「クルップ」の特に求められていない付け足し
●先日、hn-nhさんがupされたブログ記事で、JR総武線・浅草橋駅に、ホーム屋根を支える古レールのかなり素敵な列柱があること、また、その中に私自身は未見だった独クルップ社製のものが確認できること、などを知った。
→ hn-nhさんのブログ記事、「クルップ」
普段横須賀線で都心に出る私は、都心東端や千葉方面に用事がある場合、(横須賀線から直通の)総武線快速を使うので、秋葉原~錦糸町間の総武線各駅停車は少し縁が薄い(それでも全然通ったことがない、というわけでもないのだが)。
22日土曜日にたまたま錦糸町で用事があったついで、また、28日金曜日に市ヶ谷で仕事の打合せがあった帰りの寄り道で、改めて浅草橋駅の古レール柱をチェックしてみた。
(そんなわけで、タイトルに「付け足し」とあるのはhn-nhさんのブログ記事に対してであって、当「かばぶ」に、クルップに関する先立つコンテンツがあるわけではない。前回に続いて、他人のふんどしで相撲を取りまくり。)
●浅草橋駅は高架の対面式・片面ホームだが、上下線の線路の間に柱を立てて支えることで、両面のホーム屋根を一体化し、ホーム前面に柱を立てることを避けている。また、これらの柱はホーム区間の架線柱も兼ねている。ほぼ全景の写真を以下に。
ともに、下り線ホームの秋葉原寄りの端から写したもの。秋葉原駅から隅田川の架橋手前までの区間、線路はとことんまっすぐ。そのため、比較的短い間隔で立てられた古レール柱が、ビシッと一直線に並んでいて美しい。
縦長写真の手前側で中央の梁がH型鋼に代わっているが、これはおそらく、電車の編成が長くなったことに伴い、秋葉原側に少しホームが延長されたためではないかと思う。
屋根を支えるアーチは基本、ホーム/線路に対して直角方向だが、最も両国駅(千葉方面)側だけ斜めになっている(ちょっと下写真では判りづらいが)。
これは、駅のこちら側に接する道路(柳橋桜北通り)が線路と斜めに交わっているためで、上下線のホームもやや位置がずれている。
●このように、対面式ホームで中央に柱を立てて両側の屋根を支える形式としては、同じく中央・総武各駅停車の水道橋駅も挙げられる。浅草橋駅が曲線を多用したデザインなのに対して、水道橋駅のレール柱は直線的。
これはこれで魅力的だが、水道橋駅の場合、ホーム背面の柱に全てカバーが掛けられてしまっているのが、古レール柱ファンとしてはいささか残念なところ。そのため、刻印による古レールの出自もほとんど確認できないのだが、28日、たまたま停車した車内から見えた中央の列柱の一本に、不鮮明ながら刻印が確認できた。状態はよくなく、しかも車内からの撮影なのでドアガラスの反射などもあってますます見づらいが、どうも独ウニオン(UNION)社製らしい。
●一方、屋根の掛け方は全く違って島式ホームの中央に柱が立っている形式ではあるが、JR山手線・鶯谷駅の古レール柱は、曲線的なデザインに浅草橋駅と似通ったものを感じる。
ちなみに鶯谷駅は、ホーム屋根を支える横方向のレールが、そのまま線路をまたいで架線を支える形式。補強を兼ねているのか、2本のレールの間の三連の輪に、ちょっとでもオシャレを盛り込みたかった気持ちが見える。
なお、田端駅は鶯谷駅とほぼ同じデザインの古レール柱だそうだ。
●話は戻って浅草橋駅。
屋根を支えるアーチ状の垂木(?)部分のレールは、柱部分だけでなく、その中間にもある(つまり、柱の本数のおよそ倍ある)。
屋根を支えるアーチは、柱部分では両側が一体で、縦方向の棟木にあたるレールは柱部分で途切れている。一方、柱と柱の間では逆に棟木がそのまま通っていて、アーチが両側で別パーツになっている。
一方ホーム背面は、壁の上部がトラスになっている。中央の支柱に接続している“メインのアーチ”は、こちら側でもそのまま下まで接続する柱となり、支柱と支柱の中間にある“サブのアーチ”は、同様にカーブを描きつつもトラスの下部に接続して途切れる。
