みポイントのうちでも比較的小ネタの砲塔キューポラ・ハッチの天板を工作する。もっとも、上でグダグダ書いたが、この部分は「あれこれ考えずにぱぱーっと作っちゃえばいいんだよ」程度のもの、と言えるかも。

●wz.34装甲車の砲塔ハッチは、6角形のキューポラそれ自体が前後にぱっかんと別れて開く素敵設計で、当然ながら、天板はキューポラに固定されている。ただしベタ付けではなく、砲塔内の換気用にわずかに隙間が設けられている。

ちなみに、このキューポラの各面には、どの写真を見ても視察用のスリット等は確認できない。もちろん、天板との隙間は位置的に視察用にはなり得ないので、そもそもこのキューポラが何のためにあるのかがよく判らない。車長の頭が砲塔天井にぶつからないようにというだけのものだとしても、周りが全然見えないのは問題だろうし。

閑話休題。スリットの脚部分の工作で考えたのは、

・伸ばしランナーの輪切りをキューポラ上端に並べて貼る。 → 強度的に不安。

・天板側からマスタークラブのリベットを挿して(表側のリベット頭もそのまま表現できる)、キューポラ上端部内側にリベットの脚の入る溝を掘り、適当なスリットの距離を開けて固定する → 構造的には実車と近く理想的だが接着に問題がある(工作手順上、キューポラ内側からアクセスできない。キューポラを砲塔に付けてしまう前に工作すればよかった!)。金属線で脚を工作する場合も同様。

で、あれこれ考えた挙句、結局、伸ばしランナーを(キューポラ内側の)砲塔上面からキューポラ上端を越えて差し渡し、2点で接着することである程度の強度を稼いで脚部分を作った。付けた後で出っ張った部分をある程度切り詰め、やすりで削って高さを揃えた。

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天井板は円形と六角形の2種があるようだが(CERTIのキットには2種類のパーツが入っている)、実車写真で確認した範囲ではほとんど丸型のようだったので、そちらを採用。最初はCERTIのキットのパーツを薄削りして使おうとしたのだが、中心に筋彫りをする際に少しずれてしまい、結局0.3mm板から切り出した。今度こそ、「CERTI/MIRAGEのキットからの唯一のパーツ流用!」になるかと思ったのに果たせず。

天井板の表のリベットは例によってタミヤ48マーダーIIIからの移植。とりあえず工作が終わった砲塔本体は以下のような感じ。

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改めて見てみると、これだけ短いのであれば、単に伸ばしランナーの輪切りでも強度を気にするほどではなかったかも。

●武装については、当初は(以前に書いたように)ピュトー37mm砲搭載型にしようと考えていたのだが、

  • 防盾前面に照準孔が確認できない(ない、なんてことがあるのか?)
  • ピュトー37mm自体が、ルノーFTとスリーブや駐退機カバーの形状に相違があり、そのあたりのディテールの把握に不安がある。
  • もひとつ言えば、その自作も面倒くさい。

――などの理由から、オチキス機銃搭載型のほうに傾き中(こちらは照準孔の存在がしっかり確認できる)。

オチキス機銃それ自体は、CERTI/MIRAGEのキットのパーツはあまりにお粗末な出来だが(写真上側)、現時点でインジェクションのオチキス機銃としては最も出来がいい(と思われる)MENGのルノーFTのパーツ(写真下側)を流用しようかと思っている(wz.29装甲車の時は自作したが)。

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●今回の微々たる進展はキューポラの天井のみだが、前回記事からの変化ではもうひとつ。

後輪ディスクの6本のハブボルトに関しては、当初、流用したSd.Kfz.231(6Rad)のモールドのままにしてあったのだが、実際には、それでは実車とは半ピッチ(30°)ずれた位置になってしまう(当初位置に関しては、前回記事の写真参照)。

「やっぱり、せっかくだから直しておこう」と取り出してみたら、すでに修正してあった。小人さんがこっそり作業したとも思えないので、いつの時点かで発作的に作業したらしい。自分でもすっかり忘れていた。ボケたな……。付け直してあるボルト(ナット)は、TOKO/イースタン/ズベズダのGAZ系のホイールからの移植。

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●オマケ。とりあえず、今までの工作で準備できているコンポーネント群の集合写真と、CERTI/MIRAGEのキットとの対照写真。

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III号指揮戦車E型 FIRST TO FIGHT 1:72

20191116_185457 ●買ったのは半月くらい前なのだが、バタバタして書いていなかったキット紹介など。

物はIBGが製造を請け負っているらしい、1939年戦役に登場した陸戦兵器に限った小冊子付ミニスケール・シリーズ、「First to Fight / WRSESIEŃ 1939」のIII号指揮戦車E型。

もともとIII号指揮戦車は好きでミニスケールなら比較的気軽に作れそうと思ったこと、このシリーズ自体もそこそこ気に入っていることが、ふらふら購入してしまった理由なのだが……。

