« II号戦車b型 THE WORLD AT WAR 1:72 | トップページ | 三浦アルプス »

二子山高角砲台

●6月6日はD-dayだが、個人的には別にどうということもなし。

●ここ1か月ほど、いわゆる「三浦アルプス」を集中的に歩く。

三浦アルプスは葉山の海に注ぐ森戸川の上流域を囲む山々だが、最高地点でもせいぜい標高200m少々(もうちょっと南にある三浦半島“最高峰”である大楠山でも241.3mしかない)。「なんちゃってアルプス」ぶりも甚だしく、本家アルプスどころか日本アルプスと比べてみても、本物の銀座と逗子銀座商店街以上の差がある気がする。

もっとも、逗子・鎌倉のハイキングコースの多くが、一度上ってしまうと尾根筋はあまりアップダウンが激しくなく歩きやすいのに比べ、三浦アルプスは(特にメインのルートとなる南尾根などは)ロープを掴んで上り下りする場所などもあり、「登山」とはいかないまでも、それなりにがっつり「山歩き」する覚悟で行く必要がある。一方で標高が低いのでそれなりに藪も濃いし(さすがにメインのルートで、道が消えるほどのことはないににしても、両側から迫っているような場所はある)、この季節だとヤブカも寄ってくるし蜘蛛の巣に引っかかることもある。

ルート概観はこんな感じ(「二子山山系自然保護協議会/二子山山系主要分岐図」)

昨春、東京湾要塞地帯標を目当てに、逗子の沼間から上がって北側尾根を歩くルートは二度ほど歩いたが(「東京湾要塞第一区地帯標(2018年5月23日)」「東京湾要塞第一区地帯標(2)(2018年5月27日)」)、今回は、5,6回に分けて、がっつりと南尾根を縦走(地図的に言えば西→東“横走”だが)したり、一度南尾根に上って森戸川林道終点に降りたり、再び北尾根を少し歩いたり。主要なルートはほぼ歩いたかも。

●そのなかで、葉山町長柄と逗子市桜山大山の境にある二子山(上ノ山)に二度ほど登った。「二子山」の名の通り、山が二つ隣り合っていて、東側の上ノ山は標高207.81m(頂上の三角点)。三浦アルプス一帯の山のなかでは高い方なのだが、中腹の「南郷上ノ山公園」から、山頂のすぐ脇まで車が通れる幅と傾斜の道があり(ただし、公園側の入り口にはチェーンが張ってあって一般の自動車は入れない)、周囲の山と違って、散歩感覚で登ることができる(実際、その道で犬の散歩をさせている人にも出会った)。

山歩きの案内などを見ると、この道を「砲台道」と呼称しているものを散見する(たとえば京浜急行の「三浦アルプストレッキングガイド」でも「砲台道」と記されている。地図の中心やや左)。ということは、頂上に砲台があって、この道は資材やら弾薬やらの搬入用?――と思ったら、毎度お世話になっているサイト「東京湾要塞」に、しっかり記載されていた(二子山高角砲台のページ)。

二子山は前述のように逗子市と葉山町の境にあり、「逗子市に存在した高角砲台」は、披露山の「小坪高角砲台」と、この「二子山高角砲台」の2か所。また、「三浦アルプス」一帯で考えると、ここのほかに「畠山高角砲台」「田浦高角砲台」がある。畠山山頂には昨年行っているが、この時は砲台があったことを知らなかったので、遺構の類は探していない(もっとも、そもそも目立つ遺構は特にないようだ)。

●そんなわけで、二子山砲台探訪録。

まずは国土地理院の地理空間情報ライブラリー、「地図・空中写真閲覧サービス」から、終戦直後の米軍撮影航空写真(1946年2月撮影、USA-M46-A-7-2-107)と、最近のもの(2007年4月26日撮影、CKT20072-C20-61k)との比較。

Usam46a72107k Ckt20072c2061k

おおよそ同じくらいの範囲をトリミングしてあるが、方位は少しずれている。写真の右下が高角砲台のある二子山上ノ山山頂で、終戦直後の写真だと4つの砲台がほぼ直列に並んでいるのが確認できる。現況写真の中央が南郷上ノ山公園、その左側にあるのが南郷中学校。上縁を東西に走る道路は葉山の長柄と逗子の沼間(横横逗子IC)を結ぶ逗葉新道。「砲台道」は現況写真では植生に隠れてしまってかなり見づらい。

同じ現況写真だが、探訪写真との対応用に番号を振ったものを以下に。

Ckt20072c2061k2

二子山に登る場合、逗子駅からは、京急バスの「南郷中学校」行き(逗28系統)に乗るのが最も楽。南郷中学校は山の中腹、南郷上ノ山公園と隣り合っている。

20190602_141459

写真1枚目。バス停を降りるとすぐ横が南郷中学校のグラウンド(上写真の①)。道の先にはすぐに南郷上ノ山公園の入り口がある。戦時中の兵舎跡が中学校の元になっていたりしないのだろうか……などと思ったのだが、それは考え過ぎ。南郷中学校は1981年と比較的最近の開校で、終戦直後の空中写真ではこのあたりは田んぼのある細い谷戸に過ぎないようだ。