なお、支柱は必ずしも等間隔ではなく、支柱間に筋交いの補強が入っている箇所もある。また、支柱間が特に広い箇所では、棟木に沿ってトラスの補強が入っている。ここは下を道路が通っているガーダー橋上の区間で、支柱が立てられないためであるようだ。
さらについで。この区間の高架は昭和初期のものだが、高架はそれなりに高さがあり、鉄筋コンクリート製のアーチが連続している。上記のようにこの区間は線路がとことんまっすぐなこともあって、改めて眺めると、これまたローマ水道的な美しさがある。下写真は浅草橋駅~秋葉原駅間で撮影。
2枚目は高架下の建物の建て替えか何かで、珍しく空間がぽっかり空いていた箇所。アーチの支柱上側面には、長円形の窪みが装飾的に並べられているが、長年の補修により、ほとんどの場所で窪みのエッジがとろけたようになっている。左写真では、珍しく上側の一部だけ、エッジのシャープさが保たれている。
●浅草橋駅古レール柱の製造者銘刻印について。
▼KRUPP:独クルップ社
hn-nhさんの報告にある(そして今回私にとって初見の)独クルップ社の刻印は、ざっと見て回ったところ、上り線ホームで3か所確認できた。
左端の写真が、hn-nhさんが紹介していたものと同じ柱。ちょうど汚れが文字を浮き彫りにするように入っていて(まるで模型でディテールを浮き立たせる塗装を施したような……)、クルップ(KRUPP)の文字が明瞭にわかる。
一方、2枚目の写真はそれよりもやや不明瞭だが、一応、メーカー名以降の文字も確認できる。「KRUPP 1885(あるいは1883?)N.T.K」と書かれているようだ。
1885年は明治18年。日本で新橋-横浜間に初めて鉄道が開業(1872年)してから10数年しか経っておらず、東海道線全通(1889年)は、さらにその数年後になる。最後のN.T.K.は発注者名で、「日本鉄道」の略号であるらしい。日本鉄道は、日本における鉄道黎明期、初めての私鉄として発足(1881年)した会社で、東北本線ほか、現在のJR東日本管内の多数の路線を敷設。後、1909年(明治42年)に国営化された。
なお、刻印の読み解きに関しては、以前の古レールコンテンツでも触れたが、ほぼ全面的に先達のサイト「古レールのページ」を参考にさせて頂いている。以下のメーカーについても同様。
▼UNION:独ウニオン社
ウニオン社(またはドルトムンター・ウニオン、Union, AG für Bergbau, Eisen- und Stahl-Industrie、→ドイツ語版wikipedia)は、浅草橋駅で、おそらく最も多数、刻印が確認できるメーカー。
1枚目、2枚目は同じで「UNION D 1886 N.T.K.」。3枚目は製造年が1年早くて1885年。4枚目は頭の「UNION」ははっきり判るが、それ以下はよく読み取れない。Dは会社所在地のドルトムントを表すらしい。
今でこそ聞かない企業だが、鉄道黎明期の日本は結構お得意さんだったらしく、同社のレールは割合あちこちの駅で確認できる。私の身近なところでもJR横須賀線の横須賀駅や鎌倉駅にあり、特に横須賀駅のUNION社製レールでは、浅草橋駅と同じ発注者N.T.K.(日本鉄道)と、官営のI.R.J.(Imperial Railway of Japan=日本帝国鉄道とでも訳せばよいか?)のものとが混在している。
▼CAMMEL:英キャンメル社
キャンメル社レールは、私が(鎌倉駅で)古レールの刻印を初めてきちんと確認し、この方面への興味を深めるきっかけになったもの。鎌倉駅の同社製レールとの出会いについてはこちら。
上の写真2枚とも、文字はほとんど潰れかけていて見えないのだが、キャンメル社製の刻印の特徴である、「SHEFFIELD(シェフィールド、会社所在地)」「TOUGHENED STEEL(強化鋼)」の文字列の一部が確認できるので、同社製とみてまず間違いないと思う。