結論から書くと、III号戦車(以下「戦車型」)とIII号指揮戦車の車体・砲塔の基本的な違いについては丸っきりフォローされておらず、単純に、戦車型のキットにアンテナ・パーツを追加しただけの、いっそすがすがしいまでのトンデモ・キットだった。

なお、キット内容とは関係ないが、箱絵では、どういうわけかエンジンルーム横の通風孔がD型っぽい形状になっている。IBG系のミニスケールでは、WORLD OF WARのII号戦車a1/a2/a3の箱絵も、何だか各型の特徴が入り混じっていて怪しかった。同じ画家かな……。

●とりあえずキット内容。いつもながら、箱絵と同じ絵の表紙のほぼA4版の解説小冊子(表紙含め12ページ、全編ポーランド語)。プラパーツは枝3つ(大2、小1)、ほかにデカール。

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写真1枚目:基本パーツ1。ロコ方式の足回り、車体上部、砲塔。

写真2枚目:基本パーツ2。車台、ほか小パーツ。

写真3枚目:指揮戦車用追加パーツ。フレームアンテナおよび左右のロッドアンテナ。なお、指揮戦車のロッドアンテナは左右で長さが違うはずだが、このパーツは長さが同じ。

写真4枚目:デカール。ポーランド戦時の白十字(のみ)。もしかしたら他キットとも共通かも。II号D型キットも白十字デカールだけだったはずだが、同じデカールだったかは未確認。

基本パーツ1&2に含まれる各パーツのディテールは戦車型のもので、おそらく、同じくFTFで出ている戦車型(III号戦車E型)のキットは、プラパーツ的には3枚目が付いているか否かだけの違いではないかと思う。いや、「もしかしたら砲塔の位置とかは戦車型と同じになってたりするかもなー。そうしたら移動させてやらんとなー」などとは思っていたのだが、まさかここまでとは……。

果たしてこれを「III号指揮戦車のキット」と考えてよいのかどうか大いに怪しいところで、最も平和的なこのキットの活用法は、通常の戦車型として組み立てることだと思う(戦車型用のアンテナも基本パーツの枝に含まれている)。仮にIII号指揮戦車として制作しようと思えば、アドバンテージは「フレームアンテナと2つのロッドアンテナ&ケースのパーツがある」だけ。もちろん、単純にフレームアンテナを追加するだけで、「わーい、さんごうしきせんしゃだー」と言って楽しむ選択肢もあるが(そもそも、それほど資料がなかった昔の認識はそんなものだった)、私の模型姿勢的には無し。実際には、戦車型と指揮戦車とでは砲塔の位置が違うだけでなく、細部ディテールが大幅に違うので、修正(というよりもう改造)はかなり遠い道のりとなる。しかも見た目はフレームアンテナ以外あまり変わらないので、それら作業の結果はいたって地味。

●そんなわけで、私自身「これはもう、戦車型で組むしかないよな……」と思ったのだが、一方で、「指揮戦車E型が作りたくて買ったのに……」と、諦めきれない部分も少々。以下、その辺も含みつつディテール・ウォッチ。

▼車体

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車体前部。よく見ると、なぜか前端装甲に増加装甲のボルトのモールド付き。なんでや……。また、ブレーキ通風孔の装甲カバーは、戦車型の場合はF型からのはず。指揮戦車E型の場合は(戦車型よりも生産時期がちょっと後ろにずれているせいか)通風孔カバーは付いていた模様。いずれにしtも、単純にモールドを削るだけなので、これの修正は楽。

戦闘室上面前端には、吊下げフックが左右と中央の3カ所にモールドされているが、これは、

  • 戦車型の場合は中央1カ所。
  • 指揮戦車型の場合は左右2カ所。

――のはず。戦車型、指揮戦車型の両方に対応できるように3つモールドでておいた……ということは(その他の箇所から判断すると)なさそうな気がするので、単純にミス?

操縦手側面のクラッペは一体モールド。無線手席側側面にはモールドがないが、戦車型はE型までは右側にはクラッペがないそうなのでOK。指揮戦車のキットとして考えると、右側にはクラッペが2つにピストルポート、左側にもクラッペ1つの他にピストルポートがなければいけないが、その辺は全無視。

戦闘室前面装甲板(写真右)もまるっきり戦車型仕様。ただし、機銃架のワクは何だか装甲板に一段めり込んだような形になっていて、ちょっとおかしい。指揮戦車型としては、機銃架(に見せかけたピストルポート)の枠の下側の切れ込みがないだけでなく、そもそも場所が戦車型よりももっと内側(もちろん、戦車型同様、ワクは埋まり込んだ形状にはなっていない)。