20190602_142919 20190602_143021

左写真は、南郷公園のトイレ脇からの上り口(上写真の②)。車の通れる道幅だが、ご覧のようにチェーンが張ってあって進入禁止。それからしばらくは、右写真のようにコンクリート舗装の道が続く。

20190602_143239 20190602_143321

道が大きく右に曲がるあたりで、左に下る分岐がある(上写真の③のあたり)。終戦直後の空撮を見ると、もともとはこちらが「砲台道」の本道だったのではないかと思われる。一応、この道は今でも南郷トンネル入り口辺りに繋がっているらしい。この分岐の隣には、コンクリートのテーブルと椅子が据えられた平場がある。

20190602_143426 20190602_143603

同一か所、分岐側から現在の「砲台道」本道を見る。コックリート舗装はこの地点で切れ、この先は砂利道(ところによって砂利のない土道)になる。ただし、轍の部分をよく見ると、荒れたコンクリート舗装がところどころ残っていて、元は舗装がだいぶ上まで続いていたことが伺える。もっとも、その舗装が戦時中のものかどうかは怪しい。

20190602_143648 20190602_143955

途中、道の脇に数カ所開けた平場があり(上写真の④、⑤、⑥)、東屋やベンチが作られている。もっともこれらも(終戦直後の空撮を見る限りでは)戦時中に何かの施設があった跡というわけではなく、公園整備の一環で整地されたもののようだ。

20190602_144414 20190602_144432

道が東北角で大きく曲がるあたり(上写真⑦近辺)に、コンクリートの構造物あり。もっとも、その中に作られた鉄板のフタの感じからすると、戦時中の何かではなく、後になって作られたもののような感じ。

20190602_144811 20190602_144908

明らかに“近年物”の擁壁や雨水用マンホールのフタもある。

20190602_145149 20190602_145258

一方で、戦時中のままらしい、素掘りの崖面もある。右写真はおおよそ⑧の地点で、左側に沼間方面および森戸川林道終点方面に行く分岐がある。前者は葉山・逗子境界の尾根を通って北尾根ルートへ。後者はこの先で右に折れて谷を下る。

20190602_150144 20190602_150222

「砲台道」は、上写真⑨のKDDIの中継施設に突き当たる。掲げられた看板は20年以上前の旧社名のまま。左側の(整備不良でガタガタになった)階段を上ると頂上広場に出る。もともとの砲台道は現在の中継施設を突っ切る形で、頂上広場の北側を通って緩やかに上り、4基並んだ砲台の中間あたりで頂上に接続していたようだ。なお、終戦直後の空撮で確認できる兵舎らしき大きな建物は、この写真のちょっと手前の左側一帯にあったと思われる。

20190602_151211

頂上広場に小さな展望台と一等三角点があり、展望台の脇に、ミスドの「ポン・デ・リング」状の砲台跡がある(上写真⑩)。写真は下ノ山方向から振り返ったかたちで、一等三角点越しに展望台と砲台跡を撮ったもの。左の木立の向こうに、先の写真にあった階段の登り口がある。前掲の終戦直後の空撮写真と比較検討すると、4つあった砲座のうちの東端のものであると考えられる。残りの3つは(この写真の位置からすると)撮影地点の背後の林の中に埋もれてしまって、とりあえずパッと見た程度では確認できない。

20190601_151529 20190601_151044

一等三角点と、展望台から北方向(横浜方面)の眺望(かすんで見づらいが、左端にランドマークタワー、右端近くに八景島シーパラダイスが見える)。現在は木に覆われてしまって視界が遮られているが、戦時中はほぼ360度眺望が開けていて、西側に相模湾が見渡せたはず。ちなみにここは東西方向で相模湾、東京湾のほぼ中間にある。一等三角点は神奈川県内に8か所あり、三浦半島ではここが唯一。

20190602_151649 20190602_151242 20190602_152729 20190602_151421

砲座のクローズアップ。披露山のようなベトン(コンクリート)製のきっちりしたものではなく、少なくとも現状は土塁のみ。周囲の土塁の高さは一様ではなく、前述のように「ポン・デ・リング」状に波打っている。窪んだ部分には砲側の弾薬置き場があった(例えばコンクリートの箱状のものがあって、それを取り除いた痕跡?)などとも考えられるかもしれない。

また、特にほぼ真北の窪みは特に低く(写真3枚目)、砲座への出入り口があったのかもしれない。ちょっと曲線が胸の谷間みたいで艶めかしい。

写真4枚目は脇に立っている展望台上から見下ろしたもの。小さな頭が赤い杭が立っているのがほぼ中心。コンクリート製のプラットフォーム等はとりあえずこの状態では存在が確認できない。