▼BARROW:英バロウ社
下り線ホームで確認できたもの。同社製のレールは鎌倉駅でも確認できる。
文字ははっきり読み取れないが、「BARROW STEEL Sec166 1893 I.R.J.」だろうか。実のところ、はっきりと読めるのは頭の「BA」と、途中の「166 1893」くらいだが、Sec166は同社独自のレール規格番号らしく、これでバロウ社とほぼ確定できる。
もしかしたら上記以外の会社製と思われるものもあったが、文字が不明瞭で確定はできなかった。
●日本で国産のレールが生産され始めるのは20世紀に入ってからだそうで(1901年末、官営八幡製鉄所による)、明治の前半、レールは輸入頼りだった。
浅草橋駅は昭和初期、1932年の開業。それに近い時期、1939年の日暮里駅の写真(wikimedia commonsより)に、よく似た古レール柱が写っているから、浅草橋駅の古レール柱も、開業当時からの物だろうと思う。ちなみに日暮里駅の古レール柱も、一部は撤去されてしまったもののまだそれなりに残っている。同駅の古レール柱探訪はこちら。
おそらくこの時期、各路線でレールの更新が進み、日本の鉄道の“初代”のレールが廃材として大量にストックされていて、それが駅の屋根や跨線橋の柱として再利用されたのだろう。特に通勤に使われるようになった都心の各駅は、田舎の駅と違って利用者も多く、そのために当時からホームの大部分に屋根が架けられたのではないかと思う(田舎の駅の場合は屋根そのものがなかったり、改札付近に申し訳程度にしかない状態から段階的に屋根を増やしていく例が多く、意外に都心よりも屋根が新しいものが多い気がする)。
(6/30追記)
公益社団法人 土木学会のデジタルアーカイブ、「戦前土木名著100書」に「高等土木工学 第十巻 鐵道工学」という本が収められている(平井喜久松・岡田信次著、常盤書房、昭和6年発行)。同書中、「第七編 停車場」に「6.乗降場(Platform)」の一節があり、ここに、都心の駅における上家(上屋)例の図版が添えられている(以下、同アーカイブより引用)。
残念ながら浅草橋駅については載っていないが(そもそも駅の開業がこの本よりも後なので当たり前だが)、デザイン的に似たところがある鶯谷駅と日暮里駅(下から2段目)と、屋根の掛け方の形式が似ている水道橋駅(下段左端)は掲載されている。
鶯谷駅の架線架部分の「おしゃれリング」が当時からのものであること、(上の写真でもよく見れば確認できるのだが)水道橋駅は細かくトラスを組んで、妙に頑丈に作られていることなどもわかる。出版時期から、水道橋駅の古レール柱は浅草橋駅よりも早く作られていることが判るが、もしかしたら、水道橋駅の経験から「ここまで丈夫にしなくてもいいんじゃね?」と、構造が簡素化された可能性もあるのかもしれない。
なお、ここに載っている上屋に関しては、個々の駅の架構の材種(鉄骨なのか木材なのか、あるいは鉄骨だとしてそれが古レールなのか否か)は付記されていないが、本文中に、「材料は木材、鐵材が多く近時古軌條を利用せるもの多し。」と書かれている。どうやら、都心各駅の(ちょっと優美な)古レール柱建築は、大正末期~昭和初期くらいに作られたものが多いようだ。
なお、このような資料があってオンラインで閲覧できることについては、サイト「Golgodenka Nanchatte Research」の「古レール調査報告書」、「古レール JR 東日本中央本線【水道橋駅】」で知った。私なんざぁまだまだヌルイのである。
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コメント
浅草橋駅の古レール屋根はやっぱり美しいですね。
トラスを組み込んだ部分があるのには気がついてませんでした。ブリッジ部分で下に柱を落とせないからなのでしょが、全体のデザインの中で違和感のないように組み込んだ当時の技術者の苦労が偲ばれます。