操縦手用の装甲シャッターは、戦車型の場合はキットのようなスライド式でいいのだが、指揮戦車E型では、はい人28号さんによると、ポーランド戦時には側面クラッペのような小型のものが付く妙な仕様になっていたらしい。その後は戦車型G型同様の軸動式のものになるそうで、要するに、戦車型E型のようなスライド式シャッターは用いられていなかったらしい。知らんかったよ……。トラクツによれば、戦車型E~G型、指揮戦車D1~E型、すべて戦闘室前面装甲は30mm厚だったことになっていて、となると、E型でスライド式シャッターが用いられなかった理由がよく判らない(ちなみに指揮戦車D1型ではスライド式シャッターが使われている)。

  • 戦車型D型 → 戦車型E型/指揮戦車型D1型 の段階で一度、
  • 戦車型E型/指揮戦車型D1型 → 戦車型G型/指揮戦車型E型 の段階でもう一度、

というふうに、2段階の装甲増厚があったとするとすんなり理解しやすいのだが……。

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エンジンルーム横の通風孔は一発抜きのため、フェンダーに垂直に一体化している。ロコ方式のキットであれば、これくらいの割り切りは当然かな……。上面はメッシュが貼ってある状態でモールド。そもそもメッシュは標準装備なので、格子になっているよりはこのほうがいい。もちろんメッシュからかすかに格子が透けているような芸コマなモールドならもっとよいが、さすがにそこまで求めるのは贅沢だろう。

フェンダー上のOVM類は、ジャッキを除いて一体成型。

戦車型として作る場合はこれでもいいのだが、指揮戦車の場合、左フェンダーの消火器とジャッキの前後関係が逆だったりと、OVMの配置に若干の違いがある。また右フェンダーには、戦車型のアンテナケースの脚の位置にダボ穴が開いていて、指揮戦車として作るとこの穴がそのまま残ってしまうことになる。根本的に手を入れようと思えば、フェンダーごと作り直す必要が出てくる。……ドットパターンはどうするんだ。

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車体後端は、下縁が一直線になってしまっている。ここは戦車型も指揮戦車型も真ん中辺でもっと上下幅がある形状のはず。また、マッドフラップを跳ね上げた際に尾灯が顔を出すための穴が再現されていない。

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砲塔位置の比較。左はキットの砲塔リング位置通りに砲塔を載せたもので、戦車型標準の砲塔位置。砲塔の後端は戦闘室上面からエンジンルーム側にはみ出す。右は指揮戦車型の砲塔位置で、砲塔後端はエンジンルーム側へははみ出さない。

▼砲塔

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砲塔は戦車型としてはそこそこのレベル、ではないかと思う。指揮戦車型は上面ディテールが大幅に違い、角型のペリスコープなどはない代わり、大型の伸縮式アンテナのためのハッチだの何だのが付いている。キットの天井板には(戦車型の)内部装備に対応した細かなネジ穴モールドが施されているが、これらは指揮戦車型にはない。

側面のクラッペの前方に跳弾リブがあるのは戦車型のみ。ただし、キットのモールドでは両方のクラッペにスリットが彫ってあるが、戦車型の場合スリットは右側面だけのはず。指揮戦車型は両方にスリットがあるが前述のように跳弾リブはなく、また、左右で高さが違い、右側面のクラッペは左側面よりも高い位置にある。

防盾カバーは、戦車型の場合、俯角を取った時に連装の同軸機銃の銃身が入る溝がワクの下縁にあるのだが、キットにはそれがなく、指揮戦車のダミー防盾の形状に近い(が、その程度が近くてもなあ……)。

▼足回り

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足回りは履帯も含めた一発抜きの、いわゆる「ロコ形式」のため、そもそも履帯表面のディテールなど望むべくもないが、接地リブ部分はちょっと左右に突き出し過ぎな感じ。そして起動輪に巻き付く部分だけ、変な横リブ入りで「二」の字の連続みたいになっているが、これは履板から突き出た起動輪の歯をCADで適当に処理した結果かもしれない。余計なことを!(笑)。

起動輪、誘導輪の表現は(一体成型で隙間もないことを除けば)それなりだが、転輪は、リム部との境のリングが立ち上がり過ぎていて後期型転輪っぽい。そしてなぜか、サスアームが転輪に食い込む形でモールドされているのは印象が悪い。

●……と、つらつらチェックしていくと、ますます指揮戦車への道のりの遠さにげんなりしてきて、戦車型のまま組む方向にさらに傾き中。

なお、35の指揮戦車E型に関しては、以前にSUMICONで指揮戦車H型を作った「はい人28号」さんが、最近やはりドラゴンベースで完成させている。

→はい人28号さんのIII号指揮戦車E型

はい人28号さんはIII号指揮戦車系列のコンプリートを目指しているとかで、新たに指揮戦車D1型を製作中。あれ。miniartで発売予定じゃなかったっけ……と思ったら、いつのまにかカタログから消えているらしい。指揮戦車D1型は戦車D型と違って、車体前部ハッチが左側しかないとか、車体前面装甲板の上下が組み継ぎになっているとか、上部転輪の位置も違っていそうとか、車体幅も違うかもしれないとか、なんだか今まで気付いていなかった点がボロボロ出て来て目からウロコ。

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