国立公文書館・アジア歴史資料センターで検索・閲覧できる「横須賀海軍警備隊 砲術科兵器目録」(終戦後の引渡目録。直リンで開けない場合には、資料センター表紙の検索窓に資料名を入れれば出てくる))によれば、ここ二子山高角砲台に据えられていたのは、「十二糎高角砲」(単装)4門。少なくとも同資料には年式等は記されていない。コンクリート製の台座などが確認できないことから、例えばドイツの8.8cmFlaKのような移動用の砲架を持った対空砲が考えられるが、日本海軍にその手の砲(砲架)があったのかどうか、日本軍の兵器に疎い私にはよくわからない。とりあえず、同資料で確認できるこの砲台の配備は、

  • 十二糎高角砲 4門
  • 二式陸用高射器 1基
  • 九七式二米測距儀 1基
  • 弾薬数 632発
  • 九六式一五〇糎探照灯 1基
  • 二十五粍二連装機銃 1基
  • 十三粍二連装機銃 3基

20190602_152002 20190602_152550

草刈りされた砲座の東側は緩斜面になっており、そちらからはかなり土塁が高く見える。木立の向こうは、先述の砲台道突き当りにあったKDDIの中継所の通信塔。

サイト「東京湾要塞」によれば、二子山下ノ山方面に少し行った脇の藪の中にコンクリートの構造物(柱が二本)が残されているというのだが、藪の中を覗きこみながら、何度か行ったり来たりしてみたが、発見できなかった。もうちょっと藪の奥まで見通せる冬季に改めて来て確認したい。なお、このコンクリートの構造物は、「東京湾要塞」では探照灯の台座としているが、形状的には武山の砲台山にあった、計算所(の中にあった計算装置?)の台座とされているものと似ている。

20190601_153035 20190601_153315

なお、米軍空撮写真を見ると、上ノ山から西(写真で左方向)に細い道を辿った先、二子山下ノ山の頂上にも何やら小さな設備が置いてあるように見えるが、現状、下ノ山の頂上は森に覆われていて、何があったか等は確認できない。左写真のように、立ち木に小さな表示板が取り付けてあるので「ああ、ここが頂上なのか」と判るだけ。頂上西南側にちょうど砲台くらいのすり鉢状の窪みがあるが(藪に覆われて見づらいが右写真)、大きさはどうあれ、かなり深いので銃座とかの跡ではないような気がする。ただし、この窪みから西方向には、窪みへの出入り口のような掘割があるようで、何らかの人工のものである可能性はありそう。

ちなみに、上ノ山までは先述のように「お散歩感覚」で砲台道を歩くだけだが、上ノ山から下ノ山、さらにその先の阿部倉山へは、かなりアップダウンのある細い山道を歩くことになる。歩く人も少なそうなので、夏は藪漕ぎの覚悟も必要かも。

|

« II号戦車b型 THE WORLD AT WAR 1:72 | トップページ | 三浦アルプス »

かば◎の迂闊な日々」カテゴリの記事

軍事遺構」カテゴリの記事

コメント

三浦半島の山は思いの外低いんですね。伊豆半島のように海からやってきて衝突した島ではなさそう。

二子山砲台のことは知りませんでした。こんな土塁が残ってるとは!
当時の空中写真を見ると高角砲砲座の間のスペースに機銃座らしき土塁も見えますね

砲座まわりの弾薬庫の数が披露山(小坪)や砲台山(武山)のものとは異なるようなので、規格が違うのかしら。コンクリート構造ではなく、木杭と矢板で土留め壁をつくる塹壕のような作り方だったりして。。

砲台跡の近くにKDDの通信塔が建ってるのは、砲台山(武山)の構図と似てますね。
周囲に見通しのきく重要ポイントというのは今も昔も同じなのかな。

投稿: hn-nh | 2019年6月 8日 (土) 09時05分

>hn-nhさん

やはり、披露山や青戸のようにコンクリートの構造物があるのに比べると、土盛りだけだといまいち萌えない感じはありますが……(しかもこの一基を除いて、ほぼすべて森に覆われて確認できなくなってしまっているし)。

砲側弾薬置き場は、確かに、私が上に書いたように「コンクリの箱があった」というよりは、hn-nhさんの仰るように木組みを作ってそれに土をかぶせてあったと考えるのがずっとずっと「ありそう」ですね。

米軍の空撮を見ると、土塁は綺麗なドーナツ形に見えますが、その後、弾庫の木組みが腐って崩れて土塁に窪みができた、と。

出所は判りませんが、「東京要塞」の二子山砲台のページには砲座の模式図が掲示されていて、これを見ると、四方に弾庫+待機所(上写真の、おそらく最も土塁の低い部分)のようです。

投稿: かば◎ | 2019年6月 8日 (土) 12時33分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« II号戦車b型 THE WORLD AT WAR 1:72 | トップページ | 三浦アルプス »