たまたま目に止まったのがクルップの刻印でしたが、UNIONのほうが多用されてたんですね。線路をつくるときは異なるメーカーのレールを混在させて敷設するということはなさそうですが、駅舎は完全にリサイクル材で作った、ということなんでしょうね。
浅草橋駅が開業した1932年というと、現在は東京都庭園美術館となっている朝香宮邸が竣工したのが1933年ですから、アールデコなど曲線を直線に組み合わせたデザインが流行した時期でもあり、レール屋根の組み方もその時代の影響を受けたものと考えられそうです。
水道橋駅は駅ができたのは明治期ですが、屋根を掛けたのは浅草橋駅より時代が下るのかもしれませんね。装飾美というより機能美的な印象が強くなります。
投稿: hn-nh | 2019年6月30日 (日) 07時10分
>hn-nhさん
ありがとうございます。
>>アールデコなど曲線を直線に組み合わせたデザインが流行した時期でもあり、レール屋根の組み方もその時代の影響を受けたものと考えられそう
なるほど、デザインの時代背景までは考えが至りませんでした。そういえば、高架のアーチのデザインともなんとなく調和しているような気もします(というわけで、高架の写真も追加しました)。
水道橋駅は、明治~大正期のものらしい絵葉書写真を「フォト蔵」で見つけました。
http://photozou.jp/photo/photo_only/150060/27429361?size=1024#content
「甲武線電車」とタイトルにありますが、水道橋駅開業の一週間後には甲武鉄道は国有化されているので、これも官営鉄道になってからの写真だと思います。
いずれにしてもこの時は簡素な駅舎&屋根です。
今の古レール柱屋根の駅舎はいつのものなのか、ちょっと知りたいですね。
投稿: かば◎ | 2019年6月30日 (日) 12時24分
気になって調べていたら、私も同じサイトにたどり着いてました(笑)
1931年(昭和6年)発行の本の上家図面に、すでに日暮里、鶯谷、そして水道橋。
私はてっきり日暮里駅の写真が1939年撮影なのを建設年代と勘違いしてしまってました。日暮里駅のアーチにLアングル材が組み合わされているところに水道橋駅との共通点を感じて、浅草橋→日暮里→水道橋という流れなのかと推測したのですが、どうやら逆でしたね。
他のサイト:http://warpal.sakura.ne.jp/yamanote/22okachi/0kounai/okachi-st.htm
にて御徒町駅の開通時の写真:1925年(大正14年)駅のプラットフォームの構造は、その上家図面とも符号し、その構造にはレールは使われずLアングル材を組み合わせたトラスやアーチが使用されていると。そして昭和中期に増築されたホームに一部古レールが使われているそうです。同時期に開業した秋葉原駅もLアングル主体のようです。
そうして考えると、1920年代後半に(レール国産化が軌道にのり)在庫過剰となった外国産の古レールの利用法として駅舎の部材に利用されるようになった、ということかもしれません。水道橋では柱材やメインビームに利用、日暮里ではレール主体となりアーチのデザインを積極的に採用、浅草橋ではそれをさらに洗練されて、という流れなのかもしれません。
このページの日暮里駅のレール屋根の考察はすごいですね。
http://warpal.sakura.ne.jp/yamanote/19nippori/frame-nippori.html
投稿: hn-nh | 2019年6月30日 (日) 17時47分
上のリンクのページの一番下の”プラットフォームへ"というところをクリックするとプラットフォーム増築の変遷ページが開きます。
http://warpal.sakura.ne.jp/yamanote/19nippori/0platform/nippori-st2.htm
投稿: hn-nh | 2019年6月30日 (日) 17時55分
>hn-nhさん
「古レールじゃない、普通の鉄骨」の構造を見ると、古レールのものより新しいのかな、なんて漠然と思ってしまうのですが、全然そんなことはないんですね。
上の図を見ると、御徒町、秋葉原、神田は、幅こそ違えど、ほとんど同じ構造をしています。同時期(上野~神田間の開通)に合わせてセットで作られたのかも。
ここから先はまた妄想になってしまうのですが、通常のL字鋼で作った場合、強度を確保するのにトラスを組んでいて(御徒町のように)、その流れで初期の古レールでもトラスを組んだものの(水道橋)、そもそも鋼材として太さもある古レールの場合、ただのL字材より強度があるのでよりシンプルなデザインになった(日暮里や浅草橋)という流れなのかもしれません。
上には適当に「古レール柱建築は、大正末期~昭和初期くらいに作られたものが多いようだ」と書きましたが、実際には「昭和に入ってから」がメインの可能性が高まりましたね。
ちなみにhn-nhさんがリンクを張られた「山手線が渡る橋・くぐる橋」は、私も日暮里駅の古レール探訪の際にだいぶ参考にさせてもらいました(記事に貼ったリンクは、サイトの引っ越しで古くなってしまいましたが)。なお、同サイトの記事を読んで以来、「芋坂橋」には萌え萌えです(しかし、まだ電車の窓からしか見たことがありません)。
投稿: かば◎ | 2019年6月30日 (日) 19時36分
古レールを使った駅舎=ありあわせの材料で作ったプリミティブなもの、という先入観が制作年代を見誤らせましたね。考えてみれば鉄道黎明期のころはレールは貴重で海外からわざわざ輸入してたのですから、中古といえどもそれを建築材に使うなんてもったいないことは考えなかったのかもしれませんね。
L型鋼はペラペラなのでトラスを組まないと強度を確保できないのに比べて、レールは肉厚で断面も対称なので、そのままでも柱や梁に用いることがで出来る材料として魅力的だったのでしょう。現在の駅舎で主流のH型鋼が登場するのは1960年代のようですから、戦前の昭和期、戦後しばらくは古レールが重宝されたと想像します。
投稿: hn-nh | 2019年7月 1日 (月) 05時52分
>hn-nhさん
改めて「山手線が渡る橋・くぐる橋」を読み直してみたのですが、山手線西側の駅では、大正年間に作られたと思しき古レール柱の上屋もあるようです。
同じ山手線でも、区間によって作られた時期も違うし、作った会社さえ違っていたりするので、いろいろと様式や手法の違いは複雑なようです。しかし少なくとも、hn-nhさんが仰るように、「古レールを使った駅舎=ありあわせの材料で作ったプリミティブなもの」ではない、というのは確かですね。
投稿: かば◎ | 2019年7月 1日 (月) 13時38分
JRじゃなくて西武線ですけれども、
石神井公園駅もこの間までレールでできた屋根支柱だったんですが、
写真撮っておけばよかった
投稿: みやまえ | 2019年7月 2日 (火) 21時55分
>みやまえさん
石神井公園、ここを見ると、私がJRの駅では見たことがないメーカーの刻印も結構あったみたいです。
http://www.golgodenka.com/reports/railway/oldrail/or-seibu-ikebukuro-shakujiikoen01/or-seibu-ikebukuro-shakujiikoen01-01.html
私、西武池袋線沿線に住んでいたこともあったのですが(石神井公園より池袋寄りでしたが)、その頃は古レール建築がどうとか、そのメーカーがどうとかなんて意識したことがなかったので……。今考えると残念です。
投稿: かば◎ | 2019年7月 2日 (火) 23時25分
リンク先、なつかしいです!
近辺で20年ちかく暮らしたのでいろいろな思い出のある駅です。
わたしももうちょっと早く古レールに目覚めてれば!って残念です。失ってから気がつくのですよね・・・
ところで、リンク先、真ん中くらいにあるナゾのベニヤ板ですが、
あれはツバメの巣を補助する駅員さんの優しさで、
当時はツバメがいっぱい巣をかけてて、北側にある保線の練習場?の上を
賑やかに飛び回ってたのを覚えてます。
教えてあげたいけどコメント先がわからない・・・
投稿: みやまえ | 2019年7月 6日 (土) 23時47分
総武線のアーチ型の高架は秋葉原の昭和通りに近い一帯に続いてるのですね。浅草橋駅の高架にはそんな印象なかったのでどこだろうと思ってました。
アーチ側面に施されてる小アーチ型の装飾は、御茶ノ水にある聖橋のデザインを想起させますね。聖橋を設計したのは山田守(旧逓信省の郵便局や逓信病院などで曲線を使ったデザインが特徴)ですが、それに影響を受けて計画されたものでしょうか。
震災復興の小学校の建設でもシンプルなアーチ型のモチーフが流行ってたので、同時代の古レール駅舎にもアーチ型がモダンなものとして採り入れられたと想像します。
投稿: hn-nh | 2019年7月 7日 (日) 06時22分
>みやまえさん
ポーランド製のレールってのが、ちょっと萌えました。
>>あれはツバメの巣を補助する駅員さんの優しさ
おお。言われてみればまさにその用途って感じがします。
ちなみに逗子一帯では、なぜか京急神武寺駅の改札周辺に、毎年、かなりのツバメの巣ができます。
何がツバメをそこまで惹きつけるのか……。
>hn-nhさん
市ケ谷駅ホームの、市ケ谷橋下の橋桁部分もアーチデザインで、なんとなく似通ったものを感じるんですよねー。
震災復興期における、この地域の共通の何かがあったのでは、という気がします。
ところで市ケ谷駅は、市ケ谷橋の隣に並行して妙にレトロな感じの橋が一本掛かっていますが、私はあれが水道橋だというのを、つい数日前に(今更のように)知りました。
傾斜があってお堀の北側のほうに渡らないと橋の“中”が覗けないので、今まで「何の橋だろ?」と思うだけだったんですよねー。
投稿: かば◎ | 2019年7月 7日 (日) 09時35分
「市ヶ谷見附跨線水道橋」というのですね。
なぜに市ヶ谷に「すいどうばし」?と思ったら、水道管用の「すいどうきょう」なのですね。市ヶ谷駅で乗り換える時は釣り堀にいつも気をとられて橋はノーマークでした。
1929年(昭和4年)につくられたようですね。欄干のところにあるアーチ型はその時代を特定するモチーフとも言えるのかも。
投稿: hn-nh | 2019年7月 7日 (日) 18時33分
>hn-nhさん
「市ヶ谷見附跨線水道橋」、または「市ケ谷水管橋」(都水道局での名称?)ともいうそうです。
コンクリートで、橋の上半分をオシャレに装飾しているのも興味深いんですが、下半分は(鉄道省設計のため)鉄道用のガーダー橋と同じらしいです。
土木学会図書館所蔵の「土木建築工事画報」(第7巻第4号 昭和6年4月)に「新東京名所市ヶ谷見附跨線水道橋」という記事が出ているのですが……
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/07-04/07-04-1416.pdf
その記事には、「今井組が請負施工した」と書かれています。しかし、橋そのものには、「昭和四年 株式會社横河橋梁製作所 製作」という銘鈑が付いています。「今井組」という会社が横河橋梁の前身だったというわけでもないようで、ちょっと謎です。
それにしても、どっちを向いても、よく見ると深みにはまりそうなネタって転がってるものですね。
投稿: かば◎ | 2019年7月11日 (木) 18時06分